林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:古書日録( 758 )

数学三千題のうつし絵

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尾関正求『再版数学三千題巻之中(三浦源助、一八八二年九月二〇日再板)。明治十五年。数学の練習問題集。岐阜県の版元である。

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三浦源助は天保二年生まれ。岐阜で出版書肆・成美堂を始め、明治十九年には東京に支店を出した。そのとき東京支店を任されたのが河出静一郎である。おそらく暖簾分けのような形で河出が譲り受けたのだろう、その後は成美堂・河出書房の商号を用いていたが、昭和八年より河出書房とした(この店名については鈴木徹造『出版人物事典』に拠った。ただし昭和八年以降でも「成美堂書店」のみ奥付に記す書物もある。一例は『現代教育学大系』一九三六年)。尾関正求『数学三千題』も初期河出書房の代表的出版物となったようだ。

とまあ、書誌的な事実も興味深いものがあった(というのは今検索して初めて分ったわけです)ものの、この本を求めた本当の理由は、裏表紙に珍しいシールが貼られていたからである。

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紫の表紙に貼られているので尚更なのかもしれないが、なんとも味わい深いこれらの移し絵はおそらく明治時代も終り頃の舶来品ではないかと思われる。あれこれ画像検索してみたが、同じようなものは見つからなかった。ひょっとして貴重な作例?

移し絵写し絵とも書く。ただし写し絵[映し絵]と言えば、明治時代では幻燈のことだった。また英語、フランス語では「decal」で通じるようだ(décalcomanie の略だろう)。

懐かしの昭和写し絵
http://paradrill.exblog.jp/11884646/



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by sumus2013 | 2014-02-04 20:30 | 古書日録 | Comments(0)

大隈伯肖像および印刷機あれこれ

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最近入手した石版の肖像画「立憲改進党代議会長/大隈伯肖像」(静岡民友新聞第六百八号付録 発行静岡民友新聞社 明治二十六年十一月一日 発行印刷人多々良藤右衛門 編輯人横山是 東京京橋区元数寄屋町泰錦堂印刷)。静岡民友新聞は昭和十六年に静岡新報と企業統合され現在の静岡新聞となる。サイズが大きすぎて全紙面をスキャンできなかったが、この画像がA4大で周囲にかなりの余白を残す。

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絵の作者だが、右下隅に「繁」のサインがある。誰なのか専門外にて見当もつかないけれど、便利な時代、いろいろ条件を変えて検索してみると、おそらく「波々伯部繁」ではないかと推定できた。「芸妓競」(改進新聞、明治二十六年、郡山市立美術館)あるいは「衆議院議員肖像」(改進新聞、明治二十三年、東京大学・近代日本法政史料センター)などの作品が残っているようだ。

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印刷機についてのコメントをいただいたので『写真技術講座6 写真製版術』(共立出版、一九五六年一月三〇日)からいくつか図版を引用しておく。まずは手引石版印刷機。こういうものはそう進歩はないように思うので明治時代もおそらく上のような機械を使ったのではないだろうか(?)。

以下、手製コロタイプ印刷機、四六全判金属平版枚葉印刷機、そしてオプセット(誤植? すべてオプセットになっている)の校正機(中西鉄工所製)、輪転オフセット機、四六全判2色オフセット輪転機(日本タイプライター製)の図版。他にいろいろあるも省略。


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コメントいただいた二条通の印刷所は「十分屋」であろう。

ハイデルベルグ プラテンT型 1960年製(二条通寺町東入・十分屋)
http://juppunya.com/kappaninsatsu.htm

プラテン機の稼働状態のヴィデオがこちらで見られる。

ドイツ ハイデルベルグ社製 T型プラテン印刷機(和歌山・藤井印刷)

小気味好い機械音である。仕事してるなあ〜という感じがする。ただ思うのは、活版印刷が廃れて、編集や印刷工程などがコンピュータに頼り切っている今日では、いわゆる職人技が廃れてしまったたかのような錯覚があるかもしれない。しかし実際、仕事をしてみると、オペレータの技術によってかなりなクオリティの差が出て来るのも事実だ。例えば色合いの微妙なテイストが機械任せにはできないように。まだまだ当分の間は機械を使うのは人間だと思っていいようである。


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by sumus2013 | 2014-02-02 21:42 | 古書日録 | Comments(4)

我思古人その2

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二十四日に取り上げた架蔵コピー『我思古人』は八顆だけだったが、じつは十二顆収録されていることを御教示いただいた。ばかりか、そのコピーを頂戴したので、さっそくすでに紹介した三顆以外の印章すべてをかかげておきたい。

コピーの原本は百部本(先日のは三十部本)。

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収録順に、まず文彭(三橋, 1498-1573)の「二酉山人」

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次が徐渭(文長, 1511-1593)の「我思古人」。そして次が奚岡(銕生, 1746-1803)の「呉師光印」。

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陳鴻壽(曼生, 1768-1822)の「一琴一硯之齋」。側款がこちら。

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次が柳澥(龍石、清)の「且父」。

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同じく「生春仙館」。

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そして趙之琛(次閑、清)の「痩虎」。

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呉煕載(譲之, 1799-1870)の「巽夫」。

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翁大年(叔均、清)の「蕘圃手校」。

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王雲(石香、清)の「破衲子」。

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この次に徐三庚(辛穀、清)の「「淡烟疎雨暗漁(?)蓑」がきて、最後に作者不詳でしかも印文も不明の印でおしまい。「雅[?]」

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どの印章もなかなかに優れたものと思う。

《甲鳥書林から何だか分厚い小包が届いた。何だと思つたら、一束の検印紙だつた。ひどく凝つた検印用紙で、一枚々々丁寧い印を捺さなければならないやうな代物なので、やれやれと思つた。その上、これまでの本には大抵それですませてゐた「辰雄」といふ無趣味な印ではすこし検印紙の方がかはいさうな気がするので、ふいと妻の亡父が所蔵してゐた支那の古い印のことを思ひ出して、その中で私の好きな印を二つ三つ東京の家から送つて貰ふことにした。

妻の亡父が所蔵して居つた十幾顆の印は彼が広東に在つた頃何かの革命の際急に所在をくらまさなければならなかつた支那の某大官が纔かな金で彼に譲つていつた品ださうで、明清二代の名家が刻したものが多いといふ證明附のものである。(堀辰雄「我思古人」)

堀多恵子の父・加藤譲次は日本郵船の広東支店長だったそうだが(堀多恵子の祖父土屋彦六)、いくら安かったとは言え、これをまとめて買い取ったとすれば、それなりの趣味人だったとみていいだろう。昭和七、八年頃に死去したという。



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by sumus2013 | 2014-01-30 20:29 | 古書日録 | Comments(4)

桑原武夫記念コーナー

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京都市右京中央図書館へ立ち寄った。二〇〇八年にオープンしたらしいが、初めて足を踏み入れた。本を見ながら突き当たりまで歩いて行くと「桑原武夫記念コーナー」という看板があった。

窓際の片隅に、写真や年譜のパネルと遺品(筆硯、印章、ノート、コピー原稿、習字、水彩画スケッチブック、成績表、日記帳、献呈本など)の展示。遺愛のテーブルと椅子も置かれていた。

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この原稿だけはコピーだったが、ノートなどは本物。直射日光が当たるような展示ケースで決していい環境とは言えないのが残念。


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奥が富士正晴の署名入り『小詩集』(萌黄、一九五七年)、手前が伊東静雄署名入り詩集『春のいそぎ』(弘文堂、一九四三年)。どちらも古書価はそれ相応に何万円かになるもの。



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こちらは三好達治詩集『測量船』(第一書房、一九三〇年)。ごらんのようにカーテンの隙間から日光が射している。署名なしでもこの本は五万円くらいしても不思議ではない。桑原宛署名本なのだ、もっと大事に扱ってもよさそうなものだと思う。


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名刺、印章類、印影、万年筆(モンブランなど数本)。この右手に硯箱があるのだが、どうもうまく写真が撮れなかったので省略。渋い硯と水滴だった。対して机は合板でできた実利的なもので、材質にはこだわっていなかったようだ(最初の書斎写真で右端に写っている)。

どうしてここにこんなふうにコーナーが設けられているのか知らない(もとは国際交流会館にあったらしい)。せっかくなのだから誰かちゃんと手入れしてくれればと思うのだが……。せめて外光は防いでほしい。

***

死亡記事のノートにたしか桑原武夫も貼付けてあったはずと思って調べると、朝日と神戸新聞がいくつか見つかった。一九八八年四月一〇日午前九時五五分、急性肺炎のため入院先の京大胸部疾患研究所附属病院で死去、八十三歳。

多田道太郎の追悼文(神戸新聞四月一三日付)から。

《桑原先生が共同研究の部屋に入ってこられると、いっぺんに幸福感が私たちを浸すのであった。「ルソー研究」といった本題に入る前に、先生の「あれはいったい何ででっしゃろ」が始まる。時々片々、日常茶飯の中から懐疑の種を拾い出す先生の力量に私たちは驚いた。》

《イデオロギーにかかわりなく発想の自由度と強靭度(きょうじん)が問われる。好んで異をたてる、と思われかねない異能奇才の若者を先生は溺愛(できあい)された。》

朝日新聞(四月一一日付)には梅棹忠夫が追悼文を載せている。

《研究もさることながら、年末の全員コンパで、一年後を予想するゲームをします。「日本の首相はだれになっているか」「米大統領は……」といった社会科学の応用問題が多かった。オッサン(と私たちは呼んでいましたが)も含め、全員がそれを密封しておいて一年後に開封します。「人文科学者も現実的な問題に目が利かなければいけない」という桑原さんの発想でした。》

《中国文明についての深い関心と知識を持った上で、漢字の制限を国語審議会でも主張された。特に人名漢字の制限をいわれたが、「人名は社会的財産」という考えからで、他の人が読めない漢字は困るというわけです。元号廃止論者でもありましたが、それも国際的視野からの発言でした。》

同じノートによれば、桑原死去の前日一九八八年四月九日には作家田宮虎彦が北青山のマンションから飛び降り、新宿の東京女子医大病院で死去(七十六)、八日には挿絵画家の竹中英太郎が新宿区東京医科大病院で虚血性心不全のため死去(八十一)、六日には詩人フランシス・ポンジュがニース近郊の別荘で死去(八十九)している。死因は不明。

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by sumus2013 | 2014-01-29 17:54 | 古書日録 | Comments(11)

前太平記

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昨年の百万遍で中国青年と争って求めた和本五冊。『前太平記』(藤元元・作、版元不詳、刊年不詳)の巻二十一、三十一、三十二、三十五、三十七。バラというだけでなくはなはだしい修理・改装が行われている。


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御覧のような紙背文書ならぬ、裏打ち紙が全冊の全頁に貼付けられている。ちょいちょいとのぞいてみると、文政九年(一八二六)という年号が古いようだ。明治六年もあった。内容はさまざまで土地関係、建築関係の書類(大工うんぬん)など反故紙を用いているようだ。

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住所が書かれている紙もある。

《越後国魚沼郡 冨實郷 元塩澤組 嶋新田

これがどこなのかは地元の方に調べて頂きたいと思う。また五冊のうち四冊に墨の印判が捺されている。屋号は? 町田氏。魚沼郡目来田(もくらいでん)は現在の塩沢町である。

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『前太平記』(詳しくは「前太平記の世界」参照)は天和元年(一六八一)頃に成立した歌舞伎のネタ本として有名なもので、もちろん活字本にもなっている。この版本(草書体で半丁十二行、タテ23cm)は案外珍しいのか、今たちまち探したところでは滋賀大学附属図書館(前太平記40巻目録1巻)にワンセットあるだけだった。

読むのは骨だが、その気になれば、ルビもあるし、そう難しいというほどでもなさそうだ。もちろん読むことはないとは思う。ただ、挿絵は面白い。大方は戦闘シーンばかり。なかに酒を飲むシーンもあった。

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巻三十一の「将軍入鳥海柵給ふ事」。

《将軍城中に入給ひ暫く此にて人馬の足をぞ休められけるしかるにある陣屋の中に醇酒(じゆんしゆ)を湛へたる甕七八十も有けるを士卒争ひ飲まんとす将軍是を制し給ひ恐くハ賊徒御方の士卒を欺かんが為毒酒を設置たる事もこそ有らんずれ率爾に不可飲之とて先試に年老たる雑人一両人に飲しめ給けるに子細なき良酒なりと申て何の害もなかりけり》

もう一箇所は家の普請をしている場面。巻三十二「家任以下降参乃事」のところに出ているが、どうやらこの図は「耳納寺新通法寺建立乃事」に対応しているようだ。


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大工や左官などの様子が細部にいたるまで描き込まれている。鑿、鋸、鉋、曲尺、墨付けの道具も一通り揃っているし、おおよその手順が子供にも分るように図解されているのだろう。見飽きない。

文字が透けて見えているのは裏打ち紙に書かれた文章である。


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by sumus2013 | 2014-01-26 21:43 | 古書日録 | Comments(2)

我思古人

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先日触れた『我思古人』(堀多恵子、一九七五年五月二八日)をカラーコピーして仮綴じしたもの。探してみたら簡単に見つかったので紹介しておく。奥付は以下のごとし。堀辰雄の二十三回忌に限定百三十部非売として作られた。本冊にも記番があるが、原本所蔵の方にご迷惑をおかけしてもいけないので、消しておいた。

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拙著『古本デッサン帳』(青弓社、二〇〇二年)に収録したエッセイ「書物と印」でも触れているが、本書は堀旧蔵の印章八顆と堀のエッセイ「我思古人」および印の解説(篆刻家某氏による)、「補記」(福永武彦)および目次、奥付から成っている。

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堀辰雄によれば、元々は妻(堀多恵子)の父が中国で求めて所蔵していものだそうだ。そのなかで堀が一番好きだというのがこの「我思古人」。たしかに見事な印影ではないか。明の文人で書画もよくした徐文長の作だそうだ。


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次に好きなのがこの明末の陳曼生の手に成る「一琴一硯之楽」だと堀は書いて、側款(印章の側面に彫られている詩文・落款)の漢詩を引用しているが、それは略するとして、堀はこれを甲鳥書林から刊行した『晩夏』(一九四一年)の検印に用いたのである(下の写真が架蔵の少々くたびれた『晩夏』)。

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それゆえに甲鳥書林のPR誌『甲鳥』八号(一九四一年)に我思古人」を執筆した。ところが、実はそのときには堀はこの文句を「一琴一硯之品」と読んで、そう書いているのだ。○が三つなのでつい誤ったのだろう。その後(これはいつだか分らない)、おそらく誰かに指摘されたのかもしれないが、「一琴一硯之楽」と読み替えている。その訂正原稿がこの本に収録されたということになる。ところが、篆刻をやっておられる方ならすぐ分るように正しくは「一琴一硯之斎」である。本書の補記は読者の便宜のためその誤読について触れている。

印文を正しく読むのは難儀なことである。これはよほどの専門家でもそうだろう。一例を挙げれば、本書にも(?)とされている印章がひとつある。

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「淡烟疎雨暗漁(?)蓑」と篆刻家某氏(名前は伏せてある)は解説している。このコピーをくださった方(やはり篆刻を専らとされる方)は「漁」とあるところは実際には木ヘンに彫ってあるが、木ヘンに魚という文字は見当たらないので彫り手が誤ったのかもしれないと欄外に注記を入れてくださった。

また、この文章は二文字ずつ四行に彫られているように思えるので最後の行(左端)は「草(艸)衰」と読むべきではないかとも記されている。浅学な小生に何か言える問題ではないけれど、もしこの文を漢詩の一句と考えれば七言(二・二・三で分ける)の方が通りがいいように思う。「暗漁蓑」ならば、雨にけぶる川で釣りをする漁師の蓑がぼんやり見えるとなって意味の上でも腑に落ちるような気がするしだい。



「ムッシュKの日々の便り」にパリの拙作古書店が登場!

パリ古本屋の思い出 I
http://monsieurk.exblog.jp/20267772/



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by sumus2013 | 2014-01-24 20:34 | 古書日録 | Comments(4)

ティパサでの結婚

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アルベール・カミュ『結婚』(ガリマール、一九五〇年)。もうだいぶ前に古本まつりの均一で買ったように思う。装幀がいつものガリマール書店の囲み罫のデザインと違うので気に入った。巻末にはカミュの作品リストがあるのでカミュ選集のようなものだろうか(?)。検索してみると、古書価はほとんどついていない、ありふれた本である。

『結婚』はアルジェのリセでカミュと知り合ったエドモン・シャルロ(Edmond Chalrot, 1915-2004)が一九三九年に出版したのが初版本になるようだ。部数は250らしい。カミュの作品では他に『L'Envers et l'Endroit』(1937)も出しているし、カミュが編集する雑誌『Rivages』(1938, 39)を二冊刊行したようだ。戦後にもこの五〇年のガリマール版が出る前にシャルロは『結婚』を再刊している(一九四七年)。

内容はエッセイというよりも散文詩である。カミュが二十三、四歳のころに書いたそうだ。買ってからずっと読むこともなく(もちろん読もうと思って買ったわけではないし)棚の肥やしとなっていたのだが、先日「ムッシュKの日々の便り」をのぞいてみたら、なんと『結婚』に収められている四篇のなかから冒頭の『ティパサでの結婚』が訳出されているではないか。

原文はそんなに難しいというわけではないにしても、それなりに凝った言い回しがあちらこちらに見うけられるようで小生のフランス語力ではスイスイと読むというわけにはいかない。これはありがたい。

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昨年、十一月七日はカミュの百回目の誕生日だった。ガリマールは販促につとめたようだし、カミュのファンは今なお根強い影響力をもっており、ちょっとしたカミュ風が吹いていた(いる)ようだ。

どちらにしても小生は『結婚』の他には『異邦人』(リーヴル・ド・ポッシュ、一九六七年版)と『ペスト』(同、一九五七年版)しか架蔵しておらず、『異邦人』はかろうじてフランス語の勉強のつもりで大昔に読んだ記憶がある。『ペスト』は新潮文庫で読んだかな。『異邦人』では

《J'ai dit rapidement, en mêlant un peu les mots et en me rendant compte de mon ridicule, que c'était à cause du soleil. Il y a eu des rires dans la salle.》

太陽のせいで……という有名なくだり、そして

《J'ai répondu que je ne croyais pas en Dieu.

神は信じないとドン・ジュアンよろしくつぶやくところがやはり印象に残った……すっかり忘れていたが、付箋が貼ってあるからそうなのだろう。

カミュ生誕百年の記事を探していたら、パティ・スミスが「カミュに出会わなければ物書きはやっていなかったでしょう」と喋っているヴィデオを見つけた。カミュに捧げる歌も歌っている。これがなかなかよろしい。

"Camus a fait de moi une auteure"
http://www.lepoint.fr/culture/photos-et-videos-albert-camus-star-de-google-07-11-2013-1753143_3.php

メープルソープが撮った写真でしか知らなかったけれど、彼女のコンサートなら出かけてみたいような気がしないでもない。



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by sumus2013 | 2014-01-21 17:44 | 古書日録 | Comments(0)

人生、ブラボー

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久し振りの「ほんのシネマ」はカナダ映画「人生、ブラボー STARBUCK」(ケン・スコット監督、2011)。精子提供によって533人の子供ができた男の物語。なかなかの佳作だった。

この場面は借金で困ったあげく大麻栽培をしている主人公が、うまく大麻を育てられないため、水耕栽培についての書物を本屋で何冊も買い集めるシーン。若者が店員です。

フランス語なのでフランスのどこかの街かと思ってずっと見ていたら、それにしては街並がフランスらしくないなと思ったら、モントリオールだと途中で判明、フランス語も少しアクセントが違うと後から納得するしまつ。




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by sumus2013 | 2014-01-20 22:05 | 古書日録 | Comments(0)

ストナルと芦田止水

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年明けから古書目録が次々に届いてゆっくり目を通す余裕がないほどである。困った……といっても予算が限られているため見ても見なくてもさほど変らないわけだが、いちおう探している本もないわけではないため、できれば見落としのないようにしておきたいとは思い、とにもかくにもページはめくっている。

『第30回銀座古書の市』の目録は古書画をはじめグラフィックな出品が多く(図版もカラーで160ページもある)、見ているだけで楽しめるし、資料としても貴重だ。なかで引きつけかれたのが日月堂さん出品のラジスラフ・ストナル(Ladislav Sutnar)装幀本。チェコ出身でアメリカで成功したグラフィックデザイナー、建築も手がけている。有名な作家のようだが、知らなかった。ネット上でも数多くの作品を見ることができる。かくなるうえはストナールか……。

AIGA / Ladislav Sutnar

Ladislav Sutnar(ラジスラフ・ストナル)の装丁本

この目録、他にも買いたいものいっぱい……500万円くらいお小遣いがあれば。

***

『石神井書林古書目録』92号。江川書房の『半獣神の午後』が巻頭。そして堀辰雄の装幀本がまとめて掲載されているのが目を引く。有名なのものばかりだが、なかでは蔵印譜『我思古人』(堀多恵子、一九七五年)が欲しい。堀の集めた印章は佳品ばかりだ(この本のコピーは持っているのです)。

しかし驚いたのはこの芦田止水の写本!

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芦田止水は大阪を代表する趣味家。淡嶋寒月とも交遊した。寒月は晩年に『オモチャ千種』を描いたといわれる。本書は止水が模写したもの(昭和15年)。各冊和紙袋綴じ50丁に玩具絵98〜100点を美しい色彩で模写する。和本仕立て10冊。幻の『オモチャ千種』を忠実に再現。布袋の専用帙(二帙)に収まる極美本。

と解説されている。これこそお買い得だ。ただ「大阪を代表する趣味家」というのは? 今現在「芦田止水」でググると daily-sumus がトップで出るし、それ以外の記事は見当たらないようだ(『書影でたどる関西の出版100』には一項を割いています)。

『和多久志』第十号(蘆田四酔荘、大正十六年一月一日)
http://sumus.exblog.jp/7678235/

止水の師匠である寒月の玩具絵も画像検索すればかなり見られる。とりあえず、こちらを

『父系図』坪内祐三 第一回 淡島椿岳・淡島寒月

とにもかくにも古書目録はおもしろい!



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by sumus2013 | 2014-01-19 21:12 | 古書日録 | Comments(0)

LEICA MANUAL 1947

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『LEICA MANUALMORGAN & LESTER, 1947, 11th Edition 2nd printing)を頂戴した。コラージュの材料にしてくださいということで有り難く拝受。コラージュにするのはもったいないような本だが(実際カバー付きの美本ならある程度の古書価が付いている)、デンヴァー図書館の除籍本《NO LONGER PROPERTY OF DPL》というハンコがペタリ。

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PUBLIC LIBRARY OF THE CITY OF DENVER(http://denverlibrary.org/content/dpl-history)はその前身が一八八九年六月にデンヴァー高校の一角に設立されたデンヴァー最初の公立図書館。一九一〇年にはアンドリュー・カーネギーのファンドによってギリシャ神殿風の図書館が建設された。一九五六年に移転して広くなり、そして更に一九九五年、大規模に拡張した施設が完成したそうだ。


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ライカIII(http://sumus.exblog.jp/12878897/)はこの時代に全盛だった。


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フィルムのセットの仕方が丁寧に説明されている。


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ライカの使い方であると同時にカメラ撮影の可能性を徹底的に紹介した内容で、報道はもちろん、考古学、民族学、生物学、天文学、医学などあらゆる分野での撮影方法について示唆を得ることができるように執筆されている。有名な写真もいろいろ収録されているなかに「Yasuo Kuniyoshi」の名前を見つけた。アメリカで成功した日本人画家の国吉康雄である。写真作品も多く残している。調べてみると、なんと初めは写真家として生計をたてていたそうだ。

《絵で生活できるようになって国吉は写真家をやめますが、1935年にサラ・マゾと結婚した時に、当時流行していた革命的な写真機35mmライカを買ってから、再び写真にのめり込みます。1937年にはウッドストックの家に暗室を作って、現像、焼き付け、引き伸ばしを全て自分で行い、一点ずつ丹念にファイルしていました。その数は1939年までに400点にのぼります。》(『国吉康雄美術館館報』第11号、一九九七年

なるほど国吉康雄はライカのユーザーだったわけだ。文中にもあるように大流行したライカ、その証拠のように、この『LEICA MANUAL』、初版は一九三五年発行である。


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Henry M. Lester による眼球の写真とその撮影の様子。シュルレアリスム映画「アンダルシアの犬」やマン・レイの写真作品「ガラスの涙」(一九三二)を連想してしまう。



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by sumus2013 | 2014-01-18 21:07 | 古書日録 | Comments(0)