林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:古書日録( 723 )

季刊湯川 No.7

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『季刊湯川』第七号(湯川書房、一九八〇年一一月)を頂戴した。深謝です。

季刊湯川五冊
http://sumus.exblog.jp/21213166/

五冊に本冊を加えて六冊になった。あとは第六号のみ。この第七号は岡田露愁の木版画集『魔笛』の特集号。塚本邦雄「月光變」はモーッアルト「魔笛」をめぐるエッセイ風のコント。たとえばウィーンの国立劇場(スタツツオーパー)で出来事を回想するくだりなど、ちょっといい。

《「貴方、鳥刺しで何か聯想してるんぢやない? あててみせようか、私も丁度今考へてゐたところなんだから。『神州纐纈城』の発端に近いあの場面を。『いざ、鳥刺しが参つて候。鳥はゐぬかや大鳥は。はあほいのほい』と歌ひながら現れるんだ、たしか」と。古今東西、掛聲や合の手は共通するところもあらうが、先程フィッシャー=ディースカウのパパゲーノが、「鳥刺し男はおれのこと、常住愉快に、ハイサ、ポプサッサ」と、朗郎たる聲を聞かせてくれた直後だけに、その囃子の〈heissa, hopsassa!〉の綴り字まで、頭に思ひ描いて、頷いたことだつた。》

魔笛 Die Zauberflöte_3 俺は鳥刺し(パパゲーノのアリア)
http://www.youtube.com/watch?v=5LOkaQNFhms

うむ、たしかに「ホイサッサ」と聞こえなくもない(笑)。

三浦淳史はデヴィッド・ホックニーが舞台装置を担当したロンドンでの「魔笛」を取り上げて、まだ日本ではそれほど有名ではなかったホックニーについて語っている。有田佐市は小林秀雄の『モオツァルト」を雑誌『創元』で初めて読んだときの感動について。そして杉本秀太郎による岡田版『魔笛』についての期待を表明する一文。

次に岡田版『魔笛』の広告があり、最後に「雁名告造」の「露愁版画の魅力」という文章でしめる。雁名だから仮の名なので、湯川さんが執筆したのだろうか?(湯川さんではありませんでした)、なかなか熱の入った名文だ。

《「筆勢が感じられる」。岡田露愁木版画展は新鮮な驚きだった。そこにくり拡げられた木版画の表現は木版画技法の常識を無視した大胆、奔放な摺り、彫版、油製インクの使用によるマチエールの迫力、インクを必要以上に版木に塗り、その為、版木から版画紙を話した際に出来たと思われるクレーターの様なインクの跡、飛散った風に見えるインク、それらがすべて露愁氏の繊細な感受性の上に支えられ、神話、世紀末の人物像の生き生きとした表現に奉仕させられて、現代に甦って筆者に語りかけた。》

《天才モーツァルトがその生涯の果に咲かせた人類愛を崇高な迄に唱いあげた傑作オペラ「魔笛」。現代も続いていると言われる秘密結社フリーメーソンの神秘的な理念、夜の女王の存在の不可解さによって難解とされるドラマが露愁氏によって木版画された。そこに描かれる登場人物のなんと魅惑的なことか、六〇センチ×四七・五センチの大画面にパパゲーノを、三人の侍女達を、深きドイツの森の夜を舞台にメルヘンの響きを谺させる。
 露愁と言う古風な名を持つ若き画家は、今、古き革袋に馥郁たる香りに包まれた新しき酒「魔笛」をそ注ごうとしている。》

湯川さんは、実際、モーツァルト好きだった。事務所にはCDの全集が置いてあったように思う。他にはバッハも揃っていたか。
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by sumus2013 | 2013-12-05 21:10 | 古書日録 | Comments(2)

ルル子

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池谷信三郎他『ルル子』(平凡社、一九三〇年六月一五日)。昨日、兵庫県美の展示にこの本が第二部のいちばん最後に並んでいた。残念ながら、これは小生の本ではない。日本近代文学館でカラーコピーしてきたもの。展示本も同館所蔵本だったが、たしかこの本が二冊あって、小生が閲覧したこの本ではない、もう一冊のようだった。

一九三〇年六月に蝙蝠座が築地小劇場で第一回講演として上演したのが「ルル子」だった。すなわち中村正常、池谷信三郎、舟橋聖一、坪田勝、西村晋一の五人がルル子という女性を主人公にしてコントを書いて上演した。その舞台装置を担当したのが、東郷青児、阿部金剛、佐野繁次郎、古賀春江。その台本である。

どうしてわざわざこの本を閲覧したかというと、しばらく前に以下の原稿を入手したため、確認しておきたかったのである。

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ただし今日出海の序文四枚と中村正常の「「馬鹿の標本」座談会」三十二枚が綴じられているだけで、中村の原稿は筆跡が二種類、前半は誰かの清書原稿、後半が中村の自筆かと思われる。今日出海は序文にこう書いている。

《ヴェデキントの「パンドラの匣」と「地霊」が組み合つて出来た戯曲「ルル」が翻案された。といふよりは換骨奪胎されてルル子なるニホン娘が出来上つた。戯曲「ルル子」の中にヴェデキントらしい何ものかを探すとしても徒労だから、序文で断はつて置く。》

《最後に蝙蝠座の事務と責任を総て一手に引き受けてなほ綽々たる主事小野松二にルル子が上梓されるにあたつて、一言謝意を述べて置かう。》

「最後に」以下は抹消されている。版本にはないのだろう(今、コピーした序文が見つからないので断言できませんが)。今はまったく停滞してしまっている小野松二研究だが、とりあえずこのブツを確保しただけで満足しているしだい。

今日出海は「芸術放浪」という自伝的エッセイで蝙蝠座のことに少しだけ触れている(『芸術新潮』一九五一年四月号)。学生時代(東大仏文)、築地小劇場ができて非常に大きな感化を受けた。池谷信三郎、村山知義、舟橋聖一、古沢安二郎らとともに「心座」を結成してユージン・オニールやルノルマンを上演した。その後、心座は分裂して左傾した村山と提携したのが「前進座」となる。

《私が「心座」に関係してゐたのは学生時代のことで、後に池谷信三郎、中村正常等と蝙蝠座を組織もしたが、この時も何等の資金もなく、築地で旗挙げ公演をし、昔の心座時代の経営法で格別欠損も作らなかつた。》

江戸東京博物館に所蔵されている蝙蝠座のポスター。

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蝙蝠座について触れている文献としては西村晋一「蝙蝠座のころ」などいろいろあるようだ。なかでは体験的に語ってくれて面白いのが中村知會『中村さんちのチエコ抄』(主婦と生活社、一九八四年四月二〇日)に収められている「蝙蝠座の頃」。中村知會の当時の名前は橋本千恵子。

《「築地小劇場」が分裂して、私はしばらく、おとなしい生活をしていたのですが、だんだんと頭と体がうずうずしてきました。
 そんなときに、今日出海さん、小野松二さん、坪田勝さん、西村晋一さん、そして、後に夫になる中村正常たちが、劇団「蝙蝠座」を旗揚げしたのです。昭和五年二月のことです。》

《舞台装置や美術のメンバーには、阿部金剛さん、東郷青児さん、佐野繁次郎さん、古賀春江さん、そして紅一点の、佐伯米子さんがいました。
 「蝙蝠座」の女優陣には、特別出演の阿部艶子さんの他、毛利菊枝さん、高見沢富士子さん(現・田河水泡夫人)、小百合葉子さんたちがいました。》

《「蝙蝠座」は神田の〈こまや〉という洋品店の二階を借り、事務所兼稽古場にしていました。いわば、〈こまや〉の主人は「蝙蝠座」のパトロンでもあったのです。》

《〈こまや〉の向かい側に〈フルーツ・パーラー万惣〉があって、稽古の終わったあと、「築地小劇場」から強引に「蝙蝠座」に入座させたボーイ・フレンドの高木丈二たちと、そこで楽しい時間を過ごしたものです。》

《「蝙蝠座」の第一回公演は、〈女優ナナ〉を演ることになりました。
 主役は阿部艶子さんにきまり、相手役にはなんと私がきまったのです。》

《例の〈パピリオ〉の文字をデザインなさった佐野繁次郎さんは、滝沢[修]さんとはまた違った味のメーキャップをなさっていました。》

《作家たちの思い入れで、艶子さんが〈女優ナナ〉の主役に引っぱり出されたことが、朝日新聞を初め、その他の新聞にも大きく取り上げられ、公演は連日満員の盛況ぶりでした。
 劇中の艶子さんの水着姿に、観客の視線は熱く注がれたのです。
 といっても特別につくらせた体をすっぽり包み込む肉色のタイツの上から、水着をつけたという、今では考えられないスタイルでしたが、当時としてはセンセーショナルなことだったので、話題になりました。》

〈女優ナナ〉などいくつか勘違いがあるようだが、当時の様子が目に見えるようだ。高見沢富士子は小林富士子で小林秀雄の妹。阿部艶子は作家・三宅やす子の娘で画家・阿部金剛の妻(阿部と結婚したのは昭和四年十二月)。中村が言及している朝日新聞の記事は昭和五年六月三日に掲載された「阿部艶子の初舞台」らしい。三宅艶子(=阿部艶子)のエッセイ『ハイカラ食いしんぼう記』(中公文庫、一九八四年)に蝙蝠座のことが一箇所だけ出て来ていた。あとがき。

《この本に、佐野繁次郎氏にカットを描いていただけたことが、私にはほんとうに嬉しい。佐野さんお忙しい中をありがとうございました。
 佐野さんとは、数えると五十年来のお友達で、いろいろ御縁も深い(蝙蝠座の芝居のメークアップをしていただいたこともあるし)。夫だった阿部金剛と同い年で、二科展の初入選(遠い昔話だけど)も同じ年だった。》

蝙蝠座については下記論文が詳しい。

中野正昭「新興芸術派とレヴュー劇場-蝙蝠座、雑誌『近代生活』とカジノ・フォーリー、ムーラン・ルージュ-」
http://www.researchgate.net/publication/33015659_--
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by sumus2013 | 2013-12-04 21:12 | 古書日録 | Comments(0)

有文堂書店閉店セール

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某氏より以下のようなメールを頂戴しました。

《悲しいお知らせをひとつ。六甲に1軒、古書店が生まれるかとおもうと、老舗の1軒が消えていきます。元町の有文堂です。》

《この20日あたりで閉店するそうです。店舗の本はすでに5割引になっていました。時間が許せば行ってあげてくださいませ。閉店の理由は家賃だそうです。一気に地震以後、4倍にもなったとか。とても採算が合わないそうです。》

有文堂書店
〒650-0011 兵庫県神戸市中央区下山手通5丁目1−1
元町駅より北へ徒歩五分くらい。県公館の南側です。
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by sumus2013 | 2013-12-03 08:42 | 古書日録 | Comments(3)

プレイヤード叢書、EPV ?

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プレイヤード叢書というのはフランスのガリマール社が一九三四年から出しているフランス文学を中心とした世界文学全集である。フランスの重要な作家を網羅しており、現在も刊行中だ(例えば六月に紹介したサンドラール三巻本)。フランス文学を研究したり翻訳したりする場合にはまずはプレイヤード版を底本にする(らしい)。

小生の本棚には、今、探して見ても二冊しか見つからない(二冊しか買った記憶がないので当たり前か)。その理由はカンタン。古書でも割りと高値が付くため貧生には手が出ないのだ。これはフランスでも日本でも同じような状況である。定本だけに値崩れしない。ただし上の『マラルメ集』はたしか百円だった。百円なら買い占めたい。

先日、FACEBOOK をスクロールしているとガリマール社のFBにプレイヤード叢書の製本をしているアトリエ・バブオー(les ateliers Babouot)が紹介されていた。そこからリンクが張られていたのがフランス3(TV局)のルポ記事。

La Pléiade bientôt labélisée

プレイヤード叢書が近々 EPV(ウ・ペ・ヴェ)の認定を受けるだろうというふうに書かれている。 EPV というのは二〇〇六年からフランスの経済産業省(le ministère de l'Économie, des Finances et de l'Industrie)が始めた、日本で言えば「現代の名工」みたいな認定制度「entreprise du patrimoine vivant」のことだった。ヴィデオを見ると、プレイヤードの製本工程はかなり機械化はされているもののまだまだ手作業も残っている。

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そう言えば、先日紹介したジョゼ・コルティの回想録にプレヤード叢書のことが出ていた。

一九二八年、コルティはいいことを思いついた。しなやかな表紙をもち、薄い本文用紙に印刷され、エレガントに組版された名作全集を編集することを。外国ではそういった本が出版されよく売れていた。フランス古典文学、世界古典文学などに分ける。大哲学も集める。あらゆる文学の重要な作品を網羅したコレクションの完成を夢見た。聖書の用紙を使い、装幀はJean Engelに頼む。二種類のマケットを作るところまで運んだが、結局出さず仕舞いに終わった。もう少し金持ちだったらなあ……。ジャック・シフランがそのすぐ後で同じようなアイデアの叢書を出し始めた。さらにそれをガリマールが引き取り、今日に到るというわけである。
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by sumus2013 | 2013-12-01 21:34 | 古書日録 | Comments(2)

なつかしい青山虎之助君

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小島政二郎を取り上げたついでに小島の自筆原稿「なつかしい青山虎之助君」を紹介しておく。どこに発表されたものかは不明。四百字詰原稿用紙五枚に鉛筆書き。

  *

なつかしい青山虎之助君

こじままさじらう
小島政二郎

 あの頃は楽しかつた。
 五年近く、私は軍部に睨まれて執筆禁止を食つてゐた。文字通り五年間私は一銭の収入もなく、貧乏のドン底にゐた。その間どうして親子四人食つてゐたのか。私は取つたか見たかに金を使つてゐたから、貯金といふものを殆んど持つてゐなかつた。ヤミなんか出来ず、私は痩せに痩せてしまつてゐた。戦争がもう半年続いたら、私達は榮養失調で死んでゐたかも知れない。
 敗戦と同時に、「サンデー毎日」から小説の注文が来て、五年振りに私は原稿料といふものを貰つた。これがキツカケで、戦争前に書いて本になつた長篇小説、短篇小説を新しく出版させてくれと言つて、いろんな出版社が毎日三人も四人もやつて来た。
 しかし、いづれも名を聞いた事もない、俄か作りの出版社でーーいや、「社」とは言つても、正しくは出版者と言つた方がいゝ、一人か二人で始めた出版者ばかりだつた。
 そんな手合に大事な原稿を渡す事は出来ない。
 で、「誰かの紹介状を貰つて来たまへ」
 さう言つて帰し帰しした。中には、前金を置いて行かうとする者もあつた。
 知人の紹介状を持つて来た人には、ポツポツ本を渡した。出来て来る本を見ると、仙花紙といふ薄ツペラな、うしろのページの活字が、前のページから透いて見えるやうな情けない紙に印刷されてゐた。
 それでも、出せばよく売れた。一萬や二萬どころでなく、どの本も五萬十萬と版を重ねた。貧乏だつた私のところも、俄に金が入つて来た。
 金にはなつても、そんな古いものの蒸し返しでは、作者としては面白くない。
 そこへ現れたのが、新生社の「女性」だつた。寄稿を頼まれると同時に、編輯顧問になつてくれと頼まれた。求められた小説も、純粋の通俗小説でなく、と言つて藝術小説でもなく、あとで出来た中間小説風の小説だつたから、書き映えがあつて嬉しかつた。
 私は取ツときの材料で、「六月雪(リユユエシュエ)」といふ長篇小説を連載し始めた。「六月雪」といふのは、「初夏六月の青空のもと、一夜にして枝もたわわに雪(ゆき)が積つたかと紛(まが)ふばかりに素々[ママ]たる白い花を付ける白馨花(すゞかけ)の木、それを中華の俗に『六月の雪』と言ふ」と言ふ前書きを付けて書き出した。さういふ感じの女を書くつもりだつた。
 原稿料として一枚百円くれた。一枚百円の原稿料なんて、それまでどこからも貰つた事はなかつた。
 顧問を承諾して、一週間に一度顔を出す事を約束したのをいゝ事にして、私は混雑する横須賀線に乗つて度々上京した。東京は盛んに復興しつつあつた。
 新生社は活溌に活動してゐた。文藝春秋でさへ、まだ資金が出来ず、佐佐木茂索が東奔西走してゐた。
 「おい、誰でもいゝ、十萬か二十萬でも出してくれる人はゐないか」
 私の顔を見ると、佐佐木はさう言つた。私は新生社の社長の青山虎之助に頼んで見ようかと思つた。
 そのくらゐ[ママ]、新生社には毎日毎日金が入つて来るやうな景気のよさだつた。実際は知らないが、そんな様子だつた。見るから活気を帯びてゐた。
 雑誌ばかりでなく、新生社では出版を計画して、次々に書名を発表して予約を募集した。その方の金も振替で送られて来た。
 夜になると、東京は真暗になつた。その所々に、ヤミの料理屋が灯をともしてゐた。青山虎之助は、さう言ふ家をよく知つてゐて、中でも一流の家を贔屓にして、よく私達に御馳走してくれた。
 後には、寄稿家、或ひはこれから寄稿を頼まうと思ふ作家を十人ぐらゐ[ママ]づつ招待して、盛宴を張つたりした。正宗白鳥なども顔を見せた。
 青山虎之助が、佐佐木茂索のやうにもう少し経理に丈(た)けてゐたら、新生社の仕事はあのまま元気に今日まで続いたのではあるまいか。私は時々あの頃の盛んだつた新生社の編輯室の活気を思ひ出して、懐かしさに堪へない。

  *

(読めなかった文字は「帰し帰し」でした。ご教示に深謝いたします)

青山虎之助について永井荷風の『罹災日録』(扶桑書房、一九四七年)にはこう書かれている。昭和二十年。

《十月十五日 朝九時新生社社長青山虎之助氏刺を通じて面会を求む。 新刊の雑誌新生の原稿を請はる。 言ふ所の稿料鯵鯖と同じく物価騰貴の例に漏れず。 貧文士の胆を奪ふ。 笑ふべきなり。 此の日五叟子好晴に乗じ歩みて根府川辺に至り蜜柑を購ひかへる。 一貫目十五円なりと。》

「笑ふべきなり」は高笑いということだったようである。その証拠に荷風は翌月発行の『新生』第一巻第二号に「亞米利加の思ひ出」を出して、以後毎月のように寄稿しているし、『女性』にも創刊号(一九四六年四月)から寄稿し始める。青山は学生時代からの荷風ファンだったようだから、その得意満面を思いやるべし、というところだろう。

福島鋳郎『雑誌で見る戦後史』(大月書店、一九八七年)によれば、青山は実際に文藝春秋社に対して社員丸抱えのまま引き受けることを申し入れたようである。それに対する佐佐木茂索の返書が図版として掲載されている(内容ははっきり読めないが、まんざらでもない書きぶり)。また福島は新生社の没落の原因について次のように書いている。

《青山虎之助は、三一歳の若さであった。出版活動の他、野坂参三の帰国歓迎大会や、民間憲法研究会等の資金を援助、このあとも多岐に渡っていろいろな会のスポンサーとなったが、このことが新生社の経営に危機を招く結果となった。》

おそらく出版だけやっていても存続は容易ではなかったろう。ただ、青山にとっては思う存分に好きなことができた数年間だった。それ以上望むべくもないかもしれない。


新生社の代表青山虎之助について 神保町系オタオタ日記
http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20100710

女性 創刊号 花森安治の装釘世界
http://sotei-sekai.blogspot.jp/2011/01/blog-post_16.html

『女性』第二卷第九号
http://sumus.exblog.jp/7000962/

『東京』第四卷第七号
http://sumus.exblog.jp/15095669/

女性 スタイルブック
http://sumus.exblog.jp/17662446/
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by sumus2013 | 2013-11-30 21:52 | 古書日録 | Comments(6)

晶文社図書目録

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『晶文社図書目録1979』(晶文社、一九七九年)を入手した。『sumus 13』で晶文社を特集してもう三年半が経った。晶文社が文芸関連の新刊を出さないという決定をしたのが特集のきっかけでもあったわけだが、ここにきて再び晶文社オリジナルの文芸出版を開始するなど(内堀弘『古本の時間』がそれです)、世の中はどんどん変化しているのを感じてしまう。

sumus 13 晶文社特集
http://sumus.exblog.jp/12794876/

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『sumus 13』で復刻した『晶文社図書目録1973』は某氏にお借りしたもの。以来気にかけてはいるが、初期の目録は小生の視界には入って来ていない。架蔵では一九七八年版がもっとも古い。七八年からA5判になったのである。

73版と79版を較べてみると、と言っても本の並びではなく「常備寄託店一覧」だが、京都府では以下のようになる。左側が73版。右側の79版は73版に合わせて並び方を変えた。京都大学生協は吉田本町と吉田二本松町の二箇所ある。

駸々堂京宝店     駸々堂京宝店
文祥堂        文祥堂書店
三月書房       三月書房
オーム社書店     オーム社
京都書院河原町店   京都書院河原町店
京都書院いしずみ店  京都書院イシズミ店
駸々堂        駸々堂
丸善京都店      丸善京都支店
ふたば書房      ふたば書房
三月書房[誤植]
駸々堂三条店     駸々堂三条支店
万字堂
ミレー書房
京都大学生協     京都大学生協(本部)
京都大学生協
ナカニシヤ書店    ナカニシヤ書店
春琴堂書店
葵書房        葵書房
レブン書房      
整風堂
宮崎出町店
立命館大学生協
同志社大学生協    同志社大学生協
関東書籍京都支社
立命館大学衣笠生協  立命館大学生協(衣笠)
大垣書店       大垣書店
山本聖文堂      山本聖文堂
葵桂店
           銀林堂
           アオキ書店
           洛陽書店
           洛陽書店同志社女子大店
           リーブル京都
           駸々堂近鉄店
           浪江文明堂[舞鶴市]


以上。現在も営業しているのは大学生協を除くと、文祥堂、三月、ふたば、葵、大垣、銀林堂、洛陽、リーブル(新社)、浪江……かな?
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by sumus2013 | 2013-11-28 20:37 | 古書日録 | Comments(0)

古書店標

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レッテルは昔のスタイルの書店標には似つかわしいと思うが、最近のこの手のものをレッテルとは呼びにくい。とりあえずは「古書店標」としておこう。「古書赤いドリル」などいくつか頂戴したので関西の同種のエチケット(ラベルということです)も取り合わせてみた。「¥500」とあって寝転がる裸体の図柄は神戸の「ちんき堂」さん。
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by sumus2013 | 2013-11-27 19:52 | 古書日録 | Comments(0)

第1回デモクラート美術展目録

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日曜日、街の草での収穫はこれにつきる。「第1回デモクラート美術展目録」。B4用紙二枚折。昭和二十六年六月十六日から二十四日まで大阪市立美術館で開催された「デモクラート」の旗揚げ展。出品者は瑛九、郡司盛男、早川良雄、泉茂、河野徹、森啓、棚橋紫水、外山彌、内田耕平、吉田利次。

デモクラート1951~1957
http://artand.ojaru.jp/artand26.html
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by sumus2013 | 2013-11-26 21:11 | 古書日録 | Comments(0)

書物 桐月号

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摘星書林さんの箱で見つけた雑誌は秋朱之介編輯『書物』桐月号(三笠書房、一九三四年三月一日)である。今、書棚を探してみると、同年五月号と九月号が見つかった。その頁の間に『書物』の検索結果(近代文学館)をプリントした紙が挟まれており、それによれば一巻一号(一九三三年一〇月)から三巻四号(一九三五年六月)まで十三冊所蔵されている。念のため検索し直してみたが、今現在も所蔵データに変化なし。

巻頭の文章は富田幸「ディイトリツヒシュタイン文庫」。同文庫の紹介と前年にそこから七九五点が競売に付されたことが報告されている。口絵写真より同文庫の一室。
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The library at the Mikulov chateau
http://www.rmm.cz/english/expozice_rmm.html

http://www.mzm.cz/en/dietrichstein-palace/

ラディゲ『ドニイズ』(日本限定版倶楽部)の刊行案内がなかなか鮮烈だ。
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しかし、もっとも引きつけられたのは百田宗治のエッセイ「半日」である。おそらく昭和九年の一月頃(?)、その半日の行動を記した内容だが、そこに高祖保が登場している。こういう発見はかなり嬉しい。

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外村彰『念ふ鳥』によれば、高祖と百田の関係はこんな感じである。

《百田は第三次『椎の木』で新詩運動への理解を示し、高祖保などの若手詩人に発表の場を提供し、椎の木社から彼らの詩書を数多く刊行した。》

《昭和八年九月二十五日、銀座の明治製菓三階で『希臘十字』出版記念会(山本信雄『木苺』と合同)が開かれた。阪本越郎、乾直恵、百田宗治や青柳瑞穂、初対面となった田中冬二(一八九四〜一九八〇)、また村野四郎ら十七人が出席している。》

《高祖保は『椎の木』の編集を手伝っていた昭和九年の前半、よく百田の家に通っていた。だが十一年の同誌廃刊によって、両者が顔をあわせる機会は減った。》

『書物』の百田の文章を読むと、ここでもやはり高祖は手伝っていたというよりも編集を取り仕切っていたようなニュアンスがある。根っから編集や出版が好きな人だったんだなと思う。

また、『書物』巻末の秋による「字幕」(編集後記のようなもの)には「校正を了へて」という見出しで次のように書かれている。これがあったため摘星書林さんは「林さんに…」と言ってくださったのだった。

《白水社の出版物の装幀や雑志[ママ]作品でおなじみの画家佐野繁次郎氏が、是非堀口先生の乳房の挿画を書かしていただきたいとのことで、氏の最も自信にみちた原色挿画五枚を乳房のさしゑとして挿入することになつた。鳥の子紙刷の詩集乳房は、かくて綿上綿を重ねた美本として出来上ることであらう。
 目下作製中店頭へは出しません。

待ちに待つたジイドのモンテエニユ論の原稿がやうやく編輯者の手に廻つた。法政大学の先生となられた淀野隆三氏の名訳、ここに愈々上梓の運びとなり着手いたしました。私はこの本を書痴王鈴木信太郎先生を驚かせるために出来るかぎりのぜいたくを尽して作製します。》

『佐野集成』を見ると、堀口大学『ヴェニュス生誕』(裳鳥会、一九三四年)の表紙画を佐野繁次郎が担当していることが分るが(しばしば古書目録で見かける本ながら限定版だけに高額である)、ここで言う「詩集乳房」が刊行されたのかどうか、寡聞にして分らない。ウィキによれば堀口の詩集として《詩集乳房 岡本太郎画 ロゴス 1947》というタイトルが挙がっている。さて、佐野の挿画が使われた本があるのだろうか。

また、淀野訳『モンテエニユ論』は昭和九年に三笠書房から発行された。それは架蔵しているが、この文章によれば秋朱之介の作った特装本があるということになる。さて、さて、こいうのは困りますな。
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by sumus2013 | 2013-11-25 21:06 | 古書日録 | Comments(2)

ウンテル、デン、リンデン

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『Album von Berlin, Charlottenburg und Potsdam - 5 grosse Panoramen, darunter ein farbiges, und 131 Ansichten nach Naturaufnahmen in Photographiedruck.』(Globus Verlag, no date c.1900)という馬鹿に重いベルリンの写真集を買った。三百円だったので、コラージュの材料にぴったりだと思ったのである。一九〇〇年頃のベルリンとその郊外の様子が大判のモノクロ写真で再現されている。ゆっくりめくってみると、どうしてなかなかよく出来ている。

ドイツ語は解さないし、ベルリンにも行ったことはないが「UNTER DEN LINDEN ウンテルデンリンデン」くらいは読める。ベルリンの目抜き通りで「シナノキの下」という意味。シナノキは菩提樹とも言う。この写真集もブランデンブルグ門から始まりウンテルデンリンデンへと続く構成になっており、何枚もウンテルデンリンデンの写真が収められている。

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もちろん「ウンテル、デン、リンデン」を記憶に留めたのは、森鴎外「舞姫」を教科書で習ったときだった。架蔵の『改訂水沫集』(春陽堂、一九〇六年)から該当部分を複写してみるとこういうふうになっている。

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《菩提樹下と訳するときは、幽静なる境なるべく思はるれど、この大道髪の如きウンテル、デン、リンデンに来て両辺なる石だゝみの人道を行く隊々の士女を見よ。云々》

鴎外の留学は明治十七年から二十一年まで。ベルリンには二十年四月に移っている。鴎外のベルリンとこの写真帖のベルリンではおよそ二十年の隔たりがあるわけだ。

前田愛「東ベルリンの「舞姫」」
http://sumus.exblog.jp/18345560/

下は太田豊太郎がエリスと出会う古寺のモデルとされるマリエン教会。
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《今この處を過ぎんとするとき、鎖したる寺門の扉に倚りて、声を呑みつゝ泣くひとりの少女あるを見たり。年は十六七なるべし。被りし巾を洩れたる髪の色は、薄きこがね色にて、着たる衣は垢つき汚れたりとも見えず。我足音に驚かされてかへりたる面、余に小説家の筆なければこれを写すべくもあらず。この青く清らにて物問ひたげに愁を含める目の、半ば露を宿せる長き睫毛に掩はれたるは、何故に一顧したるのみにて、用心き我心の底まで徹したるか。》


Unter den Linden – Berlín(近年のウンテルデンリンデンの四季)
http://www.viajejet.com/unter-den-linden-berlin/
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by sumus2013 | 2013-11-23 20:26 | 古書日録 | Comments(2)