林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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日常学事始・人生散歩術

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荻原魚雷『日常学事始』(本の雑誌社、二〇一七年七月一四日、カバーイラスト=山川直人、デザイン=戸塚泰雄)そして岡崎武志『人生散歩術』(芸術新聞社、二〇一七年七月二五日、デザイン=美柑和俊+中田薫)を読了。

二冊はなんだかよく似ている。まず、見た目。どちらも漢字五文字のタイトルである(ちなみにどちらの版元も五文字で神田にある)。どちらも並装でカバー・帯が二色刷りである。マットな上質紙を使っている(光沢紙ではなくコーティングもない)。どちらもカバーに人物イラストがある(表紙にもイラストがある)。装幀や装丁ではなくデザインという言葉を使っているのも共通だ。

そしてコンセプトも似ている、というか同じだな、これは。

お金はないけど、無理せずのんびり生きていく
こんなガンバラナイ生き方もある

そして、そして、何より、どちらもWEB上で連載された文章をまとめたものなのである。

ということで刊行日の早い魚雷本から紹介するが、これは間違いなく魚雷本のなかのベストじゃないか。編集者の宮里潤氏が「洗濯ネットみたいな話を書いてみませんか」と提案したことがそもそもの発端だという。宮里氏、さすがだ。これまでの魚雷本はほとんどが本と自分の関係について書かれている。それはそれでユニークな視点を持っているが、本書はリアルな実生活がテーマであり、日々さまざまな生きるという難問をくぐりぬけていく、その魚雷哲学とも言うべきその方法論が展開されていて感心させられることしばしば。

ミコーバー派とか割り勘の不条理話も印象に残るが、やっぱり本の話。「「捨てたい病」の研究」。むしょうに物を捨てたい衝動にかられるときがある。誰しも、あるはず。

わたしは古本好きの仲間うちからは、キレイ好きだといわれる。しかし、からだを横向きにしないと部屋を行き来できないような住居に暮らす人たちに褒められても嬉しくない。古本関係以外の知人が、家に遊びにくると、「倉庫みたいだね」と笑われる。
 片づけても片づけても本と紙の資料が減らない。二、三百冊ほど本を売っても、これっぽちもビフォーアフター感を味わえない。

床に積まれた本を手にとり、「もし必要なら、本棚にいれる。それが無理なら売る」と自分にいいきかせる。すると、今、本棚にある本をどれか一冊抜かないといけない。それで迷う。いつまで経っても片づかない。

そうそう、整理ということではこの難関が待っている。

今はなるべく考えないようにしているが、親が暮している乱雑きわまりない田舎の家のことをおもうと気が滅入る。帰省するたびに、「誰が片づけるとおもってんだよ」と文句をいいたくなるのだが、当然、その言葉は今の自分の住まいにも跳ね返ってくる。

みんな通る道だよ……。次に書く本は決まったな、親との付き合い方(魚雷版『シズコさん』!)、これ絶対面白い本になるはずだ。期待してます。

岡崎本はあこがれのアイドルたちの伝記である。井伏鱒二、高田渡、吉田健一、木山捷平、田村隆一、古今亭志ん生、そして書き下ろしの佐野洋子。シブイ渋いアイドルたち。

いずれも、なるべく肩の力を抜いて、風にそよぐままに生きた人たちのように思う。私は、彼らの著作や仕事から多くのことを学んだ。その意味で、井伏鱒二の小説も。高田渡の歌も、田村隆一の詩集も、私にとっては、人生の「実用書」なのである。》(あとがき)

肩の力を抜いてというのは読んでいても感じられる。次のようなくだりは漱石かと思うような名文。

人間なんて、ずいぶん窮屈な動物だと思うことがある。国籍や人種、あるいは身分に縛られ、法律に規制され、お金がなくては生きていけない。服も着なくちゃいけないし、視力が弱るとメガネも必要だ。歯医者にも通ったりして。しかも、長生きだと百歳近くまで生きなければいけない。一説によるとほかの動物なら、犬ネコで十四〜十五歳、ゴリラが三十五歳、キツネが七歳、ハムスターなら三歳、だという。これだけめまぐるしくいろいろなことをこなした上での、人間の百歳は長過ぎる気がする。
 しかし、ときに古今亭志ん生みたいな人が現れて、その窮屈な部分を打ち破ってくれる。いろいろ頭でっかちになって考え過ぎて、自分で作る壁を、最初から作らないというのか、生きる「幅」みたいなものを広げてくれる人だと思うのだ。》(古今亭志ん生

古今亭志ん生は高座で居眠りをしたそうだ。

起こそうとする客に、別の客が「寝かせといてやれ」と声をかけた。喋らないで、寝ている姿だけで客は楽しみ、満足したのだ。》(同前)

眠るといえば高田渡。同じくライブ中に酔っぱらって眠ってしまったことは伝説となっている。ところが本当に岡崎氏がインタビューしている目の前で高田渡は眠ったのだ!

その伝説を目撃できた。かなり酒が進み、言葉が途切れて沈黙したかと思うと、身体が傾き、やがて小さないびきが聞こえ始めたのだ。ライター生活、この時十年目で、何百と取材をこなしてきたが、取材対象が眠ったのは初めて。しかし、うれしかったなあ。》(高田渡)

……すごい、というのかほんとにガンバラナイで生きているのかもしれない。あるいは単なる飲んべえなのかも。飲んべえと言えば、岡崎氏が取り上げている男たちは全員大酒飲みだ。岡崎氏自身も酒を休む日はないという暮らしのようである。また魚雷氏もよく飲んでいるようだ。なんだかんだ理屈をつけてみても、結局、酒こそが、とりあえず、ひととき「のんびり生きる」ための魔法なのではないか。

魚雷本の「あとがき」にこうある。

生活を疎かにすると、気持ちが荒む。かといって、過度にストイックな暮らしは長続きしない。のんびり寛げる環境を作るのは簡単なことではない。
 無理のない快適な生活ーーそれこそが「日常学」の目標だとおもっている。

二冊は似ていると書いたが、岡崎本は日常を逸脱した酒豪伝だ。その意味では対極にある内容とも思えるのである。


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by sumus2013 | 2017-07-30 21:17 | おすすめ本棚 | Comments(2)

石原輝雄●初期写真

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石原輝雄『石原輝雄●初期写真 1966-1972』(銀紙書房、二〇一七年八月二七日)。本書については石原氏のブログをご覧ください。ますます製本の腕を上げておられるのにまず脱帽である。二十五という部数ではもったいない。とは言うものの、手作りでこの厚さ(144頁)となれば、数に限りがあるのも致し方ないのかもしれない。

銀紙書房の新刊『石原輝雄 初期写真 1966-1972』は品切れとなりました。

石原氏の初々しい写真が魅力的。年末恒例、京都写真倶楽部の展示ですでに発表されている写真もあるが、とにかくマン・レイ蒐集家である以前に氏は写真家(写真小僧と言った方がいいかな)であった、ということがはっきり分る。

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上から順に「高校生写真」「名古屋10.21」「SL」「飛行機雲」からそれぞれ一点ずつ選んでみた。名古屋桜山付近の日常風景を切り取った「Halation」シリーズもいい。自らも書いておられるようにまさに「マン・レイ狂い」の原点であろう。

本書には、目玉として、当時、中部学生写真連盟の顧問をしていた山本悍右の文章が二篇収められている。最近、再評価いちじるしい山本悍右の写真論もじつに興味深い。「高校生写真のこと 技術は君たちにとって何か?」より。

カメラは現代の機械時代の生んだ、最も撮った尖端的な機械という名の道具です。道具はそれを生んだ時代と社会に、密接に結びついているのだと言えます。第三の手として使われるであろうカメラは、使われるその時に、ぼくたちと社会を固くつなぐ役目を果すものです。

 技術を知ることによって、写真により以上の期待をかけることが可能になるでしょう。写真を楽しくしなければいけません。毎日の生活を楽しくすることと同じよう。写真を楽しんで使うこと。写真が面白くてしかたがないようにすること、そうすることが、またサークルの意味でもあります。

もう一篇は大学生向け。「闇の中の二枚の証明書」。「ポチョムキン」、ロブグリエ、アラン・レネらを実存主義批判的な観点から論じている。

内部と外的世界との関係を、それが持つ意味を拒絶しあるいは剥奪して現実の前に立つとき表現ギリギリのところで、物体と対決しているのである。必然的にそれはメチエの技術への厳しい反省をともなうだろう。そこから新しいマニエルの反省に結びつくのだろう。このことは単純に、これらの仕事がそれだけで終るのではないかという懸念をもつ。それに対してイヨネスコが答えている「想像は創造である。」という言葉を置いておこう。

この問いかけは、今もって(いや何時の時代にも)有効な、すなわち本質的な問題であろう。どちらのテキストにおいても山本悍右は「技術」というものを重く見ている。これもまた作家の本質的な部分に触れるのではないかと思う。

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by sumus2013 | 2017-07-23 20:11 | おすすめ本棚 | Comments(2)

新訳ステファヌ・マラルメ詩集

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京都に戻って間もなく柏倉康夫『新訳ステファヌ・マラルメ詩集』(私家版、百部限定、二〇一七年六月三〇日)が届いた。すでに紹介したようにキンドル版で読めるとしても、やはり紙の触感やインクの匂いを嗅ぎながら詩行をたどるのはこの上ない喜びである。詳しい内容、入手方法などはウラゲツ☆ブログをどうぞ。

注目新刊:柏倉康夫訳『新訳 ステファヌ・マラルメ詩集』私家版、ほか

そしてまたこれはマラルメ詩集としては異風な体裁である。表紙デザイン・題字は古内都氏。表装の専門家とのこと。表紙の文字を拾い出してググッてみるとどうやら『資治通鑑』(十一世紀の初めに中国で編纂された編年体の歴史書)の「唐紀」のあたりだと見当がついた。たぶんマラルメとは直接の関係はないと思うが、意表を衝いたアイデアである。

これまでも柏倉先生によって翻訳されたマラルメの詩集は何冊も読ませていただいた。非常に明晰かつ明快な訳文で十二分に練れた日本語になっているのだが、そうではあっても、そこに意味を辿ろうとすると、やはり難物である。

「賽の一振り…」

「牧神の午後 田園詩」

それではと、フランス語版(たまたま百円で買ったプレイヤード版マラルメ集を架蔵している)を取り出して併読してみたが、これは普通のフランス語ではなく、まったく歯が立たない。

もう途中からは、意味だとか詩人の作意などは忘れて、単語の連鎖が引き起こす視覚的な連想を楽しもうというふうに態度を変えてみた。すると、それはそれなりに楽しめるのである。ギュスターヴ・モロー(1826-1898)の絵画世界を感じさせる作品も少なくない(十六歳上のモローとマラルメの歿年は同じ)。

あるいは、ブランクーシ。まったく両者の間には関係は認められないと思うのだが(世代も違う)、そう思いつつも結びつけたくなるのが次のソネットの一部。「いくつかのソネット」より「ーー汚れなく、生気にあふれ、美しい今日は」の第三連。

 空間を否定する鳥に空間が科す
 この白い苦悩を伸ばした頸をふって追い払っても、
 羽を捉えられた大地への恐怖は打ち消せない。

これは見事な訳文である。原文はこちら。

 Tout son col secouera cette blanche agonie
 Par l'espace infligé à l'oiseau qui le nie,
 Mais non l'horreur du sol où le plumage est pris.

鳥というのは二連目に出ている白鳥(cygne)。この《空間を否定する鳥に空間が科す》という文言はどうしてもブランクーシの代表的な作品とも言える「空間の鳥 Oiseau dans l'espace」(一九二三年に初めて発表された)を連想させる。下の写真は今回のパリ行で撮影したアトリエ・ブランクーシのワンカット。石膏による「空間の鳥」が立ち並んでいた。

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一九二三年から以後二十年にもわたってブランクーシは「空間の鳥」にこだわり続け、大理石で六体、ブロンズで九体、そして数多くの石膏作を残したのだという(『BRANCUSI』ポンピドゥーでの回顧展図録、ガリマール、一九九五年)。「生涯をかけて飛翔の本質だけを探し求めてきた。飛翔(Le vol)、なんという幸福!」とブランクーシは語っていたとも。

鳥だと言われても鳥とは思えない形である。マラルメが虚無という深い淵を覗き込むようにフランス語を研ぎすませた、のと同じようにブランクーシはその飛翔の本質を磨きに磨いたのではあるまいか。むろんマラルメの意図とブランクーシの考えはまったく違った次元にあるのだろうが、それでも「空間の鳥」のキャプションにマラルメの詩句を添えてみたい誘惑に駆られる。

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by sumus2013 | 2017-07-22 21:18 | おすすめ本棚 | Comments(2)

初期「VIKING」復刻版

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初期『VIKING』の復刻版が出るという話は、昨年、茨木市立中央図書館で「筆に聞いてんか 画遊人・富士正晴」という講演をやらせてもらった日に中尾務さんから聞いていた。どうやらそれが刊行されたらしい。留守中に中尾さんが『初期「VIKING」復刻版 解説/総目次/執筆者索引』(三人社)を送ってくださっていた。深謝です。詳細については下記サイトをご覧頂きたい。それにしても三人社、恐るべき出版社なり。

(株)三人社

海賊たちの破天荒な航海日誌
初期「VIKING」復刻版(1947年〜1953年)

ここに収録されている中尾さんの論考を読み始めて、いきなりこんなところで止ってしまった。

ちなみに、富士は島尾から借りた花田清輝『復興期の精神』ではじめてVIKINGの名を知り誌名としたと回想している(「VIKINGの初めの頃」1967・10『VIKING』202)が、誌名『VIKING』決定の直前に読んだ『復興期の精神』は、富士が義弟・野間宏に依頼、版元の真善美社から送られてきたものである(1947・7・29付野間宛て富士封書。7・31消印富士宛て野間ハガキ)。

真善美社版の花田清輝『復興期の精神』は、つい先日ここで紹介したばかり。ただし我観社版。その第二版が一九四七年二月に真善美社から出た。

花田清輝『復興期の精神』(我観社、一九四六年一〇月五日)

止ってしまった理由はもちろん『復興期の精神』のどこにVIKINGが出ているか捜し始めたからである。目次にはそれらしき名前が見出せない。文章のどこかに登場するのだろうか、これは厄介だ。とにかくそれらしいところをペラペラめくってみる。「楕円幻想」ヴィヨン、「極大・極小」スウィフト、あるいは「汝の欲するところをなせ」アンデルセンか……と思ったが出て来ない。諦め気味にパラパパラっと流していると、コロンブスの文字が見えた、コロンブス=船乗り、これか? と思ったら、出ていました。

アメリカは、ヴァイキングの間では「葡萄の國[ヴインランド]」として、はやくから知られてをり、その最初の発見者は、グリーンランド生れのリーフ・エリクソンだといふので、コロンブスの名聲を眞向から否定しようとする人々がある。》(架空の世界)

かれの空間にたいする愛情は、旋回し、流動する空間、ーー時間化された空間にたいして、そそがれたのではなかつたか。羅針盤は壊れる。しかし、船は、まつしぐらに、虚無のなかを波を蹴つてすすむ。虚無とは何か。檣頭を鳥が掠め、泡だつ潮にのつて、海草が流れてゆく。》(同)

しかし、空間は至る處にある。新しい世界は、至る處にあるのだ。たとへ、それをみいだすために、コロンブスと同樣の「脱出」の過程が必要であるにしても。(同)

うーむ、カッコよすぎる。富士も唸ったに違いない。これなら雑誌名は「コロンブス」の方がよかったかもしれないな、とつまらないことを考えた。しかし、ヴァイキングはコロンブスに先立ってすでに虚無の海図を知悉していた。ならば、やはりヴァイキングに軍配が上がるのか。

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by sumus2013 | 2017-07-17 21:27 | おすすめ本棚 | Comments(0)

星とくらす

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田中美穂『星とくらす』(WAVE出版、二〇一七年六月二四日、ブックデザイン=松田行正+梶原結実、イラスト=木下綾乃)。田中さんの理科三部作完結!

『苔とあるく』(WAVE出版、二〇〇七年)

『亀のひみつ』(WAVE出版、二〇一二年)

星についてはほとんど興味がなかったのだが、この本は非常に分りやすく、お子たちにも読んでもらえるくらい、丁寧に書かれているので、通読すると、ついつい空を見上げて星々の様子を眺めたくなってしまった。いや、正しくは星についての古本を見つけたくなったと言うべきか(笑)。

いかにも古本屋らしいのだが、星に親しむことになった大きなきっかけは、野尻抱影と稲垣足穂だった。どちらも「星の文筆家」といえる存在だろう。
「花が植物学者の専有で無く、また宝玉が鉱物学者の専有で無いように、天上の花であり宝玉である星も天文学者の専有ではありません」。
 星や星座、星座神話などについての数多くの著作による一般の人々への天文学の啓蒙と、星の和名の採集とで知られる野尻抱影が、ごく初めのころに著した『星座巡禮』という本の冒頭でそう述べている。また、この本を愛読していたという稲垣足穂も、「横寺日記」のなかで、「花を愛するために植物学は不要である。昆虫に対してもその通り。天体にあってはいっそうその通りではなかろうか?」と書いていた。どちらも、難解な天文学を前に足がすくんでしまったとき、たびたび口ずさんできた。
 とはいえ、やはり自然界にあるものを眺めるとき、多少なりとも知識はあったほうが楽しい。もちろん、それぞれが、それぞれに無理のない範囲で。そんなことを思いながら、この本を書いた。当初は、ごく個人的な星空のエッセイという形で書きはじめたのだが、やはりいくらかは基礎知識などもあったほうが楽しいだろう、と思い直し、このような本になった。これまでの『苔とあるく』『亀のひみつ』にくらべ、いくぶんエッセイの要素が強くなっているのはそのためだ。》(おわりに)

イラストも分りやすいが、何より星の写真が美しい。例によってカバーの裏面にも写真が印刷されており、本書ではそれが天の川銀河(と思いますが?)、何とも言えずいい感じだ。今それをPCの横の壁に広げて貼付けてある。

星なくしてはわれわれは存在し得ない。地球も太陽も星である。原始の地球に小さな星が衝突して月ができた…というのが最近の定説らしいが、あまりに身近でありながら、それらがじつに遠大な時間や空間を孕んでいることが、まず恐ろしいくらいに不思議だ。人間という極めて極めて小さな存在に何か意味があるのだろうか……。

星というものは、眺めれば眺めるほど、親しみが増してくる。この親しみの感情は、まったくわからないことだらけの星空に対してなのに、ほんとうに不思議なものだなと感じる。そして、こんなふうに、物理的な制約を振り切って、心が軽々と広がっていくことのできる宇宙というものの広大さは、知らないでおくにはもったいない。
 この本が、ふだんより少しだけ目線を上げ、星々に近づくきっかけとなりますように。》(同)

とりあえず、どんなに小さくても存在の一部には違いないのかな、と夜空を見上げて考えた。

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by sumus2013 | 2017-07-14 20:15 | おすすめ本棚 | Comments(0)

触媒のうた

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今村欣史『触媒のうた 宮崎修二朗翁の文学史秘話』(神戸新聞総合出版センター、二〇一七年五月二六日)。面白く読了。出版の経緯などについては著者のブログをご参照いただきたい。

『触媒のうた』と宮崎修二朗翁

宮崎修二朗翁といえば、小生にとっては『神戸文学史夜話』(天秤発行所、一九六四年)の著者として親しい。今架蔵しているのは某氏から頂戴したものだが、二度の転居や数え切れない蔵書処分をくぐりぬけて現在も書棚の一角に収まっている。名著である。

宮崎修二朗『神戸文学史夜話』

その博覧強記の宮崎翁よりさまざまな文学者にまつわる逸話を今村氏は引き出し、さらにその内容を文献および実地調査によって検証した上でまとめられたのが本書ということになる。読者に近い目線から、そのテーマの扱い方も語り口も丁寧で柔らかく、文学そのものにそう深く関心がなくてもつい引き込まれてしまう。

逸話というのは、人があまり語らない事柄で、どちらかといえばマイナス面を示すことが多いわけだが、やはり面白いのは成功よりも失敗(成功者の失敗?)、表より裏だろう。ジャーナリストとして宮崎翁は多くの有名無名の人々の表面も裏面も見てきた、その全部はもちろん語り切れないだろうし、現実問題として語れないことも多かろうが、それでも本書では数々の逸話が披露されている。

例えば竹中郁が原稿料がなかったことに怒った話。宮崎翁は語る。

みんなの前で、『なんでもタダであってはいけない』とおっしゃったんですね。これは当然なんです。けど僕、若かったから、それを人づてに聞いてカーッ! と来てね、もうあいつに会っても二度ともの言わんと心に決め、それから十何年お会いしても知らん顔してました。》(原稿料 I)

竹中らしくない、ような気もするが、これは竹中のプロ意識ということと繋がっているのだろう(本書でもそこはフォローされている)。宮崎翁、けっこうカーッとくるタイプである。

「ぼくは、長崎県の平戸というところのいわゆる三流校の中学校を卒業しました。勉強とはどんなことか誰も教えてくれない野放しで、特に数学はチンプンカンプン。のっけから定理や公理を覚えさせられて、なんでそうなんだ? と聞いても教えてくれない。しつこく聞くもんだからしまいに先生が怒ってしまってね。その教師までも嫌いになってしまい、五年間、テストの時には名前だけ書いて外へ出てました」》(土屋文明の歌)

これは非常に重要な回想である。定理や公理はマル覚えするから利用価値があると思うのだが、それを根問いのように「なんでそうなんだ?」と掘り下げる、納得しないと前に進めない。小生の知人で、茶の作法を習ったとき、所作の一々について「どうしてそうしなければならないのか?」と師匠に問い続けた人がいる。師匠も困ったろうね。何においてもその根源を突き詰めることは深く知るためには必須である。必須ではあっても、それでは仕事が進まないし、ある意味生き難くもあろう。しかしながら何かを成し遂げる人はみなそういう頑固さを持っているに違いない。とにかく、五年間テストをボイコットするなんて誰にでもできることではない。

目下たまたまラジオで柳田國男『故郷七十年』の朗読が放送されている。その名著『故郷七十年』の口述筆記をしたのが宮崎翁だと書かれていて、これにも驚かされた。ところが、それはなかなか難儀な仕事だったらしい。口述筆記の最中に宮崎翁(もちろん若き日の)が言葉を差し挟むと柳田は不快感を露にした。

口述の途中でそのことに触れると露骨に不愉快な顔をされましてね、そっぽを向かれてしまいました。そのようなことが何度もあったんです。ご自分のプライドが少しでも傷つくようなことには敏感に反応して拒否なさいました。まあぼくも当時は生意気でしたし、未熟なそれが顔に出ていたとも思いますがね。》(柳田國男 II)

それだけではない、柳田が触れられたくなかった松岡家の暗部を知ってしまい、決定的に嫌われることになったのだという。暗部がいったい何なのかは本書をご覧あれ。なお柳田の殿様ぶりは佐野眞一『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』(文藝春秋)を読むとよく分る。

暗部と言えば、井伏鱒二の『厄除け詩集』がパクリだったという事実を最初に見つけたのが宮崎翁だったそうだ(!) あの「サヨナラ」ダケガ人生ダ……である。

「昭和60年ごろのことでした。講演で佐用町に行った時にね、ある人から『こんなものがうちにあるのですが』と見せられたのが『臼挽歌』(潜魚庵)という本でした。これを見て驚きました。井伏の『厄除け詩集』とそっくりそのまま拝借の訳詩が並んでいたんですよ」》(厄よけ詩集

宮崎翁は井伏が歿するまで待って、そのコピーを大岡信に送り、寺横武夫(井伏研究家)に送った。これによって厄除け詩集』にタネ本があることが周知の事実となった。なるほどねえ。ただし、漢詩をこのように平易に読み直すことはそう珍しいことでもないように思うし、井伏は『田園記』のなかで種本が存在することを明確に述べているので(むろん本書でも引用されている)これは暗部というほどでもないか。

そういう暗闇を照らす意味でもっとも興味深く読んだのは北山冬一郎のくだりである。『書影でたどる関西の出版100』では熊田司氏がこの詩人を取り上げておられるから、小生もその書影と名前には記憶があった。戦後すぐに詩集『祝婚歌』を出して注目され、そのなかの「ひぐらし」「紫陽花」などに團伊玖磨が曲を付けたことにより、それらは今も歌い継がれているという。ただ作者本人は『小説太宰治』(この本、古茂田守介の装幀とか! 古書価はかなりのもの)の問題などで姿を消し、周辺の人達に迷惑をかけ、いつか忘れ去られてしまった。今もって生死すらハッキリしないらしい。神戸で亡くなったとも。北山冬一郎情報だけでも本書は値打ちものである。

やはり、彼のホントの最後は誰も知らないのだ。
 わたしもこれ以上、彼の戸籍調査はしたくない。幻のままでいいのではないかと思う。
 北山冬一郎は今もどこかの街をかわいいウソをつきながら放浪しているにちがいない。

  日暮れ
  ひぐらし
  ひぐれに哭く
  ひとひ空しく
  むなしく暮れて
  夕焼
  わが掌を
  かなしく染めぬ
  日暮れ
  ひぐらし
  ひぐれに聞く
         (ひぐらし)  》(北山冬一郎 V)

その他、足立巻一、富田砕花についてもかなり詳しく叙述されているし、桑島玄二も登場する。彼らの等身大の姿を彷彿とさせる逸話が貴重この上ないものとなっている。


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by sumus2013 | 2017-07-11 15:47 | おすすめ本棚 | Comments(4)

新編 左川ちか詩集 前奏曲

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『新編 左川ちか詩集 前奏曲』読了。まえがきを全文、はしがきを一部引用する。

ここには、生きている左川ちかの姿がある。
 昭森社の『左川ちか詩集』は、彼女の死後に出版されたものである。『新編 左川ちか詩集 前奏曲』におさめられた詩のほとんどは、彼女がじかに目をとおし、閲したものばかりだ。付録につけた『室樂』については、生前に出版した唯一の本であるが、これにも初出雑誌があり、鏤刻を経て単行本として完成したものの初々しい原形をおさめてある。
 今回、『前奏曲』とつけたのは、昭森社の左川ちか詩集』という金字塔へ結実するという意味あいをふくんでいる。此処には、Overture がある。こゝには、はじまりがある。みじかいがつよく焔のように生きたあかしとして、うたが黒曜石うえに墓碑銘として深々と刻まれている。》(柴門あさを)

今回の新編 左川ちか詩集 前奏曲』においては、昭森社版『左川ちか詩集』や、森開社版左川ちか全詩集』とは、いささか収録内容にちがいがある。それは極力初出での収録をめざしたということだ。》(はしがき)

これは、可能なかぎり「左川ちか」の全詩、全散文、全翻訳のあらゆるヴァリアントまでを雑誌初出で網羅することをめざした『左川ちか資料集成』の製作過程でできたちいさなちいさな副産物にすぎない。》(同)

左川ちか、これまで断片的にしか読んでいなかった。既刊の詩集二冊はちょっと手が出しにくい古書価になってしまっているから、本書は願ってもない出版だ。モダニズムの文法といったものが着々と自分自身の言葉になっていく過程が手に取るように分る。

新編 左川ちか詩集 前奏曲
著 者:左川 ちか
編 纂:紫門 あさを
装 幀:小山力也(乾坤グラフィック)
発 兌:えでぃしおん うみのほし
発 行:東都我刊我書房
予 価:4,000円
刊行:2017年6月30日


付録『室樂』はジョイスの詩集。三十六篇の恋愛詩から成る。初版はエルキン・マシューズ(Elkin Mathews)から一九〇七年五月に出版された。本書付記によれば左川ちかは『室楽』第三版(エゴイストプレス、一九二三年)をテキストとして翻訳を行ったそうだ。参考までに第一の詩の左川訳と原文を掲げておく。


地と空中の弦は美しい音楽をつくり出す。
川のそばの柳の会うところの弦は。

川に沿うて音楽が生まれる。恋人がそこをさまよ
っているので。彼のマントの上の青ざめた花。
彼の髪の上の暗い葉。

総ては静かに弾いている。音楽のする方に頭を
曲げて、そして楽器の上を指がさまよい。


I

Strings in the earth and air
   Make music sweet;
Strings by the river where
   The willows meet.

There's music along the river
   For Love wanders there,
Pale flowers on his mantle,
   Dark leaves on his hair.

All softly playing,
   With head to the music bent,
And fingers straying
   Upon an instrument.


左川訳は原文の行分けを無視して散文に近い形である。左川自身も《原詩の韻を放棄し、比較的正しい散文調たらしめるようにつとめた》と書いている。ここに詩の翻訳の悩ましい問題がある。韻を放棄してしまうと原詩の要素のうちの半分は捨てるようなものである。しかし、ではどうすればいいかというと、どうしようもないのだから仕方がない。全体に左川の苦心がうかがえる訳文である。

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これがエゴイストプレス版『室楽』(The Egoist Press, 1923. "THIRD EDITION.")の書影。次に掲げたのは初版の扉と表紙。初版は上述したように Elkin Mathews、1907 で第二版が同じ版元から一九一八年に出ている。また一九一八年にはアメリカで最初の海賊版(The Cornhill Company)が登場し、二七年にはエゴイストプレス版をそのまま再版した第二版の二刷が Jonathan Cape から出ているようだ。いずれの版も発行部数はかなり少ない。

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『室楽』(Chamber Music)というタイトルはリチャード・エルマン(Richard Ellman、一九四九年のエヴァ・ジョイスとの対話から)によれば、ジョイスがオリヴァー・ゴガーティ(Oliver Gogarty)とともにジェニィ(Jenny)という若い未亡人のもとを訪れたとき、一九〇四年の五月だった、三人は酔っぱらって、ジョイスがこれらの詩のいつくかを大声で読み上げると、やおらジェニィはカーテンの後ろで溲瓶(chamber pot)を使い始めた。ゴガーティは「こりゃ、君に対するジェニィの批評だな!」とつぶやいた。ジョイスが後に弟スタニスラス(Stanislaus)にこの話をすると「そりゃ、いい兆しだ」と言って「室楽」というタイトルを示唆したらしい(以上 wiki より)。Chamber Music というのはジェニィが奏でるうるわしい(?)音色だったということになる。

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by sumus2013 | 2017-07-08 19:37 | おすすめ本棚 | Comments(0)

古本こぼれ話

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高橋輝次『古本こぼれ話〈巻外追記集〉』(書肆艀、二〇一七年六月三〇日)。

先に親しくなった書友、小野原道雄氏から、秋の京都の古本祭りでこの加古川に住む古本の猛者、清水裕也君を紹介してもらった。それ以来、私も時々あちこちの古本展でお会いしては、楽しく古本談義を交わす間柄となっている。

清水氏はこのブログでも紹介した『古本屋にて、』を刊行した青年である。

これを拝見して、私も刺激を受け、自分も小冊子でこんな本が造れないか、と思いつき、まず清水君に相談してみたのである。清水君もそのアイデアに共感してくれた。それからトントン拍子に話が進み、彼自身が私の読みにくい手書き原稿を活字化してくれ、小さな本にしてくれることになったのである。せっかくの機会なので、それまでに書いていた原稿に加筆したり、今度の『編集者の生きた空間』の巻外、"追記"に当るエッセイも四篇、急遽書下ろしてみた。その打合せの時間はなかなか楽しいものであった。文章の中身はともかく、活字の組み方や本の出来栄えには満足しており、清水君の努力にとても感謝している。

新しい展開の本造りとして、高橋ファンとしては絶対入手しておかなければならない一冊になっている。なお、古書善行堂(京都)、たられば書店(茨木)、一〇〇三(神戸)、本は人生のおやつ(大阪)、ますく堂(東京)では店頭販売されているとのこと。直売は下記へ。

頒価600円(送料1冊の場合は140円)

高橋輝次
560-0002 大阪府豊中市緑丘5−2−3
FAX 06−6854−0867

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by sumus2013 | 2017-07-03 18:03 | おすすめ本棚 | Comments(0)

町を歩いて本のなかへ

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南陀楼綾繁『町を歩いて本のなかへ』(原書房、二〇一七年六月三〇日、カバーイラスト=山川直人、ブックデザイン=小沼宏之)。

留守中にいろいろとお送りいただいていたのを、まとめて拝見している。順次紹介して行きたいが、まだしばらくかかります。まずは南陀楼綾繁氏の新刊を。

《本書は、本と町をめぐる日常から生まれたものだ。
 これまでにさまざまな雑誌や媒体に書いた文章で構成している(ブックイベントや町の写真も著者撮影・提供による)。》(一九八〇年代の本と町ーーあとがきにかえて)

《本書は私にとってはじめて、既発表の文章だけで構成する本だ。
 これまで出した本には、私は著者であるとともに、良くも悪くも、編集者の立場から抜けきれなかったように思う。
 それが今回は、原書房の百町研一さんにすべてをゆだねることができた。何を入れて何を落とすかの判断も、百町さんにお任せした。
 ふり返ってみれば、私はずっと「編集者の影が見える本」が好きだった。》(同前)

本書は岡崎氏の『気がついたらいつも本ばかり読んでいた』(原書房)の姉妹本と言っていいだろう。《相当な売れっ子でないと雑多な文章を集めた本を出すのは難しい》とも南陀楼氏は書いているが、そういう意味では、この二人は、本の本の世界では、実際相当な売れっ子なのかもしれない。テイストは多少違っても本や古本を求めて日本中を歩く、その姿勢は共通している。そこに共感する厚いファン層が形成されている、に違いない。

南陀楼氏が『文藝別冊花森安治』に書いた文章を読み直して、どうして花森トークの前にこれに目を通しておかなかったのか、と悔やんだ。松江高校時代の詳しい記述を援用できたはずなのに、残念。例えばこんなところ。

《花森が二年のとき、雑誌編集と並ぶ大きな出会いがあった。出水春三教授の英語の授業で、カーライルの『衣服哲学』を読んだ。出水は「すばらしい語学力で、教室でも水の流れるような名訳ぶり。生徒が試験の答案にぎこちない直訳でも書こうものなら、一度に欠点をつけた」(朝日新聞松江支局『旧制松高校物語』今井書店、一九六八)。この授業で、花森はカーライルの難解な文章を出水の使う言葉をまねして訳したという(酒井寛『花森安治の仕事』朝日文庫、一九九二)。花森は東京帝大の文学部美学美術史学科に入り、卒業論文で「社会学的美学の立場から見た衣粧」を書くことになる。
 編集者としても、衣裳評論家としても、その萌芽は、松江高校時代になったのだと云える。》

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出水春三は花森が編集を手がけた『校友会雑誌』にも寄稿している。英語教師ということは検索して分ったのだが、こういう俊才だったのか。つぎのトークでは必ず補足したい・・・(予定はありませんが)。

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「やっと完成『花森安治装釘集成』」(初出は『山陰中央新報』二〇一六年一二月九日)という文章も収録。これは読んでいなかった。《ちょっと高いが、手元に置いて長く楽しんでもらえる本になったと信じている。》と書いてくれている。まさにその通りだし、長く楽しめればそう高い買い物でもなくなるのだ。みなさま、よろしく。

本書もまたナンダロウ式ブックライフの記録として長く楽しめる本になっている。



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by sumus2013 | 2017-07-02 17:33 | おすすめ本棚 | Comments(2)

追悼・志賀英夫

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ひと月以上前に『菱』197号(詩誌「菱」の会、二〇一七年四月一日)を頂戴し紹介しようと思いながら今日になってしまった。手皮小四郎氏が寄稿しておられる「追悼・志賀英夫(大阪『柵』)」に驚いた。手皮氏は昨年の十二月三十日に『柵』の志賀英夫氏の訃を告げるメールを受け取られたとのこと。同日午前一時頃死去。告別式は一月四日。

手皮氏は荘原照子を探求する過程で志賀氏に多くの詩人を紹介してもらったという。

志賀英夫周縁の詩人たちとの邂逅がもたらしたものは大きかったが、それと共に特筆すべきは志賀さん自身の手になる編著書だった。氏のライブワークの結晶ともいえる刊行書に『戦前の詩誌・半世紀の年譜』『戦後詩誌の系譜』などがある。
 明治の世からこの方、わが国にどれほどの詩誌が生まれ消えていったか、それはどんな顔をした表紙であり、いつ創刊されたのか。発行所は何処で、編集者は誰だったか。同人、執筆者名は…。そして現在その詩誌は何処にあるのか、誰が持っているのか!
 およそ思うだけでも鬱陶しく、煩わしさの極みであるこの作業を、終生の仕事として自分に課したのが志賀英夫だった。

まあ、世の中にはそのような作業を鬱陶しく、煩わしいと感じない、いや快楽とする人も多勢いるように思うが、志賀氏のその一人だったようだ。

志賀英夫は大正十四年(一九二五)京都府の生れで、兵役も経験している。『柵』の創刊は終戦直後の昭和二一年二月と古く、誌名は当初『草原』だったが、七号から『柵』と改題した。もっとも詩誌発行のスタートは戦中に遡り、昭和十八年十八歳の歳に『若草』などの投稿仲間を誘い『草径[くさこみち]を出している。つまり氏が発行する誌名は『草径』『草原』『柵』と変遷したのである。
 井上靖なども参加した第一次『柵』は昭和二十四年一月に十四号をもって休刊、以後三十七年という長い空白を経て、月刊詩誌・第二次『柵』として復刊(昭和六十一年十二月)した。

第二次『柵』は二十七年間欠号なしに月刊を守り、平成二十五年(二〇一三)二月、三一五号をもって終刊した。

終刊後すぐ「柵通信」を二号発行し、同年十月には季刊詩誌・第三次『柵』をスタートさせた。そして三年目の夏の十二号が長い来歴を持つ『柵』の終刊号となった。『柵』の編集後記は「身辺雑記」といったが、最終号のその最後の一行は、「柵を刊行するのが、私の生き甲斐です」だった。

小生はこれまで『柵』にはほとんど触れていないが、桑島玄二の寄稿がある号に関して取り上げたことがある。検索してみるとかつての『乾河』も志賀氏の制作だった。改めて詩誌の世界に大きな足跡を残した方だと思う。


『柵』復刊第四号

『乾河』62 ED・制作=志賀英夫・詩画工房


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by sumus2013 | 2017-05-17 20:27 | おすすめ本棚 | Comments(2)