林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:おすすめ本棚( 228 )

編む人

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南陀楼綾繁『編む人 ちいさな本から生まれたもの』(ビレッジプレス、二〇一七年一一月一二日)

大学を卒業して、なんとなく足を踏み入れた出版の世界。
 はじめは大学院に受かるまでのつなぎのつもりだったが、いつの間にか、こっちの方が面白くなって、いまに至る。
 めざして入った世界ではないからか、いまだにプロの編集者なりライターだという自覚を持てないでいる。その分、やじうま根性は旺盛で、仕事にかこつけて、それまで読者として接してきた書き手や編集者に会いに行った。
 本書は、そうやってお会いした人たちとの対話の記録だ。》(はじめに)

その人たちとは、小西昌幸、竹熊健太郎、堀内恭、村元武、大竹昭子、本間健彦、牧野伊三夫、小林弘樹、山崎範子の各氏。かなり濃〜いメンツである。だから面白い。『ぐるり』『雲遊天下』に掲載されたインタビューのなかから出版に関するものを集め、谷根千工房の山崎さんのお話を加えてまとめられている。

こんな素敵で刺激的な〈編む人〉がいるうちは、「出版業界」が行きづまったとしても、「出版」という行為にはまだまだ可能性はあるはずだ。




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by sumus2013 | 2017-11-14 20:23 | おすすめ本棚 | Comments(0)

ディケンズ二題

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Charles Dickens"Night Walks" PENGUIN CLASSICS,2010


『時刻表』第二号(「時刻表」舎、二〇一七年一〇月二〇日)を中島俊郎氏より頂戴した。たかとう匡子さんを編集発行人として創刊された詩と散文の同人誌である。同人は二十人ほど。中島先生(牛津先生です)は「ディケンズとウォーキング」という論考を発表されている。

先生によれば、ウォーキングと文学の創作という関係をたどっていくとイギリス文学がぐっと面白くなるそうだ。ウィアム・ボールズ『ソネット集』(一七九八)、シェリー夫妻の旅行記、ウィリアム・ワーズワース、サミュエル・ティラー・コールリッジ『覚書』(一七九四〜一八〇四)、ジョン・クレア「日曜日の散策」、そしてディケンズ。

ディケンズの日常生活は、執筆とウォーキングで二分化されていた。若い頃は乗馬も加わっていたが、後年はウォーキングのみであった。文筆活動に集中してしまい過度に自分を追い込んだ結果、重い不眠症に陥った。横になってもすぐに目がさめてしまう。その対処療法として、明け方までウォーキングを励行するようにした。「執筆に集中した昼間から午前二時にベッドを抜け出して、往復五十キロほどの道のりを歩きつづけ、わが家にもどり朝食をとるのを常とした」とは、デイケンズ自らの述懐である。

往復五十キロって……小生の住所地(京都市内)からだと、直線距離で、西なら大阪府高槻市、東なら滋賀県の守山市まで行って帰るということになる。ディケンズはただ歩いただけではなかった。この長時間の散策によって夜のロンドン、裏社会を知悉するところとなったそうだ。なるほど、たしかに『オリヴァー・ツイスト』(一八三八)などはその知識が注ぎ込まれているに違いない。

興味深いことに、ディケンズは自ら歩いた距離と環境をことごとく手紙に書き残している。燃えるような夏の炎天下で四時間半、ほぼ三十キロ歩いたと友人に報告しているかと思えば、晩秋のイタリアで悪天にもかかわらず二十キロも山中を歩き回り、また脱稿したうれしさから夕食前に二十五キロも歩いたと報告している。これは相当な健脚である。

ディケンズのウォーキングをいちはやく認めたのはフラヌール(遊歩者)ことヴァルター・ベンヤミンだった。『パサージュ論』のなかに「歩く人」ディケンズへの言及がある(小生も昔読んだはずだが、忘却の彼方なり)。

最後に、ディケンズの先人として詩人ジョン・ゲイ『トリヴィアーーロンドン遊歩術』(一七一六)を取り上げてまとめておられる。ローマ詩人たちへの言及・引用・暗示が頻出する『トリヴィア』は《古代ローマより脈々と流れる詩の伝統の末尾につなげることで、ゲイは英詩の伝統をより活性化しようと目論んでいたのである。小説家ディケンズも明らかにこうした文学的な系譜に属している。》とのことである。

The full title of the poem is Trivia, or The Art of Walking the Streets of London


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友人たちを前に『鐘』を朗読するディケンズ


たまたま、ディケンズについては、つい最近次のような記事を読んだところだったので一層興味深く感じられた。アルヴェルト・マングェル『読書の歴史』(原田範行訳、柏書房、一九九九年)より、上の図も。

一九世紀にはいると、ヨーロッパ全土にわたって、作者による朗読は黄金時代をむかえる。イギリスでこの朗読会の花形だったのは、チャールズ・ディケンズである。

クリスマス・ストーリーの第二作『鐘』の朗読に際し、欣喜雀躍とした彼は、次のように記した書簡を妻キャサリンに送っている。「私が朗読している間、ソファに腰を下ろして、本当にすすり泣きの声を上げているマクレディ(ディケンズの友人の一人)の様子を君が見ていたならば、私自身も感じているように、この朗読がなんと影響力のあるものであるか感じ取ってくれただろうに。」

ディケンズは、朗読や身振りの工夫に少なくとも二ヶ月を費やしていた。そして、どんなふうに朗読するのかを逐一書き留めている。自ら朗読旅行用に編纂した彼の「朗読用テクスト」の余白には、「愛らしく」とか「厳しく」「哀愁を帯びて」「神秘的に」「急いで」などといった調子に関するもの、あるいは、「手招き」「指さし」「震えて」「ざっとしてあたりを見回す」などのような身振りに関するものなどの覚書きが記されている。

ディケンズは朗読を終えると、ただお辞儀をし、壇上を離れて、汗でびしょびしょになった服を着替えたという。ウォーキングにしても朗読にしても徹底的にやらないと治まらない性格だったようである。





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by sumus2013 | 2017-10-29 20:31 | おすすめ本棚 | Comments(0)

名画座手帳2018

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『名画座手帳2018』(往来座編集室、二〇一七年一〇月二二日)。企画監修=のむみち、編集=朝倉史明、本文デザイン=戸塚泰雄(nu)、表紙レイアウト=往来座編集室、発行人=瀬戸雄史。

名画座手帳2017

映画手帳と名づけられているのだが、べつに映画鑑賞だけに使う必要はない。スケジュール手帳としていかにも便利そうだ。映画関係者の生没年がカレンダーの下の部分に記入されている。例えば、本日、10月25日はシブイ、三浦光雄、斎藤良輔、池広一夫が生れ、棚田吾郎、池谷仙克が歿している、というぐあい。他の附録記事も「"あの時代"の物価表」などいろいろと役に立ちそう……(たぶん)。


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右が、『名画座手帳2018』と同じく、のむみち氏製作の『月刊フリーペーパー 名画座かんべ』通巻70号(二〇一七年一〇月)、左は『おあしす増刊号』(嵐くすぐる、往来座編集室)。『名画座かんべ』のエネルギーには圧倒されます。

のむみち (@conomumichi) | Twitter

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by sumus2013 | 2017-10-25 20:10 | おすすめ本棚 | Comments(0)

定本市島三千雄詩集

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『定本市島三千雄詩集』(市島三千雄を語り継ぐ会、二〇一七年一一月一〇日)が届いた。市島は新潟の詩人で齋藤健一さんたちが熱心に顕彰につとめておられる。小生も新潟へ出向いたときには、いろいろ縁の場所を案内していただいた。なつかしい新潟の雪、傾く防風林、詩碑。下の白い冊子は『詩誌「新年」への想い』第五号(市島三千雄を語り継ぐ会、二〇一七年一一月二〇日)。

「詩誌「新年」と新潟の4人の集まり展」

市島三千雄の作品を一篇だけ引いておく。全文。


   痩せて悪智慧がある

 痩せてゐる
 其の上悪智慧があつて
 母はいつも泣く
 上等なペンと時計を買つてくれた。

 試験の點を言われてのち、一時間の課業をつぶして
 先祖代々の履歴をぬいて、母をぬいて先生にしかられて
 
 其の意氣を持つて其の意氣を持つて
 此の暴風[あれ]た堤を横にくたばれ
 貧弱に痩せてくたばれ。


《平生の暮らしの中、市島三千雄は踠き忍耐した。いらだち、せいて気をもむのであった。
 若さが有する道理上からもあったのだろう。彼は専心し、詩を書いた。生涯における二十一篇の作品。身体の全部であった。
 文字に残らずにおわった思考と実験。不可思議な実体が絶えずして忘れることをおさえとどめるのである。》(齋藤健一「後記」)

定価2500円(税込・送料無料)、御注文は「市島三千雄を語り継ぐ会」まで
950-0051 新潟市東区桃山町2-127 齋藤健一方

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by sumus2013 | 2017-10-18 20:33 | おすすめ本棚 | Comments(0)

躍るミシン

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伊藤重夫さんの『踊るミシン』(初版は北冬書房、一九八六年一一月三〇日)が復刊された。伊藤さんには『ARE』八号(一九九七年六月一日)「すべてはマンガのために生きている」特集で大西隆志さんとふたりしてインタビューさせていただいた。その記事のために『チョコレートスフィンクス考』(跋折羅社、一九八三年八月)とともに二冊手に入れ、今も架蔵している。最近ではかなりの古書価になっていた。しかしやはり復刊は目出たいです。

伊藤重夫『踊るミシン』

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by sumus2013 | 2017-10-18 19:57 | おすすめ本棚 | Comments(0)

鑛物標本

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『鑛物標本』(大日本レトロ図版研Q所、二〇一七年二月二七日)が届く。昭和十年代末に作られた木箱入り鉱物五十種集合標本の鉱物をひとつひとつ同時期の鉱物図鑑の図版とともに紹介する、という凝った造りの図録である。鉱物好きにはたまらん。小生、さほど理科は得意というわけではなかったが、岩石や植物の美しさには魅了されてきた。この五十種集合標本は見事だ。思わずジョゼフ・コーネルを連想するほど。

《本書に掲載した標本及び図版出典文献は、すべて大日本レトロ図版研Q所の所蔵資料です。またその撮影も当研Q所で行いました。また参考資料につきましても、古い書籍に関しては当研Q所架蔵のものがいくつもあります。当研Q所では、主として西暦一八六〇年代後半から一九二〇年代前半に日本国内で刊行された、自然科学・医学・薬学・地理学・女子教育・名所案内・商業デザインなどの分野の魅力ある図版を含む書籍・雑誌類や器械カタログ類、新語流行語を含む日本語の字書辞典類などを中心に、独自の視点で資料を蒐集しております。》

今後もさまざまなテーマのヴィジュアル資料を編纂するとともに資料公開も予定しているそうだ。大日本レトロ図版研Q所の活動に注目すべし。販売などについての問い合わせは下記へ。

大日本レトロ図版研Q所Lab4RetroImageJP

大日本レトロ図版研【きゅー】所




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一昨年から構想していた、昭和初期から明治期まで、化学実験に使う器械類の図版をひとつひとつ眺めてみよう、という「図鑑」の第1冊。  紙の焼け色や染み・汚れなども含め、なるべく再現して古い印刷物の雰囲気を味わっていただくべく、相変わらず全ページフルカラーで作っていく。  まずはシンプルなガラス類から、と思って取り掛かってみたところ、思いの外色々と調べることが出てきてなかなか先に進まないが、マイペースでじわじわやっていく積もり。  前回の既刊『鑛物標本』は、「なるべく早めにとにかく1冊拵える」というコンセプトだったが、今回はできるだけ制約を設けずに思うさま作りたいので全体の構成や総ページ数なども敢えて決めていない。  取り敢えず、だいたいできたところまで暫定公開。


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by sumus2013 | 2017-09-28 08:11 | おすすめ本棚 | Comments(0)

怪人ジキル

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波野次郎『長編少年探偵小説 怪人ジキル』(書肆盛林堂、二〇一七年九月二九日、表紙デザイン=小山力也)。小野純一「あとがきにかえて」にはこう書かれている。

『怪人ジキル』の存在を知ったのは、古書山たかし『怪書探訪』でだった。仙花紙本好きとしては、見逃せない一冊であり、内容はカミの翻案。一度は手にしたい、店で取扱いたいと思っていた。自身が手にする機会に恵まれたのは、今年二〇一七年四月四日から四月十五日まで東京古書会館で開催された《怪書探訪「ある怪書好き会社員の軌跡」展》という展示においてであった。

そこからトントン拍子で復刊が成ったという。オリジナルは昭和二十三年に清華書房から刊行されている。荒唐無稽のハチメチャなストーリーはフランスのユーモア作家カミ(Pierre Henri Cami)の「処女華受難」(衣裳箪笥の秘密)からパクっているそうだ。

ルーフォック・オルメスの冒険 Les Aventures de Loufock Holmès

作者・波野次郎については不詳。また表紙絵および挿絵の画家も不明。サインは「T.KAY」である。表紙もそうだが、数多く挿入された挿絵がなかなかいい味を出している。

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裏表紙のサイン


長編少年探偵小説『怪人ジキル』
著者:波野次郎
表紙イラスト:不明
表紙デザイン:小山力也

   (乾坤グラフィック)

解説:古書山たかし
価格:1,000円
判型:文庫版、152頁
発行日:2017年9月23日(土・祝)

400部


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by sumus2013 | 2017-09-27 20:20 | おすすめ本棚 | Comments(2)

朱欒

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『朱欒』(朱欒プロジェクト実行委員会編、愛媛新聞社、二〇一七年九月一一日、書容設計=羽多良平吉@EDiX)。本書については下記に詳しいので参照のこと。久万美術館による翻刻の力作である。

『座朱欒』(ザシュラン)プロジェクトのお知らせ

《朱欒》翻刻本と自主企画展記録集の通信販売について

『朱欒(しゅらん)』とは旧制松山中学の卒業生たちが東京で作った回覧雑誌。大正十四年十月頃から十五年五月にかけてほぼ毎月一冊のペースで刊行された。全九冊。原稿用紙を綴じて厚表紙を付けたスタイルである。同人は池内義豊伊丹万作、二十五歳)、中村清一郎中村草田男二十四歳、本書に収められている『朱欒』は草田男旧蔵、この度久万美術館に寄贈された)、重松鶴之助二十二歳、画家)、渡部昌二十二歳、後、明治大学教授)、中村明(洋画家)、山内千太郎二十三歳、後、法政大学教授)、八束清二十四歳、松山商業学校出身)、長嶋操(不詳)。以上は中島小巻「『朱欒』同人略歴」による。

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第一号の表紙図版および本書の帯


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第二号


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第五号裏表紙(重松鶴之助)部分


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第四号口絵(池内義豊)部分


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本書の裏表紙、全九冊の表紙



表紙画や挿絵について言えば重松鶴之助と池内義豊がもっとも多く手がけているし、二人の岸田劉生ばりの絵柄が生き生きとして目立っている。池内(伊丹万作)は映画監督になる前には挿絵画家としてかなり名を売っていたそうである、さもありなん。重松鶴之助という名前は洲之内徹の『絵のなかの散歩』や『気まぐれ美術館』で初めて知った。劉生に心酔し大正十三年に第二回春陽会展に初入選。昭和五年、共産党に入党し左翼活動を行う。昭和八年に逮捕され堺市の大阪刑務所に収監された。十三年同所内で死亡(この死については洲之内の文章に詳しい)。享年三十五。

洲之内徹は東京美術学校の入試のために上京し、松山中学の先輩だった山本勝巳の下宿へ滞在した。そのときそこにあった重松の絵「閑々亭肖像」を見、本人とも何度か会ったという。

私は、伝説の主の鶴さんその人にもそこで会うことになった。朝、目を覚ますと、昨夜はいなかったはずの、いがぐり坊主の、異様に背の低い、だが、いかにも精悍そのものといった感じの男が同じ部屋に寝ていることがあり、山本さんがその男をツルさん、ツルさんと呼ぶので、それが重松鶴之助だと私に察しがついたのである。あとで知ったが、鶴さんの兄さんと山本(勝巳)さんの兄さんとが中学で同級なのであった。》(ある青春伝説

重松とはこの後にも因縁があるのだが、それは洲之内の文章で読んでいただくとして、四十五年後になって「閑々亭肖像」に再会した洲之内の感慨を引用しておく。

しかし、四十五年前、初めてこの絵を見たとき、白状すると、私はこの絵が欲しくてたまらず、こっそり持ち出して、どこかへ隠しておきたいような衝動に駆られたのだったが、そのときの気持はいまもそのまま思い出すことができる。いまはもう、まさか持ち逃げしようとまでは思わないが、それにしても、私をそんな気持にさせたこの絵の魅力はいったい何であったろうか。この一枚の作品に罩められた若い重松鶴之助の、芸術に対する無垢な信仰と、ひたすらな没入、それらがそのまま私のものとして、私の理想として、私を捉えたのだ。》(同上)

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この絵のモデルは松山の湊町の、ある下駄屋の主人だそうだ。湊町(みなとまち)は重松の生まれた町である。




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by sumus2013 | 2017-09-25 21:28 | おすすめ本棚 | Comments(0)

河口から III

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『河口から』III(季村敏夫、二〇一七年九月一五日)。本号は発売=澪標となってバーコードも付いている(463円+税)。

「澪標」本を、もっと楽しもう。

素描………倉本修
おくりびと………山崎佳代子
光景………季村敏夫
宗教ナル者アリテ………水田恭平
事柄の無垢について………季村敏夫
この夏のこと………季村敏夫

水田恭平宗教ナル者アリテーー岩成達也・瀬尾育生『詩その他をめぐる対話』をめぐって」につぎのようなくだりがあって興味深く読んだ。

瀬尾は、明治期の「プロシャの一神教、プロテスタント国家の一神教を輸入して」作り上げた日本の近代国家の形成を「模型作り」に喩え、そこで演出された疑似的超越性すらが戦後の「天皇人間宣言」によって否定され、「いっさいの超越性が瓦解させられた」とする。この構図に対して、岩は「天皇超越論に全員が納得していたわけではないはず」と短い異議をはさんでいる。

天皇超越論に全員が納得していたわけではないはず……これはほとんど誰も納得していなかった、いや無関心だったと言うべきではないか。だからこそ「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」などという文言が書かれる必要があったのだろう。

伊藤博文は新生ドイツ帝国とオーストリアに赴き、そこの第一線の憲法学者たちから近代的憲政システムについての講義を受けつつ、それを咀嚼し、日本に何が導入可能か、を思索する。その結果が明治二十一年、枢密院議長として伊藤博文が議員たちにした説明のなかに伺える。それは、「プロシャの一神教、プロテスタント国家の一神教を輸入して」(瀬尾)ということに関わる。
 明治憲法が打ち出す天皇制の構想は、天皇を明治憲法の冒頭に置くことで憲法の制約を受けることを表しつつ、しかし、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と憲法の枠外に置くというアクロバティックなものである。

伊藤はドイツ帝国では宗教が機軸になっているが、日本にはその機軸たるものが現存しないと考え、

ここから、「我国ニ在テ機軸トスヘキハ、独リ皇室アルノミ」として、皇室=天皇を「機軸」へと演出するという憲政システムが構想された。

この伊藤の「宗教的ナル者」の把握の仕方に、近代天皇制が主張する「超越的なもの」の擬似的性格はすでに刻印されていた、と私は思う。

要するに明治憲法の矛盾は伊藤博文も重々承知して、革命を経たフランスではなく、ドイツ帝国による教会統制のための手法に倣った、というわけである。それがいかなる道へ日本を導いたかは周知の通り。

比較する意味で、明治憲法公布から十四年後、明治三十六年の『平民新聞』創刊の言葉を掲げる(『古河力作の生涯』より)。

一 自由平等博愛は人生世に在る所以の三大要義也
一 吾人は人類の自由を完からしめんが為に平民主義を支持す。
  [下略;身分と財産と男女差別の打破]
一 吾人は人類をして平等の福利を受けしめんが為に社会主義を主張す。
  [略;生産配分]
一 吾人は人類をして博愛の道を尽さしめんが為に平和主義を唱導す。
  [略;戦争の禁絶]

日露戦争前夜のこと。この理想が、今日に至っても、成し遂げられる気配は見られない。

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by sumus2013 | 2017-09-18 21:02 | おすすめ本棚 | Comments(0)

田端人 第三輯

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矢部登『田端人』第三輯(春から秋へ。二〇一七)をいただく。いよいよ純で粋な冊子へと昇華されてきた。今回の登場人物もシブイ。

王子の街道ぞいにある古本屋へたちより、高田浪吉の随筆集『紅炎記』にめぐりあう。昭和十八年にでた染みだらけの裸本。》(あさがほの露)

田端の谷田川のほとりに太田水穂は住む。大正八年七月から昭和十四年三月まで。それいぜんは小石川三軒町に。夫人は歌人の四賀光子。》(掃溜の鶴)

戦後でた潮音叢書の一巻に沼波美代子の歌集『塵にまみれて』がある。著者は沼波瓊音の次女。名付け親は国木田独歩。瓊音は国文学者で俳人。「俳味」を主宰し、家での句会の席に物心ついた子どもたちもすわらせて、俳句のてほどきをする。瓊音が亡くなって四年後の昭和六年。沼波美代子は子どものころから知る太田水穂の潮音に入社。二十二歳であった。》(同前)

内田義郎は吉田一穂を師とする。四册の詩集がある。》(無限の人)

内田義郎詩集から引用された「風」という詩には「風立ちぬ」の引用があってこころ惹かれた。直訳調である。なお内田義郎(よしを)は六十五歳で義寶(ぎほう)と改名し、義朗(よしお)と号したそうだ。

ーー風が立つ。生きることを試みねばならぬ。(ヴァレリイ)(同前)

この翻訳については「聖家族」(http://sumus.exblog.jp/20092039/)を参照されたし。

田端駅の裏口から不動坂の階段をのぼる。
 高台通りの与楽寺坂へおりる角に煙草屋がある。
 そこで煙草を買うと、耕治人「若き日の芥川龍之介」を思い出す。》(朝顔の花)

……とこのつづきがまたいいのだ。古本屋を巡り、こういう麗しい冊子を悠々と作っておられる矢部さんの日常を憶わずにはいられない。それは羨望でもあり、ある種の安堵でもある。

『田端人』第一輯(二〇一六年八月)

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by sumus2013 | 2017-09-17 21:26 | おすすめ本棚 | Comments(0)