林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:古書日録( 790 )

金嬉老とその周辺・莢

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金沢文圃閣より『年ふりた……』22号が届いた。あれ、先日21号が出たばかり、と思ったら、この号は全8ページながら、なんと、緊急「金嬉老特集」ではないか。目録番号2起訴状、から始まっているのも、ちょっとすごい。一見に値する。

金沢文圃閣

キトラ文庫『莢』11号(二〇一八年一月)もいつも以上に充実の内容。

《店を閉め、無店舗の営業形態に移る準備を始めた。倉庫の手配、棚の移動と本の整理……。店の売り上げが家賃に届かない状態が何年も続いていたから当然といえば当然、むしろ決心が遅すぎたというべきか。
 店を始めて二五年、一代限りの古本屋である。》

店舗は、まだ、今すぐに閉めるというわけではないようだ。ただ、時間の問題のようである(何年か前から店の売り上げ不振は直接聞かされていた)。


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by sumus2013 | 2018-02-12 15:08 | 古書日録 | Comments(2)

書物航游

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平澤一『書物航游』(新泉社、一九九〇年四月二〇日)。これは思いの外面白かった。著者「ひらさわはじめ」は一九二五年京都生まれ、五一年京都大学医学部卒業、大学講師、病院部長を経て一九七三年より金沢大学教育学部教授、専攻は障害児病理学。本書は中公文庫に入っている。

いろいろ検索してもこれ以上の情報がない。ただ父親も医師だったようだ。平澤興(一九〇〇〜七二)、新潟県西蒲原郡味方村生まれ。京都帝国大学医学部卒。同学助教授を経て、新潟医科大学助教授、スイス・ドイツへ留学後、新潟医科大学教授。一九四六年京都帝国大学教授。医学部長から総長(一九五七)になっている。

著者は理系ながら哲学書、仏教書、美術書など幅広く書物を買い求め、しかも多くは読破しているもの驚きだ。専門分野に近い「わが国最初の西洋精神医学書ーー『精神病約説』と神戸文哉」なども興味深く参考になるし、書物譚も悪くないながら、最も面白いのは、やはり京都の古書店人について書かれた「古本屋列伝」である。若林春和堂らについては、伝記のように詳しく描かれているが、今は略して、白州堂についてのくだりを引用しておきたい。

《私の多くもない漢籍の殆んどが和刻本であり、その大部分は北川白州堂で求めたものである。白州堂の店は、京都の姉小路寺町東入ル、朝日会館の電車通を挟んで向いの小路の公衆便所の前にあった。一軒の家ではなく、家の前の防火用具を入れて置く物置に、トタン屋根をかぶせた空間を店にあてていた。店主の北川光蔵は、毎日、昼前に来て店をあけたが、昼食前には一本をつけるらしく。よく赤い顔をしていた。一見、人を人とも思わぬような入道面であったが、悪い気はない男で、近くの老舗の主人のように、有名な学者や金持には愛想がよいのに、無名の研究者や金のない学生には剣もほろろと、相手によって態度が変わることはなかった。酔うと、商売の道は薄利多売と言い言いした。一度、私の郷里は三重県、いつまで田舎に居ても芽はでない。そう思って郷里をとび出して京都に来ました。頼る人もなく、初めは、車引き(人力車の車夫)をしていたが、後に古本売買の道に入り、細川開益堂の番頭を長く勤めた、白州堂の白州は尺八を習った時の号であると、身の上を語ったことがある。

《ある時、こんな話をした。向いの公衆便所には、よく財布が捨ててある。近くの盛り場の新京極で、修学旅行の生徒や、お上りさんをねらったスリが、中身を抜きとって捨てたものです。悪い奴等です、彼等の末路によいことはない、と。》

公衆便所というと、現在は寺町通りと姉小路通りの角、山本額縁店の脇にある(ここは、ちょいちょい使わせてもらう)。

白州堂の目録は、半紙二枚のガリ版で、二段組であった。零本でも傷み本でも「漢書評林、一冊欠、惜(おしむと読むらしい)」と目録にのせていた。》《目録にも、本のいたみについて記述がなく、全く気にしていないようであった。しかし、玉石混淆とはこのことか、たまには、良い本の出ることもあった。》

半紙二枚の目録と言えば尚学堂さんの目録を思い出す(小生が知っているのはガリ版ではなかったですが)。ちょっと似ているかもしれない。

白州堂の北川は、パリのセーヌ川のほとりの露店の古本屋のように、一生、露店で通すのかと思っていたのに、最晩年になって、一軒の店を借りた。自慢の息子が国立大学の助教授になったので、世間体を気にしたのか、その理由はよく分らない。

この頃から書物より書画に力を入れるようになったそうだ。

北川白州堂は、昭和五十四年二月十四日に、なくなった。七十五歳であった。


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『精神病約説』と神戸文哉


「古本屋列伝」に登場する古本屋を名前だけ数えておく。

創造社 藤原富長
進文堂書店
八木書店 八木敏夫
北川白州堂 北川光蔵
若林春和堂 若林正治
竹岡書店
九如堂
きくや屋書房(菊屋) 斎藤広守


創造社(丸太町新道)藤原富長の未亡人が語る丸太町通りの古本屋。

《「鴨川の丸太町橋から、熊野神社前までに、二十七・八軒ありました。停留所の短い市電の区間で、川端丸太町・丸太町新町・熊野神社前まで、三つしか停留所はないのですが。小学校の遠足で、平安神宮から御所まで歩く生徒が、「また古本屋や、またや」と話していったことがありました。三高の学生も、京大の学生も、その頃は、河原町丸太町で電車をおり、歩いて熊野を通って学校にかよいました。バスが通るようになり、岡崎天王町まで電車がいくようになって、学生さんが丸太町通りを歩かなくなりました。それにつれて、古本屋がへりました。今は、うちをいれて四軒しかありません。今出川通りの方が古本屋は多くなっています。」》

文中の「その頃」は戦前かと思われる。「今」は一九八〇年代だろう。丸太町通りの古本屋ということで、別の本からだが、河盛好蔵の回想も引用しておく。

《私と本の最初の本格的な出会いは大正の末期、京都大学に学んでいたころです。当時の丸太町通りにはいまよりも古本屋が多くて、軒並みに並んでいました。娯楽の少ないころですから、散歩に出て本屋をひやかすのが大きな楽しみのひとつでした。私は丸太町通りの古本屋の棚には、どこの店にどんな本があるかすっかり覚え込んでしまったほどでした。》(「気に入った本を楽しむために」より。地産出版編『私の書斎』地産出版、一九七八年、所収)

『京古本や往来』の創刊号 丸太町通りの古本屋

もうひとつ、若林春和堂伝のなかにスチール本棚が登場している。昭和五十年に、店の隣に建ったビル(甥の医院)の一室を書庫として使うことになった。著者宛葉書にこう書かれていた。

《「建物は三月末にできました。棚もスチール二十五本、丸善より仕入れたのですが、八畳か十畳の大きさですので、とても入りきらないと思います。取り敢えず、幕末の活字本・洋学書・書籍目録位は、納めたいと思います。月末位にはめどがつくと思います」(昭和五十年四月四日)》

丸善も本棚を売っていた、当たり前か。他に石炭箱に本(書籍目録)をいっぱいに詰めて送ったという記述もある(戦前、たぶん昭和十年代)。林檎箱を本箱に転用した話はよく聞くが、リンゴ箱だけでなく石炭箱も使えたし、素麺の箱なども木製だった(小生の子供時代までそうだった)。


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by sumus2013 | 2018-02-08 21:02 | 古書日録 | Comments(0)

書誌学とは何か

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寿岳文章『書誌学とは何か』(ぐろりあ そさえて、一九三〇年)のこのカット、誰のものかお分かりですか? という質問を頂戴したが、分かりません。アールデコ調ですね。どなかたお心当たりのある方、コメント頂きたく、お願い申し上げます。

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by sumus2013 | 2018-02-07 19:54 | 古書日録 | Comments(4)

地理教科書

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昨日の『地図の歴史』のつづきというか、手許にある明治時代の地理教科書をアップしてみる。どれもすべて均一棚で採集したもの。百円か二百円である。ただ、これだけ集めるのに二十年くらいはかかっていると思うが・・・


まずは『世界國盡 全』。奥付も封面もないので版元が分からない。むろん『世界國盡』といえば福沢諭吉が明治二年に刊行した世界地理の入門書である。本文も全部確認したわけではないが、出だしはまったく同じ。ただし版面は異なる。福沢版は頭注欄があり、全六冊。こちらには註はなく「全」とあるのだからそのダイジェスト版か。地図は破り取られたようで揃っていない。
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かろうじて残っている南米と太平洋の一部の図。大西洋には「あたら海」(由来についてはこちら)、太平洋には「太平海」という訳語が充てられている。


次は大槻修二編『日本地誌要略』(青山紅樹書楼、明治九年1876、六月)の折り込み「日本國全圖」。地図は銅板刷、本文は木版刷である。
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森孫一郎+豊岡俊一郎編『新撰小學地理書 四』(教育書房、明治二十一年1888五月六日訂正再版御届)の折り込み「欧羅巴之圖」。地図は銅板刷、本文はいまだ木版刷である。
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同じく森孫一郎+豊岡俊一郎編『新撰小學地理書 七』(教育書房、明治二十三年1890七月十日五刻出版)の「大日本全圖」。
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學海指針社編『日本地理初歩』(集英堂、明治二十六年1893八月十九日訂正再版発行)の「大日本全圖第二」。本文は活版刷になっている。地図はリトグラのような感じだが、版式は分からない。
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學海指針社編『萬國地理初歩 下』(集英堂、明治二十七年1894一月十日五刻出版)の「南亜米利加洲」。
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う〜む。地図の魅力には、たしかに抗し難いところがある。

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by sumus2013 | 2018-01-27 20:57 | 古書日録 | Comments(0)

地図の歴史

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織田武雄『地図の歴史』(講談社、一九七三年二月二五日)。先日少しばかり引用したが、概説書としてはよく出来ている。これまでこの手の本をあまり読んだことがなかったので、いろいろと啓蒙された。

例えば、アリストテレスは地球が球だということを知っていた。

アリストテレスは、月蝕の際に月面に映る地球の影が円形をなすのは、地球が球体をなしているからであり、また、エジプトで見える星の一部が、ギリシアでは水平線に没して見えなくなるように、地球上を南北に移動しただけで、天球に見える星の位置が変化することから、地球はあまり大きな球体ではないと論じている。

ルネサンスの意味とはこれだったわけか。

例えば「太平洋」はマゼランが名付けたこと。マゼランの船隊は一五二〇年一〇月二一日にマゼラン海峡を発見し、ゆっくりそこを通り抜けて太平洋へ出た。

《マゼランは太平洋をもっと小さいものと考え、香料諸島にもたやすく到着し得ると予測して西進したが、結果は三ヶ月以上を要し、食料や飲料水の欠乏と壊血病に悩まされた苦難に満ちた大航海となり、ようやく二一年三月一六日にラドロネス島を経て、フィリピン群島のサマル島に到着することができた。ただこの間、一度も荒天に遭遇することがなかったので、マゼランはこの太洋を太平洋[マール=パチフイコ](Mar Pacifico)と呼んだ。》

例えば「アトラス」はメルカトルが名付けたこと。メルカトルは早くから世界各地の地図を総合した世界地図帖を編纂する計画を立てていたが、容易には実現されなかった。

《一五九四年にメルカトルは没したので、世界地図帖は彼の死の翌年の九五年に、息子のルモルドによってイギリスその他のヨーロッパ諸国と、アフリカ、アジア、アメリカの諸国を加えた一〇七図より成る地図帖が完成し、メルカトルの遺志にもとづいて「アトラス」(Atlas)の表題をもって出版された。このメルカトルのアトラス以来、近代的地図帖はアトラスと呼ばれるようになったのである。

西方の世界図に日本が記録された最初は、十二世紀のアル=イドリーシーの地図である。イドリーシーはシチリアのノルマン王ロジュエル二世に仕えて世界の平面球形図を作成し、その解説書『ロジュエル王の書』を著した。そこに付された地図に「ワクワク」という名前が見える。

《フルダードビフは「シン(シナ)から先のところは、どのような土地かわからないが、カンツー(揚州)の向う側には高い山脈があって、金を産するシラと、やはり金を産するワクワクがある」と述べている。シラ(Sila)が新羅、すなわち朝鮮半島にあたるとすれば、「ワクワク」(Waku waku)は倭国、すなわち日本を指すものと解され、イドリーシーの地図ではアフリカの最東端に置かれている

ジパングの初出は、ポルトガル王アルフォンソ五世の依頼により一四五九年に完成されたフラ=マウロの世界図。フラ=マウロはヴェネツィアに近いムラノ島の僧院長だった。

《注目されることは、中国のザイトン(泉州)に接して isola de Zimpagu とある小島がみられるが、これはおそらくジパングであり、ヨーロッパの地図にジパングとして日本が記載された最初の記録であろう。》

こんなマメ知識を引用していたらキリがない。おおよそ五十年前に執筆されたこの著書、「むすび」に著者は近未来の地図についてこういうふうに書いている。

《それでは今後、地図はどのような発達をみるであろうか。地図の作成技術がますます進歩している今日では、技術的な問題とも関連して、簡単に答えることはできないが、とくに第二次大戦後は航空機の利用が盛んとなり、航空写真測量の発達がいちじるしいため、世界図のこのような空白の部分はまったく消失するのは近い将来のことであろう。》

航空機ではなく人工衛星だが、まあ、ほぼ予見されていると言っていいだろう。ただ、グーグル以前と以後で、いかに世界観が変わったかも考えさせられる。上記引用文中「空白」とあるのは南極大陸と北極地方の一部をさすのだが、今日「空白」というのは、見えない場所ではなく、見せたくない場所なのだ。見え過ぎちゃって困るの〜(ちょと古いCMソング)という世界になってしまった。




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by sumus2013 | 2018-01-26 21:01 | 古書日録 | Comments(0)

ツールの司祭

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バルザック『ツールの司祭・赤い宿屋』(水野亮訳、岩波文庫、一九四五年一一月三〇日)読了。いつ買ったのかも忘れてしまっていたが、ちょっと本を片付けようと思って手に取り、数頁読み始めてみると面白い、ついつい読んでしまった。

舞台はツール(現在ではトゥール Tours と表記される)。フランス中部の都市。時は一八二六年。ナポレオンが歿してまだ間もないころ。聖ガルシアン大聖堂の助祭ビロトーを主人公として物語は展開する。ガマール嬢が経営するアパルトマンの下宿に二人の僧、シャプルー師とトルーベール師、が住んでいた。シャプルーとビロトーは親友であり、シャプルーが手直したその居心地のいい下宿に住むというのがいつしかビロトーの念願となる。

《件のアパルトマンは美しい女が襤褸を着てゐる姿に似ていた。ところが二三年後のことだが、ある老婦人から二千フランの寄進にあづかつたので、シャプルー師はその金を槲材の書棚を買ひ込むのに用ゐた。書棚の出所はといふと、例の山師組合[バンド・ノワール]が寸断し細分したある城館[シャトー]の取毀しの際に出たもので、芸術家の嘆賞に値ひする彫り物が人の眼を惹く代物であつた。シャプルー師がこれを買ひ込んだのは、値段が格安なのに釣られたといふよりは、むしろこの書棚の大きさと廊下部屋[ガルリー]の広さが申分なく釣合つてゐることに惹かされたわけだつた。

山師組合[バンド・ノワール]はフランス革命のドサクサのなかで貴族から家屋敷を巻き上げて切り売りしたグループだそうだ。

《数人の信心深い人々の喜捨や、たとへ軽少にもせよ、彼がいつもその告白を聴いてゐた敬虔な女たちの遺贈などがあつて、わづか二年の間に、始めガラガラに空いてゐた件の書架の棚は、本で一ぱいになつてしまつた。最後にオラトリヨ会の僧侶だつた叔父が、八折り版の教父著作集と、ほかにも数冊、僧侶にとつては大切な、立派な書物を形見に遺してくれた。ビロトー師は、かつて裸同然だつた廊下部屋[ガルリー]が引き続き変態を重ねて行くのにいよいよもつて驚かされ、段々と、無意識的な渇望を抱くに至つた。

ビロトーは悪い人間ではないけれど、「シャプルーが死ねば、部屋は俺が貰へる。」と思う程度に、ごく凡俗な人物として描かれている。そしてその通りシャプルーは死に、遺言によって書棚や家具ともどもアパルトマンの権利をビロトーは譲られるのである。

さあて、気に入らないのはもう一人の下宿人トルーベールだ。彼は眺めの悪い部屋に居り、シャプルーの方へ移りたかった。ビロトーが二年ほど暮して下宿生活を満喫しつつ、大聖堂の参事会員に選ばれそうだということでウキウキしているときに事件は起きる。突然、下宿の女主人ガマール嬢の態度が冷たくなった。

これがなかなかの心理ドラマ。地方都市の社交界というのだろうか、権力争いの渦のなかにビロトーは巻き込まれて行く。そして本棚を取り上げられるはめになる。それは訴訟沙汰にまで発展し、シャプルーが遺した絵画や家具そして書棚の鑑定が行われる。パリ美術館(ルーブル美術館)の鑑定官だったサルモン氏が値踏みをするくだり。

《もと美術館鑑定官は、ヴァランタンの聖母像と素晴らしく美しい作品であるルブランの基督像を、一万一千フランと評価した。書棚とゴチック風の家具に至つては、かかる種類の品物に対する支配的な好尚が、パリでは日に日に募る一方なので、取り敢へず一万二千フランといふ価格を生むことになつた。

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本書挿絵、左からビロトー、ガマール、トルーベール


さて、ここから、もう一波乱があるわけなのだが、それを書いてしまうと面白くない、ご興味のある方はぜひお読みいただきたい(この岩波文庫は版を重ねているようなので現在も入手できるはずです)。善良で平凡な人間が必ずしも安穏に暮せるわけではない、その凡庸さが歯痒くなってくる不思議なテイストの作品だ。


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by sumus2013 | 2018-01-23 20:49 | 古書日録 | Comments(0)

ちんき堂

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所用あって神戸へ。せっかくだからとちんき堂(http://chinkido.com)をのぞく。一年半ぶりくらいかも。いかにも品薄ふうなガッサガサの棚がいい。行く度にガラリと本が変わっている。まあ、一年に一度か二度じゃ、あたりまえかもしれないけど。並んでいるタイトルも値段も一昔前という雰囲気が何ともいい。

本日は澁澤龍彦の単行本がズラリと並んでいた二十冊くらいはあったかな。多分、今は売れ線とはいかないだろうが、迫力はある。黒いジャケットのサドの翻訳も六冊くらいあった。色モノはお得意のジャンルで異彩を放っている。それがすべて百円から数百円だからなおさらだ。画集や美術展の図録などもけっこうあった。音楽・映画・芸能関係は言うまでもなく得意ジャンル。CD、LP、などもかなりある。他にも珍しい同人雑誌などがヒョイと差してあったりする。とにかく品薄に見えてもじっくり小一時間は楽しめる店である。近所なら頻繁に通うことになるだろう。

戸川さんと雑談。古本屋になるときに梁山泊の島元氏に相談したのだそうだ。生活していけるかどうかを質問したら、昔みたいにはいかないが、なんとか暮してはいけるだろうと言われた。それまでの職を予定していたよりも早く辞めることになり、その数ヶ月後には開業した。ところが、店番三日にして「ぜったい無理」と悟った、のだという。……と言いながらもう二十年近くやっておられるわけだが。

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帰宅してみると『ほんの手帖 51』(大島なえ、二〇一八年一月一五日)が届いていた。黒木書店の思い出がつづられている。

おまけに作る
《ここの店主が、いかにも古本屋おやじ。と言うへんこなおやじで、私は無かったけれど乱雑に本を扱おうものなら「帰れ!」の怒声が飛ぶ。お客は気を使いながら本を読ませていただく感じです。》

《閉店される時は酸素ボンベのチューブをつけ仕事されていました。頭のしっかりしたじいさんです。》

《何度か通ううちに俳句の本の話で盛り上がりその時、ふと黒木さんが、足が痛くなるからと椅子を出して、ここに座り。と言われ思わず「やったあ」と思い心で声を上げて喜びおまけにコーヒーの出前も注文して、コーヒーをごちそうになり念願かなったのですね。しかしその二年後に閉店しトラックが店の前につけ、本を全部運び出しているのを見た時は悲しかった。あの本たちはどこへ行ったのかと時々思います。
 ・黒木正男さんは2002年冬に永眠。》

黒木書店のことを書くと思い出すのが、渡辺一考さんの回想だ。黒木氏の息子さんのことを書いておられて、さすがと唸らせられる。

一考 神戸の古本力

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by sumus2013 | 2018-01-19 20:25 | 古書日録 | Comments(7)

花森安治肉筆表紙画

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『石神井書林古書目録』102号(石神井書林、二〇一八年一月、題字=武藤良子)が届いてビックリ。以前、某氏所蔵品としてこのブログでも紹介していた花森安治の肉筆『文明』表紙原画その他が一括で掲載されていた。

花森安治による雑誌『文明』(文明社)の表紙原画

そのとなりには瀧口修造の自筆原稿「自由な手抄」全揃(200字詰原稿用紙23枚)も並んでいる。『gq』初出時の原稿「マン・レイの素描 エリュアールの詩」だそうだ。

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巻頭は樋口一葉の短冊、雑誌も『ド・ド・ド』(多田文三編刊)、『文党』(今東光編)、『風』(澤田伊四郎編)などが目に留まる。驚いたのは篠崎初太郎訳、マツクス・ウエバア『立体派の詩』(異端社、一九二四年)。篠崎初太郎は宇崎純一・宇崎祥二の波屋書房の顧客であり、自著『潜航艇 : 三部曲』を波屋書房から刊行しているので注意はしていた。異端社というのは篠崎自身が作っていた版元であろう。

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by sumus2013 | 2018-01-15 19:38 | 古書日録 | Comments(2)

人口の原理

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マルサス『初版人口の原理』(岩波文庫、一九五〇年四月一日七刷、初版は一九三五年)読了。『本はいつごろから作られたか』のなかに、自然選択説を唱えたアルフレッド・ラッセル・ウォレス、そしてダーウィンに対しても影響を与えた本だと書かれていたので、読んで見たいなと思って、探してみた。

この岩波文庫版はよく目にしてたように思うのだが、経済学の本じゃ……と買ったことはなかった。とにかく、まず、寺町の梁山泊へ足を運んだ。社会科学が専門だし、なにしろこの店は、一階が倉庫、二階が店舗なのだが、二階へ上る階段にズラリと文庫本を並べてある。そのほとんどが岩波文庫。数千冊はあるだろう。ところが、どうしたわけか、そこでは見つからなかった。

こりゃ、少し時間がかかるか、と考えていたところ(もちろんネットで探せばすぐ手に入ります)、数日後、同じ寺町通りでもずっと北にある尚学堂の店頭にポツンと置かれているのを見つけたのである。店頭二百円……ちと高いけど仕方ないなと思ってその他の紙モノといっしょに帳場に持って行ったところ、岩波文庫は百円に計算してくれた。ラッキー。

本はいつごろから作られたか』にはこう書かれている。

《トマス・ロバート・マルサス(一七六六〜一八三四年)の著した『人口論』(一七九八年)を、ダーウィンは一八三八年十月に読んだが、同じ本がウォレスにたいしても触媒のような作用をすることになった。》(第十二章)

《結果から見れば、マルサスは経済学にも影響を与えている。カール・マルクスも彼に学ぶところがあり、ジョン・メイナード・ケインズは、効果的な需要は不況を回避する一つの方法であるという自論のよってきたるところはマルサスだったと言っている。しかし、マルサスが生物学に影響を与えようとは、まったく予想外であった。ダーウィンは『種の起原』の中で、生存競争とは「マルサスの学説を何倍にも増幅して、動植物界全体にあてはめたものである」と説明した。》(第十二章)

『初版人口の原理』はナニナニ学というよりも人口と経済の関係を考察したエッセイであり、マルサスの主張は簡単明瞭だ。論考の基となる問題は二点だけ。例によって引用文中の旧漢字は改めた。

 第一、食物は人類の生存に必要であると云うこと。
 二、両性間の情慾は必要であって、大体いまのまゝ変りがあるまいと云うこと。

食とセックス。欠くべからざるもの。そこから導き出されるひとつの結論がこちら。

《即ち若しも人類が、平等なものであつても、食物の欠乏に基く圧迫が不断に人類を脅かし、それが今この瞬間に始まつて、全地球が菜園の様に耕転せられてしまふまで、如何なる時期に至るも決して熄むときがないであらう。無論地球上の生産物は毎年増加して行くではあらう、それでも人類はそれよりも、もつと早く増加するのである、而してその余分のものは、必ずや、周期的又は恒常的の貧困と悪徳とのために制圧されるのである。》(第八章)

食物の供給スピードより人間のセックス力の方が強い、というわけである。だから、食料の足りる範囲内に人口を抑えておかなければならない。具体的には、貧民を経済的に援助しても子どもを増やすだけだから、産児制限をしろ、ということになる。

フランス革命のすぐ後にゴドヰン(William Godwin)あるいはコンドルセ侯爵(marquis de Condorcet)に対する論駁として発表されているので、本書全体に革命による揺るぎが感じられる。

《この社会より富と貧とを除くことは出来ないけれども、極端な地位にある人間の数を減らし、中流の人間を増加することが出来るやうにす政体を案出するならば、進んでそそれを採用するのは、吾等の義務に相違ない。然しながら、樫の木の根や枝を大に減らせれば、やゝもすると幹の樹液の循環を悪くする様に、社会の極端な部分を或る程度以上に減らせると、やゝもすれば、知識の発達に最も都合のいゝ、中層階級全体の活気ある努力を鈍らせる傾向がある。》(第十八章)

このくだり、近年ニック・ハノーアーという超富豪がアメリカの富裕層に与えた警告を思い起こさせる。

本書に解説を執筆しているジェームス・ボーナーはこんなことを述べている。

《彼は物理学をケンブリッヂで学んだやうであるが、植物学は之を彼の父に負うたであらう。それが彼をして自然盛に比喩的たらしめ、また少しく誇張し過ぎることを免れしめなかつたのであらう。彼は農業者と共に棲んでゐた人間であつたから、栽培家や牧畜家が何をやつてゐるかをよく知つてゐた。彼は『選択の法則』を発見し、且つレースター羊の品種を改良したベークウェルが(プロテロ『イギリス農業史』)羊についての古い理想(小さい脚と頭)をすて、善い肉が豊かであればよいと云う理想に変つてゐたのを、恐らくはよく知つてゐたのであらう。》(マルサスの第一論文について)

なるほど、食料と繁殖の関係を重視する方法論は牧畜から学んだに違いない。人類も結局は家畜なのだ。要するに、ダーウィンに影響を与えたとしても何ら不思議はないのである。

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by sumus2013 | 2018-01-10 20:54 | 古書日録 | Comments(2)

Livre de chasse

恭賀新春

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お犬さまの年ということで『LE LIVRE DE CHASSE DE GASTON PHÉBUS ガストン・フェビュによる狩猟の本』(Bibliothèque de l'Image, 2002)から十四世紀フランスの猟犬を引用してみた。図版の底本はフランス国立図書館蔵。

これは実に興味深い書物である。フォワ(Foix)の領主ガストン・ド・フォワ(Gaston de Foix 1331-1391)通称フェビュ(Phébus)が一三八七年から八九年にかけて口述し、ブルゴーニュ公爵フィリップ・ル・アルディ(Philippe le Hardi)に献呈したものである。原本は失われているが、主に十五世紀から十六世紀にコピーされた四十四種の写本が現存している。

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そのなかで最も優れたものがランス国立図書館に所蔵の一本。ルイ十四世の私生児で狩猟頭であったトゥールーズ伯爵の図書室にあったものが、オルレアン家に移り、オルレアン公ルイ・フィリップ(フランス王、在位1830-48)は狩猟家ではなかったにもかかわらず、とくにこの本を気に入っていた。しかし一八四八年の革命によって第二共和政が成立するとともに国立図書館の所蔵するところとなった。これらの絵を描いたのは、様式批判によって、パリにあった三つアトリエではないかと推定されているそうだ。

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内容は十四世紀における狩猟のさまざまな局面をなかなか細やかに描き出しており、見ているだけで楽しいし、人間のやることは六百年以上経っても、そうは変わらないのだなとも思ってしまう。動物よりもやや雑ながら、植物の描写にも注目したい。

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近所の神社へ初詣に出かけた、ついでに(どちらがついでだか分からないですが)近くのブへ。いいものありました。こいつは春から縁起がいいわい・・・というところです。それにしてもこのチラシ、ロトチェンコだなあ。

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by sumus2013 | 2018-01-01 10:48 | 古書日録 | Comments(0)