林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:古書日録( 712 )

同心草第十号

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『同心草』第十号(同心草舎、一九二六年一一月一七日)。編輯並発行者=代道夏二/大阪市住吉区天王寺町六一二 高羽貞夫。執筆者を挙げておく。木水彌三郎、北富三郎、坂梨旅人、寺澤文子、馬淵さち子、島田とし、杜人、佐々木ウタコ、代道夏二、梶田末子、尾形渓二郎、音見昌夫。そして版画が高羽貞敏、鷲尾吾一、凸版が北富三郎。

発行者の高羽貞夫は歌人のようだ。以下の著書がある。

『昼の月』(同心草舎 1929)
『新選現代短歌抄』(裕文館書店 1942
『御歴代御製謹抄』(裕文館書店 1943)
『同心草 第1』(同心艸舎 1953)
『月下 歌集』(同心艸舎 1953)

木水は生田耕作による再発見で知られるが、下記のような詩人。

木水彌三郎さんがいた

北富三郎は挿絵画家として活躍していたようである。版画の作者二人のうち鷲尾吾一はこんな絵本も描いていた。

絵本「ヒカウキ」鷲尾吾一画/綱島草夫文 綱島書店 昭和16年

高羽貞敏の版画がなかなかいい。名前からして高羽貞夫の兄弟か一族だろうが、何もヒットしないところを見ると早世したのか?

「後記」に『同心草』を置いてくれている所として下記の店舗が挙がっている。

 柳屋
 新生堂
 三木書店
 波屋
 北村書店
 今井書店

また《わが友音見昌夫、奥田俊郎、児玉笛麿、加藤雄也の四人が同人となつて文芸雑誌『椎の木』を十一月初旬に出す。》ともある。これは第一次『椎の木』である。

なお雑誌名「同心草」は唐詩からとったと思われる。薛濤(せつとう)「春望詞四首 其三」。

 風花日將老
 佳期猶渺渺
 不結同心人
 空結同心草

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高羽貞敏


この雑誌は今年の古本買い初め。ひいきにしている某店にて。資料を熱心に見ていると、七十代くらいの男性が声をかけてきた。
「建築やインテリアの本はどの辺りです?」
小生、誰が見ても客にしか見えないと思うのだが、まあ、いいや。
「あちらで訊いてください」
と答えるとご主人がレジから出てきて「このへんとこのへんですかねえ」などと説明しはじめた。男性はそれだけかというような軽い落胆の様子だったが、おやッという感じで一冊の古い函入の本を引き抜いてこう言った。
「これ、僕が出版したんですよ」
「へえ、そうなんですか!」
と驚いてみせる店主。値段を確かめた男性は
「余所の店では一万五千円くらいはついてるけどなあ……」
ちょっとだけ心外そうな声で。
「それなら一万五千円にしときましょか」
とぼけた店主の答えに聞き耳を立てているこちらは内心苦笑。
「ネットではもっとしているときもあるんだけどねえ」
などとブツブツつぶやきながら男性はたち去った。

入れ違いに二十代前半と思われるカップルが入って来た。男性が誘ったようだった。その彼氏は入ってくるなり
「いい匂いだなあ」
とつぶやいて、女子の方に同意を求めた。
「そうだろ?」
女子は納得したような表情ではなかったが、かるくうなずいたようにも見えた。二人は中央の棚をぐるっと回り、古書の匂いを嗅いだだけ、ものの三分と居らずに出て行った。

「いろんなお客さんが来ますね…」
支払いをしながら話しかけると、店主は軽く微笑んだ。


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by sumus2013 | 2017-01-14 21:19 | 古書日録 | Comments(0)

新語新知識付常識辞典

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『新語新知識付常識辞典』(大日本雄弁会講談社、一九三四年一月一日)キング新年号別冊付録。質問・回答形式で新しい言葉を説明している辞典。問答のない用語解説欄も充実している。某氏より恵投いただいた。深謝。

八十年以上を経ていまだに生きつづけている言葉もあれば、意味が変った言葉もあり、とっくに死語となっているものもある。言葉すなわち歴史である。

生きている言葉は多いので省略して死語について。たとえば【フーピー】、馬鹿騒ぎ・乱痴気騒ぎのことで《近頃盛んに使われる》としているが(米国映画「フーピー」に由来)、さすがにもう使われていないだろう。もうひとつ「パリ」というのも聞き慣れない。

《【パリ】素晴らしい。『パリだ』、『パリなスタイル』という風に。花の都パリから出た言葉。》

ひょっとして「パリッとしている」のパリって擬音語かと勝手に思い込んでいたのだが(ヤフー知恵袋では擬態語説)、このパリからかも?

【O・S】古臭い姿、オールド・スタイルから。『あいつと来たら、ちつともゆうづうが利かないんだ』『O・S人種だからね』というふうに使うのだとか。「OB」はまだ使われるかもしれないが「O・S」というのは知らなかった。

【山猫会社】これも初耳。インチキ会社のこと。かつてアメリカに《山猫の会社を起こしたい。山猫の皮は使ひ道が多い。山猫を飼ふには鼠を飼へばよい。鼠は矢鱈に殖える。その鼠の食物には猫の皮を剥いだ後の臓腑をやればよい》というような広告を出した会社があったらしい。実際にはそううまく行く筈はないというところから。

【適齢期】、これは兵役や学業に適する年齢をいうものだったが、この時代には「結婚適齢期」という表現が使われ始めている。

【アップする】隠語で、強奪すること。……ホールド・アップですな。ブログをアップするというのとは少し違う。

【ルビつき】ルビとは振仮名のこと。転じて子供を背負うた女。

【ヌーボー式】つかみ處のない不得要領の人。……「ヌーボーとした」というような表現は聞いたことがあるが「式」がついていたのか。

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変らない(いや、もっとヒドくなっている)のはこちら。

《【問】日本で公債及び社債はどの位発行されて居りますか
【答】一口に公債と申します中には、国債と道府県市町村債の所謂地方債とがありますが、国債は昭和八年九月末現在で、外国債即ち外国で発行したものが十四億二千百二十一万一千円、内国債即ち内地で発行したものが五十九億八千四百四十九万一千円、合計して国債が七十四億五百七十万二千円》

《近年歳入不足の為政府は公債を増発するし、事業会社も事業拡張の為社債を相当繁く発行してゐますから、公債も社債も増加する一方です。》

昭和八年度の国家財政は二十二〜三億円規模のようだ。

2014年(平成26年)3月末の国債等残高は998兆円となっており、保有者の内訳は、金融仲介機関587兆円(構成比58.8 %)、一般政府・公的金融機関88兆円(8.9 %)、中央銀行201兆円(20.1 %)、国外84兆円(8.4 %)、家計21兆円(2.1 %)、その他17兆円(1.7 %)となっている。2014年(平成26年)3月末時点の日銀の日本国債保有残高は201兆円で、過去最高を更新しており、保有者に占める日銀の割合は20.1 %で最大の保有者となった》(ウィキ「日本国債」より)

今、日本の国家予算はおよそ100兆円(税収40兆円)。昭和八年などとは比較にならない借金地獄ではないのかな……。

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by sumus2013 | 2017-01-10 20:56 | 古書日録 | Comments(0)

詩集 瓔珞

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金田弘『詩集[瓔珞]』(書肆季節社、一九九四年一月一日、装画=坪田政彦、編輯=堀越洋一郎、装訂=政田岑生)を頂戴した。やはりひと味もふた味も違う。

《昨年の暑い夏、まだ私が『會津八一の眼光』を書きなやんで、悪戦苦闘してた時分のことだ。書肆季節社の政田岑生氏が揖保川のほとりの陋屋をたずねて来られると、いきなり私の旧著を出せ、と強要された。
 固辞したが、それでも許さぬという。押しこみ強盗が可憐な乙女を恫唱するがごとき風情である。やむなく、若い日に羊歯三郎とHALF&HALFの名で出した詩集『かるそん』を復刻していただくことにした。
 これが出来上がると、今度はさらに、旧稿をすべて差し出せと迫る。あわれ、ふたたび落花狼藉の次第となったのが、今回の詩集である。むろん凌辱のなに得もいえぬ恍惚の生じたるところも正直に告白せねばなるまい。》(後書)

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カバーの折りが一風変わっている。見返しと同じ種類の紙なのだが、ふつうはもっと厚手のものを一枚で使うところ、薄めの紙の長辺を深く折返して(ようするに厚みを倍にして)使用している。これは真似したくなる仕立てではある。

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口絵に坪田政彦のオリジナル銅版画。書肆季節社にはしばしば見られる手法。版画用紙ではなく敢えてパミスという書籍用の上質紙を使ったところもヒネリが利いている。

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扉の組み。この文字の大小の取り合わせの感覚は政田岑生ならでは。

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目次。漢数字を使っているのが珍しいかもしれない。

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本文組み。天のスペースを極端に詰めてあるのに「おお」と思う。ときおり見かけるスタイルだが、普通はもう少し下に配置するだろう。

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そして一九五〇年代の詩については上のような一風変わった組み方をしている。元の詩が横書きだったためだろうか。あえてタイトル縦組、本文横組という変則な手段に出た。これもいつか真似したい手法である。

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著書目録、奥付、そして正誤表。奥付によれば印刷は東洋紙業高速印刷株式会社による。オフセットだろうが、文字も印刷もけっこう粗い。ワープロから出力したダイレクト印刷のような風合いである。東洋紙業高速印刷は昭和二十一年に東洋紙業の謄写印刷部門として発足し昭和六十一年(一九八六)には電子組版システムの全工程を完成したとホームページの沿革に出ている。政田は必ずしも活版にこだわっていたわけではないようだ。その意味でもたいへん興味深い詩集である。

関係者の方より印字に関して以下のような情報を頂戴した。

《[瓔珞]の本文等はOASYS 30で、ノンブルはMac+Apple Personal LaserWriter 300 で印字したものを東洋高速で面付して使っています。》


書肆季節社の註文はがき

鶴岡善久詩集『小詩篇』

政田岑生から竹村晃太郎に宛てた葉書

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by sumus2013 | 2017-01-09 20:40 | 古書日録 | Comments(0)

茶話抄

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薄田泣菫『茶話抄』(創元社、一九二八年一一月三日)。大正五年の春から長きにわたって大坂毎日新聞その他の媒体に連載された「茶話」は大正十三年に『随筆茶話』上下(大坂毎日新聞社)として刊行された他にも数多くの版が出ている。全八百十一篇。大正昭和にかけてきわめて人気の高かったエッセイだ。

本書は『随筆茶話』上下四百四十七篇(本書では『茶話全集』としている)から一百五十四篇を選んで著者みずから校正したもの(後書きおよびウィキによる)。かなり前に創元文庫で読んだ記憶があるが、和・英・米(本書には中国の話は少ない)の人物伝から逸話のようなこぼれ話のような内容を博捜してウィットの効いたサゲをつけている。それぞれの一篇も短く、ちょいと読めてクスリとかニヤリとかできる仕掛けである。出典も記されていないしどこまで本当なのか眉唾なところがまたいいのかもしれない。

青空文庫でも読めるので引用は最小限にしておく。水戸藩士・藤田東湖の酒好きなどについて語った「食べ方」。

《藤田東湖は貧乏だつたから、酒の好いのが何よりも好物であつた。(内證で言つておくが、すべて富豪といふものは、貧乏人とは反対に、酒のよくないのを好くものなのだ。)で、その良い酒を飲みたいばかりに、頼まれると、蕎麦屋の看板だの石塔だのを平気で書いた。書の相場は酒を標準に、一本一升といふ事に極めていた。
 東湖は酒徳利を座敷の本箱の中へこつそり忍ばせておいて、箱の蓋には生真面目に李白集と書いておいた。実際李白集があつたら、質に入れて酒に替へ兼ねない男だつた。》

泣菫の皮肉な口調がよく分る文章だと思う。蛇足ながら昔の本箱は縦長の木箱で前面に蓋が付いていた。よって徳利が入っていても外見では分らない。それにしても李白集とはさすが東湖。しゃれている。李白は稀代の酒飲みだった。

《年二十五、出遊して大江を下り、金陵(南京)揚州あたりを飲み歩き、一年とたたぬ中に三十余万金を散じて郷里に帰つた。後十年、再び出でて山西山東を遊歴し、任城(今の山東省済寧県)に家を寓し、孔巣父等六人と徂徠山に会して酒に耽り、竹渓六逸と称せられた》(青木正児『中華飲酒詩選』「李太白詩鈔」より)

これに一言も触れないのは泣菫の上手の手から酒がもれたかな……。

本書の組で「おやッ」と思ったのはノンブルの位置。天のノドに集めてある。そしてもうひとつ中黒の大きさ。下の頁ではベンヂヤミン・フランクリンの「・」が妙にでかい。

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こういうのを見ると古本て面白いと思うのである。

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by sumus2013 | 2017-01-06 21:10 | 古書日録 | Comments(0)

第八回東京国際版画ビエンナーレ展

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『第八回東京国際版画ビエンナーレ展』(東京国立近代美術館、一九七二年、デザイン=杉浦康平+辻修平ほか)の図録。学生時代、この展覧会のポスターを下宿に飾っていた。会期は一九七二年一一月から一二月にかけて東京で、京都展が翌年の二月から三月である。ということは展示期間中またはその前に入手したものではないようだ。どういう経緯だったか忘れてしまったが、とにかくムサビ一年のときに鷹ノ台の玉川上水に近い四畳半の下宿にこの表紙と同じ図柄のポスターがあったのは記憶に残っている。銀紙に蛍光色が非常に印象深く、こういう感覚のデザインも世の中には存在するんだなあ……というような驚きの目で毎日見ていた。その後引っ越しなどもあってポスターは田舎に持ち帰った。

郷里の本棚

昨年だったか、このポスターを郷里から取り出してきた。さすがに学生時代からなので状態がイマイチ(綺麗ならそれなりの値段になっているらしい)。

カタログの方は年末に神戸で開催されたトンカ書店と口笛文庫による冬の古本市で手に入れたもの(いい古書市だったなあ、来年もやって欲しい)。背や天地が少々すり切れている(いたみやすいカバー用紙なのだ)。だから安かった。見つけたときには「おお、これだ!」と声が出た。

掲載されている出品作家、日本人はまずまず知った名前が多いが、外国人作家となるとほとんど知らない。ざっと見ただけだが、ハミルトンとニーヴェルスンくらいか。世界と冠しているだけあってほぼ各国を網羅しているが、アフリカからは誰も選ばれておらずアラブ諸国も手薄だ。作風もいかにもヴァリエーションがあるようでいながら、どの作家にも共通する時代の色というものが感じられるように思われる。

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by sumus2013 | 2017-01-05 21:20 | 古書日録 | Comments(0)

若草

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『若草』第四巻第三号(寶文館、一九二八年三月一日、表紙=竹久夢二)。昨年、善行堂で求めた一冊。巻頭に【喫茶店の時代】に関する興味深い写真が出ていた。まずは《パリにありし日の足立源一郎氏夫妻/記者一日美術論をきく……》。足立源一郎は画家で「キャバレ・ヅ・パノン」を大坂道頓堀にオープンした人物。以前も紹介したことがある。

芳恵のモデル、その他

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美術論を聞いたのだから記事が出ているのかと思いきや、特段に何もそういったものはない。その代わり石川寅治の「不同舎時代」という回想があった。ついでだから少し引用しておく。不同舎は洋画家小山正太郎の画塾。

石川は明治二十四年の春、土佐から上京して入門した。初めは親戚の家に居たが、すぐに小山宅に起居するようになったという。研究生は三十人ほどで、ほとんどが学校の教師などであった。なかで一人だけ芸術で身を立てようと精進していたのが中村不折だった。

日清戦争が起こり、新聞や雑誌にはたくさんの挿絵が用いられるようになり、画家の仕事も非常に多くなってきた。そのおかげで親からの学資を断って自活できるようになった。それが上京五年目だそうだ。

《私が始めて、自分の絵によつて金を得たことは、展覧会で絵が売れたことは別として、リーダーの教科書の挿絵を描[か]きました。これは西洋木版の下絵であつて、度々書き直しをさせられて閉口したものです。それから、戦争が始つてからは戦争の絵など沢山描きまして可なりに収入を得ることが出来ました。この時代に最も痛快に感じたことは、満谷君と二人で京都へパノラマを描きに行つたことです。そのパノラマは絵の高さが六間、幅が五十三間と云ふ大物でしたが、それを一ヶ月で描上げる約束で若し一日でも延びたれば、延びた日数だけの罪金[ばつきん=ママ]をこちらから出すと云ふことであつたのですが私共二人は此の絵を二十五日で仕上げました。》

《当時天丼が五銭であつたのですが、そのパノラマの揮毫料として二千円、一人が千円つづを得た時、旅舎のランプの下で互に顔を見合はして悦に入つたものです。》

なかなか貴重な思い出話であろう。もう一枚はこちら《辻潤氏送別会/読売新聞海外文藝特置員として渡欧す。》言うまでもなく×印が辻潤である。

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こちらもとくに記事はないが、拙著『喫茶店の時代』によれば辻潤が辻一を伴ってパリへ出かけるにあたって歓送会が開かれたのは昭和三年、カフエ・ライオンにおいてであった。


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by sumus2013 | 2017-01-04 21:06 | 古書日録 | Comments(0)

東京のおせち

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吉田健一『私の食物誌』(中央公論社、一九七三年四版)。最近頂戴したのだが、たしか中公文庫で読んだ覚えがある。読売新聞連載に加筆、さらに未発表の食物随筆を加えた内容。あらためてあちらこちらを拾い読みしてみるとほろ酔いの吉田節が聞こえるようである。本はかなり凝った造りだ。残念ながら装幀者が誰なのか明記されていない。

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時節柄、「東京のおせち」から少し引用してみる。東京のおせちしか知らないと前置きがあってこう続ける。

《又それだけでもなくて東京の澄し汁で餅と菜っ葉だけの雑煮が餅の味を生かすのに最も適している感じがするならばそれと食べるおせちも芋と人参と牛蒡[ごぼう]と蒟蒻[こんにやく]と焼き豆腐しか入れない東京のが一番合っていると今でも思っている。》

《それに入れても入れなくても構わないものは凡て省き、その代りに入れたものの味はどれも生かすことを心掛けてその総和であるとともにそれだけに止らない何か一つのものを作り出すということで、その例に挙げられるのが東京風のおせちである。》

どうもこじつけがましいけれど、まあ、それは生まれた土地の料理がいちばんだと思うのも人情であるから、よしとしよう。むろんそんなおせちを作るのは吉田その人ではない。

《やはり食いしんぼうが仕合せに暮す為には誰かその家に料理が出来るものが一人いることが必要のようである。》

そして結びはつぎのように落ち着く。

《兎に角、正月に他のものよりも早く起きて既に出来上ったこのおせちを肴に同じく大晦日の晩から屠蘇散の袋が浸してある酒を飲んでいる時の気分と言ったらない。それはほのぼのでも染みじみでもなくてただいいものなので、もし一年の計が元旦にあるならばこの気分で一年を過ごすことを願うのは人間である所以に適っている。その証拠にそうしているうちに又眠たくなり、それで寝るのもいい。》

正月は朝からおおっぴらに酒が呑める、それが何より……というわけなのだ。

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by sumus2013 | 2017-01-02 21:21 | 古書日録 | Comments(0)

銀座百点

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『銀座百点』NO.746(銀座百店会、二〇一七年一月一日、表紙・アートディレクション=クラフト・エヴィング商會)。表紙の文字に佐野繁次郎が復活した!


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by sumus2013 | 2017-01-02 17:45 | 古書日録 | Comments(0)

新収レッテル

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本年もご愛読ありがとうございました。


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by sumus2013 | 2016-12-31 21:14 | 古書日録 | Comments(0)

古書彷徨

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青山毅『古書彷徨』(五月書房、一九八九年三月二七日)読了。著者は《一九四〇年、千葉県生まれ。近代文学、書誌学専攻。日本近代文学館、日外アソシエーツ、四国女子大学助教授を歴任。/著書『総てが蒐書に始まる』(1985)、編著『高見順書目』(1969)などの他、『平野謙全集』『小熊秀雄全集』『島尾敏雄全集』『吉行淳之介全集』の書誌、解題などを担当。》(著者略歴より)

書物や資料とともに生きた著者だけに古書好きには深く頷くことの多い内容だと思う。

《一体、私は何冊の蔵書を持っているのであろうか。それは蔵書家の誰もが思うことである。しかし、自分の蔵書を完全に把握している者は、まず皆無であるといってもよいであろう。
 私の場合、家には九十センチ幅の書棚が、約二百六十段ある。徳島へ持って来た資料は、梨函の段ボール百函分丁度であった。梨函に本をいれると、A5判の本が丁度九十センチ分入る。九十センチ分が百函であるから、我が家の書庫には、三百六十段分の資料があったことになる。図書館学的にいえば、一冊の本の平均の厚さは三センチである。ということは一段が三十冊、その三百六十倍であるから、結果は一万八百冊ということになるのであるが、実際に三センチある厚さの本は少ないものである。五ミリに達しない本も多数ある。おそらく、私の蔵書数は、軽く二万冊を越えるであろう。二万冊で済めば、よい方である。》(資料の山)

文芸評論家磯田光一についての回想も興味深い。著者は右文書院に関係していたころ磯田と知り合った。日本近代文学館で編集部に移ったときに磯田の担当になり、自宅を訪ねるようになる。

《磯田氏は、また無類の本好きでもあった。その日、私を氏の家の本のおいてある総ての部屋を案内してくださり、荷風の『腕くらべ』や『墨[サンズイ付]東綺譚』の私家版など、次々と私の前にさし出されるのである。それらの資料が磯田文学の根源となっているのであるが、神田の古本屋さんから磯田氏の蒐集ぶりをきいているだけに、その実物を、それも稀覯本ともいえる書物を次々にさし出される磯田氏の態度は、今になって考えると、それは私にとって感動的なものとなっている。
 その日、磯田氏は手土産として「文学史の鎖国と開国」三十一枚の原稿を、私にくださった。》(磯田光一の本)

また高見順も凄い。

《高見順の所蔵していた資料は、幸いなことに日本近代文学館に寄贈されたので、私はその総てに目を通す機会にめぐまれた。おびただしい数々の古雑誌、その多くはこの『昭和文学盛衰史』のもととなったものである。
 高見順旧蔵書のうち、雑誌だけは氏の生前に文学館に寄贈された。昭和三十九年五月の晴れた日であったが、氏が丁度自宅で療養していた日である。「死の淵より」の校正をしていた日であって、大久保房男氏が訪ずれていた。そういうなかで、私達は美術運送の職員と、一日がかりで高見順旧蔵雑誌二万五千冊を、北鎌倉から上野まで運んだのである。それがもととなって、その年の十一月、国会図書館上野分館に日本近代文学館文庫が開設されたのである。》(高見順『昭和文学盛衰史』)

「岡崎屋書店『発売図書目録』」は明治三十六年発行の出版目録についての紹介。著者はここで古書目録を含む目録の重要性に言及している(初出は『図書新聞」610号、一九八八年九月)。

《公共図書館のどこにいっても、目録類は図書として扱われていないであろう。
 こん日刊行されている新刊目録、あるいは古書目録、そられを一箇所でまとめて公開する機関をつくることは、困難なことであろうか。岡崎屋書店の『発売図書目録』をみながら、ついつい夢を記した次第である。》岡崎屋書店『発売図書目録』)

一箇所でまとめてというのはともかく、昨今では千代田図書館のように古書目録の類を蒐集対象とする図書館は増えているのではないだろうか。

【関連リンク】
四千種集めた古書目録コレクター呉峯とは?

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by sumus2013 | 2016-12-31 21:11 | 古書日録 | Comments(0)