林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:古書日録( 711 )

東京のおせち

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吉田健一『私の食物誌』(中央公論社、一九七三年四版)。最近頂戴したのだが、たしか中公文庫で読んだ覚えがある。読売新聞連載に加筆、さらに未発表の食物随筆を加えた内容。あらためてあちらこちらを拾い読みしてみるとほろ酔いの吉田節が聞こえるようである。本はかなり凝った造りだ。残念ながら装幀者が誰なのか明記されていない。

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時節柄、「東京のおせち」から少し引用してみる。東京のおせちしか知らないと前置きがあってこう続ける。

《又それだけでもなくて東京の澄し汁で餅と菜っ葉だけの雑煮が餅の味を生かすのに最も適している感じがするならばそれと食べるおせちも芋と人参と牛蒡[ごぼう]と蒟蒻[こんにやく]と焼き豆腐しか入れない東京のが一番合っていると今でも思っている。》

《それに入れても入れなくても構わないものは凡て省き、その代りに入れたものの味はどれも生かすことを心掛けてその総和であるとともにそれだけに止らない何か一つのものを作り出すということで、その例に挙げられるのが東京風のおせちである。》

どうもこじつけがましいけれど、まあ、それは生まれた土地の料理がいちばんだと思うのも人情であるから、よしとしよう。むろんそんなおせちを作るのは吉田その人ではない。

《やはり食いしんぼうが仕合せに暮す為には誰かその家に料理が出来るものが一人いることが必要のようである。》

そして結びはつぎのように落ち着く。

《兎に角、正月に他のものよりも早く起きて既に出来上ったこのおせちを肴に同じく大晦日の晩から屠蘇散の袋が浸してある酒を飲んでいる時の気分と言ったらない。それはほのぼのでも染みじみでもなくてただいいものなので、もし一年の計が元旦にあるならばこの気分で一年を過ごすことを願うのは人間である所以に適っている。その証拠にそうしているうちに又眠たくなり、それで寝るのもいい。》

正月は朝からおおっぴらに酒が呑める、それが何より……というわけなのだ。

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by sumus2013 | 2017-01-02 21:21 | 古書日録 | Comments(0)

銀座百点

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『銀座百点』NO.746(銀座百店会、二〇一七年一月一日、表紙・アートディレクション=クラフト・エヴィング商會)。表紙の文字に佐野繁次郎が復活した!


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by sumus2013 | 2017-01-02 17:45 | 古書日録 | Comments(0)

新収レッテル

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本年もご愛読ありがとうございました。


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by sumus2013 | 2016-12-31 21:14 | 古書日録 | Comments(0)

古書彷徨

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青山毅『古書彷徨』(五月書房、一九八九年三月二七日)読了。著者は《一九四〇年、千葉県生まれ。近代文学、書誌学専攻。日本近代文学館、日外アソシエーツ、四国女子大学助教授を歴任。/著書『総てが蒐書に始まる』(1985)、編著『高見順書目』(1969)などの他、『平野謙全集』『小熊秀雄全集』『島尾敏雄全集』『吉行淳之介全集』の書誌、解題などを担当。》(著者略歴より)

書物や資料とともに生きた著者だけに古書好きには深く頷くことの多い内容だと思う。

《一体、私は何冊の蔵書を持っているのであろうか。それは蔵書家の誰もが思うことである。しかし、自分の蔵書を完全に把握している者は、まず皆無であるといってもよいであろう。
 私の場合、家には九十センチ幅の書棚が、約二百六十段ある。徳島へ持って来た資料は、梨函の段ボール百函分丁度であった。梨函に本をいれると、A5判の本が丁度九十センチ分入る。九十センチ分が百函であるから、我が家の書庫には、三百六十段分の資料があったことになる。図書館学的にいえば、一冊の本の平均の厚さは三センチである。ということは一段が三十冊、その三百六十倍であるから、結果は一万八百冊ということになるのであるが、実際に三センチある厚さの本は少ないものである。五ミリに達しない本も多数ある。おそらく、私の蔵書数は、軽く二万冊を越えるであろう。二万冊で済めば、よい方である。》(資料の山)

文芸評論家磯田光一についての回想も興味深い。著者は右文書院に関係していたころ磯田と知り合った。日本近代文学館で編集部に移ったときに磯田の担当になり、自宅を訪ねるようになる。

《磯田氏は、また無類の本好きでもあった。その日、私を氏の家の本のおいてある総ての部屋を案内してくださり、荷風の『腕くらべ』や『墨[サンズイ付]東綺譚』の私家版など、次々と私の前にさし出されるのである。それらの資料が磯田文学の根源となっているのであるが、神田の古本屋さんから磯田氏の蒐集ぶりをきいているだけに、その実物を、それも稀覯本ともいえる書物を次々にさし出される磯田氏の態度は、今になって考えると、それは私にとって感動的なものとなっている。
 その日、磯田氏は手土産として「文学史の鎖国と開国」三十一枚の原稿を、私にくださった。》(磯田光一の本)

また高見順も凄い。

《高見順の所蔵していた資料は、幸いなことに日本近代文学館に寄贈されたので、私はその総てに目を通す機会にめぐまれた。おびただしい数々の古雑誌、その多くはこの『昭和文学盛衰史』のもととなったものである。
 高見順旧蔵書のうち、雑誌だけは氏の生前に文学館に寄贈された。昭和三十九年五月の晴れた日であったが、氏が丁度自宅で療養していた日である。「死の淵より」の校正をしていた日であって、大久保房男氏が訪ずれていた。そういうなかで、私達は美術運送の職員と、一日がかりで高見順旧蔵雑誌二万五千冊を、北鎌倉から上野まで運んだのである。それがもととなって、その年の十一月、国会図書館上野分館に日本近代文学館文庫が開設されたのである。》(高見順『昭和文学盛衰史』)

「岡崎屋書店『発売図書目録』」は明治三十六年発行の出版目録についての紹介。著者はここで古書目録を含む目録の重要性に言及している(初出は『図書新聞」610号、一九八八年九月)。

《公共図書館のどこにいっても、目録類は図書として扱われていないであろう。
 こん日刊行されている新刊目録、あるいは古書目録、そられを一箇所でまとめて公開する機関をつくることは、困難なことであろうか。岡崎屋書店の『発売図書目録』をみながら、ついつい夢を記した次第である。》岡崎屋書店『発売図書目録』)

一箇所でまとめてというのはともかく、昨今では千代田図書館のように古書目録の類を蒐集対象とする図書館は増えているのではないだろうか。

【関連リンク】
四千種集めた古書目録コレクター呉峯とは?

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by sumus2013 | 2016-12-31 21:11 | 古書日録 | Comments(0)

南部支部報51

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『南部支部報第五十一号』を頂戴した。(二〇一六年一一月二五日【これは奥付記載で実際は一二月二四日発行】)感謝です。

『南部支部報第五〇號』

本号の読みどころは「南部支部座談会」。参加は日月堂、風船舎、ほん吉のみなさん、司会が月の輪書林・九蓬書店さん。市場での葛藤などが語られていて非常に面白い内容である。また「編集後記」に月の輪さんが荒戸源次郎さんについて書いておられる。十一月七日に亡くなられた。享年七十。

《一九八〇年の酷寒の二月、ぼくが荒戸さんの下で現場を駆けずり回っていた頃、ずいぶん「大人」に見えたけど三十三歳という若者だったんだなぁ。「ツィゴイネルワイゼン」の撮影隊の合宿所は鎌倉材木座にあり、ぼくは美術助手としてそこで撮影につかう蟹を大磯までつかまえに行ったり(木村有希演ずる瞽女の股の間から出てくるシーンにぼくの蟹が登場します)、桜の花びらや灯籠をつくったり、風呂場で蚊帳を緑色に染めたりと、朝から真夜中まで働きどおしだった。合宿所には一年間はゆうに寝泊りしていたと思っていたけれど、当時のメモ帖を開くと撮影はわずか二ヶ月という短さだ。メモ帖がウソをつくはずがないのに信じられない。》

そうだったのか。二〇〇八年八月に太秦で生田斗真主演「人間失格」を撮影している荒戸監督を月の輪さん、河内紀さんと三人で訪ねたときの情景がはっきり思い出される。映画人の放つオーラのようなものがこちらの肌を刺すように放射していた。ご冥福をお祈りしたい。

荒戸源次郎監督「人間失格」の現場

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by sumus2013 | 2016-12-28 20:14 | 古書日録 | Comments(0)

From BIBLIOFILIA

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Bibliophilia: 100 Literary Postcards 。牛津先生よりまたまた頂戴しました。クリスマスグリーティングにぴったりです。有り難うございます。

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by sumus2013 | 2016-12-25 21:08 | 古書日録 | Comments(2)

いのちひとつに

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昨日紹介した『婦人公論』第四百六十七号には佐野繁次郎も登場していた。舟橋聖一「愛の濃淡」挿絵。もうひとつ、注目したのは奥村博史(「おくむらひろし」のはずだが、本誌では「おくむらひろふみ」)の連載小説「いのちひとつに 続・めぐりあひ」。奥村博史と言えば築添正己さんの母方の祖父ということで当方のブログでも少し触れたことがある。

「博史とらいてう」

「いのちひとつに」は小説というか回想記のようなものだろう。登場人物はいちおう仮名になっているが、誰だかはすぐに分る。主人公は浩、その恋人は昭子(らいてうの本名は明[はる])、森田草平が成田草平など。面白いと思ったのは『田端人』矢部登さんの影響か、二人が日暮里のステイシォンで待ち合わせをするくだり。大正元年の七月。

《三十日の暮れに、日暮里のステイシォンのプラットフォウムで待ち合わせた浩と昭子は、駅を初音町の方に出ると道灌山に向って歩いてゐた。
 忙[せわ]しく人の行交ふ複雑した臭の漂ふ通りから遁れて、ふたりは似たやうな生垣ばかりつづく長い道を過ぎ、雑木林の中を抜けて、いつか田端ステイシォンの崖上に出た。
 雲は低く垂れて蒸し暑く、車両編成を待つ幾台もの蒸気機関車はしきりに黒い煙を吹き上げ、それが時をり風に送られてきて不意にふたりともに噎せた。浩は煤煙の甘酸っぱい鼻に辛く、足はしぜん動坂へ出る道に向った。赤紙仁王の脇の坂を降りながら、近くのつくし庵のしるこよりほかあてもなく、どこかで夕飯を、と考へたが、けっきょく団子坂の藪蕎麦に行くことにした。》

《藪を出たふたりは、団子坂をのぼると左に、森鴎外の家のあるあたりまで行ったが、引き返して林町の寂しい通りへはいった。繋いだ手から互いの心に通ふものを感じながら黙って歩いた。》

《とつぜん足を停めた浩はとっさに昭子を羽交締にした。昭子は仰向いて彼に口を寄せて来る。互いの唇が飢ゑた魚のやうに烈しく触れ合ふと、そのまま堪へられる限り息を詰めた‥‥。すると、ふたり共どもそこに崩折れてしまふかとばかり身を支へかねて来たが、危く立直った‥。
 右に折れ左に曲り、ふたりは宛もなく歩くうちにいつか袋小路に追ひ詰められて、とある寺の裏に突当ってしまった。》

《本堂横手に出ると墓場である。竝んだ墓は夜空のもとに押黙って立ってゐる。》

《寺の門を出たふたりは、駒込通りを横切ると、すぐ向う側の、曙町につづく路地に姿を消した‥。

この辺りのルートについてはおぼろげなイメージしか湧かないが、燃える恋人たちにとっては人目に立たない散歩コースだったのだろうか。なかなかに大胆である。



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by sumus2013 | 2016-12-25 21:01 | 古書日録 | Comments(0)

”らしさ”排撃論

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『婦人公論』第四百六十七号(中央公論社、一九五六年三月一日、表紙=宮本三郎)。某氏より恵投いただいた。感謝です。花森安治と鶴見和子の対談「"らしさ"排撃論」が掲載されている。これは花森のいわゆる「女装」に対する態度がはっきり表明されている重要な対談だと思う。まずは女性「らしさ」に対して論議が始まる。

花森 僕が髪を長くしていると女の子のようだと言われます。しかし、ルイ王朝時代とか、リチャード八世の映画を観れば、当時の男は僕より立派な髪をしているんですよ。生理的に、女の人の髪が長くて、男が短いということは、どんな生理学者も言わんと思うのです。それがたまたま、緑なす黒髪ということが、ある時代の男の嗜好にかなったということから、いつか女の一つのスタイルになっているだけです。女の髪は長く、男は短いというのは一つの固定観念ですよ。》

鶴見 既成のものを破壊しようとおもって、わざと赤いものを着たり、女の服装をしていらっしゃることは、こだわりをぶちこわすこだわりでしょう。
花森 そうです。たいへんなこだわりだ。僕のほんとの希望というのは、赤いものを着たい人は着る、モーニングの着たい日には着てみたり、したいというときにはしてみることですよ。こういう気持が、おそらくは二十四時間中燃えているんですね。だから、あまり僕は楽じゃありませよ。僕も紺のダブルなんか着て、白いワイシャツでグレイのネクタイでもつけていれば、同じことを言っても、あいつはなかなか優秀な編集長だとか評論家だとか言われるでしょう。そのほうがずっと楽だということはわかるのですよ。それを、あれはなんじゃいな、と言われながらやっているということは、たいへんなこだわりだけれども、僕はこのこだわりを捨てるわけにはいかんのです。しかし、そうじゃない自然な状態が近い将来にくると思うのですがね。親と子、使用者と被使用者、為政者と被統治者とかいろいろな区別や階級があるが、近頃では頭のなかでは、だいぶ均[な]らされてきたと思うのですよ。しかしそのなかで、男だから、女だからということは依然として温存されているわけだ、男の立場からも女の立場からも。》

花森の姿勢というか思考法はつねにこの弁証法的パターンのようである。対談の最後には憲法改正問題も取り上げられている。

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鶴見 最後に、憲法改正の問題が、「らしさ」に関連していちばん大きい問題だと思うのですが……。いま改正案が出ていますが、女の人たちは現在の憲法と改正案とを並べられても、実際に自分たちの生活にどういうふうに響いてくるのか、関心をもっていない場合が多いと思うのですよ。改正案の意図するのは、旧道徳の復活であり、個人の自由に対する圧迫であるということは、基本的人権を守るということが削られていることで理解できるのです。それは、親は親らしさ、子は子らしさ、夫は夫らしさ、妻は妻らしさという、上からの強制が復活することです。》

なるほど、昨今の改正論議がこの時代からの悲願だったという主張が良く分る発言である。

花森 改正するというときに、だれが改正するかということが問題なんです。信用できる人の手で改正してくれるまで待ったほうがいいということも声を大にする必要がある。それから、前の欽定憲法のときには、国民をどういうふうにしばってきたかということを、示すということをだれもやっていませんが、これは大事な作業だと思うのです。今度の改正案が、前の憲法と似ている面を、わかりやすく説明するということは大事ですね。》

信用できる人の手で改正》というのはアグレッシブな鶴見女史の発言と較べるとかなりノンポリな感じが出ている。しかしながら欽定憲法の実態を検証するという大事な作業》、こちらは『戦争中の暮しの記録』と同じ発想である。概念的な思考を先行させるのではなく事実を提示して善悪の判断に供する。いわば憲法の商品テストであろう。善くも悪くもこれが編集者・花森安治の真骨頂であった

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by sumus2013 | 2016-12-24 20:55 | 古書日録 | Comments(7)

茗渓堂

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書皮のかかったままの文庫本を二冊頂戴した。どちらも福武文庫の澁澤龍彦。この書皮は御茶ノ水の茗渓堂である。山の本屋として知られていたが、二〇一一年に閉店した。

「山の本屋」茗溪堂 御茶ノ水店が休業

ありがとう・さようなら茗渓堂

沢野ひとしのデザインで統一されていたようだ。オリジナル栞二種類。

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『エピクロスの肋骨』、装丁=菊地信義、カバー画=木村繁之。パッと目に付いたところを引用してみる。「錬金術的コント」より。

《……一月のことであった。雪がまるで白い蜜蜂の群のように、舞いおり、舞いあがり、歩いて行く私のまわりで、沈黙のロンド・カプリチオーソを踊っていた。私はわきの下に、古風な鞣革で装釘された、二冊の古本をしっかり抱えていた。ホールベルクの『ニルス・クリムの地底旅行』と、パラケルヅスの錬金術的著作『オペラ・オムニア』である。
 私は銀座の通りをつと折れて、行きつけのバアの扉を押し、奥まったボックスに腰をおろすと、本が濡れていないかどうかよく確かめて、テーブルの上に大事に置いた。オーバーの袖に、きれいな雪の結晶が二つ三つ、消えやらず残っているのを、ぼんやり見つめていると、トパーズ色のベルモットの反映に、長い銀の匙を光らせながら、バアテンがマルチーニをつくって、私の前のテーブルに持って来てくれた。》

《「聴かせるのはお安い御用だけれどね、あんた」とバアテンはテーブルの上の古本を珍しそうに見ながら、「その黄色くなった本は何です? またサディズムの本ですか?」
「あ、これかい。これは人間と星の運命の相関関係のことが書いてある本だよ」
「へえ、それじゃ僕の悩みとまんざら関係がなくもないね……僕は万有引力を呪っているのさ。僕は月の引力に復讐されたようなものでね……」》

……結末は内緒、だが、あまりといえばあまりな……。

レシートが挟み込まれていた。一九九一年六月一四日が第一刷の発行日だから刊行されて一月余り後に購入したものだと分る。もう一冊(450円の方)も同じく澁澤龍彦の『うつろ舟』(福武文庫、一九九〇年一〇月一六日)である。消費税3パーセントか。

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by sumus2013 | 2016-12-19 19:55 | 古書日録 | Comments(2)

ベルトルド・ウォルプ

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牛津先生よりFaber and Faberの絵葉書を頂戴した。深謝です。

《Faberの装幀はお嫌いですか? リードのものなど、みすず書房はそのまま使用していました。70年代のことですから、日本では余り流行しなかったのでしょうか。簡素だったのですが、今みると結構、過剰で時代を感じます。でも毎年、出す年間のFaber手帳は捨てたものではありません。》

これまでこのブログでは英国の装幀についてあまり多く触れていないかもしれない(本文末尾にリンクあり)。実際、本もそうは持っていない。この頂いた絵葉書になっているFaber and Faberの装幀はすべてベルトルド・ウォルプ(Berthold Wolpe 1905-1989)のデザインである。フランクフルト近郊のオッフェンバッハ生まれ、書体デザイナー(calligrapher, typographer, type designer)、装幀家、イラストレーター。一九三五年にイングランドに移り住み、一九四七年には帰化して英国で活躍した。

一九三二年、ウォルプはロンドンでスタンリー・モリソンからモノタイプ・コーポレーションのための文字の設計を依頼された。そして代表作のアルバータス(Albertus)が完成したのが一九四〇年。しかし第二次大戦が始まると敵国人としてオーストラリアの収容所へ送られた。四一年に許されてロンドンに戻り、フェイバー・アンド・フェイバー社の仕事を始める。アルバータス字体は非常に人目を惹いた。結局一九七五年に引退するまでおよそ1500の表紙・カバーをデザインしたという。一九八〇年にヴィクトリア・アンド・アルバート美術館で二〇〇六年にはマインツで回顧展が開催された。(英文ウィキによる)


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『ゴドー…』は持っていると思ったら米国版だったが、タイトルの書体は同じ(?)だからウォルプによるものか。

waiting for godot


こちらにウォルプの紹介が出ている。

タイポグラフィ・ブログロール《花筏》


◉過去記事でイギリスの装幀などに言及したものをいくつかリンクしておく。

『エリック・ギルのタイポグラフィ』

『Introduction to Typography』

J.E.モーパーゴ『ペンギン・ブックス 文庫の帝王A・レイン』

ケネス・クラーク『ザ・ヌード』

『VIRGINIA WOOLF & LYTTON STRACHEY LETTERS』

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by sumus2013 | 2016-12-16 20:04 | 古書日録 | Comments(4)