林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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想像力の散歩

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ジャック・プレヴェール『想像力の散歩』(粟津則雄訳、新潮社、一九七八年八月二〇日二刷)を入手。スキラの「創造の小径 LES SENTIRERS DE LA CREATION」シリーズの一冊。かなり前に一冊ロジェ・カイヨワ『石が書く』を紹介したことがあるが、なかなか魅力的なシリーズだ。本書の原題は「IMAGINAIRE」(空想上の、空想家)。

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コラージュに添えられたテキストはほとんど駄洒落集と断言してもいいもの。プレヴェールはフランスのしゃれのめす男なのである。ほんの一例。

 la belle et la batte
 美女と野杖

「La Belle et la Bête/美女と野獣」にひっかけた。ベットとバット。この句のとなりには血糊のついたバットと男の首を持った美女のコラージュ。あな恐ろしや。プレヴェールにおいてはこの手のスプラッターなイメージがきわめて豊富である。それにしても「野杖=やじょう」は苦心の訳ですなあ。

もうひとつ、長めの文章。

 Vous qui appelez terre la terre de la Terre, appelez-vous lune la lune de la Lune?

 現在あなたがたは、地球(テール)の地面(テール)を大地(テール)と呼んでいるが、将来、月(リユヌ)の月面(リユヌ)を月地(リユヌ)と呼ぶようなことになるのだろうか?

日本語は同音異義語が多いと言われるが、フランス語にもけっこうある。異義語というより同じ一つの単語が複数の違った意味をもつということだ。和訳すれば「テール」は三つの単語に分身させるしかなく、註かルビで補うより他ない。駄洒落を訳すのは、ジョイスの場合もそうだろうが、骨折り損の草臥れ儲けといった感がある。

そうそう、プレヴェールと言えば、柏倉先生の新著が出た。ぜひ読んでみたい。

柏倉康夫訳 ジャック・プレヴェール詩集『歌の塔』
http://monsieurk.exblog.jp/19987123/
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by sumus2013 | 2013-12-11 21:17 | 古書日録 | Comments(0)

ぼくの創元社覚え書補遺

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高橋輝次『ぼくの創元社覚え書』のさらなる追記が届いてビックリ。追記というか、山田稔さんが文中に出ている隆慶一郎の回想に《剣道二段の黒田という男》とある黒田は黒田憲治のことだと教えてくださった、という内容の一枚刷りである。山田さんは黒田のことを『海鳴り』に書いておられた。

『海鳴り』25 山田稔「ある文学事典の話」
http://sumus.exblog.jp/20273942/

この一枚刷りご希望の方は高橋さんまで(住所は『ぼくの創元社覚え書』経歴欄に明記されています)。
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by sumus2013 | 2013-12-11 16:46 | おすすめ本棚 | Comments(0)

マルクス主義講座1

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午後、市中へ。大学堂書店の前で。定休日。

ギャラリー・マロニエの「お・き・ま・り・の・パリ」展および「The 18 th How are you, PHOTOGRAPHY?」展見る。パリは絵になる、写真になる。世界中の写真家が撮っている。新味はまったくない(小生の絵にも言えることなり)だからこそ「お・き・ま・り・の」と韜晦してみせた。そこがミソ。いずれも秀作揃いながらマン・レイ石原さんの古き良きパリの街景絵葉書がかえって新鮮だった。

お・き・ま・り・の・パリ
http://www.gallery-maronie.com/exhibitions/gallery3/2103/

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尚学堂まで足をのばす。店頭二百円台から『マルクス主義講座1』(上野書店内マルクス主義講座刊行会、一九二七年一一月二〇日)を求める。兵庫県美の「絵画と文学」展の影響なり。

やはり装幀に惹かれる。装幀者などについては記載されていない。この講座(全十二巻)については大和田寛「1920年代における マルクス主義の受容と社会科学文献」という論文がネット上で読める。

《この『講座』は,雑誌『政治批判』を出していた政治批判社が編者となっている。『政治批判』 は,1927年2月から1929年まで,大間知篤三・水野成夫らの編集で出ていた。》

《このように内容や執筆者に変更が多いのは,松島栄一も指摘するように,この講座が企画された (パンフレットが出された)1927年11月という時期は,コミンテルンの『日本に関するテーゼ』い わゆる「27年テーゼ」の発表と重なり,全体の企画の見直しが生じたこと,刊行途中の1928年3月に,いわゆる「 3・15事件」があり,執筆予定者が逮捕されたことが考えられよう(14)。 この『講座』は,全体の構想としては,日本のマルクス主義の体系化を試みた面白い企画であっ たが,結局は中途半端なものになってしまった。しかし個別には,見るべき論文も幾つかあり,日本の社会科学史に正当に位置付けられるべきであろう。》

内容には興味ないが、裏見返しに次のように書かれていたのには注目した。

 一九七六年(昭和五十一年)三月四日
 銀閣寺道電停西 千草書店にて
 購入(三百円) 井上威久馬

検索してみると井上威久馬氏はお笑い台本作家、左京区浄土寺に住んでおられるようだ(同姓同名もあり得るが)。千草書店は千原書店の勘違いだろう。

引き返す途中でアスタルテ書房のぞく。扉は閉じられたまま。三ヶ月になる。
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by sumus2013 | 2013-12-10 20:32 | 古書日録 | Comments(2)

新国誠一ノート

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金澤一志『新国誠一ノート seiichi niikuni memoranda』(JARGON BOOKS、二〇一三年一二月)を頂戴した。二〇〇八年に国立国際美術館で開催された「新国誠一《具体詩》詩と美術のあいだ」展に関連して行われた講演のためのノートをまとめたものだそうだ。この展覧会にはまったく記憶がないが(どうやらパリに出かけていたようだ)、見ておきたかった。

新国誠一の《具体詩》 詩と美術のあいだに
http://www.nmao.go.jp/exhibition/2008/id_1206161940.html

新国誠一について語るということはコンクリート・ポエトリーの歴史にも触れなければならず、かなり欲張った内容。しかし何とかまとめあげているのはさすがだ。

《漢字、かな、カナ、三種混合で、おなじことばでも場合によって漢字、違うときにはかなで書かれ、それでも大きな支障がない。日本語のあいまいな部分というのは、そもそも開始のところからコンクリートにかぎらず他者との融合がむずかしいものです。あるいはコンクリート・ポエトリーというのは、現行の日本語的状況を目指したようなものだったのではないかとも思えて、そのために新国誠一はあえて漢字の表意性をかさねていくような方法に固執しつづけたのかもしれないのですが、実は日本語はすでにコンクリートの先をいってしまったのかもしれない。厳密に仕上げたのではなくて、人間に合わせるように非整合性を残して完成しているようなところがあります。もし日本語がすでにコンクリート的な操作の多くを達成してしまっているとしたら、それは書記のシステムではなく読解のシステムの円熟に多くを負っているためではないでしょうか。詩人ではなく読者の目がすでにコンクリート的なものに適応している。》

スマホ、ケータイ時代はまさにこの指摘がはっきり目に見える形で現れているような気がする。



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『matatabido 10』(股旅堂、二〇一三年一二月)。巻頭特集が「旅」について。エログロな旅が満喫できる。巴里本が充実していた。ひと財産ほしい。表紙がスタイリッシュで気に入った。



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『アピエ』vol.22(アピエ社、二〇一三年一二月五日、表紙装画=山下陽子)はジュネ&コクトー特集。あえて二人一緒にしたところがアピエならではの贅沢さ。善行堂通信はもう5なのだ。



『福島自由人』28号(北斗の会、二〇一三年一〇月二五日)、菅野俊之さんよりいただく。菅野さんは「つぶての如薮に入りたる小鳥あり 歌人天野多津雄探照」を寄稿しておられる。明治三十年相馬に生まれた歌人。昭和四十二年歿。

 朝飯の櫃を提げ行く少女あり歩調に合せ口笛を吹く



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by sumus2013 | 2013-12-09 20:48 | おすすめ本棚 | Comments(0)

中川六平さん百日法要

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中川さんの百日法要および思い出を語る会が徳正寺で執り行われたので、中川さんとはそんなに深い付き合いがあったわけではないが、昔からよく知っているおじさん、というような親近感を感じる人だったので参加させてもらった。

ほびっと時代の友人諸氏が語る青年中川像はいきいきとして、晩年の中川さんしか知らない者には驚きであった。岩国ほびっと時代のスライド上映が何とも言えず良かった。晶文社はじめ編集者時代の回想は武勇伝として聞き及んでいた話も少なくはなかったが、こんな編集者もう二人と現れない、と思わせてくれるに十分な内容だった。

小沢信男さんも来ておられた(またお会いできて嬉しかった)。六平さんがタッチした最後の企画となった小沢さんの新著、その見本ができていた。装幀は平野甲賀さん、装画はミロコマチコさん。来週には書店に出回るだろうとのこと。そのミロコマチコさんも見えていて、六平さんとのやや滑稽なやりとりを語ってくれた。蟲文庫さんや久し振りに会う東京の人たちが何人もいて六平さんの人徳を思う。月の輪書林でバイトをしていて六平さんと親しくなり仲人をしてもらったという男性が、奥さんが六平さんが亡くなったときにツイッターに書いたという追悼文を読み上げたが、それが素晴らしかった。こんな風に語られる人はそうはいないだろう。
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by sumus2013 | 2013-12-08 20:41 | 古書日録 | Comments(0)

牧野伊三夫のキジ車

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牧野さんが絵付けしたキジ車。

大分県玖珠郡玖珠町
大野原きじ車保存会
http://www.oita-shoku.jp/shoku.php?shoku=3&no=29
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by sumus2013 | 2013-12-07 22:28 | コレクション | Comments(5)

銅脈先生『太平樂府』

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銅脈先生『太平樂府』(書肆長才房/只見屋調助、大井屋左平次、初版は明和六/一七六九)を入手した。元の題簽は失われており見返しの題(銅脈先生/太平樂府/書肆長才房蔵)もない。表紙が替わっているようには見えないから、初版ではない後刷りのようだ。一冊本で巻之一〜三を収める。

序文は、巻頭の行書が応昭子(大笑止)、明朝体の序が北山の業寂僧都(これは天台宗の僧侶で詩人としても知られた六如、実は北山ではなく真葛が原[今の円山公園内]に住んでいた)。本文冒頭の著者名は「胡逸滅方海 こいつめっぽうかい」、校が「恵萊安陀羅 えらいあんだら」。巻末の跋の署名が「葛津貧楽 くわずひんらく」で奥付の著者名が「多和井茂内 たわいもない」。そして版元名が只見屋調助(無銭入場者)、大井屋左平次(大いに余計な口出しをする者)というふうに全編しゃれのめす態度で貫かれている狂詩集である。

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銅脈先生(どうみゃくせんせい)がどういう人か? 

1752-1801 江戸時代中期-後期の狂詩作者。
江戸中・後期の狂詩作者。畠中氏。名は正盈,字は子允,通称は政五郎,頼母,号は観斎,狂号は銅脈先生,太平館主人,片屈道人など。讃岐国(香川県)の都築新助の子として生まれ,京都の 聖護院宮家に仕える畠中正冬の養子となった。那波魯堂に儒を学んだが,明和6(1769)年に『太平楽府』を出版して以来,江戸の寐惚先生(大田南畝)と併称され,狂詩作者として知られた。狂詩集にはこのほか『勢多唐巴詩』『吹寄蒙求』,寐惚との競詠集『二大家風雅』などがあり,その作風は寐惚の滑稽に対し,銅脈の諷刺と評される。狂詩以外にその諷刺の才能は,『針の供養』『太平楽国字解』『風俗三石士』などのような滑稽本にも発揮されている。しかし,単なる諷刺,滑稽の人ではなく,晩年には柴野栗山と和学の古典を考究し,蒲生君平らと陵墓の調査研究に従事するという一面もあった。<参考文献>森銑三「銅脈先生」(『森銑三著作集』2巻),中村幸彦「諷刺家銅脈先生」(『中村幸彦著述集』6巻)[朝日日本歴史人物事典]

うどん県人としては《讃岐国(香川県)の都築新助の子として生まれ》《柴野栗山と和学の古典を考究》というところにひっかかったわけである(栗山も讃岐の人)。『太平樂府』(東洋文庫、一九九一年)の解説は以下のように言う。

《銅脈先生こそは、狂詩史上、推して第一人者となすべき人物である。鋭い観察眼をもってとらえた愚かしくも愛すべき当世風俗の種々相を、時には冷たく見据え、時には暖かく包み、天賦の滑稽の才のもたらす自由自在の表現力と、卑俗を詠じて卑俗に堕さない品格とをもって描き出す作風は、狂詩という様式によらなければ至り得ない種類の文学の世界を現出しており、すなわち狂詩という様式を完全に文学の域に押し上げたものと評し得る。》

う〜ん、そこまでほめるか、と思わないでもないが、たしかに京の人情風俗を斜めから描いて巧みであることは認めざるを得ないだろう。幸徳事件に恐れ戦いた永井荷風が江戸戯作にのめりこみ現実逃避に走ったことは先日少し触れたが、その手本が大田南畝であり、荷風には南畝研究もある。その東の南畝(寝惚先生)に対して、西の横綱が畠中観斎(銅脈先生)だった。

《滅方海は河東の隠者なり。常住、路次に鎖[じょう]を下し、自ら閉戸先生に比すとは、昼の間の事なり。若し夫れ、行水終り、夜食過ぎ、已に夜に入るに至っては、即ち梟のごとく起り、熊のごとくに歩んで、間[ひそか]に当世の穴を索って、以て遂に是の集を成す。》(跋より)

夜になると「梟のごとく起り、熊のごとくに歩」む生活をしながら次のような狂詩を作った。

  河東夜行

 三絃声静後過迎
 さみせん こえしずかなり ごすぎのむかい
 回使挑灯夜半明
 まわしのちょうちん やはんあきらかなり
 番太逐獒怒擲棒
 ばんた いぬをおうて おこってぼうをなげ
 女郎送客留含情
 じょろう きゃくをおくって とどめてじょうをふくむ
 按摩痃癖吹笳去
 あんまけんぺき ふえをふきさり
 温飩蕎麦麪焚火行
 うどんそばきり ひをたいていく
 月浄風寒腹已減
 つききよく かぜさむうして はらすでにへる
 京師紅葉懐中軽
 みやこのもみじ かいちゅうさむし

語句の解説は省略。歓楽街の夜が更けた様がまざまざと描かれている。「按摩痃癖吹笳去/温飩蕎麦麪焚火行」などは時代劇映画のお定まりのシーンとも思える大いなるマンネリズムだが、おそらく当時としては新奇な情景描写だったのかも知れない。

しかも畠中観斎が『太平樂府』の諸作を成したのは十七、八歳の頃だったというから、ませガキもませガキ、ランボオもどきだったのだ。また、単に滑稽味だけをあおるのではなく、地方から都会に働きに出て来た若い娘が徐々に堕落してゆく姿だとか、貧しい私娼のありさま、学生の貧乏暮らし、田舎の農家の暮らしなど、おもしろうてやがて哀しいモチーフをも求めている。それはむろん政道批判というほどに尖ったものではなく、その一寸手前でとどまっているあたり、特定秘密保護法よりもきびしい掟に縛られていた社会ではいたしかたないのかとも思う。

検索してみると近年、太平書屋から斎田作楽編で『銅脈先生全集』上下が刊行されている。これは欲しい…けれど少々高価なり。

太平書屋新刊案内
http://beauty.geocities.jp/taihei_ganq/taiheihon/sinkan.html
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by sumus2013 | 2013-12-06 21:41 | うどん県あれこれ | Comments(0)

季刊湯川 No.7

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『季刊湯川』第七号(湯川書房、一九八〇年一一月)を頂戴した。深謝です。

季刊湯川五冊
http://sumus.exblog.jp/21213166/

五冊に本冊を加えて六冊になった。あとは第六号のみ。この第七号は岡田露愁の木版画集『魔笛』の特集号。塚本邦雄「月光變」はモーッアルト「魔笛」をめぐるエッセイ風のコント。たとえばウィーンの国立劇場(スタツツオーパー)で出来事を回想するくだりなど、ちょっといい。

《「貴方、鳥刺しで何か聯想してるんぢやない? あててみせようか、私も丁度今考へてゐたところなんだから。『神州纐纈城』の発端に近いあの場面を。『いざ、鳥刺しが参つて候。鳥はゐぬかや大鳥は。はあほいのほい』と歌ひながら現れるんだ、たしか」と。古今東西、掛聲や合の手は共通するところもあらうが、先程フィッシャー=ディースカウのパパゲーノが、「鳥刺し男はおれのこと、常住愉快に、ハイサ、ポプサッサ」と、朗郎たる聲を聞かせてくれた直後だけに、その囃子の〈heissa, hopsassa!〉の綴り字まで、頭に思ひ描いて、頷いたことだつた。》

魔笛 Die Zauberflöte_3 俺は鳥刺し(パパゲーノのアリア)
http://www.youtube.com/watch?v=5LOkaQNFhms

うむ、たしかに「ホイサッサ」と聞こえなくもない(笑)。

三浦淳史はデヴィッド・ホックニーが舞台装置を担当したロンドンでの「魔笛」を取り上げて、まだ日本ではそれほど有名ではなかったホックニーについて語っている。有田佐市は小林秀雄の『モオツァルト」を雑誌『創元』で初めて読んだときの感動について。そして杉本秀太郎による岡田版『魔笛』についての期待を表明する一文。

次に岡田版『魔笛』の広告があり、最後に「雁名告造」の「露愁版画の魅力」という文章でしめる。雁名だから仮の名なので、湯川さんが執筆したのだろうか?(湯川さんではありませんでした)、なかなか熱の入った名文だ。

《「筆勢が感じられる」。岡田露愁木版画展は新鮮な驚きだった。そこにくり拡げられた木版画の表現は木版画技法の常識を無視した大胆、奔放な摺り、彫版、油製インクの使用によるマチエールの迫力、インクを必要以上に版木に塗り、その為、版木から版画紙を話した際に出来たと思われるクレーターの様なインクの跡、飛散った風に見えるインク、それらがすべて露愁氏の繊細な感受性の上に支えられ、神話、世紀末の人物像の生き生きとした表現に奉仕させられて、現代に甦って筆者に語りかけた。》

《天才モーツァルトがその生涯の果に咲かせた人類愛を崇高な迄に唱いあげた傑作オペラ「魔笛」。現代も続いていると言われる秘密結社フリーメーソンの神秘的な理念、夜の女王の存在の不可解さによって難解とされるドラマが露愁氏によって木版画された。そこに描かれる登場人物のなんと魅惑的なことか、六〇センチ×四七・五センチの大画面にパパゲーノを、三人の侍女達を、深きドイツの森の夜を舞台にメルヘンの響きを谺させる。
 露愁と言う古風な名を持つ若き画家は、今、古き革袋に馥郁たる香りに包まれた新しき酒「魔笛」をそ注ごうとしている。》

湯川さんは、実際、モーツァルト好きだった。事務所にはCDの全集が置いてあったように思う。他にはバッハも揃っていたか。
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by sumus2013 | 2013-12-05 21:10 | 古書日録 | Comments(2)

ルル子

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池谷信三郎他『ルル子』(平凡社、一九三〇年六月一五日)。昨日、兵庫県美の展示にこの本が第二部のいちばん最後に並んでいた。残念ながら、これは小生の本ではない。日本近代文学館でカラーコピーしてきたもの。展示本も同館所蔵本だったが、たしかこの本が二冊あって、小生が閲覧したこの本ではない、もう一冊のようだった。

一九三〇年六月に蝙蝠座が築地小劇場で第一回講演として上演したのが「ルル子」だった。すなわち中村正常、池谷信三郎、舟橋聖一、坪田勝、西村晋一の五人がルル子という女性を主人公にしてコントを書いて上演した。その舞台装置を担当したのが、東郷青児、阿部金剛、佐野繁次郎、古賀春江。その台本である。

どうしてわざわざこの本を閲覧したかというと、しばらく前に以下の原稿を入手したため、確認しておきたかったのである。

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ただし今日出海の序文四枚と中村正常の「「馬鹿の標本」座談会」三十二枚が綴じられているだけで、中村の原稿は筆跡が二種類、前半は誰かの清書原稿、後半が中村の自筆かと思われる。今日出海は序文にこう書いている。

《ヴェデキントの「パンドラの匣」と「地霊」が組み合つて出来た戯曲「ルル」が翻案された。といふよりは換骨奪胎されてルル子なるニホン娘が出来上つた。戯曲「ルル子」の中にヴェデキントらしい何ものかを探すとしても徒労だから、序文で断はつて置く。》

《最後に蝙蝠座の事務と責任を総て一手に引き受けてなほ綽々たる主事小野松二にルル子が上梓されるにあたつて、一言謝意を述べて置かう。》

「最後に」以下は抹消されている。版本にはないのだろう(今、コピーした序文が見つからないので断言できませんが)。今はまったく停滞してしまっている小野松二研究だが、とりあえずこのブツを確保しただけで満足しているしだい。

今日出海は「芸術放浪」という自伝的エッセイで蝙蝠座のことに少しだけ触れている(『芸術新潮』一九五一年四月号)。学生時代(東大仏文)、築地小劇場ができて非常に大きな感化を受けた。池谷信三郎、村山知義、舟橋聖一、古沢安二郎らとともに「心座」を結成してユージン・オニールやルノルマンを上演した。その後、心座は分裂して左傾した村山と提携したのが「前進座」となる。

《私が「心座」に関係してゐたのは学生時代のことで、後に池谷信三郎、中村正常等と蝙蝠座を組織もしたが、この時も何等の資金もなく、築地で旗挙げ公演をし、昔の心座時代の経営法で格別欠損も作らなかつた。》

江戸東京博物館に所蔵されている蝙蝠座のポスター。

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蝙蝠座について触れている文献としては西村晋一「蝙蝠座のころ」などいろいろあるようだ。なかでは体験的に語ってくれて面白いのが中村知會『中村さんちのチエコ抄』(主婦と生活社、一九八四年四月二〇日)に収められている「蝙蝠座の頃」。中村知會の当時の名前は橋本千恵子。

《「築地小劇場」が分裂して、私はしばらく、おとなしい生活をしていたのですが、だんだんと頭と体がうずうずしてきました。
 そんなときに、今日出海さん、小野松二さん、坪田勝さん、西村晋一さん、そして、後に夫になる中村正常たちが、劇団「蝙蝠座」を旗揚げしたのです。昭和五年二月のことです。》

《舞台装置や美術のメンバーには、阿部金剛さん、東郷青児さん、佐野繁次郎さん、古賀春江さん、そして紅一点の、佐伯米子さんがいました。
 「蝙蝠座」の女優陣には、特別出演の阿部艶子さんの他、毛利菊枝さん、高見沢富士子さん(現・田河水泡夫人)、小百合葉子さんたちがいました。》

《「蝙蝠座」は神田の〈こまや〉という洋品店の二階を借り、事務所兼稽古場にしていました。いわば、〈こまや〉の主人は「蝙蝠座」のパトロンでもあったのです。》

《〈こまや〉の向かい側に〈フルーツ・パーラー万惣〉があって、稽古の終わったあと、「築地小劇場」から強引に「蝙蝠座」に入座させたボーイ・フレンドの高木丈二たちと、そこで楽しい時間を過ごしたものです。》

《「蝙蝠座」の第一回公演は、〈女優ナナ〉を演ることになりました。
 主役は阿部艶子さんにきまり、相手役にはなんと私がきまったのです。》

《例の〈パピリオ〉の文字をデザインなさった佐野繁次郎さんは、滝沢[修]さんとはまた違った味のメーキャップをなさっていました。》

《作家たちの思い入れで、艶子さんが〈女優ナナ〉の主役に引っぱり出されたことが、朝日新聞を初め、その他の新聞にも大きく取り上げられ、公演は連日満員の盛況ぶりでした。
 劇中の艶子さんの水着姿に、観客の視線は熱く注がれたのです。
 といっても特別につくらせた体をすっぽり包み込む肉色のタイツの上から、水着をつけたという、今では考えられないスタイルでしたが、当時としてはセンセーショナルなことだったので、話題になりました。》

〈女優ナナ〉などいくつか勘違いがあるようだが、当時の様子が目に見えるようだ。高見沢富士子は小林富士子で小林秀雄の妹。阿部艶子は作家・三宅やす子の娘で画家・阿部金剛の妻(阿部と結婚したのは昭和四年十二月)。中村が言及している朝日新聞の記事は昭和五年六月三日に掲載された「阿部艶子の初舞台」らしい。三宅艶子(=阿部艶子)のエッセイ『ハイカラ食いしんぼう記』(中公文庫、一九八四年)に蝙蝠座のことが一箇所だけ出て来ていた。あとがき。

《この本に、佐野繁次郎氏にカットを描いていただけたことが、私にはほんとうに嬉しい。佐野さんお忙しい中をありがとうございました。
 佐野さんとは、数えると五十年来のお友達で、いろいろ御縁も深い(蝙蝠座の芝居のメークアップをしていただいたこともあるし)。夫だった阿部金剛と同い年で、二科展の初入選(遠い昔話だけど)も同じ年だった。》

蝙蝠座については下記論文が詳しい。

中野正昭「新興芸術派とレヴュー劇場-蝙蝠座、雑誌『近代生活』とカジノ・フォーリー、ムーラン・ルージュ-」
http://www.researchgate.net/publication/33015659_--
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by sumus2013 | 2013-12-04 21:12 | 古書日録 | Comments(0)

あなたの肖像ー工藤哲巳

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阪神電車で梅田まで戻る途中、梅田の一駅手前「福島」で下車し国立国際美術館へ。ビルばかり林立する風景の中を歩いて国際美術館の地下へもぐる(美術館全体が地下にあるのです。下の写真の右端に見える帆のようなものが出入口)。

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旧知の学芸員Sさんから「工藤哲巳をやりますから」とかなり前に聞いていたのでこれは相当リキが入っているなと思って楽しみにしていた。その予想を裏切らない大規模な展示だった。とくに初期の作品、ポロックのドリッピンと少し似たような色とりどりの絵具(プラスチック樹脂?)をクルクルと輪をつくりながら重ねていったような、ある意味、きわめて絵画的な作品が新鮮で、また質的にももっとも充実しているように思えた。立体も初期の方が、こけおどしな感じがあまりなくていい。

外国で制作するようになってから、有名にはなったのだろうが、作品そのものはあまり気持ちのいいものではない。というか、こういうふうにスタティックに美術館の空間に並べて置いただけでは、工藤の意図したところはほとんど伝わっていないのではないかとも思う。ただ、しかし、ではどうすればいいのか、ということになると、やはりモノを並べるしかないので、それはいたしかたないジレンマかもしれない。とは言え、鳥かごシリーズがズラリと一室(というか祭壇状)に並べられていたのにはある意味感動した。こんなに作っていたんだ(売れ線の作品だったのだ)という驚きもあったが、やはり独自の世界をもつ作家だと思ったのである。

個人的に、作者生前では一九八三年九月に京都の galerie16 での個展を見た。「天皇制の構造について」と題されていた。出品目録があるので間違いない。その前年五月の同じ画廊でのカタログも残っている。これらを含めポスターやDMなども丁寧に展示されていたのが良かった。

あなたの肖像ー工藤哲巳 国立国際美術館
http://www.nmao.go.jp/special/
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by sumus2013 | 2013-12-03 22:06 | もよおしいろいろ | Comments(0)