林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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各地米況調査報告

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『各地米況調査報告』(橋本奇策編纂、日報社、一九〇二年四月一五日)。日報社は兵庫米肥商組合および神戸米株取引所の機関新聞。神戸市長沢町一丁目七十五番邸にあった。橋本奇策は大阪毎日新聞記者、後に野村証券調査部へ入って活躍したようだ。

橋本喜作の投機礼讃~ハマイト名物記者ほえる
http://yuyu-life.net/f-jaunal/2013/1211-s.htm

本名喜作、十王と号した。おおよその著作は下記の通り。どうやらクリスチャンだったか(?)。野村實三郎は野村徳七の弟。スペイン風邪のため三十九歳で歿した。

実験応用写真術 フウゲル/橋本奇策抄訳 博文館 1895
藍水遺稿 浅野源二郎/橋本奇策編 長尾柳吉 1896
化学工業品製法全書 橋本奇策 梅原亀七等 1896
合成金製造法 橋本奇策 博文館 1897
各地米況調査報告 橋本奇策編纂 日報社 1902
輸出綿織物 橋本奇策 橋本奇策 1903
実験応用工芸大鑑 橋本奇策 矢嶋誠進堂書店 1904
清国の棉業 橋本奇策 武井良雄 1905
化學工業品製造法 橋本奇策 成光舘 1917
紐育株式取引所 橋本喜作 ダイヤモンド社 1918
楓之家主人偲ふ草(野村實三郎追悼集) 橋本喜作 大阪国文社 1919
満洲を振出志に 橋本喜作編輯 橋本喜作 1925 
よしあし艸 煙波釣叟十王 [出版者不明][1931序]

奇策の序文にいわく

《生は社長の承認を得て米肥調査特派員として本年二月一日社を出立し、第一着手に兵庫市場を調査し、それより播州に出て三備を経て安芸に亘り、周防、長門に移り九州に入り出来能ふ丈けの調査を終へて同月末帰社せり、

生は爾来若しも社が生に許すあれば毎年出張調査する考なれば自壊には尚ほ短日月にして、より多くの土産を持ち帰ることを得べし、読者願はくは今回の調査は初舞台の三番叟と見做し将来に希望を属されんことを祈る、

社長はむろん大阪毎日新聞社の社長を指すと思われる。ひと月の調査旅行とは、さすがの大毎でも英断が必要だったか。本文も含め「。」のいっさい無い表記が特徴的である。もちろん、この本を手にとったのは米況や奇策に興味があったわけではなく、その前付け、後付けに(まるで雑誌のように)挿入されている各種商店の広告に目を奪われたからである。


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羽根の生えた鯉がトレードマークの平野鉱泉水は三ツ矢サイダーのライバルか?


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伊藤長蔵という名前が出ていたのでハッとしたが、これは「ぐろりあそさえて」の伊藤長蔵ではないようだ。

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by sumus2013 | 2014-03-08 21:16 | 関西の出版社 | Comments(0)

ヨゾラ舎 開店!

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ヨゾラ舎さんが今月からオープン(プレオープン?)したと聞いたので、用事のついでに出かけてみた。寺町通りの一本東側の通り、新烏丸通りを、丸太町通りそして竹屋町通りから少し南下したところにある。文藻堂さんの北隣。

古本 中古音盤 ヨゾラ舎

自己紹介
京都御所にほど近い静かな路地?で古本、中古CD,レコード等を販売する,ごくご
く小さなお店を開業予定。(2014年3月1日より、仮営業はじめます。3月中旬くらいに全面オープン予定です。)

〒604-0906
京都市中京区東椹木町126-1 ヤマモリビル1F-A
TEL/FAX 075-741-7546
E-mail yozorasha@herb.ocn.ne.jp
営業時間 11:00-19:00
月曜定休
(※仮営業中、当面は不定期の営業とさせて頂きます。申し訳ありません。)


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百円均一こそ、その店の力量(というか人間性?)を測るもっとも重要な目安だ。いきなり二冊もピックアップして抱え込んでしまった、これは一大事です。店内へ。長岡天神の古本市でご挨拶していたので、開店の様子などいろいろうかがう。音楽関係がご専門とか。CDやレコード盤も販売する予定なのだが、まだ搬入できていないという。三月半ば頃までには形にしたいそうだ。

本の方もまだ一部しか並べられておらず、スカスカ。しかしこの本棚がかえって見やすくていい。どんどん本が積み上っていくと、見たくても見られなくなってしまう。現在はご自身の蔵書がほとんどだとのことで、たいへん統一感のある棚になっている。いい趣味しておられます。


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「たいした本はないんですけど、これはけっこうお宝ですよ」
と見せて下さったのが、ボブ・ディラン『タランチュラ』(片岡義男訳、角川書店、四版、初版は一九七三年)。ところが、これが、ボブ・ディランの来日にシンクロして今月末、角川マガジンズBCから復刊されるとか。
「内容が難解なので、復刊はないだろうと思ってたんですけど……」
と落胆気味におっしゃった。いえ、いえ、どうして。

かつては稀覯本が復刊されれば古書価も下がると言われていた。しかし、今日、大抵の本はデータ化される運命にあるため、テキストが読めるかどうかというようなことは古書価の目安にはほとんど成り得ない状況なのではないだろうか。国会図書館もどんどんスキャンして公開度を高めているわけだから、内容の稀覯性よりも、オブジェとしての存在そのものに価値が見出されるだろう。

復刊と言ったって造本はまったく違っているはずだ。元版は当然ながら活版印刷である。これはもうきわめて再現不可能に近い状況だろう。ジャケット、表紙、本文に使用されている紙もすでに同じ物はないはず。復刊されたからといって古書の値段を下げる要素はない。かえって高くしていいのじゃないか。多くの人に『タランチュラ』の存在が知られたとすれば、初期の形態に興味を持って欲しがる人も増えるのが理屈というものだ。

などとひとくさり気焔を上げた後、買わせてもらったのは百円均一の二冊だけ、なわけないでしょ。


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『宝島』第八巻第二号(JICC・出版局、一九八〇年二月一日)植草甚一追悼号。これ持っていなかった。嬉しい収穫だ。今後、日ごとに棚が埋まっていくだろう。巡回を怠らないようにこころがけようと思う。


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by sumus2013 | 2014-03-07 20:25 | 古書日録 | Comments(4)

田端抄 其陸

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碌山美術館
http://www.rokuzan.jp


矢部登さんの『田端抄』其陸(書肆なたや、二〇一四年三月)読了。今号はたくさんの芸術家が登場してにぎやかだ。気になる人も多い。

なかでは、まず、香取秀眞。

《明治七年元旦生まれ。名は秀治郎、千葉県印旛郡穂村の人。東京美術学校鋳金科に学んだ鋳金家であるとどうじに、その先人たちの業績を世に知らしむるを念願する。金工史の資料を蒐集し、興味は考古学に及ぶ。》

《香取秀眞は鋳金の大家だが、子規門の歌人としても知られた。その詩情は鋳金の作品に滲む。十代から歌に親しみ、のちに根岸鶯横町に正岡子規を訪い、根岸短歌会に出席する。子規歿後、根岸短歌会の「馬酔木」がでるにあたり、伊藤左千夫、結城素明、岡麓、平子鐸嶺、蕨眞、長塚節、安江秋水、森田義郎とともに編輯委員になる。宵曲柴田泰助と相識るのは根岸短歌会であろう。

とこのくだりを読んだところで届いた『書架』106号、うまいぐあいに香取秀眞の短冊二点が掲載されていた。

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 社頭月 ことさらに月の光もてりぬるは
     神のみいつやそはる広前

 落葉多 朝な朝なちる紅葉の庭もせに
     たまるは風のしわさなりけり


そして戸張孤雁を中心とした、中原悌二郎、石井鶴三、荻原守衛(碌山)らの彫刻家群像。明治の美術書生ならではの友情と研鑽振りが伝わってくる。

《碌山美術館には学生のころ一度だけいった。もう四十年以上もむかしのはなしだから、ぼんやりしておぼえていない。ただ、荻原守衛の《女》が甦る。
 とうじ、学生村があって、夏休みの二週間ほどを信州は大糸線の中綱湖畔の民宿ですごした。鹿島槍岳を背景に青い水をたたえた小さな湖がうかぶ。みずうみの傍を電車が走っている。天候のぐあいで午後になると、山から靄がたちこめて湖がつつまれる。静かな山里のけしきがひろがる。》

小生もまったく同じで学生時代に一度訪ねたことがある。思ったよりずっと小さな建物で、展示されていた作品もわずかだったが、深く印象に残っている。

彫刻家群像で驚いたのは讃岐人脈。新田藤太郎、池田勇八國方林三、田中耕一らが田端に住んでいたそうだ。新田藤太郎は「肉弾(爆弾)三勇士」像(現存は一部のみ)の作者として有名だが、戦後は讃岐へ戻り、地元で名声を築いた。菊池寛像糸より姫などの人物像が現在も県内各地に残っている。國方林三はまったく知らなかったが、画像で見るとなかなかの作家だと思う。

ついでに書いておくと、讃岐出身の彫刻家としては藤川勇造が著名である(本書にも名前だけ登場)。県立工芸学校(小生の大先輩なり!)から東京美術学校へ。明治四十一年に渡仏している。安井曾太郎らとともにアカデミー・ジュリアンで学んだ。また、ロダンを訪ね、作品を見てもらった縁で、二年間ほどロダンの助手として働きながら学んだという。大正四年に帰国、二科会に彫刻部を創って活躍した。昭和十年歿。

さらに澁澤龍彦が登場したのも意外だった。

《『狐のだんぶくろ』には、わたしの少年時代、と副題がつく。
 澁澤龍彦は、四歳から十七歳までの十三年間、田端のとなり町瀧野川中里に住む。この本を読みなおすと、なんて文章がうまいんだろう。
 ここはやはり、坂のことを書こう。澁澤龍彦が好きだった坂を。
 ある年の九月、澁澤龍彦は、とうじの瀧野川第七尋常小学校の同級生の集りにでたとき、田端駅からあるいてゆく。むかしあるいたなつかしいみちをたどってみたい。そんな声が聴こえてくる。

……引用していてはキリがないが、稲垣足穂も登場しているし(足穂は瀧野川南谷端の蝙蝠館に住んでいた頃、頻繁に芥川龍之介や室生犀星を訪問した)、工芸家にして詩人の矢部連兆の動向も新鮮な驚きであった。

矢部さん、いつにも増して(?)よく歩いておられる。

《酔狂にもいまのわたしの歩行範囲は、北は江北橋から南は小石川後楽園まで、西は護国寺音羽の森から東は浅草までといっておこう。》

健脚、健筆、何よりのことである。


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by sumus2013 | 2014-03-06 21:57 | うどん県あれこれ | Comments(0)

古今詰棋書総目録

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『古今詰棋書総目録』(全日本詰将棋連盟、二〇〇九年三月一日二刷)が届いたので、さっそく自分の持っている詰将棋の本が載っているかどうかを調べにかかっている。

じつは先日このブログに解けない詰将棋(誤植のため)について原稿を書いたことを報告したときに引用した詰将棋の本、『誰にもわかる将棋定跡図解』(昭文館書店+興文堂書店、一九二九年一月七日)がこの総目録には掲載されていない、と詰棋書保存会の某氏よりご連絡いただいたのだ。そこで、これを差し上げる代りに総目録を頂戴したというわけである。

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すると、安着のメールにこう書かれていた。

やはり、総目録のNo.784,785と類似書名、同編者、同出版社、同発行日、恐らくNo.784と同一内容、これでこの30局を収める本は10点になりました。ひどい話で、現在では考えられない出版です。

たしかに現在では考えられない横着ぶりだが、戦前ともなると、こういうフェイクは当たり前に行われていたようだ。だから何であれ書目を作るときには可能な限り実物に目を通さなければならない。同じ本が同じでなかったり、データ上ではまったく違うように見えるものが同じ内容だったり。今回、ごくわずかでもその作業に貢献することができたことを嬉しく思う。この総目録があれば、今後、詰将棋の本に出会うのが数倍楽しくなるし、また悩ましくもなるだろう。それもまたよし。

現在『古今詰棋書総目録』の訂正・増補はネット上で行われている。

一番上の写真で総目録の下に置いてある黄色い本は『将棋精観 中巻』(松井弥七編、棋研会、一九三八年八月八日)。これもひょっとして、と思ったが、さすがちゃんと掲載されていた。この本に前田三桂「三代伊藤宗看図式難局新考序文」という、やはり詰将棋の本を求めることに情熱を燃やす人々の動向を記した一文が掲載されている。三桂は詰将棋研究家、詰将棋作家、兵庫県の人。

斎藤雅雄という高知市の素封家が晩年財産を失って将棋師となり、小野五平名人の門下で四天王と言われた。その斎藤が渡辺霞亭(新聞記者、小説家、劇評家)の招きで浪華へやってきたので三桂はただちに訪問した。

二人は将棋の話で盛り上がる。斎藤は古今の詰将棋の本では三代伊藤宗看の図式に勝る物はないと断じる。これを全て解いたら五段を允許すると宗看は宣言したそうだが、これまで二百年間、誰も解けなかった。自分も挑戦しているが解けない、おそらく図面に誤植があるのだろう。三桂は自分でもこの本を見たいと強く思った。

《氏ハ余ガ棋書蒐集ノ痼癖アルヲ覚リ余ガ為ニ丹後ノ松浦大六氏ヲ介ス松浦氏ハ峰山町ノ薬種商ナリ棋ヲ好テ二段ヲ得タリ古今ノ棋書ヲ蔵ス性温厚ニシテ城府ヲ設ケス稀覯ノ珍書モ開放シテ惜ム所ナシ余是ヲ以テ古籍珍書ヲ観ルコトヲ得タリ中ニ三代宗看ノ図式アリ是レ余ノ渇望スル所ノモノナリ松村[ママ]氏曰ク宗看図式ハ古来解ナシ余小野名人ノ解ヲ蔵ス是レ秘中ノ秘書ニシテ門ヲ出サズ請フ之ヲ恕セヨト

三桂は斎藤に紹介された丹後の薬種商・松浦大六のところで宗看図式を目にして感激した。しかしその解答はない。小野名人が解いたという書物があるが、さすがに寛大な松浦もそれを三桂に見せるわけにはいかないと言った。

そこで三桂は自分で解くことにした。実際には斎藤八段は五局、小野名人は六局、名人宗印も九局を解けないまま残していたのだ。以来二十数年、ようやくにして大部分を解くことができた。また、近年の詰将棋研究も進歩した。『将棋精観』の編者である松井雪山はよく研究して宗看図式を補って(誤植を訂正して)完全に解いたという。さて、どうでしょう、読者のみなさんも難局とされる十六局を解いてみて、みんなをアッと言わせる本当の正解を見つけて欲しい。……とまあ、そのような序文になっている。

あまりに奥深い世界である。小生もいちおうチャレンジしているが、いや、これは夜眠れなくなります。





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by sumus2013 | 2014-03-05 20:46 | 古書日録 | Comments(2)

庭柯のうぐひす



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高祖保『庭柯のうぐひす 高祖保随筆集』(外村彰編、龜鳴屋、二〇一四年一月一六日)届く。

《本書『庭柯のうぐひす 高祖保随筆集』は三部で構成されている。
まず「I 庭柯のうぐひす」には、季節感を底流させる随想をあつめた。次の「II 詩について」は文学芸術の評論とみなせるものを。最後の「III 軽井沢より」は、標題文を主とした紀行文集である。それぞれ、肩の凝らない様々な文体で書き分けられており、詩作とはまた別個の、高祖文学の魅力を伝える。》(外村彰「解題」)

いやあ、ほんとうに心洗われるような文集である。大正、昭和初期も数篇含まれるが、ほとんどが、昭和十五年から十八年に書かれたもので、あるところでは、戦時下の気分を反映した文章も見えるものの、戦況がまだそう深刻ではないためか、現在の目からすれば妙に余裕のあるおっとりした空気が流れている。

昭和十六年に発表された「軽井沢より」が何と言っても完成度が高い。読んで愉しく、また軽井沢の風俗資料という点からもたいへん貴重な記録のように思われる。油屋、アメリカン・ベエカリ、万平ホテル、ちから餅、そして堀辰雄(高祖は堀を訪問)などのアイコンが次々登場するのもいいが、注目はゴルフ場そばの「重箱」といううなぎ屋。これは久保田万太郎が小説にしたてた「重箱」の支店であろう。川端康成や片岡鉄兵がいりびたっており、高祖も彼らの姿を何度か目にしている。高祖はどうやらここの女将(?)に好かれていたらしいことが日記の記述からわかって面白い。見返し写真の男ぶりからして、さもありなんと思う。

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白眉は田中冬二との交遊だ。恋人同士のようなむつまじさと言えばいいのか。

《善光寺へ行くバスをY銀行まへで棄てる。Y銀行に入る。刺を通じると、田中さんは中央の大机のまへから、目で合図されてゐる。控室へ通されて、久闊を叙し、きのふのお詫びを申し述べる。ーー四方山のはなし。城太郎氏がこちらへみえたのは、ついこのあひだのやうな気がするといふ話。詩の話。句の話。多喜さんの人形の話。詩集の話。句集の話。それから東京の話。事務を控へておられる田中さんと夕刻を約して、Y銀行を出る。

《田中さんと連れだつて、ゆふかげの長野の街を降りる。鈴蘭燈のある賑やかなとほり、古風な割烹店の門を潜つて、打水すずしい砂利を踏む。靴のほこりが、すこし暑さう。奥まつた一と間で、日本酒とビールを傾けて御馳走になる。鯉のあらひが、舌端に沁みるほど美味しい。さきほどの話のつづき。
 満腹と微酔の頬を、長野のゆふかぜがなぶる。となりの間から、浄瑠璃のおさらひらしいふとざをの音。ーーハイヤーで駅へかけつけ、七時の汽車に乗る。汽車の入る五分ばかりのあひだに、田中さんと寄せがきをして四方へ飛ばす。これが怡しい。》

《追分あたりへ入つてくると、案の定、ざんざんの降りになつた。軽井沢も土砂降りで歩けない。小屋へ帰ると、井上多喜三郎氏から、水墨で人形を中央に描いたはがきが届いてゐる。人形の淡いほほゑみが、夜の灯(ほ)あかりに、生きいきとして美しい。》

この後も冬二とは互いを訪問したり、小旅行をしたりと、睦まじい交渉が何度かもたれる。そして上にも出ているように井上多喜三郎からの玩具や絵入りの手紙は次々に届く。俳人の八幡城太郎からもよく手紙が来る。なんと麗しい友情であろうか。多喜さん宛の書簡はすでに一冊にまとまっているので、そちらも取り出して『念ふ鳥』と三冊並べてみた。いいなあ……。

井上多喜三郎と言えば、『多喜さん詩集』(龜鳴屋、二〇一三年三月二三日)をまだ紹介していなかったが、これも含めて四冊、並べて悦に入る。

庭柯のうぐひす 高祖保随筆集』からぜひ引用しておきたいのはこの詩。『滞洛小記』の「五、古本あさり」。

 京都です。夕ぐれ、四月もあと一日。
 この孤りの男は夕かげの中を
 毎ばん蝙蝠のやうに街頭にやつてきて、
 暗い本屋の棚から、書籍の山から
 ひつそり埃にまみれた古本のかずかずをとり下します。
 そして埃の古本を包んで貰ひ、貝がらのやうな銀貨とかへて
 いそいそと、宝のやうにして
 下宿の一室に抱いて帰つてくるのです。
 ことにこの男の心を弾ませるのは
 古本の頁からこぼれる古びた銀杏古びた銀杏[ママ]の一ひら、ゴオルデンバツトの箱の片々、華奢な女文字の手紙、
 そんなものを予期なくして見出す、
 あの得も言へぬ侘しさ、懐しさ、懶さ、それなんです。そして
 その男は埃を払つた手を闇にすかし
 闇の彼方に落ちしずまる埃の行方に
 華かな四月の都会の
 あの地の底から沸(たぎ)ちわくやうな都会の雑音に聞き入るのです。
 うるめるやうな、そしてどこかに散漫な
 あの「都会の音」をあなたはご存じでせうか。
 いやそれはどうでもよい。
 この男は、何とわびしい古本あさりの習癖をもつてゐることか。



なお本書には念ふ鳥』の訂正・追加事項が記された栞が挿まれている。これも貴重である。

龜鳴屋



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by sumus2013 | 2014-03-04 21:27 | おすすめ本棚 | Comments(0)

ミス・ポター

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【ほんのシネマ】「ミス・ポター」(クリス・ヌーナン監督、2006)を見た。ピーターラビットの生みの親ビアトリクス・ポターの青春伝といったおもむき。青春といっても三十歳を過ぎてからの話が中心。そこに回想や特撮をまじえてポター像を浮かび上がらせる。ヴィクトリア朝の女性としては異彩を放つハンサム・ウーマンだったようだ。ストーリーの運びもこなれており、飽きさせずに見せてくれる。

上はビアトリクスの部屋。ロンドン市内の一軒家の二階。三十歳を過ぎても両親の家に同居してピーターラビットの物語を描いているビアトリクスは、その絵本を出版したいと版元を回るものの、どこも受け入れてくれない。冒頭はその原稿持ち込みのシーン。気乗りのしない顔で原稿を見る出版人。

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今度もダメかと思ったところ、意外にも出版が決まった。じつは兄弟で経営しているその出版社、三男坊が入社することになり、その初仕事としてあてがわれたというわけだった。しかしそれが運命の出会いとなる。

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その弟、新人編集者ノーマン(ユアン・マクレガー、いわずと知れた「トレインスポッティング」のというか「STAR WARS エピソードI」の若きオビ・ワン=ケノービ)はビアトリクス(「ブリジット・ジョーンズの日記」のレニー・ゼルウィガー)の世界がすっかり気に入り、四色刷で廉価に作ることを工夫する。ここから本ができるまでが手際良く再現されているのがひとつの見所。上は印刷所で色校正に立ち会っているところ。

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出来上がった本を梱包しているところ。ビアトリクスの手許に届いた初版本。


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書店に並ぶ第一冊目の初版本を前に喜び合うミス・ポターとノーマン。話はこれから山場へと展開してゆくのだが、それは映画でお楽しみください。

さて、このピターラビットの初版本『The Tale of Peter Rabbit』(Frederic Warne, 1902)、いったいいくらぐらいするのだろう? AbeBo0ks.com をのぞいてみると、かなりの数が出ている。安い物で1,378 USドルからいろいろ並んでおり、極美本には20,000 USドルの値が! 

そしてさらに、上記はワーン社版だが、その前年(1901)に250部だけ自費出版した私家版もあって、こちらはなんと 60,312 USドル。

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考えてみれば、これまで全世界で4500万部を発行したと言われるこの物語(第一作だけですよ!)、これくらいしても何の不思議もない。もっとも数多いもののなかのもっとも数少ないものにこそ最高の価値がある!


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by sumus2013 | 2014-03-03 20:57 | 古書日録 | Comments(2)

アウラ

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カルロス・フエンテス『アウラ』(安藤哲行訳、エディシオン・アルシーヴ、一九八二年八月二〇日、装幀=羽良多平吉+WXY INC.)読了。ベアリュ『水蜘蛛』につづくソムニウム叢書2。

季刊ブックレヴュー』第二号の直前、ほぼ同時に発行されている。フエンテスの短編集。収録は「アウラ」および『仮面の日々』六篇、そのうち「トラクトカツィーネ、フランドルの庭から来た男」は『ソムニウム』第三号に発表されている。

ソムニウムの名に恥じない幻想作品ばかり。SF風あるいは怪奇小説風などと趣向はまちまちだが、始まりは日常の延長でありながら少し変なことが混線してくる、と思っているうちにどんどん崩壊してゆく、そのあげくが破滅にいたる、というのがどの作品にも通底するパターン。時間と空間を作者の勝手でつなげたりねじ曲げたりとやりたい放題だ。「アウラ」はメキシコ版雨月物語ですな。

古物数寄としては「チャック・モール」が印象的。

《キリスト教は生贄と礼拝という点で狂信的でもあり、血なまぐさくもあるんだ。だからインディオの宗教とごく自然に結びつくし、少し毛色のかわったものというわけだ。慈悲や愛、右の頬を打たれたら左の頬をということは拒絶されてしまう。メキシコでは万事がそんなふうなのさ。人間を殺さなくてはならんのだ、その人間を信じるためにはな。
「ぼくは若いころからメキシコのインディオの美術に関心を持っているが、ペペはそのことを知っていた。ぼくは小さな彫像とか偶像、陶器なんかを集めている。週末はきまってトラスカラテオティワカンで過ごす。たぶん、それを知っているものだから、ぼくを話に引き込もうとして、理屈をこねまわしてはそれをインディオに結びつけようとするのだ。確かにぼくはチャック・モール(マヤの雨の神)のてごろな複製を長いあいだ探していた。きょう、ペペはラグリーニャの市で石製の複製を、それも安く売っているという店を教えてくれた。日曜に出かけてみよう。》

《「日曜日のきょう、ラグリーニャに出かけてみた。ペペが教えてくれた露店にチャック・モールはあった。すばらしい出来で、実物大だった。店の親父は本物だと言い張るが、どうだか。石はありきたりのものだが、チャックの姿勢がもつ優雅さを損なっていないし、石塊じたいもどっしりとした感じがしている。

さて、このチャック・モールを買って帰り、地下室に設置してからが、物語本編の始まりだ。徐々に主人公(残された手記を読むという形式なので手記の筆者)は石像に蝕まれて行く……。


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「火薬を作った男」はP.K.ディックばりの破天荒な発想。あらゆる品物の耐用年数がどんどん短くなる。作るさきから崩れてしまい、作っても作っても間に合わなくなる。そして本も……

《だが、ある夜、書斎に入ったとき、はじめて背筋の凍る思いにさせられた。本という本の活字がインクの蛆のようになって床に散らばっていたのだ。あわてて本を何冊かひらいてみたが、どのページもまっ白だった。悲しげな音楽がゆっくりと、別れを告げるようにわたしを包んだ。文字の声を聞き分けようとしたが、その声はすぐにとだえ、灰になってしまった。このことがどんな新しい事態を告げるのかを知りたくて外に出た。空には蝙蝠たちが狂ったように飛びかっていた。そのなかを文字の雲が流れていた。ときどきぶつかりあっては火花を散らし、……《愛》《薔薇》《言葉》と文字は空で一瞬輝くと、涙となって消えた。》

なかなかに美しい情景ではないか。ある意味、紙の本の終焉を空を飛び交う言葉のスパークで表現しているとしたら、それはかなり正確な予言となっているのかもしれない。

《文字が印刷されたまま残っている本を地下室で見つけたときはひどく嬉しかった。それは『宝島(トレジャー・アイランド)』だった。この本のおかげで自分自身の思い出や多くの物のリズムを取りもどすことができた……。《八レアル銀貨だ! 八レアル銀貨だ!》というところまで読み終え、自分の周囲を見わたした。棄てられた物がどっしりとそびえ、ペストのベールがかかっている。恋人たち、子供たち、歌を歌うことのできた人たちはどこにいるのだろう?》

《スティーブンソンの本に野菜の種の袋がはさまっていた。わたしはその種を地面に埋めた、とても愛おしく!……》


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by sumus2013 | 2014-03-02 21:06 | 関西の出版社 | Comments(0)

李花集

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この梅は先週撮ったものなので今はもう咲き誇っているかもしれない。古本者としては梅もやはり古本で鑑賞しなければいけないでしょう。ということで『李花集』(岩波文庫、松田武夫校訂、一九四一年六月一〇日)を開いて見る。

宗良親王の歌集である。後醍醐天皇の皇子、十六で坊主になり二十歳で天台座主、北條氏討滅謀議に加わったかどで讃岐に流され(!)、建武中興によって再び座主に。足利尊氏と比叡山で戦い、還俗して宗良と名乗る。軍兵を糾合し各地を転戦。吉野朝のために奮戦した。

李花集の李は宗良親王が式部卿にあったことからその職の唐名を李部というところから名付けられたものと推測されているそうだ。


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経歴だけみるとかなり激しい生き方をした人物とも思えるが、母が二条家の出ということもあり、歌は型通りながらも才気を感じさせる秀作が揃っているように思う。本人も自覚していたようすだが、勅撰集に入られることはなく自撰で『新葉和歌集』を編んだ(長慶天皇が勅撰集に准じるように命じたと)。

岩波文庫とあなどることなかれ。この『李花集』は案外珍しいですぞ。


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by sumus2013 | 2014-03-01 21:32 | 古書日録 | Comments(4)