林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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古書店レッテル新収品より

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トークの直後に某氏より古書店(新刊書店もあり)レッテルを頂戴した。これは嬉しい頂き物。その一部を紹介しておく。

左上の「BOOKS/TENRIJI…」は天理時報だろうか。かなり珍しいものかもしれない。その下「河鍋書肆」は《牛込区早稲田鶴巻町303》にあり理工学書専門だったようだ(1933年版古本年鑑)。「さかえ書房」は吉祥寺。金子光晴の愛した古書店として知られる。「青玄堂書店 赤坂区青山南町五丁目六六番地」は不明。西荻窪の森田書店はまだあるのだろうか(休業状態とのことだが?)。下北沢白樺書院は健在。銀座の近藤書店は閉店が話題になった。

近藤書店の書皮
http://sumus.exblog.jp/8927345/

六本木・誠志堂書店も同じく閉店がニュースになった新刊書店。右側いちばん上、近藤書店は少し古めのレッテル(微妙にデザインが違う)。二番目は神田一心堂書店。健在。小生も学生時代によく覗いた記憶がある。「三昧堂」は古くからの美術店。その下は言わずと知れた田村書店。次の「一新堂書店」も渋谷区笹塚に健在のようだ。銀座・奥村書店も有名店だが、このレッテルには《中央区銀座東2の8/中央区新川2の4》と二店舗の住所が記されている。新川は隅田川の河口、箱崎町の南になるようだ。手許にある昭和六十二年四月一日現在の『全国古書籍商組合連合会・会員名簿』によれば、奥村書店は銀座3-9-2(奥村総一)と銀座2-10-11(奥村邦男)の二店舗ある。住所が二丁目と三丁目だが、どちらも松屋裏にあって道路を挟んで向かい合っていたはずだ。銀座で個展をしていた頃には何度かのぞいたことを覚えている。その後どちらも移転した。最後右下「延山堂書店」を先の会員名簿で見ると住所は《大田区上池台1-19-7》店主は渡辺太郎吉である。


古書店レッテル新収品(2012-05-27)
http://sumus.exblog.jp/18354953/

daily-sumus 主なレッテルの記事
http://sumus.exblog.jp/17825230/
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by sumus2013 | 2013-11-22 21:51 | 古書日録 | Comments(0)

多田進[オリホン]と遊ぶ

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京都に戻る日、昼前に渋谷のウィリアムモリスで多田進さん、南陀楼綾繁氏と待ち合わせ。モリスさんは都合により十二時半の開店になっているので、近くの別の喫茶店に入り密談。ひとつは南陀楼氏らと一緒にある本を作ろうとしている。それがちょっとした峠にさしかかって難渋している。さてどうしましょう、というような相談。南陀楼氏の近況も聞く。仙台や松江で活躍しているらしい。今度は徳島県へ出かけるそうだ。全国を股にかける渡世になってますな。

その後、三人でウィリアムモリスへ移動。多田さんの多彩な折本を見る。作者が心から楽しんで作っているのが伝わってきて、見ているこちらまで楽しくなってくる。

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多田 進 [オリホン] と遊ぶ
http://tadasusu.exblog.jp/20734337/

白の余白
http://tadasusu.exblog.jp
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by sumus2013 | 2013-11-21 21:07 | もよおしいろいろ | Comments(0)

高村光太郎と高祖保

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森井書店古書目録53号(二〇一三年一一月)を見ていて「オオッ」と思ったのがこの三点セット。高村光太郎の高祖保宛献呈署名入り『某月某日』(龍生閣、一九四三年)、『をぢさんの詩』(武蔵書房、一九四三年)および高祖保宛葉書一枚。

『某月某日』には見返しの遊び紙に《謹呈/高祖保君/高村光太郎/昭和十八年七月》とペン書き。葉書は昭和十八年七月二十七日付(消印は二十九日)、宛先は《大森区田園調布/三ノ三七八/高祖保様》。ペン書き十二行。

《おたより拝見、又々御入院の
 ことを知り、驚きました。今度
 は充分御療養なされて無理を
 されぬやう申志すすめます。
 此前はまだ出あるきに無理だつた
 のだと推察されます。
 御送付の校正刷は別封で御返
 送いた志ます。一箇所かなを
 なほしま志た。  そのつひで
 に「某月某日」を同封いた志ま志
 た。おんつれづれの時にでも御覧下さい。すべてゆつくりやつて下さい。》

高祖保は『をぢさんの詩』を編集していた。『をぢさんの詩』の見返しの遊び紙にはこう墨書されている。

《此の詩集の成る、まつたく
 あなたのおかけでありまして
 印刷の字配り、行わけ、の比例
 から校正装幀などの御面倒
 まで見てくださつた事世にも
 難有く、茲に甚深の謝意
 を表します
   昭和十八年十一月
     一十六歳高村小父 光[白文印]
 高祖保雅友硯北》

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外村彰『念ふ鳥 詩人高祖保』(龜鳴屋、二〇〇九年八月四日)をごく最近買って、ぼちぼち読んでいたため、よりいっそうこの出品に対して目が釘付けになった。

本書によれば、高村光太郎は高祖が最も尊敬する詩人であった。昭和四年、十九歳のときに友人らと創刊した雑誌『門』に寄稿を依頼したところ、高村から「その詩」という詩が送られて来た。そこからの交わりである。高祖保略年譜の昭和十八年にはこう書かれている。

《二月頃、高村光太郎宅に通い詩集『をぢさんの詩』(太陽出版社、昭和十八・十一)編纂を手伝う。》

《同月[四月]中旬から肺炎のため二十日間入院。六月初めに退院。自宅静養するも六月二十四日、再入院。四十度前後の高熱と闘う。八月二十日頃退院。》

「手伝う」のに間違いはないが、謝辞を読めば組版から校正、装幀まで敬愛する詩人の詩集をほとんど一人で作っていたという様子がうかがえる内容である。これらの高村の葉書や献辞は高祖保年譜をよりいっそう充実させる貴重な資料だ。

お値段は……いや、こいう資料に関して値段はあってなきがごときものであろう。言うまでもなく貧生にはとうてい手が出ませんが。
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by sumus2013 | 2013-11-21 20:33 | 古書日録 | Comments(2)

高田町雑司ヶ谷 ボン書店

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十七日のトーク終了後、北池袋へ向かったことは書いたが、その途中、内堀さんと編集者Oさんと歩いていたとき、内堀さんがいきなりこう言った。

「あそこにボン書店があったんですよ。大倉のところ」

そう聞かされて慌てて撮影したのが上の写真。「大倉」は割烹店。道路突き当たりの光る看板のあたり。左手が鬼子母神堂になる。

大倉(東京都/JR池袋駅、割烹)の地図情報
http://r.gnavi.co.jp/g810400/map/

内堀さんの『ボン書店の幻』(ちくま文庫、二〇〇八年)によれば昭和六年頃、後にボン書店を設立する鳥羽茂(とば・いかし)は《東京市外高田町雑司ヶ谷五二〇》の坂本哲郎の家(日本詩壇社)に同居していた。そして昭和七年五月『前線』(大阪日本前線社)二十四号に北園克衛詩集『若いコロニイ』の広告が掲載されるが、その発行所であるパルナス書房の住所は《東京市外高田町若葉》となっている。パルナス書房で鳥羽は『新鋭詩人選集』の編集にあたっていた。ところが同書房は経営破綻して選集は実現しなかった。その詫状に印刷された鳥羽の住所は《東京市外高田町雑司ヶ谷五一六》である。このすぐ後にボン書店を開業したらしい。

ちょうど上手い具合に昭和六年発行の「東京市全図」を所蔵しているので引っぱり出してみた。池袋界隈は地図の右上隅で、東京市外すなわち北豊島郡に属している。高田町が巣鴨町、西巣鴨町、長崎町とともに豊島区となるのは昭和七年より。この地図で見ると、たしかに高田町雑司ヶ谷五二〇、五一六は鬼子母神の裏手あたりになるようだ。若葉町は鬼子母神前から現在のみちくさ市をやっている通りに沿って鬼子母神と反対の方向へ少し行ったところ。

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当時の鬼子母神の様子はというと、こんな巨木に囲まれて鬱蒼としていたようだ(『ボン書店の幻』より)。昭和の初期には樹齢四百年のけやきが十八本も残っていた。戦災を免れて今に残るのはそのうちの四本だという。

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実際歩いてみるとボン書店に対するイメージも少し変ってくる。近年、この近辺に泊まることが重なったので、より身近に感じられるのだ。体で土地を測るとでもいうのか、地図を眺めるだけでは決して分らない大事なものを得られるように思う。
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by sumus2013 | 2013-11-20 20:21 | 古書日録 | Comments(0)

みちくさ市トーク 林哲夫×多田進 当日

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十七日、トーク当日。快晴。穏やかな日和。みちくさ市もにぎわっていた。

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北方人さんに呼び止められ、『北方人』第18号を頂戴した。深謝です。『中戸川吉二作品集』などの内容見本も。これは欲しい。善行堂で売っているとのことなのでいずれ入手したい。

多田進さんとのトークはまずまずの盛況。写植の文字盤を持参してくださった方がいらしたので、予定にはなかったが急遽その文字盤を使って写真植字の説明をあまり詳しくは知らないにもかかわらず、させてもらった。写植で印字された文字を使って装幀などのデザイン原稿を作ったものが「版下」である。

その後、多田さんに独自のアイデア版下を五、六点紹介してもらい、それらの特徴を力説する。少し見えづらかったかもしれない。そのうち一点でも版下を回覧すればよかったと多田さんが終了後おっしゃっておられたが、たしかにそうだった。

会場が最も盛り上がったのは自己紹介がてら持参していた林の装幀本をジャンケンの勝者にプレゼントしたとき。『平野遼水彩素描集』が一番人気だった。これにて無事終了。来場者の皆さんと順次挨拶。多田さんのご子息タダジュンさんも来ておられ言葉を交わす。会場で熱心に聞いて下さっており「どなたかな?」と思っていた。

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引き続き荻原魚雷×内堀弘トーク「あるものでやる 古本屋で食べていくこと、ライターで食べていくこと」が開始。小生も観客席に座って拝聴。坪内祐三さんの姿も見えていた。魚雷くんはいつものペース。外見は守ってあげたい感じなのだが、じつは相当したたかな生命力の持ち主。しかもやりたいこと優先のマイペースを貫く男だ。内堀さんはロマンチスト。仮に百万円持っていて古本屋を開きたい人がいるなら、百万円全部使って古本を買えとアドヴァイスするという。

また内堀さんは、トーク前日、山田勇男監督の「シュトゥルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)」を観た、大杉栄らアナキストの青春群像、その上映途中で地震が発生、突然映画館が明るくなり、地震がありましたのアナウンス、場内騒然かと思いきや、誰も慌てず騒がず、観客はみんないい年をした大人ばかりだった。大正時代のアナキストの行動は「雜」だった。しかしその雜さが必要なんだ。というような結論。

最後の質問コーナーで魚雷くんの好きな外国のコラムニストは誰かというのが出て、スラスラっと小生の知らない名前を挙げ、野球のコラムが好きだ、幼稚園のつばめ組以来ヤクルト・ファン、ヤクルトの二軍の試合を見に行き、一軍と二軍を往復する選手についアドヴァイスしたくなる、などと言い出す。ここで俄然、阪神ファンの内堀さんのハートに火がついた感じで会話が盛り上がってきたが、無情にもちょうど時間となりました。

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この日も打ち上げに参加。途中、往来座に寄り道。人ごみをかき分けるようにして池袋駅を横切り、たどり着いたのは北池袋の東京中華街。すごいところでした。日本語が通じるのが不思議なくらい。トークの余韻を引き摺って内堀さんを囲んでの野球談義に突入。魚雷くんばかりでなくNEGIさん、退屈男くんが驚くべき野球通ぶりを発揮した。面白かったです。
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by sumus2013 | 2013-11-19 15:49 | もよおしいろいろ | Comments(6)

ヤン・チヒョルト展

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十六日の午後、三島から新幹線で東京まで。有楽町で下車。しばらくぶりの銀座を歩いて銀座gggのヤン・チヒョルト展へ。会場で多田進さんと合流して向いのアマンドで翌日のトーク打ち合わせをする。

チヒョルトが良かった。絶妙なレイアウトのセンスである。日本のある時期のタイポグラフィも何人かの日本人デザイナーを通してチヒョルトの影響下にあるように思えた。

第327回企画展
Jan Tschichold ヤン・チヒョルト展
2013年11月01日(金)~11月26日(火)


 ***

銀座から丸ノ内線〜副都心線と乗り継いで雑司ヶ谷下車。駅の通路から直接この日のトークの会場(翌日のトーク会場と同じ建物の別の部屋)へ。一階の玄関先で古書現世の向井氏とバッタリ。一緒に会場に入って最後の十分ほどスタッフ席から聞かせてもらう。人口減少時代の中小都市のあり方を考えるコンパクト・シティについての話だった。

向井氏、ムトーさんらと東池袋の居酒屋でこの日の打ち上げに参加。久し振りに会う人ばかりだった。盛り上がっている最中にグラグラッと居酒屋が揺れる。「暴れん坊将軍」の再放送をやっていたTV画面に震度3と4の速報地図が出る。震源は千葉。少し早めに宴会を抜けて宿へ入った。
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by sumus2013 | 2013-11-19 14:26 | もよおしいろいろ | Comments(0)

江川邸 史跡韮山役所跡

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十五日の上京前日、新幹線を三島駅で降りて伊豆箱根鉄道に乗り換えて韮山(にらやま)に立ち寄った。ある方の依頼で、十二世紀以来およそ八百年間、韮山の地を治めて繁栄した江川家の建物をスケッチするためである。

あいにく十五日は終日雨だったが、敷地(11873平方メートル)内をあちらこちら散策させてもらい、スケッチもし、写真をたくさん撮った。上の写真は翌十六日の午前中、江川邸の手前から富士山を眺めたところ。初め、雪で覆われた山容がくっきりと青空に浮かんでいたのだが、いつでも撮れると思っているうちにこのように山頂だけ雲に隠されてしまっていた。その後、東京へ向かうまでこのままだったのだ。残念。苺の産地でもあり、苺ハウスが立ち並んでいた。

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高さ十二メートルの大屋根をもつ主屋。とちの大木。黄葉が見事だ。


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先日紹介した『パン語辞典』にも出ていたが、日本で最初にパンを作ったとされるのは江川太郎左衛門こと三十六代当主江川英龍(担庵)である。


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こちらが韮山の反射炉。大砲を鋳造するための溶鉱炉。やはり江川英龍が提案して築造された。先頃「明治日本の産業革命遺産 九州・山口及び関連地域」の構成資産として、この反射炉も平成25年度の世界遺産国内推薦資産に指定されたそうだ。
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by sumus2013 | 2013-11-19 11:44 | 画家=林哲夫 | Comments(0)

薔薇祭

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『鶴岡善久詩集薔薇祭』(的場書房、一九五七年八月一一日)を入手した。鶴岡善久二十一歳のときの詩集である。的場書房の刊行物が欲しかったので嬉しい。奥付を引き写しておく。

 鶴岡善久詩集薔薇祭一九五七年八月十一日刊行
 中沢印刷・協栄製本
 的場書房
 北川幸比古発行
 振替東京一一二二一六番
 東京都千代田区神保町一丁目三番地 価 二百五十円
  Printed in Japan (c)

神保町一丁目三番地は書肆ユリイカと同じ建物である。書肆ユリイカのあった神保町の路地裏。昭森社も思潮社も的場書房もここにあった。

http://sumus.exblog.jp/8755063/

桜井勝美宛の手紙が挟み込んである。桜井は二十八歳年長の先輩詩人で北川冬彦『麺麭』同人。

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また本書の跋をやはり北川冬彦が主宰していた『時間』同人の沢村光博が執筆している。沢村は十五歳年長。鶴岡も『時間』同人である。

《ぼくのわかい日々ーー一方で苛烈な戦争があり、空をいつも破壊的な爆撃機がとんでゐましたがーーそんな空の下で、まるでそんな風景とはかかはりのないやうなヤコブ・ベエメのことだの、わが国では恐ろしく誤解されてきたドイツ・ロマン派の詩人の世界だのに、ひとりで親しんでゐたものです。さういふ自分のわかい日々の一面があなたのうちに、十何年か過ぎて再現してきたやうな気がしたものですよ。
 わたしのわかい日々が抵抗の一形式であつたやうに、あなたが孤独にこれらの詩の世界を選びとつてゐることに、わたしはあなたの現代への抵抗の一形式をみだします。》

詩の引用はしないが、沢村の言っていることは妥当なように思う。鶴岡はアンリ・ミショーと親交があったようだ。daily-sumus で紹介したアンリ・ミショオの詩集『PAIX dans les brisements』について《昨年古書界に出た某氏旧蔵書の一冊らしい。》と書いた某氏とは鶴岡善久のことである。

  ***

数日間ブログを休みます。みちくさ市のトークなどのために上京します。
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by sumus2013 | 2013-11-14 20:48 | 古書日録 | Comments(0)

みちくさ市トーク 林哲夫×多田進

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「版下(はんした)ってなに? 最後の版下装幀家・多田進の世界」

まるでトキのように、もうほとんど棲息しない、紙の版下で制作をつづける装幀家。そのお一人が多田進さんです。多田さんの処女作は植草甚一『即興と衝突』(スイング・ジャーナル社、1971年)。以来40年以上、版下一筋でこられました。数々の名作のなかから選ばれた実際の版下原稿を見せていただきながら、多田さんならではのアイデアや版下へのこだわりを、『sumus』編集人で装幀も手がける林哲夫さんと語っていただきます。

■日時 2013年11月17日(日)
■時間 13:20~14:50(開場13:00~)
■会場 雑司が谷地域文化創造館・第2、第3会議室
MAP> http://kmstreet.exblog.jp/i4/
■定員 60名

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林 哲夫(はやし・てつお)
一九五五年香川県生れ。画家、文筆家。武蔵野美術大学卒。雑誌『ARE』『sumus』『spin』を編集。著書に『喫茶店の時代』『古本屋を怒らせる方法』『書影でたどる関西の出版100』(第9回竹尾賞受賞)など。京都市在住。

多田 進(ただ・すすむ)
1937年東京生まれ。装丁家。都立工芸図案科卒。60年代は「スイングジャーナル」等のマガジンのレイアウトを、70年代からブックデザインを手がけ現在にいたる。おもな仕事に「深沢七郎集」、田村隆一著「詩人のノート」、團伊玖磨著「パイプのけむり」など。第40回講談社出版文化賞/ブックデザイン賞を坪内祐三著「酒中日記」で受賞。

■入場料:1000円 ※当日清算

参加者特典! 伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』の多田さんヴァージョンのカバーをプレゼントとして多田さんが特別に用意してくださる予定だそうです。林からも何かプレゼントしちゃいましょう。ふるってご参加ください。

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■予約方法 
下記のメールにて件名を各「装丁トーク予約」、本文に「お名前」「人数」「緊急の電話連絡先」をご記入の上お申し込みください。折り返し予約完了のメール(自動ではないので最大24時間ほどタイムラグある場合がございます)。返信が無い場合は再度お問い合わせくださいませ。代金は当日払いです。予約完了メールに当日の受付方法が記入してありますので必ずお読みください。

■当日受付の際のお願い
みちくさ市開催にあたり創造館様のご厚意で会場を使用させていただくことができました。しかしながら館内での金銭やりとりはできないというルールは守らなければいけなく、お客様にはご面倒をおかけいたしますが、会場より徒歩4分の、みちくさ市会場の本部まで来ていただき代金をお支払いの上チケットを受け取っていただくことになります。お客様に手間をとらせてしまい大変申し訳ございませんが、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

※予約&お問い合わせは下記のメールにて
予約受付中!
wamezoevent1■gmail.com ■=@
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by sumus2013 | 2013-11-14 20:19 | もよおしいろいろ | Comments(3)

クリップ 16号夏

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先日の二冊に続いてもう一冊『クリップ』16号(杜陵高速印刷株式会社出版部、一九八六年六月八日)を見つけましたと某氏より追加で恵投たまわった。深謝。松本竣介特集号。

『クリップ』創刊号および2号
http://sumus2013.exblog.jp/20758756/

珍しい松本竣介の花の絵がカラーで掲載されている。

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松本禎子がこの絵について「帰ってきた「夏の花」」というエッセイを寄稿している。禎子が幼いときから大好きな叔父さんが竣介の絵を買ってくれた。

《支那事変が次第に拡大してゆく昭和十四年の秋ごろ、久し振りに訪ねて来て、アトリエで竣介と話していましたが、叔父が帰ってから竣介が、「叔父さんが僕の絵を三枚も買ってくれたよ」と、喜んでいたのをおぼえています。
 満州国大連での生活は、戦争たけなわになっても結構豊かだったらしく、「一度来ないか」などという誘いもありましたが、私共が慌しく松江へ疎開する頃には、消息も全く途絶えました。一家が辛うじて内地へ引揚げ、東京へ戻った私共と入れ替りに郷里の松江へ仮住いを定めたのは、昭和も二十二年になってからでした。》

叔父は再起の日も待たずに亡くなる。

《遺された叔母から、「実は竣介の絵を一点満州から持ち帰っている」という便りが来たのは、それから三十年近く経った頃でしょうか。「終戦直前には大連も混乱をきわめ、いつソ連兵にふみこまれるかという緊急事態に、一番好きな竣介の絵をベッドにかくした。その日武装の兵隊がなだれこんで来て家中を荒し廻り、中の一人が部屋にかけていた油絵二点を"ハラショー"と言って持って行ってしまった。二つとも竣介の作品だった」というのです。》

禎子は叔母からその絵を買い取る。

《包みを開けて目にしたのは、きれいな青に、鮮やかな赤い草花の描かれた油彩ーー裏面には昭和十四年・七月・夏の花と竣介の字で記してあります。それは息子の莞が生まれた年・月です。待望の男児の誕生を喜んで、庭の草花を一気に描きあげたものと思われ、よりにもよって不思議な縁(えにし)だと話し合ったことでした。》

竣介らしい絵ではないが、それでもブルーの塗り方は独特の雰囲気がある。ソ連兵の持ち去った他の二点も花の絵だったそうだ。「ハラショー」といって花の絵を略奪してゆくとは、しかも松本竣介の絵! なんて目利きの兵隊だろう。
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by sumus2013 | 2013-11-13 21:49 | 古書日録 | Comments(0)