林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:古書日録( 790 )

第41回秋の古本まつり

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今年は参加できるかどうか微妙だったのだが、予定が変わって、例年のように初日参戦することができた。もう、本がどうこうよりも、参加することに意義があると言う感じです。例によって臨川書店で寄り道、扉野氏と季村さんに遇う。昨年はここでちょっと珍しい紙モノを買ったのだが、今年は特になし、と言いつつ二冊ほど。

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例によって雑和本の箱の前に並ぶ。すでに四人の先客、ビニールが開くのを待っている。三人さんは中国の方。もう一人は昨年も顔を合わせたお方。ビニールが開かれるとさらに五人くらいが取り付いてきて、もうてんやわんやの状態になる。こちらもめぼしいものは抱え込んで後で吟味の態勢にならざるを得ない。皆が皆、掘り返し、掘り返ししてもうグチャグチャである。三十分もしたらやっと人がまばらになった。和本に群がってくるのは半数以上が中国の方々であった。こちらは最後まで粘って人がいなくなってから、ゆっくりと残った全てのクズ和本を手にとって調べ直す。今年は漢詩集が一冊もなかった。これは寂しい。それでも端本ながらやや見所のある徳川時代及び明治の写本などを数冊手に入れることができた。何となくこれで一安心、気が抜けた。

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後はぶらぶら。スタンプ2000円分でクリアファイルがもらえると言うのでなんとか達成して本部で受け取っていたらヨゾラ舎さんとバッタリ。床几に座って雑談していると、善行堂が飯を食うと言うのでいつものメンバーと進々堂へ。ヨゾラ舎の自虐ネタで盛り上がる。何とかしようよ、ヨゾラ舎さん!

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by sumus2013 | 2017-11-01 19:35 | 古書日録 | Comments(2)

青空と古本まつり永遠にあり

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『秋の古本だより「青空」5号 古書研40周年記念記念号』(京都古書研究会、平成29年)を東京在住の某氏より頂戴した。最近、古書研のどの店とも懇意にしていないため(もちろん店頭均一でお買い物させていただく店はございます)百万遍の目録は誰も送ってくれない。だからこれは有り難かった。というのも四十周年記念号には二十八名の方々が古本まつりや古書研についてエッセイを寄稿しておられるからである。読み応えあり。

秋の古本だより「青空」5号が発行。

小生が古書研と関わったのは一九八一年に京都へ移り住んだときからだった。まず山崎書店の山崎さん(現在は古書研メンバーではないですが)と知合い、古本まつりのポスターを描いて欲しいと頼まれた。以後毎年春夏のポスターを十年くらいは手がけさせてもらったのである。古書研の機関誌『京古本や往来』にも何度か寄稿させてもらい、終刊号(100号)にも書かせてもらっている。古本修行は古書研とともにあったと言っても過言ではない。四十周年は慶賀なり。

寄稿されているエッセイには二〇一四年に亡くなられた松尾尊兊先生の追悼文もいくつか見られる(松尾先生については小生も短い追悼を以前ブログに書いた http://sumus2013.exblog.jp/23494758/)。

なかでは書砦梁山泊の島元健作氏が古書研三十周年記念のバッグについて書いておられるのが印象的だ。島元氏は松尾先生とは古書目録の客としては古くからの付き合いだったが、初めて会ったのは三十周年記念のパーティ会場だったという。

この古本まつりには、先生を最年長に、他に小生を含めて五人ほどの初期のころからの熱心な常連がいて、長年古本を買い漁った功績によってか、その創立三十周年のパーティには全員招待を受けました。そしてその記念品として一澤帆布店のすてきなバッグを貰いました。バッグそのものより、松尾先生と同じものをいただけたことに感激したことを思い出します。》「(追悼 松尾尊兊先生)お別れのことば」告別式での弔辞)

その一澤帆布店のすてきなバッグは小生も頂戴した。上の写真がそれである。十年経ってもビクともせず有り難く使わせてもらっている。(ちょうど信三郎帆布と分裂したころだったので、古書研は一澤帆布なんだと思った記憶がある)

京都古書研究会三十周年記念

古本屋は学者ではありませんから、学問内容のことはほんとうはよく分かりません。ただ生意気なようですがその先生が本物かどうかは、不思議にそれとなく分かるものです。身銭の切り方、道の遠しをいとわぬ熱心さ、つまり文献や資料への情熱が自ずと伝わってくるのです。その点で松尾先生は古本屋から見て第一級の学者先生でした。しかも少しも偉そうにはされず、一介の古本屋にもゆっくりていねいに、そして熱くお話をして下さる。京都のまともな古本屋なら、みんないくつもの思い出を持っている筈です。

追記 告別式が終って出棺を待っていると、先生の娘さんが近づいてこられて「言ってられたバッグは柩の中におさめたんですよ。もう使いふるしてかなりオンボロになっていました」とおっしゃった。悲しみのうちにも何かとてもほのぼのとした気持ちにもさせられて、先生のお人柄に一層の親しみを覚えたものでした。

さすが松尾先生、この帆布のバッグがボロボロになるまで使っておられたのか! あらためて松尾先生ともう少しお話する機会をもちたかったなあと残念でならない。

他にも顔見知りの古本猛者(いや古本修羅かな)の方々が執筆しておられる。びわこのなまず先生(川島昭夫氏)の五車堂・久保田さんの追悼記も懐かしかったが、ふと目がとまったのは蘇枕書さんの「京都の古本屋と私」。京都大学文学研究科・院生の肩書き。八年ほど前に来日され、京都大学周辺の古本屋を踏破しておられたころの回想に次のくだりがあった。

善行堂もその頃オープンしたばかりであった。毎日通学の際、小さい書店が少しずつ完成していく様子を見守りながら、楽しみにしていた。ある日の夕方、細い格子から漏れた明かりから、静かなジャズが流れてきて、きれいに揃えた文庫本や単行本も見えた。近所にまたもう一軒本屋が増えることが嬉しかった。

蘇さん、存じ上げないなあと思いつつ検索してみると、以前あるところで一抱えほども日本文学の研究書を買っておられた女性であった。

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by sumus2013 | 2017-10-31 17:39 | 古書日録 | Comments(0)

歩く作家 走る作家

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村上春樹『村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた』(新潮社、一九九六年六月二〇日五刷、絵=安西水丸)。ディケンズとウォーキングのつづきになってしまうが、たまたま、この本を手にしたら、冒頭から「一に足腰、二に文体」というメッセージとともにこう書かれていた。

今でも多くの人は、作家というものは毎日のように夜更かしをして、文壇バーに通って深酒を飲み、家庭なんかほとんど省みず、持病のひとつやふたつは抱えていて、締切が近くなるとホテルで缶詰になって髪を振り乱している人種だと信じているみたいだ。だから僕が「夜はだいたい十時に寝て、朝は六時に起きるし、毎日ランニングをして、一度も締切に遅れたことはない」と言ったら、しばしばがっかりされる

毎日ランニングどころか周知のように村上春樹はボストン・マラソンに参加するのである。

だいたい十二月の声を聞く頃からボストン・マラソンへの準備は始まる。この頃から身体はだんだん、まるで大事なデートの前の午後みたいに、そわそわとしてなんとなく落ち着かなくなってくる。五キロ、十キロといった短いそのへんのレースを足慣らしにいつくか走り、一月二月にけっこう長い距離を走り込み、三月あたりにひとつハーフ・マラソンに出てレース・ペースの確認をしてから(今年はニュー・ベッドフォードのハーフに出たけど、これはなかなか楽しいレースだった)、いよいよ「本番」へと臨むわけだ。

五キロ、十キロ……て、ディケンズの毎朝五十キロのウォーキングが、ウォーキングだとしても、いかに凄いか分ろうというもの。


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もう一冊、ポール・オースター『ガラスの街』(柴田元幸訳、新潮社、二〇〇九年一〇月三〇日)の冒頭にもウォーキングについて書かれている。主人公クインはウィリアム・ウィルソンというペンネームでミステリーを書いている作家だった。

およそ一年に一冊の割合で刊行されて、それによってニューヨークの小さなアパートメントでつましく暮らすのに十分な収入が得られていた。一冊の小説に費やす時間はせいぜい五、六か月だったから、一年の残りは好きなことをしていられた。本をたくさん読み、美術館に行き、映画に通った。夏はテレビで野球を観た。冬はオペラに行った。だが彼が何より好んだのは、散歩だった。ほとんど毎日、雨でも晴れでも、暑くても寒くても、アパートメントを出て街を歩き回った。理由があってどこかへ行くのでは決してなく、どこであれ単に足が向いた方へ行ったのである。
 ニューヨークは尽きることのない空間、無限の歩みから成る一個の迷路だった。どれだけ遠くまで歩いても、どれだけ街並や通りを詳しく知るようになっても、彼はつねに迷子になったような思いに囚われた。街のなかで迷子になったというだけでなく、自分のなかでも迷子になったような思いがしたのである。散歩に行くたび、あたかも自分自身を置いていくような気分になった。街路の動きに身を委ね、自分を一個の眼に還元することで、考えることの義務から解放された。それが彼にある種の平安をもたらし、好ましい空虚を内面に作り上げた。世界は彼の外に、周りに、前にあり、世界が変化しつづけるその速度は、ひとつのことに長く心をとどまらせるのを不可能にした。動くこと、それが何より肝要だった。

なかなかうがった見方である。「動くこと、それが何より肝要だった」ディケンズもまさにそうだったのではないだろうか。


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『盛林堂の本棚 盛林堂書房古書目録二〇一七年臨時號』(盛林堂書房、二〇一七年一〇月二八日)が届く。一九六〇年代の創元推理文庫にこんな値段が……う〜む。たしかにカバーの装幀もゴーカなメンバーだ、杉浦康平、日下弘、和田誠、松田正久、真鍋博、司修……。いいことを教えてもらったなあ。

古本屋ツアー・イン・ジャパン
10/25文庫本ばかりの目録



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by sumus2013 | 2017-10-30 17:28 | 古書日録 | Comments(0)

ヒエロニムス・ボック植物図


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ヒエロニムス・ボック(Hieronymus Bock)の『Kreutterbuch』(植物本)から切り取られた一葉を入手した。これらふたつの図は一葉の表と裏である(画像検索してみるとこの本は小口側に註記があるようなので、奇数ページを表と考えておく)。

表の植物には「Scharlach」と記されているのだが、現代ドイツ語としては「水疱瘡」あるいは「スカーレット(朱色)」らしい……。裏面の「Salbey」は「Salbei(ザルバイ)」で二種類の「セージ」である。

ボックは植物学を基礎付けた人物の一人。一四九八年にドイツのハイデルスハイム(Heidelsheim)あるいはハイデルスバッハ(Heidersbach)で生まれた。一五二三から三三年までツヴァイブリュッケン(Zweibrucken)のパラティネ・ルードヴィヒ伯爵(Count Palatine Ludwig)のために植物園の運営に当った。ルードヴィヒ伯歿後は一五五四年に死去するまでホルンバッハ(Hornbach)のルター派教会の牧師として過ごした。彼は医師でもあった。植物学者のオットー・ブリュンフェルズ(Otto Brunfels)に植物学の本をドイツ語で書くように頼まれた。

一五三九年、初版はドイツ語によって出版されたが、そのときには植物の図は付されていなかった。一五四六年には図入りの版が刊行された(図の作者はDavid Kandel)。この本は一五五二年にラテン語版が出てから世に知られるようになった。ボックの書は彼自身の観察が記されていること、および分類の重要性を主張していることによってそれまでの植物学書とは一線を画した。……以上は下記サイトの要約です。

The Three Founders of Botany ; Hieronymus Bock


本としては下のようなものだろう。一例として引用してみた。版ごとに版面が異なるようである。

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by sumus2013 | 2017-10-27 20:52 | 古書日録 | Comments(0)

淀川左岸

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真治彩さんより、ぽかん別冊『淀川左岸』(ぽかん編集室、二〇一七年一〇月七日、六〇〇円)が届いた。A5判、本文二十八頁。美しい表紙だ。『遅れ時計の詩人』出版記念と副題があり、山田稔、佐久間文子、樋口塊、畠中理恵子、扉野良人、真治彩、伊東琴子、服部滋、能邨陽子、そして坪内祐三「編集工房ノア探訪記」(『本とコンピュータ』二〇〇二年秋号より転載)という内容である。真治編集長の行動力に感心することしきり。

涸沢純平『編集工房ノア著者追悼記 遅れ時計の詩人』

伊東琴子さんが編集工房ノアが最初に入ったビルに今現在住んでおられるというのは驚いた! また能邨さんの書店人としてのスタート時代が語られている。これが面白い。出だしのところだけ引用してみよう。

九八年秋、京都の本屋・恵文社一乗寺店でアルバイトとして雇われた私に一番最初に課せられた仕事は、主に日本の文芸が集る棚を作り変えること、だった。ふつう入ったばかりの人間にそんな大切な指示は出さないと思われるが、取次の配本をいっさい受けない、というスタイルでやってきた店だけにそのあたりも妙におおらかでアバウトだった。「できるやろ?」「え?」といったやりとり。取次の意味もろくに理解していない新人にやらせる仕事でもなかろう、と思うのだが、振り返ればその大雑把さに感謝したくなる。当時二十代後半。

そこで思ったのは「じゃあ山田稔の本を入れてみよう」だったそう。恵文社一乗寺店、すごすぎる。もちろん本冊子も恵文社一乗寺店で販売されていると思いますので、ぜひお求めいただきたい。

ぽかん編集室

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by sumus2013 | 2017-10-21 20:41 | 古書日録 | Comments(0)

知っておくと得になること全集

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『婦人ポケット經済讀本 知っておくと得になること全集 婦人倶楽部三月號附録』(大日本雄辯會講談社、昭和十年三月一日)を頂戴した。深謝です。272頁の厚冊で、食料品の見分け方、調理法、お勝手道具の上手な使い方、電気・水道・燃料、家具、家屋・建具、洋服・毛糸類、洗濯、シミヌキ、衣類の手入・保存法などなどから貯金の方法まで、家庭を預かる人間が知っておくべき知恵がギッシリ、という感じの小冊子(タテ9cmほどです)。

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見返しの見開き

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ふと目にとまったのが「美味しいバナナの見分け方」。《黒い細かい斑點》というのは「シュガースポット」と呼ばれてバナナが熟れ切った目印のようなもので食べごろを示すそうだ。《なるべく丸味のあるものが美味しい》これは角張ったものは若くてまだ熟していないという意味。だいたい今日言われているのと同じだが、色味については少し違う意見もあるようだ。

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黄色が鮮やかなものは美味しそうに見えますが、あまり美味しさには関係ありません。それよりも柔らかさと、色でいうと軸に近い部分の色をみましょう。軸の方がしっかり色ついてきていれば、食べ頃が近いバナナで、青臭みが少ないバナナです
http://www.inazawabanana.com/バナナ雑学/甘くて美味しいバナナはどれだ!栽培者だから分/

ひと昔前にはバナナが贅沢品だったという回想をよく聞いたものだが、この記事で判断するかぎり、昭和十年の時点ではそれほど特別な果物だったようには思えない。で、検索してみると納得である。バナナの商業輸入は明治三十六年が最初だそうで、大正十四年に台湾青果株式会社が設立されバナナのセリが始まった。昭和十年に築地が開場。昭和十二年には戦前におけるバナナ輸入のピークがくる。そういう流れがこの記事にも反映しているのである。

バナナの歴史

戦中に徐々に姿を消し、戦後になっても外貨不足からバナナ輸入も制限された。その時代しか知らない人たちがバナナ高級品説を唱えているわけである。昭和三十八年にバナナ輸入は自由化される。以後誰にでも親しまれる果物になったのである。

本冊子には、この他にもいろいろ戦前の暮らしをしのぶアイデアが満載。ちょっと首をひねるもののなくはないけれど、またいずれ機会があれば紹介してみましょう。

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by sumus2013 | 2017-10-19 21:06 | 古書日録 | Comments(0)

海ねこ/青猫

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海ねこさんより最新目録届く。《スイス、ウィーンで買い付けてきた絵本、大正・昭和初期の絵雑誌などなど、新蒐品735点を掲載しました。》とのこと。いつものことながらフルカラーの書影が素晴らしい。めくっているだけで目の保養になる。でも、めくるだけじゃねえ……何か注文したい。

古本海ねこ

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しばらく前になるが、某氏が青猫書房の目録を整理したファイルを送ってくれた。七冊。上の写真に写っているファイルでは、B5判の用紙に裏表印刷で十四枚(二十八頁、未綴)という形式になっている。並んでいる本も見応え十分ながら、店主のエッセイ「青猫愛書閑話」が読みモノである。各地の古書店などをセドリして歩く様子を淡々と描いているなかに、自ずからなる喜怒哀楽がうかがえる。古書好きなら激しく同感するに違いない。一例を。第252号(平成十五年二月一日)より。

渡辺順三の大地堂書店は下北沢に在って、それと知らずに何度も店舗を覗いた。もう30年以上の以前の話だが、店の雑然とした佇まいはしっかり覚えている。間口4間の奥行きの少ない店で、壁三方は書棚だが、日暮里の鶉屋書店がそうだったように中棚を作らず、中央が平台になっていた。恐らく万引き警戒の死角を作らない配置なのだろうが、平台から山積みの本が溢れ、店舗の半分はどうしようもない雑本で埋まっていた。初めて見る詩集や歌集がふんだんに在って、此処の主人は何物だろうと疑問を抱いた。月に1度は草臥れた背広を着込んだ中年男たちがひとり二人と店主に挨拶して奥に消えていった。その光景が何とも不思議で仲間でない寂しさを覚えたものだが、それは単に同好の楽しみ、歌会を開いていたに過ぎなかった。

この後につづく渋谷・中村書店の回想もいいのだが、それは省く。大地堂書店については山下武『古書の味覚』(青弓社、一九九三年)にも出ているので参考までに引用しておく。

ぼくが下北沢の大地堂に足を運んだのは昭和三十年代前半からで、たまたま下北沢が通勤電車の道筋にあるためだった。下北沢というのは妙な町で、古本屋は何軒かあるにもかかわらず、これといった買い物をした記憶がない。
 丸井の先を行くと、古ぼけたという形容がまさにピッタリはまる古本屋があり、中年過ぎた夫婦が交替で店番していた。それが大地堂だった。店の棚は雑然として、値付けはマアマアだが、目を引くような本がない。時代がまだ高度成長期のこととて戦前の本が結構多く、プロレタリア文学関係の本が目についた。林氏が「戦旗」に作品を発表した詩人の仁木二郎と知ったのは後年のことである。何やら一癖ありげな風貌ながら、そのころはもう古本屋のオヤジが板につき、「何かお探しの本でもありますか」などと気軽に話かけてくる。
「黒島傳治の『豚群』を探してます」と返辞したことから、以来、大地堂へ寄るたび「『豚群』は見つかりましたか?」と聞かれるのに閉口した。

文中「林氏」とあるのは林二郎氏で『日本古書通信』に大地堂の開店から閉店までの経緯を書いていたそうだ。それを読んでの回想である。同じ店について書いても、それぞれ目の付け所が違っているのが一入面白い。



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by sumus2013 | 2017-10-17 20:35 | 古書日録 | Comments(0)

充たされざる者

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ちょっと外出したついでに立ち寄った古本屋にて。右の分厚い本はカズオ・イシグロ『The Unconsoled 充たされざる者』(faber and faber)。話題の人だからつい買ってしまった。ペーパーバック初版は一九九六年だが、それは表紙のデザインが違っている。昔、その別表紙本を買っていたことをフト思い出した(前の引越のときに処分)。

カズオ・イシグロ『The Unconsoled』(faber and faber, 1996)

バスで帰宅したので車中で少し読み始めてみた。あるホテルにやってきた客。受付に誰もいない。暫く待ってやっとチェックイン。ボーイが部屋までエレベーターで案内してくれるが、重い荷物を二つ、床に置かないでずっと手に持っている。置いたらいいのに、どうして?と客は尋ねる。すると年老いたボーイは自分のルーツェルン(スイスの町)での経験を語り始める……その会話がいつ果てるともなく続いて行く(とここまでしか読めなかった)。こりゃ、分厚くなって当り前。ただし英語はきわめて読みやすい。いずれ続きを読んでみたい。下記のブログに紹介がある。


左側のもう一冊は Lesley Reader『Book Lovers' London 愛書家のロンドン』(Metro Publications, 2006)。ロンドンの本好き拠点案内。ロンドンへ行く予定はないけれど、写真を見ているだけでも楽しいね。

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写真は新刊書店「Shipley」70 Charing Cross Road


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「古本屋および古書籍商」の章扉
写真は「Any Amounts of Books」56 Charing Cross Road


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Cecil Court の古本屋街



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by sumus2013 | 2017-10-14 20:40 | 古書日録 | Comments(0)

朝陽閣鑑賞錦繍帖

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『朝陽閣鑑賞錦繍帖 巻下』(藝苑叢書、風俗絵巻図画刊行会、一九二〇年)。下巻のみ均一台にて。

フロイス堂 朝陽閣鑑賞錦繍帖 全2冊

明治16年に大蔵省印刷局(朝陽閣)より刊行された名物裂の図録『朝陽閣鑑賞 錦繍之部』を、中本2冊にして復刊したもの。裂の図版29点は全て多色木版摺で再現されています。

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パッと見た目には、実物の裂(きれ)を貼付けてあるのか、と思うくらいよくできた図版である。この時代にもまだまだ木版画の技術は残っていたようだ。


図書館は文庫本を貸し出さないでほしいと文藝春秋の社長自らが全国図書館大会で訴えたという。気持は分る。小生も本を出している身としては、拙著が図書館で何人待ちだと聞いても、ぜんぜん嬉しくない。ただ、貸出し禁止になったからと言って文春文庫の売り上げが回復するか、どうか、それは分らない、というかほとんど関係ないような気もする。結局、人気が集中するのは売れている本であって、売れていない本は貸出し率も低いのではないか? 創業者である菊池寛(讃岐出身です)の意見が聞けたらさぞ面白いだろうが。

菊池寛『文芸当座帳』(改造社、一九二六年)

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by sumus2013 | 2017-10-13 20:14 | 古書日録 | Comments(0)

博士の本棚

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小川洋子の書評を中心としたエッセイ集『博士の本棚』(新潮社、二〇〇七年七月二五日)。上手なエッセイを書く小説家だ。いろいろ参考になる意見がちりばめられている。例えば、村上春樹と柴田元幸の対談『翻訳夜話』(文藝春秋、二〇〇〇年)を評したくだりで次のように書いている。

カーヴァーの『COLLECTORS』とオースターの『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』を、お二人がそれぞれに訳した章は、大きな手掛かりを与えてくれる。同じ小説の二種類の訳を読むと、いかに翻訳者が注意深く自己の息をひそませ、作者の声に耳を澄ませているかが伝わってくる。当然、言葉の選択やつながり、文章の切り返しは違っているのに、決して揺らぐことのない、あらゆる差異にも損なわれることのない共通の響き、つまりはうねりが存在しているのである。》(「翻訳者は妖精だ」初出『波』二〇〇〇年一二月号)

翻訳は可能か? という永年の疑問に対するひとつの答えになり得るかもしれない。また、それは小川自身のフランス語の翻訳者に対して感じた印象につながる。村上春樹の発言から「親密で個人的なトンネル」を引きながらこう書く。

フランス人翻訳者との間に通じた温かみは、たぶんこのトンネルを伝ってきたに違いない。トンネルを堀り、物語を探索した向こう側に、書き手である私がいる。私たちは誰にも邪魔できない、二人だけの秘密の通路を共有し合うことになる。

小川の翻訳に当っているのはローズ・マリー・マキノという女性である。二〇〇〇年の六月、小川はパリの版元アクト・シュッドを訪れたとき彼女との間に《同じ作品を共有する書き手同士である》ことを感じた。これが良き翻訳のカギなのである。

ACTES SUD は先日触れた吉村昭の『La jeune fille suppliciée sur une étagère(少女架刑)』(ACTES SUD, 2002)の版元でもあり、フランスの文学系出版社のなかでは目立った存在。小川はパリのサンジェルマン・デプレ教会の近くにある編集室を訪れてこういう感想を持った。

静かな建物だった。緑の美しい中庭に面した部屋は、どこも本や印刷物が無造作に積み上げられ、壁には雑誌の切り抜きがペタペタと貼られていた。ものを作り出そうとする活気と、文学に対する思索的な雰囲気の、両方にあふれた空間だった。
 仏訳が出版されるたび本を送ってもらい、書評が出ればどんな小さな記事でもコピーを送ってもらい、ACTES SUD とはもう馴染みになっているつもりでいた。ただ日本にいる間は、自分の作品が遠いフランスで本になっているという実感を、どうしても持てなかった。ところが、編集室に一歩足を踏み入れた途端、リアルな安堵感を覚えた。テーブルの端に置き忘れたコーヒーの紙コップや、電気スタンドの笠にクリップで留めた黄色いメモ用紙や、そんな何気ない一つ一つが、私の小説のために人々が真摯に働いてくれている、証拠のように思えた。》(「パリの五日間」初出は『群像』二〇〇〇年九月号)

これも共感ということなのであろう。ただ、デプレ教会の近くにアクト・シュッドなんかあったっけ? と思って、今、調べてみると、パリ編集部(本拠地は南仏のアルル)は同じ六区ながらセギュイエ通り(18, rue Séguier)へ移転しているようだ。

「続・喫茶店の時代」に入れたい回想もある。早稲田大学第一文学部文芸専修に入ったころ。

大学に進んですぐ、文芸関係のサークルに入り、週に一度読書会を開くようになった。その第一回目のテキストが『死者の奢り』だった。高田馬場のルノアールで、七、八人がそれぞれに新潮文庫を持ち、小さな声でも聞き取れるようできるだけ身体を近づけ合って、三時間近く議論した。

新入生としての緊張と、ルノアールの柔らかすぎる椅子のせいで疲れきり、わたしは早く終わらないかとそればかり考えていた。ようやくお開きになる雰囲気が見え始めた時、先輩の女子学生がつぶやいた。
「わたしはもっと、徒労感にこだわりたいのよね。」
 そこからまた延々と読書会は続いていった。おしまいには、文庫本は表紙が汗で反り返っていた。

う〜む、ルノアールも迷惑だったろうなあ……。





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by sumus2013 | 2017-10-10 20:49 | 古書日録 | Comments(0)