林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:古書日録( 790 )

飯田衞という人

ちょうど三年前に「飯田衞をさがせ」という記事をブログに書いた。

飯田衞をさがせ

この記事を飯田氏のご親戚の方がご覧になって、さらにご子息の御一人がご連絡をくださった。

父は、青年時代小学校の教師をする傍ら、洋画をたくさん画いていたそうです。私が生まれた昭和20年代は、絵画の活動はしておらず、毎年版画の年賀状を作っては、出していたことは、記憶しています。紹介にある酉年の絵葉書は、確かに父の作品です。絵も私が実家にいた若い頃に客間に飾っていた絵にタッチが似ています。洋画の作品は、かなりたくさん残っているようですが、小生は、洋画に興味がなく、今は、実家を離れ、東京に居を構えていますので、どのように保存されているかもまったく不明です。

三年前には紹介しなかった飯田衞の作品葉書が四種類あるので、まずそれを掲げておく。いずれも春陽会に出品されたもの。モノクロなのが残念だが、力強いタッチ、ボリュームの表現は余技の域を越えるもの(だから春陽会に入選しているわけだ)。実物が現存しているようならぜひ見つけ出していただきたいと思う。


春陽会第十一回展覧会出品 布留の渓流 一九三三年
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春陽会第十二回展覧会出品 布留の里 一九三四年
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春陽会第十三回展覧会出品 冬の布留川べり 一九三五年
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春陽会第十六回展覧会出品 磯辺 一九三八年
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以上である。三枚目と四枚目の切手面は一枚目と同じデザイン。そしてご子息よりお教えいただいた略歴と職歴は以下の通り。

明治35年(1902年)4月(生)~昭和61年(1986年)12月(没)84歳
学歴:旧奈良県畝傍中学(現畝傍高校)卒 
職歴:独学で小学校教師の資格を採り、奈良県下で小学校の教師、校長歴任定年後は、天理市の教育長を務めた後、しばらくカラー印刷製本会社で美術の仕事に従事したが、昭和35年頃完全引退 その後は、大和の石碑の拓本採りや郷土の歴史を勉強していたようです。

晩年は天理市史の編纂にも加わっておられたとのこと。だから前のブログで名前を挙げたような書物に執筆しておられたわけだ。

昭和十年当時の春陽会は以下のような会員・会友がいた。これも飯田衞宛の葉書の一部である。

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このなかで例えば田中善之助は京都出身。浅井忠の聖護院洋画研究所に学び、黒猫会、仮面会などに所属し、飯田氏も出品していた新興美術協会を昭和七年に創立している。画風はまったく違うように思えるが、田中と関係があったことは想像できるだろう。

作品それ自体が飯田衞の価値を語って余りあると思う。本格的に調査し再評価する地元の研究者を待望したい。




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by sumus2013 | 2014-04-12 20:59 | 古書日録 | Comments(2)

破草鞋

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百拙元養の漢詩紀行文『破草鞋』写本を入手した。双白銅というわけにはいかなかったが、本ブログの読者諸兄に対してわざわざ断るまでもなく、そうたいして値の張るものでもなかった。

百拙についてはウィキの記述が簡明【百拙 元養(ひゃくせつ げんよう、寛文8年10月15日(1668年11月19日)– 寛延2年9月6日(1749年10月16日)。京都生まれで臨済宗から黄檗宗に転派。近衛家の帰依を受けてその菩提寺海雲山法蔵寺を復興し初代住持。七十二歳で黄檗山首座。法蔵寺に示寂、八十二。詩文や書画を得意とした。

『破草鞋』は『碧巖録』にある言葉、ここでは紀行文の意味であろう。実際に豊岡、姫路、兵庫を旅した記録と漢詩からなる。

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序文の末尾に《住但州興国禅寺百拙山僧書於聴松南軒白雲深處》とある。享保三年九月から翌年までこの寺の住持となっているからその時期にまとめられたということだろう。詩はかなりの腕前とみた。本文の一丁だけ掲げる。元椿は別号のひとつ。

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旧蔵者が書写したと思われる百拙の略歴一枚が挟まれていた。

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俗姓を「辻」としているが、ウィキでは「原田」。そしてまた旧蔵者のメモが巻末に書き込まれている。

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 時維(ときこれ)昭和乙卯孟夏
  於東都神田日本堂購入
   価金百円
            甲然誌


昭和乙卯(きのとう)は一九七五年。日本堂としてあるのはおそらく日本書房の誤り。百円だったか! 負けた(その頃、コーヒーはだいたい二百五十円だったから、当時としても安い買物だったろう)。



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by sumus2013 | 2014-04-10 21:24 | 古書日録 | Comments(0)

奥一男宛葉書

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神戸市葺合区の奥一男という人物に宛てた新潟市白山浦の小木曽均という人物からの葉書二枚。文面は連続している。昭和二十四年のようだが、消印がはっきり読めない。

《神戸は美しいところだった。六甲登山口のエクランという小喫茶店のビールの味も忘れられません。》

エクランは神戸商業大学(現神戸大学)が上井筒から六甲台へ移転した昭和九年に開業したという。神戸の震災後も営業していたようだ。



小木曽均には歿後出版された『比島スケッチ集』(元比島日本語教育要員の会、一九八九年)があるようで、小木曽の歿年は一九五五年とされている。以下の三枚は昭和二十五年一月十六日消印、自筆の絵入り葉書。玄人とは思えないにせよ、素人としてはかなり描き慣れている。新潟から阿佐ヶ谷へ転居したということだろう。

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《実存哲学とハどんな意味ですか。昨夜マニラの戦友と焼酒を四合程やりました》とあるので『比島スケッチ集』の著者とみて間違いない。



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《今年も少し絵をかいて、小説をかいて、読んで暮しませう。》とは何ともいい年頭の挨拶ではないか!


他には、奥宛のこんな貴重な葉書も残っていた。

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『日本古書通信』の誌代切れのお報せ。古書通信社の住所が東京都台東区上野広小路松坂屋内となっている。八木書店の沿革を見ると戦後の『日本古書通信』復刊は昭和二十二年、松坂屋古書部の閉鎖は二十八年だから、おおよそその間、とくにこの紙の変質具合からして二十四年頃までの葉書だろうか。

もう一枚、こちらも珍しい雑誌『蒐集時代』(蒐集時代社)創刊の案内葉書。
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『蒐集時代』は昭和十一年に第一輯が伊藤喜久男編で出ている(発行は粋古堂、少なくとも三輯までは刊行)。これはそれを昭和二十三年に復刊したもののようだ。伊藤は『旅の趣味』という雑誌を戦前から戦後にかけて発行し、趣味的な単行本を何冊も上梓している。

趣味の問屋   1936
東京附近 登山とハイキング 大村書店 1937
東京近郊神社仏閣蒐印道案内 河内書店 1940
東京蒐集家番付 旅の趣味会 1940
郷土玩具集   旅の趣味会 1941
晴風小伝と印譜 旅の趣味会 1942
藏書票作品集  旅の趣味会 1943
昭和藏書票誌  旅の趣味会

ごあいさつ 1〜4輯 旅の趣味会〜蒐集時代社 1942


奥一男はかなりの書物狂とみえる。

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by sumus2013 | 2014-04-09 20:21 | 古書日録 | Comments(4)

福引題集

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城美樹『福引題集』(虹有社、一九四九年一二月五日)。今年になって買った古本のなかでもっともその表紙デザインに魅了された一冊と言っていい。昭和二十四年の発行なのだが、これはもう戦前昭和ヒトケタのシュルレアリスム感覚だろう。たとえば西脇順三郎『シュルレアリスム文学論』(天人社、一九二九年)などを連想させる。下図は『昭和モダン 絵画と文学 1926-1936』より。

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福引についてはdaily-sumusで言及したことがある。

『トリマルキオの饗宴』と『新案福引妙珍集』

《笑ふ門には福来るとか申しまして、名からして目出度い福引に、福を引きあてて怒る人はあるまい。この福引と云ふものは好く笑ひ、席上を面白く賑はし、来会者の心を愉快に打ち解けさせてくれます。至極興味のある余興で御ざいます、他の物の遠く及ぶものではありません。宴会、祝賀会、各集会等には先づ題一番の余興でございませう。
 紳士の方に炭団や箒、令嬢に大根や薩摩芋又は髭むしやの殿方に紅白粉が当る等哄笑爆笑アハゝホゝゝと笑ひの止まらぬのが福引の名にそむかぬところ招かずして福はおのづから一座に集るのであります。》(はしがき)

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「将棋」が景品に出るものだけ参考に引用しておく。

 雷ゴロゴロ    鳴り(成り)出すと怖い   将棋

 資本       金銀がある         将棋の駒

 清水次郎長    俠客            将棋の香と角

 浮川竹の流れ身  娼妓            将棋

 雷神       なり出すと怖い       将棋

 時計屋の店頭   金銀がある         将棋の駒


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城美樹という名前で検索すると、この本の重版(一九五〇年)と『福引』(虹有社、一九五二年)がヒットする。また虹有社は昭和初期から『透視術入門』(?)、『気学入門』(一九二九)、『とらんぷの遊び方』(一九四七)、『シベリヤ抑留記』(一九四七)、『麻雀』(一九四八)、『麻雀の秘訣』(一九四八)、『夢判断』(一九四八)、『小倉百人一首』(一九五〇)などを刊行している。



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by sumus2013 | 2014-04-08 20:30 | 古書日録 | Comments(0)

Banno Shoten

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昨日のパリ・メトロ地図の裏面にはさまざまな興味深い情報が掲載されている。美術館、モニュメント、寺院、森と公園、劇場とカフェ・コンセール、舞踏場、コンサート、ホテル、レストランとカフェ、ダンス場、商店、裁判所、公共機関、各種組合、飛行学校と飛行場、サーキット場、パリ近郊案内。

そして貴重なのが日本関連の連絡先。以下の通り。

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日本大使館 
講和会議日本代表団
日本大使
大使館付陸軍武官
大使館付海軍武官

伴野商店 Boul. des Italiens, 15
仏日銀行
日本倶楽部
名誉領事(シュヴァリエ氏)
堀越商会 Rue des Petites-Ecuries, 65
三菱
諏訪ホテル Boulevard de Clichy
ベルタン氏(パリ仏日協会会長)
ル・プリウール氏
マルティニ氏(仏日銀行理事)


日本大使館の住所は現在の7 AVENUE HOCHEとは違っている(日本大使の住所と同じだ)。どちらも凱旋門にほど近い。また日本大使館内にあった講和会議日本代表団だが、la conférence de la paix」というのは第一次大戦後の講和条約のことだから、この地図は一九一九年頃のものということになる(!)。とすれば「一九一五〜一六年完成予定の線」という記載はどうなるのだ?

もうひとつ気になったのは伴野商店。Shoten とあるから書店かと思った。しかし書店ではなく商店だった。伴野文三郎商店(現在は伴野貿易)はフランスのパテ社のパテ・ベビー映写機を大正十三年に初輸入し同機向けのフィルム(9.5mm)を販売していたことで知られるようだ。おそらくその販売促進のためだろうが、同商店は「鼠の留守番」「證城寺の狸囃子」などの一分余りの短篇アニメーションを自主制作している(ともに昭和六年、監督は大石郁雄)。戦前9.5mm映画については下記論考参照されたし。


伴野文三郎は講和会議でも大阪毎日新聞社特派員を手伝ったり、戦後には衆議院議員選挙にも立候補しているようだ。著書には以下のようなものがある(古書価はそれ相応に付いている)。

伴野文三郎(1883-1973)
『ヒットラー 外交の秘鑰』(教文館、一九三九年)
『パリ夜話』(教材社、一九五七年)
『仏国インフレ時代』(森山書店、一九五八年)
『花のパリの50年』(教材社、一九五九年)

さらにもうひとつ、堀越商会は何だろうか、と思って検索した。堀越は三重県出身の実業家のようである。

堀越善重郎(1863-1937)
31歳のとき「株式会社 堀越商会」設立。明治32年にはパリに支店を出す。



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by sumus2013 | 2014-04-04 20:09 | 古書日録 | Comments(0)

大正初期のパリ・メトロ地図

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以前も紹介した大正初期頃のパリ地図『NOUVEAU PLAN DU MÉTROPOLITAIN NORD-SUD DE PARIS』。第一次大戦勃発の頃かその直前ということになる。

マン・レイがパリにやってきたのは、戦争が終結した後の一九二一年、三十一歳のとき。以後およそ二十年間、ナチスが侵攻してくるまでパリで暮らすことになる。以後アメリカへ戻って活動していたが、一九五一年、再びパリの地を踏み、そして七六年にパリのアトリエで歿している。

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パリ到着以来、住所は転々とするものの、おおむねセーヌ川の左岸、モンパルナス界隈に住んでいた。緑点の一番上がフェルー通り、戦後にアトリエとしていた場所。

フェルー通りのランボオ

フェルー通り

二番目の緑点は縁の深いカンパーニュ・プルミエール通り。

下の緑点がモンパルナス墓地、マン・レイ墓のあたり。

石原氏は『三條廣道辺り』のなかでカンパーニュ・プルミエール街についてこう書いておられる。

《エコール・ド・パリの喧噪が渦巻くモンパルナス大通りとラスパイユ大通りが交わる華やかな四辻から離れた、三〇〇メートル程の短い通りは、いかがわしさを残した下町で、画家や旅行者や流れ者が多く住んだ。詩人ランボーはしばらく一四番地に滞在したと云うし、巴里の記録写真家ウジェーヌ・アジェが住んだのは一七番乙。乳白色の画家藤田嗣治のアトリエは二三番地、客死した佐伯祐三の絶筆はその並び側二七番地にある扉を描いた油彩。》

《多くの日本人がこの通りを行き交いマン・レイのアトリエを訪問した。確証は無いが第一章で取り上げた中西武夫(一九三二年九月)もその一人だったし、興味深い訪問記を残している人には雑誌『フォトタイムス』の主幹木村専一(一九三一年一一月)や雑誌『廣告界』の編集長室田庫造(一九三五年七月)、それに詩人竹中郁がいる。》

今、歩くと、なんということもない通りなのだが、この文章を読むと様々なドラマが演じられて来たに違いない街だということが分る……。

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by sumus2013 | 2014-04-03 20:56 | 古書日録 | Comments(0)

哄笑十八番

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熊本謙二郎訳註『哄笑十八番』(有朋堂書店、一九〇七年一〇月二八日四版)を手頃な値段で入手した。これはちょっと嬉しい収穫。熊本謙二郎(1867-1938)は多数の英語教科書を執筆した有名な英語教師、英語学者だったようだ。

本書は笑い話で英語を覚えようというもので、民話や笑話、コミカルな詩など十八篇が紹介されている。目次の一部を紹介しておく。

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作家としてはマーク・トゥエインとジェローム・K・ジェロームくらいしか知らないが、Max O'Rell はフランス人レオン・ポール・ブルーエ( Léon Paul Blouet)のペンネームで『ジョンブルとその島』というイギリスでの体験談を綴った本がベストセラーとなったそうだ。ジェーン・テイラー(Jane Taylor)はイギリスの詩人、「Twinkle, Twinkle, Little Star」で知られる。E. W. コール(Edward William Cole)はオーストラリアの書店主だそうだ。W. Sapte jun. は検索してもよく分らなかった。次の頁に出ているマックエリゴット(James Napoleon McElligott)はアメリカの教育者、トーマス・アルドリッチ(Tomas Bailey Aldrich)はアメリカの詩人のようである。

他に無名氏(Anonymous)が四篇。"St.Nicholas"(St.Nicholas Folk Tales、聖ニコラウスばなし)二篇と"The Blackwood"(ヴィクトリア朝の物語雑誌)そして"Kind Words"がそれぞれ一篇。"Kind Words"は風俗をうたった滑稽詩だが、検索語としては広すぎてどういうものだか分らなかった。

翻訳がなかなか名調子なので一例を引いておく。
「懺悔 The Confession」("The Blackwood"より)

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キュウリの食べ過ぎで胸が苦しかったとさ、チャン、チャン。たわいもないお話でした。Janet を順子と「J」で揃えたあたりに翻訳者の苦心がうかがえる。

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by sumus2013 | 2014-04-02 21:22 | 古書日録 | Comments(0)

神戸の戦前古書目録

神戸の古書目録をひとまとめに某氏より頂戴した。これは嬉しい頂き物。数が多いのでとりあえず書影と必要最小限の情報だけ記入しておく。古書価の参考に高額商品を挙げたが、できるだけ単品を選んだ。数字は 00円,00銭。

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古書蒐報 第参号 カミオカ書房古書販売目録 
昭和八年十月二十五日
カミオカ書房
神戸市神戸区元町二丁目一〇三
『史籍集覧』(33冊)85,00/『万葉集新考』(井上通泰)18,00/『日本植物図譜』(寺崎愛吉)18,00

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古書蒐報 第四号 
昭和八年十二月一日
カミオカ書房
神戸市神戸区元町二丁目一〇三
『薩隅煙草録』(青江秀)23,00/『南蛮記』(新村出)6,00



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見わたせば 眺むれば 須磨の秋 目録第三号
昭和八年十一月五日
清文堂書店古典籍部
神戸市須磨区稲葉町六丁目
『土佐物語』(写本、安永頃)18,00/『和名類聚抄』(和本五冊)45,00

*


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南天荘販売目録 第三年・第一号
昭和九年二月
南天荘書店
神戸市灘区城ノ内通七丁目四三三
『参考源平盛衰記』(写本、文政頃、44冊)4,50/『校補 但馬考』(桜井勉)4,50

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南天荘販売目録 第三年・第二号
昭和九年四月一日
南天荘書店
神戸市灘区城ノ内通七丁目四三三
袖珍文庫 0,20均一/拾銭均一、二拾銭均一、三拾銭均一

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南天荘販売目録 第三年・第三号
昭和九年六月五日
南天荘書店
神戸市灘区城内通七丁目
『スタヂオ増刊 家具建築装飾美術号』(三冊)5,00

*


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古書目録 第一号
昭和十一年八月一日
竹内書店
神戸市葺合区二宮町二丁目一ノ四
『桜咲く島』(竹久夢二)5,00/『増補蔬菜園芸全書』(喜田茂一郎)5,50


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ロゴス典籍目録 第二十号
昭和十三年三月七日
ロゴス書店
神戸市神戸区三宮町二丁目
『こんちりさんのりやく』(写本、慶長頃、表紙)200,00/『乾隆勅板銅板金川得勝図』(喜田茂一郎)1500,00

*

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南天荘古書蒐報 1
昭和十三年六月十日
南天荘書店
神戸市灘省線六甲道駅前
『兵庫北宮内町宗門改帖』(安永・明和)8,00/『村瀬保険全集』9,00


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南天荘古書蒐報 2
昭和十三年八月中旬
南天荘書店
神戸市灘区永手町省線六甲道駅前
『内村鑑三全集』(20冊)60,00/『劉生図案集』6,50/『プロレタリアソシヤリズム』(独文、二冊)20,00

*

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古典蒐報 第四号
昭和十三年十二月二十日
藤本書店
神戸市湊区五宮町四〇
『酒伝記』(写本、伊丹万願寺)10,00/『青木南華山水画帖』50,00/『改正和英増補英和語林集成』(ヘボン)4,50


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古書販売目録 第七号
昭和十六年五月
書肆聚美社
神戸市湊区楠町六ノ八三
『私の観たる明治初期の日本風俗』(ビゴー)55,00/独訳日本詩集『落葉』(カール・フローレンツ)50,00/『新西域記』(大谷家、二冊)150,00

*

以上、内容に工夫が見られるのは南天荘で、眺めていても面白い。古書のレベルは値段が示している通りロゴス書店が飛び抜けている。



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by sumus2013 | 2014-03-31 20:09 | 古書日録 | Comments(0)

古本海ねこ古書目録コンパクトカラー版

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『古本海ねこ古書目録コンパクトカラー版2014年春潮号』が届いた。これまでも資料性に富んだ見事な目録だったと思っていたが、今回はオールカラー! これはまた違った意味で目をみはる。絵本やこども雑誌などの世界と日本の両方の歴史に目が開かれるみごとな内容である。色彩の強みは計り知れない。これまでは注文できずにいたが、今回は何か注文したい、注文する。4月10日に抽選だそうです。

話は少し古くなるけれど、かつて古書日月堂さんがオールカラーの目録を出したときにもかなり話題になった。小生はそういう情報にうといので、ある古書友が教えてくれたのだが、聞いてすぐに申し込んだところ、幸い目録そのものはかろうじて入手できたものの、その後注文した本はことごとく売れていた(ことごとくって二冊くらいです)。

目録と言えば、『第九回サンボーホールひょうご大古本市目録』もかなり楽しめる。図版頁もなかなかのもの、なかで目に留まったのはこちら図研の出品。ドイツのサーカス団カール・ハーゲンベックのポスター三種類。

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日本を走ったサーカス・トレイン
http://works-k.cocolog-nifty.com/page1/2011/09/post-a5de.html

ハーゲンベックはドイツで近代的な動物園を経営した人物。動物ばかりか人間を展示したことでも有名のようだ。

文字の頁ではやっぱり街の草。かなりチェックが入った。ただし注文したのは一点だけだが……。トンカ書店にも気になる本がいろいろ。こちらの抽選日は4月2日。





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by sumus2013 | 2014-03-29 21:10 | 古書日録 | Comments(2)

市島三千雄自筆原稿

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市島三千雄が残した唯一の自筆原稿を齋藤健一さんに見せてもらった。『新年』の仲間である八木末雄が保管していたそうだ。いまだ現物発見に到らず復刻版に未収録の号に発表されたのではないか、ということだった。その号の編集担当が八木だったため、八木の手許に同人の原稿が集まったということらしい。

四百字原稿用紙二枚半、詩一篇。タイトルは「●」。この記号は他の作品にも見られる。全文引用しておく。原稿用紙通りの改行にしたが、一文字下げのところは改行なしで前の行から連続することを示すものと思われる。



   ●           市島三千雄

私生子は眞白ろけで下品でない
弱蟲であるから性慾が無い腰が細くて着物は
 袋なのである
私生子は何時とは知らず自分の話を知つてし
 まふのである
偉いから泣かないそして自分ばつかり思つてゐる。母に
 は一度も言はないのである
母が啜つて泣いたし着物に小脳がしたから私
 生子は黙つてしまふのである
そして母と子の間が瑞[みづ]々しくて母は少しも訓
 へない
私生子は蟲のなのである
夜時々眠むられない目がさえてしまふ自分の
 存在がわつてやつとのことで寝てしまふ
 し
沈黙で私生子に視られたから系統の話は大嫌ひ
 なのである
結婚する事が出来なかつたから私生子は移轉[一枚目終]
 するそして行衛知れずになつてしまふ
母が気が利いて居たけれど相手にされぬよな
 気持ちがしたし
私生子は田舎が駄目であつた
何處へ行つてしまふかわからないそして家が
 残つてしまふのである
何時もぼんやりしてしまふし金を貯蓄する勇
 気が脱[ぬ]けて苦学をする體力が缺けてゐる
私生子は永久的であつたから母がいつも黙つ
 てゐる親類が無かつたし世間の人は金の送
 られる場所が不明[わから]なのである
一軒家の樣であるし赤ん坊の為家が暴[あ]らされ
 る事が無い閑[ひつそり]して歓聲がない
私生子はどうしても都が故郷なのである
子供が大きくなると引越してしまふしどうな
 るかわからない
幽霊の樣で手紙もよこさない
移轉した跡は清潔なのである
皆んなはこのことを知つてゐないのである
私生子はしつかり[四字傍点]して物事に周章てないので[二枚目終]
 ある
敷地は濕つて居ないのである。
     (1925・5)




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(1925・5)とあるが『市島三千雄の詩と年譜』(市島三千雄を語り継ぐ会、二〇〇七年)によれば、大正十四年(一九二五)は『新年』創刊の前年で、『日本詩人』二月号に四篇の詩が入選。選者は萩原朔太郎(市島が指名したという)で選評に《市島三千雄は天才的である。この人の前途に嘱望する。》とあった。

また八月には中西悟堂選で『抒情詩』に三篇が掲載された。絶賛である。

《その表現は、善き意味に於ての、全くの変態である。独歩の作家だと思ふ。私はこの人の詩集を出して見たい。
どこか人の知らない海岸に転がってゐる特異な貝のような市島君。滅多に投書をするでもなし、同人雑誌をつくるでもなし、ひとり妖然と閃く心霊を持って隠れてゐるようなこの作家を、私は躊躇なく推す。そして詩集まで推奨する。》

これらの投稿詩篇もタイトルは「●」だけで、《無題詩を宣言す》と添え書きのある作品もある。市島が詩を書き出したのが前年の大正十四年(代表作「ひどい海」など)十七歳のときだから十七歳にもなれば!、一年ほどでたちまちにして朔太郎や悟堂に絶賛されたことになる。

『新年』という仲間四人だけの親密な雑誌の創刊はこの、少し大げさかもしれないが、ある意味「華々しい」詩壇へのデビューに対する反動なのかもしれないと思われなくもない。《私生子は移轉するそして行衛知れずになつてしまふ》、だから『新年』創刊以降は『新年』以外の雑誌には発表しなかったとも年譜には書かれている。

また大正十五年には宮澤賢治から『春と修羅』を贈られている。今から見ればものすごい勲章だが(古書価もスゴイです)、当時はどちらもほぼ無名だったわけだから、純粋に賢治は市島の詩に親しみを感じていたのであろう。

市島は、昭和二年十月以降、一篇の詩も発表しないまま昭和二十三年に歿した。享年四十一。生前に詩集は持っていない。






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by sumus2013 | 2014-03-28 20:53 | 古書日録 | Comments(0)