林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:古書日録( 712 )

南部支部報51

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『南部支部報第五十一号』を頂戴した。(二〇一六年一一月二五日【これは奥付記載で実際は一二月二四日発行】)感謝です。

『南部支部報第五〇號』

本号の読みどころは「南部支部座談会」。参加は日月堂、風船舎、ほん吉のみなさん、司会が月の輪書林・九蓬書店さん。市場での葛藤などが語られていて非常に面白い内容である。また「編集後記」に月の輪さんが荒戸源次郎さんについて書いておられる。十一月七日に亡くなられた。享年七十。

《一九八〇年の酷寒の二月、ぼくが荒戸さんの下で現場を駆けずり回っていた頃、ずいぶん「大人」に見えたけど三十三歳という若者だったんだなぁ。「ツィゴイネルワイゼン」の撮影隊の合宿所は鎌倉材木座にあり、ぼくは美術助手としてそこで撮影につかう蟹を大磯までつかまえに行ったり(木村有希演ずる瞽女の股の間から出てくるシーンにぼくの蟹が登場します)、桜の花びらや灯籠をつくったり、風呂場で蚊帳を緑色に染めたりと、朝から真夜中まで働きどおしだった。合宿所には一年間はゆうに寝泊りしていたと思っていたけれど、当時のメモ帖を開くと撮影はわずか二ヶ月という短さだ。メモ帖がウソをつくはずがないのに信じられない。》

そうだったのか。二〇〇八年八月に太秦で生田斗真主演「人間失格」を撮影している荒戸監督を月の輪さん、河内紀さんと三人で訪ねたときの情景がはっきり思い出される。映画人の放つオーラのようなものがこちらの肌を刺すように放射していた。ご冥福をお祈りしたい。

荒戸源次郎監督「人間失格」の現場

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by sumus2013 | 2016-12-28 20:14 | 古書日録 | Comments(0)

From BIBLIOFILIA

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Bibliophilia: 100 Literary Postcards 。牛津先生よりまたまた頂戴しました。クリスマスグリーティングにぴったりです。有り難うございます。

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by sumus2013 | 2016-12-25 21:08 | 古書日録 | Comments(2)

いのちひとつに

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昨日紹介した『婦人公論』第四百六十七号には佐野繁次郎も登場していた。舟橋聖一「愛の濃淡」挿絵。もうひとつ、注目したのは奥村博史(「おくむらひろし」のはずだが、本誌では「おくむらひろふみ」)の連載小説「いのちひとつに 続・めぐりあひ」。奥村博史と言えば築添正己さんの母方の祖父ということで当方のブログでも少し触れたことがある。

「博史とらいてう」

「いのちひとつに」は小説というか回想記のようなものだろう。登場人物はいちおう仮名になっているが、誰だかはすぐに分る。主人公は浩、その恋人は昭子(らいてうの本名は明[はる])、森田草平が成田草平など。面白いと思ったのは『田端人』矢部登さんの影響か、二人が日暮里のステイシォンで待ち合わせをするくだり。大正元年の七月。

《三十日の暮れに、日暮里のステイシォンのプラットフォウムで待ち合わせた浩と昭子は、駅を初音町の方に出ると道灌山に向って歩いてゐた。
 忙[せわ]しく人の行交ふ複雑した臭の漂ふ通りから遁れて、ふたりは似たやうな生垣ばかりつづく長い道を過ぎ、雑木林の中を抜けて、いつか田端ステイシォンの崖上に出た。
 雲は低く垂れて蒸し暑く、車両編成を待つ幾台もの蒸気機関車はしきりに黒い煙を吹き上げ、それが時をり風に送られてきて不意にふたりともに噎せた。浩は煤煙の甘酸っぱい鼻に辛く、足はしぜん動坂へ出る道に向った。赤紙仁王の脇の坂を降りながら、近くのつくし庵のしるこよりほかあてもなく、どこかで夕飯を、と考へたが、けっきょく団子坂の藪蕎麦に行くことにした。》

《藪を出たふたりは、団子坂をのぼると左に、森鴎外の家のあるあたりまで行ったが、引き返して林町の寂しい通りへはいった。繋いだ手から互いの心に通ふものを感じながら黙って歩いた。》

《とつぜん足を停めた浩はとっさに昭子を羽交締にした。昭子は仰向いて彼に口を寄せて来る。互いの唇が飢ゑた魚のやうに烈しく触れ合ふと、そのまま堪へられる限り息を詰めた‥‥。すると、ふたり共どもそこに崩折れてしまふかとばかり身を支へかねて来たが、危く立直った‥。
 右に折れ左に曲り、ふたりは宛もなく歩くうちにいつか袋小路に追ひ詰められて、とある寺の裏に突当ってしまった。》

《本堂横手に出ると墓場である。竝んだ墓は夜空のもとに押黙って立ってゐる。》

《寺の門を出たふたりは、駒込通りを横切ると、すぐ向う側の、曙町につづく路地に姿を消した‥。

この辺りのルートについてはおぼろげなイメージしか湧かないが、燃える恋人たちにとっては人目に立たない散歩コースだったのだろうか。なかなかに大胆である。



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by sumus2013 | 2016-12-25 21:01 | 古書日録 | Comments(0)

”らしさ”排撃論

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『婦人公論』第四百六十七号(中央公論社、一九五六年三月一日、表紙=宮本三郎)。某氏より恵投いただいた。感謝です。花森安治と鶴見和子の対談「"らしさ"排撃論」が掲載されている。これは花森のいわゆる「女装」に対する態度がはっきり表明されている重要な対談だと思う。まずは女性「らしさ」に対して論議が始まる。

花森 僕が髪を長くしていると女の子のようだと言われます。しかし、ルイ王朝時代とか、リチャード八世の映画を観れば、当時の男は僕より立派な髪をしているんですよ。生理的に、女の人の髪が長くて、男が短いということは、どんな生理学者も言わんと思うのです。それがたまたま、緑なす黒髪ということが、ある時代の男の嗜好にかなったということから、いつか女の一つのスタイルになっているだけです。女の髪は長く、男は短いというのは一つの固定観念ですよ。》

鶴見 既成のものを破壊しようとおもって、わざと赤いものを着たり、女の服装をしていらっしゃることは、こだわりをぶちこわすこだわりでしょう。
花森 そうです。たいへんなこだわりだ。僕のほんとの希望というのは、赤いものを着たい人は着る、モーニングの着たい日には着てみたり、したいというときにはしてみることですよ。こういう気持が、おそらくは二十四時間中燃えているんですね。だから、あまり僕は楽じゃありませよ。僕も紺のダブルなんか着て、白いワイシャツでグレイのネクタイでもつけていれば、同じことを言っても、あいつはなかなか優秀な編集長だとか評論家だとか言われるでしょう。そのほうがずっと楽だということはわかるのですよ。それを、あれはなんじゃいな、と言われながらやっているということは、たいへんなこだわりだけれども、僕はこのこだわりを捨てるわけにはいかんのです。しかし、そうじゃない自然な状態が近い将来にくると思うのですがね。親と子、使用者と被使用者、為政者と被統治者とかいろいろな区別や階級があるが、近頃では頭のなかでは、だいぶ均[な]らされてきたと思うのですよ。しかしそのなかで、男だから、女だからということは依然として温存されているわけだ、男の立場からも女の立場からも。》

花森の姿勢というか思考法はつねにこの弁証法的パターンのようである。対談の最後には憲法改正問題も取り上げられている。

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鶴見 最後に、憲法改正の問題が、「らしさ」に関連していちばん大きい問題だと思うのですが……。いま改正案が出ていますが、女の人たちは現在の憲法と改正案とを並べられても、実際に自分たちの生活にどういうふうに響いてくるのか、関心をもっていない場合が多いと思うのですよ。改正案の意図するのは、旧道徳の復活であり、個人の自由に対する圧迫であるということは、基本的人権を守るということが削られていることで理解できるのです。それは、親は親らしさ、子は子らしさ、夫は夫らしさ、妻は妻らしさという、上からの強制が復活することです。》

なるほど、昨今の改正論議がこの時代からの悲願だったという主張が良く分る発言である。

花森 改正するというときに、だれが改正するかということが問題なんです。信用できる人の手で改正してくれるまで待ったほうがいいということも声を大にする必要がある。それから、前の欽定憲法のときには、国民をどういうふうにしばってきたかということを、示すということをだれもやっていませんが、これは大事な作業だと思うのです。今度の改正案が、前の憲法と似ている面を、わかりやすく説明するということは大事ですね。》

信用できる人の手で改正》というのはアグレッシブな鶴見女史の発言と較べるとかなりノンポリな感じが出ている。しかしながら欽定憲法の実態を検証するという大事な作業》、こちらは『戦争中の暮しの記録』と同じ発想である。概念的な思考を先行させるのではなく事実を提示して善悪の判断に供する。いわば憲法の商品テストであろう。善くも悪くもこれが編集者・花森安治の真骨頂であった

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by sumus2013 | 2016-12-24 20:55 | 古書日録 | Comments(7)

茗渓堂

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書皮のかかったままの文庫本を二冊頂戴した。どちらも福武文庫の澁澤龍彦。この書皮は御茶ノ水の茗渓堂である。山の本屋として知られていたが、二〇一一年に閉店した。

「山の本屋」茗溪堂 御茶ノ水店が休業

ありがとう・さようなら茗渓堂

沢野ひとしのデザインで統一されていたようだ。オリジナル栞二種類。

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『エピクロスの肋骨』、装丁=菊地信義、カバー画=木村繁之。パッと目に付いたところを引用してみる。「錬金術的コント」より。

《……一月のことであった。雪がまるで白い蜜蜂の群のように、舞いおり、舞いあがり、歩いて行く私のまわりで、沈黙のロンド・カプリチオーソを踊っていた。私はわきの下に、古風な鞣革で装釘された、二冊の古本をしっかり抱えていた。ホールベルクの『ニルス・クリムの地底旅行』と、パラケルヅスの錬金術的著作『オペラ・オムニア』である。
 私は銀座の通りをつと折れて、行きつけのバアの扉を押し、奥まったボックスに腰をおろすと、本が濡れていないかどうかよく確かめて、テーブルの上に大事に置いた。オーバーの袖に、きれいな雪の結晶が二つ三つ、消えやらず残っているのを、ぼんやり見つめていると、トパーズ色のベルモットの反映に、長い銀の匙を光らせながら、バアテンがマルチーニをつくって、私の前のテーブルに持って来てくれた。》

《「聴かせるのはお安い御用だけれどね、あんた」とバアテンはテーブルの上の古本を珍しそうに見ながら、「その黄色くなった本は何です? またサディズムの本ですか?」
「あ、これかい。これは人間と星の運命の相関関係のことが書いてある本だよ」
「へえ、それじゃ僕の悩みとまんざら関係がなくもないね……僕は万有引力を呪っているのさ。僕は月の引力に復讐されたようなものでね……」》

……結末は内緒、だが、あまりといえばあまりな……。

レシートが挟み込まれていた。一九九一年六月一四日が第一刷の発行日だから刊行されて一月余り後に購入したものだと分る。もう一冊(450円の方)も同じく澁澤龍彦の『うつろ舟』(福武文庫、一九九〇年一〇月一六日)である。消費税3パーセントか。

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by sumus2013 | 2016-12-19 19:55 | 古書日録 | Comments(2)

ベルトルド・ウォルプ

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牛津先生よりFaber and Faberの絵葉書を頂戴した。深謝です。

《Faberの装幀はお嫌いですか? リードのものなど、みすず書房はそのまま使用していました。70年代のことですから、日本では余り流行しなかったのでしょうか。簡素だったのですが、今みると結構、過剰で時代を感じます。でも毎年、出す年間のFaber手帳は捨てたものではありません。》

これまでこのブログでは英国の装幀についてあまり多く触れていないかもしれない(本文末尾にリンクあり)。実際、本もそうは持っていない。この頂いた絵葉書になっているFaber and Faberの装幀はすべてベルトルド・ウォルプ(Berthold Wolpe 1905-1989)のデザインである。フランクフルト近郊のオッフェンバッハ生まれ、書体デザイナー(calligrapher, typographer, type designer)、装幀家、イラストレーター。一九三五年にイングランドに移り住み、一九四七年には帰化して英国で活躍した。

一九三二年、ウォルプはロンドンでスタンリー・モリソンからモノタイプ・コーポレーションのための文字の設計を依頼された。そして代表作のアルバータス(Albertus)が完成したのが一九四〇年。しかし第二次大戦が始まると敵国人としてオーストラリアの収容所へ送られた。四一年に許されてロンドンに戻り、フェイバー・アンド・フェイバー社の仕事を始める。アルバータス字体は非常に人目を惹いた。結局一九七五年に引退するまでおよそ1500の表紙・カバーをデザインしたという。一九八〇年にヴィクトリア・アンド・アルバート美術館で二〇〇六年にはマインツで回顧展が開催された。(英文ウィキによる)


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『ゴドー…』は持っていると思ったら米国版だったが、タイトルの書体は同じ(?)だからウォルプによるものか。

waiting for godot


こちらにウォルプの紹介が出ている。

タイポグラフィ・ブログロール《花筏》


◉過去記事でイギリスの装幀などに言及したものをいくつかリンクしておく。

『エリック・ギルのタイポグラフィ』

『Introduction to Typography』

J.E.モーパーゴ『ペンギン・ブックス 文庫の帝王A・レイン』

ケネス・クラーク『ザ・ヌード』

『VIRGINIA WOOLF & LYTTON STRACHEY LETTERS』

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by sumus2013 | 2016-12-16 20:04 | 古書日録 | Comments(4)

ランプ

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『書窓』第十一巻第三号;通巻六十五号(アオイ書房、昭和十六年四月十一日)。A4判ふたつ折り四頁。申し込み葉書と郵便払込票が挟み込まれている。川上澄生『ランプ』が完成したということで川西英によるオマージュと柳宗悦、武井武雄、吉田正太郎の感想、そして発行人・志茂太郎の解説が収められている。

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川上澄生『ランプ』は目下こちらのサイトで見ることができる。
http://www.yamada-shoten.com/onlinestore/detail.php?item_id=30192

志茂によれば「ランプ」をテーマに一冊作るというのは志茂の発案だった。ところがあまりにはまり過ぎたテーマだったせいで川上澄生は新味を出そうと苦心に苦心を重ねた。その結果四年以上の年月が費やされたということである。

《川上さんの宇都宮住ひは二十幾年にもならうか。宇都宮は僕には馴染のない土地だつたがランプがはじまつてからといふものゝ足かけ五年通ひに通つたので、ランプのために、すつかり親しい土地になつてしまつた。どの本の時でも同じであるが、出来上つてから振り返つて考へて見ると、よくもかうまで根気よくやれたものだと、吾ながらいつもつくづぐ[ママ]感心する。振返つて苦労を思出したてゐたら、又これを繰返すのかと、やらぬ先から気おくれがして、新しい仕事に出足がにぶる。本造りは、いつも前進前進で、後を振向く事は大禁物と心得てゐる。》

まさにその通り……。そして川西英はランプについてこのように書いている。

《ランプ、洋燈屋、ランプをともした部屋、ガス燈、ガス燈屋ーー総てランプの光に浮上つた美しい華やかな夢の世界で、私もガス燈屋の真似事をして遊んだ事や、ホヤの掃除に困つた事や、豆ランプを庭の石燈籠に入れたりした夕や、また蠟燭立のランプは今なほ停電時の実用として便利に使用してゐる事など、想ひ起して川上さんの魔術にかゝつてしまひました。》

川西は明治二十七年生まれなので花森安治の親の世代に近いかもしれないが、しかしこの文章を読むと、花森のランプ好きの理由が分るような気がしないでもない。また花森は川上澄生の版画が好きだったろうということも雑誌『文明』の表紙などから想像できる。とくにランプは花森にとって「暮し」を象徴する代表的なそして魅惑的な品物であったに違いない。

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by sumus2013 | 2016-12-15 19:47 | 古書日録 | Comments(0)

パテーベビーの値段

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昭和2年4月10日 東京朝日・夕刊

パテーベビーの値段が分らないと書いたところ、本日、画廊へ新聞広告のコピーを持参してくださった方がおられた。これは有り難い。朝日新聞社の朝日聞蔵IIで検索してくださった。図書館へ出向けばこの検索エンジンを使うことができるのだ。広告も拾ってくれている優れもの。

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昭和4年12月21日 東京朝日・夕刊



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昭和6年9月17日 東京朝日・夕刊


時代とともに(普及とともに)値下げされているが、昭和二年の当時は撮影機と映写機とを両方買えば、百八十円という高額であった(最後の値下断行!)。ざっと現在の価値で六十万円前後である。普及し始めの頃のパソコンのようなものだったか。旧制中学入学祝いに(落ちたら買う約束だったそうだが)買い与えられるのだから、やはりそれなりの資産があったことは間違いない。



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by sumus2013 | 2016-12-11 20:58 | 古書日録 | Comments(0)

ふだん着の英国

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ギャラリー島田一階の個展会場入口。花森集成も積み上げております。トークショーの後にも多くの方にお買い上げいただきました。ありがとうございます。

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ギャラリー島田のオーナーは島田誠さん(元・海文堂書店店主)ですが、花森安治の装幀した『ふだん着の英国』(暮しの手帖社、一九五五年、集成086)の著者・島田巽氏は島田さんの伯父にあたるそうです。朝日新聞社勤務で笠信太郎とも親しかったとのこと。この本も三冊所蔵しておられるとか。そうだとを知って、さっそく一冊、トークのときにお借りしました。

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by sumus2013 | 2016-12-11 08:56 | 古書日録 | Comments(0)

座談23年7月号

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『座談』第二巻第六号(文藝春秋新社、一九四八年七月一日、表紙=花森安治)。集成には収められていない『座談』である。某古書店のご主人が見つけて送ってくれた。深謝です。

『座談』は発行人が池島信平なので花森に仕事を回したのではないかと思うが、表紙画の傾向としては『暮しの手帖』に直結するものだ。『暮しの手帖』創刊号は一九四八年九月二〇日発行。戦後それまでに花森が手がけた雑誌『女性』『新生』『文明』などモダニズム系列のカラッとしたデザインではなく、やや暗い色調の(これはおそらく印刷技術と用紙の問題かとも思うが)静物画というか器物画というのか、室内画かもしれない、そんな絵柄(要するに『暮しの手帖』の創刊号から十号あたりまでの表紙に類するもの)に対するこだわりが見える。ただ、この号の絵柄は少しだけ毛色が違うようだ。貝殻を配置して変化を持たせるやり方はもっと後年の『暮しの手帖』の表紙デザインに通じるもの。なお本文の挿絵は吉田謙吉である。

記事で面白いのは坂口三千代「安吾先生の一日」。これは検索してみると坂口三千代『追憶 坂口安吾』(筑摩書房、一九九五年)に「新発見」として収録されているようだ。

《先生のお部屋は小説新潮の写真の通りで、あれから十ケ月ほど紙や埃がふえて了つて足の踏み場もございませんが、食事を別にして、あとの生活はあれで足りてゐるやうです。物の在所も御当人には各々指定席があつて、二三回掻きわけると出て来るおもむきのやうです。》

《覚醒剤をのんでお仕事をして、お酒(たいがいシヨーチユにサイダーをわつたもの)を飲んでねむります。おさけを飲むと、すぐ目がシヨボ[繰返記号]してゴハンをたべながらコツクリ[繰返記号]やりだしますから、さだめし熟睡するだらうと、思ひますと夜中には目をさまして、何やらドタバタはじめまして、睡眠時間の少ないのには呆れてをります。

《ものに無頓着で、無慾でテンタンで執着といふものがないくせに、ひどく正確で、キチョウメンで、不合理なところがないのです。同居の大野さん一家は先生の親戚ですが、大野さんでおきゝしました話には、先生の一族は、自殺なさつた方に、発狂の方に、名題の変人や、風変りな方々ばかりで、先生のミヂンも狂ひのない正確さ、キチョウメンさというふやうなものは、私には異常なものゝ狂人的なものに思はれて、怖しくなる時が多いのです。それを先生に申しますと、バカ君たちが気違ひなんだとさかさまなことを仰有います。》

坂口三千代、なかなかの文才である。そういえば以前のブログで安吾の父親についてこんな引用をしていた。

石川淳『諸國畸人傳』(中公文庫、一九七六年)の最後に「阪口五峰」が取り上げられている。安政六年に越後国中蒲原郡に生れ、大正十二年に東京で歿した。《五峰とはなにものか。このひと、政事にもかかはり、新聞にもたづさはり、また文墨にもあそんで、好んで詩をつくり、いささか書を善くする。鬱然として郷曲の雄であつた》そうだ。県会議員、新潟新聞社長、新潟米穀取引所理事。新潟新聞の主筆を勤め同郷でもあった市島春城と親しくつきあった。ここに印章の話が出てくる。

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by sumus2013 | 2016-12-09 20:29 | 古書日録 | Comments(1)