林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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書影の森 出来!

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みずのわ出版


『書影の森 筑摩書房の装幀1940-2014』出来上がった。校正を何度見ていても、やはり完成してみないと仕上がりに確信がもてない。いつもながら荷物を開封するときはドキドキものである。さすが山田写真製版所、見事な印刷である。プルーフからある程度予想はしていてもいい意味で予想を裏切る出来である。大安心。

臼田さんの要望もあって今回の図版にはカバーとともに表紙の画像をなるべく多く掲載するようにした。表紙とカバーの関係というか表紙のあしらいはデザイナーの腕の見せ所。つぶよりの装幀本ばかりなのでどの表紙も見事に塩梅されている、レイアウトしながらしばしば感嘆して唸った。だからそれらの見せ方も、あえて凝った写真は使わず、真正面からスキャンした図でまとめた。デザイン・サンプルとしても結局これがいちばん参考になると思う。

臼田さんからこの企画の話を初めて聞いたのは竹尾賞授賞式(二〇一二年三月二六日)のときだった。多少の曲折があった後、みずのわ出版から出すと決まり、実際に本文を組むための作業を始めたのがまる一年前。『関西の出版100』(創元社)もやはりトータルで三年かかったが、レイアウト作業そのものは半年で片付いた。それからしても『書影の森』はタイトル通りに書影の森でさまよう時間をかなり要したことが分っていただけると思う。あまり部数も多くないため、どこの書店にも並ぶというものではないが、機会があれば是非手に取っていただきたい。そして購入して頂ければなおさら有り難い。

*神保町の東京堂書店にて五月中に著者である臼田捷治さんを中心とした本書完成記念トークショーが開催される予定です。詳しいことが決まれば改めて発表します。御期待ください。



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by sumus2013 | 2015-04-30 20:47 | 装幀=林哲夫 | Comments(4)

どうなとなれ

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富士正晴『どうなとなれ』(中公文庫、一九八〇年八月一〇日、カバー=大沢昌助)を某書店の店頭棚から拾い出した翌日、中尾務さんより富士正晴『仮想VIKING50号記念祝賀講演会に於ける演説』(富士正晴資料整理報告書第20集、茨木市立中央図書館富士正晴記念館、二〇一五年二月二八日)が届いた。昨日取り上げた寺島さんについても同じなのだが、このところ不思議と本が本を呼ぶ。

『仮想…』について中尾さんの「解説」冒頭を引用する。

《富士正晴は、生来、講演を好まなかった。
 一九四九年(昭和24)年七月、富士正晴は竹中郁と倉敷におもむき、ふたりで講演にのぞむが、はじめに出た富士は七分間ほどで降壇、あとをまかされた竹中は富士の分もふくめ、一時間半の長丁場をこなすはめになった。(中略)
 一方、〈人の前〉でなく原稿用紙を前にした〈仮想〉の講演では、富士正晴は生きいき伸びのびとしてくる。「仮想VIKING50号記念祝賀講演会に於ける演説」(以下「仮想演説」と略す)で、その闊達な語り口を楽しめることうけあいである。といっても、「仮想演説」においても富士は《途中退場》しようとするのであるが、このあたりについては、後述。

この後、中尾さんはVIKINGの足跡を辿り直し、離合集散のありさま、富士が演説のなかで縷々述べているところを簡潔に記述しておられる。そして「仮想演説」中にかなり長い文献引用があることに着目して小沢信男さんが《ノリとハサミ》による創作と喝破した富士の伝記小説作法に言及する。そして一九五三年九月から五四年七月にかけて執筆された「仮想演説」はその二ヶ月後五四年九月に開始される『贋・久坂葉子伝』を方法的な面で準備した、という見解を示しておられる。

一方、『どうなとなれ』の解説は山田稔さんである。山田さんは富士のなかに「ニヒリズム楽天主義」と「鬱々たる上機嫌」という二面性を見て取る。前者にまつわる不愉快と退屈を紛らすため《厄介な、根気のいる仕事にとりかかることを考えつく》、それが一連の伝記作品(竹内勝太郎、桂春団治、花柳芳兵衛、榊原紫峰、花田清輝、久坂葉子ら)になる。他方、後者は雑談という形をとり、それはそのまま雑談形式の作品になる。

雑談形式をとった作品はこの数年来ふえている。そして最初は対話であるはずであったものが次第に対話から独白、モノローグへと変わりつつあるようだ(たとえば『心せかるる』の連作)。いや、そもそも富士正晴の「雑談」は対話でなく、彼の意識の裡での自己との対話、自問自答の性格をそなえたものではなかろうか。それはまたモノローグによる自己批評でもある。》(『どうなとなれ』解説)

『どうなとなれ』にはこれら二系統の作品が収められているわけだ。「どうなとなれ」「坐っている」などが雑談風で、「花柳芳兵衛・母恋」や「牧野の殿には大閉口」が伝記、そして父の死と檀那寺の和尚の死をからめて描いた「玉山倒壊」が伝記と雑談の混じった私小説ということになる。

そういうふたつの系統から考えると『仮想VIKING50号記念祝賀講演会に於ける演説』は雑と伝の融合体、富士正晴アマルガムとでも称すべき代表的な作品ではないか、と思いついた。あるいは富士の頭には実験小説のような気分があったのかもしれない? まあちょっと他では読めないような作品だということは間違いない。

「仮想演説」の冒頭、一九五三年の政治情況が俎上に挙げられる。これがすこぶる面白く示唆的である。『VIKING』が50号にもなりよったことを《感激的でない感激》だと述べてこう続ける。

《例えば、ははん、また自由党が第一党か、奴隷は自分を一番苦しめ、ふみつけにするものを愛するというからね、ははん、やっぱりねえ、とか、ははん、自衛軍か、国土が荒れ放題に荒れ、13号というけち臭い台風ですらこんなにこたえるように痛んだわが国の金を大砲やら軍艦やらジェット機や、軍事物理研究所設立に使って、尚更に日本という土地の土を海中へ流しこんでゆくということは、正しく自衛の自衛なるものに相違あるまい、日本は生産のためにではなく、生存のためにではなく、不沈軍艦のごとき基地のために、死のためにのみ存在価値のある荒地にするというわけで、全く自衛プロパーである、尤もその自[傍点]という字はやせほそる一方だが、ははん、やっぱりねえとか感激したわけでありました。》

55年体制の始まる前の段階でこの有様だったとは……恐るべきマンネリズム。山田稔さんによれば要するにこれが不機嫌の原因である。だが

《彼はどのような現象にたいしても「大義名分」を降りかざすことをせず、「私的な目」で見る立場を崩さない。威勢のいいもの、颯爽たるものを信頼しない。一切を疑い、しかし絶望はしないのである。》(『どうなとなれ』解説)

こういう姿勢を貫ける人がいったいどれほどいるだろうか。


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by sumus2013 | 2015-04-29 20:57 | おすすめ本棚 | Comments(0)

書影の森 いよいよです!


先行発売決定!
東京堂と善行堂で30日午後~
北書店で1日か2日から


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みずのわ出版


本書は、筑摩書房の装幀に携わった幾多のデザイナー、編集者、社内デザイナーの仕事の紹介をとおして、魅力あふれる豊かな実りの系譜を展望しようと企図した。そのことで、わが国の出版文化史に類いない光芒を放つとともに、出版界のひとつの指標となっている同社の装幀が果たしている役割を多角度から浮き彫りにできれば、と思う。

筑摩刊行本の装幀は幾多の社外デザイナーがかかわったり、専門に近い社員もしくは専門スタッフを中心とする社内装幀であったりするが、一貫して独自の品格とクォリティをたたえている。いっときの流行を追わず、奇をてらうことのない節度ある手法に基づく端正なたたずまいは、多彩な交響にあってもおのずと格調高い《筑摩カラー》を形成しているといってよいだろう。

充実した社内専門スタッフと幾多の有能な社外デザイナーの登用。この両輪こそ筑摩カラーの源泉だろう。筑摩書房の装幀にかかわった中には、社員ではあったが吉岡実のような詩人、加納光於、柄澤齊のような版画家、風間完のような挿絵家、中川一政、司修のような画家、久保孝雄・制一親子のような彫刻家、フランス文学者の渡辺一夫、編集者出身である花森安治、田村義也、絵本作家の安野光雅、コラムニストの天野祐吉のような名うての文化人でもある人たちがいる。デザイナー、装幀家以外の、こういった多士済々の才能によっても支えられてきたのだ。筑摩書房はわが国の装幀文化が、分野を問わず広く門戸を開いてきたよき伝統を体現してきたのであり、まさにその歩みは、装幀文化の縮図であり、みごとな見取り図だといってよい。実際、私はこれほどのロールモデルをほかに知らない。筑摩本の時代性を超えた功績であり、並びない魅力である。

書物が時代の産物であると同じく、装幀もまたそれぞれの時代の文化状況を刻みつけている。各時代の嗜好や背景にある印刷技術の変遷が、リトマス試験紙のように如実に映し出されているのだ。そのため、経年による劣化状況も手がかりになるとはいえ、装幀を一瞥すると、奥付で確認するまでもなく、その書物が生まれた年代におよその察しがつく。本書は装幀に限定してはいるとはいえ、筑摩書房という並びない舞台上で演じられた出版デザイン史のドラマであり、もうひとつの出版文化史として眺めていただければ幸いである。(著者)

***

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表紙廻りのプルーフが届いた。幅広の帯に掲載全タイトルを印刷してみた。これでほぼ工程は終了、後は印刷製本にかかるだけということになる。なんとか早めにコストを出さないとみずのわ出版の存亡にもかかわる。予約特価はぜったいにお得です。何とぞよろしくお願いいたします!

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by sumus2013 | 2015-04-28 21:12 | 装幀=林哲夫 | Comments(6)

果樹園まで

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江口節詩集『果樹園まで』(コールサック社、二〇一五年四月二一日)を頂戴した。江口さんは未知の詩人だったのだが、FBで友達になったので(詩人の友達が何人かいて友達の友達は友達だということで)最新の詩集を下さったのである。さっそく拝読した(頂戴した本はできるだけその場で読む、そうしないとすぐに積んどくになってしまう)。実力派のずっしりとした読後感だ。書名のように果実をうたった作品が多い。なかでは「蜜柑」が好きなのだが、ここでは
寺島珠雄さんの死について書かれた一篇を取り上げたい。全文引用させてもらう。


 うかうかと

まるで拒食症ですね 早い回復を祈ります
うかうかと
返信に書いてしまったのである

食にこだわる人が
黒飴常備 アイスクリーム不可欠
それ以外食べる気がなくなった
とあったので

七百枚の書き下ろし原稿に根を詰めたせい
との本人分析を信じて疑わなかった
ギロリ と底まで見通しそうな眼光が
いよいよ強くなりこそすれ

そんなに早いとは思わなかった

それからたった二ヶ月後
訃報

うかうかと
死を見過ごしてきた
ことばかり思い出される あのときも
あのときも あのときも

人が死ぬたびに
なさけなくて くやしくて ぶざまで
じっとしていられない

どんな顔で見下ろしているのやら
入道雲のてっぺんに腰かける人の影があって
うかうかと
夏の真中である

(一九九九年七月二十一日 寺島珠雄さん死去)


七百枚の書き下ろし原稿》は『南天堂』(皓星社、一九九九年)のこと。これはちょっと不思議な感じだった。先日ふと思い立って郷里の本棚から寺島さんの詩集二冊(二冊しか持っていないのだが)を京都へ持ち帰っていたからだ。『酒食年表第三1998』(エンプティ、一九九八年四月二〇日)と『断景』(浮遊社、一九八六年八月五日)。前者は寺島さんから送られたもの。後者は寺島さん歿後に古書として求めた。浮遊社は中西徹さんの版元。『酒食』には尼崎での被災体験も記録されているが、江口さんも書いておられるように「食」にこだわりのある作品がとくに印象に残る。


 茗荷の朝

やっこ豆腐(もちろん木綿)の皿に茗荷を敷いた。
ぱらっと姿なりの刻みで水切りに。

茄子の塩もみ 塩を流して小鉢盛りして
小口刻みの茗荷を散らして一味唐辛子を振った。

めしは茗荷めしにした。
某店のそばつゆを酒(酔心)と水で割って炊く
電気釜が保温になったら茗荷を加えて適当に待つ。

みそ汁は 昨夜から冷やしておいた茗荷汁。
そしてこれが話の肝心なんだが
八月一日に冷蔵庫が故障した。
メーカー派遣修理員による回復が八月五日夕刻。
よってもって わが七十歳自祝 オール茗荷仕立ては八月
 七日第一食と二日の繰り延べになっている。
なさけ無いがきのうは日曜で
買っといた鰹の今朝皮造り なんてことはできない。
で いきなり変って広島三次[みよし]の鮎うるかを豆腐にのせて食
 う 伊豆の島の飛魚くさやも食う。

 ーー君の生れたのは八月五日のまだ暗くはならない夕方
 で、それまではたしかに晴れた日であったと思うのです
 が恰度君の生れる前から烈しい電光雷鳴がキラメキ轟い
 たのをよく覚えています(略)酒屋の、頑丈な倉庫のよ
 うな木造の空間がきみの生れたところでした……

兄の十二年前のはがきの一節 東京の二階借りで電光雷鳴
 の話はおふくろにも聞かされたが
去年兄が死んだから もう言う者なしだ 兄は六歳年長。
俺一人が俺の出生情況を想像しながら茗荷の献立てをたの
 しむ顔をこしらえている(実際に美味でもある)。

名命 の表書きでものものしげに畳まれた紙も兄が送って
 よこしたままある 当時の父の師匠の字。
命名ではありませんか 名付親 八字髭の〈剣聖〉さんよ
校正屋としては思うがいまさら朱を入れてどうなろう。
畳みこまれた臍の緒にも朱を入れて生き直しを企むか。

茗荷は〈あの夏〉 一九四五年の多分八月二十七日朝から
 よく食った。
露を帯びたのを採って来て娑婆の匂いを噛んだ。

途中が抜けて(忘れて)
この十年 いや十五年くらいか また食いしきって
今朝はとりわけての茗荷 茗荷 茗荷。

忘れたいことが溜りきった七十かなあ
ただ食い意地ばかりの七十かなあ
朝からすこし酒ものむ。

            95・8・7


文中《くさや》には傍点がある。寺島さんは朝風呂が好きで、神戸の地震のときにも風呂に出ていて助かった、大量の本や資料が積み上げられた部屋で寝ていれば命は無かっただろうという。街の草さんの自宅のすぐ近所に住んでおられたそうで、その話は街の草さんから聞いた(御本人も書いておられるが)。寺島さんに一度会っておきたかった。当時はいつでも会えるような気がしていたものだが……。

それにしても寺島さん、暑い盛りに生まれて、暑い盛りに亡くなったのだなあ。


寺島珠雄の部屋


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by sumus2013 | 2015-04-28 21:05 | おすすめ本棚 | Comments(0)

ほんほん本の旅あるき

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南陀楼綾繁『ほんほん本の旅あるき』(産業編集センター、二〇〇五年四月二八日)読了。日本全国よく歩いてる。歩く先には本がある、人がいる。言うことなし。

産業編集センターの本『ほんほん本の旅あるき』
http://www.shc.co.jp/book/detail/000865.html

《「シルクロードじゃなくて、ナンダロードですね、これは」
 新潟を訪れたとき、メモ代わりに行った場所についてツイッターでつぶやいているのを見て、北書店の佐藤雄一さんはそう云ってくれました。
 貧乏性がなせるわざでしょうか。東京の自宅にいるときには周囲一キロ四方で同じような日々を送っているだけなのに、旅に出ると突然アクティブになるようです。地元の人に、「なんで一日でこんなに回れるんだ」と呆れられることもしばしばです。
 いろんな町に行ったときに残したメモや、買った本や雑誌、手にした地図などを眺めているうちに、「ナンダロード」の行程をまとめておくのもいいかもしれないと思い立ちました。本書は書き下ろしですが、一部は『雲遊天下』『コンフォルト』などに載せた文章を大幅に書き改めています。》(おわりに)

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《本書に載せた写真は、ぼくがデジタルカメラやスマートフォンで撮影したものです。素人のスナップ写真を、デザイナーの新井大輔さんが本文やイラストに合わせて的確に配置してくれました。
 イラストは、元〈ジュンク堂書店〉仙台ロフト店の佐藤純子さんにお願いしました(すぐれた書店員である彼女に「元」が付くことになったのは残念です)。彼女が出すフリーペーパー『月刊佐藤純子』そのままに、楽しいイラストを描いてくれました。もっとも、似顔絵が本人に似ているかは保証できません。》(おわりに)

いろいろ読みどころはあるが、やはりここでは古本屋のくだりを紹介しておこう。「うだつのある町でーー高知・阿波池田」より。

《高知市にはかつてタンポポ書店〉という古本屋があった。文学好きの夫婦が営む小さな店で、ご主人が亡くなってからも、しばらくは奥さんが一人で続けていた。その片岡千歳さんのエッセイ集『古本屋タンポポのあけくれ』は、気取らず威張らず、古本屋の日々をつづった、いい本だった。しかし、片岡さんは数年前に亡くなり、店も消えた。
 町の古本屋はどこの地方でも減少傾向にあり、四国も例外ではないが、高知市にはまだ何軒も古本屋があって嬉しい。〈猫目堂〉は三十代の男性が店主で、ミステリーやガロ系のマンガが充実している。そこから少し歩いたところの〈昭和塚〉は、蔵書家のコレクションがそのまま店になったような古本屋。高知の地域雑誌『月刊土佐』のバックナンバーが出ていたので、何冊か買う。貸本屋や映画館などの特集を組んでおり、貴重な記録になっている。路面電車の線路の近くにある〈ぶっくいん高知〉は、狭くてごちゃごちゃしているが、何か掘り出し物が見つかる予感のする店。高知出身の作家・濱本浩の展覧会の図録を買った。
 最後に行ったのは、〈かたりあふ書店〉。中心部からちょっと離れたところにある。さっきも寄ったのだが、まだシャッターが開いていなかった。店主の森岡たかしさんは、高知市内の病院に入院している奥さんを見舞いに行っているため、店を開けている時間は短いという。中に入ると、スチール製の本棚が林立し、やっと通れるほどの隙間しかない。岩波書店の本や文学全集、郷土史の本が並ぶ、反時代的までに硬派な古本屋だ。
 森岡さんは優しい顔つきで、やわらかく静かに話す。彼が発行する『かたりあふ通信』では、読書や古本についてのエッセイが綴られる。》

《この日の夜は、森岡さんが声をかけた高知の古本屋さんたちと、廣谷さんのバンド仲間のやっている〈にこみちゃん〉という店で飲んだ。およそ商売っ気の感じられない森岡さんが高知県古書組合の会長だけあって、組合員も、もうからなくても古本屋という商売を心から楽しんでいる。古書組合の加入費は県によって額が異なるが、高知は激安で、古本屋を始めるなら高知に移住する方がいいのではと思った。
 ちなみに、二〇一四年には香美市の山の上に、若い店主が営む古本屋〈うずまき舎〉がオープンした。タンポポ書店、かたりあふ書店に続く、高知の古本屋のDNAがこの店にも受け継がれているのかもしれない。》

南陀楼氏の旅心がよく分るいい感じの文章だ。自然にナンダロードが開けて行くのも著者の持ち分というものだろうか。一年半ほど前になるが、青山の狭い喫茶店でここに書かれているような本の旅についていろいろ話を聞かせてもらったことがある。その活動が直接の利益につながらないことを半ば諦め顔で嘆いていたが、いや、いずれなんとかなるものと小生は思っている。まずはこの本に結実したことを慶びたい。

南陀楼綾繁『小説検定』

南陀楼綾繁『谷根千ちいさなお店散歩』


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by sumus2013 | 2015-04-27 20:22 | おすすめ本棚 | Comments(0)

香泉遺稿

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『香泉遺稿』という漢詩集を入手した。ヤフオクに出品されているという情報を某氏より頂戴し、入札したところスタート価格で落札できた。表紙がとれているうえに本文の状態も良くない。虫穴もある。珍書であることに違いはないが、念のため検索してみると画像を公開しているサイトがあった。

香泉遺稿(神宮皇学館文庫)

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これが神宮皇学館本の奥付。《滑消斎蔵版/文化九年[1812]壬申十一月刻成》としてあるが、この度入手した架蔵本では文化九年壬申九月開彫/東讃 高尾伝弥著》となっている。本文はざっと見たところ同一だ。奥付だけ差し替えたか。開彫と刻成という言葉の違いに何かしら意味があるのだろうか。また高尾伝弥著とあるのだから香泉の名は伝弥だったと考えていいのだろうか。

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(文化八年辛未六月初八日付)は北山山本信有。北山は江戸の儒学者である。独学の穎才で多くの門弟を育てて一家を成した。序によれば大阪の友人泉子固を通して讃岐の高尾子浩(高松藩儒臣高尾椿渓の嫡男)から依頼があった。いわく子浩の弟弼が四年前に早世した、十九歳だったという、その遺稿集に序を乞いたいと。遺稿を転送してきたので見るとこれが清新ないい詩である。

弼字子長号香泉卒年十九豈不惜哉其詩高出脱格調家窮屈巨大纖微写所欲写言所欲言妙用自在不失詩家清新

北山はなかなか厳しい人物だったようだ。泉子固にも序文を頼まれたそうだが、それには応えていない様子である。しかし香泉の詩集には筆を執った。

編者である兄の高尾養(竹渓)の序(文化七年庚午秋八月六日付)によれば、弼は文化四年[1807]の秋、病にかかって急死した。時に年十九(満十八か)。臨終に当って弟は「死ぬのは仕方がないが、父母に孝行できないのが心残りだ」ともらしたという。遺品の詩稿を改めて読んでみると派手さはないけれどキラリと光るものがある。なんとかこれを出版して後世に伝えたいと思ったのだそうだ。

たしかに清々しい作品が揃っているように思う。三首のみ掲げてみる(上記サイトにて全編閲読可)。


  読書

 吾儂豈異蠹書虫
 心酔談玄興不窮
 空慕孟生能養気
 何論管仲徒成功
 読経深憶三乎理
 誦史太憐五噫風
 如稲如禾須勉力
 初知学問破昏蒙



  秋雨中作

 雲掩四山沛雨濛
 簷花銀竹湿簾櫳
 荷盤宛転玲瓏玉
 樹杪吹飄颯爽風
 禾穂軽黄残旧緑
 林楓直翠雑新紅
 鶉衣更怕星寒犯
 静聴愁魔又悩公



  冬日過吉子厚宅

 芒鞋鴨川涯
 訪来長郷宅
 歴霜楓葉
 衝寒橘実緑
 傾樽解酒情
 移榻錬詩格
 興来談尤清
 悠然襟慮適



本書の奥付に東讃とあるが、どこなのか、今すぐには知り難い。高尾という名字は小生の郷里にも少なくない。帰郷した折りに調査できればと思う。

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by sumus2013 | 2015-04-26 21:12 | うどん県あれこれ | Comments(0)

現代詩手帖

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『現代詩手帖』三冊。一九七〇年一月号(表紙=林静一、題字=赤瀬川原平)、七一年五月号、七月号(共に表紙=谷川晃一、題字=波羅多平吉)。ある古本屋さんで本を買って支払おうと思ったら、ご主人が帳場の下からこの三冊を取り出しながら「こんなのありますけど、いりませんか? 安くしときます」とおっしゃるので有り難く頂戴した。「稲垣足穂の対談があって面白いですよ」と。

さっそく七〇年一月号掲載の足穂と加藤郁乎との対談「地上とは思い出ならずや」を帰りの電車内で読んでみた。足穂はけっこう酔いが回ったふうでもあり、そうとうズケズケとしゃべっている。たしかに面白い。《アポロが月へ行っちゃいましたね》と始まる、そんな時代だったのか……。

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《死ねばおしましだというけど、バカな、そんなことないですよ。そうは問屋が許してくれませんよ。だから、ぼくは死んでもいいと思うんだ。ところが、志賀直哉さんがこのあいだ随想を書いていたけど、人間なんて流れる河の水と同じだというんです。それはそれでいいですよ。だけど、こんなバカなことを言うんだ、自分はこの一点にあって水の雫にすぎないけれども、無限に流れている現在の今いるこの自分しかないんだ、と。それは嘘でしょう。そんなことはない。自分が今いるという時間をどこで決めるんですか。そんなものは十九世紀の個人主義の言明ですね。そんなことはないでしょう。現在を切ることはでけへんですよ。今のどの点にいるんですか。素粒子だったらどうですか。ぼくは無限だと思いますよ。単位なんかない、上も下も無限ですよ。》

志賀直哉の書いたことはよほど足穂の気に障ったとみえる。どうして怒っているのかよく分らないのだが、後でまた蒸し返している。

《志賀さんなんかそこまでも書き切れていない。ナイルの河が流れていて、自分はこの一点で先も何もない、なんて、くだらないセンチメンタリズムですよ。武者小路と同じで大馬鹿野郎です。》

とは言いながら志賀には「さん」をつけているし、何より書いたものを読んでいたというのが驚きだ。

《自分しかないなんて、そんなことあらへんでしょう。無限にいるんじゃないですか。それをもってきたほうがわかりやすくなる。自分にはこの一点しかないなんていうのは、それは非常に勝手な邪険な考え方ですね。昨日まで話していた人がいなくなる、死んだというのはまことに痛ましいことですけど、それは一つの現象にすぎなかったと思うだけであって、そんなことはなんでもないんです。百人であっても千人であっても、なんでもないんですよ。どこにもいる、ここにもいるということです。それから逃げられない、それを解脱というんですよ。ただ、死ぬときの苦痛が恐いんですね。死そのものじゃないんです。》

どうも論点がすれ違っているような気がする。志賀の考え方は(原文を読んでいないので想像に過ぎないが)センチメンタリズムというよりも絶対観念論に近いものか。足穂の方は素粒子を引き合いに出しているように唯物的と言っていいだろう。解脱はその唯物的世界(無限の輪廻転生)から文字通り脱することのはずなのだ。《それから逃げられない、それを解脱というんですよ》は中間の言葉が飛んでいるのかもしれない、足穂の良き読者ではないためこれはただの当て推量に過ぎないけれども。

この号には第十回現代詩手帖賞発表の記事がある。山口哲夫と帷子耀が同時受賞。山口二十三歳、帷子は十五歳である。

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帷子耀の受賞は寺山修司の強い支持によって決まった。その支持の理由がふるっている。

《帷子君の詩は、なかにし礼とかと安井かずみの詩と全く同じだと思う、何も言っていないという意味でね。単なる現象の反映でしかない。ただ「賞」そのものに対する批評を含めたら、こういう十五才の何も言っていない人にやることによって「賞」そのものを支えているひとつの詩壇ヒエラルキーみたいなものに対するパロディになるというふうに考えると、この詩を一年間騒いできた詩人たちへのいい贈り物になる。

帷子耀の彗星のような出現と消失は若き読者たちに少なからぬ印象を残していたようである。五年ほど前に間村俊一さんがそのような発言をしていたのを思い出した。

山上の蜘蛛ー神戸モダニズムと海港都市展

消えた幻の詩人 帷子耀(かたびらあき)

どんな雑誌でも四十五年も経つとあだやおろそかにはできないな、というのが本日の感想なり。その証拠にこの辺の『現代詩手帖』には古書価もそこそこついている。

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by sumus2013 | 2015-04-25 21:38 | 古書日録 | Comments(0)

小学入門便覧

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水渓良孝編『小学入門便覧』(田中治兵衛=文求堂、一八七六年一〇月二四日再々刻発兌)。今此書ヲ編成シテ家ニ教ヘサルノ父ナク戸ニ習ハサルノ童ナカラシメンコトヲ欲ス是専ラ軽便ヲ主トスル所以ナリ》とあるので家庭用副読本あるいはまあ一種の教科書だと見てもいいかもしれない。なお表紙の題簽は後付け。綴じも直され本紙にも裏打ちが施されている。

画図の国井応文を検索するとコトバンクにこうあった。一流の絵師だ。

幕末・明治の円山派の画家。京都生。父は医師、母は円山応挙の孫で円山応震の妹。字は仲質、別号に彬々斎。円山応立に師事し、その歿後は一門の後継者となる。安政二年禁裏の絵御用を務める。のち中島来章、塩川文麟らと如雲社を設立した。明治20年(1887)歿、55才。

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著者については不詳。明治初期に京都に住んで(下京第十八区万寿寺通烏丸東入四百九十五番屋敷)小学参考書類を多数執筆した人物であることは間違いないようだ。著書一覧は下欄に。

本書の内容は「いろは四十七字」から始まって数字、計算、単語図、連語図、線・面・立体、色彩、体操までを含んでいる。

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《緋ヒ/アカ
ひハ赤色中の司たり赤ニ少し黄を帯たるをいふ》


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巻末には水渓良孝の著書がずらり。発行は山内正五郎(寺町通松原下ル町)と田中治兵衛の連名。


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気になった単語をひとつ。「帽バウ」(説明文では「ぼう」)。シルクハットの絵があるが、これを帽子ではなく「帽」とする。参考までに明治三十七年の『言海』をひもとくと次のような語釈が見える。

ばう(名)帽 帽子[バウシ]ニ同ジ。

ばう志(名)帽子 布帛ニテ製セルかぶりものノ総名、僧、男、女、老、幼、其用、其形、種種ナリ。頭巾。今、又、西洋製ノモノハ、羅紗製アリ、紙ヲ心トシテ堅ク製スルアリ、形、方ナルアリ、偏ナルアリ。


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こちらは単語図より「本ホン」の載っている頁。《ほんハ紙にて製し板木[ハンギ]にて種々[イロイロ]の字を摺り人の是を読むためになす物なり》。かなり狭い本の解釈ではある。

明治初期 教育稀覯書集成 第2期
https://www.yushodo.co.jp/press/edu-rare/index.html

和本明治9版絵入古書「改正小学読本便覧」水渓良孝彩色木版
http://blogs.yahoo.co.jp/kitasan1970/44623971.html


小學入門便覽
水渓良孝圖解,水渓, 良孝 田中治兵衛 1875

筆算早學
水渓美智編輯,水渓良孝閲 [京都] : 文求書堂 1876

日本地誌略圖用法 山陰山陽南海西海及北海道之部
水溪良孝 抄錄 文求堂 1876

改正小学読本便覧
水渓, 良孝,水渓良孝 編 田中文求堂 1876

画入小学読本字引
水渓良孝 編,服部春樹 閲 田中治兵衛 1876

物理階梯 上
片山淳吉/編,水渓良孝/標註 文部省 1876

小學縣圖問答
水溪良孝輯録,水溪, 良孝 田中治兵衛 1876

小学入門便覧
水渓良孝 編 文求堂 1876

筆算全書 殘1卷(存卷2)
水溪 良孝 文求堂田中治兵衞 1876

博物図便覧
水渓良孝 編 五車堂 1877

通常物図解
水渓, 良孝,水渓良孝 編 山内正五郎[ほか] 1877

府県名問答
水渓良孝 編 山内文華堂 1877 (小学暗誦類集)

帝号問答
水渓良孝 編 山内文華堂 1877

日本地誌略字引大成
水渓, 良孝,水渓良孝 編 文求書堂 1878

改正増補物理階梯 一、二、三
片山淳吉/編,水渓良孝/標註 田中治兵衛 1878

物理階梯 巻之上、中、下
片山淳吉編纂 ; 水溪良孝標註 塩冶芳兵衛 1879

小学諳誦類集 1〜5
水渓良孝 編 山内文華堂 1880

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by sumus2013 | 2015-04-24 20:44 | 古書日録 | Comments(0)

植草甚一翻訳コレクション

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『BOOKMAN』二号(イデア出版局、一九八二年一二月一日)に「見えない図書館 恐怖のブックハンター列伝!!」という特集が組まれており、山下武、長谷川卓也、七木田麻蓑臣、中村雄昂、今朝丸真一、野口文雄、早川清美、本野虫太郎(荒俣宏?)らの蒐書ぶりが紹介された後、瀬戸俊一が植草甚一の蔵書について論じているなかにつぎのような言及があって、ほほうと思った。

《そんな植草氏の唯一の整理法は、紐でくくることであった。著者別に、あるいはテーマ別に十数冊の本を一括して、十文字に紐をかけ、くくるわけである。そして、ペーパーバックスなどのひとくくりには、名前を書いた荷札がつけられている。》

そうだったっけ? 手近の『植草甚一マイ・フェヴァリット・シングス』(世田谷文学館、二〇〇七年)を取り出して見た。なるほど! 植草の書斎には紐でくくられた本の束があちこちに積み上げられている。紐でくくるというのは古本屋の得意技だ。たしかにそういう方法もいいかもしれないが、実際問題として参照するときに紐をほどいたり、また括り直したりするのが面倒のような気もする。おそらくは植草流の思考ユニットを作るための作法なのだろう。

……と昨日考えていたら、本日、盛林堂さんから『真冬の殺人事件』(盛林堂ミステリアス文庫、二〇一五年四月二七日、四百部)が届いた。S.S.ヴァン・ダイン/ジェラルド・カーシュ作品を植草甚一が翻訳したコレクションである!

《本書は、いつも盛林堂ミステリアス文庫を手伝って頂いている善渡爾宗衛氏が、植草甚一の翻訳作品が掲載されている「スタア」を持ち込んだことから始まった。海外ミステリが好きな私としては、あの「植草甚一」の翻訳と聞いて、心躍ったことは言うまでもなかった。雑誌の刊行年から考えると、植草が戦前、東宝に勤めている際になされた仕事と思われる。》

善渡爾氏が植草による翻訳が掲載されている雑誌「スタア」を全て見つけ出すという奇蹟によって本書は成立したそうだ。いや、凄いです。

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真冬の殺人事件 ―植草甚一翻訳コレクション―

開館20周年記念 植草甚一スクラップ・ブック

《2007年に当館で「植草甚一 マイ・フェイヴァリット・シングス」展を開催したことを一つの契機として、ご遺族や関係者から関連する品々をご寄贈いただき、さらに2013年には、かつて出版社の倉庫に保管されていた大量の品を、ご遺族よりご寄贈いただきました。スクラップ・ブックやノート約240点、草稿や原稿約50点、日記約30点を含む当館の植草甚一関連コレクションは、図書・雑誌、写真類も加えると、総数1,200点以上になります。》

植草スクラップ・ブック見てみたいなあ……



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by sumus2013 | 2015-04-23 21:09 | おすすめ本棚 | Comments(2)

BOOKMAN

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読書雑誌『BOOKMAN』のほぼ揃い(一冊欠)。今年になってから頂戴してようやくざっと目を通し終えた。一九八二年創刊で九一年に終刊というから、主にエンターテイメント中心の編集ながら、バブル時代の読書(古書)界がおおよそ見渡せるような感じを受けた。

内容については重宝な総目次サイトを参照していただきたい。

BOOKMAN(1982年10月~1991年6月 トパーズプレスイデア出版局)

個人的には山下武の連載「忘れられた作家・忘れられた本」を刮目して眺めた(読んだわけではないです)。山下の選択眼の見事さを改めて知らされた。加能作次郎、藤沢清造、中戸川吉二、サッカレーなどなど今でこそ再評価が進んだ人たちだが、おそらく当時はまだ日蔭に置かれていただろう。

山下連載終了の後を受けて二十一号から荒川洋治が「ひとりぼっちの本」と題して偏愛作家を紹介している。これも渋い。ただし少しシブ過ぎる感じ。もうひとつ連載では荒俣宏のまさにバブリーな古書獲得話があっけにとられるほど面白い。

古書店案内も東京近辺だけに限られるものの何度も特集が組まれており、今となっては店舗の姿をとどめた写真が貴重である。以前もここで話題にした阿佐ヶ谷川村書店の写っているページを御覧いただく(二十一号、一九八八年三月一五日)。

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記事のなかで特に興味をもったのは大井良純(翻訳家)「ある洋書露店のおじいさんの思い出」(六号、一九八三年九月一日)である。時は一九六〇年頃。場所は神田神保町のパチンコ屋「人生劇場」わきの路地。そこに露店の洋書店があった。

《昼の十二時ごろになると、店主である六十がらみのおじいさんが、ものすごく重そうなリュックサックを背負って、出現する。その中味は、店の主力商品である米国製の廉価・紙表紙本(すなわちペイパー・バック)と雑誌だった。路地到着後、おじいさんは近くのラーメン屋にあずけておいた露店のセットを引きずりだしてきて、店づくりをやる。かくして、なかば開店である。

 すると、靖国通りとの角あたりで満を持していた数人のこの店の熱狂的ファンが、それっとばかりかけつけてくる。そして、おじいさんが板の上に並べていくペイパー・バックや雑誌をわれさきに手にとり、買う、買わないを決めていった。のちに、この開店待ちの状況はエスカレートして、ラーメン屋の前にたむろして待つようになり、リュックサックがおろされると同時に、だれかが勝手に口を開けてしまい、手当たり次第好きなものを選び、これとこれ、という買い方が行われるようになった。

 ほとんど毎日のように、この路地に出没する数人の男たちは、今様のはやりことばでいえば、「ほとんどビョーキ」の人たちばかりだったようだ。せっかくでてきたのに、おじいさんがなにかの都合でこないとなると、えらくがっかりして、後ろ髪を引かれる思いでラーメン屋を離れることがしばしばあった。》

「ほとんどビョーキ」の人たちのなかには出版社務めの中島信也(小鷹信光)、石油会社務めの大塚勘治(仁賀克雄)、早稲田の学生だった片岡義男、同じく大学院生だった青木日出夫、そして浪人生だった著者らがいた。著者は一週のうち三日か四日通い、ふところの資金は百円か二百円だった。渋谷の恋文横丁にある植草甚一も常連だった洋古書店の店頭で出会った客からこの露店商のことを教えられたのだそうだ。

《おじいさんの店のものは、ペイパー・バックにしろ雑誌にしろなにしろ安かった。一冊が十円ないし二十円というのである。ノーマン・メイラーの「裸者と死者」とかアリステア・マクリーンの「ナバロンの要塞」とかコーネリアス・ライアンの「最も長い日」なんかもそういう値段で買った。

《少しずつききだしたことだが、おじいさんはあのころ東京近辺にいくつも残っていた米軍基地に出入りする屑屋の仕切り屋を仕入れ先にしていたようだ。米軍の将兵と家族が読み捨てたペイパー・バックと雑誌を目方いくらで買ってきて、自宅でアイロンをかけ雑巾できれにふいてから、神田にもってきたのである。

う〜ん、こんな露店の本屋があったら直ぐにでも駆けつけたい。今ならひょっとして田村書店の店頭百円均一がそれに近いのかもしれないが……。






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by sumus2013 | 2015-04-22 20:58 | 古書日録 | Comments(0)