林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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乳房の神話学

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ロミ『乳房の神話学』(高遠弘美訳、角川ソフィア文庫、二〇一六年九月二五日)読了。じつに面白い。ロミの著作はかつて『突飛なるものの歴史』を紹介したが、本書は徹底的にサン(sein, おっぱい)にこだわった内容である。
神話学とタイトルには学があるが、じつはロミは学など歯牙にもかけていない。骨董屋や酒場を経営していた数寄者、物数寄、コレクターである。みずからの興味のおもむくままあっちのテトン、ニション、ネネ(いずれもオッパイの俗語、巻末には「乳房用語集」なる小辞書も備える、もちろんフランス語だけです)をちょいちょいとつまんでごらんよワン、ツウ、スリーという感じ。それがじつに愉快。思わず吸い込まれる、というか吸い付いてしまう。

いろいろ教えられるところは多かったが、個人的に印象に残った部分を取り上げてみる。まずヴァン・ドンゲンの「鳩と女」と題された絵が一九一三年のサロン・ドートンヌで警視によって外されたという事実、知らなかった。乳房も陰毛もあらわな全裸の女性が描かれていたとしてもおフランスである、いくら第一次世界大戦の前夜だとは言ってもそんな事件が起こるとは……信じ難い。黒田清輝の「朝妝」が腰巻き展示を強いられたのが明治三十四年(一九〇一)だから(それ以前には何度もそのまま展示されていたにもかかわらず)保守反動もいいところ。

もうひとつ、フランス女性の乳房の大きさについて。一九五五年に高等専門学校人類学研究所所属のシュザンヌ・ド・フェリス嬢が提出した学位論文はフランス女性の身体の発達についてだった。このなかで乳房の研究にあてられた部分はすこぶる興味深いという。そこからいくつかの数字が引用されている。そして

《彼女の結論。フランス女性の四分の三以上が「平均的な大きさの乳房、豊かな乳房、大変豊かな乳房」をしていて、小さな乳房、ごく小さな乳房は少数派(二三・一八パーセント!)である。》

このくだりを読んで思い出したのが山田稔さんがフランスへ初めて行ったとき女性の胸が大きいのにびっくりした、というか気圧された、とどこかに書いておられたことだ。これは直接ほぼ同じことを山田さんの口からも聞いた覚えがあるのだが、どこに書かれたものかすぐに思い出せない。『コーマルタン界隈』かなと思ったが、ざっと見たところでは見つからない。『マビヨン通りの店』をめくってみたら、そこに加能作次郎の「乳の匂ひ」についてのエッセイ「富来」にぶつかった。フランス女性のバストサイズとは関係ないが、乳房の文学ということで「乳の匂ひ」はピッタリではないか。これはフェティッシュですよ。さすが加能作次郎。

訳者の高遠氏はご自身も乳房コレクターでいらっしゃる。本書には文学のなかに乳房を博捜した「乳いろの花の庭からーーロミのために」が収められており、これもまた一読三嘆。乳房で読む日本文学アンソロジー! 日本人も決して乳房をおろそかにしていたわけではないのだ

《乳房という窓から覗けば日本文学も、またあらたな相貌を見せてくれるに違いない。私たちに陶酔と悔恨をあたえ、情欲と憧憬とをかさね、肉体と魂とを融合させ、視覚と触覚と味覚を一挙に満たしつつも、永遠の渇望状態に置く乳房なるものの現在[プレザンス]。》

あるいはこうも。本書の

《逸話や関連する図版は理論を振りかざすよりはるかに乳房の魅力を私たちに伝えてくれる。もし座右に置いて繰り返し読む乳房にまつわる本を選べと言われたら私は躊躇なく本書と、本書にも引かれているラモン・ゴメス・デ・ラ・セルナの散文詩集『乳房』(邦訳は抄訳。フランス語版は新書型で三百ページを優に超える)を挙げるだろう。》

失礼を顧みず三好達治ふうに言えば HIROMI のなかには ROMI がいる。

本書の元版はジャン=ジャック・ポヴェール(九月二十七日が三回忌)から「国際性愛研究叢書」第十六巻として一九六五年に刊行されたもの。ネット上で見つけた初版の表紙は下のようなもの。ソフィア文庫の表紙も悪くないが、さすがポヴェール版という表紙である(絵はベルナルディーノ・ルイニ「聖アガタ」)。

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 夢で子に乞われるままに与えたる乳房ひやりと皿に盛られて 大田美和


この歌は訳者のコレクションより。

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by sumus2013 | 2016-10-10 21:51 | おすすめ本棚 | Comments(2)

木箱

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『BOOK5』Vol.21(トマソン社、二〇一六年九月二九日)届いた。古本屋の木箱の特集! そんなこと思いつくのは友泉くんしかいないだろう。即売会ではよく見かけるが、それ以上でもそれ以下でもなかった。しかし実際に古本業を営むとなれば別である。往来座瀬戸氏の作るシン・フルホンヤバコはなかなかのアイデア。ちょっと作ってみたくなる。これは役立つ(……だろうか)。とにかくカラーページまである力作だ。

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と思ってはじめから読んでいると、松田友泉くんが「終り」という文章を書いているではないか。こち亀の連載終了に合わせたわけではないだろうが『BOOK5』の定期刊行が次号で終わるというのだ。

《2012年から隔月で刊行されていた同誌であったが、特集のネタと、私がついに力尽きてしまったのである。》

《『BOOK5』は、トマソン社のPR誌であるという位置づけである。当初はリトルプレスを扱っていたこともあって、こんなに面白い人がいるのに取り上げられないのはおかしい、とか、この人とこの人が組み合わさったら面白いのになぜやらない、とか、妙な義憤に駆られて企画を出していた。》

《だんだんと古本特集に傾きつつも邁進していたが、部数は(もともと少なかったものの)減少。基本赤字を出来するような状態となっていった。》

《次号で終りです。最後までよろしくお願いいたします。》



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by sumus2013 | 2016-10-08 20:45 | おすすめ本棚 | Comments(0)

『風景』と文芸誌の昭和

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『scripta』no.41(紀伊國屋書店出版部、二〇一六年一〇月一日、デザイン=礒田真市朗)。昨年五月三十日に新宿博物館「田辺茂一生誕一一〇年 作家50人の直筆原稿 雑誌『風景』より」展にちなんで行われた大村彦次郎×坪内祐三対談が掲載されている。雑誌『風景』については二度ほど過去に取り上げた。



坪内氏はまず和田芳恵の「接木の台」が『風景』(一九七四年六月号)に掲載されたことをシンボリックな現象として口火を切っている。大村氏は当時『群像』の編集長で『風景』のような小説家が片手間に作る雑誌に「接木の台」が載って《みなショックをうけ》《色めきたった》と答える。

次いで田辺茂一は純文学の批評家としてデビューしたわけでしょうと坪内氏。大村氏は田辺と梶山季之が飲んでいるところへ訪ねたとき、梶山が「君、たまには田辺さんにも書かせてやってくれよ」と大村氏に言った、梶山は流行作家だったが田辺よりも二十五年下である。

《これはかなり意地悪な言い方ですね。そこで笑いに紛らすようにして梶山季之にそう言われたときの、田辺さんの複雑な顔つきというのは、やはり若いころにものを書こうと志して、その志が半ば遂げられなかった人の複雑さだったのではないでしょうか。

とは大村氏の感想だが、これは少し違うのではないか。梶山は物書きとしての田辺を認めていたのではないか。冗談めかして言ったとしても、そう思っていなければそんな言葉が出てくるはずもない。坪内氏はこう続ける。

《田辺さんの著書はたくさんありますけど、すごく文章がいいんですよ。味わいがあって。》《田辺さんはあれだけいいものを書いていたのにほとんど書評もされていないんですよね。それはかなり不幸なことだなと思います。》

いや、まさにその通り。なまじ(?)実業家として成功してしまったがために文筆家としての真価を認めてもらえなかった、今も認めてもらっていないかもしれない。しかし、小生も『喫茶店の時代』を書くときに田辺の随筆を何冊も読んだからよく分るが、本物の物書きである。

この話を受けて大村氏は田辺が阿佐ヶ谷会に入ろうとしたエピソードを語っている。木山捷平に斡旋を頼んだそうだが、会員たちにあっさり断られた。木山は中野から吉祥寺までが中央線沿線で新宿は大都会だからダメだとかなんとか苦しい言い訳をしたとか。文学青年としての夢を果たせなかったという気持ちが田辺のなかにあったのだろうと大村氏。

『風景』の母体となった「キアラの会」について。

《戦後すぐ(昭和二三年)に短命に終わった同人雑誌に『文芸時代』というのがあって、そのスポンサーだったのがジューキミシンという会社の社長でした。『文芸時代』の同人のなかで親しく交際をもった作家が結成したのがキアラの会です。キアラの会には、当時流行作家として伸びていた井上靖や源氏鶏太のほかに、北条誠、有吉佐和子、遠藤周作、北杜夫、澤野久雄、芝木好子、林芙美子、日下令光[ひのしたよしみつ]、三浦朱門、水上勉、吉行淳之介、それから三島由紀夫も入っておりました。吉行さんは「伽羅[きゃら]の会」と言っていましたね。》(大村)

キアラ(Chiara)はイタリア語で「光輝く、明るい」の意味らしい。

昭和五十一年一月に舟橋聖一が死去し『風景』は廃刊した。その年に村上龍「限りなく透明に近いブルー」が芥川賞をとって百万部を売りつくした。五十二年には和田芳恵が、そして五十三年には平野謙も死去《ここに戦後文学の幕が降りたかなという感じがいたしました》(大村)ということである。

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by sumus2013 | 2016-10-02 19:59 | おすすめ本棚 | Comments(0)

東福門院和子

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珍しく新刊書店で柴桂子『江戸期に生きた女表現者たち』(NHK出版、二〇一六年七月一日)を買って読んでいる。徳川時代に生きたさまざまな階層の女性たち十三人の生涯をその日記などから語っている内容でたいへん面白い。

京都の歴史を考えるうえで「東福門院と皇女たち〜女帝の母として寛永期の文化を担う(京都)」は参考になったし、とくに後水尾天皇(ごみずのおてんのう)のふるまいには、最近の退位問題ということもあって、興をそそられた。

東福門院和子(まさこ)は二代将軍秀忠とお江与(江=ごう、浅井長政の三女、母は信長の妹お市、姉に千姫、珠姫、勝姫、そして淀殿は伯母)の五女。家康はどうしても皇室に和子を入内させたかった。藤堂高虎が朝廷との斡旋につとめていたところ、後水尾天皇には四辻公遠の娘およつとの間に皇子と皇女ができた。とたんに譲位すると言い出した。もうすでに女御御殿の建設が始まっていたので高虎は天皇に面と向かってもし譲位したらあなたを配流にし自分は切腹すると恫喝して譲位を思い止まらせた。

ところが後水尾天皇は和子がすっかり気に入った。二皇子五皇女をつくったというからたいしたものである。ただし成長したのは四人の皇女だけであった。第一皇子は一歳七ヶ月で、第二皇子はわずか六日の命であった。

慶長十八年に幕府より「勅許紫衣・諸寺入院」「禁中並公家諸法度」が下されたが、後水尾天皇は無断で紫衣勅許を行った。幕府はそれを認めず無効とした。《そのことに加え、元和の法度の矛盾などに反発した大徳寺の沢庵らは抗議書を幕府に提出したが認められず、逆に配流の処分を受けた》。

《後水尾天皇は高仁親王[すけひと、第一皇子]の死去の二か月後、譲位の意志を和子付の女房権大納言局を通して秀忠、家光へ伝えた。二人とも「今しばらく御在位の事を」と書簡で天皇の譲位の思いをとどめた。》

《寛永六年八月、和子は女三宮を出産した。十月には、家光の乳母ふくが、春から病気続きであった家光の病気快癒のお札参りの伊勢参詣を理由に上洛し、天皇への拝謁と和子への見舞いや出産祝いに参内した。この時、ふくは武家伝奏三条西実条の猶妹(義理の妹)という身分で拝謁し、天盃を給わり、「春日」という局名を与えられた。》

《天皇は、ふくの江戸への下向を待っていたかのように、その月の末日、女一宮へ内親王の宣下をし、興子[おきこ]の名を与えた。翌十一月、天皇は幕府へ知らすことなく、突如、七歳の興子内親王に位を譲り上皇となった。奈良時代の称徳天皇(孝謙天皇重祚)以来、八百六十年ぶりの七人目(九代)の女帝明正天皇の誕生である。
 譲位後の翌日、和子は東福門院の院号を与えられ皇太后となった。》

上の肖像画は尾形光琳の筆になる後水尾天皇像(宮内庁書陵部蔵)。光琳の肖像画というのがちょっと意外な感じであるが

《呉服商雁金屋は、東福門院の母お江与の生家浅井家の家臣につながるということで、江戸城にも出入りしていた関係で、女院御所にも出入りした。雁金屋の小袖を記録した衣装図案帳『御用雛形帳』や『御絵帳』などは女院御所の注文の物であるという。女院御所に出入りしたのは雁金屋尾形宗柏、宗謙父子の時代で、東福門院の呉服の注文は五千両以上の年もあったという。》

《宗柏は染織家といわれ、宗謙は画家であり、書家でもあった。ちなみに宗謙の二男が「燕子花図」などで有名な尾形光琳である。光琳の貴族的、装飾的で美麗な作品は女院御所に出入りした父の影響もあったとも考えられる。尾形家三代の芸術品は、女院御所で生まれたともいえよう。》

という関係があった。これなどほんの一例に過ぎない。東福門院和子は幕府から莫大な予算を引き出し、京都の文化的発展に寄与したようである。

《東福門院を通して京都へ持ち込んだ金品は測りしれない。化粧料として一万石、さらに従来の皇室料一万石を加増して二万石とし》《度重なる新造内裏、新院御所、女院御所などの建築費用、数多い門跡寺院の再興費用のほとんどは幕府からの費用で賄われた。》

まさに京のゴッドマザーと呼ぶにふさわしい女性であった。

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by sumus2013 | 2016-10-01 21:12 | おすすめ本棚 | Comments(0)

ハイカラ神戸幻視行

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西秋生『ハイカラ神戸幻視行 紀行篇 夢の名残り』(神戸新聞総合出版センター、二〇一六年九月二八日、装釘=戸田勝久)読了。二〇〇九年に前作を紹介しているが、その姉妹編である。

西秋生『ハイカラ神戸幻視行 コスモポリタンと美少女の都へ』

谷崎やタルホなど多く重なる部分はあるものの、本書は地霊(ゲニウス・ロキ)に導かれた紀行篇というかフラヌール篇。居留地、北野、三宮、トアロードなどはもちろん東は芦屋から西は須磨まで、それぞれの土地にゆかりの芸術家や実業家たちの活躍をいきいきと描き出してくれている。

【喫茶店の時代】で言えば三宮の「パウリスタ」についての言及がたいへん参考になった。

《昭和十四年(一九三九)、中山岩太が神戸市観光課の委嘱を受けて撮影した連作『神戸風景』に、トアロードは何点も取り上げられているが、中にカフェパウリスタが移った一枚がある。》

《神戸のパウリスタは大正二年(一九一三)。トアロードの、当時まだ高架線になっていなかった国鉄の踏切を下った先、東南の角地の木造洋館で創業した。》

今東光『悪童』に踏切際のパウリスタが登場すること。そして中山岩太が撮影したのは大正九年に新築移転した建物で、当時は最新のビルだったこと。新開地本通りの「扇港薬局」を営んでいた二十二歳の横溝正史は元町にあった「ブルーパゴタ」の紅茶とカフェパウリスタの《少し泡立った珈琲を愛飲した》。薄田泣菫『茶話』にカフェオリエントとカフェパウリスタを取り違えるスケッチがある……など。他にもガス、ユーハイム、カフェダイヤモンド、オリオン、元町の喫茶店などが登場して興味が尽きない。

横溝正史といえば、

《この途中に日本SFの源泉として記念すべき土地がある。加納町二丁目の交差点の東南角の井上勤旧居跡で、この人は明治十三年(一八八〇)、ジュール・ベルヌ原著『九十七時間二十分間月世界旅行』を大阪の書林・三木佐助から翻訳刊行した先覚者である。》(瀧へ行く道)

《公園の麓にある中央図書館は、日本探偵小説の源流の一つである。大正十年(一九二一)、落成直後にここで開催された講演会で、当時の高名な評論家。馬場孤蝶が海外の探偵小説の動向を紹介したのを聴いた江戸川乱歩が刺戟を受け、デビュー作「二銭銅貨」を執筆するに至ったのである。この講演会には地元の横溝正史も来ていたが、その時には面識がなく、お互いそれとは知らなかった。》(大倉山から国会へ)

《西柳原にはもう一人、夢幻の主が住んでいた。明治二十六年(一八九三)に生まれた当地の裕福な地主・西田政治である。》《かれは乱歩以前から活動する探偵小説の先覚者であって、大正九年、雑誌「新青年」が創刊になると即座に短篇「林檎の皮」を投稿、八重野潮路のペンネームのもとで掲載された。横溝正史の年上の朋友である。》

さすが神戸、海外の新しい傾向には敏感だったようだ。神戸を愛した外国人も多数登場する。再度山(ふたたびさん)修法ヶ原の外国人墓地に葬られている外国人には以下のような人々がいるそうだ(一部抜粋)。

日本初のラグビーチームを作ったエドワード・B・クラーク
関西学院創設に関わったジェームス・ウイリアムス・ランバス
ラムネ製造のアレキサンダー・カメロン・シム
神戸港長の初代ジョン・マーシャルと二代目ジョン・マールマン
大阪鉄工所(日立造船所の前身)を設立したエドワード・ハズレッド・ハンター
神戸女学院を創立したイラルザ・タルカット

なるほどたしかに神戸とはハイカラとモダンという言葉にこめられた日本人の西洋憧憬を憧憬でなく現実のものとしていた稀有な都市であった。

前著を評して文学地図があればカンペキと書いたが、本書巻末には見やすい地図が附せられている、これ以上言うことなし、の出来である。

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戸田氏のカバー画、これぞ神戸!(幻視のトアロード)


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by sumus2013 | 2016-09-25 20:38 | おすすめ本棚 | Comments(2)

わたしの小さな古本屋

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田中美穂『わたしの小さな古本屋』(ちくま文庫、二〇一六年九月一〇日、装画=平岡瞳)読了。単行本が出てからもう四年半にもなるとは……。

田中美穂『わたしの小さな古本屋 倉敷「蟲文庫」に流れるやさしい時間』

上の投稿で蟲さんはまだ独身と書いてあるが、今は既婚者(向井くんはまだだと思うけど)。本書には単行本に収められていないエッセイも八篇追加。そして早川義夫氏の「解説」がまたいい。

再読してみてあらためて上手い書き手だなあと感心した。ご本人も書いておられるが、自然科学の本ばかり読んで青春時代を過ごし、その上に広い文学的な経験を重ねたようだ。そのことが正確で読みやすく、それでいて深みもある文体を生んだのだろうか。今回、印象に残った作品は「聖書の赤いおじさん」。最初に開いた店でのできごと。まだ郵便局でアルバイトもしていた。アルバイトの日は早めに店仕舞をする。そこへ常連の職方風の小柄なおじさんがやってくる。

《仕事あがりに駅前の立ち呑み屋でいっぱいひっかけての帰り道ということらしく、いつも赤ら顔。
「わりぃな、酒くさくてよ」などと言いながらも、買っていかれる本は、たいてい『それでも聖母は信じた』というような、キリスト教系のさまざまな教団から出されている、少々マニアックで硬めの本。
 『聖書』は何種類も揃えているようで、「こりゃあウチにねえ(無い)な」という、ぼそっとしたつぶやきが聞こえてくるときもありました。
『本やこう(なんか)買うてけえったら(帰ったら)、酒呑んでしょんべんになったほうが、なんぼかマシじゃ言うて、嬶[かかあ]にケチつけられるんじゃけどな」と笑いながら、それでも来るたびに、一冊、二冊と作業着のポケットにねじ込んである、くしゃくしゃのお札を出して買っていってくれました。

おじさんも凄いが、聖書やキリスト教関係の本がそんなに在庫しているという蟲文庫もすごい。ところがある日、郵便局での仕事開始まであと四十分というときに、赤いおじさんが入って来た。通勤に二十分はかかる。いつもゆっくり本を見るおじさん……時間は迫る。さて、どうなるでしょう。本書でお楽しみください。

「祖父母」も好きだ。店の表で写真を撮っていると見慣れない犬が二匹連れ立って歩いて来た。

《前を歩くのが、中型の雑種然とした犬で、その後ろにぴったりとついているのが、小型でグレーの巻き毛の洋犬。その組み合わせだけでもなんだか面白いので、これはシャッターチャンスとばかりパチリとやっていたら、なんと、そのまますんなりと店のなかに入って行ってしまいました。
 どちらも首輪をしていて、人にも慣れているふうですが、しかしリードも飼い主も見当たりません。実は少し犬が苦手ということもあり、いったいどうしたものかと遠巻きにおろおろしている私を気に留めるふうもなく、店の床にねそべり、ごろごろとくつろいだりじゃれあったりして、そして小一時間くらいがたってから、また二匹連れ立って、ふいと去ってゆきました。
 そんな話を友人にすると、
「それ、誰か知り合いよ、きっと。おじいちゃんとおばあちゃんあたりじゃないの?」と言うのです。》

二匹の犬はそれ以来二度と姿を見せなかったそうである。




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by sumus2013 | 2016-09-11 18:52 | おすすめ本棚 | Comments(0)

鉄道絵葉書の世界

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『動く京都・20世紀 鉄道絵葉書の世界』(京都絵葉書研究会、二〇一六年九月一日)。編輯は森安正、生田誠、高田聡。コレクター三氏による京都の鉄道絵葉書コレクション。

内容紹介はこちら

鉄道ファンはもちろん京都通を任じる人ならぜひ座右に置かなければならない一冊である。例えば、暑さということで目に留まったこんな一枚。

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「三條ノ上空ヨリ俯瞰セル大橋及應天門方面ノ美観」……橋詰め北側(向かって左)の切妻屋根のあたりに現在はブックオフがある。それはともかく、橋の上の色が変っているのはどうしたわけか。よくよく見てみると、どうやら橋の上に水をまいているようなのである。

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これは散水車ではないか? この様子だと橋の上を何度も往復しているようだ。「京都・散水車」で検索してみると京都市電の散水電車がいくつか見つかった。それは舗装していない道路の埃を防ぐためだったという。

2012年07月01日 | 京都市電開業100年

大阪だが《大正十四年に完成した鉄筋コンクリートの戎橋。橋の上には散水車が。》とキャプションのある写真を見つけた。

道頓堀写真館

……と以上のように細部まで楽しめる絵葉書集である。一部書店でも買えると思うが、ヤフオクに即決で出品されているので(たぶん生田氏が出品者)、ご興味のある方はタイトルで検索してみていただきたい。

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by sumus2013 | 2016-08-16 20:20 | おすすめ本棚 | Comments(0)

田端人/大和通信

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矢部登さんより『田端人』第一輯(二〇一六年八月)が届いた。『田端抄』が一冊にまとまって、このあと、どうなるのかなあといらぬ心配をしていたが、『田端人』と名前を変えて続刊されるようだ。うれしい。

『田端抄』(龜鳴屋、二〇一六年二月一日)

まず冒頭は「いにしえの田端の里をおもえば砂場があった」。砂場は蕎麦屋。田端と蕎麦にまつわるあれこれがつるつるとたぐり寄せられる。

《昭和四十年ころのはなしとして、山本氏は浅草に古くからある寿司屋の親方から「そばっ喰いとは言うけど、そばは食うとかすするとは言わない、たぐるものだ」と教えられ、「美味しいものを食べるのではなく、ものを美味しく食べることの大切さ」をはじめて学んだという。たぐるとは、辞書の新解さんをひらくと「両手をかわるがわる動かして、手許へ繰り寄せる」とあり、明治生まれであろう親方の口からかたられる、そばっ喰いの作法に瞠目し魅せられた。
 ほれぼれとする親方の姿が浮かびあがり、心にくし。
 その日を境にあらためて蕎麦はたぐる。》

十年ほど前に茅場町の長寿庵でもりを食べ、店にあったPR誌『新そば』を開くと山本益博「そばをたぐる」が載っていて、そこで村瀬忠太郎『蕎麦通』(一九三〇年)を知ったというくだりである。そしてその後、山本益博『大人の作法』を読んで、この寿司屋の親方というのが弁天山美家古寿司の内田榮一だったことを知る。本のなかの蕎麦と実際に矢部さんがたぐった蕎麦がないまぜになってなんとも美味なエッセイになっている。

そして田端、結城信一、清宮質文と矢部さん偏愛のテーマがつづき「空無頌」として帖面舎と津軽一間舎、からなし・そさえてについて既発表の文章を大幅に改稿してまとめておられる。こちらも本好きにはたまらない一篇である。


『大和通信』104号(海坊主社、二〇一六年八月一〇日)は中尾務さんより。月の輪書林高橋徹が「川崎彰彦メモ二つ」を寄稿していて、オッと思う。メモ1はたなかよしゆき『詩集冬の木』(葦書房、一九七五年一月二〇日)について。メモ2は詩と評論『月刊近文』(大阪・伴勇)について。川崎、寺島珠雄、そしてそれらの珍しい資料を丁寧に保存していた長谷川修児のこと。月の輪さんらしいこだわりがうかがえる一文だ。

中野朗「川崎彰彦を探して第十八回 『川崎彰彦傑作撰』顛末」は同書が刊行一ヶ月で完売したことについての報告。善行堂と三月書房があわせて五十冊売ったという驚き(京都で五十冊売れたことになる)。三百部発行が少な過ぎたという反省も。せめて五百だったかと。たしかにそうだ。値段が安かったのもあると思う。いや、しかし、いい本だから売れた、そういうことだろう。また、当銘広子さんも「本が出来た」として『大和通信』の発行そのものが『川崎彰彦傑作撰』のためにあったということを書いておられる。

『川崎彰彦傑作撰』(中野朗・中山明展、二〇一六年四月九日)

中尾さんは「阪田寛夫、能島廉の年譜を編む」。能島廉(のしまれん)については無知だった。中尾文もかなり凄い逸話が盛りだくさんだが、ウィキの「能島廉」を読むだけでも小説になる人生だったことがよく分る。阪田寛夫がモデル小説を書いているそうで、その「よしわる伝」にこうあるという。

《最低の位置に自分を据えたお蔭で、野島〔=能島〕はただ一人無疵なのだった。その代わり、と言ってよいかどうか、同じように自分を戯画化し卑小化して相手を斬る「劣等感もの」を書いていた私の経験から言えば、そのあと、同じように長い小説が書けなくなった》

三輪正道「還暦・定年・無職以後(二)」は新著『定年記』(編集工房ノア、二〇一六年七月一五日)ができるまで。《七月八日、六回目の放射線治療をおえ、鯖江の家に帰ると長野市の亜細亜印刷から段ボールが九つ届いた。》……これは読みたいなと思う。三輪さんと同い年だし。



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by sumus2013 | 2016-08-04 20:19 | おすすめ本棚 | Comments(0)

アンドレ・ブルトン没後50年


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アンドレ・ブルトン没後50年記念イベントへのパスポート


アンドレ・ブルトン没後50年記念展
2016年9月3日 - 10月23日
シス書店
http://www.librairie6.com


アニー・ル・ブラン来日講演

第 I 部 アンドレ・ブルトンを語る
2016年9月18日
シス書店
http://www.librairie6.com

第 II 部 アンドレ・ブルトンの遺志と現代へのメッセージ
2016年9月21日
アンスティチュ・フランセ東京
エスパス・イマージュ
http://www.institutfrancais.jp/tokyo/


アンドレ・ブルトン没後50年記念出版

I ブレッソン+ブルトン『太陽王アンドレ・ブルトン』
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II ラドヴァン・イヴシック
『あの日々のすべてを想い起こせ
アンドレ・ブルトン最後の夏』

III アニー・ル・ブラン『換気口』

IV アンドレ・ブルトン『等角投像』


エディション・イレーヌ
http://www.editions-irene.com/schedule.html


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by sumus2013 | 2016-08-01 14:58 | おすすめ本棚 | Comments(0)

室生家の料理集

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室生洲々子『をみなごのための室生家の料理集』(龜鳴屋、二〇一六年六月一九日)。絵=武藤良子。武藤さんから龜鳴屋さんの仕事をしたと聞いていたが、こんな形になって出来上がって来るとは想像しなかった。すばらしい。『コペ転』とはまた違ったムトーさんの才能が発揮されている。

『をみなごのための室生家の料理集』 室生洲々子著 最新刊


室生洲々子は室生朝子の娘で室生犀星の孫である。十歳まで室生犀星が終の住処とした東京南馬込の家で暮らした。現在は金沢に住み、室生犀星記念館名誉館長。本書は二十三の料理について簡単な説明と料理手順が記されており、対面ページに武藤さんのカラー挿絵が添えられる。

《「ひろず」をはじめ、祖母、母が作る料理は金沢の家庭料理が中心であった。そして祖父は生涯故郷金沢の味を大切にしていた。》(我が家の味)


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《水が綺麗な金沢は、お豆腐がとても美味しい。夏になると茶碗豆腐と言う丸い豆腐が店頭に並ぶ。中に辛子が入っているものもある。お豆腐の薬味というと生姜が一般的だと思うが、金沢では辛子が一般的らしい。このことは金沢に住んで初めて知った。ちょっとしたカルチャーショックを受けたが、近頃では辛子のほうが口にあってきたから不思議である。(我が家の味)

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《祖母は明治生まれにしてはハイカラな人で、天火を買い、鳥を焼いたり、ケーキをつくり家族を楽しませていた。この料理集で紹介したフレンチ・トースト・ウィズ・ハンバーガーも祖母が考案したひとつだ。そんな祖母に育てられた母は食に対する好奇心が非常に旺盛で、料理上手でもあった。》(あとがき)

この「フレンチ・トースト・ウィズ・ハンバーガー」はどんなものかと言うと、

《祖母が軽井沢で、中華のシェフから教わった料理。室生家の母の味。子供達の大好物。

材料 ひき肉(牛または豚、あいびきお好みで)、玉ねぎ、サンドイッチ用の食パン、お塩、コショウ、ナツメグ、小麦粉、玉子、パン粉、油

作り方
1 玉ねぎをみじん切りにして飴色になるまで炒める。
2 ひき肉を加えさらに炒め、お塩、コショウ、ナツメグを加える。
3 パンは耳を切り落として4つに切る。そのひとつに2をのせ、ナイフで押しつけるようにしてパンに固定する。
4 粉、とき卵、パン粉の順に衣をつけ焦げ目がつく程度に揚げる。油に入れる時は、パンの方を下にしてすべり込ませる。油を切る時は肉の方を下にするとよく切れる。

食べる時はからし醤油で。不思議とソースはあいません。》

うむむ、おいしそうだが、これはなかなか……である。

なお「フレンチトースト」の「フレンチ」はフランスのことではないらしい。ニューヨークの酒屋の店主ジョーゼフ・フレンチが命名した、という説や、ジャーマン・トーストと呼ばれていたのを第一次世界大戦のときにフレンチに変えたという説もあるらしい。かなり古くからあった料理のようだ。フランスでは「pain perdu いたんだパン」(固くなったパンがミルクや玉子でよみがえるところから)あるいは「pain doré 黄金のパン」などと呼ばれる

一例としてリンクしておく。

Recette du pain perdu au chocolat



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武藤さんの挿絵はリトグラフのような味わい。オリジナル・リトグラフ入の特装本を作ったらステキだなと思ったりする。


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by sumus2013 | 2016-07-22 20:22 | おすすめ本棚 | Comments(2)