林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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親なき家の片づけ日記

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2015年1月30日発行

著者 島利栄子
写真 柳原一徳
装幀 林 哲夫

発行所 みずのわ出版
http://www.mizunowa.com

232×190mm


《父が平成十六年、母が翌十七年に亡くなった。共に満八十六歳だった。それからもう少しで十年がたとうとしている。自分にとってこの十年間は何だったのだろう。
 両親が暮らしていた家で親の遺品と向かい合いながら、どうしようどうしようと片づけに悶々としつつ、自分を確認した歳月だったように思う。千葉県八千代市から長野県筑摩郡筑北村坂北まで、月一回、帰省する時間を作るのは、意外と大変だった。
 が、帰らないではいられなかった。自分にとってどうしても大事なことであり、避けては通れないことだった。親とは? 故郷とは? そして自分自身は何物なのか、結局は自分探しになってしまう。が、そんな時間がとても大事なものに思われた。》(序章より)

う〜ん、誰もが通る道だが、たしかに親の家を片付けるのは大仕事だった。島さんは昭和十九年生まれ、小生より十一歳上。この日記がちょうど十年前の記録だとすれば、ほぼ同じ年代に両親を亡くしたわけだ。他人事ではない。これから、という方々にはぜひお勧めしておきたい一冊である。

判型を見てもらえばわかるように片付け日記だけでなくプラス写真集にもなっており(本文写真はほぼすべてカラー)、そうなるとかえって表紙にどの写真を使うべきか迷ってしまった。面白い室内写真も多かったのだが、やはり書店の店頭に並ぶのだからデザイン的に目をひくものにしたい。その上に「片付け」という内容を表現した写真であって欲しい……となると限られて来る。半日悩んで(あまり悩まないタイプなので半日はかなり悩んだことになる)この食器棚にした。著者の島さんには「これしかない」と言ってもらえてひと安心。

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表紙は常套手段、モノクロ写真全面展開。この一枚も表紙候補だった。ちょっと地味すぎるかなと思って選ばなかった。窓のあたりの何気ない雰囲気が好きなのだが。

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母上の日記帳がこんなに残されていた。


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坂北は風光明媚なところである。

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年中行事の記念写真なども整理されており、単なる「片付け」日記ではなく信州坂北の歳時記というふうにも読めるだろう。



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by sumus2013 | 2015-01-13 21:45 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

風狂の人・関口良雄氏

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『古本屋』第2号(青木文庫、一九八六年五月)。ヨゾラ舎で八月に創刊号を購めたのだが、そのとき二号もあって、それも買おうかどうか迷った、ということで先日の訪問で購入。やはり尾上蒐文洞から今木敏次(古書さろん天地)宛の献呈署名入り。

『古本屋』創刊号

本号には小林静生「風狂の人・関口良雄氏」が収められている(前回はこの記事に気付かなかった、気付いていればこちらを先に買ったはず)。

『風狂の人・山王書房店主関口良雄』

小林氏による追悼文である。関口の熱っぽさ(「おしゃべり」ということ)に圧倒されたというくだりにその口調が活写されている。見事。

《「小林さん、解ってくれるかね。すごい、小林さんは詩人だ。もう少し聴いてくれるかね。今日は特に口の廻りが好い。いやどうも、どこまで話をしたかね、ハッハッハ。どうも困ったもんだ。その看板の話だがね。この前東横線のある駅でね、あの例の線路の所にある看板でね。"ホネツギ"ってのがあったんだね、"ホネツギ"、こりゃ傑作だね、一挙に江戸時代だ。続いて又看板の話だがね。ウチでも"古本高価買入"と書いてもらったんだが、どうも気になってね。道路の向側へ行ってしばらく眺めていたんだ。ところが"高価"という字が妙に胸にささってくるんだね。翌日もしばらく眺めたんだが、ますますどうもしっくり来ない。そこで看板屋を呼んで"高価"の二字を"誠実"と書き直してもらった訳だ。これでやっと落着いたと思っていたんだが、二、三日すると、これが又どうも腹にキチンとおさまらないんだね。考え込むと"高価"よりも"誠実"の方が余計ひっかかってね。そこで又看板屋を呼んで全部塗り替えてもらって、いっそのこと、何も書かないで置こうかと思ったが、それじゃ看板屋が可哀想だから、まあ"古書"とだけ書いてもらったという訳です。いや、ほんとの話です。驚いていたのは看板屋や家族の者ではなく、近所の人達でした。」》

このとき小林と同行していた文雅堂・高橋太一が後で小林に耳打ちした。

《「山王さんの話はうまいだろう。今日は君と始めてだからサービスしたんだ。しかし気をつけないといけない。半分位は創作だからー」》

この後も関口の風狂ぶりについての回想が続くが、傑作なのはこの関口のマシンガントークが遅れをとった事件。市川の同業者中林保雄の通夜の帰りに関口が思い出として語ったそうだ。その二年前、中林としゃべりたくて店を訪れたことがあった。

《丁度好い具合に当人が店番しておられた。奥さんが美味しいお茶を入れて下さり、一通りの挨拶が済んで、さあこれから積る話を始めようとしたら、間一髪、向うの方が早かった。チャンとお見通しだ。それから何時になっても中林さんの話が止まらない。チョットのスキもないんだ。これには参ったね。小林さん。大体、お客さんの話を聴くと云うのが礼儀と云うもんじゃないかね。それで仕方がないから棚の反対側に身を隠していつ終るかとじっと我慢していた。しかしテキも偉いもんだね。棚のスキ間から、どうしているかと覗き見したら、手紙か何んかを書きながら話し続けているんだね。これには参ったね、ほんとに参ったーー。》

小林が『群島』(山王書房、一九七〇年。尾崎一雄、上林暁、木山捷平、関口、山高登の合同句集)から引用している関口の俳句をひとつ。

 きさらぎや古書買う人のしづかなる

ついでに書いておけば、中野智之さんに『東京古書組合五十年史』の続編を担当して欲しいと言ったのは小林氏である。五十年史を編集したのが小林氏であった。



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by sumus2013 | 2015-01-13 21:43 | 古書日録 | Comments(0)

藝術写眞合本2

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『芸術写真』合本の巻頭に置かれている作品。この雑誌の英文タイトルが「THE PICTORIAL PHOTOGRAHPHY」となっているように「芸術」写真ではなく「絵画」写真と訳すべきもので、その絵画的という言葉通り、十九世紀終り頃から二十世紀初頭にかけて世界中で流行した絵画を模倣した効果(簡単に言えばピンボケ)をねらった作品群を指す。上の写真(作者名欠落)なども印象派風のようでもあり日本画(四条派)風でもある。

少し前になるがそんな無名写真家のアルバムを取り上げたこともあった。だいたいこの雑誌と同じ時期、大正時代だろうと思われる。

Album

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富永三吉「風の日」


「文壇のカメラ党」という記事がある。『サンデー毎日』からの転載。

《文壇に於ける写真の流行はすばらしいもので、カメラを手にする作家はと云ふと、永井荷風、里見弴、宇野浩二、久米正雄、谷崎潤一郎、近松秋江、南部修太郎、田中純、長田幹彦、長田秀雄、三島章道、吉田絃二郎、宮原晃一郎、小山内薫等と挙げて来るとなかなか容易につきさうも無い。》

《写真に於ても名人は里見弴である嘗て三越に於ける俳優画家文士の写真展覧会に出品した眠つてゐる子供を撮影した印画の如きは、流石に疊の目の細いデテールまでも注意した所、レンズの冴えと、その手腕の凡ならざるを思はせるに十分である。しかも印画の高い調子と落付いた気品とは流石に里見弴は写真に於ても名人である。》

《久米正雄は写真を旅行中のスケツチに代へてゐる。旅行中のスケツチを脳裡に深く納めるよりもカメラに収めて来ると云ふことをやつてゐる。長田秀雄は写真をやつたことに於て、脚本を書く上の舞台面に利するところが多かつたと云つてゐる。これ等は文壇に於ける写真の流行が単に趣味ばかりでなく芸術的にならうとしてゐる。[ママ]実証と見て差支無いであらう》

ま、そんな高尚な方面ばかりでなく、たしか永井荷風は女性の裸を楽しむために写真を撮っていたようだが、大浦孝秋「裸体写真の取締に就て」という論評が面白い。

《何処までが卑猥で何処までが卑猥でないかの区別が見る人の眼に依り多少の差違の免れ難い処で又問題として争はれる点である。本雑誌の口絵も何時か問題にされたことがあると聞いて居るが、私は一日府の特別高等警察課を訪ふて時の課長加々美警視に意見を叩いたことがあるが警察としてこれを決してハツキリと区別して理論的に説明は能きないのである。》

続いて末弘法学博士が取り上げていた(初出『東京日日新聞』)イタリアからボツチツチエリーの「春」の複製画を持ち込もうとして税関で猥褻とみなされて没収された事件について説明があり、さらにこういう事例も取り上げている。

《大体に於て現在の日本警察官は絵画に対しては相当寛大で写真に対しては極めて厳格であると言ひ得やう。例へば去月大阪小品陳列所の開かれた仏国美術展のロダンの書いた裸体女のスケツチが五点出て居るこれを誰れが見たつて芸術品とは受け取れやうかその中の一つは女が正面向きに股を開いてつくぼつて居て局部までが露骨に書き現はされて居るのである。いくらロダンが天下の大芸術家であつて其の作品が珍重されるにしてもこれは余りだと観るものをして眉をひそまさしめる其れでも平気で出品を許し誰れにでも見せて居るではないか》

《若し吾々が斯くの如き形態を写し出さうものなら其れこそ大変風俗紊乱の廉で大眼玉を頂戴しなければならない筋合であることは大丈夫間違ひなしである。》

《猥褻とは殊更らに男女の局部を見せんとし、或は男女交接の実態を描写したものを指すのであつて、裸体を以て直ちに猥褻なりと断定したがる馬鹿気た、非常識極まる警察官は世界中日本だけである前月号にも裸体の写禍が本誌に報道されて居たがあんな事でビクビクする必要はない。吾々は真面目に肉体美を貴びこれを写真に依つてよりよく発揮し観賞せんとする行為に何者の防[ママ]げも受けない筈で恐るゝ処なく大胆に撮影して可なりである。》

これはなかなか大胆な意見だ。芸術至上主義的ではあってもこの時代としては過激だと思える。大正十年頃のひとつの考え方として留意しておいてもいいだろう。ただし、明治維新以降、それまでの裸体に対する日本人の寛容な態度が、五十年程で、うってかわってここまで狭量になっていたというのも文明開化のたまものだと言えば言えよう。

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紫明「夏のスケツチ」より

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by sumus2013 | 2015-01-12 20:40 | 古書日録 | Comments(2)

藝術写眞合本

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『芸術写真(藝術写眞)』という雑誌が大正時代に大阪から出ていた。daily-sumus で一度上田写真機店のことにチラッと触れたことがあったが、その上田竹翁が発行していたのがこの写真雑誌である。

『最新写真機』(上田写真機店、一九二〇年)
http://sumus.exblog.jp/8065261/

中之島図書館に合本(?)が所蔵されているようだが、国会図書館にはない(ただし中之島図書館はリニューアルのため三月末まで休館とのこと)。似たような名前で福原信三の『写真芸術』があるだけ(『芸術写真』がわずかに先行とか)。

ここに掲げた『芸術写真』も合本。ノンブルの相違から五冊らしいが、何号と何号なのか分らない上に記事は抜粋である。巻末だけ奥付が残されている。売れ残りの雑誌をバラして合本にしたのかなとも思われる。

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編輯人の箸尾文雄は竹翁上田寅之助(箸尾寅之助)の次男である。発行人の不動健治は写真家。後に同盟通信の従軍記者として南京虐殺の写真を撮った数少ない写真家として知られている。発行所住所の大阪市西区江之子島にはかつて大阪市役所(1889〜1912)があったし、川口居留地にも隣接している。

《1899年に居留地制度は廃止されるが、大正時代末まで周辺一帯は大阪の行政の中心であり大阪初の電信局、洋食店、中華料理店、カフェができ、様々な工業製品や嗜好品がここから大阪市内に広まるなど、文明開化・近代化の象徴であった。》(ウィキ「旧川口居留地」)

写真雑誌もやはり近代化の象徴には違いなかろう。本書の読者投稿欄につぎのように書かれているのが目に留まった。

《近頃写真と云ふ事が大流行で何処へ行つても写真機を持つてる人計りそれに今迄此の写真に対する理想的雑誌といふものが見なかつた何だか物足らない感じがしてならなかつた所が今度此の芸術写真が出来て写真家に多大の有益な研究材料や趣味ある文に満足を与へ呉れた実に祝福すべき事で有る愛読者諸君の益々上達発展と御交際を祈る終り乍ら記者御一同様の御壮健と益々誌の発展を祈る/東京日本橋 登志蠑》

ベタボメはなんとなくサクラかなという気がしないではないが、いずれにせよ大正時代の写真ブームはかなり熱かったようである。その証拠写真がこちら「関西写真撮影大会」に集まった「カメラ狂連」。大正十一年である。幟は写真クラブの名前。

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by sumus2013 | 2015-01-11 21:17 | 古書日録 | Comments(2)

特異点 第一号

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文=さかたきよこ、絵=タダジュン『特異点』第一号(二〇一四年一二月七日)。詩画集。タダジュンさんのおおらかで不気味な雰囲気とさかたさんのシュールっぽい詩がよく似合っている。

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タテ182ミリ、本文16頁。紙の選び方からレイアウトまでピタリと決まった雑誌(でしょうね? 第一号なのだから)。たぶんポポタムで入手できるのではないだろうか。

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by sumus2013 | 2015-01-11 20:33 | おすすめ本棚 | Comments(0)

築添正生 展

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築添正生 展

2015年1月12日(月 祝)~ 17日(土)

pm12:00~6:30

12日 17:00~18:30 ワインパーティがあります。

ギャルリ・プス

〒104ー0061

東京都中央区銀座5-14-16 銀座アビタシオン201

TEL:03-5565-3870

pm12:00~6:30 (日曜休廊)


ぶろぐ・とふん


築添正生さんのこと

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by sumus2013 | 2015-01-11 13:46 | もよおしいろいろ | Comments(0)

中之島図書館

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やっと初詣、すなわち古書店巡り。昨年末とたいして変っていない店もあれば、かなり内容が増えている店もあった。このちょっと珍しいかもと思った絵葉書は某堂の店頭、ではなく店内にて(店内でも安かったです)。「大阪中之島図書館」。右端に少し見えているは大阪市立公会堂。これは大正二年に移転するまでここにあったそうだ。その跡地には現存する中之島公会堂が建設された。

大阪市中央公会堂(中之島公会堂)
http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-186.html

中之島図書館(http://sumus.exblog.jp/7814876/)は明治三十七年に完成しているので、おそらくその直後あたりの写真ではないだろうか(葉書の年代は不明)。今、大阪市役所が建っている場所がガランとして、小舟の添景といい、いかにものんびりした雰囲気である。

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梁山泊で『書砦・梁山泊 月例読書会』(
書砦・梁山泊、二〇一四年一一月二五日)を無事入手。巻頭は松尾先生、石神井書林の内堀さん、山崎書店の山崎さん、厚生書店さん(梁山泊に勤めておられたそうだ)などの方々が執筆。読書会前史として講演会などのアルバムがあり、そして読書会で取り上げられた本がすべてカラーで紹介されている。山崎さんは「本が美術館を占拠した話」と題して二〇〇七年に芦屋市立美術博物館で開催された古本市のことをロードス書房大安さんの追悼を込めて回想している。このとき小生も本の絵を二点出品させてもらったので今でも記憶に鮮やかに残るイベントだ(よく見るとここに掲載されている会場写真は小生が撮ったものですね、無断掲載許します)。

芦屋市立美術博物館への搬入
http://sumus.exblog.jp/7733922/

モダニズムと装幀
http://sumus.exblog.jp/7741838/

山崎さんは芦屋の会場までの地図を作ることを提案した。しかし展示の仕事で忙しくて地図作りを放棄しそうになった。

《「時間がないので地図はできそうにない」
と大安氏に弱音を吐いてしまいました。彼はたった一言、冷淡に、
「徹夜したら」
と。ムカッときましたが、そのおかげで出来上がりました。
大安榮晃さん。人生のある一年間をこんな展覧会に費やしたこともなにかの因果と諦めるほかありませんが、これほど苦しい仕事は、私は二度としません。今後は「本とはなにか?」をひとり静かに問い続けたいと思っています。》

「徹夜したら」というクールな大安さんの声が聴こえるようだ。

***

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梁山泊から北上、アスタルテ書房開店を確認して久しぶりでヨゾラ舎まで足を伸ばす。ニューオリンズに一年間住んでいたという話。ヴィザをもらうのにひどく苦労したそうだ。イラストレーターのナカガワ暢さんが来られて店主に紹介される。京都の古本まつりのチラシなどに素敵なイラストを描いておられる女性。ヨゾラ舎さんのハガキなども彼女の作である。

ゆっくりながら棚も古本屋らしくなってきている。けんじ堂さんのコーナーも出来ており、今は江戸川乱歩関連書がズラリ。CDラックの方もびっしり詰まって、こっちが専門なのだから頑張ってもらいましょう。

ヨゾラ舎通信
http://d.hatena.ne.jp/YOZORASHA/




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by sumus2013 | 2015-01-10 21:49 | 古書日録 | Comments(2)

NRF装幀

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新潮文庫がNRFの装幀にヒントを得ているとコメント欄に書いて、あれ? 実際どうだったかなと心配になって貧しい文庫棚を探してみた。古い新潮文庫がほとんどない。かろうじて見つけたのがこちら『林芙美子傑作集』(新潮文庫、一九五二年三月三一日五刷、初版は一九五一年)。戦後は昭和二十二年七月発行の川端康成『雪国』が最初の作品だから五年も後の本だ。たしか以前持っていた戦後直ぐに出た版は紙質がもっと悪かったような気がする。デザインは山名文夫と思うが、NRFに似ていながら、より優美な雰囲気で仕上げている。

折戸彫夫の詩集はこんな感じ。

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『虚無と白鳥』ウルトラ編集所、一九二八年


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『化粧室と潜航艇』ウルトラ編集所、一九二九年

黒の囲みケイが効いている。これがNRFとの類似を強めているようだ。新潮文庫は囲みケイをすべて赤茶にしたことで印象がかなり穏やかになった。



***

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今日届いた『さんちか古書大即売会』(二〇一五年一月二二日〜二七日)の目録に今話題沸騰の『シャーリー・エブド』とその前身『アラキリ・エブド(レブド・アラキリ)』がどっさり百冊出品されていてビックリ(口笛文庫)。あまりにタイムリーではないか。当ブログでも『バター皿』というそれらの元祖と言うべき雑誌を紹介したばかりではあるが…これには驚いた。

アラキリ(ハラキリ)

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by sumus2013 | 2015-01-09 20:51 | 古書日録 | Comments(0)

越谷小説集

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野口冨士男『越谷小説集』(越谷市立図書館野口冨士男文庫運営委員会、二〇一四年一一月二二日)を昨年末に頂戴した。いつも珍品を送ってくださる某氏からである。まだ出たばかりなのにブックオフの均一に並んでいたのだとか。

野口冨士男は一時期、凝って読んでいたのでした。カバーの写真、奥付に撮影者の名前は出ているのですが具体的な日時や場所の説明はないようです。左は元荒川か大落古利根川か、(水だと思います)かなり場所が限定できるのではとも思って地図をみてみましたがわかりませんでした。

越谷には妻直子の実家があり、戦争のため東京に住めなくなった昭和二十年から二十二年まで野口一家はここで暮らした。越谷を舞台にした小説が七篇と短いエッセイが一篇収められている。

《野口さんに"越谷小説集"というまとめの概念はなかったと思う。しかし野口さんには越谷で得た作品とよびたい集りがあるから、それを編んでみたいという願いが野口冨士男文庫運営委員会の皆の中にあった。越谷市に自分の文学の全資料を寄贈する考えは野口さんの中に最晩年、越谷出身の妻直子へのせめてもの贈物としても考えられており、越谷市との間で契約が結ばれて野口冨士男文庫ができた。

と「解説」で坂上弘は書いている。

小生も越谷には多少のゆかりがある。祖母の弟ともうひとり別の兄弟の息子が越谷におり、武蔵野美術大学に入ったばかりの頃には、大学のある小平から西国分寺へ出てそこから旅客線として開通(一九七三)して間もない武蔵野線で越谷(新越谷)まで毎月のように通っていた。野口の描く越谷は自然に恵まれた人間関係の濃密な地方都市であるが、小生の知っている越谷はまさに新興住宅地だった。大叔父は東武鉄道に勤めており、若い方の「越谷のおじさん」は東京の大手企業に勤めていた。若おじさんには子供がなく、とくに可愛がってくれたが、残念なことにそれから間もなく若くして(おそらく五十代)亡くなった。山口瞳のサラリーマン小説に出て来そうな風貌であり話し振りだったのが田舎出の小生にはたいへん面白く感じられてそのおじさんが好きだった。

野口の越谷小説のなかでは、犬を飼うという描写から始まる、妻の父親をモデルとした「死んだ川」がいいと思った。昭和三十二年に『群像』に発表された作品。主人公は少年時代から南画家の師匠宅に住み込んで自らも南画家となるが、南画が下火になったこともあって大家族を養うため突然歯科医師に転身してしまう。しかし当然ながら終生絵筆に執着をもっていた。その姿を子供の目から描いている。やや効果を狙ったあざとさがなきにしもあらずながら、小説の結構ができている。

野口については『わが荷風』や『私のなかの東京』でしか知らなかった。小説は初めて読んだような気がする(講談社文芸文庫に二冊、また小説全集も出ているのだが)。正直、エッセイの方が数段いい。例えば本書に収められた別の小説「薄ひざし」という作品では《ある日杉野は散歩に出て、町のあちらこちらにある看板以外の貼札、貼紙、引札などの類を片っぱしから書き取れるだけ写し取ってきた。》とあって、その写し取った文面がズラズラズラと引用されている。二頁半にわたって。実験小説の手法かと思わせられるほどだ。何の意味もないそんなモデルノロジオ的な行為にふけるところに敗戦後の虚脱が表現されているというココロのようである。新味はあるが、小説作品として考えた場合、不消化を感じる。随筆として生かす方法があったのかもしれないし、そういう即物的なリアリズムが文学研究の方に適っていたとも思える。

そういうことが分っただけでも野口の小説をゆっくり読んだ収穫である。年表と著作目録が備えられているのも参考になった。


***

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キトラ文庫の古書目録『莢』8号(二〇一五年一月五日)が届く。今回はエッセイが五篇掲載されている。細見和之、高啓、森本恵一朗、中尾務、加納成治。キトラさん調子が戻って来た(『coto』が終刊してから少しさびしかったので)。加納さんはロードスさんのことを書いている。先日訪ねたとき、なかなか思うように書けないと言っていた。しかし、いつもの加納さんらしくない引き締まった文体でグイグイ引き込まれる追悼文になっている。それだけロードスさんを喪った哀しみが深かったのだとあらためて感じさせられた。

目録の方では詩集コーナーが凄いです。あれもこれも注文したい…が、いやいや待てよ、とブレーキを踏むことしきり。

キトラ文庫


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by sumus2013 | 2015-01-08 21:03 | 古書日録 | Comments(2)

乾杯 他四篇

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柏倉先生より『ユリイカ』誌上で始まったマラルメ詩の新訳連載を送っていただいた。深謝いたします。最初の頁だけかかげておく。

「乾杯 SALUT」が斜体字になっているのは『マラルメ詩集』にならったものと思う。架蔵の『マラルメ詩集』(一九一四年七版、この初版は一九一三年で歿後すぐに刊行された一八九九年版に基く)では巻頭に置かれ、本文より小さめの活字で組まれている。サリューは挨拶の言葉でもある。ただ初めはまさに「トースト」と題されていたようで、実際に宴会でマラルメが「カンパイ」の音頭をとったときの情景を描いたらしい。泡とあるのはシャンパンの泡だという説もあるそうだ。とにかく文学の海を行く人魚(詩人)たちにあいさつを送る詩である。「帆の白き悩み」とあるところ原文は「Le blanc souci de notre toile」で toile は画布(キャンヴァス)の意味もあるが、おそらく詩作を始める前の白紙のイメージではないかなと思ったりする。

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架蔵のマラルメ詩集『STÉPHANE MALLARMÉ POÉSIES』(NOUVELLE REVUE FRANÇAISE, 1914)は第七版。初版ではないものの第六版までは一九一三年中に出ているから、単純に考えてかなり売れ足の良かった本であろう。フランスの古書サイトでもそこそこいい値段が付いている。ただ、これが特別なのは山田珠樹旧蔵書だということだ。

山田珠樹旧蔵書

「SALUT」のページはこのように組まれている。

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「不運」のページと較べると挨拶の感じがよく分る。

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後記で柏倉先生はこう書いておられる。

《これまでも多くの詩、とくにフランス語の詩を翻訳してきたが、翻訳では詩人が詩句にこめた意味は伝えられても、詩がもつ音韻の効果は伝えるべくもない。象形文字である漢字と、音をあらわす仮名を併用する私たちの言語とは違い、アルファベット二六文字の組み合わせで書かれた欧文の詩は、本来、耳で聴いて理解するものである。意味の伝達を主眼とする散文はさておき、詩を日本語に移すことにどんな意味があるか。詩を翻訳するたびに、いつもこうした後ろめたさにつきまとわれてきた。今度それをおして敢えて翻訳をこころみたのは、長年のマラルメ研究に決着をつける気持からである。》

これまでもこの問題はしばしば取り上げたが、たしかに詩の翻訳は不可能に近いと思う。音の調子の良さを重視すれば意訳というか誤訳に陥るし、語句の直訳では解説になってしまう。和歌のようにひらがなだけを使って音数も同じ脚韻も踏むというような翻訳をしたとしても(まず無理だとは思うが)、それでうまく訳したことになるのか……。音楽に喩えて、原曲をどう演奏するかという問題に置き換えて考えてみると、それならば、どのように演奏してもさしつかえないような気もしてくる。原曲そのものよりも演奏の方が問題になるわけだ。別の曲に聴こえてしまってはまずいだろうが、演奏のうつくしさで勝負するしかないのかもしれない。

次回以降も楽しみにしております。下記に単語インデックスあり。

Top-Index des mots des poésies de Stéphane Mallarmé

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by sumus2013 | 2015-01-07 21:43 | 古書日録 | Comments(6)