林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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小さな箱のような古本屋

「図書新聞」サイトの内堀弘さんの連載N0.3159(2014年5月24日)に京都のヨゾラ舎が登場している。

小さな箱のような古本屋  三河島の稲垣書店、京都のヨゾラ舎

いつも京都のことを気にかけていて下さって嬉しい限りです!


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by sumus2013 | 2014-05-19 14:54 | 古書日録 | Comments(0)

かなしい月

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『尾形亀之助拾遺集 かなしい月』(カトウジン、二〇一四年五月二〇日)。これはうれしい作品集だ。刊行についての概略は下記のサイトに詳しい。短時間のうちに制作されたようだが、亀之助ファンにはたまらない贈り物であろう。書肆盛林堂にて購入できる。

尾形亀之助拾遺集「かなしい月」刊行ノート

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「憐れな夏」(『果樹園』第十七輯、一九二七年一〇月)は妻との確執を描いた短い小説のような作品だが、込み入った心理を巧妙に描いている。

《二三日して歸る。といふお孝からの手紙を見て、羊吉は二日もつゞけて街へ出て持つてゐる金をみんな費つてしまつた。お孝はその後、半月たつても歸るて來なかつた。羊吉は金ーー金ーーと二字だけの手紙を出した三日目に、金着いたーーへへへ・・・(うれしがつてゐる形容)といふ手紙を妻へ書いた。そして、その金を持つて又街へ出た。
 街へ出た次の日は、羊吉は宿酔で一日寝た。お孝のゐない間に、飛行機が大西洋を横断したり、張作霖が大元帥になつたりした。

「マヴォ」というマヴォの宣伝文句(『朝日新聞』一九二三年八月一五・一六日)も近くて遠いMVに対する親近愛憎という感じがよく出ていて好きだ。そうか、関東大震災の半月前だったのか……。他には「又、一月の誓」(『新使命』第二号、一九二七年二月)あるいは「仙臺 在郷詩人之圖」(『人物評論』第一年第七号、一九三三年九月)における自虐的コントもいい。亀之助ならではの哀感、どうしようもない空気に触れたような気になる。

daily-sumus に引用した草野の記事を思い出した。

草野心平「尾形亀之助について」

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by sumus2013 | 2014-05-18 17:42 | おすすめ本棚 | Comments(0)

介川緑堂ふたたび

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木崎愛吉(好尚)『家庭の頼山陽』(金港堂書籍、一九〇五年六月一九日)。某氏より頂戴した一冊。家庭の頼山陽ってなんじゃ? と少々いぶかしく思って読み始めたら、これが面白い。家庭人としての頼山陽(というよりも「生身の頼山陽」と言うところだろう)を主に頼山陽の母である梅颸(ばいし)の日記を拠り所として記述している。この日記がすこぶる面白い。

今、検索してみるとお茶の水女子大学ジェンダー研究センターから『頼梅颸日記の研究』(二〇〇一年)にまとめられているようだ(「頼春水『春水日記』および妻梅颸『梅颸日記』にみる儒家祭日の記述」)。

この内容については改めて触れるとして、本日は介川緑堂について少しばかり追加情報を記しておきたい。介川緑堂は先日紹介した岡田半江の漢詩、そのなかに登場していた秋田藩の重鎮。その緑堂にご縁のある方よりお手紙を頂戴した。

《いつもブログ楽しく拝見しております。先日、岡田半江の漢詩に「介川緑堂」の名前をみつけたときには、ビックリしました。小生の父が介川家の出身で、「緑堂」さんは我家のなかの偉人だったからです。》

時折、このブログで何気なく取り上げた人物の子孫の方々よりメールを頂戴することがあるが、緑堂さんからそういったリアクションがくるとは予想していなかった。同封されていた新聞記事、笹尾哲雄「漢詩人介川緑堂」(『秋田さきがけ』一九七一年一〇月九日夕刊)のコピーからウィキの「介川通景には見えない記述を拾っておく。

緑堂は、藩の勘定奉行として江戸、京都、大阪の三都を何度も往来した。とくに大阪の藩邸にあって藩の財政の赤字を解決するために、豪商から借財することにつとめたようだ。緑堂は詩文に長じ、京都に出ては頼山陽、篠崎子[ママ、小]竹などの文化人と交遊し、詩の応酬をしている。
 彼の「詩稿集」には、頼山陽をたずねた折りに作った次のような七言絶句が収められている。》

《[天保十一年病気により全ての役職を辞した]官職を辞したのは病気のせいもあるが、それよりも自分の意見がいれられなかったことが原因のようだ。彼は内政の改革を考えていたというが、実現できなかったのだ。》

《中年以降は雅懐を漢詩に託し、暇があればいつも詩作に没頭したようだ。とくに晩年は、詩人として生きたように思われる。
 秋田図書館の東山文庫には、緑堂の「詩稿集」や「遺稿集」、あるいは自筆の漢詩がたくさん残っている。また自筆の「勤年数」(履歴書)、「遺珠」(メモ帳)なども保存されていて彼の人柄を知るうえで参考になった。

緑堂詩稿」からとして引用されているうちの一首。


   帰郷途上

  壮心老去漸消磨
  其奈天涯為客何
  憶此千山将万水
  幾回郷夢夢中過


《彼の墓は城下の永源院(曹洞宗)にあった。永源院という寺は、天徳寺に隣接する塔頭(たっちゅう)であったが明治維新の際に廃寺になったという。

ということで本日の一冊『家庭の頼山陽』にも緑堂さんは登場していた。文政十二年九月。

《七日 七つ下りより雨 秋田家中、介川藤[東]馬来る、送別留別の詩共出来る。》(梅颸の東游日記第四)

上述の新聞記事にこのときの留別詩と思われる漢詩「東還過京訪頼山陽先生」が引かれているのだが(わけあって引用はしない)、梅颸の記述からすれば文政十二年九月七日作と見ていいだろう。木崎の註にはこうある。

《介川東馬(藤馬は蓋し誤写)は緑堂と号し、秋田藩大阪蔵屋敷の留守居たり、詩を能くし小竹、松陰[後藤松陰]等諸儒と善し。松陰の送序に山陽の批正ある稿本、余嘗て久松澱江氏より借り写取れり。小竹も亦送序ありし由、松陰の文に見えたり。

ついでに岡田半江が登場する部分も拾っておこう。文政十二年四月二十四日。

《廿四日 雨 五つ頃着(大阪)よどや橋備前屋安平といふ宿に、皆々一緒に上る。夕、篠崎、後藤など来り、約して半江宅(天満橋北詰)へ行く。料理物、小竹持参。先方にても、数々ちそう。夜、母子奚にとまる。行がけ、かごなり。》東游日記第四)

木崎が頼山陽遺稿からこのときのことを叙した漢詩を挿入しているが、詩は省いて前書きだけ引いておく。

《下江、同小竹主人及諸子、訪半江居士、居士新獲明人書七言絶句、在壁、依其韻同、是夕雨、居士留我宿焉》

居士新獲明人書七言絶句、在壁」というところが何ともうらやましげでよろしい。

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by sumus2013 | 2014-05-17 21:10 | 古書日録 | Comments(0)

抜辨天

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間村俊一句集『抜辨天(角川学藝出版、二〇一四年二月二八日、著者自装、寫眞=港千尋)。『鶴の鬱』(角川書店、二〇〇七年)から七年も経ったとは思いも寄らなかったが、そのくらい時間は疾走しているということか。

本文用紙は今回もリ・シマメ。この斤量で百七十頁なら一体どのくらいするのか…などと考えてはいけないが、さすが太っ腹だ。カバー(ヴァンヌーボV)、表紙(わらがみGA)、帯(オーロラコート)、見返し(ファーストヴィンテージ)、遊び紙(やはらがみ)と用紙の取り合わせの妙はいつもながら感服する他無い。

基本はシュルレアリスム。俳句の作柄もまさに視覚的であって文字によるコラージュだと言っていいように思う。だから、少しも難解ではない。見たままでありながらも、これまで誰も見たことの無いような、まさに解剖台の上でのミシンと雨傘の偶然の出会いのようにcomme la rencontre fortuite sur une table de dissection d'une machine à coudre et d'un parapluie!)新鮮だ。


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シュルレアリスム宣言ぞろり心太

くちなはとくちなはむすぶ遊びせむ

龍泉を離れぬ女冬の雨

四疊半たゝみの下の父枯るゝ

釣舟につりびと見えぬ露伴の忌

秋時雨遺稿詩集に正誤表

秋刀魚焼く町に一軒貸本屋

白玉やほんまのことは言はんとこ

青物問屋桝源主ジ若冲晝寝

猫笑ふ日もあり裏のさるすべり

無削除版惡の花あり冬ざるゝ

小女の舌よく動く煮蛤

夕霞火星年代記にほこり

少年畫報付録組立て式おぼろ

風鈴の音を栞に文庫閉づ

ホルヘ・ルイス・ボルヘス『砂の本』
その本のゆくへなら初蝶に聞け

脚注のごとし春雨降る樣は

書物にもノドあり氷水が好き

くさめして菊坂下の人となる



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栞もまた例のごとく見事。福島泰樹氏がこう書いておられる。

《「白玉や」に反するようで気が咎めるのだが、一言だけ「ほんまのこと」を言っておこう。本集『抜辨天』一巻は、愛猫「タマ」悼にことよせた愛妻山口朋恵への相聞句集であったのだ。》

ごちそうさまでした。



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by sumus2013 | 2014-05-16 20:14 | おすすめ本棚 | Comments(0)

脈80号 特集 作家・川崎彰彦

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』80号(脈発行所、二〇一四年五月一〇日)が刊行された。予告しておいたように川崎彰彦特集である。小生、川崎さんとはほとんど交渉はなかったし、作品もよく読んでいる方ではない。が、『ぼくの早稲田時代』を装幀させてもらったことからわずかなつながりをもった。他の執筆者は当銘広子、三輪正道、中尾務、比嘉加津夫、中野朗の各氏なので三月記に目次が出ています)、おそらく中尾さんのご推薦をいただいたのではないかと思う。今日、ある古本屋さんからこんな葉書が届いた。

《ごぶさたしています。昨日、沖縄の同人雑誌『脈』川崎彰彦号の中に林さんを「発見」し、妙にうれしくペンをとった次第です。
 寺島さんのことで川崎さんの名前は知り、『ぼくの早稲田時代』を読んだものの、まだ小説は一篇も通読したことがありません。本がホントに見つからない。先輩の古本屋さんから二、三年前川崎彰彦さんの生原稿を二篇買いもとめました。その一つが「清遊記」。林さんとのフシギな縁をおもったのでした。》

「清遊記」は『夜がらすの記』に収められており、拙文では中心的に紹介した短篇。詳しくは本誌をお求めいただくとして、拙文、マクラのところだけ引用しておく。

 昨年の秋口に神戸北野町の浄福寺で古本市が開かれた。十何人かの本好きたちがお寺の集会場を借り切り、それぞれ数箱分の古本を持ち寄って販売したのである。当日、十時三十分開店のところ、軽い気持ちで十分ほど遅れて会場に到着した。ところがなんと、もうすでに黒山の人だかりではないか。部屋が手狭ということもあるが、おちおち本も見られないほどの鮨詰め状態である。甘く見た。定刻前に来ておくべきだった。肩をぶつけながら割り込んで出品物を一通り点検。何とか雑誌を一冊確保した。『書物』第二年第三冊(三笠書房、一九三四年三月一日)。近江の詩人高祖保に触れた百田宗治の記事が載っている。ちょうど金沢の個人出版社・龜鳴屋から外村彰著『念ふ鳥 詩人高祖保』(二〇〇九年)が届いて読み始めたところだったから、本が本を呼ぶような、こういう小さな発見がたまらなく嬉しい。神戸まで足を運んだ甲斐があった。さらに正午前まで粘ったものの、それ以上のめぼしい獲物はなく、浄福寺から三ノ宮駅までだらだら坂をしょんぼりと下って行った。さんちかビルから地下へ潜り、阪神電車の梅田行き特急に乗る。もうひと踏ん張り、武庫川駅の近くにある古書店街の草を久し振りにのぞいてみようと思い立ったのである。
 西宮で各駅停車に乗り換え、都合三十分足らずで武庫川に着く。昼食がまだだ。街の草近くの中華料理店が暖簾をたたんでからというもの、仕方なく駅前の立ち食いうどんですませていたのだが、午前中の活躍で少々草臥れている、立ち食いはいやだな……と、思い切ってその右隣の小汚いラーメン屋へ入り、ラーメンと半チャンのセットを注文した。昼時も終わろうとしていたためか客はまばら。五十がらみのおばさんが一人でせっせと作っている。ジャーレンの載ったレンジ、背後の壁には油染みがべっとり。ちょっと不安になる。ところが、「おまちどうさん」とカウンター越しに置かれたラーメンは予想外にうまかった。なにかいい本見つかりそうな予感。
 街の草にはいつも何かある。近畿圏ではもっとも自分の好みに合っている古本屋だ。詩集の品揃えが充実しているのは店主が詩人であった、いや、現在も詩人だからだ。店主加納成治の本を見る目には信頼が置ける。商売気のないところも清々しい。ところがさきほどの予感に反して、当方の懐具合のうすら寒さにもよるのだろうが、小一時間ガサゴソやってもこれぞというブツが手に触れてこない。そろそろ引き揚げようかなと思いながら、未練がましく視線を動かしていると、四六判の随筆や小説が並んでいる棚に、川崎彰彦の文字がピカッと光った(ように見えた)。

中尾さんの「雑誌『雑記』について」が面白かった。とくに中尾さんが引用しておられる川崎と同じ八日市高校で同人雑誌『アントロギーオ』の仲間だった野川の詩「不愉快極まる」はケッサクだ(興味ある方はぜひ本誌をお求めください)。中野朗氏の労作年譜によれば野川はこういう青年だった。

《父の野川孟は弟の野川隆とともにダダイズムの詩誌「ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム」を創刊した詩人である。同誌2号からは橋本健吉(北園克衛)が編集にあたり6号まで出した。その誌名と「芸術革命を志向する方法的実験は鮮烈な衝撃を与えた」。野川孟は以降北朝鮮で邦字新聞記者をしていたが、敗戦後、八日市に引き上げ、京都新聞などの支局長の仕事についた。隆は「芸術革命」から「革命芸術」に移行し、ナップに加入し「戦旗」に詩を発表したりしたが、治安維持法で逮捕され昭和19年に獄死同然に亡くなっている。昭和13年に満州で出した「九篇詩集」がある。野川洸はこうした父と叔父を敬愛していたという。


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とにかく『脈』という沖縄の同人誌が川崎彰彦を特集したというところに格別の意義を見出す。比嘉氏の論考によれば高木護氏の周辺から浮上したようだが、川崎さんには金城実が玉城実として登場してえがかれる「吟遊詩人」という小説があるのだから、まったく無縁というわけでもないようだ。金城実という名前を見て思い出した。金城さんの本『民衆を彫る』(解放出版社、二〇〇六年)は小生が装幀したものである。知らない所でつながっている。






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by sumus2013 | 2014-05-15 20:42 | 文筆=林哲夫 | Comments(0)

白茅4

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『白茅』第四号(白茅俳句会、二〇一四年四月三〇日、表紙装画=蓮池もも)。京都の宇治市にお住まいの中田剛さんが代表を務める俳句結社の雑誌である。発行所は新潟市。絵屋の大倉宏さんより頂戴した。大倉さんが創刊号より「絵のなかの自然」という連載をもっておられる。この第四号で拙作「雲」を取り上げてくださった。

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大倉さんはこう書いておられる。

《十数年前に訪ねた京都の林哲夫の家は古い木造屋で、急な階段を上ったところが仕事場だった。招じ入れられた部屋の襖に、十号ほどの雲の絵があって、たちまち引きつけられた。見知らぬ雲のようでもあり、よく知っている雲のようでもあった。林さんの新潟での最初の個展は、古本の絵が中心で、あとは玩具などを描いた静物だったから、雲の絵とは思いがけなかった。私が興奮していると、未完成なのだが、どう手を入れていいか分らず、仕事場に掛けて眺めているのだということだった。》

正確には十号ではなく十五号である。大倉さんが来宅したときのことはよく覚えている。まだ上桂に住んでいた。昭和の初め頃に建てられたという京町家で、神戸の震災から逃れてやっとたどりついたアジールのような建物だった。この雲は神戸の住居から近かった大丸山公園で見つけた。京都に落ち着いてからずっと筆を入れていたのだが、どうしても最後の仕上げにかかる気持ちになれないでいた(十五号で「雲」では売れる見込みはないため慌てて仕上げる必要もなかった)。

二度目の絵屋での個展に出品し、大倉さんが気に入ったというので、新潟にそのまま残して来た。

《林の雲の絵も、見ていると何かに見えそうだ。けれども見えない。現実の雲も、本が言うように確かに犬や狐や人の顔に見えることがあっても、何かに見えそうで、見ないこともあり、その方が多い。見えそうで見えない雲から、ときたま何かが躍り出、いつのまにか消える。時と時のあわい、何かと何かでもないものの中間体こそが、雲の本質なのだ。》

それはそうと、この『白茅』には間村俊一さんが俳句を七作、「十文」と題して寄せておられる。特別作品となっているからゲストなのだろう。


 狐火を十文で賣る女かな

 土中より女ごゑして霜柱

 はだれ雪ロラン・バルトの相撲好き

   さる人の通夜にて
 白梅や大關二合もて別かる


この二月に間村さんは第二句集『抜辨天』(角川学藝出版)を上梓された。これがまた間村さんらしい凝りようである。近々紹介するつもり。


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by sumus2013 | 2014-05-14 20:59 | 画家=林哲夫 | Comments(0)

かけうどん

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by sumus2013 | 2014-05-14 11:11 | うどん県あれこれ | Comments(0)

岡田半江 樹々皆秋色

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岡田半江ということで求めた山水画の軸物、文字は「樹々皆秋色山々只落暉/半江田粛写」(季節外れもいいところでスミマセン)、印は「岡田粛印」「半江」。半江はいろいろな作風で描いているため、にわか愛好者にはこれが本物なのかどうか判断できない。緻密な作品も多いが、これはザッと仕上げたタッチではある。そのためさほど高価ではなく小生でも入手できたと言える。


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半江と言えば、先日取り上げながらその釈文をかかげられなかった「新園雨足更幽恬」の漢詩。某氏の御教示を頂戴して、おおよそなんとか読むことができた。まだ多少おぼつかないところもなきにしもあらずながら、まずはだいたいこんなところかとも思う。乞御叱正。


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新園雨足更幽恬

苕帚筠箕迹尚霑

渫井浚泉点茶榻

洗篁得月読書巌

車停紅葉非追牡

門橦青松異讃

啻願員従緑堂歩

一盃濁酒與吾拈

緑堂介川員和拙詩見示再用前韻
茶亭寄時後園秋栄落成
            半江田粛

新しい庭にじゅうぶんな雨が降ったあとはいっそう静かだ
葦の穂の箒、竹の箕はまだ濡れている
井戸をさらい、泉をさらい、茶をたてる椅子
雨に濡れた竹林、月が出る、読書の岩
車停めの紅葉は牛には届かない
門の板に青松が変った讃をつける
ただ願う、しばしば緑堂の歩にしたがって
一杯の濁り酒を吾とともに手にすることを

浚」としたところ本文では手ヘンになっている。読書岩(巖とは少し崩し方が違うようではあるが?)はひょっとしたら以前紹介した小杉放菴の絵のような岩かもしれないと思うしだい。「非追牡」と「押(?)異讃」のところはよく分らないのでとりあえず。「員」もほんとうは打ち込みのノがあるべきだろうが、他に思いつかないので員(しばしばの意か)とした。




所用のためしばらくブログを休みます。



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by sumus2013 | 2014-05-07 20:48 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

ぽかん4号の感想

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『ぽかん』4号(ぽかん編集室二〇一四年四月二一日)読了。本誌の充実ぶりこれはもう理想的な布陣ではないだろうか。と書きつつも、じつは真治さんには書き手を二人か三人減らして一人の分量をもっと増やした方がいい、というような感想をメールした。しかし、今また読み直してみると、これはこれでベストバランスを持った編集振りであり、小沢信男、山田稔、涸沢純平、木村浩之、外村彰、田中美穂、扉野良人、鹿角優邦、内堀弘…の並びのどこをどう削るかなどと考えるのは烏滸のさただと反省した。

  兵児帯もほどけば長し麦の秋   小沢信男

山田さんのエッセイは小沢信男さんの『捨身なひと』に関連して長谷川四郎からもらった葉書を探し出す話。涸沢さんは「わが出版記」や内堀さんの『彷書月刊』の記録も出版史においても大切な文章だ…と内容紹介するより読んでもらった方が早い。個人的には「父のチェーホフ」と題して扉野氏が湯浅芳子について書いているのがいいと思った。この話は直接その一部分を扉野氏の口から聞いたような気もするが、六波羅蜜寺あたりの坂を上がったり降りたりあのへんの露地を右へ曲がったり左折れたりするような書きぶりがひとつの新たな文体を仕上げつつあるような気がする。次号が待ち遠しい。

この雑誌を始めるずっと以前だったが、ちょうちょぼっこで真治さんから雑誌の作り方について問われたことを覚えている。とにかくページ数を増やさないこと。小生からのアドヴァイスはそれだけ。調子づいてくるといろんな人に頼んでしまって収拾がつかなくなる。ページが増えればコストも手間も増えるが、だからといって内容が充実するわけではない。マイペースをつづけるにはページ数制限という足かせを自らに課すべきだと思う。

ところがどうだろう。真治さんの発想はそんな頭の固い、古臭いものではなかった。1号2号はともかく、3号からご覧のような楽しい附録をたくさんつけてしまうという、とんでもない発展ぶりなのである。印刷コストはこちらが心配するほどかかっていないそうだ。子供の頃にとっていた『少年』だとかそういう月刊雑誌の附録が持っていたたまらない魅力を思い出させてくれた。


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「のんしゃらん通信」なんか、これだけで十分独立した冊子として通用するだろう。本誌とはまた違った意味で粒ぞろいの書き手がそろっている。さらに「こないだ」は3号の感想文集、読者カード、そして手作りの検印紙。もう、好きなようにやりなさい、という感じである。


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4号編集中の真治さんからメールをもらった。エッセイの開始ページを偶数に揃えるべきか否かというような問いだった。執筆者それぞれのエッセイの長さによってピッタリ同じように収まらないから、流し込みだとどうしても全員偶数からスタートというわけにはいかなくなる。『spin』では奇数始まりを基本にしていた。けれども成り行きで偶数から始まっても問題ない。そのように答えたと思う。今、本誌を見ると、どうしても揃わないところは一頁まるごと写真で埋めてある。この写真がなかなかいい。

もうひとつ質問があった。エッセイの文末が広く空いたときにはどうしますか? 空いたままは好きじゃないという。だったら埋め草を考えれば。そこが編集者の腕のみせどころだよ。よって今回は「シネマのある風景」(これ山田稔さんの本のタイトル)という囲み記事が三篇挿入された。

ポスター附録「ぼくの百」は福田和美さん。原稿をもらってからコラージュを制作したのだけれど、その本の選択が小生の趣味に近いので驚かされた。だって一回り以上年下なのに…。3号の秋葉氏の選択は、本に精通した若い人のもの、という感じがありありだったが、福田さんのは感覚的に近いものがあったのだ。しかしコラージュそのものはあまり原稿とは関係ないものになってしまった。カフカとかグロッスとか少しは入れるには入れておいたけれども。あとロシア文字は真治さんの指定によります。

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『海鳴り』26号(編集工房ノア、二〇一四年五月一日)が『ぽかん』より数日後に届いた。山田稔さんの「ある〈アンダスン馬鹿〉のこと」は『ぽかん』4号とほとんど同じような展開(昔、縁のあった人の葉書を探し出す)だが、枚数が多いだけに存分に筆を揮った感じがする。じつにいい話だった。








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by sumus2013 | 2014-05-06 21:04 | おすすめ本棚 | Comments(2)

DACITE

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こどもの日記念、でもないが、本日の一冊は『DACITE』(LIESMA, 1969)。ラトビアのリーガ(Rīga)で発行されたカレル・チャペック『ダーシェンカ』。チェコ語だろうとラトビア語だろうとどっちにしても読めません。しかし表紙に一目惚れ。

チェコへ行った方が日本語版の『ダーシェンカ』をお土産に持参したところ、まさか日本語版があるとは思っていなかった現地の人に大変喜ばれたという話を聞いた。たとえは古いが『のらくろ』のラトビア語版をお土産にもらったら、小生も嬉しい。

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by sumus2013 | 2014-05-05 19:28 | 古書日録 | Comments(0)