林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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ユニテ最終日

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コラージュ装はがきホールダー



無事に終了することができました。ユニテさんでの個展は初めてでしたので、また、これまでとは少し違った出会いがありました。ご来場くださった皆様、ご支援いただいた皆様に心よりお礼申し上げます。

少し気の早い告知になりますが、来年は7月にメリーゴーランド京都にて生誕60年記念(!)の展示を予定しております。いくら気張っても身の丈以上のことはできそうにはないものの、一期一会のことですから、これまでの仕事を踏まえつつ少し新しいことを試みたいと思います。とにかくそれまで生きながらえたいものです。最近の親しい人々との別れを思うとつくづくそう感じます。みなさまにもどうぞ御自愛ください。









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by sumus2013 | 2014-09-22 21:24 | 画家=林哲夫 | Comments(2)

動物標本社 

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『えむえむ』第八号(熊田司、二〇一四年九月三〇日)届く。小特集=見世/店/boutique。他にシャルル・クロスの翻訳、「一九六六年前後 神戸/三宮」、旧詩稿三篇、草間彌生「レモンスカッシュ」。旧詩稿三篇における自分自身という無名詩人の発見は《呆れ果てる所業と思わぬでもありませんが》と弁解する必要のないレベルだろう。

見世特集では出版書肆の店頭風景も多く、非常に珍しく有り難い図版ばかり。だが、いちばん気になったのはこの神田五軒町一番地にあった「動物標本社」。五軒町というのは現在の外神田六丁目になるようだ。そう、谷中安規の版画に登場する剥製店が連想されたというわけ。

谷中安規の夢

動物標本社は学校向けの標本を主に製作していたらしく、現在も各地の高等学校などに動物標本社製の標本が残っている。

山階鳥類研究所が全国の高等学校に教材用標本の有無をアンケート調査

栃高博物館 101 ライチョウ

上野には今でも標本店があることは以前も触れたが、それは

上野科学社

上野剥製所

剥製の料金表が後者のサイトに出ていて興味をそそられた。短毛の中型犬が四十万円だそうだ。なるほどねえ。



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by sumus2013 | 2014-09-22 17:26 | おすすめ本棚 | Comments(0)

ユニテ11日目

本日、都合により会場には居りません。
明23日、最終日は午後6時まで展示しております。
駆け込みのご来場お待ちしております。

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川端通りからユニテへの路地を入ると古い建物がある。新先斗町という名前で分るようにかつて紅灯を掲げる店が軒を並べていたという。今もわずかにその面影が残る。

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ホテル・リッツカールトンから外国人の団体さんが出てきた。二十数名。男も女も皆さん和服で身を包む。恰幅のいい一団となっていた。通りがかりの日本人のおばさんが、自転車を止めてびっくりしたように目玉をギョロリとさせた。異人さんたちは木屋町通りのがんこ寿司へ吸い込まれて行った。





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by sumus2013 | 2014-09-22 08:21 | 画家=林哲夫 | Comments(0)

ユニテ10日目

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本日21日(日)も昨日ほどの混雑ではなかったものの次々と来客あり。いろいろ興味深いお話をうかがえた。なかのお一人の方が下のようなお茶碗を下さった。おじいさまの時代に旅館を経営されており、そこで使っておられたという飯茶碗である。手書きの絵付けで朱色の柿の実が描かれている。なかなか可愛いもの。お気遣いに深謝です。

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木製のオブジェが二点売れて行った。下はそのうちの「画家」と題した一体。やじろべえになっている。

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by sumus2013 | 2014-09-21 20:54 | 画家=林哲夫 | Comments(0)

観楓紀行5

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絵葉書「寒霞渓の彩」より



中桐絢海は中之島公園を後にして浪華橋を南に渡り北浜一丁目の石橋雲来を訪問した。

石橋雲来  弘化3年(1846)4月生~大正3年(1914)7月歿
名は教、増官ともいい、雲来と号した。兵庫県揖保郡竜野町、竜野藩石橋定右衛門の次男。播磨の生まれ。大阪市北区曽根崎中1丁目に住み、晩年は明石市の江井ヶ島に住んだ。漢詩塾「雲来社」を主催。明治15年から40年まで、各地を遊歴し、森琴石他多くの文人画家・墨客と交遊した。著書に『雲来詩』『雲来吟交詩』『友蘭詩』など多数の詩集を編纂した。

雲来宅には先客があった。東京から来ていた亀谷省軒である。《此地ノ秋色ヲ探ランカ為メ来レリト予ハ明日箕面ニ向ハントスレトモ翁ハ先ヅ南都方面ニ笻ヲ曳ント云フ》

亀谷省軒 かめたに-せいけん
1838-1913 幕末-明治時代の武士,漢学者。天保(てんぽう)9年生まれ。対馬(つしま)(長崎県)府中藩士。広瀬旭荘(きょくそう),安井息軒にまなぶ。王政復古をとなえ,維新に際し,岩倉具視(ともみ)につかえた。明治6年官職を辞し,著作に専念。大正2年1月21日死去。76歳。名は行。字(あざな)は子省。著作に「育英文範」「省軒詩稿」。

絢海は再会を約束して紅葉の漢詩を揮毫してくれるよう省軒に依頼した。そこへ来客。山口新一という人物。二十年前に岡本黄石翁と一緒に寒霞渓に来て絢海の家に三日間滞在したことがあった。祖父の知人でもあったのでその奇遇を喜び合った。

岡本半介(おかもと はんすけ、文化8年11月21日(1812年1月5日) - 明治31年(1898年)4月12日)は、幕末期の彦根藩の家老、漢詩人。半介は初代岡本宣就以来続く代々の襲名で、この幕末の有名な半介は黄石の号で知られる人物である。諱は宣迪、字は吉甫。

辞去するに際して雲来が漢詩を一首贈ってくれた。

 萬酌燈前意自寛
 想侘楓葉擁層巒
 悩人最是明朝別
 箕面秋光君独看

続いて車(人力車でしょう)を淡路町へ走らせ、藤沢南岳を訪ねた。久しぶりの歓談である。

《今回艸堂ヲ再築シタルニ付其扁額ヲ揮毫セラレンコトヲ乞フ蓋シ寒霞渓ノ文字ハ実ニ翁ノ題スルトコロナリ今ヤ文人墨客総テ寒霞ノ字ヲ採用スルニ至レリ》

南岳の長男黄鵠も座にいてやはり漢詩を贈ってくれた(漢詩は略す)。続いて南区桃谷町の日柳三舟を訪問した。三舟は日柳燕石の子で、その娘は石浜純太郎の父豊蔵の後妻となったそうだ。

日柳三舟 くさなぎ-さんしゅう
1839-1903 明治時代の教育者。天保(てんぽう)10年生まれ。讃岐(さぬき)(香川県)の人。大阪府の学務課長をつとめ,退職後実業学校を設立。また浪華(なにわ)文会をつくり教科書を出版した。明治36年7月23日死去。65歳。名は政愬(まさのり)。

三舟とは初対面だったが文通していたのですぐに書斎に通された。天皇御寄泊紀念碑の話等で盛り上がり、絢海は近年の禁酒を解いて翁と愉快に対酌した。絢海は寒霞渓紅雲亭の鏡画を贈り、三舟は絢海の錦霞集第二篇のために杉洞谷の景色を描いて後日寄贈してくれた。そこへさっき別れた亀谷翁がやって来たのでビックリ。三人で書画を鑑賞して興に入ったが、絢海は午後四時より緒方正清を訪問する約束があり、退出する。三舟は別れ際に小田耕岳上人『塵談余課』一本を絢海に与えた。

今橋通りの緒方病院の緒方正清を訪ねた。

《関西婦人科ノ泰斗タリ近来開腹術一百回ノ報告アリ予モ一介ノ医士タリ徒ラニ紅葉ニノミ沈酔シテ実業ヲ忽諸ニ付スヘキニアラス其手術式ヲ観ントスルモノ》

緒方は二十日に手術を予定していたが、絢海がその日に京都へ行く予定だというと手術日を一日延ばし二十一日に見に来るようにと言う。葡萄酒を出してもらって紅葉について語り合った。箕面は寒いから気をつけるように注意される。宿に戻り同郷の知人二三人と「ベルモーツト」酒を酌み交わした就寝。

つづく

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by sumus2013 | 2014-09-21 11:00 | うどん県あれこれ | Comments(0)

ユニテ9日目

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バタイユ『マ・メール(わが母)』


本日はたいへんな人出でした。遠路ご来場いただいた皆様に御礼申し上げます。最近までパリに三年半暮らしておられたという方。古本屋巡りをされて、ブラッサンス公園やポン・トラヴェルセをひいきにしておられたお話を伺う。シュルレアリスム文献も蒐集されておられるとのことで、この点でも興味が重なる。七区の七階(例によってエレベータなし)の部屋に住んでおられたとか(ご苦労さまです)。アールゼメティエのわれわれが泊まっていた地域もよくご存知でした。その近所のナチュラリアやカンボジア料理の店へよく足を運ばれたそうだ。

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セルロイドの人形


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シャープの計算機。かつて使っていたもの。たぶん使えなくなっていると思います。デザインがすでにレトロっぽい。


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マッチ各種(この5点セットで100円!)


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ミノルタのカメラ。こちらも使えません。ジャンク。

などなど



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by sumus2013 | 2014-09-20 09:57 | 画家=林哲夫 | Comments(0)

ユニテ8日目

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ほんまに日記(http://hiranomegane.blogspot.jp)をご覧になって来場してくださったお二人連れ。よくパリへいらっしゃるとのこと。パリ話で盛り上がる。サン・ルイ島の友人宅に逗留し、近くのカフェでセーヌ川を眺めながらショコラ・ショとクロワッサン、そしてサン・ルイの寿司(勇寿司でしょうか。小生の知人によればパリで隨一の鮨だという)を堪能されるとか。う〜ん、当方とはレベルが違う(!)

夕刻、KさんとOさん。Kさんは枝オブジェを買ってくださる(感謝です)。Oさんはシェイクスピア書店のわんこコレット(Colette)の話を。Oさんが撮影したコレットの写真がシ書店のサイトに掲載されたという。他にキティ(Kitty)という猫もいる。

Lieu de culte ; La librairie shakespeare and company
http://www.vanityfair.fr/culture/livre/articles/shakespeare-and-company/2119

Oさんの古本の趣味が渋かった(要するに小生と同じ趣味ということですが)、いい本を次々選んでくださるので嬉しくなって思い切ってディウカウントさせてもらった(古本目当ての皆様、小生が居るときにはお声をかけてください、気持ちなりともお安くさせていただきます)。

以下、雑貨マルシェからいくつか出品物を紹介しておく。

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陶器でできた果物。商品サンプル、あるいは絵画用にも使える。日本製。紙袋はパリのマルシェで使われているもの(バラ売りです、紙袋はそれぞれに付いています)。


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これも日本で買ったもの。たしかドイツのポテトつぶしだと聞いたが、うろ覚え。金属に琺瑯引き。


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木製の浮子。これも日本で求めたもの。

そして枝などで作ったオブジェ二体。ともにSOLD(他にもあります)

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噛みつく犬



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ほら吹き




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by sumus2013 | 2014-09-18 21:10 | 画家=林哲夫 | Comments(0)

小とりよ小鳥

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有本芳水の色紙を入手した。


 小とりよ小鳥うらやまし
 生れ故郷の恋しさに
 小鳥となりて春の日を
 声はり阿けてうたひたや

 為青柳先生  芳水[印=芳水]


検索してみると目下某書店に同じ詩文を揮毫した掛軸「小鳥よ…」が出ている。漢字の使い方が少し異なる。青柳先生については何人か定かではない。乞御教示。


***


河内紀さんより「緑雨、読む〜幸徳秋水宛緑雨書簡を巡って〜」と題された文章が届いた。《同封したのは例により小生の頭のサビ落としでことさら読んでいただくものではありません。マア、パラリと見て、適当に御処分の程。"無料のたよりがわり"と思って下されば幸いです。》というメモが付いていたが、たしかに錆落としは言い得て妙である。河内さんの骨っぽい最近のチェーン読書がよく分って、こちらも襟を正して読む。

副題が「その(2)《按ず》考ヘ思フ・工夫ス・思ヒワヅラフ・キヅカフ「大言海」」となっているから「その(1)」があるのだろうが、そちらは頂戴していないような気がする(当方もけっこうボケがきているので、あるいはPDFで頂戴したかもしれないけれど)。

二〇一四年一月二五日、大逆事件処刑104年追悼集会が渋谷区の正春寺で開催されたことから書き起されている。その前日には四万十市中村の正福寺で幸徳秋水歿後103周年墓前祭が開かれていた。

正春寺では、管野スガの獄中吟を刻んだ墓碑の前で献花と参拝が行われた。
 菅野の獄中日記に「死出の道艸」(『明治文学全集96/明治記録文学集』)には「墓などはどうでもよい、焼いて粉にして吹き飛ばすなり、品川沖へ投げ込むなり、どうされてもよいのであるが、(略)形を残すのなら懐かしい妹の墓の隣に葬られたい」とあり、その意を汲んで止宿先(平民社の向かい、千駄ヶ谷九百二番地)の増田謹三郎さんがここに葬った。
 妹の秀子は「姉のすがと一しよに東京へ出て、一時貯金局につとめていた」が「明治四十年二月二十二日、胸の病で」亡くなり、正春寺に葬られたのだった。

「死出の道艸」は死刑判決が宣告された明治四十四年一月十八日から処刑前日の二十四日までの七日間の日記(幸徳らの処刑は二十四日、菅野は二十五日)。ここに書き写され、自ら抹消した歌が二十二首あるそうだ。それらの中から河内さんが引用している三首を孫引きしておく。

 くろ鐵の窓にさし入る日の影の 移るをまもり今日も暮しぬ
 (この歌は正春寺の墓碑に刻まれている)

 二百日わが鉄窓に来ては去ぬ 光と闇を呪ふても見し

 身じろがぬ夜寒の床に幾度か 忍びやかなる剣の音きく


続いては幸徳秋水の『基督抹殺論』序文に記された獄中で「凍筆を呵し」たという一文を引いて、そのときの秋水の胸中に思いを馳せる。そうして、墨筆の連想から、次に緑雨の小説『かくれんぼ』の序文を挙げる。《天下重宝の白紙へあたら墨を塗(ルビ・なす)りて見て下されとは生ある者の云はれた筈の義理ではないなり》。いかにも緑雨らしい物言いである。秋水と緑雨は「爾汝の交わりを最後まで続けた」(師岡千代子『風々雨』隆文社、一九四七年)そうだ。そしての序文原稿の写真版が『新日本古典文学大系明治編29 諷刺文学集』(岩波書店)に載っていることに触れる。

筆、緑雨、ときたらもちろん次はあの警句である。明治三十三年十二月二十九日『二六新報』のコラム「青眼白頭」より。

《按ずるに筆は一本也、箸は二本也。衆寡敵せずと知るべし》

衆寡敵せずは『孟子』梁恵王上「寡固不可以敵」あるいは『三国志』魏志・張範伝の「衆寡不敵」などに用例があるようだが、河内さんの読みはこうである。

《重々しく「按ずるに」と始まるところに、この警句の魅力はある。
 筆先を口元近くに寄せ、じっと思案する動作が強調される。次のことばをどうするか、それを測っている揺らぎの間、(・・「あんじるより産むが易し」・・「餡汁より団子汁」・・)、そして決断。
 筆は下ろされ、「按ずる」までもない数の計算が記され、その落差に戸惑っているところへ、ズバッと御宣託が下る。
 「一本の筆は二本の箸に、勝ち目ナシ」
 青眼(正眼)の構えからの鋭いひと突き。この鋭さは、その筆先が、相手ではなく、筆者(緑雨)へ向けられていることから発している。
 「この道理を、まず(おまえ自身が)腹の底から納得しなければならぬ」と。》

ここから河内さんはちょっと跳躍してみせる。津軽の「豆づくし」という滑稽な数え歌を引っ張って来る。全部引用するのは面倒なので最初と最後のフレーズだけ。

 ひとつ ひとつ豆ぁ 相手ねえも道理だぁ
 とおに 豆腐豆ぁ すられるのも道理だぁ

按ずるに、「筆は箸に、勝てないのも道理だぁ」もそうだが、「金持ちは、金あるも道理だぁ」、「貧乏人は、金ないも道理だぁ」と、心ゆくまで唱えてみるのも、きっと面白いはずだ。

そして秋水に戻り、獄中から妻に宛てた手紙を引用する。

《「獄中で一番困るのは衣類の破れ綻びを縫ふことだ」とあり、最後は、次のひとことで締めくくられる。
 【針は筆よりも遥かに重し】》

と、ここで終わらず『基督抹殺論』の出版へと話は移るのだが、そこは申し訳ないが手短に述べておく。獄中で擱筆した『基督抹殺論』は高嶋米峰の丙午出版社から秋水処刑の八日後、明治四十四年二月一日に発行された。これが大いに売れたのだ。堺利彦は「世間は忽ちにしてこの書の七八千部を愛読若しくは憎読した」と書いている(「大逆事件と其前後」『堺利彦全集第六巻』)。そこで秋水と緑雨の架空対話でサゲがつく。さすがに演出家。「伝」は秋水のこと。

伝【按ずるに、一本の筆が二本の箸を扶けることもある
緑("ニコリ"ともせず伝の筆を取り、「扶けることも」の後に「稀に」と二文字を挿入する)


***


先日紹介した『木山捷平研究』増刊号に《清音読書会編『木山捷平資料集』は木山捷平の書誌研究では、こんにち第一級のものだが、これにも『教育文芸』を初出とする作品は掲載されていない》とあるが、最新版木山捷平資料集』には掲載されているので付言しておく。





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by sumus2013 | 2014-09-18 17:31 | 古書日録 | Comments(4)

ユニテ 17日、18日は定休日です

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シェイクスピア


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鉛筆の栽培


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by sumus2013 | 2014-09-17 19:49 | 画家=林哲夫 | Comments(2)

観楓紀行4

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絵葉書「寒霞渓の彩」より


宿に着いた中桐絢海は先ず昼飯を食う。午後になっても雨は止まない。雷鳴さえ交じってくる。これでは外出できない。そこへ久保墨仙が訪ねて来る。高松の人で文雅の友である。酒と茶を好みそれらに酔うということから酔々堂主人と号している。二人で盃を重ね、結局、墨仙は宿に泊まることになった。

十一月十七日、雨はようやく上がった。小豆島から同行した花川子は緒方病院へ出かけた。絢海は中之島公園(中ノ嶋公園)へ向かう。

《園ノ長サ五町許リ幅最モ闊キ處一町余老樹ノ鬱然タルナシト雖ドモ近来梅桜柳等夥多植ヘアリ洗心館自由亭銀水楼ハ有名ノ割烹ニテ明治十三年ノ創建ナリ近時罹災ノ后荒涼トシテ修築未タ就ラス明治記念碑ハ累々トシテ碧天ヲ衝キ園中ノ最モ壮観タルモノナリ西南ノ役戦歿者ノ霊ヲ吊スルカ為ナリ園ノ東端浪華橋ノ北詰ニ茶店アリ水ニ倚テ幽閑ナリ店ノ東ニ卓叟近思碑アリ明治十四年六月旅人某友人某等之建ツト記セリ南岳翁ノ撰文得庵居士ノ題額村田海石ノ書ナリ

《予カ最モ一覧セント欲スル者ハ去十月十一日建碑式ヲ執行セシ木村長門守重成ノ表忠碑ナリ豊国神社第一華表ノ前ニアリ聞ク大阪城築工ノ遺石ニテ天保山沖ニ沈没スルモノヲ引挙タルモノナリト夫レ或ハ我小豆島ノ石ナルモ知ルヘカラス碑ノ高サ二間余ニテ厚サ一間程ナリ表面ニハ木村長門守重成表忠碑トアリ撰文ハ西村捨三君ニテ発起人ハ同君及小林佐兵衛請負人ハ坂手萬助石工ハ山口熊次郎ト刻セリ酔處翁ノ詩アリ

《建碑式ノ際南岳翁父子カ酔處翁ニ次韻セル詩アリ

木村長門守重成表忠碑

久保墨仙については情報なし。絢海は小豆島に石碑を建てるため見学に出かけたわけだが、明治二十九年の中之島公園の様子がよく分る記述になっている。酔處翁とあるのは西村捨三のこと(彦根の人、第六代大阪府知事)。小林佐兵衛は大阪の侠客。北の赤万(明石屋万吉)と通称されていた。藤沢父子は南岳と長男の黄鵠を指す。

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『日本地理辞典』(郁文舎、明治三十九年)より





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by sumus2013 | 2014-09-17 17:11 | うどん県あれこれ | Comments(0)