林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:古書日録( 757 )

検印紙二題

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きだみのる『氣違ひ部落周游紀行』(吾妻書房、一九四八年一二月二五日四刷)の画像を makino 氏より頂戴した。装幀のクレディットはないそう。また、検印紙の印文がきだみのる(本名山田吉彦)と結びつかないようなのだ。「英久」と読めるが、如何に?

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市立図書館へ行って、嵐山光三郎『漂流怪人・きだみのる』(小学館,2016年2月)など、二三の伝記をざっと見ましたが、雅号などの記載は見つかりませんでした。職員は、県立図書館とも連絡をとって調査して、何かわかったら、後日連絡する、と云っていました。好意謝するに余あれども、「検印」とは何かの説明に一汗かかされるようでは、期待薄です。

さもありなん。若い人たちが、たとえ図書館スタッフでも、検印紙の貼付されている本なんて見た事がない、としても不思議ではないだろう。


もうひとつは少し前に買った矢野朗『肉體の秋』(京北書房、一九四七年一月一八日)。表紙および扉絵のサインは「泰」とだけ。佐藤泰治かとも思ったが、画風が違うようだ。

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この本、問題は表紙画ではなく検印紙。どこかで見たぞ、この図柄! そう南北書園とまったく同じなのである。

堀井梁歩訳『ルバイヤット異本留盃耶土』(南北書園、一九四七年)

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南北書園とまったく同じなのは検印紙だけではない。版元の住所そして電話番号もまったく同じである。発行者は早田眞朗。さすがに会員番号は違っている。そして疑わしいというか、まぎらわしいのはその社名と発行者名がどことなく似ている事。南北書園京北書房、瀧眞次郎と早田眞朗。この一冊だけでは判断できないが、実態は同じ会社なのではないだろうか。

国会図書館で南北書園検索すると昭和十六年から二十四年まで四十九件(同一書を含む、一件は参考文献なので除外)、京北書房の発行物は昭和十七年から二十八年まで二十八件ヒットする。前者は純文学系、後者はエンタテインメイントおよび実用書という大雑把な出版傾向があるように思う。はっきりしたことは何も言えないが、名前を使い分けていた可能性もある。ただ本書はどちらかと言うと純文学に近いように思う。


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by sumus2013 | 2017-09-23 21:15 | 古書日録 | Comments(2)

大人の時間 子どもの時間

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今江祥智『大人の時間 子どもの時間』(理論社、一九七〇年二月、そうてい=宇野亜喜良)。やはり均一台にて。見返しのあそび紙のところに献呈署名がある。《上野瞭学兄 恵存 今江祥智》。どうしてこれが均一に?

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と思ったら、線引きにドッグイヤーが二ヶ所ほどあったのだった。けれども、考えてみれば、これは当然上野瞭が書き入れ、そして角を折ったと考えていいだろう。それなら別段マイナス評価にはならないのじゃないのかな? 上野瞭には児童文学として『ひげよ、さらば』、小説に『砂の上のロビンソン』『アリスの穴の中で』がある。

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エーリヒ・ケストナーについて書かれた文章がなかなか熱い。「人と作品=A」の「a 
エーリヒ・ケストナー」より。

みなさんの子どものころを決して忘れないように、とケストナーはいう。忘れるものかとぼくは思う。
 ぼくが子どもだったころ、日本はいくさ[三字傍点]のさなかにあった。子守唄のかわりに軍歌が鳴りひびき、兄はぼくとキャッチボールをするのを止して戦場に行かねばならなかった。

ドイツの作家、『ヨーゼフは自由を求める』の著者ヘルマン・ケステンは、その友人ケストナーについて書いた文のなかでこう言う。
 成人してから私はケストナーの子どもの本を読んだ。『エミールと探偵たち』から『動物会議』『二人のロッテ』に至るまで。

ケステンは子どものころ、子どもの本など一冊も読まなかった。そのかわりに、聖書、シラー、シェイクスピアなどからすぐに始めた。
 ぼくは子どものころ、子どもの本など読めなかった。そのかわりに山中峯太郎、高垣眸、南洋一郎などの戦争スパイ小説、チャンバラや冒険活劇の本をあきるほど読んだ。同じころに読んだ本で今まではっきり感動をおぼえているのは、わずかに「ファーブル昆虫記」だけである。
 しかし大人になってからケストナーを読み、感心したのは、おそらく二人とも同じだろう。それでここに書きたいのはそのことなのだ。つまり、「八歳から八十歳の読者のために」本を意図し、書きつづけ、成功したと思われるケストナーの秘密はどこにあるかということだ。その間に、戦争と知識人の問題、転向と亡命の問題、詩人と金銭の問題、子どもと親の問題、等々が出るにちがいない。

『エミールと探偵たち』は、その後のケストナーの児童文学の原型だといえる。その根底にあるのは正義感、少年の心にはびっしりつまっていて、大人になるにつれてボロボロ抜けおちる正義感である。それを支えるものとして「男らしさ」の精神、それに、「純金の心」そのままの鋭さを備えた眼。

その彼の秘密の一つはまた、彼が『エミールと探偵たち』で主張した正義と勇気の大切さを身をもって実証したところにある。彼はうそつきではなかったのだ。だから子どもたちはこの「おじさん」を信用したのだった……。

引用最後の《身をもって実証した》は、ケストナーがナチ政権下で、焚書に処せられ、執筆禁止を命じられながらも、亡命をせずドイツに留まり続けたことを指す。小生も子供の頃にケストナーを読んだ記憶はまったくない。しかしこれまでにも彼の本は何冊も取り上げている。

『雪の中の三人男』(白水社、一九五四年)

『ケストナー少年文学全集6』(高橋健二訳、岩波書店、一九六二年五月一六日)

『飛ぶ教室』(高橋健二訳、一九五〇年四月一七日)

『どうぶつ会議』(岩波書店、一九五四年一二月一〇日)

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by sumus2013 | 2017-09-22 21:00 | 古書日録 | Comments(0)

冝園百家詩

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双白銅文庫(拙蔵の均一和書群をこう名付ける)に『冝園百家詩初編』巻四、五、八の三冊を加えた。広瀬淡窓の家塾「咸冝園」の門下生らの漢詩を集めたアンソロジーである。検索してみると初編は全八巻、編纂者は矢上行子生快雨とも号した。天保十二年(一八一四)刊。版元は群玉堂、鴻寶堂など(全八巻ながら版元によって冊数が異なるらしい)。二編、三編は嘉永六年(一八五三)刊。


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三冊とも巻首に「観鷺臺文庫」の蔵書印が捺されている。この旧蔵者、さて誰なのか? 蔵書印データベースでもヒットしない。同じ印記が国会図書館蔵の『新續列女傅 巻之中』に見られる。

以下は巻之八の末尾にある広瀬旭荘(淡窓の弟)の跋。《詩人固多不遇之士。而不遇中又有不遇。》というところに目がとまる。いつの時代も……。

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この巻之八の奥付に刊記はない。『遠思楼詩鈔』の刊行案内のみ。

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by sumus2013 | 2017-09-07 20:29 | 古書日録 | Comments(0)

それから

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夏目漱石『それから』(日本近代文学館、一九八二年二月一日六刷)読了。原本は春陽堂から明治四十三年一月一日に発行されている。四十二年の六月から十月にかけて東京・大阪朝日新聞連載。

これもずっと前に文庫本か縮刷本で読んだ記憶がある。ただ通読して覚えていたのは画家の青木繁がチラリと登場するところ、犬の名前「ヘクター」(その頃、小説や随筆に登場する犬の名前をコレクションしていた)、そして学校時代の友人が地方へ戻って地主になりだんだんと書物から離れて行く様を描いたくだり、この三ヶ所だけで、ストーリーなど全く忘却の彼方だった。

主人公はいい年をして親に金をもらって何もしないでぶらぶら暮している代助(『三四郎』の広田先生が言う新しい若者たちの一人か)。彼が東京をあちこち歩いたり電車や俥に乗ったりしてウロウロする描写にひとつ読みどころがあるかもしれない(パリ市内をむやみに歩くネルヴァル『オーレリア』を連想させる)。要するに新しいモラルや職業観を持つ"新人類"を描いたということなのだが、ただ、それ以外は何もないに等しい三文恋愛小説で、これで当時の読者は満足したのだろうか? 

連載は大逆事件のちょうど一年前である。本文中にも次のようなくだりがある。平岡は主人公・代助の親友だった男。会社勤めをしくじって新聞社に入った。

平岡はそれから、幸徳秋水と云ふ社会主義の人を、政府がどんなに恐れてゐるかと云ふ事を話した。幸徳秋水の家の前と後に巡査が二三人宛晝夜張番をしてゐる。一時は天幕[テント]を張つて、其中から覗[うかが]つてゐた。秋水が外出すると、巡査が後を付ける。萬一見失ひでもしやうものなら非常な事件になる。今本郷に現はれた、今神田へ來たと、夫[それ]から夫へと電話が掛つて東京市中大騒ぎである。新宿警察署では秋水一人の為に月々百圓使つてゐる。

当時の政府におけるこの過敏さが大逆事件の下地であることは間違いない。それはそうとして古本屋が登場しているので、そこだけ引用しておこう。父親から仕送りを止められることを覚悟した代助が金策としてまず思いついたのが洋書を売り払うことだった。

りに神田へ廻つて、買ひつけの古本屋に、賣拂ひたい書物があるから、見に來てくれろと頼んだ。

ところがそのすぐ後で嫂から小切手が送られて来た。とりあえずひと安心。

牛込見附を這入つて、飯田町を抜けて、九段下へ出て、昨日寄つた古本屋迄來て、
 「昨日不要の本を取りに來て呉れと頼んで置いたが、少し都合があつて見合せる事にしたから、其積もりで」と斷つた。歸りには、暑さが餘り酷かつたので、電車で飯田橋へ廻つて、それから揚場を筋違ひに毘沙門前に出た。

『三四郎』の次に書かれた小説のようだが、『三四郎』のノンキさは後退し、かなり自然主義的にシリアスになっている。島崎藤村の『破戒』(明治三十九年出版)から影響を受けたと思ってほぼ間違いないだろう。文中に森田草平の『煤煙』も登場しているが(「それから」の直前の朝日新聞連載小説だった)、何か意識するものがあったのかもしれない。

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by sumus2013 | 2017-09-05 20:38 | 古書日録 | Comments(0)

老子道徳経

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makino さんより久し振りの古本便りが届いた。ウィーンで古本漁りとは羨ましいかぎり。

7月末にウイーンのシュレーディンガー研究所に行ったおり、時間を盗んで、ナッシュマルクトの蚤の市に行ってみました。そこで5オイロで拾ったドイツ語訳『老子』(H. Federmann訳・1921年ミュンヘン刊)の書影を添付します。瀟洒な本で、大いに気に入りました。しかし、冒頭の「道可道,非常道。名可名,非常名。云々」の「道(タオ)」を「der GEIST」と訳して、
Der GEIST, den man aussprechen kann, ist nicht der ewige GEIST.
とやっつけてるのは、どうでしょうか。見識と云うべきか、武断と云うべきか。ちなみに、アーサー・ウエイリの英語訳では
The Way that can be told of is not an Unvarying Way;
とやっつけているので、直訳ですが、これだけでは英語国民にはぴんと来ないかも知れませんね。

いただいた画像がちょっとピンボケなのだが、なんとか読めるか。といってもドイツ語には暗いので読める方どうぞ。「GEIST」は「精神」というような意味だから「道」の訳語としてはかなり大胆というか、はっきり言って誤訳だろう。

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老子の英独対訳などはいろいろなサイトで閲読できる。ご興味ある方はぜひ検索されたし。原文および和訳も数々あるようだが、とりあえずこちらを引用しておく。

老子道徳経 ( 道家思想 《老子・荘子》)

ついでにフランス語はどうなのかと思って捜してみると一八四二年刊のスタニスラス・ジュリアン(Stanislas Julien)による翻訳書を閲覧できることが分った。

LAO TSEU TAO TE KING 老子道徳経
Le Livre de la voie et de la vertu

解説文でジュリアンは「道」(Tao タオ)についてこういう解釈を施している。

le Tao est dépourvu d'action, de pensée, de jugement, d'intelligence. Il paraît donc impossible de le prendre pour la raison primordiale, pour l'intelligence sublime qui a créé et qui régit le monde.

タオというのは行動も思想も判断も知性もない。原初の道理、世界を創造し支配している崇高な知性をそれだとするのは不可能のようである……。で「GEIST」のところはもちろん英訳の「The Way」と同じように「La voie(道)」としているが、意味を補いつつ丁寧に訳している。「常」をéternelle(永遠の)と解釈しているのも興味深い。

道可道、非常道。名可名、非常名。
無名天地之始、有名萬物之母。

《 La voie qui peut être exprimée par la parole n'est pas la Voie éternelle;le nom qui peut être nommé n'est pas le Nom éternel.
 (L'être)sans nom est l'origine du ciel et de la terre;avec un nom, il est la mère de toutes chose.

なお、本書では本文中に漢字が散見されるが、一八四二年においてすでに漢字の活字を鋳造していたということになる。印刷は王立印刷所(L'IMPRIMERIE ROYALE)で行われたとタイトルページに明記されている。これは、手短に言うと、オルレアン公爵ルイ=フィリップ(一八三〇年の七月革命で王位に就き一八四八年に二月革命で倒される)の王政下で刊行されたためわざわざロワイヤルとしたのだと思う。

この件の事情について説明してくれる一文を発見した。小宮山博史「日本の明朝体 金属活字の源流」(『京古本や往来』第五十七号、一九九二年七月二〇日)に下記のようにある。

使われている漢字すべてが母型から鋳造された明朝体と見なせるものは、まず一八四五年フランス王立印刷所が刊行した『王室印刷所活版見本』(Spécimen Typographique de L'Imprimerie Royale)の中にある十六ポイント明朝体二種をあげることができる。これは一八三六〜三八年にかけてスタニスラス・ジュリアン(Stanislas Julien)が中国派遣宣教師の協力をあおぎ、中国国内で母型用の種字を彫らせたものであるが、残念ながらこの活字を使った印刷物を見る機会にまだ恵まれていない。

二十五年前の文章なので、もうすでに小宮山氏は現物をご覧になったと思われるが、今なら簡単にインターネット上で閲覧できるのである(画像は不充分ながら)。

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by sumus2013 | 2017-09-04 21:22 | 古書日録 | Comments(0)

木香往来

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書肆ひやねの資料をいくつか頂戴したので紹介しておく。まず『木香往来』創刊準備(書肆ひやね、一九八八年一〇月二〇日、タテ約16cm)および一九八九年年賀状、そして秋朱之介『書物游記』刊行案内

本の街、神田の一角に書肆ひやねを構えて早や十年の歳月が経過致しました。》《さて、十四号に亘ってご案内して参りました小冊子「ひやね」を、この機に終刊とし、新たに趣味の季刊誌「木香往来」を、発刊することに相成りました。今回は、その創刊準備号で、次回からは、従来の限定本、こけし、蔵書票、古書全般のご案内に加えて、楽しい本の話、こけしの話を特集してゆきたいと考えております。》(ごあいさつ)

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この九月に、秋朱之介氏の『書物游記』を刊行いたしました。本の世界から遊離して以来、今日まで沈黙の内にあった秋氏の初めての書物文集であり。戦前の限定本書肆の世界を知るためには、欠かせないものです。》(同)

【創刊準備・目次】
秋朱之介本の魅力………齋藤専一郎
香水本『香炎華』を巡って………佐々木桔梗
書痴の記念碑………荻生孝
期待するもの………高橋五郎
新刊御案内
ごあいさつ………比屋根英夫
表紙・高橋輝雄



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残念ながら創刊号はなく、これが『木香往来』第貳(書肆ひやね、一九八九年七月七日)および『木香往来』第貳附録(向って左)。

【第貳・目次】
………高橋輝雄
高橋輝雄さんのこと………荻生孝
スクラップ………呑気亭
手紙………
埋め草………高橋五郎
本物をさぐる………木犀窓
善本販売目録
表紙・カット 高橋輝雄

現在、有料会員の方が五百名近くになりました。しかし、まだまだ赤字の状態です。これが千部近く出せれば、カラー版や木版画等の貼り込みを奮発して、一層楽しい冊子になります。何とぞ、会員諸氏のご助力をお願いする次第です。》(たより)

今年は、内田百閒の生誕百年に当ります。その百年を記念して、百閒文学の真髄である『冥途』について、平山三郎氏に原稿を依頼しました。〈『冥途』の周辺〉と題して、これは、秋に創刊される「木香叢書」の第一号として出版されます。(同)

第貳号附録は「佐久間俊雄誌上入札会」「善本古書即売目録」掲載。

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『木香往来』第参號(書肆ひやね、一九九〇年二月二八日)。

【第参・目次】
谷中安規追想………平山三郎
スクラップ………ル・ポール
「作並不明」を見る………橋本正明
志田菊磨呂誌上即売………
善本販売目録………
表紙・高橋輝雄
カット・谷中安規

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4〜5頁

平山三郎「谷中安規追想」より

その時分、百閒先生は安規畫伯のことを云ふのに「風船畫伯」などとは云はず、たになか、たになか、と云つてゐた様である。
 佐藤春夫の「親子ルンペンの話」といふ小説は昭和十年一月の作で、谷中安規の生活を描いてゐる。

安規畫伯の變つた獨身生活を佐藤春夫が聞書きした小説で、親は「やすのり」と呼び、自身は他人が呼ぶのにならつて「あんき」と云つてゐたらしい。
 後年、料治熊太さんにわたしの聞いたところによると、版畫冊子「白と黒」編輯部、すなはち料治さんの家に谷中が來る時は、かならず「やなか墓地のやなかでーす」と云つて這入つてきたといふのだ。「風船畫伯」は若い頃から「いうれい」とあだ名がついた程痩せてゐたので、谷中墓地のと云つてオドカすつもりだつたに違ひない。

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挟み込まれていた内田百閒『冥途』新装版(谷中安規装画)の図版。

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そして移転の「ごあいさつ」と「正誤表」。




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平成六年年賀状。



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「又々移転のお報せ」平成五年五月二七日付け。
東京都千代田区神田淡路町2−3−12安和ビル1階



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店舗移転の案内、平成二年四月。
東京都千代田区神田三崎町三二みさきビル1F



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『玻璃』遅刊行の詫び状、一九八四年八月

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『玻璃』(
玻璃舎
)創刊号は限定三百部、一九八二年発行。第二号は一九八三年発行。第三号は八四年発行である。いずれも表紙に深澤幸雄の銅版画貼付け、萩原英雄版画付き。第三号に普通本あり。この関川文から発行に苦心している様子が読み取れる。

同人一同、原稿執筆には馴れていても、発行や販売の実務には全く無知の素人仕事のため、頒布方法一つを取りましても、関係者が各自で購読申込みを受付けた結果、申込過剰となり、一部の方がたには一旦受付けた申込みを取消すような事態を生じてしまい、まことに申訳けなく思っております。
 また、二号で値上げしたにもかかわらずふたたび赤字となり、編集同人は勿論、装画、制作、販売等の部門まで私費持出しで労力奉仕をする結果に終りました。
 これはいかにも不合理でありますし、またこのままでは継続刊行不可能と思われますため、原価、諸経費等につきまして種々合議の上、第三号から定価を一部五千円に改定し、また以後の販売は一括して書肆「ひやね」が取扱うことに改め、後続雑誌刊行の安定をはかることに致しました。また、読者から、ナイフを入れるにしのびないため、内容を読むことができないとの声が多くあり、それでは当舎の趣旨にも反しますので、三号より、洋紙に印刷した並製本を添付いたします。

丘書房と書肆ひやね連名のもう一枚の手紙には第三号からは会員制にして三百人で受付を締め切ると書かれている。『玻璃』第四号は平成十年発行のようである。それ以後は不明。

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by sumus2013 | 2017-08-31 21:02 | 古書日録 | Comments(0)

新約全書 遠い声 

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うかつなことながら、古河力作が監獄で読んだ新約と同じ系統の『新約全書 詩篇附』を架蔵していた。本日、ある別の資料を捜していて本棚の隅で見つけたのである。上の写真のように掌に納まるサイズだ。そういえば、思い出した。表紙の革がもうボロボロ、手を触れれば指が茶色くなるくらい、だったのでニスを塗ってコーティングした。光沢はそのため。

大正三年(1914)一月八日発行。本書は大正五年四月(二千部)である(刷数は記載されていない)。発行者は《神奈川県横浜市山手町二百廿二番地/米国人/エッチ、ダブルユー、スワールツ》、発行所は米国聖書会社(神奈川県横浜市山下町五十三番地)。印刷所は福音印刷合資会社、印刷者は村岡平吉。

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水上勉が引用しているルカ伝第十九章と訳文を較べてみると、多少の文字の違いはあるが、ほぼ同じ文章だと思える。

また、もう一冊力作関連の書籍を恵投いただいたので紹介しておく。瀬戸内晴美『遠い声』(新潮社、一九七〇年三月五日、装幀=駒井哲郎)。管野須賀子(瀬戸内は「管野」で通している)を主人公とした「遠い声」と古河力作の監獄での心境を力作の語りで描いた「*付 いってまいります さようなら」。

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実名小説である。その分、よく調べて書いている。ただ、力作の語り出しのこういうところはどうなのだろう?

今日は明治四十四年一月二十四日だ。晴れ。寒気厳しけれど、二、三日前に比べてややしのぎよしというところか。独房の鉄窓からつくづく青空を仰ぐ。ここに入った当座は、毎日首が痛くなるほど見上げていた四角い小さな空だけれど、人間という動物は狎れるという恩寵だか劫罰だかしらないものを与えられているとみえて、いつのまにか、一度も空を仰がない日さえあったようだ。
 しかし、今日は、格別に空の青さが目にしみわたる。今年一月の元旦に、あの小さな空に、ふわっと凧があがってきた時の感動を思いだす。粗末な赤い凧は二本の紙の細い尻っぽをつけて、ふらふらと頼りない恰好で舞い上り、しばらく僕の鉄窓の枠の中で遊んでいた。

これはあり得ないだろう。水上勉は東京監獄の立地、仕様を次のように描いている。

明治三十九年発行の「風俗画報」の四谷牛込図を繙くと、この監獄は林の中の高台に位置しており、通りに接した方に、四つの寺院がある。

東京監獄の独房は、四監八監の二監房ありまして、一監は二十四室、したがって四十八室です。

みな独房であったから、本人には、連座した他の主義者が、同じ廊下つづきにいることなどわかっていたわけではない。一人ずつ収容され、一人ずつ個室で裸にされ、身体検査をうけた。個室には、水道、便器があるほかは、何もない板の間で、窓といっても、背のとどかない高いところに、二尺四方くらいの金網を張った穴ひとつ。二十六人の収容者に、二十六人の看守がつき、それらの看守は交代制だから、一人が二人をうけもつことになる。

監房の窓は天窓ではなく壁側にうがたれていたものと思われる。市ヶ谷の高台で凧など見えようはずもないし、もし見えるとすれば、それは監視する側にとって大問題ではなかろうか。瀬戸内がどこからこんなイメージを思いついたのか、ひょっとして誰かがそんな回想でも書いているのか、すぐには分らないにせよ、ここを読んだだけではなはだ興を削がれたことは白状しておこう。


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by sumus2013 | 2017-08-25 21:42 | 古書日録 | Comments(0)

三四郎

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夏目漱石『三四郎』(名著複刻漱石文学館、日本近代文学館、一九八二年六刷)読了。ずっと昔、文庫本で読んだ。青木堂という喫茶店が登場することは覚えていたが、それ以外はほとんど記憶の外であった。明治四十一年、東京朝日新聞と大阪朝日新聞に連載され、四十二年五月に春陽堂から単行本として刊行された。主人公である三四郎は熊本から上京し東京帝大に入ったばかり。時代設定は明瞭ではないが、憲法発布の時(明治二十二年)に森文部大臣が暗殺されたという広田先生の回顧談のなかに《それぢや、まだ赤ん坊の時分だ》とあるから三四郎は明治二十一年頃の生れと思っていいだろう。とすれば、ほぼ連載と同じ時代を描いていることになる。

広田先生の話にはこういう分析もある。

近頃の青年は我々時代の青年と違つて自我の意識が強過ぎて不可[いけ]ない。吾々の書生をして居る頃には、する事為す事一として他[ひと]を離れた事はなかつた。凡てが。君とか、親とか、國とか、社會とか、みんな他本位であつた。それを一口にいふと教育を受けるものが悉く偽善家であつた。其偽善家が社會の變化で、とうとう張り通せなくなつた結果、漸々[ぜんぜん]自己本位を思想行為の上に輸入すると、今度は我意識が非常に発展し過て仕舞つた。昔しの偽善家に對して、今は露悪家許りの状態にある。

ここを読んでいて『古河力作の生涯』に引用されている力作が獄中で書いた「僕」という文章を連想した。

僕は無政府主義者です。然し献身的のことは実際ようやらぬ。又主義にも囚はれても居ない。ドグマのために自由を束縛されるのはいやだ。僕は人智の進歩は近き将来に於て私有財産制度を廃滅して無政府共産制となす事を確信する。
 生活難、貧困、生存競争、弱肉強食等の存する社会よりも、自由、平等、博愛、相互扶助、万人安楽の社会を欲す。戦争なく、牢獄なく、永遠の平和、四海兄弟の実現を望む。僕の理想は個人の絶対自由と社会の幸福とことごとく一致せん事である。

力作の思想の大元には広田先生の言う自我の意識の強さあるに違いない(力作は三四郎より四つほど年上)。しかも個人本位を突き詰めて世界の完全平和を目指すというのだから驚かされる。そういう意味で広田先生の造語「露悪家」という響きは何とも皮肉に聞こえる。なぜなら力作の描くユートピアは国家基盤の脆弱な明治政府にとって「極悪」に違いないと思われるからである。それはこんな世界なのだ。

僕の理想社会は、先づ金銭の必要なき社会にして、空中飛行機によつて交通自在となり、世界の人種、言語、風俗、文明の程度ことごとく同一となり、地図の上に画したる国境と称する一仮定線は除かれて、世界一国となり一家族となり、何処に至るも帰宅するの必要なく、我家なく家庭なく、親子、兄弟、姉妹、叔姪等の関係分明ならず、他人の如くにして他人ならず、他人ならずして他人なり。而して思想、容貌の美醜、賢愚の差消滅し、心欲する所を行ふて、則を超えずと言ふ様なのだ。

この力作のユートピアに対して広田先生がどうコメントするのか想像してみるのも、ちょっと面白いが、上の発言のもう少し先で次のようなことを喋っている。

形式丈美事だつて面倒な許だから、みんな節約して木地丈で用を足してゐる。甚だ痛快である。天醜爛漫としてゐる。所が此爛漫が度を越すと、露悪家同志が御互に不便を感じて来る。其不便が段々高じて極端に達した時利他主義が又復活する。それが又形式に流れて腐敗すると又利己主義に帰参する。つまり際限はない。

広田先生の考えでは人間そう極端に振れたままでいることはできないらしい。

それにしても、力作の空想していた世界は今われわれを取り巻く世界にかなり似ているように思う。とくに、インターネット時代の仮想世界において力作のユートピアが実現されようとしているのではないだろうか? まあ、地上ではミサイルを射つとか射たないとか、明治時代とそう変らないパワーゲームが続いているわけではあるのだが……。

広田先生は森文部大臣が暗殺されたときに学生だった。二十年を経て《我意識が非常に発展し過て仕舞つた》若者たちが目立つ社会になっている。この唐突に登場するテロリズム(その葬式に並ばされたとき美しい少女を見たという話題である)と自意識過剰の組み合わせというのは漱石が「大逆事件」を予見したと考えてもいいくらい鋭い構想であったと思われる。

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by sumus2013 | 2017-08-20 21:53 | 古書日録 | Comments(0)

CUBISM

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『CUBISM』(James Goodman Gallery, 1989)。下鴨での一冊。ニューヨークのジェイムズ・グッドマン・ギャラリーは一九五八年に創業、アメリカでも最も有力な画廊のひとつのようだ。この冊子には、ル・フォーコニエ、グレーズ、クプカ、マルクーシス、メッツィンジャー、ヴァルミエ、ヴィヨンの作品図版が収められている。展覧は一九八九年二月一〇日から三月一一日まで開催された。すっきりした表紙デザインが秀逸。

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Mountaineers Attacked by Bears


この展覧会の目玉はアンリ・ル・フォーコニエ(Henri le Fauconnier)の「熊に襲われた登山家たち Mountaineers Attacked by Bears」(1910-12)。これは一九四八年に展示されたのを最後に行方不明になっていた作品だそうだ。ジェイムズ・ニール・ニューマンがカタログに書いている序文が興味深いのでかいつまんで紹介しておく。

二十世紀の初め、若きフランス人アンドレ・ルヴェル(André Level)がコレクターたちのグループを作った(アメリカ合衆国で)。月に一度、彼らは小さなレストランに集り、どんな絵を見たか、とかどれが興味深い作品だったか、などということを話し合った。そして資金を出し合ってプールし、これぞという作品が見つかると購入した。一九〇八年頃にはじまり第一次大戦前夜まで続いたそうだ。ちょうどキュビスムの発展期と重なる。彼らのグループは十八世紀新大陸におけるフランス人の心意気を見習って「熊の皮 Peau de L'Ours」と名付けられた。もっとも有名な購入品はピカソの「サルタンバンクの家族 Family of Saltimbanque」(現在はワシントンD.C.のナショナル・ギャラリー・オブ・アートが所蔵)である。

そして十年ほど前(一九八〇年頃ということか)、全米にちらばったコレクターたちのグループによって「熊の皮2」が結成されることになった。小振りな作品ばかりを収集していたのだが、四年前、運命の風によってル・フォーコニエの「熊に襲われた登山家たち」という大きな絵画を入手したのである。作品を購入したはいいものの、あまりにサイズが大き過ぎて、どのメンバーの居間にも飾れなかった。その話をメンバーの一人から聞いたジェイムズ・ニューマンは、その大作を目玉にマイナーなキュビストたちの作品と組み合わせて展覧会を構成することを思いついた、というのである。

なかなかいい話ではないかな。

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by sumus2013 | 2017-08-19 16:36 | 古書日録 | Comments(0)

古河力作の生涯4

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『舊新約聖書』(米国聖書協会、大正三年一月八日)。このブログでしばしば引用する聖書の文言はほとんどこの本によっている。古い聖書というのは思ったより高価なもので、そのためか、あまり均一では見かけないのである。これはもう四十年ほども前に求めたもの。何度か、創世記から順に読破しようと試みたが、どうしても読み通せず、必要なときに必要な章句だけを参照するにとどまっている。

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古河力作が獄中で読んでいた『新約全書』に関する資料を某氏が送ってくださった。感謝です。『一滴』第八十六号(若州一滴文庫 一滴の会、一九九五年一〇月一〇日)に水上勉が「古河三樹松さんと力作さんの遺品「聖書」のこと」を執筆している。その記事コピーである。若州一滴文庫というのは水上が郷里の福井県おおい町(大飯町)に私財を投じて建設した総合文学館。二〇〇三年よりNPO法人一滴の会が運営している。

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昭和四十六年秋ごろのことだった。三樹松さんは、当時、東京牛込の四谷見附の公設市場のなかにあった書店を経営しておられた。私を三樹松さんに紹介したのは、当時平凡社の太陽編集部におられた吉浜勝利氏である。吉浜さんの依頼で、古河力作さんのことを調べていたのだが、力作さんの実弟であられる方が東京におられる、ときいて、吉浜さんに四谷の市場までつれて行ってもらった。三樹松さんは、大正時代から昭和初期にかけ平凡社の創始者である下中弥三郎氏宅の書生をしておられたので、平凡社と縁が深く、四谷の書店も同社発行の百科事典をはじめ、美術書や歴史書を中心に販売され、開店以前は本をリヤカーにのせて、行商した、とご自分でおっしゃっていたから、書生をやめられて、社会で独立するためには店舗をもたねばならなかったので、その資金をつくるための行商であった、というような話もされた。

いよいよ力作さんに死刑執行がきまって、家族との面会が許された日、幼い弟妹が市ヶ谷刑場で、力作さんに会われた時のことなども、くわしく話して下さった。なんども目頭をうるませておられた。

詳しく聞いていたのだ、それなのに……。

その三樹松さんが平成七年五月十八日に亡くなられた。私は当時二どめの胃の手術で入院直前で病中だったため、お葬式にゆけなかったが、三樹松さんには、五人のお嬢さんがおられ、三女のさゆみさんが、私の住む長野県下に嫁がれていて、ご夫君が長野放送の専務多賀清雄氏だったご縁もあり、このたび、三樹松さんのご遺品のなかから、さゆみさんがご父君からいただかれていた「聖書」を、ごきょうだいご相談の上で、若州一滴文庫におあずけくださることになった。この「聖書」は堺利彦氏が市ヶ谷刑務所に拘禁中だった力作さんに面会した際、差し入れとして贈られたもの。力作さんが、死刑執行の当日までよんでおられたとつたえられる貴重な聖書だった。

堺利彦が差し入れた? すでに引用したように『古河力作の生涯』にはこうある。

残されたものは、堺枯川から、慎一氏に手渡された獄中遺品の小さな聖書であった。これは、前にもふれたようにクリスチャンの花つくり印東熊児氏が、獄中の読書にと差し入れたタバコ箱大くらいの豆聖書である。》(十五章)

差し入れたのは印東である。堺枯川(利彦)から力作の父である慎一に手渡された、というところを勘違いしたのかもしれない(?)。

私は、同郷出身の作家として、また、力作さんご兄弟の故郷に近い大飯町に図書館を建てさせていただいたご縁をもつものである。この館の一隅に、古河力作さんの遺品、獄中の愛読書だった「聖書」の保存をたのまれた光栄をふりかえって感慨ふかいものをおぼえる。

若州一滴文庫-水上文学と竹人形文楽の里-

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by sumus2013 | 2017-08-16 21:11 | 古書日録 | Comments(0)