林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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船長ブラスバオンドの改宗

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バアナアド・シヨオ、松村みね子訳『船長ブラスバオンドの改宗』(書肆盛林堂、二〇一四年二月一六日、表紙画=堀内薫)読了。『船長ブラスバオンドの改宗』(竹柏会、一九一五年)を底本とした覆刻版。さすがに飽きさせない筋立てである。

松村みね子の訳文を森鴎外が序において次のように讃えている。西洋脚本にろくな翻訳がないと嘆いてみせてからこう続ける。

《此本はどこまで読んで行っても、その「まずいなあ」を出させないのです。とうとう出させずじまいになって、Lady Cicely の How Glorious! how glorious! And what an escape! に到着しました。そして私はその escape を得ずに、此本に捕えられてしまったのです。》

鴎外が引用しているのはテキスト最後のセリフで、主人公である美貌の貴婦人シセリイの独白だ。みね子訳はこうなっている。

《まあ立派な! なんて立派な! ああ危なかった!》

Glorious を「立派な」はどうだか知らないけれど、「ああ危なかった!」はじつに上手いと思う。どうして危なかったのか、をここで書いてしまっては興ざめなので、我慢しておくが、もう少しでどうにかなるところだった……ということである。

ショーといえば『ピグマリオン』(舞台、映画「マイ・フェア・レディ」の原作)くらいしか知らない。ただしショーがとびきりの皮肉屋だということは何かで読んだ次の単語で印象深く刻み込まれている。

 ghoti

ショーはこれを示して「fish(フィッシュ)」と読ませた。なぜならば、以下のような発音の例があるではないか。

 gh - laugh における gh 、[f] 
 o - women における o 、[ɪ]
 ti - nation  における ti 、[ʃ] 

要するに英語の発音の不規則生をチクリとやったわけである。並のへそ曲がりじゃない。

本作『船長ブラスバオンドの改宗』はモロッコが舞台。美女と海賊と判事とムール(ムーア)人が登場する。活劇かと言えばそうではなく、ほとんど松竹新喜劇かとまがうようなあちゃらかである。(ついでながら、ジョン・ミリアス監督脚本の映画「風とライオン」、モロッコが舞台でアメリカ合衆国が重要な役割を果たすあたり、ミリアスはショーを意識していたのかもしれないな、と気付いたしだい)

英国本土にいられないワケアリ人間たちが吹き溜まっているなかでいちばん強烈なボケ・キャラクター、道化役はドリンクウォタアという小悪党。ひとしきりドタバタやったあと彼らの持ち物がすべて没収されて裁判になる。そのときにこんなやりとりがある。

《水兵 知事(カーデ)から渡されました本がございます。何か魔術の書らしいと申して居りました。教誡師があなたに申し上げてから焼き捨てるようにと申されました。

大佐 どんな本だ?

水兵 (目録を読上げる)汚れ損じたる本四冊、各、別種類、定価一ペニィ、名はちぢかんだトッド、ロンドンの魔物理髪師、骸骨の騎手ーー

ドリンクウォタア(ひどくあわてて心配そうに駆け出して)そいつあ、私(あつし)のお蔵です。焼いちゃあいけません。

大佐 お前も斯んな物は読まない方がいい。

ドリンクウォタア (非常に情なさそうにレディ・シセリイに訴える)どうか焼かせないで下さい。あなたがそういって下さりゃあ、焼きやしません。(一生懸命の弁を振って)此本がどんなにあっしに大事だか、あなた方にゃ分らないんだ。此本のおかげで私(あつし)はウォタアロー街のみじめな世界から抜け出して面白い夢も見ていられたんだ。此本が私(あつし)の頭を拵えてくれたんだ。私(あつし)に汚い貧乏人の生活(くらし)よりか最ちっと好い物を見せて呉れたんだ。》

定価一ペニィの本というのは十九世紀に「penny dreadful, penny horrible, penny awful, penny number, and penny blood」などと呼ばれて英国で数多く発行された犯罪小説を指すのだろう。ダブリンの貧しい家庭に生まれ、辛苦の末、筆で立ったショーその人の感慨が込められていると読みたくなるが、さてどんなものか。とにかくいい本を覆刻してくれた。版元に感謝である。


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by sumus2013 | 2014-02-24 21:25 | おすすめ本棚 | Comments(0)

風景の諷刺

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『紙魚』57号(書物屋=新潟市中央区本馬越1-16-12、二〇一四年一月三〇日)が届いた。詩誌発掘の努力が孜々として続けられており、《詩誌の発掘が無く、資料として提出できない》というところまで到達したとのこと。

個人的に注目したのはこの表紙の詩集。吉原重雄『風景の諷刺』(作品社、一九三九年五月一六日)である。吉原の第二詩集となる遺稿集。これは作品社本なので目録としてはリストアップしていたが、実際どのようなものか知らなかった(日本の古本屋に出ているものの、ちと値が張る)。

作品社出版目録(初稿)
http://sumus.exblog.jp/16076403/

本誌によれば二〇一一年に吉原重雄の娘さんが『風景の諷刺』(形文社)を覆刻されたそうだ。表紙はその書影である。

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by sumus2013 | 2014-02-22 21:23 | おすすめ本棚 | Comments(4)

吉本隆明と沖縄

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『脈』79号(脈発行所=那覇市曙3-20-1、二〇一四年二月一〇日)を頂戴した。御礼申し上げます。特集「吉本隆明と沖縄」。この号から比嘉加津夫個人誌『Myaku』と同人誌『脈』というふたつの雑誌が合併したそうだ。後書きにこうあってオヤと思う。

《さて、今回の特集だが、多くの方の協力を得た。まずは三月書房の宍戸さんだ。「吉本隆明と沖縄」をテーマにすべきだと意見したのも彼であった。》

宍戸さんお元気のようで何より。記事のなかでは比嘉氏の論考「吉本隆明にとっての沖縄 南島論と共同幻想論から」が吉本と沖縄の接触を分かり易く説明してくれており参考になった。例えば、沖縄復帰以前の論考「異族の論理」(一九六九年)をめぐって。

《一般の「復帰」派でも、おおまかに言うと、何が何でも復帰という考えと、施政権のみならず基地も返還し平和を取り戻すための復帰という考えに分かれていた。
 同様に「反復帰」派も、復帰したら芋と裸足の時代に戻るだけだから駄目だという考えと、この際だから独立すべきだという考えと、日本帝国主義化の目論見に利用されるだけだという考えに分かれていた。
 そのようなとき、吉本の「異族の論理」が出てきたのである。吉本は次のような見解を述べた。

  わたしたちは、琉球・沖縄の存在理由を、弥生式文化の成立以前の縄文的、あるいはそれ以前の古層をあらゆる意味で保存しているというところにもとめたいとかんがえてきた。そしてこれが可能なことが立証されれば、弥生式文化=稲作農耕社会=その支配者としての天皇(制)勢力=その支配する〈国家〉としての統一部族国家、といって本土の天皇制国家の優位性を誇示するのに役立ってきた連鎖的な等式を、寸断することができるとみなしてきたのである。いうまでもなく、このことは弥生式文化の成立期から古墳時代にかけて、統一的な部族国家を成立させた大和王権を中心とした本土の歴史を、琉球・沖縄の存在の重みによって相対化することを意味する。

要するに沖縄には本土より古い制度が残っている、それを掘り起こし、天皇制の意味を問えということだ(そして天皇制という問題から人類史的な普遍へ至るという道筋を吉本は考えていた)。ちょうどこのくだりを読んだすぐ後で新聞を広げると「沖縄で旧石器時代の貝類 国内初出土」という記事が出ていた。そこには石灰岩質の沖縄地域は酸性土壌の本土に比べて骨の残りがよく、本土にほとんどない旧石器時代の人骨が複数確認されているが、使われたはずの道具が見つからないという不思議な状態が続いていた。今回の発見はそれを埋める成果で云々》ともあって、なるほど文字通り日本最古層をとどめているのが沖縄なのだと思ったしだい。

そしてまた、その次の日だったか、何気もなく『近世名家小品文鈔』中(土屋榮編、大字三版、刊記はないが、検索すると明治十二年のようだ)をめくっていると「蹲鴟子伝 頼山陽」というタイトル、そして出だしの《蹲鴟子者琉球人也。姓甘人名藷。其先人曰芋氏。》が目についた。オヤオヤまたもや沖縄だ。


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蹲鴟子伝というのでてっきり人物伝かと思いきや、書き出しを落ち着いて読み直せば分る通り、琉球特産の蹲鴟(そんし)すなわち里芋(【さといも】「食物本草歳時記」参照)を琉球の傑出した人物として擬人化し、あまりに優秀なため日本本土へ招かれて全国いたるところにその弟子(子芋)をつくった……というふうに語っているのだった。

検索してみると、この本の他に明治二十五、六年頃の中等漢文教科書にも取り上げられており、その教科書で習った人達(ご存命なら百〜百二十歳ほどの方々)にはよく知られていた戯文だったかもしれない。仮に上記引用に出てきた《芋と裸足の時代》が山陽のイメージした琉球にあたるとしても、山陽はこのとのほか蹲鴟を愛したようだ。

《野史氏曰。吾少游六芸之圃。與其秀英之士交。独好蹲鴟子子弟。愛其実而不華。重厚而能済人。交愈熟而其言愈可味吁。蹲鴟子之才。而為人所賤。天也邪。江戸有孔陽氏者。與予同其好。来請予曰。掲埋彰没。史家之事也。予蓋記蹲鴟子之事。規世之耳食者。予於是乎。作蹲鴟子伝。

愛其実而不華」と言っているが、カラーに似た花もなかなか美麗である。
http://senpai3330.blog41.fc2.com/blog-entry-1206.html

『脈』次号は川崎彰彦特集とか。これは楽しみだ。


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by sumus2013 | 2014-02-18 21:03 | おすすめ本棚 | Comments(0)

月歌論

Loggia ロッジア』13号(時里二郎、二〇一四年一月三一日)を頂戴した。今号は短歌集「円周率のサル」と「月歌論」というエッセイ、そして歌の錬成を描いた物語「歌窯」からなる。古典とアヴァンギャルド(ああ、これはちょっと響きがなつかしすぎですかねえ)の溶かし合いというのか、時里氏ならではの世界。


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「月をかたしく 或いは《月歌論》のための仮縫い」は和歌における月との関係をさぐる試論で、西行、定家、そしてとくに九条良経に焦点を当てている。

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《良経の歌は、月に心がしみこんでいる。近代的な憂愁さえ嗅ぎ取ることができはしまいか。》と氏は書いておられるが、たまたま、このくだりを読んだ直後に、ある方より「真山民作で好きな作品があります」というメールを頂戴して驚いた。

 我愛山中月  我は愛す 山中の月
 烱然掛疎林  烱然として疎林に掛るを
 為憐幽独人  幽独の人を憐れむが為に
 流光散衣襟  流光衣襟に散ず
 我心本如月  我が心 もと月の如く
 月亦如我心  月もまた我が心の如し
 心月両相照  心と月とふたつながら相照らし
 清夜長相尋  清夜とこしなえに 相尋ぬ

月と心と相照らすとは……。時里氏の言わんとするところに一致するのではないだろうか。真山民は南宋の詩人、隠士。詳しい経歴などは分っていないそうだが、日本ではよく読まれてきたようだし、詩吟の定番でもある。真山民「山中月」についてはこちらのサイトに詳しい。


南宋というと、九条良経(1169-1206)と重なるか、少し後になるのだろうか。まさか同時代性というわけでもなかろうが、モチーフはほとんど同じだと考えてもいいように思われる。今更ながら、漢詩と和歌の距離は、表現形式からするとはるかに離れているように見えても、『倭漢朗詠集』が示しているごとく、じつは裏表のように密着しているのかもしれない。


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by sumus2013 | 2014-02-13 21:36 | おすすめ本棚 | Comments(2)

生誕130年永久保存版 竹久夢二

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竹久夢二 大正ロマンの画家、知られざる素顔』(河出書房新社、二〇一四年一月三〇日)。表紙の執筆者でおおよそ分るように、実際に夢二を知る人間から最近の夢二ファンまで、広く夢二に関する言説をコレクションし、読物として夢二の全体像に迫った一冊である。夢二といえば画集やカタログ類、また雑誌特集など多数出ており、それぞれに研究者なり、誰なりが文章を寄せているのだが、本書は「永久保存版」と謳うだけに、選び抜かれた貴重な記録が採録されて、たしかに書架にとどめておきたいと思わせるものになっている。

しかし、何と言っても、岸たまき「夢二の想出」(初出は『書窓』、昭和十六年から十八年にかけて六回連載された)がキョーレツである。以下少し抜き書きしてみる。

二十四歳で未亡人になったたまきは兄の家にいる母をたよって上京した。独立して子供を育てたいという願いが容れられて絵葉書店を早稲田鶴巻町に出したのが明治三十八、九年。当時は早稲田が大人気で中国留学生が千五百人もいたそうだ。絵葉書もよく売れた。開店五日目に《長髪の異様の青年》夢二が客としてやって来た。早慶戦のエハガキを夢二がスケッチして売り出したり、絵葉書の仕入れ先を教えてもらったりした。

《店が少しハヤリ出すと青年達からいろいろと求愛される求婚される、中には支那の貴族の留学生などダイヤの指輪をくれたり困ってしまいました。夢二もその中の一人で第一に申込を兄夫婦にしたのでした。》

ほどなく二人は結婚。夢二は読売新聞に入社する。月給は十五円で小川未明の十三円より高かった。しかし主任ともめて退社。太平洋画会の画塾に通ったりするようになる。

《暫くは遊んでいましたけれど、そろそろ嫉妬が始まり出し、私を焼火箸でついたり、大きなお腹の上に板をのせて、坐ったり、乱暴を始め出しましたので、それでも皆が私の為によく慰めてお手伝いして下さいました。》

《それから早稲田大学の裏に小さな家を借り移りました。宮崎与平氏が田舎上りの草鞋をぬいだのもこの家でした。少しの金もなくて私のコートを質に入れて六十銭作り、おそばの御馳走をしました。》

《その頃は毎日カタパン二銭が常食でした。八日に本屋の名は忘れましたが音楽の本の装幀を頼まれて八円ほど金が入りましたが、金を受取りに行きながら帰ってきません、夜十二時頃、そして懐におすしを入れ、牛乳を二本と、私にクリームを買って帰りました。お金は、と聞きますと前を通ったので芝居をのぞき、おすし屋で一喰やったのでなくなっちゃったとて五十銭私に渡しました。泣くにも泣かれぬ気持でした。また十六日までに蒲団まで質に入れて過ごしました。》

この生活破綻ぶりを見かねた親たちが、二人を無理矢理に離縁させ、子供は九州に預けられた。

《折角自立の為のつるやも兄の手に渡ってしまい資本もないしいろいろ考え洗濯屋がよろしいと思いましたけれどやはり資本が出来ないし、幼稚園の保母になる決心をして、神田橋の和強学堂にある東京府保母伝習所に入り、昼は岸辺先生の東洋幼稚園(牛込時代)に通い、四時には学堂の伝習所に通う事となりました。

ところが夢二とたまきは偶然にも同じ下宿に引っ越して再会、結局そこで復縁してしまう。しかしそれもそう長くは続かず、夢二は余所の女に入れあげて別居状態になった。

《大森の家は懇意な人と母とで引き上げて荷物が運ばれ、私は本の行商でもしてゆく事にきめ、向横町の裏に四畳半と二畳の家を借り住い、やれやれと少し落着きましたら、夕方十月頃に白がすりの単衣もの一枚で夢二が顔を出し、すまなかった、もう一度救って呉れと頭を下げて帰って来ました。》

洋行するつもりだと言い出し、京都の堀内氏の世話で湯浅半月が図書館長をしていた市立図書館で展覧会を開くことになった。恩地孝四郎や田中恭吉が手伝いに京都へ出かけた。しかし売り上げの大半を芸者遊びに費やしてしまい、東京に帰って来たときには十五円しか残っていなかった。

《どうしてそればかり残したのですと聞きますと春芝居も見なきゃならんし春相撲も見なきゃならんし残して来たのだと、おれはもう駄目なやつだと泣き出してしまいました。私も泣かされました。

大正二年。

《その秋五ヶ月の流産が因で貧血に陥り寝込んで了いましたが、その時医者を迎えにゆくとて貯金帳を持って出た儘一ヶ月も帰らず、徳田秋江[ママ]氏と東北に雪見をして来たと十二月も末に戻って来これから楽しませると大晦日の前日に連れ立って出かけ、向島の太陽閣で昼食、言問だんごを喰べ、竹やの渡しから三や森に渡り、夕方「仲」に繰込みました。

う〜ん、夢二も夢二だが、たまきもたまきか……。大正三年になると、突然たまきは離縁状を渡され、その代わりと日本橋の呉服橋通りに「港屋」を開いてやると言われた。下は港屋の前の夢二。

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夢二は彦乃と親しくなる。まだ十八九だった東郷青児が店を助けてくれたが、夢二は二人の仲を疑って、画会で滞在していた富山へたまきを呼びつけた。このくだりに凄みがある。

《泊の近くの海岸で私を責め、一夜中九寸五分をつきつけてひき廻し、顔をまず五寸ほど切りましたが血がにじむ程度でしたが、雨で濡れたお召縮緬は足にからみ歩けず余り座ると髪の毛を握っては立たすので毛がむしれて銅銭程のはげが幾つも出来た程でした。虐めるだけ虐めて少し気が収ったか丁度夜がしらんで来たし宿の温泉場へかえりました。》

《謝れときかぬのでその様にいいますと、急に猛り立って短刀で私の左腕を刺し、骨に通った刀が抜けず、血が止る迄ハンケチで縛って止血し、看視につけた知人を電話で呼ぶ始末、夢二も其人もその刀が抜けず、私が自分で抜きました。》

港屋の店頭に立つたまき(他万喜)。

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今の世の中でもドメスティック・ヴァイオレンスは決して珍しくはないのだろうが、夢二描く女性たちにはこういう精神疾患とも思える妄執が潜んでいるということは頭の隅に置いていてもいい……。

夢二の長男・竹久虹之助が父の言葉として次のように書きとめている。

《その方ではお前達よりずっと苦労してきた俺が、言っておくが、女房というものは決して替えるものではない。幾度かえてみたところで決して自分の希望通りの女なんて、あるものではない、幾人かえても結局はもとの女房が一番自分にしっくりするものだ。》(「父夢二を語る」本書所載、初出は『書物展望』)

なるほど永久保存版である。








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by sumus2013 | 2014-02-12 21:26 | おすすめ本棚 | Comments(4)

ぼくのおかしなおかしなステッキ生活

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坂崎重盛『ぼくのおかしなおかしなステッキ生活(求龍堂、二〇一四年二月六日)到着! ひょうたん、明治の石版画、粋人随筆、絵のある岩波文庫、居酒屋、そして何より失われつつある(失われた)東京……こだわりオブジェの数々、そしてそれぞれのテーマごとに単行本を出してしまう。なんとも羨ましい、いや、いや、これは坂崎さんの人徳というか行動力というか、結局は才能であろう。

本書も長年暖めてこられたステッキの魅力を惜しげもなく披露に及んだきわめて楽しい内容、そしていつもながらの軽妙な語り口。

《ところが、われら日本人は明治以降、近くは昭和戦前まで、青年・壮年もステッキを手にする流行があった。気ままな、オシャレな気分、あるいは自己演出の小道具として杖、ステッキが愛用された。
 「必要もないのにステッキを持つ? そんな邪魔くさい、馬鹿げたことを!」と今日の人なら、ほぼ百パーセント思うだろう。》

《しかし、くりかえすが、戦前までは、ときには二十代で、まだ世に出ぬ学生ですら、ステッキを携さえている。今日の常識からは信じがたいことだ。
 ぼくも、それを知ったときは正直、びっくりした。そして興味を持った。また新旧、種々雑多なステッキと、さらには、ステッキが描かれた図版や文章を集めてみようと思い立った。》

《などと、殊勝めいたことを言っているが、ぼくは、なにより妙なステッキをコレクションすることと、その周辺の情報、とくに文芸の一節や世相漫画で描かれたステッキ画を見つけては、一つ一つファイルするのが楽しくて仕方がないのである。
 すたれた物、さびれた場所、消えつつある事柄に対する肩入れは、ぼくの宿痾であり、また、それこそがぼくが生きている主な理由、と自分では思っている人間なのだから仕方がない。》

と、どうです、この態度、これは「思想」と言っていい。同じ性癖をもつものとしてはまったく同感する。ただし小生にはそれを本にして刊行するだけのガッツ(いや、やはり人徳と言うべきだろうか、結局は才能か……)がないだけだ(トホホ)。だからいよいよこういう本には目がないのである。

ステッキそのもの、ブツについてもフリーメイソンのマーク付きだとか、仕込み杖だとか、種々様々なステッキの紹介を楽しめる。これも一楽。


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さらに文化史的な側面として漫画資料がふんだんに引用されている。これは坂崎本に共通する最大の特徴でもある。これが一楽。下は「ステッキ・ガール」の実在についての一頁。


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こういう本を読む・見ると、そういえば、あそこにステッキが出ていたな、などと思いつくことがある。それもまた一楽。

こちら、サルヴァドール・ダリ「テーブルとして用いられうる、フェルメール・ド・デルフトの亡霊」(一九三四年)。正確にはステッキじゃないが、この「支え棒」は数限りなくダリの絵画に登場している。ダリの代表的なオブセッションのひとつ。やっぱりステッキだろう……フロイト的に解釈すれば……。


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次も同じくダリ。「ホメロス礼賛」(一九四五年、アングルの同名作品のダリ的解釈)。これはまず間違いなくステッキでしょう。右の裸婦のすぐ上に。


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というような訳で、今後は戦前の風俗漫画だけではなく、東西の絵画を見る時にもそこにステッキが登場していないかどうか注意しておくことになりそうだ。モノ好きにおすすめの一冊なり。


坂崎重盛さんの新著『粋人粋筆探訪』
http://sumus.exblog.jp/20345333/

坂崎重盛とは?
http://sumus.exblog.jp/15727522/

坂崎重盛『「絵のある」岩波文庫への招待』
http://sumus.exblog.jp/14943202/

坂崎重盛『東京読書ー少々造園的心情による』
http://sumus.exblog.jp/8021117/

坂崎重盛翁の新著『神保町「二階世界」巡り及ビ其ノ他』
http://sumus.exblog.jp/12263761/


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by sumus2013 | 2014-02-06 21:22 | おすすめ本棚 | Comments(2)

戦争俳句と俳人たち

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樽見博『戦争俳句と俳人たち(トランスビュー、二〇一四年二月五日、装幀=間村俊一)。カバーの古本たちが如実に示すように『日本古書通信』の編集長である樽見さんならではの労作。目次などについては下記サイトをご覧頂きたい。

版元ドットコム 戦争俳句と俳人たち

詳しい内容を紹介するほどの近代俳句に対する知識も情熱も持ち合わさないのだが、俳句であろうと何であろうと、表現形式にかかわらず、戦時において表現者がいかなる態度を取るか(または取ったか)には興味を抱かざるを得ない。

まず戦争俳句とはどんなものか? 論より証拠、本書で引用されている多数の戦争俳句のなかからいくつか拾って並べてみる。


  悉く地べたに膝を抱けり捕虜    三鬼

  機関銃熱キ蛇腹ヲ震ハスル     三鬼

  霜解けず遺影軍帽の庇深く     草田男

  我を撃つ敵と劫暑を倶にせる  片山桃史

  やがてランプに戦場のふかい闇がくるぞ  赤黄男

  秋風のまんなかにある蒼い弾痕      赤黄男

  ふるさとの氷柱太しやまたいつ見む  安東次男

  靴に充つる冬の足指吾は兵たり    金子兜太

  霜柱この土をわが墳墓とす      楸邨

  ついに戦死一匹の蟻ゆけどゆけど   楸邨

  火の中に死なざりしかば野分満つ   楸邨

  母偲び戦ふ国の桃咲けり       金吾

  人を殺せし馬の顔しづかなり厩    一石路

  寒天に首打落すにぶき音     岩橋二合瓶


本書にはまだまだ多く(といっても全体数からすればほんの氷山の一角にも値しないであろうが)戦争俳句が引用されていて、その容態がどのようであったかおおよそ想像がつくようになっている。これが貴重である。実際に戦闘に参加した若者(桃史、次男、兜太ら)の作もあり、銃後の作もあり、空想で作ったものあり、実にさまざまだが、文字数が少ないだけに優劣がはっきり出てしまっているように思う。また反戦的なものは基本的には作れない(発表できない)ということもある。それらを考慮しても、正直、思ったより佳作が多いのは意外だった。

「あとがき」がいい。

《本書の執筆を始めて八年になる。いつの頃からか、表現に携わる人たちの戦中から終戦直後へかけての生き方に興味を持つようになった。以前から、新しい本よりも、時代や人の手を経てきた古本、マニアが収集の対象とするような稀少な本ではなくて、粗末だけれども著者の思いがこもったような文字通りの古本や古雑誌が好きで、目に付き次第さまざまな分野の古本を買い集めてきた。買い続けているうちに自然と、戦中から終戦後にかけての文献に集中するようになった。

 これは振り返って見ると、私の仕事である「日本古書通信」編集の中で知り合った近代文学研究の高橋新太郎さんや保昌正夫さんの影響が大きい。お二人ともすでに故人となられて久しいが、共に研究の核に、敗戦後、文学者や研究者が、戦争期の言動をどのように反省し、再出発をとけたかという視点をお持ちだった。しかも、その検証の重点を資料の収集におかれていた。》

なるほど、そういうことならこの書物の動機も公平を期そうとする視点もうなずける。

《本書のテーマである戦中、終戦直後の俳句関係資料は、注意していれば多くを集めることができる。人の記憶や回想には何がしかの編集が加味されるが、資料は誤りはあるが、嘘をつかない。本書はその収集資料の記録のようなものだ。》

「資料は嘘をつかない」……敏腕弁護士が吐きそうな名セリフではないか。

個人的に収穫と思ったページはこちら。荻原井泉水『俳句する心』(子文書房、一九四一年)の引用部分。コンクリート・ハイク。

《大正末から昭和初期のアヴァンギャルド芸術であった「マヴォ」の影響であろうか。俳句の未来派的な「試み」が示されている。「活字は必ずしも縦にのみ用ふべしといふ規則もないのだから、どういふ風に用ひても最も有効に用ひた方がよろしい」と書くなど、井泉水の柔軟な考え方がわかる。その文中にある、「層雲」掲載の作品を、井泉水が未来派風に書き換えた例を次頁に示してみよう。

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他に高柳重信が戦後発表した奇抜に文字を配列した俳句も紹介されている。重信の師匠は富澤赤黄男で、赤黄男には吉岡実も多大な影響を受けた。


  一木の絶望の木に月のあがるや      赤黄男


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by sumus2013 | 2014-02-05 20:42 | おすすめ本棚 | Comments(2)

ZAZ SANS TSU TSOU

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TSUTAYAの更新手続きをした。二枚CD無料になったのでザーズのライヴCD/DVD三枚組「ZAZ TSU TSOU」とアマリア・ロドリゲスのベスト盤を借りた。ZAZのライヴ・ヴィデオはコンサート・ツアーからプライヴェットな顔までうまくコラージュしており、上出来と言っていいだろう。

Zaz - Sans Tsu Tso
http://www.youtube.com/watch?v=bCBTqbjXTb4

三枚のうちの一枚はシングル盤「Éblouie par la nuitだった。

Éblouie par la nuit, à coup de lumières mortelles,
A frôler les bagnoles, les yeux comme des têtes d'épingles,
Je t'ai attendu cent ans, dans les rues en noir et blanc,
tu es venu(e) en sifflant,

夜に目をくらまされ、激しい光に、
車がかすめる、目はピンの頭のよう
ずっとあんた待った、黒と白の街で
口笛を吹きながらあんたはやってきた

Éblouie par la nuit, à coup de lumières mortelles,
A shooter les cannettes aussi pommée qu'un navire,
Si j'en ai perdu la tête, j't'ai aimé et même pire,
Tu es venu(e) en sifflant,

夜に目をくらまされ、激しい光に、
ばかでかくてまんまるなビンをシュート
もし、カッとしてたら、あんたを好きになっていた、やばいほど
口笛を吹きながらあんたはやってきた

Éblouie par la nuit à coup de lumières mortelles,
Faut-il aimer la vie, ou la r'garder juste passer,
De nos nuits de fumettes ,
Il ne reste presque rien,
Que des cendres au matin, 

夜に目をくらまされ、激しい光に
人生を愛するか、でなきゃ過ぎて行くのをただ見ているか
わたしたちの息づかいの夜には
何も残っていやしない
朝の灰のほかには

Ah ce métro rempli des vertiges de la vie,
A la prochaine station, petit européen,
Met ta main, descend la, en-dessous de mon cœur, 

ああ、人生のめまいで満員のこのメトロ、
次の駅で、小柄なヨーロッパ男が、
あんたの手を置いて、降ろす、わたしの心臓の下の方に、

Éblouie par la nuit, à coup de lumières mortelles,
Un dernier tour de piste avec la mort au bout,
J'ai attendu cent ans dans les rues en noir et blanc, 
Tu es venu(e) en sifflant…

夜に目をくらまされ、激しい光に、
ゴールに死が待っているトラック、最後の一周、
黒と白の街でずっと待った、
口笛を吹きながらあんたはやってきた…


以上、歌謡曲風に訳してみました。時折、和訳にいちゃもんをつけたりしているが、やっぱり翻訳は難しい(文字通りではない、俗語的な表現がちりばめられているようです!)、拙訳お許しを(目に余るところがあれば直しますので御教示を)。それにしてもこの歌の邦題が「聞かせてよ、愛の歌を」というのには驚きました。何でもいいと言えばいいのですが。

ZAZは昨年二枚目のアルバムをリリースしていた。

ZAZ Recto/Verso (2013) - Full Album
http://www.youtube.com/watch?v=eVUEWLvIISs




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by sumus2013 | 2014-01-27 22:05 | おすすめ本棚 | Comments(4)

歌の塔

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ジャック・プレヴェール『歌の塔』(柏倉康夫訳、未知谷、二〇一三年一二月一〇日)が届いた。プレヴェールの一筋縄ではいかない、しかしはっきりと一本筋の通った世界をじっくり味わう幸せを感じる。

『歌の塔』は、スイスのローザンヌ書籍組合から1953年4月30日に出版された。プレヴェールの各詩篇に次いで、ヴェルジェ作曲の手書きの楽譜が印刷された豪華本である。プレヴェールがクリスチアーヌ・ヴェルジェに最初に作曲の話をもちかけたのは1928年2月のことであった。

 本が出版されて間もなく、このうちの何曲かをジェルメーヌ・モンテロとファビアン・ロリスが歌い、プレヴェール自身の語りを入れたレコードがデッカ社から発売された。

 豪華本の原題は、JACQUES PREVERT: TOUR DE CHANT Musique de Christiane Verger Dessins de Loris, La Guilde du Livre Lausanne. 1953。所持しているのは限定5300部のうちのNo. 1909である。

 日本で最初にこの本に注目したのは小笠原豊樹で、15篇すべてを翻訳した『プレヴェール 唄のくさぐさ』を1958年に昭森社から出版した。原詩の意味をくんだ見事な訳だが、新たな翻訳をこころみ、ロリスのデッサンとヴェルジェの楽譜もいくつか採録してみたい。》(『歌の塔』ムッシュKの日々の便り

小笠原豊樹訳『唄のくさぐさ』(昭森社、一九五八年)については daily-sumus でも紹介したことがある。今、本書と比較してみると、ほとんど別の本だ、とまでは言えないかもしれないが、かなり大きく違った言葉遣いが随所にうかがえてたいへん興味深い。

まず書名がそれを如実に表しているだろう。『歌の塔』は文字通りの訳で『唄のくさぐさ』は意訳と言っていい(いろいろな唄を集めたものの意)。全体的に『歌』の方がよりドライで歌詞の意味はストレートに伝わってくる。『唄』は、昨日取り上げた鈴木訳『ドン・ジュアン』がそうであったように、日本語の詩としてのリズムや体裁を重んじる風があるようだ。それがときとして過剰になる。おそらく当時でもやや時代がかっていたのではないかと思える長閑な言葉が並んでいる。もちろん、それはそれで捨て難いものがあるのも事実だが。内容を正しく把握しフレッシュな日本語に移しているということでは『歌』の方がはるかに優れているように思う。

例えば詩篇のタイトル。『唄』が「探検」としているのを『歌』では「配達」としている。原題は「L'expédision」。この詩はいちばん最後に置かれている作品で、ある男がルーヴル美術館に缶を持ち込んで置いてくるというモチーフなのだが、ナンセンスで、ある意味、プレヴェールのコラージュ作品に通じるシュールな奇抜さがあって、小生はかなり気に入っている。歌詞は引用しないけれども「探検」としたのはさすがに的外れだろう。「配達」がぴったりはまっている。梶井基次郎が丸善にレモン爆弾を仕掛けるようなものである。

もうひとつ『唄』が「自由な町筋」としている詩、これを『歌』は「外出許可」とした。これはまたひどくかけ離れた訳語である。原題は「Quartier libre」でこの場合は『唄』の方が直訳になっている。しかし、詩を読むと、軍人(あるいは警官)が被るケピ帽を鳥かごに入れ、帽子のかわりに鳥を頭にのせて外出する男、彼は町で司令官に出会っても敬礼をしない、という内容である。モチーフとしてはそんなに奇抜ではないけれども、歌詞としてなかなかこういうふうに表現することは誰にでもできるものではないなあ、とプレヴェールの才能に感服するのだが、また同時に「外出許可」とした柏倉訳にも深く頷かされる。

  Quelqu'un(これは『歌』も『唄』も同じ「ある男」です

Un homme sort de chez lui
C’est très tôt le matin
C’est un homme qui est triste
Cela se voit sur sa figure
Soudain dans une boîte à ordure
Il voit un vieux Bottin Mondain
Quand on est triste on passe le temps
Et l’homme prend le Bottin
Le secoue un peu et le feuillette machinalement
Les choses sont comme elles sont
Cet homme si triste est triste parce qu’il s’appelle Ducon
Et il feuillette
Et continue à feuilleter
Et il s’arrête
A la page D
Et il regarde la page des D-U Du ..
Et son regard d’homme triste devient plus gai et plus clair
Personne
Vraiment personne ne porte le même nom
Je suis le seul Ducon
Dit-il entre ses dents
Et il jette le livre s’ époussette les mains
Et poursuit fièrement son petit bonhomme de chemin.

今日出海(こん・ひでみ)がフランスへ行ったときにその名前で困ったという「con」がテーマの作品。プレヴェールはこの手のダジャレのような言葉遊びをリアルな平面に取り込んで歌うのが巧みである。この詩の柏倉訳はこちらで読んでいただけます。

ジャック・プレヴェール「歌の塔」Ⅶ

ついでにイヴ・モンタンが歌う「ある男」も

YVES MONTAND Quelqu'un - avec paroles


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by sumus2013 | 2014-01-13 21:29 | おすすめ本棚 | Comments(2)

アートが絵本と出会うとき

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アートが絵本と出会うとき―美術のパイオニアたちの試み」(うらわ美術館、2013年11月16日〜2014年1月19日)の図録を頂戴した。深謝です。

絵本というくらいだから絵本は本と絵(アート)が出会っているわけであって、あらためてアートと出会うと言われても、どうなのかなあ、と思ってしまが、そういう天邪鬼な意見はさておいて、ロシア・アヴァンギャルドはやっぱりすごいなあという素直な感想になる。

ロトチェンコのブックデザイン、サイコーです。

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こちらは恩地孝四郎。正直、装幀家としての恩地孝四郎にはぎこちない構成も多い。版画としての単独作品の方がクオリティははるかに高いだろう。装幀においては、おそらく文字の扱いがまずいのではないかと思う。しかし、この図録で驚かされたのは恩地による立体オブジェ「子供室掛額」。これをみんなが子供部屋にかけておきたいと思ったとしたら、昭和五年はすごい時代だった。「おかあさまへ」(左)と「ボクノトモダチ」(ともに一九三〇年)。

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村山知義は絵本作家としてもトップクラスである。いまさら出会いというのもヘンだが、やはり前衛的な流れを絵本という古風な、あるいはかなり保守的な分野に持ち込んで、しかも難なく無理なく溶け合わせているのは、村山の精神の柔らかさを示して余りあるだろう。理屈はとにかく、何よりもその絵柄が好きだ。

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戦後(と切り分けてしまうのもどうかと思うが)の作家たちでは吉原治良と具体美術の人々が優れている。彼らの仕事が要するに子供っぽいのだから絵本と取り合わせても違和感がないのは当たり前であろうか。元永定正などは作品も絵本の絵もまったく同じである。同じで何の問題もない。

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現代美術の作家にはあまり見るものがないようだ。大竹伸郎、李禹煥など筆を使いこなす作家でなければ、絵本は難しいかもしれない。あるいはそれは単純に編集者の意識の問題なのかもしれいないけれども。

パリのジュ・ド・ポムでダイアン・アーバスの写真展を見ていたとき、小学生の団体が展示会場に陣取って、アーバスの写真について先生と質疑応答をしていた。内容はよくわからなかったが、かなり生意気なことをしゃべっていたような気がした。

ご存知のように畸形の人間ばかり撮っている彼女の写真の前で、堂々と小学生が意見を開陳しているのも、ちょっとどうかなと思わないでもなかったにしても、美術を見るというのはそういうことである。アートと絵本を別に考えるほど子供は幼稚じゃないのでは? と、この図録をめくりながら改めて思ったしだい。



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by sumus2013 | 2013-12-30 21:31 | おすすめ本棚 | Comments(0)