林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:関西の出版社( 26 )

英和対訳字引

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百万遍で久々の明治英語本を見つけた。『ウイルソン氏第一リードル 英和對譯字引』(河井源吉訳、此村彦助=此村藜光堂、明治十九年[1886]五月五日出版届、同年六月一日発兌)。明治十六年に東京で『ウィルソン氏第一リードル独案内』(十八年再版)が出版されていて、そちらは国会図書館にも日本の古本屋にも出ている。しかしこの字引(専用の辞書)は見当たらないようである。同趣旨の『ウ井ルソン氏第一リードル字書』(松井忠兵衛発兌、明治十六年再版)は国会図書館に所蔵されている。

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「例言」はタテ書で左から右への行送りになっている。


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本文組みのこだわり。訳文の漢字とルビが寝ているのがちょっと珍しいのでは? 『ウ井ルソン氏第一リードル字書』の単純な並べ方と比較して欲しい。


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ナシヨナル、ピ子ヲ、パアリー、サンダーユニオン、ウイルソンと字引を出版している。関西出版の拙速な感じがよく出ているような気がする。明治十九年に高等小学校で英語を教えることになったのが背景にあるようだ。

ナシヨナル第二

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by sumus2013 | 2017-11-04 19:56 | 関西の出版社 | Comments(0)

平凡社/全国書房

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遠藤勁氏より私家版を六冊頂戴した。以前にもいただいていたのだが、今回は新作および増補改訂版だという。まず『平凡社 あの人、この人』から。古河三樹松が取り上げられている。全文。

四谷駅マーケット(新四谷見附橋)脇「古河書店」店主。大逆事件で刑死した古河力作の実弟。平凡社創業者・下中彌三郎の書生から平凡社編集者へ、『名作挿画全集』(昭和一〇〜一一年)などを編纂。私の在籍中は、出入りの書店として図書室や各編集部の資料図書などを納めていた。"見世物研究"の一環か近郊ストリップ小屋の調査?は欠かさず、近況を聞くとその成果をこっそり伝授してくれた。1.4メートルに満たない小躯だったのでカブリツキは得意だったようだ?。愛嬌のあるオジイチャンという風情だった。著書に『庶民芸能ーー江戸の見世物』など。

古河力作のところでも問題にした小躯だが、《1.4メートルに満たない》はたしかに明治生れとしても小躯であろう。他にもいろいろ興味深い方々が在籍されていた。さすが非凡なる平凡社。

『少年の洛中記』も面白い。氏は一九三八年京城生れ。敗戦で引き揚げ、昭和二十一年に縁者をたよって一家五人で京都市へ移住。東京芸大へ入学するまで京都で青春時代をすごされたようだ。まず書店に関する思い出を引用しておきたい。小学生時代の「立ち読み一人巡り」。

まずは家から近い寺町二条の「若林書店」を出発点とする。寺町通を南下して、本能寺向いの同級生・佐々木クンの家「竹苞書楼」はスルーして(漢籍はチョット……)、三条通で東に曲り「そろばん屋」に入る。次は河原町六角あたりの「駸々堂」だ。その頃は四階建てくらいの古びたビルの一階で(そのずーっと後の京宝ビルとは当然違う)、床面積が広く奥では古書も扱っていた記憶がある。そこを出ると向い側に渡り「丸善」に入る。最後は河原町四条近くの西側の「オーム社書店」で終わる。この間、小さな新刊書店や古書店が何軒もあった。美術書専門の「京都書院」はあったかどうかの記憶はない。

全国書房の思い出もある。

御池通を西へ富小路角に散髪屋があり、児童の私はいつもそこへ通っていた。その二、三軒西(柳池中学の東)に、「全国書房」という出版社があった。父親が親しくしていて時々寄っては刊行物を求めていたようで、私も一、二度付いて行った記憶がある。
 普通の町屋を事務所にしていて、なにやら本がいっぱい土間に積んであった。まだ出版社と書店の区別もつかない年頃で、活字だらけの大人の本には興味がもてなかった。
 ある日('49年・小学五年頃)、父親が少々興奮気味に厚い辞書をかついで帰ってきた。全国書房から出た新刊で、『言林』という国語辞典だった。その後高校生まで私専用の字引となったが今は手許に無い。新村出が"新かなづかい"で編んだ戦後初のこの辞書は、発売すぐ全国的にベストセラーとなった。あの近所の地味な会社が作った立派な本に、子供ながら驚いた記憶がある。

今となっては貴重な全国書房の記憶=記録であろう。深謝です。



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by sumus2013 | 2017-10-16 21:34 | 関西の出版社 | Comments(2)

藤井孫兵衛肖像

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星野画廊で開催中の「大政奉還150周年記念展 新発見!《戊辰之役之図》鳥羽伏見の戦い勃発の夕、京都御所では何が起きていたのか 〔150年目の証言〕併催「明治絵画拾遺選II」」展覧会図録を頂戴した。

星野画廊

小波魚青(1844 伊予国宇和島〜1918 長崎市)の描く「戊辰之役之図」もさることながら、「〈明治の群像〉関西の初期洋画家達」と題された諸作がいかにも星野コレクションらしくて面白い。なかで注目したのは上の肖像画。山内愚僊作「藤井孫兵衛肖像」。

五車楼の当主は江戸の創業時より代々「孫兵衛」を名乗り国学や漢学の出版で名を馳せた。新古美術品展覧会目録編纂者としても知られる。ところが10代目孫兵衛は病弱だったために弟の孫三郎に11代目を譲り隠居した。その後11代目も30代で亡くなり、書肆五車楼はとうとう閉店してしまったという。
 山内愚僊は10代目孫兵衛の21歳の時の肖像を、伊藤快彦は孫兵衛の祖母、知玉を描いた。》(本図録より)

藤井孫兵衛についてはブログ「関西の出版」に以下のように出ている。

《藤井孫兵衛 菱屋 五車楼
 創業者は孫兵衛. 近江大津の出身. 漢学者岩垣松苗の家で学僕をしていたが, のちに同家の著述ものを譲り受けて, 明和年間(1764〜71)に出版したのが始まりといわれる. 五車楼は12代続いた書肆で, 代々孫兵衛を継承した. 8代目のときが明治維新改革の時期で, 国学や漢学の旺盛期になったことから, 五車楼版の『国史略』や『十八史略』などが読書界人気の中心になった. また中学校, 師範学校の学制施行により, 教科書に採用されるなど9代目のころ全盛期となった. 9代目は病気のため42歳で死去, 長男泰二が4歳で10代目を継ぎ42歳で死去, 弟が11代目を継いだが30代で死去したのち閉店》(『京都出版史』日本書籍出版協会京都支部、1991)http://westedit.exblog.jp/11516471/

最近この名前、どこかで見たな、と思ったら、自分のブログで紹介していた。

皆川淇園・編次『習文録』(藤井孫兵衛、一八七六年五月一八日版権免許)

とにかく、明治中期の出版人の肖像画というのは案外珍しいのではないだろうか?

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by sumus2013 | 2017-10-11 20:54 | 関西の出版社 | Comments(0)

書彩2

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『ふるほんやのざつし 書彩』第二号(葵書房内書彩発行所、一九四九年一〇月一日)。

彩ノート………百艸菴主
古物明細帖 その二………後藤和平
憎まれ漫談………中村蕪生
書物よもやま話[座談会]………中村智丸(葵書房)、沢田恵介(沢田書店)、松村辰之助(松村書店)、鉢木信夫(元町美術の店)、玉田一郎(百艸書屋
茂九六九
編輯後記………百艸記
印刷所 三光堂神戸店 神戸市須磨区大黒町三丁目四九


後藤和平(後藤書店)の「古物明細帖 その二」から明治末頃の神戸の古本屋事情を簡単にまとめておく。古本屋が増え出したのは日露戦争前後からであった。後藤はトーアロードの踏切近くで生れ、明治四十一年尋常高等小学校卒業(ということは明治二十八年頃の生れ)、パルモア英学院に通学。その頃から二銭、三銭、五銭の均一本を漁るようになった。

明治四十三年父が死んで、月給七円ではどうにもならず、勤めも嫌になつて我楽多の蔵書を石油箱に一箱を元に、古本屋開業と決め、相談に出かけたのが前記の久保昌栄館であつた。月一回河合書店で市があるからと教へられ、御共した。当時の市は十人位の集りで、帝国百科全書とか、蘇峰の日曜論談とか、紙表紙の浪六や紅葉や風葉その他の小説とか、イーストレーキの会話等等、明治三十年代の出版物に、大阪の赤本が出品された。

私が、英語の本を逆さに見ない程度であつたが、当時では新進で、表題位がおぼろに解るので相当重宝がられた。旧ロゴス書店の下角で二坪位の小店を手に入れ、毎日夕方から開店した。開店第一日は、六拾銭余り売れた。

私の小店は、場所柄洋書や英語の参考書等が多く売れたが、何分品物が少く加ふるに家賃が十八円もするので引合はず、当時神戸の古本屋街であつた北長狭通りへ移転した。この店は家賃が七円でほつとした。片側は書棚で片側は襖に桟を打ちつけ、書棚を平面に立てかけて置いた。こうする事に依り、少い商品で陳列し得るからで、当時は一流の四五軒以外はかうした陳列の店が多かつた。
 市会も月一二回で、其の量も少く、多くは「よせや」で探し出してくるのだが、よせ屋廻りをする事を嫌つて一度も出かけなかつた私の店は、いつまでも商品が詰まらず、棚の一部も平面にならべられる事が多かつた。

初め二三円でしかなかつた此の店の売上も、四十四年頃から七八円前後売れる様になり古本の知識も少し解り出し、商品も少しづつ増加して行つた。

大阪の淡路町に長谷川文々堂といふ古本の卸屋があると松浦氏の先考に教へられ文々堂へ始めて行つた。でつぷりと肥満した五拾才を出たであらうと思はれる此の店の主人は、うづ高く積み上げられた内から、神戸ではこんな本が売れる、こんな本も売れると気前よく薄利で売つてくれるのであつた。

そこで杉山氏や高尾氏と知合いになり、鳥居書店の二階で開かれる市へも出席するようになった。それが大阪古典会の市の前身であろう。西宮で仕入れた写本や俳書や錦絵類をこの市で売りさばいた。

当時私の店へ顔の青白い青年が風呂敷包に古本を背負ひ店に這入つて来て、話し込んだり集めて来た商品を見せたり、そんな高く買はなくても「よせ屋」廻りをせよと、しきりに進[ママ]めるのであつた。事実、古本等は大部分「てんや」に拂下げられる事の多かつた当時のよせ屋には、相当な本がよく出たのである。この青年は野村尚友堂先考で、野村氏の店は県病院の下手に雑誌や小説等をうづ高く集めて居られた。

神戸の古本力』(みずのわ出版、二〇〇六年)を作っているときにこの文章を知っていればなあ……と思っても後の祭りである。『書彩』については触れているのだが、創刊号、二号は未見であった。

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by sumus2013 | 2017-09-09 20:59 | 関西の出版社 | Comments(0)

書彩創刊号

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『ふるほんやのざつし 書彩』創刊号(百艸書屋内書彩発行所、一九四九年七月一〇日)。『書彩』については何度か言及したことがある。神戸の古書店が集って作っていた古書目録であり書物雑誌である。百艸書屋の岸百艸こと玉田一郎が中心になって発行していた。第九号まで確認できている。

ふるほんや渡世も、所謂、猫の手でも借りたいといふ機なら、おそらく、こんな、くだらない刊行物は、出なかつたことだらう。何うにも閑で、退屈で、といつて、酒に走るほどの御威勢もなく、さりとて、清元を地でゆく柄行などさらさらなしときては、所詮、甲羅に合せた穴を掘るより、他に藝のないのが蟹どもの常である。
 何か・・・・と誰か一人が、口火を切つたのが始まりで、てんやわんやの小田原評定の結果が、依如件かたちとなつたのである。
 将して、克く、書を彩り得るや、否やは、かかつて同人一同の、今後の情熱に俟つばかりである。》(岸百艸「創刊片言」)

「誰か一人」とはむろん岸のことであろう。目次を掲げておく。

"西洋書誌学"の思ひ出………蘆呉須生
覚え書………中村蕪生
古本屋風土記(其一)………廣重堂
旧元町一丁目の角のおもひで[口絵]………小松益喜
百艸旧記(俳句)
古物明細帖 明治の巻………後藤和平
浮世絵くさぐさ………岸百艸
毛九六九
探求書
編輯後記………百艸記


"西洋書誌学"の思ひ出」はロゴス書店の前田梅太郎執筆。ぐろりあ・そさえての伊藤長蔵の旧蔵書について書かれている。非常に興味深いので一部を引用しておく。

数ケ月前、東京在住のロサンジエルス古本屋の主人、タツトル氏が下神来店の節、東洋学関係の書誌関係書を十数冊買つて行かれたが、其の書物が殆んどグロリア文庫伊藤長蔵氏の旧蔵せられたものであつたので、今更ながら、伊藤氏蒐集の書誌学書の立派だつたことが思ひ起こされた。伊藤氏は自身、欧洲各地を遊歴された際、その努力と経費とを省ずして、数百種の稀覯書を購入の上、それ等を舶載された程の愛書家であつた。

伊藤長蔵が神戸を去った後、その蒐集書が入札に付された。昭和十年七月酷暑の時期。来場の同業者も少なく、特殊な書物ばかりだったので、目録に掲載された二百程の欧文稀覯書も嘘のような安値で落札された。落札総額は《今の平凡社百科一組の値段と略ゝ同額位》だと記憶している。筆者はそれらの一部を列挙する。言及されているすべてのタイトルを掲げておく。

デイブダン「愛書狂」一八四二年初版本
「書誌学的デカメロン」三冊本
「北英吉利スコツトランド古書探訪記」
「フランス、ドイツ古書探訪記」
英吉利古刊本沿革史」四冊揃
エスリング「十五六世紀のベニス版とその書誌」七冊本
ホジキン「ラリオラ」私家版三冊本
ポルトガル王マニユエル「王室所蔵初頭ポルトガル関係書誌」
モリソン「大英博物館所蔵のインキユナブラーの研究」
ロバート・ペデイ「インキユナブラー書誌」
紐育書誌学会「欧洲文学珍本古梓籍貼込帖」
バルセロナ版「ビブリオグラフイア・カタラーナ」七冊揃
シラム「独逸古刻書誌」十三冊本
ワツト「英吉利書誌

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「旧元町一丁目の角のおもひで」小松益喜


「古本屋風土記」も面白い。

終戦の半年程前のことだが、思想犯として留置せられてゐる友人に本の差し入れをしてゐたことで一週間ブタ箱へほうり込まれて、県の特高係りにいぢめられた時に「バイブルて何んだ!」といふから「バイルブルて聖書だ!」「聖書て何んだ!」「ヤソの教へだ!」「ヤソの教へて何んだ!」とくる始末だ。其時に私蔵のマルクス主義文献数百種を押収された中に西鶴全集が入つてゐた。「ニシヅルニシヅル」としきりに云ふからこちらも「ニシヅルぢやないヒガシヅルだらう」と云つてやつたら真面目な顔で「いやニシヅルに違ひない、本屋のくせに常識のない奴だ」とくるから嬉しくなつてきた。コンナ人に営業もーー思想も取締られていたのだから、古本屋稼業も並たいていのことぢやない。

五、一五事件で家宅捜索をやられた時には吉野作造の「文化生活」まで引きあげられて取調べの種にせられたものだ。まだマルクスとマルサスを取違へる位は優秀な方だ。

署長室の本棚一杯に江戸文芸の図書が這入つてゐた。検束者を貰ひに行つて、一九三馬の話ばかりして美事に目的を達したことがあるが、こんなのは警察官としては全く型はづれの部類に属する。

あるいは神戸の名物古書店主・福岡梅次のくだりも凄い。大正末期頃の話のようである。

氏は神戸といふ風土の特色を最もよく発揮した古本屋で又東京、大阪等の同業者から「神戸の荒神様」で愛称された程無邪気な無鉄砲さをもつて居た。どんな種類の本でも驚かない。外国語は「デンデン知らん」と本人は云つて居るがサンスクリツトだらうがスカンジナビヤだらうがおかまひなしにーー内容のわからない位は問題にしないでーー買ひ込んでくる。そのかわり店勢は応接に暇のない程盛衰常なく店外迄溢れ出た程の本が数日の中にガラン洞の書棚ばかり残して消え去ることもさしてめづらしくない。ソレ一たびツムジが曲れば最后の一冊迄も呑んでしまはなければ気のすまない愉快な気性の人であつた。

いやあ、そんな古本屋があったのだ……一度見てみたかった。なお、明記されていないが、表紙に「知黙菴」と出ているのが表紙画の作者かなと思う(岸百艸その人か?)

『書彩』3(葵書房、一九五〇年三月二〇日)

『書彩』第九号(百艸書屋、一九六〇年五月)

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裏表紙



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by sumus2013 | 2017-09-08 21:21 | 関西の出版社 | Comments(0)

fashion MACHINE

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fashion(fash'un)3 MACHINE
発行 1980年8月1日
訳者 豊田菜穂子 勝本哲也 リン・ジェコブセン 堀野加寿子
写像 中野泰伸
編集 阿木譲 嘉ノ海幹彦
ブック・デザイン 阿木譲
写植 恭誠社
製版 山口製版所
印刷 山幸印刷
製本 大同紙工
発行者 阿木譲
発行 ロックマガジン社
〒五五〇 大阪市西区新町一-六-八 ソラル清賀五〇二
〒一五〇 東京都渋谷区千駄ヶ谷四-十三-二


大阪の出版社ロックマガジン社が刊行した隔月刊の雑誌『ファッション』第三号「マシーン」。発行者である阿木譲についてはウィキが詳しいのでその一部を引用しておく。

1971年、一年近くサンフランシスコに住み、写真家の福田という人物に連れられコミューン「モーニングスター(Morningstar)」に出入りする。
 その後ファッションブランド「I Am A Boy」を立ち上げ、高島屋デパートで企画を担当していたが、もう一度音楽の仕事に戻りたいと考えていた1974年に、KBSラジオのディレクター奥田靖彦と出会い、1975年4月2日から1978年3月までラジオ番組「ファズ・ボックス・イン」でDJをつとめる[6]。
 同番組で雑誌編集を企画し若者に呼びかけ、集まってきた三田村善衛、渡辺仁らと共に、1976年2月、阿木を編集長に『ロック・マガジン』を創刊。この雑誌のディスクレビューでテクノポップという言葉を初めて使用したことがよく知られている(1978年、クラフトワーク「THE MAN MACHINE」の評において)。
1978年に、日本初のインディーズ・レーベル「ヴァニティ・レコード」を設立。関西のバンド「DADA」、「EP-4」らのアルバムをリリースする。

同社は『ロック・マガジン』を皮切りに以下のような雑誌を発行していたもようである。

『ロック・マガジン』1976年〜1984年、1988年(復刊)
『fashion』1980年
『EGO』1985年〜1987年
『infra』1999年〜2001年
『BIT』2002年

『fashion(fash'un)』第三号には奥付の前に既刊広告がある。それによれば第一号(一九八〇年四月)は「1960'」、第二号(一九八〇年六月)が「Plastic」特集だったことが分る。断言はしないが、この三冊で終刊したのかもしれない。

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「マシーン」特集の内容はニューヨーク近代美術館で一九六八年に開催された展覧会図録「The Machine」を翻訳したもの。この展覧会は非常に重要なものだったと評価されているらしい。ざっと見てもなかなか刺激的な内容である。一九八〇年の時点でも、ここに掲載されている作品は日本ではまだ実物を見ることができなかった(あるいはそれまで展示されたことがなかった)ようなものが多いように思う。無論、今の目で見ると(五十年を経過しているので)かなり事情は変ってはいるが、機械主義という捉え方そのものがある意味アナクロニズム的な面白さがある。

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序説のなかでちょっと気になったところ。

科学と産業革命が人間の社会及び政治上にもたらした驚異的変化は、文学の中では頻繁に扱われたが美術にはそっぽを向かれていた。その種のテーマを何らかの形で描いた数少ない絵画でも、説明的なものとか、ただ話のタネで終るようなものが殆んどだったのである。

これは大きな勘違い。印象派は機械時代の申し子である(チューブ入絵具の発明などによる)。モネの「印象、日の出」の背景を見てご覧なさい。煙突がずらりと並んで煙を吐いている、すなわち沿岸工場地帯が描かれているのだ。また新印象主義の点描(スーラら)は科学(光学)の応用だし、写真の登場とその使用が十九世紀絵画に与えた影響は計り知れない、すべて機械主義の産物である。

オリジナルのカタログは下記のようなもの。

The machine as seen at the end of the mechanical age,
K. G. Pontus Hultén, Ausst. Kat. Museum of Modern Art, New York, 1968

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by sumus2013 | 2017-08-05 21:40 | 関西の出版社 | Comments(0)

るさんちまん

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『るさんちまん RESSENTIMENT』創刊号(エディション・イレーヌ、一九八三年五月)。某氏より頂戴した。刊行間もない頃、アスタルテ書房で見かけてはいたが、求めることはなかった。今、めくってみると、実に興味深い雑誌である。エディション・イレーヌは今日も精力的に活動を続けておられる。その原動力(?)であるルサンチマンの持続には敬服せざるを得ない。目次は以下の通り。

超現実の光芒を追って  松本完治
ジャック・リゴー/TEXTE  翻訳:鈴木総
アンドレ・ブルトン/吃水部におけるシュルレアリスム(抄) 翻訳:生田耕作
ダンディズムの末裔  松本完治
Concours d'élégance  上野潤
グランド・ホテル万華鏡  岡上真治
シンポジウム:血肉なき思想家よ、去れ  生田耕作他


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見っけものは「TEXTE ジャック・リゴー」鈴木総訳のページ。鈴木総はもちろん鈴木創士さんだろう。生田耕作に翻訳をかなり鍛えられたと述懐していたから。

しかし何と言っても「シンポジウム:血肉なき思想家よ、去れ」が強烈。出席は、生田、松本、鈴木、岡上に加えて和田洽史(倒語社編集長…実に興味深い経歴の持主、現在はガーナに在住されているようだ)。副題が「現代ジャーナリズム批判第1回」で、俎上に登るのは雑誌『遊』の松岡正剛および吉本隆明。『遊』一九八二年九月号の松岡・吉本対談がよほど腹に据えかねたとみえる。あまり長く引用するのもはばかられるのでごく一部だけ。松岡正剛の用語について《岡上 だからさっきの話じゃないですが、機械は汗をかくからエロティックだとか、機械にはニルヴァーナがあるだとか……》という発言につづいて

生田 彼の使う言葉は全く意味のない言葉と言葉の短絡ですよ。
[略]
鈴木 松岡は「概念規定」を無視するわけですね。
[略]
生田 言葉も知らない、言葉の使い方も知らない人間にものを書く資格はない。だのに、その文盲が許容されるどころかジャーナリズムで結構有名になって誰にもたたかれない。これは異常な時代ですよ。
[略]
鈴木 自分の思い込みで言葉を使うな。もっと謙虚に、誠実になれ。
岡上 すごく低次元な問題ですね。
生田 結局、松岡の問題は単純なことだと思うな。言葉への無知、鈍感。これに尽きるね。
鈴木 言葉への冒涜ですね。
生田 許せない文化破壊者だね。(「遊」9月号表紙の松岡正剛の写真を不思議そうに眺めながら)この男、耳たぶに穴あいとるのと違うか?
鈴木 違いますよ。穴ではなくてイヤリングをしているんです。最近はファッション田舎者[カツペ]のあいだで流行っているみたいですね。もともと、ニューヨークや、サンジェルマン・デ・プレのホモ連中のアクセサリーだった。
生田 なんや、オカマか!
鈴木 そんな高級な人種やないですよ。(笑)

などという高級な批判がつづくのであるが、あまりに高級すぎてついていけないところもある(時間の無駄遣いという感じさえ、いや無駄遣いこそが文化なのかもしれないが)。善くも悪くもここまであけすけに語られると、このグループの指向するものがクリアに見えることは間違いない。

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巻末には遅日草舎と『戸田勝久画集』の広告あり。遅日草舎は出版もやっていたのか、と思いつつ検索してみると他に

京都府下の山野草 : 原色写真図鑑
衣川幸三, 内藤登喜夫 共編 遅日草舎 1983

があった。

遅日草舎

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by sumus2013 | 2017-05-30 17:31 | 関西の出版社 | Comments(3)

印刷と似玉堂

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『印刷と似玉堂』(似玉堂、一九三二年一一月一〇日)。京都柳馬場三条南入にあった印刷所の栞である。

似玉堂の生ひ立ちを申しますと、今を去る四十八年前、即ち明治十九年、初代三上庄治郎氏の創始したものでありまして最初は誠に些々たる一洋式帳簿店に過ぎなかつたものでありますが、常に時代の進軍に適応して、活版部・石版部を順次設け次第に膨張して参りました。大正十年には遂に従来の組織を株式会社に改めまして工場設備の一大拡張を行ひ、凸版・凹版・平版を悉く網羅した所謂綜合印刷所として一段の飛躍をなし、爾来益々発展し幸ひに現今の盛大に達することを得ました次第であります

尚ほ其の間特筆すべきことは大正四年の大正大礼の際に、印刷局臨時京都派出所を、又、昭和三年の昭和大礼の際には内閣印刷局臨時京都出張所を特に当社内に設けられ、官報号外其の他の印刷を行ふの光栄に浴し、徹底的に敏速確実よく其の責任を全うして大いに面目をほどこした次第であります。

本書に記載されている従業員数は二百有余名、据付け機械が四十余台、最近一ケ年の印刷数は四万七千四百五十連余、活字鋳造数千五百万本、貯蔵活字二億余万本、引受定期刊行物三十五種類、製本数一ケ年五十余万冊などなど。京都を代表する印刷業者であった。

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国会図書館を調べると似玉堂として以下のような出版物がある。

蘆のわか葉 上下
塚本里子 著,渡辺千治郎 編纂 似玉堂(印刷) 1900

金海貝塚発掘調査報告
朝鮮総督府 [編] 似玉堂 1923 (大正9年度古蹟調査報告 ; 第1冊)

大戦後の欧米見聞
小南 又一郎/著 似玉堂 1923

南朝鮮に於ける漢代の遺跡
朝鮮総督府 [編] 似玉堂 1925 (大正11年度古蹟調査報告古蹟調査報告 ; 第2冊)

北陸の偉人大和田翁
中安信三郎 講述 似玉堂出版部 1928

慶尚北道達城郡達西面古墳調査報告
朝鮮総督府 [編] 似玉堂 1931 (古蹟調査報告 ; 大正12年度第1冊)

医家人名辞書
竹岡友三 似玉堂 1931

慶州金鈴塚飾履塚発掘調査報告 本文
朝鮮総督府 [編] 似玉堂 1932 (古蹟調査報告 ; 大正13年度第1冊)

『The Art Flower Arrangement in Japan』1933年(昭和8年)似玉堂

Scientific Japan
prepared [by the National Research Council of Japan] in connection with the Third Pan-Pacific Science Congress, Tokyo, 1926 似玉堂 [印刷所]


しかしながら、これほど盛大であった似玉堂も敗戦後の一九四六年には日本写真印刷有限会社(戦中の企業合同により成立)に吸収合併され日本写真印刷株式会社となって今日に至っている。かろうじて命脈を保ったと言えるのであろう。

日本写真印刷株式会社の誕生


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by sumus2013 | 2017-05-24 20:26 | 関西の出版社 | Comments(0)

骨相学提要

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大平泰観『骨相学提要 四十二部位論』(民聲評論社、一九五三年六月一五日)。著者大平泰観と民聲評論社の住所は同じ。京都市伏見区西鍵屋町。大平泰観についてはほとんど何も分らない。本書には肩書きとして「日本易学会最高顧問」としてあり、はしがきには『人相学論』『人相部位論』『形貌学理論』『手相学論』を著したと言う。ただし国会図書館には所蔵されていない。

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大平泰観(口絵写真)


幸に私が学生時代より不知不識の間に斯学の研究に没頭してから約三十有余年である、此間に研究と体験とによつて得た、統計上より動すことの出来ないものと、殊に留学中特筆した点を加へて、至極判り易く骨相の部位を図解に示し骨相学提要と題し茲に執筆した次第である》(はしがき)

分からないと書いたものの、写真もあり住所も著書も学歴らしきものも知られるわけだから、かなり情報は豊富だとも言える。

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はしがきに続く「骨相学の沿革」を少し引用しておこう。

骨相学の発見者は当時世界に有名な墺国の解剖学の権威者医学博士ジョセラガルと云ふ人である此のガル博士は一七五七年三月九日南独逸の片田舎に生れ大学を出て墺国の皇室の侍医となり後には開業医となつてガル博士がかつて学童たりし頃より其の学友の露大なる眼球と記憶力との関係より人の心性と頭脳との関係に疑問を喚起し、其聡明と精力とを傾注

ジョセラガルはジョセフ・ガル Franz Joseph Gall(1758–1828)。

ガル博士が仏国の巴里に於て骨相学の研究所を設け次から次と新しい発見説を発表中不幸にしてガル博士は一八二八年八月二十二日(我国の文政十一年)七十二歳を一期として死亡した故に骨相学はガル博士を以て開祖とし第一世とする第二世は一八〇〇年頃よりガル博士の説に賛成し亦師事して共に研究したスブルツハイムと云ふ有名な解剖学博士であるス博士が英国に渡つて一八一五年始めてエジンバラ大学で斯学の講演をしたとき各学者より大喝采を博し其の賛同を得て同大学では此のフレノロジーを一科目として特設した

スブルツハイム(Johann Gaspar Spurzheim, 1776-1832)はガルの協力者であったが、途中で仲違いし一八一二年には独自の研究に始めた。またヨーロッパ各地を旅してフレノロジーの普及に貢献した。米国へ初めて渡った一八三二年にボストンで客死。検死解剖の後、その脳、頭蓋骨、心臓は取り出されてアルコール漬けにされ、聖遺物のように一般公開されたという(From Wikipedia)

そういえば、以前こんな雑誌も取り上げていた。

『性相』第四十三号

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by sumus2013 | 2017-05-20 21:51 | 関西の出版社 | Comments(0)

習字手本

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『小学下等第七級 習字手本 楷書之部上』(京都府翻刻、京都書籍会社 大黒屋太郎右衛門)。刊行年は不詳。
上の写真では表紙が取れているように見えるが、おそらくこれが表紙だったと思われる。大きい朱印は「京都府学教課」、右下の朱印は「弐銭……(不明)」だから値段である

明治初期は小学校を上下に分けて、上等は十歳から十三歳、下等は六歳から九歳、在学八年としていたようだ。その時期の習字の教科書である。習字、読書、暗誦、算術の四科目がそれぞれ一級から八級まであり、「習字」では片仮名・平仮名・数字(八級)から始めて行書の日用文(一級)までを修学することになっていた。


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大黒屋太郎右衛門は今井
太郎右衛門(文政七,1824〜明治十,1877)。長門生まれ、本姓は井関、京都の今井家に入り長州藩御用達の大黒屋を継いで尊攘派を支援した。吉田松陰から強い影響を受けた。維新後、書籍業に進出、明治五年に福沢諭吉、植村正直、村上勘兵衛らと集書会社を設立し京都集書院(京都府立図書館の淵源)の運営に関わった。(コトバンク他)

「集書会社基本」

大黒屋の出版物は以下の通り(国会図書館蔵)。共同出版のみ全社の名を挙げた。

◉府縣名 1872
◉京都學校の記 福沢諭吉 1872
◉山城郡村名 1872
◉中学開業祝詞 1873
◉諸國郡名 1873
◉亰都療病院日講録 1873
◉小學下等第一級受取諸券 平井義直 1874
◉十二学要論 初篇 : 天文学 卷之1 卷之2
 ブーテーズ・モンウェル [著],原田千之介 訳 1874
◉習字帖 小學下等第1・3~7級 平井義直 1875
◉千字文 平井義直 1875
◉精神病約説 (英國)顯理貌徳斯禮撰,神戸文哉
 大黒屋太郎右衞門/丸屋善吉/丸屋善藏/島村利助/丸屋善七 1876
◉養生訓蒙 神戸文哉
 若林茂助/大黒屋太郎右衞門 1878
◉千字文備考 平井義直 編 1879
◉伏見區町名 1880
◉苗字抄 苅谷保敏 1882
◉小學物理啓蒙 巻中 田中竹次郎
 大黒屋太郎右衛門/大黒屋書舗(発売) 1883
◉食経倶瑳口授篇 : 小学修身 巻の6 青山正義 編 1884
◉山城地理誌 水茎玉菜 1884
◉小学初等科日用事項 : 一名小学生徒訓 完 田中竹次郎 編 1884
◉心性開発小学地理問題集 青山正義 編 1887
◉京都療病院新聞


次いで『小学下等第七級 習字手本 方位干支七曜名之部』(京都府蔵版、京都書籍会社 大黒屋太郎右衛門、一八八〇年六月二一日)。明治十三年、こちらはちゃんとした表紙が付いており、本文最後の頁に平井義直筆》とある。平井は春江と号し書家で教育家。英学者でアメリカにおける仏教紹介者として知られる平井金三(きんざ、1859-1916)の父。

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河原町通り二条下ル二丁目はどのあたりだろう。長州藩邸は京都ホテルオークラ(河原町通り御池の東北角)の場所だったから旧藩邸の一部だったか(?)。値段の朱印は「弐銭二厘」と読める。

読者の方より御教示いただきました。樋口摩彌氏の論文「明治前期の情報通信をめぐる「近代都市京都」の形成〜三条通の新聞社と洋館建築より〜」に明治二十一年の地図が出ており、そこに「今井大屋太郎右衛門」の所在地が明示されている。それによれば河原町通り沿い、京都ホテルの南方にある聖ザビエル天主堂の真向かい(ということは現在のキクオ書店のあたり?)である。当時はまだ御池通は寺町通から河原町通まで真直ぐ突き抜けていない(むろん拡幅もされていない)。

三条通の新聞社と洋館建築より



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by sumus2013 | 2017-05-16 21:15 | 関西の出版社 | Comments(0)