林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:関西の出版社( 19 )

印刷と似玉堂

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『印刷と似玉堂』(似玉堂、一九三二年一一月一〇日)。京都柳馬場三条南入にあった印刷所の栞である。

似玉堂の生ひ立ちを申しますと、今を去る四十八年前、即ち明治十九年、初代三上庄治郎氏の創始したものでありまして最初は誠に些々たる一洋式帳簿店に過ぎなかつたものでありますが、常に時代の進軍に適応して、活版部・石版部を順次設け次第に膨張して参りました。大正十年には遂に従来の組織を株式会社に改めまして工場設備の一大拡張を行ひ、凸版・凹版・平版を悉く網羅した所謂綜合印刷所として一段の飛躍をなし、爾来益々発展し幸ひに現今の盛大に達することを得ました次第であります

尚ほ其の間特筆すべきことは大正四年の大正大礼の際に、印刷局臨時京都派出所を、又、昭和三年の昭和大礼の際には内閣印刷局臨時京都出張所を特に当社内に設けられ、官報号外其の他の印刷を行ふの光栄に浴し、徹底的に敏速確実よく其の責任を全うして大いに面目をほどこした次第であります。

本書に記載されている従業員数は二百有余名、据付け機械が四十余台、最近一ケ年の印刷数は四万七千四百五十連余、活字鋳造数千五百万本、貯蔵活字二億余万本、引受定期刊行物三十五種類、製本数一ケ年五十余万冊などなど。京都を代表する印刷業者であった。

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国会図書館を調べると似玉堂として以下のような出版物がある。

蘆のわか葉 上下
塚本里子 著,渡辺千治郎 編纂 似玉堂(印刷) 1900

金海貝塚発掘調査報告
朝鮮総督府 [編] 似玉堂 1923 (大正9年度古蹟調査報告 ; 第1冊)

大戦後の欧米見聞
小南 又一郎/著 似玉堂 1923

南朝鮮に於ける漢代の遺跡
朝鮮総督府 [編] 似玉堂 1925 (大正11年度古蹟調査報告古蹟調査報告 ; 第2冊)

北陸の偉人大和田翁
中安信三郎 講述 似玉堂出版部 1928

慶尚北道達城郡達西面古墳調査報告
朝鮮総督府 [編] 似玉堂 1931 (古蹟調査報告 ; 大正12年度第1冊)

医家人名辞書
竹岡友三 似玉堂 1931

慶州金鈴塚飾履塚発掘調査報告 本文
朝鮮総督府 [編] 似玉堂 1932 (古蹟調査報告 ; 大正13年度第1冊)

『The Art Flower Arrangement in Japan』1933年(昭和8年)似玉堂

Scientific Japan
prepared [by the National Research Council of Japan] in connection with the Third Pan-Pacific Science Congress, Tokyo, 1926 似玉堂 [印刷所]


しかしながら、これほど盛大であった似玉堂も敗戦後の一九四六年には日本写真印刷有限会社(戦中の企業合同により成立)に吸収合併され日本写真印刷株式会社となって今日に至っている。かろうじて命脈を保ったと言えるのであろう。

日本写真印刷株式会社の誕生


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by sumus2013 | 2017-05-24 20:26 | 関西の出版社 | Comments(0)

骨相学提要

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大平泰観『骨相学提要 四十二部位論』(民聲評論社、一九五三年六月一五日)。著者大平泰観と民聲評論社の住所は同じ。京都市伏見区西鍵屋町。大平泰観についてはほとんど何も分らない。本書には肩書きとして「日本易学会最高顧問」としてあり、はしがきには『人相学論』『人相部位論』『形貌学理論』『手相学論』を著したと言う。ただし国会図書館には所蔵されていない。

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大平泰観(口絵写真)


幸に私が学生時代より不知不識の間に斯学の研究に没頭してから約三十有余年である、此間に研究と体験とによつて得た、統計上より動すことの出来ないものと、殊に留学中特筆した点を加へて、至極判り易く骨相の部位を図解に示し骨相学提要と題し茲に執筆した次第である》(はしがき)

分からないと書いたものの、写真もあり住所も著書も学歴らしきものも知られるわけだから、かなり情報は豊富だとも言える。

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はしがきに続く「骨相学の沿革」を少し引用しておこう。

骨相学の発見者は当時世界に有名な墺国の解剖学の権威者医学博士ジョセラガルと云ふ人である此のガル博士は一七五七年三月九日南独逸の片田舎に生れ大学を出て墺国の皇室の侍医となり後には開業医となつてガル博士がかつて学童たりし頃より其の学友の露大なる眼球と記憶力との関係より人の心性と頭脳との関係に疑問を喚起し、其聡明と精力とを傾注

ジョセラガルはジョセフ・ガル Franz Joseph Gall(1758–1828)。

ガル博士が仏国の巴里に於て骨相学の研究所を設け次から次と新しい発見説を発表中不幸にしてガル博士は一八二八年八月二十二日(我国の文政十一年)七十二歳を一期として死亡した故に骨相学はガル博士を以て開祖とし第一世とする第二世は一八〇〇年頃よりガル博士の説に賛成し亦師事して共に研究したスブルツハイムと云ふ有名な解剖学博士であるス博士が英国に渡つて一八一五年始めてエジンバラ大学で斯学の講演をしたとき各学者より大喝采を博し其の賛同を得て同大学では此のフレノロジーを一科目として特設した

スブルツハイム(Johann Gaspar Spurzheim, 1776-1832)はガルの協力者であったが、途中で仲違いし一八一二年には独自の研究に始めた。またヨーロッパ各地を旅してフレノロジーの普及に貢献した。米国へ初めて渡った一八三二年にボストンで客死。検死解剖の後、その脳、頭蓋骨、心臓は取り出されてアルコール漬けにされ、聖遺物のように一般公開されたという(From Wikipedia)

そういえば、以前こんな雑誌も取り上げていた。

『性相』第四十三号

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by sumus2013 | 2017-05-20 21:51 | 関西の出版社 | Comments(0)

習字手本

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『小学下等第七級 習字手本 楷書之部上』(京都府翻刻、京都書籍会社 大黒屋太郎右衛門)。刊行年は不詳。
上の写真では表紙が取れているように見えるが、おそらくこれが表紙だったと思われる。大きい朱印は「京都府学教課」、右下の朱印は「弐銭……(不明)」だから値段である

明治初期は小学校を上下に分けて、上等は十歳から十三歳、下等は六歳から九歳、在学八年としていたようだ。その時期の習字の教科書である。習字、読書、暗誦、算術の四科目がそれぞれ一級から八級まであり、「習字」では片仮名・平仮名・数字(八級)から始めて行書の日用文(一級)までを修学することになっていた。


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大黒屋太郎右衛門は今井
太郎右衛門(文政七,1824〜明治十,1877)。長門生まれ、本姓は井関、京都の今井家に入り長州藩御用達の大黒屋を継いで尊攘派を支援した。吉田松陰から強い影響を受けた。維新後、書籍業に進出、明治五年に福沢諭吉、植村正直、村上勘兵衛らと集書会社を設立し京都集書院(京都府立図書館の淵源)の運営に関わった。(コトバンク他)

「集書会社基本」

大黒屋の出版物は以下の通り(国会図書館蔵)。共同出版のみ全社の名を挙げた。

◉府縣名 1872
◉京都學校の記 福沢諭吉 1872
◉山城郡村名 1872
◉中学開業祝詞 1873
◉諸國郡名 1873
◉亰都療病院日講録 1873
◉小學下等第一級受取諸券 平井義直 1874
◉十二学要論 初篇 : 天文学 卷之1 卷之2
 ブーテーズ・モンウェル [著],原田千之介 訳 1874
◉習字帖 小學下等第1・3~7級 平井義直 1875
◉千字文 平井義直 1875
◉精神病約説 (英國)顯理貌徳斯禮撰,神戸文哉
 大黒屋太郎右衞門/丸屋善吉/丸屋善藏/島村利助/丸屋善七 1876
◉養生訓蒙 神戸文哉
 若林茂助/大黒屋太郎右衞門 1878
◉千字文備考 平井義直 編 1879
◉伏見區町名 1880
◉苗字抄 苅谷保敏 1882
◉小學物理啓蒙 巻中 田中竹次郎
 大黒屋太郎右衛門/大黒屋書舗(発売) 1883
◉食経倶瑳口授篇 : 小学修身 巻の6 青山正義 編 1884
◉山城地理誌 水茎玉菜 1884
◉小学初等科日用事項 : 一名小学生徒訓 完 田中竹次郎 編 1884
◉心性開発小学地理問題集 青山正義 編 1887
◉京都療病院新聞


次いで『小学下等第七級 習字手本 方位干支七曜名之部』(京都府蔵版、京都書籍会社 大黒屋太郎右衛門、一八八〇年六月二一日)。明治十三年、こちらはちゃんとした表紙が付いており、本文最後の頁に平井義直筆》とある。平井は春江と号し書家で教育家。英学者でアメリカにおける仏教紹介者として知られる平井金三(きんざ、1859-1916)の父。

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河原町通り二条下ル二丁目はどのあたりだろう。長州藩邸は京都ホテルオークラ(河原町通り御池の東北角)の場所だったから旧藩邸の一部だったか(?)。値段の朱印は「弐銭二厘」と読める。

読者の方より御教示いただきました。樋口摩彌氏の論文「明治前期の情報通信をめぐる「近代都市京都」の形成〜三条通の新聞社と洋館建築より〜」に明治二十一年の地図が出ており、そこに「今井大屋太郎右衛門」の所在地が明示されている。それによれば河原町通り沿い、京都ホテルの南方にある聖ザビエル天主堂の真向かい(ということは現在のキクオ書店のあたり?)である。当時はまだ御池通は寺町通から河原町通まで真直ぐ突き抜けていない(むろん拡幅もされていない)。

三条通の新聞社と洋館建築より



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by sumus2013 | 2017-05-16 21:15 | 関西の出版社 | Comments(0)

昭和十二年の大阪市政

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『昭和十二年の大阪市政』(大阪市役所、一九三七年五月五日)。残念ながら架蔵書ではないが、なかなかに興味深い内容である。総説の「1 大阪市政の特色」から一部を引用してみる。太字はママ。

《近年各地の市政界にとかくはしたなき[五字傍点]紛争が絶えず、中には忌はしき不祥事さへ取沙汰されつつあるに反して、大阪市のみはかゝる悪声を耳にしないのみか、着々健全なる発達を続けてゐる。》

《池上市長が在職十年、関市長が助役を通じて在職二十一年、市政の上に大なる功績を残したのは、わが国自治政治発展史上、特筆に価するものであるが、こゝにも穏健和平の大阪市政の面目が窺はれるのである。》

《明治三十年の大阪港築造、三十六年の電車市営主義の確立、大正十年以来の尨大なる都市計画事業の達成、十二年の電燈買収、十四年の市域大拡張、昭和二年の学区廃止、四年の地下鉄の経営、九年の風水害の自力復興などの大事業が着々と功を奏し、今日の大をなすに至つたのは、大阪市民の企業的精神と奉仕的努力の賜でなくして何であろう。》

「2 本邦経済の中心として」からも少し引いておく。

《即ち昭和十年に於ける本市の港湾貿易は、輸出入年額十一億六千六百万円、噸量六百五十二万噸に上り、噸量に於て三百七万噸の入超となつてゐるが、価額に於ては実に七千三百四十万円の出超を示してゐる。これは大阪港の躍進振とともに全国にその類例を見ないところである。輸出において注目すべきは綿織物で二億五千八百万円の巨額に上り、輸出総額の四二%を占め、これに綿糸、毛織物、人絹、人絹織物を加算すれば、優に三億四千八百万円となり、大阪港輸出総額の五六%を占め、大阪港の輸出は全く繊維工業製品が中心であることが判る。その他、巨額を占めるものは、鉄製品、機械、自転車などの工業製品及び紙類、ガラス製品、缶詰などの各種雑貨であつて、いづれも本市工業力の生み出したものである。》

大阪市の人口は三百万、大阪府の七割を占める。昭和十二年度の純歳出は二億一千四百万円、府の財政の六倍に当るという。

《しかるに現在の制度は市が府の中にあるため、勢ひ府市の間に仕事の競争が起り、産業、保健、教育、社会事業などに不統制な二重行政が行はれ、甚だ不経済である。そのために市民は市税、府税を二重に負担させられ、しかもこの市民の納める府税のうちから郡部の施設に流れるものが、昭和十年度に於て、三百七十万円、すなわち一戸当りにして五円余りが市民の懐から郡部に流れ出る勘定であり、その結果府の財政は余裕ができても、市の財政はます〜〜困る一方である。》

どうしても特別市制を布き、市内のことは大阪市だけで切り盛りしなければならない。》

戦前から二重行政の問題はくすぶっていたわけだ。

以下、小生が気になる図版だけピックアップしてみる。かなり尖端的なモダン都市だったことが分るように思う。

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淀屋橋から御堂筋付近


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新築中の屠場と取引中の家畜市場


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都島の水上生活者


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水上生活の学童


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塵芥焼却場


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車両工場と流線型電車(市電)


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明朗な地下鉄


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電気科学館


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プラネタリウム


《本市は早くから家庭電化を目指して電気知識の普及に努めて来たが、一層これを拡大強化するため約二百万円を投じ、規模の大なる点に於て本邦に未だその例を見ない電気科学館を、四ツ橋に建設し、三月には市民待望裡に開館せられた。》

《一階は電気機械器具を陳列販売し、二階は弱電、無電の応用方面を、三階は電力、電熱の応用方面を、四階は照明に関する方面を展示し、五階は電気に関する原理方面を瞭然たらしめ、六、七、八階はこれをブッ通して、東洋唯一のプラネタリウム(天象儀)を据付け、その電気科学の粋を蒐めた装置を以て、天体運行の状況を如実に観察せしめる。また九階以上は防空塔として、非常時に際しては空襲監視をなし、全市十二ヶ所の防空サイレンは、こゝのボタン一つで統轄する。なほこの防空使命のほか、測候所とタイアップして天災非常時の予報をも行ふ計画である。》

赤字は筆者による。こういう機能も持たされていた。現在の大阪市立科学館のサイトではさすがに触れられていない(目下の状勢では再びそういう機能が必要かも!)。

大阪市立科学館
http://www.sci-museum.jp/about/history/denki_kagakukan/

手塚治虫や織田作之助がこの館のファンだったことはよく知られている。

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by sumus2013 | 2017-04-14 20:37 | 関西の出版社 | Comments(0)

刊行案内 コーベブックス

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コーベブックスの刊行案内を某氏より頂戴した。19cm×39.5cmの紙を二つ折にし、それをさらに二つ折。縦長の八頁になるという仕立てである。コーベブックス出版部の住所は神戸市生田区三宮町1ノ1。

コーベブックスの書皮

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ここまで二点が片面に印刷されている。その裏面が以下の二点である。

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さすがというしかないラインナップである。コーベブックスといえば渡辺一考氏だが、氏のFBに明石で割烹の店を出すという記事が出て驚いたのは昨年十一月。その後どうなっているのか、FBにはまだ何も報告されていないなと思いながら「ですべら掲示板」をのぞいてみると、今年の二月初めに開店されていた。

ですべら掲示板 2017年2月

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by sumus2013 | 2017-03-31 19:45 | 関西の出版社 | Comments(0)

眞渓涙骨 日誌

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1950年09月21日発行
書 名 日誌
著 者 眞渓涙骨[マタニルイコツ]
発行印刷者 荒木一道 京都市東山区東川端七條下ル
発行所 中外日報社 京都市東山区東川端七條下ル
表 紙 「菊」堂本印象
199×136mm 249pp ¥220

中外日報社の沿革

【関西の出版】というカテゴリーを設けることにした。創元社から『書影でたどる関西の出版100』を出してもらったのは二〇一〇年のことで、もう七年が過ぎてしまったが、それ以降も関西(主に近畿地方)の出版社には注意しており、ブログでも折々に取り上げてきた。前著とはまた違った形でまとめてみたいと思い始めている。とりあえず今日は手近にあった眞渓涙骨の一冊。本書に限らず伝統的に京都は仏教系の出版が主流である。

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壮年時の眞渓涙骨


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奥付



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by sumus2013 | 2017-03-27 20:36 | 関西の出版社 | Comments(0)

和久傅

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湯川成一さんを偲ぶ「水雀忌」は十一日である。もう七年が過ぎた。しかし当日は個展初日そしてスムース・トークライブの日でもあり、何もアップできないと思うので前倒しで湯川本を紹介しておこう。『和久傅』(和久傅、二〇〇一年一二月三〇日)。

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和久傅は明治三年に丹後で創業した旅館。現在は京都市内に料亭を三店舗構える。

和久傅

二〇〇六年に西湖という菓子を一度紹介したことがある。

和久傅の西湖

奥付によると、器は加藤静允、料理は岩崎武夫、写真は野中昭夫、本文和紙は越後門出(かどいで)和紙・小林康生、丹後縞木綿・土田和子、印刷は創文社、製本は須川バインダリー。加藤氏は湯川書房から『窯庭游話』『細石微風帖』『春夏秋冬帖』『春夏秋冬帖拾遺』など多くの特装本を刊行しておられる。出版点数がごく少くなっていた晩年の湯川さんにとっては最も重要な著者であった。岩崎武夫は総料理長。野中昭夫は『芸術新潮』のスタッフを長年勤めた手堅い写真家。

湯川さんは和紙の刷上がりの悪さに苦労したと言いながら、仕上がったときには非常に満足そうだったことを覚えている。

市中へ出ると必ずと言っていいほど湯川書房に立ち寄って一服させてもらった時期があった。湯川さんには迷惑だったかもしれないが、ああいう場所が必用だなあと最近痛切に感じている。



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by sumus2013 | 2015-07-09 20:33 | 関西の出版社 | Comments(4)

各地米況調査報告

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『各地米況調査報告』(橋本奇策編纂、日報社、一九〇二年四月一五日)。日報社は兵庫米肥商組合および神戸米株取引所の機関新聞。神戸市長沢町一丁目七十五番邸にあった。橋本奇策は大阪毎日新聞記者、後に野村証券調査部へ入って活躍したようだ。

橋本喜作の投機礼讃~ハマイト名物記者ほえる
http://yuyu-life.net/f-jaunal/2013/1211-s.htm

本名喜作、十王と号した。おおよその著作は下記の通り。どうやらクリスチャンだったか(?)。野村實三郎は野村徳七の弟。スペイン風邪のため三十九歳で歿した。

実験応用写真術 フウゲル/橋本奇策抄訳 博文館 1895
藍水遺稿 浅野源二郎/橋本奇策編 長尾柳吉 1896
化学工業品製法全書 橋本奇策 梅原亀七等 1896
合成金製造法 橋本奇策 博文館 1897
各地米況調査報告 橋本奇策編纂 日報社 1902
輸出綿織物 橋本奇策 橋本奇策 1903
実験応用工芸大鑑 橋本奇策 矢嶋誠進堂書店 1904
清国の棉業 橋本奇策 武井良雄 1905
化學工業品製造法 橋本奇策 成光舘 1917
紐育株式取引所 橋本喜作 ダイヤモンド社 1918
楓之家主人偲ふ草(野村實三郎追悼集) 橋本喜作 大阪国文社 1919
満洲を振出志に 橋本喜作編輯 橋本喜作 1925 
よしあし艸 煙波釣叟十王 [出版者不明][1931序]

奇策の序文にいわく

《生は社長の承認を得て米肥調査特派員として本年二月一日社を出立し、第一着手に兵庫市場を調査し、それより播州に出て三備を経て安芸に亘り、周防、長門に移り九州に入り出来能ふ丈けの調査を終へて同月末帰社せり、

生は爾来若しも社が生に許すあれば毎年出張調査する考なれば自壊には尚ほ短日月にして、より多くの土産を持ち帰ることを得べし、読者願はくは今回の調査は初舞台の三番叟と見做し将来に希望を属されんことを祈る、

社長はむろん大阪毎日新聞社の社長を指すと思われる。ひと月の調査旅行とは、さすがの大毎でも英断が必要だったか。本文も含め「。」のいっさい無い表記が特徴的である。もちろん、この本を手にとったのは米況や奇策に興味があったわけではなく、その前付け、後付けに(まるで雑誌のように)挿入されている各種商店の広告に目を奪われたからである。


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羽根の生えた鯉がトレードマークの平野鉱泉水は三ツ矢サイダーのライバルか?


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伊藤長蔵という名前が出ていたのでハッとしたが、これは「ぐろりあそさえて」の伊藤長蔵ではないようだ。

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by sumus2013 | 2014-03-08 21:16 | 関西の出版社 | Comments(0)

アウラ

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カルロス・フエンテス『アウラ』(安藤哲行訳、エディシオン・アルシーヴ、一九八二年八月二〇日、装幀=羽良多平吉+WXY INC.)読了。ベアリュ『水蜘蛛』につづくソムニウム叢書2。

季刊ブックレヴュー』第二号の直前、ほぼ同時に発行されている。フエンテスの短編集。収録は「アウラ」および『仮面の日々』六篇、そのうち「トラクトカツィーネ、フランドルの庭から来た男」は『ソムニウム』第三号に発表されている。

ソムニウムの名に恥じない幻想作品ばかり。SF風あるいは怪奇小説風などと趣向はまちまちだが、始まりは日常の延長でありながら少し変なことが混線してくる、と思っているうちにどんどん崩壊してゆく、そのあげくが破滅にいたる、というのがどの作品にも通底するパターン。時間と空間を作者の勝手でつなげたりねじ曲げたりとやりたい放題だ。「アウラ」はメキシコ版雨月物語ですな。

古物数寄としては「チャック・モール」が印象的。

《キリスト教は生贄と礼拝という点で狂信的でもあり、血なまぐさくもあるんだ。だからインディオの宗教とごく自然に結びつくし、少し毛色のかわったものというわけだ。慈悲や愛、右の頬を打たれたら左の頬をということは拒絶されてしまう。メキシコでは万事がそんなふうなのさ。人間を殺さなくてはならんのだ、その人間を信じるためにはな。
「ぼくは若いころからメキシコのインディオの美術に関心を持っているが、ペペはそのことを知っていた。ぼくは小さな彫像とか偶像、陶器なんかを集めている。週末はきまってトラスカラテオティワカンで過ごす。たぶん、それを知っているものだから、ぼくを話に引き込もうとして、理屈をこねまわしてはそれをインディオに結びつけようとするのだ。確かにぼくはチャック・モール(マヤの雨の神)のてごろな複製を長いあいだ探していた。きょう、ペペはラグリーニャの市で石製の複製を、それも安く売っているという店を教えてくれた。日曜に出かけてみよう。》

《「日曜日のきょう、ラグリーニャに出かけてみた。ペペが教えてくれた露店にチャック・モールはあった。すばらしい出来で、実物大だった。店の親父は本物だと言い張るが、どうだか。石はありきたりのものだが、チャックの姿勢がもつ優雅さを損なっていないし、石塊じたいもどっしりとした感じがしている。

さて、このチャック・モールを買って帰り、地下室に設置してからが、物語本編の始まりだ。徐々に主人公(残された手記を読むという形式なので手記の筆者)は石像に蝕まれて行く……。


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「火薬を作った男」はP.K.ディックばりの破天荒な発想。あらゆる品物の耐用年数がどんどん短くなる。作るさきから崩れてしまい、作っても作っても間に合わなくなる。そして本も……

《だが、ある夜、書斎に入ったとき、はじめて背筋の凍る思いにさせられた。本という本の活字がインクの蛆のようになって床に散らばっていたのだ。あわてて本を何冊かひらいてみたが、どのページもまっ白だった。悲しげな音楽がゆっくりと、別れを告げるようにわたしを包んだ。文字の声を聞き分けようとしたが、その声はすぐにとだえ、灰になってしまった。このことがどんな新しい事態を告げるのかを知りたくて外に出た。空には蝙蝠たちが狂ったように飛びかっていた。そのなかを文字の雲が流れていた。ときどきぶつかりあっては火花を散らし、……《愛》《薔薇》《言葉》と文字は空で一瞬輝くと、涙となって消えた。》

なかなかに美しい情景ではないか。ある意味、紙の本の終焉を空を飛び交う言葉のスパークで表現しているとしたら、それはかなり正確な予言となっているのかもしれない。

《文字が印刷されたまま残っている本を地下室で見つけたときはひどく嬉しかった。それは『宝島(トレジャー・アイランド)』だった。この本のおかげで自分自身の思い出や多くの物のリズムを取りもどすことができた……。《八レアル銀貨だ! 八レアル銀貨だ!》というところまで読み終え、自分の周囲を見わたした。棄てられた物がどっしりとそびえ、ペストのベールがかかっている。恋人たち、子供たち、歌を歌うことのできた人たちはどこにいるのだろう?》

《スティーブンソンの本に野菜の種の袋がはさまっていた。わたしはその種を地面に埋めた、とても愛おしく!……》


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by sumus2013 | 2014-03-02 21:06 | 関西の出版社 | Comments(0)

季刊ブックレヴュー

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以前の『ソムニウム』に関する投稿をご覧になられた方よりエディシオン・アルシーブの雑誌『季刊ブックレヴュー』二冊が送られて来た。しばらく借覧させていただく。

ソムニウムNo.2 No.3
http://sumus.exblog.jp/21161543/

ソムニウムNo.4
http://sumus.exblog.jp/20952531/

創刊号の戸田ツトムのデザインが気に入って池袋西武の「ぽえむ・ぱろうる」で求められたのだそうだ。《詩書を始めとしたマイナーな本との出会いであり、ジャケ買いとも言える本の購入傾向を決めたように思います。》とのこと。

まずは『季刊ブックレヴュー創刊号』(エディシオン・アルシーブ=京都市左京区一乗寺東水干町28 メゾンきしな309、一九八一年八月一六日)。誌名は奥付の表記に従う(表紙では「ブック・レビュー」と中黒が付いている)。ブックデザインは戸田ツトム。エディトリアル・ディレクションは後藤繁雄。オビ付き!

巻頭には「パブリッシュ・イメージ」という創刊の辞が置かれており、かなり意欲的な意見が開陳されている。

《一つのメディアは、読者、書店、取次、版元、印刷屋、著者の総体のインターチェンジである。一冊の本の中にもそれらの各現場のリアリティがすみこんでいるのだ。営業こそが思想をこえたり、レイアウトがあらゆるアートをこえたりするそんなメディアでありたいと思っている。編集内容(テーマ)だけでなく、現場そのものをエディトリアルしていくメディアにしていくつもりだ。『ブック・レヴュー』です。よろしく。(エディシォン・アルシーブ編集部)》

あるいはこんなきわめて今日の変革的な状況に通じると思われる言葉もある。

《今こそ野武士的エディトリアル・スピリットを持った野武士的編集者の登場こそが望まれる。今、地域性や経済構造を変革しうるのは、一見あたり前のことのようだが編集者の熱い魂と自在な方法なのだ。》

記事のなかで注目はこちら「愛書狂1=愛書狂ダンディズム 神戸南柯書局 渡邊一考」というインタビュー。聞き手は編集部藤木薫。

《神戸、新開地の山手、通りの傾斜によって家々が重なり合うかのように見える一角に南柯書局はある。かつて、知る人ぞ知る「水曜会」なる饗宴が夜を明かして開かれた書局の二階は、書棚が鋭角をかたちづくって向かい合い、三角形とも五角形とも見分けのつかぬ変則的な天井が眼を遊ばせる。万巻の書が薄銀色に鈍く光るその部屋に、編集部は南柯書局主人渡邊一考氏を訪ねた。


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談話の内容は忘れられた作家について。まず京都の山田一夫から始まり、野溝七生子、泉鏡花の「黒猫」、そして郡虎彦のダンディズムへなだれ込むが、話はここでプツリと途切れているのがまったくもって惜しい。

巻末には「書架東西」として東京四谷・文鳥堂木戸幹夫、京都三月書房の宍戸恭一の談話(?)が掲載されていて注意を惹かれた。宍戸さんの発言はこちら(読めないでしょうか……)。

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そして第二号、特集[店]から[見世]へ。発行は創刊からちょうど一年後の一八[ママ]八二年八月二五日である。オビがあるように見えるが、これはオビではなく表紙に印刷されている。表紙、裏表紙、特集記事の一部(七彩工芸のマネキン)。

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記事のなかではソルボンヌ留学中の田中義廣(ベアリュ『水蜘蛛』の翻訳者)が「本のスーパーマーケット」と題してフランスの書店事情を報告してくれているのが参考になる。

一九七三年に書籍小売業界にFNACが進出し《二割引を売り物に、セルフサーヴィス式のいわば本のスーパーマーケットを開いた》ことによってすでに自由価格制(一九五三年以来)をとっていたフランスの書籍流通に大きな混乱が生じた。

一九七九年には、それまでの定価(出版社希望小売価格)表示が法律によって禁止され、本から定価が消えた。それを受けて一九八一年五月シャン・ゼリゼのグラン・パレで第一回「本のサロン」が開かれた。フランスの七百あまりの出版社が一堂に出店し展示即売をしたのだ。その際、FNACに対抗して購入価格の二割相当の図書券を買手に配ったという。これに反対してミニュイ社とスーイユ社は参加を拒否した。

この混乱状態を見かねた新大統領ミッテランは固定価格を復活させ一九八一[ママ、二]年一月から実施されることになった。《さて、これが単にFNACの本の値上げという結果のみに終わるのか、それとも読者を含めた出版界全体に好影響をもたらすものとなるか、今のところ予測はつかない。》

少し補足すると七九年の法令は当時の経済大臣モノリー(René Monory) の名前から「モノリー布告」と呼ばれた。それに対する反動、八二年の書籍再販制度では定価表示、5%までの割引許可、初版後二年を過ぎかつ最終仕入れから六ヶ月を経た書籍の自由価格販売(時限再販)、公共機関などに対する定価の適用除外などが決められ今日にいたるようだ。

他には愛書狂2として白川静インタビューもある。それから『ソムニウム』No.5「ニュー・ロマンティック」ノヴァーリスの鉱物精神から近代霊学まで、という近刊広告が出ている。

また興味深い予告についての「お詫び」ある。

《ブック・レヴュー2号予告において、長らく富士正晴氏のエディターズ・ノート、濱坂渉氏のイタリアのメディア(メディアの解剖)の掲載の旨をお伝えして参りましたが、編集部内の全く一方的な事情により、今回掲載を延期させて頂くことになりました。富士氏、濱坂氏、読者のみなさまにご迷惑をおかけ致しましたことを、ここに深くお詫び申し上げます。

富士正晴の「エディターズ・ノート」、読んでみたかった。


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by sumus2013 | 2014-02-20 21:24 | 関西の出版社 | Comments(2)