林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:古書日録( 724 )

暮しの手帖社の書皮?

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京都・誠光社での花森トークも近づいて来た(5月5日)。本日は少しおさらいをしておこうと準備していた。今回で四度目(神戸・伊丹・目黒に続いて)ながら毎回内容は変ってくる。話をするたびに削るところや増やしたい項目が出てくるのだ。もちろん中心の興味は花森のデザインや装釘におけるルーツを探すということで変らない、が、どこに比重を置くか、それが徐々に変化していく。

目黒の聴衆は、みなさん濃〜い方ばかりだったので、反応を心配したのだが、どなたにも満足してもらえたようでひと安心した。それを自信に京都でも存分に語りたいと思っている。連休中でいろいろとお忙しいでしょうが、もうこれが最後の花森トークになるやもしれません、ぜひともご来場を。午後七時からです。

ということで、何か花森に関するブツはないかと考えながら、ふとPCの後ろの壁に目をやった。暮しの手帖社の書皮が留めてある。背が焼けている。おそらく誰かが暮しの手帖社の封筒を四六判の本にちょうど合うように切ってカバーにしたのだろうと思っていた。これをどうして持っているのか……忘れてしまった。何かの本に付いていたか、あるいはどなたかに頂戴したのだったか。

じっと見ていて、おや? と思った。「美しい暮しの手帖」と書いてある……これは、ひょっとして珍しいのか。『花森安治装釘集成』を開くと、237頁に「暮しの手帖社専用封筒 表・裏」として掲載されている。また世田谷の図録を開くと、160頁に《暮しの手帖社の封筒/2000年頃に使われていたもの。/デザイン:花森安治 1969年》と書かれている。どちらも図案のなかに書かれている文字は「暮しの手帖」である。「美しい」はない。

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『花森安治装釘集成』より


なんと! これは発見だ。この書皮がこうしてここに存在するのだから図録の説明文《デザイン:花森安治 1969年》は明らかにおかしいことになる。どうしてかというと『美しい暮しの手帖』という名前は一九五三年の第一世紀第二十一号までしか使われていないからである。まあ、百歩譲って封筒にデザインしたのが一九六九年だとしよう。しかし図案そのものは「美しい」時代に作られたことはまず間違いない。としたら、案外ほんとうに書皮だったのかも、あるいは包装紙だったとか?(封筒として用いるには紙が薄いような気がする)

目の前に半年以上貼ってあったのだが、まったく気付かなかった。何事も身近なものをよく観察することが大切だなあ。

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by sumus2013 | 2017-04-30 20:26 | 古書日録 | Comments(2)

漱石山房

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漱石のことを書かなくてはいけなくて、書くつもりもなかったので資料もほとんどないのだが(漱石についてはあらゆることが書かれているし、さほど興味もないのだが、つい引き受けてしまった)、たまさか漱石が使っていた印章について少しばかりコピーなどをまとめて保存しておいた。その袋を久し振りに開いてみると、ハラリ、「漱石山房」印のカラーコピーが出てきた。

この印について松岡譲は「印譜を読む」(漱石全集月報第十一号、一九三六年九月)に以下のように書いている。[〜〜は繰返し記号の代用]

この大きな石印の印文は誰にも讀める「漱石山房」。刻者は天地庵主人。初めの頃には先生自慢のものらしく、蔵書に堂々と捺すのが嬉しかつたのであらう、小宮さんあたりを動員して捺した形跡があるのであるが、それよりももつと面白いのは森田さんに「緑萍破處池光浄」といふ大字の横額を書いてやつて、この印をべたりと捺して居るのは、当時よく〜〜これを捺すのが嬉しかつたものと見える。明治四十年頃の事で、まだ毛氈がなかつたらしく、字には畳の目が浮き出して居るといふ特製品だ。

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『別冊太陽 夏目漱石』(平凡社、一九八〇年)より


また古川久「漱石印譜雑記」(『夏目漱石遺墨集別冊』求龍堂、一九八〇年)にはもう少し詳しい説明が出ている。

明治四十二年四月三日の内田魯庵宛書簡に、「文学評論と申す本を春陽堂より出版致候につき一部御目にかけ度小包にて差出候間御落手被下度候 背の字と石摺様の文字は浜村蔵のかけるもの漱石山房の印は大直大我といふ爺さんの刻せるものに候」とある。印文は本の前扉に刷られていて、大いに人目をひく。

この大我先生から青田石を三個八円五十銭で売りつけられ、その上、菅虎雄にもらった印材への彫り賃として十二三円とられたと菅虎雄への手紙(明治四十年二月十三日)で報告しているから「漱石山房」の大きな石(約七センチ角)は菅からのプレゼントだった(菅は当時南京の三江師範学堂に勤めていた)。

なお某氏は篆刻の専門家なのでこの印についてはなかなか手厳しい意見を述べておられる。

篆刻の常識からすると、妙な印面構成です。誤字になって了うところもあるし、結体もダラ〜〜、おまけに(筆でかくと)涸筆になるところにカスレの細かいスジが入れてあります。奇ばつというかふざけているというか。刻者(天地庵主人とあるがどういう系統の刻者かわからない)の工夫?なのか 漱石や、そのとりまきの誰かの発案なのか。

明治四十年頃の漱石はまだまだ文人趣味については初心者に過ぎなかった。明治三十九年の『草枕』では美術知識をひけらかしているけれどどうやら教養の範疇だったようだ。大我先生のいいカモになったのもその浅さを見透かされたのかもしれない。ただし作家としての成熟とともに趣味もだんだん本物になって行く。とくに明治四十三年に死の淵に立ち、かろうじて引き返して来て以降、そして四十四年に訪ねて来た津田青楓と付き合うようになってから、その美術や古美術への関心や鑑賞はひときわ深化したようだ……とそんなことを書こうか書くまいか、迷っている。

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by sumus2013 | 2017-04-28 21:02 | 古書日録 | Comments(0)

曖昧な物言い

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ジャン・ポーラン(Jean Paulhan)『les incertitudes du langage』(idée nrf, 1970)を読んでいるのだが(本書には邦訳がないようなので仮に「曖昧な物言い」としておいた。直訳調なら「言語の不確実さ」)、そのなかに現今のきな臭い情況を皮肉るのにぴったりの発言があった。引用しないではいられない。下手な訳文はお許しを。このインタヴューは一九五二年にラジオ・フランセーズで放送された。

聞き手のロベール・マレ(Robert Mallet)が「第三次世界大戦についてどう思われますか?」と尋ねると、ポーランは次のように答えている。彼は基本的に戦争はそれまでの二度のように(第一次と第二次大戦を指す)不条理には勃発しないと考えている。

《ここ何年か、皆が皆、そんなことを言っていますね。でも私はそうは思いません。理由はこうです。
 子供の頃、近所のふたりの男が路上で話しているのを見かけました。一人はもう一人に向って言いました。
「おまえさんは、あれやこれやをやっただろう。下司野郎(mufle)だな」
もう一人は答えました。
「下劣(salaud)なのはおまえさんだよ」
私は思いました、二人はすぐにも決闘するんじゃないかと。それをどうやって見物しようかと馬鹿みたいなことを考えたんです。八日後、二人はまた出会いました。
「おやおや、この哀れな野郎(ce triste personnage)が」
と一人は言いました。
「なんじゃ、アホ(petit imbécile)が」
ともう一人は言いました。さらに十五日後。またもや二人は罵り合いました。
「ばあ〜か(Idiot)!」
「鼻持ちならん奴め!(Paltoquet)」
その頃には鼻持ちならん奴(paltoquet)などと言っていたんですな。一週間が経つと、また同じことが起こりました。私は、あっけにとられたんです。そしてやっと分りました。あの人たちは絶対に殴り合いの喧嘩はしないなと。どうしてなら、毎日のように喧嘩してるからです。それでまったく満足なんですよ。
 ある大使が不注意にも別のある大使の足を踏みつけたという理由で宣戦布告する、今はもう、そういう時代じゃないでしょう。》

非常識で理屈に合わない命令(ordre d'absurdités et de mauvais raisonnements)によって戦争は起きないだろう……そうジャン・ポーランは語っているわけだが、さてそれから六十年以上が経って、必ずしもそうとは言えないような事態が迫っている。何しろ salaud、idiot、paltoquet たちを誰もがその頭にいただいている時代なんだから(人ごとじゃない)。

今宵はとにかくポーランのような常識を多くのフランス人がまだ持ち合わせていることを祈りたい。


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by sumus2013 | 2017-04-23 21:43 | 古書日録 | Comments(2)

パリ美術館ガイド

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GERMAINE BARNAUD『GUIDE DES MUSÉES DE PARIS』(ARTS ET MÉTIERS GRAPHIQUES, 1968)。著者のジェルメーヌ・バルノーについては詳しくは分らないが美術官僚のようで一九八八年に亡くなっている。

ある古書店にて。500と巻末ページに鉛筆で値段が書かれていた。少々高い。パリで買うなら1ユーロかせいぜい2ユーロじゃないと……。どうしようかな、と思いつつ表紙から見直しているとこんな書き入れが目に留まった。

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これなら安いや、ということで帳場へ。念のため尋ねる。
「これ、いくら?」
主人は表紙を開いて書き入れを見つけこう答えた。
「杉本秀太郎さんの旧蔵書やね……千円」
「千円! 裏に500って書いてあるけど」
少々意地悪とは思いつつ異を唱える。
「え、あ〜、これは……サインを見落としてたなあ」
ということでめでたく五百円にて落掌。

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このような二つ折の「クロード・モネと仲間たち」展の案内状(マルモッタン美術館)が挟み込まれていた。一九七一年六月から展示が開始されたモネの息子ミシェルおよびドノプ・ド・モンシー夫人から同館に遺贈された作品群である。おそらく杉本さんもこの展示を見たのであろう。

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by sumus2013 | 2017-04-13 21:10 | 古書日録 | Comments(0)

ブリダンの驢馬

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花田清輝『復興期の精神』(我観社、一九四六年一〇月五日)。前から手に入れたいと思っていた一冊。本日、ひょこり現れた。この本については以前少しだけ触れた。

小沢信男『捨身なひと』〜花田清輝『復興期の精神』

ここで「ブリダンの驢馬」から「ポアール」について引用したのだが、今回は表題の「ブリダンの驢馬」(普通は「ビュリダンの驢馬 paradoxe de l'âne de Buridan」)という逆説について紹介してみたい。その昔『復興期の精神』を読んでいちばん印象に残ったのはこのくだりだからである。花田はこう書いている。

《砂漠の中のオアシスのように、乾燥したスピノザの著作のそこここにばら撒かれている比喩のなかで、これは「石」のばあいとちがい、まったく人口に膾炙していない「ブリダンの驢馬」というのがある。ーーブリダンはいった、驢馬には自発的な選択能力がないから、水槽と秣桶との間におかれると、どちらを先に手をつけていいものかと迷ってしまい、やがて立ち往生して、餓死するにいたる、と。》(講談社文庫版より)

「石」のばあい……は石に意識があったとすればどうなるか? というこれまたやくたいもない論争を指す。秣(まぐさ)とあるところフランス語のウィキによればひと盛りの「からす麦」(一八五一年刊のフランス俚諺集による)。どちらにしても食物と水とどちらから始めようか決めかねてどちらも摂れずに死んでしまう驢馬の比喩である。優柔不断の極みとも言えるし、あるいは「中庸」の弱点を衝いた説だとも言える。

ジャン・ビュリダン(Jean Buridan、1295年頃 - 1358年)という過激な唯名論を唱えた聖職者が言い出したのでビュリダンの驢馬のパラドクスと呼ばれるが、これはあくまで伝説で、残された著作のなかには見えない。ビュリダンはオッカムのウィリアムの生徒であった。しかし後に師とも対立するようになる。唯名論というのは、例えば驢馬というとき一般的な「驢馬」という存在を認めず、個別の驢馬の集りとみる考え方。

ビュリダンには淫蕩なフランス王妃に招かれネスルの塔から袋詰めにされてセーヌ川に投げ込まれたという伝説もある。ネスルの塔(la tour de Nesle)は高さ二十五メートルもあったそうで王妃(誰なのかは不明、フィリップ・ル・ベル王の妻かという)はいつもここで逢引きをして相手の男をその度ごとにセーヌ川に流していたという。この話は有名だったらしくジャック・ヴィヨンも「そのかみの貴女を歌へるバラード Ballade des Dames du Temps Jadis」で引用している。

  同じくいづくぞビュリダンを
  袋にこめてセーヌ河に
  投ぜよとこそ宣りし女后も。
  さあれ古歳の雪やいづくぞ


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この本にはこんな真善美社の出版案内の栞が挟んであった(二つ折両面印刷、タテ24.5cm)。実は『復興期の精神』第二版は真善美社の処女出版として一九四七年二月に刊行される。これも貴重だ。田村書店のレッテルが栞に貼ってあるのも珍しい例ではないか。他にもう一枚、入場券も挿まれていた。

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「新日本文学会議講演会 伝統と現代芸術」、講師は岡本太郎、花田清輝、杉浦明平。豊島公会堂で11月17日(水)に開催されている。何年の十一月か? 豊島公会堂は一九五二年に開館、また花田が『新日本文学』の編集長だったのは一九五二年から五四年の間である。そして何より十一月十七日が水曜日なのは一九五四年だ、ということで昭和二十九年の講演会だと推定しておく。三越池袋店は二〇〇九年五月閉店、現在はヤマダ電機本店になっている。


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by sumus2013 | 2017-04-12 21:51 | 古書日録 | Comments(0)

神保町の鴉

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東京滞在中、一時間だけ神保町にいた。どうしてもこの古書店の店頭をもう一度漁っておきたかったのである。後で悔やんだらいやなので。十時開店の直後に到着するはずだったのだが、馴れないせいで地下鉄の乗り換えなどに時間を取られ、五六分ほど過ぎていた。ちょうど店員さんが百円均一にフランス語の本をどっさり放出し、さらにその中から無料箱行きを選んでいた。ここに限らず靖国通り沿いの古書店では店頭の歩道際がちょっとした物置のようになっているが、この店はその一角に無料段ボール箱を置いているのだ。すでに一度放り込んでいたのだろう、なぜなら

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黒いコートに大きなリュックを背負った長身の男性が無料箱にのしかかっていたからである。足許には二十冊ほども取り分けてある。アッチャー、遅かった。

一瞬躊躇したが、すぐにこちらも脇から手を出す。黒い男は「何だ?」という感じでギロリと睨む。が、ひとまず全部見終わったらしく均一コーナーの方へ河岸を変えた。あとは独り占め……ではあるが、いくらロハでも旅の空、そんなに何冊も……などと頭では考えていても手の方が勝手に動く。どうやら同じ書斎から出た本らしいので旧蔵者は仏文の教師だったか。巻末の鉛筆書きの値段(もちろんユーロではなくフラン)からしてどの本もフランスで買ったらしい。fnac のシールが貼られているものもあった。

ロートレアモン関連が何冊もまとまっている。MARCEL JEAN et APPAD MEZEL『LES CHANTS DE MALDOROR』(ÉDITIONS DU PAVOIS, 1947)など三冊選ぶ。スイユのロランバルトが二冊。あとグザヴィエール・ゴーティエ『シュルレアリスムとセクシャリテ』(idée nrf, 1971)。みんな無料。状態は良いとは言えないけれど、これは有り難い。そうそう、もう一冊、ラジオ・インタビューでジャン・ポーランが自分史を語った『les incertitudes du langage』(idée nrf, 1970)、これがちょっと読んでみると面白そうなのでかなりボロボロだったが買っておく。

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黒い男を追うように均一コーナーへ。男はもう見終わっていた、と思ったら、三度、店員さんが追加投入した無料箱へ走る。アッと思うが、仕方がない。百円均一の箱、こちらもほとんどがフランス書。fata morgana から出たピエール・クロソウスキー(画家バルチュスの実兄)を二冊、パリの古書店 BEAUSSANT LEFÈVRE の目録、都合三冊三百円。

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これでもう充分なのだが、もう少しと思って探ると、こんなものが見つかった。

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一九七九年に南天子画廊で開催された瀧口修造展の絵葉書セット。六枚入。アート紙の封筒に入っている。これは嬉しかった。状態から見てフランス書と同じ旧蔵者であろう。なかなか趣味のいい人だ。

この間十五分も経っていただろうか。神保町のカラスはいずこかへと姿を消した。さしずめ小生はおこぼれ頂戴の京スズメ。それなりに腹を満たしてすずらん通りを流しながらUターンして半蔵門線神保町の駅へと向う(ウィリアムモリスは半蔵門線表参道下車五分ほど)。少々荷物が重くなったが、神保町へ足を伸ばした甲斐があった。

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by sumus2013 | 2017-04-09 21:03 | 古書日録 | Comments(4)

七色物語1

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『なないろ文庫ふしぎ堂目録 七色物語1』(一九八九年一一月)を頂戴した。深謝です。店主・田村治芳さんの古本屋としての真価がはっきり分る充実した内容である。住所が東京都世田谷区奥沢7-20-17(東急大井線九品仏駅下車30秒九品仏浄真寺前)。この店を訪れたことがある。日記によれば一九九〇年一二月二日。近くに知人が住んでおり、そこを訪ねた帰りだった。お寺がきれいだというので少し散歩してみた。かなり広々とした境内には大銀杏がいくつもそびえ古き武蔵野の面影を残しているように感じた。駅に戻るときに古本屋に気付いてちょっとばかりのぞいてみた。《下車30秒》と言う通り、まさしく踏切の隣だった。店番がどんな人だったか忘れてしまったが、田村さんではなかったように思う。古本屋らしいいい棚作りだった。その訪問のおよそ一年前にこの目録は刊行されていたわけである。

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カストリ雑誌特集から始まっている。なるほど。二九〇タイトル、これはなかなか見応えあり。その後に各種資料類、設計図、パンフ、写真、絵葉書、地図、神秘主義、戦争などなど雑多な品物がズラリ。タバコパッケージ八十種余のコレクションが三万円、空箱コレクション二十種余が四千円、東京帝大昭和三年卒業生の成績・卒業証明書・履歴書など一括一万円……面白い。

なかで注目はこちら。《白井次郎(肉筆)デッサン帳2冊 白井次郎遺作展覧会カタログ 日本楽器画廊 昭和18》。四十一歳で死去した無名の画家(だと思うが)。兵庫県明石出身というところにも親近を覚える。一括三十万は高いかなあ……どうだろう。

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他に高額商品だけ拾ってみると以下の通りである。やはり自筆ものが高いが、それはそれでなんだか田村さんらしいなあと思える品物ばかりではないだろうか。

・河東碧梧桐の扁額……85,000
・孔雀船 梓書房版初刷500部 伊良子清白 高沢圭一自筆挿絵入……15万
・デルスウザーラ 長谷川濬・長谷川四郎共訳 四郎献呈署名入……85,000

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そして『彷書月刊』の広告が裏表紙の内側に出ている。39号までの合本なんか売り出していたんだ! 

ついでに『彷書月刊』1987年12月号に掲載されているなないろ文庫ふしぎ堂開店の広告も引用しておこう。

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by sumus2013 | 2017-03-30 21:10 | 古書日録 | Comments(2)

百人一詩次韻集

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いつもいろいろ御教示いただく中嶋康博氏がじつに渋い日記を入手し解読しておられる。しかもネット・オークションで落札されたという。驚くべし。内容にも瞠目すべきものがある。


とうてい葆堂の日録にはおよびもつかないけれど、上の写真のような明治の漢詩熱を感じられる手作りノートを、数ヶ月ほど前、某所において百円で入手した。タテ12cm、ヨコ17cm。

三宅三郎(半聾)『片仮名付百人一詩次韻集』(明治三十三年および三十五年序)の自筆稿本である。哀しいかな三宅三郎がどういう人物なのかは不明。三宅半聾の名で『明治風雅楽府』(明曻堂、一八八一年)に漢詩「偶成」一首選ばれていることだけは分った。明治三十三年に数え七十三なら文政十一年(一八二八)生まれということか。

このノートは淳和天皇(786-840)以後の百人による漢詩とそれらに自ら次韻した(同じ韻を用いて応じた)漢詩を並べて構成されており、人選の変更や校正の跡がそのまま残されている。ただし漢詩には推敲の跡が少ないので、おそらく定稿に近い段階だったのだろう。序文からすると出版のあてがあったのかも知れない。

菅原道真の『新撰万葉集』にちなんだものという自序。明治三十五年は道真の一千年忌に当ると書いている。道真が歿したのは延喜三年(九〇三)。

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もう一種類の自序。仮名交じりになっている。両方掲載するつもりだったか。

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収録人名一覧(一頁目)。ここにはまだかなり変更の跡がうかがえる。テキストは『皇朝千家絶句』(博文館)、或写本、文久二十六家絶句、『太陽』(博文館)十周年季祝寄贈の詩から選んだとのこと。

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漢詩頁の引用は一例だけにとどめるが「片仮名付」とあるように初学者にも読みやすい工夫がなされている。次韻というのは、このページで言えば淳和天皇の「花」「遠」「家」を使って内容にも応じた漢詩を作る、その手法である。

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以下、目次に名前の出ている人物。( )は収録せず。重複は省かれている。誤記もあるようだ。

淳和天皇
有智子内親王
藤原衞
石上宅嗣
源順
釈空海
菅原是善
記長谷雄
菅原道真
田口達音
嶋田忠臣
菅原文時
橘倚平
源孝通
大江匡房
細川頼之
足利義昭
武田信玄
上杉謙信
石川凹
細川藤孝
伊達政宗
新納忠元
藤原惺窩
林道春
林鳳岡
伊藤担菴
京師 留女
木下順庵
山崎闇斎
伊藤仁斎
貝原益軒
室鳩巣
物徂徠
伊藤東涯
柳川滄洲
新井白石
太宰春臺
服部南郭
祇園南海
山県周南
中井竹山
頼山陽
田能村竹田
鎌田
亀井
南郭[重複]
梁川
深野
杤原
秋月
東湖
宮崎
草葉
古閑
竹添
武田耕雲斎

草場珮川
落合雙石
石野雲嶺
劉石秋
後藤松陰
斎藤拙堂
大槻磐渓
広瀬旭荘
藤井竹外
家長韜菴
村上仏山
澤井鶴亭
遠山雲如
日柳柳東
大沼枕山
森春濤
仲村淡水
山中静逸
鈴木松塘
鷲津毅堂
高階春帆
河野秀野
宇田栗園
柴秋村
高橋古渓
五岳道人

伊藤春畝
山県含雪
東久世竹亭
(勝海舟)
土方泰山
田中青山
芳川越山
長松秋琴
(楠本西洲)
股野藍田
三島中洲
(野村索軒)
重野成斎
岡本黄石
(秋月天放)
日下部鳴鶴
大嶋如風
前島鴻爪
西岡宜軒
角田九華
田能村直入
入田披雲
赤座再生

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by sumus2013 | 2017-03-28 20:54 | 古書日録 | Comments(4)

私のダダ

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江原順『現代芸術論叢書 私のダダ 戦後芸術の座標』(弘文堂、一九五九年九月三〇日、カバー構成=河原温)を頂戴した。またまた御礼申し上げます。このシリーズは、以前にも書いたと思うが、小野二郎を伝説の編集者とした名企画である。

先日紹介した

河原温渡墨作品頒布会

の栞が挟まれていたのが『ユリイカ』一九五九年八月号だからメキシコへ出かける直前の仕事ということになろう。「あとがき」にもこのように書かれている。

この評論集でも、河原温が渡墨前の多忙な時間を裂[ママ]いて装幀してくれた。河原君どうもありがとう。

後年の河原温を思わせるミニマルな(余計な装飾のない)カバーであり表紙である。ただこの装幀はその後以下のデザインに差し替えられ(作者は分らない。下図は同時に頂戴した複写。同叢書共通)、

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さらには加納光於の印象的な作品に統一されることになる。以前取り上げた安東次男『幻視者の文学』(http://sumus.exblog.jp/12342644/)と同じである。

もう一枚複写をいただいているのがこちら。江原順『現代芸術論叢書 見者の美学 アポリネール ダダ シユルレアリスム』(弘文堂、一九五九年六月一〇日)。これも装幀者がはっきりしないが、上に引用した江原の言葉に《この評論集でも》とあるのでやはり河原温の装幀だろうか?

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『私のダダ』には「求心の絵画ーー河原温の絵ーー 付 若い画家の冒険」と題された論考も収められている(初出は『美術批評』一九五八年六月)。

「物置小屋のできごと」「浴室」などのシリーズの他に、「黒人兵」など、いわば「求心的な空間」を造型する傑作を描いてきた河原温は、ある夜突然工房をぬけだした。そして、もう工房にかえらない。完全に閉塞されている空間のなかで、腕をきりとり、足をもぎ、目をくりぬき、できるところまで自分を分解して、この壁を破るほどに強い別の自分を構成しようと考えてきたこの若い画家には、意識された自分の分解と自分の意識の支配のうちにある方法だけでは、この自己の再構成は不可能だと思えてきたのだろう。

こうして、かれは、印刷手段を、自己の表現方法として駆使することを思いついた。かつて密室のなかで思いあぐむことに没入したとおなじ熱中のしかたで、かれは印刷工場に通い、金属板のつくり方、印刷インクのねり方、印刷のしかた、原価計算、商品としての売り方の研究に、夜も昼も没頭した。こうして、「人間の絵画」(ロム・エ・リュマン)と題する印刷の絵画の第一作が誕生した。

だれにでもできる技術(コラージュの場合も、印刷の場合もだれにでもできる)によって、決して模写できない形象をつくりだす画家を、現代の芸術家と呼ぼう。河原は意識しないで、かつてロートレアモンがいった「ひとりによってではなく万人によってつくられるポエジーを」日本で最初に絵画のなかでつくりだした画家であり、ぼくは、エルンストに讃歎するように、かれに讃歎する。絵の内容についていえば、密室から這いだした虱のように、ぞろぞろとつながって歩いていく奇怪な群像は、歩きださざるをえないから歩いているのであり、歩いているから、方向を摸索せざるをえないようにみえる。方向が摸索されたとき、このシリーズは完結するだろう。そして、河原はまた新しい表現手段を摸索しはじめるだろう。

この印刷絵画がどのようなものか、たまたま下記のサイトにアップされている。参照あれ。

河原温の印刷絵画「いれずみ」

この本について検索しているとき、同年四月、江原順の紹介によって吉岡実が河原温の「浴室」シリーズの一点を購入したことを知った。『ユリイカ』に頒布会の栞が挟まれるわけだから吉岡が河原温を買っても格別不思議ではないはずなのだが、やはりちょっとした驚きというか感動である。銀座ウエストで会ったというのもしゃれている。

河原温〈浴室〉:吉岡の日記(一九五九年四月一二日)に「銀座、ウェストで江原順の紹介で河原温と会う。「浴室シリーズ」の一作品をわけてもらう」とある。また「河原温様/1959.8/吉岡實」と献呈署名した詩集《僧侶》(河原温の蔵書印 入り)が存在する。

吉岡実書誌(小林一郎 編)


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by sumus2013 | 2017-03-26 21:14 | 古書日録 | Comments(2)

詩のある風景

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鍵谷幸信『詩のある風景』(鍵谷泰子、一九九〇年一月一六日)。鍵谷は一九八九年一月一六日に歿しているからいわゆる饅頭本である。本書も頂き物。有り難し。八五年から八六年にかけて『世界日報』紙上に連載された短いエッセイをまとめた内容。これはかなり微妙な時期であるが、まあそれはあまり穿鑿しないでおこう。見開きで一篇の形になっており(九百字前後)詩や詩人、本の好きな者には楽しい読み物だ。

中村書店(http://sumus2013.exblog.jp/24121714/)が登場する。

学生時代、渋谷の宮益坂上に詩書を専門とする中村書店というのがあった。店主はなかなかの硬骨漢で、ただ本を売っている商人ではなかった。詩が好きで詩書を愛しているのが肌で感じられた。気に入らない客だと売らなかった。ぼくはここで珍しい詩集や詩誌を手に入れたものである。堀口大学の「月下の一群」の第一書房の初版本、佐藤春夫の「我が一九二二年」萩原朔太郎の「青猫」西脇順三郎の「アムバルワリア」安西冬衛の「軍艦茉莉」北川冬彦の「戦争」三好達治の「測量船」などを買ったときには、嬉しさいっぱいで体が震えた。

中村氏は貧乏学生のぼくに随分本を安く売ってくれた。中村書店で買った本は今も大切に本棚で詩の光を放っている。珍しい雑誌もここで入手した。「詩と詩論」「詩法」「新領土」などモダニズム系の雑誌も揃えた。ガラス張りのケースに稀覯書が並んで壮観だった。あそこでは詩の光輪がいつも輝いていたと思う。中村氏はじっと坐ってタバコをふかし、奧から珍しい詩集をもってきてみせてくれた。》(詩書の指南役との出会い)

植草甚一も登場している。

今は亡き植草甚一氏が神田の本屋めぐりをするとき、まだ都電が走っていて、市ヶ谷やら九段上にさしかかると、ああ、今日はいい本が三冊はあるなあ、という予感がし、それがピタリと当たったという。長年の勘が働いたのだろう。
 七月末の太陽がアルベール・カミュ的にカンカン照る日に神田に出た。地下鉄九段下でおりて、専修大学脇を通り神保町めざしてトボトボと歩いている。ぼくも以前は植草氏ほどではないが、今日は二冊位かなという勘が働いて、事実その通りになってカバンのなかに詩集一冊や画集一冊がおさまったことがある。》(本から離れる)

八年前の三月上旬、美術出版社からムック形式の本を植草甚一で出すことになり、一日写真撮影のロケーションに出かけたことを思い出した。植草さん、写真家高梨豊氏、助手のなんとかさん、編集部の宮沢壮佳氏とぼくの五人。

神保町へ出て古本屋をぶらつき、植草さんがお気に入りのコーヒー店へ入り、神保町ではこのコーヒーが一番好ですね、といって、ゆっくりコーヒーを啜るのだった。それから新宿めざして車が九段上を通過し、市ヶ谷駅を四ッ谷の方へ向ったとき「デュシャンとエルンストのどちらがお好きですか」とぼく。「エルンストです。彼のコラージュは実にスバラシイ。少しもズレがない」とごく当り前のことに心底感心し、「ぼくにはデュシャンはワカラないんです。ぼくは未来派からいきなりシュルレアリスムに入ったのでダダぬきだったんです。」》(植草さんと歩いた)

このムックというのは『植草甚一主義』(美術出版社、一九七八年)である。ここで言う植草の好きな喫茶店は「きゃんどる」だろう。他にも西脇順三郎、北園克衛、瀧口修造、森谷均らの項を面白く読んだ。

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by sumus2013 | 2017-03-23 17:21 | 古書日録 | Comments(0)