林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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書物のエロティックス

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谷川渥『書物のエロティックス』(右文書院、二〇一四年四月二〇日)。二〇一二年に阿佐ヶ谷のアートスペース・煌翔で「谷川渥が選ぶ百冊と萩原朔美が作る三冊」という展覧会が開かれた。そのときに小冊子が作られた。

《本書は、七十ページほどの小冊子のかたちで刊行されたこの『書物のエロティックス』を核に大幅に加筆し、さらにエッセイや書評や対談などを付加して立体的に構成し直したものである。》(おわりに)

書物のエロティックス ニュース@スペース煌翔

谷川渥のよき読者ではなかったが(よきも何も断片的にしか読んでいないが)、一読してその美的な判断に対して共感するところが少なくないことを納得した。言及された書物は美術(あるいはもっと広く「表象」)関連書のみならず多岐にわたる。美術・文学を核とした戦後思想史の見取り図がきわめてスマートな形で展開されており、しかも多数の書影が付されており、それらのほとんどは小生にとっては古本屋の小僧くらいに背文字学問程度に聞きかじったていのものであるが、その論じるところは濃く薄くさまざまに変型された媒体を通して吸収してきた、いわば文化的な空気のようなもののなかに拡散しているために吸収せざるを得なかった、すなわち一種の美的な倫理観を共有していたということがはっきり分る内容だった。


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その内容について詳述する気力はないけれども、ひとつだけ、例えば、先日再読したいと書いたばかりの澁澤龍彦やそのきっかけとなった種村季弘、彼らに対して本書では重要な柱として多くの紙幅が割かれている。なかでは種村季弘・矢川澄子訳『迷宮としての世界』(グスタフ・ルネ・ホッケ、美術出版社、一九六六年)は、

《この本がどんな衝撃をもって迎えられたかは、いくら強調してもし過ぎることはあるまい。》

などと何度も言及されている。『迷宮としての世界』はさすがの小生もかつて架蔵していた。読了はしなかった、というかできなかった。とは言え、このじつに雑多な内容の書物は戦後思想のあるひとつの方向をはっきり示していると思う。それはオルソドクスでなくヘテロドクス、中心の喪失ということではないか。そしてその喪失した中心には善くも悪くも理屈ではなくこんな感情が巣食っていた。

《谷川 それは、僕も種村さんと前にちょっとお話ししたことがあるけれども、戦中から戦後にかけての、今まで鬼畜米英だとか、アメリカ軍が上陸してきたら竹槍で最後までやるんだとかいっていた連中が、突然、進歩主義者の顔をして批判なんかをし始めた。あのあたりのことを種村さんは心の中にいつまでも持っていて、いかにいいかげんな連中で、言葉というものがそういうふうに突然回転してしまうというかな……。
諏訪 転向というか転回ですね。
谷川 何かの本のあとがきにそのことを書いているんだけれども、やっぱり種村さんの問題意識には、戦争体験ということがすごくあったと思うんですよ。
諏訪 そうなんですよね。焼け跡ですね。》(「アサッテの人」執筆前後)

先には澁澤龍彦の病院での様子を種村が描いているのを紹介したが、ここには谷川が種村の病院を訪ねたときの発言が出ている。

《谷川 [略]そして病院の名前を聞いて種村さんのお見舞いに行ったことがあるんですよ。軽い脳梗塞だということだったんだけれども、病室に入るとき、どういう状態でおられるのかなと思ってちょっとドキドキして戸をあけたらね、寝巻きを着たままベッドの上に座って、原稿の山に赤入れているの。
諏訪 うわあ。
谷川 それで、僕は思わず「先生、大丈夫ですか」と叫んだわけ。そうしたら、「大丈夫だよ」とかいってね、まだ口がもつれているんですよ。[略]口をもつれさせながら、ものすごい量のゲラの手入れをされている。そのゲラがヴィルヘルム・イエンゼンの『グラディーヴァ』なんですよ。フロイトの論文も一緒に翻訳していたものだから……。
諏訪 W・イエンゼンとフロイトの『グラディーヴァ/妄想と夢』ですね。

文筆家は死ぬまで筆が離せないようである。もうひとつ、谷川のユイスマンス『さかしま』についてのコメントはなるほどと思った。

《デ・ゼッサントが行きついたのは、ペプトンの滋養灌腸だった。つまり、肛門から栄養を摂取しようというのである。
 ここにおいて、われわれは『さかしま』という書名の本当の意味を知るにいたる。それは、小説の主人公が意識的に背を向けた十九世紀末フランスの大衆社会への反逆の姿勢を意味するだけではない。「さかしま」は口からではなく肛門から栄養を摂取しようという文字通り即物的な意味を担わされていたのである。》(終りをめぐる断章)

原文で灌腸(lavement)を探してみるとたしかに最後の方に出ていた。ペプトン入りを一日三回。

《et un pâle sourie remua les lèvres quand le domestique apporta un lavement nourrissant à la peptone et le prévint qu'il répéterait cet exercice trois fois dans les vingt-quatre heures.

さらにこの何日か後に召使いは変った色と匂いの灌腸液を用意した。ペプトンとは違うようだ。医師の処方箋にはこうあった。

  肝油       Huile de foie de morue
  牛肉スープ    Thé de boeuf 
  ブルゴオニュ酒  Vin de Bourgogne
  卵黄       Jaune d'oeuf 

これはレストランと同じだな……と主人公はつぶやく。カンチョーで食事をとる(星新一の「宇宙のあいさつ」みたい?)、だから原題は「A Rebour「さかしまに」と「に à」が付いているわけだ(ほんとかな)。

例によって細かいところばかり引用したが、どこをめくっても知的好奇心をかきたてられる、まさに『書物のエロティックス』だった。ごちそうさま。






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by sumus2013 | 2014-04-13 20:48 | おすすめ本棚 | Comments(0)

架空都市ドノゴトンカ

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『架空都市ドノゴトンカ 城左門短篇集』(書肆盛林堂、二〇一四年三月二八日)。またまた盛林堂ミステリアス文庫がすごいものを刊行してくれた。

《本書は城左門名義で書かれた短編小説の、おそらく初めての集成である。驚くべきことに、これらの作品の多くは今まで詩集にも探偵小説系の単行本にもほとんど収録されたことがなく、多くが単行本初収録作品なのだ。》(長山靖生)

城の短編集に加えて城が編集していた『DONOGO-TONKA』(1928.5-1930.6, 21冊)の総目次も掲載されている。マン・レイを訪ねた竹中郁の「巴里だより」もこの雑誌に三回にわたって掲載されていたようで興味をひかれた。

しかし、さらに興味深いのは城未亡人の稲並千枝子さんと井村君江さんの対談(昨年十二月二十七日、当時、稲並九十三歳七ヶ月、井村八十二歳)である。そこにこんなくだりがあった。稲並さんは江戸後期の医師で歌人、国学者だった清水浜臣の曾孫だそうだ

《稲並:いいえ、私はですね、春陽堂の娘なんです。
井村:春陽堂というと、あの『鏡花全集』なんかを出した春陽堂ですか?
稲並:そう、春陽堂は、春の太陽の陽。どうして太陽かって言うと、これは頼山陽からきていまして、父の出が広島の浅野の臣であり、頼山陽の家系でもありました。ですので、頼山陽は、私の父の父の父の……。
井村:ご先祖が頼山陽でらっしゃる。
稲並:先祖は頼三樹三郎。三樹三郎の孫がね、春陽堂をやって、だから頼家とは親類なんです。
[註:頼三樹三郎の息女は千枝子氏の父の父の弟へ嫁がれた由]

山崎安雄『春陽堂物語』(春陽堂書店、一九六九年)によれば、春陽堂の創業者である和田篤太郎は岐阜大垣、荒川村の出身。安政四年に生まれ、上京して巡査、西南の役に従軍後、東京に戻り露天商を経て本屋を始めた。明治十五年に最初期の出版物が確認されるという。

篤太郎は明治三十二年に歿し、妻のうめ(むめ)が二代目を継いだ。二人の間に子はなく、うめに連れ子のきんがいたがすでに嫁いでいた。きんの娘静子を和田家の養子に迎えた。うめが明治三十九年に歿すると、静子が三代目を継いだ。そして大正三年に利彦を婿養子に迎えたのである。

《利彦は広島の産で、早大を出て博文館印刷所(現在の共同印刷)に勤務していたのを、小林直造(静子の実父)に見込まれ、大橋新太郎夫妻(博文館主)の媒酌で、静子の婿に迎えられた。》(春陽堂物語

ということなので、千枝子さんの言葉ながら、春陽堂の「陽」は頼山陽とは直接の関係はないとみていいだろう。また千枝子さんの父は利彦の弟だそうだ。「春陽堂の娘」と言う以上この弟も春陽堂に関係していたのかもしれないが、『春陽堂物語』には登場しない(と思う)。

なお頼三樹三郎は頼山陽の三男、文政八年(一八二五)に京都の三本木で生まれている(だから三樹三郎なのだろう)。尊王攘夷を激しく求めたため幕府に捕らえられ幽閉の後、江戸伝馬町牢屋敷で斬首された(安政六年)。


架空都市ドノゴトンカ -城左門短篇集-
http://seirindousyobou.cart.fc2.com/ca1/11/

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by sumus2013 | 2014-04-06 20:50 | おすすめ本棚 | Comments(0)

事物はじまりの物語/旅行鞄のなか

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吉村昭『事物はじまりの物語/旅行鞄のなか』(ちくま文庫、二〇一四年二月一〇日、カバーデザイン=多田進、カバー挿画=高須賀優)。

このなかの一篇「国旗」を読むと、「日の丸」は寛文十三年(1673)に幕府が御城米を輸送する船に朱の丸の船印を立てるように命じ、それが幕末におよんだと書いてある。そして幕末の嘉永七年(1854)幕府が西洋型帆船「鳳凰丸」を薩摩藩が「昇平丸」を完成させた。それにともない西洋船と区別するために島津斉彬が日の丸の船印を立てるように老中首座阿部正弘に建言、それが容れられ、日本船には日章旗が立てられることとなったそうだ。

《その後、日の丸は船印にとどまらず、明治政府はこれを国旗とすることに定め、明治三年(一八七〇)正月二十七日、それを布達した。旗の大きさは横と縦の比率を十対七とし、中央に旗の縦の五分の三とする日の丸を、中央に描くものとした。》

『明治世相編年辞典』(東京堂出版、一九六五年)の明治三年1月27日を見ると、こう書いてある。

《旧幕府が、"日本惣船印"として定めた(嘉永7年7月9日)"白地の日の丸"を踏襲したもので、規則の上では、「商船規則」の一部に「御国旗」として定められたものであり、大きさの異なる大・中・小の三種を用いることとした。また3年から6年にかけて、陸・海軍の国旗も別に定められていたが、22年までにいずれも廃止され、この商船国旗だけが今日におよんでいる。》

要するに、平成十一年(1999)八月十三日に「国旗及び国家に関する法律」が公布・施行されるまで、日の丸は基本的には船印だったということだ。面白いのは現行規定では日章の直径は縦の五分の三と同じながら、旗の縦横比は縦が横の三分の二とされていること。吉村によれば明治政府は十対七としたわけだからタテヨコの比率は「1:1.42857」、そして現行は「1:1.5」である。

「1:1.42857」という比率は√2(ルート2)矩形(1:1.1414)にかなり近い。√2矩形というのは次のようなものである。


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《第2図は、ポルト・ダルモニー(Potrte d'Harmonie 調和の門)と呼ばれるルート2(√2)矩形で、ハンビッジやモーゼルがギリシャの基本矩形のひとつにかぞえている矩形である。
 この矩形は正方形の一辺を短辺とし、その対角線の長さを以て長辺とする矩形で、安定感のある、たっぷりしたゆたかな形がよろこばれ、古来、美術のみならず実用の世界でも広く愛用されてきた。実用上ではこの矩形のもつ特質として二つ折りにしても四つ折りにしても比が変らないので便利なところから、日本でも洋紙の規格には現在でもこの比例が採用されている。》(柳亮『黄金分割』美術出版社、一九七二年版)

『出版事典』(出版ニュース社、一九七一年)で紙加工仕上寸法(JIS規格)を見ると全紙はどちらもたしかに√2矩形を示す数字であった。

A列 841×1189 1:1.1413
B列 1030×1456 1:1.1413

全紙だから折り畳んでいっても比率は変らない。書籍の寸法は明治時代の国旗の寸法と同じ比率だったのだ。






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by sumus2013 | 2014-03-21 17:22 | おすすめ本棚 | Comments(0)

雲遊天下 116

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『雲遊天下』116号(ビレッジプレス、二〇一四年三月二〇日)より「〈座談会〉気がつけばフリーランス」の参加者たち。分野は何であれフリーはたいへんだ。しかしその分やりたいようにやれる……はずなのだが案外とそれも難しい。身につまされる話が展開している。

書店に関する南陀楼綾繁氏の発言だけ引用しておく。

《だけど、書店がますます減るのは間違いないでしょうね。新刊書店は厳しくて、メガストアといわれる何十万冊揃えているような店も、たぶんこの十年くらいで減るんじゃないかと思う。
 この間あるところで「書店ブーム」といって今年はやたら書店に関する本が出たり雑誌の特集でも組まれていて書店が盛り上がっているように感じるけど、どう思うかって聞かれたけど、それは「書店ブーム」ではなくて「書店を語るブーム」じゃないかと言ったんです。名画座とかジャズ喫茶みたいな感じ。




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by sumus2013 | 2014-03-21 16:43 | おすすめ本棚 | Comments(0)

夢の花 河野保雄追悼

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河野保雄氏の追悼集『夢の花』(百点美術館出版部、二〇一四年三月二日)を頂戴した。河野氏についてはこれまでもその著作や展覧会を紹介してきたので、その経歴についてあらためて述べる必要はないと思うが、近代洋画のコレクターとして傑出した人物であった。現在も福島県立美術館でコレクション展が開催されている。

河野保雄の小宇宙

本書では、巻頭に作曲家の湯浅譲二氏との対談、その後に知友の追悼文が集められている。追悼文で自分のことばかり書いているといって誰かが誰かのことを非難していたが、追悼文や追悼スピーチは誰だって自分のことしか語れないものだろう。その「自分」の語りが集まれば、そこには自ずから追悼される人の姿が浮かび上がってくる。それでいいのだ。

回想のなかで印象的だったのは河野氏の判断の素早さである。たとえば早川博明氏(福島県立美術館長)はこういう証言をしている。御両人は、ある画家のうずたかく積み上った素描を展覧会のために選別したことがあった。

《河野さんは即座に出品作品の仕分けを始めたのである。それはつまり、初めて見た絵の価値を、その場で瞬時に判別するということだ。学芸員の私には、それは思いも寄らない唐突な行動に思えた。大量の作品をひと通り見た上で、制作年代や絵の主題、技法別に整理してから、次に個々の作品の表現性を見ながら最後は総合的に選別する、それが通常の手順であろう。こう考えていた自分には、河野さんの手際の早さはあまりにも衝撃的であった。一枚の絵を取り上げて白黒の判断をする間が、ほぼ一秒ないし二秒という直感的な作業、それを横で見る私にもはや口をはさむ余地などなかった。》

あるいは、堀宜雄氏(美術館学芸員)の証言。

《「ぼくは、出会い頭の真剣勝負を、命をかけてやっているんだよ。堀クン、わかるかな?」
 うろ覚えだが、彼がコレクションについて語ったことは、こんな意味だったと思う。展覧会でも、作品でも、彼が見終わるのはとても早い。そう、河野さんは、そうした一瞬一瞬の真剣勝負でずっとやってきた人だ。》

どちらも学芸員氏の回想というところに意味があるかもしれないが、まあそれは本質的なことではない。美は一瞬のものだ、いや生きるということこそ一瞬だ、その瞬間、瞬間を河野氏は逃すまいとしてきたのかもしれない。瞬間の判断の積み重ね、それが河野コレクションなのである。


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小生も『美のおもちゃ箱 Part II』では、河野コレクションの中の一点、岸田劉生の漫画風のデッサンについて書かせてもらった。ご指名いただいて光栄だったのだが、実は、河野氏からのご指定で最初は柳瀬正夢の風景画について何か書いてもらいたいと、資料などが送られて来た。その絵は、柳瀬が晩年に近い頃、各地でスケッチした風景画の一点のように思われた。いわゆる「ねじ釘の画家」の典型的な作品ではないものの、河野さんのようなスキマ・コレクターがいかにも好きそうな、シブイ油絵だった。

むろん小生も初見である。柳瀬については少しは図録なども揃えてあったので、早速どういう位置づけなのか、それらを引っ張り出して比較検討を始めた。ところが、である。どうもサインがいけない。絵の方は巧みなのだが、サインに類例が見当たらない。そう思って疑いだすと、絵の方も弱いように見えてくるから人間不思議なものだ。

河野氏にそう言う意味の連絡をすると、即座に柳瀬を撤回され、岸田劉生でお願いしますと代案が示された。この劉生も珍品中の珍品であったが、それは資料的にも間違いのないものであった。

直感が狂ったと言いたいわけではない。もしその風景画に柳瀬正夢らしきサイン(たしか M.Yanase だったか)が入っていなかったとすれば、それはそれでなかなかいい絵なのだ。無名作家の作品では、美術史的な価値はなくなってしまうかもしれないけれども、物自体として云々できるだけの価値がその絵にはたしかにあった。

学芸員諸氏が慎重なのはそのためである(といっても某国立美術館には数々の展示できない作品が収蔵されていると関係者から洩れ聞いた覚えもあるが)。また某美術商は「どんなに良さそうに見えても、まず最初は偽物だと思ってかかります」と言っていた。それくらいの用心深さがないとやっていけない世界なのである。

しかし、コレクターはそうでなくてもいい。いや、そんな石橋を叩いて渡るようなことではコレクターとは呼べないだろう。コレクターは集めたいのである。集めるためには偽物も本物にしてしまう。それでこそコレクターだ。火傷こそベンキョーである。火傷を恐れては火の中から美は掴み出せない。

ただし、美を掴んだからどうなんだ? と問われれば、それは沈黙するしかないのも事実。岡部幹彦氏(文化庁文化財調査官)の想い出にこういうくだりがある。土田麦僊の人間性について二人で語り合い、大いに盛り上がっていた。

《会話が弾んでいたその時、側らの羽る見さんが静かに言った。「あなた方はどうして絵の中の人間にそれほど美しく共感できて、絵の外の人間に冷淡なの」と。》

対して河野氏は

《「はい、申し訳ありません。ご指摘の通りです」と少し戯けたように口をつぐんだのだった。》

やはり美は「おもちゃ」である。それでいいのだ。ご冥福を祈ります。



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by sumus2013 | 2014-03-09 21:05 | おすすめ本棚 | Comments(0)

庭柯のうぐひす



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高祖保『庭柯のうぐひす 高祖保随筆集』(外村彰編、龜鳴屋、二〇一四年一月一六日)届く。

《本書『庭柯のうぐひす 高祖保随筆集』は三部で構成されている。
まず「I 庭柯のうぐひす」には、季節感を底流させる随想をあつめた。次の「II 詩について」は文学芸術の評論とみなせるものを。最後の「III 軽井沢より」は、標題文を主とした紀行文集である。それぞれ、肩の凝らない様々な文体で書き分けられており、詩作とはまた別個の、高祖文学の魅力を伝える。》(外村彰「解題」)

いやあ、ほんとうに心洗われるような文集である。大正、昭和初期も数篇含まれるが、ほとんどが、昭和十五年から十八年に書かれたもので、あるところでは、戦時下の気分を反映した文章も見えるものの、戦況がまだそう深刻ではないためか、現在の目からすれば妙に余裕のあるおっとりした空気が流れている。

昭和十六年に発表された「軽井沢より」が何と言っても完成度が高い。読んで愉しく、また軽井沢の風俗資料という点からもたいへん貴重な記録のように思われる。油屋、アメリカン・ベエカリ、万平ホテル、ちから餅、そして堀辰雄(高祖は堀を訪問)などのアイコンが次々登場するのもいいが、注目はゴルフ場そばの「重箱」といううなぎ屋。これは久保田万太郎が小説にしたてた「重箱」の支店であろう。川端康成や片岡鉄兵がいりびたっており、高祖も彼らの姿を何度か目にしている。高祖はどうやらここの女将(?)に好かれていたらしいことが日記の記述からわかって面白い。見返し写真の男ぶりからして、さもありなんと思う。

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白眉は田中冬二との交遊だ。恋人同士のようなむつまじさと言えばいいのか。

《善光寺へ行くバスをY銀行まへで棄てる。Y銀行に入る。刺を通じると、田中さんは中央の大机のまへから、目で合図されてゐる。控室へ通されて、久闊を叙し、きのふのお詫びを申し述べる。ーー四方山のはなし。城太郎氏がこちらへみえたのは、ついこのあひだのやうな気がするといふ話。詩の話。句の話。多喜さんの人形の話。詩集の話。句集の話。それから東京の話。事務を控へておられる田中さんと夕刻を約して、Y銀行を出る。

《田中さんと連れだつて、ゆふかげの長野の街を降りる。鈴蘭燈のある賑やかなとほり、古風な割烹店の門を潜つて、打水すずしい砂利を踏む。靴のほこりが、すこし暑さう。奥まつた一と間で、日本酒とビールを傾けて御馳走になる。鯉のあらひが、舌端に沁みるほど美味しい。さきほどの話のつづき。
 満腹と微酔の頬を、長野のゆふかぜがなぶる。となりの間から、浄瑠璃のおさらひらしいふとざをの音。ーーハイヤーで駅へかけつけ、七時の汽車に乗る。汽車の入る五分ばかりのあひだに、田中さんと寄せがきをして四方へ飛ばす。これが怡しい。》

《追分あたりへ入つてくると、案の定、ざんざんの降りになつた。軽井沢も土砂降りで歩けない。小屋へ帰ると、井上多喜三郎氏から、水墨で人形を中央に描いたはがきが届いてゐる。人形の淡いほほゑみが、夜の灯(ほ)あかりに、生きいきとして美しい。》

この後も冬二とは互いを訪問したり、小旅行をしたりと、睦まじい交渉が何度かもたれる。そして上にも出ているように井上多喜三郎からの玩具や絵入りの手紙は次々に届く。俳人の八幡城太郎からもよく手紙が来る。なんと麗しい友情であろうか。多喜さん宛の書簡はすでに一冊にまとまっているので、そちらも取り出して『念ふ鳥』と三冊並べてみた。いいなあ……。

井上多喜三郎と言えば、『多喜さん詩集』(龜鳴屋、二〇一三年三月二三日)をまだ紹介していなかったが、これも含めて四冊、並べて悦に入る。

庭柯のうぐひす 高祖保随筆集』からぜひ引用しておきたいのはこの詩。『滞洛小記』の「五、古本あさり」。

 京都です。夕ぐれ、四月もあと一日。
 この孤りの男は夕かげの中を
 毎ばん蝙蝠のやうに街頭にやつてきて、
 暗い本屋の棚から、書籍の山から
 ひつそり埃にまみれた古本のかずかずをとり下します。
 そして埃の古本を包んで貰ひ、貝がらのやうな銀貨とかへて
 いそいそと、宝のやうにして
 下宿の一室に抱いて帰つてくるのです。
 ことにこの男の心を弾ませるのは
 古本の頁からこぼれる古びた銀杏古びた銀杏[ママ]の一ひら、ゴオルデンバツトの箱の片々、華奢な女文字の手紙、
 そんなものを予期なくして見出す、
 あの得も言へぬ侘しさ、懐しさ、懶さ、それなんです。そして
 その男は埃を払つた手を闇にすかし
 闇の彼方に落ちしずまる埃の行方に
 華かな四月の都会の
 あの地の底から沸(たぎ)ちわくやうな都会の雑音に聞き入るのです。
 うるめるやうな、そしてどこかに散漫な
 あの「都会の音」をあなたはご存じでせうか。
 いやそれはどうでもよい。
 この男は、何とわびしい古本あさりの習癖をもつてゐることか。



なお本書には念ふ鳥』の訂正・追加事項が記された栞が挿まれている。これも貴重である。

龜鳴屋



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by sumus2013 | 2014-03-04 21:27 | おすすめ本棚 | Comments(0)

船長ブラスバオンドの改宗

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バアナアド・シヨオ、松村みね子訳『船長ブラスバオンドの改宗』(書肆盛林堂、二〇一四年二月一六日、表紙画=堀内薫)読了。『船長ブラスバオンドの改宗』(竹柏会、一九一五年)を底本とした覆刻版。さすがに飽きさせない筋立てである。

松村みね子の訳文を森鴎外が序において次のように讃えている。西洋脚本にろくな翻訳がないと嘆いてみせてからこう続ける。

《此本はどこまで読んで行っても、その「まずいなあ」を出させないのです。とうとう出させずじまいになって、Lady Cicely の How Glorious! how glorious! And what an escape! に到着しました。そして私はその escape を得ずに、此本に捕えられてしまったのです。》

鴎外が引用しているのはテキスト最後のセリフで、主人公である美貌の貴婦人シセリイの独白だ。みね子訳はこうなっている。

《まあ立派な! なんて立派な! ああ危なかった!》

Glorious を「立派な」はどうだか知らないけれど、「ああ危なかった!」はじつに上手いと思う。どうして危なかったのか、をここで書いてしまっては興ざめなので、我慢しておくが、もう少しでどうにかなるところだった……ということである。

ショーといえば『ピグマリオン』(舞台、映画「マイ・フェア・レディ」の原作)くらいしか知らない。ただしショーがとびきりの皮肉屋だということは何かで読んだ次の単語で印象深く刻み込まれている。

 ghoti

ショーはこれを示して「fish(フィッシュ)」と読ませた。なぜならば、以下のような発音の例があるではないか。

 gh - laugh における gh 、[f] 
 o - women における o 、[ɪ]
 ti - nation  における ti 、[ʃ] 

要するに英語の発音の不規則生をチクリとやったわけである。並のへそ曲がりじゃない。

本作『船長ブラスバオンドの改宗』はモロッコが舞台。美女と海賊と判事とムール(ムーア)人が登場する。活劇かと言えばそうではなく、ほとんど松竹新喜劇かとまがうようなあちゃらかである。(ついでながら、ジョン・ミリアス監督脚本の映画「風とライオン」、モロッコが舞台でアメリカ合衆国が重要な役割を果たすあたり、ミリアスはショーを意識していたのかもしれないな、と気付いたしだい)

英国本土にいられないワケアリ人間たちが吹き溜まっているなかでいちばん強烈なボケ・キャラクター、道化役はドリンクウォタアという小悪党。ひとしきりドタバタやったあと彼らの持ち物がすべて没収されて裁判になる。そのときにこんなやりとりがある。

《水兵 知事(カーデ)から渡されました本がございます。何か魔術の書らしいと申して居りました。教誡師があなたに申し上げてから焼き捨てるようにと申されました。

大佐 どんな本だ?

水兵 (目録を読上げる)汚れ損じたる本四冊、各、別種類、定価一ペニィ、名はちぢかんだトッド、ロンドンの魔物理髪師、骸骨の騎手ーー

ドリンクウォタア(ひどくあわてて心配そうに駆け出して)そいつあ、私(あつし)のお蔵です。焼いちゃあいけません。

大佐 お前も斯んな物は読まない方がいい。

ドリンクウォタア (非常に情なさそうにレディ・シセリイに訴える)どうか焼かせないで下さい。あなたがそういって下さりゃあ、焼きやしません。(一生懸命の弁を振って)此本がどんなにあっしに大事だか、あなた方にゃ分らないんだ。此本のおかげで私(あつし)はウォタアロー街のみじめな世界から抜け出して面白い夢も見ていられたんだ。此本が私(あつし)の頭を拵えてくれたんだ。私(あつし)に汚い貧乏人の生活(くらし)よりか最ちっと好い物を見せて呉れたんだ。》

定価一ペニィの本というのは十九世紀に「penny dreadful, penny horrible, penny awful, penny number, and penny blood」などと呼ばれて英国で数多く発行された犯罪小説を指すのだろう。ダブリンの貧しい家庭に生まれ、辛苦の末、筆で立ったショーその人の感慨が込められていると読みたくなるが、さてどんなものか。とにかくいい本を覆刻してくれた。版元に感謝である。


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by sumus2013 | 2014-02-24 21:25 | おすすめ本棚 | Comments(0)

風景の諷刺

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『紙魚』57号(書物屋=新潟市中央区本馬越1-16-12、二〇一四年一月三〇日)が届いた。詩誌発掘の努力が孜々として続けられており、《詩誌の発掘が無く、資料として提出できない》というところまで到達したとのこと。

個人的に注目したのはこの表紙の詩集。吉原重雄『風景の諷刺』(作品社、一九三九年五月一六日)である。吉原の第二詩集となる遺稿集。これは作品社本なので目録としてはリストアップしていたが、実際どのようなものか知らなかった(日本の古本屋に出ているものの、ちと値が張る)。

作品社出版目録(初稿)
http://sumus.exblog.jp/16076403/

本誌によれば二〇一一年に吉原重雄の娘さんが『風景の諷刺』(形文社)を覆刻されたそうだ。表紙はその書影である。

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by sumus2013 | 2014-02-22 21:23 | おすすめ本棚 | Comments(4)

吉本隆明と沖縄

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『脈』79号(脈発行所=那覇市曙3-20-1、二〇一四年二月一〇日)を頂戴した。御礼申し上げます。特集「吉本隆明と沖縄」。この号から比嘉加津夫個人誌『Myaku』と同人誌『脈』というふたつの雑誌が合併したそうだ。後書きにこうあってオヤと思う。

《さて、今回の特集だが、多くの方の協力を得た。まずは三月書房の宍戸さんだ。「吉本隆明と沖縄」をテーマにすべきだと意見したのも彼であった。》

宍戸さんお元気のようで何より。記事のなかでは比嘉氏の論考「吉本隆明にとっての沖縄 南島論と共同幻想論から」が吉本と沖縄の接触を分かり易く説明してくれており参考になった。例えば、沖縄復帰以前の論考「異族の論理」(一九六九年)をめぐって。

《一般の「復帰」派でも、おおまかに言うと、何が何でも復帰という考えと、施政権のみならず基地も返還し平和を取り戻すための復帰という考えに分かれていた。
 同様に「反復帰」派も、復帰したら芋と裸足の時代に戻るだけだから駄目だという考えと、この際だから独立すべきだという考えと、日本帝国主義化の目論見に利用されるだけだという考えに分かれていた。
 そのようなとき、吉本の「異族の論理」が出てきたのである。吉本は次のような見解を述べた。

  わたしたちは、琉球・沖縄の存在理由を、弥生式文化の成立以前の縄文的、あるいはそれ以前の古層をあらゆる意味で保存しているというところにもとめたいとかんがえてきた。そしてこれが可能なことが立証されれば、弥生式文化=稲作農耕社会=その支配者としての天皇(制)勢力=その支配する〈国家〉としての統一部族国家、といって本土の天皇制国家の優位性を誇示するのに役立ってきた連鎖的な等式を、寸断することができるとみなしてきたのである。いうまでもなく、このことは弥生式文化の成立期から古墳時代にかけて、統一的な部族国家を成立させた大和王権を中心とした本土の歴史を、琉球・沖縄の存在の重みによって相対化することを意味する。

要するに沖縄には本土より古い制度が残っている、それを掘り起こし、天皇制の意味を問えということだ(そして天皇制という問題から人類史的な普遍へ至るという道筋を吉本は考えていた)。ちょうどこのくだりを読んだすぐ後で新聞を広げると「沖縄で旧石器時代の貝類 国内初出土」という記事が出ていた。そこには石灰岩質の沖縄地域は酸性土壌の本土に比べて骨の残りがよく、本土にほとんどない旧石器時代の人骨が複数確認されているが、使われたはずの道具が見つからないという不思議な状態が続いていた。今回の発見はそれを埋める成果で云々》ともあって、なるほど文字通り日本最古層をとどめているのが沖縄なのだと思ったしだい。

そしてまた、その次の日だったか、何気もなく『近世名家小品文鈔』中(土屋榮編、大字三版、刊記はないが、検索すると明治十二年のようだ)をめくっていると「蹲鴟子伝 頼山陽」というタイトル、そして出だしの《蹲鴟子者琉球人也。姓甘人名藷。其先人曰芋氏。》が目についた。オヤオヤまたもや沖縄だ。


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蹲鴟子伝というのでてっきり人物伝かと思いきや、書き出しを落ち着いて読み直せば分る通り、琉球特産の蹲鴟(そんし)すなわち里芋(【さといも】「食物本草歳時記」参照)を琉球の傑出した人物として擬人化し、あまりに優秀なため日本本土へ招かれて全国いたるところにその弟子(子芋)をつくった……というふうに語っているのだった。

検索してみると、この本の他に明治二十五、六年頃の中等漢文教科書にも取り上げられており、その教科書で習った人達(ご存命なら百〜百二十歳ほどの方々)にはよく知られていた戯文だったかもしれない。仮に上記引用に出てきた《芋と裸足の時代》が山陽のイメージした琉球にあたるとしても、山陽はこのとのほか蹲鴟を愛したようだ。

《野史氏曰。吾少游六芸之圃。與其秀英之士交。独好蹲鴟子子弟。愛其実而不華。重厚而能済人。交愈熟而其言愈可味吁。蹲鴟子之才。而為人所賤。天也邪。江戸有孔陽氏者。與予同其好。来請予曰。掲埋彰没。史家之事也。予蓋記蹲鴟子之事。規世之耳食者。予於是乎。作蹲鴟子伝。

愛其実而不華」と言っているが、カラーに似た花もなかなか美麗である。
http://senpai3330.blog41.fc2.com/blog-entry-1206.html

『脈』次号は川崎彰彦特集とか。これは楽しみだ。


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by sumus2013 | 2014-02-18 21:03 | おすすめ本棚 | Comments(0)

月歌論

Loggia ロッジア』13号(時里二郎、二〇一四年一月三一日)を頂戴した。今号は短歌集「円周率のサル」と「月歌論」というエッセイ、そして歌の錬成を描いた物語「歌窯」からなる。古典とアヴァンギャルド(ああ、これはちょっと響きがなつかしすぎですかねえ)の溶かし合いというのか、時里氏ならではの世界。


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「月をかたしく 或いは《月歌論》のための仮縫い」は和歌における月との関係をさぐる試論で、西行、定家、そしてとくに九条良経に焦点を当てている。

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《良経の歌は、月に心がしみこんでいる。近代的な憂愁さえ嗅ぎ取ることができはしまいか。》と氏は書いておられるが、たまたま、このくだりを読んだ直後に、ある方より「真山民作で好きな作品があります」というメールを頂戴して驚いた。

 我愛山中月  我は愛す 山中の月
 烱然掛疎林  烱然として疎林に掛るを
 為憐幽独人  幽独の人を憐れむが為に
 流光散衣襟  流光衣襟に散ず
 我心本如月  我が心 もと月の如く
 月亦如我心  月もまた我が心の如し
 心月両相照  心と月とふたつながら相照らし
 清夜長相尋  清夜とこしなえに 相尋ぬ

月と心と相照らすとは……。時里氏の言わんとするところに一致するのではないだろうか。真山民は南宋の詩人、隠士。詳しい経歴などは分っていないそうだが、日本ではよく読まれてきたようだし、詩吟の定番でもある。真山民「山中月」についてはこちらのサイトに詳しい。


南宋というと、九条良経(1169-1206)と重なるか、少し後になるのだろうか。まさか同時代性というわけでもなかろうが、モチーフはほとんど同じだと考えてもいいように思われる。今更ながら、漢詩と和歌の距離は、表現形式からするとはるかに離れているように見えても、『倭漢朗詠集』が示しているごとく、じつは裏表のように密着しているのかもしれない。


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by sumus2013 | 2014-02-13 21:36 | おすすめ本棚 | Comments(2)