林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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製図器具その2 Technikerzirkel

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先日のロットリング製品に加えてさらに定規とコンパス・セットを頂戴した。定規はつまみ(?)のような山のついているタイプで、珍しいもの。写真中央は小生が使っているロットリング・ペン。最近はお蔵入り状態だったので取り出してコンパスに接続してみた。

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他社のサインペンでもセットできるようなので、これはいくらでも使い道がある。深謝です。むろん金具を交換すればふつうの鉛筆芯のコンパスとしても使えるようになっている。

物差しも好きな道具のひとつ。実際に使うために買ったものもかなりたまっている。というのは定規はどうしてもカッターを使ったりするので、デコボコになってしまう、すると使えなくなるが、それでも捨てられないからだ。さらに古道具でも買ってしまう。

使うのはやはり手軽なプラスチックになる。むろんスチール製の尺も持っているが、竹や木製の方が手に馴染むし、古色がつくと美しい。ただしプラスチックでも古い物にはトロリとした味がでているのもあって捨て難いのである。

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そうそう、ロットリングというのは製図用具の社名だとしか思っていなかったのだが、
ドイツ語で「赤い輪」という意味だと、今頃はじめて気付いた。



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by sumus2013 | 2014-01-31 20:40 | コレクション | Comments(3)

我思古人その2

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二十四日に取り上げた架蔵コピー『我思古人』は八顆だけだったが、じつは十二顆収録されていることを御教示いただいた。ばかりか、そのコピーを頂戴したので、さっそくすでに紹介した三顆以外の印章すべてをかかげておきたい。

コピーの原本は百部本(先日のは三十部本)。

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収録順に、まず文彭(三橋, 1498-1573)の「二酉山人」

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次が徐渭(文長, 1511-1593)の「我思古人」。そして次が奚岡(銕生, 1746-1803)の「呉師光印」。

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陳鴻壽(曼生, 1768-1822)の「一琴一硯之齋」。側款がこちら。

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次が柳澥(龍石、清)の「且父」。

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同じく「生春仙館」。

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そして趙之琛(次閑、清)の「痩虎」。

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呉煕載(譲之, 1799-1870)の「巽夫」。

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翁大年(叔均、清)の「蕘圃手校」。

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王雲(石香、清)の「破衲子」。

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この次に徐三庚(辛穀、清)の「「淡烟疎雨暗漁(?)蓑」がきて、最後に作者不詳でしかも印文も不明の印でおしまい。「雅[?]」

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どの印章もなかなかに優れたものと思う。

《甲鳥書林から何だか分厚い小包が届いた。何だと思つたら、一束の検印紙だつた。ひどく凝つた検印用紙で、一枚々々丁寧い印を捺さなければならないやうな代物なので、やれやれと思つた。その上、これまでの本には大抵それですませてゐた「辰雄」といふ無趣味な印ではすこし検印紙の方がかはいさうな気がするので、ふいと妻の亡父が所蔵してゐた支那の古い印のことを思ひ出して、その中で私の好きな印を二つ三つ東京の家から送つて貰ふことにした。

妻の亡父が所蔵して居つた十幾顆の印は彼が広東に在つた頃何かの革命の際急に所在をくらまさなければならなかつた支那の某大官が纔かな金で彼に譲つていつた品ださうで、明清二代の名家が刻したものが多いといふ證明附のものである。(堀辰雄「我思古人」)

堀多恵子の父・加藤譲次は日本郵船の広東支店長だったそうだが(堀多恵子の祖父土屋彦六)、いくら安かったとは言え、これをまとめて買い取ったとすれば、それなりの趣味人だったとみていいだろう。昭和七、八年頃に死去したという。



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by sumus2013 | 2014-01-30 20:29 | 古書日録 | Comments(4)

桑原武夫記念コーナー

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京都市右京中央図書館へ立ち寄った。二〇〇八年にオープンしたらしいが、初めて足を踏み入れた。本を見ながら突き当たりまで歩いて行くと「桑原武夫記念コーナー」という看板があった。

窓際の片隅に、写真や年譜のパネルと遺品(筆硯、印章、ノート、コピー原稿、習字、水彩画スケッチブック、成績表、日記帳、献呈本など)の展示。遺愛のテーブルと椅子も置かれていた。

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この原稿だけはコピーだったが、ノートなどは本物。直射日光が当たるような展示ケースで決していい環境とは言えないのが残念。


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奥が富士正晴の署名入り『小詩集』(萌黄、一九五七年)、手前が伊東静雄署名入り詩集『春のいそぎ』(弘文堂、一九四三年)。どちらも古書価はそれ相応に何万円かになるもの。



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こちらは三好達治詩集『測量船』(第一書房、一九三〇年)。ごらんのようにカーテンの隙間から日光が射している。署名なしでもこの本は五万円くらいしても不思議ではない。桑原宛署名本なのだ、もっと大事に扱ってもよさそうなものだと思う。


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名刺、印章類、印影、万年筆(モンブランなど数本)。この右手に硯箱があるのだが、どうもうまく写真が撮れなかったので省略。渋い硯と水滴だった。対して机は合板でできた実利的なもので、材質にはこだわっていなかったようだ(最初の書斎写真で右端に写っている)。

どうしてここにこんなふうにコーナーが設けられているのか知らない(もとは国際交流会館にあったらしい)。せっかくなのだから誰かちゃんと手入れしてくれればと思うのだが……。せめて外光は防いでほしい。

***

死亡記事のノートにたしか桑原武夫も貼付けてあったはずと思って調べると、朝日と神戸新聞がいくつか見つかった。一九八八年四月一〇日午前九時五五分、急性肺炎のため入院先の京大胸部疾患研究所附属病院で死去、八十三歳。

多田道太郎の追悼文(神戸新聞四月一三日付)から。

《桑原先生が共同研究の部屋に入ってこられると、いっぺんに幸福感が私たちを浸すのであった。「ルソー研究」といった本題に入る前に、先生の「あれはいったい何ででっしゃろ」が始まる。時々片々、日常茶飯の中から懐疑の種を拾い出す先生の力量に私たちは驚いた。》

《イデオロギーにかかわりなく発想の自由度と強靭度(きょうじん)が問われる。好んで異をたてる、と思われかねない異能奇才の若者を先生は溺愛(できあい)された。》

朝日新聞(四月一一日付)には梅棹忠夫が追悼文を載せている。

《研究もさることながら、年末の全員コンパで、一年後を予想するゲームをします。「日本の首相はだれになっているか」「米大統領は……」といった社会科学の応用問題が多かった。オッサン(と私たちは呼んでいましたが)も含め、全員がそれを密封しておいて一年後に開封します。「人文科学者も現実的な問題に目が利かなければいけない」という桑原さんの発想でした。》

《中国文明についての深い関心と知識を持った上で、漢字の制限を国語審議会でも主張された。特に人名漢字の制限をいわれたが、「人名は社会的財産」という考えからで、他の人が読めない漢字は困るというわけです。元号廃止論者でもありましたが、それも国際的視野からの発言でした。》

同じノートによれば、桑原死去の前日一九八八年四月九日には作家田宮虎彦が北青山のマンションから飛び降り、新宿の東京女子医大病院で死去(七十六)、八日には挿絵画家の竹中英太郎が新宿区東京医科大病院で虚血性心不全のため死去(八十一)、六日には詩人フランシス・ポンジュがニース近郊の別荘で死去(八十九)している。死因は不明。

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by sumus2013 | 2014-01-29 17:54 | 古書日録 | Comments(11)

露伴遺珠

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ラジオから幸田文の声が流れてきた。作品やその容姿から想像していたのとは、まったく違った、江戸っ子の、やや甲高い軽快なしゃべりだった。江戸っ子といっても大川の東側で自然がまだまだ豊かな時代に育ったそうで(露伴は江戸っ子と言われると否定していたそうだ)、いわゆるチャキチャキというのではなく広い意味で関東弁の響きが感じられる。こういう言い方はなんだが、とても「カワイー」のである。

上は世田谷文学館の「幸田文の栞」(二〇一三年九月一日)。法輪寺の三重塔をバックにしている。この塔を建てるために晩年の幸田文は奔走したのだという。文の言うには自分たちは露伴のなかでもよく売れた作品「五重塔」の印税で暮らしたというようなところもあって、法輪寺の塔の再建が挫折しているのがどうも他人事とは思えなかったらしい。「五重塔」の上演料を寄付したり、講演に奔走したり、当時文化庁長官の今日海出に直訴したりとさまざまに尽力し、斑鳩町に一年半住んで塔の建築を間近に見たそうだ。

世田谷文学館の栞に森まゆみと堀江敏幸の対談が載っている。そのなかで堀江氏にこういう発言がある。

《2000年でしたか、『文藝別冊』の特集で、小石川のお宅に伺って青木玉さん、奈緒さんにお話をうかがう機会がありまして、その折にあれこれ読み返したのですが、僕は結局、幸田文の作品を、書かれた言葉としてしか理解していなかった、口に出された言葉であったことが分っていなかったと大いに反省をしたんです。》

この発言は幸田文が実際にしゃべっているのを聞くとじつによく納得できるのである。あの文体は彼女のパロールのなかから生まれてくるに違いない。

幸田文と言えば、daily-sumus で湯川成一さん旧蔵の著者サイン入り『幸田文随筆集』(角川文庫、一九五四年八月一五日)を取り上げたことがあった。

http://sumus.exblog.jp/17504304/

そのとき、きっと交渉があったのだろう、などと寝ぼけたことを書いたのだが、そりゃそうだ、湯川書房は幸田露伴の本を出しているじゃないですか。

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肥田皓三編『露伴遺珠』(湯川書房、一九五三年五月一日)。肥田先生の「後記」によれば全集に洩れた佚文捜しは森銑三が先鞭をつけたようで、当時すでに肥田先生も二十年近く捜索していたのだという。その間に三十篇以上をさぐりあてた。そういった内容を『季刊湯川』創刊号に執筆したところ、湯川さんが「是非ともその本を作りましょう」と申し出てこの一冊が生まれた。

だから当然、著作権者である幸田文にもコンタクトしたであろうし、サイン入り文庫本も何らかの返礼だとすればスッと納得できる。大分前からこの本を持っていたのにまったく気付かなかったとはうかつにもほどがある。

肥田先生も書かれておられるが、短文のなかにも露伴の魅力は十分感じられる。例えば「修文談」は文章作法について語りながら理想の文学的境地を示すという点で興味深い。修文には四期あるという。

《例へば月を描くのにブンマワシを遣ひツ放しにするのは一期で、先づ雲を描いて月に見せるのが二期で、描かぬ月の影を水に見せるのが三期で、ツマリ月も畫かず、雲もあらぬ冬の夜の、何處か月の寒い心持を、或る物体に移して見せるのが四期ではないか、ブンマワシの月を、刷毛で塗り隠す位なら、誰でも出来る、が、その月を月と云はずして、月の心持を見せるのは、経営惨憺の極で無くては出来ぬ》

メタファーということなのだろうが、これはまるでステファヌ・マラルメの詩法を解説してくれているような気さえする。露伴とマラルメのコレスポンダンス! 他には細かいところで、次のような発言も印象的だ。

《漢字は我國で出来たものでないからして、我國の言語としつくり合つては居ない、恰好丸い器物に、四角な蓋をした様なものである。》(漢字の新研究法)

だから漢字をもっと研究せよ、しかるのちに採否を決定せよと主張している。大正元年に書かれているが、漢字問題については戦後だけでなくずっと言われて来たとみえる。

もうひとつ、これはさらに細かいこと。「全然」の使い方。

《私の「五重塔」は此の話をして呉れた倉と云ふ男を全然ではないが、幾分かモデルに使ひ、其れに始めに話したのツぽりの綽名を少し変へて用ひ、其の外聞いた話なども加味して直ぐ近所にあツた五重塔へもツていツて綜合したのです。》(自作の由来)

明治三十年八月発表。全然オッケー。

そうそう肥田先生と言えば、昨年十一月、第二回水木十五堂賞を受賞された。めでたし。



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by sumus2013 | 2014-01-28 20:56 | 関西の出版社 | Comments(4)

ZAZ SANS TSU TSOU

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TSUTAYAの更新手続きをした。二枚CD無料になったのでザーズのライヴCD/DVD三枚組「ZAZ TSU TSOU」とアマリア・ロドリゲスのベスト盤を借りた。ZAZのライヴ・ヴィデオはコンサート・ツアーからプライヴェットな顔までうまくコラージュしており、上出来と言っていいだろう。

Zaz - Sans Tsu Tso
http://www.youtube.com/watch?v=bCBTqbjXTb4

三枚のうちの一枚はシングル盤「Éblouie par la nuitだった。

Éblouie par la nuit, à coup de lumières mortelles,
A frôler les bagnoles, les yeux comme des têtes d'épingles,
Je t'ai attendu cent ans, dans les rues en noir et blanc,
tu es venu(e) en sifflant,

夜に目をくらまされ、激しい光に、
車がかすめる、目はピンの頭のよう
ずっとあんた待った、黒と白の街で
口笛を吹きながらあんたはやってきた

Éblouie par la nuit, à coup de lumières mortelles,
A shooter les cannettes aussi pommée qu'un navire,
Si j'en ai perdu la tête, j't'ai aimé et même pire,
Tu es venu(e) en sifflant,

夜に目をくらまされ、激しい光に、
ばかでかくてまんまるなビンをシュート
もし、カッとしてたら、あんたを好きになっていた、やばいほど
口笛を吹きながらあんたはやってきた

Éblouie par la nuit à coup de lumières mortelles,
Faut-il aimer la vie, ou la r'garder juste passer,
De nos nuits de fumettes ,
Il ne reste presque rien,
Que des cendres au matin, 

夜に目をくらまされ、激しい光に
人生を愛するか、でなきゃ過ぎて行くのをただ見ているか
わたしたちの息づかいの夜には
何も残っていやしない
朝の灰のほかには

Ah ce métro rempli des vertiges de la vie,
A la prochaine station, petit européen,
Met ta main, descend la, en-dessous de mon cœur, 

ああ、人生のめまいで満員のこのメトロ、
次の駅で、小柄なヨーロッパ男が、
あんたの手を置いて、降ろす、わたしの心臓の下の方に、

Éblouie par la nuit, à coup de lumières mortelles,
Un dernier tour de piste avec la mort au bout,
J'ai attendu cent ans dans les rues en noir et blanc, 
Tu es venu(e) en sifflant…

夜に目をくらまされ、激しい光に、
ゴールに死が待っているトラック、最後の一周、
黒と白の街でずっと待った、
口笛を吹きながらあんたはやってきた…


以上、歌謡曲風に訳してみました。時折、和訳にいちゃもんをつけたりしているが、やっぱり翻訳は難しい(文字通りではない、俗語的な表現がちりばめられているようです!)、拙訳お許しを(目に余るところがあれば直しますので御教示を)。それにしてもこの歌の邦題が「聞かせてよ、愛の歌を」というのには驚きました。何でもいいと言えばいいのですが。

ZAZは昨年二枚目のアルバムをリリースしていた。

ZAZ Recto/Verso (2013) - Full Album
http://www.youtube.com/watch?v=eVUEWLvIISs




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by sumus2013 | 2014-01-27 22:05 | おすすめ本棚 | Comments(4)

古本屋の窓から「愛すべき小さな街へ」


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『しんぶん赤旗』二〇一四年一月二四日号掲載、狩野俊「古本屋の窓から」に挿絵を提供しました。原画は色つき。京都の古本屋さんです。




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by sumus2013 | 2014-01-27 20:14 | 画家=林哲夫 | Comments(4)

前太平記

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昨年の百万遍で中国青年と争って求めた和本五冊。『前太平記』(藤元元・作、版元不詳、刊年不詳)の巻二十一、三十一、三十二、三十五、三十七。バラというだけでなくはなはだしい修理・改装が行われている。


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御覧のような紙背文書ならぬ、裏打ち紙が全冊の全頁に貼付けられている。ちょいちょいとのぞいてみると、文政九年(一八二六)という年号が古いようだ。明治六年もあった。内容はさまざまで土地関係、建築関係の書類(大工うんぬん)など反故紙を用いているようだ。

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住所が書かれている紙もある。

《越後国魚沼郡 冨實郷 元塩澤組 嶋新田

これがどこなのかは地元の方に調べて頂きたいと思う。また五冊のうち四冊に墨の印判が捺されている。屋号は? 町田氏。魚沼郡目来田(もくらいでん)は現在の塩沢町である。

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『前太平記』(詳しくは「前太平記の世界」参照)は天和元年(一六八一)頃に成立した歌舞伎のネタ本として有名なもので、もちろん活字本にもなっている。この版本(草書体で半丁十二行、タテ23cm)は案外珍しいのか、今たちまち探したところでは滋賀大学附属図書館(前太平記40巻目録1巻)にワンセットあるだけだった。

読むのは骨だが、その気になれば、ルビもあるし、そう難しいというほどでもなさそうだ。もちろん読むことはないとは思う。ただ、挿絵は面白い。大方は戦闘シーンばかり。なかに酒を飲むシーンもあった。

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巻三十一の「将軍入鳥海柵給ふ事」。

《将軍城中に入給ひ暫く此にて人馬の足をぞ休められけるしかるにある陣屋の中に醇酒(じゆんしゆ)を湛へたる甕七八十も有けるを士卒争ひ飲まんとす将軍是を制し給ひ恐くハ賊徒御方の士卒を欺かんが為毒酒を設置たる事もこそ有らんずれ率爾に不可飲之とて先試に年老たる雑人一両人に飲しめ給けるに子細なき良酒なりと申て何の害もなかりけり》

もう一箇所は家の普請をしている場面。巻三十二「家任以下降参乃事」のところに出ているが、どうやらこの図は「耳納寺新通法寺建立乃事」に対応しているようだ。


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大工や左官などの様子が細部にいたるまで描き込まれている。鑿、鋸、鉋、曲尺、墨付けの道具も一通り揃っているし、おおよその手順が子供にも分るように図解されているのだろう。見飽きない。

文字が透けて見えているのは裏打ち紙に書かれた文章である。


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by sumus2013 | 2014-01-26 21:43 | 古書日録 | Comments(2)

製図器具

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先日白水社の本棚」を紹介したときにロットリングに話題が及んだ。それを読んだ方がかつて使っておられたという製図器具をお送りくださったので紹介しておく。

上の写真、左上のボトルはロットリングのインクとその箱。河内画材の値段レッテルが着いている。その右はロットリングのペン軸に装着する拡大鏡(いちょう形の方)、およびそのケースに無理矢理入れてあるHAFF(http://www.haff.com/index_e.htm)の同じく装着用の拡大鏡(×4)。

手前がARMの「スプリングコンパス烏口《中車》」。中央の車輪状の金具を回すとコンパスの開き加減が調整できる仕掛けになっている。ARMが社名だと思うが、検索してみても現存するかどうか分らなかった。ちなみに小生は学生時代にはタケダの製図器具セットを使っていた。


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で、驚いたのは同封されていた9Hの鉛筆だ。9Hとは! ここまでの固さはさすがに使ったことはない。ぜいぜい6Hくらい。調べてみると三菱ハイ・ユニには22硬度セットがあり、10H〜10B のレンジにわたっている!(HBとFがあるので22本になる)。ちょっと書き味を試してみた。まるで鉛の塊である。軟弱な紙だと破れてしまいそうになる。ダ・ヴィンチなどは銀筆(鉛筆が登場する以前に使われていた先端に金属を用いた筆記具, silver point)でデッサンしているのだが、きっとこんな書き味だったのかもしれない、などと思う。深謝です。

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by sumus2013 | 2014-01-25 20:19 | コレクション | Comments(4)

我思古人

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先日触れた『我思古人』(堀多恵子、一九七五年五月二八日)をカラーコピーして仮綴じしたもの。探してみたら簡単に見つかったので紹介しておく。奥付は以下のごとし。堀辰雄の二十三回忌に限定百三十部非売として作られた。本冊にも記番があるが、原本所蔵の方にご迷惑をおかけしてもいけないので、消しておいた。

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拙著『古本デッサン帳』(青弓社、二〇〇二年)に収録したエッセイ「書物と印」でも触れているが、本書は堀旧蔵の印章八顆と堀のエッセイ「我思古人」および印の解説(篆刻家某氏による)、「補記」(福永武彦)および目次、奥付から成っている。

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堀辰雄によれば、元々は妻(堀多恵子)の父が中国で求めて所蔵していものだそうだ。そのなかで堀が一番好きだというのがこの「我思古人」。たしかに見事な印影ではないか。明の文人で書画もよくした徐文長の作だそうだ。


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次に好きなのがこの明末の陳曼生の手に成る「一琴一硯之楽」だと堀は書いて、側款(印章の側面に彫られている詩文・落款)の漢詩を引用しているが、それは略するとして、堀はこれを甲鳥書林から刊行した『晩夏』(一九四一年)の検印に用いたのである(下の写真が架蔵の少々くたびれた『晩夏』)。

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それゆえに甲鳥書林のPR誌『甲鳥』八号(一九四一年)に我思古人」を執筆した。ところが、実はそのときには堀はこの文句を「一琴一硯之品」と読んで、そう書いているのだ。○が三つなのでつい誤ったのだろう。その後(これはいつだか分らない)、おそらく誰かに指摘されたのかもしれないが、「一琴一硯之楽」と読み替えている。その訂正原稿がこの本に収録されたということになる。ところが、篆刻をやっておられる方ならすぐ分るように正しくは「一琴一硯之斎」である。本書の補記は読者の便宜のためその誤読について触れている。

印文を正しく読むのは難儀なことである。これはよほどの専門家でもそうだろう。一例を挙げれば、本書にも(?)とされている印章がひとつある。

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「淡烟疎雨暗漁(?)蓑」と篆刻家某氏(名前は伏せてある)は解説している。このコピーをくださった方(やはり篆刻を専らとされる方)は「漁」とあるところは実際には木ヘンに彫ってあるが、木ヘンに魚という文字は見当たらないので彫り手が誤ったのかもしれないと欄外に注記を入れてくださった。

また、この文章は二文字ずつ四行に彫られているように思えるので最後の行(左端)は「草(艸)衰」と読むべきではないかとも記されている。浅学な小生に何か言える問題ではないけれど、もしこの文を漢詩の一句と考えれば七言(二・二・三で分ける)の方が通りがいいように思う。「暗漁蓑」ならば、雨にけぶる川で釣りをする漁師の蓑がぼんやり見えるとなって意味の上でも腑に落ちるような気がするしだい。



「ムッシュKの日々の便り」にパリの拙作古書店が登場!

パリ古本屋の思い出 I
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by sumus2013 | 2014-01-24 20:34 | 古書日録 | Comments(4)

短冊型の世界

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川崎彰彦詩集『短冊型の世界』(編集工房ノア、二〇〇〇年六月一〇日、装幀=粟津謙太郎)を購入。『夜がらすの記』を読んで以来、川崎さんの本がないかと探していた。探すとなるとなかなか見つからないものだ。むろんそれ相応の金額を支払えばめぼしいものは揃えられるが、そこまでするかとためらう気持ちもあるし、実際問題として『夜がらすの記』五千円、『まるい世界』四千五百円、『冬晴れ』三千百五十円という値段となると、そうおいそれとは注文できないのである。

ただし原点叢書の『まるい世界』と『私の函館地図』はそんなに高くない。いずれ注文しよう。『短冊型の世界』は『まるい世界』に対応したタイトルだろう。本文中に同名の詩篇がある。


 朝 ベッドから車椅子に移り
 居間へ移動する
 そのまま一日中
 本を読んだり テレビを視たり
 正面に玄関の硝子戸
 残暑のころから風と猫の通い路に
 すこし明けはなしたまま
 上部は暖簾で隠された短冊型の世界
 ぼくの唯一の外界だ
 [以下略]


本書は川崎彰彦の第五詩集。「I」が二度目の脳卒中で倒れた後、大和郡山で暮らし始めてからの作品(「短冊型の世界」を含む)、「II」がそれ以前の奈良市高畑住まいの時期の作品、および「III」が大阪読売に連載したコラムから成る。資質から言えば、詩人というより散文の人だろうが、それはそれとして味のある詩集になっているように思う。「II」から「山椿」


 部屋の出窓の
 北東面のガラスを透して
 こんもりとした椿の茂みがみえる
 張り出した厠にさえぎられて
 全部はみえない
 でも朝のひかりに葉簇は照り
 赤い花々は蘂を吐いている
 暦のすすむにつれて花数が増えてきた

 椿が好きだ と自覚したのは
 四十過ぎてではなかったろうか
 それまで 落ち首を忌むサムライの美学に
 とらわれていた
 花は桜木……なんて

 朝鮮戦争下の高校三年のとき
 反戦運動も 文化運動も弾圧され
 私は学校を追われた
 文芸部の雑誌『噴火』もつぶされた
 根絶やし後の暗鬱な季節に
 後輩たちが小さな文芸誌をつくった
 『山椿』ーー
 わるくない誌名だと思った
 それは後輩たちの さみしく純な心情を示していた

 椿のなかでも赤い椿
 濃い葉のあいだに小ぶりの花の簇り咲く
 山椿が好きだ

 いま部屋の窓からみえるのも
 山椿だろう
 もともと自生していたのを
 隣の家が建つとき 庭に囲いこんだ
 そう思いたがっている私がいて
 部屋にさしこむ朝日の縞のなかで
 山椿の繁みの明暗をみている


本書巻末の「川崎彰彦著作目録」を引き写しておく。



まるい世界   構造社 1970
        ファラオ企画 1991
わが風土抄   編集工房ノア 1975
私の函館地図  たいまつ社 1976
竹薮詩集    VAN書房 1979
虫魚図     編集工房ノア 1980
訳詩集アレクサンドル・ブローク 十二 編集工房ノア 1981
月並句集    編集工房ノア 1981
夜がらすの記  編集工房ノア 1984
二束三文詩集  編集工房ノア 1986
もぐらの鼻唄  海坊主社 1986
冬晴れ     編集工房ノア 1989
蜜蜂の歌    海坊主社 1991
樹の声鳥の歌  すみれ通信舎 1991(共著)
詩集『合図』  編集工房ノア 1992
新編竹薮詩集  海坊主社 1994



以上(なお『蜜蜂の歌』は本書では『蜜峰の歌』となっている)。この後になお二冊が続く。



くぬぎ丘雑記   宇多出版企画 2002
ぼくの早稲田時代 右文書院 2005



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『ぼくの早稲田時代』(右文書院、二〇〇五年一二月二五日、装幀=林哲夫)カバー。




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by sumus2013 | 2014-01-23 20:58 | 関西の出版社 | Comments(0)