林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:古書日録( 712 )

長崎夜話草

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西川如見『町人嚢・百姓嚢・長崎夜話草』(岩波文庫、一九四三年九月一〇日二刷)。「長崎夜話草」はじつに面白い。長崎における外国船との交流史が語られているのだが、徳川時代を通じて昨今の状況とはまた別の意味でスリルに満ちた外国との折衝が絶えず続いていたことを知った。

長崎へ黒船が初めて入津したのは元亀元年(一五七〇)、それ以来毎年のように来津しそれなりに互に繁栄を享受していた。しかしおよそ五十年を経て、島原の乱(寛永十四;一六三六)が勃発、鎮圧にてこずった幕府は叛乱をバックアップしていたポルトガル船を来航禁止とし(寛永十六;一六三九)オランダ人を出島に移した(寛永十八;一六四一)。

寛永十二年(一六三五)には《日本異国渡海の船御停止》があった。

《長崎より御免許の御朱印給はりて、年々異国へ渡海せし船も留りぬ。長崎より渡海の船五艘は、末次氏二艘、舟本氏一艘、糸屋一艘なり。泉州堺・伊予屋船一艘、京都船三艘は、茶屋角倉伏見屋なり。三所の船合せて九艘の外、他所よりは渡海なし。いづれも皆長崎にて唐船造りの大船に作りて皆長崎の津より出帆す。此時も大明には往事なし。東京[とんきん]・交趾[かうち]・塔伽沙古[たかさご]・呂宋[ろそん]・亜媽港[あまかわ]・柬埔寨[かばうちや]・暹羅[しやむ]等の外国へ往来せしなり。》

中国(明)では倭寇以来日本船は禁止されていたため大内氏の勘合船の外には中国の港へ入る船はなかった。渡海禁止の次には蛮人(ポルトガル人)の子孫二百八十七人を阿媽港に追放とした。寛永十三年(一六三六)。

《たとえば母日本の種ねにて父蛮人の血脈なれば勿論なり。父日本にて母蛮人の血脈なれば、即母のみつかはして子は留む。或は父放されて子は留り、或は子放たれて母とゞまり、母放されて子留る。兄行て弟留り、弟行て兄止る。夫妻相分れ、姉妹相離るゝありさま、町[繰返記号]戸々の悲しみ、いかなるむくつけきあら夷も袖しぼらぬはなかりし。》

寛永十六年(一六三九)さらに続いて平戸・長崎に済んでいた紅毛血脈のともがら十一人を咬𠺕吧[じやがたら]へ追放にした。

《其中に、長崎何れの町の女人、父は紅毛人にて、母方のよしみあるが本に養はれ居たるに、此年十四歳なるを咬𠺕吧へながされたり。此女、顔かたちいとうるはしく、手習ひ常に草紙などならいて、さかしきこゝろばへなりしが、かゝる所に放たれつゝ、何のゆかりもなき程にて、明くれ故郷へ帰らん事を神に仏に祈りつゝ年月を送りしが、かくてひとりありはてぬべきよすがなければ、命の露のよるべをもとめて、もろこし人の妻となりてぞありける。此国には唐土人も多く居住して、又年ごとに日本へ来る唐船もあれば、其便に文おこせしもあり。見る人涙おとさぬはなし。》

この時代からハーフの娘はタレント性をもっていたのだなあ。西川如見の家業は鍛冶業・鉄器販売だったそうだが、天文暦数にも通じてその方面の著書は数多い。享保九年(一七二四)歿、七十七歳。ヨーロッパ事情にもそれなりに通じていたことが本書からでもうかがわれるように思う。

日本では移民の追放や不法な侵入を防ぐために「壁」を作る必要はないが(作れないし、不審船の打ち払いさえできかねている)「フード・インク」(2008)というアメリカのドキュメンタリー映画を見ていると、メキシコ国境に壁を建設するにいたったからくりの一面が分ったような気がした。

アメリカでは肉牛を育てるためにコーンだけを食べさせる。そうすれば牛は早く大きく育つ。そして大量の肉牛を育てるため大量に生産したコーンを今度は国内だけでなく外国、とくにコーン消費国であるメキシコへ輸出する。そのために関税を取り払ったのである。するとメキシコ国内のコーン栽培は安価な米国産によって淘汰されてしまい多数のコーン農民が失業した。彼らは安い労働力としてアメリカ本土へ出稼ぎに行くしか道はなかった……一石二鳥とはこのことだが、大国(大企業)のエゴもいいところである。それにはおまけまであった。コーンだけを食べさせた牛の腸内で大腸菌に突然変異が生じたのである。それが例の人にも害をおよぼす大腸菌O-157なのだった。トランプは先人がでっちあげたこのシステムを昔の状態に戻そうとしている。ある意味、あんたは偉い…かも。

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by sumus2013 | 2017-01-29 21:09 | 古書日録 | Comments(0)

集古

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『集古』己巳[つちのとみ]第二号(集古会、一九二九年二月二八日)。編集発行人=木村捨三(東京市外淀橋町柏木九百九十番地)。あとがきは竹清こと三村清三郎。

森銑三は五弓久文『古今著述標目』という写本について書いている。そのなかに讃岐の十河節堂という篆刻家の紹介が引用されていて興味深いものがあった。ただ、ここでは黒井恕堂という人の「日本の古語に就いて」の内容をざっと紹介しておきたい。日本語における梵語(サンスクリット語)の影響について考察している。

《古事記や書記[ママ]に現はれて居る古代の言語が多く梵語と一致して居る点が仲々多いので、ます[繰返記号]研究の歩を進めてみると驚くほどある。然るに日本では国学者でも或は考古家でも梵語の知識を持つものが居ないので少しも説明して居ない。》

と慨嘆しつつ実例を挙げている。その単語だけ拾っておく。

注連縄(シメナハ)
シメ『或る範囲に限つて境界を立てること』
ナハ『凱旋して歓び勇むこと』

案山子(カゝシ)=山田之曾富謄(ヤマダノソボト)
ヤマ『道』
ダノ『辺』
ソホド『詐欺を巧むもの』
すなわち『道のほとりの詐欺者』

八色雷公(ヤクサノイカヅチ)
ヤクシヤ『霊魂』
イカシヤチ『景、姿』
すなわち『霊魂の姿』

神籬(ヒモロキ)
ヒモロギ『寒い茅屋、洞穴』

鍛冶(カヌチ)
カーナチ『鉄』

鐘之矛(カナキ)
サーナキ『鐘の舌、槍』

倉(クラ)
ガラ『穀倉』

枕(マクラ)
マカラ『頭被ひ、頭飾り』

更紗(サラサ)
サラサ『美麗』

一読、おいおいと思ったが(なにしろ発音の差異を無視しているので)梵語が分らない者には何とも判断のしようがない。ちょっと検索してみると現代でも古事記と梵語を結びつける書物はあるようだ。ただしそれをトンデモ本と一蹴しているサイトもある。

梵語俗説(3)・二宮陸雄の古事記梵語説

《国語学や中国語の音韻学上の検討を一切抜きで、「カム」=kama(ヴィシュヌ)……などとしちゃっていいの?》と書かれていて、やっぱりそうだよね、と同感したしだい。

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by sumus2013 | 2017-01-27 20:50 | 古書日録 | Comments(0)

ランボー若者の歓び

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Rimbaud, Arthur
PLAISIRS DU JEUNE ÂGE. 7 DESSINS MANUSCRITS AUTOGRAPHES.
[1865.]
Estimate 100,000 — 150,000 EUR


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Rimbaud, Arthur
LA RIVIERE DE CASSIS. [PEUT-ÊTRE JUIN OU DÉBUT JUILLET 1872].
POÈME AUTOGRAPHE.
Estimate 200,000 — 300,000 EUR


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Rimbaud, Arthur
[REÇU DU HARAR ADRESSÉ À ARMAND SAVOURÉ,
POUR LE COMPTE DU ROI MÉNÉLIK II].
HARAR, 23 JUIN 1889.
Estimate 30,000 — 40,000 EUR



牛津先生よりお教えいただいた、二月八日に行われるサザビーズ・パリの書籍・自筆物(LIVRES ET MANUSCRITS)オークションに出品されているランボーのカリカチュアや詩の原稿、手紙より三点。lot.86,88,89


カリカチュアは十歳のときのノートの一葉らしい。裏面にも描かれていて七図あるそうだ。右下「農業」のところにランボーのサインが見える。しかし、さすがのエスティメートである。


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by sumus2013 | 2017-01-26 20:51 | 古書日録 | Comments(0)

書痴銘々伝

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高橋邦太郎『古通豆本59 書痴銘々伝』(日本古書通信社、一九八三年五月二〇日)。まずは著者が自身について語った「乱雑も秩序」から一部引用してみる。

《ぼくは本が好きで、少し集めているが、美本、希少本などを買い漁る者ではない。そんな金もなければヒマもないからである。
 関東大震災で、若干の本を焼いてしまったから、しばらく買うことをやめていたが、フランス関係のものは入手しなければならないので、なけなしの金で少しずつ集めたが、本箱を買うのを倹約して、茶箱でガマンしたり、じかに積み上げたりしていたら、ついに狭くて古い家は本の重みで傾きだした。しかし、家を直す費用も惜しいから曲がったままにしてうっちゃって置いている。》

《書斎はもちろん、玄関、その脇の二畳、うら手の半坪の書庫に入り切らない本が畳の上に小汚く積んであり、他人に手をつけられるとわからなくなるから、じぶんで整理することにはしているが、一度、整理するつもりでかかってもすぐ、また、手近かなやつを読み出すと、もうそれで万事終ってしまう。
 つまり、前と同じ乱雑さに戻ってしまうのである。といったところで自分の本だからどこに何があるかは見当はついている。無秩序ながらじぶん自身の秩序がある。
 他人に見せて自慢するほどのもののありようはないが、幕末から明治初年にかけての日本で刊行されたフランス語学習書は大半集めえた。》

《このほか、フランスに関するもの、とくにパリ関係のものは二回の滞仏及びインドシナ・サイゴン放送局長在勤との間を含めて若干集められた。とりわけ、地図は十八世紀半ばのゴンクールの美術品売立カタログが手に入った。しかも、パリでは相当さがしたがとうとう買えなかったものが、いながらに求められたのだから、朝日(四月二十四日号朝刊)に八木福次郎さんが書いているように古本では東京は、ロンドン、パリ、ハーグなどとくらべても優るとも劣ることはないのはたしかである。(昭和三七・五)》

標題作の「書痴銘々伝」では渡辺一夫、植草甚一、相磯凌霜について語られている。それぞれの描写からさわりだけを引き写しておこう。まずは渡辺一夫(渡邊一夫)。学生時代から知っていた。

《卒業後、余り会ったことはなかったが、巴里遊学も、時を同じくしたので数回かの地でも、ヒョッコリ出会ったことがある。その時いつでも話は、巴里で掘り出した珍本についてであった。勿論、語り手は一夫君であって、こちらはいつも聞き手であった。専門とするラブレー関係は申すに及ばず、民俗学その他百般にわたったもので、古本屋についてもドロスその他数十軒の所在、その特色などで、まことに書を好むこと色に於けるとひとしく、ただただ私はその熱心さに言葉もなく恐れ入っているばかりだった。》

植草甚一についてはこうである。文中、鳥打帽とあるのが注目すべきところか。

《最近では、平河町の新宅(といっても、本ばかり買っている彼にお金のある筈はないので、姉さんの建てた家)に収って、好きなウイスキーでもチビチビなめながら読書三昧に耽っているのが彼の天国なのであろう。町の中で出会う彼のいでたちは、余り立派でない背広に、小さな鳥打帽をかぶり、身体の二倍もあろうと思われるほど大きなカバンを下げている。このカバンの中が、また大変で、近頃、手に入れた本や、雑誌がギッシリ詰めこまれ、これを一冊一冊出してみせるのである。
「いかにして、この本のあることを知ったか」
「いかに、この本を手に入れるのに苦心したか」
「どこが面白いか」
「著者の経歴は、こうである」
 等々等々、実に事こまかに語り出す彼の顔はいかに喜びに輝いていることであるか。》

《彼に聞けば、東京、横浜の洋書を取扱う古本屋は、どんなへんぴなところでも立ち所に教えてくれるし、どの棚にどんな本があるかを告げてくれる便利千万な生字引なのである。
 その上、江戸ッ子で、他人の困っているのは見過ごせないたちだから「こんな本がなくて参った」と聞くと、その場では黙ってきいているが、いつか手に入れて姿を現し「これがありました」とさりげなく渡して去るのが道楽である。》

そして晩年の永井荷風と親しく交わりその日記にも随所に登場している相磯凌霜について。幕末の書画尺牘を多く蒐集していた。

《抱一の句集『屠龍の技』を先生が借覧したのもまた相磯さんである。
 わたくしは、旧新嘗祭の夜、池上の邸に参上してこの一巻を見せて貰ったが、いささかいたんだ冊子は、某製本師によって巧みに修覆され、ありし日の俤をしのばせるのに十分であったが、鵬斎の序文は荷風先生が特に写したもので、題また先生の筆になる。世の好事家をして垂涎さしむべき逸品である。
 更に相磯さんはこんなものだけではない。実に各種各様で、文芸倶楽部を創刊号から終刊号まで、ほとんどすべてを持っておられる。
 そうかと思うと、荷風先生の「為永春水」の稿本も秘蔵するところとなっている。
 わたくしは、ただ、本が好きであるだけ、もしくは、沢山本を買いためて置くだけでは書痴とはいえないーーと書いた。
 この点、無用の書をあつめ、これを愛すること人に超えてこそ、この資格があると考える。こう考えて来ると、凌霜さんは、どうしても銘々伝に欠くことの出来ない人になって来る。》

高橋邦太郎はこの本の出た翌年、一九八四年二月二十五日に歿している。

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by sumus2013 | 2017-01-25 20:48 | 古書日録 | Comments(0)

向日庵消息・現物

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およそ二年前にこれらのコピーを紹介したのだが、今回は現物を某氏より頂戴した。やはりこの手漉きの紙の質感にはしびれる。

上がすでに紹介した「第二信」。そして次が「第九信」。

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前回は他に第四信も紹介した。今回はそれ以外に「向日庵私版刊行書目録」二種類を加える。

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一枚は昭和十一年三月現在。裏面は『書物』の広告。『書物』にはコブデン・サンダスン『完全な書物』とエリック・ギル『書物』と寿岳文章『装本について』が収められているようだが、その文章より抜粋してみる。

《身近くにあるものほど疎かにされやすい。書物は人間の生活になくてならぬものでありながら、實利をのみめざして作られるためか、作る者からも讀む者からもひどく粗末にされ、従つてひどく醜いものになつてしまつた。》

《書物とはかくあるべきものだとの批評の標準が、著者や出版者や讀者に今少し本格的に理解され自覺されたならば、恰もモリスの事業が今世紀に入つて欧米各國の書物を高め美しくしたやうに、わが國の出版物も工藝的に多少の向上を示すのではなからうか。》

《昨年私は思ひきつて英國の古書肆からコブデン・サンダスンの書物論を購入した。殘るは美しい活字創案鋳造する問題であるが、これは尚數年の労苦を待ち多大の資金を得ずば實現されないであらう。しかも時は猶豫なく過ぎる。私は遂に意を決し、現在あるがままの活字をできるだけ美しく活かすことをせめてもの慰めとし、他は私の理解と愛の及ぶ限り最良の材料を最も質素に用ひて上記の書物を造つた。》

『書物』は二百部印行。本文紙は岩手産の手漉雁皮紙、一番から五十番までが犢皮装本で十二円。五十一番から二百番までが丹念紙装本で五円の頒価である。《著者や出版者や讀者に今少し本格的に理解され》たらと歎くわりにはこれではほとんど誰の目にも触れない単なる趣味本ではなかろうか。

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もう一枚は昭和十一年十二月現在。三月の目録で近刊『絵本ドンキホオテ』と記載されていたのが『絵本どんきほうて』となって刊行を見た。説明文によれば寿岳と親しいボストンの実業家カール・ケラーは「ドン・キホウテ」の蒐集家で、その《お爺さん》を喜ばせるために芹沢銈介によるオリジナルの挿絵を入れた『絵本ドンキホオテ』を製作したという。

《私は早速見本刷をケラーに送つた。さすがのお爺さんもこれには驚嘆し、東洋美術に明るいフォッグ美術館のウォーナア博士に見せたところ、ウォーナアも悉く感心してすばらしい傑作と折紙をつけたので、早く實物をよこせと矢の催促である。書物道から見て古來「ドン・キホウテ」の刊本や挿絵には秀れたものも尠くはないが、この、微塵も洋臭を留めずに和國の武者となりすましたドン・キホウテの繪本こそは、世界のあらゆる「ドン・キホウテ」刊本中の逸物となるであらう。折角の企てゆゑ、原版をフォッグ美術館へ納める前に、ケラーの領會を得て五十部を限り開版し、同好の士に頒つことにした。内外の所望既に多く、豫定の部數はもはや幾らも殘されてゐない。御希望の方は至急申し込んでいただきたい。》

送料共三十円……。今となっては安い買物ではあるが……。


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by sumus2013 | 2017-01-23 20:55 | 古書日録 | Comments(2)

文藝と共に

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中島健蔵『文藝と共に』(青木書店、一九四二年九月一五日、装幀=草狗舐骨)。渡邊一夫の装幀本である。あとがきによれば編集も渡邊が行った。

《中島健蔵君が今日出海君の後を追ふやうにして、公事の為南溟へ旅立つた。われらの仲間[ルビ=ノートル・エキープ]の調整と舵手とを一時に失つたやうな気持であるが、雄叫びの声も勇ましく伸び行くわが国の為に、われらの仲間[ルビ=ノートル・エキープ]の者がお役に立つことこそわれ[繰返記号]本来の念願である以上、両君の門出はむしろわれ[繰返記号]の名誉と心得る。》(編輯後記)

編輯はもちろん本書の標題も渡邊が付けた。フランス文学に関する評論、絵画批評、一般の文学問題に関する小論の三つの章立てになっている。ざっと見たところ絵画批評が案外面白い。美術専門の評論家とは違った視点で展覧会などについての感想を述べている。健全な見方だと思う。一例を挙げる。「絵画と共に」の五、紀元二千六百年奉祝美術展覧会のくだり。

《嘗てオリンピック大会が東京で催されるはずであつた時、深田久弥の発言で、その中の一部門であつた芸術競技を拡充し、盛大な芸術祭を行ひたいといふ話があつた。勿論オリンピックと共に流れたが、二千六百年記念の様々の催しの中、芸能際といふものが行はれてゐる。私は心ひそかに、何故それを芸術祭としないかと、不審に思つた一人であつた。》

《第一部は、大きさの制限もあり、いかにもそろつた感じであるが、見ながら私は自分が素人であることをいよいよ深く感じた次第である。といふわけは、何の成心もなく見ながら、結局、安井、梅原両氏の作が一番足を弾きとめたからである。此の二人の画家に感心するといふことは、いはば定跡である。私は、その定跡が破れるか否かを考へながら会場を二巡した。しかし結局、それに屈服するほかなかつた。》

《第二部の日本画と工芸は、その公開初日に見た。何ともいへぬ困惑である。》

《第一部を見た時以上に、私は憂鬱になつて来た。日本画の方は大きさの制限がない。かなり大きな作品がある。然り、驚くべき大きな作品がある。
 横山大観の芸術に対しては私も決して盲目ではないつもりでいる。もつとも大観のものもそれほど多くを見てゐるわけではない。》

《しかし「日出處日本」の前へ来て、私は呆気に取られた。之は何であらう。奉祝の意気は十分過ぎるほど明らかである。しかし、之が絵画であらうか。私は素人として聞きたい。富士の日の出のこの大作は絵画以上の何物かでないとすれば、驚くべき愚作ではないか。これが絵として通用するのか。》

中島は自らの富士山体験を思い出しながら、大観のこの絵のような卑俗な富士の姿はそこには一つもないと断言している。

《これはどういふ間違ひであらうか。奉祝展は、正に此の大作によつて奉祝展らしくなつてゐる。多くの芸術家の祝意を一人で代表して、絵画以上、或は絵画以下のものを作り上げたとでもいふべきであらうか。さうとすれば私の妄評は、失言として取り消さなければなるまい。》

ということでそれはこの絵だったようだ。

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《急につのつて来た歯痛を忍びつつ、薄暮の銀座に出て、個展や小展覧会を三つばかり見た。小品にせよ売り絵にせよ、そこには見馴れた絵画のなつかしさが漂つてゐた。奉祝展に対して、不当にも新しい芸術的探求の成果を求めた私は、はからずも此処で描く喜びのなつかしさを求めてゐたのである。(昭和十五年十二月)》

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by sumus2013 | 2017-01-21 20:47 | 古書日録 | Comments(0)

和讃

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いつものぞく均一に古そうな和讃の冊子が何冊かあった。おおよそ四六判くらいのサイズ(ふつうの単行本と同じ)。かなり前に『正信念仏偈』を買って以来さほど気持ちが動くものはなかったのだが、今回はそこそこ古そうだし(幕末あたりか?)、表紙が傷んでいるわりに本文がきれいだったので求めることにした。わが家の宗旨は真言宗であって浄土真宗ではないが、そういった宗教的意味合いはゼロだということを断っておく。


上の写真、左から『正信念仏偈』が二冊、中央は『高僧和讃』二冊、右が『浄土和讃』。浄土真宗では僧俗の間で朝暮の勤行として読誦するために三帖和讃(さんじょうわさん=浄土和讃、高僧和讃、正像末和讃)と『正信念仏偈』が編まれている。教義のダイジェストである。最近の『正信念仏偈』(正信偈とも)は縦長の判でオレンジ色の表紙なのが一般的のようだ。

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これらは『高僧和讃』より。写真では分りづらいかもしれないが本文紙はキラ引き(雲母による表面加工)なのでキラキラ輝いている。このカタカナが独特だと思う。おそらく親鸞の筆蹟を模しているのだろう。柳宗悦もこれに似た字をたくさん書き残している。

柳宗悦『蒐集物語』

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それぞれ別の『正信念仏偈』。初めのは冒頭で二枚目は末尾。『正信念仏偈』は漢字だけから成っている。書体が違うと雰囲気も変ってくるのが当たり前ながら興味深い。


昨年末、がん予防センターで検診を受けたと書いた。昨日その結果が届いた。大きな封筒だったのでちょっとビビッたが、とりあえず異常なしだった。巻末にこう印刷されていた。

《しかしながら、がん検診は決して万能ではなく、全てのがんを発見することは困難です。何らか、自覚症状や気になることがあれば、必ずかかりつけの医師にご相談ください。》



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by sumus2013 | 2017-01-19 20:33 | 古書日録 | Comments(0)

贋食物誌

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吉行淳之介『贋食物誌』(中公文庫、二〇一〇年一一月二五日)。吉田健一『私の食物誌』を下さった方より重ねて恵投にあずかった。深謝です。吉行淳之介の小説はほとんど読んだ記憶がないけれど随筆は何冊も読んでいる。エッセイの名手である。ただ『贋食物誌』(新潮文庫、一九七八年、が中公版の底本)はしばしば見かけた文庫でありながら手に取ったことはなかった。食味エッセイはどちらかと言えば好きな方なのだが。

例えば本書83「烏賊」に丸谷才一「食通知ったかぶり」連載の話が出ている。そこで丸谷が選んだ《食べ物の本の戦後三大傑作》を引用してあるが、それは

一、吉田健一『私の食物誌』
二、邱永漢『食は広州に在り』
三、檀一雄『檀流クッキング』

であり、《吉田健一さんの本で感心したのは、食べ物と人間との関係を正確に掴んでいるので、通ぶった感じを受けないところである。》と吉行は書いている。その理由も吉田の「東京の握り鮨」を挙げて述べられているが略する。小生思うに『私の食物誌』を読む限り吉田は通とはほど遠い。自分の感覚に正直なだけである。

51「ラムネ(3)」も面白い。これは坂口安吾のエッセイ「ラムネ氏のこと」の紹介になっている。昭和十年代(だろう)安吾が小林秀雄と島木健作と三好達治といっしょに飲んでいるときにラムネの玉を誰が発明したのかという話題が出た。三好達治がこう言い張った。

《ラムネは一般にレモネードの訛だと言われているが、そうじゃない。ラムネはラムネー氏なる人物が発明に及んだからラムネと言う。これはフランスの辞書にもちゃんと載っている事実なのだ、と自信満々たる断言なのである。》

ところが安吾が探してみるとラルースにも出ていない。ラムネーという哲学者の名前を見い出すのみ。安吾の論理はそこから飛躍する。吉行はその思考法について考えを巡らしているわけだが、小生はこの三好達治の強情ぶりの方に興味を引かれる。

拙著『古本屋を怒らせる方法』(白水社、電子書籍化されてます!)を繙くと、レモネード(レモン水)は昔からあるので誰が発明したということは断言できないように書いてある。ただ炭酸ガスが発見されたのははっきりしており一七七二年英国でのことである。ラムネの玉罎を発明したのはやはりイギリス人のコッドという人物で一八四三年のことらしい。それ以前はコルク栓だった。その後一八九二年にアメリカ人のペインターが王冠栓を発明した。日本では玉びんに入っているのを「ラムネ」と呼び王冠栓を「サイダー」と呼び慣らわしている。内容物にさしたる違いはない。

もうひとつ87「アルコール(1)」に佐野繁次郎のことが出てくる。新聞記事が面白かったので切り抜いておいたとしてそれを引用してある。

《『十二日午後三時二十分ころ、東京都港区高輪三丁目で、何某さん(住所と姓名は私が省略)がタクシーに乗ったところ、後ろの座席に分厚い白封筒が落ちており、真新しい一万円札で百万円が入っていた。驚いた何某さんは、タクシーの運転手(姓名省略)と一緒に高輪署へ。
 同署で封筒に印刷してあった銀座の画廊に問い合わせたところ、落とし主は(住所省略)洋画家で、二紀会名誉会員の佐野繁次郎さん(七三)とわかった。しかし、自宅へ電話したところ、佐野さんはアトリエで油絵を創作中、百万円を落としたことには全く気付いておらず「そういえばありませんなァ」
 佐野さんは昼過ぎ、画廊から絵の代金など百万円を受け取ったあと、近くのレストランで好物のブドウ酒を飲んで、ホロ酔いきげんでタクシーに乗り、百万円を置き忘れたらしい。何某さんと何某運転手には、お礼にそれぞれ十万円が贈られた(以下三行略)』》

この事件は一九七三年のことで『佐野繁次郎展』図録の年譜にも記されている。結局面白いのは食べ物の話ではなく人間の行状なのだ、という結論になるようである。

ついでながらカバー装幀装画は『夕刊フジ』連載時から挿絵も担当していた山藤章二。雁と貝。合わせると「贋」になる。

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by sumus2013 | 2017-01-18 21:05 | 古書日録 | Comments(0)

特集・練馬区関町

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『石神井書林古書目録』100号(石神井書林、二〇一七年一月、題字=武藤良子)届く。武藤さんの題字にビックリ。というか、あれどこの目録だろう? などといぶかってしまった。いや、しかし佐野繁次郎にもひけをとらない書きっぷりだ。

《昨年の初夏に出した99号の古書目録に、私事でしたが老父が入院したことを記しました。店を急に休む日があるかもしれません、とお伝えしたかったのですが、本のご注文の末尾にお見舞いの言葉を添えていただいたり、お手紙やお電話までいただいたのは、思いがけないことでした。しばらくしてその父が亡くなりました。
 石神井書林は一九八〇年に開業して、99号の古書目録を出してきました。その中で、何十周年記念とか何十号記念を作ったことがありません。淡々と次へ行きたいという小さな矜持があったのかもしれませんが、しかし、この夏の経験は、ここが誰に支えられてきたのかを改めて知ることでした。》

これまでも初期の号を幾度か紹介してはきたが、一九八四年以降のもので、それ以前はどんなものだったのか、興味深い。いつか出会えるだろうか。

『石神井書林在庫速報』臨時号

『石神井書林古書目録』


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小山清の献呈署名本がずらり……から始まって太宰治、井伏鱒二、小沼丹、木山捷平、上林暁、尾崎一雄……と大きな名前が並んでいる。ため息をつきながら見ていると目が釘付けになった。『河田誠一詩集』(昭森社、一九四〇年)と文芸雑誌『櫻』河田誠一追悼号(中西政一編、一九三四年)の図版が並んでいるではないか。河田は讃岐出身の小説家。以前言及したことがあったので名前を覚えていたのである。

『河田誠一詩集』(昭森社、一九四〇年)

河田誠一「浪の雪」

100号記念に注文しちゃえ…というわけにはいかないのが何とも情けないが。書影を確認できただけでも有り難いことである。

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by sumus2013 | 2017-01-17 20:57 | 古書日録 | Comments(0)

黄いろにうるむ雪ぞらに

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 黄いろにうるむ雪ぞらに
 縄がいつぽん投げあげられる

  バンス! ガンス! アガンス!
  ちょよろちよろしたこどもらをかり集めて 
  制服を着せて
  何か教へるまねをする
  やくざなはなしだ

 でんしんばしらの斉唱と
 風の向ふで更に白々饑ゑるもの


『宮澤賢治全集』第二巻(文圃堂書店、一九三五年九月二〇日、装幀=高村光太郎)より「(黄いろにうるむ雪ぞらに)」全文。( )は仮タイトル。『春と修羅』第四集に収められている。そう言えば以前十字屋書店版を紹介したことがあった。

『宮澤賢治全集』(十字屋書店、一九四〇年、装幀=高村光太郎)

本日は京都市内にもかなりの雪が積もった。じゃあ雪の詩でも引用しようかと思って『宮澤賢治全集』第二巻をひもといたのであったが、意外と雪の詩は上のくらいしかなくて、しかしその代わり「丸善階上喫茶室小景」と題する作品を見つけてうれしくなった。「東京」七篇のうち。喫茶室の様子が巧妙に描写されているので全文引用しておく【喫茶店の時代】。


 ほとんど初期の春信みたいな色どりで
 またわざと古びた青磁のいろの窓かけと
 ごく落ついた陰影を飾つたこの室に
 わたくしはひとつの疑問をもつ
 壁をめぐつてソーフアと椅子がめぐらされ
 そいつがみんな共いろで
 たいへん品よくできてはゐるが
 どういふわけかどの壁も
 ちやうどそれらの椅子やソーフアのすぐ上で
 椅子では一つソーフアは四つ
 団子のやうににじんでゐる
  ……高い椅子には高いところで
    低いソーフアは低いところで
    壁がふしぎににじんでゐる……
       そらにはうかぶ鯖の雲
       築地の上にはひかつてかゝる雲の峯
 たちまちひとり
 青じろい眼とこけた頬との持主が
 奇蹟のやうにソーフアにすわる
 それから頭が機械のやうに
 うしろの壁によりかゝる
    なるほどなるほどかう云ふわけだ
    二十世紀の日本では
    学校といふ特殊な機関がたくさんあつて
    その高級な種類のなかの青年たちは
    あんまりじぶんの勉強が
    永くかゝつてどうやら
    若さもなくなりさうで
    とてもこらえてゐられないので
    大てい椿か鰯の油を頭につける
    そして十分女や酒や登山のことを考へたうへ
    ドイツ或は英語の本も読まねばならぬ
    それがあすこの壁に残つて次の世紀へ送られる
      向ふはちやうど建築中
      ごつしん ふう と湯気をふきだす蒸気槌
      のぼつてざあつとコンクリートをそゝぐ函
 そこで隅にはどこかの沼か
 陰気な町の植木店から
 伐りとつて来た東洋趣味の蘆もそよぐといふわけだ
    風が吹き
    電車がきしり
    煙突のさきはまはるまはる
 またはいつてくる
 仕立の見本をつけた
 まだうら若いひとりの紳士
 その人はいまごくつゝましく煙草をだして
    電車がきしり
    自動車が鳴り
    自動車が鳴り
 ごくつゝましくマツチをすれば
    コンクリートの函はのぼつて
    青ぞらの青ぞらひかる鯖ぐも
 ほう何たる驚異
 マツチがみんな爆発をして
 ひとはあわてゝ白金製の指環をはめた手をこする
   ……その白金が
     大ばくはつの原因ですよ……
       ビルデングの黄の煉瓦
       波のやうにひかり
       ひるの銀杏も
       ぼろぼろになつた電線もゆれ
       コツカのいろの窿穹[ドーム]の上で
       避雷針のさきも鋭くひかる


じつに興味深い。それにしても詩人は丸善へ入ると何か爆発させたくなるもののようだ……。



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by sumus2013 | 2017-01-15 21:05 | 古書日録 | Comments(0)