林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
カテゴリ
全体
古書日録
もよおしいろいろ
おすすめ本棚
画家=林哲夫
装幀=林哲夫
文筆=林哲夫
喫茶店の時代
うどん県あれこれ
雲遅空想美術館
コレクション
おととこゑ
巴里アンフェール
関西の出版社
彷書月刊総目次
未分類
以前の記事
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
お気に入りブログ
NabeQuest(na...
daily-sumus
Madame100gの不...
最新のコメント
それは惜しいことを。貴重..
by sumus2013 at 08:07
先日、宮崎翁にお会いした..
by kinji今村 at 22:15
よかったです!
by sumus2013 at 07:58
小生も一度お伺いしようと..
by sumus2013 at 08:00
街の草さんにはちょっとご..
by akaru at 22:48
そうでしたか、本当に早い..
by Iwata at 18:18
2008年に亡くなられて..
by sumus2013 at 14:51
水雀忌でしたか。 忘却..
by Iwata at 12:23
それは楽しみです!
by sumus2013 at 08:06
書評の中に書いてくださっ..
by kinji今村 at 08:05
メモ帳
最新のトラックバック
天才画家ゴッホの生涯と画..
from dezire_photo &..
ルーベンスの故郷、ヨーロ..
from dezire_photo &..
シャガール、ピカソ、マテ..
from dezire_photo &..
ポン=タヴァン派、総合主..
from dezire_photo &..
視聴率に関係なく選んだ2..
from dezire_photo &..
宝石のような輝をもった印..
from dezire_photo &..
ルネサンス美術の巨匠・ピ..
from dezire_photo &..
既成概念から絵画の解放に..
from dezire_photo &..
既成概念から絵画の解放に..
from dezire_photo &..
過去に来日した傑作を回顧..
from dezire_photo &..
検索
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


カテゴリ:おすすめ本棚( 208 )

ZAZ SANS TSU TSOU

f0307792_20234745.jpg

TSUTAYAの更新手続きをした。二枚CD無料になったのでザーズのライヴCD/DVD三枚組「ZAZ TSU TSOU」とアマリア・ロドリゲスのベスト盤を借りた。ZAZのライヴ・ヴィデオはコンサート・ツアーからプライヴェットな顔までうまくコラージュしており、上出来と言っていいだろう。

Zaz - Sans Tsu Tso
http://www.youtube.com/watch?v=bCBTqbjXTb4

三枚のうちの一枚はシングル盤「Éblouie par la nuitだった。

Éblouie par la nuit, à coup de lumières mortelles,
A frôler les bagnoles, les yeux comme des têtes d'épingles,
Je t'ai attendu cent ans, dans les rues en noir et blanc,
tu es venu(e) en sifflant,

夜に目をくらまされ、激しい光に、
車がかすめる、目はピンの頭のよう
ずっとあんた待った、黒と白の街で
口笛を吹きながらあんたはやってきた

Éblouie par la nuit, à coup de lumières mortelles,
A shooter les cannettes aussi pommée qu'un navire,
Si j'en ai perdu la tête, j't'ai aimé et même pire,
Tu es venu(e) en sifflant,

夜に目をくらまされ、激しい光に、
ばかでかくてまんまるなビンをシュート
もし、カッとしてたら、あんたを好きになっていた、やばいほど
口笛を吹きながらあんたはやってきた

Éblouie par la nuit à coup de lumières mortelles,
Faut-il aimer la vie, ou la r'garder juste passer,
De nos nuits de fumettes ,
Il ne reste presque rien,
Que des cendres au matin, 

夜に目をくらまされ、激しい光に
人生を愛するか、でなきゃ過ぎて行くのをただ見ているか
わたしたちの息づかいの夜には
何も残っていやしない
朝の灰のほかには

Ah ce métro rempli des vertiges de la vie,
A la prochaine station, petit européen,
Met ta main, descend la, en-dessous de mon cœur, 

ああ、人生のめまいで満員のこのメトロ、
次の駅で、小柄なヨーロッパ男が、
あんたの手を置いて、降ろす、わたしの心臓の下の方に、

Éblouie par la nuit, à coup de lumières mortelles,
Un dernier tour de piste avec la mort au bout,
J'ai attendu cent ans dans les rues en noir et blanc, 
Tu es venu(e) en sifflant…

夜に目をくらまされ、激しい光に、
ゴールに死が待っているトラック、最後の一周、
黒と白の街でずっと待った、
口笛を吹きながらあんたはやってきた…


以上、歌謡曲風に訳してみました。時折、和訳にいちゃもんをつけたりしているが、やっぱり翻訳は難しい(文字通りではない、俗語的な表現がちりばめられているようです!)、拙訳お許しを(目に余るところがあれば直しますので御教示を)。それにしてもこの歌の邦題が「聞かせてよ、愛の歌を」というのには驚きました。何でもいいと言えばいいのですが。

ZAZは昨年二枚目のアルバムをリリースしていた。

ZAZ Recto/Verso (2013) - Full Album
http://www.youtube.com/watch?v=eVUEWLvIISs




[PR]
by sumus2013 | 2014-01-27 22:05 | おすすめ本棚 | Comments(4)

歌の塔

f0307792_20063023.jpg


f0307792_20063573.jpg


f0307792_20063706.jpg



ジャック・プレヴェール『歌の塔』(柏倉康夫訳、未知谷、二〇一三年一二月一〇日)が届いた。プレヴェールの一筋縄ではいかない、しかしはっきりと一本筋の通った世界をじっくり味わう幸せを感じる。

『歌の塔』は、スイスのローザンヌ書籍組合から1953年4月30日に出版された。プレヴェールの各詩篇に次いで、ヴェルジェ作曲の手書きの楽譜が印刷された豪華本である。プレヴェールがクリスチアーヌ・ヴェルジェに最初に作曲の話をもちかけたのは1928年2月のことであった。

 本が出版されて間もなく、このうちの何曲かをジェルメーヌ・モンテロとファビアン・ロリスが歌い、プレヴェール自身の語りを入れたレコードがデッカ社から発売された。

 豪華本の原題は、JACQUES PREVERT: TOUR DE CHANT Musique de Christiane Verger Dessins de Loris, La Guilde du Livre Lausanne. 1953。所持しているのは限定5300部のうちのNo. 1909である。

 日本で最初にこの本に注目したのは小笠原豊樹で、15篇すべてを翻訳した『プレヴェール 唄のくさぐさ』を1958年に昭森社から出版した。原詩の意味をくんだ見事な訳だが、新たな翻訳をこころみ、ロリスのデッサンとヴェルジェの楽譜もいくつか採録してみたい。》(『歌の塔』ムッシュKの日々の便り

小笠原豊樹訳『唄のくさぐさ』(昭森社、一九五八年)については daily-sumus でも紹介したことがある。今、本書と比較してみると、ほとんど別の本だ、とまでは言えないかもしれないが、かなり大きく違った言葉遣いが随所にうかがえてたいへん興味深い。

まず書名がそれを如実に表しているだろう。『歌の塔』は文字通りの訳で『唄のくさぐさ』は意訳と言っていい(いろいろな唄を集めたものの意)。全体的に『歌』の方がよりドライで歌詞の意味はストレートに伝わってくる。『唄』は、昨日取り上げた鈴木訳『ドン・ジュアン』がそうであったように、日本語の詩としてのリズムや体裁を重んじる風があるようだ。それがときとして過剰になる。おそらく当時でもやや時代がかっていたのではないかと思える長閑な言葉が並んでいる。もちろん、それはそれで捨て難いものがあるのも事実だが。内容を正しく把握しフレッシュな日本語に移しているということでは『歌』の方がはるかに優れているように思う。

例えば詩篇のタイトル。『唄』が「探検」としているのを『歌』では「配達」としている。原題は「L'expédision」。この詩はいちばん最後に置かれている作品で、ある男がルーヴル美術館に缶を持ち込んで置いてくるというモチーフなのだが、ナンセンスで、ある意味、プレヴェールのコラージュ作品に通じるシュールな奇抜さがあって、小生はかなり気に入っている。歌詞は引用しないけれども「探検」としたのはさすがに的外れだろう。「配達」がぴったりはまっている。梶井基次郎が丸善にレモン爆弾を仕掛けるようなものである。

もうひとつ『唄』が「自由な町筋」としている詩、これを『歌』は「外出許可」とした。これはまたひどくかけ離れた訳語である。原題は「Quartier libre」でこの場合は『唄』の方が直訳になっている。しかし、詩を読むと、軍人(あるいは警官)が被るケピ帽を鳥かごに入れ、帽子のかわりに鳥を頭にのせて外出する男、彼は町で司令官に出会っても敬礼をしない、という内容である。モチーフとしてはそんなに奇抜ではないけれども、歌詞としてなかなかこういうふうに表現することは誰にでもできるものではないなあ、とプレヴェールの才能に感服するのだが、また同時に「外出許可」とした柏倉訳にも深く頷かされる。

  Quelqu'un(これは『歌』も『唄』も同じ「ある男」です

Un homme sort de chez lui
C’est très tôt le matin
C’est un homme qui est triste
Cela se voit sur sa figure
Soudain dans une boîte à ordure
Il voit un vieux Bottin Mondain
Quand on est triste on passe le temps
Et l’homme prend le Bottin
Le secoue un peu et le feuillette machinalement
Les choses sont comme elles sont
Cet homme si triste est triste parce qu’il s’appelle Ducon
Et il feuillette
Et continue à feuilleter
Et il s’arrête
A la page D
Et il regarde la page des D-U Du ..
Et son regard d’homme triste devient plus gai et plus clair
Personne
Vraiment personne ne porte le même nom
Je suis le seul Ducon
Dit-il entre ses dents
Et il jette le livre s’ époussette les mains
Et poursuit fièrement son petit bonhomme de chemin.

今日出海(こん・ひでみ)がフランスへ行ったときにその名前で困ったという「con」がテーマの作品。プレヴェールはこの手のダジャレのような言葉遊びをリアルな平面に取り込んで歌うのが巧みである。この詩の柏倉訳はこちらで読んでいただけます。

ジャック・プレヴェール「歌の塔」Ⅶ

ついでにイヴ・モンタンが歌う「ある男」も

YVES MONTAND Quelqu'un - avec paroles


[PR]
by sumus2013 | 2014-01-13 21:29 | おすすめ本棚 | Comments(2)

アートが絵本と出会うとき

f0307792_20491389.jpg

アートが絵本と出会うとき―美術のパイオニアたちの試み」(うらわ美術館、2013年11月16日〜2014年1月19日)の図録を頂戴した。深謝です。

絵本というくらいだから絵本は本と絵(アート)が出会っているわけであって、あらためてアートと出会うと言われても、どうなのかなあ、と思ってしまが、そういう天邪鬼な意見はさておいて、ロシア・アヴァンギャルドはやっぱりすごいなあという素直な感想になる。

ロトチェンコのブックデザイン、サイコーです。

f0307792_20491169.jpg

こちらは恩地孝四郎。正直、装幀家としての恩地孝四郎にはぎこちない構成も多い。版画としての単独作品の方がクオリティははるかに高いだろう。装幀においては、おそらく文字の扱いがまずいのではないかと思う。しかし、この図録で驚かされたのは恩地による立体オブジェ「子供室掛額」。これをみんなが子供部屋にかけておきたいと思ったとしたら、昭和五年はすごい時代だった。「おかあさまへ」(左)と「ボクノトモダチ」(ともに一九三〇年)。

f0307792_20490901.jpg


村山知義は絵本作家としてもトップクラスである。いまさら出会いというのもヘンだが、やはり前衛的な流れを絵本という古風な、あるいはかなり保守的な分野に持ち込んで、しかも難なく無理なく溶け合わせているのは、村山の精神の柔らかさを示して余りあるだろう。理屈はとにかく、何よりもその絵柄が好きだ。

f0307792_20490507.jpg

戦後(と切り分けてしまうのもどうかと思うが)の作家たちでは吉原治良と具体美術の人々が優れている。彼らの仕事が要するに子供っぽいのだから絵本と取り合わせても違和感がないのは当たり前であろうか。元永定正などは作品も絵本の絵もまったく同じである。同じで何の問題もない。

f0307792_20485918.jpg

現代美術の作家にはあまり見るものがないようだ。大竹伸郎、李禹煥など筆を使いこなす作家でなければ、絵本は難しいかもしれない。あるいはそれは単純に編集者の意識の問題なのかもしれいないけれども。

パリのジュ・ド・ポムでダイアン・アーバスの写真展を見ていたとき、小学生の団体が展示会場に陣取って、アーバスの写真について先生と質疑応答をしていた。内容はよくわからなかったが、かなり生意気なことをしゃべっていたような気がした。

ご存知のように畸形の人間ばかり撮っている彼女の写真の前で、堂々と小学生が意見を開陳しているのも、ちょっとどうかなと思わないでもなかったにしても、美術を見るというのはそういうことである。アートと絵本を別に考えるほど子供は幼稚じゃないのでは? と、この図録をめくりながら改めて思ったしだい。



[PR]
by sumus2013 | 2013-12-30 21:31 | おすすめ本棚 | Comments(0)

Die schönsten deutschen Bücher 2013

f0307792_20511745.jpg
f0307792_20512097.jpg
『Die schönsten deutschen Bücher 2013 The Best German Book Design 2013』(Stiftung Buchkunst, 2013)。こちらも頂戴しました。いただいてばかりで申し訳ないです。

印刷博物館(http://www.printing-museum.org)で「世界のブックデザイン2012-13」展が開催されているが、そのドイツ篇とでもいうのか、ドイツのベスト・ブック・デザイン集。以前にも紹介したことがある。

かっこいい本『THE BEST GERMAN BOOK DESIGN 2010』

このハードカバーの片側だけを接着したスイス製本は『書影でたどる関西の出版100』(創元社、二〇一〇年)と同じだ。最近よく見かけるようになった。もちろん『関西の…』がオリジナルというわけではないのは言うまでもないが、その流行に多少の影響は与えたと勝手にうぬぼれていても許してもらえるだろう。

この余白に黒ベタというのがどうも環境にやさしそうではないし、インクもメチャ食いそう。巻頭の大きい図版は図版の部分だけにグロス(光沢)コーティングしてある。これは目新しいかも。

f0307792_20512289.jpg
f0307792_20512551.jpg
f0307792_20512896.jpg
f0307792_20513036.jpg

小さく見開きページをズラリと並べるというのも、あまり見た記憶がない。書影を小さくして沢山並べるというのが二十一世紀になってからの雑誌などの図版レイアウトの主流である。インターネットの影響なのだろうとは思うが、これはこれでチャンスがあれば真似して見てもいいのかなと……。




[PR]
by sumus2013 | 2013-12-24 21:08 | おすすめ本棚 | Comments(0)

昭和モダン 絵画と文学 1926-1936

f0307792_20313714.jpg

『昭和モダン 絵画と文学 1926-1936』(兵庫県立美術館、二〇一三年一一月)を頂戴した。先日このブログに手元不如意につきパスすると書いたためクリスマスプレゼントとして送ってくださった。誠に有り難いことである。

昭和モダン 絵画と文学 1926-1936
http://sumus2013.exblog.jp/21015492/

黒島伝治の本はこのページに出ている。
f0307792_20315347.jpg


それから『ルル子』はこちら。


この図版を良く見ると、小生が日本近代文学館で閲覧したものと同じ本のようだ。ただ、展示されていたのは、これではなかったように記憶している(どうでもいいことではありますが)。

f0307792_20315190.jpg

佐野繁次郎の舞台装置の写真も載っている。これらは佐野展の図録にもモノクロで掲載されていたと思うが、これくらい大きいと分りやすくていい。東郷青児、阿部金剛、古賀春江の装置ももちろん出ている。比較してみると佐野は看板の文字を多用しているのが特徴的である。後年の作風を考えると納得できるように思う。


[PR]
by sumus2013 | 2013-12-24 20:45 | おすすめ本棚 | Comments(0)

捨身なひと

f0307792_19332262.jpg

小沢信男『捨身なひと』(晶文社、二〇一三年一二月二〇日、ブックデザイン=平野甲賀、カバー絵=ミロコマチコ)読了。

http://www.shobunsha.co.jp/?p=2955

花田清輝、中野重治、長谷川四郎、宮武外骨、菅原克己、辻征夫……いずれ劣らぬ「捨身なひと」たち。小沢信男が語り部として冥界より引き戻し、古くて新しい魅力を輝かせる。純粋に生きる、生きつづけることは、かくも困難なことなのだろうか、捨身でなければできないことなのだろうか。かつての日本ではそうだった、そしてこれからの日本でもそうならないとは限らない。

ぶれないオールド・サヨクこと小沢信男が書く、語るからこそ、その言葉は心に沁みる。例えば、長谷川四郎の小説「張徳義」のラストに対して「スターリンの軍隊が解放軍なんてナンセンス」という批判が出ることがある。しかし、

《読書会などでは、このてのステレオタイプのご意見を賢そうにおっしゃる向きが、たいていおいでです。そのさいの私の言い分を、念のため書きそえれば、広島や長崎に原爆を落とした元兇のアメリカ軍でさえ、日本軍閥を倒してひとまず解放軍だった実績はある。世界のいたるところで国境紛争は絶えねばこそ、国境がどんどんうすらぎ諸民族が陽気に交流する未来が、なおさらに人類の課題でしょう。ゆくてはるかなとはいえども、とりあえずはEUをみよ。またキューバ人民の陽気さをみよ。この回答もオールド・サヨクですか。それがどうした。》(作品集を編みながら)

あるいは花田清輝が終生こだわった芸術の「共同制作」について。

《みんなで仲良く、なぁなぁの没個性な作品をつくりましょう、というのではない。各人が懸命に自己を表現しながらしかも共同の一個の作品だ。すると、どうなるか。このさい急いで、あけすけに言ってしまえば、文芸が作家さまのお作りになる私有財産として、やたらと奉っているのを、その仕組みが近代というやつなんだが、それをワァーッと乗りこえちゃおう、ということです。
 欧米では著作権を七十年に引きのばしたとか。日本もおっつけそうなるだろうこの現代の滑稽さ。なぜ乗りこえる必要があるのか。ほんらい万人のものに豊かにひらけているはずの芸術を、私有財産に囲いこみ、文化資源というひたすら儲けの具にする、その制度が、根性が、貧しいからですよ。》(『泥棒論語』プロローグ考)

しなやかに激しい文章だ。これすなわち小沢節、小沢さんの生き方である。これらの短い引用からでも「捨身のひと」にはまず著者本人を数えなければならないことがよく分るのだ。

《辻征夫と出会い、彼の友人や、友人の友人や、詩人たちが集まって、おりおりに句会をひらいて十年になります。現代詩人が、古色蒼然たる前近代の定型俳句をつくるなんて堕落だ、という外からの批判や、自身の内なる抵抗もあったようです。それにしてはおしなべて、嬉々としてやってくるのは、なぜだろう。》(畏敬の先輩、敬愛の後輩)

《さよう、余白句会は終始遊びのグループです。ただし各位に微妙なおもいはあるだろう。なかには文学運動の一環のつもりの馬鹿も一人いて、そうです、おくびにもださないけれども私はそのつもり。これにかぎらず、することなんでもそのつもりの傾向があるけどね。》(同前)

そういう文字通りの共同制作(連句のような)を小沢さんは想定していたのかもしれないけれど、じつはいかなる文学であれ何であれ、誰にも何にも借りていない表現というものは在り得ないのではないだろうか。そう言う意味では、芸術は(人はと言い換えてもいい)単独では存在できない。

《長谷川四郎も一九八七年に死んでしまった。けれども、死んでも死んでも生きているのが、すてきな文学のすてきなところです。》(原住民の歌ーーデルス・ウザーラ)

《死んだ人は、さながら生きてたときのように死んでいる、というのが、このごろの感想ないし痛感です。》(死者とのつきあい)

そう、みごとに死んだ人たちと共同制作してるじゃないですか、小沢さん!

f0307792_19332479.jpg

『捨身なひと』を読んだら、無性に花田清輝を読みたくなった。今、わが家にはこの『復興期の精神』(講談社文庫、一九七四年三刷)しかないようだ。栞がはさんである。そこを開くと、偶然にもこんな文章が目に留まった。

《生の現実性によってではなく、いわば生の可能性によってとらえられており、ポアールのあたたかい空気を見捨て、街頭を吹きすさぶつめたい風のなかに決然と身をさらす。ただ生きているところの現実は、すでにかれらにとっては非現実であり、生きることもできず、死ぬこともできない現実が、かれらにのこされた唯一の現実なのだ。これが今日の現実であり、我々の現実であると私は思う。そこでは、「現実的な」打算が無意味なものとなり、必然性の上に安住することは許されず、はたして人間にとって自己保存慾が本質的なものか、自己放棄慾が本質的なものか、容易に解決しがたい問題となる。私はこのような我々の生の可能性を、鍛えあげられたまま、まだ一度も血ぬられず、青い光をはなちながら冴え返っている、眉間尺の剣のようなものだと考える。我々はこの剣を背負って、歩きだす以外に手はないのだ。これが我々の「自由」である。》(ブリダンの驢馬)

う〜ん、やっぱりカッコいい。要するにこれは実存主義というやつであるが、この本について小沢さんはこう書いている。

《花田清輝といえば『復興期の精神』で、六十年前の、敗戦の翌年に出版された。衝撃でしたねぇ。全面戦争のまっただなかで書いていて、それが戦後のわれわれを鼓舞しました。誰もなにもあてにならない混迷のときに、めざましい人間の声をひびかせていた。》(『泥棒論語』プロローグ考)

「われわれを鼓舞し」たということ、それすなわち「共同制作」なのである。

最後に脱線。「ポアールのあたたかい空気」と花田の文中にある。このポアル(poêle)は「暖かい部屋」の意味らしい。花田はこのくだりに先だってポアールとはデカルトの書物に出ている言葉で《悠々自適、かれがその画期的な労作のペンをはしらせたのは、このポアールのあたたかい空気につつまれてであった》と書いている。検索してみると『方法序説』第二部の初めの方に出ているらしい。

 « J'étais alors en Allemagne... Je demeurais tout le jour enfermé seul dans un poêle où j'avais tout loisir de m'entretenir de mes pensées. »

ドイツでは暖かい部屋に一日中こもって思索にふける生活をおくっていた……とデカルトさんは言う。このpoêle」は「暖炉」ではなくドイツにおいては「煖房のきいている部屋」という意味だそうだ(花田はどちらでもいいと書いている)。書を捨てよ、街へ出よ、かな。戦中においてはそれは剣を負う(比喩的にも文字通りにもとれる)ことだった。こういうのを読むと小林秀雄なんか目じゃないという気がしてくるのだなあ(小沢節が染るんです!)。

いろいろ考えさせてくれる『捨身なひと』でありました。


[PR]
by sumus2013 | 2013-12-20 21:03 | おすすめ本棚 | Comments(2)

山之口貘その他


f0307792_19544227.jpg


f0307792_19543684.jpg


『山之口貘 猫 ねずみ りんね』(ヒロイヨミ社、二〇一三年一二月七日、編集・制作=山元伸子、http://hiroiyomu.blogspot.jp)を頂戴した。深謝です。

山之口貘の詩三篇にそれぞれ秋葉直哉、宮浦杏一、永岡大輔の三氏によるエッセイを付してある。活版刷り。表紙と詩篇はマーメイド、本文は薄手の上質紙、見返しに遊紙にチリ入りの用紙を用い、その色目の取り合わせもシブイ。二百部。


横田順彌『ナイト・スケッチ』(盛林堂ミステリアス文庫、二〇一三年一二月一五日、http://d.hatena.ne.jp/seirindou_syobou/)も届く。稲垣足穂が星新一になったような、しかしもっと軽やかな掌編集。

《まちはづれの細い露地に、アセチレンランプの燈が見えたので、近寄つてみると、露天の古本屋が店を出してゐた。そこで、黒い表紙のぶ厚い本を手にとると、居眠りしてゐた店番の老人が目をさまして、
「その本がほしいのかね。それは、とつてもいい本ぢやよ」
 といつて、ニッと笑つた。
 本をぱらぱらとめくつてみると、ぼくの知らない文字がキラキラチラチラとネオンみたいに輝いててゐた。
「これは、どこの國の本なの?」
 ぼくがたづねると、老人は、
「ふむ、おほかたプラネタリウム共和國のものぢやらう」
 といつた。
 ポケットから十圓玉を五つだして、
「これで買へる?」
 とたづねると、老人は、
「まあ、いいぢやらう。古い本だから、氣をつけて讀むんだよ」
 と注意してくれた。》

この「プラネタリウム共和國」はあと五行で終り。例によって巻末に解説と「横田順彌著作目録」も掲載されている。


『雲遊天下』115号(ビレッジプレス、二〇一三年一二月一五日、http://www.village-press.net)。「江東フォークフェスティバル」スタッフ座談会が冒頭。「吉上恭太インタビュー」もあるぞ! 興味深く読んだのは岸川真「ナシの話・エルモア・レナードを想って」のなかの「西村賢太に会って驚く」。

《僕は「怖い作家だ」「中上健次みたいだ」と仄聞していたので新潮社でお会いするまでビビりまくっていた。殴られたら、反撃していいだろうかと自問自答していた。ところが、現れた西村賢太は腰の低い、本が好きなアニキ的な人だった。》

《こうしたら面白いって提案されても、編集者より私小説を読んでいるから面白さや方法論の蓄積はこっちに分がある。だから書き直しはしません。ただこうしたら売れるって言われたら直しちゃうかもしれないな(笑)」

 僕はそこで、「文學界」に求められて書いた原稿百枚がボツになったことをぼやいてしまったのだ。すると右の返事がきた。書き直しを否定するという断固とした姿勢の表明にハッとしてしまった。》

《書き直しというのは編集者の〈神性〉を示すもので、自分もよく分るのだが、書き手を封じる魔力がある。それでは駄目だ、掲載できないと具体的に言わないでも恐ろしい力がある。掲載してもらいたいので僕なら言う。いや、これまで言ってきた。
「はい、直します」
 という一言をいつも口にした。
 だが、掲載されなくても自分の書いたものを守るため、嫌だと言い、理由も述べる勇気。これはなかなか持てないものだ。僕はそういう対立を辞さない姿勢が大切であると思っていたが、実際にそうしている人物と初めて会った。
 これには衝撃を受けた。》

そういう作家が西村賢太しかいない? というのは、さすがに嘆かわしいぞ。







[PR]
by sumus2013 | 2013-12-18 20:31 | おすすめ本棚 | Comments(0)

えむえむ6

f0307792_17221837.jpg

『えむえむ[熊田司個人誌]』第六号(二〇一三年一一月三〇日)が届いた。第五号で予告された通り《文藝と相携える木口作品の紹介》が行われている。明治時代の木口木版のヴァリエーションには改めて目をみはる。また堀口大学の詩集および訳詩集における長谷川潔の木口木版の紹介もたいへん参考になる内容。
f0307792_1722129.jpg


f0307792_1722466.jpg

他に父上(坂本巽あるいは三上忠雄)の周辺を描いた「一九四九年・神戸(畢)」も。神戸高工(神戸大学工学部)が取り壊されるエピローグはしみじみさせてくれる。

『えむえむ』第五号
http://sumus.exblog.jp/20682825/
[PR]
by sumus2013 | 2013-12-13 17:26 | おすすめ本棚 | Comments(0)

ぼくの創元社覚え書補遺

f0307792_163520100.jpg

高橋輝次『ぼくの創元社覚え書』のさらなる追記が届いてビックリ。追記というか、山田稔さんが文中に出ている隆慶一郎の回想に《剣道二段の黒田という男》とある黒田は黒田憲治のことだと教えてくださった、という内容の一枚刷りである。山田さんは黒田のことを『海鳴り』に書いておられた。

『海鳴り』25 山田稔「ある文学事典の話」
http://sumus.exblog.jp/20273942/

この一枚刷りご希望の方は高橋さんまで(住所は『ぼくの創元社覚え書』経歴欄に明記されています)。
[PR]
by sumus2013 | 2013-12-11 16:46 | おすすめ本棚 | Comments(0)

新国誠一ノート

f0307792_1946091.jpg


f0307792_19455337.jpg

金澤一志『新国誠一ノート seiichi niikuni memoranda』(JARGON BOOKS、二〇一三年一二月)を頂戴した。二〇〇八年に国立国際美術館で開催された「新国誠一《具体詩》詩と美術のあいだ」展に関連して行われた講演のためのノートをまとめたものだそうだ。この展覧会にはまったく記憶がないが(どうやらパリに出かけていたようだ)、見ておきたかった。

新国誠一の《具体詩》 詩と美術のあいだに
http://www.nmao.go.jp/exhibition/2008/id_1206161940.html

新国誠一について語るということはコンクリート・ポエトリーの歴史にも触れなければならず、かなり欲張った内容。しかし何とかまとめあげているのはさすがだ。

《漢字、かな、カナ、三種混合で、おなじことばでも場合によって漢字、違うときにはかなで書かれ、それでも大きな支障がない。日本語のあいまいな部分というのは、そもそも開始のところからコンクリートにかぎらず他者との融合がむずかしいものです。あるいはコンクリート・ポエトリーというのは、現行の日本語的状況を目指したようなものだったのではないかとも思えて、そのために新国誠一はあえて漢字の表意性をかさねていくような方法に固執しつづけたのかもしれないのですが、実は日本語はすでにコンクリートの先をいってしまったのかもしれない。厳密に仕上げたのではなくて、人間に合わせるように非整合性を残して完成しているようなところがあります。もし日本語がすでにコンクリート的な操作の多くを達成してしまっているとしたら、それは書記のシステムではなく読解のシステムの円熟に多くを負っているためではないでしょうか。詩人ではなく読者の目がすでにコンクリート的なものに適応している。》

スマホ、ケータイ時代はまさにこの指摘がはっきり目に見える形で現れているような気がする。



f0307792_19453054.jpg
『matatabido 10』(股旅堂、二〇一三年一二月)。巻頭特集が「旅」について。エログロな旅が満喫できる。巴里本が充実していた。ひと財産ほしい。表紙がスタイリッシュで気に入った。



f0307792_19452244.jpg

『アピエ』vol.22(アピエ社、二〇一三年一二月五日、表紙装画=山下陽子)はジュネ&コクトー特集。あえて二人一緒にしたところがアピエならではの贅沢さ。善行堂通信はもう5なのだ。



『福島自由人』28号(北斗の会、二〇一三年一〇月二五日)、菅野俊之さんよりいただく。菅野さんは「つぶての如薮に入りたる小鳥あり 歌人天野多津雄探照」を寄稿しておられる。明治三十年相馬に生まれた歌人。昭和四十二年歿。

 朝飯の櫃を提げ行く少女あり歩調に合せ口笛を吹く



[PR]
by sumus2013 | 2013-12-09 20:48 | おすすめ本棚 | Comments(0)