林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
カテゴリ
全体
古書日録
もよおしいろいろ
おすすめ本棚
画家=林哲夫
装幀=林哲夫
文筆=林哲夫
喫茶店の時代
うどん県あれこれ
雲遅空想美術館
コレクション
おととこゑ
巴里アンフェール
関西の出版社
彷書月刊総目次
未分類
以前の記事
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
お気に入りブログ
NabeQuest(na...
daily-sumus
Madame100gの不...
最新のコメント
うちのPCも古くなってき..
by sumus2013 at 13:22
「うまやはし日記」持って..
by 大島なえ at 12:36
15周年おめでとうござい..
by sumus2013 at 08:06
吉岡実の俳句、しみじみと..
by 小林一郎 at 22:58
百人百冊、千人千冊のお宝..
by sumus2013 at 07:49
夕方、店じまい寸前に参戦..
by 牛津 at 23:51
そうでしたか! クラシッ..
by sumus2013 at 08:12
有り難うございます。在、..
by sumus2013 at 20:18
ご無沙汰しております。い..
by epokhe at 16:28
こちらこそ有り難うござい..
by sumus2013 at 15:05
メモ帳
最新のトラックバック
天才画家ゴッホの生涯と画..
from dezire_photo &..
ルーベンスの故郷、ヨーロ..
from dezire_photo &..
シャガール、ピカソ、マテ..
from dezire_photo &..
ポン=タヴァン派、総合主..
from dezire_photo &..
視聴率に関係なく選んだ2..
from dezire_photo &..
宝石のような輝をもった印..
from dezire_photo &..
ルネサンス美術の巨匠・ピ..
from dezire_photo &..
既成概念から絵画の解放に..
from dezire_photo &..
既成概念から絵画の解放に..
from dezire_photo &..
過去に来日した傑作を回顧..
from dezire_photo &..
検索
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2014年 11月 ( 43 )   > この月の画像一覧

河合ダンス

f0307792_20333758.jpg


昨日、某書店でゴソゴソやっていて見つけた半券。タテ95ミリ。河合ダンスの大阪府立修徳館寄付慈善公演。中之島公会堂で六月二十日に開催された。主宰は大阪新日報社……などということは見れば分る。ところが悔しいことに肝心要の何年なのかが分らない。修徳館は現在の児童自立支援施設大阪府立修徳学院。大阪曾根崎署長だった武田慎次郎が創設者とのこと。

読者の方よりこの時期の「六月二十日水曜日」は、大正十二年、昭和三年、昭和九年のいずれかではないか、という御教示をいただいた。そういう手がありました。昭和三年あたりがいちばん可能性がありそうだ。深謝です。

河合ダンスについては小川知子さんの記事(産経新聞、二〇〇四年四月一九日)がまとまっているので紹介しておく。

f0307792_20333591.jpg


河合ダンスは大正十年十二月、大阪南地に発足した。創設者は宗右衛門町のお茶屋「河合」を営む河合幸七郎(河合宗那)。ダンサーは全員が芸妓だったという異色なバレエ団であった。大正十二年六月中央公会堂で初公演。全国で定期公演を行うようになったという。

船場アートカフェ 河合ダンス




[PR]
by sumus2013 | 2014-11-09 20:59 | 古書日録 | Comments(4)

古文書拝見

f0307792_19512844.jpg


箱庭さんより《いま京都の同時代ギャラリーでは、箱庭で彫金教室を開講してくれているBOCCA生駒美佳さんの個展が催されているのですが、そこへ同志社のK先生が来られて、展示品の仏語の古文書をご覧になり林さんに是非見せたいと仰って写真を撮って行かれたそうです。》というメールを頂戴した。

K先生からも「いっぺん見とき」というお電話を頂戴した。本日は京都文化博物館で池大雅を見て、戸田勝久展を見て、ユニテでの古本市を冷やかしてと予定していたのでちょうど都合がいい。同時代ギャラリーの生駒さんの展示ものぞかせてもらうことにした。


f0307792_19581713.jpg


その古文書というのが一番上の写真。なんとも迫力がある。フランスの古書店でもバラになった古文書をけっこうな値段で売っているが、こんなに分厚い文書の束は見かけたことがない。生駒さんはこの古文書の一部を使って素敵なアクセサリーを制作しておられた(壁のポスターに見えるしずくのような形の作品)。その加工をしたときに非常に良質な紙を使っていることが分ったとおっしゃっておられた。フランスの西海岸の古書店から購入されたそうだ。表紙は羊皮紙。麻ひもで綴じてある。

f0307792_19512606.jpg


f0307792_19512427.jpg


f0307792_19512230.jpg

内容は、専門家の方に見てもらったところ、結婚や借金の記録だそうだ。表紙に「1684 1685」と年号が書き込まれている。たぶん綿密に記録されていた住民台帳の一部なのであろう。ところどころにスタンプが捺されている。スタンプは少なくとも二種あったが、いずれにも「TOLOZE MONTO」という文字が読み取れた。TOLOZE という地名(および姓)はフランスの各地にあるようだ。おおざっぱに言って南部に多い(パリにも綴りの少し違う「THOLOZE」通りがあるが)。

まあ、よほどの専門家でもない限り内容を云々することはないにしても、ご覧のような古い紙の美しさ、筆蹟(もちろん手書きです!)の見事さには息をのむ。一六八四、八五年と言えば、日本では貞享元年から二年にあたる。元禄時代の直前だ。和紙に墨書もよろしいが、このフランスの古文書の美しさも格別なり。

展示は明日九日まで。ご覧になりたい方はぜひ。

同時代ギャラリー







[PR]
by sumus2013 | 2014-11-08 20:31 | 古書日録 | Comments(0)

映画ちらし

『BOOK5』の名画座特集に刺戟された、というわけでもないが、たまたま郷里の倉庫整理で一九八〇年代の初めに京都で収集した映画チラシが少し出て来たので、何かの参考に掲げておく。今ならミニシアターというのだろうか、ちょっとマニアックな映画をやっていた小屋(?)ばかりである。むろんこれらを全部見たというわけではない。

日本イタリア京都会館。ここで映画を観た記憶はあるのだが、それが何だったか忘れてしまった。これらのちらしを見ても思い出せない。

f0307792_17590478.jpg

f0307792_18000471.jpg

f0307792_18001284.jpg

f0307792_18001993.jpg

f0307792_18002734.jpg

f0307792_18003477.jpg


京都ドイツ文化センター。ここではギュンター・グラスの版画展を見たことをよく覚えている。映画はやはり記憶にない。

f0307792_18004458.jpg
f0307792_19395451.jpg

f0307792_19400699.jpg


堺町画廊。一九八二年に開廊した当時からしばらくよく通っていた。町家を改造した画廊というのは、当時ではまだ珍しい存在だったと思う。生田耕作展もあった。エチオピアの王族(?)という人の絵画展も見た。ただし映画会の記憶はどうも消えてしまっている。

f0307792_19401734.jpg

f0307792_19411313.jpg




京都会館別館ホール(左京区岡崎公園)

f0307792_19414773.jpg


f0307792_19422631.jpg


f0307792_19423382.jpg


京都府南労働セツルメント/京都市部落解放センター

f0307792_19433030.jpg



京都府立労働会館

f0307792_19451470.jpg



社会教育総合センター

f0307792_19444086.jpg



大阪の中之島SABホールのちらしもまじっていた。

f0307792_19424277.jpg
f0307792_19431986.jpg


参考までに『BOOK5』では樽本周馬氏が「京都名画座の思い出」というエッセイを書いておられ、一九八八年頃に樽本氏が通った映画館として祇園会館、京都ルネッサンホール(京都駅前)、スペース・ベンゲット(四条大宮)、京都みなみ会館を挙げておられる。















[PR]
by sumus2013 | 2014-11-07 18:00 | 古書日録 | Comments(0)

唯一者 No.13

f0307792_20480041.jpg


大月健さんのやっておられた『唯一者』第十三号が届いた。「編集後記」には大月静代さんが次のように書いておられる。

《夫・大月健は二〇一二年八月、食道ガンと診断されました。余命一年の告知も淡々と受け止め、治療を続けながら、変らぬ日常を心がけていました。
 ホスピスでの一か月半も、十三号の原稿の入力を済ませたパソコンを病室に持ち込み、最後まで自分の手で完成させたい気持ちを強く持っていました。》

その遺志を受けて静代さん、そして《健さんとは二十五歳の時に、詩人の高木護さんの紹介で知り合》った久保田一さんがこの十三号を完成させた。久保田さんは健さんのことをこう振り返っている。

《彼との思い出は沢山あるのだが、その中で感じた事は、健さんは他人の悪口を言わない人であった。勿論好き嫌いは有るのだが、彼の口から他人の悪口を聞いた事はなかった。それはおそらく、悪口を言う自分が嫌だったのだろうとおもう。彼はそんな人であった。》


大月健さんのことなど

上の大月健さんの追悼記事で野球チーム「スピリッツ」に触れたが、郷里の納屋で『SPIRITS JOURNAL』第二号を見つけた。発行人は大月健と井上迅。築添正生さんの「ドリームフィールド訪問」というエッセイが巻頭に置かれている(もちろん『いまそかりし昔』にも収録)。なんとか読めると思いますのでぜひ一読を。


f0307792_20480295.jpg

築添正生さんのこと

[PR]
by sumus2013 | 2014-11-06 22:08 | おすすめ本棚 | Comments(0)

拝受多謝

f0307792_21144909.jpg

『2014 とっとり詩集』第六集(鳥取県現代詩人協会、二〇一四年一〇月一五日)。編集後記にあたる「無用のことを為さんずば」で手皮小四郎氏はこんなエピソードを書いておられる。

《昭和21年12月創刊の『日本海詩人』というのがあるが、どうやらこれが本県の戦後第1号の詩誌のようだった。因みに頒価は3円50銭。
 『日本海詩人』は終刊の昭和27年10月までの6年間に27冊(通巻は31号)発行されているが、その8割は謄写版だった。それもどうやら清水亮という一詩人が、役所務めの傍ら睡眠時間を削って、ガリを切り続けたらしいと判った。
 できるものなら活版にしたい・・それは全同人の強い願いだったが、費用や当時の紙不足の背景もあって謄写版が続いたようだ。「活字になったといって、作品の質が重くなることにはならない。私は鉄筆との闘いを捨てない」6号の後記に清水はそう書いた。》

***

『亀井武彦の玄亀ANIMA展』(O美術館、二〇一四年一〇月一八日)。
http://www.shinagawa-culture.or.jp/hp/menu000000300/hpg000000211.htm

亀井氏の作品は初めて拝見した。長らく外国で活躍されておられたそうだ。それが納得できるユニーク作品が並んでいる。だが、いちばん驚いたのはウォーホルとのツーショット(一九八三年、ニューヨーク)。

***

『木山捷平 文学の故郷 生誕110周年』(二〇一四年)を頂戴した。年譜が巻頭に置かれているが、そこでは木山が何年何月何日には何をしたという風に綴られていて、たいへん分りやすい。1968年8月23日死去、64歳……若かったんだ。

木山捷平資料集
http://sumus2013.exblog.jp/21458790/

***

『福島自由人』第29号(北斗の会、二〇一四年一一月一日)。菅野俊之さんより。菅野さんは「宮沢賢治と音楽についてのエチュード」を執筆しておられる。賢治が作詞作曲した歌は八曲、作詞だけの歌およびいわゆる替え歌は計十九曲あるそうだ。賢治の音楽好きはともかく彼の掌編「手紙 四」を引用しつつ次のように書かれているのにはなるほどなあと思った。

賢治にとって最愛の女性が妹のトシであったことは言を俟たない。二人の関係はインモラルな危うさを孕みつつも、妹のままの聖女として彼女は早世してしまった。賢治詩の傑作の森はトシ(詩の中ではとし子)を哀惜追慕する詩篇群に集中している。

***

f0307792_21533804.jpg


『BOOK5』14号(トマソン社二〇一四年一一月八日)。特集は「名画座で、楽しむ。名画座を、愉しむ。」。名画座……主に旧作映画を主体に上映する映画館の総称(ウィキ)。個人的には映画館で映画を見た方ではないが、それでもあれこれ思い浮かんでくる。『BOOK5』らしい楽しくもなつかしい企画だ。連載、とくに古書赤いドリル氏の文章は心配になるほど面白い。古書いとうさんが七月に亡くなったことを知る。



[PR]
by sumus2013 | 2014-11-06 22:07 | おすすめ本棚 | Comments(0)

詩誌「新年」への想い

f0307792_20270399.jpg


『詩誌「新年」への想い』第二号(市島三千雄を語り継ぐ会=新潟市東区桃山町2−127斎藤方、二〇一四年一一月二〇日、500円)が出来上がった。小生も「市島三千雄のいる街景」という文章を書かせてもらっている。今年の三月末に新潟を訪問し、齋藤健一さんに市島ゆかりの場所を案内してもらったときのことを少しばかりふくらませた。

今回の原稿のなかでは市島春城と市島三千雄のつながりについて書かれているさとうまさお氏の「天王市島家と市島三千雄」が面白かった。春城は新潟新聞の主筆を務め(明治十九〜二十三)坂口安吾の父である社長の阪口五峰と昵懇だったことは以前書いた。他に執筆者は竹本寛秋、藤澤太郎、宮本敏子、清水マサ、柄沢浩子、さとうまさお、福地克規、鈴木良一、齋藤健一、谷内修三(ブログの引用)。

市島三千雄文学散歩

『詩誌「新年」への想い』第一号

詩誌『新年』復刻版

[PR]
by sumus2013 | 2014-11-06 20:47 | 文筆=林哲夫 | Comments(0)

「瀬山の話」

f0307792_20312752.jpg

梶井基次郎『檸檬』(武蔵野書院、一九三一年五月一五日/精選名著複刻全集近代文学館、一九七三年)、およびその下敷きになっているのは十月に実践女子大学で開催された「特別展 よみがえる身体性の記憶 「檸檬」草稿(瀬山の話)など」の展示図録。某氏が送ってくれた。深謝。

実践女子大では近代作家の自筆原稿の収集に力を入れているそうだ。「瀬山の話」は

《この原稿は、今からちょうど九十年前の大正十三年秋に書かれました。しかし、未発表のまま梶井の死後発見され、昭和八年、友人淀野隆三が仮に「瀬山の話」と名づけて雑誌掲載したものです。これは梶井の代表作「檸檬」の完成間近の下書きを含む草稿として注目されましたが、実物は未公開のまま淀野の手許に置かれ、その後長らく、行方が分らなくなっていました。
 今回出現した原稿には、淀野の友情を証しするように、熱心な編集作業の痕跡が残されています。「瀬山の話」はもと二種類の草稿を繋ぎ合わせて成ったもので、約三四〇〇字にわたる下書き部分が未紹介だったことも分ってきました。「瀬山の話」や「檸檬」を捉え直す新しい研究がここから始まります。》(ごあいさつ)

淀野が梶井の習作に手を入れた原稿が図版として出ている。赤字の訂正および欄外上部の書き込み(文字組みのための指示)が淀野によるもの。原稿に手を入れているのはここだけということだが、これは淀野の勇み足と言うべきだ。原稿をつぎはぎするのもどうかと思うが、文字を取り替えたり、削除するのには賛成できない。習作は習作のまま発表するべきだった。

f0307792_20313129.jpg

この機会にと思って「瀬山の話」をざっと読んでみた。角川文庫の一九七六年十一版(作品解説は淀野)。久しぶりに手に取るとあちらこちらに線引きがしてある。すっかり忘れていた。今なら絶対線引きなどしないのだが…。再読してみると面白い発見があった。次の《彼にある失恋があったことはそれより以前に私もきかされていた》というくだり。

《とうとうおしまいに彼の少年時代の失恋が、しかも二つも引き出されてきた。そして彼はその引きちぎって捨てられた昨日の花の花弁で新しい花を作る奇蹟をどうやらやって見せたのだ。そればかりか、そんなことには臆病な彼がその中の一人に、おそらくは最初の手紙を書こうとまじめに思い込むようにさえなったのだ。
 そのころ彼はその恋人に似ているというある芸者に出会った。私は彼にそのことをきいたのだ。そして本気になってその方へ打ち込んでいった。ーー私はいったいいつ彼が正真正銘の本気であるのか全く茫然としてしまう。》

《彼はその本気でその芸者に通い始めた。私は覚えている。彼はその金を誰々の全集を買うとか、外国へ本を註文するとか言って、彼の卒業を泳ぎつくように待ち焦がれている気の毒な母親から引き出していた。》

《その男から私はある日こんなことをきいた。
 ーーその女子はんがあてに似といやすのやそうどすえ。ーー
 ーーあてほんまにあの人のお座敷かなわんわーーその芸者がその男に瀬山の話をしたのだそうなのだ。その瞬間、私はなぜか肉体的な憎悪がその男に対して燃えあがるのを感じた。なぜか、わけのわからない昂奮が私を捕らえた。》

この逸話はほぼ事実に基づいており、そしてまず間違いなく淀野隆三がモデルである。淀野日記を通読した者として保証してもいい。淀野はそういう意味においてもこの作品にひとしお責任を感じたのかもしれない。

もうひとつ、瀬山極はポール・セザンヌを漢字に置き換えた名前だということで本文中にもセザンヌが登場している。《セザンヌの画集の中で見る、絵画商人かにかのタンギイ氏の肖像がある時出て来た》。ところが、その絵の説明はどう読んでもゴッホの「タンギー爺さん」になっているのだ。二十年くらい前の小生自身が「ゴッホ」と鉛筆で書き入れをしている(笑)。


ついでに図録から『檸檬』には次のような版があることを示すページ。

f0307792_20313093.jpg




[PR]
by sumus2013 | 2014-11-05 22:11 | もよおしいろいろ | Comments(0)

瀧口修造展III

f0307792_20273243.jpg

ときの忘れもの
http://www.tokinowasuremono.com



[PR]
by sumus2013 | 2014-11-05 20:28 | もよおしいろいろ | Comments(0)

爐邊子随筆抄

f0307792_22080804.jpg



f0307792_19254719.jpg


平井功『爐邊子随筆抄』(書肆盛林堂、二〇一四年一〇月二六日、表紙デザイン=小山力也)。またまたやってくれました。本邦初の「平井功集」である。平井の代表詩「木立」(二番目の写真、冒頭二色刷り)、随筆は「ジョンの死」という作文(『赤い鳥』大正九年一月号掲載、目下のところ平井功の活字化された最初の作品とみられる)から「游牧記後記」にいたる十篇(発見されているもの全て)、そして訳詩十三篇(同じく)、そして『サンパン』第四号(二〇〇三年三月)に掲載された年譜の改訂版である「平井功年譜」(扉野良人編)、および長山靖生「『爐邊子随筆抄』解説」……何とも充実した内容だ。

随筆ではやはり「游牧記後記」が抜群に面白いが、「グロリエ倶楽部のこと」(『英語と英文学』昭和四年新年号)の書き出しも素敵なので少し引用しておこう。改行を一行空きとした。

《亜剌比亜に、とある深山の洞穴のなかの、魔法の書庫に閉じ込められた哲人の話がある。年に一度だけ洞穴の口が開いて外に出られるのである。この哲人はその山の精に命じて、あらゆる玄秘の秘法書を世界の隅々から思いの儘に持って来させた。そして一年の後、洞穴の口が再び開いた時、あらゆる秘儀に通暁して人間界に帰ったと云うのである。

 わたくしはときどき(ときどきである。始終ではない。)この哲人のような目に遭いたいとまじめに思うことがある。一年間閉じこめられて、誰にも会えないでも我慢する。何でも欲しい本をみんな手にすることが出来たらどんな気持ちがするだろう。アルドウス版のヰルギリウス、グロリエの手拓本、ル・ガスコン装釘本、エルゼヰル版本、下ってはヰリアム・モリスがケルムスコット本やロウヂャ・ペイン装釘本、コブディン・サンダスンやヰリアム・マシウズが自装本……まあ、その一年の間にわたくしはどのくらい本を集めて帰るだろう。だが、わたくしはこの哲人のように唯「通暁」しただけでは満足は出来ない。みんな持って帰らなければ承知が出来ないであろう。本も内容だけが問題ならばエヴリマンズでも用はたせるのである。

 書籍の内容を別として書籍そのものに興味を感じ得る人にだけこの記事を読んで貰いたい。そう云う人にとっては、この記事も多少は興味を惹き得るかも知れぬ。》

以下ニューヨークで結成された書物愛好団体であるところのグロリエ倶楽部についての説明が開始されるわけだが、どうぞそれは本書で堪能いただきたい。それにしてもこんな庄司浅水さんのような洋書趣味はいったいどうやって手に入れたのだろう。昭和四年というとまだ二十二歳になるかならずである(二十五歳で歿するのだから晩年と言えば言えるが)。

年譜によれば大正十年十四歳頃から西条八十、そして日夏耿之介に師事した。日夏邸では石川道雄、岩佐東一郎、燕石猷(岸野知雄)、矢野目源一、城左門、正岡容らの先輩たちと「恐ろしくませた口ぶり」で対等に渡り合ったそうだ。この名前のなかでは岩佐が二歳、城と正岡は三歳、燕石が六歳、石川が七歳、矢野目が十一歳年上である。日夏は十七歳年長、ということはそれでもまだ三十一にしかならない。

長山氏の解説にはこうある。

《自らの書架にグロリエ・クラブ開版の限定本数十冊を所有していた。神田の某古書肆に執行弘道の旧蔵書が出ていたのを日夏が見つけ、欲しいが自分には手が出ないと話したのを、彼が百五十円ほどで買い入れたのだった。後でそれを聞いた野口米次郎は、倍の値段でも高くないといったという。》

なるほど、ただ平井自身が欲しがっているような書物について実際いったいどれほど通じていたのだろうか? かなり背伸びした感じは残るとは思うが、しかし根拠のない自信こそは何かを成し遂げる最大のエネルギーに他ならない。平井が作った雑誌『游牧記』を見ればそれははっきり理解できるように思う。



[PR]
by sumus2013 | 2014-11-04 20:43 | おすすめ本棚 | Comments(0)

百万遍最終日

f0307792_19340564.jpg


百万遍の青空古本市へようやく参戦。本日は快晴にて人出多し。会場をざっと巡るものの、以前ほどガツガツしていない自分に気付く。たしかに郷里で本や雑誌をどっさり処分してきたところなのだ、どうしてここでまた買い込むのか? と自問しているわけである。

f0307792_19340325.jpg

それでもやはりこういう山を見ると掘り返さないではおられない。三冊百円は嬉しくも有り難い。もちろん傷んだ本が多いし、ほとんどが端本なので古書的な価値はたしかに低い。それでも煎茶の本だとか漢詩集などもあって十二分に楽しめた。

f0307792_19340166.jpg


今回の拾いものは青山進行堂の『貳號草書活字目録/五號草書活字目録』(刊行年等不詳)だ。どこかの印刷所のハンコが捺されているもののかすれていて読み取れない。

f0307792_19543235.jpg

青山進行堂は大阪市南区三休橋南詰東入にあった活版製造所。

 青山安吉(1865—1926)は一成舎という印刷所に奉公し、19歳のとき職工として従事した。1888年(明治21年)、24歳のとき啓文社に入り、さらには大庭印刷所に勤務した。大庭印刷所の罷業にさいして、安吉は独立して事業を経営することを決意した。
 苦労を重ねて木製の小型印刷機1台を求め、大阪市南区笠屋町で名刺やハガキの印刷を中心とした印刷業を開始したのは1889年(明治22年)、安吉が25歳のときであった。これが青山進行堂の創業である。
http://www.kinkido.net/Japanese/madoka/Madoka.html

f0307792_19582957.jpg


上は二号草書の第一頁。下は五号草書の最後から二頁目。なかなか流麗な活字である。

f0307792_19543693.jpg
f0307792_19543873.jpg

これは残念ながら三冊百円ではなかった……三冊五百円だった。初日もいいけど、最終日も悪くない。



今出川沿いの山門を出てすぐ、ガリア書房の上階にある古書「星と蝙蝠」をのぞく。路上に百円均一の箱も出して頑張っておられた。3Fの店内にはまだ本の数が少ないけれど(オープン直後の善行堂を連想させる)、並んでいるタイトルには非常にそそられるものがあった。今後を期待しよう。

f0307792_19335831.jpg

f0307792_19335690.jpg


[PR]
by sumus2013 | 2014-11-03 20:06 | 古書日録 | Comments(2)