林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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古本屋にて、

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トランスポップギャラリーで開催中のうらたじゅんさんの個展(〜12日、月火休)を拝見。いつもながらのうらたワールドにひたる。ノスタルジア……というだけでもない、今を生きている感じの描写にうらたさんならではのメッセージを感じる。

トランスポップギャラリー道順 うらたじゅん道草日記

そこから善行堂へまわって岡崎詩集の進行や次の企画について立ち話。ゆずぽん発行の『古本屋にて、』(二〇一七年二月)という小冊子をもらう。ハガキサイズの横長判、中綴じ十六ページ。作者は若い人で善行堂のお客さんだそうだ。奥付などの情報が皆無なので詳しいことは分らないが、よくできている。紙質、文字、写真、そしてそのレイアウト、いずれについても吟味が行き届いているように感じる。内容は古本屋の店頭写真を見開き右ページに、対面に短い文章を置いただけ。さらりと読めて古本屋への真摯な思いが伝わる内容だ。

上に掲げた二番目の写真の見開きは大阪の「青空書房」。

《某月某日。青空書房店主の訃報を知る。
昔一度だけ、自宅で開かれていた店に伺った。店主は、戦中戦後の闇市の話、太宰治や織田作之助の話などを聞かせてくれた。帰るころには、正座で足が痛くなった。店を出たら、外はもう暗くなっていた。

「本の中に行間があるように、人生も間が大切だよ。」と店主は教えてくれた。今でも大事にしている言葉である。》

収録古書店は、蟲文庫、善行堂、上崎書店、青空書房、トンカ書店、徘徊堂、ちんき堂、あかつき書房、うみねこ堂書林、おひさまゆうびん舎。入手については善行堂へ。

古本ソムリエの日記・古書善行堂

帰りがけにヨゾラ舎へちょっと立ち寄りクリームのCDを入手。穏やかな一日だった。

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by sumus2013 | 2017-03-05 21:28 | おすすめ本棚 | Comments(0)

京二中鳥羽高ものがたり

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先日、二中時代の淀野日記を引用した。そのなかに「塾」という言葉が何度か出ていた。それについて具体的にどんなものか分らなかったのだが、藤田雅之『京二中鳥羽高ものがたり』(京二中鳥羽高校同窓会、二〇一六年二月二四日)には詳しく説明されていて腑に落ちた。ありがたいことである。

一九二二年十二月三日
私がまだねむつて居たとき芳兄がたづねてくれた。私はしばらく清水とねながら話して居た。後、十一時頃から二人は書斉で話し合つた。彼は又塾での出来事を話した。それによると寮長と五年の生徒とが会見して、塾生の自由〜それは青年としての自由〜を尊重することを守らしめることを約したんだそうだ。今塾生は団結して居る、そしてこの団結が貴いのである。この力をもつて塾風改善に努力するならば必ずよくなることを信ずるのである。》(淀野日記)

この「塾」、正しくは「浴風塾」というそうだ。

《この「浴風塾」というのは、かつてその場所にあった、京都二中の寄宿舎(寮)の名前です。
 「浴風塾」は、京都二中開校二年目の一九〇一年(明治三四)年に完成し発足しました。
 最後、一九三四(昭和九)年、室戸台風の強風によって全館倒壊し、そのまま閉鎖されるまでの三三年間、常時二〇〇名あまりの少年達が、日夜寝食を共にして青春を謳歌していたのです。
 「浴風」とは中国の故事から山本良吉教頭が命名したもので、初代寮長は山本教頭でした。
 それが、三年目から中山再次郎校長がみずから塾長として住み着きました。そして校長退職後の塾の最後のときまで、先生はほとんど塾周辺に住まわれたのでした。》(本書

この中山再次郎という初代校長がじつに興味深い人物だ。『中山再次郎先生を憶う』(京二中同窓会、一九六四年)という書物も出ているそうだが、その拾遺として面白い記述が本書にも収められている。いろいろ引用したいが、くわしくは本書を参照していただきたいので、ここでは夏目漱石との関わりについてのみ引用してみる。

同い年の漱石と中山再次郎は同じ年(明治十七)に大学予備門(当時五年制、十九年より四年制の一高になる)に入学したそうだ。二人ともにボートに熱中していた。再次郎は熱中のあまり手を痛めて一年落第、漱石は腹膜炎で留年、ふたたび同じ学年になる。明治十八年大学予備門の成績表というものが残されている。それによれば中山再次郎は二十六位、塩原金之助(漱石)は二十七位、南方熊楠は三十九位、山田武太郎(美妙)は六十四位、正岡常規(子規)は六十九位(不合格)。なんとも凄い学生が同学年にいたもんだが、この他にも中川小十郎(立命館創立者)、柴野是公(中村是公、満鉄総裁〜東京市長)、芳賀矢一(国語学者)、平岡定太郎(樺太庁長官、三島由紀夫の祖父)らを数えるという。単なるエリートというよりも何かもっとずっと濃〜い学生たちである。

《ただし、全員を調べてみると、地方の中学校長、旧制高校教授などを終生勤めた人物も多数存在しています。あの漱石も、東京帝大卒業後、まず松山中学校(『坊ちゃん』の舞台)に赴任しています。
 当時はまだ、全国に中学校は少なく、その教師のポストは難関でした。さらに中学校の校長・教頭は、天皇から直接任じられる奏任官でした。実は、宮内庁書陵部の『明治天皇御手許書類』の中に、一八九八(明治三一)年の中山再次郎の任官書類が存在しています。閲覧はできませんが、目録で確認できるのです。それほどに社会的な地位の高い、おまけに給与の良い職業でした。
 中山再次郎が、帝大卒業でありながら、「エリートコースを外れて、生涯一教師に甘んじた変わり者」というような、ためにする大げさな形容は、決して正しいとは言えません。》(本書)

『坊ちゃん』に描かれる教師たちのどこか鷹揚な感じはこのあたりの事情からきているのかもしれないと納得できるような気がする。ただし漱石は必ずしもそうは思っていなかった。それもまた『坊ちゃん』に描かれる通り。漱石詩集にはもっと直接的な恨みがましい表現が見える。例えば漱石が松山で作った七言律詩のひとつから尾聯。引用・読み下しは『漱石詩注』(吉川幸次郎、岩波文庫、二〇〇二年)より。

 一任文字買奇禍 ひとえにまかすもんじのきかをかうを
 笑指青山入予洲 わらうてせいざんをさしてよしゅうにいる

買奇禍について吉川は《予想しない災難をひっかぶる。何かそうした事件が、そのころの先生にあったのであろう。しかしそんなことはどうでもいいというのが、「一任」の二字》と註している。それに続く「笑って伊予に入る」というのがどう読んでも負け惜しみだ。あるいは同じ頃の五言律詩はこうである。全文(松山の下宿から東京の正岡子規に宛てた葉書にしたためられている)。

 海南千里遠 かいなんせんりとおく
 欲別暮天寒 わかれんとほつしてぼてんさむし
 鉄笛吹紅雪 てつてきこうせつをふき
 火輪沸紫瀾 かりんしらんをわかす
 為君憂国易 きみのためにくにをうれうるはやすく
 作客到家難 きやくとなりていえにいたるはかたし
 三十巽還坎 さんじゅうそんにしてまたかん
 功名夢半残 こうめいゆめなかばざんす

流謫の心境だったとしか思えない。三十にして人生終わったな……。

むろん中山再次郎は漱石とは違ったのだろう。しかし、その言動は風変わりだったと本書にはある。

《何より、その変人振りを雄弁に物語るのは、その服装・風貌でした。
 いつでもどこでも、上下黒の詰襟服の一点張りに、古ぼけた中折れ帽子、生徒と同じゲートルを足に巻き付けて、ランドセルを背負うという質素な服装は、いつしかトレードマークとなりました。大きな会場に入ろうとして、受付の係官に怒鳴られたというエピソードもありました。》(本書)

何かもっとずっと濃〜い」と上に書いたのはこういうところも含めてのことである。

たまたま先年、古書店の店頭で見つけた「京都府立京都第二中学校一覧表」(昭和六年)。何かの参考になるかと買ったままでよく調べてもいなかったが、本書を読んだ後だと、見え方が変ってくる。

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目に留まったのは教員や生徒数とともに記されている「浴風塾」の現在人員。一年一、二年三、三年八、四年十七、五年九、合計三十八である。昭和六年ともなると塾生も減っていたようだ。他府県出身の生徒が三十四人いるのだが、学年別でみると必ずしも塾生とは重ならない。

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by sumus2013 | 2017-03-02 21:25 | おすすめ本棚 | Comments(7)

カッコわるい人

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『シグナレス特別号 カッコわるい人』(蒼幻舎、二〇一七年一月二二日、表紙・デザイン=irori)および『シグナレス特別号 詩集「カッコわるい人」早川知行』(蒼幻舎、二〇一七年一月二二日、表紙・デザイン=irori)。これらは一月にみやこめっせで文学フリマが開催されたのに合わせて刊行されたもの。紹介しようと思いつつ今日になってしまった。季村さんの『河口から』が大人の(あるいは少々大人より歩み出ているかもしれないが)雑誌なら、森野氏の『シグナレス』は働き盛りの雑誌という感じで気持ちがいい。デザインセンスもストレート、これがまたいい。

《文学の世界にはなぜこんなにカッコわるい人たちが多いのでしょうか。//しかし、僕たちがそんなカッコわるい人をちょっと愛さずにはいられないのは、やはり僕たちもカッコわるいからなのだと思います。//今回はカッコわるい僕たちが文学の世界のカッコわるい人たちを紹介します。》

カッコわるいというか…昨日も書いたけど、極道なんだな。で、シグナレス的なカッコ悪い文学者というのは……宇野浩二、葛西善蔵、近松秋江、田山花袋、西村賢太、李龍徳、岩野泡鳴、獅子文六、山田風太郎、尾崎放哉、尾形亀之助……。

結局《カッコわるいことは、ときに、なんてカッコいいんだろう。》という結論になるのでありました。


『シグナレス』第二十二号(蒼幻舎、二〇一六年七月三一日)

SIGNALESS

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by sumus2013 | 2017-02-28 20:54 | おすすめ本棚 | Comments(0)

河口から 特別号

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『河口から』特別号(季村敏夫、二〇一七年二月二五日、装幀=倉本修)。

《ちょうど一年前、個人誌をおもいたった。意外であった。漁港の近くに転居、海と河の風を浴びる暮らしが始まっていたので、『河口から』と名づけて、十五部作った。精一杯だった。だから、少部数とはおもえなかった。河口からという開かれた場所が支えてくれたのだろう、そのことに従った。自己充足は警戒した。
 出会いが重なり、個人誌が他者の寄りそう特別号となった。同時に、昨年の初夏より、岩也達也氏の最新詩集『森へ』(思潮社)を巡る冊子を作っていた。本号も冊子も、執筆メンバーは同じである。この偶然、時間を重ねる度に意味を持ち始めた。待つこと、そして、沈黙を抉るということ、二つの動詞をあらためて考える契機が訪れた。》(季村敏夫「特別号、あとがき」)

執筆メンバーは季村さんの他に、岩也達也、瀬尾育生、時里二郎、宗近真一郎、細見和之、瀧克則、水田恭平の各氏である。『たまや』が停滞して久しいが、大人の同人雑誌の雰囲気が『河口から』特別号にも漂っているのが、何とも好ましい。

『河口から』特別号が生まれた。 森のことば、ことばの森

『河口から I』(二〇一六年三月四日)

『河口から II』(二〇一六年十月念[二〇日])

文字の話/本の話 『たまや』をめぐって

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by sumus2013 | 2017-02-28 20:29 | おすすめ本棚 | Comments(0)

島尾敏雄生誕100年

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『脈』92号(脈発行所、二〇一七年二月二五日)、特集・島尾敏雄生誕100年/ミホ没後10年。巻頭を飾る島尾伸三「おかあさんの謎」はちょっと凄い。

《1 むかつく
 数年前あたりから島尾ミホ伝を完成させたいという梯久美子[かけはしくみこ]さんが、月刊誌へ連載を始めたものだから、おかあさんのことを毎月根掘り葉掘り聞かれたので、梯さんがいくら礼儀正しく接してくれても、嫌な事を次から次へと思い出さなければならなくなったので、ぼくの不機嫌は益々悪化して気持ちを重いものにしていました。
 その連載が終わって2016年11月に『狂う人』(新潮社)という単行本に収まったので、ほっとしていたのに、おとうさんとおかあさんについて原稿を10枚から20枚も書けという「脈」の発行人は残酷です。おとうさんが死んだ直後にも「脈」には原稿や似顔絵を要求され、気持ちに反して字を書いたり絵を描いたりしなければならなかった息苦しかった時のことさえ思い出しました。しかも原稿料はありません。いったい、文芸の世界に興味の無いぼくに何を望んでいるのでしょうか。ぼくの存在が奇妙な経験をした見せ物に過ぎない事は百も承知で、さらし者にされるのもおとうさんとおかあさんの為だと思ってはいますが、どうしてぼくは嫌々ながらも字を書くのでしょうか。これが鬱憤ばらしになるのでしょうか。
 あんなにぼくや妹に失礼極まりないことをやっておきながら、おとうさんとおかあさんは死んでからも、生前そうであったようにぼくのお金や精神や肉体を奴隷のようにこき使います。いいえ、そんなことが負担になっている訳ではありません。彼らはまだ死んでいないかのように不気味です。》

……う〜ん。

中尾務さんも執筆しておられる。「島尾敏雄、再会した富士正晴に「小説ノタネニハ苦労シマセンワ」」。一九六五年、十三年ぶりに島尾敏雄は富士正晴に会った。富士はジャーナリズムで活躍するようになった島尾らに対して批判的であった。

《そう、この日の日記にでる小川国夫、島尾敏雄にあとひとり、埴谷雄高を加えた三人の作品が、富士正晴のいうところの「年とるほどにあかんようになる〈男前の文学〉」。富士は、山田稔に宛てたハガキでも〈埴谷とか島尾とか小川とかは余り有名になると魅力うすれます。所詮男前の文学なり〉(一九七四年六月二一日付)と三人を切りすてている(『富士さんとわたしーー手紙を読む』)。》

〈男前の文学〉とは言い得て妙なり。島尾に会った日の富士日記にこう書いてあるそうだ。

《細君は120%元気ノ由、上ノ子ハ高校一年デ島尾ヨリ高ク、次ノ子ハ中学生ダガ、3ツノコロカラモノガイエナクナツタ由、「小説ノタネニハ苦労シマセンワ」トイツタ》

細君がミホ、高校生が伸三、次ノ子は長女マヤである。伸三氏はまたこのようにも書いている。

《妹マヤが骸骨のように痩せ細って死んだのは、おかあさん、あなたの無神経な仕打ちのせいであったこと、よくご存知のはずです。ですから、おとうさんの死体も、マヤの死体も、ひと目につかぬように蓋をし隠し通して火葬場へ運んだのではないですか。ぼくは、おかあさんの家族の尊厳を無視した日々にとても怒っています。》

《その礼儀知らずは文学に夢中の人たちにも共通で、いくら彼らが周囲の人に対する尊大な思考や態度であっても、周囲をかき回すばあかりで、収拾のつかないまま放置する様は、戦争を始めた張本人でありながらうやむやに逃げきろうとする政治家や官僚の輩と精神構造は似たり寄ったりに見えるのです。
 哲学も文学も科学も、毎日を穏やかに生きるものには迷惑なのです。彼らは言葉を支える嘘に鈍感で、思い込みを表現としているらしいのです。あーむかつく。》

文学なんてロクなもんじゃない。美術だって同じこと。極道ですよ。

島尾敏雄と写真 『Myaku』15号

『脈』は三月書房の通販で購入できます。

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by sumus2013 | 2017-02-27 20:27 | おすすめ本棚 | Comments(0)

花森安治の仕事

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図録『花森安治の仕事 デザインする手、編集長の眼』(読売新聞社美術館連絡協議会、二〇一七年、表紙デザイン=重実生哉)を某氏が送ってくれた。これは助かる。みつづみ書房での26日のトークに参考になる写真や図版がたくさん出ている。花森の生涯にわたって目配りの利いた編集ぶりに感心した。欲を言えばキリはないにしても花森の全体像をとらえるということではよくまとまっている。もちろん装幀については『花森安治装釘集成』がいいに決まっているが『スタイルブック』など戦後すぐに衣裳研究所から出た雑誌を集めてあるのは手柄だと思う。


なかでもっとも注目した資料はこちら。佐野繁次郎から花森安治に宛た葉書二枚。二枚が同日(昭和十四年十月二日の消印)に発送されており、文面がつづいている。

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 1.
 先達はお手紙ありがと
 う。
 どうも、あんな立派な手紙
 をもらうと、返事が急に
 かけないです。
 感服もしましたが、君は
 幸だと思ひました。
 十二月頃には帰れますか
 まだ〜〜ですか。
 僕は、この間風邪をひいて
 少しねましたが、ずっと元
 気です。
   これは二科の今年
   のです。フランスで
 描いたの四枚出したんです。


 2
 おなぐさみ迄に送り
 ます。
 店はみんな相変わらずです。
 だん〜〜忙しくなって、しま
 ひました。
 成績は上々です。体がよ
 くなって、帰られたら、北村
 君からも、きゝましたが、営
 業部ででも、すきな方で、
 充分又、銃後のお働き
 をして下さい。
 軽はずみしないで、充分 
 お体、お気をつけ下さい。
    奥様へもお序の
    節よろしく。
 赤ちゃんも大きくなられた事と
 思ってます。


葉書は二科展への出品作を絵葉書にしたもの二種。こういう葉書は入選者が自費で注文して作ってもらうようだ。宛先は《和か山市小松原通四/和か山陸軍病院/赤十字病院/第二病舎》。この年の四月に花森は結核のため満州(中国東北部)から病院船で帰国した。和歌山で療養していたとき佐野に《立派な》手紙を書いたということで、その返事である。伊藤胡蝶園への復職について尋ねたのでもあろうか。何時でもオーケーという返事だが、営業部というのがちょっと気にはなる。

それにしても、文章の調子が親しい友人(年齢は佐野が十一歳上)に対するもので先輩ぶった様子はまったく見えない。花森は佐野に師事したというような言われ方をするけれど(小生もそのように書いたこともあったかもしれないけれども)この調子は若くて仕事のデキる同僚として一目置いていた様子ではないか。佐野研究にとっても重要な葉書である。

ということで、トークの準備中。昨年末にギャラリー島田で行ったものとは少し構成を変えるので、あれこれ図版を入れ替えたり、説明文を付け加えたりしている。お近くの方はぜひおいで下さい。


2017年2月26日(日曜日)
14時〜16時

古書 みつづみ書房

古書 みつづみ書房Facebook


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by sumus2013 | 2017-02-22 21:15 | おすすめ本棚 | Comments(0)

ふくしま人 門田ゆたか

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西条八十『砂金』(尚文堂書店、一九一九年八月二五日五版)


菅野俊之氏が『福島民報』に掲載された「ふくしま人 門田ゆたか」(二〇一七年一月一四日〜二月一一日、五回)を送ってくださった。深謝です。関屋敏子の巻も面白かったが、門田ゆたかがいかに身近な詩人だったかを思い出させてくれた。

門田は明治四十年(一九〇七)一月六日信夫郡福島町(現福島市)生まれ。本名は門田穣(かどた・ゆたか)、作詞家としては門田ゆたか、佐々詩生、柏木みのる等のペンネームを使った。名古屋の中学校で西條八十『砂金』に出会って詩人を目指す。早稲田大学仏文科へ入学して西條八十に師事。しかし家庭の事情により卒業間際で退学し西條八十主宰の雑誌『蝋人形』の編集を手伝いながら作詞家としての仕事を始めたのだという。

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昭和十一年「東京ラプソディ」(花咲き花散る宵も銀座の柳の下で…、作曲=古賀政男)でブレイク。これは小生くらいの年代でも頻繁にナツメロとして聞いたものである。二・二六事件と同じ年とは思えないのーてんきな曲調・歌詞なのに驚きを禁じ得ない。まさにラプソディ(狂詩曲)というにふさわしい。他にはデイック・ミネ「林檎の樹の下で」(林檎の樹の下で明日また会いましょう…)、松島トモ子「三匹の子豚」(狼なんかこわくない…)なども耳に馴染みのある曲・詞だ。

戦後も一時期、門田は一九四六年に復刊した『蝋人形』の編集を手伝い、昭和二十五年には自ら主宰する詩誌『プレイアド』を創刊している。『旅愁』など五冊の詩集がある。日本詩人クラブなどで要職を占め、作詞家の著作権保護にも力を尽くした。昭和五十年六月二五日急逝。享年六十八。詳しくは菅野氏の記事にてどうぞ。

上の『砂金』はずっと前に入手したもの。ブログでも一度取り上げた。みやこめっせの即売会だった。表面を毛羽立てた革(ベルベットのような手触り)の表紙。本来は深緑らしい。これはかなり退色してしまっている。装幀は野口柾夫。野口については検索してみてもよく分らないが、著書(述)に『化粧品の常識 販売家必携』(平尾賛平商店出版部、一九二九年)があり、平尾賛平商店のロゴマークをデザインしていること、『現代商業美術全集』第七巻に野口柾夫作突出し造型看板」の図が出ていること、また「鬼怒川音頭」「ヘッチョイ節(オール箱根ソング)」「新曲伊勢音頭」などの作詞も手がけたことなどが断片的に分る。なかなかの才人だったようだ(同一人物とは限らないか…)。

奥州二本松』歴史春秋社 菅野俊之他執筆


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by sumus2013 | 2017-02-20 19:36 | おすすめ本棚 | Comments(0)

古本道入門

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岡崎武志『古本道入門』(中公文庫、二〇一七年二月二五日、カバー画=森英二郎)と『sumus』別冊まるごと中公文庫(二〇〇三年六月一〇日、写真は裏表紙の内澤旬子さんによる似顔絵入イラスト)。文庫小僧こと岡崎武志、中公文庫のラインアップにも入ったということで、これもまた慶賀なり。以下「あとがき」より抜粋。

《この文庫版『古本道入門』は、私にとって現時点における持てる力を全て投入したつもりである。その点については、いささか自信がある。これ以上、もう「古本」や「古本屋」について、言うことは何もない。手持ちの札は使い尽くした感じだ。》

《今年、三月二十八日で、私は六十歳。還暦を迎える。どうにかここまで、よくぞ「書く仕事」でやって来られたものだと感慨がある。中公文庫は、日本文学が肌色の背で統一された時代から、ずっと憧れの文庫。仲間と作っていた雑誌『sumus』で中公文庫特集を組んだこともある。この号はよく売れて完売した。
 そんな仰ぎ見る叢書のラインナップに加えていただいたことは、もの書き稼業の途上で、多大なる誇りである。以後の励みとしたい。席を設けてくれたのは藤平歩さん。》

《なお、文庫版カバーの版画を、森英二郎さんが引き受けてくださった。これは望外の喜びであった。大阪人の私にとって、森さんの名前は、伝説の情報誌『プレイガイドジャーナル』時代から親しみを持ち、愛聴する西岡恭蔵のLP「街行き村行き」ジャケットも森さんだったし、敬愛する川本三郎さんの著作も多く森さんの手による等々と、尽きせぬ一方的な思いがある。
 そんなわけで中公文庫版『古本道入門』は、還暦を迎えるにあたって、記念すべき一冊となった。

『古本道入門』(中公新書ラクレ、二〇一一年一二月一〇日)

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by sumus2013 | 2017-02-19 20:35 | おすすめ本棚 | Comments(2)

驕子綺唱

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平井功『爐邊子随筆抄』(書肆盛林堂、二〇一四年一〇月二六日、表紙デザイン=小山力也)にひきつづいて『詩集 驕子綺唱』(書肆盛林堂、二〇一七年二月一九日、表紙・タトウデザイン=小山力也)が上梓された。ひとまず慶賀なり。

   Lopez, the Untamed

 野に棲む小獣のやうに
 私は誰にも馴されなかつたものだ
 私を馴さうとした人も幾人[いくたり]かありはしたが

 吾妹子よ お前が現れた時
 私は進んでお前に馴されたものだ
 幾代も 家畜として飼はれてゐたかのやうに

 氣にはしないでお呉れ
 野に棲んだころの荒々しいこゝろが
 飼はれて後もふと甦つて來るやうに
 今も時折は 折にふれて
 荒々しい情[こころ]が
 昔の儘に湧き立つこともあるがーー
 吾妹子よ 今も時折は
    折にふれて


栞としてタトウに収められている長山靖生「解説・あとがき」によれば、第二詩集になるはずだった『詩集 驕子綺唱』には平井功自身が用意した原稿が残っていた。しかしながら《幾人もの優れた出版人が熱を上げたにもかかわらず、生前に平井功が意図した造本装釘を実現しようとの理想を追うあまり、今日まで印刷刊行されるには至らなかった》ということである。たしかに松本八郎さんにもそんな話をうかがった覚えがある。松本さんも平井功の遺志を継ごうと努力しておられた一人だったが。

《昭和末期までは確かに、平井家に原稿が残っていたようだ。しかし功の子息で翻訳家の平井以作が亡くなった後、某氏が平井家にお願いして生原稿を探して頂いたところ、どこに仕舞い込まれたのか判然とせず、所在が確認できなくなっていた。とうとう本当に幻となってしまったのかと思われた時、原稿のコピーが書肆関係者の手元にあることが分った。
 平成二十五年四月二十七日、知人から『驕子綺唱』を出版するので手伝わないかとの誘いを受けた。私にとっては唐突な話だったが、御遺族の御理解、許諾も受けているという。その場でいきなり手書きの原稿のコピーとデータを渡された。もはや遁れようのない悪魔の誘惑だった。》

小生もこのコピーなるものを見せてもらった記憶がある。あれはいつどこでだったか……。

小出昌洋「随読随記」に平井功のことが書かれている

《その後、平成二十五年六月にパイロット版として八十部を限定して非賣品として刊行。平井功、日夏耿之介の研究者、関係者を中心に、詩歌に詳しい方々に読んで頂き、御教示を仰ぐことにした。》

《本来なら、今回の「第二次パイロット版」では、それらの指摘を受け入れ、少なくとも明らかな誤記と判断できるものは訂正した上で刊行すべきだと私個人は考え、そのように書肆側に伝えたが、今回はあくまでパイロット版をより広い読者に読んでもらうのが趣旨とのことで、訂正無しでの刊行となった。近い将来、より完璧を期した「正規版」の刊行を別に考えているとのことである。》

なるほど、いろいろな考えがあるものだが、たしかに完璧を求めすぎては出るものも出せなくなる。ただし平井功の造本意匠へのこだわりはテキストよりも(よりもは言い過ぎか、同じくらい)重いはず。詩集という存在(書物と言い換えてもいい)の意味を平井功は見抜いていた。本を愛する誰もが完璧を期したくなる所以である。

詩集 驕子綺唱 書肆盛林堂

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by sumus2013 | 2017-02-18 21:07 | おすすめ本棚 | Comments(0)

匂いのない本など、ごめんである。

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『大学出版』No.108(一般社団法人大学出版部協会、二〇一六年一〇月一日、表紙デザイン=阿部卓也)を牛津先生より頂戴した。深謝です。特集が「装幀を考える」。執筆は、間村俊一(装幀家)、鈴木衛(装幀家)、木村公子(武蔵野美術大学出版局)、大矢靖之(紀伊國屋書店新宿本店)、中垣信夫(ブックデザイナー、ただし氏の記事は連載)。装幀家、編集者、書店員、それぞれの立場から装幀について考えるという好企画。欲を言えば、著者の立場からの発言も欲しかったような気はする。

間村さんがなかなかに長文かつ異色の装幀論……いや装幀俳句とその前書きみたいなエッセイというか、そう、いわば間村流の戯作を執筆しておられて感銘を受けた。さわりだけ引用しておく。

《〔結論めいたいいわけ〕
 女が来る。しどけた着物の裾を払って、草むらにしゃがむ。まだ日は長い。ゆまりの音が聞こえる。きれぎれに、ながながと。懐から紙を出し、あてる。すこし匂う。中天に雲雀の声がする。本は打ち捨てられたまま、河原にある。水を含んで、本文が膨らみ始める。湯気がたっている。本は重い。

  初蝶来てゆまり長し長しといふ

 嘘だ。すべて嘘である、蝶一頭は活字のように重い。ゆまりの池にとまる。このゆまりこそが装幀である。ゆまりのような装幀、装幀のようなゆまり。舟が来る。》

《女の、男の、父や母の、すべての人々ののっぴきならない生き様の果てに成立する一冊。それを書物という。ゆまりである。匂いのない本など、ごめんである。》

ふ〜む、ゆまりとはよく言った。

ゆ-まり【尿】〔名詞〕(「湯まり」の意。「まり」「まる(排泄スル)」の連用形)小便。にょう。「ゆばり」「いばり」とも。〓[尸に水+毛]、此れを兪磨里(ゆまり)と云ふ』〈神代記・上・黄泉国・訓注〉》(中田祝夫編『新選古語辞典』)

間村さんには仕事ももらっているし、上京するたびにモー吉でお付き合いさせてもらっている(そういえば最近すっかり御無沙汰だ)。『spin』創刊号ではインタビューも。しかしここに書かれたようなこだわり装幀論は(断片的には聞いていたにしても)初めてだ。Macアレルギー以外は同感する部分多し。以下、過去記事の一部をリンクしておく。ゆまりの「匂ひ」をかいでいただければ……?

spin 01 創刊号
珈琲漫談・山猫軒にて 間村俊一+内堀弘+林哲夫
【在庫あります。送料込み1000円、sumus_coあっとyahoo.co.jpまで】

光文社文庫版『神聖喜劇』

間村俊一句集『抜辨天』(角川学藝出版、二〇一四年二月二八日、著者自装、寫眞=港千尋)

季村敏夫『膝で歩く』(書肆山田、二〇一四年八月八日、装幀=間村俊一、写真=鬼海弘雄)

勝見洋一『餞』(幻戯書房、二〇一一年八月一四日、装幀=間村俊一)

水原紫苑の歌集『あかるたへ』(河出書房新社、二〇〇四年一一月三〇日、装幀者=間村俊一)

山上の蜘蛛ー神戸モダニズムと海港都市展

間村俊一『句集鶴の鬱』(角川書店、二〇〇七年、著者自装)

港千尋『文字の母たち』(インスクリプト、二〇〇七年、装幀=間村俊一)

坂崎重盛翁の新著『神保町「二階世界」巡り及ビ其ノ他』(平凡社、二〇〇九年、装幀=間村俊一)

小沢信男『東京骨灰紀行』(筑摩書房、二〇〇九年、装丁=間村俊一、写真=矢幡英文)

郷里の書棚から「間村俊一」装幀本


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by sumus2013 | 2017-02-02 20:27 | おすすめ本棚 | Comments(0)