林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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杉村昌昭×鈴木創士

鈴木創士さん、ご活躍のようです!
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5月30日土曜日 15:00〜
@京都・ギャルリー宮脇
http://www.galerie-miyawaki.com/SugimuraSuzuki20150530Infohp.jpg




チルドレン・クーデターというバンドにゲストとして入ります。
6月6日土曜日 open 18:00
@高円寺High


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by sumus2013 | 2015-05-16 09:46 | もよおしいろいろ | Comments(0)

モノクローム

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石元泰博『桂離宮』(六耀社、二〇一四年六月二五日新装版、装丁・デザイン=太田徹也)。小生は今、桂離宮から歩いて十分とかからない場所に住んでいる。かつては飼い犬の散歩で毎日のように桂垣(植わったままの笹を編んだ垣根)を眺めて歩いていた。ただし垣根の内側は、桂に住むようになるはるか以前に一度だけ見学した、それぎりである。当時、印象深く庭園を経巡ったので、本書を開いていると記憶を呼び覚ましてくれるショットがいくつもあった。


モノクロームが幽玄な雰囲気さえ湛えており、カラーでは見過ごしがちになる構造的な特長をくっきりと示している。石元泰博の視線、画面の切り取り方はまるでモンドリアンだ。

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この写真集が届く少し前、甲斐扶佐義『八文字屋の美女たち』(八文字屋、一九九一年一二月二七日)という私家版写真集を某古書店で求めていた。この同じ年に『Kids』と『狸橋の子どもたち』(ともに八文字屋、一九九一年)を刊行しているから(はっきり分らないが、それ以前に写真集は出ていない)甲斐氏にとって九一年はエポックメイキングな一年だったようだ。八文字屋は甲斐氏経営の酒場。一度だけ知人に連れられて入ったことがある。ちょうど水上勉が飲んでいた。作家を取り巻く空気がみょうに重かったのを思い出す。

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《「八文字屋の美女たち」も急仕立ての写真集となった。
 本来なら、「美女めくり 365日」がある出版社から先に出る予定だった。そのために、1000人以上の女性を撮った。いずれ、出版社をかえて、ちがう形で出すつもりである。

《本書に登場ねがった方々は、二、三の例外を除けば、いずれも、この一年あるいは、十数年来親しくしてもらっている女性ばかりである。一連の美女写真作製のプロセスの副産物は、いつか、「カイも歩けば、客(美女)にあたる」という日記で、発表したいものである。》(ともに「あとがき」より)

バブル時代のヘアーやファッションがなつかしいというか、ああ、こういう時代だったんだなあ、と思わせてくれる。どれもいい写真だ。やっぱり、これらもモノクロームだからこそ、という気がする。


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by sumus2013 | 2015-05-15 21:01 | おすすめ本棚 | Comments(0)

草書法要

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『草書法要』(文会堂、弘文閣、文化十四年[1817]六月)上下二冊。草書の字典。左旁、右旁、上截、下截、全体の五部門に分けて草書体が6125収められている(らしい、数えてません)。編者は脇田赤峰。江戸の人。名は順、字は和卿。寛政から文化年間(1789〜1817)に働いた書家である。龍巌寺の芭蕉句碑(寛政五年 1793)を揮毫している。墓所は麻布の円林寺。

《無量山圓林寺(大谷派)今井町一〇
脇田赤峯墓、書家、名は順、字は和郷、通稱郷右衛門、掃素館或は橘梨園と號した。文化五年十二月十九日歿。一畫に十月十六日歿、年六十四と見える。(「麻布區史」より)》

開巻まずは三人の著名人の序が麗々しく印刷されている。一人目が皆川愿(淇園)、次が先日の『香泉遺稿』にも序を寄せていた山本北山、そして中井敬義。皆川愿の署名のところだけ掲げる。寛政八年(一七九六)付け。

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そしてさらに跋を君山小野鼎が執筆している。こちらは寛政十年。

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《小野君山
江戸中期の儒者。江戸生。名は明、字は子彜、通称は五郎。片山兼山に学ぶ。詩書を能くし、また篆刻に巧みであった。安永から文化年間に活躍、生没年未詳。》(コトバンク)

コトバンクは「生没年未詳」としているが本書には《寛政戌午春正月雨水日[一七九八年二月十九日]七十九翁君山小野鼎識》と明記されているので逆算すると……生年は享保五年(一七二〇)と推定できる。

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残念ながら校閲者として記載されている米花源友邦子寧と華岳篠本真信卿については不詳。

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版元は文会堂山田佐助(両国橋通吉川町)、弘文閣北島長四郎(神田鍛冶町二丁目)で、どちらも名のある書肆だったようだ。とくに弘文閣の刊行書は多岐にわたっている。山田佐助という人物がちょっと面白い。

《燕栗園千寿(えんりつえん ちほぎ)
江戸後期の書肆・狂歌作者。武蔵八幡の人。別号を石樹・栗園。江戸両国文会堂の養子となり、山田佐助と改める。燕栗園千穎の後を嗣いで、狂歌師として活動した。また版元として出版事業にも携わった。安政5年(1858)歿、55才。》(コトバンク)

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発行書目の最初に掲げられている《随園詩話 清随園先生著/日本 東渓/如亭 両先生録 全十二冊》に目を奪われた。柏木如亭の名前がこんなところに! 国会で調べると文化元年(一八〇四)刊の『随園詩話』が所蔵されているから、おそらくそれを指すものか。国会のデータでは巻ごとに録者と校閲者の号が違っていて妙だ。神谷謙には他に『考槃余事』の編著もあり中国の漢詩に通じていた人物のようである。

 神谷謙冲・鈔録 柏昶晩晴・較閲
 神谷謙東溪・鈔録 柏昶痩竹・校閲
 神谷謙國香・鈔録 柏昶晩晴・較閲
 神谷謙沖・鈔録 柏昶永日・校閲
 神谷謙迂齋・鈔録 柏昶如亭・較閲

書目で見ると他に、亀田鵬斎、市河寛斎、天民(大窪詩仏)、山本北山、太田才佐(錦城)らの名前が挙がっており、江戸漢詩のヌーヴェルヴァーグを網羅していた模様である。山田佐助の人脈なのだろうか、興味の惹かれるところだ。

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上巻の巻末遊び紙にこのような書き入れがある。貸本屋か本屋の符牒のようだが、意味不明。




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by sumus2013 | 2015-05-14 20:46 | 古書日録 | Comments(0)

分け入りて

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間村俊一さんに一句頂戴しました!


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by sumus2013 | 2015-05-13 20:42 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

高田渡と……

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『雲遊天下』121号(ビレッジブレス、二〇一五年五月二〇日)高田渡特集! 歿後十年。早いものだ。詳しい目次などは下記にて。この写真(大塚まさじ「渡氏」より)、すんごいショットである。

雲遊天下121 特集◎高田渡と……

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高田渡について披露されている数々の想い出のなかで鈴木コージによるイラスト付き回想記がケッサク。鈴木氏が三鷹に住んでいた頃、高田渡が訪ねて来たことがあった。

《その姿は、ヴァンゴッホの耳切り事件とそっくりで、訳を聞くと、片耳の穴奥が故障して、手術をする事となり、まず、耳を切除してから、行う事、手術後ふたたび、耳をもとの位置に取りつける事を、聞き「先生、その時は、是非、耳を逆さにして付けて下さい。僕の音楽に新境地が開けるかも知れません」とたのんだそうで、その後包帯がとれた耳は、正常に、付けてあった。》

ふ〜む、すごいなあ。

高田渡については山之口貘との関連で書評のメルマガに書いたことがあるので、その一部分を引用しておく。高校時代、友人に借りた高田渡のアルバム「ごあいさつ」で山之口貘を知った。

《それから三十五年以上の時間が飛び去って、ようやく身銭を切って二〇〇七年に「ベルウッド名盤コレクション」CDの一枚として復刻された『ごあいさつ』を買うことができた。そのCD付録の歌詞によれば「生活の柄」は次のような文言である。

歩き疲れては 夜空と陸との 
隙間にもぐり込んで
草に埋もれては寝たのです 
所かまわず寝たのです
歩き 疲れては 
草に埋もれて寝たのです
歩き疲れ 寝たのですが
眠れないのです
 
近ごろは眠れない 
陸(おか)をひいては眠れない
夜空の下では眠れない
揺り起こされては眠れない
歩き 疲れては
草に埋もれて 寝たのです
歩き疲れ 寝たのですが
眠れないのです

そんな僕の生活の柄が
夏向きなのでしょうか
寝たかと思うと寝たかと思うと
またも冷気にからかわれて
秋は 秋からは
浮浪者のままでは眠れない
[下略]

もちろん高校時代から暗誦していたのだが、じつはこれが山之口貘の詩とは似て非なるものだということを知ったのは、CDを手に入れるよりもほんの少しばかり前、『山之口貘全集第一巻全詩集』を百万遍の青空古本まつりの会場で手に入れた直後のことだった。たしかキクオ書店の千円均一の平台だったと思う。千円均一なんて普通なら目にもとめないはずが、そのときは何の弾みか、ふと見ると函入で状態の良いこの全集の端本があった。さすがにこれが千円なら間違いなく安いだろうということは察しがついたが、それ以上に、本を見たとたん、突如、山之口貘の詩をまとめて読んでみたくなったのだ。「生活の柄」全文を引用する。

歩き疲れては、
夜空と陸との隙間にもぐり込んで寝たのである
草に埋もれて寝たのである
ところ構わず寝たのである
寝たのであるが
ねむれたのではあつたのか!
このごろはねむれない
陸を敷いてはねむれない
夜空の下ではなむれない
揺り起されてはねむれない
この生活の柄が夏向きなのか!
寝たかとおもふと冷気にからかはれて
秋は、浮浪人のままではねむれない。

口語自由詩には違いないとしてもどこか硬さがある。これを高田渡の歌詞と較べてみると、何とも絶妙に高田が正真正銘の口語詩にほぐし直していることが分かる。分かるのではあるが、この原詩を初めて読んだときにはやはりガクゼンとした。「生活の柄」の作詞=山之口獏というのは間違いなんじゃないか、俺の青春を返してくれ!(というくらいのショックだった)

三十五年どころか、四十年以上が過ぎ去ってしまったが、このショックはショックとして、結局のところ高田渡の「生活の柄」は小生のなかで今も鳴りつづけている。

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by sumus2013 | 2015-05-13 20:40 | おすすめ本棚 | Comments(0)

縮刷金色夜叉

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尾崎徳太郎『縮刷金色夜叉』(春陽堂、一九一八年一〇月一三日二十五版)。某氏より頂戴した。深謝。装幀は斎藤松洲。挿絵が八点、中沢弘光、池田蕉園、鰭崎英朋、鏑木清方、山中古洞、井川洗涯、橋口五葉、名取春仙という豪勢な顔ぶれ。木版彫刻者が大倉半兵衛で木版印刷者が松村菊次郎。校正者として春陽堂の本多嘯月の名がある。

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中沢弘光「間貫一」


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鰭崎英朋「荒尾譲介」


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井川洗涯「狭山元輔」


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池田蕉園「鴫沢宮」


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橋口五葉「芸妓愛子」


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内田魯庵『思い出す人々』(岩波文庫、一九九四年)によれば、胃癌で死を宣告されていた尾崎紅葉がぶらりと日本橋の丸善へ現れたことがあった。店員に紅葉の来店を知らされた魯庵は出迎えて応接室で向かい合った。癌を宣告された顛末を紅葉は語った。

《やがて間をおいて、「何を買いに来た!」と訊くと、「『ブリタニカ』を予約に来たんだが、品物がないッていうから『センチュリー』にした」といった。(『ブリタニカ』と『センチュリー』とを同時に提供していた時で、丁度『ブリタニカ』が品切れになっていた時であった。)
 「『センチュリー』を買ってどうする?」と瀕死の病人が高価な辞書を買ってどうする気かと不思議でならんので、「それどころじゃあるまい、」というと、
 「そういえばそうだが、評判は予(かね)て聞いてるから、どんなものだか冥土の土産に見て置きたいと思ってネ。まだ一と月や二タ月は大丈夫生きているから、ユックリ見ていかれる。」》

だったら『ブリタニカ』を待ったらどうだと魯庵は勧めるが、頭のハッキリしているうちに自分の物として見ておきたいと紅葉は答える。

《「そこは大悟徹底している。生延びようとは決して思わんが、欲しいと思うものは頭のハッキリしている中(うち)に自分の物として、一日でも長く見て置かないと執念が残る。字引に執念が残ってお化けに出るなんぞは男が廃らアナ!」と力のない声で呵々(からから)と笑いながら、「『センチュリー』なら直ぐ届けられるだろう。」
 「むむ、『センチュリー』なら直ぐ届ける、」というと、漸く安心したような顔をして、「これで先(ま)ア冥土へ好い土産が出来た、」と笑いながら丁度店員が応接室の外を通ったのを呼留めて申込書と共に百何円の現金を切れるよう紙幣(さつ)で奇麗に支払った。

およそ三月後に紅葉の訃が伝わった。


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by sumus2013 | 2015-05-12 20:22 | 古書日録 | Comments(2)

モダンな親王

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『週刊読書人』第1986号(読書人、一九九三年六月七日)、創刊35周年記念号。『澁澤龍彦全集』(河出書房新社)の刊行開始にちなみ「モダンな親王 澁澤龍彦」と題した特集号。巖谷國士と谷川雁の対談が三頁にわたって掲載され戦後における現象としての澁澤の在りようが分りやすく語られている。気にかかったところを二三引用してみよう。まず人柄について。

巖谷[略]ただ、澁澤さんと三島由紀夫の関係は、最初、サドで澁澤さんがデビューするときに序文を書いてもらっているわけで、面白いのは三島由紀夫に序文を頼もうと思ったけれど、澁澤さん自身が恥ずかしくて電話をかけられなかったのね。
谷川 妹さんが代わりに電話をかけた。
巖谷 そう、妹さんがかけたらすぐOKが得られた。澁澤さんとしては年長の尊敬すべき人物と思っていたわけですね。

この逸話、『全集』別巻2の年譜を見るとこう書かれていた。一九五六年。

《五月、〈彰考書院版『サド選集』に序文をもらうために〉、〈三島由紀夫にはじめて手紙を出した〉(『三島由紀夫おぼえがき』あとがき)。澁澤幸子によれば(既出のインタヴュー)、雑誌編集者だった同氏が兄にたのまれて〈代理〉と称し、電話で序文を依頼したのが最初だったという。快諾され、以後、この作家との手紙のやりとりがはじまる。》

そして澁澤の作品について。

《谷川 僕が訳したピエール・マクシム・シュールの『想像力と驚異』は『胡桃の中の世界』の下敷きとして用いられているところがあるんですが、それに気づいてちょっとがっかりした記憶があります。
巖谷 それをがっかりすると澁澤龍彦の読者としては、ちょっとね(笑)。だって澁澤さんの作品はたいてい元の本があるわけですよ。ブルトンからバタイユから、みんな下敷きにしているし、『犬狼都市』のマンディアルグもそう。でもそういうことができる「私」の構造を見ないといけない。たとえば『撲滅の賦』の書き出しなんて石川淳調があるし、埴谷雄高のイメージも使っている。アフォリズムはジャン・コクトーからとっていたり、いわばコラージュみたいにして出来上がっている作品。》

要するに谷川氏が言及している『想像力と驚異』と『胡桃の中の世界』という原著とのタイトルの違いが澁澤龍彦のセンスを示しているのだろう。

澁澤と言えばやはりサドが問題である。

《谷川 やはりサド研究家であり、翻訳家である澁澤龍彦は往々にして、いま忘れられがちなんだけれども、相当大きな意味というかな、出発点の澁澤のね、すれをずっと抱えていたんでしょうね。
巖谷 やはりサドというのは大きかったでしょうね。澁澤さんの卒業論文は『サドの現代性』という題名の、まあ、かなり即席の論文で、シュルレアリストの文章を引用したりして、引用を引用と断らずに書くようなところもすでにあるわけです(笑)。そのサド論はあのサドを文学史的に位置づけるというだけではなくて、いまサドが生きているという捉え方をするのね。『サド復活』もそうで、現代の作家としてサドを復活させ、現代人としてサドを自分の問題に取り込んでいる。澁澤さんの好む対象は殆どの場合自分に似ているから、鏡のなかを見て書いているようなところがある。その鏡の奥にいる一番大きなものがサドだったんじゃないか。》

さすが巖谷氏の考察は鋭い。『週刊読書人』は一九五八年五月創刊。現在も継続発行中である。日本の古本屋にも数えるほどしか出ていないが、特集によってそれなりの古書価が付いているようだ。おろそかにはできない。


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by sumus2013 | 2015-05-11 20:44 | 古書日録 | Comments(0)

畢竟如何

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達磨の画を求めた。マクリ(表装されていない状態)なので値段はあってなきがごとし。なんとも言えないこの達磨の表情も面白いと思ったのだが、それよりも賛の書きぶりが気に入った。

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 不喞𠺕漢
 畢竟如何

達磨大師の絵なのだから禅語だろうと検索してみたら『碧巌録』第一則に見えるようだ。

《擧梁武帝問達磨大師 説這不喞𠺕漢 如何是聖諦》

『碧巌録』の訳本を架蔵しないので不確かながら、梁武帝が達磨大師に「聖としてもっとも大事なことは何ですか?」と質問したということだろうが、「説這不喞𠺕漢」は見当もつかない。あえて推測すれば、不平をかこつことなく愚かな漢人におっしゃってください……くらいの意味?(岩波文庫版があるようなのでいずれ参照してみましょう)

「畢竟如何」も『碧巌録』から。「それで、つまりどうだ?」。さらりと書いてあるが、なかなか蘊蓄の深い賛である。

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賛の署名は「星石」、印は「戢之名山」。「星石」とは宗星石(そうせいせき、1866-1923)ではないかと思う。

《南画家・対馬藩主・伯爵。名は重望、字は千里、別号に白雲山樵。経学を亀谷省軒・三島中洲、画を大倉雨村に学ぶ。東京南画会・中央南宗画会会長。貴族院議員。大正12年(1923)歿、57才。》(コトバンク)

とあるが、生年からして対馬藩主はないだろう。対馬藩の最後の藩主は父の宗義達。

《宗星石は、下村観山が「彼が画を業としたのであれば、玄人はさぞ難儀するであろう」と語っているほど画の才能に恵まれており、中国に渡航した事のある経験から、中国の風景を描いた山水画を多く残しています。

宗星石は、明治から大正時代を生きた華族で、宗氏第34代にあたる宗重望の雅号で、別号に白雲山樵、小雲山房主人、疎雨亭などがございます。》(いわの美術

「戢之名山」という印文も凝っている。「戢」は「収める」という意味で、おそらく古くから用いられている「藏之名山,傳之其人」(著作を山中に隠して、これぞという人にだけ見せる)からきているのかとも思う。

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絵の方は見ての通りのマンガだ。プロの筆ではない。署名も印も「東海」。これが誰なのか断言はしないが、伊藤東海(1893~1983)だったらいいなと。

《伊藤東海 明治26年 愛知県生まれ。書家。住友銀行行名執筆。「書之研究」「学書大道」各主幹。「青藍会」「游神会」「山鹿聖学養正会」各会長など歴任。昭和58年歿。主な作品集に「古希東海」「喜寿東海」「東海・心画」「上寿記念作品集」他。》(『西田幾多郎の書』燈影舎、二〇〇九年、著者略歴より)

要するに、絵が得意な星石翁が字を書き、字が専門の若い東海が絵筆をとった、そういう趣向なのではないだろうか。畢竟如何?


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by sumus2013 | 2015-05-10 21:24 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

学園

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『学園』第一号(青木嵩山堂、一八九二年九月一五日発兌)。先日立ち寄った善行堂にて。青木嵩山堂が発行する文芸投稿雑誌である。表紙の画家については不明。左下に「中井刀」とのみ。巻頭「発行趣意」にいわく

《目今新聞紙ノ情態ヲ見ルニ或ハ小説ノ淫蕩ナル政党ノ偏頗ナル一向他人ヲ罵リ又ハ悦バセルニ汲々タル者多ク青年文士ノ学術ニ益アル者幾ント希レナリ雑誌類ハ新聞紙ト少シク面目ヲ異ニシ或ハ詩ニ或ハ文ニ後進ヲ誘導スルノ意ニ出デシ者無キニ非ズ然レドモ多クハ衆人ノ詩文ヲ編輯スルニ止ル者ノ如シ弊舗茲ニ感ズル所アリ今般新タニ一雑誌ヲ編輯シ之レヲ学園ト名ケ毎月一回必ラズ之レヲ発行スルコトゝ為シタリ其体タル詩話アリ文談アリ和歌アリ俳句アリ故事ノ門アリ詩文ノ欄アリ記事論説紀行雑話故事質義等ニ至ルマデ凡ソ学術ニ益アル事ハ一切之レヲ罔羅シ》

そして詩文は近藤南州、和歌は中村良顕、俳句は反古庵宗匠が選者となり、優秀作には賞品を提供するのだそうだ。編輯兼発行人は青木恒三郎である。

「青木嵩山堂の出版活動」

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広告料一行(五号活字二十五字詰)金二十銭ともあるが、第一号の広告はすべて青木嵩山堂の出版物で占められており、販売図書目録ともなっている。幸田露伴『尾花集』は《本月下旬出版》である。本文の記事は以下の通り。

作詩園 詩学大意  因是道人
史園  二十一史徴 徐汾武令・原著 南州外史・訳補
詩園        南崧近藤元弘
文園        南州近藤元粋
雑録園
大阪天満神社献詠会、蓼生園月次会
月並発句輯     反古庵雅友宗匠   
博物園       薬剤師・上田貞治郎

近藤元粋は伊予出身の漢学者。近藤元弘は元粋の兄で、正岡子規が入学した当時の松山中学校長。因是道人は葛西因是、大阪生まれの儒者。反古庵雅友については不詳、大阪の俳諧師か。上田貞治郎は先日も書いたように青木恒三郎の兄である。

雑録園」は雑報欄。そこに「逍遥遊社」「優遊社」「菅廟詩会」という定例のグループ活動が紹介されており、当時の文学サークルの一端がうかがえる。「逍遥遊社」は近藤南州と岡田聿山が主唱して藤沢南岳、山本竹渓、田部苔園、五十川訊堂、日柳三舟、横関天籟、山本梅崖らの諸老十余名が七年前に結成した詩会だそうだ。「優遊社」は小野湖山、遠藤松雲、石橋雲来らが毎月行っている。「菅廟詩会」は藤沢南岳を中心に毎月六日菅廟内の連歌所で行われている詩会。菅廟とは大阪天満宮のことであろう。中桐絢海『観楓紀行』に登場した名前も何人がいる。

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裏表紙の広告。青木嵩山堂には図画店もあったらしい。そこでは古美術の複製木版画を販売していたようだ。

青木嵩山堂の嵩山堂について先に東京日本橋の青木嵩山堂の近くに「小林」嵩山堂があった。明治出版の研究者によれば、小林嵩山堂は江戸時代から続いていた老舗らしい》という青木育志氏の文章を引用したが、小林嵩山房(嵩山堂ではなく嵩山房)の本が一冊見つかった。『東江先生書唐詩選』(小林嵩山房、天明四年[1784]甲辰十一月)。東江先生は沢田東江(1732-96)、書家であり漢儒を修め戯作も執筆している多才な人物。唐詩選をテキストにした草書の手本。

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四書五経から詩書、字書、文集あるいは書の手本や画譜まで幅広い出版内容である。


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by sumus2013 | 2015-05-09 21:05 | 古書日録 | Comments(0)

これ、誰がデザインしたの?



「これ、誰がデザインしたの?」の宮後優子さんに『書影の森ー筑摩書房の装幀1940-2014』を御紹介いただきました。ありがとうございます。

http://blog.excite.co.jp/dezagen/24427370/





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by sumus2013 | 2015-05-08 17:23 | おすすめ本棚 | Comments(0)