林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:装幀=林哲夫( 56 )

大西巨人のリアル

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大西巨人さんの著書案内が朝日の日曜読書欄に出ていた。光文社文庫は小生の装画(装幀=間村俊一)です。

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by sumus2013 | 2014-05-05 09:10 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

ぽかん4号出来!

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『ぽかん』4号(ぽかん編集室、二〇一四年四月二一日、コラージュ=林哲夫、レイアウト=西田優子)が届いた。今回も3号にひきつづいて本誌の表紙および附録「ぼくの100 福田和美」にコラージュを提供させてもらった。われながらなかなかのできばえ。もうひとつの附録「のんしゃらん通信」も素敵だ。そして何より寄稿者が凄過ぎる。巻頭、小沢信男さんの俳句! そして山田稔さん、涸沢純平さんまで。蟲さん、石神井さん、まだまだ詳しくは下記を。

ぽかん編集室
http://pokan00.blogspot.jp

届いたばかりなので感想は改めて。

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by sumus2013 | 2014-05-01 20:57 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

大西巨人さん死去

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去る12日に大西巨人さんが亡くなられた、留守中のことだったので新聞を見ていなかった。ローカルTVではなにも報道されなかったため帰宅するまで知らなかった。拙作で飾られた光文社文庫の大西本を取り出して追悼の意を表する。

間村俊一さんと、大西さん担当だった編集者Sさんと、三人で埼玉県のご自宅にうかがったのは光文社文庫版『神聖喜劇』が刊行された翌年二〇〇三年十一月だった。日記を確かめてみると六本木のギャラリー柳井で個展をするために上京した機会をとらえてのことである。

いつもながら上京したときには知人宅に泊めてもらう。かつては岡崎武志氏のところや生田誠氏のところにもお邪魔したし、このときはまず新浦安のTさん宅に泊めてもらった。じつはこのときお世話になったTさん宅(当時築二十年だとおっしゃっていた)、つい最近、火事を出して全焼してしまったというのでビックリ。幸いTさんはご無事だったが、それでも一週間ほど病院で意識不明だったとか。書物の重みを支えるため居間の中央に柱を一本増やしたほどの蔵書家だった。それらはすべて灰燼に帰した。

十一月十九日の日記の一部を書き写しておく。この日、池袋へ移動している。

《リブロの光文社棚を確認し、ちくま学芸文庫にバシュラール『空間の詩学』を見つけて買う。そのすぐ横のカフェキャビンでグレープフルーツジュース。14:05 光文社棚のところへ移動。しばらくきょろきょろしていると、中年女性から「林さんですか?」と声をかけられた。》

同行することになっていたSさんが急に具合が悪くなったとその女性は告げに来てくれたのだったが、そこへ当のSさん現れ、大丈夫ですと言うので、結局、間村俊一さんと三人でタクシーを拾って与野市へ向かった。

《14:50ごろ大西宅着。高速降りて5分もかからなかった。メーターは7千円ほど。大西先生、ご機嫌の様子でそれから文学談義を2時間ほど。お菓子につづいて 16:00 すぎに茶巾ずしとつけもの出る(浅漬とサラミ!) ワープロを使って最新作を書き上げたが、ワープロだと文体が崩れるような気がして、息子の大西赤人(昭和30年生)さんに相談したら、ワープロで崩れるようなら大した作家じゃないと言われてふんぎりがついたとか、いろいろな話。17:00 ごろまで。タクシー呼んでもらい飯田橋まで帰る8千円。Sさんは帰宅。間村さんの行きつけもー吉へ。》

いや、ほんとに今もよく覚えているが、大西先生、間村さんの俳句を口ずさんだりして(間村句が気に入って暗記していた!)じつに上機嫌。間村さんビックリしていた。壁には平野甲賀さんが装幀した以前の『神聖喜劇』(ちくま文庫)の表紙が額に入れて飾られていた。

なんと、会話の一部は「大西巨人談」として日記にまとめてあった。これは自分をほめてやりたい。

《岡本かの子全集(ちくま文庫、間村装)が本棚にあり、かのこの小説が好きだという話から、岡本太郎に会ったことはないのかという質問に対して、「新日本文学」の時代に、会合に欠席していたため長谷川四郎と二人で、年末に雑誌の赤字を何とかするために、寄付金をもらいに歩いた。松本清張、岡本太郎、水上勉、有馬頼義などを歴訪したそうだ。交渉は長谷川四郎が主にやったそうで、大西さんは若かったこともあり、人づきあいは苦手な方なので、みんな初対面で、うしろにくっついていた、ということである。

画家ではキリコが好き、なかでも輪を走らせる少女がすきとのこと。

「神聖喜劇」が光文社から出た経緯は、「新日本文学」連載中に早く、松本清張が、取り上げて評価してくれたことがまずあり、光文社の編集者の一人が出版したいと言ってきた。中間小説として傑作で原稿のまま出版しますという話だった(カッパは、かなり原作を変えるということで有名だったそうだ)。そのころすでに5年間書きつづけていて、あと数ヶ月か半年で完結させる予定で引き受けたが、それから15年以上かかってしまった。批評家に原稿がおそいのは才能がないからだと言われたりした。

ある年、どうしても金が必要になり、光文社へ前借りに出かけた。俺は借金に来たんじゃないゾ、借の印税をもらいに来たんだとどなった。会社中がシーンとしたらしい。そこでなんとか都合はついたが、上の方から刊行打ち切りの話が出たらしい。担当の編集者はいつもポケットに辞表を持ち歩いていた(辞表の件はS氏の聞いた話、大西さんは知らなかった。)》

とまあ、このくらいのことだが、大西さんの口から直接うかがったのだから感慨は深い。ご冥福をお祈りします。




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by sumus2013 | 2014-03-17 22:07 | 装幀=林哲夫 | Comments(9)

おまじない

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村中秀雄詩集『おまじない』(編集工房ノア、一九九三年九月二〇日、装幀=林哲夫)。村中さんとは同人誌『ブラケット』で知り合った。岡崎氏とも善行堂氏とも街の草さんともこの雑誌で知り合った。ついでに言えば、こういう雑誌が出るから「何か書かへん?」とたしか電話をくれたのは風羅堂の大西隆志さんだった(大西さんはその頃から詩人として広く知られていました。当時は公務員でした)。文章を書く者として小生が今日在るのはすべて『ブラケット』が出発点だった、というふうに結論してもそう大きな間違いではない。

なかでも村中さんとは気が合って、また村中さんのアパートもそう遠くない湊川公園の近くにあったので互いに行き来していた。さらに神戸の震災のときには、わが家から歩いて数分のところに引っ越して来たばかりだった。地震直後、いの一番に見舞いにきてくれた友人である。

『おまじない』は処女詩集。帯を取るとアゲハチョウが現れる。表紙4側は蜜柑の樹をいっぱいに描いてある。当時、妻がアゲハチョウを盛んに飼育していたところから。内容とはほとんど関係なく、村中さんは校正刷を見て「まっこうくさい」という感想をもらした。たしかに、詩風からするともっとカラッとしたナンセンスな図柄が良かったのかもしれないと今では思ったりする。神戸ナビール文学賞受賞(この賞は小生の装幀本が二度もらっている、装幀者には何もありませんが)。



   吾輩のお葬式

 イッショニ死ンデアゲル と
 吾輩はふたりのおんなに言ったことがある
 ひとりはいじめられっ子だった
 やさしい少女だったが
 母親がいけなかった
 もうひとりは老いた寡婦だった
 結局は老人ホームへいってしまったな

 吾輩はいま
 アスファルトの上で干(ひ)からびている
 二日まえの夜 トラックにやられたんだ
 年齢(とし)だな

 そして昨日
 ピカピカの乗用車に完全にのされてしまった
 乗っていた女が
 ぬいぐるみで顔をおおった

 もう二、三日もすれば
 蟻のやつがそおっと吾輩をかついでくれる
 はずなのだが




   別れ

 公園でみた犬の顔が
 かなしかった

 人間は動物とちがう
 と昨日はおもった
 が
 今日は
 人間は動物であると

 午後からしぐれて
 しぐれの空の裂けた水色の淵に
 ぼくは地球をみている

 小雨が顔に
 きもちよくあたった




   家

 祖父は屋根から落ちて死にました
 母は雨漏りの受け方を子供たちに教えました
 兄は雨が降ると勉強ができないといって家を出ました
 妹は壁にできたシミが怖いと泣いていました
 ずいぶん昔のことです
 父ですか
 屋根があるから雨漏りもする。と言ったのを憶えております





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『夢の見方』(編集工房ノア、二〇〇二年三月二〇日、装幀=林哲夫、題字=廣田暎子)。書は村中さんの意向で廣田女史の作品(村中詩を書いたもの)を使った。作品の実物がわが家に送られて来たので、写真を撮るのに一苦労したことを思い出す。家の前の路上に出して、向いの家のコンクリート塀に立てかけ(畳一枚より大きかったような)、なんとか撮影した。その頃はまだ一眼レフのニコマートを使っていたと思う。この詩集は及川記念芸術奨励賞を受賞した。二冊の詩集が二冊とも受賞するのは、たとえ地方都市の出来事だとしても、村中さんの才能の豊かさを証明している。むろん、小生も村中さんの詩は最初からずっと好きだった。

たしか知り合った頃には神戸の百貨店の和楽器売場に勤めていた。村中さんは卒論で(どこの大学だか聞きそびれたけれど)メシアンだかバルトークだかあるいは誰だったか現代音楽のさきがけのような作曲家について論文を書いたと言っていた。『ブラケット』の中心的存在だった村岡眞澄さんの『十年の雨』(彼方社、一九九三年)の出版記念会が大阪の天神橋に近い川沿いのレストランかバーかでもたれたとき、村中さんはそこにあったピアノを軽快に演奏したものだ。これは意外だった。どちらかと言えば、三味線の方が似合う風貌ではあった。

ところが、いつだったかクビになり、三ノ宮のセンター街の上階にあるダイエーの社員食堂のコックに転身した。フライパンを振り過ぎて腱鞘炎になったとこぼしていた。さらにその後、運転免許を取ってタクシードライバーになると言い出した。小生の車に同乗して、いや小生が同乗して、路上運転の練習のために長田区のあたりをグルグル走り回ったこともあった。むろんドライバーにはならなかったが。

またさらにその後を、どう暮らしていたのか、震災後われわれが京都へ越したこともあり、あまり詳しくは知らない。村中さんが被災者の特典のようなかたちで住吉台に住み着いてからは、一度だけそのたいへん環境の良い六甲山の中腹に建っている団地を訪れたことがあったが(ベランダからの海の眺めが見事だった)、それ以来、一年か二年に一度、神戸での個展のときに顔を見せてくれるので、会場でしばらく話し込むだけであった。山歩きに明け暮れているようなことを言っていた。


   詩のこと

 詩のことは
 ふだん思わないほうがいい
 うっかり風呂屋で考えこむと
 脱ぎ忘れていたり
 他人のものに手をだしたり
 洗う順番がいつもとちがって
 すると洗った気がしなくて

 街で喧嘩をみなくなった
 風呂屋ではもっとまえからだ
 いいことなんだろうが
 どこかへんだ
 ーーいろいろな裸があって
   風呂屋には感動がある。
 とある芸術家がいってたが

 興味とあやうさのまじった愛くるしい瞳で
 女の子がぼくを見る
 女の子の洗う仕草が
 母親ゆずりだなと想うと
 なんだか嬉しくなる
 男の子をみないが
 女風呂へ行くのだろう

 詩のことを考えていなくても
 風呂賃を忘れて家を出ることがある
 片道十五分
 気を取り直し家につき
 小銭をぎゅっとつかんで取って返す道すがら
 一心不乱に詩のことを考える



そういえば、実家は風呂屋だったと聞いたような気がする。




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by sumus2013 | 2014-01-08 21:21 | 装幀=林哲夫 | Comments(9)

書斎の宇宙

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高橋輝次編『書斎の宇宙 文学者の愛した机と文具たち』(ちくま文庫、二〇一三年一二月一〇日、装幀=間村俊一、装画=林哲夫)が届いた。

内田百閒から
小川洋子まで
こだわりの品々から見える
創作の秘密
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480431264/

前回の企画『増補版 誤植読本』が好評だったため高橋編集本第二弾が実現した。高橋さんが長年温めておられた『書斎の宇宙 文学者の愛した机と文具たち』がちくま文庫オリジナルとして刊行されることになったのである。

目次だけ見せられて、てきとうに何か描いて欲しいという注文だった。締め切りもけっこう迫っていたし、またちょうどいい机がなかったため、机はあきらめて、在り合せの文具を並べて描いた。インク壺など、もっとアンティークなものを探したかったのだが…。

金ぴかの腕時計は亡父の遺品である。このデータを担当の編集者氏に送ったところ、その方の父上も同じような時計を持っておられたと教えられた。バンドの部分がバネになって伸縮するタイプ。いっとき流行したように記憶する。

内容については、読んでから書きます。
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by sumus2013 | 2013-12-12 17:06 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

ぽかん 03

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留守中あれこれ届いたなかに『ぽかん 03』(ぽかん編集室、二〇一三年一〇月一七日)があった。今年の四月、メリーゴーランド京都での個展の折に真治さんが「次のぽかんの表紙にコラージュ使わせてもらっていいですか?」というので二つ返事でオーケーした。そして九月の後半になってコラージュのデータ等を提供した。もうそろそろ出来あるころかな、と心待ちしていたところである。

今回はまたはりきった内容で驚かされた。あとがきなどを読むと、すべて思いつきでパッパとやってしまっているようだが、それがこんな風な形になって提供されてみると「編集人・真治彩おそるべし」の感を強くする。レイアウト担当の西田優子さんのセンスにも目をみはる。とくに本誌『ぽかん 03』のこの余裕というか落ち着き払ったレイアウトぶりは見事。

ぽかん編集室
http://pokan00.blogspot.jp

本誌の執筆陣が山田稔、外村彰、澤村潤一郎、中野もえぎ、真治彩、福田和美、内堀弘。これはもう何をかいわんや。「編集人・真治彩おそるべし」を繰り返すしかない。

内堀さん寄稿の「千代田区猿楽町1-2-4(其の一)」は『彷書月刊』について。若月隆一氏のこと、そして田村治芳との出会いから終刊の周辺が語られ、当事者としての内堀さんの動き(心の動きも)が回想されている。(其の一)となっているが、このテーマはじっくりと取り組んでもらいたいものだ。正直、不定期刊の『ぽかん』の連載には似つかわしくないと思う(真治さんは「年三回くらいは出すことを予言したい」と編集後記に書いているので、もしそうなったらこの発言は撤回しますが)。

付録(といっても付録の方が本誌より大きいのです)・秋葉直哉「ぼくの百」にビックリ。

《また、これまでの号にもあった、「ぼくの百」。
とんでもない量です。本誌に流し込んだら、それだけで30ページくらいになりました。
「純粋散文雑誌」とは遠いものになってしまいます。
そこで、ポスターみたいにしようというアイデアが浮かびました。
A1サイズ両面に、カラーで、書影もたっぷりの読み応えあるものに仕上がりました。》(ぽかん編集室)

というような次第で本誌とは別に「ぼくの百」ポスター用にコラージュ制作の依頼があった。ちょうどギャラリー島田の展示用に作っていた時期だったのでとりかかるのに問題はなかった。ただしA5サイズと大判だったため少々難渋した。なんとか2点出来たので「どちらでも」と提供したら「両方使います」ということでこうなった。

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A判全紙の表裏に秋葉氏の選んだ百冊のコメントが書影とともに印刷されている。秋葉氏の選んた本が渋い。事前に内容は知らされていたものの、内容に即したコラージュというわけではない。ランボーと中原中也の肖像がわずかに直結するけれど、それ以外のイメージは行き当たりばったりである。

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それからもう一冊『のんしゃらん通信 vol.1』(ぽかん編集室、二〇一三年一〇月一七日)も付いている。

《原稿もすべて集まって、3号の全体像が見えたとき、ベッドでごろんと横になっていたわたしは、不安にかられました。
これは、ちょっと渋すぎて、かっこよすぎやしないかと。
そうして、わたしに「ノンシャラン」という言葉が降ってきたのです。ああ、そうだ、気楽に読める、ライトなエッセイも、自分が作るものには欠かせないんだと。

それで、急に、付録をつけようとおもいたったわけです。
題して、「のんしゃらん通信」。ねころんで読んでも、電車で読んでも、楽しい、愉快な、かろやかなものに仕上がりました。》(ぽかん編集室)

執筆陣も本誌とは違った意味でナイスな人選である。イラストは「糸巻きパレットガーデン♪」の toti さん。 toti さんはアート系の人気ブロガーと言っていいだろうが、イラストレーターではもちろんない。しかしそれゆえに新鮮な無邪気さとそれに見合ったクオリティをもっている。そこに目をつけるとは、ここでもまた「編集人・真治彩おそるべし」とつぶやくしかない。

糸巻きパレットガーデン♪  ぽかん
http://daikatoti.exblog.jp/19878082/

また、読者カードと奥付(二種類)というこだわりも本好きならではのアイデアであろう。とにかく入手しておいて損はない。


ぽかん02
http://sumus.exblog.jp/17115418/

ぽかん 01
http://sumus.exblog.jp/14470897/
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by sumus2013 | 2013-10-27 17:01 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)