林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
カテゴリ
全体
古書日録
もよおしいろいろ
おすすめ本棚
画家=林哲夫
装幀=林哲夫
文筆=林哲夫
喫茶店の時代
うどん県あれこれ
雲遅空想美術館
コレクション
おととこゑ
巴里アンフェール
関西の出版社
彷書月刊総目次
未分類
以前の記事
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
お気に入りブログ
NabeQuest(na...
daily-sumus
Madame100gの不...
最新のコメント
そうなんですよ! ビック..
by sumus2013 at 17:39
うわー、これがあのカッパ..
by 岩田和彦 at 11:29
うちのPCも古くなってき..
by sumus2013 at 13:22
「うまやはし日記」持って..
by 大島なえ at 12:36
15周年おめでとうござい..
by sumus2013 at 08:06
吉岡実の俳句、しみじみと..
by 小林一郎 at 22:58
百人百冊、千人千冊のお宝..
by sumus2013 at 07:49
夕方、店じまい寸前に参戦..
by 牛津 at 23:51
そうでしたか! クラシッ..
by sumus2013 at 08:12
有り難うございます。在、..
by sumus2013 at 20:18
メモ帳
最新のトラックバック
天才画家ゴッホの生涯と画..
from dezire_photo &..
ルーベンスの故郷、ヨーロ..
from dezire_photo &..
シャガール、ピカソ、マテ..
from dezire_photo &..
ポン=タヴァン派、総合主..
from dezire_photo &..
視聴率に関係なく選んだ2..
from dezire_photo &..
宝石のような輝をもった印..
from dezire_photo &..
ルネサンス美術の巨匠・ピ..
from dezire_photo &..
既成概念から絵画の解放に..
from dezire_photo &..
既成概念から絵画の解放に..
from dezire_photo &..
過去に来日した傑作を回顧..
from dezire_photo &..
検索
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


カテゴリ:巴里アンフェール( 16 )

WOLS

f0307792_20135020.jpg

『WOLS』(GALERIE EUROPE, 1959)。ギャルリ・ウーロップ(セーヌ通り22番地、パリ)で一九五九年十二月から一九六〇年二月まで開催されたヴォルス展の図録。

巻末の出品リストによれば、デッサン二点、ガッシュ四十五点、絵画(PEINTURES)が十二点出品されていた。これはおそらくこの時点ではヴォルス(1913-1951)の最も規模の大きな回顧展だっただろう。パリにおける過去の展覧会歴も掲載されており、一九三九年から五一年まで十七箇所で展示された作品のなかから集めたものだったことが分る。ヴォルスはベルリン生れだが、一九三二年にパリに来てパリで歿した。活動はほとんどパリで行い、実存主義のパリで認められて行ったことになる。

この図録だけだと買わなかったかもしれないが、中ほどに下のような二つ折りのパピヨンが挟んであった。タテ12cmというまさに掌サイズ。デッサンとヴォルスの詩?らしきものが印刷されている。

f0307792_20135888.jpg
f0307792_20135451.jpg

ブラッサンス公園の古本市にて。画集やカタログなど美術系の雑書をたんまり並べていた店。主人の顔に見覚えがなかった。これだけ数があれば何かあるだろうと、じっくり掘り返したのだが、これ以外にはそそられるものを見つけられなかったので、また、この本にもたまたま値段が書かれていなかっため、買おうかどうしようか、かなり迷った。

中国人カップルの執拗なディスカウント攻撃に防戦一方だった初老の主人が一息ついたところを見計らって値段を尋ねてみた。中国人のこともあってか、最初から「10ユーロ」という意外な値段で答えたので即決もらうことにした。エフェメラ付きだから高くはないだろうと思う。

一九七六年、パリの土地を初めて踏んだときだったが、工事中だったポンピドゥのすぐ南側(だったと思う)にあった小さな画廊でヴォルス写真展を見た。ヴォルスは写真も撮っていたのだ!という驚きがあった。今もって忘れられないくらいいい展示だった。彼の写真も素晴らしい。

[PR]
by sumus2013 | 2017-10-05 20:52 | 巴里アンフェール | Comments(0)

Chroniques 78

f0307792_19380383.jpg

BnF(フランス国立図書館)の発行する雑誌『Chroniques クロニック』78号(2017年1月〜3月号)。トポールの展覧会を見たときにもらったもの。無料。トポール展の紹介が載っている。

トポールの世界 パリの国立フランソワ・ミッテラン図書館

この号の特集はリシュリュー館(旧・国立図書館、ルーブル美術館の少し北にある、二区)。現在改修中。二〇二〇年までに全貌を現すそうだから、まだしばらく工事が続くようだ。表紙の写真および下の写真も同館の十九世紀末風な建物の様子を伝えている。下の楕円閲覧室は一八九〇年に計画された。完成は一九三六年。

小生も旧館には一九九八年に一度だけ入ったことがある。館内で開催されていた展覧会を見るため。図書館は予約が必要。ここに新たに国立美術史研究所(ジャック・ドゥーセ Jacques-Doucet のコレクションを持つ)と国立古文書学校図書館が設置されるそうだ。

f0307792_19380616.jpg


それ以外の記事で目に留まったのは「略奪された書物」。ドイツ軍の占領下でフランスからドイツへ運ばれた本、写本、古文書、版画などを調査している研究員へのインタビュー。一九四二年から主に東ヨーロッパからの移民やユダヤ人たちのコレクションが収奪されドイツへ持ち込まれた。それがどのくらいの数になるのかさえはっきり分らない。五百万から一千万冊の間であろうとのこと。戦後、およそ二百万冊は返還されたが、それら以外は行方不明のままであるという。

f0307792_19380981.jpg

それで思い出すのは映画「黄金のアデーレ 名画の帰還」(2015)。オーストリアの富裕なユダヤ人家庭からナチスによって奪われたクリムトの代表作「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像」は戦争が終わった後も返却されず、オーストリアの美術館の所蔵となった。米国に移住した遺族が、それが不法に略奪されたものだと訴えて取り戻すというお話。

被害者にとっての戦争は終わらない・・

[PR]
by sumus2013 | 2017-10-02 20:29 | 巴里アンフェール | Comments(0)

FORMES

f0307792_20200631.jpg

福島繁太郎が発行していた『FORMES(フォルム)』の第一号と第十一号。これはもう三十年ほども前に買ったもの。よく覚えていないが、状態が悪いのでそれぞれ五百円くらいだったと思う。造形美術の国際雑誌、年十回発行、英仏二カ国語で出版とうたっている。

第1号 1929年12月発行 英語版

EDITORIAL OFFICE
42, RUE PASQUIER, PARIS

BUSINESS OFFICE
18, RUE GODOT-DE-MAUROY, PARIS

DIRECTOR S. FUKUSHIMA

ART DIRECTOR WALDEMAR GEORGE

SECRETARY MARCEL ZAHAR

EDITIONS DES QUATRE CHEMINS
18, RUE GODOT-DE-MAUROY, PARIS


第11号 1931年1月発行 フランス語版。フランス側のスタッフは第一号と同じだが、アメリカ版の記載が増えている。

AMERICAN STAFF A. HYATT-MAYOR

CIRCULATION MANAGER SHIRLEY O. WOLF

NEW-YORK OFFICE
DEMOTTE, inc. 25 East, 78th Street, NEW-YORK

『戦後洋画と福島繁太郎 昭和美術の一側面』(山口県立美術館、一九九一年)によればこの雑誌は一九二九年一二月に創刊され、一九三三年までの四年にわたって一年十回(夏の二ヶ月は休む)全三十三号が発行された。ルネ・ユイグ、ウーデ、ルイ・ヴォークセル、エリー・フォールらの他多彩な寄稿家が誌面を賑わした。

編集主任のワルドマール・ジョルジュ(Waldemar-George, 1893-1970、本名 Jerzy Waldemar Jarocinski)はポーランド(当時ロシア)生れ。第一次世界大戦でフランス軍に志願したことによりフランスへ帰化した。戦後パリに住み着いて美術評論家、ジャーナリストとして活躍。スラブ系の若き画家たち、シャガールやスーチンの紹介に努めた。『フォルム』の他に『L'Amour de l'art』(1920-1926)という雑誌の編集もしていた。編集長のマルセル・ザール(MARCEL ZAHAR, 1898-1989)は歴史家、美術評論家。

EDITIONS DES QUATRE CHEMINS(四ツ辻出版?)は福島の企画を請け負っただけなのかもしれないが(同名の出版社が現存する)、詳しくは不明。

f0307792_20201017.jpg
第1号のカラー口絵・ルオー


f0307792_20201450.jpg
ポール・ギョームの広告



f0307792_20202032.jpg
フォートリエのサロン・ドートンヌ出品作


記事によれば、この年(1929)のサロン・ドートンヌ(秋の展覧会)には6000作品の応募があり、その内の500点が入選したとのことである。フォートリエ(1898-1964)のこういう作品は珍しいような気がする。


f0307792_20202367.jpg

広告ページで興味を引かれたのは「LE BOEUF SUR LE TOIT(屋根の上の牡牛)」。一九二二年一月一〇日にルイ・モワゼ(Louis Moysès)がオープンしたパリ八区のキャバレーである。ジャン・コクトーの根城として二大戦間(l’entre-deux-guerres)にはよく知られていた。

ブラジルから戻ったダリウス・ミヨーがコクトーにブラジルの流行歌のメロディーを紹介し、彼らのグループ「Les six 六人組」でその曲を使ったバレー・コメディを計画した。それは「屋根の上の牡牛」(ブラジルの歌のタイトルから)と名付けられルイ・モワゼのバーで公演され評判を呼んだ。そこでルイ・モワゼは店を移転して「屋根の上の牡牛」と名付けたというのだ。それは二〇年代のパリのキャバレーを代表する店となった。あらゆるジャンルのアーティストたちを惹き付けた。ピカビアの「L’Œil cacodylate」は長らくここに掛けられていた。とここまでウィキを訳していて前にも紹介していたことを思い出した。

屋根の上の牛

[PR]
by sumus2013 | 2017-09-28 21:56 | 巴里アンフェール | Comments(0)

巴里の藝術家たち

f0307792_19331357.jpg

福島慶子『巴里の藝術家たち』(三笠文庫、一九五二年一一月一五日)。面白く読了。とくにルオー、マチスとの親しい交遊は読みどころが多い。

明治三十三年東京に生まる。九段精華高女卒業。大正八年渡欧し、イギリスに二年、つづいてフランスに十数年滞在し昭和八年帰国した。マチス、ルオーはじめ現代フランスの芸術家との交遊深く、美術評論その他エッセイに健筆をふるっている。福島コレクションで著名な福島繁太郎氏夫人。夫君と共に画廊フォルムを銀座に経営している。著書に「巴里と東京」「少年少女のためのフランスの話」「巴里アルバム」「巴里たべある記」等がある。》(著者紹介)

歿したのは昭和五十八年九月七日。兵庫県出身。父は荘清次郎。

荘清次郎 しょう せいじろう
1862-1926 明治-大正時代の実業家。
文久2年1月20日生まれ。荘清彦,福島慶子の父。岩崎久弥の家庭教師となり,渡米に同行。三菱社にはいり,明治26年三菱合資を設立して社長となった久弥の信任を得,大正5年専務理事兼管事となる。三菱製紙所,東京倉庫などの役員も兼務した。昭和元年12月25日死去。65歳。肥前大村(長崎県)出身。東京大学卒。》(コトバンク)

福島繁太郎、ウィキにもその出自が書かれていないが、明治二十八年生れ。大正十年に東京帝大法学部政治学科を卒業して英国留学。大正十二年にパリに移り、一九二九年パリで『FORMES』という美術雑誌を創刊している。福島慶子が初めてマチスに会ったのは一九二五年七月五日。その二、三年後にニースで再会した。

マチスは私たちが何時何處で彼のこの様な作品を見たとか、あの作品を見たとかいうと一々それに使用した衣裳や道具、椅子や布などを見せ、さらに家中の部屋々に私たちを案内して彼の持つているクールベーやセザンヌ、その他の美術品、参考品を見せてくれた。モデルに使う衣裳や首飾りは彼自身でニースのギャラリー・ラファイエットに行つて、小布を見立てて來て自分で縫い、髪や、手足につける飾物も安物を買つて來て自分で糸で繋ぐのだということである。

部屋々の壁には自作の畫、ドイツ製四色版のマチスのオダリスク、カルナバルのマスク、雜誌の切抜きの寫真、色紙、ボナールのパレット、貝殻、東洋製の腕環、木炭や鉛筆で描かれた下畫、サラサの切つ端、等々、思い思いの場所に、或は釘に掛けられ、或はピンで止められ、こんなものが何の参考になるのかと不思議に思える物等もあつて、私たちは非常に興味深く眺められた。

ドランの家も訪問している。パリのモンスリ公園の近くにジョルジュ・ブラックと並んで住んでいたそうだ。

応接間の入口の両側の壁にコローの小品が二點掛けてあるのも彼らしく、なるほどとおもつた。又ホールの處々に置かれたネグロ、オセアニアの彫刻も、彼のフォーヴ時代の記念品のような氣がして親しく眺められたが、これ等の観賞すべき物も決して必要以上に並べ立ててはおらず、至極簡素に充實されて氣持よかつた。

肝心の福島コレクションについても簡単な言及が見える。

私は何時もお客にするように家中を案内し壁一ぱいに掛けられた現代畫のコレクシォンを一々見せて廻つたのである。それ等はピカソ、マチス、ドラン、ルオー、ユトリロ、モディリアニ、パスキン、フリエッフ、ブラマンク、シャガール、アンリ・ルッソー、ド・ラ・フレネイ、テレスコヴィッチ、ベラール、エルンストといつた案排で凡そ官展派の敵のような群りだつたのでシモン氏はガゼン沈黙してしまつた。僅かにルノアールとコローの前だけでは立ち止つて暫くじつと眺めていたが何も云わない。

文中「フリエッフ」とあるのは「フリエス Friesz」の誤植か。また益田義信は本書の解説に以下のように書いている。宮田重雄に連れられて十六区ヴィオン・ウィコンブ街のアパルトマンに福島夫妻を初めて訪ねた。昭和二年か三年らしい。

はいつて直ぐの廊下から、サロン、食堂、書齋、寝室の壁に到るまでぎつしりと掛けられたエコール・ド・パリの巨匠達の作品に壓倒されて、當時廿四歳の青年は亢奮してしまつた。ピカソの青の時代の母子像、新古典時代の女の顔、ブラックの女と静物、數えきれぬマチス、落ちつきはらつたドランの数々、更に壓倒的なルオーを一時に見せられたのだから、亢奮しない方がどうかしている。

當時はフランが安く、對日本の爲替も安定していたので巴里は日本人の洪水だつた。だが福島一家の様に、フランスで本當の家庭を持ち、運轉手や女中を雇つて生活した人は極めて稀である。又、彼等程直接に現代フランス畫壇の巨匠達と直接交遊を持つた一家は他に無い。

朝日新聞一九六六年四月二八日号によれば福島が帰国時に持ち帰った作品は八十五点だったそうだ。それもすべて散逸し(画商を始めるとコレクションは保持できない道理である)、同年ブリヂストン美術館で開催された「旧福島コレクション展」では四十九点が展示されたらしい(ウィキより)。

『日仏文化協定発効記念 ルオー展』(東京国立博物館、一九五三年)図録

宮田重雄『竹頭帖』(文藝春秋新社、一九五九年)


[PR]
by sumus2013 | 2017-09-26 21:15 | 巴里アンフェール | Comments(0)

招待状

f0307792_20063953.jpg

パリ中心部の某古書店にて。店名は不明。屋号が出ていないのだ。ここの表の均一台が凄い。0.5〜2ユーロくらいの雑本ばかりを放出しているなかに馬鹿にならない掘り出しものがまじっている。ラテン区なので学生も多いのかもしれないが、皆、それを知っているんだねえ、通りすがりに眺めて買って行く。だから入れ替えも頻繁(さすがに神保町の田村書店ほどではないけど)。絵葉書も常時何百枚と出ているが、一昨年と較べると、今年は見劣りした。「チェッ」という感じ。ただ、それでもかろうじてこの二点の招待状を確保した。

手前の白いのが第五回サロン・デュ・リーヴルの招待状。一九八五年五月二二日から二七日までグラン・パレで開催された。二一日の内覧会への招待である。サロン・デュ・リーヴルは現在も継続されており、フランスでは最も格式の高い古書市となっている(現在の会場はポルト・ド・ヴェルサイユ、毎年五月なので、まだ訪れたことはない)。

f0307792_20062343.jpg

招待の文面。M. ___のところに名前が入るはずなので、これは未使用ということ。一番上のジャック・リゴー(Jacques Rigaud)は文化畑の高級官僚。パリ、サロン・デュ・リーヴル創設のときの幹事の一人で(当時の大統領はミッテラン、文化相はジャック・ラング)、「書物読書協会 l’Association pour le livre et la lecture」の会長も務めていた。二人目のジャン・マニュエル・ブールゴワ(Jean-Manuel Bourgois)は出版人、兄のクリスチャン・ブルゴア(Christian Bourgois)の方がよく知られているだろう(というか小生でも知っている)。自分の名前の版元を一九六六年に設立して「10/18」のポケットブックを刊行した。またファッション・ブランドであるアニェス・ベーの「b」は元夫のクリスチャンの姓 Bourgois からきている。アニェスの本名はトゥルーブレ(Troublé)。

奧のもう一枚は一九九三年九月から九四年一月までオランジュリー美術館で開催された「Les Arts à Paris chez Paul Guillaume 1918-1935」。ポール・ギョームはモディリアニの画商としてあまりにも有名。映画に登場していたのも印象深い。しかし彼はフランスにアフリカ美術を初めて紹介したディーラーの一人としても高く評価されている(一九一九年に最初の黒人美術とオセアニア美術の展覧会を組織した)。彼がたまたま飾っていたアフリカ彫刻がアポリネールの目に留まり、アポリネールを通じて当時の若き作家たちと知合いになったという。そのなかにモディリアニ、マティス、ピカソなどがいたわけである。ギョームの持っていた二十世紀絵画の一部は現在オランジュリ美術館に所蔵されているが、この展覧会は『Les Arts à Paris』というギョームの発行していた雑誌の紹介のようである。招待状にその何冊かが印刷されている。こういうのをブラッサンス公園で見つけたいもの……。

f0307792_20061595.jpg
モディリアニ「ポール・ギュヨーム」1915


[PR]
by sumus2013 | 2017-08-30 21:29 | 巴里アンフェール | Comments(0)

そら豆の宝

f0307792_20295459.jpg

すでに報告したシャロンヌ教会の古本市での一冊、CHARLES NODIER『TRÉSOR DES FÈVES FLEUR DES POIS』(BIBLIOTHÈQUE BLANCHE, HACHETTE, 1925)。シャルル・ノディエ(1780-1844)の『そら豆の宝と豆の花』と題されたおとぎ話集。挿絵は Tony Johannot(1803-1852)。オリジナルは一八三三年に刊行されている。ノデェエはブザンソンの生れ。おもにパリで活動したが、図書館の司書や雑誌の編集などをしながら数多くの記事を執筆した。

一八三三年というのはノディエがアカデミー・フランセーズの会員に選ばれた年でもあり、波乱の多かった彼の人生のなかではもっとも平安な時期だった。一八三四年、ノディエはテシュネ書店(Le librairie Techenet)とともに『愛書家公報 Bulletin du bibliophile』を刊行し一八四三年にいたるまで定期的にそこへ寄稿した。その当時彼はアルスナル図書館に勤めていたため数多くの稀覯本や珍書に接する機会があったのでそれらが様々な主題について研究するための糧となっていた。

ということで、このおとぎ話も豆から生まれた小さな少年が子供のいない老夫婦に育てられ、旅に出ていろいろな出来事をのりこえながら成長し(文字通り)、「豆の花」という王女と結ばれる、という日本人ならあららと思うようなストーリーなのである。

f0307792_20300982.jpg
そら豆の宝を育てる老夫婦
「子供がほしいのお…」


f0307792_20300155.jpg
そら豆から生まれた宝物
「あれま、こんなところに男の子が!」


f0307792_20302277.jpg
そら豆エキスを街でお金に換えるため旅に出る、と……
いろいろな獣と出会う。


f0307792_20301807.jpg
豆の花の宮殿に泊まる。
そこには
美術ギャラリーもあれば
アンティーク・ギャラリーもあれば
昆虫、貝、鳥などの博物室もある。
(ノディエの趣味らしい)
そして

f0307792_20301540.jpg

なんといっても素晴らしい書斎(sa bibliothèque)があった。ドンキホーテ、ウドー夫人の著名な青色文庫(la Bibliothèque bleue 十七世紀の初めにフランスで出版された大衆向け読み物)、あらゆる種類のおとぎ話、銅版画の美しい挿絵が入っている、最良のロビンソンやガリヴァーを含む奇妙で面白い旅行書コレクション、素晴らしい年鑑類、農業や庭園について書かれた無数の論文……人間にとって必要なもの、読みたいと思うものが全て揃っていた。しかしそれ以外の不要不急の学者、哲学者、詩人のものは一切置かれていない。

ヴィクトール・ユゴー、アフルレッド・ド・ミュッセ、サント・ブーヴらもノディエの影響を蒙っているという、その文学観がこのくだりによく現れているように思われる。

f0307792_20300458.jpg
めでたし、めでたし


[PR]
by sumus2013 | 2017-08-26 21:33 | 巴里アンフェール | Comments(0)

メグレと老外交官の死

f0307792_20393454.jpg

夏場のパリは昼が長い(夜十時になってようやく黄昏れてくる)。古本としては読めそうもない本ばかりに目が行くのだが、長い夕暮れまでの時間をふさぐためもあって、毎回とにかく何か一冊は読むために買って、実際に読むことにしている。これまではトポールの評伝、ジャン・ジャック・ポヴェールの自伝、マン・レイの自伝(仏訳)、ジョゼ・コルティの自伝など伝記ものばかり読んでいた。今回はトポール展を見ることがメインで他に何も予定も目的もなかったため、サン・シュルピス古本市もぶらぶらしてばかりでほとんど何も買わなかったが、ある古本屋さんが、メグレ・シリーズが好きだということで、ポケット版を1ユーロ均一で平台に数十冊並べていたのが目に付いて、雑談しながら眺めていると、初期の表紙が「買ってちょうだい」と訴えかけてくるような気がしてきて、つい買ってしまった。「メグレはいいよ、すらすら読めるよ」とのオススメだ。

とにかくこのシンプルなデザインがいい。後の版では写真を使う表紙が主流になるが、今となってはこのモダンデザインの時代の古臭さがかえって新しい。以前にも一冊、神田の田村書店で買ったものを紹介したことがある。

『Maigret Chez le Coroner』(PRESSES POCKET, 1957)

『Maigret et les vieillads』(PRESSES DE LA CITE, 1960)、直訳は「メグレと老人たち」、邦訳は『メグレと老外交官の死』(長島良三訳、河出書房新社、一九八四年)。たしかにフランス語としてはそう難しくはない。ただ、平生、探偵小説など読まないものだから単語に馴染みがないのがやっかい。例えば「P.J.」(ペー・ジィ)これは司法警察、ようするに警視庁というようなものだろう。これすら分らないのだから初めはなかなか進まなかったが、指紋(empreintes digitales)とか薬莢(douille)とか手がかり(piste)などもそうだが、何度も出てくるのでなんとか覚えて後半はわりとつっかからず読めた。

シムノンの文章は平易だが、おっとりとした気品があってただ読みやすいだけというのとは少し違うような気がする。俗に言えば、文学の香がするとでも。例えば、ヘミングウェイ「移動祝祭日」には次のような評価が書きとめられている。彼はガートルード・スタインに勧められてマリー・ベロック・ラウンズを読み漁った。

登場人物はいかにも本当らしいし、行動や恐怖も常に真にせまっていた。仕事をしたあとで読むのに申し分がなく、私はある限りのベロック・ラウンズ夫人の作品を読んだ。けれど、それだけのことで、最初の二つに匹敵するものはあとにはなかった。昼や晩の空虚な時間を埋めるのに、シムノンの最初の良い書物が出るまでは、これほど面白いものはなかった。
 ミス・スタインはシムノンの良い作品ーー私がはじめて読んだのは、『第一号水門』か『運河の家』だったーーを好んだだろう、と私は思う。でも、確信はもてない。私がミス・スタインと知り合ったとき、彼女はフランス語を話すのは好きだったが、それを読むのを好まなかったからだ。私が初めて読んだシムノンの本二冊をくれたのは、ジャネット・フラナー(アメリカのジャーナリスト)だった。彼女はフランス語を読むのが好きで、警察廻りの記者をしていたころ、シムノンを読んでいた。》(『老人と海・移動祝祭日』福田恆存+福岡陸太郎訳、三笠書房、一九六六年二月一〇日)

もちろんヘミングウェイがパリに新聞社の特派員として滞在していたのは一九二一年から一九二八年五月までである。その頃シムノンはまだ有名になっていなかった。処女作は一九二一年に出版され、数多くの作品を発表してはいたが、それらはペンネームを使っていた。出世作はやはりメグレ警視シリーズであり、その第一作は一九二九年からスタートしているからパリで読んだわけではない。ヘミングウェイのいう『第一号水門』は『水門』(Le Charretier de la Providence、1930)だろう。『運河の家』は?

とは言え、本作はあまりにも動きの少ない密室殺人もので、推理小説としてはかなり退屈である。ただ、色々な仕掛けというか、装飾的な逸話が物語の味わいになっていると思ってもらえればいい。また、たまたまではあるが、本書の事件の舞台がヴァレンヌ通りだったり、サンジェルマン大通りだったり、ジャコブ通りの骨董屋だったり、と今回小生が滞在したアパルトマンの界隈だったのは読書の別の意味での楽しさを味わうことができた。例えばこんな

C'était un soulagement de retrouver la lumière du jour, les taches de soleil sous les arbres du boulevard Saint-Gérmain. L'air était tiède, les femmes vêtues de clair et une arroseuse municipale mouillait lentement la moitié de la chaussée.
 Il trouva sans peine, rue Jacob, la boutique d'antiquités dont une des vitrines ne contenait que des armes anciennes, surtout des sabres. Il poussa la porte, faisant ainsi tinter une sonnette, et il se passa deux ou trois minutes avant qu'un homme sorte de l'ombre.

どうということのない描写がなつかしく感じられるのはサンジェルマン大通りの太陽がほんとうに眩しかったためであろう。



[PR]
by sumus2013 | 2017-08-17 22:10 | 巴里アンフェール | Comments(0)

働く人

f0307792_19455053.jpg

先年、日本でも展覧会のあったカイユボット作「建物のペンキ塗り」(一八七七年)。パリだろうと思うが、このだだっ広い通りはどこだろう? さて、この絵から百四十年を経て現在のパリで働く人たちは……と思うと、ほとんど変ってないかも。

f0307792_19485783.jpg
サン・メリ通り Rue Saint-Merri


f0307792_19485996.jpg
ボーヌ通り Rue de Beaune


f0307792_19490237.jpg
BHV(べアッシュヴェ=百貨店)のハンバーガーショップ



[PR]
by sumus2013 | 2017-07-26 19:58 | 巴里アンフェール | Comments(0)

アソシエ書店

f0307792_19405543.jpg

今回の収穫として第一に挙げなければならないのはシェ・レ・リブレール・ザソシエ(Chez les libraires associés)への訪問である。ミッテラン図書館でのトポール展についてはすでに報告した。その展示に同調する形で「ここでもトポール展が開かれているよ」とパリ在住の知人が教えてくれた。それは是非とも訪問しておきたいと、ホームページをチェックしてみたが、その時点でこれはなかなかの書店だと驚かされた。日本の絵本なども扱っている。

Chez les libraires associés
3 RUE PIERRE L'ERMITE
75018 PARIS FRANCE

十八区、地下鉄二号線ラ・シャペル下車。ラ・シャペルは北駅と東駅に挟まれた場所で、インド人街のような雰囲気の一角もあり、中東やアフリカの人達も数多く行き交っている。見たこともないような果物が八百屋に並んでいて目を射られたり、派手な民族衣裳で闊歩する女性たちに圧倒されて道を間違えてしまったり、それでもなんとか目的の通り番地に辿り着いた。

上の写真がそのピエール・レルミット通り。まあ、とりたてて変哲もない街路である。商店もほとんどなく住宅街と言っていいだろう。この写真の左手前に移っている建物の一階にリブレール・ザソシエはあるはずなのだが、看板も何も一切出ていない。3番地の両開きの扉(もうひとつ片開きの扉もあるので注意)の脇に付いているソヌリ(ボタンを押す式の呼出ベル)のひとつに「Librairie」と手書きのシールが挟んであるだけ。まあここしかない。とにかくボタンを押す。すると「カチッ」とかすかに鍵が開いた音がした(パリではどこの玄関でも鍵を開けると同じような小さな金属音がする)。扉を押して中に入る。

入ってビックリ。高い天井、壁際は一面の書棚、スーッと奥へ真直ぐ伸びた廊下は広々として何も置かれておらず、清潔な図書館を思わせる。入ってすぐ左手に一室、突き当たりに一室、その左奥に一室、さらに地下室もある。トポールの展示を見たいというとレジ机にいた男性は地下へ行けと階段を指さした。

f0307792_19405970.jpg

地下室へ降りてまたまたビックリ。古本屋というよりアート・ギャラリーの雰囲気である。実際、地下室はおおむねギャラリーとして使われているようだ。手紙や自筆デッサン、書き入れや献辞またはイラストの入った書籍、版画やポスター、生写真、その他見た事もないようなトポール表紙の数々の本が並んでいた。十年かけて集めたのだそうだ。もちろん全て売り物、Bnfと違ってどれでも買い取っていいわけだ。いちおうこの展示は会期を区切っているから売約済みの赤丸が付いているものがかなりあった。

自筆モノが欲しかったが、むろんそれなりに高額である。なかなかうまい値付けになっている。じつはもうすでにそこそこ値の張るトポール関連品を他所の店で買ってしまっていた。もし、それがまだだったなら、小さな落書きのようなスケッチを買えたのだが……。まあ予算は決まっているのでどうしようもない。買える範囲内で何か欲しい。会場をうろうろすること小一時間。迷いに迷ってジャン・ジャック・ポヴェールから一九六八年に出た『TOPOR La vérité sur Max Lampin』に決定。ショーケースに入っていたので取り出してもらう。そこには同じ本が二冊並んでいて、一方は状態が悪く、もう一方はかなり綺麗な本。ただし値段は倍違う。いつもの小生ならゼッタイ安い方にするところだが、今回は高くて状態のいい方を選んだ(よし、よし)。「持って帰っても大丈夫ですか?」と尋ねたら「これは他にもう一冊ありますから、問題ありません」という答え。さすが……。

f0307792_19411294.jpg

日本の本が並んでいるだけあって若い店主(の一人)は「ぱりニ、スンデイマスカ? カンコウデスカ?」などと日本語を操るのである! これにもちょっと驚いた。英語は珍しくないが、日本語を話す古書店主はまだ珍しいと思う(日本人店主は別です、勿論)。

その何日か後、別の古本屋さんにやや興奮気味にアソシエ書店の話をした。
「あそこは三人でやっていてね、もとはサントゥーアンにいたんだよ。うちの店にもよくやってきて何度もいい本を抜いて行った。あとで彼等の値付けを見て地団駄踏んだこともあったよ。今、パリでいちばん元気がいい店なんじゃないの」
サントゥーアンはクリニャンクールの蚤の市のことである。

そして、今、アソシエ書店を検索していてまたもやビックリ、な、なんと以前 daily-sumus でも取り上げたことのある新発見のランボーの写真、それを掘り出したのが、このアソシエ書店の経営者の一人ジャック・デッス(Jacques Desse)氏ではないか。ランボー売ってこの店を買ったのかなあ……!?

ランボーの知られざる写真

Chez les libraires associés
Ce blog est consacré à la photographie d'Arthur Rimbaud à l'Hôtel de l'Univers

そして、京都に帰ってから、もう一度、アソシエ書店には驚かされた。なじみの古本屋さんに「パリに凄い本屋さんがあったよ〜」などとペラペラ話していると「あれ、その人たちうちの店に来たことあるよ」……。なるほどねえ、日本語しゃべるはずだよ。

[PR]
by sumus2013 | 2017-07-16 21:07 | 巴里アンフェール | Comments(0)

マルシェ・ド・ラ・ポエジィ

f0307792_16041247.jpg

サン・シュルピス広場での古本市が終わった次の週には「マルシェ・ド・ラ・ポエジィ Marché de la Poésie」が開かれた(六月七日〜十一日)。これは一九八三年から始められ、今年は三十五回目だそうだ。フランス全土の詩集の出版社が一堂に会して(外国からの参加もあり)、その出版物を展示販売し、朗読会やトークイベント、コンサートなどさまざまな催しを行うというお祭りである。ブースは百二十以上あり、『デ・レットル・マルシェ』という新聞に顔写真が掲載されている参加者は二百五十二人以上。ブース(テント)の数は古本市よりも多い。日本人の参加者はいないようだった(中国人は何人か)。

上は参加出版社のデータおよびイベント内容の詳細が記された冊子(2ユーロ)。コンサートも Baron Bic(ロック)、ポエム・ジャズ、Sarah Olivier(歌手)とヴァラエティに富んでいて、のぞいてみたくなるラインナップだと思った(思っただけで実行せず)。

f0307792_16040263.jpg

各出版社の刊行物をざっと見て回る。詩集の装幀というのはだいたいその国の装幀のレベルを体現している、はずだ。全般的にはやはりフランスらしく素っ気ない文字だけの並製本が多い。ただ意外とイラストや写真を表紙全面に配したヴィジュアル系の装幀も目立っていた。あまり凝った造本はなかったように思う。オリジナル版画などを使ったアーティスト・ブックはいくつかのブースで展示されており、ルリュール・ジャポネーズ(和綴じ)の手作り詩集も見かけた。

f0307792_16040696.jpg

初日だったが、しばらく聞き惚れたのは「スロヴェニアとの出逢い」という朗読会。ちょうど始まったばかりで、スロベニアの詩人たちが何人か演壇に上っていた。一人で原語で読む場合と、二人並んで、一人は原語、もう一人が段落ごとにフランス語に訳して代わる代わる朗読するというやり方もあった。フランス語で聞いてもほぼ分らないが、スロベニア語は音楽も同然であった。しかし、それでも何か伝わってくるものを感じた。言葉の力というか、朗読には朗読の良さがある。かつて京都在住の詩人・萩原健次郎さんは招かれてここで朗読したと聞いた。

f0307792_16040965.jpg

マルシェ・ド・ラ・ポエジィが終わると、その次には六月十二日の一日だけ「版画の日 JOURNÉE DE L'ESTAMP」という催しが行われた。知らない作家ばかり。なかなか楽しい展覧会だった。版画だけに100〜300ユーロくらいで買える作品も少なくなく、かなり食指が動いたが、持って帰るのも難儀だし、どうしても欲しいというほどのものはなかったので、残念なようなホッとしたような次第。
あるブースをのぞいていると、若い女性のアーティストが話しかけてきた。
「ムッシュー、第×大学でお会いしませんでした?」
「あ、いや、人違いです」
「あら、ごめんなさい」
みたいな会話だったが、その気になれば作家と親しくなれる。ブースが狭いので親密な感じにはなる。エッチングなどで作った名刺を置いてある作家がけっこういた。無料なので何種類かもらってきた。日本人女性が出品しているテントがあった。


f0307792_16455437.jpg


f0307792_16454886.jpg

「版画の日」が終わると、今度は古道具市が十三日間開催された。それがちょうど暑い盛りで、どうにもこうにも溶けてしまいそうなほど。古書を置いている店も少なくなかったのでできればじっくり吟味してみたかったのだが……。とにかく古道具類は予想以上に高価である。壊れそうなものは危なくて買えないし(薬壜が欲しかったのだが)、もっと予算があればなあ…とため息がもれた。

[PR]
by sumus2013 | 2017-07-13 19:00 | 巴里アンフェール | Comments(0)