林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:古書日録( 740 )

屠殺屋入門/墓に唾をかけろ

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ボリス・ヴィアン『屠殺屋入門 L’Équarrissage pour tous』(生田耕作訳、奢灞都館、一九七九年一〇月)を頂戴した。有り難うございます。

ヴィアンの戯曲のひとつ。一九四七年四月一五日に完成(ノエル・アルノー『ボリス・ヴィアン』)していたが、あまりにふざけきった内容だったため、手をつけようとする劇団が見つからず、アンドレ・レバーズによってノクタンビュル座舞で上演されたのは一九五〇年四月になってからだった。

連合軍が上陸するアロマンシュにある屠殺屋で、入れ替わり登場する(屠殺屋の主人だけが出ずっぱり)屠殺屋ファミリー、隣の男、ドイツ兵、アメリカ兵、フランス兵、その他の人々の間で繰り広げられるウルトラ・ナンセンスなドタバタ劇。一応中心には娘のひとりをドイツ兵と結婚させるという主題が設定されているが、はっきり言ってむちゃくちゃ。生田耕作は「訳者あとがき」でヴィアンの言葉を引用している(週刊誌『オペラ』インタビュー)。

《戦争、このばかばかしい代物が、(とりわけ)変っている点は、侵略的で押しつけがましいことであり、一般に、それを楽しむ連中は、それを楽しまない連中にまで、それを拡げる根拠が己にあると思い込んでいることだ。これは不寛容主義のあらわれの一つ、それもいちばん破壊的なものである。文字による、しかも人工的形式が効果を持ちうる限られた範囲で、私が反撃に出ようと試みたのはそのためである。》

《しかしそれらの意図は(そうあらんことを作者は願っているが)あまりはっきり表面に押し出されているわけではない。それどころか芝居はむしろふざけた形をとっている。戦争をだしにして笑わせるほうが意義があるように思えたからだ。そのほうが戦争を攻撃するいっそう陰険な、だがいっそう効果的な方法であるーーもっとも効果なんかくそくらえだが……。この創作はただ一つの目的を追っている。あまりおかしくもないしろものを使って人を笑わせること、つまり戦争を使って。》

というような戦争が終わって間もない時期に被害者も加害者も逆撫でするようなおちゃらけ劇を書いて上演するとは、ボリス・ヴィアンを見直した。戦争というばかばかしい代物に対して喜劇という限りなくばかばかしい代物で対抗する(ヴィアン自身が求めた解毒剤のような気がしないでもないが)。案の定《左右両陣営から囂々たる非難と迫害がこの軽喜劇に向かって浴びせられた》。お見事。痛いところを衝かれたから激怒する、これはいつの時代も変らぬ真実であろう。

原題の「équarrissage」はより正確には「皮・骨などを取るため食用にならない動物の死体を解体すること」。生田訳の苦心はそれとして、敢えて意訳してみれば「みんなバラバラ」くらいか、「みんなぐちゃぐちゃ」の方が感じが出るか。

ジャン・コクトーふうの表紙画を描いたジャン・ブーレ(Jean Boulet, 1921-70)はパリ生まれの漫画家、映画評論家。ヴィアンの『サン=ジェルマン=デ=プレ案内』にもイラストを提供しているし、『墓に唾をかけろ』(一九四六年)特装版や詩集『バーナムズ・ダイジェスト』(一九四八年)の挿絵を担当している。一九四八年四月にヴェルレーヌ座で上演された「墓に唾をかけろ」では衣裳と舞台装置を担当した。

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こちらはヴィアンがヴァーノン・サリヴァンの筆名で英語から仏訳したというふれこみで出版した『墓に唾をかけろ J'irai cracher sur vos tombes』(éditions du Scorpion, 1946)。架蔵のエディション・オリジナル。






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by sumus2013 | 2013-12-16 20:57 | 古書日録 | Comments(2)

六甲あたり…口笛文庫/ブックス・カルボ

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久し振りに六甲の口笛文庫へ。ちょうどガレージを開けていたところに到着。だいたいは以前と同じ品揃えながら、圧倒的に本の数が増えている。哲学思想関係、洋書あたりは充実著しいように思えた。「みせいり」の札を載せた本の山が林立。いつもながらお宝埋蔵のニオイがプンプンしていたが、本日はゆっくり掘り出す時間がなく三十分ほどでなんとか四冊ほど確保。

最近できたという古本屋を教えてもらう。口笛さんからまっすぐ北へ踏切も越えて坂をのぼると広い道路に面した店舗が見えた。

ブックス・カルボ
http://books-carbo.jp

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急いでいるので、とにかく場所を確認したということで、まずは表の百円均一ワゴンから種村季弘の文庫本二冊を抜き出した(均一の文庫、いいです)。店内はきちんと整理されており、けっこういいものがありそうな雰囲気。ご主人に名刺をもらう。

王子公園まで一駅、阪急電車に乗る。妻と待ち合わせてトンコパンという洋食店で食事。さらにそこから歩いて灘区民ホールへ。「ミハル・カニュカ&伊藤ルミスーパーデュオ2013 13th tour」というコンサートのため。

フォーレの「エレジー」から始まる。カニュカ氏のチェロが重厚な響きでひきこまれた。チラシによれば一七四一年製アントニオ・テストーレをモデルにしてフランスの楽器製作者ベイヨンが作ったものだそうだ。伊藤女史の前に置かれたピアノは一九二五年製のスタインウエイ。「この時代のピアノがいちばんいい音がするんです」と女史。

日本歌曲のコラージュがつづき、サンサーンスの「白鳥」、同じく「チェロソナタ第一番ハ短調作品32」。休憩をはさんでフランクの「チェロソナタ イ短調(原曲ヴァイオリンソナタ)」。生のコンサートはかなり久し振りだったので音に圧倒された。二五年製のスタインウエイは凄い。アンコールにカッチーニ「アヴェ・マリア」、ショスタコヴィッチ「チェロソナタ」、カザルス「鳥の歌」。カニュカ氏のテクニックもみごと。師走の慌ただしいなか、しばし心地よい気分に浸れた。
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by sumus2013 | 2013-12-14 21:02 | 古書日録 | Comments(0)

季刊湯川 No.6

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『季刊湯川』第六号(奥付は一九七九年八月、目次では九月になっている)を恵投いただいた。有り難いことです。これで七冊揃った。

表紙 藤田慶次
p.3―12   永田耕衣「面を横に―田荷軒追憶―」
p.13―23  シュペルヴィエル 多田智満子[訳]「ミーノータウロス」
p.24―36  ヴァレリー・ラルボー 岩崎力[訳]「女名前について」
p.37―44 有田佐市「ムッシュTについて 5」
p.45―53 一九七八年一月~十二月新刊書籍動向(有田佐市)
p.54―56 刊本広告(註:目次に記載なし、ノンブルの記載なし)

やはり巻頭の永田耕衣の文章が強烈。耕衣が自らの本作りについて回顧している。処女句集『加古』(鶏頭陣社、一九三四年)についてこのように書く。

《このさい本の立派さというのは、贅を尽した見せかけの世俗的な風姿にあるのではなく、飽くまでも著者の精神の在りどころを証してやまぬ質実剛健なものでなければならぬ、という当節私なりの本願が幾らかでも成就している立派さであった。いわば本は著者の人間に他ならないのだ。「書は人なり」というが如く、「本は人なり」である。》

第二句集は袖珍本(ミニチュアブック)『傲霜』(私家版、一九三八年)。

《私はこのあたりから、田舎者のくせに「本を作る」ということに異常な情熱を覚え初めていたのである。しかし、「本は人なり」という悟達の確信に達したのは、まさにこの冗文を書く途中である。寿岳文章先生の著書を愛読したり、近来、湯川書房の仕事、身辺ではコーベブックスにおける渡辺一考君の仕事を、本最高の醍醐味として求心的に眺め且垂涎尊敬してきたということが、今日我が悟達の地盤であることは申すまでもない。》

そしてこういうふうに締めくくる。

《本を作ろうと志す者は、先ず、既製最高の善本を永遠に見据えるべし。そして制作者自身、独自未完の願望的イメージを、この鹿の如く「面を横に」凄絶に、怨み、憎み、眺め刺し尽くす要があるかと思われる。
 簡素であれ、豪華であれ、本物の本というものは、著者、印刷者、製本者(出版者)の三者が、あらゆる諸条件を最善の友として、「出会いの絶景」的な一如ぶりを証そうとする世界からのみ現成する。それ故、本物の本は、著者を超え、印刷者を超え、製本者(出版者)を超えて、この三者一如の心身を荘厳し尽した存在となる。「本は人なり」といいうる本物の本は、そういいうる真義のうちに、三者渾一の人間的容顔がその体温ごめに馥郁と漂いやまぬ、妖しげで身心的な何物かである。》

三者というのは「?」だが、本は一人では作れない、ということは本当だろう。作れないというよりも(すべて一人で作る人もいます)、分業になっているからこそいい本ができるような気がする。
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by sumus2013 | 2013-12-13 21:03 | 古書日録 | Comments(2)

夜がらすの記

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川崎彰彦『夜がらすの記』(編集工房ノア、一九八四年六月二五日二刷、装幀=粟津謙太郎)。先日、街の草で求め、帰路読み始めて面白く、あっという間に読み終わった。二〇一〇年二月四日に亡くなられた川崎さんを偲んで「夜がらす忌」が催されているのは知っていたが、この作品集のタイトルだったのだ。川崎作品は『ぼくの早稲田時代』(右文書院、二〇〇六年)以外はほとんど読んでいなかったので新鮮だった。奈良で『ぼくの早稲田時代』の出版記念会がもたれ、小生も装幀を担当したので参加した。ブログになる前の「daily-sumus」にその日の様子を書き留めている。

《◆午後から奈良へ出かける。川崎彰彦『ぼくの早稲田時代』の出版記念会が宇多滋樹さんの古書喫茶「ちちろ」(ならまち文庫の北店、奈良市南半田西町18-2)へ。近鉄奈良駅から北へ五六分、NHK奈良放送局の北側。宇多さんの自宅でもある町屋。途中、古い商家などあり、写真を撮りながら行ったので午後四時スタートのジャストに到着。川崎さんを中心とした同人誌『黄色い潜水艦』の方たちなど四十人ほどがすでに着席していた。顔を赤くした久保田一さん(『虚無思想研究』発行人)が「乾杯の練習と、練習の練習をやったんだよ、がはは」と。

 『ぼくの早稲田時代』の他に三輪正道氏、林田佐久良氏の著書も併せた合同出版記念会とのこと。車椅子の川崎さんもお元気のようすで何より。青柳さんが右文書院の社長・三武氏を案内して来場、ようやく正式の乾杯となる。南陀楼綾繁氏は京都、奈良での古書収穫を膝元にどっさりと。中尾務さん、年末に怪我をされたとのことだが、相変わらず。『ぼくの早稲田時代』の出版について三武氏、南陀楼氏、青柳氏らがマイクでひとくさり。右文書院としては初の小説出版だそうだ。堀切直人氏の著書とともに、au の携帯サイト「声の図書館」に登録されているとのこと。音声で朗読を聞くことができるらしい(携帯をもってないので詳しくは分からないけど)。

 編集工房ノアの涸沢さんも東京で出版されたことに意義があるとあいさつ。ノアさん、お酒が入ると大胆になるタイプのようだ。ノアの装幀をよくしておられる粟津謙太郎さんも見えていた。うらたじゅんさんも準備から当日の世話までたいへんな奮闘ぶり。とにかく川崎さんが多くの人たちに慕われる存在だということを強く感じさせられた。川崎夫人と久保田夫人がまたすばらしいキャラクターだった。青柳さん、久保田夫人に可愛がられて(?)いた。川崎さんが「今日は成人の日ですが、わたしはまだ未成年ですから、これからもがんばります」と挨拶したのが印象に残る。》(2006年1月9日)

なんとも楽しげな記念会だったなあ…。七年前のことなのに、何か一時代が過ぎたほどにも遠くに思われる。

本書には短篇、中篇が七作収められているが、連作なので、ひとつのまとまった作品としても読める。作者もそのように意図していたようだ。なかで注目したのは「「芙蓉荘」の自宅校正者」に登場する画家の虫塚君。

《富貴ビルという名前負けもいいところのひょろ高い雑居ビルにデザイン・写植工房を構えている画家の虫塚鋭太郎のところを覗いてみることにした。
 長髪のよく似合う虫塚君は机に向かって色見本のカード繰っていたが、敬助が顔を出すと、すぐ仕事をやめて、ウイスキーを持ち出してきた。
「仕事はいいの?」
 と敬助がたずねると、
「ええ、きょうはもうええんです」
 といった。午後二時ごろ行っても、必ずそういって酒を持ち出してくるのだ。
 写植機に向かっていた女詩人の木沼さんが、部屋の片隅のカーテンの向こう側へ行って、何かごとごとやっていると思ったら、サラミソーセージやチーズや、鶴橋の朝鮮市場で買うのだという青唐の赤唐辛子味噌漬けを皿に盛ってきた。このおそろしく辛いやつが、詩人の金時鐘仕込みで、木沼さんは好きらしく、いつ行っても常備してあった。》

《壁には、どこか南方の民俗楽器らしい古ぼけた二弦の木製弦楽器と虫塚君の腐蝕画[エツチング]、それと虫塚君がネパールで採集してきた鮮麗な蝶類の標本が掛けてある。
 きょねんの夏、敬助が虫塚君らと鹿児島県の串木野から船で渡る甑[こしき]島へ行ったとき、虫塚君は柄のない捕虫網を携行していて、たくみな網さばきで蝶をからめ捕り、けっして狙いを誤つことがなかった。その道の大ベテランなのだった。そして軽く蝶の胸部をつまんで昇天させ、セロファンに包むと、使い古してでこぼこのついた三角のブリキ缶におさめた。その手つきも慣れたものだった。》

虫塚鋭太郎は本書の装幀もしている粟津謙太郎氏であろう。このくだりを読んで氏のエッチングに虫のモチーフが多いのが頷けた。本書の表紙に描かれている鳥、これが「夜がらす」(ゴイサギ)。うまく特徴を捉えている。

初版は同じ年の五月二十日。ほぼひと月で増刷とは。しかし、それが納得できる名作である。
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by sumus2013 | 2013-12-12 20:41 | 古書日録 | Comments(0)

想像力の散歩

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ジャック・プレヴェール『想像力の散歩』(粟津則雄訳、新潮社、一九七八年八月二〇日二刷)を入手。スキラの「創造の小径 LES SENTIRERS DE LA CREATION」シリーズの一冊。かなり前に一冊ロジェ・カイヨワ『石が書く』を紹介したことがあるが、なかなか魅力的なシリーズだ。本書の原題は「IMAGINAIRE」(空想上の、空想家)。

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コラージュに添えられたテキストはほとんど駄洒落集と断言してもいいもの。プレヴェールはフランスのしゃれのめす男なのである。ほんの一例。

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 美女と野杖

「La Belle et la Bête/美女と野獣」にひっかけた。ベットとバット。この句のとなりには血糊のついたバットと男の首を持った美女のコラージュ。あな恐ろしや。プレヴェールにおいてはこの手のスプラッターなイメージがきわめて豊富である。それにしても「野杖=やじょう」は苦心の訳ですなあ。

もうひとつ、長めの文章。

 Vous qui appelez terre la terre de la Terre, appelez-vous lune la lune de la Lune?

 現在あなたがたは、地球(テール)の地面(テール)を大地(テール)と呼んでいるが、将来、月(リユヌ)の月面(リユヌ)を月地(リユヌ)と呼ぶようなことになるのだろうか?

日本語は同音異義語が多いと言われるが、フランス語にもけっこうある。異義語というより同じ一つの単語が複数の違った意味をもつということだ。和訳すれば「テール」は三つの単語に分身させるしかなく、註かルビで補うより他ない。駄洒落を訳すのは、ジョイスの場合もそうだろうが、骨折り損の草臥れ儲けといった感がある。

そうそう、プレヴェールと言えば、柏倉先生の新著が出た。ぜひ読んでみたい。

柏倉康夫訳 ジャック・プレヴェール詩集『歌の塔』
http://monsieurk.exblog.jp/19987123/
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by sumus2013 | 2013-12-11 21:17 | 古書日録 | Comments(0)

マルクス主義講座1

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午後、市中へ。大学堂書店の前で。定休日。

ギャラリー・マロニエの「お・き・ま・り・の・パリ」展および「The 18 th How are you, PHOTOGRAPHY?」展見る。パリは絵になる、写真になる。世界中の写真家が撮っている。新味はまったくない(小生の絵にも言えることなり)だからこそ「お・き・ま・り・の」と韜晦してみせた。そこがミソ。いずれも秀作揃いながらマン・レイ石原さんの古き良きパリの街景絵葉書がかえって新鮮だった。

お・き・ま・り・の・パリ
http://www.gallery-maronie.com/exhibitions/gallery3/2103/

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尚学堂まで足をのばす。店頭二百円台から『マルクス主義講座1』(上野書店内マルクス主義講座刊行会、一九二七年一一月二〇日)を求める。兵庫県美の「絵画と文学」展の影響なり。

やはり装幀に惹かれる。装幀者などについては記載されていない。この講座(全十二巻)については大和田寛「1920年代における マルクス主義の受容と社会科学文献」という論文がネット上で読める。

《この『講座』は,雑誌『政治批判』を出していた政治批判社が編者となっている。『政治批判』 は,1927年2月から1929年まで,大間知篤三・水野成夫らの編集で出ていた。》

《このように内容や執筆者に変更が多いのは,松島栄一も指摘するように,この講座が企画された (パンフレットが出された)1927年11月という時期は,コミンテルンの『日本に関するテーゼ』い わゆる「27年テーゼ」の発表と重なり,全体の企画の見直しが生じたこと,刊行途中の1928年3月に,いわゆる「 3・15事件」があり,執筆予定者が逮捕されたことが考えられよう(14)。 この『講座』は,全体の構想としては,日本のマルクス主義の体系化を試みた面白い企画であっ たが,結局は中途半端なものになってしまった。しかし個別には,見るべき論文も幾つかあり,日本の社会科学史に正当に位置付けられるべきであろう。》

内容には興味ないが、裏見返しに次のように書かれていたのには注目した。

 一九七六年(昭和五十一年)三月四日
 銀閣寺道電停西 千草書店にて
 購入(三百円) 井上威久馬

検索してみると井上威久馬氏はお笑い台本作家、左京区浄土寺に住んでおられるようだ(同姓同名もあり得るが)。千草書店は千原書店の勘違いだろう。

引き返す途中でアスタルテ書房のぞく。扉は閉じられたまま。三ヶ月になる。
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by sumus2013 | 2013-12-10 20:32 | 古書日録 | Comments(2)

中川六平さん百日法要

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中川さんの百日法要および思い出を語る会が徳正寺で執り行われたので、中川さんとはそんなに深い付き合いがあったわけではないが、昔からよく知っているおじさん、というような親近感を感じる人だったので参加させてもらった。

ほびっと時代の友人諸氏が語る青年中川像はいきいきとして、晩年の中川さんしか知らない者には驚きであった。岩国ほびっと時代のスライド上映が何とも言えず良かった。晶文社はじめ編集者時代の回想は武勇伝として聞き及んでいた話も少なくはなかったが、こんな編集者もう二人と現れない、と思わせてくれるに十分な内容だった。

小沢信男さんも来ておられた(またお会いできて嬉しかった)。六平さんがタッチした最後の企画となった小沢さんの新著、その見本ができていた。装幀は平野甲賀さん、装画はミロコマチコさん。来週には書店に出回るだろうとのこと。そのミロコマチコさんも見えていて、六平さんとのやや滑稽なやりとりを語ってくれた。蟲文庫さんや久し振りに会う東京の人たちが何人もいて六平さんの人徳を思う。月の輪書林でバイトをしていて六平さんと親しくなり仲人をしてもらったという男性が、奥さんが六平さんが亡くなったときにツイッターに書いたという追悼文を読み上げたが、それが素晴らしかった。こんな風に語られる人はそうはいないだろう。
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by sumus2013 | 2013-12-08 20:41 | 古書日録 | Comments(0)

季刊湯川 No.7

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『季刊湯川』第七号(湯川書房、一九八〇年一一月)を頂戴した。深謝です。

季刊湯川五冊
http://sumus.exblog.jp/21213166/

五冊に本冊を加えて六冊になった。あとは第六号のみ。この第七号は岡田露愁の木版画集『魔笛』の特集号。塚本邦雄「月光變」はモーッアルト「魔笛」をめぐるエッセイ風のコント。たとえばウィーンの国立劇場(スタツツオーパー)で出来事を回想するくだりなど、ちょっといい。

《「貴方、鳥刺しで何か聯想してるんぢやない? あててみせようか、私も丁度今考へてゐたところなんだから。『神州纐纈城』の発端に近いあの場面を。『いざ、鳥刺しが参つて候。鳥はゐぬかや大鳥は。はあほいのほい』と歌ひながら現れるんだ、たしか」と。古今東西、掛聲や合の手は共通するところもあらうが、先程フィッシャー=ディースカウのパパゲーノが、「鳥刺し男はおれのこと、常住愉快に、ハイサ、ポプサッサ」と、朗郎たる聲を聞かせてくれた直後だけに、その囃子の〈heissa, hopsassa!〉の綴り字まで、頭に思ひ描いて、頷いたことだつた。》

魔笛 Die Zauberflöte_3 俺は鳥刺し(パパゲーノのアリア)
http://www.youtube.com/watch?v=5LOkaQNFhms

うむ、たしかに「ホイサッサ」と聞こえなくもない(笑)。

三浦淳史はデヴィッド・ホックニーが舞台装置を担当したロンドンでの「魔笛」を取り上げて、まだ日本ではそれほど有名ではなかったホックニーについて語っている。有田佐市は小林秀雄の『モオツァルト」を雑誌『創元』で初めて読んだときの感動について。そして杉本秀太郎による岡田版『魔笛』についての期待を表明する一文。

次に岡田版『魔笛』の広告があり、最後に「雁名告造」の「露愁版画の魅力」という文章でしめる。雁名だから仮の名なので、湯川さんが執筆したのだろうか?(湯川さんではありませんでした)、なかなか熱の入った名文だ。

《「筆勢が感じられる」。岡田露愁木版画展は新鮮な驚きだった。そこにくり拡げられた木版画の表現は木版画技法の常識を無視した大胆、奔放な摺り、彫版、油製インクの使用によるマチエールの迫力、インクを必要以上に版木に塗り、その為、版木から版画紙を話した際に出来たと思われるクレーターの様なインクの跡、飛散った風に見えるインク、それらがすべて露愁氏の繊細な感受性の上に支えられ、神話、世紀末の人物像の生き生きとした表現に奉仕させられて、現代に甦って筆者に語りかけた。》

《天才モーツァルトがその生涯の果に咲かせた人類愛を崇高な迄に唱いあげた傑作オペラ「魔笛」。現代も続いていると言われる秘密結社フリーメーソンの神秘的な理念、夜の女王の存在の不可解さによって難解とされるドラマが露愁氏によって木版画された。そこに描かれる登場人物のなんと魅惑的なことか、六〇センチ×四七・五センチの大画面にパパゲーノを、三人の侍女達を、深きドイツの森の夜を舞台にメルヘンの響きを谺させる。
 露愁と言う古風な名を持つ若き画家は、今、古き革袋に馥郁たる香りに包まれた新しき酒「魔笛」をそ注ごうとしている。》

湯川さんは、実際、モーツァルト好きだった。事務所にはCDの全集が置いてあったように思う。他にはバッハも揃っていたか。
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by sumus2013 | 2013-12-05 21:10 | 古書日録 | Comments(2)

ルル子

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池谷信三郎他『ルル子』(平凡社、一九三〇年六月一五日)。昨日、兵庫県美の展示にこの本が第二部のいちばん最後に並んでいた。残念ながら、これは小生の本ではない。日本近代文学館でカラーコピーしてきたもの。展示本も同館所蔵本だったが、たしかこの本が二冊あって、小生が閲覧したこの本ではない、もう一冊のようだった。

一九三〇年六月に蝙蝠座が築地小劇場で第一回講演として上演したのが「ルル子」だった。すなわち中村正常、池谷信三郎、舟橋聖一、坪田勝、西村晋一の五人がルル子という女性を主人公にしてコントを書いて上演した。その舞台装置を担当したのが、東郷青児、阿部金剛、佐野繁次郎、古賀春江。その台本である。

どうしてわざわざこの本を閲覧したかというと、しばらく前に以下の原稿を入手したため、確認しておきたかったのである。

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ただし今日出海の序文四枚と中村正常の「「馬鹿の標本」座談会」三十二枚が綴じられているだけで、中村の原稿は筆跡が二種類、前半は誰かの清書原稿、後半が中村の自筆かと思われる。今日出海は序文にこう書いている。

《ヴェデキントの「パンドラの匣」と「地霊」が組み合つて出来た戯曲「ルル」が翻案された。といふよりは換骨奪胎されてルル子なるニホン娘が出来上つた。戯曲「ルル子」の中にヴェデキントらしい何ものかを探すとしても徒労だから、序文で断はつて置く。》

《最後に蝙蝠座の事務と責任を総て一手に引き受けてなほ綽々たる主事小野松二にルル子が上梓されるにあたつて、一言謝意を述べて置かう。》

「最後に」以下は抹消されている。版本にはないのだろう(今、コピーした序文が見つからないので断言できませんが)。今はまったく停滞してしまっている小野松二研究だが、とりあえずこのブツを確保しただけで満足しているしだい。

今日出海は「芸術放浪」という自伝的エッセイで蝙蝠座のことに少しだけ触れている(『芸術新潮』一九五一年四月号)。学生時代(東大仏文)、築地小劇場ができて非常に大きな感化を受けた。池谷信三郎、村山知義、舟橋聖一、古沢安二郎らとともに「心座」を結成してユージン・オニールやルノルマンを上演した。その後、心座は分裂して左傾した村山と提携したのが「前進座」となる。

《私が「心座」に関係してゐたのは学生時代のことで、後に池谷信三郎、中村正常等と蝙蝠座を組織もしたが、この時も何等の資金もなく、築地で旗挙げ公演をし、昔の心座時代の経営法で格別欠損も作らなかつた。》

江戸東京博物館に所蔵されている蝙蝠座のポスター。

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蝙蝠座について触れている文献としては西村晋一「蝙蝠座のころ」などいろいろあるようだ。なかでは体験的に語ってくれて面白いのが中村知會『中村さんちのチエコ抄』(主婦と生活社、一九八四年四月二〇日)に収められている「蝙蝠座の頃」。中村知會の当時の名前は橋本千恵子。

《「築地小劇場」が分裂して、私はしばらく、おとなしい生活をしていたのですが、だんだんと頭と体がうずうずしてきました。
 そんなときに、今日出海さん、小野松二さん、坪田勝さん、西村晋一さん、そして、後に夫になる中村正常たちが、劇団「蝙蝠座」を旗揚げしたのです。昭和五年二月のことです。》

《舞台装置や美術のメンバーには、阿部金剛さん、東郷青児さん、佐野繁次郎さん、古賀春江さん、そして紅一点の、佐伯米子さんがいました。
 「蝙蝠座」の女優陣には、特別出演の阿部艶子さんの他、毛利菊枝さん、高見沢富士子さん(現・田河水泡夫人)、小百合葉子さんたちがいました。》

《「蝙蝠座」は神田の〈こまや〉という洋品店の二階を借り、事務所兼稽古場にしていました。いわば、〈こまや〉の主人は「蝙蝠座」のパトロンでもあったのです。》

《〈こまや〉の向かい側に〈フルーツ・パーラー万惣〉があって、稽古の終わったあと、「築地小劇場」から強引に「蝙蝠座」に入座させたボーイ・フレンドの高木丈二たちと、そこで楽しい時間を過ごしたものです。》

《「蝙蝠座」の第一回公演は、〈女優ナナ〉を演ることになりました。
 主役は阿部艶子さんにきまり、相手役にはなんと私がきまったのです。》

《例の〈パピリオ〉の文字をデザインなさった佐野繁次郎さんは、滝沢[修]さんとはまた違った味のメーキャップをなさっていました。》

《作家たちの思い入れで、艶子さんが〈女優ナナ〉の主役に引っぱり出されたことが、朝日新聞を初め、その他の新聞にも大きく取り上げられ、公演は連日満員の盛況ぶりでした。
 劇中の艶子さんの水着姿に、観客の視線は熱く注がれたのです。
 といっても特別につくらせた体をすっぽり包み込む肉色のタイツの上から、水着をつけたという、今では考えられないスタイルでしたが、当時としてはセンセーショナルなことだったので、話題になりました。》

〈女優ナナ〉などいくつか勘違いがあるようだが、当時の様子が目に見えるようだ。高見沢富士子は小林富士子で小林秀雄の妹。阿部艶子は作家・三宅やす子の娘で画家・阿部金剛の妻(阿部と結婚したのは昭和四年十二月)。中村が言及している朝日新聞の記事は昭和五年六月三日に掲載された「阿部艶子の初舞台」らしい。三宅艶子(=阿部艶子)のエッセイ『ハイカラ食いしんぼう記』(中公文庫、一九八四年)に蝙蝠座のことが一箇所だけ出て来ていた。あとがき。

《この本に、佐野繁次郎氏にカットを描いていただけたことが、私にはほんとうに嬉しい。佐野さんお忙しい中をありがとうございました。
 佐野さんとは、数えると五十年来のお友達で、いろいろ御縁も深い(蝙蝠座の芝居のメークアップをしていただいたこともあるし)。夫だった阿部金剛と同い年で、二科展の初入選(遠い昔話だけど)も同じ年だった。》

蝙蝠座については下記論文が詳しい。

中野正昭「新興芸術派とレヴュー劇場-蝙蝠座、雑誌『近代生活』とカジノ・フォーリー、ムーラン・ルージュ-」
http://www.researchgate.net/publication/33015659_--
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by sumus2013 | 2013-12-04 21:12 | 古書日録 | Comments(0)

有文堂書店閉店セール

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某氏より以下のようなメールを頂戴しました。

《悲しいお知らせをひとつ。六甲に1軒、古書店が生まれるかとおもうと、老舗の1軒が消えていきます。元町の有文堂です。》

《この20日あたりで閉店するそうです。店舗の本はすでに5割引になっていました。時間が許せば行ってあげてくださいませ。閉店の理由は家賃だそうです。一気に地震以後、4倍にもなったとか。とても採算が合わないそうです。》

有文堂書店
〒650-0011 兵庫県神戸市中央区下山手通5丁目1−1
元町駅より北へ徒歩五分くらい。県公館の南側です。
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by sumus2013 | 2013-12-03 08:42 | 古書日録 | Comments(3)