林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:古書日録( 728 )

開店いたしました!

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麥書房の開店チラシ。某書店さんより頂戴した。深謝です。ガリ版刷りの一枚(タテ183ミリ)。裏面は白。小田急梅が丘駅下車三分。羽根木公園に接して店があった。ただし山下武『古書のざわめき』によればそれ以前(昭和四十年頃)には中目黒の商店街で店を出していたようである。

梅ケ丘の店舗は公園の土手に面したさびしい場所で、昼でもまったく人通りのない、およそ商売には不向きな場所だった。店主もそこのところは百も承知で移転したはずで、まもなく「サロン・ド・ムギ」という通販目録を発行し始めた。A5判の瀟洒な孔版刷ながら、蒐書傾向に独特な味がある。値付けは他店より二、三割高。しかし面白い物も出るので毎回のように注文したが、顧客も多いとみえクジに外れることのほうが多かった。

そのうち彼は立原道造の著作の刊行に熱中して古本屋稼業の方は開店休業の有様となり、いつしか店も閉めてしまった。
 その兆候が最初に表われたのは、店の棚の半分以上を新聞紙で包んだ文芸雑誌のバックナンバーが埋めるようになった頃からである。呆れ顔で棚を眺めている僕に向って彼の言った言葉がいまも耳に残っている。
「単行本より雑誌が貴重です。単行本は売ってもまた手に入りますから」
 ほどなく彼が道造の著作集や書誌類の出版を始めたことで、その理由がはじめて納得いったことだった。

麥書房堀内達夫については田村七痴庵が『古書月報』404号にその伝を執筆しているようだが、今手許にないので、このくらいにしておく。



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by sumus2013 | 2017-07-25 20:00 | 古書日録 | Comments(0)

ラ・エー(垣根)

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パリで頂戴したDVD「LA HAIE(垣根)」(2011)。じつに面白い作品だと思った。アラン・ドゥアイー(ALAIN DHOUAILLY)氏のシナリオ、撮影、監督。奥さんのキョウコ(KYOKO NAGASAWA-DHOUAILLY)さんも協力されている。そう、お二人は古本屋さんである。だから知り合った。いや、もともとアランさんはテレビ局で番組制作に携わっていたそうで(一九七〇年代〜八〇年代)、そちらが本業と言えば本業なのだ。

フランス中央部にあるクルーズ(CREUSE)という地方が舞台。農耕には適さない土地柄で昔からおもに牧畜で支えられてきた。その片田舎で隣り合わせに農業を営むロジェとセルジュの物語。ロジェは引退した老農夫で一人暮らし、セルジュは意欲的な若い農夫で恋人と住んでいる。セルジュはロジェに機械を入れて大々的にバイオ燃料用の菜種を作るから土地を売ってくれという。しかしロジェはうん(ウィ)と言わない。バイオ燃料は環境を破壊するからだ。

ロジェは二人の農地の境に垣根を作ろうと決心する。それは金網や有刺鉄線ではなく、境界沿いに生えている灌木をそのまま利用して編み上げる自然の垣根である(これは生きた竹を折り曲げて垣根に使う桂垣と類似したやり方)。ロジェは村人たちに援助を頼むが、どの家もいろいろな理由で(主に老齢化)断り、誰も手伝ってくれない。おそらく昔は村の皆が互に助け合ってそういう作業を行ったものであろう。ロジェはひまをみては少しずつ垣根を作って行くが春までに間に合うのだろうか……

垣根を作っている間にもさまざまな事件が起きる。それは事件というほどでもない、しかし本人にとっては大きな出来事、例えば飼い猫の死、例えば昔から知合いの女友達にいっしょに暮そうと言われるとか、セルジュの恋人が都会へ去ってしまうとか……

映画というよりもTVのドキュメンタリー番組を見ているようであり(むろん出演者はみなコメディアンで、素人ではない)、また撮影しているアランさん本人もロジェの映画を撮りたいとやって来た監督としてチラリと登場するというメタ・フィルムのような仕立てにもなっている。頑固な老農夫をユーモラスに描きながらフランスの農業問題や環境問題を正面からリアルに捉える意欲作である。

「ラ・エー」はコメディである。そのいちばんの狙いは笑いを誘うことである。だが、コメディにおいてはしばしばそうであるように、笑いの裏に、われわれ皆に関わりのある重い主題が感じられる。》(ジャケットより)

【ほんのシネマ】
ロジェ(俳優はルネ・ブールデ RENÉ BOURDET)が打合せに来た監督に自分の本棚と亡妻ミレイユの本棚を示す始まってすぐの場面。英語字幕のついているヴァージョン。

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アランさんは久々に新作に取り組んでおられる。ブラッサンス公園で店番している間にもPCに向ってシナリオに手を入れておられた(のだと思う)。どんな作品になるのか、楽しみに待ちたい。本格的に撮影にかかれば古本屋はお休みするようだけど……


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by sumus2013 | 2017-07-24 21:45 | 古書日録 | Comments(0)

厄除け詩集

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持っているという記憶がなかったのだが、書棚をふと見ると井伏鱒二『厄除け詩集』(講談社文芸文庫、一九九四年七月二〇日三刷)が挿してあったので、アッと思って、抜き出してみた。そうだったのか、どうして宮崎修二朗翁が最初に『臼挽歌』のことを大岡信に知らせたのか納得できた(触媒のうた)。大岡は本書に解説「こんこん出やれーー井伏鱒二の詩について」を寄稿している。その初出が『海』昭和五十二年八月号なのである。ということは初出の時点では大岡は『臼挽歌』を知らなかった。

実は私は、これらの訳詩の由来についての「田園記」の記述は、井伏氏独特の作り話であろうと思いこんでいたが、宮崎修二朗氏の教示によって現実に下敷きになった本があるのを知り、むしろ意外な思いさえした。

この後に続けて若き井伏が『伊沢蘭軒』連載中の森鴎外にニセの手紙を書いたことや『遥拝隊長』に出てくる俚謡とされる詩が「つばなつむうた」として本書に収められていることを挙げて「田園記」の井伏自身の記述を信じなかったことについて多少の弁解を試みている。井伏が嘘つきなのは間違いない。しかし嘘には本当というタネが必要なのである。

本書は『井伏鱒二自選全集』(筑摩書房、一九八六年)と筑摩版『厄除け詩集』(一九七七年)を底本としているそうだ。河盛好蔵の解説「人と作品」に付された書影は昭和二十七年に木馬社から出た『厄除け詩集』である。初版は昭和十二年(野田書房)と年譜にあるのでネット上で書影を捜したのだが、けっこう手間取って、やっと見つけた。コルボオ叢書の一冊として百五十部だけ刊行されたようだ。

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by sumus2013 | 2017-07-20 20:14 | 古書日録 | Comments(2)

大吉にて

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七月十一日、水雀忌。寺町通り二条下がるの「大吉」にて。この写真は二〇〇二年一〇月一六日に撮られたもの。このとき小生は夷川通りの湯川書房で個展中だった(一〇月一四日〜一九日)。大吉のご主人杉本氏とその息子さんがこの日会場に来てくださったから、午後五時前に閉店にして、湯川さんと、池坊美術館で表具の展覧会を見て来られた戸田勝久さんと三人でおじゃましたのだった。杉本氏撮影と思う。息子さんの淹れてくれた珈琲が美味だった。

吉岡実『神秘的な時代の詩』(湯川書房、一九七四年)


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by sumus2013 | 2017-07-11 15:48 | 古書日録 | Comments(3)

七夕目録

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平成29年第52回明治古典会七夕古書大入札会』目録を某氏より頂戴した。スタート価格十万円からのようなのでこちらとしては何も心配する必要はない。ただ洲之内徹の原稿「雨の多い春」九十三枚が十で出ているのが気になるくらい。漱石の子規宛書簡三通だとか、堀辰雄の原稿だとか立原道造の手作り詩集だとか稲垣足穂関係資料一括だとか河田誠一資料一括だとか「ホッホー」とため息をつきながら眺めていたが、なかではやはり上に掲げた中原中也書簡には驚かされた。

大正十五年十一月は十九歳の中也がアテネ・フランセに通い始めた頃である。前年三月、京都で出会った長谷川泰子とともに上京。四月に小林秀雄と知り合っている。ところが十一月には泰子が秀雄のもとへ走る。十五年四月、中也は日本大学に入ったがすぐに退学、その秋、アテネ・フランセへという流れだが、泰子と別れて一年、小林との間にわだかまりはもう全くないようにも読める文面だ。ディクテがあるから授業に出ないというのは翻訳のためだけにフランス語を学んでいたということだろう。

金澤行き、藤村の悪口などもそうだが、「先日は失敬」ではじまり「失敬」で終わっているのも妙に興味深く感じられる。

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by sumus2013 | 2017-07-07 19:24 | 古書日録 | Comments(0)

骨論之部

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骨から骨へ……というわけでもないが、本日は久米桂一郎『芸用解剖学 骨論之部』(画報社、一九〇三年二月二七日)を紹介する。表紙に箔押しで記されたタイトルは『芸用解剖学 骨論部』だが扉では『芸用解剖学 骨論部』となっている。また著者についても扉では《森林太郎/久米桂一郎/同選》とあるが、奥付に記された著者名は久米のみ。「同選」は詩文のアンソロジーにおいて撰者が二人以上いる場合に用いられるようだ。合選とも。森鴎外の日記に照らすと久米の原稿を鴎外が校閲するというような共同作業だったらしい。

美術解剖学の流れ 森鴎外・久米桂一郎から現代まで』(久米美術館、一九九八年)図録の解説(伊藤恵夫)によれば、本書は明治三十六年初版で、その後明治三十八年に改訂増補版、四十一年に第三版が発行されている。雑誌『美術評論』第五号から第二十三号にわたって十五回連載された内容(連載時の筆者は「无名氏」)に雑誌廃刊のため発表できなかった部分を増補して刊行された。また次巻では筋肉から姿勢、運動に関する記述へと進む予定だったが、完成は見なかった。

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久米が典拠としたのはポール・リッシェ(Paul Richer)の『Nouvelle Anatomie Artistique』(1912,1920,1921)三冊で、本書はその第一巻(骨格と筋肉)の部分訳(?)になるのであろう。久米は明治十九年にフランスへ留学。ラファエル・コランの門に入り西洋画を学ぶとともにモンパルナスの夜学校(L'École du Soir)でデッサンに励んだが、そこで解剖学に出会い積極的に勉強を始めた。明治二十六年帰国。二十九年、黒田清輝らと白馬会を結成。この年開設された東京美術学校西洋画科において美術解剖学と考古学の講義を受け持ち、大正十五年まで三十年間講じた。


中村不折『芸術解剖学』

パリ植物園 古生物学比較解剖学展示館


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by sumus2013 | 2017-05-22 20:40 | 古書日録 | Comments(0)

こゝろ

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漱石についてなんとか書き上げた。美術との関わりを少々。ちょうど呻吟しながら書いている最中に『學燈』春号(丸善出版、二〇一七年三月五日)「「學燈」創刊120周年記念 特集夏目漱石」を某氏が送ってくださった。ここに古田亮氏(東京藝術大学准教授)の「漱石の美術鑑賞」という一文が収められていて、おお、と思ったのだが、小生が書こうとしていたこととはほとんど重ならないのでひと安心。この文章はB・リヴィエアーの絵「ガダラの豚の奇跡」と「夢十夜」の第十夜の類似について(二〇一三年に「漱石の美術世界展」という展覧会があったのだ、知らなかった)。

もうひとつ祖父江慎氏の「不安定な文字、不安定な本ーー漱石の『こころ』と、書籍デザイン」というエッセイも面白く読んだ。氏は新装版の『こころ』(二〇一四)をデザインしたときの観察から漱石が自ら手がけたその装幀の謎に迫っている。

まずタイトルについて「こころ」「こゝろ」「心」など一定しておらず、その書体も楷書体や篆書体が使われており、化粧箱には《甲骨文のような金文のような謎の古代文字》が書かれていると指摘。その文字は函のヒラに書かれている手と縦棒(上の写真左)の文字を指す。これはふつうなら「父」とか「失」とか、または「寸」と読んでみたいところなのだが、タテ棒が手の右側にあるというのは手許の字書にも見当たらない(御教示を)。祖父江氏は

もしかするとペンを手放した手、つまり「遺書」という意味の漱石創作文字かもしれません。

と飛躍して考えておられるが、あながち無視できない指摘であろう。ただし、函のヒラに大書しているのだから、当然「心」のつもりだったと考えるのが自然である。この形に出典があるかないか、それだけが問題だろう。

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函(左)と本体の背


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口絵(漱石による)


また本体表紙の石鼓文のアレンジについても面白い説を開陳しておられる。

漱石の下絵をコンピュータで起こしてるときに、面白いことに気づきました。表紙を伏せて開いて見たときの右上、つまり表四の最初の目立つ場所に「馬」の文字があります。それから背の著者名の下の目立つところには雄鹿と雌鹿のふたつの「鹿」の文字が、書かれています。たまたまかもしれませんが、併せて「馬・鹿」です。「馬鹿」といえば、この作品のキーワードでもあります。

「向上心のないものは馬鹿だ」と友達のKから言われたことが悲劇(?)の発端になることを指す。これもまたあながち軽んじられない推論である。漱石ならやりかねない。

これらの他にも、どうして岩波書店から出版したのか? どうして自分で装幀したのか? という謎も残っている。

もしかするとこの作品を、言葉のように、なるがままに委ねてみたかったのかもしれませんね。漱石は、本になって流通するところまでの構造全体のデザインを行ったんだという気がします。

祖父江氏はこう解釈している。さて、どうなのだろうか。

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by sumus2013 | 2017-05-18 21:46 | 古書日録 | Comments(0)

誤植の効用

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『歴程三百号記念』(歴程社、一九八三年一〇月一日)。この雑誌をペラペラめくっていると(いつものように)高橋新吉の文章が目に留まった。「小林秀雄のこと」。

京橋にあるウィンザーというバーで小林と喧嘩をした。それ以来親しく話したことはないと書きつつ、小林をこきおろす。そしてここいうところにケチをつける。

新潮社の「波」というPR雑誌に、白洲正子が、次のように書いていた。「小林秀雄さんがいつか私に、『洲之内という人は今一番の批評家だね』といったことがある。ーー」
 これを読んで私は、噴飯ものだと思ったが、同時に小林の敵意を感じたのである。
 私は、「気まぐれ男へ」の中に「こんな男に、芸術のことなどわかる筈はない。」と、洲之内のことを書いている。これは洲之内が中国で特務機関か何かにいた時、中国へ一度も行ったことのない小森盛と、土方定一が北京から連れ立って、洲之内を訪ねてきたように、土方に愛媛新聞に書かせていたので、こんなウソを言う洲之内には、美術批評などできる筈はないと思ったからである。》(「小林秀雄のこと」)

白洲正子に対してはかなり気を遣っているが、洲之内徹には容赦なく攻撃が続く。

洲之内の売名工作のうまさ、処世術の巧みさは、驚くばかりであるが、大和民族のように、罪に寛大な人種も少ないようだ。》《森敦や洲之内徹のように、私を狂人のように言いふらすのは許せない。私は狂人でないことをここに書き添えておく。》(「小林秀雄のこと」)

ということで洲之内徹が高橋新吉についてどのように書いているのか知りたくなった。どうしてそんなに高橋新吉が怒っているのか? こういうときに『sumus 05』の気まぐれシリーズの人名索引がこの上なく便利。すぐに答えが出た。高橋新吉は『気まぐれ美術館』に二度、『帰りたい風景』に一度、『さらば気まぐれ美術館』に二度登場している。ところが、段ボール箱に納めてあるそれらの本を取り出すのに酷く骨が折れた。やれやれ。

それらによると高橋新吉は洲之内徹とは親しくしていたようだ。同じ愛媛県出身ということもある。田村泰次郎のころの現代画廊で水墨画展に参加したり、後には案内状に解説を書いたりもしている。ではどうして? 『さらば気まぐれ美術館』(一九八八年)所収の「誤植の効用」を当ってみると、そこに怒りの謎解きがしてあった。

高橋は土方定一が書いた文章(松山で開かれた洲之内コレクション展の図録)に登場する「小森盛」という人物が中国などには行ったことがないのを直接知っていた。ところが土方が中国で洲之内に紹介した小森は「小森武」だった。武と盛の間違いが高橋新吉をして洲之内徹をペテン師呼ばわりさせることになった。

銀座の永井画廊で《高橋新吉書画展》が開かれたが、その会場で高橋さんが小森盛氏の、自分は中国へは行ったことがないという返事の手紙をゼロックスでコピーして、来る人みんなに配り、洲之内というやつはこういうやつだ、こういうありもしないことを土方定一に書かせたんだ、と言っていたらしい。》(「誤植の効用」)

ここまで洲之内が悪者にされるには理由がある。

それにしても、高橋さんはなぜそんなに怒っているのか、それが私にはわからない。私がそう言うと、私にその話をする人は、洲之内はオレのことを強盗と書きやがった、娘の嫁入りの邪魔になる、と言って高橋さんは怒っているというのだ。》(「誤植の効用」)

強盗発言は洲之内徹が「虫のいろいろ」と題して書いたエッセイにある(『帰りたい風景』一九八〇年、所収)。

汁粉屋の頃、いちど高橋新吉氏が、東京から帰ったといって訪ねてきた。その高橋さんに何も知らない私の女房が汁粉を出したが、これには流石の高橋さんもたじたじの態に見受けられた。高橋さんは紫色の小さな風呂敷包みをひとつだけ持っていて、その中には立派な硯がひとつと、包丁が一本、『強盗の研究』という本が一冊入っていた。そして、私に、
「お前はこの頃、原稿料でだいぶ稼ぎがあるだろう」
 と、まるで本物の強盗みたいなことを言ったが、これでも判るように、実はその頃私は小説を書いていて、ほんの二、三年の間であったが、何回か作品が文芸雑誌にも載ったりしたのである。》(「虫のいろいろ」)

この描写がなかなかいい。そのためにとばっちりを受けたか。「誤植の効用」には次のように書かれている。

私としては郷土の大先輩であり、伝説的人物でもある高橋さんに対する親愛の情をそんなふうに書いたつもりだけれども、高橋さんがそれで怒っているとすればしかたがない。
 しかたがないが、しかし、こうなるとやっぱり笑い話だ。ある日、戸田達雄氏と電話で話したとき、私はこの話を戸田さんにした。戸田さんは大正時代の未来派美術協会やマヴォにもいた人で、詩人であり画家であった尾形亀之助とも親しかった人だ。私が、
「何だかしらないけど、高橋新吉がばかに怒っているんですよ」
 と言って、笑い話のつもりでこの話をすると、電話の向こうで戸田さんはすこしも笑わず、ひどく真面目な声で、
「高橋新吉とはそういう人間ですよ」
 と言った。私は、私の軽薄さを戸田さんにたしなめられたような気がした。そうなのだ。笑い話ではないのだ。高橋新吉とはそういう人なのだ。》(「誤植の効用」)

そして後日談。

去年だったか一昨年だったか、地下鉄銀座駅のホームで、私は高橋さんにぱったり会った。
「高橋さん」
 と、私が声を掛けると、高橋さんは一瞬、悪びれた子供のような顔をして、
「お前のことをいろいろ書いてやったが読んだか」
 と言い、私をそこへ残して、入ってきた電車の、開いた扉の中へ消えた。私が高橋さんを見たそれが最後である。先頃、高橋さんは亡くなった。》(「誤植の効用」)

高橋新吉が歿したのは一九八七年六月五日。洲之内徹は同じ年の一〇月二八日、後を追うように歿している。

つい書いてしまったことから思わぬとばっちりを受ける……ブログを書く身としても気をつけないといけない。気をつけても防げるものではないだろうが。

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by sumus2013 | 2017-05-11 20:39 | 古書日録 | Comments(0)

書画珍本雑誌社

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いつも珍資料を頂戴する某氏よりまたまた変った紙モノを頂戴した。それは「書画書籍価格符号表」。発行は書画珍本雑誌社(大阪市東区北久宝寺町一丁目四十八番地)。説明を読むとどうやら『書画珍本雑誌』の付録だったようだ。本誌に掲載されている書画・雑誌の価格符号を解読するためのアンチョコである。《毎号共通乞保存》と書かれている。『書画珍本雑誌』にはお目にかかったことはないと思うが、日本の古本屋にはけっこう出品されているのでそう珍しいものではないようだ。

これまでもいくつか紹介してきたように値段の符牒というのは古くから存在する。

『掌中和漢年代記集成』(文江堂、文化三年=1806)

「大阪商家の符牒」

しかし、これらと比較すると本書の符牒は暗号表と読んでもいいくらい複雑である。何か規則というか法則があるのかな……としばらくにらんでいたが、判らん、というか、ないでしょう(もし発見された方がおられればぜひコメント欄にお願いします。最初と最後の二ヶ所を拡大しておきます)。五十銭の囲み内には口のついた漢字が多いけれどもすべてではない。巨額のところ「萬」は符牒になってないし……。

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『書画珍本雑誌』は大阪で大正八年十二月に創刊された。金井誠、平林縫治が編者である。大正十四年までは発行が確認できる。日本近代文学館に十三号まで揃いがあり、国会図書館にもバラで何冊かある(まだインターネット上での閲覧はできない)。

2013-05-29 古本夜話300 平林鳳二、大西一外『新撰俳諧年表』と書画珍

金井誠については不詳。平林縫治はコトバンクによると以下の通り。

平林鳳二 ヒラバヤシ ホウジ
大正・昭和期の俳人
生年明治3年3月(1870年)
没年昭和2(1927)年10月5日
出生地信濃国東筑摩郡生阪村(長野県)
別名通称=縫治,号=巨城,巨城舎
経歴20歳より3年間生阪郵便局長を勤めたのち上京、生命保険会社に勤務し、傍ら伊藤松宇に俳句を学ぶ。秋声会に属した。「新墾」同人。のち文人墨客の伝記及び墨蹟鑑定を研究して「書画珍本雑誌」を刊行し、大阪及び京都に住んで書画骨董や古俳書の売買業を営む。俳人としての面よりも大正12年刊行の「新選俳諧年表」(共著)の編者としての業績が高い。他の著書に「蕪村の俳諧学校」など。

この略歴に上がっている単行本はともに書画珍本雑誌社の刊行物である。

新撰俳諧年表 : 附・俳家人名録 1923
平林鳳二, 大西一外 編

蕪村乃俳諧学校 1924
乾木水 解説,大西一外 校訂

なお大西一外は讃岐人であった。大西一外(おおにし・いちがい)俳人(明治19年11月1日~昭和18年5月25日)。

一外。大西千一。仲多度郡象郷村大字上櫛梨の産、多年大阪に住し官界に務む。晩年帰郷 月刊雑誌「ことひら」を発行す。俳諧史の研究家である。著書に「新選俳諧年表」あり。平林鳳二氏と共著。昭和18年没。》(香川県俳諧史)

乾木水についてはよく分らないが、京都の俳誌『懸葵』に関係していたようだ。

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by sumus2013 | 2017-05-08 20:31 | 古書日録 | Comments(2)

石塚友二書簡

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田舎の整理中に見つけて取り出して戻った。石塚友二の吉田達弥宛書簡。消印は昭和三十五年十一月十日。鶴俳句会の二百字詰原稿用紙にペン書き三枚。内容は献本に対する返礼である。

御高著「赤い帆前船」ありがたく拝受致しました。厚く御礼申上げます。
御作は「文学草紙」で愛読致して居りました。立派な御本となつたことを実に嬉しく存じます。

『赤い帆前船』は一九六〇年、雄文社刊行。『文学草紙』(文学草紙社→新文化)は昭和二十二年創刊で現在も継続されているようだ(洲之内徹も寄稿したことがある)。

このところ私小説は評論家の攻撃の的となつて文学市場を追はれた観がありますが、然し浅見淵氏等少数の具眼者も居られることではあり必ずしも悲観する必要はないやうに思ひます。どうぞ本当の意味の文学の為に此上益御精進下さる様祈つて止みません。それには「文学草紙」といふ大人達の集りに属される御環境もあることですし多少大袈裟ないひ方をするならば文学の神様はあなたの御精進に決して背を向けは致しますまい。流行小説には倦きたといふ読者も居ります。
 青森県の八戸に短い旅をして昨八日に帰宅致しました。御礼の遅れましたのは其為と御許し願つて取急ぎの御挨拶と致します。
   十一月九日  石塚友二

礼状というものはこういう風に書きたいもの。もらった方も嬉しいだろう。私小説を文学の神様は見離さない……石塚友二ならではの名言である。


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石塚友二『方寸虚実』

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by sumus2013 | 2017-05-07 20:59 | 古書日録 | Comments(0)