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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:もよおしいろいろ( 104 )

花森安治装釘集成発刊記念トークイベント

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2017年2月26日(日曜日)
14時〜16時

古書 みつづみ書房

古書 みつづみ書房Facebook

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by sumus2013 | 2017-02-21 19:57 | もよおしいろいろ | Comments(0)

もよおしいろいろ

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梅田恭子展
かごのなかから
2017年3月22日~30日

新潟絵屋
http://niigata-eya.jp





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通崎睦美木琴リサイタル
平岡養一物語
2017年3月2日(木)
ロームシアター京都サウスホール

通崎睦美コンサート
今、甦る! 木琴デイズ vol.7
2017年5月16日(火)
京都文化博物館別館ホール

通崎好み製作所
http://www.tsuuzakimutsumi.com


***


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今井雅洋 写真・コラージュ展
窓や椅子など
2017年2月21日(火)~2月26日(日)

JINEN GALLERY
http://jinens-art-studio.com/art/





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花森安治の仕事
デザインする手、編集長の眼
2017年2月11日〜4月9日

世田谷美術館
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/next.html





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連続講座
夢と綺想の球体・澁澤龍彦
2月4日、18日、25日

世田谷美術館
http://setabun.or.jp/event/list.html#event00231




ラジオの時代 「阪田寛夫、庄野潤三、富士正晴」展
2016年12月1日〜2017年3月29日

富士正晴記念館


***


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by sumus2013 | 2017-02-20 17:43 | もよおしいろいろ | Comments(8)

瀧口修造とマルセル・デュシャン

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瀧口修造『幻想画家論』(せりか書房、一九七二年六月三〇日、装幀=瀧口修造)の表紙。

土曜日に土渕信彦氏によるギャラリートーク「瀧口修造とマルセル・デュシャン」を拝聴した。先週と重なるところもあったにせよ二時間びっしりと瀧口修造とデュシャンの関係を軸に瀧口の生き方に対する土渕氏の解釈をうかがうことができた収穫は大きい。

瀧口は若い頃には写真館を開こうと考えたこともあった。結局、開かずにPCLへ入社する(写真ではなく映画の世界に入ったわけである)。体が弱かったので映画の仕事は長続きしなかった(それでも四年ほど)。そして次第にシュルレアリスム紹介者としての道を辿るようになった。先週も述べたように評論家を止めてアーティストになった時期には、今度はオブジェの店を開こうと夢想した。デュシャンから「ローズ・セラヴィ Rose Sélavy」というペンネームを使わせてもらう許可を得て、看板にするためその筆蹟を送ってもらい、それを実際に金属板に象って、書斎に掛けた。むろん店の方は実現しなかったのだが、瀧口が詩人や評論家である前に、そしてそこから引退した後に「店」というシステムによって社会にコミットしようという希望を抱いていた、これは非常に重要だと思う。

土渕氏はシュルレアリスムの政治性は認めない立場である。ただ、先週の瀧口の講演で瀧口自身が語った言葉に従えば「当たり前のことができなかった時代」(戦時中、左傾したシュルレアリスムの理論家という誤解により特高に拘束された)があったのである。どんな存在であれ政治から離れていられないということは瀧口自身が痛感していた現実ではないだろうか。そして晩年の瀧口にとってオブジェの店を開くことこそがそんな「社会」にあって「当たり前のこと」として「芸術」(反芸術という意味においても)を通用させるひとつの解決方法だったのではなかろうか。

デュシャンと瀧口が相対したのは一九五八年。瀧口がスペインのポルト・リガトにあったダリの自宅を訪問したとき、たまたまデュシャンが来合わせてダリに紹介された。その一度だけだったという(私事ながら一九八〇年にはダリ美術館になっていた旧ダリ邸を訪れたことがある。冬場だったせいか、あの海辺の村の貧寒な感じが忘れられない)。その後は文通によってやり取りしていたのだが、上記のように二人の信頼はかなり厚かったようである。

一九六八年にデュシャンが急逝した。瀧口はその回顧展(一九七三)に招かれた。初め渡米はすまいと思ったが、考えを翻し、一人で出かけて行った(東野芳明らが偶然をよそおって同じ飛行機に乗り込んでエスコートしたという)。回顧展会場で瀧口をもっとも親しく迎えたのはデュシャン未亡人のティニーであった。ほぼ付きっきりだったのだそうだ。無知な観客の一人がずっと未亡人のとなりにいる男性が「デュシャンなのか?」と東野に尋ねたという(回顧展で主人公がウロウロしているはずもないのだが)。近くにいてその言葉を小耳にはさんだジョン・ケージが「そう言われれば、似ているな」と瀧口の顔を見て納得していたのだとか(東野の回想による)。

『本の手帖』特集滝口修造(昭森社、一九六九年八月三〇日)に池田満寿夫がこんな文章を書いている。

《芸術に於ける個人的な関係、それは批評を通り越した愛の関係に似ている。滝口修造とデュシャン語録の関係はまさにそれにふさわしかつた。このたぐいまれなる両者の結合は滝口修造によつてのみ可能だつたと云えよう。

デュシャンの歿後、瀧口は「急速な鎮魂曲」という追悼文を『美術手帖』に寄せた。それについて池田はこう述べている。

《私はこの追悼文の中に滝口修造の最も完ぺきな、これ以上望むことの出来ないスタイルと詩人のみが持ち得る言葉と観念と遊戯との驚くべき緊張を見た。

 マルセル・デュシャンの微笑。ときに苦笑。ときに冷笑。ときに爆笑。
 私は彼の怒った顔を想像することが出来ない。何かの間違いであろう。
                       ーー急速な鎮魂曲よりーー

 私は右の一節が特に好きだ。》

そして池田は『デュシャン語録』がデュシャンの死までに完成しなかったことがデュシャンにとっても瀧口にとっても不運だったが、二人はこの不幸をおこらなかった、とし、こう結んでいる。

《人生のいつさいが、すさまじい冗談である人生、うたがいもなく厳粛で、まじめな冗談。滝口修造はそれを見つめることにいつさいを賭けてしまつた詩人だ。

結論はよく意味が分らない。そもそも瀧口はそのときすでに詩人ではなかった(たぶんデュシャンと同じ仲間だった)。けれども前段の《愛の関係に似ている》というのはまさにその通りではなかろうか。デュシャンの訃報をティニー夫人から受け取ったのが一九六八年十月二日。翌年二月三日未明、瀧口は脳血栓で倒れ、一時半身麻痺に陥って入院する。二週間ほどで退院できたが、デュシャンを失った痛手がいかに大きかったか、分るような気がするのである。

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デュシャン語録』(これらが緑のボックスに入っている)

ozasa kyoto に展示されているデュシャン語録』は土渕氏が瀧口修造のコレクションへのめりこむ、そもそものスタート地点だったそうだ。池袋の西武美術館で荒川修作展を見た後、その入口にあったアール・ヴィヴァンでそのデュシャン語録』に出会ってしまい、大枚をはたいて購入した。そして何と、それはマン・レイ旧蔵のものだった。ということがごく最近判明したのだそうだ。瀧口が予めデュシャンに著者本の献呈先について問い合わせた手紙が残っていた。デュシャンがこれで問題ないと一筆したためて送り返して来たのである。そのリストの第六番目がマン・レイで、土渕コレクションに入った作品であったという。

西武美術館にあったアール・ヴィヴァンは懐かしい。洋書の画集を立ち読みさせてもらったものだった。


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by sumus2013 | 2017-02-05 21:31 | もよおしいろいろ | Comments(0)

美というもの

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『太陽』No.382「瀧口修造のミクロコスモス」(1993)より


土渕信彦氏によるギャラリートーク「瀧口修造講演「美というもの」」に参加した。目玉は瀧口修造が一九六二年一〇月八日に富山高等学校講堂で行った講演「美というもの」の音源公開。加えて土渕氏による瀧口の小伝およびその講演の経緯などについての解説があった。

一九五八年、欧州旅行から戻った頃から瀧口は執筆活動を止め作品制作に専念するようになっていた。元来がアーティスト志望だったようなところもあり、六十を前にして自分がもっともやりたいことをやる、というふうに人生を変えたかのようだ。一九七九年に歿するまでおよそ二十年間、作品制作やオブジェの蒐集などに熱中したと言っていいだろう。

富山高等学校は母校(旧制富山県立富山中学校)である。そのころ講演はすべて断っていたにもかかわらず、これは引き受けた(同日、富山市で行われた全国造型教育連盟でも講演している)。四十年ぶりの母校訪問ということに大きな意味があったらしい。その後暫くしてかの自筆年譜をしたためたのだという。

講演の内容も青春時代を語る半自伝のようなものであった。話し振りがすこぶる自然で、講演に慣れない感じが出ていたが、その人柄の素晴らしさも同時に感じさせるものだった。高校生を前にしてということもあるのだろう。非常に分りやすい口調で「美というもの」などという大げさな題名をつけたが、それはどんな小さなものでもいい、自分が気持ちを動かされたものが美につながるというようなことを話した。ただ、それも最後の方にごく短い時間それに触れたたけで、けっして押し付けがましいものではなく、先輩として進路を摸索する時期にある後輩たちに送る言葉、というようなかっこうであった。

途中で、自分の詩集についてごく軽く触れ、本にするため自作詩の切抜きなどを渡した「若い本屋さんがそれを失くしてしまって」実現しなかった、と。若い本屋さん、すなわちボン書店の鳥羽茂である。肉声を聞いて改めて瀧口ファンになったしだい。

次の土曜日にも土渕氏によるギャラリートーク「瀧口修造とマルセル・デュシャン」が予定されているので、ご興味のある方はぜひ。


マルセル・デュシャン生誕130年記念「瀧口修造・岡崎和郎二人展」
2017年1月7日(土)~2月12日(日)

ART OFFICE OZASA INC.
ozasa_kyoto
http://www.ozasahayashi.com

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by sumus2013 | 2017-01-28 20:18 | もよおしいろいろ | Comments(0)

無花果珍寶EACH萼秘寶展観

新春吉例、第二回
無花果珍寶EACH萼秘寶展観
いちじくちんぽういーちがくひほうてんくわん

場所:小大丸画廊(小大丸ビル3階)
  大阪市中央区心斎橋筋二丁目二ノ二十二 電話〇六・六二一一・三〇二三

日時:平成29年1月13日(金)~15日(日)
時間:午後12時~6時(最終日4時30分)


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昨夕は心斎橋へこの「イチガク展」の搬入に出かけた。大坂は久し振り。心斎橋の大丸はほとんど取り壊されていた。橋爪先生の発案で第二回目の開催。桜時のイチジク会とはまた違った新春イチガク会(数点の軸物もあり)。美術研究者や美術館関係の方々が自らのコレクションを出品しているだけあってまさに珍宝揃い。三日間だけの展示だが、心斎橋界隈へお出かけの際にはちょっとのぞいてみる価値ありです(小生も二点出しております)。

四点目の写真、壁の作品、右は下郷羊雄、中は小牧源太郎、左は逆柱いみり。なかなかでしょ。

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by sumus2013 | 2017-01-13 08:31 | もよおしいろいろ | Comments(0)

2016年度立命館明治大正文化研究会

立命館大学の衣笠キャンパス、末川記念会館にて行われた内田明氏の研究報告を拝聴した。「近代日本の活字サイズ――神話的・「伝統的」・歴史的」。梗概は以下のような感じ(一頁目のみです)。じつにエキサイティングな内容だった。活字の書体のみならずそのサイズをここまで厳密に追求されておられることにまず驚かされた。これは小生が門外漢だということもあるのだが、専門家でもそこまでやるかというくらいの掘り下げ方である。新五号や新七号活字などJIS規格で無視されているサイズの存在も初耳で、この報告を耳にしたのとしていないのとでは、これから明治大正あたりの文献を眺めるときの心構えが違って来る、というくらいの内容であった。

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配布されたプリントも有り難い。なかで一図だけ紹介する。明治〜大正にかけての『東京朝日新聞』における本文活字の変遷。明治四十一年に旧五号(10.5ポ)だったのが十年余りの間にだんだん小さくなって7.875ポイントになるというのが凄い。またポイント活字というのも第一次世界大戦にともなう用紙の高騰もあり、旧号活字よりも小さいポイント活字を採用しはじめたのではないか(同じ紙面により多くの情報を詰め込むため)という話だった。文字の大きさひとつ取ってもさまざまな事情が(たいていはコストか技術の問題だが)その裏にはひそんでいるものである。

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by sumus2013 | 2016-12-22 11:36 | もよおしいろいろ | Comments(2)

ツルニャンスキー

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体調いまいちだったのだが(風邪が治り切らず)山崎佳代子さんのお話を聞きたかったので「第305回日文研フォーラム セルビア・アヴァンギャルド詩と『日本の古歌』」(於:ハートピア京都)へ。コメンテーターは沼野充義、細川周平。「百年のわたくし」で山崎さんのことを少し紹介したが、会場でもらったハンドアウトを見ると詩人でありベオグラード大学教授、日文研外国人研究員とのこと。

前半は山崎さんの講義。セルビアの地勢や大雑把な歴史、アヴァンギャルドやジャポニズムの説明におよんだので一時間ではとうてい語り切れない濃い内容であった。彼女の論点を絞ると、セルビアの詩人で「スマトライズム」を唱えたミロス・ツルニャンスキー(1893-1977)が日本の古典的な詩歌から受けた影響、とくに桜の花のはかなさ(無常観)からの影響の大きさということである。それらはセルビアの音楽にもインスピレーションを与え、また俳句は現代においても実作として受け継がれ作り続けられている(英語やフランス語の俳句も盛んだが、セルビアでも!)。スマトライズムというのは要するに彼らが全く知らない土地の名前(スマトラ)をつけた自由詩の主張のようだ。

ツルニャンスキーは一九二〇年のパリ滞在において東洋主義の洗礼を受けた。その刺戟からアンソロジー『中国の抒情詩集』(一九二三)および同じく『日本の古歌』(一九二八)をセルビア語に翻訳出版した。山崎さんの話では中国の詩集よりも日本の詩歌の方がセルビアでは人気が高く(アンソロジーの構成に花と悲恋をテーマとしてストーリー性をもたせたためだろうとのこと)、歌曲の歌詞としても採用されているという。

セルビアでは果樹の花というのは愛でるものではなかった。桜といえばさくらんぼであってそれは赤い実のイメージが第一に浮かぶ。これはロシアでも同じと沼野氏が後半の鼎談のときに補足しておられた。チェホフの「桜の園」はじつは「さくらんぼう畑」という訳の方が近いかもしれないと。ツルニャンスキーはその果樹の花である桜花を好んでうたう日本の詩歌に接することによって自分自身も桜をうたうことになる(ただし満開の花だけ。散りはてるさまにまで彼らの意識は及んではいないとも)。

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一例としてツルニャンスキーの訳した俳句が配布されたプリントに引用されているので孫引きしておく。


 蝶とらえんと
 ああ、かけていく、はるかに
 はるかに


さてこの元歌は……千代女とされる「蜻蛉つり今日はどこまで行ったやら」だそうだ! トンボが蝶に変ってしまっている。山崎さんはツルニャンスキーが参照した英訳や仏訳がどうなっているか確認したいとおっしゃっておられたが、あるいは故意にチョウに変えたのかもしれない。ついでにツルニャンスキーの作品「スマトラ」も引き写しておく。


   スマトラ

 今は、僕らは やすらぎ、軽やかで 優しい
 想いうかべよう、ウラル山脈の雪のつもった頂の
 なんと静かなこと

 あの夕暮れに失った 青ざめた顔が
 僕らを悲しくさせるとき
 きっと どこかで 小川が 彼のかわりに
 茜色して 流れているはず

 ひとつまたひとつ愛は、今朝、異郷にて
 果てしなく 穏やかな青い海原に
 しっかり 僕らの魂をつつみこむ
 海では サンゴの実が まるで 故郷の
 桜の実のように 赤く色づく
 
 僕らは夜に眼をさまそう、微笑みかける、やさしく
 張りつめた弓の月に
 そして愛撫しよう 遥かな丘を
 凍りついた森を、そっと、この手で
                     ("Sumatra", 1920)



後半の鼎談もあっという間に終わってしまって、もうすこしいろいろ聞いていたかった。

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by sumus2013 | 2016-11-15 20:44 | もよおしいろいろ | Comments(0)

小寺鳩甫と酒井七馬

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京都国際マンガミュージアムで「小寺九甫と酒井七馬 『大阪パック』から「新寶島」まで」展を見て、トークイベント「酒井七馬というマンガ家が大阪にいた。」を聴く。展示は少々見にくい感のなきにしもあらずながら、内容は素晴らしい。漫画好き(とくに大阪漫画)、古本好きなら必見である(サイトでは十一月八日までとなっているが、十三日まで会期延長するとか)。

トークイベントは中野晴行氏と柳たかを氏が登壇。柳氏は西上ハルオが中心になって大阪の若い漫画好きを集めて刊行した『ジュンマンガ』に参加した経緯から、酒井七馬との出会いを語った。『ジュンマンガ』(文進堂、一九六九年)は酒井七馬の寄稿をあおいで刊行される予定だったが、酒井の約束した漫画は結局仕上がらず、そのせいもあって、かろうじて創刊号を出しただけで終わってしまった(酒井は創刊の言葉だけ寄稿)。掲載されている幾つもの漫画論は西上がペンネームですべて執筆したという。それらの若者たち「ジュンマンガサークル」のメンバーは奈良のドリームランド(なつかしい! 小学生のときに訪れた記憶がある)や大阪万博の会場で似顔絵などのイベントを開催したのだが、その後自然解散してしまったようである。

途中で三邑会(さんゆうかい)の女性の方による紙芝居上演があった。酒井七馬(さかいしちま、ペンネーム:佐久良五郎)作「少年ローンレンジャー」、小寺九甫(こてらきゅうほ、ペンネーム:熱田十茶=あったとさ)作「孫悟空」、そして柳たかを作「THE WAY オズの魔法使いより」。それぞれ第一巻のみ。だいたい一巻十枚で十巻、十五巻という構成になっているそうだ。「この続きはまたあした!」と言われると、ええ〜と会場から失望の声が。かなり前の作品だろうと思うが、絵の保存も良く、じゅうぶん楽しめる内容だった(むろん口上があってこそ)。

中野氏には『関西の出版100』でお世話になったので終了後にご挨拶(直接お会いするのは初めて)。京都国際マンガミュージアムはその名の通り外国人の来場者でごったがえしていた。とくに売店の付近でうろうろしているのはほとんど外国の人たち。カバンがぶつかって思わず「パードン」と言ってしまった(!)。日本のマンガ力・アニメ力をあらためて実感させられた思い。




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by sumus2013 | 2016-10-23 19:57 | もよおしいろいろ | Comments(0)

百年のわたくし

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昨夕は徳正寺で「百年のわたくし」と題された朗読会に参加した。出演は、ぱくきょんみ、扉野良人、山崎佳代子、季村敏夫、藤原安紀子、荒木みどり+吉田省念、そして『きりん』の詩を扉野良人と宮田あずみが読み、「太陽のこども」と題して扉野と山崎佳代子の対談があった。(上の写真のリーフレットはメリーゴーランド京都で販売されている)

ベオグラードに住んでおられる山崎さんとは、偶然にも二月ほど前にあるところで一緒にお酒を飲んでいた。とは言っても飲んでしゃべっただけ、というか主に山崎さんがセルビアについて滔々と語るのに耳を傾けていただけなのだが、そのときはお名前も存じ上げなかった。たまたまテーブルをはさんで目の前に座った女性だった。しかしながら、セルビアで戦禍を経験したということを別にしても只者ではない雰囲気を発しておらられた。昨夕のお話ではひさびさに半年という長期間、日本に滞在して新鮮な日々を過ごしておられるとか。先日のバウルの日本女性といい「わたしは女性しか信じない」と誰かが宣言していたが、まさに小生もそう思う。

『ベオグラード日誌』 山崎佳代子


会場の本堂は五十人ほどの熱心な来場者で満たされていた。見知った顔も何人か。当たり前ながら朗読は印刷された文字を読むのとはまったく違った印象だった。さすがに場数を踏んだ方々ばかりでいずれも聞き惚れた。若住職だけ、よくつっかえていた、もっと練習しときなはれ。

それはいいとして、会場では出演者に関わる新刊書の他に、古書の販売も行われていてここにいい本があった。どっさり抱えた方も。こちらはこれだけ『机』第八巻第九号(一九五七年九月一日発行)。表紙デザインは北園克衛。「机」の文字は伊藤憲治。

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特集はパイプ。あまり興味ないなと思いつつページを繰っていると「洋書短信」に「リットレのフランス語辞典」の紹介が出ていた。エミール・リットレ(1801-1881)のフランス語辞典の改版がポーヴェール社とエディシオンス・デュ・カップ社の二社同時に行われているという紹介である。初版はアシェット社から一八六三〜七二年にかけて四巻本として刊行されたもの。


《ポーヴェール社版は全七巻で予約価一万九千フラン。既刊三巻、今年十二月中に全巻完結する。次のように広告している。「リットレが三十年の生涯を捧げたこのフランス語辞典の改版を企てたものは今までにない。また恐らく今後これと匹敵する辞書を作ろうと思ってもできないだろう。》

《われわれは小説のようにリットレを読む。リットレはフランス語の小説だ。しかしこの十年来リットレは本屋になくなった。古本だと二万五千フラン位投じなければならない。しかも再版の声をきかなかった。百トンの鉛、百五十トンの紙、布二十キロメートル、七千五百万の活字がいるのだ。われわれは断行した。単なる再版でなく旧版よりいいものを作ろうと思った。》

《六ケ月間に一万五千人の予約者が出来た。成功は模倣を招く。類似品が出たがわれわれとは関係がない。完全に原典と符合するリットレはわれわれの新版だけだ。リットレとは名のみの修正され一変された贋物の再版リットレに注意されたい。》

ポヴェールがリットレを完結したのは一九五九年なのでここに言う《今年十二月中に全巻完結する》は実現しなかった。また《エディシオンス・デュ・カップ》とあるのはエディション・デュ・カプ(Éditions du Cap)でこれはフランス・ブッククラブ(Club français du livre)の別会社。一九五六年から五八年にかけてリットレの四巻本を刊行している。

この後、ガリマール/アシェット社からも再刊され、他にも何種類かのヴァージョンが出ている。今世紀になってからもル・フィガロ社が出している。読める辞書というだけあって人気は衰えないようだ。ただし現在ではインターネットで簡単に参照できる。むろんbnf(フランス国立図書館)では元版の画像公開もなされている。

Dictionnaire de la langue française, par É. Littré

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by sumus2013 | 2016-10-16 21:51 | もよおしいろいろ | Comments(0)

第29回下鴨納涼古本まつり

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午前中は暑さもまずまず。ざっと流した感じではやはり口笛文庫+サンコウあたりがいちばん混沌として、いかにも何かありそうな雰囲気だった。しかしあまり本が多すぎるのも落ち着かないもの。三つ四つのテントのぞいただけでもう昼になり、岡崎氏、生田氏、善行堂らと昼食へ。初日はパッとしないまま、一旦帰宅(途中一軒のぞいたが)。

午後六時半からのディラン・セカンドでの岡崎・山本トーク&ライブへ。木屋町通りで魚雷氏に会った。実家の三重から昼過ぎに着いて下鴨をのぞいてからやってきたそうだ。

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六時半にはほぼ満席、知った顔も多い。かなり遅れて扉野氏が、髭を生やしているので一瞬誰だかわからなかった。なつかしいフォークソングや歌謡曲を岡・山コンビと岡崎氏の弟さんで演奏。合間に古本話を。二時間。最後に抽選券によるプレゼントがあって終了。お疲れさん。

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by sumus2013 | 2016-08-11 16:29 | もよおしいろいろ | Comments(0)