林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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串田孫一のABC

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『Coyote』No.63(スイッチ・パブリッシング、二〇一七年一一月二〇日)、特集・串田孫一のABC。面白く読む。

《串田孫一をABCで白地図を描くように等高線を曳いてみたい。
すべてのモノや心の周辺には多くの言葉がある。山をめぐる言葉もそれぞれ違った色彩を放っている。
「串田孫一のパンセ」をひも解く。この特集のABCはそれぞれの星の微笑みのようにある。
等高線は星と星を繋ぐ星座になる。
星を頼りに未来を描くために、さらに深く物語を探す人生の入口としてこの特集を置く。》

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串田孫一の手作り本棚


『アルプ』を発行していた創文社と印刷していた精興社を取材した記事もよかったが、やはり夫人や子供達の回想は興味深い。「串田美枝子 問われ語り」(訊手=串田明緒)より。

《一人で山に登るのが好きな孤高の人かと思ってしまうけど、お客さんがうちに来ることを拒まなかったんですね。

「うちは千客万来だったから。山や物書きに、音楽仲間ってのもいて。[中略]ほんと今考えると、変わった人ばかりだったな。時間もお金も何も気にしないっていうか。断トツに変わってたのは、やっぱり辻まことさんかな。まるで自分で育っちゃったような人。親がダダイストとアナーキストだから。見たところは普通なんだけどね。特に仲良しってわけでもないんだけど、孫一とはお互いによく解り合ってた。でもね、よく考えてみると誰でもみんな少し変わってるじゃない。ごくごく普通の人ってのは果たしているもんだろうか?」》

奥さんもかなり哲学者みたいな人である。長男和美と次男光弘の対談ではこう語られている。

光弘 親父さんの翻訳本はあまり多くないけど、『花の歴史』っていうクセジュ文庫のフランス語のものがあるんだけど、これお母さんが全部訳してるんだよね。
和美 お母さんはね、自分が表に出ることはあまり好きじゃないんだよね。
[中略]
光弘 [中略]例えばありとあらゆる植物の本の索引を作ってるわけ。それは日本だけじゃなくて中国語とアラビア語とメキシコ語の数十冊の本に書かれた内容をまとめていて、例えばアサガオはどの本に何が書いてあるっていうのをノートにまとめている。
和美 そんなことやってたんだ。
光弘 ずっとやってある。ある時、エジプト語の植物の本が古本屋にあって読みたいからちょっと勉強するって言って、二〜三週間勉強して、本を読んでるんだよ。
和美 二〜三週間でなんておかしいよ(笑)。》

エジプト語というのが古代エジプト語なら(十七世紀頃まで使われていたらしい)、ちょっと無理かもしれないが、現代語はアラビア語なので、すでにアラビア語を学んでいれば容易に読めるのではないかと思う。

辻まことについては長男串田和美氏も「断想『父孫一のこと』」で辻の逸話を披露したあと、こう書いておられる。

《小学校の頃、先生が「みなさんもっとも尊敬する人は誰ですか?」と聞く。みんなは「シュヴァイツァー博士です」とか「ガンジーです」とか答える。中には「自分の父です」などという者もいる。僕はどうしても答えられなかった。尊敬しているなんて、もし父に言ったら、きっと父は悲しくなるんじゃないかと思えたから。でも辻まことという人のことは尊敬していると言ってもいいような根拠のない考えが頭に浮かんだのは、それから何年か経ってからだ。》

辻まことって、いいよね。

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詩誌『アルビオレ』、広辞苑第二版の函が本箱に!


また、検印の思い出にも触れておられる。

《昔は本の後ろのページに印税のための切手みたいなシールが貼ってあって、そこに著者の印が一冊ずつ押されていたのだが、それに一つひとつ判を押していくのは結構労力のいることだったようだ。で、父孫一の本が出版されることになると、僕たち兄弟がそれをやった。ご褒美にお小遣いをもらえるものだから、急いでやると枠からはみ出したりして大騒ぎをしながら取り合ってそれをやった。自分の押したそれが貼ってある本がどこかの本屋におかれていると思うとちょっと嬉しいような変な気持ちがした。》

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串田孫一の小宇宙』より篆刻作品が掲載されている限定版。
戦後、判子屋になろうと本気で考えていたことが
日記』に見える。


串田孫一のオリジナル印のある奥付が、書架のどこかにないか……と探して見たら、一冊見つけた。串田孫一他訳『アラン 家族の感情』(風間書院、一九四六年八月一〇日)。

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「Kywh」となっているのは、串田孫一、八木〓[日の下に免]、渡邊一夫、平井正の共訳だから。これはさすがに子供達が捺したのではないかもしれない。

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by sumus2013 | 2018-02-06 20:57 | おすすめ本棚 | Comments(0)

コンパス綺譚

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龜鳴屋さんの近刊到着。グレゴリ青山『コンパス綺譚』(龜鳴屋、二〇一七年一二月二〇日)。

龜鳴屋

《「コンパス綺譚」は雑誌「旅行人」'04夏号から'07夏号にかけて連載していた漫画です。1冊にまとめるにあたり、解説と描き下ろしイラストを加えました。
 この漫画はグ[○にグ]が初めて描いたストーリー漫画です。》(あとがき)

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登場人物がシブい。さすがグレゴリさん。舞台は一九二七年の青島(チンタオ)。ハルという美人女性が狂言回しとなって、まず、安西冬衛が登場。少年時代の三船敏郎。大連、青島で写真館を開業していた三船秋香(徳造)の長男である。次に城田シュレーダーが現れる。実在した経歴不明の謎の探偵小説家。

舞台は上海へ。白系ロシア人の踊子ニーナに三船秋香がからみ、内山書店では、内山完造、金子光晴と森三千代の夫妻、郁達夫、そして前田河広一郎が憎まれ役として重要な役割を担う。むろん魯迅(ルーシュン)もなかなか粋な役回りを演じている。

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つづいて魯迅を導入役として映画女優・阮玲玉(ロアン・リンユイ)を軸とした物語へと移る。映画監督の孫瑜(スン・ユイ)、朝鮮人俳優・金焰(チン・イェン)、劇作家・田漢(ティエン・ハン)らが新しい中国映画を作り出し、阮玲玉はスターとなるのだが……。

彼らの手から手へと渡って行くのが、ほんとうの主人公、すなわちコンパス、なのである。

メジャーとマイナーがじつに効果的に交錯して火花を散らす、そんな激動の時代が、グレゴリさんらしく、ゆったり、しっとりと、そして一流のユーモアをもって描き出されている秀作。

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by sumus2013 | 2018-02-05 20:47 | おすすめ本棚 | Comments(0)

昭和八年の織田作之助(上)

春日井ひとし『昭和八年 文学者のいる風景 その8 昭和八年の織田作之助(上)三高の青春』(掌珠山房、二〇一八年一月)を頂戴した。御礼申し上げます。中島敦から始まって、杉本秀太郎、高見順、里見弴、そして織田作之助。毎号のことながら、綿密ないい仕事である。そして何より昭和八年(一九三三)前後という時代はとにかく面白い。

『昭和八年の中島敦 昭和八年・文学者のいる風景 その1』

今回は、青山光二、白崎禮三、吉井栄治、そして富士正晴も、花森安治も、柴野方彦もチラリと登場する。田宮虎彦の帝大時代の回想も印象的。

なかではやはり吉井栄治。織田作と同年生まれ、高津中学校では三年生で同じクラスだった。織田作は三高へ吉井は姫路高校へ(そして東京帝大文学部美術史学科へ。花森や杉山平一の後輩である)と別れるが、昭和十四年、織田作に誘われて同人誌『海風』に参加する。戦後は朝日新聞の将棋記者として知られ、小説家としては直木賞候補(第23回)にもなる。この辺りの詳しいことは下記サイトをご覧いただきたい。

将棋・オダサク・直木賞〜吉井栄治メモリアル

吉井栄治が将棋観戦記者になったことと織田作が将棋好きだったことはどういうふうに関連してくるのか、そのへんが個人的には興味深い。例えば織田の『六白金星』という作品は妾の子供として育った兄弟を対照的に描く佳作なのだが、二人が将棋を指すシーンが効果を上げているのだ。

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上/中学時代の織田作之助と吉井栄治
下/三高紀念祭の織田作之助ら


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左より/織田作之助、白崎禮三、瀬川健一郎


写真は三高時代の仲良し三人組。瀬川は大阪北野中学から、白崎は福井県敦賀の出身で武生中学からやってきた。白崎は早熟な美青年で百田宗治の『椎の木』に近づいていた。

《織田はジイドの自意識を持ちだして論じ合った。瀬川は傍で聞いている。瀬川の目には、白崎は理知的に現実を冷ややかに見る、静かな厭世家と映り、織田は現実を感覚的に捉えて、現実に斬りこんで自分の美意識と対決させようとしていると映った。低声で語る白崎と対照的に、肩怒らせて現実と対決しようとする姿は駄々っ子のようにも思える。(瀬川「青春・その喪失と回復」)》

白崎礼三詩集

滝川事件(昭和八年)で騒がしくなる前の年、織田作は下宿を移っていた。

《下宿は、去年下大路町から左京区浄土寺西田町に変わっていた。先の下宿から神樂坂を上ってゆき、真如堂を右手に、後一條天皇陵の下を通ってゆく道は、やがて神樂丘通と呼ばれるようになる。西田町はその先である。市電の銀閣寺道終点が近く、その周辺にはカフエや喫茶店があって、ちょっとした盛り場になっている。

浄土寺西田町とは! ご存知古書善行堂と同じ町内である。


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by sumus2013 | 2018-02-02 20:49 | おすすめ本棚 | Comments(2)

浮き世離れの

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坂崎重盛『浮き世離れの哲学よりも憂き世楽しむ川柳都々逸』(中央公論新社、二〇一八年一月一〇日)読了。面白い。川柳都々逸なんぞの風流世界にはまったく縁が無いと思っていたのだが、案外と、人口に膾炙している句が多いのにビックリ。

《このワタシ、戦後、焼け跡育ちで、一日小づかい五円玉を握って駄菓子屋へ走り、割り箸にからめた水あめや、コッペパンの半分に黒蜜ぬったのを買い食いしてたガキだったが、思春期を迎え、ラジオの芸能番組、上野や人形町の寄席の高座で、柳家三亀松のお色気都々逸や女芸人の端唄、俗曲とともに都々逸を聞いたのが初め。
 つまり、昭和三十年から四十年代頃までは、生活の中に都々逸が生きていたのでした。》(「あとがき」にかえて)

しかしひと回り下の小生でも、しかも讃岐の片田舎でも、TVというものの普及によって、お色気はともかくも、落語や都々逸、端唄、小唄などはしばしば耳にし目にしたものである。少年時代から青年時代にかけてそういった演芸がオンエアされる比率はかなり高かった(「お好み演芸会」などなど)。今日まで続いているのは「笑点」くらいのものかもしれいないが(?)、それでも今なお川柳都々逸をレパートリーとした大喜利のような芸能番組は放映されつづけている(坂崎さんは悲観的な意見らしいけれど、そうでもないですよ)。日本人はよほど五と七のリズムが好きなんだな、と思うのである。

本書には坂崎好み、名品佳作がズラリのアンソロジー。洒脱な解説も過不足ない。例えば

 花は紅柳はみどり あしたはあしたの風が吹く

平山蘆江の『蘆江歌集』から。あしたはあしたの風が吹くって川柳(蘆江は「街歌」と呼んだ)だったのだ。「トゥモロー・イズ・アナザ・デイ!」

 戀という字を分析すれば 糸し糸しと言う心

こちらは都々逸だそうだが、昔はじめて聞いたときには、うまいこと言うもんだなあと感心した覚えがある。

そして坂崎翁の本領はやはりEROSの世界。といってもちっともいやらしくないのが不思議なくらい。ただし、ここでは引用するのがはばかられるため、ご興味おありの方はぜひとも本書をお求めいただきたい。哲学よりも、という命題通り、哲学的にオシャレな解説の奥義を少しだけ引用しておこう。第二章「いっそこのまま……世間も義理も」より。

 恥ずかしさ知って女の苦のはじめ

 野辺の若草摘み捨てられて土に思いの根を残す

 医者などに治せるものかと舌を出し

これらの歌を引用解説しつつ恋の病をまな板にのせ、次のように締める。

《古川柳は、そのへんの事情を見逃さず、
  「あれ、死にます……と病い癒え
 ということになる。「死にます」といって元気になるのだから人間とは不思議な生物ではあります。
 キェルケゴールではないが、「死に至る病」とは絶望のことをいうが(元ネタは「新約聖書」)、この娘の「死にます、死にます」は、最大級の生きる希望、歓喜の絶頂であったわけです。
 「シヌ、シヌ」は性の絶頂、生の歓喜の時の言葉なのですから、エクスタシーは「小さな死」、まさにバタイユ的エロティシズムと一致する。洋の東西、このことに関しては共通するところが嬉しいじゃないですか。性愛って本当にいいですね。

なんだか淀川さんみたいになってますけど、さすが坂崎翁であろう。以下、本に関する作品をふたつほど挙げて結びに代える。

 ながい話をつづめていへば光源氏が生きて死ぬ

ははは、こりゃ、たいていの物語に当てはまる。もう一句。

 うたたねの顔へ一冊屋根を葺き

これもうまい。

「屋根」は、つまり本ということ。それも、柔らかく軽い和本でしょうね。ゴロリと横になって本を読んでいたのだけれど、眠くなってしまったので、手にした本を開いたまま顔の上に乗せて、うたた寝をしているという図。

反権力の狂歌、鶴彬や竹久夢二の戦争川柳にも目配りは忘れない。回文のくだりも傑作揃い。ブックガイドにもなっているし、ちょいと引用するのにもってこいのガイドブックでもあります。

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by sumus2013 | 2018-01-30 21:47 | おすすめ本棚 | Comments(0)

シュらん2017

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『朱欒[シュらん] 2017』展図録(町立久万美術館、二〇一七年一〇月三一日、書容設計=羽良多平吉)を頂戴した。深謝です。愛媛ゆかりの若手現在アーティストの展覧会図録。凝りに凝っている。

シュらん 2017

『朱欒』


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帙というか、書套だろうか、ハードカバーの表紙のような作りの厚紙を三つ折りにして(背があるので正確には三つ折りではないですか)、その中に三人の作家の仕事を紹介した冊子三冊を収めている。小生の美術論集『歸らざる風景』も似た形だが、『シュらん 2017』書套の表裏ともにテキストが配置されて、あいさつや座談会まで盛り込まれた濃い内容。文字組における絶妙のバランスはさすが羽良多氏。




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by sumus2013 | 2018-01-13 20:15 | おすすめ本棚 | Comments(0)

球史発祥

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朝日新聞(朝日新聞大阪本社)二〇一八年一月三日号、正月から連載の「球史発祥」(川村貴大)の「中」に「全国大会中止「うそや」/後輩に託したスパイクと夢」として淀野隆三が取り上げられた。掲載紙を頂戴したので紹介しておく。

淀野が京都二中(現在の鳥羽高校)で野球をやっていたとき、京滋大会で優勝し、全国大会(第四回大会)へのキップを手にした。大正七年八月である。折しも、富山で火がついた米騒動は全国に広がり、世情は騒然としていた。《「野球大会を開いて歓呼の声をあげるのは忍びない」として中止が決まった」》。

《米騒動で中止となった「幻の全国大会」。「監督から『1回戦はお前を出してやる』と言われていたけど、出られなかった」。北海道旭川市に住む長男でイベントプロデューサーの隆(80)は、隆三から聞かされた。初めて聞いたのは小学3年生のころだった。》

三高でも請われて野球部に入部する(文学に進むと決めていたので、かなり迷ったようだ)、一高との対抗戦では敗北を喫した。「喜び歌うことは許されて居ないのだ。これは私自身の野球の運命だ」と悲観的なことを日記につづっている。

戦後になって淀野が大事にしまっておいたスパイクを後輩の野球部員に提供したことがあった。そのとき二中は全国大会で準優勝。淀野はスタンドから応援していたという。

隆三は67年、63歳で亡くなった。米騒動で中止になった経験を数十回は聞かされ、残念がる父を見てきた隆は言う。「後輩が全国大会で自分のスパイクをはいてくれた。ようやく気持ちの折り合いがつき、父親[おやじ]の長い夏の大会が終わった」

なかなか、いい結びだ。

京二中の野球部および淀野隆三に関する資料


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by sumus2013 | 2018-01-06 17:02 | おすすめ本棚 | Comments(2)

書肆盛林堂近刊

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書肆盛林堂の近刊書。今年もいろいろ珍しい、驚くべき本が次々刊行された。来年も期待してます。

書肆盛林堂
http://seirindousyobou.cart.fc2.com

あらしの白ばと 黒頭巾の巻
著者:西條八十
編者:芦辺拓
表紙・口絵:玉川重機
表紙デザイン:小山力也(乾坤グラフィック)
価格:3,500円
判型:A5判
200部

いつまたあう―完全版―
著者:久生十蘭・二反長半
監修:沢田安史
表紙画:山下昇平
表紙デザイン:小山力也(乾坤グラフィック)
判型:文庫版
価格:2,000円
販売開始:12月23日(土・祝)
通信販売停止中。再開未定。


ルーフォック・オルメスの事件簿
著 者:カミ
編 者:北原尚彦
発行日:2017年11月23日
表紙イラスト:楢喜八
表紙デザイン:小山力也(乾坤グラフィック)
価 格:1500円
判 型:文庫版
400部
売切。再入荷はありません。

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by sumus2013 | 2017-12-30 16:43 | おすすめ本棚 | Comments(0)

漱石と子規

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『漱石と子規 松山・東京 友情の足跡』(新宿区立新宿歴史博物館、二〇一七年九月二四日)図録を頂戴した。深謝です。同展は九月二十四日から十一月十九日まで開催されていた。同じ慶応三年(一八六七)生まれの二人の交友を書簡や原稿、書画などから辿り、年表と詳しい関連地図も付すという非常に内容の濃い編集になっている。や、これは便利だ。

「子規」「漱石」というペンネームも明治二十二年五月頃ほぼ同時に使い始めたそうだ。同月九日、子規は喀血した。そこで「鳴いて血を吐くほととぎす」からホトトギス=子規とした。その頃、子規がまとめた回覧文集『七草集』に対する批評文で漱石は初めて漱石という号を用いた。それをしたためたのが五月二十五日である。文末に《辱知/漱石妄評》と署名している。

なお「漱石」の出典は『世説新語』の故事による。

孫子荊、年少時欲隠、語王武子当枕石漱流、誤曰漱石枕流。王曰、「流可枕、石可漱乎。」孫曰、「所以枕流、欲洗其耳、所以漱石、欲礪其歯。ー

晋の孫子荊(孫楚)がまだ若かった頃、厭世し隠遁生活を送りたいと思い、友人である王武子(王済)に、「山奥で、石を枕に、清流で口を漱ぐという生活を送りたい」というところを間違えて、「石で口を漱ぎ、流れを枕にしよう」といってしまった。王武子が「流れを枕に?石で口を漱ぐ?できるものか。」と揶揄した。すると孫子荊は負けじと「流れを枕にするのは俗世間の賤しい話で穢れた耳を洗いたいからだ。石で口を漱ぐのは俗世間の賤しいものを食した歯を磨きたいからだ。」といい返した。》(ウィキ)

いまさらながら、これは非常に面白い。明治二十二年と言えば、漱石は二十二歳(明治の年号と同じ年齢)、もうすでに隠遁生活に魅かれていたのか……。

また本書に収められている復本一郎「漱石の「守拙」と子規の「守愚」〈あづま菊〉の歌をめぐって」という論考にも関わってくる。あづま菊の歌というのは、上に掲げた病床の子規が漱石に贈った菊の絵に付されているもの。復本氏によれば、漱石は「守拙」を、子規は「守愚」をモットーとした。

 木瓜[ボケ]咲くや漱石拙を守るべく  漱石
 夕顔の居る糸瓜の愚を守る  子規

明治三十三年六月、子規が漱石に送った上掲の絵に添えられた歌は見ての通り、

 あづま菊いけて置きけり火の国に住みける君の帰りくるか[が]

である。ところが、子規歿後、漱石は朝日新聞(明治四十四年七月四日)に発表した「子規の画」という文章で、末尾を《帰りくるか》として紹介している。現在の全集にもこの形で収録されている。

ところが、ちょっと待った、と、柴田宵曲が、この画賛を実見して末の字は「な」ではなく「ね」であることを『日本及日本人』(昭和三年九月十九日)誌上で指摘しているそうだ。「がね」は万葉集に多用されている終助詞(接続助詞とする説もある)。意味は「〜だろうから/〜のために」。

 梅の花我は散らさじあをによし奈良なる人も来つつ見るがね
 (万葉集一九〇六)

 佐保河の岸のつかさの柴な刈りそね在りつつも春し来たらば立ち隠るがね
 (万葉集五二九)

誤植ということも考えられないわけではないが、漱石は上代語に不慣れだったため「かね」を「かな(那)」と読んだのだろう、という。そして復本氏が問題にしているのは、子規の生き方に対する漱石の評価である。漱石は、東菊の絵はまったく拙なのだが、

子規は人間として、又文学者として、最も「拙」の欠乏した男であった。

と断定している。しかし

《子規が紅緑に宛てた手紙を通して窺うことのできる、子規の「小生ハどこ迄も正直にやるつもりにて、馬鹿といはるゝ覚期[悟]に御座候」との生き方は、まさに「愚」そのものの生き方。「拙」の生き方肯定宣言とも言うべきものである。最晩年の一句である、
 大三十日[おおみそか]愚なり元旦猶[なほ]愚なり
には、そんな生き方を選択した自らへの矜持がはっきりと窺える。

《漱石の炯眼をもってしても、子規の「愚」の生き方を見抜くことはできなかったのであろうか。あるいは、病子規は、親友漱石に対して「愚」の生き方を故意に秘匿していたのであろうか。》

と疑問を投げかけておられる。なるほど。ただ小生が思うのは「守拙」と「守愚」は同じではない、のではないか、というごく単純なことである。『新字源』で見ると、

 守愚(1)自分のおろかさにあまんじて無理をしない。
   (2)おろか者のふりをしている。

 守拙 世わたりのへたな自分にあまんじ、りこうに立ちまわることをしない。
   〔陶潜・帰田園居詩〕「守拙帰田園」

子規は「守愚」を「守拙」の意味で使っているようでもある。実は、愚と拙の根源ははっきり異なる。『字統』には愚とは字形からみて、頭部の大きな爬虫類であろう。その姿を人に移して顒然[ぎようぜん]というのは、その厳荘の状をいう語である。その厳荘の風姿に似合わず、機略に乏しいという感じを、愚といったのであろう。》とあり、拙とは《〔説文一二上に「巧みならざるなり」とあり、不器用の意。〔老子〕第四十五章に「大巧は拙なるが若し」とあり、器用さを示さないことを尊ぶ風があった。》と説明されている。

「愚」は見かけ、「拙」はテクニックからきているわけである。漱石が子規のことを「最も「拙」の欠乏した男と見るのはそういう意味においてではないか。漱石は子規を、漢詩、俳句、絵(鑑賞も含む)、批評などのどの分野においても、そして人間としても、自分より勝っていると考えていたことはほぼ間違いない。それは漱石が若くして隠遁を願っていたこととも微妙に関係してくるように思うのである。
  

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by sumus2013 | 2017-12-16 21:18 | おすすめ本棚 | Comments(2)

gui 112, 左庭38

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森原智子さんよりいただいた平成十年二月十三日付けの葉書。森原さんのことはあまりよく存じ上げなかったが、この時期には雑誌のやり取りをしてこうした礼状などを何通か頂戴している。また一度だけだが、京都へ来られた折りに連絡があり、萩原健次郎さんの事務所を一緒に訪ねた。錦の商店街の漬物屋の脇を奥へ入ったところだった。当時お二人はともに『gui』の同人である。

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届いた『gui』112号(ドゥカム、二〇一七年一二月一日)をめくっていると森原さんのお名前が目に入ったので、なつかしくなって上の絵葉書を取り出してみた。奥成繁さんの「下町のボクシング・ジムにguiがあった。」に「船木仁のこと」として次のように書かれている。

「ギャラリー ときの忘れもの」の美術商が、ブログで船木さんとの出会いと感謝を述べられ、「遺稿詩集『一本の虫歯のための道具』の巻末に奥様の森原智子さんが詩人らしい簡潔な筆致でご主人の生涯を書かれています。」とある。奇跡のような機会なので全文を引用する。

全文は下記より。

船木仁『風景を撫でている男の後姿がみえる』

船木仁は『gui』の創刊同人で、森原さんは船木夫人だったわけである。知らなかった。

ぼくは一、二度は船木氏にお目にかかったのだろうか。記憶が不鮮明。遅れて同人になった森原さんは、例会やイベントに熱心に参加された。居酒屋ではなく、珈琲や紅茶での例会を、兄に直訴していた。ネットの情報では二〇〇三年に亡くなっている。

船木仁遺稿詩集『一本の虫歯のための道具』(あざみ書房、一九八八年一一月一八日)の発行人は藤富保男である。その藤富氏が亡くなられたということが、本号の巻末に記されている。

冥途への道は坂道で 舗装していないンだ[ンは小文字]

そんな呟きも遺して九月一日午前八時十二分 藤富保男は永眠いたしました。

この葉書が、高橋肇、四釜裕子、奥成繁の家に配達されたのは、九月十二日の午後でした。訃報記事が朝日新聞に掲載されたのは九月十七日の朝刊。
 ご冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌
                  gui一同

そしてその数日前にいただいていた『左庭』38号(山口賀代子、二〇一七年一二月一五日)の後記にあたる「つれづれ」には、やはり藤富保男の訃音についてと、藤富氏との手紙のやりとりが紹介されている。

藤富さんとは「左庭」をお送りしたころ「左庭はエリック・サテのサテ?」というお手紙を頂戴し、「そうです」とお返事すると、「サテイ…ちょっと詳しいのだけれど」というようなやりとりの後、次のようなお返事を書いたことを覚えています。

藤富保男様
 サテイのお墓へ行かれたとは…何とも羨ましいこととおもいつつ、お手紙嬉しく読ませていただきました。
 ご著書「エリック・サテイ詩集」…実は、手持ちではなかったので、ダメもとで思潮社営業部様に問い合せたところ、小田啓之様から「カバーがすこしいたんでいるけれど在庫がありますが、どうしましょう」とお返事をいただき、もちろん、即、購入の意志を伝えましたところ、本日、無事届きました。なんともしあわせは春のはじまりです。

サティの墓はパリ南郊、アルクイユの墓地にある。サティの掃苔……これまで全く思い浮かばなかった。もし次の機会があれば、アルクイユを訪ねるのもいいなと思った次第です。


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La tombe en 1994




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by sumus2013 | 2017-12-10 20:30 | おすすめ本棚 | Comments(2)

50 BEST MAN RAY

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マン・レイスト石原輝雄さんのプライヴェットプレス「銀紙書房」の新刊『50 BEST MAN RAY』(SILVER PAPER PUB., November 18, 2017)を入手した。今回は限定五十部と、銀紙書房としてはかなり多い方なのだが、即日完売のようである。

『50 BEST MAN RAY』刊行のお知らせ

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石原コレクション(正確には石原輝雄・純子コレクション)のなかから自撰の五十点。写真、版画、オブジェ、ドローイング、本、ポスター、エフェメラ、そして油彩画まで。見れば見るほど奥深さが伝わってくる構成になっている。氷山の頂ではあろうが、ここまで到達するために氏はどれほどの苦悩と悦楽をくぐってきたのだろうか、思わず手を合わせてしまう。

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by sumus2013 | 2017-12-04 17:28 | おすすめ本棚 | Comments(2)