林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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日本地理辞典2

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『日本地理辞典』に挟み込まれていた岩手無尽株式会社のパンフレット。前身は岩手無尽合資会社(大正四年設立)で、大正九年に株式会社、昭和十六年に興南無尽株式会社を買収して岩手興産無尽株式会社となり、現在の北日本銀行へつながっているようだ。


『日本地理辞典』をずっとめくっていると地理辞典というよりも観光案内の性格が強いのかもしれないと思ってしまう。その理由のひとつが写真の多用である。多くは神社仏閣なのだが、都市の景観や風俗なども折々に挿入されていて大いに興味をそそられる。論より証拠、いくつか引用してみよう。

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足尾銅山の道路鉄橋古河橋
http://tabija.com/世界遺産登録をめざす銅山遺跡「蘇るか足尾銅山-2/
田中正造が天皇に直訴したのが明治三十四年十二月、本書刊行のおよそ五年前になる。大事件だったので写真掲載となったのだろう。同じように日清日露の戦場、鴨緑江だとか旅順口なども写真入りで詳しく紹介されている(「付録清韓地理辞典」)。

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大阪の天満橋。明治十八年の大洪水で木造橋が流されたため鉄橋に架け替えられた。


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こちらはお江戸日本橋。明治三十一年落成。明治四十四年に現在の石造橋が出来る前の姿。

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高松港。これが昨年紹介した中桐絢海の観楓日記に登場する高松港に割合と近いかもしれない。http://sumus2013.exblog.jp/23456305/
(『観楓日記』に高松港、箕面の瀧、通天橋、中之島公園の写真を本書より追加しました。左欄外カテゴリ「うどん県あれこれ」をクリックしてください)

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高松港がしょぼいのは分ったが、横浜港もそんなに大きな違いはない(?)

地方風俗としてはアイヌも写真入りで紹介されているし、沖縄婦人と台湾生蕃婦人の写真が出ている。韓国がまだ外地扱いなのに対して台湾は日本領土として本編で紹介する。清国からの割譲が明治二十八年だから以来十年は経ているわけだ(清国と韓国については上述「付録清韓地理辞典」を収載)

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沖縄婦人

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台湾生蕃婦人


なお本書は某氏にお借りしているもの。某氏いわく今治町が「いまはるまち」となっているのはどうして? 分りません。今治藩時代から「いまばり」のようだが。

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他にも台湾の地名で台北(Taipei)が「だいほく」台中(Taichung)が「だいちゅー」台南(Tainan)が「だいなん」となっている。ただし台湾(Taiwan)は「たいわん」。「台湾」についてのウィキを読むとその語源についてこう書かれていた。

台湾の語源は不明確で、原住民の言語の「Tayouan(ダイオワン)」(来訪者の意)という言葉の音訳とも、》《大員(現・台南)が ダイワンと呼ばれており、そこにオランダ人が最初に入植したためとも見られている。いずれにしても原住民の言葉が起源と見られ、漢語には由来していない。

最新の研究に基づくというのはひょっとしてこういう事なのかも知れない。百年前の日本と周辺国がこの一冊に詰まっていると思えるような貴重な辞典である。





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by sumus2013 | 2015-01-25 21:28 | 古書日録 | Comments(0)

日本地理辞典

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郁文舎編輯所編『日本地理辞典』(郁文舎、一九〇六年九月一五日)。凡例にいわく

《本書は、日本地理に関し、実用と趣味とを兼備へて、学者のためには、斯学の指針たるべく、顧問たるべく、一般の士女に対しては、地誌上の指導たるべく、はた、案内記たるべく、その旅行と閑居とを問はず、既知と未知とに論なく、苟も訪はんと欲するところ、知らんと欲するところは、声に従ひ手に応じて、直に捜し出さるべき便利を図り、これを普通辞書の体裁に編纂したるものなり。》

《付録に清韓地理を加へたるは、現今我が日本の位置よりして、各方面の形勢事実よりして、勢、かくの如くせざる可らざるは、読者の直に了悉せらるる所ならん。》

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見返しに索引(貼付け)

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奥付


定価が改正されている。元は一円三十銭。青色の訂正印は二円五十銭。これはかなり大幅な値上げである。訂正印が何時捺されたのか分らないが、明治三十九年は日露戦争後のバブル景気だったようにも思える。株は乱高下し「成金」(将棋の歩が金に成ることから)という言葉もこの年生まれたそうだ。満鉄が発足し伊藤博文が韓国統監に着任した(これが各方面の形勢事実》であろうか)……そんな年だった。

本書の内容については明日。




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by sumus2013 | 2015-01-24 20:42 | 古書日録 | Comments(0)

堀辰雄

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丸岡明『堀辰雄(人と作品)』(四季叢書2、四季社、一九五三年一一月三〇日)。函欠け、献呈署名入り。

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渡辺睦久は人文書院社長。人文書院は大正十一年に日本心霊学会として愛知県出身の渡辺久吉によって京都に設立され、昭和二年に今村新吉の命名で人文書院と改名した。昭和十九年、企業整備で京都印書館に統合、昭和二十二年に分離再開していた。

『堀辰雄』という書名だが、正面から堀を論じるのは二篇だけで、軽井沢を中心に立原道造や津村信夫、竹中郁らのことを綴りながら堀辰雄の周辺を描き出そうというエッセイ集。

堀には「旅の絵」という優れた神戸紀行がある。丸岡も「海港詩人 九年四月二十一日」と題して神戸を案内する竹中郁のことを書き残してくれている。友人Sの結婚披露宴に出席するために神戸オリエンタル・ホテルへ出向いたときのあれこれ。

《竹中氏はタキシイドを着て、煙草を喫つてゐた。竹中氏と彼の奥さんとは大変よく似てゐる。しかし、いとこ同士とか、兄妹と云つたやうな似かたではなく、一人の人形師が作つた男女と云つた風だつた。
「……あのテイブルにね。ヂエームス・ヂヨイスがゐるよ。」
 と、竹中氏が僕に云ふ。
 広間には、幾組かの外国人が、古いこの建物内の落着いた光線を楽しむやうに、静かに話し合つてゐた。僕は外国人の一人一人の髪の色の違ひを、今さらのやうに変化があつて美しいと思ひ、神戸の街の色彩も、この美しさの延長に似てゐるなどと思ふのだつた。
 竹中氏がヂヨイスと呼んだ黒眼鏡の老紳士は、つれの真赤な帽子の女と、洋酒のグラスを触れ合せて、「チエリオ!」と、云つた。その声が、四階の披露の席を思ひ出された。もう人が集つた頃だらう。

竹中夫妻の描写は注目に値する。外国人がジョイスに見えるというのはいかにも新感覚の文学青年ではないか。丸岡が泊まったのはオリエンタル・ホテルではなく「HOTEL ESSOYAN」だった。中山手通り二丁目にあり、かつて堀辰雄もここに宿を取った(「旅の絵」にも登場)。

《僕の泊るのは、部屋数も十室足らずの三流ホテルであつた。主人夫婦はポーランド人らしいと云ふことだが、それは僕達の想像で、当てにはならない。ボーイとコックは、シナ人だつた。拭き掃除をする二人の女中だけが、日本人だが、年取つた方は、永年外国人に使はれてゐるためか、可笑しな日本語で話をするし、若い方は、血色の悪い顔をしてゐて、始終おどおどしてゐた。
 このホテルには、めつたに日本人など泊らないと、年取つた方の女中が云つた。》

堀が滞在したのが昭和七年、堀に勧められて丸岡はここに泊まることにした。この翌朝セントラル・ベーカリで朝食を摂り、竹中の案内で神戸を歩き廻るという描写があるのだが、それは省略する。








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by sumus2013 | 2015-01-23 21:10 | 古書日録 | Comments(0)

APIED vol.24

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『アピエ』二十四号(アピエ、二〇一五年一月一五日、表紙装画=山下陽子)。カポーティ特集。執筆を依頼されたのだが、カポーティはほとんど呼んでいなかったため、コラージュ提供で責をふさいだ。いろいろな読み方があるものだと、これまでの特集と同様に教えられる内容だ。おお、と思ったのは金澤一志さんがアンディ・ウォーホルのファクトリーへ足を踏み入れたことがあると知って。ウォーホルとカポーティに接点があるんだな、これが。

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コラージュはカラー口絵になっている。モノクロ版を意識して制作したのだが、カラーで掲載されると、それはそれで嬉しいもの。

Apied
http://apied-kyoto.com


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by sumus2013 | 2015-01-23 20:23 | 画家=林哲夫 | Comments(2)

天井桟敷23

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『演劇実験室 天井桟敷』第二十三号(一九八〇年二月一一日、A.D=森崎偏陸)。昨年末、某書店で拾った。寺山修司にも演劇にもとりたてて深い興味を抱いてないためこんな雑誌(新聞)が出ていたことさえ知らなかった。


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by sumus2013 | 2015-01-22 19:52 | 古書日録 | Comments(4)

築添正生金工作品集

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築添さんの金工作品集が着々と用意されている。扉野良人氏より内容見本が届いた。なかなかに素晴らしい作品ばかり。全貌を見せてもらうのが待ち遠しい。詳しくは下記で。

ぶろぐ・とふん

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by sumus2013 | 2015-01-17 21:04 | おすすめ本棚 | Comments(0)

ブルトン集成内容見本

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「アンドレ・ブルトン集成」内容見本(人文書院、一九七四年七月一日)。これら二枚の写真は連続している(大きすぎてスキャナーに入らなかったのです)。アスタルテ書房にて今年の初買い。調べてみると集成六冊揃いはそれなりの値段で売られている。バラも含め出品数も多い。かえって内容見本の方が珍しいかも(?)。監修者瀧口修造の文章より。

《「眼は未開の状態で存在する」というブルトンの寸言にひとたび衝撃をうけたものは、何を求めて旅立つことになるのだろう。すくなくとも私にとっては、たとえよろめきながらも、限りなく永続するほかない道標である。》

《ブルトンを読むこと、それは不安な魅惑にみちた旅立ちでなければならない。》

ブルトンの詩の一冊を引用しよう。「どんな用意が QUELS APPRÊTS」より。


Les flammes noires luttent dans la grille avec des langues d'herbe
Un galop lointain
C'est la charge souterraine sonnée dans le bois de violette et dans le buis
Toute la chambre se renverse
Le splendide alignement des mesures d'étain s'épuise en une seul qui par surcroît est le vin gris
La cuisse toujours trop dépêchée sur le tableau de craie dans la tourmente de jour

黒い炎が火床で草の言語と交戦する
遠方の馬の疾走
それはスミレとツゲの林に鳴りひびく地下をわたる襲撃の合図だ
部屋全体が逆立ちし
スズの量器(はかり)の見事な列は
チョークの絵の上で白昼の暴動へと不断に性急にかりたてられる腿
おまけに淡紅色のブドー酒でもある唯一の量器(はかり)のなかで 消尽される


以上、翻訳の方は集成を架蔵しないので『アンドレ・ブルトン』(思潮社、一九六九年、稲田三吉・笹本孝訳)から。原文は『ブルトン詩集』(ガリマール、一九四八年)による。引いてはみたものの正直ちょっと問題のある訳だ。ズバリこれはチェスがテーマであろう。それを踏まえておかないと訳語が的外れになってしまう。例えば「火床」、原文はグリーユ。たしかにグリルと言えば日本語でも焼き肉グリルだろう、しかしここではチェス盤の碁盤縞(格子)を意味すると思われる。また「ツゲ buis」はチェス駒の材料(将棋駒も高級なものは黄楊材です)。そして「チョークの絵の上で」は明らかな勘違い。直訳としては間違いとは言えないが、白亜の板ようするに大理石(?)のチェス盤ではないだろうか。その他の語もチェスの愉しみと関連させれば内容としてはずっと理解しやすい。シュルレアリストはチェス好きだった。デュシャンのチェスについてはかつて触れたことがある。

ところでアスタルテさん、二月からまた入院されるとのこと。今月一杯は営業。退院は経過次第で未定。


所用により、三、四日、ブログを休みます。



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by sumus2013 | 2015-01-17 21:00 | 古書日録 | Comments(0)

絵画辞典

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柿山蕃雄編『絵画辞典』(郁文舎、吉岡宝文館、一九〇六年七月一三日)。柿山蕃雄についてははっきりしたことは分らない(要するにウィキに名前がないのです)。ただ研究している人はいるようで、

明治末期「教育的図画」創出をめぐる「技術」の問題 : 柿山蕃雄とその周辺

という論文がある。この英文梗概によれば東京美術学校(the Art School of Tokyo founded by Ernest Fenollosa and Okakura Tenshin)で学び、一般教育における美術教育を志した最初期の人物のようである。本書の序文および美術の効用を述べた文章には、おそらくそれ以前のスケッチ手本(江戸時代からあります)には見られない柿山メソッドが読み取れるように思う。また趣味のためばかりでなく工芸や建築、デザインといった全方位の美術教育を目指していたことが分る。辞典というだけあって索引が付いているのがミソ。「ほんばこ」はどこかな〜? はい、三八六頁。

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絵画材料・道具の説明

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色彩混合の説明図


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立体表現の基礎的な考え方


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略画の他に色刷りの図版が十点ほど


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「しんぶんくばり」の編み笠に注目。江戸時代の瓦版売りは編み笠を目深に被っているのが普通だった。それが明治末まで引き継がれていたらしい。編笠=新聞というイメージがあったのだろう。


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警察と裁判所。罪人の笠も同じく江戸時代からの風習。


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本箱のいろいろ、硯・筆・筆洗など

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本など


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影絵のコーナーがあって、これも江戸時代からあるものながら、やはり時代相を写している。


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柿山蕃雄編『絵画辞典』で検索していたら黒岩比佐子さんのブログに行き当たった。黒岩さん、こういうの大好きだったなあ。黒岩さんとは縁があって何度もゆっくり差し向かいで話し込んだし、講演会もご一緒した。当時はそれが当たり前のように思えていたが、今からすると夢のような日々だった。

柿山蕃雄編『絵画辞典』(明治39年)




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by sumus2013 | 2015-01-16 20:55 | 古書日録 | Comments(0)

演芸画報二冊

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『演芸画報』第十八年第十一号(演芸画報社、一九二四年一一月一日)、初詣の一冊。表紙は名取春仙「沢村宗十郎の「菊畑」」(当代名僧似顔絵画集の十一)。特集は築地小劇場での「ジョン・ガブリエル・ボルクマン」(イプセン晩年の作品)。小山内薫、中村吉蔵らが執筆。その他、正岡、岡鬼太郎、岡本綺堂そして三島霜川らが寄稿しており、ちょいちょい拾い読みしてもなかなか面白い。kaguragawa 様がコメントくださったので霜川の連載から少しばかり引用してみる。

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「むかし観た芝居の追憶 団蔵覚え帳 『歌舞伎幻象録断片』の五」より。旧漢字は改めた。総ルビも煩雑なのでごく一部を除いて省略した。

団蔵は、人気なき役者にてありき。九蔵時代より一部の好劇家には団菊と駢(なら)びて、一代の名優とたたへられながらも、いつも当時の小芝居に沈淪し、または旅を廻り歩きて、いはゆる大舞台に出でしこと、極めて稀に、殆ど其の生涯を不遇に終りしなり。

という導入につい引き込まれる。つづいて霜川は団蔵の演じた役をつぎつぎ挙げながらその印象を述べていく。

《『東海道四谷怪談』の直助権兵衛の如きも其の一ツなり。鰻かきの竿をかたげて、足早に出て来たりし姿、足、腰も割合にシャツキリとして、いと、こころよきものにてありき。鰻かきの鈎(かぎ)にかゝりし櫛を透し見て『何ンだ、櫛か』と云ふところなど、芝居気を離れたる。しぶき声音(こわね)の如きは、今も、耳の底に残りてあり。思ふに、この直助権兵衛の如きは、大幸四郎以来、伝統の芸脈をたどりて表現されし、江戸的世話味の精髄といふべきものにてありしならんか。

団蔵は、その稜々(かたかた)しく、いかにも一癖ありぬべき顔つきに、おのづから『むほん気』ともいふべき、ある暗影がたゞよひて、それが、この種の『根強き』役にピタリと嵌(はま)り、さながらに其の人を見るの思ひあらしめたることも少なからざりき。この大膳の如きも其の一ツなり。陰鬱にして兇悪、傲岸にして辛辣ーーそれに、幾分かの色気の加味されしが、団蔵の顔の大体の感じにてありしなるべし。されば、その顔を蒼ばむまでに白く塗り立てし時などは、見るから威圧的なる在る凄みが醸されて、『兇悪』其物の表現とと[ママ]思はるゝこともありしなり。予は、不思議に其の顔を好みたり。されば、此の大膳や『躄仇討(いざりのあだうち)』の瀧口上野やなどが、深く予の心に沁み入りしも、当然のことなり。九蔵時代の仁木や光秀などが、今に、予が幻に、ありありとしてあるも、或は其の『顔つき』を法図(はふづ)もなく好みたる故にてもありぬべきか。

古文を装いながらモダンな精神を宿らせている文章だ。だから、なるほど、霜川は団蔵のリアリティを尊ぶのであろう。それにしてもディテールまでよく覚えているものだ。われわれなどでも若いときに観た映画は忘れられないシーンが多いのだが、芝居通というのは、またひと味違うマニアックな世界に浸っているようにも思われる。

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『演芸画報』第六年第九号(演芸倶楽部、一九一九年九月一日)、表紙は鳥居清忠「所作事十二ヶ月の内『浅妻船』」。上の号と二冊均一台に出ていた。こちらには松崎天民が「女優さん出入り帳」という女優論とでも言うべき一文を寄稿している。冒頭で松井須磨子の偉大さを述べておいて、それ以後に名の出た女優達の末路を総ざらえする。ほとんど全員が舞台を離れてしまっているのだ。

《近代劇の衣川孔雀(きぬがはくじやく)は、寺木歯科医院に嫁して、人妻の幸福らしい顔をして居り、帝劇で其の前途を嘱目された鈴木徳子は、沢村宗之助と恋に落ちて、妻となり母となり、その女優生活を打切つてしまひ候。》

などとつぎつぎにやり玉に挙げて、こういうふうにまとめる。

《今日までの十年は、謂はゞ「女優の出来た時代」の事ゆゑ、いろんな悲喜劇もあつた訳なれど、これからの十年は、今までの様なのでは駄目に候。「ほんとの女が扮する真の女の芝居」を見んことは、小生等が多年の期待にして、また時世の要求と、申さるべく候。》

しごくもっともな意見であろう。これは大正八年だから…もうしばらく待たないとそういう時代はやってこない。








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by sumus2013 | 2015-01-15 20:27 | 古書日録 | Comments(4)

日本の紙

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寿岳文章『日本の紙』(大八洲出版、一九四六年四月一〇日訂正再版)を頂戴した。初版は昭和十九年二月十日となっている。大八洲出版は戦時中の企業合同でできた出版社(代表=柳原喜兵衛)で、奥付に「発行権所有者」として靖文社の南方靖一郎の名前が出ているように元は靖文社から発行されていた。

靖文社
http://sumus.exblog.jp/8599677/


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カバー表4側には版元名がそのまま残っている。

《いくさは書物のいちばんひどい敵だ、と言われてゐるが、そのことをこのたびのいくさはほねみにこたへさせた。南方氏も紙型をすべて焼き失ひ、ここに新しく歩みをふみだす。「日本の紙」も版を組みかへることになつた。》(あとがき)

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表1


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表4

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まず冒頭から和紙のヨーロッパへの伝播が述べられている。そこからいくつか引用してみる。

《イギリスの名だかい日記家に、ジョン=イーヴリンと言ふのがある。その日記の、一六六四年六月二十六日のところを見ると、『耶蘇会士のトムスンが、たいそうめづらしいものを、いろいろと見せてくれた。》《その「めづらしいものいろいろ」の中には、『ヴェルラム卿が「新アトランティス」において述べてゐるやうな紙』も数へられてゐる。》

言うまでもなく「新アトランティス」はフランシス・ベーコンのユートピア小説。その描写はいくらか日本を手本にしたともいう。

当然ながら日本との貿易を独占したオランダが和紙をヨーロッパへ伝えるのに大きな役割を果たした。

《レンブラントは、日本の紙の美しさと、持ちまへの気だてとを見きはめ、エッチングに、スケッチに、いちはやく和紙を使つた、と言ふ。これはおもしろい話しである。》

オランダ商館の医師として

《元禄三年に日本の土を踏んだドイツ人、エンゲルベルト=ケンペルは、本国へ帰つてから、和紙の漉きかたを、たいへん詳しく説きあかした。それは、西紀一七一二年に、まづかれのラテン語の本「アモエニターツム=エクソティカールム」(異国異聞)の中にをさめられた》
ケンペルのアジア見聞記は『廻国奇聞』(Amoenitates Exoticae, 1712)とも表記される。

そして明治維新。イギリス政府の駐日公使パークスはインディア=ペーパーのルーツとして和紙を調査するように命じられた。

《和紙の見本を集めさせ、その名まへ、出来どころ、値だんなどを詳しく調べあげ、いちいち書きしるし、明治四年、本国政府へ知らせるとともに、江戸・長崎・大阪で買ひ集めた和紙の実物見本、二箱をも、本国へ送りとどけた。》

しかし普及という点ではやはり万博の力が大きかった。

《あまねくエウロッパに知れわたつたのは、実に、明治六年、ウィーンで開かれた万国大博覧会のためである。》

十九世紀フランスの詩集などに奉書紙や局紙が使われていることがあるが、それはこういう段階を踏んで成立したのだということがよく分った。


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by sumus2013 | 2015-01-14 21:14 | 古書日録 | Comments(3)