林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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織田作之助「神経」

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『文明』第一巻第三号(文明社、一九四六年四月一日)。昨秋、ある目録から入手した。値段が百円の単位だったのでラッキーと思って注文。無事落手したもの。『文明』については「花森安治の装釘世界」を参照されたい。

http://sotei-sekai.blogspot.jp/2011/01/blog-post_03.html

http://sotei-sekai.blogspot.jp/2010/12/blog-post_13.html

ざっと読んでみる。戦中戦後の話がほとんど。井上友一郎だけが京都時代の回想を書いている。なかでは織田作之助の「神経」が佳作であった(青空文庫で読めます)。

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なんと織田作は波屋書房のことを書いているではないか。聞いてはいたが、具体的に探していなかったので、これは嬉しい発見だ。

まず、ラジオ放送について感想を述べる。レヴュ(宝塚、松竹)放送がつまらないという不平から十年前(ということは昭和十年頃)にレヴュを見に通っていた娘が千日前の大阪劇場の裏手で殺された事件を思い出す。その娘の噂を作者は当時通っていた「花屋」という喫茶店で耳にする。

《「花屋」は千日前の弥生座の筋向ひにある小綺麗な喫茶店だった。「花屋」の隣は「浪花湯」といふ銭湯である。「浪花湯」は東京式流しがあり、電気風呂がある。その頃日本橋筋二丁目の姉の家に寄宿してゐた私は、毎日この銭湯へ出掛けてゐたが、帰りにはいつも「花屋」へ立ち寄つて、珈琲を飲んだ。「花屋」は夜中の二時過ぎまで店をあけてゐたので夜更かしの好きな私には便利な店だつた。》《浅草の「ハトヤ」といふ喫茶店に似て、それよりももつとはなやかで、そしてしみじみした千日前らしい店だつた。》

《戦争がはじまると、千日前もうらぶれてしまつた。》《小綺麗な「花屋」も薄汚い雑炊食堂に変つてしまつた。》《「千日堂」はもう飴を売らず、菱の実を売つたり、とうもろこしの菓子を売つたり、間口の広い店の片隅を露天商人に貸して、そこではパンツのゴム紐や麻の荒縄を売つたりしてゐた。向ひの常磐座は吉本興業の漫才小屋になつてゐた。》

そして昭和二十年三月の大空襲によって千日前は焼け野原となる。その十日後、作者は千日前へ行ってみた。花屋の主人が焼け跡を掘り出していた。「わては焼けても千日前は離れまへんねん」と言う。

《暫く立ち話して「花屋」の主人と別れ、大阪劇場の前まで来ると、名前を呼ばれた。振り向くと、「波屋」の参ちやんだつた。「波屋」は千日前と難波を通ずる南海通りの漫才小屋の向ひにある本屋で、私は中学生の頃から「波屋」で本を買うてゐて、参ちやんとは古い馴染だつた。参ちやんはもと「波屋」の雇人だつたが、その後主人より店を譲つて貰つて「波屋」の主人になつてゐた。芝本参治といふ名だが、小僧の時から参ちやんの愛称で通つてゐた。参ちやんも罹災したのだ。
 私は参ちやんの顔を見るなり、罹災の見舞よりも先に、
「あんたとこが焼けたので、もう雑誌が買へなくなつたよ。」
 と言ふと、参ちやんは口をとがらせて、
「そんなことおますかいな。今に見ておくなはれ。また本屋の店を出しまつさかい、うちで買うとくなはれ。わては一生本屋をやめしめへんぜ。」
 と、言つた。
「どこでやるの。」
 と、きくと、参ちやんは判つてまつしやないかと言はんばかしに、
「南でやりま。南でやりま。」
 と、即座に答へた。》

その言葉通り芝本参治は間もなく仮店を出す。

《難波で南海電車を降りて、戎橋筋を真つ直ぐ北へ歩いて行くと、戎橋の停留所へ出るまでの右側の、焼け残つた標札屋の片店が本屋になつてゐて、参ちやんの顔が見えた。
「やア、到頭はじめたね。」
 と、はいつて行くと、参ちやんは、
「南で新刊を扱つてるのは、うちだけだす。日配でもあんたとこ一軒だけや言うて、激励してくれてまンねん。」

織田は「花屋」と「波屋」のことをいつくかの雑誌に「起ち上がる大阪」の象徴ととらえた文章を(紋切り型の表現に対して自己嫌悪に陥りながら)発表した。しばらくして南海通りに行ってみると、仮店舗が並びひどい有様になっていた。

《これが南海通かと思ふと情けなく急ぎ足に千日前へ抜けようとすると、続けざまに二度名前を呼ばれた。声のする方をひよいと見ると、元「波屋」があつた所のバラツクの中から、参ちやんがニコニコしながら呼んでゐるのだ。元の古巣へ戻つて、元の本屋をしてゐるのだつた。バラツクの軒には「波屋書房 芝本参治」といふ表札が掛つてゐた。
「やア、帰つたね。」
 さすがになつかしく、はいつて行くと、参ちやんは帽子を取つて、
「おかげさんでやつと帰れました。二度も書いてくれはりましたさかい、頑張らないかん思て、戦争が終つてすぐ建築に掛つて、やつと去年の暮ここイ帰つて来ましてん。うちがこの辺で一番はよ帰つてきたんでつせ。」》

《お内儀さんは小説好きで、昔私の書いたものが雑誌にのると、いつもその話をしたので、ほかの客の手前赤面させられたものだつたが、しかし今はそんな以前の癖を見るのもなつかしく、私は元の「波屋」へきてゐるといふ気持に甘くしびれた。

さすが織田作、いいものを書き残してくれた。

波屋書房(2009)
http://sumus.exblog.jp/11965269/

藤沢桓夫「スミカズさん」
http://sumus.exblog.jp/13119032/






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by sumus2013 | 2014-01-04 22:19 | 喫茶店の時代 | Comments(4)

懐中書画便覧

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石川兼治郎編集兼発行『懐中書画便覧』(精文館書店、一九一一年)。名前の通り、ポケットサイズの新旧画家名鑑である。明治四十四年、どういう画家が一流とみなされていたのか、ということが一目で分かる。折帖なのでパラパラパラっとめくるのがカンタン。前半は名誉大家、近代国画名家、閨秀国画家、近代洋画名家、閨秀洋画家、故人各種名家。

そして後半は名前の下に値段「予価」入り。

《予価は半切形の物を標準としたれば其他の物は之に比して価格の相違あり》《予価の当らざるものあるとも編者其責に任ぜず。》

半切は 545×424mm の大きさ。ざっと見たところ三百円というのが最高レベルのようだ。巨勢金岡、巨勢公忠、春日隆能、春日隆親、土佐行秀、啓書記(祥啓)、狩野元信、円山応挙、田能村竹田、渡辺華山、岩佐又兵衛…以上が三百円〜三百二十円(巨勢公忠)。つづいて雪舟、光琳あたりが二百円。与謝蕪村は百五十円である。明治の画家では橋本雅邦の二百円が目を引く。横山大観の名前はあるが、予価は記されていない。下村観山が五十円、菱田春草が三十円というところ。

洋画家には値段が付いていない。まだ市場は形成されていなかったのだろうか。

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注目は閨秀(女流)洋画家。渡辺文子(後の亀高文子)の名前があった。ここは素直に懐中書画便覧に出るくらい文子は有名だったと思っておきたい。

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亀高文子

さらに亀高文子

文子と並んでいる吉田藤尾と神崎友子については検索してもそれらしいヒットはない。と思っていたら、吉田ふじをについてはさらに亀高文子」に女性画家だけの団体「朱葉会」の創立に参加した仲間だということを文子が書き残しているとあった(汗顔)。

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名家印譜もあるが、まあこれは見返しの模様ていどのしろものである。


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by sumus2013 | 2014-01-03 20:48 | 古書日録 | Comments(0)

小謡四季目録

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正月なのでめでたい画像を。南里亭其楽編『小謡四季目録』(河内屋儀助、文政六年 1823 三月)の口絵。絵師は浪華の人、荑楊斎関牛(蔀関牛)。本書には小謡百十六番の歌詞(アクセント記号付き)が収録されている。

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各ページの上欄は文章を草するためのさまざまな知識を示したいわゆる「往来物」で、小謡とは直接の関係はない。本文巻頭の挿絵(上図)が寺子屋(「てらこや」は上方の用語、江戸では手習指南所)の正月、新年初登校のような図なので、本書も教科書として用いられることを想定していたのかもしれない。巻末には『千歳小謡常磐松』『当流小謡種玉大成』『字尽小うたひ』『幼学千字文』『御家流筆海用文章』の広告が出ている。謡と手習いの教本であろう。

版元、河内屋儀助は心斎橋筋通北久太良町にあり、検索すると『解体新書』や『物類品隲』の版元のひとつだし、備中や摂津など各地の大絵図を出している。かなりの大手出版社だったようだ。

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  高砂

 ところハたかさごのおのへのまつも
 としふりておひのなみもよりくるや
 このしたかげのおらばかくなるまて
 いのちながらへてなをいつまでか
 いきのまつそれもひさしきめい
 しよかなめいしよかな



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by sumus2013 | 2014-01-02 16:26 | 関西の出版社 | Comments(0)

槐多の歌へる

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書斎を整理していたら『槐多の歌へる』(アルス、一九二七年二月一七日)が出て来た。年末に恩地孝四郎の装幀がいまひとつだと書いたところである。しかしこれは成功している。文字の扱いもうまくいっている。ということで、今年の一冊目は『槐多の歌へる』。以前も一度取り上げている。

槐多の歌へる
http://sumus.exblog.jp/14794007/



「走る汽車」より

 薄青き一月の晴れたる空に
 たそがれの冷めたくきたる
 岩石の如き常磐樹の群は
 静に黙すか

 ただひとり
 薄紫の道路をかへれば
 わが足はこごえ
 わが心はさびし

 ふとかかる時たくましき君が肉の
 熱さはわが心に再生す
 わが心に思ひ出らる

 黄なるココアの腕のけぶるが如く
 わが心に君の思ひ出は
 美しく立ちのぼるなり。


腕は碗の誤植か。

書斎を整理したのはアームチェアを置きたいという希望があったため。スペースを空けたのである。

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この床面を出すためにどれほど苦労したことか。この書棚を導入したとき以来かもしれない。

http://sumus.exblog.jp/14464968/

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トルコのキリムとザイールの草ビロードを敷いてみる。そして、

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妻の見立てたIDÉEのミニミラーアームチェア(グリーン)をドーンと(というほどの大きさではないですが)。さて、この空間をいつまで空のままで維持できるか、正月早々のやせ我慢に挑戦したいと思っている。





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by sumus2013 | 2014-01-01 14:27 | 古書日録 | Comments(4)