林哲夫の文画な日々2
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路地の奥の小さな宇宙

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荒賀憲雄『路地の奥の小さな宇宙』(新月舎、二〇一三年四月一二日)を頂戴した(上の写真の白い本)。深謝です。詩誌『ラビーン』に連載された天野忠に関する論考をまとめたもの。その内容についてはごくわずかながら四年ほど前に一度紹介している(上の写真のピンクの冊子がその『ラビーン』の連載コピー)。


そのときに紹介しきれなかった部分を少し引用しておく。「溶暗の時代」から北園町九十三番地、下鴨本通りから北泉通りを東へ十数メートル行った南側の天野邸についての描写。

《踏み込みの土間には今では畳まれた車椅子が置かれ、左手の靴箱の上にはたしか小さなマリア像の絵が飾られていたのを覚えている。二畳の玄関には送られて来た同人誌が両側にうず高い。
 問題はその「すべりが悪い」門の戸を開けて玄関へたどる路地の風景である。右隣は天野さんを奈良女子大に紹介した故辻田先生のお宅、左手は警察の寮だったが今は空き家になっている。京都の町屋によくある「路地」だが下鴨界隈では珍しい。下生えにサクラソウやツワブキが茂る両側は、サザンカ、ツツジ、カエデ、それに珍しいメキシカンセイジなどが植えられ、いちばん奥の玄関の前にはこれも珍しいキンメイチクが植わっている。》

《客間はみごとなボケの花の見られる庭に面した日当たりのいい座敷なのだが、改まった時以外は玄関からすぐ廊下を隔てた書斎に通されることが多かった。小机えお書棚の空間を除けば、主客膝を接するばかりの三畳のその書斎こそ、まさに入れ子細工のように二重に仕組まれた「小宇宙」であった。
 筆者はよくこの部屋で、手すさびに描かれた絵を見せてもらったことがある。大方は黒いボールペンなどで描かれた抽象的な線描や人物だったが、中には淡彩の風景画もあった。それらはまぎれもなくヨーロッパーーそれもエゴン・シーレやクリムトの世界を思わせる、世紀末から二十世紀初頭を支配した退廃と倦怠の匂いを漂わせたものだった。》


天野の絵の発していた世紀末的な退廃はおそらくヨアヒム・リンゲルナッツあたりと関係付けて考えてもいいかもしれない。というか天野の『動物園の珍しい動物』(編集工房ノア、一九八九年一月二〇日、上の写真の立てた本=函と本体)の巻頭「クラスト氏のこと」を読むとどうしてもリンゲルナッツ『運河の岸辺』に収められている板倉鞆音による「まへがき」を連想しないではおられないからだ。

《ある日、奇妙な外国人と夜店の古本屋の前で知り合ったことがある。顔色の悪い、頭の禿げ上った四十年輩と見られる男で、一寸見には西洋人とはとれない貧相で不恰好な洋服を着て、しかも大きな下駄をはいていた。
 その彼が、夜店の古本屋の粗末な茣座の上の古雑誌をひやかしていたのである。文学青年の私も、一冊十銭の札の出た古雑誌の中から、めぼしい文学雑誌を選り分けていたのだが、隣の男がその山の中から分厚な漫画雑誌を選り出して、それを奇妙なアクセントの日本語で六銭に値切っているのである。

《物好きにも私は、その男と連れだって、近くの「びっくりうどん屋」へ入り、私のおごりで一杯十銭の大盛りのうどんをたべた。》

《「キミハ、ポエットか?」
 「ポエットになりたいと思う」
 「ポエット タイヘンムツカシイ ポエット(だいぶん考えて) クルシイ クルシイ……」
 彼は腕を組みまた解き、片手で頭をおさえ、胸をかきむしる仕草をして、彼のいう「クルシイ」さまを表現してみせ、何度も奇妙な抑揚の「クルシイクルシイ」を連発した。》

《今度は私がたずねた。
 「君はポエットか?」
 彼は禿げ上がった額の上で十字をきる真似をして、人の好さそうな、しかも少々下品な感じもする粗野で複雑な笑顔になり、そそくさと「maybe」と答えて眼を伏せた。》

天野は実際に船乗りでもあったリンゲルナッツが日本へやってきたという設定の下でこの詩を書いた、かどうかは定かではないが、そうだったとしても不思議ではないような気がする。


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『路地の奥の小さな宇宙』より「天野忠 主要著書・略年譜」。

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by sumus2013 | 2014-11-17 21:19 | おすすめ本棚 | Comments(0)

舟を編む

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三浦しをん『舟を編む』(光文社、二〇一二年四月三〇日十四刷)を読了。久しぶりに立ち寄ったブックオフが半額セールをやっていた。映画「舟を編む」(石井裕也、二〇一三年公開)を観て以来、一〇五円棚にないかと探していたが、いまだ見当たらず、定価のほぼ半額のさらに半額で妥協した。映画とだいたい同じ内容だが、本の方ではバイプレーヤーからの視点が中心になっている。型通り上手に書けたエンタテインメントである。辞書製作の現場を舞台にしたことで新味が出た。

神田辺りに出版社(玄武書房)があるという設定なので当然神保町の古書街も少しだけ登場する。本書の主人公である辞書『大渡海』を監修している老人、松本先生の行動パターン。

《重そうな黒い鞄を抱え、松本先生が尋ねてきた。鞄には古本がたくさん詰まっている。玄武書房に来るついでに、先生は必ず神保町の古書店街を歩き、新旧さまざまな小説の初版本を自費で購入する。文学を味わうためではなく、辞書の用例として使えそうな文章を探すためだ。辞書では、ある言葉がはじめて文献に登場したのはいつなのか、を重視する。その癖がついているので、先生は小説に関しても初版本を集めてしまうのだった。》

初版本より初出雑誌を集めるのではないか、と思わないでもないが、たしかに初版本はひとつの目安にはなるのかもしれない。この文学書から用例を拾うというくだりを読んで思い出したのは、ジャン・コクトー『ポトマック』。

《文学上の傑作とは、つまりはばらばらになった辞書にほかならないんだ。》(澁澤龍彦訳)

ニワトリと卵はどちらが先か……てなことになりそうだが、コクトーらしい警句と思う。

『舟を編む』の両サイドにあるのは小生が机辺に置いて愛用している辞書類。小さいのが好み。『新字源』は収録字数も程よくいろいろな意味でよくまとまった漢和辞典だ。茶色いのがこのブログでも時折引用する縮刷『言海』(明治三十七年第二版)、左端が『THE OXFORD ENGLISH-READER'S DICTIONARY』(丸善、一九六七年十六刷)。ポケット版のため語釈がきわめて簡潔、それがいい。フランス語は山田稔さんらの『クラウン仏和辞典』。もっと深いことや俗語表現はネット上の辞書が便利なので大きな辞書を備えなくても何とかなる。ある人が言っていたが、ウィキの誤謬・誤植率はブリタニカ大百科事典よりも低いそうだ(だってすぐ訂正できるものね)。

『言海』の「本書編纂の大意」、最後の部分。『大渡海』は初版刊行まで十三年かかったという設定だが『言海』は九年十月のようだ。この次の頁に続けて《潤色ノ功ヲ積ミ、第二版、三版、四五版ニモ至リテ始メテ完備セシムト云フ、此書ノ如キモ亦然リ、唯、重修ヲ期セムノミ》と書かれている。『舟を編む』も完成祝賀パーティの翌日から改訂作業を始めるぞ、というところで終わっている


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『言海』における「字引」の語釈。


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ついでにオックスフォード豆辞典で「dictionary」はこうなっている。

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by sumus2013 | 2014-11-16 21:20 | 古書日録 | Comments(0)

風が起る!

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村上菊一郎編『仏蘭西詩集』(青磁社、一九四三年一月二〇日、普及版)。青柳瑞穂訳マルドロオルの歌』を取り上げたとき、文芸文庫版のマルドロオルの歌』を引き合いに出した。そのとき紹介しようと思いつつ長くなるので止めたのが同書に収められている塚本邦雄の随想に見える次のくだりである。塚本は昭和二十三年に青磁社の青柳訳マルドロオルの歌』(文庫版)に出会ったことを叙してこう続ける。

《青磁社の本は他にもなお手許にある。昭和十八年一月二十日刊、村上菊一郎編、定価二円五十銭也の『仏蘭西詩集』、同年同月同日同値で発行された、菱山修三編のやや頁数の多い、B6判『続仏蘭西詩集』、これらはすべて戦中戦後の、私の有つて無い「青春」の形見に他ならぬ。》(「マルドロールのマルグリット」)

ということでこの本がその青春の形見なのである。本書にはもうひとつひっかかりがあった。というか以前堀辰雄『聖家族』を取り上げたときに「風立ちぬ」の原文と訳文を掲げておいた。

ヴァレリーの「海辺の墓地」
http://sumus.exblog.jp/20092039/

訳文は桑島玄二の文章から引いたのだが、《桑島は菱山修三訳『海辺の墓地』(椎の木社)を古本屋で見つけ、いつも小脇に抱えていたそうだから、そこからの引用だろうか(?)》と疑問符を付けておいた。その菱山訳「海辺の墓地」が本書に収録されている。その長い詩の最後の一連に「風立ちぬ」の原文に相当するフレーズがある。

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 風が起る!……今こそ強く生きなければならぬ!

とこれが菱山訳である。《今こそ強く》などという副詞は原文にはない。だから桑島は単に《生きなければならぬ!》とした。ということは桑島の引用した訳文は菱山訳を元にした桑島訳だったと見ていいだろう(だから出典の記載がなかったのだ)。上の写真の次の頁に続く末尾の二行はこうである。

 破れ、波濤よ! 打ち破れ、踊り立つ波がしらで
 すなどりの帆舟の行きかふこのしづかな甍を!

 Rompez, vagues! Rompez d'eaux réjouies
 Ce toit tranquille où picoraient des focs!

踊り立つ波がしら》とは思い切った意訳ではないか。堀口大學といい、この時代の人達は忠実に言葉を移すよりも日本語の感覚を大事にして翻訳した、それは理解できる。しかし、ここまでくると誤訳としか思えない。réjouies は「陽気な」で eaux は「水(海)」であって「波」ではないだろう。桑島も《打ち破れ、歓喜の水で、》としている。「すなどり」についてはすでに言及したのでくり返さない。

中味はとにかくとして、この詩集は昭和十八年に刊行されたものとしてはかなり気張った造本である。組版も余白をゆったりと取って読みやすい。印刷そのもはやや荒れた紙質に影響されて上出来とは言えないが、それでもかなり頑張っている。

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継ぎ表紙(背と平とが別の紙になっている)で平の墨流しも効果的である。表4に壺のマークが空押しされている。これも贅沢。

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定価は五円だ。塚本所蔵本と版が違うのだろうか? 五円はかなり高価だろう(ボオドレエル素描集ほどではないが)。巻末「編纂者の言葉」で斎藤は次のように書いている。

《訳詩は厳密な意味では恐らく不可能な仕事に相違ない。しかし、さうかといつて、意味だけを汲んだ安易な訳詩が許されていい道理はない。原著に対する親近の情と詩精神への熱愛の念とが、能く原詩の格調を見事な日本語に移して、本然の詩の姿にまで還元させ得るのである。生来の詩人でなければ出来ないところに訳詩の大きな秘鑰がある。》

たしかに、その兼ね合いが難しい。この後書は昭和十六年夏の日付だ。調べてみると特装版が昭和十六年に刊行されていた。

***

そうそう、遅まきながら宮崎アニメ「風立ちぬ」を観た。う〜ん、どんなものだろう。いいとも悪いとも言えない歯痒い感じが残る。





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by sumus2013 | 2014-11-15 21:43 | 古書日録 | Comments(2)

国語I、国語II

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昨日に続いて教科書。必要あって『国語I』(筑摩書房、一九八一年一一月二〇日)および『国語II』(筑摩書房、一九八二年一一月二〇日)を入手した。比較的新しい(と言っても三十年以上前だ)教科書というのは「日本の古本屋」にはあまり出ないようだ。これらはヤフオクにて落札。持ち主の名前は消されているが、想像するに、出品者が使っていたのだろう。熱心に勉強した痕跡がしっかり残っている(あ、だから古本屋は取り扱わないのかもしれない)。装幀もけっこう斬新だ。装幀者あるいは表紙画の作者について何も記載されていないのは惜しい。

内容に筑摩色が押し出されているのは当然としても、今読んでも十分に面白い。個人的にはこの教科書なら国語が好きになるかもしれないと思う、ということは今時の高校生には向かないかもしれないが。I では臼井吉見、茨木のり子「生まれて」と始まって、中野重治、井伏鱒二、柳宗悦、谷崎潤一郎、島崎藤村、川端康成などを経て宮本常一「梶田富五郎翁を訪ねて」、石垣りん「私の自叙伝」で締める。他に古典と漢文も含まれている。II では岡本かの子「パリの息子へ」が巻頭で、中島敦「山月記」、三木卓、柳田国男、漱石、魯迅、坂口安吾、武満徹、芭蕉、西鶴、梶井基次郎「交尾」、黒沼ユリ子、色川大吉「民衆憲法の創造」まで(以上はざっと拾っただけです、全目次ではありません)。


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これが「山月記」の冒頭。この時代からすでに蛍光ペンが使われていたことが分る。小生の高校時代(一九七〇年代前半)にはまだそれほど普及していなかったように思う。スタビロのサイトによれば、一九七一年にギュンター・シュワンハウサー(Gunter Schwanhausser)がアメリカを訪問した際に学生達が教科書の文章をペンで目立たせていたのを見て、蛍光ペンを思いついたそうだ。当時のアメリカのペンは質が悪かったらしい。ドイツへ帰ってそれを改良、BOSSというシリーズを完成させたとか。

中島敦「山月記」については少しだけ触れたことがある。

昭和八年の中島敦
http://sumus.exblog.jp/20889372/

最近になって『唐宋伝奇集』(今村与志雄訳、岩波文庫、一九九九年十四刷)を読んでいると中島敦が依拠した「人虎伝」の原作「李徴が虎に変身した話ーー李徴」にぶつかったのでテキストに関する解説を少しばかり引用しておく。

《張読[唐代の文学者]。本篇は、『広記』四二七「虎」に、「李徴」と題して収めたものによる。文末に、出所を『宣室志』と記す。刊本『宣室志』には佚す。底本とした点校本『宣室志』には、「輯佚」に収める。
 なお、明代の陸[木咠]など輯『古今説海』「説淵部」に、本篇を唐の李景亮撰「人虎伝」として収めるほか、明、清代その種の叢書には、しばしば、題名を「人虎伝」、作者を唐の李景亮として収める。》《ただ、この人虎伝」と本篇とを比較すると、異同がおびただしく、人虎伝」の誤謬となすべき箇所も少なくないが、文学作品として見るかぎり、見のがせない部分も多い。

筑摩の教科書には『古今説海』の人虎伝」の冒頭部が図版として掲載されているが、解説にもある通りいかにも誤謬が多そうだ。何しろ主人公の名前が「李徴」ではなく「李微」となっている。

《中島敦(一九〇九一九四二)の作品「山月記」は、本篇に素材を求めた名作であるが、彼が、『唐人脱薈』のいわゆる李景亮撰「人虎伝」によっていたことは、本篇及び訳注と読みくらべてみれば、明らかであろう。なかでも、袁傪が「下吏に命じて之を書きとらせた。その時に言ふ。」と書いたあとにあげる七言律詩は、人虎伝」中の詩をそのまま使用している。まさに、中島敦の作家としての技のさえは、「石を点じて金を成す」才筆といってよい。

***

教科書の隣にあるのが届いたばかりの『古本海ねこ古書目録』第八号。今回も図版フルカラーで楽しめる。何か買えるものあるかなあ……。










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by sumus2013 | 2014-11-14 22:20 | 古書日録 | Comments(0)

THREE OF US

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『THREE OF US FIRST-LEVEL PRE-PRIMER』(CALIFORNIA STATE DEPARTMENT OF EDUCATION, 1956)。著者は GUY L. BOND, GRACE A. DORSEY, MARIE C. CUDDY, KATHLEEN WISE、そして挿絵が A. F. HURFORD, MIRIAM STORY HURFORD。初版は一九四九年、二版が五四年、三版がこの五六年。A. F. HURFORDはこのような四〇年代から五〇年代にかけてのアメリカ中流の子供たちを描いて人気があった挿絵画家のようである。現在も絵本はもちろんポスターや絵葉書が売られ続けている。そのわりには wiki に項目が見当たらないので詳しいことは分らない。

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アメリカでは一九四九年にもうパンダ人形があったのか。
この豊かな暮らしぶりには今でも目をみはる。スキップという犬の名前、犬小屋の形。女子の服装や髪型。日本の風俗にも大いに影響を与えているようだ。

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図書館スタンプが捺されており「BARFIELD SCHOOL LIBRARY」と読める。カリフォルニアのポノマ(PONOMA)に BARFIELD ELEMENTARY SCHOOL という学校があるので、きっとそこの蔵書だったのだろう。この小学校はポノマ地区で教育行政に多大な貢献のあったアフリカ系アメリカ人のジョセフ・バーフィールド(C. Joseph Barfield)を記念して一九八四年に北サンアントニオ小学校を改名して誕生したそうだ。

School History
http://www.edlinesites.net/pages/Barfield/Information/School_History

一九五六年発行の本なのだから元は北サンアントニオ小学校が所蔵していたものだろうか? ほとんど傷みがないのが不思議だ。それがまたどうして日本にやってきたのか、どんな道をたどって善行堂に出ていたのか、それもまた謎である。

Three Of Us [children's book]

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by sumus2013 | 2014-11-13 20:18 | 古書日録 | Comments(0)

教林雑誌第四輯

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『教林雑誌』第四輯(敬愛舎蔵梓、発行=書籍会社+岡田茂兵衛、一八八四年二月免許)、編集・蔵版が小野正己。印刷所は大阪大手通二丁目活版社。発行が書籍会社で印刷が活版社とは、さすが明治七年の本である。これらが固有名詞として通用していた。内容は新しい(すなわち明治維新後)の社会のあるべき姿を説いている。小野正己についてはよく分らないが、検索すると神道系の雑誌とあったので、きっとそういう人物なのだろう。実際、本書にも仏教と神道の融合を説いた章がある。国会図書館で小野正己で検索すると以下の書籍が見つかった。

証券文例・印紙貼用心得・訴答文例 武宮貫一編 京都 : 小野正己, 明7.10
和漢字引便用 陶山直良編 小野正己校 大阪 : 小野正己, 明9.3.
摘句日本外史譯語大全 小野正己編 青山薫校閲 出版地不明 : 出版者不明, 1878.10

百万遍で三冊百円のなかから拾ったのだが、どうしてこの端本を取り上げたかというと、本文が金属活字で印刷されているからである。明治七年で金属活字は珍しいと思う。なにしろ「活版社」なのだ。

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端正な活字彫刻である。崎陽新塾製造活字の系統と思うが、ネット上で見るその見本(下、國、を比較)よりもこちらの方が当然ながらこなれた線になっているようだ。ウィキの「本木昌造」を見ると以下のようにある。

[1870年]同年、小幡正蔵、酒井三蔵、谷口黙次を送って大阪に支所を作り(後の大阪活版所)、1872年、小幡と平野を東京に派遣し長崎新塾出張活版製造所を設立させた(後の築地活版)。

大阪活版所は明治三年の開設だ。京都も同じ年である。その辺りのことは以前書いておいた。

點林堂(てんりんどう)

どうだろう、そうすると、この明治七年免許の金属活字印刷による書物がたいそう貴重なものに思えてこないだろうか。そして、どういう理由なのか、奥付はまだ木版摺のままである。

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by sumus2013 | 2014-11-12 20:51 | 古書日録 | Comments(0)

最後の読書

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『週刊朝日』5280号(朝日新聞出版、二〇一四年一一月二一日)。「週刊図書館」という読書コーナーに「最後の読書」というリレーエッセイのがある。死ぬ時に読んでいたい本の話。ここに原稿を書かせてもらった。前号は歌人の福島泰樹さんだったように執筆者は著名な方々ばかりなので少々場違いな感じ。依頼してくださった編集者の方に感謝。目下得意のパリ・ネタでまとめました。

あと、牛津先生が知らせてくださったこと。『早稲田文学』(二〇一四年冬号)「モノマニアになるためのブックガイド」特集で辻本力氏が「モノと物語の生活読本」を執筆しておられるなかに拙著『古本屋を怒らせる方法』(白水社、二〇〇七年)が紹介されている。これは嬉しい。ミル・メルシ!




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by sumus2013 | 2014-11-12 19:58 | 文筆=林哲夫 | Comments(0)

藤井高尚短冊

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秋深し、の短冊を二枚掲げる。まずは一羽の雁が月を背景に飛び去る仲間を見上げている図柄。サワンかな……。印章の文字は「生乃」か、あるいは一文字? もう一枚、ちょっと珍しいと勝手に思っている歌の短冊。

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 さはるへき雲きりもなし山のはの
 あらしのあとに出る月かけ   高尚


雲に続く二文字を「きり」と読んだが、どうだろう(?) 雲の返しの嵐(雨の後に雨雲を吹き返す風)が去った後、山の端に月が輝いている。

高尚はおそらく藤井高尚。本居宣長の高弟で江戸後期の代表的国学者。備中吉備津宮の祠宮。明和元年(一七六四)賀陽郡宮内村(岡山県吉備津市)生まれ、天保十一年(一八四〇)歿。生涯を通して数多くの歌を詠み、歌人としても知られた。詳しくは下記。

篤学の人 藤井高尚


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by sumus2013 | 2014-11-11 20:13 | 古書日録 | Comments(0)

観楓紀行8

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明治二十九年十一月二十日。晴天雲なし。中桐絢海は南岬(宿の主人で、同郷讃岐の人)とともに京都へ向かう。人力車で梅田駅へ。七時五十五分発京都行に乗車。《乗客頗ル夥多ニシテ南岬ハ京都ノ近クマテ立往生ヲナセリ》。伏見稲荷停車場で降りてまず稲荷神社を参拝。そこから北へ向かって東福寺の境内へ入った。

《東福寺ハ維新ノ際再三ノ火災ニ罹ルト雖ドモ通天橋ハ旧形依然タリ予ハ幼時曾テ一遊セシコトアリ今ヤ星移リ物変リ再ヒ楓紅ヲ茲ニ賞ス蓋シ今昔ノ感ナキ克ハサルナリ》

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『日本地理辞典』(郁文舎、明治三十九年)より


しかしここの紅葉はすでに色が褪せており観光客はまばらだった。小亭で酒と茶を喫する。出された菓子が不味かった。落葉が紛々と散り落ちて酒杯のなかに。南岬の俳句。

 散るをみし待わひ顔や膝の上

 首筋へ冷りと一葉楓か那

東福寺の北門を出て伏見人形店を見やりながら(当時は北門付近にも人形店があったようだ)、人力車を雇って往復の約束をし三尾へ向かう。京都御所から西北へ走る。御室仁和寺の爛燦たる紅葉を眺めて三尾の麓に到着したのが正午を少し回ったところ。まず高雄山へ向かう。観光客(游覧人)が多くて雑沓とも言うべき様相を呈している。神護寺から細い坂道を登り地蔵院へ。清滝川を眼下にする秀麗な景色に満足した。しかしその人出が多いのに閉口する《此地又露棚多架設シテ游覧人雑沓殆ント田舎ノ祭礼ノ如シ》。

路を槙尾の方へ取り紅葉を眺めながら渓流に沿って行く。西明寺の幽邃な風情に満足して山を下り栂尾へ。白雲橋のそばに断崖があり、その上にいくつかの茅亭、草舎が見える。風流な隠士かあるいは禅師が住んでいるのだろうかといぶかる。高山寺へ。明恵上人の遺墨などの宝物を見ることができた。堂上で茶菓をふるまわれた。夕陽が西山に沈んで行く光景に恍惚となる。

山を下って、夕食を摂ろうと思ったが、車夫が案内してくれたのは一膳飯屋だった。二人で苦笑いしつつ、残ったひょうたんの酒を飲み、車夫たちと食事をした。食後、妙心寺を斜めに突っ切って七条停車場へ。午後七時。二十分ほど待って大阪行きの汽車に乗り込んだ。

《乗客甚多カラス中ニ一少女アリ永観堂ノ楓ヲ携ヘ帰レリ車窓ヲ開ケハ東山ノ頂ニ新月ノ浮フヲ看ル夜景糢糊トシテ山川悠々タリ》

大阪の宿に戻ったのは午後十時頃だった。茶碗蒸を食べて寒さを破る。留守中に緒方正清が来ていた。明日は手術日なので見学に来てくれとのことだ。

(つづく)





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by sumus2013 | 2014-11-11 20:12 | うどん県あれこれ | Comments(0)

ロードス通信

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郷里の書庫には古書目録の詰まった段ボール箱がたくさんあった。よほどの古本者でも目録まで保存する人はそうはいないと思うが(もちろんスペースの問題)、こちらは本は処分しても目録はとっておこうかと思ったりしている。と言っても、小生がもらう目録などたかが知れている。それでも二十箱くらいはあったかもしれないが、なんでもかんでも放り込んであったので、今回少しだけ仕分けした。関東と関西で大別し、あるものは店ごとに分け、合同目録などは判型でトリアージュした。

そのなかから九月に亡くなられたロードス書房さんの目録をひとまとめにして京都に持ち帰った。店主は大安榮晃(おおやすしげみつ)。名前の読み方が難しい。知り合ったのはサンパル古書のまちがオープンしたときだから一九八六年か…。すぐに親しくなって、大安さんの郷里丹波篠山へ大安さんが帰郷するたびにその車に同乗して通っていた時期があった。篠山の風景を描いて欲しいと依頼されたのである。神戸から一時間以上かかったと思う。二回や三回ではなかった。初めは塾をやり、さらにそこで古書店を開いたという実家にも行ったし(お母さんが素晴らしい方だった)、奥さん(やはり篠山出身、初対面のときには女優のような美形にびっくりした)の実家に泊めてもらったこともある。そんなある日、大安さんがガソリンスタンドで支払いのためにカードを機械に通した。するとこの名前がカタカナでピッと表示された。「ああ、そういうふうに読むんだ」と初めて知った。知り合ってから何年も経っていたと思う。

名前と言えばロードスという店名。これはイソップ物語の「旅をした者の自慢の話」(『通俗伊蘇普物語』渡部温訳、東洋文庫による)が出典であるとこれは直接大安さんから聞いた。ロードス島(渡辺訳ではロデス島)で大跳躍をしたとホラを吹いた男が、今、ここがロードスだと思って跳んでみろと言われてへこまされる話。ちょっと(かなり?)屈折していた大安さんらしい正義感というかこだわりがうかがえるように思う。

ロードス通信、実は揃っていない。探し方が不十分だったのだろう。もらうのは第一号からもらっているはずだ。四号(一九九五年一一月)から三十七号(二〇一四年五月)まで二十四冊しか見当たらなかった。四号は阪神淡路大震災直後の一九九五年十一月発行。そうか、地震のときに処分してしまった書籍類のなかに一号から三号までが含まれていたのかもしれない。これは残念だ。四号には地震および地震後のことが表紙裏に一頁ほど綴られていて、大安さんらしい筆致が痛快。初期の目録には贅言はほとんど見られないが、手許にあるなかでは十二号から「ご挨拶」が少しずつ長くなって一頁エッセイとして毎号掲載されるようになっている。そのなかなか辛辣な(独特なヒューモアのあると表現すべきか)語り口調を参考までに少しだけ引用してみよう。

《マスコミやネットブログ上では古本屋ネタが大はやりで、この事自体はいよいよ絶滅危惧種の希少種としてもてはやされているのだなと妙な納得の仕方をしています。かつては黒木書店や笹野書店やあづま書房のような、一見の客にはとっつきの悪そうな店が俎上にあげられたものですが、今は何といっても癒しの巨匠、街の草、口笛文庫がモテモテであります。口笛文庫はまだ若く、新婚で、店舗のつくりも周辺還境も神戸の街の本屋さん風で、イイ感じというのはよくわかりますが、街の草ときたら、周辺還境は目を覆いたくなるような崩れた商店街の迷路のような位置にあるし、本人はおしゃれではなく、丸々自然に破れたジーパンを年中身につけているし、これで来客のお客さんが結構癒されているなら、なかなかテクニシャンだなと思っています。癒し系なら、塚口・山口書店、大庄町・高井書店、武庫之荘・みょうが堂、長田・アンデパンダン等、豊富だったのですが、現在全て固有の店舗がありません。寂しい限りです。》(十九号、二〇〇五年一二月)

また、二十一号では皓露書林、三十二号では宇仁菅書店、三十四号では板東古書店についての追悼文を書いている。いずれも読み応えのある貴重な古本屋の記録だ。そういう忘れ去られるであろう人たちを(古書目録に取り上げる資料類においても)拾い上げて留めておこうと務めた大安さんの生き方がそのままロードス書房通信に息づいている。ロードス(自分の居る場所)で跳躍してみせた、名前に恥じない目録である。

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先日、少し触れた古書いとうの伊藤昭久氏が亡くなられたのは七月十七日だそうだ。享年七十二。第37回『本の散歩展』(二〇一四年一〇月)の目録に古書りぶる・りべろの川口秀彦氏が「嗚呼!! いとうさん」という追悼文を発表しておられる。某氏より頂戴した(五反田の目録はほとんどもらっていない、ときおり月の輪さんが送ってくれる程度)。伊藤氏は山梨シルクセンター(サンリオの前身)で出版に関わっておられ、古書店主となってからも文学への情熱を持ち続けられたという。著書に『チリ交列伝』(論創社、ちくま文庫)。


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by sumus2013 | 2014-11-10 21:07 | 古書日録 | Comments(2)