林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:古書日録( 790 )

胡桃の中と外

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『澁澤龍彦全集月報別巻2』(河出書房新社、一九九五年六月二六日)より「東大寺お水取り見学の折、寧楽美術館で 松山俊太郎(左)と(1984年3月)」。

別巻2の月報は澁澤龍彦の担当編集者だった平出隆インタヴュー。インタヴュアーは巖谷國士。晩年の澁澤邸へ通った平出さんの回想がなかなかに楽しい。初対面の印象。

《巖谷 最初の出会いはどんなでした?
平出 かわいた感じで、ずっとその印象は続きますけれども、カッカッという笑いでとても助かったというか、こちらの怯えがとりあえず飛んだというような……。》

《巖谷 階段を降りてきたときには……。
平出 ただの眠そうな人だった(笑)。
巖谷 その落差は大きい。
平出 大きいですね。部屋の空間は伝説通りでも、もうそんなにいろいろな人は跋扈していなかったし。
巖谷 空間だって、わりとシンプルじゃないですか。写真なんかでゴテゴテと極彩色に見せたりしてるけれども、じつはわりと落ちついた内装でしょう。僕なんかは、戦前の洋館というイメージで見ていましたね。
平出 そうですね。懐かしい感じもありますね。
巖谷 ただ、骸骨が置いてあるとか……。
平出 ムササビがいるとか……。むしろ、どうやって掃除するのかなとか(笑)、そういうふうに見ていました。》

もうひとつ傑作なのは夫人との口喧嘩。

《平出 奥さんとの論争は、よく見ましたね。一度すごい論争があったんです。それも、「スーパーマーケットとデパートメントストアは違うとは言えない」という。
巖谷 どういうことですか、それは(笑)。
平出 名辞と実体について雑談していて、スーパーとデパートは違うとは言えないと、澁澤さんが言ったんです。そうしたら横から奥さんが猛然と、「だって違うじゃない!」と(笑)。スーパーはレジがこうなってるけど、デパートはこうこうだと、どこまでもリアルに。
巖谷 構造の違いを言うわけだ。
平出 実際的でしょう、奥さんは。澁澤さんは「その構造だって変るかもしれないじゃないか」と言って、この論争が一時間ぐらい、二人とも本当に激昂して。
巖谷 編集者の前で。
平出 他人はいないも同然。結局それがどうおさまったかというと、二人ともぐったり疲れはてて(笑)。
巖谷 両者譲らず?
平出 まったく譲らず。あれを録音しておけば澁澤哲学の骨格がすべてわかった。》

たしかに、十七歳で敗戦を迎えた澁澤にとって戦後の構造(政治体制)が変っても本質は変わらないという思いがどこかにあったのかもしれない。

***

新潟出張のためしばらくブログを休みます。






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by sumus2013 | 2014-03-21 21:20 | 古書日録 | Comments(0)

伊藤宗看図式第八番

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三月五日のブログで『将棋精観中巻』(松井弥七編、棋研会、一九三八年八月八日)を紹介した。その日の夜から、毎晩寝る前にこの問題にチャレンジしてきた。やっと一昨日(三月十九日)自力で解けた。盤駒には並べず、頭の中だけで解いたので、小生の軟弱な棋力からすれば二週間は上出来だろう。うれしくなったので自慢げに報告しておく。

この出題図、三筋目六段目の玉方の金は後張りである。誤植だったのだろう。透かして見ると「と」と印刷されているようだ。金と「と」なら働きは同じだが……

『詰むや詰まざるや 将棋無双・将棋図巧』(東洋文庫282、平凡社、一九七六年版)を参照してみると、この作品(「将棋無双」第八番)は上の図から九・五の「と」が省かれた形で掲載されている。三・六は「金」である。

解説によれば東洋文庫版に掲載されているのは宝暦五年に幕府へ献上された「献上図式」で、作者による解答も付されていた。昭和四十一年に内閣文庫で発見されたそうだ。ただしその第八番オリジナル図には余詰めがある(まったく気付かなかったですが)。修正案として

《玉36金を36とに代える(山村氏案)か、玉方57とを56とにする(今田氏案)ことにより前記余詰は解消する。》

三・六の駒が金だと先手がそれを利用できるため詰みが生じるということである。とならば先手の手に渡ったときには歩にもどるので金の価値がなくなって詰みに貢献できないのだ。将棋が分らないと説明しても分らないだろうから、これ以上はやめておくが、ともかく複雑な相互依存パズルなのだ。

この図を補正した松井雪山もいろいろ考えたすえに「と」案を捨てたのかもしれない。作者による解答が発見される何十年も前だから無理もない。




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by sumus2013 | 2014-03-21 20:40 | 古書日録 | Comments(2)

うつろ舟

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先日来ブログでも取り上げていたように澁澤龍彦を読み直したいなと思っているのだが、いかんせん本を持っていない。昔はそこそこあったようにも思うが、だんだん処分してしまって、現在は上の写真のように文庫でしかもサド関係だけを残した状態。とりあえずはまず『狐のだんぶくろ』が読みたいと思って「日本の古本屋」で探してみると、ビブリオテカの版が700円で出ていたので注文したところ、品切れですという返事が来た(データ消し忘れ)。無理して買うこともない、いずれ手に入るだろう。

本日、雨。買物のついでに少し足をのばして善行堂へ、久し振り。買い取りがつづいたということで店の中央に古本山脈ができている。腰から胸くらいの高さで奥までずっと平積み。西側のポスターを貼ってあっただけの壁際にも文字通りの山積。古本屋らしくなった。しかし、本がすぐに行方不明になるという。「林さん向きは、これでしょ」とトポールの『Café Panique』(Éditions du Seuil, 1982)を取り出してくれたのは有り難かったが、他に二冊ほどトポールがあって、別置きしておいてくれたというのに、それがどうしても出てこない。天に登ったか(二階も見てくれた)地に潜ったか(足許もずっと点検)「お〜い、出てこ〜い」の声もむなしい。いずれ見つかったら知らせくれるように頼んでおく。


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澁澤龍彦はあるはずだと思って、東側の整頓された本棚を見回す。どうも無いらしい。「シブサワないの?」と尋ねたら「そこにあるやないですか」と。「どこに?」。ちょうど来合わせていたデコさんが隣から指さす、「目の前ですよ、ほほほ」。なんと本当に目の前二十センチのところ澁澤龍彦の本がズラリと並んでいるではないか。この棚の上と下と右と左へ視線を投げていたのに、真ん前が盲点になっていた。

『うつろ舟』(福武書店、一九八六年六月一六日、装丁=菊地信義)は別の所から探し出してくれた(写真では棚に差してあるが、直前までここには『私のプリニウス』青土社、一九九三年、が入っていた)、平積みの底辺にはビブリオテカのシリーズが何冊もある。澁澤訳のシュペルヴィエル『ひとさらい』(大和書房、一九七九年)もいいなと悩んだ末、結局は『うつろ舟』にしておく。



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少しだけ山脈を崩して見ていると、あまりにいい本が多いので恐ろしくなって中止する。トポールと『うつろ舟』だけ清算してもらう。ちょっと値切る。

「新刊やけど、こいうのもあるよ」と善行堂が机のあたりから川崎長太郎の選集を取り出して見せてくれた。平出隆さん(+斎藤秀昭)の編になる「crystal cage 叢書」の一冊『姫の水の記』。TOKYO PUBLISHING HOUSE という版元には聞き覚えがなかったが、出版者は横田茂となっており、横田氏はギャラリストとして知られた方。シュルレアルな装幀に似つかわしいかどうかはさておいてラインナップは渋い。

そんな話をしていると若い男性客が『現代思想』などを五、六冊差し出して清算した。『姫の水の記』に注目しているので手渡して見てもらった。「この人はフランス文学系ですか?」と尋ねられた。「この人」は当然編者である平出隆さんのことかと勝手に思ったが、川崎長太郎のことだったのかもしれない。「え、どうでしたかね、平出さんドイツかなあ」などと善行堂に助け舟を求めるも、善行堂も「どうやったかな…」(今調べると一橋大社会学部卒)。帯の文章は「バシュラールの言葉ですね、ガストン・バシュラール」と言うので、おおこの片言を読んでバシュラールと見分けるとは「おぬし、ただ者ではないな」と思った。善行堂によれば現代思想系の本は需要が高いらしい。そういう人たちは値段のこともとやかく言わずに買ってくれるそうだ。われわれとは違うなと二人で苦笑。

で、今、crystal cage 叢書」のサイトを見ると帯の引用の末尾に「Gaston Bachelard」と明記されているのでありました。そりゃ、フランス語が読めれば分るわな、チャン、チャン。

さっそく表題作「うつろ舟」をかなり久し振りに再読。断片的に記憶に残るイメージもあったが、こんなデタラメなストーリーだったのか! これほど奇天烈なのは、石川淳でもないし、足穂でもない。個人的には織田作之助の「猿飛佐助」くらいじゃないか、匹敵するのは、と思う。赤本漫画の世界のようだ。ひょっとして澁澤の幼少体験に根ざしているのだろうか。年取ると、こういう過去の嗜好が噴出してくることはしばしばある。ただし年取ると言っても澁澤は五十九歳三ヶ月で歿しているから、まだ老人とは呼ぶには早すぎた。


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by sumus2013 | 2014-03-20 20:47 | 古書日録 | Comments(6)

魯山人おじさん

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以前、野田可堂の水墨画を手に入れたことを書いた。
http://sumus.exblog.jp/18772902/

そこにコメント下さった方が『芸術新潮』一九七九年十一月号に可堂の妹・八幡真佐子さんが「魯山人おじさん」という随筆を寄せておられるとお教えくださった。『芸術新潮』は郷里にかなり揃っているので(全部ではないが)、先日調べてみたら、この号は架蔵していた。上の写真はその随筆に付された図版の一枚《若き日の魯山人》(大正十年のようだ)。

八幡女史の記述はほとんど魯山人の想い出である。それはそれでなかなか興味深い。女史にとって魯山人は《私に無言の情操教育をしてくださったやさしいとてもいいおじさんでした》ということだ。

《大正九年頃、中村竹四郎さんと魯山人が、美術品と美食倶楽部を始めた大雅堂は、京橋南鞘町(現京橋二丁目)にありました。それは関東の大震災の際にこわれ、神田方面からの火勢で焼失しました。赤坂山王に星ヶ岡茶寮をひらいたのはそのためでした。》

大雅堂は大正八年開業のようだ。はじめは二階に魯山人と中村が住んでいた。大家である可堂の父・野田峰吉は宮城県出身で一貫堂という薬屋を経営していたそうだ。その長男が利衛こと可童(可堂)である。

《亡父の持ち家を貸していたのです。魯山人とは古くからの付き合いで、その関係で私の亡兄(雅号は野田可童、のちに可堂)は明治三十八年、三歳の時から町内の岡本可亭さんに、書を習いにいっていました。魯山人は、印を造ってくれたり、日本画をすすめて山岡米華さんにつかせたそうです。

中村竹四郎は美術印刷で知られる便利堂の兄弟の一人で「大参社」を経営していた(後には便利堂の代表者となる)。岡本可亭は書家で、漫画家・岡本一平の父親(要するに岡本太郎のおじいさん)。下の写真は以前にも掲げたけれども、小生所蔵の墨画に捺された可堂の印章二顆。魯山人が造ってくれたのかどうか、それは分らないが……。上は可能性ありか? 下は自刻かとも思える。


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《神童と世間で騒がれた兄は、天皇の前で書を書き、魯山人と父は、京都方面に連れていって、書の会をひらいたりして、二人は興行師のようだったと、兄は死ぬ数年前にいっていました。そして「僕は、魯山人より桜一さん(魯山人の長男)の作陶の方が好きだ。でもこの紅葉の徳利はいいよ」と、酒好きの兄は、ことのほかその徳利を大事にしていました。長じて兄は洋画に転向し、魯山人とは疎遠になりました。》

八幡女史によれば昭和十七年に魯山人と中村竹四郎は仲違いして裁判沙汰にまでなってしまう(中村が魯山人を解雇したのは昭和十一年)。野田峰吉は心を痛めた。

《中村さん側に立った父は、怪我がもとで二度と起てなくなりましたが、それを知った魯山人は、鎌倉から、時折米、漬物(自作の器に入れて)、野菜(その盛り合わせの美しいこと)等を、俥夫や武山一太さんにわざわざ届けさせて見舞って下さいました。》

武山一太は少年の頃より魯山人の料理を手伝っていた料理人。

《父の葬式には魯山人も、中村さんも肩をならべて参列して下さいました。》

可堂の水墨画、言うまでもなく今もマクリのままだが、これはいよいよ表装しないといけないようだ。



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by sumus2013 | 2014-03-18 20:40 | 古書日録 | Comments(0)

鎌倉の書斎

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昨日引用した種村「サロン、庭園、書斎」は『みづゑ 追悼澁澤龍彦』(美術出版社、一九八七年一二月二五日)に執筆されたもの。上の写真はその表紙の一部。巻頭には篠山紀信撮影によって余すところなく(たぶん)とらえられた邸宅の内外観が展開されている。

篠山写真は実際以上に立派に見えるらしい。何度も訪問したという某氏よりうかがったことがあるが、サロンも書斎も狭く、蔵書もサド関係は見事に揃っているものの全体でみればそれほどでもないという(それほどってどれほどなのか、その人の感覚によるのだろうが。そう言えば『澁澤龍彦蔵書目録』が出ているのにまだじっくり見たことがない)。

外観はコテージ風とでも言えばいいのか。たしかにこじんまりとした感じ。身近な自然を謳歌するというのは澁澤が文筆によって形成しているマニアックな宇宙からはほど遠い気もしないではないが、そういう頽廃的な気分の稀薄な、しっとりした自然のなかで彼は読書をし、筆を執っていたのもまた事実のようである。


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《北鎌倉の円覚寺につづく山の中腹に住んでいるので、四季を分かず、鳥の声や虫の声を耳にする。》

《私は手帳に、ウグイスやトラツグミやホトトギスや、あるいはヒグラシやミンミンゼミの声を初めて聞いた日を、忘れずに書きとめておくことにしている。》

《ウグイスはだいたい三月十日ごろに初めて鳴き出し、夏までさかんに鳴きつづける。夏に聞くウグイスの声は、一抹の涼感をあたえて、じつにいいものだ。》

《書斎のガラス戸をあけると、正面のなだらかな稜線を描いてつらなる、東慶寺や浄智寺の裏山が見える。季節の移り変わりがはっきりと感じられるのは、この山の色がたえず変化しているのを目にするときだ。いまは樹々のあいだに、薄紅色をした桜の蕾がふくらんでいるのが分る。もう数日もすれば咲き出すにちがいない。》

《私の住んでいる土地はかつて北条氏の邸のあったところだが、ここから見えるあの山のかたち、あの山の色は、おそらく鎌倉時代から少しも変わっていないのではないかと思うと、なんとなく愉快になる。》

以上は「初音がつづる鎌倉の四季」(『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』学研M文庫)より。

下は細江英公が撮影した書斎の写真(『鳩よ! 万有博士澁澤龍彦』マガジンハウス、一九九二年四月一日、掲載)。紅いカーテンを開けば、鎌倉時代から変らぬ自然を目にすることができたわけである。最初の篠山写真は鏡像なので細江写真とは左右が逆転している。

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ついでに『澁澤龍彦翻訳全集』(河出書房新社)の内容見本(一九九六年)と上述の『書物の宇宙誌 澁澤龍彦蔵書目録』(国書刊行会、二〇〇六年)の内容見本。翻訳全集は全15巻別巻1。

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もう何年も前になるが地方のブックオフに『澁澤龍彦全集』(全22巻、別巻2、今だいたい揃いで四〜五万円が相場のようである)十冊ほどバラで出ていた。千円均一だった。かなり迷ったが、バラで買ってもしかたないなと思い、別巻2(年譜他)だけ拾った。まあ、それで正解だったようだ。

***

所用のためしばらくブログを休みます。


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by sumus2013 | 2014-03-11 21:09 | 古書日録 | Comments(0)

澁澤さん家で午後五時にお茶を

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種村季弘『澁澤さん家で午後五時にお茶を』(河出書房新社、一九九四年八月一一日再版、装丁=中島かほる、装画=野田弘志)を読んだ。二十年前の本だとは思わなかった。先日、神戸六甲で買った種村季弘『食物漫遊記』(ちくま文庫、一九八五年)がめっぽう面白かったので、ちょっとした種村風が巻き起こった。これまであまり種村本を読んだことがなかったのは、どうももうひとつピンとこないところがあったためである。『食物漫遊記』は文句なしの傑作、食味随筆として個人的なベスト5に入れることにした。

その種村風に押され、ある目録に出ていた『澁澤さん家で午後五時にお茶を』を注文。読了。『食物漫遊記』ほどではないにせよ、いろいろ興味をそそられる記述があった。

まずは澁澤龍彦の入院中の様子。

《病中の故人はベッドの周囲に堆く本を積み上げ、鎌倉の書斎を小型移動したようなその環境のなかで、肉体の苦痛をおして、平静に、しかも営々孜々として晩年の仕事を続けました。》(出棺の辞)

《そう、ほぼ二十四時間前、昨日のこの時間に私はここにいたのだ。一年近い病床生活の人が通常の意味で「元気」であるわけはない。しかし病中のペースでは、元気といっていい過ぎではない面持ちで不意の客を迎えてくれた。ベッドの足下にはうずたかく本が積まれ、鎌倉の書斎を小型にして持ち込んだような病室のたたずまいも常に変わりはない。》(精神のアラベスク)

微妙に表現が異なる所が気になるのだが、鎌倉の書斎とは、『みづゑ』はじめいろいろな媒体で紹介されたあの書斎を指すのであろう。その書斎についてはこう書かれている。まず鎌倉市小町四一〇番地の借家。

《そこには何もなかった。いや正確には、一組の机と椅子があり、部屋の一隅に高い本棚があって、仮綴じのフランス本がぎっしり並べてあった。そのほかには何もなくて、青畳がさらさらとひろがっていた。鎌倉小町に住んでいた頃の書斎である。

小町には昭和二十一年に移り、昭和四十一年八月に鎌倉市山ノ内の新居が完成するまでそこに住んでいた(全集年譜による)。

《鎌倉山ノ内の家は、有田和夫という田村隆一の友人の建築家の設計である。円覚寺の裏手に同寺の寺大工の地所を借りて建てた二階家で、吹抜けに天井を高くとったサロンから階段が二階の寝室に通じていた。サロンの奥が書斎。間に引き手扉があるが、使われているのをめったに見たことはなく、たいがいは開けっ放しだった。サロンの西側と書斎のつき当たりに長窓。したがってサロンには外光がほとんど入らず、いつもいくぶん湿気のある夕暮れの気分がやわらかくたちこめていた。猫足のひくい丸テーブルを中心にソファと椅子数脚。フランスの室内劇の舞台装置のような古い家具の配置は、底の抜けたソファを換えたほか、ここ二十数年来変っていない。本がふえすぎて寝室のなかにまで侵入して来た。書庫を建て増しした。それでもサロンのなかには一冊の本も入れなかったのは、この家の主人の来客に対するホスピタリティを如実に物語る。》(サロン、庭園、書斎)

澁澤邸へ・・・
http://www.nakashimaya.com/cgi-local/asobi/asobi.cgi?mode=view_past&year=2009&mon=06

J-J.ポヴェール社の名前も二度ほど出ている。

《種村 松山[俊太郎]さんていう人も一大奇人でして、学生時代、サドの最初の全集がポーヴェール社から出たでしょ。あれを紀伊國屋に注文したら、自分以外に日本で二人注文しているやつがいて、一人は遠藤周作で、もう一人が澁澤龍彦ってやつだと。お互い、こんな変なものに興味をもっているんだから、じゃあ一緒に会おうじゃないかって、その二人に手紙を出してね。で、紀伊國屋の洋書棚の前で白いハンカチを持って立っているからそれを目印にして、なんてかなりキザなランデブーをやったわけ(笑)。》

《スキャンダラスなオスカル・パニッツァについては、私自身も何度も書いたことがあるのでくり返さない。むしろ個人的なエピソードをいっておこう。ブルトン序文によるポーヴェール社版のパニッツァの戯曲『性愛公会議』のことをはじめて耳にしたのも、やはり澁澤さん家の午後五時のお茶の席でだった。

ポヴェール社の最初のサド全集は一九五五年に出ているのでその頃のことだろう。白っぽい表紙のやや小型の判である。この松山俊太郎は『食物漫遊記』に非常に強烈なキャラクターとして登場しているが、じつに興味深い人物ではないだろうか。現在、闘病中でいらっしゃる。

松山会報告
http://matsuyamainukai.blog.fc2.com

この本についてはもう少し続けよう。


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by sumus2013 | 2014-03-10 20:56 | 古書日録 | Comments(0)

ヨゾラ舎 開店!

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ヨゾラ舎さんが今月からオープン(プレオープン?)したと聞いたので、用事のついでに出かけてみた。寺町通りの一本東側の通り、新烏丸通りを、丸太町通りそして竹屋町通りから少し南下したところにある。文藻堂さんの北隣。

古本 中古音盤 ヨゾラ舎

自己紹介
京都御所にほど近い静かな路地?で古本、中古CD,レコード等を販売する,ごくご
く小さなお店を開業予定。(2014年3月1日より、仮営業はじめます。3月中旬くらいに全面オープン予定です。)

〒604-0906
京都市中京区東椹木町126-1 ヤマモリビル1F-A
TEL/FAX 075-741-7546
E-mail yozorasha@herb.ocn.ne.jp
営業時間 11:00-19:00
月曜定休
(※仮営業中、当面は不定期の営業とさせて頂きます。申し訳ありません。)


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百円均一こそ、その店の力量(というか人間性?)を測るもっとも重要な目安だ。いきなり二冊もピックアップして抱え込んでしまった、これは一大事です。店内へ。長岡天神の古本市でご挨拶していたので、開店の様子などいろいろうかがう。音楽関係がご専門とか。CDやレコード盤も販売する予定なのだが、まだ搬入できていないという。三月半ば頃までには形にしたいそうだ。

本の方もまだ一部しか並べられておらず、スカスカ。しかしこの本棚がかえって見やすくていい。どんどん本が積み上っていくと、見たくても見られなくなってしまう。現在はご自身の蔵書がほとんどだとのことで、たいへん統一感のある棚になっている。いい趣味しておられます。


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「たいした本はないんですけど、これはけっこうお宝ですよ」
と見せて下さったのが、ボブ・ディラン『タランチュラ』(片岡義男訳、角川書店、四版、初版は一九七三年)。ところが、これが、ボブ・ディランの来日にシンクロして今月末、角川マガジンズBCから復刊されるとか。
「内容が難解なので、復刊はないだろうと思ってたんですけど……」
と落胆気味におっしゃった。いえ、いえ、どうして。

かつては稀覯本が復刊されれば古書価も下がると言われていた。しかし、今日、大抵の本はデータ化される運命にあるため、テキストが読めるかどうかというようなことは古書価の目安にはほとんど成り得ない状況なのではないだろうか。国会図書館もどんどんスキャンして公開度を高めているわけだから、内容の稀覯性よりも、オブジェとしての存在そのものに価値が見出されるだろう。

復刊と言ったって造本はまったく違っているはずだ。元版は当然ながら活版印刷である。これはもうきわめて再現不可能に近い状況だろう。ジャケット、表紙、本文に使用されている紙もすでに同じ物はないはず。復刊されたからといって古書の値段を下げる要素はない。かえって高くしていいのじゃないか。多くの人に『タランチュラ』の存在が知られたとすれば、初期の形態に興味を持って欲しがる人も増えるのが理屈というものだ。

などとひとくさり気焔を上げた後、買わせてもらったのは百円均一の二冊だけ、なわけないでしょ。


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『宝島』第八巻第二号(JICC・出版局、一九八〇年二月一日)植草甚一追悼号。これ持っていなかった。嬉しい収穫だ。今後、日ごとに棚が埋まっていくだろう。巡回を怠らないようにこころがけようと思う。


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by sumus2013 | 2014-03-07 20:25 | 古書日録 | Comments(4)

古今詰棋書総目録

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『古今詰棋書総目録』(全日本詰将棋連盟、二〇〇九年三月一日二刷)が届いたので、さっそく自分の持っている詰将棋の本が載っているかどうかを調べにかかっている。

じつは先日このブログに解けない詰将棋(誤植のため)について原稿を書いたことを報告したときに引用した詰将棋の本、『誰にもわかる将棋定跡図解』(昭文館書店+興文堂書店、一九二九年一月七日)がこの総目録には掲載されていない、と詰棋書保存会の某氏よりご連絡いただいたのだ。そこで、これを差し上げる代りに総目録を頂戴したというわけである。

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すると、安着のメールにこう書かれていた。

やはり、総目録のNo.784,785と類似書名、同編者、同出版社、同発行日、恐らくNo.784と同一内容、これでこの30局を収める本は10点になりました。ひどい話で、現在では考えられない出版です。

たしかに現在では考えられない横着ぶりだが、戦前ともなると、こういうフェイクは当たり前に行われていたようだ。だから何であれ書目を作るときには可能な限り実物に目を通さなければならない。同じ本が同じでなかったり、データ上ではまったく違うように見えるものが同じ内容だったり。今回、ごくわずかでもその作業に貢献することができたことを嬉しく思う。この総目録があれば、今後、詰将棋の本に出会うのが数倍楽しくなるし、また悩ましくもなるだろう。それもまたよし。

現在『古今詰棋書総目録』の訂正・増補はネット上で行われている。

一番上の写真で総目録の下に置いてある黄色い本は『将棋精観 中巻』(松井弥七編、棋研会、一九三八年八月八日)。これもひょっとして、と思ったが、さすがちゃんと掲載されていた。この本に前田三桂「三代伊藤宗看図式難局新考序文」という、やはり詰将棋の本を求めることに情熱を燃やす人々の動向を記した一文が掲載されている。三桂は詰将棋研究家、詰将棋作家、兵庫県の人。

斎藤雅雄という高知市の素封家が晩年財産を失って将棋師となり、小野五平名人の門下で四天王と言われた。その斎藤が渡辺霞亭(新聞記者、小説家、劇評家)の招きで浪華へやってきたので三桂はただちに訪問した。

二人は将棋の話で盛り上がる。斎藤は古今の詰将棋の本では三代伊藤宗看の図式に勝る物はないと断じる。これを全て解いたら五段を允許すると宗看は宣言したそうだが、これまで二百年間、誰も解けなかった。自分も挑戦しているが解けない、おそらく図面に誤植があるのだろう。三桂は自分でもこの本を見たいと強く思った。

《氏ハ余ガ棋書蒐集ノ痼癖アルヲ覚リ余ガ為ニ丹後ノ松浦大六氏ヲ介ス松浦氏ハ峰山町ノ薬種商ナリ棋ヲ好テ二段ヲ得タリ古今ノ棋書ヲ蔵ス性温厚ニシテ城府ヲ設ケス稀覯ノ珍書モ開放シテ惜ム所ナシ余是ヲ以テ古籍珍書ヲ観ルコトヲ得タリ中ニ三代宗看ノ図式アリ是レ余ノ渇望スル所ノモノナリ松村[ママ]氏曰ク宗看図式ハ古来解ナシ余小野名人ノ解ヲ蔵ス是レ秘中ノ秘書ニシテ門ヲ出サズ請フ之ヲ恕セヨト

三桂は斎藤に紹介された丹後の薬種商・松浦大六のところで宗看図式を目にして感激した。しかしその解答はない。小野名人が解いたという書物があるが、さすがに寛大な松浦もそれを三桂に見せるわけにはいかないと言った。

そこで三桂は自分で解くことにした。実際には斎藤八段は五局、小野名人は六局、名人宗印も九局を解けないまま残していたのだ。以来二十数年、ようやくにして大部分を解くことができた。また、近年の詰将棋研究も進歩した。『将棋精観』の編者である松井雪山はよく研究して宗看図式を補って(誤植を訂正して)完全に解いたという。さて、どうでしょう、読者のみなさんも難局とされる十六局を解いてみて、みんなをアッと言わせる本当の正解を見つけて欲しい。……とまあ、そのような序文になっている。

あまりに奥深い世界である。小生もいちおうチャレンジしているが、いや、これは夜眠れなくなります。





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by sumus2013 | 2014-03-05 20:46 | 古書日録 | Comments(2)

ミス・ポター

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【ほんのシネマ】「ミス・ポター」(クリス・ヌーナン監督、2006)を見た。ピーターラビットの生みの親ビアトリクス・ポターの青春伝といったおもむき。青春といっても三十歳を過ぎてからの話が中心。そこに回想や特撮をまじえてポター像を浮かび上がらせる。ヴィクトリア朝の女性としては異彩を放つハンサム・ウーマンだったようだ。ストーリーの運びもこなれており、飽きさせずに見せてくれる。

上はビアトリクスの部屋。ロンドン市内の一軒家の二階。三十歳を過ぎても両親の家に同居してピーターラビットの物語を描いているビアトリクスは、その絵本を出版したいと版元を回るものの、どこも受け入れてくれない。冒頭はその原稿持ち込みのシーン。気乗りのしない顔で原稿を見る出版人。

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今度もダメかと思ったところ、意外にも出版が決まった。じつは兄弟で経営しているその出版社、三男坊が入社することになり、その初仕事としてあてがわれたというわけだった。しかしそれが運命の出会いとなる。

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その弟、新人編集者ノーマン(ユアン・マクレガー、いわずと知れた「トレインスポッティング」のというか「STAR WARS エピソードI」の若きオビ・ワン=ケノービ)はビアトリクス(「ブリジット・ジョーンズの日記」のレニー・ゼルウィガー)の世界がすっかり気に入り、四色刷で廉価に作ることを工夫する。ここから本ができるまでが手際良く再現されているのがひとつの見所。上は印刷所で色校正に立ち会っているところ。

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出来上がった本を梱包しているところ。ビアトリクスの手許に届いた初版本。


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書店に並ぶ第一冊目の初版本を前に喜び合うミス・ポターとノーマン。話はこれから山場へと展開してゆくのだが、それは映画でお楽しみください。

さて、このピターラビットの初版本『The Tale of Peter Rabbit』(Frederic Warne, 1902)、いったいいくらぐらいするのだろう? AbeBo0ks.com をのぞいてみると、かなりの数が出ている。安い物で1,378 USドルからいろいろ並んでおり、極美本には20,000 USドルの値が! 

そしてさらに、上記はワーン社版だが、その前年(1901)に250部だけ自費出版した私家版もあって、こちらはなんと 60,312 USドル。

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考えてみれば、これまで全世界で4500万部を発行したと言われるこの物語(第一作だけですよ!)、これくらいしても何の不思議もない。もっとも数多いもののなかのもっとも数少ないものにこそ最高の価値がある!


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by sumus2013 | 2014-03-03 20:57 | 古書日録 | Comments(2)

李花集

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この梅は先週撮ったものなので今はもう咲き誇っているかもしれない。古本者としては梅もやはり古本で鑑賞しなければいけないでしょう。ということで『李花集』(岩波文庫、松田武夫校訂、一九四一年六月一〇日)を開いて見る。

宗良親王の歌集である。後醍醐天皇の皇子、十六で坊主になり二十歳で天台座主、北條氏討滅謀議に加わったかどで讃岐に流され(!)、建武中興によって再び座主に。足利尊氏と比叡山で戦い、還俗して宗良と名乗る。軍兵を糾合し各地を転戦。吉野朝のために奮戦した。

李花集の李は宗良親王が式部卿にあったことからその職の唐名を李部というところから名付けられたものと推測されているそうだ。


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経歴だけみるとかなり激しい生き方をした人物とも思えるが、母が二条家の出ということもあり、歌は型通りながらも才気を感じさせる秀作が揃っているように思う。本人も自覚していたようすだが、勅撰集に入られることはなく自撰で『新葉和歌集』を編んだ(長慶天皇が勅撰集に准じるように命じたと)。

岩波文庫とあなどることなかれ。この『李花集』は案外珍しいですぞ。


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by sumus2013 | 2014-03-01 21:32 | 古書日録 | Comments(4)