林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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日本ダイヤモンド

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青木輔『日本ダイヤモンド 紙入開化節用』(薫志堂、一八九七年二月七日再版)。手のひらサイズの字書である。青木輔清については下記論考を参照していただきたいが、およそ八十点余りの著書があり約三十点の辞書・字典の編著をもつそうだ。

関場武「明治期の辞書・字典 青木輔清の著作から

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本書は『紙入開化節用』と『日本ダイヤモンド』の合本になっている。前者はイロハ引きの国語辞典、後者は画引きの漢和辞典。

《古来節用集ト称スル者数種アリト雖ドモ言語ノ雅俗万物ノ称呼等時ニ従テ変換ナキニ非ズ故ニ今現時専用ノ漢語雅言ヨリ天地人倫魚虫草木等ノ名字ヲ集メ是ヲ十門ニ分チ勉テ捜索ニ易ク携帯ニ便ナラシム》(『紙入開化節用』の凡例より)

『日本ダイヤモンド』は奇抜なタイトルだ。緒言の説明にこうある。

《就中英版ニ(ダイヤモンド)ト称スル最小ノ活字ヲ以テ出版セル字典アリ是字書中最軽便ナル者ニシテ万国挙テ貴重セザル者ナシ》

(ダイヤモンド)ト称スル一粒ノ(ダイヤモンド)石ハヨク一国ヲ購ノアリト此書モ亦一掌中ノ小冊ト雖モ其ヨク一擔書ノ用ヲ為スニ至テハ実ニ編者ノ大幸ナリ

因ニ曰ク英語(ダイヤモンド)ハ世界無二ノ宝石ノ名又極小活字ノ名ニ用ウ蓋シ其形小ニシテ大価アルノ故〓[与+欠]魯帝ノ珍蔵セル(ダイヤモンド)ハ其大サ鳩ノ卵ニ比シク其価六十万円余ナリト

ふりがな(用の小さな活字)をルビ(ルビー)と呼ぶが、それよりも小さい活字がダイヤモンドだった(宝石と活字の関係)。そこから小さな字書を『日本ダイヤモンド』と名付けたというのだ。「ダイヤモンド=超小型字書」を定着させようという試みだったのだろうか。



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by sumus2013 | 2015-03-20 22:02 | 古書日録 | Comments(0)

蒼蠅

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熊谷守一『蒼蠅』(求龍堂、一九七六年二月二八日)。熊谷守一美術館を訪問してからずっとモリカズが気になっている。先日たまたま少し傷んでいるせいかかなり安かったこの本を買って帰って一気読みした。いや、なかなかのクセものである。

熊谷守一美術館
http://sumus.exblog.jp/16509525/

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クマガイ語録では《白いままの紙の方が何か描いたものよりはずっとさっぱりして奇麗です》だとか《いくら気ばって描いたって、そこに本人がいなければ意味がない》とか《わたしは好きで絵を描いているのではないんです。/絵を描くより遊んでいるのが一番楽しいんです。石ころ一つ、紙くず一つでも見ていると、まったくあきることがありません》だとか、共感するところが大いにある。だからといって当然のことながらクマガイのように描けるわけでも描きたいわけでもないが。そういう姿勢でいたいと思う。

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興味を惹いたのは、すっかり忘れていたが、木村定三との関係。二〇〇九年三月だからもう丸六年前になる。シマウマ書房でイベントがあったとき愛知県美術館を訪れた。ここに木村定三のコレクションが収められている。蕪村、玉堂を中心とした江戸絵画から熊谷や小川芋銭、長谷川利行、香月泰男あたりまで、また茶道具や仏教美術も、成金趣味からはほど遠い「違いの分る」目で集めた優れたコレクションだ。

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熊谷はこういうふうに出会いを語っている。

《名古屋の丸善の展覧会のときに、初めて木村定三さんに会いました。木村さんはまだ金ボタンの学生風でしたが、いうことがいいんです。
 六十一歳のわたしを掴まえて「絵が面白いから百枚までは買ってやる。」というんです。今でもつき合っているところをみると、もう百枚以上になるんではないですか。
 このとき木村さんが買ったのは「たんぽぽにひきがえる」、「蟻と蝦蟇」でした。

木村定三コレクション広報誌『拝啓、木村定三さま』(愛知県美術館、二〇一三年)によればこれは熊谷の記憶違いだという。最初に買ったのは上の二点に加えて「富士山に蕃南瓜」の三点だったそうだし、百枚まで買ってやるとは言わなかったらしい。木村定三は大正二年名古屋生まれ、熱田中学から八高を経て東京帝大を卒業、父親の仕事を手伝っていた二十五歳のときにクマガイに出会った。

定三さんは名古屋でも有数の資産家でしたが、資金はほとんど美術品のためだけに使いました。晩年、美術品の数は増える一方で、ついには作品をおさめる蔵が三つも出来ていました。そもそも美術のコレクションは自分が勉強するために買うのであって、もっと高く売って利益をあげるためや、見せびらかして自慢するためではありませんでした。》(『拝啓、木村定三さま』より)

勉強するため……というのもどうなのかな? とは思うが、クマガイの姿勢と木村の姿勢に通じ合うものがあるようだ。結局それは二百十四点のクマガイ作品蒐集という形に結実しているこの小冊子の写真版で見る限りでも木村の鑑識眼は本物だったというのがよく分る。二〇〇三年歿。





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by sumus2013 | 2015-03-19 21:41 | 古書日録 | Comments(0)

北区大火

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一昨日紹介した「号外が絵葉書になるその早さ」という狂句をそのままに証明するような絵葉書を架蔵している。「北区大火」シリーズの二枚。明治四十二年に大阪で「キタの大火」と呼ばれる火事が発生した。その様子を実況するかのような写真で伝えているのがこれらの絵葉書だ。上が「火中の控訴院」。説明文の位置が逆になっているなど、慌てて印刷したという証拠のようだ。下は「大江橋荷物運般実況」。緊張感の伝わるなかなかいいニュース写真だと思う。検索してみると、これと同じシリーズ(スタンプ面が同じ意匠)四種見つかった。

 出入橋付近
 天満空心町火元
 堂島付近
 火中の控訴院[別写真]

他にスタンプ面の図案が異なるものも二種類あった。各社競って発行していたようである。当時は新聞の写真というのがさほど明瞭でなかった時代だからこれらの迫真的な速報写真は飛ぶように売れたのではないだろうか。

時代的にはずっと後だが、阪神地方水害のときにも写真絵葉書が多数発行されている。そららの一部は以前紹介したことがある。

「阪神地方水害」と題された絵葉書
http://sumus.exblog.jp/15387174/


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by sumus2013 | 2015-03-18 20:47 | 古書日録 | Comments(0)

金子國義死去

金子國義死去のニュースが届く。Bunkamura Gallery で「美貌の翼」という個展があったばかりだったので予期していなかった。版画でもいいからオリジナルが欲しいなと思ってはいたが、さすがに手の届く範囲内には転がっていない。絵葉書を取り出して見る。

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金子國義展「不思議の国のアリス」
1999年12月17日〜30日
伊勢丹

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Barbie-chan 1995


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Histoire de l'origine 1995
金子國義展
2011年1月19日〜30日
ギャラリー アクシズ


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愛書狂 Le bibliomane 2003


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Holy Night 2003
"Holy Night" 金子國義展
2003年12月17日〜25日


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La graine d'Adam 2006
アダムの種
2006年1月26日〜27日
Bunkamura Gallery


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Madame Edwarda 2008
魅惑の起源
2008年2月2日〜12日
Bunkamura Gallery


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The Dressing Room
美貌の翼
2015年1月31日〜2月11日
Bunkamura Gallery


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金子國義・富士見ロマン文庫コレクション内容見本





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by sumus2013 | 2015-03-17 21:00 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

号外が

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先日、某書店で均一台を漁ろうとしたら、先客が張り付いており、ちょっと割り込める雰囲気ではなかった。しばらく待てばよかろうと思い直し別の売り台をちょいちょいと覗いていると、扇子ばかりまとめて何十本も放り込んだ段ボール箱があった。ちょうど時間つぶしにいいやと思い、ひとつひとつ開いては扇面の絵を調べたのである。いつもなら面倒なのでそんなことはしない。こういうところに積み上げられている扇子はたいてい印刷か安手の木版画である。肉筆が交じっていても素人の手遊びていど。時間のムダ……ところが余儀なき時間つぶしが役に立つとはこういうことか、そのとき発見したのがこの一本である。

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絵も字も肉筆。しかもかなり流暢な手である。

 号外が
  絵葉書に
    なる
  その
   早さ

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絵も達者ではないか。前書きと落款もある。ただしこれがよく読めない。いつもながらなさけない。

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 宮比連月並
  狂句合巻中抜章
   喜久はたはし免盲評 [印=始]

印は「始」だという御教示をいただいた。たしかに! ということは「はし」と読んでいいようだ。とすると「あ(愛)」かと思ったが、そうではなくて「た(堂)」か? 宮比連についてもほとんど手がかりはないものの、ひとつだけ前田雀郎の事蹟を記したページに《大正三年(一九一四)、十七歳の時、宮比連(狂句)の運座に加わる》とあった。雀郎は阪井久良岐(伎)に師事したので阪井の主宰した連であろうか? また骨の頂と扇面の狂句の頭に「人」とある。後者の「人」は朱印だ。この「人」は評価(天地人の人)ではないかという御教示をいただいた。なるほど、句会などのグループ活動には縁がないので気付かなかったが、それで間違いないだろう。御教示に深謝。

描かれているこの号外配りの出で立ちもすこぶる興味深い。ブルーのストライプの股引と鉢巻。この縞柄が某新聞社のトレードマークでもあったのだろうか。履いているのは地下足袋か。参考までに先日このブログで紹介した新聞配り、その他、画像検索で見つけた新聞売り子の姿をリンクしておく。


『絵画辞典』しんぶんくばり
http://sumus2013.exblog.jp/23561271/

ビゴー作 号外売り
http://roudouundoumeiji.com/rekisi-8.html

『号外売』明治後期
http://www.nikkei.co.jp/events/art/boston_comp_1.html

明治初期の新聞売り
http://homepage1.nifty.com/eagle_dan/photo253.htm





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by sumus2013 | 2015-03-16 21:27 | 雲遅空想美術館 | Comments(4)

古本屋の窓から

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『しんぶん赤旗』二〇一五年三月一六日号掲載、挿絵担当



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by sumus2013 | 2015-03-16 15:39 | 画家=林哲夫 | Comments(0)

狐のだんぶくろ3

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田河水泡『凸凹黒兵衛』(『婦人倶楽部』一九三三年六月号付録)。

『狐のだんぶくろ』の「漫画オンパレード」を読んで腑に落ちた。まず澁澤少年が滝野川中里にいた頃、近所に小野寺秋風という漫画家が住んでいたという話からはじまる。

《小野寺秋風には評判になった連載物もなく、講談社を中心に活躍していた当時の漫画家のなかでは、彼はあまりぱっとした存在ではなかった。「のらくろ」「凸凹黒兵衛」「蛸の八ちゃん」の田河水泡、「冒険ダン吉」の島田啓三、「長靴三銃士」の井元水明、「団子串助漫遊記」の宮尾しげを、「日の丸旗之助」の中島菊夫、「タンク・タンクロー」の阪本牙城、「コグマノコロスケ」の吉本三平、「虎の子トラちゃん」の新関健之介、「カバさん」の芳賀まさを、それに澤井一三郎や倉金良行や帷子(かたびら)ススムや石田英助にくらべても、小野寺秋風はずっと地味な存在だったのではないかと思う。

猫野ニャン子先生 小野寺秋風・画

これらの内小生が架蔵するのは『のらくろ』復刻版を除けばわずかに上の『凸凹黒兵衛』のみ。マンガは専門家にお任せするのがよろしい。なかでも澁澤は「タンク・タンクロー」がいちばん印象深いと言う。

《まあ、「タンク・タンクロー」はナンセンス漫画のはしりみたいなものであろう。あるいは一種のSF漫画と考えてよいかもしれない。当時、つまり昭和十年前後には、それが非常にめずらしかったから、少年の私は強烈な印象を受けたのである。

このくだりを読むと以前このブログで《やっぱり澁澤の好みはメリメよりも誰よりもマンガに親近しているようである》と書いたことの裏付けを得たようで、ついウンウンと頷いてしまう。また黒兵衛についてはこう述べている。

凸凹黒兵衛」は『婦人倶楽部』の別冊付録だったから、私は本屋の前で母にせがんで、よく雑誌を買ってもらったものだ。子どもにせがまれて、読みたくもない雑誌をしぶしぶ買った母親が、当時はずいぶんいたのではなかったろうか。思えば講談社も罪なことをしたものである。

罪なことというか、なかなかの戦略であろう。

昭和二十年四月十三日。年明けからくり返されたB29による東京(および全国主要都市)への空襲がついに澁澤の住んでいた地域にも及んだ。

《晴れた夜空をわがもの顔に低く飛ぶB29は、サーチライトに照らされて銀色に光り、まるで不気味な魚のような感じであった。空襲警報のサイレン、爆弾の音、焼夷弾の音、高射砲の音、ひとびとの叫び声。やがて方々から火の手があがって、夜空は昼のように明るくなった。》

《ここはどうしても逃げるしかない。とはいえ、どっちへ行っても火の海なのである。家々が焼けくずれ、電信柱が燃えあがり、火の粉がもうもうと風に渦巻いている。逃げまどう群衆とともに、私たちもしばらく逃げ場を求めて右往左往した。》

そして山手線のトンネルのなかに逃げ込んだ。そこで一夜を過ごす。

《朝になって、ようやく火勢がおさまったころ、トンネルから外へ出てみて驚いた。見わたすかぎり、まっくろな焦土で、まだぶすぶすと燃えくすぶっている。余燼から立ちのぼる煙のため、ほとんど目をあいていることができない。あたりには灰と異臭がただよって、天日もどんより暗くなるほどである。
「えらいことになったものだ」と十六歳の私はそのとき思った。「こういうことは生きているあいだに、そう何度もぶつかることではあるまい」と。
 それでも、さすがに若かったから、なにもかも灰になってしまったのにはそれほど悲観もせず、むしろ好奇心がむらむらと頭をもたげてくるのをおぼえ、その日、足にまかせて焼け跡をやみくもに歩きまわったのをおぼえている。》

澁澤の描く四月十三から十四日にかけての空襲では330機のB29が東京中を無差別爆撃した。翌十五〜十六日には横浜川崎へと移った。映画「ドイツ青ざめた母」(ヘルマ・ブラームス監督、一九八〇年)は徹底的に破壊されたベルリンの惨状を見事に描写していたが、ドイツでも日本でも米軍は戦争終結をにらんでバクダンの在庫一掃を図ったのである。

このとき目の当たりにした焦土と大好きだったマンガが戦後の澁澤龍彦を形成した、そう小生は思っている。サドへの共感も自ずから納得できるだろう。

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by sumus2013 | 2015-03-15 20:25 | 古書日録 | Comments(0)

狐のだんぶくろ2

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『狐のだんぶくろ』の「帝都をあとに颯爽と」にこういうことが書かれている。

《昭和十五年、小学校六年の私は修学旅行で伊勢、奈良、京都とめぐったが、京都で行ったところといえば、わずかに平安神宮、建勲神社、豊国神社だけである。お寺には、ぜんぜん足をはこばなかった。これはなぜかというと、当時の小学校の皇国史観にもとづく教育方針で、神社というものを優先させていたからなのである。建勲神社は織田信長、豊国神社は豊臣秀吉をそれぞれ祀った神社で、彼らは朝廷に忠勤をつくした人物と見なされていたから、とくに小学生をそこへ連れて行ったのだろうと思われる。》

このくだりを読んで某書店で求めた上の写真を思い出した。鳥居を背景にした中学生(?)のたぶん修学旅行の記念撮影。別の神社の写真もあったのだが、この写真を選んだ理由は向かって右手の石柱に「橿原神…」と読み取れたからである。

昭和十五年といえば紀元二千六百年に当たる。各地で奉祝式典が行われ、橿原神宮へは昭和天皇の行幸があった。澁澤には京都の思い出しかないようだが、奈良へも行ったのだから、まず間違いなく橿原神宮も訪れたであろう。橿原神宮は神武天皇を祀る畝傍橿原宮があったとされる土地(奈良県橿原市久米町)に官幣大社として明治二十三年に創建されている。また澁澤の挙げた建勲神社は明治二年創建だし、廃絶されていた豊国神社が別格官幣大社に列したのは明治六年、平安神宮は言うまでもなく明治二十八年の平安遷都千百年にちなんで桓武天皇を祀る神社として創建されている。要するに澁澤少年が経巡った京都の神社はいずれも近代において造営された、というところに意味があるのだろう。

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もうひとつ。「滝野川中里付近」というエッセイでは祖母の使った言葉を取り上げている。澁澤の覚えている言葉をリストアップした。右側が祖母の言い方。

 醤油    オシタヂ(お下地) 
 お新香   おこうこう
 襖     カラカミ(唐紙)
 オニギリ  オムスビ
 陶器    セトモノ(瀬戸物)
 御飯    ゴゼン(御膳)
 便所    オチョーズバ(お手水場)
 うるさい  やかましい

オチョーズバで思い出したのだが、小生の母は便所のことをゴフジョウ(御不浄)と言っていた。また父のよく使う言葉を西鶴の何かの物語(今すぐ思い出せないのが残念)の中に見つけたときには驚いた。しかもそこには信長時代に流行ったと書いてあったのだ。西鶴の時代にすでに死語だったものが讃岐の片田舎で数百年後まで生き残っていたのである。

私はここで価値判断は一切抜きにして、ただ自分の子どものころの、いまではあまり使われなくなった言葉を思い出しているにすぎないので、どっちがいいの、どっちが悪いのといった話ではないのである。》

と澁澤は書いているのだが、「私の日本橋」というエッセイでは、祖母が「たいそう」という言葉をよく使ったことを例に挙げて

《今の若いひとは「とても」などと言うが、私はこの品のいい「たいそう」を、もう一度ぜひ復活させたいと思う。》

と価値判断をはっきり示している。ついでながら〈とても〉という言葉は澁澤が言うように最近では「非常に」という意味で使われることが多いようだ。しかし本来は「どうせ、どうしても、とかくして、とうてい」というような意味であって、〈とてもかうても〉〈とてもかくても〉〈とてものことにのように「いずれにしても、どうしてもこうしても、いっそのこと」という使い方もある。現在なら「とても〜できない」というのが本来のとても〉の用法だろう。みんなが使えば怖くない一例だ。そういう言葉がとても多い。






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by sumus2013 | 2015-03-14 21:05 | 古書日録 | Comments(2)

狐のだんぶくろ

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澁澤龍彦『狐のだんぶくろ わたしの少年時代』(潮出版社、一九八三年一一月五日、装幀=野中ユリ)。このブログで《無理して買うこともない、いずれ手に入るだろう》と書いたのが早いものでちょうど一年前だ。いずれ……で一年かかったわけだが、古本探しとしては案外短時間で見つかったナという感触である。もちろんネットを使えばすぐにでも手に入る。しかしそれでは面白くもなんともない。ある日、意外な場所で遭遇し、じゃあウチにくるかい? みたいな出会いを待っていた。その通りになった。

タイトルの「狐のだんぶくろ」は澁澤が子供の頃に聞覚えた童謡の歌詞から。

 狐のだんぶくろ 見つけた
 山の夕立 降りやんだ
 赤いお日さま 薮にさす
 つくつくぼうしは 枝の上

中山晋平『童謡小曲集』第二集(山野楽器、一九二二年)に百田宗治作詞の「狐のだんぶくろ」という曲が入っているようだが、それに該当するのかどうかは、本書の後書きでも触れられていない。「だんぶくろ」というのは元来は木綿の袋(駄荷袋)を指したようだが、幕末になって西洋式の軍服が採用されたとき上着のことを「筒袖」、ズボンのことを「段袋」と称した。

ただ、本書で澁澤は狐のだんぶくろ」をキツネノチャンブクロ(ムラサキケマン)あるいはキツネノチャブクロ(ホコリタケ)、歌詞の内容からみて後者ではないかと推測している。なお『牧野新日本植物図鑑』(一九七四年二十八版)にはこみかんそう(きつねのちゃぶくろ)という項目があり《小蜜柑草は果実の小型のミカンに見立て、また狐の茶袋も果実の形からきた》としてある。たしかに上の歌詞からするとキノコの方が似つかわしいだろう。

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別丁扉


いろいろ引用したいところがあるので何回かに分けようと思う。まずは古本屋の記憶から。

《たしか昭和二十二年の秋だったか、私がこの本を神田の古本屋で手に入れてきて、いざ読もうとすると、ページのあいだから、ぱらりと落ちたものがあった。なんだろうと思って見ると、それは古びて紙の色も黄色くなった、昭和六年発行の三省堂のPR雑誌 THE ECHO だった。タブロイド版四ページの新聞で、なかなかモダンなレイアウトである。》

『エコー』が挟んであった本は『世界大都会尖端ジャズ文学』(春陽堂)の一冊「モンパリ変奏曲・カジノ」。小生架蔵の『エコー』はA5判だが、昭和六年にはタブロイド版だったのか。

《戦前から戦後、そしてオリンピック以後の現在へかけて、有楽町の駅も変貌に変貌を重ねたような気がする。たとえば戦後の一時期、銀座方面への出口のまん前に、かなり間口のひろい一軒の古本屋があったことを私はおぼえているが、こんなことが今どき信じられようか。》

《あれは私が浦和の旧制高校にいたころだから、たしか昭和二十一年だと思うが、あるとき、私は友だち二人とともに、数十冊の本をかついで銀座へ売りに行ったことがある。友だちの父が蔵書家だったので、その書斎からこっそり本を持ち出したわけだ。有楽町のガードの下にゴザを敷いて古本をならべている露店商に、私たちは本を売って金を手に入れると、さっそく東劇でフランス映画を観た。たしか「商船テナシチー」だったと思う。それから東劇の前の川でボートに乗って遊んだ。もちろん、今は川はない。》

昭和二十二年、銀座の古本市については以前のブログに写真を掲載した。たしかに川があった。

汐留川沿いの露天古本市
http://sumus.exblog.jp/17749681/

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by sumus2013 | 2015-03-13 20:41 | 古書日録 | Comments(0)

澁澤龍彦展

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泉鏡花記念館
http://www.kanazawa-museum.jp/kyoka/index2.html


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by sumus2013 | 2015-03-13 19:19 | もよおしいろいろ | Comments(0)