林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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しょうべんの詩

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『川崎彰彦傑作撰』の「どぶろくの詩」からもう少し旧制中学時代の読書について引いておく。

《ある日、塚本は本棚から創元社刊の『八木重吉詩集』をとりだし、この詩人について、さかんに鼓吹した。重吉はキリスト者であるようだったが、そんなことより、ぼくら田舎の文学少年にとっては重吉の語法の単純平明であることが好ましかったのだ。そのことは重吉以上に、新潟の農村少年詩人・大関松三郎の詩集『山芋』がぼくらの心をとらえ、三人を夢中にさせた事実からもうかがえるだろう。松三郎のなかでは「虫けら」なんて詩が最高だろうと思うが、当時ぼくらを喜ばせたのは「しょんべん」と題する次のような詩だった。
 どてっぱらで しょんべんしたら
 しょんべんが白い頭をして
 によろ によろ
 どてっぱらをおりていった
 へびになって
 にょろにょろ まがっていった》

大関松三郎は昭和十九年南シナ海で載っていた輸送船が撃沈されて戦死した。享年十八。恩師の寒川道夫が昭和二十六年に遺稿詩集として出版したのが『山芋』(百合出版)である。

また、こういうくだりもある。

《そのころ、ぼくは八日市の文英堂書店で大島博光訳『ランボー詩集』を購め、むさぼるように愛読していた。それは国文社刊で、本文紙質は粗末だが、蓑虫の裏皮の張り合わせを連想させるような和紙装、真四角の判型の薄いが瀟洒な一冊だった。そのなかに題名は忘れたが、やはり立ち小便の詩があった。しかも「プーッと一発ヘリオトロープのおまけつきで」などという上品ならざる訳語を伴って、ぼくは次の機会に塚本の部屋にその詩集を持ちこみ、三人でゲラゲラ笑い合った。》

ヘリオトロープが登場するのはランボー詩「夕べの祈り(鈴木創士訳) ORAISON DU SOIR」の最後の連。

 Doux comme le Seigneur du cèdre et des hysopes,
 Je pisse vers les cieux bruns, très haut et très loin,
 Avec l'assentiment des grands héliotropes.

 大きなヒマラヤ杉と小さな柳薄荷[ルビ=ヒソプ]の「主」のように心優しく
 俺は茶色の空に向かって小便する、とても高く、とても遠くに、
 大きなヘリオトロープの同意を得て

鈴木創士訳。ちょっと直訳すぎるかもしれないが、文字面の意味はこれで間違いないのだろうと思う。ビールをたらふく飲んで草原(ハーブ畑か)で放尿した、ということを宗教的な単語をちりばめてコミカルに謳っている。タイトルのオレゾン(祈祷)も、「主 le Seigneur」としてあるのも宗教用語。

例えば金子光晴もランボーを訳している。訳そのものはかなりあやしいのだが、さすが詩人というのか、そこには閃きのようなものが感じられる。この詩(金子訳は「夕ぐれどきのことば」)最後の行はこう訳されていて、なるほどなと思う。

 ーーすばらしいぞ。ヘリオトロープも、大音で助勢しようとは。

川崎の引用している大島訳を持ち合わせないので断言できないが、大島はヘリオトロープを「おなら」と解釈し《同意を得て Avec l'assentiment》をのおまけつきで》というふうに訳した。金子も同じだが、もっと大胆に「大音」としており、ま、これはさすがに誤訳だろうと思うが、このイキの良さは詩人訳ならでは。(大島は金子訳を参考にしたか?)

たぶんごく平凡に文字通り解釈すれば、ランボーから勢いよくほとばしる小便がその足許に生えている大きく育ったヘリオトロープ(時候は夏である)にバシャバシャ降り注いでいる(なにしろ何十杯もビールを飲んでがまんしていたわけだから)、それに対して「同意を得て」が意味をもってくる、そんなところ。

川崎たち文学少年が笑い転げた幸せな時間、それは誤訳のたまものだったのかも知れない(もちろん断定はしませんが)。

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by sumus2013 | 2016-05-07 20:55 | おすすめ本棚 | Comments(0)

川崎彰彦傑作撰

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『川崎彰彦傑作撰』(中野朗・中山明展、二〇一六年四月九日、装幀・装画=粟津謙太郎)読了。早く紹介したかったのだが、やはりこのボリューム(A5判395頁)、簡単に読飛ばせなかった。つい引き込まれて読みふけったと言っていいだろう。

《「死後何年経ってからでもよい、短編集を出して友人たちが本を肴に飲む会を開いてくれるなら、これに過ぎる喜びはない」ーー川崎さんの夢がついにかないました。寡作の作家、二十二冊目の本です。
 川崎さんのパートナー当銘広子さんが本づくりを快諾、装幀は生涯の友人の版画家粟津謙太郎さんにお願いしました。関西での文学や酒の友だった中尾務さんや三輪正道さん、札幌の中野朗さんが散逸していた作品を集め、多くの人たちが力を合わせてつくり上げた一冊です。》(中山明展「あとがき」)

第一部遺言編、第二部傑作撰から成る。アンソロジーは難しいもの、正直、第一部遺言編を読み終ったころには、おや? これでいいのかなといぶかしく思った。しかし、目玉ともいうべき傑作選のI「少年〜大学時代」およびII「記者として」に突入するや俄然おもしろくなる。川崎彰彦というどうしようもない「破滅型」の男の人生にハラハラさせられ通しなのだ。

傑作撰」というタイトルもあまり好きではないにもかかわらず傑作撰」にふさわしい内容なのではないかとさえ思えて来たのだ。大きな山を越えた後は「大阪文学学校と酒」「同人誌の達人」というより抜きのエッセイ類で余韻を楽しむ。もちろん中野朗編略年譜も完備。読後感は「これぞ現代の円本(エンポン)!」。きわめて充実した一冊本選集だ。本体定価1852円! 間違いなく円本より安い。

めい展・じゃあなる(中山明展氏ブログ)

川崎は昭和二十一年に滋賀県の八日市中学(現八日市高校)に最後の旧制中学生として入学した。「どぶろくの詩」には当時の読書体験が記されていて興味深い。

《角は林田のぼくの家にきて親の本棚からドストエフスキーの「罪と罰」を借りて帰ったりもした。なまけ者のぼくは長い小説はかなわんのでガルシンの「紅い花」を読んで対抗したりもした。そういえば、なぜか「狂気」ということが二人のあいだでの共通の感心であり、憧れでさえあったのは頬笑まされる。》

《芥川の「河童」が話題になったこともある。ぼくは戦時中から改造社「新日本文学選集」の火野葦平集で「花と兵隊」や「糞尿譚」を愛読していたので八日市の金屋大通りに面した文英堂書店で、ある日、火野葦平の戦後の著書「石と釘」をみつけ、さっそく買って帰った。》

《ぼくは、この「石と釘」をずいぶん愛読したのに角良之助には話さなかったような気がする。当時、火野葦平を愛読しているとは大きな声で言えないような時代の空気だった。なにしろ兵隊三部作の「戦犯」作家なのであった。小田切秀雄ら「文学時標」の「文学検察」も始まっていたのではなかったか。やがて二人は「新日本文学」の読者になり、ぼくはそのほかに「人民的詩精神」を標榜する秋山清や小野十三郎らの詩誌「コスモス」などを大切に思うようになる。》

明日、書物関連の記事をもう少し引用する。

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by sumus2013 | 2016-05-06 20:46 | おすすめ本棚 | Comments(0)

エーコのエーコ

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『Morandi Gli acquerelli』(Electa, 1990)。モランディの水彩画集。イタリア語版なので読めないのだが、まあ読む必要もない。ただ、このなかにウンベルト・エーコがモランディについてのエッセイを寄稿している。「Il segno di Morandi」(モランディの記号)。この本を買ったとき、辞書を引き引き苦労して大意だけ訳したメモを作った。それをそのまま挟んであったような気がするのだが、どこかへ行ってしまって見当たらない。

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新潮』六月号に細川周平氏が「エーコのエーコ 『薔薇の名前』を供えて」を寄稿しておられる。その追悼文を読んで、この本を思い出したのである。細川氏によればエーコはボローニャで教鞭をとっていた。モランディを論じて当然だったのだ。細川氏がエーコに初めて会ったのは一九八〇年、ウルビーノで開かれた国際記号学セミナーで、一九八二年から二年間ボローニャ大学芸術学科に留学しエーコの授業を受けたという。

《そして最後に会ったのは一九九〇年、『薔薇の名前』邦訳のプロモーションを兼ねて夫妻で来日した時で、講演後、山口昌男にくっついてディスコに行った(ウルビーノでも町にひとつのディスコで、エーコの一団は踊っていた)。五ヶ月しか違わないマサオ(彼はそう呼んだ)とは、ずいぶん波長が合う様子だった(体格も似ていた)。それぞれの国の記号学の基礎を築いただけでなく、博覧強記、書物愛、そして知的な軽さの点でエコーを響かせ合っていた。エーコがスヌーピーを讃えれば、山口はのらくろ上等兵を愛す(漫画が知的対象とは見られていなかった時期に)。エーコがあらゆる言葉遊びに卓越していたなら、山口は駄洒落を好む。二人は同じ時期に俗悪美を取り上げ、マクルーハンを距離を置きつつ評価した。エーコがスーパーマンからマスメディアに生きる大衆の欲望を皮肉っぽく肯定すれば、山口は古事記、アフリカ神話からアルレキーノ、マルクス兄弟まで各地の道化像に民俗的活力を見出した。エーコは五〇年代後半、大学の職に就く前に国営テレビ局につとめたことで学者の王道から外れた。山口は六〇年代前半、ナイジェリアで調査し、西洋受け売り学界にも、日本国内で自足した民俗学や歴史学にも引導を渡した。二人とも書物で完結した伝統的学問分野(中世思想、日本中世史)から人文学に入門しながら、三〇代に(つまり一九六〇年代に)そこを外れる道を拓いた。》


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《五月革命のパリ(『薔薇の名前』作中の謎の原稿に「私」が出くわした一九六八年八月のまさにその頃)に滞在した山口は、共通する解放的精神を「未開」に見出し、その発想を理論化する際に記号学を応用した。中世の論理学に発しパースを咀嚼するエーコと、人類学に発しレヴィ=ストロースを咀嚼する山口ではずいぶん距離があったが、記号学はそれをひとまとめにする大風呂敷と拡大解釈された。それが知的流行である所以だった。記号の「語感」がまず消費された。》

なるほど、そういうことなのかとエーコと山口昌男のスパークぐあいがよく分った。

《何を学んだかよりも、若いうちに知的健啖に(「実物」にという方が正直)触れたことが私には大きかった。どの著作というより、知的度量に尊敬を払い、博識以上の存在に心を動かされてきた。》

「実物」を知るということはやはり刺戟的である。知らない方がいい場合もなきにしもあらずかとも思うが。




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by sumus2013 | 2016-04-17 20:49 | おすすめ本棚 | Comments(0)

こころに効く「名言・名セリフ」

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岡崎武志『読書で見つけたこころに効く「名言・名セリフ」』(光文社知恵の森文庫、二〇一六年四月二〇日、カバーデザイン=長坂勇司)が届いた。もう一冊『ここが私の東京』(扶桑社)も同時に届いたのだが、これはもう少しゆっくり読ませてもらってから紹介する。

中江有理さんの帯、いいなあ(笑)。《ただの名言集ではありません。「読む楽しさを共有する本」です。》まさにその通り。あれこれ拾い読んでいると時間を忘れる。花森安治の言葉も採られていた。

《世界はあなたのためにはない》

う〜ん、これを抜いてくるか、さすが岡崎氏。

《『一銭五厘の旗』(暮しの手帖社)という随筆集に収められている。春に、学校を卒業する若い女性に向けた言葉だが、ずいぶん厳しい。普通なら『世界はあなたのために手を広げて待っている』と、前途ある若者に景気をつけたいところだ。
 しかし花森は、そうしない。ここで三十三歳という若さで死んだ一人の女性編集部員の話をするのだ。林澄子、旧姓藤井澄子は、暮しの手帖社が初めて社員を公募した一九五七年に入社。一番の成績だった。彼女は二年後に結婚し、男女二人の子を産み、産休、育休をとって、そのつど職場に復帰してきた。昭和三十年代、女性は結婚あるいは出産を機に退職し、家庭におさまるのが一般的だった。》

彼女は働く女性すべての立場を代表するように懸命に頑張った。

《彼女が入社した十年後、暮しの手帖社の入社試験には、三名の採用に二百名もの応募があったという。》

十年後と言えば『花森安治の編集室』の著者・唐澤平吉さんが試験を受ける四年前である。そんな難関だったわけだ。花森は林澄子の有能さと死を語り、こう書いているという。

《「世界は、あなたの前に、重くて冷たい扉をぴったり閉めている。それを開けるには、じぶんの手で、爪に血をしたたらせて、こじあけるより仕方がないのである。」》

そして岡崎氏は《この言葉は今も有効である》と結ぶ。鮮やかな手並み。

一方、唐澤氏も林澄子のことを取り上げている。唐澤氏はこのエッセイで花森が訴えたかったことは三つあるとする。

《ひとつは、林澄子さんの生き方、しごとへの取り組み方のすばらしさと、その人を失ったことへの深いかなしみでした。
 ふたつめは、暮しの手帖社のしごとの大へんさです。》
《そして三つめは、女性が社会に出て働くことの意味についてでした。》

こう分析して雑誌創刊時代の苦労話を引用し、暮しの手帖社に就業規則がないことを「オトナの常識」だと締めくくる。

《そして就業規則のないしごと場こそ、花森安治にとってリーダーとしてのカリスマ性をぞんぶんに発揮できる、最良のしごと場だったのではないでしょうか。
「ぼくがいったり、やったりすることは、世間よりも十年早いんだ。いや、二十年くらい早いかもしれん。あんまり早すぎて、わかってもらえんことのほうが多い」》

これは花森に対する痛烈な批判ではないか? 唐澤氏はもちろんそんなことはこれっぽっちも書いていない。この常識がなければ『暮しの手帖』というユニークな雑誌は生まれなかったと断言しておられる。ただ、唐澤氏によれば林澄子さんの死因は脳出血だった。今なら遺族に訴えられても仕方がないような働き方だったのかもしれない。

「世界はあなたのためにはない」……非情な名言である。

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by sumus2013 | 2016-04-11 20:46 | おすすめ本棚 | Comments(6)

花森安治の編集室 文庫版

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唐澤平吉『花森安治の編集室 「暮しの手帖」ですごした日々』(文春文庫、二〇一六年四月一〇日、カバーデザイン=大久保明子)読了。単行本はかつて紹介したことがある。

唐澤平吉『花森安治の編集室』(晶文社、一九九七年)

先日紹介した津野氏の花森伝が資料を集めて描いた、花森像の不完全なジグソーパズルのようなものだとすれば(唐澤氏によると花森はジグソーパズルに夢中になったことがあってその普及に貢献したそうだ。伝記に完全は在り得ない)、唐澤氏の本は身近に接した人が描いた花森の優れた似顔絵のように思える。どんなに似ていようとも似顔絵が本人でないことは言うまでもないが、それとは別に似顔絵は描いた作者の素顔も描き出す。その意味で本書は二重に興味深い読物になっている。

どこを取っても花森と唐澤氏はドラムの皮の表裏のように一体となって現れる。打てば響くというのか、打たれたことによって響くという方がいいのかもしれない。

例えば昭和四十六年、唐澤氏は暮しの手帖社の面接試験を受けた。一次試験が作文提出、二次試験が面接。面接に進んだのは三十人ほど。その中から四人が採用された。面接での花森と唐澤氏のやり取りの一部を引用してみる。参考までに唐澤氏は一九四八年生まれ。

「最初から関西大学を志望していたの」
「いや、京大を二回受けたんですが、京大のほうでは来るにはおよばずということで」
「行かんでよかった。京大なんか行ってもろくなことないよ」
「そうですか」
「そうだよ。それにしてもきみは趣味が多いな。音楽はジャズ、それとも」
「クラシックです」
「喫茶店で聞いていた」
「いや、あの雰囲気は好きじゃないんです。アパートで聞いてました」
「アパートはどんな部屋」
「四帖半と三帖の部屋に台所がついていました」
「へえ、そりゃきみ、大名じゃないか」
「映画でいちばん印象にのこっているのはなに」
「うーん、『俺たちに明日はない』ですね」
『俺たちに明日はない』か、どうして
「あの映画から、アメリカ映画が変ったと思いましたけど。あとは……」
「うん、亜流だな。ところできみは趣味に読書をあげてないけど、本なんか読まないの」
「学生にとって、読書が趣味といえるかどうか」
「そうか、学生が本を読むのが趣味ではおかしいな。それで好きな作家は」
「北村透谷……」
「アッハッハ、こりゃまた古いなあ。透谷のどこがいい」
「……文体でしょうか」
「うん、透谷はハイカラだね。もうちょっと新しいひとでは」
「キタ、キタ……北杜夫さん」
「ほう、どうして」
「おかしなこともいっぱい書いていますが、小説はマトモでしょう」
「そうね、ほかには」
「柴田翔さんなんかも」
「アッハッハ、明日がなくても『されどわれらが日々ーー』というわけだな」
「ま、そういうわけでも……」

なかなかの臨場感。花森の独断が垣間見えるし、あからさまに食い違う世代感覚が面白い。しかも、ちゃんとオチまでついている。

この後、無事めでたく入社の運びとなるのだが、いざ入社してみると、そこは入社前に想像していたものとは全く違っており《自分の想像がいかに貧しいものか、現実によってしたたか味わうことになりました》、ということでその顛末はぜひ本書でお読みいただきたい。どうして『暮しの手帖』があれほどユニークだったのか、それがはっきり理解できる。

昨年来、富士正晴についていろいろ調べたり考えたりしていたので、そういう観点からもこの評伝(ではないか)は参考になった。富士と花森は神戸三中に同時期に在学していた(花森が二歳上)。その二人に共通することが少なくとも二つある。ひとつは二人がともにきわめてユニークな雑誌を創刊したこと、そしてそれが今日までどちらも発行を続けていること。

もうひとつは慰安婦について。本書によれば花森は《明日死ぬかもしれないというときにでも、ぜったいに慰安婦を抱きにいかなかった男たちがいた》ということをひんぱんに、いささか強調しすぎるくらい語って聞かせ、男女の関係については潔癖だった。富士正晴は戦争に行くとき絶対に人を殺さない、そして強姦はしないと誓ってその通り実行したらしい(よく実行できたものだ)。

二人が似ている、とは思わない。しかし人並みはずれて分裂的なところと偏執的なところを持ち合わせているように見えるところに通底するものがあったという気がしないでもない。



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by sumus2013 | 2016-04-10 21:56 | おすすめ本棚 | Comments(4)

花森安治伝 文庫版

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津野海太郎『花森安治伝 日本の暮しをかえた男』(新潮文庫、二〇一六年三月一日、カバー装幀=平野甲賀、カバー装画=花森安治)を頂戴した。元本についてはすでに紹介している。

津野海太郎『花森安治伝 日本の暮しをかえた男』

このときには詳しく触れなかった佐野繁次郎と花森の出会いについて津野氏の見解を引用しておこう。これには三つの説がある。世田谷文学館『花森安治と「暮しの手帖」展』図録の年譜によって学生時代の昭和十年とする説。佐野のところに押しかけたのが十年で働いたのは昭和十一年だという酒井寛説(『花森安治の仕事』)。そして田所太郎『出版の先駆者』に書かれている昭和十二年説。

花森が大学を卒業した昭和十二年の初め頃、親友の田所太郎からこう言われた。

《「自宅に来ていた友人から、佐野繁次郎がパピリオにいるから会って就職を頼んだらどうか、といわれ、『そうか。』といって、そう言われたその日に麻布四ノ橋のパピリオ本舗へのこのこ出かけてゆき、初対面の佐野に会い、あなたの宣伝部ではたらきたい、といったら、佐野は『いいだろう。』と、たった一言、そう言ったというのである」
 そのあと緊張のあまり蒼ざめた顔をして箪笥町の借家に戻ってきた花森は、待っていた友人に「おい、まとまったぞ」と告げ、つづけてこういった。
「こんばんは神楽坂で一本つけるか」
 なかなかの臨場感ではないか。こうした親密な語り口からしても、第三者めかして書いてはいるが、この「友人」が田所本人だった可能性はきわめて高いと考えていい。》

津野氏は、花森が山内ももよと結婚したのが昭和十年十月で婚姻届が十一年十二月、というところから、子供が十二年の春に生まれることが分って花森は安定した収入を確保しておかなければならないと就職する覚悟を決めたのだろうと推測する。そして田所の忠告に従って伊東胡蝶園に佐野繁次郎を訪ねた。田所の文に「初対面」とあるのは勘違いだそうだ。

《また、その場で採用ときまったのは、なにも佐野がいい加減な人物だったからではなく、おそらく通常の学生レベルをはるかにこえた花森の「たいへんな男」(武田麟太郎)ぶりを敏感に見てとったせいだったのだろう。この若い男には力がある、というつよい印象があったのだ。》

花森が編輯制作した『帝国大学新聞』をひと目見れば花森の力量は明瞭であろう。また津野氏は佐野の渡仏についてこう書いておられて、なるほどなと思わされた。

《佐野は三七年八月に渡仏し、二つの美術学校にかよって、かねて敬愛する画家、アンリ・マティスに師事している。このままではただの成功した広告美術家として終わってしまいかねないというおそれと、もうひとつ、九年まえにパリで死んだ佐伯祐三の弔い合戦といった意識もあったのだろう。あとのことは若い花森にまかせて、という気持ちもあったにちがいない。》

佐野は《ただの成功した広告美術家として終わってしまいかねない》というような危懼は決して抱かないと小生は思うが、それはともかくとして花森がパピリオ入って来て「後は任せた」と考えて渡仏した、これは大いに可能性がある。

まだ全部は再読していないけれど、いやあ、やっぱりよく書けた評伝だ。


そうそう、こういう記事も出ました。

NHK朝ドラ「とと姉ちゃん」のモデルとは?
「暮しの手帖」元編集部員 唐澤平吉



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by sumus2013 | 2016-04-04 20:58 | おすすめ本棚 | Comments(4)

その姿の消し方

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堀江敏幸『その姿の消し方』(新潮社、二〇一六年一月三〇日、装幀=新潮社装幀室)読了。堀江氏の作品はかなり前に一度紹介したことがある。そのころ何作か次々に読んだのだ。

堀江敏幸『おばらばん』(青土社、一九九八年)

今回は某氏の勧めもあって久しぶりの堀江本。プルーストの後のナイトキャップとして読んでいた。始まり方がいい。グッと引き込まれる。

《フランス西南部の内陸寄りにあるM市を私が訪れたのは、留学生の頃に古物市で偶然入手した、一枚の古い絵はがきがきっかけだった。

《古物の世界では、詳細不明がひとつの価値になることもある。ただし、求める者がいての話だ。どんな稀少でも、それを欲する人間がいなければモノはモノとして成り立たない。幸いにも蒐集家と呼ばれる人種はいたるところにいて、もちろん絵はがきの分野にもいた。》

《そのとき私が必要としていたのはまったくべつの主題だったのだが、奇妙な建物のたたずまいに惹かれて、言い値で買った。
 ところが家に戻って眺めているうち、私の目はその建物の写真ではなく、裏側の通信欄の、几帳面な、しかしすらすらとは判読できない筆記体で書かれた文面のほうに吸い寄せられていったのである。そこには親密な言葉のやりとりではなく、ひどく抽象度の高い言葉の塊が、ぴったり十行に収まる詩篇のような形式で記されていた。差出人はアンドレ・L。住所はない。名宛人は、北仏の工業都市に住む、ナタリー・ドゥパルドンという名の女性である。消印は一九三八年六月一五日だったから、手に入れた時点でもう半世紀以上の時間が経っていたことになる。》

ここから「私」の「アンドレ・L」探しが始まる。古本者としては読みどころである。なんと絵葉書に書かれた詩の作者の正体を探し当てる。肖像写真も見つかり、ついには本人を知っていたという人物に会い、その周辺の人たちと親しくなるまでに進展する。肖像写真を見つけてくれた古本屋とのやり取りがじつにいいなあ……フランス人の描き方はさすがにうまい。ただ詩の解釈に拘泥するあたりになってくると読み心地が鈍ってしまうのは単に詩心がこちらにないせいか。

なかに少し調子の違った物語「始めなかったことを終えること」が挿入されていて、これがたいへん良かった。留学生時代に通った古書店が閉店する話。面白い(要するに古物か古本が出てくればよろしい!)。

《他のどんな店にも置かれていない現代小説がそこでは著者名のアルファベット順に整理され、背表紙を見るだけでも勉強になったのだが、とくに昂奮したのは古い地下貯蔵庫に積まれていた値付け前の文芸書の山だった。ところがその懐かしい店の飾り窓に、真赤な文字で大きく閉店セール書かれた貼り紙が出ていたのである。あわてて中に入ってみると、地下に降りる階段は封鎖され、通りに面した一階の、すかすかに間引かれた棚には、読むというより見せるための豪華なアルバムしか残っていなかった。》

この店には特別な思い入れがあった。湾岸戦争の時期に留学していた「私」は翻訳のアルバイトで日本の原子力発電所から出た使用済み核燃料に関する書類を仏訳する仕事をした。文中には明示されてはいないが、それは例のアレバ社の仕事だったようだ。

《要するに、このアルバイトで得た印象のあまりよくない報酬を、私は先の古本屋でただちに「洗った」のである。ふだんは手を出さない価格のものまで目を引いたタイトルはどんどん抜き取り、二巡三巡して築いた本の山を抱えて狭い階段を往復し、レジのおばさんに預けると、彼女は驚きも呆れもせず、いつものとおりに合計金額を算出した。ぜんぶで百十二冊。これが一度の購入冊数の最高記録となった。そのとき棚からごっそり抜いたジャン・ケロールの本のいくつかはいまも手もとにある。》

無名の作家に対する眼差し。自分だけが知っている作家を持ちたいという欲望は文学数寄なら誰でも覚えるものだろう。そういう堀江氏の態度は以前から変らないと思うが、今回はマイナーもマイナー、著書がないというような無名レベルではなく詩人かどうかさえも分らない書き手に迫る。職業は会計検査官だそうだ。その意味では本書は小説やエッセイというよりも究極の文芸評論だということもできるかもしれないし、あるいはもしこれらがすべて虚構だったなら、それはそれで小説として成功したと考えてもいいのかもしれない。

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by sumus2013 | 2016-04-03 21:12 | おすすめ本棚 | Comments(1)

古本屋写真集

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岡崎武志×古本屋ツアー・イン・ジャパン 古本屋写真集』

刊行記念トークイベント

出演:岡崎武志 小山力也古本屋ツアー・イン・ジャパン)

開催日時:4月17日(日) 17時からスタート(16時30分開場)

場所:コクテイル書房(高円寺)場所は以前と同じです。

杉並区高円寺北3-6-13(北中通り

入場料:1,500円

定員:20名(完全予約制)お早めが安心

予約:盛林堂書房にメール又はFAXにて(電話は不可)

 Eメール:seirindou_syobou-1949@yahoo.co.jp

 FAX:03-6765-6581


『岡崎武志 × 古本屋ツアー・イン・ジャパン 古本屋写真集』刊行のお知らせ


***



野呂邦暢古本屋写真集』はあっという間に売り切れたらしい。この度は岡崎氏と古ツア氏の古本屋写真対決(!?)。スゴい店ばかり。

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岡崎氏と天牛新一郎翁。なんとも素晴らしい写真だ。上段は若き日の善行堂!


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パリの古本屋で「不明」となっているが、聞いてくれればよかったのに(笑)。サンジャック通57のヴィーニュ書店(Librairie Vignes)。クリュニィ美術館、パリ第三大学(ソルボンヌ)のすぐそば。『ちくま』の表紙にもここを画かせてもらった。



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古ツア氏の写真はさすがスタイリッシュである。夜の古本屋が多いのも特徴的。昼の顔、夜の顔……いいね。

巻末には二人の対談あり。結語はこんなことに。

古ツア でもこれだけ集めると、やぱぱりぐっと来ますね。
岡崎 全部個性的やね。
古ツア ちょっと変態的かもしれないけど、古本屋さんて非常にフォトジェニックだと思うんですよ。
岡崎 絵になるよね。そう思うのは僕たちだけか(笑)。
古ツア 実際この写真集より、ブックカフェ写真集を出せば、そっちの方が売れそうな気が(笑)。
岡崎 でも、独特の脱力感があって、気持ちをなごませるんだけどね。この写真集がきっかけで、全国から撮りだめた古本屋写真が集まってくるといいな。
古ツア そうなると、読者による『古本屋写真集』が、いつかできそうですね。》

そうそう、以前の daily-sumus では「あちこち古本ツアー」というカテゴリーを設けていた。考えてみればすでに消えてしまった古書店も少なくない。思いの外、変遷の激しい業界なのかもしれない。

あちこち古本ツアー

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by sumus2013 | 2016-03-31 08:40 | おすすめ本棚 | Comments(2)

河口から

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季村敏夫さんより個人誌『河口から I』(二〇一六年三月四日)が届いた。『膝で歩く』を頂戴して以来のことだから一年八ヶ月ぶりの便り(…と思いますが)。

季村敏夫『膝で歩く』(書肆山田、二〇一四年)

タフな時間とそこからの恢復、この十二頁の冊子(A4三枚二つ折)はドクドクと鼓動する。私信ふうな短い六つの散文、詩「河明り」とその註釈から成る。詩の後半部分を引く。

 ながれの淀んだところ
 汚れた袋がたどりついていた
 中身は猿の死骸ではあるまいが
 そんなことを妄想するのは滑稽
 悲惨というべきか

 ーーやがて五月の風に襲われると
  みどりの獰猛さに犯され
  わたしの実体は喰いつくされました

 身もこころも 自然に喰いこむ
 一個の悲鳴を聴きとったが
 ねじりきれるもの
 なにひとつ
 なにもなく
 しぐれひと粒
 とり逃してしまった


限定十五部ということが明記されてはいるが《興味を持たれた方ご一報下さい。後ほどお送り致します》ともあるので増刷(?)も。お問い合わせは下記へ。
kioku-tk(アットマーク)kxa.biglobe.ne.jp

***

他にもいろいろ頂戴している。

BOOK5 vol.20
特集 夕タンといっしょに本をつくろう


『瀬戸内作文連盟』vol.16(二〇一六年三月二〇日)
瀬戸内作文連盟事務局=香川県高松市西宝町二丁目一〇番地二・一三号


シグナレス 第貳拾壹号(二〇一六年一月三一日)
特集 食マンガ お品書き


吉村昭資料集1・増補改訂新版 創作解題・著書一覧


紙魚 N0.64(二〇一六年二月一〇日)
一九三二年新潟県詩集・詩誌発行目録抄、他
書物屋 新潟市中央区本馬越1-16-12


ガーネット vol.78

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by sumus2013 | 2016-03-23 21:29 | おすすめ本棚 | Comments(0)

イメージとしての唯一者

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大月健『イメージとしての唯一者』(白地社、二〇一六年四月一七日)が出来上がった。亡くなって早二年になろうとしているのである。

大月健さんのことなど

本書には「辻潤覚え書き」「更科源蔵論・詩集『種薯』の世界」「虚無思想雑誌探訪」「尾形亀之助・異稿をめぐって」「イメージとしての唯一者」の五つの論考が収められ、巻末には大月さんの略年譜が編まれている。ネット上においてはまだ他に誰も引用していないようなのでここに主要な事項だけを抜いておく。執筆文献はごく一部のみ採録した。

一九四九年
二月十一日、岡山県上房郡賀陽町納地(現・加賀郡吉備中央町)に生まれる。

一九六七年 
県立賀陽高等学校卒業。

一九六八年
五月、小説「契り」(私家版)
京都、大谷大学での司書講習を受講する。

一九六九年
京都大学農学部図書室に、臨時職員として採用される。

一九七〇年
京都大学農学部に本採用となる。

一九七二年
八月、篠原静代と結婚、左京区一乗寺に住む。

一九七四年
「辻潤覚え書き」を『コンミューン今再び』(のちに『而シテ』と改題)創刊号に発表。

一九八一年
『而シテ』十一号で寺島珠雄と対談。
十二月、『虚無思想研究』創刊。

一九八二年
「唯一者辻潤」を『辻潤全集』別巻(五月書房)に執筆。

一九九〇年
「日本のダダ」を『思想の科学』十月号に発表。

一九九一年
「無能の人」を『ガロ』に発表。

一九九六年
四月、ダダイスト辻潤展。

一九九七年
四月、個人誌『唯一者』を創刊。

二〇〇四年
『日本アナキズム運動人名事典』(ぱる出版)に執筆。

二〇〇六年
「橋本傳左衛門と満州国関係資料」を『社会システム研究』十三号に掲載。

二〇〇九年
「『京大俳句』復刊に向けて」を『京大俳句』復刊準備号に執筆。

二〇一二年
七月、体調不良を訴える。
八月、食道ガンで余命一年の告知を受ける。

二〇一四年
四月、ホスピスに入院。
五月十七日、九時五十一分、永眠。

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虚無思想雑誌探訪」は日本における虚無思想の歴史が概観され具体的個別的な紹介もなされている有益かつ長大な論文。その末尾にこのようにあるのが目に付いた。

《「労働することで人間は自由になり、労働の対象のなかで人間は自由に自己を現実化する」とはマルクスの言葉である。人間の本質を労働に見出そうとする。大沢正道が着目したのは彼ではない。フリードリッヒ・シラーである。彼は「人間はまったく文字通り人間であるときだけ遊んでいるので、彼が遊んでいるところでだけ彼は真の人間なのです」と云っている。》

《"個"は余白の世界を埋める遊戯においてはじめて発現することが可能となる。自由クラブの時代に"個"を主張した彼は、志向する全体革命のなかで"個"の救抜を遊戯の復権によって果たそうと試みるのである。》(大沢正道とジェームズ・G・ヒュネカー)

そしてこの論文は次の一文で締めくくられる。

《権力と反権力と云う政治力学はどこまでころんでも無権力状態に到達することはない。ヒュネカーの創造力は容易にそれを果たすのである。芸術によって、彼は政治を無化することを志向する。》


大月健「イメージとしての唯一者」 三月書房のブログのようなもの

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by sumus2013 | 2016-03-22 20:46 | おすすめ本棚 | Comments(0)