林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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序文検索2箇目

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かわじもとたか『序文検索2箇目 序文跋文あれこれ』(杉並けやき出版、二〇一四年七月一五日)を頂戴した。深謝いたします。著者紹介を見ると古書目録を主なソースとして、追悼号書目、死に至る言葉、畸人伝、水島爾保布著作書誌、すごろく、装丁家で探す本、などのテーマで著書を刊行しておられる。

二〇〇八年頃から序跋を本格的に調べ始めて前著『序文検索』(杉並けやき出版、二〇一〇年)を、そしてさらに本書を完成させたという。本書は623頁の厚冊。そこに古本好きなら必ずどこかでひっかかっている著者たちの名前が有名無名(昔有名今無名も多し)にかかわらず心の赴くまま(?)取り上げられ、検索した結果が報告されている(古書価も折り込んであるのがミソ)。それが100章プラスおまけ14章という数になるのだから623頁も致し方なかろう。どこから読んでもためになるし、教えられることも多い。

かわじ氏は一般の読者は序文を読まないと書いておられる。しかし小生自身について言えば、序跋しか読まない本がほとんどである。というのも内藤湖南が「序結はていねい、目次はななめ、本文指でなでるだけ」と笑いながら語ったという逸話を読んで(青江舜二郎『竜の星座』中公文庫、一九八〇年)、なるほどそれなら立ち読みでも本の内容をかなり正確に判断できるなと感じ入ったことがあったからである。実際、本書も「はじめに」と「あとがきにも似た一文 いつも書きかけで」および「著者紹介」だけからでも書評は充分できるように思ったのだが、ところが目次を見て拾い読みし始めると、これがたいへん面白い。かわじ氏の語り口も、饒舌体の一種なのだろうか、おしゃべり口調が心地よくなってくる。

例えば25の紅茶・珈琲の序跋では《井上誠の本を探そうと思えばなかなか見つからない。一冊を見つけるために遠くの図書館まで通ったりした》とあるのに驚いた。小生が『喫茶店の時代』を書いていた頃(二十世紀の終り頃)には井上誠の本は均一台の常連だったように思うからである。

66の青山南の本では長田弘が兄だと教えてもらった。この人たちの本は全く持っていないが、これは腑に落ちた。その引用に《この本では、英語の正しい発音法にしたがって、「ブルーズ」とした。だれがはじめたかは知らないが長らくつづいてきた「ブルース」というまちがいを、そろそろ正してもいいころではないか》というのがあって、膝を打った。ブルーズだよね、だよね。

青山南ではもうひとつ「Paul Theroux」の発音についてポール・セルー(阿川弘他訳)が正しく、ポール・セロー(村上春樹訳)は誤りだという指摘の引用も、へへえと思う。著者本人に確かめたそうだ。セルーの父親はフレンチ・カナディアンだから「ou」を「ウ」とフランス語的に発音するのだろうか。ただ一般のアメリカ人がこの名前をどう発音するのか、という別の問題もあるかもしれないが。

107の澁澤龍彦の序跋についてでは『さかしま』原著の序文を翻訳しなかった話に惹き付けられた。『マルジナリア』所収の「大岡昇平さんのこと」からの引用(ということは小生も大昔読んだはずだが、これっぽっちも記憶に残っていなかった)。

《大岡から電話がかかってきてユイスマンスの『さかしま』には序文があり富永太郎がその序文の抜書きをしていたが、あなたの訳には序文がないではないか、とのこと。それは晩年に作者が旧作を回顧した文章なので、小説が発行されたときにはもちろんなかったので「つい無精をきめこんで訳さなかったです。」というと「それじゃダメじゃねぇか。」と大岡が言ったとあった。

富永太郎が『さかしま』を読んでいたというのも目からウロコ。ただ、この序文は一九〇三年という日付がある「小説の二十年後に書かれた序文」という題名で(『さかしま』の発表は一八八四年)、私のように一旦発表した作品は二度と読み返さない作家は云々と始められており、澁澤としては「つい無精をきめこんで」というのではなく実際的な意味でこれを冒頭に置くのは適当ではないと判断したのだろう。先入観のない読者が先ずこの序文を読んでしまうと混乱する恐れが大いにある。もし挿入するとすれば巻末が適当かもしれない。大岡昇平に向かって反駁するわけにもいかなかった……たぶん。

104は「寺島珠雄という御仁」。寺島さんにまで目配りが及ぶとは、これにも驚かされた。しかし考えてみれば冒頭に月の輪書林目録が写真入りで掲載されており(太宰治と三田平凡寺)、内容についての言及もあるのだから、当然と言えば当然なのかもしれない。これがなかなか充実した書誌になっている。

他にもまだまだ読みどころがいたるところにある。夏中楽しめる、いや、納涼古本まつりまでに読破してしまえば、会場ではもう目があちこち泳いで大変なことになりそうだ。古本トリヴィアの泉と言うべき一冊。

杉並けやき出版
http://www.s-keyaki.com


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by sumus2013 | 2014-07-31 21:19 | おすすめ本棚 | Comments(4)

天体の驚異

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『科学画報臨時増刊 天体の驚異』(科学画報叢書第十五篇、新光社、一九三四年七月三日)。発行者は小川菊松、編輯者は仲摩照久。執筆者は鎬木政岐以下、東京三鷹村天文台の職員が十三人。東京麻布天文台、中央気象台、東京科学博物館、東北帝大が各一人、所属なしの理学士が四人、陸軍中佐が一人、計二十二人。

執筆者をグーグルで検索してみると目下ウィキに名前が出ているのは藤田良雄、鈴木敬信、窪川一雄、広瀬秀雄、神田茂、宮地政司、小川清彦の七名だった。ウィキに名がなくとも虎尾正久(時」の大家、奥田豊三、野附誠夫(日本天文学会理事長)、秋山薫、水野良平(渋谷の五島プラネタリウムの解説員)、吉田正太郎らはその業績についてある程度はうかがい知ることができる。三鷹村天文台(国立天文台)はほとんどが東京帝大理学部出身者で占められていたようだ。

天体の図版がたくさん掲載されているけれど、小生はあまり興味が無いのでパス。星以外の写真をいくつか引用してみる。まずはやはり時の人だったアインシュタイン。「宇宙は相対律の実験場」として相対性理論の概要が説明されている。画像検索してみたが、この肖像写真は割り合い珍しいかもしれない。

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天文研究とは思えない実験室の写真もあった。《地球に衝突する宇宙線の打撃を記録する装置》


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次が《東京市外三鷹村の多摩台地上に聳ゆる東京天文台の六五センチ赤道儀の大ドーム(右)とアインシュタイン塔(左)》

自然科学研究機構国立天文台 沿革
http://www.nao.ac.jp/about-naoj/history.html

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《東京天文台の大望遠鏡(鏡口径六十五センチ)》。当時世界最大は米国ウイルソン山天文台に反射望遠鏡(口径二五四センチ)、同じく《ヤーキース天文台》に屈折望遠鏡(口径一メートル)があった。

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次は宮澤賢治作品にも登場する緯度測候所。《世界に有名な岩手県水沢町の緯度測候所は緯度の変化を調べるため世界各所に設けられた観測所の中央局をなすものである》

奥州宇宙遊学館
http://users.catv-mic.ne.jp/~yugakukan/

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表現主義建築の天文台もあった。《世界に有名なポツダム天文台のアインシユタイン塔》。エーリヒ・メンデルゾーン設計によって一九一七から二一年に建てられた。

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そして最後に《グリンニツチ天文台、此処に世界本初子午線がある》。グリニッジ天文台の写真はたくさんネット上に出ているが、この角度(どの角度?)から撮った例はほとんどないようだ。

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by sumus2013 | 2014-07-30 19:55 | 古書日録 | Comments(0)

破壊せよ、とアイラーは言った

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中上健次『破壊せよ、とアイラーは言った』(集英社、一九七九年八月一〇日、装丁=菊地信義)。『週刊プレイボーイ』連載の「RUSH」および『青春と読書』連載の「破壊せよ、とアイラーは言った」を一冊にまとめたエッセイ集。売れっ子小説家の言動がやや鼻につくが、読んでいて面白いのも事実。

装幀は菊地信義。一九七九年はまだ駆け出し(?)時代。菊地信義とある「著者11人の文」集』の年譜によれば

《一九七七年 装幀家として独立。この年、中上健次『十八歳、海へ』、粟津則雄『主題と構造』ほかを手がける。》

《一九七九年 中上健次の紹介で「文芸」元編集長の寺田博と出会う。中上健次『水の女』をはじめ、寺田らの設立した作品社のほとんどの単行本を装幀。なかでも埴谷雄高『光速者』は著者の脳のCTスキャン画像を使用して話題となる。》

となっていて、中上と菊地は特別な糸で結ばれていたことが分る。作品社のほとんどの単行本…というか、同社の雑誌『作品』(一九八〇年一一月創刊)のレイアウトがトンガッていた。今見ても目立った仕事だろう。戦前の(小野松二の)『作品』は佐野繁次郎が題字や表紙画を手がけたが、五十年を経てその斬新さを引き継いだと言ってもいいくらいだと思う。ただこの雑誌は長続きしなかった。二巻五号(一九八一年五月号)まで七冊発行されただけのようだ。

本書も特別なことはやっていないにもかかわらず、その素材やレイアウトの扱い方が新鮮である。要するに装幀というものに対する角度がそれまでとは明らかに違う。


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扉もそうだが、扉の次に挟んだこの意味不明の写真版も菊地ならではのタッチ。扉や章扉の写真が粗い網点で再現されているのも菊地好みの同人雑誌風、インディーズ風。

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本文組み、章題、どこを取っても一工夫があり、かつ神経が行き届いている。

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巻末の広告までもこのような組み方で見せるとは……。

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菊地信義とある「著者11人の文」集』に中上健次の「この男を発見した」と題する一文が収められている。初期作品集『十八歳、海へ』の出版時。

《装丁を依頼していた写真家の中平卓馬氏が進行途中で事故のため倒れた。写真の領域で戦闘を続ける卓馬に同志的共感を抱いていたし、さらに旧植民地から出現しているスペイン文学(まだそれらをラテン・アメリカ文学などと誰も言わなかった!)のニュースや読み方の影響を受けていた頃なので、大いに困った。
 卓馬の志を受けとめ、著者の混乱や不安を見事に救い出したのが菊地信義氏である。本にたいする情熱と才能は輝くばかりだった。私は「この男を発見した」とたかぶった。

中上健次の言わんとするところが本書からも感じ取れるような気がする。


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by sumus2013 | 2014-07-29 20:08 | 古書日録 | Comments(0)

科学画報その2

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『科学画報』大正十四年四号(新光社、一九二五年四月一日)。表紙《花粉をお土産に巣へ帰る近眼の蜜蜂(原色版オフセット)……》。本号の主筆は岡部長節となっている。後記にあたる「番長だより」にこう書かれている。

《本誌満二週[周]年記念のため特輯号を発行しようといふことは、編輯が八分通り進行してから決定しました。最初から記念号にするつもりあら、創刊者であり功労者である原田君には、無理に何か一篇書いて頂く筈ですし》

こちらも三月号に付けるはずだった折り込みの「応援旗」。当時ペナントが流行していた、ということになるのだろうか?


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二周年記念にしてはどの記事も写真もややインパクトに欠けるかな、と眺めていたところ、次の紹介文にはひきつけられた。シェフィールド大学のウォール博士(T.F.Wall)が強力な電磁場でもって原子を破壊し、電子(エレクトロン)をジャンプさせてそこからエネルギーを引き出そうという実験をしているという記事だ。

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記事の報じるところではまだ誰も成功していないらしいが、世界中で多くの研究者が注目しているとある。

《しかし若し我々が、或る方法でラヂウム、トリウム、ウラニウムなぞと云ふ放射能のある物質の崩壊作用を特に早めて、その数十億年の悠久な永遠に亘る徐々たる分解の周期を、僅か数日の短い時日の間に限る事が出来たら、必ずやそれらの物質は、素晴らしいエネルギー源になるだろうとは、このアーネスト卿[ラザフォードのこと]の信ずるところである。》

こういう結語である。今日の状況から考えるとあまりに楽観的と思わざるを得ない。



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by sumus2013 | 2014-07-28 21:48 | 古書日録 | Comments(0)

科学画報

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『科学画報』大正十三年新年号(新光社、一九二四年一月一日)。表紙《完成近づけるレヴイアタン(原色版オフセット)……岡部長節筆》。表紙を描く岡部は画家ではなく本誌の編集者だったようだ。後には編集長となっているし、科学啓蒙の単著をふたば書房や誠文堂から何冊か出しているようだ。

この時点での編輯主幹は原田三夫。愛知県生まれで、札幌農学校入学。有島武郎に私淑。中退後に八高を経て東大理学部植物学科を卒業している。『子供と科学』(一九一七)、『少年科学』(一九一七)、『科学知識』(一九二一)、『科学画報』(一九二三)、『子供の科学』(一九二四)などの創刊に関わった。著作多数。息子に『ロボット三等兵』の漫画家・前谷惟光。

やはり科学写真雑誌のおもむきがあり、世界の科学的成果や研究、あるいは植物、生物、考古などの分野における珍奇な写真の紹介に努めている。この新年号からはこちら、伝書鳩飛行機を紹介しておこう。鳩の本場フランスでの光景だが、黒岩比佐子さんがご健在ならすぐにメール添付でお報せするところである。

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『科学画報』大正十三年三月号(新光社、一九二四年三月一日)。表紙《犯罪者の最もおそるゝ写真電送の最新装置(原色版オフセツト)》。

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主幹による記事「北海道の旅」より木田金次郎の写真。上述したように主幹原田は有島武郎の弟子のようなもので、木田とも面識があったようだ。木田は有島の小説『生れ出る悩み』で主人公として描かれた漁師画家(有島の心中の後、職業画家となった)。

《こゝには白水会という会があつて年齢と職業にかゝはらず、時々相集つて、芸術と科学を語る。出迎へて下すつたのはその会の人々であつたが有嶋の愛児木田君を通じて、武郎さんの感化も少なくないやうだ。》

ここで原田は求められて相対性理論の話をするが、原田自身十分に理解しておらずしどろもどろとなって終わったと書かれている。



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『科学画報』大正十四年三月号(新光社、一九二五年三月一日)。表紙《風力を利用した最新発明の珍型船(原色版オフセツト)……岡部長節筆》。

昔の雑誌には必ずあったように本誌にも「科学画報代理部広告」が掲載されている。要するに自社の通販ページ。パテーベビー(家庭用活動写真映写機)、蝶印ハーモニカ、ギター、ピアネツト、マンドリン、鈴木バイオリン、エンホニコン(ハーモニカに似た楽器)、米国製ゼム安全カミソリ、ウヲーレンサツク(懐中望遠鏡)、工具、薬のイロイロ、ベストコダツク、ヒコレツトカノラ、ブラウニー、ベリター、ピストン高級万年筆、コロンビヤ帳簿立、標本のイロイロ……。読者層がおおよそ想像できるような品々である。

そのなかで目に留まったのが「火消だるま」。消化剤がつまったセルロイド製のだるま。

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ひょっとして今もあるのかな? と思って検索してみたが「火消だるま」にピッタリ当てはまる記事は見つけられなかった。愛国化学研究所「家庭消防 火消だるま」広告びらの売り物が一軒ヒットしたくらい。





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by sumus2013 | 2014-07-27 20:53 | 古書日録 | Comments(0)

膝で歩く

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季村敏夫『膝で歩く』(書肆山田、二〇一四年八月八日、装幀=間村俊一、写真=鬼海弘雄)。栞として挟み込まれている「往復書簡 赤坂憲雄/季村敏夫」に季村さんはこう書いている。

《さて昨年八月の福島の駅前通り、赤坂さんたちが企画しておられる市民によるミュージアム構想(このように受けとめて出掛けました)の会合でのこと。自己紹介でわたしは、突如家内を襲う病という事態を日本の病巣である福島原発事故に重ねて思考したいと語りました。いかにも唐突なものいいでしたが、ハラワタをねじりあげた積もりです。
 二足歩行の発想を変える、生きてきた軌跡がうち砕かれ、瓦礫に放り出されたわたしの出発点です。関西と東北を襲ったカタストロフィー。日本人の生き方は根底から変るだろう、そういわれたが現状はどうか。「膝で歩く」は、病で一変した生活をひき受け、何とか立ちあがろうとする息の様態でもありますが、山は峻険、谷は予想以上に深く、今後も試練の連なりだと覚悟します。病妻ものをしたためたかつての私小説家をおもうと、やさしさとは何かが真っ先に問われ、隠されている酷薄さに滅入りますが、もはやきれい事ではすまない。「膝で歩く」思考をたどり、歩行に関する自明性を疑い、わたしの片すみから目覚めたく存じます。》

小生、現存の詩人としてはもっとも多く季村さんの詩を読んでいる……に違いない。というのも上梓するたびに詩集を送ってくださるし、また精力的に作品集を刊行されておられるからだ。

季村敏夫『日々の、すみか』

季村敏夫『災厄と身体 破局と破局のあいだから』

季村敏夫『豆手帖から』

新しい詩集を頂戴する。『豆手帖から』

季村敏夫『ノミトビヒヨシマルの独言』

季村敏夫『ノミトビヒヨシマルの独言』

季村さんの詩集『木端微塵』

これ以外にも『わが標なき北方に』(蜘蛛出版社、一九八一年)と『つむぎ唄泳げ』(砂子屋書房、一九八二年)は古書で求めている(『わが標なき北方に』は扉野氏へ行ったが)。そうそう『spin』08(みずのわ出版、二〇一〇年)は季村敏夫特輯でもあった。

たしか『たまや』の間村さんとの関係で『木端微塵』を頂戴したのが二〇〇四年だから、その頃から徐々に親しくお付き合いさせていただくようになったのだろう。『馬町から』という父上の事蹟をまとめられた著書の装幀をさせてもらったのが二〇〇六年。その少し前に突然電話がかかってきて、いきなり「林さんに本を作ってもらいたいのです」みたいな口調で(これは今もそう変らない、単刀直入な話し振り)用件を告げられ、梅田の阪急ホテルのロビーでお会いしてそこの喫茶室で具体的な内容をうかがった。ホテルで待ち合わせというのが新鮮だったことを思い出す。

具体的な本造りはみずのわ氏に任せることになってその顔合わせをしたのがなぜか中之島で、季村さんと瀧克則さんと四人で喫茶店に入ってあれこれ雑談した(打ち合わせはすぐに済んだ)。瀧さんともこのとき初めて親しく話をさせてもらった(お会いはしていたと思うが)、後に『spin』の宇崎純一特輯に寄稿していただいたり、与謝野晶子記念館でご一緒して宇崎純一のトークショーを行ったりすることになろうとは、当時は思いも寄らなかった。『山上の蜘蛛』と『窓の微風』という大著がみずのわ出版から発行されたのも元をたどればこのときの出会いによるものだ。善きにつけ悪しきにつけ八年ほどの間になんという変りようであろうか。

本詩集もその時間の流れを強く感じさせる。時間や物事の盛衰に抗うことはできないが、詩の言葉としてわずかな抵抗を示すことができるのではないか、そんなふうにこの作品集を通読して思っている。本書より一篇引用させてもらう(全文)。

  

   自転車の息



枯れ葉は動かない
バス停の裏の湿地
行き止まりに沈む数枚


こんな夢の残像をかかえ
めざめる


チャーリキ、チャーリキ
 スチャラカチャン
 切られて切られて
 血がだアらだら*


自転車にまたがり
四方八方の陽を浴び
ゆきづまりを打開しようとした


錆びたダクトから噴出する白煙
自転車[ちゃりんこ]のチリンがすりぬける


だれにも呼ばれない
それでもペダルを踏みこむ


土は冷える
枯葉数枚
空に舞いあがり
車輪の風と衝突


これから弔いだ
だれかに
回転するだれかに呼びかける




戦前の神戸のバラケツ(不良少年)が三ノ宮などの盛り場で
「よう歌(うと)てたんや」、「海がえらい荒れてるなア。今日なんか舟
に乗ったらしごかれるでエ」、島尾敏雄は開高健に語った。
健の耳はこのときも勃起したのであろうか。





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by sumus2013 | 2014-07-26 21:02 | おすすめ本棚 | Comments(0)

科學文明の驚異

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『科学文明の驚異 科学画報四月臨時増刊』(科学画報社、一九三一年四月七日)。発行者は小川菊松(誠文堂新光社の創業者)、編輯者は仲摩照久。

仲摩は月刊雑誌『美人画報』や『飛行少年』の編集に携わった後、満州で新聞を発行していた立川軍平からの資本を得て、大正五年に新光社を設立している。そして同じく『世界少年』や『科学画報』を創刊し、単行本も三百冊余を刊行したとされる。そしてこれは何度も既述してきたが、高楠順次郎の『大正新修大蔵経』の大出版企画が関東大震災で烏有に帰してしまったこともあり、大正十五年に破綻する。その後を小川菊松が引き受け、新たな株式会社となった新光社は円本時代に入って、仲摩を編集局長的立場にして、『万有科学大系』『世界地理風俗大系』『日本地理風俗大系』などを刊行し、昭和十年に誠文堂と合併し、誠文堂新光社として新たに発足している。》(古本夜話171 大泉黒石『老子』、仲摩照久、新光社

多数の写真を大きく使って昭和初期ごろの科学文明というか機械文明がどれほどのものだったか一望できる構成になっており、今見ても十二分に楽しめる。海外の雑誌や書物から取ったと思われる写真がほとんだが、船舶に関する頁(例えば「造船と進水」など)は海国日本の力を示すものだろう。ざっと目次を拾っておく。

摩天閣/飛行機/航空船/ロケット/懸垂飛行鉄道/世界最大の汽船/風行船/海の深さを測る法/燈台/造船と進水/潜水作業/沈没船引揚作業/船渠/起重機/浚渫船/運河/珍しい橋梁/水底作業の新工法/石油の鑿井/溶鉱炉/世界最大の機関車/地下鉄道/エレベーター/エスカレーター/ケーブルカー/ドアー・エンヂン/列車の自動連結器/人造人間/大金庫/水力発電所/風変りの発電所/高電圧の不思議/ラヂオ/テレヴィジョン/写真電送/ネオン・サイン/自働電話交換/輪転機/発声映画(トーキー)/映画のトリック

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ツエツペリン型列車。時速100マイル(160km)

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ドイツ式装甲潜水機(上)とイギリスでの潜水作業

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《機械人間 中世紀の騎士を装ふたこの人造機械人間は英国のリチヤーズ氏の発明したものでエツク[ママ]と称せられ、両手を挙げて演説もする。

RURと胸に書かれているのでチャペックの戯曲「RUSSOM'S UNIVERSAL ROBOTS」に登場するロボットを再現したものと考えていいのだろう。本書の説明によればこのロボットの名前はエリック。ロンドンで大衆の前で演説をぶったそうである。

《ロンドンのリチャーズ氏は「R・U・R」と名のる白銀色のアルミニユムの鎧で身を固めた中世記の騎士風の人造人間を造つた。その手や足は大小多数し歯車と棹(ロツド)の作用で各関節が自由自在に動き、しかも巧妙な電話仕掛けで演説もやる。》

西村真琴の学天則(http://sumus.exblog.jp/6529139/)もこういった文脈で見ればごく自然なものだったのかもしれない。

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「R・U・R」とも本書とも関係はないが、たまたま見つけたので。Facebook に出ていた本八幡(千葉県市川市)の路地にあるというLUCKY ROBO(!)

記事のなかで遅れているなと思ったのはこちら「テレヴィジョン」。まだまったく理論だけで実用化にはほど遠い感じではないだろうか。「テレヴィジョンとは何か」だもの……

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最後に執筆者一覧を掲げておく。

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by sumus2013 | 2014-07-25 21:28 | 古書日録 | Comments(2)

三島由紀夫、富士正晴展

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富士正晴、三島の本の〈生みの親〉となる
三島由紀夫、富士正晴展
平成26年7月30日〜11月28日

戦時下、富士正晴は三島由紀夫の初の作品集『花ざかりの森』の出版に協力します。三島は、「跋に代へて」で、戦場におもむいた富士がこの出版の成りゆきを〈故郷にのこしてきた愛し児〉のように心配していたと記し、また、富士こそがこの本の〈生みの親〉であったと記しています。

富士正晴記念館
http://www.city.ibaraki.osaka.jp/kurashi/bunka/gejutsu/shisetsu/fujimasaharu/



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by sumus2013 | 2014-07-25 16:12 | もよおしいろいろ | Comments(0)

『高橋新太郎コレクション』のこと

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〈 高橋新太郎さんのことを、みな「シンタロウさん」と呼んだ。私のように年若な古本屋も、年長の先生も、それは同じだった。
 一九八五年に、若手の古本屋が中心になって『彷書月刊』という雑誌をはじめた。
 今は沼津に引っ越した自游書院の若月さんが呼びかけ、当時で還暦だった堀切利高さん(荒畑寒村の研究者)が顧問役。編集長はなないろ文庫の田村治芳さんで、私は雑事手伝いだった。

 猿楽町の事務所には同好の本の虫がよく訪ねてきた。新太郎さんもそうだった。何十年と古書展に通い、まるでそこを教場のように学んできた人たちだ。若造の古本屋よりよほどキャリアも豊富だ。うっかりすると、事務所がインナーな溜まり場になりかねない。でも、そうはならなかった。堀切さんの清廉な人格、そして新太郎さんの凜とした品性が、いつもその場所を風通しのいい、豊かなものにした。〉……

『高橋新太郎セレクション』のこと 内堀弘
http://www.kosho.ne.jp/melma/1407/index-1.html

笠間書院
http://kasamashoin.jp/2014/05/1_28.html

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by sumus2013 | 2014-07-25 16:10 | おすすめ本棚 | Comments(0)

気晴らしの発見

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山村修『気晴らしの発見』(新潮文庫、二〇〇四年三月一日、カバー装画=フルイミエコ)。今現在「日本の古本屋」で山村修と検索した結果、意外なことに(?)もっとも高価な本がこれである。

『日刊ゲンダイ』をほとんど読んだことがないし、後に出た「狐」の書評集もどれとして目を通していないため、ほぼ初めての山村修体験ということになった(いくつかの書評や短いエッセイは読んだ記憶がある)。やはりうまい。引き込まれる。

《眠れぬ夜が明けた朝、私がたいしてあわてなかったのは、まさかそれが不眠の第一夜[3字傍点]だとは思わなかったからだ。しかし、次の夜が第二夜となった。私には意外なことだった。二日つづけて眠れないのはめずらしかった。
 そして次の夜が第三夜となり、私はさすがにまごついた。第四夜が明けたときは胸がしめつけられた。第五夜にはいよいよ狼狽しはじめた。第六夜の明けた朝は全身に手ひどい脱力感を覚えた。
 青ざめた顔を鏡で見ながら、私はいささか平静を失った。》

著者は早朝覚醒になったのだ。夜、三時間ほどしか眠れない日が続く。そんななかで著者は梶井基次郎の「俺はだんだん癒ってゆくぞ」という言葉を思い出し『檸檬』をひもとく。そこから話題はさらに飛躍してゆく。

《梶井基次郎が「檸檬」を発表した一九二五(大正十四)年のある日、プラハの大学の階段教室で、一人の医学生がある重大な発見のきざしに息をのみ、胸をおののかせていた。》

この医学生はハンス・セリエ(Hans Selye)。第二次大戦後、高名な研究者となる。

《ハンス・セリエのとなえる学説は、それまで考えられもしない破格のものであった。セリエが発見した心身のメカニズムは、彼自身、何と名づけたたらよいか迷いに迷った。最前列にフランスの高名な作家たちも居並ぶ講堂で、セリエはフランス語としては新語というべき言葉ーーle stressーーを発音した。》

セリエは一九五六年に『The stress of life』を、七四年に『Stress without distress』を、そして七七年に『The stress of my life』という本を刊行している(とこれは今調べました)。

著者の早朝覚醒は三ヶ月に及んだが、そんなとき著者は多田道太郎の「旅に病む」つづいて「ストレスにかかったネズミ」という傑作エッセイを読む。ストレスからくる不眠に悩まされながら読書によってそれを解決する糸口をつかもうとするのがさすが書評家という感じだ。

ストレスの次はコレステロール。ストレス症状によって血中の総コレステロール値が急激に増えた。著者はコレステロールの本を読む。

《コレステロールは、叩き割られた青白いガラスの破片のような形をしている。さまざまな恰好に砕けたそのガラス片は妙に美しい。》

コレステロールの命名者はフランスの科学者シュブルール(Eugène Chevreul)である。コレステロールそのものは一七五八年にフランソワ・プルティエ・ド・ラ・サルによって発見されていたが、コレステロール(cholestérine)という名前を与えたのはュブルールだった(一八一四年)。古代ギリシャ語で、chole-は「胆汁」、streos は「固体の」。

このシュブルールという人物がまた大変興味深い事蹟を残している。先ずマーガリンと石鹸の製法を開発した。彼がゴブラン織物工場長だったころの研究から著した『色彩の同時対照の法則について De la loi du contraste simultané des couleurs』(1839)はスーラらの新印象派に決定的な影響を与えた。要するに「補色」も彼の創見である(ただしこれ以前にもゲーテらが補色残像という現象に注目していたことはよく知られる)。動物脂肪の研究も手がけ、ステアリン酸、オレイン酸、サタノールなどを分離した。これらの研究によって蠟燭製造業を進歩させた。百二歳まで生きたが、九十歳を過ぎてから老人心理の研究にまで手をつけたというから並外れた科学者だったと言えるだろう。

さて、ここまではだんだん深みに落ち込んで行く最悪の状況が淡々と語られ、読書を通じて関連するさまざまな事象について学ばれて行くのだが、後半は体を実際に動かす、行動することに救いを求める展開になる。正直な話、落ち込んで行く過程の方が面白い。気晴らしを発見して回復に向う(実際に快癒したのかどうかは分らないのだが)過程はやや冗漫か。それはそれとしても久し振りに一気読みした一冊である。


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by sumus2013 | 2014-07-24 22:05 | 古書日録 | Comments(0)