林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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サンタ・レジーナ

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少し前に某書店で求めた聖画像。ブリキの板に描かれた民画である。タテ25cm。おそらくメキシコあるいはラテンアメリカのどこかで描かれた「レタブロ retablo」であろう。フリーダ・カーロはレタブロを蒐集していたそうだが、たしかにこの素朴な描写にはカーロの強靭さと繊細さに通じる一種独特な魅力がある。

レタブロ(ラテン語「後ろの絵」から)はスペイン語で、中世以来、祭壇の背後に飾られた聖者像などのパネル画を指した。十八世紀後半、スペイン帝国が統治したラテンアメリカへ持ち込まれたが、そこでは民衆のための小さな宗教絵画のことを意味するようになり、聖者像の他にエクス・ヴォート(ex-voto 神の加護に感謝するために奉納する絵、絵馬)をもおしなべて「レタブロ」と呼んでいるようだ。

この聖者は右手に棕櫚の葉を持っている。シュロは殉教者のシンボル。足下には《Santa Regin[a] Brigen Mralir》(?)と書かれている。サンタ・レジーナが聖者の名前だろう。後半は不明(御教示をまつ)。


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サンタ・レジーナはスペイン語の呼び方だが、調べてみると元はフランスの殉教者「サント・レーヌ Sainte Reine」のようである。二五二年、ローマ帝国支配下のフランス中東部のアレジア城塞の近くで羊飼いをしていたレーヌという名前の十六歳の信心深い少女がいた。総督だったオリブリウス(Olibrius, または Olimbrius)が彼女をみそめてわがものにしようとした。けれどもレーヌは結婚も改宗もきっぱりと拒み、首をはねられてしまったという。

当然ながら、まだキリスト教は公認されていなかった(公認は三一三年のミラノ勅令による)。後にその地方ではサント・レーヌを崇める宗派が生まれた。独立運動のシンボルだったのかもしれない。アレジアのアリーズ・サント・レーヌ(Alise-Sainte-Reine)村ではサント・レーヌを讃えるために受難を再現した秘儀劇が九世紀以来行われており、それは今日まで継続されているフランスの最も古い秘儀劇(le plus ancien mystère célébré sans interruption en France)とされているようだ。

レタブロに関する情報は下記に。

山本容子美術館 フリーダ・カーロ博物館

芹沢銈介美術館 ブリキに描かれた宗教画・レタブロ

Muntkidy 聖カタリナ像

***

クリスマスソングをメールで頂戴しました。ありがとうございます。ナイス!

Eddie Higgins Trio - Christmas Songs

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by sumus2013 | 2013-12-25 21:05 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

Die schönsten deutschen Bücher 2013

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『Die schönsten deutschen Bücher 2013 The Best German Book Design 2013』(Stiftung Buchkunst, 2013)。こちらも頂戴しました。いただいてばかりで申し訳ないです。

印刷博物館(http://www.printing-museum.org)で「世界のブックデザイン2012-13」展が開催されているが、そのドイツ篇とでもいうのか、ドイツのベスト・ブック・デザイン集。以前にも紹介したことがある。

かっこいい本『THE BEST GERMAN BOOK DESIGN 2010』

このハードカバーの片側だけを接着したスイス製本は『書影でたどる関西の出版100』(創元社、二〇一〇年)と同じだ。最近よく見かけるようになった。もちろん『関西の…』がオリジナルというわけではないのは言うまでもないが、その流行に多少の影響は与えたと勝手にうぬぼれていても許してもらえるだろう。

この余白に黒ベタというのがどうも環境にやさしそうではないし、インクもメチャ食いそう。巻頭の大きい図版は図版の部分だけにグロス(光沢)コーティングしてある。これは目新しいかも。

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小さく見開きページをズラリと並べるというのも、あまり見た記憶がない。書影を小さくして沢山並べるというのが二十一世紀になってからの雑誌などの図版レイアウトの主流である。インターネットの影響なのだろうとは思うが、これはこれでチャンスがあれば真似して見てもいいのかなと……。




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by sumus2013 | 2013-12-24 21:08 | おすすめ本棚 | Comments(0)

昭和モダン 絵画と文学 1926-1936

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『昭和モダン 絵画と文学 1926-1936』(兵庫県立美術館、二〇一三年一一月)を頂戴した。先日このブログに手元不如意につきパスすると書いたためクリスマスプレゼントとして送ってくださった。誠に有り難いことである。

昭和モダン 絵画と文学 1926-1936
http://sumus2013.exblog.jp/21015492/

黒島伝治の本はこのページに出ている。
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それから『ルル子』はこちら。


この図版を良く見ると、小生が日本近代文学館で閲覧したものと同じ本のようだ。ただ、展示されていたのは、これではなかったように記憶している(どうでもいいことではありますが)。

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佐野繁次郎の舞台装置の写真も載っている。これらは佐野展の図録にもモノクロで掲載されていたと思うが、これくらい大きいと分りやすくていい。東郷青児、阿部金剛、古賀春江の装置ももちろん出ている。比較してみると佐野は看板の文字を多用しているのが特徴的である。後年の作風を考えると納得できるように思う。


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by sumus2013 | 2013-12-24 20:45 | おすすめ本棚 | Comments(0)

ジャック・カロ

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by sumus2013 | 2013-12-24 16:01 | もよおしいろいろ | Comments(0)

明治の下谷区

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明治時代の「下谷区」の地図を手に入れた。現在の台東区から文京区にあたる。ただし、周縁部が切り取られているため、発行年等は不明である。不明ではあるが、地図上に書き込まれた施設の沿革を調べてみると、おおよそ何年頃の地図なのかは推測可能だ。

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注目は「教育博物館」(現在は東京芸大の敷地)。明治十年にこの名称となり明治二十二年に閉館している。ということは、二十二年以前の地図だということは確かだろう。多少のズレ(発行時には閉館した後だったとか)はあるとしても、そう大きな違いはないはず。

砲兵工(現在の東京ドーム、旧水戸藩邸)の名称は明治十二年に使われ始め、陸軍病馬厩分厩(現在の御茶ノ水女子大、跡見学園あたり)は明治十三年から二十三年まで存在(以後は大塚陸軍弾薬庫)。博物館(コンドル設計の建物)および動物園は明治十五年に開かれた。中山道鉄道(京浜東北線)は明治十七年に上野・高崎間開通。帝国大学は「帝国大学」という名称では明治十九年に創設された。ということは、それ以上古くないということである。明治19〜22の間。

この地図ではまだ中央線の前身である甲武鉄道が見えない。新宿・牛込間が明治二十七年、飯田橋まで延びたのが翌年だから、当然だと言える。常磐線が土浦鉄道と隅田川鉄道に別れているのも興味深いが、この点については検索してもはっきり分らなかった。

それにしても上野の北から西にかけては土地が空いていたせいでもあろうが(樹木や畑地の多いこと!)、明治前半には新しい建物がどんどんできていたことが分って面白い。明治の小説など読む時にはこの地図を頭に入れておかないといけないのかもしれない。






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by sumus2013 | 2013-12-23 22:09 | 古書日録 | Comments(2)

大坊珈琲店

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大坊勝次『大坊珈琲店』(大坊珈琲店、二〇一三年一二月一日)。

年内で閉店と聞いて驚いた。昨秋、ウィリアムモリスで個展をさせてもらっときに大坊さんが来てくださって、モリスさんから紹介されて挨拶をした。その滞在中に一度おじゃましようと思いつつ機会を逃してしまった。年内閉店を知っていれば、十一月の上京のときにうかがうこともできたのに…。思い立ったときに行動しておかないと取り返しがつかないという教訓、いまさらながらですが。

店内や器物を撮影した写真(写真=関戸勇)と大坊さんによるエッセイ「大坊珈琲店マニュアル」がいっしょになった布装のハードカバーが一冊。そして常連の皆さんが閉店を惜しむ文章が一冊。二冊セット。それを灰ボール紙でくるんである。これは『帰らざる風景』と同じ、というか「まねしてもいいですか」と大坊さんからみずのわ氏へ問い合わせがあり、快諾したとのこと。  


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平野遼の油彩画が掛かる店内。



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「大坊珈琲店マニュアル」によれば愛用のポットは手作りだという。四十三、四年前、大坊さんはカフェ・ド・ランブルで見た琺瑯の口細のポットからお湯が糸のように揺れながら落ちて行く線に感動した。

《その頃そのポットはランブルで販売されていませんでした。そこで普通に金物屋さんで売られているステンレスのポットを購入し、注ぎ口を金槌で叩いて細くしました。これが思った以上に具合が良く、大きさも重さもピタリ。四十年も使い続けることになりました。》

ということで、妻がコーヒー用に買っていたわが家のステンレスのポットの口を金槌で叩いて細くしてみた。しかし、たしかに細くはなったが、糸のように落ちない。口先の角度なり幅なりがきちんと経験に裏付けされて加工されていないと使い物にならないことがよく分った。簡単そうに大坊さんは書いておられるが、金槌で叩くだけではこの写真のようにはできないと思う。

「大坊珈琲店マニュアル」には豆の配合、ローストの塩梅、お湯の注ぎ方、まで細かく具体的に書かれている。けれども、その通りにやってもその通りにはできそうもない。まるで錬金術書を読んでいるようだ。店内の設計からしつらえ、器や花にいたるまで、すべてにおいてこだわりぬいた店である。こだわりに理屈はないし、説明して説明し切れるものでもない。そのこだわり具合を読み解くのはたいへん興味深く、そして大坊さんの文章も歯切れがいいのだが、やはり大坊珈琲店は大坊さんでなければとうてい実現できないものだったんだな、と思わせられるばかりである。

客についても著名人を含め何人かの人たちが描かれてる。村上春樹もよく来ていたようだが、向田邦子のくだりが読ませる。

《私は向田邦子さんという人が何をなさる人なのか全く知りませんでした。お名前は知っていました。開店当時、定期的にDMを作る計画で、ノートにお客様の名前と住所を書いてもらっていましたので、三番を飲まれる、スッといらして、しばらくおられ、スッと帰られる方でした。》

《その年の秋に『父の詫び状』が出ました。たちまち好きになりました。翌年に『眠る盃』。翌々年に直木賞。
「直木賞おめでとうございます」
 と言いますと、
「アラ、ソンナコト……イエ、イエ、イイノヨ……」
 とおっしゃいました。
 知らないこともないのでしょうが、
「シェリー酒とはどういうものですか」
 と聞かれたので辛口のものを差し上げますと、
「あら……」
 とおっしゃり、ついでに甘口のものも差し上げますと、
「まあ……」
 とっしゃいました。
 ある時は、
「このごろの野球の成績はいかが」
「あいかわらずよくありません」
「ゴブウンヲ、イノリマス」
 とおっしゃいました。
 夏休みで北上山地へ行っている時に訃報を聞きました。》

もし『続喫茶店の時代』を書くなら、とてつもなく貴重な一冊となるだろう。

***

そうそう、喫茶店と言えば、「ニュース喫茶をご存知ですか」というメールをもらった。知りませんでした。これがチラシ。《退屈しない待ち合わせ場所と新聞や週刊誌で好評の本邦最初のニュースタイルの喫茶室》と謳っている。

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数寄屋橋交差点の北西角(宝くじ売場のあるところ)側の西銀座デパート内にあったようだ。正式名称は「西銀座ニュース喫茶」。封切ニュース映画上映、一流バンド連日演奏、最高の立体HiFiレコード音楽……。エルスベート・シグムント主演「アルプスの少女ハイジ」(一九五二年)の宣伝が載っているので五〇年代に実在したということが分る。

ニュースと音楽、これは西洋のカフェを模倣した時代から「喫茶店」にはなくてはならぬものだった(ヨーロッパのカフェは新聞とともに発展したと言っても過言ではない。詳しくは『喫茶店の時代』参照されたし)。五〇年代、こういう喫茶店が登場するというのは世の中が落ち着いてきた証拠なのかもしれない。



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by sumus2013 | 2013-12-22 20:28 | 喫茶店の時代 | Comments(4)

白磁小皿

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白磁の小皿を求めた。直径九・五ミリ。わずかにキズあり。一枚百円。そう古いものでもなさそうだが、昨日今日できたものでもないだろう(朝鮮半島のものかもしれない)。真ん中にラーメン鉢につきものの「喜」文様がある。

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「喜」とは、『字統』によれば、以下のような字義になる。

《祝祷を収める器。神に祈り、鼓をうって神意を楽しませる意である。嘉は喜に力(耜[すき])を加えた形で、耜を清めるために祝祷し、鼓楽する意。》《すなわち神楽であって、人が喜笑する字ではない。》

とりあえず、ギョーザのたれを容れるのにピッタリだった。





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by sumus2013 | 2013-12-21 20:42 | コレクション | Comments(0)

捨身なひと

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小沢信男『捨身なひと』(晶文社、二〇一三年一二月二〇日、ブックデザイン=平野甲賀、カバー絵=ミロコマチコ)読了。

http://www.shobunsha.co.jp/?p=2955

花田清輝、中野重治、長谷川四郎、宮武外骨、菅原克己、辻征夫……いずれ劣らぬ「捨身なひと」たち。小沢信男が語り部として冥界より引き戻し、古くて新しい魅力を輝かせる。純粋に生きる、生きつづけることは、かくも困難なことなのだろうか、捨身でなければできないことなのだろうか。かつての日本ではそうだった、そしてこれからの日本でもそうならないとは限らない。

ぶれないオールド・サヨクこと小沢信男が書く、語るからこそ、その言葉は心に沁みる。例えば、長谷川四郎の小説「張徳義」のラストに対して「スターリンの軍隊が解放軍なんてナンセンス」という批判が出ることがある。しかし、

《読書会などでは、このてのステレオタイプのご意見を賢そうにおっしゃる向きが、たいていおいでです。そのさいの私の言い分を、念のため書きそえれば、広島や長崎に原爆を落とした元兇のアメリカ軍でさえ、日本軍閥を倒してひとまず解放軍だった実績はある。世界のいたるところで国境紛争は絶えねばこそ、国境がどんどんうすらぎ諸民族が陽気に交流する未来が、なおさらに人類の課題でしょう。ゆくてはるかなとはいえども、とりあえずはEUをみよ。またキューバ人民の陽気さをみよ。この回答もオールド・サヨクですか。それがどうした。》(作品集を編みながら)

あるいは花田清輝が終生こだわった芸術の「共同制作」について。

《みんなで仲良く、なぁなぁの没個性な作品をつくりましょう、というのではない。各人が懸命に自己を表現しながらしかも共同の一個の作品だ。すると、どうなるか。このさい急いで、あけすけに言ってしまえば、文芸が作家さまのお作りになる私有財産として、やたらと奉っているのを、その仕組みが近代というやつなんだが、それをワァーッと乗りこえちゃおう、ということです。
 欧米では著作権を七十年に引きのばしたとか。日本もおっつけそうなるだろうこの現代の滑稽さ。なぜ乗りこえる必要があるのか。ほんらい万人のものに豊かにひらけているはずの芸術を、私有財産に囲いこみ、文化資源というひたすら儲けの具にする、その制度が、根性が、貧しいからですよ。》(『泥棒論語』プロローグ考)

しなやかに激しい文章だ。これすなわち小沢節、小沢さんの生き方である。これらの短い引用からでも「捨身のひと」にはまず著者本人を数えなければならないことがよく分るのだ。

《辻征夫と出会い、彼の友人や、友人の友人や、詩人たちが集まって、おりおりに句会をひらいて十年になります。現代詩人が、古色蒼然たる前近代の定型俳句をつくるなんて堕落だ、という外からの批判や、自身の内なる抵抗もあったようです。それにしてはおしなべて、嬉々としてやってくるのは、なぜだろう。》(畏敬の先輩、敬愛の後輩)

《さよう、余白句会は終始遊びのグループです。ただし各位に微妙なおもいはあるだろう。なかには文学運動の一環のつもりの馬鹿も一人いて、そうです、おくびにもださないけれども私はそのつもり。これにかぎらず、することなんでもそのつもりの傾向があるけどね。》(同前)

そういう文字通りの共同制作(連句のような)を小沢さんは想定していたのかもしれないけれど、じつはいかなる文学であれ何であれ、誰にも何にも借りていない表現というものは在り得ないのではないだろうか。そう言う意味では、芸術は(人はと言い換えてもいい)単独では存在できない。

《長谷川四郎も一九八七年に死んでしまった。けれども、死んでも死んでも生きているのが、すてきな文学のすてきなところです。》(原住民の歌ーーデルス・ウザーラ)

《死んだ人は、さながら生きてたときのように死んでいる、というのが、このごろの感想ないし痛感です。》(死者とのつきあい)

そう、みごとに死んだ人たちと共同制作してるじゃないですか、小沢さん!

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『捨身なひと』を読んだら、無性に花田清輝を読みたくなった。今、わが家にはこの『復興期の精神』(講談社文庫、一九七四年三刷)しかないようだ。栞がはさんである。そこを開くと、偶然にもこんな文章が目に留まった。

《生の現実性によってではなく、いわば生の可能性によってとらえられており、ポアールのあたたかい空気を見捨て、街頭を吹きすさぶつめたい風のなかに決然と身をさらす。ただ生きているところの現実は、すでにかれらにとっては非現実であり、生きることもできず、死ぬこともできない現実が、かれらにのこされた唯一の現実なのだ。これが今日の現実であり、我々の現実であると私は思う。そこでは、「現実的な」打算が無意味なものとなり、必然性の上に安住することは許されず、はたして人間にとって自己保存慾が本質的なものか、自己放棄慾が本質的なものか、容易に解決しがたい問題となる。私はこのような我々の生の可能性を、鍛えあげられたまま、まだ一度も血ぬられず、青い光をはなちながら冴え返っている、眉間尺の剣のようなものだと考える。我々はこの剣を背負って、歩きだす以外に手はないのだ。これが我々の「自由」である。》(ブリダンの驢馬)

う〜ん、やっぱりカッコいい。要するにこれは実存主義というやつであるが、この本について小沢さんはこう書いている。

《花田清輝といえば『復興期の精神』で、六十年前の、敗戦の翌年に出版された。衝撃でしたねぇ。全面戦争のまっただなかで書いていて、それが戦後のわれわれを鼓舞しました。誰もなにもあてにならない混迷のときに、めざましい人間の声をひびかせていた。》(『泥棒論語』プロローグ考)

「われわれを鼓舞し」たということ、それすなわち「共同制作」なのである。

最後に脱線。「ポアールのあたたかい空気」と花田の文中にある。このポアル(poêle)は「暖かい部屋」の意味らしい。花田はこのくだりに先だってポアールとはデカルトの書物に出ている言葉で《悠々自適、かれがその画期的な労作のペンをはしらせたのは、このポアールのあたたかい空気につつまれてであった》と書いている。検索してみると『方法序説』第二部の初めの方に出ているらしい。

 « J'étais alors en Allemagne... Je demeurais tout le jour enfermé seul dans un poêle où j'avais tout loisir de m'entretenir de mes pensées. »

ドイツでは暖かい部屋に一日中こもって思索にふける生活をおくっていた……とデカルトさんは言う。このpoêle」は「暖炉」ではなくドイツにおいては「煖房のきいている部屋」という意味だそうだ(花田はどちらでもいいと書いている)。書を捨てよ、街へ出よ、かな。戦中においてはそれは剣を負う(比喩的にも文字通りにもとれる)ことだった。こういうのを読むと小林秀雄なんか目じゃないという気がしてくるのだなあ(小沢節が染るんです!)。

いろいろ考えさせてくれる『捨身なひと』でありました。


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by sumus2013 | 2013-12-20 21:03 | おすすめ本棚 | Comments(2)

墨場必携 増補題画詩集 森琴石編集

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しばらく前に森琴石編輯『墨場必携 増補題画詩集 五』(吉岡平助、北村宋助、吉住音吉、明治十三年九月十六日)を某氏より頂戴した。見ての通り長辺が8.2cm、短辺が5.7cmとほぼ名刺と同じくらいの大きさ、袖珍本(というより豆本に近い)である。非常に緻密な線描による銅板印刷。

森琴石については「森琴石.com」が詳しい。そこで検索すると『題画詩集』には何種類も版があるようだ。目下、上中下続の四冊本(吉岡・北村・吉住、明治十三年)、増補版・壱貳三四の四冊本(同前)、上下二冊本(山田浅治郎、明治十三年)、新編四冊本(青木恒三郎、明治二十四年)、新編四冊本(青木恒三郎)異装本、の五種類が紹介されている。

森琴石.com 調査情報
http://www.morikinseki.com/chousa/h1811.htm

ということでこの「五」は寸法が増補版四冊本(明治十三年?)とまったく同じなので、じつは増補版は五冊本だったのかも知れない(?)。しかも内容は「題画詩集附録 題跋落款小式」である。要するに、絵のなかにどういうサインを入れたらいいのか、例を挙げて示している。

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誰それが描いた、という意味だけでも、試筆○○、作於…○○、写此○○、揮毫…○○、○○絵(エガク)、○○写、写○○、弄筆○○などと色々なヴァリエーションがある。これを袖にしのばせて揮毫するときの参考にしたというわけだ。アンチョコ。

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巻末の書店一覧、「発兌書肆」はおそらく「取り扱い書店」くらいの意味と考えていいのだろう(?)。奥付に「出版」とあるのが今日の「発行」に近い。「発行」は明治六年の新聞紙条例に初めて現れ、明治二十年の出版条例に用いられたが、明治三十二年の著作権法ではっきり「発行」の語が明定された(『出版事典』出版ニュース社)。

大阪は別として、岡山、和歌山の取り扱い書肆が多いのが徳川時代以来の文化的な背景を感じさせる。讃岐高松は一軒だけか…。

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by sumus2013 | 2013-12-19 20:24 | 関西の出版社 | Comments(0)

短冊三枚


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最近求めた古短冊。まず俳句で「山端を誘ひに来るや時鳥」。署名は「喜明?」

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こちら「水鳥」の和歌は「浪たてハ阿さり争ふかたはらに/うちとけてぬる鶴ハも……」。署名は「千野?」

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「三良」とあるからは酒井三良かととびついたわけだが、ネット上で見る「三良」とはどうも筆跡が違うようだ。ただし「米代(よねだい)」が会津の地名だとすれば、河沼郡柳津町出身の三良であってよいはずである。筆跡は時代によっても違ってくるので難しい。




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by sumus2013 | 2013-12-18 21:16 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)