林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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犬童進一ノオト

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内海宏隆『〈別冊〉木山捷平研究 犬童進一ノオト』(木山捷平文学研究会、二〇一七年四月一日)。昨年は菊地康雄という詩人・編集者を探索しておられて驚かされたものだが、今回はさらに無名の(文学事典類に立項のない)詩人・小説家・画家=犬童進一(いんどう・しんいち、一九二九年〜)に焦点を当て可能な限りの調査を行っておられる。

菊地康雄ノオト 日本の浪漫と美を索めて

犬童は菊地康雄とともに東西南北社の『ロマンス』という雑誌を編集していたらしい(一九五四〜五五)。そんな縁から内海氏は犬童に深入りして行く。ここでかいつまんで紹介したいのはやまやまなれど、とうてい簡単に要約できるような内容でもないので、ご興味のある方はぜひ直接お求めいただきたい。

前回、菊地康雄のときにも富士正晴の言葉を引用したが、この本でも富士の発言のインパクトが語られているので、そこを引いておこう。富士正晴が長年にわたってその著作刊行に情熱を燃やした詩人はもちろん竹内勝太郎だ。しかしその竹内について富士はこうもらしたという。

「いまになったら、いやになるわ」
意外と思える富士正晴の言葉を聞いたのであった。
「いまになってみたら、稚拙な、煮えきらん若書きばっかりやで、みてみい、箸にも棒にもかからんカスみたいなもんや。あいつより年とったら、ようわかるわい、ようあんな男について行ったもんや、あほらし。皆おなじとちゃうか、若いとき偉い思うちゅうことは」
覚めた顔で言った。
「そやけど、やっぱり竹内の遺稿集は出したらな、誰も出す奴はおらんからなあ、わしがせなしょうなかったかなあ」(島京子『竹林童子失せにけり』)

犬童もまた淵上毛銭という「ヘッポコ詩人」の人と作品を深く踏査研究したというが、富士の言葉は何より内海氏が犬童進一へ迫る強い後押しになったに違いない。わしがせな「誰も出す奴はおらんからなあ」……。

以前紹介した『その姿の消し方』で堀江敏幸が「アンドレ・L」という誰も知らない詩人(?)を探し求めた心情と通じるものがあるだろう。結局「文学」の魅力とは、ある意味において作品云々を超越したところに生じるのではないか、作品がいいとか面白いとか言っているうちはまだまだ文学のブくらいしか分っていない、そんな気がしないでもない。

堀江敏幸『その姿の消し方』

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by sumus2013 | 2017-04-29 20:46 | おすすめ本棚 | Comments(0)

編集者の生きた空間

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高橋輝次『編集者の生きた空間ーー東京・神戸の文学史探検』(論創社、二〇一七年五月二五日)が届いた。高橋さんの衰えない探求欲には脱帽するほかない。その熱意がきっと版元を動かすのだろう。編集者や小出版社を軸としたひときわ渋い内容であるにもかかわらず、近年も着々と刊行を重ねておられる。昨今の出版状勢から見て、これは容易な仕業ではなかろう。

『誤植文学アンソロジー 校正者のいる風景』(論創社、二〇一五年)

『書斎の宇宙 文学者の愛した机と文具たち』(ちくま文庫、二〇一三年)

『ぼくの創元社覚え書』(龜鳴屋、二〇一三年)

『増補版 誤植読本』(ちくま文庫、二〇一三年)

『ぼくの古本探検記』(大散歩通信社、二〇一一年)

毎度ながら、本書も、芋づる式にざまざまな古書をたぐりよせる手際に驚きながら読み進める愉しみを味わえる。研究発表だとか論文だとか、そういった贅肉を削ぎ落した文体とはほど遠い、行き当たりばったりの、ボヤキ連続の、しかし気付いてみると何かガッチリと対象をつかんでしまっている、というような文章にあきれながら感心させられてしまうのだ。

メモ代わりにざっと目次から人名や固有名詞を拾っておく。

第一部 編集部の豊饒なる空間
砂子屋書房/第三次「三田文学」:山川方夫/河出書房:氏野博光/河出書房:小石原昭と瀬沼茂樹

第二部 編集者の喜怒哀楽
彌生書房:津曲篤子/偕成社:相原法則/創元社:東秀三/著者の怒りにふれる編集者の困惑/中央公論社:和田恒と杉本秀太郎/中央公論社:宮脇俊三

第三部 神戸文芸史探索
エディション・カイエ:阪本周三/「航海表」:藤本義一、竹中郁、海尻巌/「少年」:林喜芳、青山順三、佃留雄/犬飼武、木村栄次、中村為治/中村為治、照山顕人/大橋毅彦「一九二〇年代の関西学院文学的環境の眺望」/林五和夫、妹尾河童、青木重雄、及川英雄

第四部 知られざる古本との出逢い
橋本実俊『街頭の春』/鴨居羊子、田能千世子、港野喜代子/小寺正三、加藤とみ子/布施徳馬『書物のある片隅』

なかではエディション・カイエの阪本周三を求めて旅をする(もちろん本をめぐる旅)話は読み応え充分。小生のよく知っている人や雑誌が何人も登場していて、そういう意味では、自分自身が生きてきた時間がすでに歴史になりつつあるのだなあと感じさせられてしまう(年を食ったということです)。小生自身は阪本周三さんを存じ上げないしエディション・カイエの本もほとんど持っていないが、かつてかろうじて二度ほどブログに取り上げている。

『ペルレス』第一号(エディション・カイエ、一九八七年一〇月一日)

黒瀬勝巳遺稿詩集『白の記憶』(エディション・カイエ、一九八六年)

高橋氏の描写から少し引用する。

一九九八年、氏[阪本周三]は三度目の上京をし、阿佐ケ谷でバー〈ワイルド・サイド〉を開店。店名はルー・リードの曲から取られたという。その店は、佐藤一成氏が阪本氏の詩から借りた一節によれば、氏が名づけた「東京ブルックリン(阿佐ケ谷)」の駅近く、「木造モルタル二階建て十三階段をのぼったつきあたり」にあった。

大西隆志氏が二〇〇〇年十一月に上京して最後に店を訪ねたとき、阪本氏は詩集を出そうと思っている、と語ったという。それ以前にも、詩の同人誌をまた出そうと二人でよく話していたそうだ。とすれば、二冊目に構想中の詩集が未刊に終ったわけで、残念でならない。
 二〇〇一年一月二十日、阿佐谷のアパートで脳内出血で死去する。四十八歳、あまりにも早い突然の死であった。
 大西氏は阪本氏の風貌について、アンジェイ・ワイダ監督の「灰とダイヤモンド」に出てくるマチェックのように「優しさと激しさを内に秘めていたからか、阪本クンはサングラスが似合っていた。見た目とは違った表情をサングラスと微笑で隠していたのかもしれない。

あるいは、例によって長文の註記にはこうもある。

阪本周三氏についてまとめた原稿のことを一寸もらしたところ、思いがけなく伊原氏も昔、阪本氏とつきあいがあり、尊敬していた編集者だったと懐かしい口調で聞かされ、驚いた。神戸時代、阪本氏は京都の同朋舎の仕事も請負っていて、忙しいとき、伊原氏も手伝っていたという。東京のバーにも訪れたことがあるそうだ。電話なのでそれ以上の詳しい話は伺えず残念だったが、編集者同士のつながりの妙をここでも感じたものである。

伊原氏はもちろん小生の作品集(画文集)を出してくれた編集者。また同朋舎は一時期しゃにむに出版を行っていた時期がある。小生でさえも、いつだったか、東京からやって来たある編集者に連れられて編集会議のようなものに加えられたことがあった。ただその企画は通らなかったのか、どうだったのか、小生が参加したのは一度きりだった。まさに同じ時間と空間を生きていた感を強くする。


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by sumus2013 | 2017-04-25 20:47 | おすすめ本棚 | Comments(0)

ぽかんのつどい冊子

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「ぽかんのつどい」のために作られた冊子。200円(恵文社一乗寺店などで入手できると思います)。中野もえぎ、服部滋、林哲夫、外村彰、福田和美、佐久間文子、佐藤靖、佐藤和美、澤村潤一郎、井上有紀、岩阪恵子、内堀弘、涸沢純平、能邨陽子、出海博史、山田稔、秋葉直哉、郷田貴子、扉野良人、真治彩……それぞれがぽかんの読者にすすめる五冊を選び短いコメントを添えている。「ぽかんの読者にすすめる」というところがポイントである。各人が気配りをし(しないで)書いているのが面白い。知らない本がたくさんあって楽しいな。

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ちょっと讃岐へ戻っていた。書棚を整理していたらこんな雑誌が出てきた。『海燕』第九巻第四号(福武書店、一九九〇年四月一日、表紙画=国吉康雄、表紙|目次|本文構成|=菊地信義)。特集が「文芸雑誌と私」。そこで山田稔さんがこう書いておられる。「「ちとせ」の一夜」。太字のところ、原文は傍点。

《京都の四条畷を下った西側に「ちとせ」という酒場があった。今から三十年ほど前の雨の日の夕方、私は河出書房の坂本一亀氏に会いにその店に足を運んだ。坂本氏の「日記」(「『文藝』復刊まで」)によるとそれは一九六一年六月二十七日のことである。坂本氏は「文藝」復刊に備えて新しい書き手を発掘すべく、京阪地方にのりこんで来たのであった。
 「ちとせ」には私のほかに多田道太郎、高橋和巳、杉本秀太郎、沢田閏の四名が集った。当時の「VIKING」の同人または会員のうちの大学教師組である。》

《その夜どんな話が出たかこまかいことは忘れたが、ひとつ憶えているのは、伝統ある「文藝」復刊の意気ごみに燃えて「小説をかいてください!」とかきくどく坂本氏の話はそっちのけにして、私たちが冗談ばかりとばして大いにいちびったことである。こいつら何だ、と彼は憤慨したにちがいない。いや、大いに楽しんだのか。そのことは「日記」には触れていない。このいちびりのなかで高橋和巳だけはまじめに話を聞いていたらしく、坂本氏の目にとまった。彼をこれを機に『悲の器』を完成し「文藝賞」を受賞する。》

《声を大に「小説を、文学を」と熱っぽく叫ばれても、照れくさいというか、アホラシ、という気分になってしまうのだった。いまでもこうした京都の「冷却的」雰囲気は大して変っていないと思う。》

山田さんはほぼこれと同じことを「ぽかんのかい」でも喋ってくださった。高橋和巳の受賞祝賀会に集った教授連中が祝辞で揃いも揃って「小説なんぞ書いていないで研究に身を入れろ」とぶったというのも学都ならではの興味深い逸話であった。山田さんはこれを自身が周囲に与える「冷たさ」についての説明として語られたわけだが、その当否はおくとして、しかしさすが坂本編集長だ、この人選は当を得ている(たしか杉本秀太郎にも高橋和巳の追悼としてこのときのことを書いた文章があったように思う)。

なお「ちとせ」は生田耕作氏の生家で氏の父上が富山から出てきて修業した後、昭和十二年に開店、その後を次いだのが生田誠氏の父上(耕作氏の弟さん)である。少なくとも小生が知っている感じでは居酒屋というのとは少し違う。ただ料理屋というほど敷居が高いわけではなく、その中間くらいの店だった。

現在は誠氏の弟さん(三代目)が経営されており、店舗は小川通り丸太町下ルに移転している。こちらはまさに居酒屋と呼ぶにふさわしい庶民的な店作りだ。

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by sumus2013 | 2017-04-22 20:33 | おすすめ本棚 | Comments(0)

イマージュと言葉

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詩に写真をからめた岡崎氏の『詩集風来坊ふたたび』をレイアウトしている前後に同じような絵(写真)入りの書物をいくつか頂戴した。イマージュと言葉、似ているようで遠い存在であり、かけ離れているかと思えば案外と親しいものだ。だいたいが文字というのは元は絵であった。例えば古代オリエントで「T」はタウ、雄牛の頭部を正面から象った形である。横線は左右に広がる角だ。だから現代の「T」が牛に直結するかと言えば必ずしもそうではない(ギリシャ語をはじめ雄牛という単語は T から始まるのではあるが)。この関係が画像と言葉の違い(記号としての作用の違い)を象徴しているようにも思う。

仮名文字で例を拾えば「つ、ツ」、これはどちらも「川」を略した形である。「川」は見ての通り川の流れを象形したもの。だからといってツを書く時に川をイメージする人はほとんどいないだろう。音表文字としてしか意識していないからである。しかしルーツを知れば「つ、ツ」にせせらぎの音を聴くことも不可能ではない。

頂戴した本というのは、まず上の写真、これは俳句=杉村福郎、版画=宝珠光寿『ふくろうの杖』(杉村福郎、二〇一七年五月八日、装幀多田進)。世の中にはいい作家がいるものだと驚かされる。

次は、松尾真由美『花章ーーディヴェルティメント』(思潮社、二〇一七年二月二〇日、装幀=中島浩、写真=森三千代)、インクにも凝ったゴージャスな詩集である。写真の質感が何ともいい。

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そしてもう一冊は少し古いものだが桐山襲『未葬の時』(作品社、一九九四年六月一五日、造本者=菊地信義)。小説というか散文詩のような作品である。自らの死を見つめた遺作。

桐山 襲(きりやま かさね、1949年7月26日 - 1992年3月22日)は、東京都杉並区出身の小説家である。本名は、古屋 和男(ふるや かずお)。1983年に『パルチザン伝説』でデビューする。死去するまでの8年半の短い活動期間の中で様々な問題作を発表した。
新左翼の学生運動、連合赤軍、全学共闘会議等を主題にした小説で大学紛争に参加した若者達の青春や無残な敗北を描き、幻想に終わった革命の意義を一貫して問い続けた。》(ウィキ)

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こちらは絵でも写真でもなく楽譜(本文にブラームスの「クラリネット五重奏曲ロ短調」が登場するので、その旋律?)。しかも本文を黒ベタに文字白抜き(扉は黒い上質紙に黒のインクで刷ってある)。これは思い切ったなあ…と思う。雑誌ならともかく単行本でこれほど真黒な作例はそうはないだろう。成功しているのか、そうでないのか、どちらとも言えそうだ。

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by sumus2013 | 2017-04-01 20:39 | おすすめ本棚 | Comments(0)

マラルメ詩集 Kindle版

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[新訳]ステファヌ・マラルメ詩集 Kindle版
ステファヌ・マラルメ(著)、 柏倉康夫(翻訳)

《一昨日から、小生の電子版『新訳・ステファヌ・マラルメ詩集』(青土社)の配信が、Amazonで開始されました。訳文は一昨年「ユリイカ」に連載したものに、若干修正を加えました。これまでの電子出版は、紙の本をただ電子化したものが大半ですが、今度の試みはフランス語のテクストと日本語訳の間にリンクを張り、両方を行き来しながら鑑賞できる仕組みにしています。加えて、原詩と、マラルメがデマン版収録の全詩篇で用いた単語のすべてが、どの詩篇のどの行にあるかを検索できる Index と間をクリック一つで飛べるようにしました。これ等の点で、電子出版の一つの見本を提供できたのではないかと、ひそか自負しています。》(柏倉康夫)

う〜ん、これは理想的な翻訳出版ではないだろうか。読みたい。お試し読みもできるので、ご興味のある方はぜひ。

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by sumus2013 | 2017-03-29 20:59 | おすすめ本棚 | Comments(0)

おばあさんのアルバム

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富士正晴作・うらたじゅん画『富士正晴資料整理報告書第22集 おばあさんのアルバム』(富士正晴記念館、二〇一七年二月二八日)が届いた。昨年は『初期絵画とペン画』でお世話になった。今年はうらたじゅんさんの絵に富士正晴の放送台本である。朝日放送の朗読番組「掌小説」ために書かれた。

昭和二十九年、東京で鶴見俊輔から聞いた話をもとにした小品だ。鶴見が昭和二十一年に信州で通訳を務めた白系ロシア人、とくにそのおばあさんが『ライフ』誌を切り抜いて失われた家族たちのアルバムを造り上げたという話に焦点が当てられている。彼女はロシアの公爵の娘であり、やがてポーランドの伯爵の夫人となったが、革命ですべてを失い日本へたどり着いたのだという……。贋のアルバムが本当のアルバムに老女のなかですりかわっていく。それは長篇小説にでもまとめられそうなテーマなのが、切抜きという点で興味をもったのは、書き出し、富士が自分の書斎を描写しているくだり。

《わたしはこの夏、ある哲学者にあった。そしてつぎのような話をきいたのだった。
 なんのこともなく聞きながしたその話が、田舎のさびしいわが家へ帰ってきてからの明け暮れ、どうかするとふと思いだされてならない。
 そのわが家の書斎の天井は、ひどくすきまが多く、塵のおちてくるのをふせぐために、アメリカの雑誌「ライフ」をバラバラにほどき、その紙をはりつけてある。「ライフ」は写真の多い雑誌だから、書斎の天井は、ウイスキーの広告写真や風景写真、またいわゆる「時の人」の写真、ニュース写真、そのようなものがいっぱいである。わたしは仕事につかれたとき、畳にころがって、その写真をぼんやりながめていることがあるのだ。》

富士記念館に再現されている書斎にはそんなコラージュはなかったように思うが……あったかな? それはそうとこのとき朝日放送には庄野潤三と阪田寛夫が勤めていたそうだ。阪田の同僚の鬼内仙次[きないせんじ]から求められて阪田が富士に依頼した作品だったという。


富士正晴記念館所蔵 初期絵画とペン画

『仮想VIKING50号記念祝賀講演会に於ける演説』



同人誌大好き!ーー「川崎彰彦、富士正晴」展
2017年3月30日〜7月26日
茨木市立中央図書館富士正晴記念館

《川崎彰彦、1949年、15歳、『ヴ・ナロード』創刊。2010年、『黄色い潜水艦』同人として没、享年76歳。
 富士正晴、1932年、18歳、『三人』創刊。1987年、『VIKING』同人として没、享年73歳。
 二人とも、十代で同人誌創刊、亡くなるまで同人誌活動を持続。二人にとって同人誌とは何だったのだろう。そんなことを思いながら今回の展示を構成してみました。》

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by sumus2013 | 2017-03-18 20:50 | おすすめ本棚 | Comments(0)

田中啓介モダニズム作品全集

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田中啓介『造園学のリボンをつけた家――田中啓介モダニズム作品全集』(善渡爾宗衛 校訂、東都 我刊我書房、二〇一七年三月一三日、表紙・扉デザイン=夏目ふみ)が届く。表紙がマーメイドの黒というのは小生好みだが、田中啓介というのはどんな人だろうと開いてみるとこれがまたタルホそのまま、いやタルホよりいくぶんか甘ったるい、しかしなかなか見所のある小品ばかりで、ほほうと思った。

巻末に付された沼田とり氏の「田中啓介メモーーアタマのひびから入り込んだのは虹ではなく空虚だった」によればその経歴などはほとんど分っていないようだ。

《田中少年は、同じ中山手通りもずっと西寄りの弁護士の書生でシナ人のような滑らかな青白い肌を持って、カドのない丸い身体付きをしていた。ある夜、中山手通りに平行した北長狭通りの小さな喫茶店の文学的会合に彼は顔を出し、会が終わってもわれわれグループに随いてきたことから、とうとう準仲間になってしまった。》(稲垣足穂「カフェの開く途端に月が昇った」)

これは大正九年か十年のことだという。その後、昭和二年頃には上京しており、昭和六年から七年初めまでの間に江古田の東京市療養所において息を引き取った。田中の詩文集『モル氏の酒場』は足穂に預けられたままアパートに放置され焼失してしまったと回想されている。

どんな作品なのか、とりあえず短いパッセージを引用してみる。

《だが彼は、自由と耽美の南京小路にむかってくねくねハガネのように変色しながらいそいでいる。
 小路は暗々の快楽。
 豚屋で透麗なヂキタリスの夢を抱き鷄の足一本五銭は安いもんだ。
 こゝでは青物屋のヂストマも小便する。
 高い赤いペンキの広告塔の地下室は、酒場とダンスホール。
 彼はそこで、五尺五寸のあらあらしい支那娘のダンサアに飛びついて、リラリラリラと月の破片の白い毒をあおり、製鉄場のものくるおしいヂャズバンドのでたらめなリズムに沈んで行く。
 交錯した足と足と足のあいだに発生したゴムマリのようにこわれかかったコルセットの空間。
 電気マッチの抱擁がが[ママ]すむと、だまって支那娘のひだにしなだれかゝり、彼女の心臓にリトマス液を注いで飛び出した。》(「かなしきドン・ヂュアン」より、初出『文芸耽美』一九二七年一二月)

喫茶店の登場している作品からも少々。

《その頃、習慣のように、おそい昼をすませてから、あてもなく、そのくせむやみに待遠しい夜になるまでの退屈な時間を、草色のフランス製の香水瓶にドアをつけたとしか思われない喫茶店ローンの可愛らしいサロンで、やけにバットの煙をふかしながらすごしました。
 その日も、サロンの中に泡だったかん高い季節の匂いを感じながら、椅子を窓ぎわにもち出してむやみに退屈していたのです。
 窓の外は、くしゃくしゃにおしつまった雑然たる屋根がキュビイズムの画面になり、高い青空をひきさいたビイルヂングの窓にはマグネシュウムの光沢が煌き、白い街路にレールがひきずり出された腸のように乱れ、電車は白い夏服の坊ちゃんのオモチャになってしまうし、波止場あたりに眼を転じると、赤や黒の腹ばかりしかみえない碇泊船のマストは鉛筆だし、おしつまって幕のように黒いマストと煙突の間に色紙の赤青白などの万国旗がひるがえり、ランチにひきさかれた波頭は、ウラボウ、ウラボウと白く光っているのです。》

《退屈にねばりついた侘しさをプレイン・ソーダに沈ませた赤いチェリイの実とつぶしているとーー》

《それが、ある日いつになく、頭の上の緑色のセイドのついた電燈のつゝましい光が、ながれるまでしゃべり込んでいたのです。
 私は街に灯がついたのをみると、いつものように立ちあがって、自慢のフランスの飛行将校の使っていたと云う皮チョッキ姿でカウンタアにぼんやり頬杖をついているそこのマネヂャアにほゝえみかけながら、口をすべらせて、こう云ったのです。
 ーーさあこれからコーモリの活動が始まるんだ。》(「彼等と私たちーー彼等は虚を把もうとしているーー」より、初出『文芸耽美』一九二七年七月)

………。

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夭折の少年ダダイストの作品集成 (かなり危険な日記帳。)


田中啓介について参考になるテキストはないかなと思って検索していると、下記の論文を見つけた。稲垣足穂の登場とその文壇的な影響について手際良くまとめられている。

「稲垣足穂の〈文壇〉時代ーー〈登記〉と〈オリジナリティ〉」高橋孝次

ここから田中啓介に関係すると思われる部分だけを引き写してみる。

《例えば足穂も執筆した玉村善之助の雑誌「GGPG」には石野重道、平岩混児、近藤正治、高木春夫、田中啓介ら、足穂の神戸人脈の人々がこぞって参加し、同時期のライバル誌でもある村山知義の前衛雑誌「マヴォ」は、同誌について「結局、イナガキタルホをボール紙製の試験官で化学的色揚げをやつただけのことさ。一種の新感覚派さ」と「ギムゲム達」を十把一絡げにして「さあ、早くお月様とシルクハットの結婚式へ行き給へ。急がないと遅刻するよ」と締めくくっている。これは、「GGPG」の執筆者をタルホのエピゴーネンとして、くさしているのである。》

《石野は「GGPG」や「文芸耽美」、「薔薇・魔術・学説」などにも作品を発表しており、タルホ式の活動写真的スラップスティックは薄く、より審美的な色合いが濃いが、神戸的でエキゾティックな世界を分かち持っていた。》

《石野、猪原[猪原一郎]以外にも、高木春夫や近藤正治、田中啓介といった「GGPG」周辺の人々による、足穂とよく似たエキゾティックな神戸の雰囲気と「月星ガス体式材料」を用いた作品が現れること、つまり、足穂の発明による「技術」(=類型)によって模倣可能とみなされることは、極端に消費され、「新しさ」の価値も低下するばかりであることを意味していた。》

《青木重雄は『青春と冒険 神戸の生んだモダニストたち』(昭和三十四年四月、中外書房)で当時[大正末頃]の足穂の人気を振り返り、「稲垣はすでに中央でも新人中の新人として認められていたから、彼の廻りにはタルホ熱にうなされた文学青少年が数多く集ってきていた。また、彼の刺激を受けた亜流文学作品が、前に述べたいろいろな同人文学誌にも無数に掲載されていた。まったく当時、イナガキ・タルホの名は神戸文学の代名詞だった」と述べている。》

そのマヴォと「GGPG」の違いについて北園克衛はこういうふうに書いている。

《私たちは「ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム」」という文芸雑誌を発行した。すでに私たち未来派、表現派、立体派については精通していたし、構成派やダダ、についても知っていた。高橋新吉らのダダはどうも汚くて面白くなかった。村山知義をリイダアとする意識的構成主義はその頃のジャーナリズムをよろこばせた。三科の造形運動は、ダダと構成主義の狂暴な突風となって強烈なスキャンダルを矢つぎばやに生みだした。かれらは、地震のために到るところに捨てられた鉄骨や廃品で、芸術のスキャンダルをつくったが、そこは政治、経済、社会に対する鋭い抵抗が諷刺が露骨にあらわれていた。この三科の一群のなかからMAVOという雑誌が創刊された。しかしその詩作品はまだ文学運動以前のものといってよかった。私たちは、MAVOとは全くちがった角度で詩を考えはじめていた。何よりも先ずその態度が知的で自由であることだ。私たちはそれをロシア語やフランス語やイギリス語でなく、ドイツ語でインテリギブレ・フライトハイトと呼んでいた。》(北園克衛「昭和史の前衛運動」昭和三十二(一九五七)年三月)

土壌は同じでも咲く花はそれぞれ。「さまざまな意匠」というのか、いや「蓼食う虫も好き好き」という方がいいかも……。この引用は野川隆の評伝サイトからいただいたのだが、このサイトの情熱にも驚かされる。

變電叢書刊行準備【野川隆評伝:前期】Gの震動—1901〜1927  第三章 疾走期【関東大震災と「Gの發音の震動數と波形」たる『ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム』・橋本健吉・稲垣足穂・暴れる玉村善之助】


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by sumus2013 | 2017-03-14 17:53 | おすすめ本棚 | Comments(0)

古本屋にて、

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トランスポップギャラリーで開催中のうらたじゅんさんの個展(〜12日、月火休)を拝見。いつもながらのうらたワールドにひたる。ノスタルジア……というだけでもない、今を生きている感じの描写にうらたさんならではのメッセージを感じる。

トランスポップギャラリー道順 うらたじゅん道草日記

そこから善行堂へまわって岡崎詩集の進行や次の企画について立ち話。ゆずぽん発行の『古本屋にて、』(二〇一七年二月)という小冊子をもらう。ハガキサイズの横長判、中綴じ十六ページ。作者は若い人で善行堂のお客さんだそうだ。奥付などの情報が皆無なので詳しいことは分らないが、よくできている。紙質、文字、写真、そしてそのレイアウト、いずれについても吟味が行き届いているように感じる。内容は古本屋の店頭写真を見開き右ページに、対面に短い文章を置いただけ。さらりと読めて古本屋への真摯な思いが伝わる内容だ。

上に掲げた二番目の写真の見開きは大阪の「青空書房」。

《某月某日。青空書房店主の訃報を知る。
昔一度だけ、自宅で開かれていた店に伺った。店主は、戦中戦後の闇市の話、太宰治や織田作之助の話などを聞かせてくれた。帰るころには、正座で足が痛くなった。店を出たら、外はもう暗くなっていた。

「本の中に行間があるように、人生も間が大切だよ。」と店主は教えてくれた。今でも大事にしている言葉である。》

収録古書店は、蟲文庫、善行堂、上崎書店、青空書房、トンカ書店、徘徊堂、ちんき堂、あかつき書房、うみねこ堂書林、おひさまゆうびん舎。入手については善行堂へ。

古本ソムリエの日記・古書善行堂

帰りがけにヨゾラ舎へちょっと立ち寄りクリームのCDを入手。穏やかな一日だった。

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by sumus2013 | 2017-03-05 21:28 | おすすめ本棚 | Comments(0)

京二中鳥羽高ものがたり

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先日、二中時代の淀野日記を引用した。そのなかに「塾」という言葉が何度か出ていた。それについて具体的にどんなものか分らなかったのだが、藤田雅之『京二中鳥羽高ものがたり』(京二中鳥羽高校同窓会、二〇一六年二月二四日)には詳しく説明されていて腑に落ちた。ありがたいことである。

一九二二年十二月三日
私がまだねむつて居たとき芳兄がたづねてくれた。私はしばらく清水とねながら話して居た。後、十一時頃から二人は書斉で話し合つた。彼は又塾での出来事を話した。それによると寮長と五年の生徒とが会見して、塾生の自由〜それは青年としての自由〜を尊重することを守らしめることを約したんだそうだ。今塾生は団結して居る、そしてこの団結が貴いのである。この力をもつて塾風改善に努力するならば必ずよくなることを信ずるのである。》(淀野日記)

この「塾」、正しくは「浴風塾」というそうだ。

《この「浴風塾」というのは、かつてその場所にあった、京都二中の寄宿舎(寮)の名前です。
 「浴風塾」は、京都二中開校二年目の一九〇一年(明治三四)年に完成し発足しました。
 最後、一九三四(昭和九)年、室戸台風の強風によって全館倒壊し、そのまま閉鎖されるまでの三三年間、常時二〇〇名あまりの少年達が、日夜寝食を共にして青春を謳歌していたのです。
 「浴風」とは中国の故事から山本良吉教頭が命名したもので、初代寮長は山本教頭でした。
 それが、三年目から中山再次郎校長がみずから塾長として住み着きました。そして校長退職後の塾の最後のときまで、先生はほとんど塾周辺に住まわれたのでした。》(本書

この中山再次郎という初代校長がじつに興味深い人物だ。『中山再次郎先生を憶う』(京二中同窓会、一九六四年)という書物も出ているそうだが、その拾遺として面白い記述が本書にも収められている。いろいろ引用したいが、くわしくは本書を参照していただきたいので、ここでは夏目漱石との関わりについてのみ引用してみる。

同い年の漱石と中山再次郎は同じ年(明治十七)に大学予備門(当時五年制、十九年より四年制の一高になる)に入学したそうだ。二人ともにボートに熱中していた。再次郎は熱中のあまり手を痛めて一年落第、漱石は腹膜炎で留年、ふたたび同じ学年になる。明治十八年大学予備門の成績表というものが残されている。それによれば中山再次郎は二十六位、塩原金之助(漱石)は二十七位、南方熊楠は三十九位、山田武太郎(美妙)は六十四位、正岡常規(子規)は六十九位(不合格)。なんとも凄い学生が同学年にいたもんだが、この他にも中川小十郎(立命館創立者)、柴野是公(中村是公、満鉄総裁〜東京市長)、芳賀矢一(国語学者)、平岡定太郎(樺太庁長官、三島由紀夫の祖父)らを数えるという。単なるエリートというよりも何かもっとずっと濃〜い学生たちである。

《ただし、全員を調べてみると、地方の中学校長、旧制高校教授などを終生勤めた人物も多数存在しています。あの漱石も、東京帝大卒業後、まず松山中学校(『坊ちゃん』の舞台)に赴任しています。
 当時はまだ、全国に中学校は少なく、その教師のポストは難関でした。さらに中学校の校長・教頭は、天皇から直接任じられる奏任官でした。実は、宮内庁書陵部の『明治天皇御手許書類』の中に、一八九八(明治三一)年の中山再次郎の任官書類が存在しています。閲覧はできませんが、目録で確認できるのです。それほどに社会的な地位の高い、おまけに給与の良い職業でした。
 中山再次郎が、帝大卒業でありながら、「エリートコースを外れて、生涯一教師に甘んじた変わり者」というような、ためにする大げさな形容は、決して正しいとは言えません。》(本書)

『坊ちゃん』に描かれる教師たちのどこか鷹揚な感じはこのあたりの事情からきているのかもしれないと納得できるような気がする。ただし漱石は必ずしもそうは思っていなかった。それもまた『坊ちゃん』に描かれる通り。漱石詩集にはもっと直接的な恨みがましい表現が見える。例えば漱石が松山で作った七言律詩のひとつから尾聯。引用・読み下しは『漱石詩注』(吉川幸次郎、岩波文庫、二〇〇二年)より。

 一任文字買奇禍 ひとえにまかすもんじのきかをかうを
 笑指青山入予洲 わらうてせいざんをさしてよしゅうにいる

買奇禍について吉川は《予想しない災難をひっかぶる。何かそうした事件が、そのころの先生にあったのであろう。しかしそんなことはどうでもいいというのが、「一任」の二字》と註している。それに続く「笑って伊予に入る」というのがどう読んでも負け惜しみだ。あるいは同じ頃の五言律詩はこうである。全文(松山の下宿から東京の正岡子規に宛てた葉書にしたためられている)。

 海南千里遠 かいなんせんりとおく
 欲別暮天寒 わかれんとほつしてぼてんさむし
 鉄笛吹紅雪 てつてきこうせつをふき
 火輪沸紫瀾 かりんしらんをわかす
 為君憂国易 きみのためにくにをうれうるはやすく
 作客到家難 きやくとなりていえにいたるはかたし
 三十巽還坎 さんじゅうそんにしてまたかん
 功名夢半残 こうめいゆめなかばざんす

流謫の心境だったとしか思えない。三十にして人生終わったな……。

むろん中山再次郎は漱石とは違ったのだろう。しかし、その言動は風変わりだったと本書にはある。

《何より、その変人振りを雄弁に物語るのは、その服装・風貌でした。
 いつでもどこでも、上下黒の詰襟服の一点張りに、古ぼけた中折れ帽子、生徒と同じゲートルを足に巻き付けて、ランドセルを背負うという質素な服装は、いつしかトレードマークとなりました。大きな会場に入ろうとして、受付の係官に怒鳴られたというエピソードもありました。》(本書)

何かもっとずっと濃〜い」と上に書いたのはこういうところも含めてのことである。

たまたま先年、古書店の店頭で見つけた「京都府立京都第二中学校一覧表」(昭和六年)。何かの参考になるかと買ったままでよく調べてもいなかったが、本書を読んだ後だと、見え方が変ってくる。

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目に留まったのは教員や生徒数とともに記されている「浴風塾」の現在人員。一年一、二年三、三年八、四年十七、五年九、合計三十八である。昭和六年ともなると塾生も減っていたようだ。他府県出身の生徒が三十四人いるのだが、学年別でみると必ずしも塾生とは重ならない。

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by sumus2013 | 2017-03-02 21:25 | おすすめ本棚 | Comments(7)

カッコわるい人

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『シグナレス特別号 カッコわるい人』(蒼幻舎、二〇一七年一月二二日、表紙・デザイン=irori)および『シグナレス特別号 詩集「カッコわるい人」早川知行』(蒼幻舎、二〇一七年一月二二日、表紙・デザイン=irori)。これらは一月にみやこめっせで文学フリマが開催されたのに合わせて刊行されたもの。紹介しようと思いつつ今日になってしまった。季村さんの『河口から』が大人の(あるいは少々大人より歩み出ているかもしれないが)雑誌なら、森野氏の『シグナレス』は働き盛りの雑誌という感じで気持ちがいい。デザインセンスもストレート、これがまたいい。

《文学の世界にはなぜこんなにカッコわるい人たちが多いのでしょうか。//しかし、僕たちがそんなカッコわるい人をちょっと愛さずにはいられないのは、やはり僕たちもカッコわるいからなのだと思います。//今回はカッコわるい僕たちが文学の世界のカッコわるい人たちを紹介します。》

カッコわるいというか…昨日も書いたけど、極道なんだな。で、シグナレス的なカッコ悪い文学者というのは……宇野浩二、葛西善蔵、近松秋江、田山花袋、西村賢太、李龍徳、岩野泡鳴、獅子文六、山田風太郎、尾崎放哉、尾形亀之助……。

結局《カッコわるいことは、ときに、なんてカッコいいんだろう。》という結論になるのでありました。


『シグナレス』第二十二号(蒼幻舎、二〇一六年七月三一日)

SIGNALESS

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by sumus2013 | 2017-02-28 20:54 | おすすめ本棚 | Comments(0)