林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:おすすめ本棚( 215 )

平野甲賀の仕事 1964-2013 展

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『平野甲賀の仕事 1964-2013 展』(武蔵野美術大学美術館・図書館、二〇一三年一〇月二一日)を頂戴した。深謝です。十二月二十一日まで武蔵野美術大学美術館展示室3で開催中の平野甲賀展の図録。

二〇一一年に平野の装幀本四〇〇冊およびスケッチブック、ポスター原画、未発表資料が同館に寄贈された。それを記念した展覧のようである。掲載の図版で珍しいと思ったのはムサビ時代の様子を映し出したスナップ写真、そして津野海太郎、長田弘と始めた劇団「六月劇場」の舞台装置のスケッチ。これは平野が絵描きとして優れた感性の持ち主だということを証明している。色の使い方もシックだ。巻末にはムサビの学生たち(女子ばかり)十数人に取り囲まれている平野さん。ゆるキャラに見えてくる。

『平野甲賀装幀の本』(リブローポート、一九八五年)については『sumus 13』に書いたので参照されたし。もちろん本書にはそれ以降の平野装幀本も収録されている。さすがに石神井さんの『古本の時間』は出ていないが、坂崎重盛さん、中川六平さん、山田稔さん、石田千さん、内澤旬子さん、唐澤平吉さん等個人的に存じ上げている名前を見つけると嬉しくなる。

平野甲賀の仕事 1964-2013 ちらし
http://chirashcol.exblog.jp/18744774/
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by sumus2013 | 2013-11-04 17:34 | おすすめ本棚 | Comments(2)

石目

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時里二郎『石目』(書肆山田、二〇一三年一〇月三〇日、装画=柄澤齊)読了。巻末の記載によれば時里さんはこれまで六冊詩集を出しておられ、最初の二冊『胚種譚』(一九八三年)『採訪記』(一九八八年)は湯川書房、そして『ジパング』(一九九五年)は思潮社、『星痕を巡る七つの異文』(一九九一年)『翅の伝記』(二〇〇三年)および本書が書肆山田。

書肆山田も思潮社も現代詩の版元としては知らぬ者はいない。ただ、先日、ギャラリー島田で湯川書房の『夢の口』を頒布しているときに詩人で評論も書かれる方が「湯川書房といえば、湯川書房から詩集を出している詩人で、ほら、加西の方に住んでいる人、誰だったかしら、最近物忘れがばっかりで…」とおっしゃる。もちろん時里さんのことを指しているわけだが、よほどその方にとっては湯川書房の詩集として印象が強かったのだろう。湯川さんは名のある詩人の詩集を相当数出しているにもかかわらず。

『石目』はそれらの作品群からも決して遠く離れたところにあるわけではない。ただ、しかし明らかにより深く身に迫ってくる文章の力のようなものを感じた。力というと誤解を招くかもしれない。このリアリティがあるのかないのか、ありそうでなさそうな、意味ありげで無意味な文字の集積が、まるで沼ででもあるかのように読む者を知らず知らずに柔らかい土の溜まった沼の底へ引き込んでゆくのだ。

散文詩というより綺譚というか説話風な構成の作品が目立つ。つい物語に寄りかかりそうになるのだが、そうするとスッと肩すかしを食わされる。虚実のあわいでプカプカ漂うような読書感だ。ほんのさわりだけ、表題作の冒頭二頁をスキャンしておくので、確かめていただきたい。

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その作風について末尾に置かれた自作解説ふうの一篇「シイド・バンク」にこう書かれている。

《予(かね)て、私の歌のなかのどこを探しても私が見つからないことを難ずる批評がある。歌のなかに私がゐないことのみを歌の瑕瑾としてあげつらふのは承服しがたいが、歌のなかの私がどこに隠れてゐるのかといふ点については、実は私自身にもわからない。》

ところが著者は「シイド・バンク」という言葉を知り、発芽をじっと待つ土壌を自作の詩歌に当てはめてみるとなるほどと合点するという。

たしかに、そういうこともあるかもしれない。しかし小生などは、シイド・バンクと聞いたら美術家・河口龍夫の鉛に包み込まれた種子の作品しか連想できない狭量ぶりのため、言葉という繭のような鉛でくるまれた時里種子は放射線すら遮るうろのなかで半永久に発芽しないかもしれない、などという妄想にとらわれてしまったりする。発芽すればいいのか? そういうものでもあるまい。永遠の不毛にも意味がある。

とにもかくにも、ここ最近読んだ散文作品(詩とは限らない)のなかでは、当方はだいたいいつも大袈裟に褒めるくせがあるのだが、本書に関しては正真正銘「傑作」と呼び得る連作だと思う。小生が傑作だと連呼しても何の説得力も影響力もないだろうが、ここに一ファンがいるということである。
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by sumus2013 | 2013-11-02 21:23 | おすすめ本棚 | Comments(4)

田端抄 其伍

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矢部登さんの『田端抄 其伍』(書肆なたや、二〇一三年一一月)が届いていたのだが、あれこれ読まねばならない本、紹介しておかなければならない本に追われたため、今日になってようやく読了できた。これまでも毎号紹介してきたが、こうやって好きな作家や画家のことを調べ、その旧跡を歩き、文章につづり、冊子を作って同好の士に配る、なんともアナクロおよびアナログ。しかし、絵好き、本好きにとってこれ以上の悦楽はないとも思う。

今回は谷中安規、清宮質文、古川龍生、小杉放菴、結城信一、村山槐多、佐藤春夫、中戸川吉二らが登場。古書探索や文学散歩もあいまって彼らがじつに身近な存在として描かれている。なかでも小杉放菴にはかなり紙幅が割かれており、小生としてはこれまであまり注意してこなかった画家だけに興味深く読ませてもらった。注意していなかったと言っても、大阪の出光美術館で放菴展を見たことは印象深く記憶している。まとまって放菴に接して、端倪すべからざる作家と思ったのは間違いない。そのときに買ったのかもしれない、忘れてしまったが、上の絵葉書は出光美術館製である。「荘子」と題されている。

矢部さんは放菴の邸宅(現在は田端区民センターなどになっている)について詳しく書いておられ、そこにこのように言ってある。

《放菴邸は、南側の谷田川と北川の道路に区切られた一廓で、敷地は二百坪あった。道路側の網代垣の中央に門があって、なかにはいると、井戸があり、右手の玄関をまんなかに南側は住居、北川には画室が建つ。いずれも日本家屋の建物で、住居の一部は二階家であった。門の左手にもうひとつの入口があり、目かくしの垣根にしきられた二軒の平屋の家作が南北にある。谷田川に面した庭は敷地の三分の一ほどを占めており、石榴の木のしたに石がすえられている。放菴が男鹿半島への旅でみつけて気にいり、送ってもらった大石である。池が掘られ、ポプラの木が多く植えられていた。その庭さきから川へおりられる。川のむこうには畑がひろがっていた。》

東北本線の王子駅の近くということなのだろうか、この辺りの地理にうといのではっきりとはイメージできないが。それよりもこの「大石」である、問題は。矢部さんも

《またあるときは、石に腰かけた黒衣の《良寛》であった。
 ごぞんじ、芥が龍之介の「東京田端」に「竹の葉の垣に垂れたのは、小杉未醒の家」とある。竹が植わっている傍の大石にこしかけた旅すがたの放菴の写真が木村重夫『小杉放菴伝』のなかにあったっけ》

とこのように書いているが、どんな大石だったのか写真を見てみたい。「荘子」が座っているこの石のようなものだったのだろうか。

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そしてもうひとつ教えられたのが谷中安規の版画「動坂」についてである。図録『谷中安規の夢』(渋谷区立松濤美術館、二〇〇三年)において瀬尾典昭氏が「動坂にショーウィンドーの剥製はあったのか」と題した「動坂」に関するエッセイを寄せておられるが、瀬尾氏は結論として《どうも、この動坂のこの場所にはなかった可能性が強いというのが調査の結果である》と書いておられる。矢部氏はその発言を踏まえつつ、弥生坂にある鳥獣剥製所に言い及ぶ。

《その日は、鳥獣剥製所の白い看板とショーウィンドーのまえにたちどまり、あらためて見入った。八十年前、谷中安規の幻視した《動坂》が眼のまえにあることに驚愕したのだった。不況からぬけだせぬ平成の時代に、谷中安規は甦り、街なかをほっつきあるく。そのすがたが、ふと、よぎる。弥生坂の鳥獣剥製所あたりで、まぼろしの安規さんと袖すりあわせていたかもしれぬ。》

この鳥獣剥製所は小生も覚えている。たしか弥生美術館を訪れたときに、この前を通り、「へ〜、こんな店があるんだなあ」と驚いたのである。それがすぐには谷中安規にはつながらなかったけれども、おそらく十年ほども隔てた今ここで矢部さんの導きによってつながった。なお、矢部さんも、弥生坂の鳥獣剥製所は戦後にできたもののようだから安規のモデルではなかっただろうと言う。
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by sumus2013 | 2013-10-30 20:47 | おすすめ本棚 | Comments(4)

パン語辞典

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ぱんとたまねぎ著・荻山和也監修『パン語辞典』(誠文堂新光社、二〇一三年一〇月二〇日)が届いた! 四月に著者のばんとたまねぎこと林舞さんが来宅。パンをデッサンの消しゴム代りに使う実演を取材してくれた。本書では「けしごむ」の項目に制作中の写真入りで登場。髪の毛が伸びていたためシェーのイヤミみたいなキャラになっている(笑、気になる方はぜひお確かめください。写真はもう一枚、埋草みたいに使ってもらってます)。

当たり前ながら全編パン、パン、パン、パン、パンのオンパンレード。ふんだんに盛り込まれたイラストも軽妙で分かりやすくアール・アバウト・パン(ブレッドですかな)を図説、ついついつりこまれて読んでしまう。南陀楼綾繁氏や遠藤哲夫氏、『らくたび文庫 京都のパン物語』にも登場していたガケ書房の山下賢二氏らのエッセイもある。

パン好きの妻に「こんな本できたよ」と見せた。しばらくして返されて来た本には付箋がふたつ。ひとつは「パンの作り方 町のパン屋さん編」の頁、そしてもうひとつは「焼き網」(パンを1分間でおいしく焼くことのできる奇跡の網。京都・金網つじの初代当主・辻賢一さんが考えだしたもの)。なに、作って焼きたいということ(?)

「パンの食卓 ことわざ」という中綴じもある。《愛はバターと一緒、パンがあってこそうまくいく(ユダヤ)》とか《粉と水の夫婦(ポルトガル)》とか《パンと葡萄酒で道を歩く(スペイン)》とか《仕事は辛いがパンはおいしい(ロシア)》とか、お国柄も出ていて面白い……おや、フランスのことわざがないな。

と思って調べてみた。パン(日本語のパンはポルトガル語からきているが、フランスでも「パン pain」で通じる)を使った慣用表現はたくさんあり、ありすぎるくらいだが、ことわざとなると案外少ないかもしれない。

A pain dur, dent aiguë
堅いパンには鋭い歯(適材適所?)

Les mains noires font manger le pain blanc
黒い手が白いパンを食べさせる(稼ぐに追いつく貧乏なし?)

Mettre le pain à l'envers empêche les amours
逆さま(裏返し)にパンを置くと恋人たちが別れる(トゥーレーヌ地方の迷信)

昔、パンの出て来る文章を集めていたことがある。久し振りにファイルを取り出してみた。ユゴー『レ・ミゼラブル』にはこんなことが書かれている。

《半年分のパンをつくり、乾いた牛糞で焼きます。冬は、このパンを斧で割り、食べられるようにするには一昼夜の間、水にひたします。》

パンの国フランスも昔はこんなふうだったのである。日本で鏡餅を水に浸けておくというのと少し似ているような気がする。

《私の家ではたまに日曜日の朝パンを食べたが、父の生きていた時のように生の食パンだった。その時私はトーストという言葉を知らなかった。「丸いフランスパンか、生の食パンの方が好きだわ」と思った(そう思ったのに、次の年頃から家では火鉢に餅焼網をのせパンを焼くようになった)。》(三宅艶子『ハイカラ食いしんぼう記』)

昔(これは戦前の話)は焼き網でトーストしていたのである。

《やがて好い香のするトーストと濃いけむりを立てるウーロン茶とがお延の手で用意された。》
《下女が皿の上に狐色に焦げたトーストを持つて来た。「お延、叔父さんは情ない事になつちまつたよ、日本に生れて米の飯が食へないんだから可哀想だらう」》(夏目漱石『明暗』)

漱石の描くトーストも餅焼網で焼かれたのだろうか?

《すぐに人が真似をいたしませんでしょうか。戦争の跡に出来たロシア麪包のように》(森鴎外『青年』)

本書『パン語辞典』によれば日本初のパン屋は横浜に一八六四年(元治元年)にできたヨコハマベーカリー(のちウチキベーカリー)だそうだが、日露戦争や第一次大戦(およびロシア革命)によって普及し始めたようである。フロインドリーブもたしか捕虜だった。

《与謝野寛が「パンパンとわろき売り声、ロシヤパン売りの悲しさよ」といふ詩を作つてゐる》(森銑三『砧』)

《大正時代にはロシア革命で日本に亡命していた白系ロシア人がロシアパンというものを売りに来たし、関東大震災の直後には「玄米パンのホヤホヤー」と呼び歩く行商などを見かけたが、チャリ舎のパンは箱型の馬車を驢馬に輓かせていた。》(野口冨士男『私のなかの東京』)

『パン語辞典』で「ろばのぱん」の項目を見るとこうある。

《昭和6年頃、札幌の『ロバパン石上商店』(現ロバパン)がロバに荷車をひかせてパンを売り歩いたことが始まり。昭和30年代になると、京都を中心にオリジナルの歌とともにロバに四輪馬車をひかせて蒸パンの移動販売がはじまりました。》

昭和30年代、小生の田舎でも歌とともにロバのパン屋はやってきていた。たしかにロバがひいていたような気がするが、戦前からあったものなのだ。ガッテン、ガッテン。

パンの文化史、面白い。一家に一冊『パン語辞典』! 原画展、トークイベントなどが催されるようだ。下記ブログなどでチェックされよ。

誠文堂新光社 パン語辞典
http://www.seibundo-shinkosha.net/products/detail.php?product_id=3962

ぱんとたまねぎ パン語辞典
http://d.hatena.ne.jp/pantotamanegi/20131001/p1
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by sumus2013 | 2013-10-29 22:03 | おすすめ本棚 | Comments(5)

ぼくの創元社覚え書

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高橋輝次『ぼくの創元社覚え書』(龜鳴屋、二〇一三年一〇月一〇日、表紙イラスト=グレゴリ青山)読了。高橋さんらしい追記の連続で、おいおい、ちゃんとまとめてから書いて下さいよ、とツッコミたくなるわけだが、それがマイナスではなくプラスに作用しているところが、人柄というのか、ビートたけしのつんのめり芸のような文体になっているから、あら不思議と思うのだ。

高橋さんを直接知らない人たちのなかには、こういうスタイルをうとましく感じる人もいるかもしれない。しかし実際に付き合ってみると、非常に純粋な古本魂を持った人物だということがすぐに分るだろう。そして名もなき作家や編集者を愛おしむことにかけては他に例を見ないほどの熱心さ(無償の愛といっていい)を示す。その態度や目の付け所には小生自身もこれまでいろいろと教えられて来た。黒子である編集者を主人公にしてその観点から出版や文学を語るという手法は、高橋さんの独創とは言えないとしても、それを普及させたという意味では高橋さんの手柄は大きいような気がしている。

《本書は自伝的、仕事史的な内容ではない。あくまで古本を通して見た、創元社の歴史のある側面を私なりにざっとスケッチしたにすぎない。》

《それでも、所々に私的な回想をまじえて書いており、読者には余計なことかも知れない、とおそれている。ただ、ペースメーカーを入れ、七十歳に近づく年齢になってくると、自分が元気で働いていた頃のことが無性に懐かしく思い出される、というのが正直なところである。そのため少々甘い記述になったのは自覚しており、読者にお許しを願おう。》

小生の感想は逆である。もっと回想をしっかり書いて欲しかった。作家たちが書き残した創元社の編集者たちの思い出、そのコレクションも興味深いものがあるし、丸山金治という創元社で働いていた小説家について、その友人の青井辰雄(洲之内徹との関係で小生が興味をもっている人物)、また創元社から飛び出した二人の社員が始めたのが六月社だったこと(六月社は山内金三郎『うまいもん巡礼』などを出しているので、『sumus』あまから洋酒天国特集とも関係してくる)、あるいは日産書房について(青山二郎装幀の小林秀雄『文芸評論』などを出している)などの記述にも大いに啓発された。しかし、それでもやはりもっとセンチメンタルな思い出話が登場してもよかったのかな、と思ったことは正直に書いておく。

《私は今でもときおり憶い出す。大阪市北区樋上町にあった木造二階建ての旧社屋のことを…。当初、正面玄関のすぐ左に営業部があり、その奥に小倉庫があった。横幅のある急傾斜の階段をミシミシ音たてながら登ると、すぐ左側に南側が道路に面した編集部があり、右側には社長室の扉があった。その階段はむろんお客や著者たちが上り下りしたが、私どもは大抵、裏口の倉庫の横から狭い階段を登って編集部へ入ったように思う。しばらくして一部改築され、営業部や制作部も二階へ移った。私の在籍した後半に再度増築され、一部鉄筋の四階建て(?)となり会議室などに使われた。当初の編集部は旧い造りで中央辺に大きな柱があったように覚えている。改築するまで、種々の会議は社長室で、足らない椅子をもちこんでやられていた。隅の本棚には、昔の創元社の文芸書もいろいろ並べられていたが、むろん、じっくり拝見したことはない。》(あとがきに代えて)

こういう細かいところ、これは高橋さんでなければ誰も書き残すことはできない。その点からも名著である大谷晃一『ある出版人の肖像 矢部良策と創元社』を補完する一冊として大切な仕事であろう。

龜鳴屋
http://www.spacelan.ne.jp/~kamenaku/

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by sumus2013 | 2013-10-28 20:46 | おすすめ本棚 | Comments(0)