林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:古書日録( 776 )

鎌倉の書斎

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昨日引用した種村「サロン、庭園、書斎」は『みづゑ 追悼澁澤龍彦』(美術出版社、一九八七年一二月二五日)に執筆されたもの。上の写真はその表紙の一部。巻頭には篠山紀信撮影によって余すところなく(たぶん)とらえられた邸宅の内外観が展開されている。

篠山写真は実際以上に立派に見えるらしい。何度も訪問したという某氏よりうかがったことがあるが、サロンも書斎も狭く、蔵書もサド関係は見事に揃っているものの全体でみればそれほどでもないという(それほどってどれほどなのか、その人の感覚によるのだろうが。そう言えば『澁澤龍彦蔵書目録』が出ているのにまだじっくり見たことがない)。

外観はコテージ風とでも言えばいいのか。たしかにこじんまりとした感じ。身近な自然を謳歌するというのは澁澤が文筆によって形成しているマニアックな宇宙からはほど遠い気もしないではないが、そういう頽廃的な気分の稀薄な、しっとりした自然のなかで彼は読書をし、筆を執っていたのもまた事実のようである。


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《北鎌倉の円覚寺につづく山の中腹に住んでいるので、四季を分かず、鳥の声や虫の声を耳にする。》

《私は手帳に、ウグイスやトラツグミやホトトギスや、あるいはヒグラシやミンミンゼミの声を初めて聞いた日を、忘れずに書きとめておくことにしている。》

《ウグイスはだいたい三月十日ごろに初めて鳴き出し、夏までさかんに鳴きつづける。夏に聞くウグイスの声は、一抹の涼感をあたえて、じつにいいものだ。》

《書斎のガラス戸をあけると、正面のなだらかな稜線を描いてつらなる、東慶寺や浄智寺の裏山が見える。季節の移り変わりがはっきりと感じられるのは、この山の色がたえず変化しているのを目にするときだ。いまは樹々のあいだに、薄紅色をした桜の蕾がふくらんでいるのが分る。もう数日もすれば咲き出すにちがいない。》

《私の住んでいる土地はかつて北条氏の邸のあったところだが、ここから見えるあの山のかたち、あの山の色は、おそらく鎌倉時代から少しも変わっていないのではないかと思うと、なんとなく愉快になる。》

以上は「初音がつづる鎌倉の四季」(『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』学研M文庫)より。

下は細江英公が撮影した書斎の写真(『鳩よ! 万有博士澁澤龍彦』マガジンハウス、一九九二年四月一日、掲載)。紅いカーテンを開けば、鎌倉時代から変らぬ自然を目にすることができたわけである。最初の篠山写真は鏡像なので細江写真とは左右が逆転している。

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ついでに『澁澤龍彦翻訳全集』(河出書房新社)の内容見本(一九九六年)と上述の『書物の宇宙誌 澁澤龍彦蔵書目録』(国書刊行会、二〇〇六年)の内容見本。翻訳全集は全15巻別巻1。

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もう何年も前になるが地方のブックオフに『澁澤龍彦全集』(全22巻、別巻2、今だいたい揃いで四〜五万円が相場のようである)十冊ほどバラで出ていた。千円均一だった。かなり迷ったが、バラで買ってもしかたないなと思い、別巻2(年譜他)だけ拾った。まあ、それで正解だったようだ。

***

所用のためしばらくブログを休みます。


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by sumus2013 | 2014-03-11 21:09 | 古書日録 | Comments(0)

澁澤さん家で午後五時にお茶を

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種村季弘『澁澤さん家で午後五時にお茶を』(河出書房新社、一九九四年八月一一日再版、装丁=中島かほる、装画=野田弘志)を読んだ。二十年前の本だとは思わなかった。先日、神戸六甲で買った種村季弘『食物漫遊記』(ちくま文庫、一九八五年)がめっぽう面白かったので、ちょっとした種村風が巻き起こった。これまであまり種村本を読んだことがなかったのは、どうももうひとつピンとこないところがあったためである。『食物漫遊記』は文句なしの傑作、食味随筆として個人的なベスト5に入れることにした。

その種村風に押され、ある目録に出ていた『澁澤さん家で午後五時にお茶を』を注文。読了。『食物漫遊記』ほどではないにせよ、いろいろ興味をそそられる記述があった。

まずは澁澤龍彦の入院中の様子。

《病中の故人はベッドの周囲に堆く本を積み上げ、鎌倉の書斎を小型移動したようなその環境のなかで、肉体の苦痛をおして、平静に、しかも営々孜々として晩年の仕事を続けました。》(出棺の辞)

《そう、ほぼ二十四時間前、昨日のこの時間に私はここにいたのだ。一年近い病床生活の人が通常の意味で「元気」であるわけはない。しかし病中のペースでは、元気といっていい過ぎではない面持ちで不意の客を迎えてくれた。ベッドの足下にはうずたかく本が積まれ、鎌倉の書斎を小型にして持ち込んだような病室のたたずまいも常に変わりはない。》(精神のアラベスク)

微妙に表現が異なる所が気になるのだが、鎌倉の書斎とは、『みづゑ』はじめいろいろな媒体で紹介されたあの書斎を指すのであろう。その書斎についてはこう書かれている。まず鎌倉市小町四一〇番地の借家。

《そこには何もなかった。いや正確には、一組の机と椅子があり、部屋の一隅に高い本棚があって、仮綴じのフランス本がぎっしり並べてあった。そのほかには何もなくて、青畳がさらさらとひろがっていた。鎌倉小町に住んでいた頃の書斎である。

小町には昭和二十一年に移り、昭和四十一年八月に鎌倉市山ノ内の新居が完成するまでそこに住んでいた(全集年譜による)。

《鎌倉山ノ内の家は、有田和夫という田村隆一の友人の建築家の設計である。円覚寺の裏手に同寺の寺大工の地所を借りて建てた二階家で、吹抜けに天井を高くとったサロンから階段が二階の寝室に通じていた。サロンの奥が書斎。間に引き手扉があるが、使われているのをめったに見たことはなく、たいがいは開けっ放しだった。サロンの西側と書斎のつき当たりに長窓。したがってサロンには外光がほとんど入らず、いつもいくぶん湿気のある夕暮れの気分がやわらかくたちこめていた。猫足のひくい丸テーブルを中心にソファと椅子数脚。フランスの室内劇の舞台装置のような古い家具の配置は、底の抜けたソファを換えたほか、ここ二十数年来変っていない。本がふえすぎて寝室のなかにまで侵入して来た。書庫を建て増しした。それでもサロンのなかには一冊の本も入れなかったのは、この家の主人の来客に対するホスピタリティを如実に物語る。》(サロン、庭園、書斎)

澁澤邸へ・・・
http://www.nakashimaya.com/cgi-local/asobi/asobi.cgi?mode=view_past&year=2009&mon=06

J-J.ポヴェール社の名前も二度ほど出ている。

《種村 松山[俊太郎]さんていう人も一大奇人でして、学生時代、サドの最初の全集がポーヴェール社から出たでしょ。あれを紀伊國屋に注文したら、自分以外に日本で二人注文しているやつがいて、一人は遠藤周作で、もう一人が澁澤龍彦ってやつだと。お互い、こんな変なものに興味をもっているんだから、じゃあ一緒に会おうじゃないかって、その二人に手紙を出してね。で、紀伊國屋の洋書棚の前で白いハンカチを持って立っているからそれを目印にして、なんてかなりキザなランデブーをやったわけ(笑)。》

《スキャンダラスなオスカル・パニッツァについては、私自身も何度も書いたことがあるのでくり返さない。むしろ個人的なエピソードをいっておこう。ブルトン序文によるポーヴェール社版のパニッツァの戯曲『性愛公会議』のことをはじめて耳にしたのも、やはり澁澤さん家の午後五時のお茶の席でだった。

ポヴェール社の最初のサド全集は一九五五年に出ているのでその頃のことだろう。白っぽい表紙のやや小型の判である。この松山俊太郎は『食物漫遊記』に非常に強烈なキャラクターとして登場しているが、じつに興味深い人物ではないだろうか。現在、闘病中でいらっしゃる。

松山会報告
http://matsuyamainukai.blog.fc2.com

この本についてはもう少し続けよう。


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by sumus2013 | 2014-03-10 20:56 | 古書日録 | Comments(0)

ヨゾラ舎 開店!

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ヨゾラ舎さんが今月からオープン(プレオープン?)したと聞いたので、用事のついでに出かけてみた。寺町通りの一本東側の通り、新烏丸通りを、丸太町通りそして竹屋町通りから少し南下したところにある。文藻堂さんの北隣。

古本 中古音盤 ヨゾラ舎

自己紹介
京都御所にほど近い静かな路地?で古本、中古CD,レコード等を販売する,ごくご
く小さなお店を開業予定。(2014年3月1日より、仮営業はじめます。3月中旬くらいに全面オープン予定です。)

〒604-0906
京都市中京区東椹木町126-1 ヤマモリビル1F-A
TEL/FAX 075-741-7546
E-mail yozorasha@herb.ocn.ne.jp
営業時間 11:00-19:00
月曜定休
(※仮営業中、当面は不定期の営業とさせて頂きます。申し訳ありません。)


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百円均一こそ、その店の力量(というか人間性?)を測るもっとも重要な目安だ。いきなり二冊もピックアップして抱え込んでしまった、これは一大事です。店内へ。長岡天神の古本市でご挨拶していたので、開店の様子などいろいろうかがう。音楽関係がご専門とか。CDやレコード盤も販売する予定なのだが、まだ搬入できていないという。三月半ば頃までには形にしたいそうだ。

本の方もまだ一部しか並べられておらず、スカスカ。しかしこの本棚がかえって見やすくていい。どんどん本が積み上っていくと、見たくても見られなくなってしまう。現在はご自身の蔵書がほとんどだとのことで、たいへん統一感のある棚になっている。いい趣味しておられます。


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「たいした本はないんですけど、これはけっこうお宝ですよ」
と見せて下さったのが、ボブ・ディラン『タランチュラ』(片岡義男訳、角川書店、四版、初版は一九七三年)。ところが、これが、ボブ・ディランの来日にシンクロして今月末、角川マガジンズBCから復刊されるとか。
「内容が難解なので、復刊はないだろうと思ってたんですけど……」
と落胆気味におっしゃった。いえ、いえ、どうして。

かつては稀覯本が復刊されれば古書価も下がると言われていた。しかし、今日、大抵の本はデータ化される運命にあるため、テキストが読めるかどうかというようなことは古書価の目安にはほとんど成り得ない状況なのではないだろうか。国会図書館もどんどんスキャンして公開度を高めているわけだから、内容の稀覯性よりも、オブジェとしての存在そのものに価値が見出されるだろう。

復刊と言ったって造本はまったく違っているはずだ。元版は当然ながら活版印刷である。これはもうきわめて再現不可能に近い状況だろう。ジャケット、表紙、本文に使用されている紙もすでに同じ物はないはず。復刊されたからといって古書の値段を下げる要素はない。かえって高くしていいのじゃないか。多くの人に『タランチュラ』の存在が知られたとすれば、初期の形態に興味を持って欲しがる人も増えるのが理屈というものだ。

などとひとくさり気焔を上げた後、買わせてもらったのは百円均一の二冊だけ、なわけないでしょ。


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『宝島』第八巻第二号(JICC・出版局、一九八〇年二月一日)植草甚一追悼号。これ持っていなかった。嬉しい収穫だ。今後、日ごとに棚が埋まっていくだろう。巡回を怠らないようにこころがけようと思う。


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by sumus2013 | 2014-03-07 20:25 | 古書日録 | Comments(4)

古今詰棋書総目録

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『古今詰棋書総目録』(全日本詰将棋連盟、二〇〇九年三月一日二刷)が届いたので、さっそく自分の持っている詰将棋の本が載っているかどうかを調べにかかっている。

じつは先日このブログに解けない詰将棋(誤植のため)について原稿を書いたことを報告したときに引用した詰将棋の本、『誰にもわかる将棋定跡図解』(昭文館書店+興文堂書店、一九二九年一月七日)がこの総目録には掲載されていない、と詰棋書保存会の某氏よりご連絡いただいたのだ。そこで、これを差し上げる代りに総目録を頂戴したというわけである。

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すると、安着のメールにこう書かれていた。

やはり、総目録のNo.784,785と類似書名、同編者、同出版社、同発行日、恐らくNo.784と同一内容、これでこの30局を収める本は10点になりました。ひどい話で、現在では考えられない出版です。

たしかに現在では考えられない横着ぶりだが、戦前ともなると、こういうフェイクは当たり前に行われていたようだ。だから何であれ書目を作るときには可能な限り実物に目を通さなければならない。同じ本が同じでなかったり、データ上ではまったく違うように見えるものが同じ内容だったり。今回、ごくわずかでもその作業に貢献することができたことを嬉しく思う。この総目録があれば、今後、詰将棋の本に出会うのが数倍楽しくなるし、また悩ましくもなるだろう。それもまたよし。

現在『古今詰棋書総目録』の訂正・増補はネット上で行われている。

一番上の写真で総目録の下に置いてある黄色い本は『将棋精観 中巻』(松井弥七編、棋研会、一九三八年八月八日)。これもひょっとして、と思ったが、さすがちゃんと掲載されていた。この本に前田三桂「三代伊藤宗看図式難局新考序文」という、やはり詰将棋の本を求めることに情熱を燃やす人々の動向を記した一文が掲載されている。三桂は詰将棋研究家、詰将棋作家、兵庫県の人。

斎藤雅雄という高知市の素封家が晩年財産を失って将棋師となり、小野五平名人の門下で四天王と言われた。その斎藤が渡辺霞亭(新聞記者、小説家、劇評家)の招きで浪華へやってきたので三桂はただちに訪問した。

二人は将棋の話で盛り上がる。斎藤は古今の詰将棋の本では三代伊藤宗看の図式に勝る物はないと断じる。これを全て解いたら五段を允許すると宗看は宣言したそうだが、これまで二百年間、誰も解けなかった。自分も挑戦しているが解けない、おそらく図面に誤植があるのだろう。三桂は自分でもこの本を見たいと強く思った。

《氏ハ余ガ棋書蒐集ノ痼癖アルヲ覚リ余ガ為ニ丹後ノ松浦大六氏ヲ介ス松浦氏ハ峰山町ノ薬種商ナリ棋ヲ好テ二段ヲ得タリ古今ノ棋書ヲ蔵ス性温厚ニシテ城府ヲ設ケス稀覯ノ珍書モ開放シテ惜ム所ナシ余是ヲ以テ古籍珍書ヲ観ルコトヲ得タリ中ニ三代宗看ノ図式アリ是レ余ノ渇望スル所ノモノナリ松村[ママ]氏曰ク宗看図式ハ古来解ナシ余小野名人ノ解ヲ蔵ス是レ秘中ノ秘書ニシテ門ヲ出サズ請フ之ヲ恕セヨト

三桂は斎藤に紹介された丹後の薬種商・松浦大六のところで宗看図式を目にして感激した。しかしその解答はない。小野名人が解いたという書物があるが、さすがに寛大な松浦もそれを三桂に見せるわけにはいかないと言った。

そこで三桂は自分で解くことにした。実際には斎藤八段は五局、小野名人は六局、名人宗印も九局を解けないまま残していたのだ。以来二十数年、ようやくにして大部分を解くことができた。また、近年の詰将棋研究も進歩した。『将棋精観』の編者である松井雪山はよく研究して宗看図式を補って(誤植を訂正して)完全に解いたという。さて、どうでしょう、読者のみなさんも難局とされる十六局を解いてみて、みんなをアッと言わせる本当の正解を見つけて欲しい。……とまあ、そのような序文になっている。

あまりに奥深い世界である。小生もいちおうチャレンジしているが、いや、これは夜眠れなくなります。





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by sumus2013 | 2014-03-05 20:46 | 古書日録 | Comments(2)

ミス・ポター

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【ほんのシネマ】「ミス・ポター」(クリス・ヌーナン監督、2006)を見た。ピーターラビットの生みの親ビアトリクス・ポターの青春伝といったおもむき。青春といっても三十歳を過ぎてからの話が中心。そこに回想や特撮をまじえてポター像を浮かび上がらせる。ヴィクトリア朝の女性としては異彩を放つハンサム・ウーマンだったようだ。ストーリーの運びもこなれており、飽きさせずに見せてくれる。

上はビアトリクスの部屋。ロンドン市内の一軒家の二階。三十歳を過ぎても両親の家に同居してピーターラビットの物語を描いているビアトリクスは、その絵本を出版したいと版元を回るものの、どこも受け入れてくれない。冒頭はその原稿持ち込みのシーン。気乗りのしない顔で原稿を見る出版人。

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今度もダメかと思ったところ、意外にも出版が決まった。じつは兄弟で経営しているその出版社、三男坊が入社することになり、その初仕事としてあてがわれたというわけだった。しかしそれが運命の出会いとなる。

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その弟、新人編集者ノーマン(ユアン・マクレガー、いわずと知れた「トレインスポッティング」のというか「STAR WARS エピソードI」の若きオビ・ワン=ケノービ)はビアトリクス(「ブリジット・ジョーンズの日記」のレニー・ゼルウィガー)の世界がすっかり気に入り、四色刷で廉価に作ることを工夫する。ここから本ができるまでが手際良く再現されているのがひとつの見所。上は印刷所で色校正に立ち会っているところ。

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出来上がった本を梱包しているところ。ビアトリクスの手許に届いた初版本。


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書店に並ぶ第一冊目の初版本を前に喜び合うミス・ポターとノーマン。話はこれから山場へと展開してゆくのだが、それは映画でお楽しみください。

さて、このピターラビットの初版本『The Tale of Peter Rabbit』(Frederic Warne, 1902)、いったいいくらぐらいするのだろう? AbeBo0ks.com をのぞいてみると、かなりの数が出ている。安い物で1,378 USドルからいろいろ並んでおり、極美本には20,000 USドルの値が! 

そしてさらに、上記はワーン社版だが、その前年(1901)に250部だけ自費出版した私家版もあって、こちらはなんと 60,312 USドル。

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考えてみれば、これまで全世界で4500万部を発行したと言われるこの物語(第一作だけですよ!)、これくらいしても何の不思議もない。もっとも数多いもののなかのもっとも数少ないものにこそ最高の価値がある!


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by sumus2013 | 2014-03-03 20:57 | 古書日録 | Comments(2)

李花集

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この梅は先週撮ったものなので今はもう咲き誇っているかもしれない。古本者としては梅もやはり古本で鑑賞しなければいけないでしょう。ということで『李花集』(岩波文庫、松田武夫校訂、一九四一年六月一〇日)を開いて見る。

宗良親王の歌集である。後醍醐天皇の皇子、十六で坊主になり二十歳で天台座主、北條氏討滅謀議に加わったかどで讃岐に流され(!)、建武中興によって再び座主に。足利尊氏と比叡山で戦い、還俗して宗良と名乗る。軍兵を糾合し各地を転戦。吉野朝のために奮戦した。

李花集の李は宗良親王が式部卿にあったことからその職の唐名を李部というところから名付けられたものと推測されているそうだ。


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経歴だけみるとかなり激しい生き方をした人物とも思えるが、母が二条家の出ということもあり、歌は型通りながらも才気を感じさせる秀作が揃っているように思う。本人も自覚していたようすだが、勅撰集に入られることはなく自撰で『新葉和歌集』を編んだ(長慶天皇が勅撰集に准じるように命じたと)。

岩波文庫とあなどることなかれ。この『李花集』は案外珍しいですぞ。


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by sumus2013 | 2014-03-01 21:32 | 古書日録 | Comments(4)

細井広沢?

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池永一峯と細井広沢(http://sumus2013.exblog.jp/21409711/)について先日調べたところ、その後すぐにこのような細井広沢とされる一行書が手に入った。ご覧のようにかなり保存が悪い。むろん表具もないマクリの状態(安いということです)。

何と書いてあるのか。「生・間・不」まではいいとして次の文字が? 最後は「死」でいいだろう。こういう成語があるのかと思っていろいろ当てはめて検索してみたが、ぴったりとしたヒットはない。部首で言えば、おそらく「あしへん」かとも思って字書をずっとたどってみたが判断ができなかった。「蹈」かも。不蹈死の語は吉田松陰の書にあるらしい。「生間」というのも漢語らしくない。類例を検索したところ孫子の兵法に生きて帰る間者(スパイ)の意味で用いられているくらい。

生死ですぐに思い浮かぶのは「未知生焉知死」(論語・先進第十一)だが、これとも直接の関係はないように思えるし。御教示を。

  ***

早速、御教示をたまわった。「武官不求之死」であると。なるほど武がちょっと武らしくないが(右肩に点があるか、またはそれを暗示させる筆勢があるべきなのだが、ここにはない)、生にしては最初の「ノ」がない。言われてみると「官」はまさに「官」だ。カン違いもいいところ(恥汗)。四文字目を二文字に読むというのは考えなかったわけではないが、「不□之死」という並びでは文章にならないように思ったのである。

で、御教示は御教示としてやはり「之」ではなく「あしへん」(へんが下にある)と考えて「足求」と読んではどうかと思い『漢和大字典』に当たってみると「足求」が見つかった。《キウ、グ。ふむ(蹋)》としてある。蹋は蹈()と同じ意味だから

「武官不死」武官は死を踏まず

と読んでいいだろう。これなら意味も通る。武で仕えるものは死んではならない。武とは死を避けるべきものだ、と解釈できると思う。『葉隠』に対するアンチテーゼ(アンチでもない?)、孫子あるいはマキャベリが言うところの武力は使わないのがベストという思想に通じるかもしれない(むろんこれは小生の勝手な解釈です)。

以上のように考えれば、揮毫者がある武官に対して注意書きのような意味合いで(あるいは本質論として)書き与えたものと想像することもできようか。本当に広沢筆かどうかは別問題だが。

とここで、また別の方より御教示をたまわった。

「武官不死」

であると。「愛」ですか! なるほど、これは素直に納得できる木村東陽『日本名筆書体字典』(新人物往来社、一九八〇年)から二例を引けば、愛は次のような形である。ここでは起筆が左から右へ向かっているが、これは広沢書のように右から起こして左へ、そして上下と運ぶ例もある。

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不愛なら意味は明らか。武官(武士と同義?)は死に親しんではいけないということだ。あくまで生きて勤めを果たせというこころであろう。

御教示に深謝です。小生も手習いに励まないといけません。

  ***

次は印の解読。これまた手に余る。まずは一番上に貼付けてあるのが蔵印。この位置に貼付けてあること自体が謎ではあるが、表装されていたときには裏面かどこかに捺されていたものかもしれない(と強いて考えておこう)。

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この篆刻は相当にあやしい。これまで取り上げた篆刻字書ともにらめっこしてみたものの明快な判断には到らなかった。とりあえず読んでみると(縦書きを横書きにしています)

 信 ? 諏 訪

 ? 湖 高 嶋

 藩 吏 ? ?

 ? 慎 蔵 書

諏訪も読み取りにくいが、高島藩なので間違いないだろう。とすれば出だしは「信濃」のつもりか? 三行目の姓だと思われる二文字は、むりやり読めば「百由」か? 絶対にない名前ではないのだけれど……。

右肩にある小印は「衡?」

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左の上は「藤知慎印」。これが細井広沢作とする根拠になっている。広沢がどんな文字を書くのかも知らないのでこれまた判断のしようがないのだが、書家のように流暢な字でないことは見れば分る。【細井広沢の習字手本帳を画像で見ることができた。これらの文字とは似ても似つかない能筆である】

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その下は「一字公系」と読んでいいのか? 意味は分りません。広沢の字は公勤だそうだが…。京都は嵯峨の広沢池に家祖の領地があったことから広沢と号したという。先日引用した書道全集掲載の図版と比較すれば、これらの印はあまりにたよりないもののように思われる。

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不勉強きわまりなくお恥ずかしいが、御教示歓迎いたします。







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by sumus2013 | 2014-02-27 22:09 | 古書日録 | Comments(4)

三月 金子光晴

『金子光晴詩集』(新潮文庫、一九五二年三月三一日)より「三月」

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先日紹介したランボー、《十七歳にもなれば》の「小説」を思わせる作風である。

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by sumus2013 | 2014-02-26 19:37 | 古書日録 | Comments(0)

現代大辞典

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木川又吉郎・堀田相爾・小堀龍二・阪部重壽『現代大辞典』(大日本教育通信社、一九二二年一一月一七日)。調べてみると『日本世相語資料事典』と名前を変えて日本図書センターから覆刻されている(二〇〇六年)。内容を簡単に言えば「現代用語の基礎知識」大正篇といったところ。

著者のうち小堀龍二はこの後昭和初期にユーモア小説家として売り出すことになる辰野九紫である。この時点では保険会社勤務だろうか。東大法学部卒なので本書での肩書きは法学士。大日本教育通信社には以下のような刊行物がある。

 兵語新辞典 大日本教育通信社編輯部編 1928
 家庭経済日用品の見分け方買ひ方 井上渉煙 1927
 近代代表名文選 原田静雨編 1926
 英和辞典 : 発音引 堀田相爾 1925
 関東大震災史 : 教授資料 大日本教育通信社編 1923
 わかりやすいアインシュタイン博士の相対性原理 菊池俊一 1923
 現代大辞典 木川又吉郎等編 1922


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見返しの模様がかわいい。


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現代用語、新説主義思想、常識英語、法律用語、経済用語、取引所用語、科学用語、鉄道用語、兵事用語、類語、というふうに部門が分かれており、二段組で見やすくレイアウトされている。

つい読みふけってしまった。新説主義思想の項目では各種社会主義や共産主義、無政府主義などにかなり多くの頁が割かれており、要領を得た説明がなされているように思われる。ひょっとして古書であまり出回っていない理由はこんなところにあるのかもしれない(現時点で「日本の古本屋」には一冊のみ)。


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類語辞典が面白い。キリギリス(直翅類中きりぎりす科に属する虫、形いなごに似て緑褐の二種ある)には二十八の類語が挙がっている。難しい漢字二文字の単語ばかりでとうていここには引用できない。こういう文字をほんとうに当時の人は使ったのかどうか、必要性があったのかどうか疑問になった。

いちばん類語が多いのは「ハカリゴト」で125、次が上図に開いている「タスク」122。次が「ソムク」86、「オロカ」と「ソシル」が75という具合で(全部数えたわけではないですが)悪口の方が言葉は多様化するのかもしれないなとも思ったしだい。


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発行者の池清一についても情報はない。小石川久堅町というのは現在の小石川、白山あたりである。

『わかりやすいアインシュタイン博士の相対性理論』という本を出しているわりには、相対性理論が立項されていない……そんなはずはない……と思ってあちらこちら探していたら「そうたいせい」ではなく「さうたいせい」! 新説主義思想の「サ」の部に出ていた。もっと早く気付けよ、というお粗末。


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by sumus2013 | 2014-02-25 21:20 | 古書日録 | Comments(0)

新譔篆書字典

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安本春湖『新譔篆書字典』(春湖書屋、一九二四年八月七日)三冊および索引合わせて四冊、帙入り。ご厚意によって拝見させていただいているものだが、こちらは単に字典の用を果たせばいいというだけでなく文字それ自体も姿が整って宜しい


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著者である春湖こと安本伊三郎(1872-1930)は西川春洞に師事した書家。中国の古碑文法帖を研究した春洞は明治以降の日本の書道界を二分する大きな流派を成した(もう一方の雄は日下部鳴鶴)。巻頭の序文(というか寄せ書きですな)を野村素軒(長州出身の政治家)、山口蕙石(書家、鑑硯家)、芦野楠山(篆刻家)、中村不折(画家、書家)、今泉雄作(有常、也軒、美術史家)が寄せており、跋文は春湖と同門の武田霞洞の手になる。


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貴重なのはこの書籍そのものより第一巻の見返しに記された墨書記(肉筆)である。「記念/昭和十一年十月二十五日於駒込/吉祥寺(文京区本駒込三丁目)追悼会挙行」とあって先師たちの名前と回忌が連ねられている。西川春洞二十三回忌、諸井春畦十七回忌、諸井華畦十三回忌、安本春湖七回忌、武田霞洞三回忌、花房雲山四十九日。追悼会之夜於船橋居 蒼陰書。


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蒼陰は吉岡蒼陰(1885-1969)だろう。春洞に次ぐ故人たちは春洞門七福神と呼ばれた人達のうちの五人らしい。後の二人は中村春波と豊道春海で蒼陰は春海の門人ということになる。


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by sumus2013 | 2014-02-23 20:41 | 古書日録 | Comments(2)