林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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「高橋麻帆書店」という古書店

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高橋麻帆『「高橋麻帆書店」という古書店』(龜鳴屋、二〇一七年六月一日)読了。タテ135ミリという掌サイズ。函入。そして本文が綴じられていない、というところがミソである。この冒険的な造本のアイデアについては図版解説のなかで触れられている。

ドイツのシュトゥルムの植物図鑑ほど、手元に置きたくなる愛らしいものが他にあるでしょうか。実は、私が今書いているこの本は、龜鳴屋さんがシュトゥルム本をもとにオマージュとして作りました。

本文は、紙が数枚ずつ折られただけの状態、図版部に一枚一枚バラバラです。驚くべきは、本文は単に折られただけなのに、ページをめくるのに苦労なくそのまま読むことが出来るのです。

詳しくは本書を直接読んでいただきたいが、たしかに開きやすく読みやすいと言えよう。ただ、バラバラになると順番通りに戻すのがちょっと難儀なんだけれど……まあ冒険に危険はつきものです。


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高橋麻帆さんがどういう方なのか、むろん本書を読んでいただければすぐに分るのだが、ここでは巻末の略歴をかいつまんで紹介しておく。

高橋麻帆 たかはし・まほ
1978年京都の田舎京北生れ(当時はヒッピーコミューン)。山国小学校、周山中学校、地元の高校を卒業し、京都府立大学へ。夏休みミュンヘンで初めて古書籍商の方(塩見文蔵氏)に出会い、その深い知識に感動。就職なんて考えたこともなく、京都大学文学部の院へ進学。

骨董屋でのアルバイトの日々、骨董商・坂田房之助との出会い、ベルリン留学、レコード蒐集家マーク・フォレストとの出会い、下鴨葵書房でバイト、竹内次男(京都工芸繊維大学美術工芸資料館)に資料整理を教わる。至成堂書店パートタイマー勤務、

本についての論文「壁の白とページの白ーウィーン分離派館と『ヴェル・サクルム』」でオーストリア学会賞受賞。学位取得。金沢人と結婚して金沢へ。夫の転勤について東京へ。神保町田村書店修行。金沢にて古書籍商として開業。

いや、なかなかの経歴です。本書の内容もこの記述に背かないしっかりしたものでいろいろな面でとくに北方に無知な小生としては教えられる事が多かった。デザイン的な部分で言うと、日本の装幀におけるパクリの元ネタが何点か指摘されていて殊に興を覚えた。

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【本書図版】


上の春陽堂文庫とレクラムの類似は古書好きなら周知の事実だろうが、次のアテネ文庫の模様がインゼルから来ているとは、小生は、知らなかった。

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【本書図版】
上段左端は『ゲエテ作自傳劇作ファウスト評論』(北文館、一九五一)
上段中、右はインゼル文庫
下段左はインゼル文庫、右はアテネ文庫


なるほど! 捜し出してみると、たしかに小生が架蔵するアテネ文庫は本書に掲げられているインゼル文庫42(『タルタランのタラスコン』[引用者註;原著は『タラスコンのタルタラン Tartarin de Tarascon』])にほぼそっくり。

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これらに限らず昔は海外の書物に接する読者がきわめて少数だったためか、そのままそっくりいただきの表紙デザインというのをしばしば見かける。白水社にもフランス書から引っ張って来た図案がけっこう多い(戦前ですよ、もちろん)。以前紹介したのはアテネ文庫と同じ弘文堂書房の世界文庫。

フランソワ・ヴィヨン『大遺言書』

他にもこういった例はいくらでもあるだろう。パクリ集を本にしたら面白いかも。そうそう、ついでというか、ウィーン分離派つながりでひとつ付け加えておく。つい最近、水沢勉氏のFBで紹介されていた『青鞜』(一九一一年九月創刊)表紙の元ネタ。ウィーン分離派の画家ヨーゼフ・エンゲルハルトの図案(下の左)。デザインを担当した長沼智恵子はそれをモノクロの単純な線でうまく模倣している。表紙画としては印刷効果も含めなかなかいい仕事だとは思うが、絵柄としてはもうひと捻りしてもよかったか。

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高橋麻帆書店

龜鳴屋

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by sumus2013 | 2017-09-15 21:41 | おすすめ本棚 | Comments(0)

遅れ時計の詩人

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涸沢純平『編集工房ノア著者追悼記 遅れ時計の詩人』(編集工房ノア、二〇一七年九月二八日、装幀=森本良成)読了。編集工房ノアの社主による随筆集なのだが、副題通りほとんどは氏と親しかった詩人たちの追悼記である。これはもう涸沢さんでなければ書けない貴重なそして見事な惜別文集であろう。

亡き東秀三さんに、「ボクちゃん」と言われた私が、東秀三さん、港野喜代子さんの六十二歳をはるか越え、児島輝正さん六十七歳、桑島玄二さん六十八歳も過ぎ、清水正一さん七十一歳、足立巻一さんの七十二歳を目前にして、不思議な気持でいます。
 実は、本書は、還暦の時、まとめたのですが、出版の決心がつかず、校正刷のままほこりをかぶっていました。この年になり、思い切ることにしました。出版には勇気のいることを知りました。略年史が二〇〇六年までなのはそのためです。》(あとがき)

ここに名前の挙がっていない黒瀬勝巳、そしてノアにとっては別格の神のごとき天野忠について書かれた文章も素晴らしい。これを十年も寝かせて置くとは何とももったいない、というかいかにも涸沢さんらしいペースである。

幾篇かは『海鳴り』誌上ですでに読んだ覚えがある。しかし、改めて単行本という形で、ひとつの流れのなかで読ませてもらうと、そこには自ずと編集工房ノアを取り巻く世界(大阪の梅田にほど近い「中津」という土地にノアの事務所はある)が彷彿とされるのである。そしてまた氏のルーツ、「海鳴り」という言葉への涸沢さんのこだわりについても腑に落ちた。他者について書くということはひっきょう角度を変えた自伝である。

涸沢さんとは、もう隨分前からの付き合いで、どういう具合に知り合ったのかは忘れてしまったが、装幀に拙作の油絵を使いたいと申し出てくれたあたりが最初の親しい交わりではなかったかと思う。それが澤井繁男『旅道』(一九九三年二月一日発行)だから、話があったのはその前年あたりのことになるのだろう。その後も次々と装幀を任せてもらった時期もあったが、初期は粟津謙太郎氏、近年はほとんど森本良成氏が担当されている(久々に依頼があったのが山田稔『天野さんの傘』)。また『ARE』に連載していた喫茶店の抜書きを「面白い」と言って単行本にまとめることを提案してくれたのも氏であった。なかなか難産ではあったが(その理由が本書を読んでいて分った)、それが『喫茶店の時代』となって結実したのは何より有り難いことであった(賞まで頂戴したし)。

本書が公にされて個人的に特別嬉しいのは桑島玄二の回想が収められていることである。これで桑島も忘れられない詩人として残るであろう。その詩碑を訪れる物好きな人たちが現れることを期待している。

純粋に面白いと思って唸ったのは「移転顛末記」である。編集工房ノアは、一九八六年末、創業時に入ったビルから立ち退きを迫られた。地上げの波に呑まれたかっこうである。仕方なく中津の路地に一軒家を見つけて移転した。ところが、そこにはとんでもない状況が待ち受けていた……ぜひ読んでいただきたい。

本書はいずれ続編も期待できると思う。涸沢さんのことだから米寿あたりかもしれないが。

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by sumus2013 | 2017-09-14 08:44 | おすすめ本棚 | Comments(0)

埴原一亟 古本小説集

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山本善行撰『埴原一亟 古本小説集』(夏葉社、二〇一七年八月三〇日)読了。とにかく面白い(文字通り素直に面白い)小説集だった。

私小説のようにも読もうと思えば読めるが、小生の受けた感じでは私小説ではない。作者自身が古本屋をやっていたこともあり(昭和十一年、武蔵野線東長崎駅前通りに古本屋「一千社」開店)、屑屋の世界にも精通していたわけだが、それはあくまで熟知した素材であって、物語そのものはほぼフィクションではないだろうか。

本書のなかで完成度の高いのは「翌檜(あすなろう)」である。ハラハラさせられるのは「生活の出発」で、これは高利貸しの風俗記録としても意義ある作品かと思う。個人的には「かまきりの歌」を興味深く読んだ。一膳めし屋で顔をあわせる浪人中の中学生と初老の男性が仲良くなり、その謎めいた男性の過去が暴かれて行く……と、もうすこし具体的に紹介したいけれど、面白味が半減してしまってもいけないのでここでは詳しく述べない(ぜひ本書で一読を)。そういう意味で「かまきりの歌」はある種の文学ミステリーと呼んでもいいかもしれない。

芥川賞の候補に三度なっていずれも受賞を逃したという。どうして三度も受賞を逃したのか。山本氏の解説によればこういう選評があった。「店員」(デパート勤めから題材を取った作品、本書には収められていない)について。

佐藤春夫が、決して凡作ではないが一抹の自然主義的臭味のなごりがあるという意味のことを述べ、宇野浩二は、面白い所を摑んでいて巧みなところはあるが調子が低いと書いている。私は、その自然主義的臭味が良いと思ったのだが。調子が低いと言われると、一亟の小説全体の特徴かも知れず、さすがに宇野浩二らしい見方だと感心するが、調子が低い小説がすべて悪いということもないだろう。

撰者の気持ちはよく分るが、さすがに宇野浩二だ。洲之内徹の小説を「自分だけを大切にしすぎる」と評しただけのことはある。「調子が低い」というのは芥川賞には向かないというような意味だろうかとも思える。作風というか作柄の方はかなり調子が高いように思う、だから読者は面白く読まされるのである。登場人物などの描き方がときおりつげ義春の漫画を連想させる。ひょっとして、つげは埴原を読んでいた?

ところで作者の名前は「はにはら・いちじょう」と読むそうだが、「亟」の読みは手許の辞書には「キョク、ケキ」(職の去声)か「キ」(寘の入声)としか記されていない。意味は「すみやかに、すみやか、いそがしい」あるいは「度を重ねる、たびたび、しばしば」である。文字としては古く『詩経』や『論語』にも出ているようだ。

ただし『字統』によると、金文まで遡れば「亟」に「速やか」の意味はなく《二は上下の間が狭く、迫窄する空間であることを示し、そこに人を押し入れて、その前には祝禱の器をおき、後ろから手を加えてこれを殴ちこらしめる意》、殛(キョク、ころす)とも呼ばれる処刑法であったそうだ。これは「局」(身を屈している形、屈肢葬)にも通じている。また遠方へ追放することもあって、その地を極という。それが極限であり、そこから「最上」の意に用いられることとなり「速やか」へと発展する。

撰者解説」にも一亟が本名かどうかということについては言及されていないが、言及されていないなら本名と考えていいのだろう。明治四十年十月五日山梨県北巨摩郡白州町に生まれている(現在はウィスキー「白州」の蒸留所がある町として知られる)。父は代書人であったらしい。漢学の先生などだと、難読の漢字を息子の名前に使うという例はしばしばあることだ(読めない文字を名前に使うというのは呪詛を避けるための手段)。「じょう」という読みの典拠があるのか、ないのか、気になるところ。

さっそく読者の方より御教示いただいた。「」の異体字である、と。検索してみると「亟(=丞)」は戸籍統一文字になっている。深謝です。丞は坎中にある人を、左右から引き上げて拯[すく]う形》(字統)。

u4e1e (国際符号化文字集合・ユニコード統合漢字 U+4E1E「丞」) (@2)

撰者はこう書く。

評価の定まった古典ともいうべき作品を読む楽しみはもちろん大きいのだけれど、あまり知られていない作家の良さを発見し、次々と作品を読んでいくのもまた楽しいものだ。埴原一亟は、私にとってまさしくそのような作家で、何作か読み進むうちに、これはもっとたくさんの人に読んでもらいたい書き手だと思うようになった。

まったく同感である。

『埴原一亟 古本小説集』夏葉社

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by sumus2013 | 2017-08-28 21:54 | おすすめ本棚 | Comments(0)

詩ぃちゃん

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『詩ぃちゃん』(大阿久佳乃、二〇一七年八月一二日)。昨日、ちょっとだけ立ち寄った善行堂で「お客さんがつくったんやけど」と見せられたフリペ。葉書大、中綴じ二十頁。作者はまだ高校生だそうだ。まだ、は失礼かもしれない。スポーツ界では十代が世界的に活躍している時代だし、「十七歳にもなれば、真面目なんかじゃいられない」と十六歳で吼えていたランボー君もいることだし。実際、この冊子はよくできている。『詩ぃちゃん』というタイトル、これが、まず、われわれロートルには思い浮かばない、すてきな語感ではないか!

みんな(同級生、即ち高校生)どうして詩を読まないのだろう。考えて、浮かんだのは、いま、十代にとって、詩の扉がとてもちいさくて、少ないということです。その中は壮大な宇宙であるというのに。思い返してみれば、家族の読んでいる本は実用書中心。小学校からずっと、先生が薦めたり、図書館のおすすめコーナーにあったりするのは評論と小説でした。つまりここまで、詩を視野に入れようとしなければ、入らない状況にあったわけです。興味はおろか、詩の本を読むという発想がなくなるのもうなずけます。
 だから、まず、詩の扉をひとつでも増やしたい。ここでは高校生の状況中心に書きましたが、どの年代でも、小説・新書の読者よりも詩の読者が少ないのは事実でしょう。それでも詩は誰に向っても開けています。ぜひ、一度覗き見してほしい。そんな思いでこのフリーペーパーを発行します。》(はじめに)

なかなかしっかりした文体である(これもちょっと上から目線の感想です)。以下、引用されている詩人はと言えば、高田敏子、ヴェルレーヌ、大手拓次、八木重吉、山之口獏、萩原朔太郎、木下杢太郎。詩へのアプローチ第一歩としてアンソロジーから入ることを勧めるあたり、ストレート勝負という感じでいい。

個人的には、文学としての詩に無関心な若人たちに対して詩を説くとすれば、Jポップの歌詞あたりから入るのがいいような気もする。例えば漢詩が隆盛したのもそもそもは唐の時代に歌謡として流行したからで、そういった意味で、詩は歌ともっともねんごろな関係にあるようだから、詩集を読むだけが詩への入門ではないのかな、と思ったりする。谷川さんの「鉄腕アトム」とか知らない人はいないし(これはやや世代的偏見かな)。まあ、作者の意図はそういうところにはないのかもしれないが。


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本書に引用されている木下杢太郎「珈琲」…これは『食後の唄』(大正八年)に収められている。《酒宴のあと》とあるからメイゾン鴻ノ巣での情景かと思う。【喫茶店の時代】

メイゾン鴻ノ巣


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by sumus2013 | 2017-08-18 22:04 | おすすめ本棚 | Comments(0)

檸檬

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梶井基次郎『檸檬』(発行者=折原カズヒロ、二〇一七年八月四日、装画=日野洋子、装丁=石間淳、本体造本=石間淳)。これは「梶井基次郎「檸檬」装丁展」(OPA gallery)において企画制作された一冊である。日野洋子さんの装幀になる。「檸檬」の他に「愛撫」「桜の樹の下には」「冬の蠅」「ある崖上の感情」が収められている。合計八組の装幀グループ(デザイナー+イラストレーター)がそれらの作品を思い思いの意匠で飾った。

梶井基次郎「檸檬」装丁展
2017年8月4日(金)ー 8月9日(水)
OPA gallery


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本体造本は共通して石間淳作。アンカットかと思いきや、カットされていない内側は全頁レモン色、いや、これには感服した。レモンっぽい雰囲気を十二分に出している。

本ブログでは『檸檬』については何度か言及しているので今日は何も書かないが、

梶井基次郎『檸檬』(武蔵野書院、一九三一年)

「「檸檬」を挿話とする断片」

今、本書をあちこち拾い読んでいるとつぎのようなくだりが目に留まった。「ある崖上の感情」より。ある蒸し暑い夏の宵、山ノ手のとあるカフエで二人の青年が話をしている。

あっはっは。いや、僕はさっきその崖の上から僕の部屋の窓が見えると言ったでしょう。僕の窓は崖の近くにあって、僕の部屋からはもう崖ばかりしか見えないんです。僕はよくそこから崖路を通る人を注意して見ているんですが、元来めったに人の通らない路で、通る人があったって、全く僕みたいにそこでながい間町を見ているというような人は決してありません。実際僕みたいな男はよくよくの閑人なんだ」
「ちょっと君、そのレコード止してくれない」聴き手の方の青年はウエイトレスがまたかけはじめた「キャラバン」の方を向いてそう言った。
「僕はあのジャッズというやつが大嫌いなんだ。厭だと思い出すととても堪らない」
 黙ってウエイトレスは蓄音器をとめた。

「キャラバン」! 先日ここに書いた映画「セッション」でこの「キャラバン」がなかなか重要な役割を担っていたので、梶井の時代にも山ノ手のカフェで鳴っていたのか……と思ってちょっと感慨をもよおした(?)。

Duke Ellington - Caravan

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by sumus2013 | 2017-08-09 20:45 | おすすめ本棚 | Comments(0)

暗黒街の群狼

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ジェームズ・バーナード・ハリス『暗黒街の群狼』挿絵=伊勢田邦彦(書肆盛林堂、二〇一七年八月二一日、表紙デザイン=小山力也)が届いた。ハリスについてはとにかくウィキを。

J・B・ハリス(James Bernard Harris、日本名:平柳秀夫(ひらやなぎ ひでお)、1916年 - 2004年8月16日)は、日本の英語教育者、旺文社元役員。/作家・ラジオパーソナリティのロバート・ハリスは息子。/兵庫県出身で、新聞特派員だったウェールズ系イギリス人の父と、日本人の母との間に生まれた。》(ウィキ)

父を早く亡くしたため苦学したそうで第二次大戦にも日本兵として従軍した。戦後は旺文社の経営に関わる一方、『大学受験ラジオ講座」(1952-95)、「百万人の英語」(1958-92、ハイドンの交響曲101「時計」が番組テーマに使われている、そう言われれば覚えがあるような)の講師を永年務めた。その一方で昭和二十年代には多数の児童向け読み物を執筆していたのだ。それらは英語で書かれ、瀧口直太郎、窪川泰子、志賀政喜らが訳しているとのこと。

橘外男の『双面の舞姫』の挿絵でも知られる伊勢田邦彦との渾身の合作『暗黒街の群狼』第一部をあますところなくみなさんに伝えるために、総天然色[カラー]で(といっても、ほとんど二色ですが)、完全紙面覆刻することにしました。
 本作にかぎっていうと、伊勢田邦彦の絵物語作家としての技量は、永松健夫や小松崎茂、山川惣治の絵物語に勝るとも劣らないくらい渾身の力をもって、シビれっぱなしのイケてる超弩級娯楽作品に仕上げています。》(善渡彌宗衛「ジェームズ・B・ハリスは、日本男児」本書所収)

伊勢田邦彦については大貫伸樹さんのブログが詳しい。展覧会も開かれていたのだ。

【Pinterest】伊勢田邦彦の世界

挿絵画家・伊勢田邦彦のタイポグラフィー

これが伊勢田邦彦の挿絵界デビュー作か?

挿絵画家・伊勢田邦貴宅訪問

伊勢田邦彦展&粋美挿画展


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ご覧のように絵と文が紙面上で切結ぶというのか、絵物語の醍醐味を堪能できる内容である。とくに毎頁のように大胆なレイアウトを繰り広げる伊勢田のタッチに苦心がうかがえる。絵柄そのものも日本人離れしているというのか、戦前の探偵小説挿絵の余香を濃く残しながら、それらよりもダイナミックで、アプレゲール的なカッコ良さにあふれている。本文にさっくりとしたマット紙を使ったのも昭和二十年代の雰囲気をうまく出して成功しているように思う。

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by sumus2013 | 2017-08-08 21:07 | おすすめ本棚 | Comments(0)

いただきもの

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『シグナレス』第貳拾参号(蒼幻舎、二〇一七年六月三一日、表紙・デザイン=irori)特集;作家の人生相談

『よくがある』139(さとうなお、二〇一七年八月号)



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『apied』vol.29(アピエ、二〇一七年六月二〇日、表紙装画=山下陽子)
 THEME:夢野久作



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『gui』111号(株式会社ドゥカム、二〇一七年八月一日、表紙=高橋昭八郎)



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【古書目録】『MATATABIDO』17号(股旅堂、二〇一七年六月)
 巻頭小特集:原比露志



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【古書目録】『風船舎古書目録』13号(風船舎、二〇一七年六月)
 特集:都会交響楽

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by sumus2013 | 2017-08-04 20:33 | おすすめ本棚 | Comments(0)

旅する巨人2

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渋沢敬三をただのパトロンだったように書いてしまったが、そうではなく、彼も民俗学者として重要な著作を数多く著している。上の写真は『宮本常一コレクションガイド』に掲載されている宮本常一旧蔵の渋沢敬三著作ひと揃い。『日本魚名集覧』『祭魚洞雑録』『豆州内捕漁民史料』『日本釣魚技術史小考』『日本魚名の研究』。《特に水産史研究、民具研究、塩業研究は、渋沢のライフワークであり、その研究姿勢、豊かな構想力と実行力に宮本も多大な影響を受けた。》(図版キャプション)

宮本常一と武蔵野美術大学の関係を拾っておく。昭和三十八年、早稲田大学教授で武蔵美の評議員でもあった武田良三から武蔵美に勤めてみないかと声がかかった。武田とは昭和二十七年の能登調査で知り合っており、宮本に学位を取ることを勧めた。それまでも大学奉職の誘いはあったようだが、渋沢敬三が許可しなかった。アカデミズムの垢にまみれさせたくなかったのだという。しかし武蔵美の話が来たときには「いいだろう」と首を縦にふった。渋沢は自らの死期を感じ、自分の死後の宮本を案じたのである。それから間もなく同年十月二十五日に渋沢は歿した

三十九年四月に非常勤教授になり昭和四十年四月から教授。昭和五十二年三月に退職している。五月に名誉教授を授与された。小生が入学したのが四十九年四月である。当時のノート類などは郷里に置いてあるので今はっきり思い出せないが、とにかく一年間、宮本先生の「民俗学」の講義を受けた。たしか七号館の大講義室だった。ここは当時ムサビでもっとも広い講義室だったと思う。

何年か前にその頃のノートブックを見つけて書棚に差してあったのだが、引っ越しのときにどこかへ移動させたか直ぐに見つからない。毎回休まず出席しているわけでもなかったけれど、講義の概要は分るくらいの内容はあったように覚えている。瀬戸内海の話が中心だったようにも思うが、ひとつだけハッキリ記憶しているのは、宮本常一という名前についてである。

父は常に一番になれと付けてくれた。けれども、わたしは人間は常に一人だ、と理解している。

だいたいこのようなことを宮本先生は学生たちの前でしゃべった。かっこいいと思った(だから忘れられないのだが)。ただ、この話は『旅する巨人』では採用されていない。宮本の父善十郎は明治六年生れ。祖父市五郎の代に火事を出して没落したため善十郎は小学校にあげてもらえず、村の綿屋、塩の行商、染物屋の奉公などをした後、オーストラリア・フィジー島へ渡り甘蔗栽培人夫として働いた。しかし疫病のため一年足らずで引き上げる。その後はずっと郷里で農業に携わり養蚕や果樹栽培の指導もしたという。

その父が、大正十二年四月十八日、常一が大阪へ出るとき、これだけは忘れぬようにせよと取らせた十カ条のメモというのが素晴らしい。常一十六歳、父は五十である。以下部分的に引用する。

1 汽車に乗ったら窓から外をよく見よ。
2 村でも町でも新しく訪ねていったところは必ず高いところへ登ってみよ。
3 金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。
4 時間のゆとりがあったらできるだけ歩くことだ。
5 金というものは儲けるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのがむずかしい。
6 三十歳まではおまえを勘当したつもりでいる。しかし三十をすぎたら親のあることを思い出せ。
7 自分で解決のできないようなことがあったら、郷里へ戻って来い。
8 これから先は子が親に孝行する時代ではない。親が孝行する時代だ。
9 自分でよいと思ったことはやってみよ。
10 人の見のこしたものを見るようにせよ。そのなかにいつも大事なものがあるはずだ。

父の忠告はその後の常一に大きな指針となった。10番目は渋沢敬三の忠告とまったく同じであることに驚く。……このくだりを読んで思ったのだが、こんなに解明なお父さんが「常に一番になれ」というような名前をつけるだろうか? どうも宮本先生のフィクションなのではないか……などと今になっていきなり邪推しているしまつ。

宮本が大阪へ出て入ったのは逓信講習所だった。養成期間は一年。卒業後各地の郵便局に配属されることを条件に、授業料、食費、寮費とも免除された。大阪の逓信講習所は桜宮にあったそうだ。木造二階建ての校舎が三棟、淀川の葦原にそって建てられていた。

このくだりも印象深い。というのは先年亡くなった義父がやはり大阪の逓信講習所を出ている。昭和三年生れで年齢を一歳ごまかしたと言っていたから昭和十八年に入所した。一年後に卒業し、満州からモンゴル国境へ送られたと聞いた。敗戦間近である。現地で肺結核にかかりそれでも命からがら帰国した。要するに、もし、年齢をいつわらなければ義父の人生はまったく違ったものになっていた。

宮本の方は高麗橋郵便局へ配属された。しかし通信係の待遇は酷いものだった。同僚たちが結核でバタバタ倒れたため、このままでは自分も危ないと思った宮本は天王寺師範学校二部へ入学して教師の道へ進むことになる。

時代は二十年ほどもへだたっているが、宮本と義父の人生が逓信講習所への入所をきっかけに大きく歪んだことは確かである。この事実を知っただけでも本書を読んだ価値はあった。なお、同所は無料だけに定員百人のところ千人以上の受験生が詰めかけたという。

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by sumus2013 | 2017-08-03 20:56 | おすすめ本棚 | Comments(2)

日常学事始・人生散歩術

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荻原魚雷『日常学事始』(本の雑誌社、二〇一七年七月一四日、カバーイラスト=山川直人、デザイン=戸塚泰雄)そして岡崎武志『人生散歩術』(芸術新聞社、二〇一七年七月二五日、デザイン=美柑和俊+中田薫)を読了。

二冊はなんだかよく似ている。まず、見た目。どちらも漢字五文字のタイトルである(ちなみにどちらの版元も五文字で神田にある)。どちらも並装でカバー・帯が二色刷りである。マットな上質紙を使っている(光沢紙ではなくコーティングもない)。どちらもカバーに人物イラストがある(表紙にもイラストがある)。装幀や装丁ではなくデザインという言葉を使っているのも共通だ。

そしてコンセプトも似ている、というか同じだな、これは。

お金はないけど、無理せずのんびり生きていく
こんなガンバラナイ生き方もある

そして、そして、何より、どちらもWEB上で連載された文章をまとめたものなのである。

ということで刊行日の早い魚雷本から紹介するが、これは間違いなく魚雷本のなかのベストじゃないか。編集者の宮里潤氏が「洗濯ネットみたいな話を書いてみませんか」と提案したことがそもそもの発端だという。宮里氏、さすがだ。これまでの魚雷本はほとんどが本と自分の関係について書かれている。それはそれでユニークな視点を持っているが、本書はリアルな実生活がテーマであり、日々さまざまな生きるという難問をくぐりぬけていく、その魚雷哲学とも言うべきその方法論が展開されていて感心させられることしばしば。

ミコーバー派とか割り勘の不条理話も印象に残るが、やっぱり本の話。「「捨てたい病」の研究」。むしょうに物を捨てたい衝動にかられるときがある。誰しも、あるはず。

わたしは古本好きの仲間うちからは、キレイ好きだといわれる。しかし、からだを横向きにしないと部屋を行き来できないような住居に暮らす人たちに褒められても嬉しくない。古本関係以外の知人が、家に遊びにくると、「倉庫みたいだね」と笑われる。
 片づけても片づけても本と紙の資料が減らない。二、三百冊ほど本を売っても、これっぽちもビフォーアフター感を味わえない。

床に積まれた本を手にとり、「もし必要なら、本棚にいれる。それが無理なら売る」と自分にいいきかせる。すると、今、本棚にある本をどれか一冊抜かないといけない。それで迷う。いつまで経っても片づかない。

そうそう、整理ということではこの難関が待っている。

今はなるべく考えないようにしているが、親が暮している乱雑きわまりない田舎の家のことをおもうと気が滅入る。帰省するたびに、「誰が片づけるとおもってんだよ」と文句をいいたくなるのだが、当然、その言葉は今の自分の住まいにも跳ね返ってくる。

みんな通る道だよ……。次に書く本は決まったな、親との付き合い方(魚雷版『シズコさん』!)、これ絶対面白い本になるはずだ。期待してます。

岡崎本はあこがれのアイドルたちの伝記である。井伏鱒二、高田渡、吉田健一、木山捷平、田村隆一、古今亭志ん生、そして書き下ろしの佐野洋子。シブイ渋いアイドルたち。

いずれも、なるべく肩の力を抜いて、風にそよぐままに生きた人たちのように思う。私は、彼らの著作や仕事から多くのことを学んだ。その意味で、井伏鱒二の小説も。高田渡の歌も、田村隆一の詩集も、私にとっては、人生の「実用書」なのである。》(あとがき)

肩の力を抜いてというのは読んでいても感じられる。次のようなくだりは漱石かと思うような名文。

人間なんて、ずいぶん窮屈な動物だと思うことがある。国籍や人種、あるいは身分に縛られ、法律に規制され、お金がなくては生きていけない。服も着なくちゃいけないし、視力が弱るとメガネも必要だ。歯医者にも通ったりして。しかも、長生きだと百歳近くまで生きなければいけない。一説によるとほかの動物なら、犬ネコで十四〜十五歳、ゴリラが三十五歳、キツネが七歳、ハムスターなら三歳、だという。これだけめまぐるしくいろいろなことをこなした上での、人間の百歳は長過ぎる気がする。
 しかし、ときに古今亭志ん生みたいな人が現れて、その窮屈な部分を打ち破ってくれる。いろいろ頭でっかちになって考え過ぎて、自分で作る壁を、最初から作らないというのか、生きる「幅」みたいなものを広げてくれる人だと思うのだ。》(古今亭志ん生

古今亭志ん生は高座で居眠りをしたそうだ。

起こそうとする客に、別の客が「寝かせといてやれ」と声をかけた。喋らないで、寝ている姿だけで客は楽しみ、満足したのだ。》(同前)

眠るといえば高田渡。同じくライブ中に酔っぱらって眠ってしまったことは伝説となっている。ところが本当に岡崎氏がインタビューしている目の前で高田渡は眠ったのだ!

その伝説を目撃できた。かなり酒が進み、言葉が途切れて沈黙したかと思うと、身体が傾き、やがて小さないびきが聞こえ始めたのだ。ライター生活、この時十年目で、何百と取材をこなしてきたが、取材対象が眠ったのは初めて。しかし、うれしかったなあ。》(高田渡)

……すごい、というのかほんとにガンバラナイで生きているのかもしれない。あるいは単なる飲んべえなのかも。飲んべえと言えば、岡崎氏が取り上げている男たちは全員大酒飲みだ。岡崎氏自身も酒を休む日はないという暮らしのようである。また魚雷氏もよく飲んでいるようだ。なんだかんだ理屈をつけてみても、結局、酒こそが、とりあえず、ひととき「のんびり生きる」ための魔法なのではないか。

魚雷本の「あとがき」にこうある。

生活を疎かにすると、気持ちが荒む。かといって、過度にストイックな暮らしは長続きしない。のんびり寛げる環境を作るのは簡単なことではない。
 無理のない快適な生活ーーそれこそが「日常学」の目標だとおもっている。

二冊は似ていると書いたが、岡崎本は日常を逸脱した酒豪伝だ。その意味では対極にある内容とも思えるのである。


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by sumus2013 | 2017-07-30 21:17 | おすすめ本棚 | Comments(2)

石原輝雄●初期写真

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石原輝雄『石原輝雄●初期写真 1966-1972』(銀紙書房、二〇一七年八月二七日)。本書については石原氏のブログをご覧ください。ますます製本の腕を上げておられるのにまず脱帽である。二十五という部数ではもったいない。とは言うものの、手作りでこの厚さ(144頁)となれば、数に限りがあるのも致し方ないのかもしれない。

銀紙書房の新刊『石原輝雄 初期写真 1966-1972』は品切れとなりました。

石原氏の初々しい写真が魅力的。年末恒例、京都写真倶楽部の展示ですでに発表されている写真もあるが、とにかくマン・レイ蒐集家である以前に氏は写真家(写真小僧と言った方がいいかな)であった、ということがはっきり分る。

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上から順に「高校生写真」「名古屋10.21」「SL」「飛行機雲」からそれぞれ一点ずつ選んでみた。名古屋桜山付近の日常風景を切り取った「Halation」シリーズもいい。自らも書いておられるようにまさに「マン・レイ狂い」の原点であろう。

本書には、目玉として、当時、中部学生写真連盟の顧問をしていた山本悍右の文章が二篇収められている。最近、再評価いちじるしい山本悍右の写真論もじつに興味深い。「高校生写真のこと 技術は君たちにとって何か?」より。

カメラは現代の機械時代の生んだ、最も撮った尖端的な機械という名の道具です。道具はそれを生んだ時代と社会に、密接に結びついているのだと言えます。第三の手として使われるであろうカメラは、使われるその時に、ぼくたちと社会を固くつなぐ役目を果すものです。

 技術を知ることによって、写真により以上の期待をかけることが可能になるでしょう。写真を楽しくしなければいけません。毎日の生活を楽しくすることと同じよう。写真を楽しんで使うこと。写真が面白くてしかたがないようにすること、そうすることが、またサークルの意味でもあります。

もう一篇は大学生向け。「闇の中の二枚の証明書」。「ポチョムキン」、ロブグリエ、アラン・レネらを実存主義批判的な観点から論じている。

内部と外的世界との関係を、それが持つ意味を拒絶しあるいは剥奪して現実の前に立つとき表現ギリギリのところで、物体と対決しているのである。必然的にそれはメチエの技術への厳しい反省をともなうだろう。そこから新しいマニエルの反省に結びつくのだろう。このことは単純に、これらの仕事がそれだけで終るのではないかという懸念をもつ。それに対してイヨネスコが答えている「想像は創造である。」という言葉を置いておこう。

この問いかけは、今もって(いや何時の時代にも)有効な、すなわち本質的な問題であろう。どちらのテキストにおいても山本悍右は「技術」というものを重く見ている。これもまた作家の本質的な部分に触れるのではないかと思う。

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by sumus2013 | 2017-07-23 20:11 | おすすめ本棚 | Comments(2)