林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:古書日録( 758 )

VAN 創刊号

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昨日、何度も名前を出した『VAN』創刊号イヴニングスター社、一九四六年五月一日、表紙=横山隆一)。daily-sumus ではまだ取り上げていなかった。現物がどこかにあるはずなのだが、書斎を整理したため現在行方不明なり。この写真は拙著『文字力100』(みずのわ出版、二〇〇六年)に使ったもの。

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『文字力100』は版元品切れなれど小生架蔵分がまだ少々残っておりますので、ご希望の方は sumus_co(アットマーク)yahoo.co.jp まで。1800円(送料込)

『文字力100』より岡村不二
http://sumus.exblog.jp/20163082/

『文字力100』校正中
http://sumus.exblog.jp/4716258/

『文字力100』より牧寿雄
http://sumus.exblog.jp/17645550/

『文字力100』は100冊の本を上の『VAN』のように風景が建物のなかに置いて撮影した写真(モノクロームです!)とそれに付した簡単な文章から成っている。このスタイルが気に入ったので続編を出したいなと思いつつ時間が経ってしまい、昨今の様子ではどうやら実現しそうもない。その分をブログでやっているようなものだが。

いろいろバックグラウンドに工夫をして100冊以上(採用しなかったものも多数あり)の「本の景色」を撮った。使わなかったカットを見ていると、笑えるのがあったので紹介しておきたい。

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鳩が興味津々なのは……ルナアル『博物誌』(白水社、一九四一年五版)である。daily-sumus でも『博物誌』は何度か取り上げている。

http://sumus.exblog.jp/15462535/

http://sumus.exblog.jp/7703373/



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by sumus2013 | 2014-01-17 21:20 | 古書日録 | Comments(0)

諷刺文学2冊

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『諷刺文学』創刊号(イヴニングスター社、一九四七年四月一日、表紙=河野鷹思)および第五号(一九四七年一一月一日)の二冊を入手した。「諷刺文学発刊の言葉」で社長の上村甚四郎はこう書いている。

《本社はさきに諷刺雑誌「VAN」を創刊し、今また文芸雑誌「諷刺文学」を上梓する。この両誌は自ら役割を異にし、従つて互に競合することなく、それぞれの活動と発展とをもつであらう。》

編輯兼発行人は『VAN』(一九四六年五月一日創刊)と同じく伊藤逸平。発行所は銀座六ノ四交旬社ビル五階(創刊号では銀座四ノ六だが、誤植?)。文芸雑誌と自称するだけあってVAN』よりもぐっと文学的なインテリ雑誌になっているようだ。


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創刊号では、戦中と戦後の文学者の態度について考察を加えた、なかの・しげはる「文学よもやまの話」がなかなかに過激だ。

《この点世間にはまだいろいろの勘ちがいがあるようで、例えば河上徹太郎は戦犯だが小林秀雄は戦犯ではないという類のものがその一つであり、河上が白鳥全権などにくつついていい気になつていたのはなるほど彼の下手な点だつたが、それは督戦陣営の配置の問題であつて、河上が西行や長明を持ち出して「中世の世捨人」について書いたのも(「戦時下の道徳的反省」)小林のひろめ屋として働いたのだから、河上の罪は小林などに比べればいくらか軽いのである。つまり物質的(?)には河上の動きが目だつたか知れぬが精神的には小林などの方に中心があつたのである。》

《つまりどこで、小林秀雄の中味をあかるみえ引き出して来ることが今まで以上に必要になるということになるだろうと思う。三十代説をとなえている荒とか本多とかいう人たちは、小林を神さまあつかいして悦にいつている》

《そうして、つまりそこで、三十代説をとなえている元気な人々が、全く老衰した精神で北原武夫とか坂口安吾とかいう、まだ小説かきといえぬ程度のゴミのような作家をありがたがる理由もうまれて来るのである。》

なるほどねえ…。とにかく、この時代ならではの激辛な論調であろう。


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第五号にはゴミのような小説家も執筆しているが、面白いと思ったのは井伏鱒二の「敬語」。葉書や手紙の宛名の下に様、殿、先生などという敬語を添えて書くことにまつわる話。なかでも「殿」がどうも不吉な響きがあるというのだ。

《かつて私の受取つた徴用令書には、それを伝達してくれる人が電報で取次してくれたので、私の名前を片仮名で書いた次に「殿」といふ敬語が添へてあつた。そのコンニヤク版の「殿」といふ字は斜めに向いてゐた。》

また学生時代に兄から来る説教の手紙には必ず「殿」と書いてあったし、役所や税務署から来る通知書にも「殿」とある。あるいは戦時中に発表した小説に軍歌の歌詞を間違えて書いてしまったところ、未知の人から詰問の手紙が来た。「宮城」とあるべきところを「夕陽」と間違えるとはなんたる大馬鹿ものの非国民かという内容だったが、それも宛名の下に「殿」と書いてあった。

《それからまた太平洋戦争の始まるより以前にも、未知の人から私は詰問状を受取つた。その手紙にはみんな「ーー殿」と書いてあつた。最初は、私の「夜あけと梅の花」といふ短篇集を出した頃、茨城の人から、あの本には左翼的なイデオロギーが全然ないから絶版にしろ、絶版にしなければ承知しないと詰め寄つた手紙が来た。》

文中「夜あけ」は誤植。『夜ふけと梅の花』(新潮社、一九三〇年)である。

《三度目に受取つたのは「丹下氏邸」といふ短篇集を出した頃、あの本のなかには左翼的な駄作が非常に多いと非難して、この非常時局に際しお前は自分自身に非国民とは思はないかと詰問した手紙であつた。これは群馬方面の人がよこしものである。》

丹下氏邸』(新潮社)は昭和十五年初刊本を指すか。十八年、二十年にも出ている。

《しかし手紙の中味にも封筒にも、みんな宛名の下に「殿」といふ字が書き添へてあった。来て怒鳴つて唾を吐いて帰るやうな場合にも、ちやんと敬語を使ひ忘れないのは淳風美俗の然らしめるところかもわからない。》

さすが井伏という感じがする。



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by sumus2013 | 2014-01-16 22:17 | 古書日録 | Comments(2)

スピード太郎

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宍戸左行『少年小説大系資料篇1 スピード太郎』(三一書房、一九八八年五月三一日)を入手。とくに珍しい本ではないけれど、個人的にはうれしい一冊。というのも、この復刻版が出たときに欲しくて欲しくて、しかし買えなかった。定価4500円だから奮発すれば買えたはずだが、ビンボー性に取り憑かれていたのだろう。

それはちょうど高松の宮脇書店(香川県にはもう宮脇書店しか存在しないと言っても過言ではないくらいのオンリーワン書店)が海岸沿いの倉庫街に巨大な展示スペースを確保して並べられるだけの本を並べたスーパー書店をオープンした直後だったような気がする(今どうなっているか知らないが)。『少年小説大系』もズラリと揃っていた。しばらくそこで呆然とこの本を立ち読みした感動が甦ってくる。

ようやくにして奇麗な本を定価の三分の一の値段で求めることができた。ただし二十年以上かかったけど…。

手塚治虫のさきがけとして激しい動きをとらえたペンタッチと映画的アングルを駆使した画面構成にそれ以前の日本のマンガにはあまり見られなかったまさに「スピード」が満ちあふれている。

とくにこの復刻版は原画原稿からフルカラーで再現しているためその色彩の鮮やかさがまた際立った魅力となっている(一ページだけ原稿紛失のため印刷画が採録されている)。線描も色彩も日本人のものとは思えないハイカラさだ。それもそのはず宍戸は大正元年に渡米、カリフォルニアでアートスクールに通って絵を習いながら九年間も生活したのだという。それらの在米体験がこの作品のすみずみまでしみわたって登場人物たちを躍動させているように思う。


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ざっと読み通して思うのは現在に通じる機械文明(人間の考えが及ぶていどの)はすでにこの時点で(昭和五年十二月より『読売新聞』附録の『読売サンデー漫画』に連載、『よみうり少年新聞』に移って昭和九年二月まで継続した)あらかた出尽くしているということ。自動車、船、列車、飛行船、潜水艦、ロケット、ロボットなどはまあ当然かもしれないが、オスプレイもあれば、監視カメラも登場しているし、戦闘で手足首がバラバラになった兵隊を糊のような薬でくっつけて治療してしまったりするのにはちょっと驚かされた。

本書の年譜によれば、宍戸左行(ししど・さこう、本書の著者紹介欄では「さぎょう」としてあるものの宍戸自身が他の著書で「さこう」を名乗っている)は明治二十一年十一月五日、福島県伊達郡桑折町に生まれた。本名嘉兵衛。福島中学卒業。同校の英語教師に内村鑑三の弟内村順也がおり、終生師弟関係を続けた。アメリカでも内村順也と共同生活を送ったそうだ。

帰国後は毎夕新聞に入社し政治漫画を執筆した。昭和元年、日本漫画連盟結成、下川凹天、麻生豊、柳瀬正夢らとともに呼び掛け人となる。機関誌『ユーモア』編集長を勤める。東京日日新聞社を経て読売新聞社の漫画部へ。「スピード太郎」連載を開始。昭和十年、長谷川巳之吉の要望で第一書房から『スピード太郎』が刊行される。昭和十九年十月に郷里へ疎開。五年を過ごす。戦後は児童漫画を手がけ、さらに水墨画にも新境地を開いたという。昭和四十四年二月三日歿。

本書の「付録」栞に上記年譜とともに掲載された宍戸三沙子「父・宍戸左行の思い出」が身内ならではの非常にリアリティあふれる内容だ。例えば、昨日も出た内村鑑三についてその弟順也が吐いた悪口を書き留めてくれているのは貴重。

《亡父が順也の教育費として鑑三に預けた大金をすべて兄に費われてしまい、新聞配達などをして苦学して学校を卒業されたとかで、晩年は京都の次女宅に同居しておられたが、私が父と関西旅行の際泊めて頂いた時、鑑三兄の事を伺うと、「あのペテン師が」と低いが強い声で、最後迄怒っておられた。

う〜む、鑑三には鑑三なりの考えがあったのだとは思うが、チャリティーというのもほどほどにしとかないと身内にはいつまでも恨まれてしまうようだ。



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by sumus2013 | 2014-01-15 21:51 | 古書日録 | Comments(2)

本の配達人

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昨年、柏崎ふるさと人物館で開催された「本の配達人 品川力とその弟妹」展のちらし。図録もあるようだが、『越後タイムス』に連載された渡邉三四一「ペリカン兄弟の肖像」コピーを頂戴したので、その記事を紹介しておきたい。

東京本郷でペリカン書房(下図)を経営していた品川力(しながわ・つとむ 1904-2006)の父、品川豊治は柏崎(新潟県柏崎市)で牧場を経営していた。「滋養大王牛乳」を販売しバターやチーズも製造していたという。牧場と同時に現在の西本町一丁目で品川書店を経営し『越後タイムス』創業時の役員の一人でもあった。江原小弥太と親交があったようだ。

明治三十七年に力が、四十一年に弟工(たくみ)が生まれた。豊治と母ツネはともにクリスチャンで内村鑑三の崇拝者であった。そのため次女は約百(よぶ)、三女は枝咲(えさく)と名付けられた。

大正七年に一家は上京する。豊治は神田猿楽町に古書店「品川書店」を開業した。ところが関東大震災によって書店は焼失してしまい、力は叔父・成沢玲川(『アサヒカメラ』初代編集長)の紹介で銀座の富士アイス(レストラン)でカウンター係として働くことになった。

昭和六年、本郷東大前の落第横丁で学生相手の「ペリカン」ランチルームを開店。約百の美しさと工の料理が評判の人気店となる。学生ばかりでなく多くの学者や芸術家がやってきた。織田作之助、田宮虎彦、武田麟太郎、立原道造、古賀春江、大塚久雄、大河内一男、牧野英一ら(杉山平一さんもおりました)。織田作之助が「夫婦善哉」を発表した雑誌『海風』は昭和五年から品川力が発行人となった。

なお後に工は光村原色版印刷所に勤めながら立体造形や版画を制作した。国画会に属し版画家として国際的にも評価されたという。二〇〇九年歿。

昭和十四年八月、力はレストラン「ペリカン」を突如廃業し、同じ落第横丁沿いに「ペリカン書房」を開いた。《夏休みで知らずにいた学生や教授たちは新しい看板を見て唖然とした》という。

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ペリカンは中世キリスト教ではチャリティー(慈悲)の象徴とされたところから力は気に入って書店にもその名を用いた。

《したがって、商いとか儲けは二の次であった。重きを置いたのは、常連の学者や作家たちが必要とする文献を探し出し、それを配達することであった。北川太一は「高村光太郎」、大島吉之助は「森鴎外」、粉川忠は「ゲーテ」、式場隆三郎は「ゴッホ」、木下順二は「馬」といった具合に、五、六十人の常連客のテーマが頭に入っていた。

 移動手段は専ら自転車であった。遠くは東中野の紅野敏郎宅へ寄り、その足で小金井の串田孫一宅に本を届けた。往復で七〇キロの道のりである。暑がりの力は、冬でもカウボーイハットにワイシャツ姿で、東京中を駆け回った。》

自らは『内村鑑三研究文献目録』を出版し、ゲーテ、ポオ、ホイットマンの文献にも精通しており書誌学者としても評価された。駒場の日本近代文学館には品川文庫と呼ばれる二万点におよぶコレクションがある。昭和三十八年から半世紀にわたり力が自転車で運んで寄贈した文献類である。織田作之助の品川力宛書簡六十七通を含む書簡類が千点余りも含まれているという。

力の文学館通いは八十三歳まで続けられた。その後は職員がペリカン書房へ通ったそうだが、たしかに《「ペリカン」の意である慈悲を、書物を介して終生実践した人であった。》

ペリカン書房のレッテル

***

『ちくま』二〇一四年一月号、鹿島茂「神田神保町書肆街考 43」に興味深い記述があった。

《明治三十九年(一九〇六)年、一誠堂の前身たる酒井書店が神田猿楽町に開店したときをもって神田古書肆街史の中間点とするのが適当と思われる。だが、なぜ一誠堂でなければならないのか?
 一誠堂を一つの突破口として越後長岡の人脈が一気に神田に流れこみ、神田古書肆街が長岡人の街として形成される下地がつくられたからである。

一誠堂の主人となるべき酒井宇吉は十三歳で上京し博文館で働く兄のつてを頼りに東京堂に入社している。博文館は長岡人・大橋佐平が創業した出版社、東京堂はその取次のため佐平の息子省吾が経営していたのだった。

《長岡の野心的な青年たちはみな、これらの郷土の成功者にあこがれて、出版業と書店業に入っていったのである。》

品川豊治もそうだったかどうか分らないけれど(直接には江原小弥太との関係かもしれないが)、神田猿楽町に出店したというのも無視できない符号だと思う。




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by sumus2013 | 2014-01-14 20:59 | 古書日録 | Comments(0)

神とおれとのあいだの問題だ

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昨年末に『宇治拾遺物語』から盗跖と孔子の問答を取り上げた。自らの思うままにふるまって天道をも恐れぬふるまいに孔子の正論もまったく歯が立たない。そのときすぐに連想したのがモリエールの喜劇『ドン・ジュアン』。ドン・ジュアンの次のセリフは何十年も前に読んだきりだったが忘れ難く脳裏に刻まれている。欲しいとなったら手段を選ばず次々と女性をわがものにしてゆく貴族の子弟ドン・ジュアン。見かねた従者のスガナレルがこういさめる。

スガナレル 仰せのとおり、しごく愉快、しごく面白いものだと、わたくしも心得ております。それが悪いことでさえなかったら、わたくしも遠慮なくやりたいところでございます。が、だんなさま、神さまのおとりきめをあまりないがしろになさいますと……
ドン・ジュアン よし、よし、神とおれとのあいだの問題だ、おまえの世話にならずとも、ふたりだけで話をつけてみせるさ。》

鈴木力衛訳岩波文庫版(一九八八年四〇刷)。初めて読んだとき、この「神とおれとのあいだの問題だ」というような過激な考え方がこの時代(初演は一六五五年)にまかり通ったのかと驚いた。一応、まかり通らないラストシーンにはなっているのだが、それはどうも取って付けたようなお定まりの手続きであって劇中のドン・ジュアンのセルフィッシュな振る舞いは盗跖にもひけをとらない。盗跖は手下を大勢従えた大集団だが、ドン・ジュアンは従僕と二人、いやほとんど独りでの行動で、ある意味で盗跖よりもあっぱれだろう。

で、このドン・ジュアンのセリフ、原文ではどうなっているのか、前から気になっていたので、この機会にと、モリエール戯曲全集を取り出してみた(なおこの本については拙著『古本デッサン帳』参照されたし)。開いてみたら旧蔵者の書き込みがびっしり。ただし「ドン・ジュアン」のところだけ。あとは読んだ形跡なし。本そのものはボロボロで表紙も取れている。それもそのはず下鴨納涼古本まつりで百円だった。『THÉATRE COMPLET DE MOLIÈRE』(ÉDITIONS GARNIER FRÈRES, 1960)。二巻本のうちの第一巻。

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ドン・ジュアンはこう言っている。

《Va, va, c'est une affaire entre le Ciel et moi, et nous la démêlerons bien ensemble; sans que tu t'en mettes en peine.》

「神さま」はすべて「le Ciel」(ciel は空、天、天国、神などの意)だったのが意外だったが、なるほど、鈴木訳はよくこなれた日本語で正確に訳している。もう一箇所、スガナレルが主人の悪態を吐くところも印象に残るのだが、それはこういう表現である。

《おれの主人のドン・ジュアンさまは、世にも稀なる大悪党、気違いの犬畜生、悪魔、トルコ人、異端者、天国も地獄もお化けおおかみも信じないようなおかたなんだ、けだもの同然にこの世を渡るエピクロスの豚、放蕩無頼の殿さま(ルビ=サルダナパール)さ。どんな忠告も馬耳東風と聞き流し、おれたちの信じるものはみな根も葉もないとお取りあげにならぬ。》

《tu vois en Don Juan, mon maître, le plus grand scélérat que la terre ait jamais porté, un enragé, un chien, un diable, un Turc, un hérétique, qui ne croit ni Ciel, ni Enfer, loup-garou, qui passe cette vie en véritable bête brute, un pourceau d'Épicure, un vrai Sardanapale, qui ferme l'oreille à toutes les remontrance [chrétiennes] qu'on lui peut faire, et traite de billevesées tout ce que nous croyons.》

ここの Ciel は「天国」と訳されている。サルダナパール(アッシリアの専制君主)を「放蕩無頼の殿さま」は軽くてうまい。ただ loup-garou を「お化けおおかみ」(おおかみに傍点あり)としたのがキズと言えば、言えないことはないかもしれない。というのは、この全集の解説(Robert Jouanny)ではこの単語に

《Homme qui chaque nuit se change en loup pour surprendre les passants attardés.》

毎夜遅く通行人を襲うために狼に変身する人間…という註がついているからである。これに拠るなら「狼男」とでもすべきだった。

神も天国も地獄も目じゃない男は、では、いったい何を信じているのか?

《おれが信じるのは、な、スガナレル、二に二を足せば四になる、四に四を足せば八になる、これさ。》

《Je crois que(deux et deux sont quatre,)Sganarelle, et que quatre et quatre sont huit. 》

合理主義というのか実証主義というのか、現前の事実しか信じない、というわけだ。註釈によればこの言葉はオランジュ公(ルイ十四世によってフランスに併合された南仏の公主)が死の床で司祭に向かって吐いたセリフだそうだ。モリエールの時代には盗跖が何人もいたようである。

***

日中、自家用車で買物に出かけた。京都女子駅伝の日だから遠出はせず、近いところだけ。ユニクロに寄って、つぎのドラッグストアに向っていた。信号が赤に変る。ギリギリで通り過ぎ、すぐそばのドラッグストアに駐車した。

何気なく交差点を見ていると、その信号機がずっと赤のままである。反対側の信号は順次、赤、青(緑)、黄、赤、青、黄と点滅するのに、こちら側はずっと赤。おお、これは信号機の故障だ! と少しうれしくなって、ひょっとして交通が混乱するんじゃないか、といらぬ心配をした。

ところが、一瞬、車の列はひるんだが、すぐに平常通りに動き出した。まさにいらぬ心配だった。関西人、赤なんか赤とは思っていない、ということがこれで実証されたように感じた。最近はそうでもないかもしれないが、近畿圏では京都がいちばん信号無視がはなはだしい(一説にはタクシーの数が多いせいだとも言われているものの理由は定かではない)。盗跖まがいが多い、わけでもないでしょうね。





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by sumus2013 | 2014-01-12 21:43 | 古書日録 | Comments(0)

書肆風羅堂閉店

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書肆風羅堂 fool-a-do 日乗
http://furadou.exblog.jp/19172396/

書肆風羅堂は2014年1月20日(月)をもって閉店いたします。
2011年5月4日からスタートし、2年8ヶ月をもって小溝筋商店街での店売りを終わり、ネットでの販売になります。みじかい間でしたが、店まで足を運んでいただいたお客様、書籍を売っていただいたお客様には感謝いたします。

《ホームページでの書籍の販売も拡大していきますので、よろしくお願いいたします。ブログでは古書店なのにライブ情報しかアップしていなく、皆様からご指摘をうけていましたが、ライブ等の企画はなくなります。ある程度体制が動くようになれば、ライブ等の文化企画等はやりますので、今後も期待してください。プロデューサーとしての風羅堂を楽しみにして下さい。》
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by sumus2013 | 2014-01-08 17:38 | 古書日録 | Comments(2)

Giorgio Morandi's Studio

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初詣に出かけた、わけではなく、岡崎の図書館で少しばかり調べもの。平安神宮も、今日あたりだと参拝者はそう多くはない。

ついでに、平安神宮の東側、関西美術院へ入る小路の角に古本屋ができると聞いて下見をしたが、まだオープンはしていないようだった。近々、新烏丸通りの丸太町下るあたりにも古本屋ができると聞いている。京都の古本界も少しずつ変っていくようだ。

変っていくと言えば、今日初めて聞いて驚いた、昨年十月十六日にモナ・リゼ(Mona Lisait)がすべての店舗を閉鎖したそうだ。

La triste fermeture des librairies Mona Lisait
http://unpointculture.com/2013/10/02/la-triste-fermeture-des-librairies-mona-lisait/

モナリゼでプレヴェール

唯一サンタントワーヌ通り店だけは店員が受け継いで経営していくらしい。創業は一九八七年。よく頑張ったと言えるのかもしれない。

平安神宮よりも水明洞への初詣。しかしながら店頭の百円箱にめぼしいものなし。何も買わないのは縁起が悪いような気もして、店内で絵葉書二枚求める。古本買い初め。ユニテさんで休息。書棚にモランディのアトリエ写真集を発見して喜ぶ。Gianni Berengo Gardin『Giorgio Morandi's Studio』(Edizioni Charta, 2008)。


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壁にピンで留めたメモ片まで絵になっている。

モランディのアトリエ




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by sumus2013 | 2014-01-07 20:55 | 古書日録 | Comments(0)

愚直兵士シュベイクの奇行

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『愚直兵士シュベイクの奇行』(辻恒彦訳、三一書房)三冊、「後方にて」(一九四六年一一月一日)、「前線へ」(一九四六年一一月二五日)、「赫々たる潰走一」(一九四六年一一月三〇日)。これは昨日の『勇敢なる兵卒シュベイクの冒険』(衆人社、一九三〇年)の再版。「訳者後記」にはこうある。

《もと東京の衆人社から『勇敢なる兵卒シユベイクの冒険』と題して出したのを訂正した。

《新版が出るに際し、衆人社の相馬信正、秀正、直正の三氏に改めて感謝の意を表する。相馬三兄弟は、旧版の多数の読者と共に、シュベイクの愛好者であつた。旧版が第一部から第三部まであり第四部から第六部までは予告のみに終つたについては、訳者はもちろん三兄弟も少なからず苦にしてゐた。今回京都の三一書房が訳者を鞭うつて完結を見る運びになつたことを最も喜んでくれるであらう。一九四六・八・一二

第六部まで六冊と別冊として『シュベイク短編集』が予定されていたことは巻末の続刊予告で分るが、このときもまたここに掲げた三冊だけしか刊行されなかったようだ。ようやく一九五一年になって上・中・下の三巻本として第六部(カール・ヴァーニェクがハシェクの死後に完結させた)までを発行、さらに三一新書にも『二等兵シュベイク』のタイトルで取り入れている。

「赫々たる潰走」からシュベイクが「輪廻」について語る長ゼリフを引用してみよう。

《だいぶ前のことだが、一体俺は今度生まれ変つたら何になるんだらう、何とかして今から解らねものかな、と考へついたもんだから、早速プラーグの職業組合の図書室へ出かけたと思へ。その時の俺の身装があんまり汚くてズボンのお尻に穴が幾つもあいてたもんだから、係の奴、冬服を盗みに来たとでも思つたんだらう、いれてくれねんだ。仕方がねえ、一張羅に着かへて、今度は市立の図書館へいつた。そこで輪廻のことを書いた本を借りて読んだがーーむかし印度に王様があつた、何の因果か知らねえが、死後その魂は豚に移つたんだ。ところが屠殺されたので、今度は猿になつた。猿の次が犬、そして犬から大臣になつたとさ。軍隊ぢや兵士は、やれ豚だの鈍馬だのつて畜生の名前でどなりちらされるが何千年か前は有名な将軍だつたかも知れねえぜ。もつとも戦争となりや輪廻なんて、ちつとも珍らしかねえばかりか、すこぶるつまらねえことさ。何故だつて? 例へばだな、俺等が電話手だの炊事係だの伝令だのになる以前、もう何度生まれ変つたのか数へ切れねえくらゐだものーー榴散弾がやつて来て身体を粉に砕いてしまふ。魂はふわりふわりと飛んで砲兵隊の馬に移る。ところがまた別の榴散弾がやつて来てこの馬を斃す。と直ぐ魂は輜重隊の牛へ引越と来る。シチウを作るためにその牛は叩き殺されて、その魂が今度はさうだな、一人の電話手に移る、そして電話手から……

「輪廻」をチェコ語でどう言うのか知らないが、西欧文学で輪廻といえば『ユリシーズ』の駄洒落「Metempsychosis=met him pike hoses」が連想される(ただ、この単語は厳密にはギリシャ思想における輪廻を指すもので、より一般的には「trasmigration」と言うらしい。もちろんユリシーズはギリシャ神話の転生なのだから、この単語でいいというわけ)。

『ユリシーズ』以前にもジョン・ダン、エドガー・アラン・ポー、モーパッサンにも現れており、プルーストも用いている(とウィキに書いてありました)。しかしそれらに加えてこのシュベイクの台詞を忘れてはならないということが、この引用でも分ってもらえるだろう。


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by sumus2013 | 2014-01-06 21:13 | 古書日録 | Comments(2)

勇敢なる兵卒シュベイクの冒険

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『勇敢なる兵卒シュベイクの冒険』上巻(衆人社、一九三〇年)。函付きで1050円だった。安い。しかしながら、安いのには理由があった。奥付が切り取られていたのだ。よって発行日は今直ぐには分らない。この上巻に第一部から第三部まで収められているが、下巻は出なかった。


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作者のヤロスラス・ハシェク(1883-1923)はプラハ生まれ。新聞記者や編集者をやっていた。『ハシェクの生涯』(ヤノーホ、土肥美夫訳、みすず書房、一九七〇年)によれば、ハプスブルグ帝国三百年の支配から脱却するためにロシア帝国の援助を求めようというのがハシェクの立場だったようだ。ところが、第一次大戦が起こり、ロシア革命が起こり、チェコ軍は反革命軍としてロシアへ侵攻する。このときハシェクも従軍し、ロシアで捕虜になった。そこで一転、赤軍に賛同して一九一八年にはロシア共産党に入党した。一九二〇年末、プラハに戻ってシュベイクの執筆を始める。自分自身の戦争体験が色濃く反映していることは間違いないようだ。

《ハシェクの創作人物シュベイクは、世界文学のなかでユニークなイエス・マンである。彼は、自分の個人的な小世界を諸官庁の強力な大世界に従属させないで、大げさなきまり文句で装備された大きな社会機構及び生存機構を零落した犬商人の狭い生活像のなかに組み入れ、上部を下部へ転じ、そのようにして権力の無常と内的空虚さをあらわにする。》(『ハシェクの生涯』)

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シュベイクは犬商人。退役兵なのだが、召集がかかる。進んで従軍しようとするのだがリュウマチなのだ。しかし簡単には許してくれず、絶食や浣腸などの拷問を受ける。そして最終判断のときが来て軍医たちの前で面接を受ける。詐病兵などはどんどん前線へ送られるならわしだった。

《シユベイクは、無邪気な子供だけにしかない神様のやうな静けさを以て、委員連の顔をじつと眺めてゐた。
「やい畜生、貴様は一体何を考へてゐるんだ?」と、委員長が近づいて言つた。
「申し上げます、私は何も考へてゐないのであります」
「こん畜生!」と、委員の一人がサーベルをかちやつかせながら叫んだ「何も考へてゐないだと? やい、シヤムの象、何故貴様は何も考へないんだ?」
「申し上げます、軍隊では兵卒に禁じてゐるから、考へないのであります。私が九十一聯隊に居た頃大尉殿がいつも仰言つたでありますーー『兵卒は自分で考へるもんぢやない。上官の方で考へてやる。自分で考へると禄な……」
「黙れ!」と、委員長が怒つて吐鳴りつけた「貴様は本当の白痴(イヂオート)だと人が信じてくれるものと思つてるんだらう。だが貴様は白痴ぢやないぞ、シユベイク、貴様は何でも心得てゐる抜け目のない奴だ、禄でなしだぞ、道化者だ、破落戸(ごろつき)だ、解つたかーー」
「申し上げます、解つたであります」
「黙れと言つたぢやないか、聞こえなかつたのか?」
申し上げます、黙れと仰言つたのは、聞こえたであります」
「ちえツ、聞えたら黙つとるもんぢや。黙れと命じたら、静にしとるもんだといふ事はよく解つとるぢやらう」
「申し上げます、静にしとるもんだといふ事は解つとるであります」
 軍医連は黙つて互に顔を見合せた、そして特務曹長を呼びつけたーー
「そこに居る奴を」と、委員長はシユベイクを指しながら言つた「事務所へ連れて行つて待たせて置け。こいつは魚のやうにぴんぴんしてゐやがる。何処一つ悪い所もないのに、仮病を遣つて、その上勝手な熱を吹いとる。こら、シユベイク、貴様、衛戍監獄へぶちこんで、戦争といふものは冗談事ぢやないつてことを見せてやるから、さう思へ」》

というふうなトンチンカンな、しかし妙に筋の通ったドタバタが続くのである。シュベイクの思考方法(というかハシェクのギャグ作法)がなじんでくれば、それはそれでなかなか辛辣に苦笑いできる作品である。

挿絵のヨセフ・ラーダについてはこちら。

http://hrusice.pragmatic.cz/pamatnik.html

http://www.lcv.ne.jp/~morinoie/joseflada.html




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by sumus2013 | 2014-01-05 22:01 | 古書日録 | Comments(0)

懐中書画便覧

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石川兼治郎編集兼発行『懐中書画便覧』(精文館書店、一九一一年)。名前の通り、ポケットサイズの新旧画家名鑑である。明治四十四年、どういう画家が一流とみなされていたのか、ということが一目で分かる。折帖なのでパラパラパラっとめくるのがカンタン。前半は名誉大家、近代国画名家、閨秀国画家、近代洋画名家、閨秀洋画家、故人各種名家。

そして後半は名前の下に値段「予価」入り。

《予価は半切形の物を標準としたれば其他の物は之に比して価格の相違あり》《予価の当らざるものあるとも編者其責に任ぜず。》

半切は 545×424mm の大きさ。ざっと見たところ三百円というのが最高レベルのようだ。巨勢金岡、巨勢公忠、春日隆能、春日隆親、土佐行秀、啓書記(祥啓)、狩野元信、円山応挙、田能村竹田、渡辺華山、岩佐又兵衛…以上が三百円〜三百二十円(巨勢公忠)。つづいて雪舟、光琳あたりが二百円。与謝蕪村は百五十円である。明治の画家では橋本雅邦の二百円が目を引く。横山大観の名前はあるが、予価は記されていない。下村観山が五十円、菱田春草が三十円というところ。

洋画家には値段が付いていない。まだ市場は形成されていなかったのだろうか。

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注目は閨秀(女流)洋画家。渡辺文子(後の亀高文子)の名前があった。ここは素直に懐中書画便覧に出るくらい文子は有名だったと思っておきたい。

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亀高文子

さらに亀高文子

文子と並んでいる吉田藤尾と神崎友子については検索してもそれらしいヒットはない。と思っていたら、吉田ふじをについてはさらに亀高文子」に女性画家だけの団体「朱葉会」の創立に参加した仲間だということを文子が書き残しているとあった(汗顔)。

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名家印譜もあるが、まあこれは見返しの模様ていどのしろものである。


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by sumus2013 | 2014-01-03 20:48 | 古書日録 | Comments(0)