林哲夫の文画な日々2
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夢みる波の

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『夢みる波の 舟山逸子詩集』(編集工房ノア、二〇一四年年九月一日、装幀=森本良成)を頂戴した。著者からではなく某氏より。その推薦の言葉を一部引用しておく。

伊東静雄ー杉山平一の流れを汲む四季派の詩人舟山逸子さんの詩集『夢みる波の』を1部お送り致しました。小生大昔に『春の落葉』という詩集を読みまして「ういういしい詩情」にふれた者です。今度、編集工房ノア刊で、2冊目を出されました。以前のような詩とは違い、それなりの人生の苦労、機微にふれた詩のようです。

失礼ながら二冊目ではなく『春の落葉』(花神社、一九七八年)、『夏草拾遺』(花神社、一九八七年)に続く三冊目のようだ。本書には収録されていないが、杉山平一追悼の一篇がネット上で読める。

一枚の絵から 追悼杉山平一

舟山逸子詩集『夢みる波の


本書より短い詩を一篇スキャンしてみた。「さびしい」という言葉がいろいろなことを想わせてくれる。

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by sumus2013 | 2014-09-05 20:33 | おすすめ本棚 | Comments(0)

新月

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タアゴル『新月 幼児詩集』(増野三良訳、東雲堂書店、一九一六年六月一日再版、装幀=富本憲吉)を取り出した。初版は一九一五年(大正四)。増野は他に『園丁 印度新抒情詩集』(東雲堂書店、一九一五年)と『ギタンヂヤリ 印度新詩集』東雲堂書店、一九一六年)を刊行しているが、同時期に加藤朝鳥の訳詩集も出ているから、タゴールの人気のほどがうかがえる。年譜を見ると、一九一三年にアジア人初のノーベル賞(文学賞)を受賞し一六年には来日している。時の人だった。

盛林堂ミステリアス文庫の新刊が届いた。未谷おと編『松村みね子譯詩集 月虹』(書肆盛林堂、二〇一四年九月九日)。そう、ここにタゴールの『新月』から選ばれた十篇の訳詩が掲載されているので東雲堂版を引っぱりだしてみたのである

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なんと松村みね子(片山廣子)は村岡花子の先輩だった。

《「赤毛のアン」で有名な、村岡花子とは、東洋英和女学校の先輩にあたり、柳原白蓮の紹介により信綱門下となった村岡花子に翻訳を勧め、自らの蔵書をきまえよく貸し出したという。そして、翻訳家、村岡花子の決定的な一冊となった「王子と乞食」が、昭和二年一〇月一五日、刊行される。この本は「花子が以前、片山廣子に日本の出版界における《家庭文学》の必要性を語った時に、片山廣子が「是非、これを」と薦めてくれたことがきっかけとなっている。》(本書より、小野塚力「片山廣子/松村みね子、あれこれ」

さて、『新月』の原題は『The Crescent Moon』である。クレセントは三日月。え、三日月は三日目の月だから新月ではないのでは? と思ったら、じつは新月には二つの意味があった。『言海縮刷』(明治三十七年再版)によれば

(1)朔(ツイタチ)ノ月。
(2)月初メノ夜ノ泛称。

である。泛称(ハンショウ)は総称の意。新しい月ということで三日目くらいまでなら新月でもいいようだ。クレセントの語源はラテン語の crescere 増大する。フランス語なら日本人にもおなじみのクロワッサン(croissant 三日月、三日月パン)ということになる。

二冊並べると悪いクセが出て松村みね子訳と増野訳を比較したくなる。あまり長くないもので訳に齟齬がある方が面白いなと思ってめくっていると、ありました。「職業」(松村)と「神命」(増野)。原題は「Vocation」で、どちらの意味も持ち合わせている。まずは増野訳。

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そして松村訳は次の通り。

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解説によれば松村が大正三年に雑誌『心の花』に「新月」を訳出したのが日本での初めての紹介だった。《ただし、翌年にはタゴールが多数翻訳されたため、顧みられることはほとんどなかっただろう》(未谷おと)という。増野訳の日本語としての調子は決して悪くないが、文体だけ比べると松村の方がずっと新しく感じてしまう。

詩のタイトル、これはやはり「職業」であろう。あるいは「天職」くらいの意味だろうか。子供の心理をうまく表現した詩だ。

増野訳で大間違いは二行目「鷹匠」。普通に読んでもヘンでしょう。hawker は商人というか行商人(hawk:go from street to street, house to house, with goods for sale)である。これは増野が松村訳を見ていなかった証拠になるだろう。

bangles は「くるぶしかざり」か「腕環」か? 腕輪が普通だが、意味としては両方あるようだ。くるぶしかざりはアンクレットとも言う。ただ思うに「鷹匠」と訳した以上は踝飾りでなければならないと増野は考えたのかもしれない。

植木屋のところで《誰も叱らない》と《手伝をするものはありません》もまったく違う翻訳だ。

nobody takes him to task if he gets baked in the sun or gets wet.

この take(a person)to task は「責任を問う、叱る、とがめる」という熟語。辞書を引けば出ている。増野の仕事と比べてみると(再版なのに訂正されていないのも納得できないし)、松村みね子の正確な英訳力がはっきり分る。


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by sumus2013 | 2014-09-04 20:20 | 古書日録 | Comments(0)

竹尾賞 デザインと社会をつなぐ10回の歩み

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竹尾賞が第十回を迎えた記念に六月から七月にかけてこれまでの受賞作とともに展覧が行われた。これはそのときに作られた図録である。ちょうど連絡が入ったときにパリにいたので、受賞者の言葉をメール校正をしただけで、ブログにも何も告知できなかった。

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あらためて第一回から眺めてみると、凄い本ばかりで、感心した。よくこのなかに選んでもらえたものだ。『関西の出版100』はもちろん多くの人々の協力を得た良い本で、装幀も悪くない出来だとは手前味噌ながら思ってはいるのだが、賞というのは運の側面もあるから、そう言う意味ではとにかくラッキーだった。



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by sumus2013 | 2014-09-03 21:15 | 装幀=林哲夫 | Comments(2)

BOOK5 No.13


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『BOOK5』13号(トマソン社、二〇一四年九月一日)が届いた。特集は本屋道具図鑑。これまでこんな特集あっただろうか? あまり記憶にないが、面白く読んだ。特集のトップは「古本屋の棚づくり」と題して「フォレスト・ピアの中村敦夫さん」の仕事を紹介している。都内の古書店の改装、新装のときに棚作りを手がけているという。店のスペースに合わせてオーダーで棚ができるのはうらやましい。古本屋でなくてもこんな棚があったらいいなと思ってしまう。フォレスト・ピアの連絡先はネット検索じゃ見つからないようだが、この雑誌に書いてあります。

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もうひとつ特集の目玉は「古書往来座と道具の話」。店主瀬戸さんのアイデア道具の数々が紹介されていて、こだわり具合がじっくり語られている。

他には「神田の自転車と風呂敷」には西秋書店さんが登場。古書会館でセリ落とした本を自転車で店まで運ぶそうだ。三十年、四十年使っている自転車は神保町では当たり前とか。知らなかった。

そして新刊書店の道具いろいろも登場。「紐切り」はひとつ欲しいぞ!

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トマソン社


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by sumus2013 | 2014-09-03 20:57 | おすすめ本棚 | Comments(0)

コデックス本

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コデックスについて書かれたものが書棚にないか探していると、ヘンリー・ペトロスキー『本棚の歴史』(池田栄一訳、白水社、二〇〇四年二月一〇日)が見つかった。

《西暦紀元の初めの数世紀には、綴じた本、すなわちコデックス本の数が増加していたので、本棚には、巻子本だけでなくコデックス本の収納も求められるようになっていた。本の形としてはコデックス本の方が好まれたので、こちらがやがて巻子本に取って代わる。コデックスという名称は、木材の表紙で覆われているところから付けられ(コデックスcodex はラテン語で「木の幹」を意味する)、「法典」code という法律用語のもとになった。パピルス紙や羊皮紙を折りたたみ、縫い合わせて製本されるコデックス本には、巻物より明らかに優れた利点がいくつかあった。巻物の場合、終り近くの一節を探すには全体を開く必要があるが、コデックス本なら、すぐに関連ページをめくることができる。また巻子本では普通、片面にしか字を書き込めないのに対して、コデックスは紙の両面を使える。

《古代ギリシア・ローマ時代には、木や象牙の書字板[タブレット]を蝶番式につなぎ合わせて、携帯用白板とでもいうべき物を作っていたが、コデックス本はこの書字板から発達した。立ったまま、あるいは馬にまたがったままメモを取らなくてはならなかった徴税人などにとって、巻物は不便だったのだろう。

《略式の書字板本の形をまねた初期のコデックス本は、西暦紀元の初め(二世紀頃)にまでさかのぼることができるようだ。コデックス本の形が初めて使われたのは、キリスト教の聖書をパピルス紙に書き写して回し読みする際、ユダヤ教や異教の巻物と区別するために、冊子形式を採用し始めたときだったと推測されている。巻物より明らかに優れていたので、「四世紀の初めには、キリスト教、非キリスト教どちらの文献でもコデックス本が主流の媒体になり、巻物の使用頻度は激減していた」

引用文中の最後にある「 」内の引用はBarbara Shailor『The Medieval Books』(University of Toronto Press, 1991)より。

これを読んで思い出したが、書字板(タブレット)と巻物(スクロール)が両方描かれているポンペイの有名な壁画がある。「パン屋の夫妻」(紀元後六〇〜七九年頃)。妻の持つタブレットはなかなかオシャレで高級そうだ、昨今のタブレットを連想させるくらい。なおヨハネ黙示録が成立したと推定されるのはやはり紀元後一世紀末頃だそうだからこの絵とさほど変らない時代ということになる。

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ひとつ気になるのはモスタファ・エル=アバディ『古代アレクサンドリア図書館』(松本慎二訳、中公新書、一九九一年)に掲載されている図版、プトレマイオス朝前期とされるテラコッタ像である。「ひざに本を乗せた女性の小像」。

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プトレマイオス朝は紀元前三〇六年から前三〇年まで続いた王朝だが、巻物ではなくこんな四角い本のようなもの(粘土板か?)が女性にも読まれていた?

もうひとつ、ヨハネ黙示録と似た神の言葉の天使による伝授というシチュエーションはクルアーン(コーラン)がそれを踏襲している。

610年頃、メッカ郊外のヒラー山の洞窟で瞑想していたムハンマドは突如金縛りに襲われた。そのとき天から大天使ジブリールが現れ、「誦め(よめ)」と言った。ムハンマドが「何を誦めと言うのですか」と苦しみながら尋ねたところ、ジブリールはフッと消えていった。この時よりクルアーンの啓示が始まる。それから二十三年の間、ジブリールはムハンマドの元を度々訪れてはクルアーンの各章を啓示していった(クルアーン96章など)。》(ウィキ「ガブリエル」より)

ここで言う大天使ジブリールはユダヤ教(ガヴリーエール)、キリスト教のガブリエルであり、西欧では受胎告知の天使として絵画化される例が多い。ヨハネ黙示録には名前は示されていないけれどもヨハネに呑み込めと巻物を渡す天使がガブリエルではないかと考えられているそうだ。

ムハンマドは文盲だった。だからヨハネ黙示録の巻物(ムハンマドの時代ならもうコデックス本が主流だろうが)を食う話がもってこいの啓示だった。すなわち文字通りの「口移し」ということだ。



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by sumus2013 | 2014-09-02 20:50 | 古書日録 | Comments(0)

竹中英太郎への旅

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湯村の杜 竹中英太郎記念館
http://takenaka-kinenkan.jp


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by sumus2013 | 2014-09-02 20:35 | もよおしいろいろ | Comments(0)

新約聖書

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『NOVVM TESTAMENTUM DOMINI NOSTRI IESV CHRISTI, VULGATAE EDITIONIS』(Agrippinae, 1639)、これはジョルジュ・ブラッサンス公園の古本市で以前求めたもの。携帯用の手のひら『新約聖書』、タテ約十センチ。

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先日の本を食べる話を探してみると新約なのでエゼキエル書はむろんないがヨハネ黙示録の該当箇所は次のようになっている。ウルガータ版と断っているので当然ながら細かい記号以外は全く同じ文章である。

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ラテン語版ではこれら二つの本(巻物)は単語が違っていることはすでに引用したが、フランス語ではどちらも「livre」のようで、手近の『LA SAINTE BIBLE』(VERSION SYNODALE, 1957)司教区会議版聖書にではこう書かれている。まずエゼキエル書。三行目に「ce livre」。

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そして黙示録。二行目「le petit livre」。

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フランス語の「livre」も古くはパピルスでできた巻子の形をも意味したらしい。

《Ouvrage écrit (le plus souvent d'un seul côté) sur un support varié et se présentant sous la forme d'un rouleau. Livre de papyrus; livre sur soie. À la voix du premier (le Dieu des chrétiens) les fleuves rebroussent leur cours, le ciel se roule comme un livre (Chateaubr., Génie, t. 2, 1803, p. 485).》(http://www.cnrtl.fr/definition/livre)

ただオリジナルの意味がどうであれデューラーが描いているようにおそらくかなり古くからヨハネ黙示録の記述は冊子本というふうに理解されていたのではないかと思う。小さな巻物なら食べて食べられないことはないだろうが、冊子本(中世の冊子本は分厚い板で装幀されている)は現実的に食べるのは無理。しかし、食べられないものが食べられる方が神業の威光が増すというものか。

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by sumus2013 | 2014-09-01 22:34 | 古書日録 | Comments(0)