林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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正東山樵

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田能村正東の小色紙(タテ21センチ)を例によって安価に求めた。正東は田能村直入(一八一四〜一九〇七)の孫だそうだ。直入は田能村竹田の養継子。とくにどうしたという絵ではないものの、捨てられてしまうのは惜しい。

 請彩秊々烟霞老
 一竿生計於河浜
      正東山樵
      [正東]

一竿生計は陸游の「感旧」に《回首壮遊真昨夢,一竿風月老南湖》とあり、漱石の『吾輩は猫である』に「僕ですか、一竿風月閑生計、人釣白蘋紅蓼間」のように借用されていることと少しは関係があるのかもしれない。美しい自然のなかで釣りをして老境を暮らすということだろう。

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右下隅の印。山紫はいいとして「?明」……水明ではないようだが。水明といえば水明洞さん。ごらんのような値段になっていた(先週のことです)。

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by sumus2013 | 2015-05-24 20:59 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

男と女

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月の輪さんの話題が出たので『
月の輪書林古書目録十七 宙ぶらりんがすきだ 特集・ぼくの青山光二』で杉山平一さんの葉書以外に買ったものを遅ればせながら紹介しておく。洲之内徹が寄稿している雑誌五冊。『中央公論』二冊、『青柳』(愛媛県立松山東高等学校生徒会誌)二冊、そして『文學草紙』66号(文學草紙社、一九六八年五月一日、表紙=鳥海青児)。

『青柳』はちょっと珍しいかもしれない。洲之内が松山東高の校歌を作詞した(作曲は近衛秀麿)。その校歌と校歌にまつわるエッセイがそれぞれに収められている。大江健三郎が同校出身で、洲之内が大江に会ったとき、洲之内作詞の校歌を歌ったと話したそうだ。

ここでは『文學草紙』掲載の「男と女」という短文を引用しておく。この雑誌には気まぐれエッセイに登場する原奎一郎や、他に古谷綱武、富永次郎の名前がある。表紙の鳥海青児は洲之内の手配であろう。

《大森に住むようになって、数えてみると、今年で十七年目である。はじめの五年ほどは山王の清浦坂を上ったあたりのアパートにいて、それから鉄道の反対側の、いまの入新井に移った。
 移ってからは、都心へ出るには京浜急行だが、山王のときには国電であった。その、国電の大森駅で乗り降りしていた数年間に、そこで二度、飛び込み自殺にぶつかった。
 はじめのときは、ホームから飛びこみのあったあとへ、私が階段を降りて行った。屍体は線路脇へ片づけて莚が掛けてあった。自殺者は穿きものをぬいで飛びこむものだそうだが、その男も靴をぬいで飛びこんだのか、それとも電車に轢かれたときにぬげたのか、莚の端から、靴下の足がニュッと出ていた。靴下が強い力で踵のほうへひっぱられて、先が破れて、五本の指が突き出ていた。その指の股から蹠へ、ひと筋血が流れていた。
 二度目は、川崎のほうから私の乗って帰ってきた電車が、大森駅のホームへ入るところで人を轢いた。ガタンと音がして、電車が急にとまり、とまった電車の脇を、後ろのほうから前へ駆け抜けて行く足音が聞こえた。そのうちに、こんどは前のほうから、
「轢いた」
 という声が、乗客たちの口から口を伝わってきた。すると誰かが、
「男か、女か」
 と言いながら、窓をあけて首を出した。続いて、あちらでもこちらでも、バタバタと窓があいた。
 こういうときに、とっさに、男か女かという問いが出るということが、私はなんともふしぎな気がしたが、そのせいか、そのときのその声を、私はいつまでも忘れることができず、折おり思いだす。
 考えてみると、人間などというものはいないので、実際には、男か女かの、どちらかしかいないわけである。》

以上全文。

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by sumus2013 | 2015-05-23 19:47 | 古書日録 | Comments(3)

古本即売会へようこそ!

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『BOOK5』17号(トマソン社、二〇一五年五月二〇日)到着。全力特集「古本即売会へようこそ!」が素晴らしい。編集後記に《今回は取材交通費などで〈全部売っても〉既に10万の赤字が確定しておりますが、どうしてもやりたかった企画でした》とあるだけの内容だ。詳しい目次は下記にて。

BOOK5 トマソン社

とにかく面白く読んだのが「月の輪書林×風船舎目録対談」。

《風船 月の輪さんは、自分のこれまでの目録のなかでどれが一番気に入ってるんですか? 好きなのは、たぶん全部だと思うけど。
月の輪 これ〈李奉昌〉かな。
風船 僕も一番好きです。
月の輪 シンプルで、破綻もあり……。
風船 「もうひとつの一九三二」って切り口がすごくいいんです。
月の輪 これは坪内くんが当時『1972』っていうのを出してたから、それで。今はとてもここまでは集められない。
ーー
[司会=古書赤いドリル]次の青山光二以降で何か作る予定はあるんですか?
月の輪 ないね。
ーー
「無」ですか。
月の輪 やる気もあんまりしないんだよね。
風船 4年ぶりで燃え尽きていますよ。
月の輪 でも(4年ぶりは)恥ずかしいよ。もっと仕事やらなきゃいけないのに、何でこんなふうにのんびりしてしまったかなと。先輩の誰かに言われたけど、三樹松、竹中労、寺島珠雄、月の輪はこれだけだと。3人は大好きな人だったから夢中になって書いた。でも今はそういう情熱はないよな。
風船 そんなこと言ってるけど、何するかわかんない。
月の輪 その時の感じが風船ちゃんにはあるよ。
風船 ないですよ。
ーー
三樹松以降も瞠目するものを作ってるわけですけど、月の輪さん自身の手応えは、その時にかなわないんですよね。
風船 手応えじゃなくて売れ方でしょ?
月の輪 
寺島珠雄が一番売れたよ。でもなんていうのかな……真面目な話だな(笑)。
風船 いや、真面目に聞きたい。
ーー
どれだけ出したいかっていう気持ちの度合いですよね。
月の輪 ないな、俺は今。竹中さん、
寺島珠雄はやんなきゃいけないってのはあった。

文中〈李奉昌〉というのがこちら。『月の輪書林古書目録十三 特集「李奉昌不敬事件」予審訊問調書』(二〇〇四年)。小生の装幀である。

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下に敷いているのが装幀版下(当時はまだ版下を使っていた!)のコピー。じつは当初はこのコピーのようなベタのイメージだった。ところが同梱して印刷所へ発送した
原画に70パーセントという指示を書き込んでいたため、右のようなグレートーンになってしまった。デザイナーとしては70パーセントはサイズのつもりだったのだが、書き方が悪かったためアミ掛けの指定だと勘違いされてしまった。校正刷りが届いたときにはちょっと驚いた。でも「薄いのも悪ないな」と思ってOKしたのであった(訂正するのが面倒だったという説もある)。


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by sumus2013 | 2015-05-22 20:28 | おすすめ本棚 | Comments(0)

日本色名大鑑

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上村六郎+山崎勝弘『日本色名大鑑』(甲鳥書林、一九四三年四月二〇日)。去る二月初めに『学用色名辞典』(甲鳥書林、一九五一年)から緋色の説明を引用したが、本書でもやはり緋色にこだわって見てみよう。

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《往時の色名に対する色と云ふものは、その色相とか濃度とかが、厳密に一定してゐるものではない。従つて、例へば上代の緋と云ふ色について考へて見ても、この標本の色より稍赤味の多いものや、反対に稍黄味の多いものが、当然存在してゐた筈である。しかし、少なくとも従来誤り考へられてゐたやうな、紅緋のやうな緋や、赤蘇芳のやうな緋や、或は紫染のやうな緋などは存在し得ないこと確かである。私はかくの如き誤りを先づ正したいと考へてゐる。》(「序」上村六郎)

その緋色(真緋)の図版がこちら。窓のある黒い紙が各色刷りの前に挟まれているのが特徴。色というのは周囲の色によって変化する。黒いページをめくっただけで緋色の刷りは同じもの。これほど違う。目の錯覚である。

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《これは正色としての五色の中の朱又は赤であつて、古くは一般に「緋」と称されてゐたものであり、茜根と灰汁とで染めた、謂ふ所の「茜色」である。日本書紀には「真緋[まひ]」ともあるが、衣服令には「緋」と記し、延喜式には「浅緋」と記してゐる。》


赤色でもうひとつ「韓紅花 からくれなゐ」に注目した。言わずもがな、在原業平朝臣の一首「ちはやぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは」で耳に馴染んでいる。安東次男『百人一首』(新潮文庫、一九七六年)によれば歌意は《チハヤブルといわれた神代の話にも聞いたことがない、龍田川が流水を唐紅(からくれない)のくくり染にするとは》で《からくれなゐーー「から(唐)」は、唐渡り・舶来を意味することばから起って、物の賞美の意味に転用される。》とのこと。

で、本書の説明はこうである。

韓紅花と云ふ名称が出来たのは平安であり、延喜式などが始である。臙脂染即ち紅染の濃い色を指してゐる。深紅(こきくれなゐ)と云ふのも同じ色である。万葉集には「紅の濃染(こぞめ)」とも歌はれてゐる。

韓紅花のことは、時として臙脂(ゑんじ)色又は紅色とも称される。なほ、茂美(もみ)と呼ばれてゐるものは、一般にこの種の紅染の絹のことである。

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紅の濃染とすれば、川のなかに落ち敷いた紅葉はかなり退色して濃くなっていたと考えていいのかもしれない。安東によれば「くくる」(括り染めにする)とは別に「くぐる(潜る)」とする古註があり、安東は《「水くぐる」では只歌であって、およそ業平らしくもない》と独断的に解釈している(ネットで検索しても今は「くくり染めにする」という解釈が通例らしい)。ただ潜るでも別段おかしくはない(他に用例ありと安東も指摘している)。

それはともかく「からくれなゐ」が明るい紅か濃い紅か、色ひとつで歌の風景はガラリと変ってくるのである。

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甲鳥書林の検印紙。印の代わりに中陰武田菱と
違い鷹の羽があしらってある。珍しいと思うが、二著者の家紋だろうか。


本日の日経新聞「文化往来」欄で『書影の森』が紹介されているという知らせがありました。有り難いことです。


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by sumus2013 | 2015-05-21 21:15 | 古書日録 | Comments(5)

書棚の片隅

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近々、山田稔さんの新著が編集工房ノアから刊行されるそうだ。近年『海鳴り』などに発表された何篇かのエッセイに加えて富士正晴記念館での講演会の原稿が収録されるようである。楽しみだ。それに関連してノアさんから出ている『八十二歳のガールフレンド』(二〇一〇年六月一八日二刷)、『コーマルタン界隈』(二〇一二年六月一日)の二冊を取り出してみた。

あちらこちら拾い読みしていると書棚の片隅」のこんな書き出しが目に留まる。改行を一行アキとした。

《新刊書を買って読む機会がめっきり減った。整理下手なので、これ以上本が増えるのが怖いからということもあるが、それ以上に、新刊書までも読む時間と体力(視力)が無くなったのだ。

 むかし読んで深く心を動かされた本を再読するだけで、精一杯である。時流に遅れまいという焦り、今の世の中にむかって生きのいい発言をおこなおうという色気や野心、そんなものはない以上、好きな古い本を気分にまかせて、もっぱら自分の楽しみのために読み返せばよい。さいわい、中身はあらかた忘れていて、いま読んでも新鮮。そんな情けないような有り難いような年齢に、やっと到達したのである。

 以上のようなことを、先日、友人に話したところ、全く同感だとのことであった。かくして新刊書をますます買わず、心ならずも出版文化の凋落に手を貸すことになっている。

 さて、その再読用の古い書物の場所が、書棚の片隅に何時の間にか出来ている。背が銹色に変って表題がほとんど読み取れなくなった古い創元選書、油紙のような色になった半透明の薄紙のカバーを時間のボロのようにまとった岩波文庫。その間に、比較的新しい本も混じってはいるが。

人さまには見せられぬ、埃をかぶった薄暗い棚の片隅から何時、如何なる理由から、如何なる書物が選び出されるのか。これは本人にもよくわからない。調べものといった必要に迫られてではないから、まあ気紛れと言ってよいだろう。読み返そうと考えながら二年、三年と年月が過ぎるうちに、ある日、ふと思い立ち、本棚の前の小さな書物のバリケードをよっこらしょと跨ぎ、手をのばす。》

自然体のいい文章ではないか。《再読用の古い書物》というのは、要するに新刊として昔求めた本ということだろうか。当方はそういう方々の書棚から流れ出た古い書物ばかりしか身の回りにないので多少事情は違うけれど、そしてまた山田先生の年齢までには相当間があるが、やはり《全く同感だ》と思うのである。


山田稔『マビヨン通りの店』

山田稔『特別な一日』

山田稔『富士さんとわたしー手紙を読む』

山田稔『北園町九十三番地 天野忠さんのこと』



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by sumus2013 | 2015-05-20 20:34 | おすすめ本棚 | Comments(0)

大遺言書

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フランソワ・ヴィヨン『大遺言書』(佐藤輝夫訳、弘文堂書房、一九四〇年三月一日)。もう大分前にアスタルテ書房で求めたもの。

FBで扉野良人氏がこんなことを書いていた。

《檀一雄の『小説 太宰治』に太宰の蔵書について語ったくだりがあるのだが、「青い何処かの文庫本で読んでゐた、フランソワ・ヴィヨンの「大盗伝」が、尤も納得のいつた面白いものだったらう。」とある。青い何処かの文庫本って何文庫だろう。山本文庫にヴィヨンは入っていたかしら。》

その檀一雄の文章が写真で出ているのを読むと

《東大の仏文科に在籍したといつても、フランス語は目に一丁字もなかつたから、マラルメ、ランボーなどと口ばしつても、なに、その解説に胸をときめかすだけで、納得のゆく読書にはなつてゐなかつた。ただ、青い何処かの文庫本で読んでゐた、フランソワ・ヴィヨンの「大盗伝」が、尤も納得のいつた面白いものだつたらう。それからエドモンド・ロスタンだ。》

とのこと。太宰が《フランス語は目に一丁字もなかつた》というのは本当か! 仏文に入れるのだろうか、そんなので。

青い文庫本で思い出したのが上の弘文堂の世界文庫。カバーは紙の色だが、表紙は青い。国会で検索するとやはり本書がヴィヨン訳書では最も古いようだ(アンソロジーへの選入はあり)。ただタイトルが違っているし、檀一雄のこの文章だけでは何とも言えないが、可能性は大であろう。

『大遺言書』から「本」のでてくるくだりを引いてみる。「二重のバラード」の八六〜八九。


一つ うつそみの肉身[にくじん]は
われらの御母、偉大なる大地に与ふ。
飢餓のためうんと虐げられたから
蛆虫どもも美味しいと思はなからう。
解脱解放を与へ給へ!
大地から出たものゆえ大地に還る、
われの誤解でないなれば、
ものは皆元の場所へと帰るものなり。

一つ わがために父にも勝り、
乳母を離れたみどりごに
その母親のありしより慈しかつた
ギョーム・ド・ヴィヨンに、
この人が、いくたびかわが艱難を救うてくれたが、
いまもつてそれを甚だ苦にしてゐるゆえ、
われはいま、小膝を曲げて願ひあぐ、
わが悪戯の喜びをすべて返へさせ給へよと。

この人にわれは与へる、わが文庫と
《ペ・トオ・ディアブルの物語》を。
抑々これはギィ・タヴァリーが
(此奴ぬけぬけ一切を漏したる男なり)
浄書したもの。仮り綴じのまま机の下に置いてある。
雑作な言葉で綴つてあれど、題目は
いとも名高いものだから、言葉の綾の
未熟さは、みな補つてあまりある。

一つ わがために数々の悲嘆と苦悩を忍ばれた
(こは神様も御存知だ、)
わが母者には、一篇の聖母に祈る
バラードをわれは遺贈す。
世のまがごとがわが上に降りかかる時、
貧れなるこの女人たるわが母を除いて、
わが身わが心隠すべき
城もなく、また砦もなし。



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本書巻末の世界文庫目録。昭和十五年、まだこんなラインナップでも問題なかったようだ。


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面白いのは表紙のデザイン。エディション・ド・クリュニィのパクリである。上はバルザックの『ウジェニー・グランデ』(Éditions de Cluny, 1937)。
寸法もタテ175ミリ、ヨコ107ミリとほとんどクリュニィ文庫と同じ。世界文庫の方が少しだけ小さい。

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by sumus2013 | 2015-05-19 21:26 | 古書日録 | Comments(0)

臼田捷治さん×松田哲夫さん×多田進さんトークライブ

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『書影の森―筑摩書房の装幀1940-2014』刊行記念

臼田捷治さん×松田哲夫さん×多田進さんトークライブ


臼田捷治編著『書影の森―筑摩書房の装幀1940-2014』(B5判糸篝上製本209頁、税込10,800円、装幀・エディトリアルデザイン=林哲夫)刊行記念! 筑摩書房の編集者として多くの企画を進めてこられた松田哲夫さん、筑摩書房の装幀を数多く手がけてきた装幀家・多田進さんと臼田捷治さんのトークライブ。本書で紹介した筑摩本コレクションの展示も行います。


開催日時 2015519(火) 19:0020:30(開場18:30


開催場所 東京堂ホール(東京堂書店神田神保町店6階)

     東京都千代田区神田神保町1-17

     地下鉄神保町下車徒歩3分。すずらん通り


参加方法 参加費800円(要予約・ドリンク付き)

*店頭または電話・メール(shoten@tokyodo-web.co.jp)にて、メール件名「臼田さん松田さん多田さんイベント参加希望」。メール本文にて、お名前・電話番号・参加人数をお知らせ下さい。

*イベント当日と前日は、お電話(03-3291-5181)にてお問い合わせ下さい。


*当日1700分より1階総合カウンターにて受付を行います。


*参加費800円(ドリンク付き)をお支払い頂いた上で、店内カフェにてカフェチケットと指定のドリンクをお引換え下さい。ドリンクの引換えは当日のみ有効となります。


筑摩書房はわが国の装幀文化が、分野を問わず広く門戸を開いてきたよき伝統を体現してきたのであり、まさにその歩みは、装幀文化の縮図であり、みごとな見取り図だといってよい。実際、私はこれほどのロールモデルをほかに知らない。筑摩本の時代性を超えた功績であり、並びない魅力である。本書は、筑摩書房の装幀に携わった幾多のデザイナー、編集者、社内デザイナーの仕事の紹介をとおして、魅力あふれる豊かな実りの系譜を展望しようと企図した。そのことで、わが国の出版文化史に類いない光芒を放つとともに、出版界のひとつの指標となっている同社の装幀が果たしている役割を多角度から浮き彫りにできれば、と思う。(本書帯文より)


トーク出演者


臼田捷治(うすだ・しょうじ)

デザインジャーナリスト。1943年長野県南佐久郡桜井村(現・佐久市)生まれ。県立野沢北高校を経て早稲田大学第一文学部卒。元『デザイン』誌(美術出版社)編集長。現在はグラフィックデザインと出版デザイン、文字文化の分野で執筆活動を行っている。2009年から14年度まで女子美術大学非常勤講師を務め、ヴィジュアルデザイン概論と印刷概論を受け持った。主な著書に現代装幀史を初めて体系づけた『装幀時代』(晶文社)のほか『現代装幀』(美学出版)、『装幀列伝』『杉浦康平のデザイン』(ともに平凡社新書)、『工作舎物語 眠りたくなかった時代』(左右社)など。編著に『書影の森―筑摩書房の装幀1940-2014』(みずのわ出版)。


松田哲夫(まつだ・てつお)

編集者(元筑摩書房専務取締役)、書評家。1947年東京都生まれ。小学生(武蔵野市立第四小)のとき図工の先生だった安野光雅氏に学ぶ。東京都立大学人文学部在学中に筑摩書房の「現代漫画」の編集に携わり、1970年に同社社員となる。主に書籍編集者として400冊以上の本を手がける。主要な企画には「ちくま文学の森」、文庫版「ちくま日本文学全集」、「ちくま文庫」、「明治の文学」、「ちくまプリマー新書」、『逃走論』(浅田彰)、『老人力』(赤瀬川原平)などがあり、デザイナーと組んで装幀にも意を注いだ。この間、1986年に赤瀬川、藤森照信、南伸坊氏らとともに路上観察学会を結成し、事務局長になる。また、1996年からTBS系「王様のブランチ」のコメンテーターを12年半務める。本年(2015)は新春から東京新聞夕刊文化面に「アンソロジーは花盛り」を連載。主な著書は『編集狂時代』(新潮文庫)、『これを読まずして、編集を語ることなかれ。』(径書房)、『縁もたけなわ ぼくが編集者人生で出会った愉快な人たち』(小学館)など。


多田進(ただ・すすむ)

ブックデザイナー。1937年東京都生まれ。都立工芸高校図案科卒。60年代は『スイングジャーナル』等のマガジンのレイアウト。70年代からブックデザインを手がけ現在に至る。1990年、フランクフルト・ブックフェア「日本年」の特別展出品。同年7月、「多田進の仕事展」(王子ペーパーギャラリー・銀座)開催。1995年、「日本のブックデザイン1946-95年展」(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)出品。199710月、「多田進[装幀の仕事展]」(王子ペーパーギャラリー)。2006年6月、「[版下バカ]の仕事4人展」(和田誠ほか、ウィリアムモリス・青山)。同年12月、「装丁の仕事(1971-2006)多田進」展(紀伊國屋画廊・新宿)。2010年5月、第40回講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。主な仕事に、團伊玖磨『パイプのけむり』全27巻(朝日新聞社)、『深沢七郎集』全10巻(筑摩書房)、椎名誠『小さなやわらかい午後』(本の雑誌社)、田村隆一『詩人のノート』(朝日新聞社)、山本夏彦『私の岩波物語』(文藝春秋)など。共著に『現代日本のブックデザイン』(講談社)がある。



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by sumus2013 | 2015-05-18 21:30 | もよおしいろいろ | Comments(5)

BECASSINE

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フランスの漫画『ベカシーヌ』シリーズのうち『ベカシーヌの仕事探し(直訳は「百の職業」)LES CENT METIERS DE BECASSINE」(Gautier-Languereau, 2006)を頂戴した。いやあ面白かったです。

ベカシーヌはエミール=ジョゼフ=ポルフィール・パンション(Émile-Joseph-Porphyre Pinchon)の絵、コムリ(Caumery 本名は Maurice Languereau)の文によって一九〇五年に創刊された少女雑誌『La Semaine de Suzette』に連載されて長らく人気を博した。パリに出てきた善良でとぼけたブルターニュ娘(要するに田舎娘)ベカシーヌがドタバタを繰り広げる。ベカシーヌとは普通名詞なら「馬鹿なお人好しの娘」の意。この漫画の普及によってブルターニュ娘の歪んだイメージができてしまってブルターニュの人たちからは批判を浴びたらしい。

数多くのアルバム(漫画集)が出ているが、この「仕事探し」の初出は一九二〇年のようである。それが今でも発行されている。大正九年作の漫画の新刊となると……日本なら『正チャンの冒険』くらい(?) とにかく二十世紀初頭の時代が写真ともまた違った姿ではっきり見えてさらにストーリーがあるので人情の機微も分る。こっけいと言ってもそんなに奇想天外なものではなく実生活に即した微苦笑というところも好ましい。

例えば本書で職探しの旅に出たベカシーヌはいろいろな人物に出会ってその下で働き、別れてはまた余所へ向かう。好人物だったイギリス人の雇い主が一人で馬に乗って行ってしまい、ちょっと落ち込んでいた娘は、気分を変えるため子供の頃から大好きだった写真を撮ろうと思い立つ。写真屋を探したところその町には二軒あった。表通りの店は高級そうなので裏通りの安い写真屋へ入って主人のジェラティーノ氏にボートを漕いでいる写真を撮ってもらうことになる。

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貧乏写真師ジェラティーノ氏は家賃をためており、その日には大家が執達吏といっしょに差し押さえにやってくることになっていた。ベカシーヌがポーズをしているとき、ちょうど停電になり、写真師が様子を見に行ったところへ大家がやってきて、ポーズのままじっと動かない娘を見付け「おい、このマネキンも差し押さえておけ!」と命じたのでベカシーヌはあわてて逃げ出す……とまあこれが「差し押さえられそうになるベカシーヌの巻」。

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個人的にはジェラティーノ氏がシャッターを切るときにどういう言葉をかけたかというのが気になった(これはちょっとしたマイ・テーマ)。「チーズ」とか何とか(フランス語ならフロマージュですけど、まさか、それは言いませんね)。この漫画で写真師が発する言葉は単純に「笑って下さい、そう、大丈夫、いいですよ、もう動かないで下さい」だった。

Souriez… Là, nous y somme, ça plaira beacoup...
Ne bougez plus!

それはそうだろう、今みたいにパシャっと撮れるわけじゃないのだ。しばらくの間じっとしていなくてはならなかった。「動かないで」と言うのが当然である。

五分間窮屈な不動の姿勢を続けてベカシーヌの表情がだんだんひきつってくる。それを見た写真師は電気ショックの機械で表情を緩めようとするのだが、停電になって、そこへ執達吏が……。

良き時代かな(?)

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by sumus2013 | 2015-05-18 21:22 | 古書日録 | Comments(0)

外国地理集成

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角田政治『外国地理集成』上巻(隆文館、一九一六年八月一八日十三版)、下巻(隆文館、一九一八年八月一五日十六版)。序にいわく

《外国地理集成成る、本書は大日本地理集成の姉妹篇なり。嚢に余は明治三十九年桜花爛漫の候を以て大日本地理集成を上梓し、同年夏季本書の稿を起せしが、これ聊か微衷の存する所ありしを以てなり。当時日露の大役漸く終を告げ、武威八紘に輝き、国光四方に揚り、東洋の蕞爾たる島国は忽然として世界第一等国の伍班に列するを得たり。然れども国民動もすれば戦勝の夢にのみ憧憬し、戦後の経営重且大を加へ、国民の努力一層を要する時なるを知らざるの観あり。》

《現今世界列強は、経済的に、政治的に、其国運の進展を計るに鋭意し、其形勢恰も是れ虎視眈々たるが如きものあり。されば世界的大国民たるものは、宜しく此の形勢を詳にし、列強の競争場裡に立つの用意なかるべからず。これ我国に於て、好個の地理書を要することを特に緊切なる所以なり。余が不肖を顧みず、本書の執筆を企てたるも亦此の意に外ならざるなり。》

《余公務多忙、唯ゝ夏季休暇に於て、或は阿蘇大火山の麓、俗塵なき戸下温泉に、或は筑紫海の浜風清き三角湾頭に、或は日南の客舎、金桁の旅寓に筆を染め、時に或は稿を懐にし、満韓の戦跡を尋ね、又は中清漫遊の途に上りし事あり、爾来春過ぎ秋来る四星霜、明治四十二年新緑蔭濃かなる候を以て稿漸く成る。

戸下、三角湾、日南、金桁はすべて熊本である。上巻の初版発行は明治四十四年五月十日(下巻は大正元年八月十五日)。明治維新から四十年余り、日露戦争の勝利を喜んでいるばかりでは駄目だ、日本人はもっと世界を知るべきだ、という執筆意図。上巻二円(本書十三版には訂正印あり、二円八十銭になっている)という定価にかかわらず、奥付を信じるなら、かなり版を重ねていることはまさに著者の意図に読者も共感したということだろう。

上巻は特にアジア州(アジアロシア、アジアトルコ、イラン、インド、インドシナ、マレー群島)とオセアニア州(オーストラリア、タスマニア、ニウジーランド、メラネシア、ミクロネシア、ポリネシア)から成る内容。それぞれの地域の説明をいろいろな資料からまとめてある。勘ぐって言えば、まるでこれから侵略できる地域を探しなさいと導かれているかのようだ。世界進出の野望も案外とこういう本から芽生える?

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巻頭に挿入されている上巻唯一のカラー口絵《ボルネオ島ダヤック族の風俗》。

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上巻奥付。角田(すみだ)政治(1870-1952)は熊本県益城町生まれ。苦学の末、熊本第一師範学校の地理教諭となったとか。地理教科書を始めとして著書多数あり。本書の広告頁から角田のものだけ複写してみると以下の通り。

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下巻奥付。本書の下巻はヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカを網羅しており、カラー口絵が二葉(ヨーロッパの山脈図とスペインの闘牛)。その分定価も三円八十銭。今日の金額に換算するのはおそらく一万倍弱のレートだろうから相当高額である。学校の図書室には必須の本だったのかもしれない。

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珍しく版元レッテルが貼付されている。



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by sumus2013 | 2015-05-17 21:34 | 古書日録 | Comments(2)

謹呈箋など

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所用あって市中へ。アスタルテ書房を確認。平常通り開店中。連休中に泉鏡花記念館の澁澤龍彦展を見てこられたそうだ。ただし体調は万全ではないとのこと。無理せず続けて欲しい。

店内には細々とした紙モノが増えている。最近は本よりもそちらの方を熱心に見ているのでちょうどいい。生田耕作蔵書に挟まれていたであろう謹呈箋を見つけた。巖谷國士より生田宛。こんなものまで買って……と思わないでもなかったが、惹かれるものがあった。もうひとつ生田関連で「HOMMAGE A BATAILLE」(堺町画廊、一九八二年九月二八日〜一〇月一一日)出品目録。マッソン、ベルメール、ジャコメッティの版画(四十一点)、バタイユの書籍(初版本・絶版稀覯書)三十三点。これはぜひとも見てみたい。いや、当時は伏見に住んでいたので見ようと思えば見られたはずなのだが、まだシュルレアリスムに対してさほどの関心をいだいていない時期だったため見逃している。残念。

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ついでに寺町通りのギャルリー宮脇まで足を伸ばして「フィリップ・ザクサー追悼展」を見る。鈴木創士さんが三十日にトークを行うというのでこの展覧会を知った。

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《フィリップ・ザクサー(Philippe Saxer 1965-2013》は、スイスの首都ベルンに生まれた。少年期から漫画、諷刺画を描くことを好んだが、職業芸術家として、ガラス工芸、ステンドグラス職人の修練を積み、その創造的才能を発揮した。》

《その後、ザクサーは22歳で精神病(統合失調症)を患い、やがてベルンのヴァルダウ精神病院(かつてアドルフ・ヴェルフリがいた)で多数の特筆すべき絵画とデッサンを制作するようになった。》

《ザクサーは、病による精神状態の不安定さに、うまく折り合いをつけていた。病気は制作のペースに影響を及ぼしてはいたが、芸術家としての才能を損なわせるものではなかった。それによって生じる制作の集中と停滞のリズムが、むしろ彼の創作意欲を高めたかもしれない。》

以上は同画廊発行の『螺旋階段』第100号より。絵の質と精神病との関連は無視できないだろうが(一般に言うアウトサイダー・アートというくくり方が納得できる特長のようなものはたしかにある)、宇宙人のようなフラットな眼を持てば、分裂の程度など絵の出来に対してはささいな事柄のような気もする。ザクサーの絵を先入観なしで眺めれば、なかなかシャレた作品である。


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by sumus2013 | 2015-05-16 22:01 | 古書日録 | Comments(5)