林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:おすすめ本棚( 208 )

ハイカラ神戸幻視行

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西秋生『ハイカラ神戸幻視行 紀行篇 夢の名残り』(神戸新聞総合出版センター、二〇一六年九月二八日、装釘=戸田勝久)読了。二〇〇九年に前作を紹介しているが、その姉妹編である。

西秋生『ハイカラ神戸幻視行 コスモポリタンと美少女の都へ』

谷崎やタルホなど多く重なる部分はあるものの、本書は地霊(ゲニウス・ロキ)に導かれた紀行篇というかフラヌール篇。居留地、北野、三宮、トアロードなどはもちろん東は芦屋から西は須磨まで、それぞれの土地にゆかりの芸術家や実業家たちの活躍をいきいきと描き出してくれている。

【喫茶店の時代】で言えば三宮の「パウリスタ」についての言及がたいへん参考になった。

《昭和十四年(一九三九)、中山岩太が神戸市観光課の委嘱を受けて撮影した連作『神戸風景』に、トアロードは何点も取り上げられているが、中にカフェパウリスタが移った一枚がある。》

《神戸のパウリスタは大正二年(一九一三)。トアロードの、当時まだ高架線になっていなかった国鉄の踏切を下った先、東南の角地の木造洋館で創業した。》

今東光『悪童』に踏切際のパウリスタが登場すること。そして中山岩太が撮影したのは大正九年に新築移転した建物で、当時は最新のビルだったこと。新開地本通りの「扇港薬局」を営んでいた二十二歳の横溝正史は元町にあった「ブルーパゴタ」の紅茶とカフェパウリスタの《少し泡立った珈琲を愛飲した》。薄田泣菫『茶話』にカフェオリエントとカフェパウリスタを取り違えるスケッチがある……など。他にもガス、ユーハイム、カフェダイヤモンド、オリオン、元町の喫茶店などが登場して興味が尽きない。

横溝正史といえば、

《この途中に日本SFの源泉として記念すべき土地がある。加納町二丁目の交差点の東南角の井上勤旧居跡で、この人は明治十三年(一八八〇)、ジュール・ベルヌ原著『九十七時間二十分間月世界旅行』を大阪の書林・三木佐助から翻訳刊行した先覚者である。》(瀧へ行く道)

《公園の麓にある中央図書館は、日本探偵小説の源流の一つである。大正十年(一九二一)、落成直後にここで開催された講演会で、当時の高名な評論家。馬場孤蝶が海外の探偵小説の動向を紹介したのを聴いた江戸川乱歩が刺戟を受け、デビュー作「二銭銅貨」を執筆するに至ったのである。この講演会には地元の横溝正史も来ていたが、その時には面識がなく、お互いそれとは知らなかった。》(大倉山から国会へ)

《西柳原にはもう一人、夢幻の主が住んでいた。明治二十六年(一八九三)に生まれた当地の裕福な地主・西田政治である。》《かれは乱歩以前から活動する探偵小説の先覚者であって、大正九年、雑誌「新青年」が創刊になると即座に短篇「林檎の皮」を投稿、八重野潮路のペンネームのもとで掲載された。横溝正史の年上の朋友である。》

さすが神戸、海外の新しい傾向には敏感だったようだ。神戸を愛した外国人も多数登場する。再度山(ふたたびさん)修法ヶ原の外国人墓地に葬られている外国人には以下のような人々がいるそうだ(一部抜粋)。

日本初のラグビーチームを作ったエドワード・B・クラーク
関西学院創設に関わったジェームス・ウイリアムス・ランバス
ラムネ製造のアレキサンダー・カメロン・シム
神戸港長の初代ジョン・マーシャルと二代目ジョン・マールマン
大阪鉄工所(日立造船所の前身)を設立したエドワード・ハズレッド・ハンター
神戸女学院を創立したイラルザ・タルカット

なるほどたしかに神戸とはハイカラとモダンという言葉にこめられた日本人の西洋憧憬を憧憬でなく現実のものとしていた稀有な都市であった。

前著を評して文学地図があればカンペキと書いたが、本書巻末には見やすい地図が附せられている、これ以上言うことなし、の出来である。

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戸田氏のカバー画、これぞ神戸!(幻視のトアロード)


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by sumus2013 | 2016-09-25 20:38 | おすすめ本棚 | Comments(2)

わたしの小さな古本屋

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田中美穂『わたしの小さな古本屋』(ちくま文庫、二〇一六年九月一〇日、装画=平岡瞳)読了。単行本が出てからもう四年半にもなるとは……。

田中美穂『わたしの小さな古本屋 倉敷「蟲文庫」に流れるやさしい時間』

上の投稿で蟲さんはまだ独身と書いてあるが、今は既婚者(向井くんはまだだと思うけど)。本書には単行本に収められていないエッセイも八篇追加。そして早川義夫氏の「解説」がまたいい。

再読してみてあらためて上手い書き手だなあと感心した。ご本人も書いておられるが、自然科学の本ばかり読んで青春時代を過ごし、その上に広い文学的な経験を重ねたようだ。そのことが正確で読みやすく、それでいて深みもある文体を生んだのだろうか。今回、印象に残った作品は「聖書の赤いおじさん」。最初に開いた店でのできごと。まだ郵便局でアルバイトもしていた。アルバイトの日は早めに店仕舞をする。そこへ常連の職方風の小柄なおじさんがやってくる。

《仕事あがりに駅前の立ち呑み屋でいっぱいひっかけての帰り道ということらしく、いつも赤ら顔。
「わりぃな、酒くさくてよ」などと言いながらも、買っていかれる本は、たいてい『それでも聖母は信じた』というような、キリスト教系のさまざまな教団から出されている、少々マニアックで硬めの本。
 『聖書』は何種類も揃えているようで、「こりゃあウチにねえ(無い)な」という、ぼそっとしたつぶやきが聞こえてくるときもありました。
『本やこう(なんか)買うてけえったら(帰ったら)、酒呑んでしょんべんになったほうが、なんぼかマシじゃ言うて、嬶[かかあ]にケチつけられるんじゃけどな」と笑いながら、それでも来るたびに、一冊、二冊と作業着のポケットにねじ込んである、くしゃくしゃのお札を出して買っていってくれました。

おじさんも凄いが、聖書やキリスト教関係の本がそんなに在庫しているという蟲文庫もすごい。ところがある日、郵便局での仕事開始まであと四十分というときに、赤いおじさんが入って来た。通勤に二十分はかかる。いつもゆっくり本を見るおじさん……時間は迫る。さて、どうなるでしょう。本書でお楽しみください。

「祖父母」も好きだ。店の表で写真を撮っていると見慣れない犬が二匹連れ立って歩いて来た。

《前を歩くのが、中型の雑種然とした犬で、その後ろにぴったりとついているのが、小型でグレーの巻き毛の洋犬。その組み合わせだけでもなんだか面白いので、これはシャッターチャンスとばかりパチリとやっていたら、なんと、そのまますんなりと店のなかに入って行ってしまいました。
 どちらも首輪をしていて、人にも慣れているふうですが、しかしリードも飼い主も見当たりません。実は少し犬が苦手ということもあり、いったいどうしたものかと遠巻きにおろおろしている私を気に留めるふうもなく、店の床にねそべり、ごろごろとくつろいだりじゃれあったりして、そして小一時間くらいがたってから、また二匹連れ立って、ふいと去ってゆきました。
 そんな話を友人にすると、
「それ、誰か知り合いよ、きっと。おじいちゃんとおばあちゃんあたりじゃないの?」と言うのです。》

二匹の犬はそれ以来二度と姿を見せなかったそうである。




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by sumus2013 | 2016-09-11 18:52 | おすすめ本棚 | Comments(0)

鉄道絵葉書の世界

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『動く京都・20世紀 鉄道絵葉書の世界』(京都絵葉書研究会、二〇一六年九月一日)。編輯は森安正、生田誠、高田聡。コレクター三氏による京都の鉄道絵葉書コレクション。

内容紹介はこちら

鉄道ファンはもちろん京都通を任じる人ならぜひ座右に置かなければならない一冊である。例えば、暑さということで目に留まったこんな一枚。

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「三條ノ上空ヨリ俯瞰セル大橋及應天門方面ノ美観」……橋詰め北側(向かって左)の切妻屋根のあたりに現在はブックオフがある。それはともかく、橋の上の色が変っているのはどうしたわけか。よくよく見てみると、どうやら橋の上に水をまいているようなのである。

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これは散水車ではないか? この様子だと橋の上を何度も往復しているようだ。「京都・散水車」で検索してみると京都市電の散水電車がいくつか見つかった。それは舗装していない道路の埃を防ぐためだったという。

2012年07月01日 | 京都市電開業100年

大阪だが《大正十四年に完成した鉄筋コンクリートの戎橋。橋の上には散水車が。》とキャプションのある写真を見つけた。

道頓堀写真館

……と以上のように細部まで楽しめる絵葉書集である。一部書店でも買えると思うが、ヤフオクに即決で出品されているので(たぶん生田氏が出品者)、ご興味のある方はタイトルで検索してみていただきたい。

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by sumus2013 | 2016-08-16 20:20 | おすすめ本棚 | Comments(0)

田端人/大和通信

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矢部登さんより『田端人』第一輯(二〇一六年八月)が届いた。『田端抄』が一冊にまとまって、このあと、どうなるのかなあといらぬ心配をしていたが、『田端人』と名前を変えて続刊されるようだ。うれしい。

『田端抄』(龜鳴屋、二〇一六年二月一日)

まず冒頭は「いにしえの田端の里をおもえば砂場があった」。砂場は蕎麦屋。田端と蕎麦にまつわるあれこれがつるつるとたぐり寄せられる。

《昭和四十年ころのはなしとして、山本氏は浅草に古くからある寿司屋の親方から「そばっ喰いとは言うけど、そばは食うとかすするとは言わない、たぐるものだ」と教えられ、「美味しいものを食べるのではなく、ものを美味しく食べることの大切さ」をはじめて学んだという。たぐるとは、辞書の新解さんをひらくと「両手をかわるがわる動かして、手許へ繰り寄せる」とあり、明治生まれであろう親方の口からかたられる、そばっ喰いの作法に瞠目し魅せられた。
 ほれぼれとする親方の姿が浮かびあがり、心にくし。
 その日を境にあらためて蕎麦はたぐる。》

十年ほど前に茅場町の長寿庵でもりを食べ、店にあったPR誌『新そば』を開くと山本益博「そばをたぐる」が載っていて、そこで村瀬忠太郎『蕎麦通』(一九三〇年)を知ったというくだりである。そしてその後、山本益博『大人の作法』を読んで、この寿司屋の親方というのが弁天山美家古寿司の内田榮一だったことを知る。本のなかの蕎麦と実際に矢部さんがたぐった蕎麦がないまぜになってなんとも美味なエッセイになっている。

そして田端、結城信一、清宮質文と矢部さん偏愛のテーマがつづき「空無頌」として帖面舎と津軽一間舎、からなし・そさえてについて既発表の文章を大幅に改稿してまとめておられる。こちらも本好きにはたまらない一篇である。


『大和通信』104号(海坊主社、二〇一六年八月一〇日)は中尾務さんより。月の輪書林高橋徹が「川崎彰彦メモ二つ」を寄稿していて、オッと思う。メモ1はたなかよしゆき『詩集冬の木』(葦書房、一九七五年一月二〇日)について。メモ2は詩と評論『月刊近文』(大阪・伴勇)について。川崎、寺島珠雄、そしてそれらの珍しい資料を丁寧に保存していた長谷川修児のこと。月の輪さんらしいこだわりがうかがえる一文だ。

中野朗「川崎彰彦を探して第十八回 『川崎彰彦傑作撰』顛末」は同書が刊行一ヶ月で完売したことについての報告。善行堂と三月書房があわせて五十冊売ったという驚き(京都で五十冊売れたことになる)。三百部発行が少な過ぎたという反省も。せめて五百だったかと。たしかにそうだ。値段が安かったのもあると思う。いや、しかし、いい本だから売れた、そういうことだろう。また、当銘広子さんも「本が出来た」として『大和通信』の発行そのものが『川崎彰彦傑作撰』のためにあったということを書いておられる。

『川崎彰彦傑作撰』(中野朗・中山明展、二〇一六年四月九日)

中尾さんは「阪田寛夫、能島廉の年譜を編む」。能島廉(のしまれん)については無知だった。中尾文もかなり凄い逸話が盛りだくさんだが、ウィキの「能島廉」を読むだけでも小説になる人生だったことがよく分る。阪田寛夫がモデル小説を書いているそうで、その「よしわる伝」にこうあるという。

《最低の位置に自分を据えたお蔭で、野島〔=能島〕はただ一人無疵なのだった。その代わり、と言ってよいかどうか、同じように自分を戯画化し卑小化して相手を斬る「劣等感もの」を書いていた私の経験から言えば、そのあと、同じように長い小説が書けなくなった》

三輪正道「還暦・定年・無職以後(二)」は新著『定年記』(編集工房ノア、二〇一六年七月一五日)ができるまで。《七月八日、六回目の放射線治療をおえ、鯖江の家に帰ると長野市の亜細亜印刷から段ボールが九つ届いた。》……これは読みたいなと思う。三輪さんと同い年だし。



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by sumus2013 | 2016-08-04 20:19 | おすすめ本棚 | Comments(0)

アンドレ・ブルトン没後50年


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アンドレ・ブルトン没後50年記念イベントへのパスポート


アンドレ・ブルトン没後50年記念展
2016年9月3日 - 10月23日
シス書店
http://www.librairie6.com


アニー・ル・ブラン来日講演

第 I 部 アンドレ・ブルトンを語る
2016年9月18日
シス書店
http://www.librairie6.com

第 II 部 アンドレ・ブルトンの遺志と現代へのメッセージ
2016年9月21日
アンスティチュ・フランセ東京
エスパス・イマージュ
http://www.institutfrancais.jp/tokyo/


アンドレ・ブルトン没後50年記念出版

I ブレッソン+ブルトン『太陽王アンドレ・ブルトン』
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II ラドヴァン・イヴシック
『あの日々のすべてを想い起こせ
アンドレ・ブルトン最後の夏』

III アニー・ル・ブラン『換気口』

IV アンドレ・ブルトン『等角投像』


エディション・イレーヌ
http://www.editions-irene.com/schedule.html


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by sumus2013 | 2016-08-01 14:58 | おすすめ本棚 | Comments(0)

室生家の料理集

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室生洲々子『をみなごのための室生家の料理集』(龜鳴屋、二〇一六年六月一九日)。絵=武藤良子。武藤さんから龜鳴屋さんの仕事をしたと聞いていたが、こんな形になって出来上がって来るとは想像しなかった。すばらしい。『コペ転』とはまた違ったムトーさんの才能が発揮されている。

『をみなごのための室生家の料理集』 室生洲々子著 最新刊


室生洲々子は室生朝子の娘で室生犀星の孫である。十歳まで室生犀星が終の住処とした東京南馬込の家で暮らした。現在は金沢に住み、室生犀星記念館名誉館長。本書は二十三の料理について簡単な説明と料理手順が記されており、対面ページに武藤さんのカラー挿絵が添えられる。

《「ひろず」をはじめ、祖母、母が作る料理は金沢の家庭料理が中心であった。そして祖父は生涯故郷金沢の味を大切にしていた。》(我が家の味)


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《水が綺麗な金沢は、お豆腐がとても美味しい。夏になると茶碗豆腐と言う丸い豆腐が店頭に並ぶ。中に辛子が入っているものもある。お豆腐の薬味というと生姜が一般的だと思うが、金沢では辛子が一般的らしい。このことは金沢に住んで初めて知った。ちょっとしたカルチャーショックを受けたが、近頃では辛子のほうが口にあってきたから不思議である。(我が家の味)

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《祖母は明治生まれにしてはハイカラな人で、天火を買い、鳥を焼いたり、ケーキをつくり家族を楽しませていた。この料理集で紹介したフレンチ・トースト・ウィズ・ハンバーガーも祖母が考案したひとつだ。そんな祖母に育てられた母は食に対する好奇心が非常に旺盛で、料理上手でもあった。》(あとがき)

この「フレンチ・トースト・ウィズ・ハンバーガー」はどんなものかと言うと、

《祖母が軽井沢で、中華のシェフから教わった料理。室生家の母の味。子供達の大好物。

材料 ひき肉(牛または豚、あいびきお好みで)、玉ねぎ、サンドイッチ用の食パン、お塩、コショウ、ナツメグ、小麦粉、玉子、パン粉、油

作り方
1 玉ねぎをみじん切りにして飴色になるまで炒める。
2 ひき肉を加えさらに炒め、お塩、コショウ、ナツメグを加える。
3 パンは耳を切り落として4つに切る。そのひとつに2をのせ、ナイフで押しつけるようにしてパンに固定する。
4 粉、とき卵、パン粉の順に衣をつけ焦げ目がつく程度に揚げる。油に入れる時は、パンの方を下にしてすべり込ませる。油を切る時は肉の方を下にするとよく切れる。

食べる時はからし醤油で。不思議とソースはあいません。》

うむむ、おいしそうだが、これはなかなか……である。

なお「フレンチトースト」の「フレンチ」はフランスのことではないらしい。ニューヨークの酒屋の店主ジョーゼフ・フレンチが命名した、という説や、ジャーマン・トーストと呼ばれていたのを第一次世界大戦のときにフレンチに変えたという説もあるらしい。かなり古くからあった料理のようだ。フランスでは「pain perdu いたんだパン」(固くなったパンがミルクや玉子でよみがえるところから)あるいは「pain doré 黄金のパン」などと呼ばれる

一例としてリンクしておく。

Recette du pain perdu au chocolat



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武藤さんの挿絵はリトグラフのような味わい。オリジナル・リトグラフ入の特装本を作ったらステキだなと思ったりする。


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by sumus2013 | 2016-07-22 20:22 | おすすめ本棚 | Comments(2)

倉田啓明綺想作品集

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『わが屍に化粧する―倉田啓明綺想探偵作品集―』(盛林道ミステリアス文庫、二〇一六年七月二一日)が届いた。倉田といえば『地獄へ堕ちし人々』(春江堂、一九二二年)に驚くような値段が付いているし、龜鳴屋さんでも傑作集を出している(完売)くらい奇特な作家のようだが、むろんどちらも所持せず、名前くらいしか知らなかった。いろいろな顔(作風)を持つ作家のようだということが本書を読んでいて分ったのはたいへんな収穫だ。

わが屍に化粧する―倉田啓明綺想探偵作品集―

目下のところ倉田啓明のウィキにも生年ははっきりと書かれていない。歿年はもちろん不明。ところが本書の解説片倉朝弥「本朝ぎさく気質」がなんとも執拗な追求ぶりで、とにもかくにも生年を記した資料を見つけておられる。

《倉田啓明 名は潔[きよし]。明治二十四年九月八日生。立教学院出身。「社会学体系序論」及び小説「地の霊」外五六編の作がある。現住所、日本橋浜町一ノ一七巴館》(『文章世界』大正三年三月十五日号「現代紳士録」)

これだけ分ればたいしたもの。ただ、それでも歿年はまだ不明のまま。

《探し出せた最後の小説は「仇討ち三味線」(『日の出』昭和十二・四)である。その後の消息は、杳として知れない。》

作品の評価についても片倉氏の一文を引いておく。

《倉田啓明が、谷崎潤一郎のような大作家に数えられることは今後も絶対にないだろう。一瞥すれば分るように、彼の作品には普遍的な芸術性というべきもは存在しない。あるのはただ、その場その場のモードに合わせて見繕った、一時的に消費されるだけの消耗品の味わいである。
 もっとも、その振る舞いを彼ほど突きつめたのは稀有な例だろう。生来の器用と無節操とで、明治末のデカダンスから大正の革命思想、昭和初期のモダニズムへと他の追随を許さないほど幾度も変化[へんげ]を繰り返した生涯は、倉田啓明という一人物に留まらず、彼の駆け抜けた時代をも雄弁に示すに至っている。普通は否定的に受け取られる変わり身も、彼の場合は魅力の一つとして特筆すべき域に達しているといえよう。大作家を読むのとはまた違った楽しみが、そこにはあるように思う。》

日本人の変わり身の早さに遅れまいと必死だった……そんな風にも思えて来る。

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by sumus2013 | 2016-07-21 21:03 | おすすめ本棚 | Comments(0)

高田渡1971 / TOKYO '70s

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佐治嘉隆『高田渡 1971 / TOKYO '70s』(佐治嘉隆、二〇一六年三月三〇日)。古本屋百年で三月末〜四月に開催された同名展覧会の図録らしい。装幀・印刷・製本も著者。

佐治嘉隆写真展『高田渡 1971 / TOKYO 70’s』

佐治嘉隆の●芭璃-BALI-の日々 ●日々の写真 ●ものlogue

写真展初日 / Snapshot -吉祥寺-

写真展最終日

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どれもいい写真だが、やっぱり、これ、高田渡が古本屋(?)で立ち読みしている図。奥の額は「耽読……」とだけ読めるが、お心当たりの方は是非御一報を。

もう一冊、似た感じの写真集を紹介する。今井雅洋『VEST POCKET KODAK』(二〇一五年)。高田渡の方はやや粗目のインクジェットだが、こちらは堅牢なコート紙を用いてもっと写真に近い仕上がりになっている。体裁も綴じずに挟み込むだけにしたところがナイス。

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作品も写真というより写真という媒体を使ったアートを目指しているようだ。コンテンポラリーとノスタルジーが同居しているような雰囲気が魅力。好きな作家である。

今井雅洋のアルテ・ガレッキ

今井雅洋 Photo Art 展

今井雅洋 Photo Art [debris](記憶ノ總体トシテノ)


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by sumus2013 | 2016-06-21 20:39 | おすすめ本棚 | Comments(0)

WAY OUT WEST

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古書善行堂へ。しばらくぶり。うらたじゅんさん作の大作を見せてもらう。善行堂はもちろん小生をはじめsumusの同人が"のすたる郡浦田町"の街角に勢揃いした情景が描かれた傑作。傑作にふさわしい上等な額縁も必見。高知での講演会などについていろいろ聞く。実り多き旅だったようだ。善行堂の奥方にも久しぶりでお会いする。帳場に二人向かい合って座る図はなかなかよろしいなあ。

『WAY OUT WEST』no.87(JAZGRA, 二〇一六年六月一日)をもらう。内容とデザインのクオリティがこれほど高いフリーペーパーはそうざらにはないだろう。表紙のイラストも手がけるデザイナーの藤岡宇央(たかお)氏がたったひとりで作っているのだそうだ。しかも赤字は一度もないとのこと。これも驚き。今号、藤岡氏による連載「DESIGNER'S NOTES vol.25」では「いいデザインって何よ?」と題して図と地の理論が展開されている。

《デザインの良し悪しの判断のひとつに、「レイアウトのバランス」がある。それこそが図と地の関係である。》

まさに同感。デザインというのはさまざまな要素を「どう並べるか」に尽きる。微妙な相互関係が「良し悪し」に響いて来るのは間違いない。そういう意味では『WAY OUT WEST』は言うことなしのバランスを保っている。

善行堂の連載「本の中の、ジャズの話」は知らないうちに63回目だそうだ。十分に一冊にまとめられる分量になっている。通しで読みたい人、少なくないはず……。


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by sumus2013 | 2016-06-09 20:49 | おすすめ本棚 | Comments(0)

損をしてでも良書を出す2

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河本亀之助は国光社の印刷部門を取り仕切っていたが、金尾文淵堂が企画した『仏教大辞典』が頓挫、そのため生じた損失の責任をとって辞任したようである。負債は九千円にのぼったという。明治四十年のこと。これをきっかけとして亀之助は印刷業(出版業)を始めることを決意した。

《追悼録によれば、蔵書三千余冊を売り払って得た六百円をもとにしたという。》

もちろん六百円では資本の一部にしかならないだろう。この金策については金尾種次郎が智恵をつけたのだと宇野浩二が書いている。

《その頃(明治四十一二年頃か)築地印刷所の重役をしてゐた、河本亀之助は、金尾をあまりに信用し過ぎて、金尾に大きな穴をあけられたのが元で、築地印刷所を引いて、洛陽堂という出版屋になった。しかし又、河本が、洛陽堂をはじめる時に、その資本として、蔵書を売る智慧をつけ、その相談をしたのも、前に書いたやうに、金尾であつた。》(『文学的散歩』)

「築地印刷所の重役」は誤伝、またこのとき亀之助が始めたのは洛陽堂ではなくて千代田印刷所であった。宇野の回想は割合と正確だと思うが、この記述は少々不正確に過ぎる。千代田印刷所の開業は明治四十二年二月二日。そして洛陽堂として山本瀧之助『地方青年団体』を出版したのが同年十二月十日である。すでに述べたように同年同月十五日発行の『夢二画集春の巻』が先に出来上がった。明治四十三年四月一日には『白樺』の発行名義元となり四十三年二月には武者小路実篤『お目出たき人』を刊行……以下の活躍ぶりは本書をごらんいだたきたいが、損をしてでも良書を出す生涯を貫くことになる。

恩地孝四郎は一ファンとして洛陽堂に竹久夢二の住所を尋ねたというが、その夢二の推薦で恩地が手がけた最初の装幀本は洛陽堂から出た西川光二郎『悪人研究』(明治四十四年刊)だった。

《国家社会主義者であつた西川光二郎氏が転進してたしか義勇教悔[誨]師といつたやうなことをやり初めの頃、その経験をかいた本。昔なつかしい洛陽堂刊。四六判五六分厚さの紙装のカバアに面、鬼のやうなのをいろいろかいたのである[。]僕、美術学校入りたて位の時か、夢二全盛時代、夢二君がやつてみないかと云はれて初めて公刊本の表紙といふものをかいたのである。明治末であつたらう。》(恩地孝四郎「装本回顧」)

古書関係でもっとも注目したのは亀之助の弟・哲夫が神田で古書店をやっていたというくだりである。カリフォルニア大学に留学して帰国したのが大正五年秋。

《私は、その当時、麹町平河町に居住して、しばらくの間、洛陽堂の企画、編集に参加しつつあったが、その後、神田神保町の電車通りで、「新生堂」という看板をかかげて、古本屋を開業していた。古本屋という商売には、全く無経験の私であったが、幸い、知人の紹介で、牛込の加藤古本店主人の指導を受けて、この商売について少しずつ勉強しながら、毎日、風呂敷を背負って古本の買い出しに出かけたり、古書の競り市場にもたびたび行ったものである。開店に際し、少しばかりの資本と、自分が在米中買い集めていた、約千冊ほどの洋書と、海外から輸入した、キリスト教や、美術書の古本などを加えて、開業したのである。当時の店の位置は神保町の電車通りで、今の都電停留所専修大学前で、富士見町教会からは、九段下を下れば、直ぐ近くにあったので、植村正久先生は、たびたび店に来られた。また、その当時のキリスト教会知名の先生や、作家、画家なども、この変わりだねの店の顧客であった。作家では、有島武郎、大仏次郎、武者小路実篤、木村荘八氏なども顔なじみの客であった。》(日本キリスト教出版史夜話(8)新生堂とその時代)

亀之助は大正九年に歿したため、哲夫は洛陽堂から完全に退いてキリスト教書の販売と出版に専念するようになった。そこへ関東大震災がふりかかる。商品家財のすべてが焼けてしまった。しかし新生堂古書店が焼け跡で復興するのは早かった。

《神田古本屋町の焼け跡へ真先に古本店を復活させたのは旧洛陽堂の主人の実弟河本哲夫氏で北神保町の新生堂がそれだ焦土の上で第一番に誰が何を買つたか「それは印半纏を着た労働者風の青年で一冊廿銭の古い聖書を買つて行きました九月廿八日のことです」それから一週間位の客は殆どすべてが労働者で一円以下の安い物ばかりが売れた、講談や小説の古雑誌が彼等に喜ばれるであらうといふ予期に反して有島武郎氏訳の「リビングストン伝」内村鑑三氏の地人論や「クリスト信徒の慰め」などが腹掛けの丼に収められた、最近漸く学生が一日二百名位づゝ来るが漁るものは大抵教科書、受験用書、辞書類である主人河本哲夫氏は加州大学の出身で芥川龍之介、宇野浩二の諸文士にも知られ同窓の学友にも篤志者があつてこんどの罹災に深く同情し神戸からは早速バラックの店を建てゝ呉れる仙台からは蔵書三千冊を無条件で送つて呉れるといふ有様で古本屋町第一の先駆をなし得たのもこれら学友の後援があつたからだと氏は敬虔に感謝してゐた》(読売新聞、大正十二年十月十二日)

他にも本書で知った小川菊松『出版興亡五十年』を代筆した中山三郎についてだとか、『白樺』編集中の原稿紛失事件などはきわめて面白い逸話であるし、そうそう柳屋三好米吉も登場する。いずれにせよ『洛陽堂河本亀之助小伝 損をしてでも良書を出す・ある出版人の生涯』が明治から大正にかけての印刷出版業における興亡に新たな光を当てた労作だということは何度でも強調しておく価値はあると思う。

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by sumus2013 | 2016-06-08 21:12 | おすすめ本棚 | Comments(0)