林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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小説検定

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南陀楼綾繁『小説検定』(新潮文庫、二〇一四年一一月一日、カバー装画=はと)が届いた。新潮文庫! 創刊100年のあの新潮文庫だ。ある人から新潮文庫が最近まったくふるわないという話を聞いたが、いやいやどうしてこんな本を出してくれるのだから頑張っていると言っていいのじゃないかな?

五年ほど前、『古本検定』(岡崎武志編、朝日新聞出版、二〇〇九年)という本が出たことがあった。小生も少し協力したが、この本は残念ながらあまり話題にならなかった。たぶんマニアック過ぎたのであろう。しかしこの『小説検定』は違う。巻頭カラー口絵の問題がこのくらいのレベルでしかも二択なのである。

・主人公が書店の本の上にレモンを放置する場面のある短篇の作者は?

 A 川端康成
 B 梶井基次郎

・河童の絵を自画像として好んで描いた芥川龍之介が、人生の最後にとった行動は?

 A 自殺
 B 失踪

・このスポーツに打ち込む青春を描いた小説は?
 (テニスボールがネットにからんだ写真)

 A 東野圭吾『放課後』
 B 宮本輝『青が散る』

他五問。

これなら大丈夫。やっぱりクイズは解けないと面白くない。ただし、だんだん読み進めて行くとなかなか奥深き世界であることが分る。食べ物、動物、青春、旅、恋愛、お金と仕事、家族、音楽というジャンル別の出題(それぞれ初級・中級・上級あり)そしてそれぞれにまつわるコラムが南陀楼氏らしくていい。これからの時期にピッタリの一冊だ。

せっかくだから手許にあった100年前の新潮文庫を掲げてみる。ダ井ン著・大杉栄訳『種の起原 一』(新潮文庫第七編、一九一四年一〇月一六日)。表紙、見返し、扉、刊行の趣旨、奥付、新潮文庫目次。

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現行の新潮文庫はタテ151ミリ、ヨコ106ミリだが、100年前は地券表紙(セミハードカバー)で138ミリの96ミリと一回り小振りなサイズである。









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by sumus2013 | 2014-10-31 20:11 | おすすめ本棚 | Comments(0)

路地裏に綴るこえ

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佐野由美(絵・文)『神戸・長田スケッチ 路地裏に綴るこえ』(くとうてん、二〇一四年一〇月二五日)。

くとうてん
http://kutouten.co.jp

佐野さんは巻末の略年譜によれば、一九七五年神戸市長田区生まれ。九五年大阪芸術大学在学中、長田の自宅で阪神・淡路大震災に遭遇。一九九八年四月から一年間NGOの派遣事業に参加しネパール・パタンに滞在。ボランティアで美術教師を務めながら美術家としての活動も行った。帰国直前の九九年四月、交通事故により死去。

本書の内容は大きく二部に別れる。まずは「下町・長田に綴るこえ」として長田の人情風俗を絵と文でスケッチしたもの、これが三分の一、残りはやはりスケッチと文から成る「震災日記」である。

震災から来年でもう十五年になる。早い。しかし、いかに早く時間が過ぎ去ろうとも実際に体験した身には昨日のこととしか思えない。空を覆う噴煙が瞼に浮かび、耳の奥にはヘリの爆音が断続的に響きつづけている。佐野さんの震災絵日記は正直読むのが辛かったのだが、読み始めると、そうだった、そうだった、そういうこともあったな、とうなづく場面ばかりで知らぬ間に読了していた。文章の素直さと、暖かさに包まれた挿絵の魅力もあろうか、貴重な記録になっている。

長田にまつわる思い出スケッチに古本屋が登場する。

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《本棚の上の方にある、分厚くて重そうなハードカバーの古典文学集や、昔の映画などのポスター・パンフレット、アイドルのブロマイドなどを眺めているだけで、とても幸せな気分になった。》

《おばちゃんは「10円まけといたげる、90円でええよ」と本代の釣り銭をまけてくれた。いつ行っても、おばちゃんはテレビを見て、やたら大きな猫といつも寝ている猫に囲まれながら座っていた。古い本の持つ趣と同化するべく、おばちゃんも猫の存在も、古本屋の独特の空間を味わい深く彩っていた。》

西代駅の近くにあるというからこの古本屋は「書房B」であろう(『神戸の古本力』(みずのわ出版、二〇〇六年)を参照してみるとすぐに見当がついた)。これもまた貴重な古本屋の記録になっている。

《思い出は思い出だから美しいのである》と佐野さんは書いておられる。人は醜いものを「思い」から「出」さないのだろうか。巻末に付された「ある魂に寄せて」で季村敏夫さんは小林秀雄の「思い出が、僕等を一種の動物である事から救うのだ」を引用しておられるが、小林ロジックの限界を感じさせるところは措いておいて、人間は「思い出」の皮を被って生きているのかもしれないな、と思ったりもする。

ただ、残された絵や文章は思い出とはひと味違うトゲ、すなわちリアリティがある。それがまた思い出を刺戟し、思い出はさらに微妙に変化するようだ。佐野さんの絵と文を眺めているとそんなつまらぬことを考えてしまうのである。




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by sumus2013 | 2014-10-30 21:14 | おすすめ本棚 | Comments(2)

大根を抜きつつ人生短しと  澤本三乗

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うどん県にて実家の片付けをしておりました。電話もなくインターネット環境もない場所でひたすら捨てるものを選別(というかほとんど捨てるもの)しておりました。留守中のメール、郵便物などにお応えできませんでしたことお詫び申し上げます。

今回の滞在中、一度もうどんを食べませんでした。ひいきにしていたうどん屋が閉店していてショックを受けました。



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by sumus2013 | 2014-10-29 19:59 | うどん県あれこれ | Comments(0)

「生田耕作先生を偲ぶ夕べ」於・アスタルテ書房

《入院中のアスタルテ書房の佐々木さんが、生田耕作20回忌の命日である10月21日(火)に 外出許可を取って、午後6時から1時間程度、アスタルテ書房にて、「生田耕作先生を偲ぶ夕べ」を開催されます。》

三月書房のブログのようなもの


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by sumus2013 | 2014-10-19 08:25 | もよおしいろいろ | Comments(4)

観楓紀行7

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明治二十九年十一月十九日。石橋雲来を訪問して昨日の箕面行きのことなどを報告。そこへ森琴石が来合わせた。名前は知っていたが初対面だった。琴石はしきりに寒霞渓のことを話題にしてぜひ遊びに行きたいと言った。中桐絢海はここで琴石に紅葉の一枝を描いてくれるように依頼したところ二日後に届けてくれた。

さらに門を叩く者があった。それは五十川訊堂翁だった。八九年前に絢海の自宅に泊まったことがあった人物で再会を喜ぶ。

五十川 訊堂 いかがわ じんどう 天保6年(1835)~明治35年(1902)
福山の人で、名は淵、字は士深、通称は卓介・左武郎、号は初め勤齋のち訊堂と称した。藩医五十川義集の次男。(中略)大阪府尋常師範学校と改称され教授に任じられ、大阪に16年勤続した。
 明治30年(1897)7月9日、依願免職して帰郷し、明治31年(1898)3月から明治35年(1902)2月19日の病没まで、福山誠之館で嘱託講師として漢文・修身を教えた。彼は資性温厚、文・書ともに当地方に及ぶ者なしといわれた。》(好古斎「五十川訊堂」

午前十時、大阪府立博物場に行く。前月二十日より美術館で紅葉にちなむ書画珍器を陳列しているというので楽しみにして来た。虚白、英一蝶、宗達、文鱗、光起、山口素絢、米山人などに言及している。そして大雅、竹石、梅逸、椿山、春琴などにも紅葉の絵があるのにどうして展示されていないのか、残念だという感想。

南本町の紅花堂へ車を飛ばして書画帖を買い求める。心斎橋の嵩山堂で書籍を若干購入。正午近く宿に戻って食事をとった。

食後、片町停車場へ。四条畷行きの汽車に乗って畷神社を詣でる。この年に建立された「征清紀念碑」を見る。午後四時、片町に戻る。淀川畔を散歩。浪華橋を渡り中洲公園の晩景を賞す。旅宿に帰ると留守中に緒方拙斎の来訪があったことを知る。

緒方拙斎 おがた-せっさい
1834-1911 幕末-明治時代の医師。
天保(てんぽう)5年2月16日生まれ。漢学を広瀬淡窓に,蘭学を青木周弼(しゅうすけ),緒方洪庵にまなぶ。のち洪庵の養子となり適々斎塾をつぐ。緒方惟準(これよし)らと明治20年緒方病院,22年大阪慈恵病院を設立した。明治44年12月15日死去。78歳。豊前(ぶぜん)小倉(福岡県)出身。本姓は西。名は羽。字(あざな)は子義。別号に南湫,孤松軒。

五十川翁に遊びに来いと言われていたが、宿の主人南岬とともに明日の京都行きの用意をし、対酌してほろ酔いになったところで就寝した。

***

都合により十日ほどブログを休みます。



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by sumus2013 | 2014-10-18 20:09 | うどん県あれこれ | Comments(0)

どなたでしょう?

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古本屋の紙モノ満載の段ボール箱、そこにひょいと古アルバムの断片が乗せてあった。おそらく明治時代の終り頃かと思われる写真が九枚。台紙にスリットを入れて四隅をはめこんである。そのなかにこのアルバムの持ち主ではないかと思われる男性の写真(上)と女性の写真および三人の外国人を含む記念写真があった。これら以外はいずれも人物を添景にした田園風景ばかりである。

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なんとなくではあるが、大学の先生かな、外国人はドイツ人かな、などと想像をたくましくしている。どなたかこの主に心当たりのある方はおられないだろうか?

内藤濯では? というご指摘をいただきました。どうでしょう。

内藤濯の留学日記Ⅰ

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by sumus2013 | 2014-10-17 21:33 | 古書日録 | Comments(2)

狙撃兵

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『菱』187号(詩誌「菱」の会、鳥取市立川町4丁目207、二〇一四年一〇月一日)。小谷達樹の遺稿「昭和十年代鳥取のモダニズム詩運動 詩誌『狙撃兵』『ルセルセ』を中心に」が掲載されている。

詳しくは本誌を参照していただきたいが、鳥取師範学校の学生たち、小谷五郎、石塚敏夫(吐子)、清水利雄(達)が新しい短歌・詩を求めて昭和十年十月に創刊したのが『狙撃兵』で二年間に八号まで発行された。卒業後の昭和十二年、清水と小谷が二人で始めたのが『ルセルセ』である。二冊発行されたようだ。『狙撃兵』の表紙が当時の風潮を真っ向から受けた形でたいへんよろしい。

小谷達樹氏(小谷五郎氏の子息)の原稿は引き続き『花軸』(花軸社、一九四七年四月〜四八年三月、八冊)および『メトード』(メトード社、一九四九年八月〜五〇年二月)を論じることになっていたが、惜しくも八月二十七日に亡くなられたという。

それにしても、新潟の『新年』といい、全国各地にこういう清新な詩誌が埋もれていると思うとワクワクしてくるではないか(しない?)。


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by sumus2013 | 2014-10-17 21:22 | 古書日録 | Comments(2)

川村書店の現況

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「川村書店の写真(本日撮影)を撮りましたのでお送りします」と中央線沿線にお住まいのある方より頂戴した写真です。


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by sumus2013 | 2014-10-16 20:46 | 古書日録 | Comments(0)

J-J.ポヴェール死去

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しばらくチェックしていなかったフランスの古書ブログをのぞいてビックリ。ジャン・ジャック・ポヴェールが九月二十七日に死去していた。二十八日、娘の一人が公表した。数年前から南仏の海岸沿いの街トゥーロン(Toulon)に隠居していたが、そこの病院で亡くなったそうだ。一九二六年生まれ、享年八十八。

ポヴェールと言えばサドである。しかし一般的には『O嬢の物語』が最も知られているだろう。映画化もされた。上は架蔵のポヴェール本の一部、左から『サド全集』(一九五五年版)の「愛の罪」と「ジュスティーヌ」、右は自伝『LA TRAVERSEE DU LIVRE』(Viviane Hamy, 2004)

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自伝より、シネ(漫画家)に耳打ちするポヴェール。右頁にトポールの作品集『アントロジー』など。

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上は一九二六年のポヴェール、下は二〇一三年(ともにインターネットから)。八十七歳でマックを使いこなしている(ように見える)のはさすが編集の鬼だと思う。

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これまで daily-sumus で紹介してきたポヴェール関連の記事。

O嬢の物語
http://sumus.exblog.jp/10204602/

バタイユ『青空』
http://sumus.exblog.jp/13105686/

トポール『マゾヒストたち』
http://sumus.exblog.jp/13267600/

『BIZARRE』
http://sumus.exblog.jp/13121296/




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by sumus2013 | 2014-10-16 19:52 | 古書日録 | Comments(0)

南画大体

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墨画の短冊を買った。作柄は悪くないと思う。筆は達者で素人臭くはない。ただし、そんなに古いものではないだろう。遡っても幕末、大方明治か。落款はおそらく「蠓成写」。印は「[?]徳」。誰だか分らない。

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ユニテでの個展の折、来場くださった某氏より石川淳『南画大体』(日本文化研究第二巻、新潮社、一九五九年二月一五日)を頂戴したので、このところ読みふけっていた。いかにも石川淳らしい真っすぐな迷路といった趣の文体によって日本南画、特に大雅と蕪村についてやや饒舌に語られている。

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そもそも石川淳は池大雅によって南画に目を啓かれた。

《わたしが大雅の画からはじめてつよい感動を受けたのは、たしか昭和十年ごろか、上野表慶館の屏風展覧に於て、山水楼閣図六曲一双を見たときであった。そのときまで、わたしは南画一般についてわるい概念をもっていた。いつのまにか、わたしのうちに南画観のできあがったものがあって、見えるかも知れぬ目筋までそのためにふさがれていたようであった。それというのも、今かえりみれば、わたしは幼少のみぎりから祖父の居室にぶらさがった南画のたぐいを見なれてはいたが、ちとの文晁をのそいては、その多くが春木南岳【誤植? 春木南溟か】とか山本梅逸とかいう三流の材料であったせいだろう。もっとも、文学のほうにもマイナーポエトというものはある。三流、かならずしもこれをきらわない。とくに南画の流では、マイナーポエトと目されるものの中にも、たとえば立原杏所のようなものになると、これはどうか。まんざらでもないだろう。これを壁に展べれば、ぴんとした気合である。

石川淳の祖父は当たり前ながら二人いる。おそらくここで言うのは省斎こと石川釻太郎(きゅうたろう)であろう。幕臣・御家人で儒学、和学に長けていた。維新後は官職に就かず漢詩集を編集したり寺子屋のようなことをやっていたそうだ(渡辺喜一郎『石川淳傳説』)。上の文章に続けて石川は山水楼閣図の鑑賞についてこのように説いている。

《ひとは大雅の世界観から幸福感というみやげをもらうことになる。ところで、このあたたかいみやげの折詰はただではもらえない。ここは元来詩書画三絶の境である。もしかすると、琴棋もまじっているかも知れない。したがって、この境に招待されるほうの身にしても、早判りの解説という観光バスに便乗する代りに、すこしは自分の足に灸をすえて、てくてくあるいて参上するだけの義理はあるだろう。すなわち、いくぶん身銭を切って、詩書画のにおいぐらい嗅ぎわけるような鼻は平常からやしなっておかなくてはなるまい。しかし、これではどうもはなしがちがう。せっかくただの画と見て、線と色とに還元してながめていたところに、ここで詩書なんぞという余計ものに割りこんで来られたのでは、鑑賞上ちと約束がちがうではないか。いかにも、そのとおり。南画というものは所詮こういうものである。やむをえざる仕儀と合点するほかない。

こいう文章を「真っすぐな迷路」と思う次第。

大雅と言えば、平成二十五年に閉館した池大雅美術館のコレクションが京都文化博物館へ寄贈された。それを記念した展覧会が十一月八日から始まる。これは久々の大雅から幸福感というみやげをもらうチャンスであろう。

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by sumus2013 | 2014-10-15 20:20 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)