林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:装幀=林哲夫( 52 )

親なき家の片づけ日記

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2015年1月30日発行

著者 島利栄子
写真 柳原一徳
装幀 林 哲夫

発行所 みずのわ出版
http://www.mizunowa.com

232×190mm


《父が平成十六年、母が翌十七年に亡くなった。共に満八十六歳だった。それからもう少しで十年がたとうとしている。自分にとってこの十年間は何だったのだろう。
 両親が暮らしていた家で親の遺品と向かい合いながら、どうしようどうしようと片づけに悶々としつつ、自分を確認した歳月だったように思う。千葉県八千代市から長野県筑摩郡筑北村坂北まで、月一回、帰省する時間を作るのは、意外と大変だった。
 が、帰らないではいられなかった。自分にとってどうしても大事なことであり、避けては通れないことだった。親とは? 故郷とは? そして自分自身は何物なのか、結局は自分探しになってしまう。が、そんな時間がとても大事なものに思われた。》(序章より)

う〜ん、誰もが通る道だが、たしかに親の家を片付けるのは大仕事だった。島さんは昭和十九年生まれ、小生より十一歳上。この日記がちょうど十年前の記録だとすれば、ほぼ同じ年代に両親を亡くしたわけだ。他人事ではない。これから、という方々にはぜひお勧めしておきたい一冊である。

判型を見てもらえばわかるように片付け日記だけでなくプラス写真集にもなっており(本文写真はほぼすべてカラー)、そうなるとかえって表紙にどの写真を使うべきか迷ってしまった。面白い室内写真も多かったのだが、やはり書店の店頭に並ぶのだからデザイン的に目をひくものにしたい。その上に「片付け」という内容を表現した写真であって欲しい……となると限られて来る。半日悩んで(あまり悩まないタイプなので半日はかなり悩んだことになる)この食器棚にした。著者の島さんには「これしかない」と言ってもらえてひと安心。

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表紙は常套手段、モノクロ写真全面展開。この一枚も表紙候補だった。ちょっと地味すぎるかなと思って選ばなかった。窓のあたりの何気ない雰囲気が好きなのだが。

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母上の日記帳がこんなに残されていた。


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坂北は風光明媚なところである。

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年中行事の記念写真なども整理されており、単なる「片付け」日記ではなく信州坂北の歳時記というふうにも読めるだろう。



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by sumus2013 | 2015-01-13 21:45 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

梓会出版文化賞第30回記念特別賞

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一昨日以下のようなメールが届いた。めでたい。


《各位
■ご報告
「梓会出版文化賞第30回記念特別賞」の受賞が決まりました。創業18年目にして、賞と名のつくものを戴くのは初めてです。小社の賞罰連戦連敗記録の終結と広島カープの優勝、どちらが先に来るか? と言うてたのですが……。

対象期間内の刊行物で選考基準として提出したのは以下4点です。全国離島振興協議会・日本離島センター関係の書籍が4点中3点を占めます。なかなかに誰も見向きもしない離島振興に関わる仕事を評価して戴けたのは有難いことです。

「島―瀬戸内海をあるく 第3集 2007-2008」 

「馬毛島・青ガ島のその後/離島と観光の問題 宮本常一離島論集第4巻」

「利尻島見聞/離島振興の諸問題 宮本常一離島論集第3巻」

「神戸市戦災焼失区域図復刻版」


補足しておくと、みずのわ出版そのものが対象ではないにしても、季村敏夫『山上の蜘蛛 神戸モダニズムと海港都市ノート』(みずのわ出版、二〇〇九年)は第十二回小野十三郎賞特別賞を受賞している。



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by sumus2013 | 2014-12-28 14:29 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

宮本常一の風景をあるく 周防大島東和

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宮本常一の風景をあるく 周防大島東和
2014年12月15日発行

著者 周防大島文化交流センター
写真 宮本常一
装幀 林 哲夫

発行所 みずのわ出版
http://www.mizunowa.com
210×148mm

上はカバー。写真はもちろん宮本常一による。

《ハシケ。島まわりの定期船が浦々をめぐり、港の小さなところでは木造の伝馬船が陸と沖の船をつないだ。大島の北岸を巡る定期船に乗船し、故郷をあとにする人たちでハシケはいっぱい。自動車はまだ普及しておらず、島内の道路網も整備されていなかった昭和30年代には船が主な移動手段で、特に島の東部の人たちは本土へ渡る際には、このような島回りの船を利用することが多かったという。》

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こちらが表紙(表1)。宮本の写真をクローズアップして使っているが、あえて文字を入れなかった。元の構図は下のようなものである。たこつぼの修繕をしている人物。佐連。昭和三十八年十月十九日。

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宮本常一が撮った島の生活や風景がみっしり詰まった本。小生も讃岐の海岸近くで昭和三十年代から四十年代にかけて育った。子どもの頃にこんな風景の中を歩いていたのだと思うと、不思議な気持ちになる。瀬戸内の島がブームらしいが、この写真の景色がそのまま残っていればどんなにか素晴らしいだろうと思う。不便は不便だろうけど……。


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by sumus2013 | 2014-11-27 20:14 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

竹尾賞 デザインと社会をつなぐ10回の歩み

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竹尾賞が第十回を迎えた記念に六月から七月にかけてこれまでの受賞作とともに展覧が行われた。これはそのときに作られた図録である。ちょうど連絡が入ったときにパリにいたので、受賞者の言葉をメール校正をしただけで、ブログにも何も告知できなかった。

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あらためて第一回から眺めてみると、凄い本ばかりで、感心した。よくこのなかに選んでもらえたものだ。『関西の出版100』はもちろん多くの人々の協力を得た良い本で、装幀も悪くない出来だとは手前味噌ながら思ってはいるのだが、賞というのは運の側面もあるから、そう言う意味ではとにかくラッキーだった。



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by sumus2013 | 2014-09-03 21:15 | 装幀=林哲夫 | Comments(2)

島 瀬戸内海をあるく第3集 2007-2008

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島 瀬戸内海をあるく第3集 2007-2008
2014年6月30日発行

著者 斎藤 潤
装幀 林 哲夫
カバー写真 小林恵
発行所 みずのわ出版
http://www.mizunowa.com
217×153mm


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by sumus2013 | 2014-07-03 20:06 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

宮本常一離島論集完結

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【書評】

「宮本の「離島」という問い 「離島論集」完結により総覧が可能に」
 重信幸彦 『週刊読書人』2014年2月28日号

「民俗学者の枠を越えて立ち上がる宮本常一 世間師にして経世者の面目躍如」
 和賀正樹 『図書新聞』2014年5月17日号



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二〇〇九年一〇月に第一巻を刊行して以来まる四年、五巻および別巻の六冊を完結させた。その間にいろいろ環境の変化もあったが、昨今の状況下でよくぞやりとげた、と思う。装幀に関しては巻ごとに文字の組み直しをしただけなので苦労はなかった。カバーに使ったマーメイド紙の値段が高いため申し訳ないなと思いつつ同じ紙で通した。附録 CD-R のデザインも絣の模様で統一。けっこう気に入っている。


みずのわ出版
宮本常一離島論集(全5巻+別巻)2013年8月全巻完結につきまして
http://www.mizunowa.com/index.html


宮本常一離島論集第一巻
http://sumus.exblog.jp/12009942/

著者 宮本常一
編者 森本孝
装幀 林 哲夫
発行所 みずのわ出版

216×153mm

ジャケット マーメイド しろ砂 四六判Y目115kg
表紙 NTラシャ くち葉 四六判Y目100kg
見返 NTラシャ 濃茶 四六判Y目130kg
別丁扉 タント0-56 四六判Y目100kg

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by sumus2013 | 2014-05-20 15:57 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

大西巨人のリアル

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大西巨人さんの著書案内が朝日の日曜読書欄に出ていた。光文社文庫は小生の装画(装幀=間村俊一)です。

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by sumus2013 | 2014-05-05 09:10 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

ぽかん4号出来!

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『ぽかん』4号(ぽかん編集室、二〇一四年四月二一日、コラージュ=林哲夫、レイアウト=西田優子)が届いた。今回も3号にひきつづいて本誌の表紙および附録「ぼくの100 福田和美」にコラージュを提供させてもらった。われながらなかなかのできばえ。もうひとつの附録「のんしゃらん通信」も素敵だ。そして何より寄稿者が凄過ぎる。巻頭、小沢信男さんの俳句! そして山田稔さん、涸沢純平さんまで。蟲さん、石神井さん、まだまだ詳しくは下記を。

ぽかん編集室
http://pokan00.blogspot.jp

届いたばかりなので感想は改めて。

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by sumus2013 | 2014-05-01 20:57 | 装幀=林哲夫 | Comments(0)

大西巨人さん死去

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去る12日に大西巨人さんが亡くなられた、留守中のことだったので新聞を見ていなかった。ローカルTVではなにも報道されなかったため帰宅するまで知らなかった。拙作で飾られた光文社文庫の大西本を取り出して追悼の意を表する。

間村俊一さんと、大西さん担当だった編集者Sさんと、三人で埼玉県のご自宅にうかがったのは光文社文庫版『神聖喜劇』が刊行された翌年二〇〇三年十一月だった。日記を確かめてみると六本木のギャラリー柳井で個展をするために上京した機会をとらえてのことである。

いつもながら上京したときには知人宅に泊めてもらう。かつては岡崎武志氏のところや生田誠氏のところにもお邪魔したし、このときはまず新浦安のTさん宅に泊めてもらった。じつはこのときお世話になったTさん宅(当時築二十年だとおっしゃっていた)、つい最近、火事を出して全焼してしまったというのでビックリ。幸いTさんはご無事だったが、それでも一週間ほど病院で意識不明だったとか。書物の重みを支えるため居間の中央に柱を一本増やしたほどの蔵書家だった。それらはすべて灰燼に帰した。

十一月十九日の日記の一部を書き写しておく。この日、池袋へ移動している。

《リブロの光文社棚を確認し、ちくま学芸文庫にバシュラール『空間の詩学』を見つけて買う。そのすぐ横のカフェキャビンでグレープフルーツジュース。14:05 光文社棚のところへ移動。しばらくきょろきょろしていると、中年女性から「林さんですか?」と声をかけられた。》

同行することになっていたSさんが急に具合が悪くなったとその女性は告げに来てくれたのだったが、そこへ当のSさん現れ、大丈夫ですと言うので、結局、間村俊一さんと三人でタクシーを拾って与野市へ向かった。

《14:50ごろ大西宅着。高速降りて5分もかからなかった。メーターは7千円ほど。大西先生、ご機嫌の様子でそれから文学談義を2時間ほど。お菓子につづいて 16:00 すぎに茶巾ずしとつけもの出る(浅漬とサラミ!) ワープロを使って最新作を書き上げたが、ワープロだと文体が崩れるような気がして、息子の大西赤人(昭和30年生)さんに相談したら、ワープロで崩れるようなら大した作家じゃないと言われてふんぎりがついたとか、いろいろな話。17:00 ごろまで。タクシー呼んでもらい飯田橋まで帰る8千円。Sさんは帰宅。間村さんの行きつけもー吉へ。》

いや、ほんとに今もよく覚えているが、大西先生、間村さんの俳句を口ずさんだりして(間村句が気に入って暗記していた!)じつに上機嫌。間村さんビックリしていた。壁には平野甲賀さんが装幀した以前の『神聖喜劇』(ちくま文庫)の表紙が額に入れて飾られていた。

なんと、会話の一部は「大西巨人談」として日記にまとめてあった。これは自分をほめてやりたい。

《岡本かの子全集(ちくま文庫、間村装)が本棚にあり、かのこの小説が好きだという話から、岡本太郎に会ったことはないのかという質問に対して、「新日本文学」の時代に、会合に欠席していたため長谷川四郎と二人で、年末に雑誌の赤字を何とかするために、寄付金をもらいに歩いた。松本清張、岡本太郎、水上勉、有馬頼義などを歴訪したそうだ。交渉は長谷川四郎が主にやったそうで、大西さんは若かったこともあり、人づきあいは苦手な方なので、みんな初対面で、うしろにくっついていた、ということである。

画家ではキリコが好き、なかでも輪を走らせる少女がすきとのこと。

「神聖喜劇」が光文社から出た経緯は、「新日本文学」連載中に早く、松本清張が、取り上げて評価してくれたことがまずあり、光文社の編集者の一人が出版したいと言ってきた。中間小説として傑作で原稿のまま出版しますという話だった(カッパは、かなり原作を変えるということで有名だったそうだ)。そのころすでに5年間書きつづけていて、あと数ヶ月か半年で完結させる予定で引き受けたが、それから15年以上かかってしまった。批評家に原稿がおそいのは才能がないからだと言われたりした。

ある年、どうしても金が必要になり、光文社へ前借りに出かけた。俺は借金に来たんじゃないゾ、借の印税をもらいに来たんだとどなった。会社中がシーンとしたらしい。そこでなんとか都合はついたが、上の方から刊行打ち切りの話が出たらしい。担当の編集者はいつもポケットに辞表を持ち歩いていた(辞表の件はS氏の聞いた話、大西さんは知らなかった。)》

とまあ、このくらいのことだが、大西さんの口から直接うかがったのだから感慨は深い。ご冥福をお祈りします。




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by sumus2013 | 2014-03-17 22:07 | 装幀=林哲夫 | Comments(9)

おまじない

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村中秀雄詩集『おまじない』(編集工房ノア、一九九三年九月二〇日、装幀=林哲夫)。村中さんとは同人誌『ブラケット』で知り合った。岡崎氏とも善行堂氏とも街の草さんともこの雑誌で知り合った。ついでに言えば、こういう雑誌が出るから「何か書かへん?」とたしか電話をくれたのは風羅堂の大西隆志さんだった(大西さんはその頃から詩人として広く知られていました。当時は公務員でした)。文章を書く者として小生が今日在るのはすべて『ブラケット』が出発点だった、というふうに結論してもそう大きな間違いではない。

なかでも村中さんとは気が合って、また村中さんのアパートもそう遠くない湊川公園の近くにあったので互いに行き来していた。さらに神戸の震災のときには、わが家から歩いて数分のところに引っ越して来たばかりだった。地震直後、いの一番に見舞いにきてくれた友人である。

『おまじない』は処女詩集。帯を取るとアゲハチョウが現れる。表紙4側は蜜柑の樹をいっぱいに描いてある。当時、妻がアゲハチョウを盛んに飼育していたところから。内容とはほとんど関係なく、村中さんは校正刷を見て「まっこうくさい」という感想をもらした。たしかに、詩風からするともっとカラッとしたナンセンスな図柄が良かったのかもしれないと今では思ったりする。神戸ナビール文学賞受賞(この賞は小生の装幀本が二度もらっている、装幀者には何もありませんが)。



   吾輩のお葬式

 イッショニ死ンデアゲル と
 吾輩はふたりのおんなに言ったことがある
 ひとりはいじめられっ子だった
 やさしい少女だったが
 母親がいけなかった
 もうひとりは老いた寡婦だった
 結局は老人ホームへいってしまったな

 吾輩はいま
 アスファルトの上で干(ひ)からびている
 二日まえの夜 トラックにやられたんだ
 年齢(とし)だな

 そして昨日
 ピカピカの乗用車に完全にのされてしまった
 乗っていた女が
 ぬいぐるみで顔をおおった

 もう二、三日もすれば
 蟻のやつがそおっと吾輩をかついでくれる
 はずなのだが




   別れ

 公園でみた犬の顔が
 かなしかった

 人間は動物とちがう
 と昨日はおもった
 が
 今日は
 人間は動物であると

 午後からしぐれて
 しぐれの空の裂けた水色の淵に
 ぼくは地球をみている

 小雨が顔に
 きもちよくあたった




   家

 祖父は屋根から落ちて死にました
 母は雨漏りの受け方を子供たちに教えました
 兄は雨が降ると勉強ができないといって家を出ました
 妹は壁にできたシミが怖いと泣いていました
 ずいぶん昔のことです
 父ですか
 屋根があるから雨漏りもする。と言ったのを憶えております





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『夢の見方』(編集工房ノア、二〇〇二年三月二〇日、装幀=林哲夫、題字=廣田暎子)。書は村中さんの意向で廣田女史の作品(村中詩を書いたもの)を使った。作品の実物がわが家に送られて来たので、写真を撮るのに一苦労したことを思い出す。家の前の路上に出して、向いの家のコンクリート塀に立てかけ(畳一枚より大きかったような)、なんとか撮影した。その頃はまだ一眼レフのニコマートを使っていたと思う。この詩集は及川記念芸術奨励賞を受賞した。二冊の詩集が二冊とも受賞するのは、たとえ地方都市の出来事だとしても、村中さんの才能の豊かさを証明している。むろん、小生も村中さんの詩は最初からずっと好きだった。

たしか知り合った頃には神戸の百貨店の和楽器売場に勤めていた。村中さんは卒論で(どこの大学だか聞きそびれたけれど)メシアンだかバルトークだかあるいは誰だったか現代音楽のさきがけのような作曲家について論文を書いたと言っていた。『ブラケット』の中心的存在だった村岡眞澄さんの『十年の雨』(彼方社、一九九三年)の出版記念会が大阪の天神橋に近い川沿いのレストランかバーかでもたれたとき、村中さんはそこにあったピアノを軽快に演奏したものだ。これは意外だった。どちらかと言えば、三味線の方が似合う風貌ではあった。

ところが、いつだったかクビになり、三ノ宮のセンター街の上階にあるダイエーの社員食堂のコックに転身した。フライパンを振り過ぎて腱鞘炎になったとこぼしていた。さらにその後、運転免許を取ってタクシードライバーになると言い出した。小生の車に同乗して、いや小生が同乗して、路上運転の練習のために長田区のあたりをグルグル走り回ったこともあった。むろんドライバーにはならなかったが。

またさらにその後を、どう暮らしていたのか、震災後われわれが京都へ越したこともあり、あまり詳しくは知らない。村中さんが被災者の特典のようなかたちで住吉台に住み着いてからは、一度だけそのたいへん環境の良い六甲山の中腹に建っている団地を訪れたことがあったが(ベランダからの海の眺めが見事だった)、それ以来、一年か二年に一度、神戸での個展のときに顔を見せてくれるので、会場でしばらく話し込むだけであった。山歩きに明け暮れているようなことを言っていた。


   詩のこと

 詩のことは
 ふだん思わないほうがいい
 うっかり風呂屋で考えこむと
 脱ぎ忘れていたり
 他人のものに手をだしたり
 洗う順番がいつもとちがって
 すると洗った気がしなくて

 街で喧嘩をみなくなった
 風呂屋ではもっとまえからだ
 いいことなんだろうが
 どこかへんだ
 ーーいろいろな裸があって
   風呂屋には感動がある。
 とある芸術家がいってたが

 興味とあやうさのまじった愛くるしい瞳で
 女の子がぼくを見る
 女の子の洗う仕草が
 母親ゆずりだなと想うと
 なんだか嬉しくなる
 男の子をみないが
 女風呂へ行くのだろう

 詩のことを考えていなくても
 風呂賃を忘れて家を出ることがある
 片道十五分
 気を取り直し家につき
 小銭をぎゅっとつかんで取って返す道すがら
 一心不乱に詩のことを考える



そういえば、実家は風呂屋だったと聞いたような気がする。




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by sumus2013 | 2014-01-08 21:21 | 装幀=林哲夫 | Comments(9)