林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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歌の塔

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ジャック・プレヴェール『歌の塔』(柏倉康夫訳、未知谷、二〇一三年一二月一〇日)が届いた。プレヴェールの一筋縄ではいかない、しかしはっきりと一本筋の通った世界をじっくり味わう幸せを感じる。

『歌の塔』は、スイスのローザンヌ書籍組合から1953年4月30日に出版された。プレヴェールの各詩篇に次いで、ヴェルジェ作曲の手書きの楽譜が印刷された豪華本である。プレヴェールがクリスチアーヌ・ヴェルジェに最初に作曲の話をもちかけたのは1928年2月のことであった。

 本が出版されて間もなく、このうちの何曲かをジェルメーヌ・モンテロとファビアン・ロリスが歌い、プレヴェール自身の語りを入れたレコードがデッカ社から発売された。

 豪華本の原題は、JACQUES PREVERT: TOUR DE CHANT Musique de Christiane Verger Dessins de Loris, La Guilde du Livre Lausanne. 1953。所持しているのは限定5300部のうちのNo. 1909である。

 日本で最初にこの本に注目したのは小笠原豊樹で、15篇すべてを翻訳した『プレヴェール 唄のくさぐさ』を1958年に昭森社から出版した。原詩の意味をくんだ見事な訳だが、新たな翻訳をこころみ、ロリスのデッサンとヴェルジェの楽譜もいくつか採録してみたい。》(『歌の塔』ムッシュKの日々の便り

小笠原豊樹訳『唄のくさぐさ』(昭森社、一九五八年)については daily-sumus でも紹介したことがある。今、本書と比較してみると、ほとんど別の本だ、とまでは言えないかもしれないが、かなり大きく違った言葉遣いが随所にうかがえてたいへん興味深い。

まず書名がそれを如実に表しているだろう。『歌の塔』は文字通りの訳で『唄のくさぐさ』は意訳と言っていい(いろいろな唄を集めたものの意)。全体的に『歌』の方がよりドライで歌詞の意味はストレートに伝わってくる。『唄』は、昨日取り上げた鈴木訳『ドン・ジュアン』がそうであったように、日本語の詩としてのリズムや体裁を重んじる風があるようだ。それがときとして過剰になる。おそらく当時でもやや時代がかっていたのではないかと思える長閑な言葉が並んでいる。もちろん、それはそれで捨て難いものがあるのも事実だが。内容を正しく把握しフレッシュな日本語に移しているということでは『歌』の方がはるかに優れているように思う。

例えば詩篇のタイトル。『唄』が「探検」としているのを『歌』では「配達」としている。原題は「L'expédision」。この詩はいちばん最後に置かれている作品で、ある男がルーヴル美術館に缶を持ち込んで置いてくるというモチーフなのだが、ナンセンスで、ある意味、プレヴェールのコラージュ作品に通じるシュールな奇抜さがあって、小生はかなり気に入っている。歌詞は引用しないけれども「探検」としたのはさすがに的外れだろう。「配達」がぴったりはまっている。梶井基次郎が丸善にレモン爆弾を仕掛けるようなものである。

もうひとつ『唄』が「自由な町筋」としている詩、これを『歌』は「外出許可」とした。これはまたひどくかけ離れた訳語である。原題は「Quartier libre」でこの場合は『唄』の方が直訳になっている。しかし、詩を読むと、軍人(あるいは警官)が被るケピ帽を鳥かごに入れ、帽子のかわりに鳥を頭にのせて外出する男、彼は町で司令官に出会っても敬礼をしない、という内容である。モチーフとしてはそんなに奇抜ではないけれども、歌詞としてなかなかこういうふうに表現することは誰にでもできるものではないなあ、とプレヴェールの才能に感服するのだが、また同時に「外出許可」とした柏倉訳にも深く頷かされる。

  Quelqu'un(これは『歌』も『唄』も同じ「ある男」です

Un homme sort de chez lui
C’est très tôt le matin
C’est un homme qui est triste
Cela se voit sur sa figure
Soudain dans une boîte à ordure
Il voit un vieux Bottin Mondain
Quand on est triste on passe le temps
Et l’homme prend le Bottin
Le secoue un peu et le feuillette machinalement
Les choses sont comme elles sont
Cet homme si triste est triste parce qu’il s’appelle Ducon
Et il feuillette
Et continue à feuilleter
Et il s’arrête
A la page D
Et il regarde la page des D-U Du ..
Et son regard d’homme triste devient plus gai et plus clair
Personne
Vraiment personne ne porte le même nom
Je suis le seul Ducon
Dit-il entre ses dents
Et il jette le livre s’ époussette les mains
Et poursuit fièrement son petit bonhomme de chemin.

今日出海(こん・ひでみ)がフランスへ行ったときにその名前で困ったという「con」がテーマの作品。プレヴェールはこの手のダジャレのような言葉遊びをリアルな平面に取り込んで歌うのが巧みである。この詩の柏倉訳はこちらで読んでいただけます。

ジャック・プレヴェール「歌の塔」Ⅶ

ついでにイヴ・モンタンが歌う「ある男」も

YVES MONTAND Quelqu'un - avec paroles


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by sumus2013 | 2014-01-13 21:29 | おすすめ本棚 | Comments(2)

神とおれとのあいだの問題だ

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昨年末に『宇治拾遺物語』から盗跖と孔子の問答を取り上げた。自らの思うままにふるまって天道をも恐れぬふるまいに孔子の正論もまったく歯が立たない。そのときすぐに連想したのがモリエールの喜劇『ドン・ジュアン』。ドン・ジュアンの次のセリフは何十年も前に読んだきりだったが忘れ難く脳裏に刻まれている。欲しいとなったら手段を選ばず次々と女性をわがものにしてゆく貴族の子弟ドン・ジュアン。見かねた従者のスガナレルがこういさめる。

スガナレル 仰せのとおり、しごく愉快、しごく面白いものだと、わたくしも心得ております。それが悪いことでさえなかったら、わたくしも遠慮なくやりたいところでございます。が、だんなさま、神さまのおとりきめをあまりないがしろになさいますと……
ドン・ジュアン よし、よし、神とおれとのあいだの問題だ、おまえの世話にならずとも、ふたりだけで話をつけてみせるさ。》

鈴木力衛訳岩波文庫版(一九八八年四〇刷)。初めて読んだとき、この「神とおれとのあいだの問題だ」というような過激な考え方がこの時代(初演は一六五五年)にまかり通ったのかと驚いた。一応、まかり通らないラストシーンにはなっているのだが、それはどうも取って付けたようなお定まりの手続きであって劇中のドン・ジュアンのセルフィッシュな振る舞いは盗跖にもひけをとらない。盗跖は手下を大勢従えた大集団だが、ドン・ジュアンは従僕と二人、いやほとんど独りでの行動で、ある意味で盗跖よりもあっぱれだろう。

で、このドン・ジュアンのセリフ、原文ではどうなっているのか、前から気になっていたので、この機会にと、モリエール戯曲全集を取り出してみた(なおこの本については拙著『古本デッサン帳』参照されたし)。開いてみたら旧蔵者の書き込みがびっしり。ただし「ドン・ジュアン」のところだけ。あとは読んだ形跡なし。本そのものはボロボロで表紙も取れている。それもそのはず下鴨納涼古本まつりで百円だった。『THÉATRE COMPLET DE MOLIÈRE』(ÉDITIONS GARNIER FRÈRES, 1960)。二巻本のうちの第一巻。

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ドン・ジュアンはこう言っている。

《Va, va, c'est une affaire entre le Ciel et moi, et nous la démêlerons bien ensemble; sans que tu t'en mettes en peine.》

「神さま」はすべて「le Ciel」(ciel は空、天、天国、神などの意)だったのが意外だったが、なるほど、鈴木訳はよくこなれた日本語で正確に訳している。もう一箇所、スガナレルが主人の悪態を吐くところも印象に残るのだが、それはこういう表現である。

《おれの主人のドン・ジュアンさまは、世にも稀なる大悪党、気違いの犬畜生、悪魔、トルコ人、異端者、天国も地獄もお化けおおかみも信じないようなおかたなんだ、けだもの同然にこの世を渡るエピクロスの豚、放蕩無頼の殿さま(ルビ=サルダナパール)さ。どんな忠告も馬耳東風と聞き流し、おれたちの信じるものはみな根も葉もないとお取りあげにならぬ。》

《tu vois en Don Juan, mon maître, le plus grand scélérat que la terre ait jamais porté, un enragé, un chien, un diable, un Turc, un hérétique, qui ne croit ni Ciel, ni Enfer, loup-garou, qui passe cette vie en véritable bête brute, un pourceau d'Épicure, un vrai Sardanapale, qui ferme l'oreille à toutes les remontrance [chrétiennes] qu'on lui peut faire, et traite de billevesées tout ce que nous croyons.》

ここの Ciel は「天国」と訳されている。サルダナパール(アッシリアの専制君主)を「放蕩無頼の殿さま」は軽くてうまい。ただ loup-garou を「お化けおおかみ」(おおかみに傍点あり)としたのがキズと言えば、言えないことはないかもしれない。というのは、この全集の解説(Robert Jouanny)ではこの単語に

《Homme qui chaque nuit se change en loup pour surprendre les passants attardés.》

毎夜遅く通行人を襲うために狼に変身する人間…という註がついているからである。これに拠るなら「狼男」とでもすべきだった。

神も天国も地獄も目じゃない男は、では、いったい何を信じているのか?

《おれが信じるのは、な、スガナレル、二に二を足せば四になる、四に四を足せば八になる、これさ。》

《Je crois que(deux et deux sont quatre,)Sganarelle, et que quatre et quatre sont huit. 》

合理主義というのか実証主義というのか、現前の事実しか信じない、というわけだ。註釈によればこの言葉はオランジュ公(ルイ十四世によってフランスに併合された南仏の公主)が死の床で司祭に向かって吐いたセリフだそうだ。モリエールの時代には盗跖が何人もいたようである。

***

日中、自家用車で買物に出かけた。京都女子駅伝の日だから遠出はせず、近いところだけ。ユニクロに寄って、つぎのドラッグストアに向っていた。信号が赤に変る。ギリギリで通り過ぎ、すぐそばのドラッグストアに駐車した。

何気なく交差点を見ていると、その信号機がずっと赤のままである。反対側の信号は順次、赤、青(緑)、黄、赤、青、黄と点滅するのに、こちら側はずっと赤。おお、これは信号機の故障だ! と少しうれしくなって、ひょっとして交通が混乱するんじゃないか、といらぬ心配をした。

ところが、一瞬、車の列はひるんだが、すぐに平常通りに動き出した。まさにいらぬ心配だった。関西人、赤なんか赤とは思っていない、ということがこれで実証されたように感じた。最近はそうでもないかもしれないが、近畿圏では京都がいちばん信号無視がはなはだしい(一説にはタクシーの数が多いせいだとも言われているものの理由は定かではない)。盗跖まがいが多い、わけでもないでしょうね。





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by sumus2013 | 2014-01-12 21:43 | 古書日録 | Comments(0)

浜田杏堂

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おおよそ一年ほど前に浜田杏堂「山水人物図」を入手した。ほとんど知られていない画家だから値段はあってなきがごとくであった。先日の古今日本書画名家辞典』には次のように書かれている。

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《濱田杏堂(はまだけうだう) 名は世憲(せいけん)、字は子微(しび)、杏堂は其号又癡仙(ぎせん)と号す、通称希菴(きあん)大阪の人、少より画を好み先哲の遺蹟を学びて大に山水花卉を能くせり 文化の頃の人。》

このくらいの情報である。五行。これを多いとみるか、少ないとみるか。それはともかく小生がこの画家を知ったのは中谷伸生氏の論文「近世絵画における浜田杏堂」(『関西大学東西学術研究所創立六十周年記念論文集』)による。そこで中谷氏はまず藤岡作太郎『近世絵画史』における杏堂像を考察している。

《「濱田杏堂、名は世憲、字は子徴、通称を希庵といひ、別に痴仙の号あり、医を業とす。幼より畫を好みて福原五岳等に学び、かつ行書をよくす、山水蕭疎にして頗る気韻あり、文化十一年、四十九歳にして没す。」と述べている。杏堂は、木村蒹葭堂、森川竹窓、谷文晁、篠崎小竹らと交流しているが、墓碑銘に刻まれた碑文は、小竹が撰し、竹窓が書いたものである。杏堂は行書や詩文にもすぐれていたと伝えられ、能もよくしたという。墓所は高津中寺町の法雲寺である。蒹葭堂没後の十三回忌書画展には、《淡鋒山水図》を出品した。

杏堂についてはこの記述で充分だろうが、もう少し中谷論文から補足すると。生年は明和三年(一七六六)、歿したのは文化十一年(一八一四)十二月二十二日。呉北汀が所蔵する明人の墨竹を杏堂は見事に模写したという言い伝え、そして頼山陽に杏堂を讃えた詩がある。たとえサインがなくても杏堂の作品は一目で分るという意味のようだ。

 尺幅渓山爾許長 雲嵐清潤墨猶香
 何妨紙尾無題識 数筆知吾老杏堂

また田能村竹田『山中人饒舌』に《大雅翁に至っては則ち其躅を踵ぐ者、五岳福元素最も著はる。杏堂、春嶽、熊嶽の数子皆五岳の門より出づといふ》とも。

以下は杏堂の作品分析。まず中国絵画からの影響、そして文人画から写生画へと変る作風についても触れられているが、ここでは省く。作品としては《大きな特徴や目立った個性を示すものではない》けれども《東アジアに共通する文人画、あるいは水墨画として、文化史的、文明史的な意味を担っていると考える必要があろう》、《杏堂らを軽視してきた従来の価値評価では、日本美術史研究は成り立たない状況を迎えつつある》という結論である。

画風としては大人しくて物足りない、これは見た通りだ。ただ、素直に気持ちのいい絵じゃないかな。むろん中谷氏も基本的にそこを認めての論考であろうと思うが。

後日、中谷先生にこの絵を見ていただく機会があった。「杏堂です。間違いない。杏堂の贋物というのは見たことないですね」と。これも少々さびしい話ではあった(著名作家ほど贋物が多い)。





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by sumus2013 | 2014-01-11 20:51 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

村中さんのこと

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拙作油絵「月山」(一九九四年作)、村中秀雄さんの肖像。「月山」というタイトルはたしかこのモデルになってもらったとき、「月山へ行ってきた」という話を聞いたからだったと思う。その年の東京での個展に出品したが(この図はその案内状より)、むろん売れずに戻って来た。結局は村中さんが買ってくれた。何かまとまったお金が入ったらしく「あの肖像画、こうてもええやろか」という申し出があり、湊川公園のガードの下で待ち合わせをして手渡したのを憶えている。震災の直後、われわれが神戸を離れる直前だったような気もする。はっきりしないので何年の何月何日だったか調べようと思って日記をめくってみたが、該当する記述はすぐには見つからなかった。

その代り『おまじない』の出版記念会の記事と写真が出て来た。一九九三年一二月一八日(土)。

《12:40分頃、楠公会館2F、『おまじない』の出版を祝う会場着。おまじないの原画デッサンをお祝いに渡す。涸沢氏と東京のようすなど雑談。印刷原画の方を返してもらう。小林武雄氏のあいさつと乾盃音頭で開会。季村氏の司会で客の方から、あいさつをしてゆく。装幀についてのおよび原稿の直しについての村中氏の優柔不断ぶりと、健康保険払い込みのエピソードを少ししゃべって、笑いをとる。

中休みのときに火曜日の女性2人が2次会の出欠を聞きに来て、林さんのおっしゃる通りです、わたしたち5年つきあってやっと最近わかったんですよーとのこと。トイレで安水氏ととなり合い、際限のない改稿についての話あり、装幀の方の文字変更や、レイアウトについての注文は安水氏の意見であったらしいことがわかる。第2部は司会も変って火曜日を中心にすすむ。

村岡さん遅れて到着。萩原健次郎氏の出版会に出てからこちらにまわったとのこと。最後のあいさつになる。村中さんが閉めのことばを述べて閉会。大西氏、村岡氏と話す。大西氏ミュージカルの演出をやっているとか。新開地の古本屋をしばらくのぞく。》

萩原さんの詩集は『求愛』で、これは村岡さんの出版社である彼方社から出ていた。

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走り書きでお恥ずかしいものだが、会場の見取り図があったので参考までに掲げておく。楠公会館は楠木正成を祀る湊川神社の境内にある。季村敏夫、高階杞一、小西民子、堀諭、大西隆志、梓野陽子、小林武雄、安水稔和……涸沢は編集工房ノアの主人。大塚とあるのはどなただったか失念(御教示を)。『火曜日』というのは安水氏を囲む詩の結社誌(daily-sumus でも何度か紹介しています、この時期から村中さんがずっと送ってくれていました)。

出版記念会からちょうど一年後の日記にこうある。一九九四年一二月一九日(月)。

《村中さんより tel あったのち来宅。ギンナンいただく。肖像画みせて、全身小説家の話などする。三味線の会で温泉へ行って(お得意様の調律その他雑用のため)やっぱりドジョウすくいをすることになるという話。ウップン晴らしになっていたが、近頃それがないせいか調子わるい……とか。ミカンのサンポで大丸温泉(フロ屋)まで一緒に行く。》

そしてその次に村中さんが登場するのは神戸の震災当日(一九九五年一月一七日)。たぶん午前中だろう。

《村中さん来る。互いの無事をよろこぶ。》

およそ二週間後の一月三〇日。

《村中さんより電話あり。今は借家にもどっているとのこと。ブルーシートは湊川公園で無料配布していたのを2ケわけてもらい、大家さんから頼んでもらった工ム店の人に張ってもらったそうだ。ただ初日の雨には間に合わず、小さなシートをかぶせ、雨もりをバケツなどで受けたという。柱は傾き、敷居と畳が10センチもずれて、土間が見えている状態で、お宅はどうですか、どうするつもりですか、などの話。兵庫校に7日間居てから大阪の親せきに3日ほど、ごちそう食べ放題だったという。仕事の方はダイエーのビルは潰れたが、他所なら働けると言われているので、一から出直そうという気持ちになっているとか。

これを読むと、三味線の仕事をクビになったのは九四年中だということが分る(人員整理だったと聞いた)。そしてダイエーの社員食堂のコックになり震災まで続けた。六月一五日にこういう記述がある。

村中さんより tel あり、染色の仕事(くつ下の糸を染める、くつ下の生産地として有名だそうだ)、力仕事で、腕をいためたのが直らないという。古墳の多いところで田舎だとのこと。ARE に詩を送ってくれること。

この話はすっかり記憶から飛んでいたが、そういえばそういうこともあった。たぶん奈良の広陵町だったろうと思う。《腕をいためた》は料理を作っていた頃の腱鞘炎。このとき頼んだ詩の原稿は七月一日に届いた。『ARE』3号の震災特集に掲載した


   夕映え

 梯子のついた
 きしむベッド
 かすかな揺れを感じる。
 神戸はとおい
 きみは
 やまとはとおい。といった
 うまくいかないな
 避難所にいたころは
 いつだって会えたから……

 二上山の落日を、毎日
 カメラにとってきみにおくろう
 と、おもいたった
 ここは高層アパートの六階だからね
 でも
 ずっと雨
 通りの向うからは
 演歌がやまない
 〈やまとはええど まほろばじゃ〉
 昔みた映画の台詞を忘れない
 老人の顔がよかった。
 人生のおまけ
 おまけの人生
 どっちでもいいや
 そう、
 おまけがいい。
 音楽会のアンコールだって
 眠っていた客が目をさます

 この梯子のついた
 ベッドの上に
 ぼくは、きみのはだかをおもう
 二上山の夕映え
 金色に染まったおまえのはだか




 


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by sumus2013 | 2014-01-10 22:02 | 画家=林哲夫 | Comments(5)

古今日本書画名家辞典

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松雲堂編輯所編『古今日本書画名家辞典』(石塚書舗、一九二〇年九月二〇日三版)を借覧中。本編が一〜十まで十冊、増補の部が二冊(十一、十二)、そして「索引」と「年表系図」がそれぞれ一巻、合計十四冊に帙が付く。「索引」の巻頭「題言」(漢文序)には《大正三年改春於松篁影動處/奚疑居士識》とあるので、初版は大正三年に出たと考えてもいいかもしれない(改春は新年の意)。また「増補の部 十一」の「序」は《大正七年 著者識》となっているから、第二版は大正七年だったようだ。

古本夜話273に前田大文館から昭和十四年に発行された『増補古今日本書画名家辞典』が取り上げられているが、その解説から推して本書の再刊本と見てまず間違いないようだ。その著者は玉椿荘楽只である。この玉椿荘楽只が誰なのかは、にわかには分らない。ただし、検索するとかなりの著書がある。

『唐詩選新註』(玉椿荘主人、石塚松雲堂、一九〇九年)
『和漢骨董全書』六冊(石塚松雲堂、一九二八年)
『古今書画便覧』(石塚松雲堂、一九二九年)
『古刀鍜冶名家一覧 : 附評価一覧表』(楽只先生輯、石塚松雲堂、一九三二年)
『和漢骨董全書』(趣味の教育普及会、一九三二年)
『古今日本書画名家辞典 乾之巻』(石塚松雲堂、一九三二年)
『古今日本書畫名家辭典』(大文館書店、一九三三年)
『日本古今書画便覧』(巧人社、一九三三年)
『日本古今書画便覧』(浩文社、一九三三年)
『日本書畫名家辭典』(大文館書店、一九三四年)
『大日本骨董全書』(大文館書店、一九三四年)
『古今刀剣のしるべ 附武具弓』上下(大文館書店、一九三四年)
『増補古今日本書画名家辞典』(大文館書店、一九三四年)
『古今刀剣のしるべ 附武具弓』上下(大文館書店、一九三七年)
『日本古今書画便覧』(浩文社、一九三八年)
『増補古今日本書画名家辞典』(大文館書店、一九三九年三版)

玉椿荘・楽只(ぎょくちんそう・らくし)と切るということが編著者名から分る。いくつかの図書館が玉椿・荘楽只と分けていたが、それは間違い。念のため。「楽只」は『詩経』に「楽只君子」と出ていて、主な用例は常に楽只君子」で「楽しきかな君子」と読むのが通例である。

楽只先生、初期は松雲堂の専属だったが、昭和八年頃から出版権が売られた(おそらく松雲堂が解散したか斜陽になったため)ようで複数の版元から同じ本を出している(まったく同じかどうかは現物を見ないと分らないですが)。

本書の編者は松雲堂編輯所名義ながら題言の内容から奚疑居士が中心だったように思う。奚疑居士の名前で検索すると二冊著書が見つかった。

『実業家偉人伝 : 成功立志』(新世界社、一九〇九年)
『実業家偉人伝 : 成功立志』(榎本書店、一九一三年)

これらはどちらも大阪の版元である(上記、楽只先生の本もほとんどが大阪本)奚疑居士イコール玉椿荘楽只だったのかもしれない。断定はしないけれども。



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by sumus2013 | 2014-01-09 21:14 | 関西の出版社 | Comments(0)

おまじない

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村中秀雄詩集『おまじない』(編集工房ノア、一九九三年九月二〇日、装幀=林哲夫)。村中さんとは同人誌『ブラケット』で知り合った。岡崎氏とも善行堂氏とも街の草さんともこの雑誌で知り合った。ついでに言えば、こういう雑誌が出るから「何か書かへん?」とたしか電話をくれたのは風羅堂の大西隆志さんだった(大西さんはその頃から詩人として広く知られていました。当時は公務員でした)。文章を書く者として小生が今日在るのはすべて『ブラケット』が出発点だった、というふうに結論してもそう大きな間違いではない。

なかでも村中さんとは気が合って、また村中さんのアパートもそう遠くない湊川公園の近くにあったので互いに行き来していた。さらに神戸の震災のときには、わが家から歩いて数分のところに引っ越して来たばかりだった。地震直後、いの一番に見舞いにきてくれた友人である。

『おまじない』は処女詩集。帯を取るとアゲハチョウが現れる。表紙4側は蜜柑の樹をいっぱいに描いてある。当時、妻がアゲハチョウを盛んに飼育していたところから。内容とはほとんど関係なく、村中さんは校正刷を見て「まっこうくさい」という感想をもらした。たしかに、詩風からするともっとカラッとしたナンセンスな図柄が良かったのかもしれないと今では思ったりする。神戸ナビール文学賞受賞(この賞は小生の装幀本が二度もらっている、装幀者には何もありませんが)。



   吾輩のお葬式

 イッショニ死ンデアゲル と
 吾輩はふたりのおんなに言ったことがある
 ひとりはいじめられっ子だった
 やさしい少女だったが
 母親がいけなかった
 もうひとりは老いた寡婦だった
 結局は老人ホームへいってしまったな

 吾輩はいま
 アスファルトの上で干(ひ)からびている
 二日まえの夜 トラックにやられたんだ
 年齢(とし)だな

 そして昨日
 ピカピカの乗用車に完全にのされてしまった
 乗っていた女が
 ぬいぐるみで顔をおおった

 もう二、三日もすれば
 蟻のやつがそおっと吾輩をかついでくれる
 はずなのだが




   別れ

 公園でみた犬の顔が
 かなしかった

 人間は動物とちがう
 と昨日はおもった
 が
 今日は
 人間は動物であると

 午後からしぐれて
 しぐれの空の裂けた水色の淵に
 ぼくは地球をみている

 小雨が顔に
 きもちよくあたった




   家

 祖父は屋根から落ちて死にました
 母は雨漏りの受け方を子供たちに教えました
 兄は雨が降ると勉強ができないといって家を出ました
 妹は壁にできたシミが怖いと泣いていました
 ずいぶん昔のことです
 父ですか
 屋根があるから雨漏りもする。と言ったのを憶えております





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『夢の見方』(編集工房ノア、二〇〇二年三月二〇日、装幀=林哲夫、題字=廣田暎子)。書は村中さんの意向で廣田女史の作品(村中詩を書いたもの)を使った。作品の実物がわが家に送られて来たので、写真を撮るのに一苦労したことを思い出す。家の前の路上に出して、向いの家のコンクリート塀に立てかけ(畳一枚より大きかったような)、なんとか撮影した。その頃はまだ一眼レフのニコマートを使っていたと思う。この詩集は及川記念芸術奨励賞を受賞した。二冊の詩集が二冊とも受賞するのは、たとえ地方都市の出来事だとしても、村中さんの才能の豊かさを証明している。むろん、小生も村中さんの詩は最初からずっと好きだった。

たしか知り合った頃には神戸の百貨店の和楽器売場に勤めていた。村中さんは卒論で(どこの大学だか聞きそびれたけれど)メシアンだかバルトークだかあるいは誰だったか現代音楽のさきがけのような作曲家について論文を書いたと言っていた。『ブラケット』の中心的存在だった村岡眞澄さんの『十年の雨』(彼方社、一九九三年)の出版記念会が大阪の天神橋に近い川沿いのレストランかバーかでもたれたとき、村中さんはそこにあったピアノを軽快に演奏したものだ。これは意外だった。どちらかと言えば、三味線の方が似合う風貌ではあった。

ところが、いつだったかクビになり、三ノ宮のセンター街の上階にあるダイエーの社員食堂のコックに転身した。フライパンを振り過ぎて腱鞘炎になったとこぼしていた。さらにその後、運転免許を取ってタクシードライバーになると言い出した。小生の車に同乗して、いや小生が同乗して、路上運転の練習のために長田区のあたりをグルグル走り回ったこともあった。むろんドライバーにはならなかったが。

またさらにその後を、どう暮らしていたのか、震災後われわれが京都へ越したこともあり、あまり詳しくは知らない。村中さんが被災者の特典のようなかたちで住吉台に住み着いてからは、一度だけそのたいへん環境の良い六甲山の中腹に建っている団地を訪れたことがあったが(ベランダからの海の眺めが見事だった)、それ以来、一年か二年に一度、神戸での個展のときに顔を見せてくれるので、会場でしばらく話し込むだけであった。山歩きに明け暮れているようなことを言っていた。


   詩のこと

 詩のことは
 ふだん思わないほうがいい
 うっかり風呂屋で考えこむと
 脱ぎ忘れていたり
 他人のものに手をだしたり
 洗う順番がいつもとちがって
 すると洗った気がしなくて

 街で喧嘩をみなくなった
 風呂屋ではもっとまえからだ
 いいことなんだろうが
 どこかへんだ
 ーーいろいろな裸があって
   風呂屋には感動がある。
 とある芸術家がいってたが

 興味とあやうさのまじった愛くるしい瞳で
 女の子がぼくを見る
 女の子の洗う仕草が
 母親ゆずりだなと想うと
 なんだか嬉しくなる
 男の子をみないが
 女風呂へ行くのだろう

 詩のことを考えていなくても
 風呂賃を忘れて家を出ることがある
 片道十五分
 気を取り直し家につき
 小銭をぎゅっとつかんで取って返す道すがら
 一心不乱に詩のことを考える



そういえば、実家は風呂屋だったと聞いたような気がする。




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by sumus2013 | 2014-01-08 21:21 | 装幀=林哲夫 | Comments(9)

書肆風羅堂閉店

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書肆風羅堂 fool-a-do 日乗
http://furadou.exblog.jp/19172396/

書肆風羅堂は2014年1月20日(月)をもって閉店いたします。
2011年5月4日からスタートし、2年8ヶ月をもって小溝筋商店街での店売りを終わり、ネットでの販売になります。みじかい間でしたが、店まで足を運んでいただいたお客様、書籍を売っていただいたお客様には感謝いたします。

《ホームページでの書籍の販売も拡大していきますので、よろしくお願いいたします。ブログでは古書店なのにライブ情報しかアップしていなく、皆様からご指摘をうけていましたが、ライブ等の企画はなくなります。ある程度体制が動くようになれば、ライブ等の文化企画等はやりますので、今後も期待してください。プロデューサーとしての風羅堂を楽しみにして下さい。》
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by sumus2013 | 2014-01-08 17:38 | 古書日録 | Comments(2)

Giorgio Morandi's Studio

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初詣に出かけた、わけではなく、岡崎の図書館で少しばかり調べもの。平安神宮も、今日あたりだと参拝者はそう多くはない。

ついでに、平安神宮の東側、関西美術院へ入る小路の角に古本屋ができると聞いて下見をしたが、まだオープンはしていないようだった。近々、新烏丸通りの丸太町下るあたりにも古本屋ができると聞いている。京都の古本界も少しずつ変っていくようだ。

変っていくと言えば、今日初めて聞いて驚いた、昨年十月十六日にモナ・リゼ(Mona Lisait)がすべての店舗を閉鎖したそうだ。

La triste fermeture des librairies Mona Lisait
http://unpointculture.com/2013/10/02/la-triste-fermeture-des-librairies-mona-lisait/

モナリゼでプレヴェール

唯一サンタントワーヌ通り店だけは店員が受け継いで経営していくらしい。創業は一九八七年。よく頑張ったと言えるのかもしれない。

平安神宮よりも水明洞への初詣。しかしながら店頭の百円箱にめぼしいものなし。何も買わないのは縁起が悪いような気もして、店内で絵葉書二枚求める。古本買い初め。ユニテさんで休息。書棚にモランディのアトリエ写真集を発見して喜ぶ。Gianni Berengo Gardin『Giorgio Morandi's Studio』(Edizioni Charta, 2008)。


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壁にピンで留めたメモ片まで絵になっている。

モランディのアトリエ




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by sumus2013 | 2014-01-07 20:55 | 古書日録 | Comments(0)

愚直兵士シュベイクの奇行

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『愚直兵士シュベイクの奇行』(辻恒彦訳、三一書房)三冊、「後方にて」(一九四六年一一月一日)、「前線へ」(一九四六年一一月二五日)、「赫々たる潰走一」(一九四六年一一月三〇日)。これは昨日の『勇敢なる兵卒シュベイクの冒険』(衆人社、一九三〇年)の再版。「訳者後記」にはこうある。

《もと東京の衆人社から『勇敢なる兵卒シユベイクの冒険』と題して出したのを訂正した。

《新版が出るに際し、衆人社の相馬信正、秀正、直正の三氏に改めて感謝の意を表する。相馬三兄弟は、旧版の多数の読者と共に、シュベイクの愛好者であつた。旧版が第一部から第三部まであり第四部から第六部までは予告のみに終つたについては、訳者はもちろん三兄弟も少なからず苦にしてゐた。今回京都の三一書房が訳者を鞭うつて完結を見る運びになつたことを最も喜んでくれるであらう。一九四六・八・一二

第六部まで六冊と別冊として『シュベイク短編集』が予定されていたことは巻末の続刊予告で分るが、このときもまたここに掲げた三冊だけしか刊行されなかったようだ。ようやく一九五一年になって上・中・下の三巻本として第六部(カール・ヴァーニェクがハシェクの死後に完結させた)までを発行、さらに三一新書にも『二等兵シュベイク』のタイトルで取り入れている。

「赫々たる潰走」からシュベイクが「輪廻」について語る長ゼリフを引用してみよう。

《だいぶ前のことだが、一体俺は今度生まれ変つたら何になるんだらう、何とかして今から解らねものかな、と考へついたもんだから、早速プラーグの職業組合の図書室へ出かけたと思へ。その時の俺の身装があんまり汚くてズボンのお尻に穴が幾つもあいてたもんだから、係の奴、冬服を盗みに来たとでも思つたんだらう、いれてくれねんだ。仕方がねえ、一張羅に着かへて、今度は市立の図書館へいつた。そこで輪廻のことを書いた本を借りて読んだがーーむかし印度に王様があつた、何の因果か知らねえが、死後その魂は豚に移つたんだ。ところが屠殺されたので、今度は猿になつた。猿の次が犬、そして犬から大臣になつたとさ。軍隊ぢや兵士は、やれ豚だの鈍馬だのつて畜生の名前でどなりちらされるが何千年か前は有名な将軍だつたかも知れねえぜ。もつとも戦争となりや輪廻なんて、ちつとも珍らしかねえばかりか、すこぶるつまらねえことさ。何故だつて? 例へばだな、俺等が電話手だの炊事係だの伝令だのになる以前、もう何度生まれ変つたのか数へ切れねえくらゐだものーー榴散弾がやつて来て身体を粉に砕いてしまふ。魂はふわりふわりと飛んで砲兵隊の馬に移る。ところがまた別の榴散弾がやつて来てこの馬を斃す。と直ぐ魂は輜重隊の牛へ引越と来る。シチウを作るためにその牛は叩き殺されて、その魂が今度はさうだな、一人の電話手に移る、そして電話手から……

「輪廻」をチェコ語でどう言うのか知らないが、西欧文学で輪廻といえば『ユリシーズ』の駄洒落「Metempsychosis=met him pike hoses」が連想される(ただ、この単語は厳密にはギリシャ思想における輪廻を指すもので、より一般的には「trasmigration」と言うらしい。もちろんユリシーズはギリシャ神話の転生なのだから、この単語でいいというわけ)。

『ユリシーズ』以前にもジョン・ダン、エドガー・アラン・ポー、モーパッサンにも現れており、プルーストも用いている(とウィキに書いてありました)。しかしそれらに加えてこのシュベイクの台詞を忘れてはならないということが、この引用でも分ってもらえるだろう。


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by sumus2013 | 2014-01-06 21:13 | 古書日録 | Comments(2)

勇敢なる兵卒シュベイクの冒険

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『勇敢なる兵卒シュベイクの冒険』上巻(衆人社、一九三〇年)。函付きで1050円だった。安い。しかしながら、安いのには理由があった。奥付が切り取られていたのだ。よって発行日は今直ぐには分らない。この上巻に第一部から第三部まで収められているが、下巻は出なかった。


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作者のヤロスラス・ハシェク(1883-1923)はプラハ生まれ。新聞記者や編集者をやっていた。『ハシェクの生涯』(ヤノーホ、土肥美夫訳、みすず書房、一九七〇年)によれば、ハプスブルグ帝国三百年の支配から脱却するためにロシア帝国の援助を求めようというのがハシェクの立場だったようだ。ところが、第一次大戦が起こり、ロシア革命が起こり、チェコ軍は反革命軍としてロシアへ侵攻する。このときハシェクも従軍し、ロシアで捕虜になった。そこで一転、赤軍に賛同して一九一八年にはロシア共産党に入党した。一九二〇年末、プラハに戻ってシュベイクの執筆を始める。自分自身の戦争体験が色濃く反映していることは間違いないようだ。

《ハシェクの創作人物シュベイクは、世界文学のなかでユニークなイエス・マンである。彼は、自分の個人的な小世界を諸官庁の強力な大世界に従属させないで、大げさなきまり文句で装備された大きな社会機構及び生存機構を零落した犬商人の狭い生活像のなかに組み入れ、上部を下部へ転じ、そのようにして権力の無常と内的空虚さをあらわにする。》(『ハシェクの生涯』)

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シュベイクは犬商人。退役兵なのだが、召集がかかる。進んで従軍しようとするのだがリュウマチなのだ。しかし簡単には許してくれず、絶食や浣腸などの拷問を受ける。そして最終判断のときが来て軍医たちの前で面接を受ける。詐病兵などはどんどん前線へ送られるならわしだった。

《シユベイクは、無邪気な子供だけにしかない神様のやうな静けさを以て、委員連の顔をじつと眺めてゐた。
「やい畜生、貴様は一体何を考へてゐるんだ?」と、委員長が近づいて言つた。
「申し上げます、私は何も考へてゐないのであります」
「こん畜生!」と、委員の一人がサーベルをかちやつかせながら叫んだ「何も考へてゐないだと? やい、シヤムの象、何故貴様は何も考へないんだ?」
「申し上げます、軍隊では兵卒に禁じてゐるから、考へないのであります。私が九十一聯隊に居た頃大尉殿がいつも仰言つたでありますーー『兵卒は自分で考へるもんぢやない。上官の方で考へてやる。自分で考へると禄な……」
「黙れ!」と、委員長が怒つて吐鳴りつけた「貴様は本当の白痴(イヂオート)だと人が信じてくれるものと思つてるんだらう。だが貴様は白痴ぢやないぞ、シユベイク、貴様は何でも心得てゐる抜け目のない奴だ、禄でなしだぞ、道化者だ、破落戸(ごろつき)だ、解つたかーー」
「申し上げます、解つたであります」
「黙れと言つたぢやないか、聞こえなかつたのか?」
申し上げます、黙れと仰言つたのは、聞こえたであります」
「ちえツ、聞えたら黙つとるもんぢや。黙れと命じたら、静にしとるもんだといふ事はよく解つとるぢやらう」
「申し上げます、静にしとるもんだといふ事は解つとるであります」
 軍医連は黙つて互に顔を見合せた、そして特務曹長を呼びつけたーー
「そこに居る奴を」と、委員長はシユベイクを指しながら言つた「事務所へ連れて行つて待たせて置け。こいつは魚のやうにぴんぴんしてゐやがる。何処一つ悪い所もないのに、仮病を遣つて、その上勝手な熱を吹いとる。こら、シユベイク、貴様、衛戍監獄へぶちこんで、戦争といふものは冗談事ぢやないつてことを見せてやるから、さう思へ」》

というふうなトンチンカンな、しかし妙に筋の通ったドタバタが続くのである。シュベイクの思考方法(というかハシェクのギャグ作法)がなじんでくれば、それはそれでなかなか辛辣に苦笑いできる作品である。

挿絵のヨセフ・ラーダについてはこちら。

http://hrusice.pragmatic.cz/pamatnik.html

http://www.lcv.ne.jp/~morinoie/joseflada.html




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by sumus2013 | 2014-01-05 22:01 | 古書日録 | Comments(0)