林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:関西の出版社( 16 )

昭和十二年の大阪市政

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『昭和十二年の大阪市政』(大阪市役所、一九三七年五月五日)。残念ながら架蔵書ではないが、なかなかに興味深い内容である。総説の「1 大阪市政の特色」から一部を引用してみる。太字はママ。

《近年各地の市政界にとかくはしたなき[五字傍点]紛争が絶えず、中には忌はしき不祥事さへ取沙汰されつつあるに反して、大阪市のみはかゝる悪声を耳にしないのみか、着々健全なる発達を続けてゐる。》

《池上市長が在職十年、関市長が助役を通じて在職二十一年、市政の上に大なる功績を残したのは、わが国自治政治発展史上、特筆に価するものであるが、こゝにも穏健和平の大阪市政の面目が窺はれるのである。》

《明治三十年の大阪港築造、三十六年の電車市営主義の確立、大正十年以来の尨大なる都市計画事業の達成、十二年の電燈買収、十四年の市域大拡張、昭和二年の学区廃止、四年の地下鉄の経営、九年の風水害の自力復興などの大事業が着々と功を奏し、今日の大をなすに至つたのは、大阪市民の企業的精神と奉仕的努力の賜でなくして何であろう。》

「2 本邦経済の中心として」からも少し引いておく。

《即ち昭和十年に於ける本市の港湾貿易は、輸出入年額十一億六千六百万円、噸量六百五十二万噸に上り、噸量に於て三百七万噸の入超となつてゐるが、価額に於ては実に七千三百四十万円の出超を示してゐる。これは大阪港の躍進振とともに全国にその類例を見ないところである。輸出において注目すべきは綿織物で二億五千八百万円の巨額に上り、輸出総額の四二%を占め、これに綿糸、毛織物、人絹、人絹織物を加算すれば、優に三億四千八百万円となり、大阪港輸出総額の五六%を占め、大阪港の輸出は全く繊維工業製品が中心であることが判る。その他、巨額を占めるものは、鉄製品、機械、自転車などの工業製品及び紙類、ガラス製品、缶詰などの各種雑貨であつて、いづれも本市工業力の生み出したものである。》

大阪市の人口は三百万、大阪府の七割を占める。昭和十二年度の純歳出は二億一千四百万円、府の財政の六倍に当るという。

《しかるに現在の制度は市が府の中にあるため、勢ひ府市の間に仕事の競争が起り、産業、保健、教育、社会事業などに不統制な二重行政が行はれ、甚だ不経済である。そのために市民は市税、府税を二重に負担させられ、しかもこの市民の納める府税のうちから郡部の施設に流れるものが、昭和十年度に於て、三百七十万円、すなわち一戸当りにして五円余りが市民の懐から郡部に流れ出る勘定であり、その結果府の財政は余裕ができても、市の財政はます〜〜困る一方である。》

どうしても特別市制を布き、市内のことは大阪市だけで切り盛りしなければならない。》

戦前から二重行政の問題はくすぶっていたわけだ。

以下、小生が気になる図版だけピックアップしてみる。かなり尖端的なモダン都市だったことが分るように思う。

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淀屋橋から御堂筋付近


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新築中の屠場と取引中の家畜市場


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都島の水上生活者


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水上生活の学童


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塵芥焼却場


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車両工場と流線型電車(市電)


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明朗な地下鉄


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電気科学館


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プラネタリウム


《本市は早くから家庭電化を目指して電気知識の普及に努めて来たが、一層これを拡大強化するため約二百万円を投じ、規模の大なる点に於て本邦に未だその例を見ない電気科学館を、四ツ橋に建設し、三月には市民待望裡に開館せられた。》

《一階は電気機械器具を陳列販売し、二階は弱電、無電の応用方面を、三階は電力、電熱の応用方面を、四階は照明に関する方面を展示し、五階は電気に関する原理方面を瞭然たらしめ、六、七、八階はこれをブッ通して、東洋唯一のプラネタリウム(天象儀)を据付け、その電気科学の粋を蒐めた装置を以て、天体運行の状況を如実に観察せしめる。また九階以上は防空塔として、非常時に際しては空襲監視をなし、全市十二ヶ所の防空サイレンは、こゝのボタン一つで統轄する。なほこの防空使命のほか、測候所とタイアップして天災非常時の予報をも行ふ計画である。》

赤字は筆者による。こういう機能も持たされていた。現在の大阪市立科学館のサイトではさすがに触れられていない(目下の状勢では再びそういう機能が必要かも!)。

大阪市立科学館
http://www.sci-museum.jp/about/history/denki_kagakukan/

手塚治虫や織田作之助がこの館のファンだったことはよく知られている。

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by sumus2013 | 2017-04-14 20:37 | 関西の出版社 | Comments(0)

刊行案内 コーベブックス

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コーベブックスの刊行案内を某氏より頂戴した。19cm×39.5cmの紙を二つ折にし、それをさらに二つ折。縦長の八頁になるという仕立てである。コーベブックス出版部の住所は神戸市生田区三宮町1ノ1。

コーベブックスの書皮

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ここまで二点が片面に印刷されている。その裏面が以下の二点である。

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さすがというしかないラインナップである。コーベブックスといえば渡辺一考氏だが、氏のFBに明石で割烹の店を出すという記事が出て驚いたのは昨年十一月。その後どうなっているのか、FBにはまだ何も報告されていないなと思いながら「ですべら掲示板」をのぞいてみると、今年の二月初めに開店されていた。

ですべら掲示板 2017年2月

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by sumus2013 | 2017-03-31 19:45 | 関西の出版社 | Comments(0)

眞渓涙骨 日誌

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1950年09月21日発行
書 名 日誌
著 者 眞渓涙骨[マタニルイコツ]
発行印刷者 荒木一道 京都市東山区東川端七條下ル
発行所 中外日報社 京都市東山区東川端七條下ル
表 紙 「菊」堂本印象
199×136mm 249pp ¥220

中外日報社の沿革

【関西の出版】というカテゴリーを設けることにした。創元社から『書影でたどる関西の出版100』を出してもらったのは二〇一〇年のことで、もう七年が過ぎてしまったが、それ以降も関西(主に近畿地方)の出版社には注意しており、ブログでも折々に取り上げてきた。前著とはまた違った形でまとめてみたいと思い始めている。とりあえず今日は手近にあった眞渓涙骨の一冊。本書に限らず伝統的に京都は仏教系の出版が主流である。

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壮年時の眞渓涙骨


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奥付



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by sumus2013 | 2017-03-27 20:36 | 関西の出版社 | Comments(0)

和久傅

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湯川成一さんを偲ぶ「水雀忌」は十一日である。もう七年が過ぎた。しかし当日は個展初日そしてスムース・トークライブの日でもあり、何もアップできないと思うので前倒しで湯川本を紹介しておこう。『和久傅』(和久傅、二〇〇一年一二月三〇日)。

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和久傅は明治三年に丹後で創業した旅館。現在は京都市内に料亭を三店舗構える。

和久傅

二〇〇六年に西湖という菓子を一度紹介したことがある。

和久傅の西湖

奥付によると、器は加藤静允、料理は岩崎武夫、写真は野中昭夫、本文和紙は越後門出(かどいで)和紙・小林康生、丹後縞木綿・土田和子、印刷は創文社、製本は須川バインダリー。加藤氏は湯川書房から『窯庭游話』『細石微風帖』『春夏秋冬帖』『春夏秋冬帖拾遺』など多くの特装本を刊行しておられる。出版点数がごく少くなっていた晩年の湯川さんにとっては最も重要な著者であった。岩崎武夫は総料理長。野中昭夫は『芸術新潮』のスタッフを長年勤めた手堅い写真家。

湯川さんは和紙の刷上がりの悪さに苦労したと言いながら、仕上がったときには非常に満足そうだったことを覚えている。

市中へ出ると必ずと言っていいほど湯川書房に立ち寄って一服させてもらった時期があった。湯川さんには迷惑だったかもしれないが、ああいう場所が必用だなあと最近痛切に感じている。



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by sumus2013 | 2015-07-09 20:33 | 関西の出版社 | Comments(4)

各地米況調査報告

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『各地米況調査報告』(橋本奇策編纂、日報社、一九〇二年四月一五日)。日報社は兵庫米肥商組合および神戸米株取引所の機関新聞。神戸市長沢町一丁目七十五番邸にあった。橋本奇策は大阪毎日新聞記者、後に野村証券調査部へ入って活躍したようだ。

橋本喜作の投機礼讃~ハマイト名物記者ほえる
http://yuyu-life.net/f-jaunal/2013/1211-s.htm

本名喜作、十王と号した。おおよその著作は下記の通り。どうやらクリスチャンだったか(?)。野村實三郎は野村徳七の弟。スペイン風邪のため三十九歳で歿した。

実験応用写真術 フウゲル/橋本奇策抄訳 博文館 1895
藍水遺稿 浅野源二郎/橋本奇策編 長尾柳吉 1896
化学工業品製法全書 橋本奇策 梅原亀七等 1896
合成金製造法 橋本奇策 博文館 1897
各地米況調査報告 橋本奇策編纂 日報社 1902
輸出綿織物 橋本奇策 橋本奇策 1903
実験応用工芸大鑑 橋本奇策 矢嶋誠進堂書店 1904
清国の棉業 橋本奇策 武井良雄 1905
化學工業品製造法 橋本奇策 成光舘 1917
紐育株式取引所 橋本喜作 ダイヤモンド社 1918
楓之家主人偲ふ草(野村實三郎追悼集) 橋本喜作 大阪国文社 1919
満洲を振出志に 橋本喜作編輯 橋本喜作 1925 
よしあし艸 煙波釣叟十王 [出版者不明][1931序]

奇策の序文にいわく

《生は社長の承認を得て米肥調査特派員として本年二月一日社を出立し、第一着手に兵庫市場を調査し、それより播州に出て三備を経て安芸に亘り、周防、長門に移り九州に入り出来能ふ丈けの調査を終へて同月末帰社せり、

生は爾来若しも社が生に許すあれば毎年出張調査する考なれば自壊には尚ほ短日月にして、より多くの土産を持ち帰ることを得べし、読者願はくは今回の調査は初舞台の三番叟と見做し将来に希望を属されんことを祈る、

社長はむろん大阪毎日新聞社の社長を指すと思われる。ひと月の調査旅行とは、さすがの大毎でも英断が必要だったか。本文も含め「。」のいっさい無い表記が特徴的である。もちろん、この本を手にとったのは米況や奇策に興味があったわけではなく、その前付け、後付けに(まるで雑誌のように)挿入されている各種商店の広告に目を奪われたからである。


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羽根の生えた鯉がトレードマークの平野鉱泉水は三ツ矢サイダーのライバルか?


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伊藤長蔵という名前が出ていたのでハッとしたが、これは「ぐろりあそさえて」の伊藤長蔵ではないようだ。

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by sumus2013 | 2014-03-08 21:16 | 関西の出版社 | Comments(0)

アウラ

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カルロス・フエンテス『アウラ』(安藤哲行訳、エディシオン・アルシーヴ、一九八二年八月二〇日、装幀=羽良多平吉+WXY INC.)読了。ベアリュ『水蜘蛛』につづくソムニウム叢書2。

季刊ブックレヴュー』第二号の直前、ほぼ同時に発行されている。フエンテスの短編集。収録は「アウラ」および『仮面の日々』六篇、そのうち「トラクトカツィーネ、フランドルの庭から来た男」は『ソムニウム』第三号に発表されている。

ソムニウムの名に恥じない幻想作品ばかり。SF風あるいは怪奇小説風などと趣向はまちまちだが、始まりは日常の延長でありながら少し変なことが混線してくる、と思っているうちにどんどん崩壊してゆく、そのあげくが破滅にいたる、というのがどの作品にも通底するパターン。時間と空間を作者の勝手でつなげたりねじ曲げたりとやりたい放題だ。「アウラ」はメキシコ版雨月物語ですな。

古物数寄としては「チャック・モール」が印象的。

《キリスト教は生贄と礼拝という点で狂信的でもあり、血なまぐさくもあるんだ。だからインディオの宗教とごく自然に結びつくし、少し毛色のかわったものというわけだ。慈悲や愛、右の頬を打たれたら左の頬をということは拒絶されてしまう。メキシコでは万事がそんなふうなのさ。人間を殺さなくてはならんのだ、その人間を信じるためにはな。
「ぼくは若いころからメキシコのインディオの美術に関心を持っているが、ペペはそのことを知っていた。ぼくは小さな彫像とか偶像、陶器なんかを集めている。週末はきまってトラスカラテオティワカンで過ごす。たぶん、それを知っているものだから、ぼくを話に引き込もうとして、理屈をこねまわしてはそれをインディオに結びつけようとするのだ。確かにぼくはチャック・モール(マヤの雨の神)のてごろな複製を長いあいだ探していた。きょう、ペペはラグリーニャの市で石製の複製を、それも安く売っているという店を教えてくれた。日曜に出かけてみよう。》

《「日曜日のきょう、ラグリーニャに出かけてみた。ペペが教えてくれた露店にチャック・モールはあった。すばらしい出来で、実物大だった。店の親父は本物だと言い張るが、どうだか。石はありきたりのものだが、チャックの姿勢がもつ優雅さを損なっていないし、石塊じたいもどっしりとした感じがしている。

さて、このチャック・モールを買って帰り、地下室に設置してからが、物語本編の始まりだ。徐々に主人公(残された手記を読むという形式なので手記の筆者)は石像に蝕まれて行く……。


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「火薬を作った男」はP.K.ディックばりの破天荒な発想。あらゆる品物の耐用年数がどんどん短くなる。作るさきから崩れてしまい、作っても作っても間に合わなくなる。そして本も……

《だが、ある夜、書斎に入ったとき、はじめて背筋の凍る思いにさせられた。本という本の活字がインクの蛆のようになって床に散らばっていたのだ。あわてて本を何冊かひらいてみたが、どのページもまっ白だった。悲しげな音楽がゆっくりと、別れを告げるようにわたしを包んだ。文字の声を聞き分けようとしたが、その声はすぐにとだえ、灰になってしまった。このことがどんな新しい事態を告げるのかを知りたくて外に出た。空には蝙蝠たちが狂ったように飛びかっていた。そのなかを文字の雲が流れていた。ときどきぶつかりあっては火花を散らし、……《愛》《薔薇》《言葉》と文字は空で一瞬輝くと、涙となって消えた。》

なかなかに美しい情景ではないか。ある意味、紙の本の終焉を空を飛び交う言葉のスパークで表現しているとしたら、それはかなり正確な予言となっているのかもしれない。

《文字が印刷されたまま残っている本を地下室で見つけたときはひどく嬉しかった。それは『宝島(トレジャー・アイランド)』だった。この本のおかげで自分自身の思い出や多くの物のリズムを取りもどすことができた……。《八レアル銀貨だ! 八レアル銀貨だ!》というところまで読み終え、自分の周囲を見わたした。棄てられた物がどっしりとそびえ、ペストのベールがかかっている。恋人たち、子供たち、歌を歌うことのできた人たちはどこにいるのだろう?》

《スティーブンソンの本に野菜の種の袋がはさまっていた。わたしはその種を地面に埋めた、とても愛おしく!……》


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by sumus2013 | 2014-03-02 21:06 | 関西の出版社 | Comments(0)

季刊ブックレヴュー

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以前の『ソムニウム』に関する投稿をご覧になられた方よりエディシオン・アルシーブの雑誌『季刊ブックレヴュー』二冊が送られて来た。しばらく借覧させていただく。

ソムニウムNo.2 No.3
http://sumus.exblog.jp/21161543/

ソムニウムNo.4
http://sumus.exblog.jp/20952531/

創刊号の戸田ツトムのデザインが気に入って池袋西武の「ぽえむ・ぱろうる」で求められたのだそうだ。《詩書を始めとしたマイナーな本との出会いであり、ジャケ買いとも言える本の購入傾向を決めたように思います。》とのこと。

まずは『季刊ブックレヴュー創刊号』(エディシオン・アルシーブ=京都市左京区一乗寺東水干町28 メゾンきしな309、一九八一年八月一六日)。誌名は奥付の表記に従う(表紙では「ブック・レビュー」と中黒が付いている)。ブックデザインは戸田ツトム。エディトリアル・ディレクションは後藤繁雄。オビ付き!

巻頭には「パブリッシュ・イメージ」という創刊の辞が置かれており、かなり意欲的な意見が開陳されている。

《一つのメディアは、読者、書店、取次、版元、印刷屋、著者の総体のインターチェンジである。一冊の本の中にもそれらの各現場のリアリティがすみこんでいるのだ。営業こそが思想をこえたり、レイアウトがあらゆるアートをこえたりするそんなメディアでありたいと思っている。編集内容(テーマ)だけでなく、現場そのものをエディトリアルしていくメディアにしていくつもりだ。『ブック・レヴュー』です。よろしく。(エディシォン・アルシーブ編集部)》

あるいはこんなきわめて今日の変革的な状況に通じると思われる言葉もある。

《今こそ野武士的エディトリアル・スピリットを持った野武士的編集者の登場こそが望まれる。今、地域性や経済構造を変革しうるのは、一見あたり前のことのようだが編集者の熱い魂と自在な方法なのだ。》

記事のなかで注目はこちら「愛書狂1=愛書狂ダンディズム 神戸南柯書局 渡邊一考」というインタビュー。聞き手は編集部藤木薫。

《神戸、新開地の山手、通りの傾斜によって家々が重なり合うかのように見える一角に南柯書局はある。かつて、知る人ぞ知る「水曜会」なる饗宴が夜を明かして開かれた書局の二階は、書棚が鋭角をかたちづくって向かい合い、三角形とも五角形とも見分けのつかぬ変則的な天井が眼を遊ばせる。万巻の書が薄銀色に鈍く光るその部屋に、編集部は南柯書局主人渡邊一考氏を訪ねた。


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談話の内容は忘れられた作家について。まず京都の山田一夫から始まり、野溝七生子、泉鏡花の「黒猫」、そして郡虎彦のダンディズムへなだれ込むが、話はここでプツリと途切れているのがまったくもって惜しい。

巻末には「書架東西」として東京四谷・文鳥堂木戸幹夫、京都三月書房の宍戸恭一の談話(?)が掲載されていて注意を惹かれた。宍戸さんの発言はこちら(読めないでしょうか……)。

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そして第二号、特集[店]から[見世]へ。発行は創刊からちょうど一年後の一八[ママ]八二年八月二五日である。オビがあるように見えるが、これはオビではなく表紙に印刷されている。表紙、裏表紙、特集記事の一部(七彩工芸のマネキン)。

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記事のなかではソルボンヌ留学中の田中義廣(ベアリュ『水蜘蛛』の翻訳者)が「本のスーパーマーケット」と題してフランスの書店事情を報告してくれているのが参考になる。

一九七三年に書籍小売業界にFNACが進出し《二割引を売り物に、セルフサーヴィス式のいわば本のスーパーマーケットを開いた》ことによってすでに自由価格制(一九五三年以来)をとっていたフランスの書籍流通に大きな混乱が生じた。

一九七九年には、それまでの定価(出版社希望小売価格)表示が法律によって禁止され、本から定価が消えた。それを受けて一九八一年五月シャン・ゼリゼのグラン・パレで第一回「本のサロン」が開かれた。フランスの七百あまりの出版社が一堂に出店し展示即売をしたのだ。その際、FNACに対抗して購入価格の二割相当の図書券を買手に配ったという。これに反対してミニュイ社とスーイユ社は参加を拒否した。

この混乱状態を見かねた新大統領ミッテランは固定価格を復活させ一九八一[ママ、二]年一月から実施されることになった。《さて、これが単にFNACの本の値上げという結果のみに終わるのか、それとも読者を含めた出版界全体に好影響をもたらすものとなるか、今のところ予測はつかない。》

少し補足すると七九年の法令は当時の経済大臣モノリー(René Monory) の名前から「モノリー布告」と呼ばれた。それに対する反動、八二年の書籍再販制度では定価表示、5%までの割引許可、初版後二年を過ぎかつ最終仕入れから六ヶ月を経た書籍の自由価格販売(時限再販)、公共機関などに対する定価の適用除外などが決められ今日にいたるようだ。

他には愛書狂2として白川静インタビューもある。それから『ソムニウム』No.5「ニュー・ロマンティック」ノヴァーリスの鉱物精神から近代霊学まで、という近刊広告が出ている。

また興味深い予告についての「お詫び」ある。

《ブック・レヴュー2号予告において、長らく富士正晴氏のエディターズ・ノート、濱坂渉氏のイタリアのメディア(メディアの解剖)の掲載の旨をお伝えして参りましたが、編集部内の全く一方的な事情により、今回掲載を延期させて頂くことになりました。富士氏、濱坂氏、読者のみなさまにご迷惑をおかけ致しましたことを、ここに深くお詫び申し上げます。

富士正晴の「エディターズ・ノート」、読んでみたかった。


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by sumus2013 | 2014-02-20 21:24 | 関西の出版社 | Comments(2)

松浦琴鶴

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先日、松浦琹鶴訂正篆書字引』を紹介したが、この人物が気になったのでもう少しだけ掘り下げて調べてみた。たしか方角の本を持っていたはずだと思い、封印していた和本箱を開いてみたところ、案の定パンドラ状態を呈してシマッタとほぞを噛んだものの、それでもまだ完全にもうろくしたわけではないようで、目当ての『三元秘用方鑒図解(はうかんづかい)』巻之五(刊記はないが、天保八年刊のようだ、五冊)がたしかに櫃底から現れた。


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『日本人名大事典』(平凡社、一九七九年覆刻版、元版は一九三八年)にはこう出ている(一部を除き旧漢字は改めた)。

《マツウラキンカク 松浦琴鶴 徳川中期の易占家。大阪の人。東雞の男。名前は純逸、号は琴鶴、観濤閣。家学を父に受け、観相をもつてその名大いに著はる。天保頃の人。[著書は略す](大阪人物誌)》

付け加えるなら息子に逸成と逸順があったことが本書冒頭の記述で分る。また父親の松浦東雞も立項されていた。

《マツウラトーケイ 徳川中期の易占家。名は久信。長門掾と称し、東雞と号す。文政の頃大阪に住す。瓦屋橋の東に住し、地理風水方位などの諸学に精通し、易の名家と称せられる。男に琴鶴あり。著書に家相図解、家相図説大全がある。(続大阪人物誌)

実は東雞(東鶏とも)にはもう一人の息子國祐があった國祐は『平安人物志』の文政五年版と文政十三年版に登場しており、その内容はおおよそ以下の通り。(『平安人物志』HPより)

松浦国祐 文雅家。字は子徳。星洲又は泉隣居、又は風水園と号した。通称松浦肥後掾。大阪瓦屋橋東の宅相家、松浦長門掾の嫡子。京に出て三条室町西に住み相宅をこととし、家相図説大全、吉方一覧。風水園筆草、和歌独草、吉野山水図説等の著がある。文化十年加茂季鷹六十賀宴歌集に祝歌を寄せている。

肥後と言い、長門と言い、これは北九州一帯で古代から勢力を保っていた松浦(まつら、まつうら)一族に列するのであろう(といっても系統は多岐にわたるが)。そうすると大陸との関係も深かったわけだから比較的容易に中国の新しい易占術や方位学の知識に触れることができた、かもしれない。

琹鶴と琴鶴が同一人物だとして、ではいったいどうして篆字の字典の著者に名を連ねているのか……残念ながら、この点についてはもう少し何か確かなエヴィデンスが出て来ないと判断のしようがないです。

なお松浦琴鶴の直系という松浦長生館なる鑑定所が現在も京都市下京区高倉通四条下ルで営業しておられる。ただ、どういう理由からか琴鶴を初代としているのが不思議と言えば言えなくもない。

ともかく琴鶴の著書を重版も含めて列挙してみる。上記『三元秘用方鑒図解』をちょっと読んでみたところなかなか文章も上手で実例を挙げて分かり易く書かれているのに感心した。幕末から大正にかけての隠れたベストセラー作家だったと言えるかもしれない。


方鑑口訣書 松浦観涛閣 天保3 1832

地理風水家相一覧 2冊 銭屋惣四郎他 天保4年 1833
地理風水家相一覧(全) 弘業舘 明治27年

方鑑辨説 天保5年 1834
方鑑辨説 全 小林米造 明17年
神殺撰要 方鑒弁説(全) 文陽堂 明治38年

方鑑類要 7冊 観涛閣蔵板 天保5年 1834

地理風水家相一覧 2冊 井筒屋・河内屋他 天保5年 1834
地理風水家相一覧(全) 弘業舘 明治40年
地理風水家相一覧(全) 弘業舘 大正2年

家相一覧・家相大全 5冊 松浦久信 井筒屋・河内屋他 天保5年 1834

三元年月本命的殺即鑑 観濤閣蔵版 銭屋惣四郎他 天保6年 1835

三元秘用方鑒図解 5冊 観寿閣蔵版 天保8年 1837
三元秘用方鑒図解 3冊 明治24年

家相秘伝集 2冊 観濤閣蔵版 天保11年序 1840
家相秘伝集 2冊 誠之堂 明治21年
家相秘伝集 2冊 光世館 明治26年
家相秘伝集 文陽堂蔵版・岡本仙助 明27年
家相秘傳集 文陽堂蔵版、靑木嵩山堂 明治36年
家相秘伝集(全) 文陽堂 大正2年 
家相秘伝集 発売=布袋屋書店 大正9年

方鑑秘伝集 2冊 河内屋他板 天保11年 1840
方鑑秘伝集 2冊 観濤閣蔵版 北畠茂兵衛 天保12年 1841
方鑑秘伝集 2冊 明治21年
方鑒秘伝集 2冊 文盛堂 明治23年
方鑒秘伝集(全) 文陽堂 大正1年

方鑑家相経験精義 全 天保13序 1842

三元九星吉方図解 明17年

増訂医道便易 明27年 

九星図説日要精義大成 乾坤揃2冊 浪華/観濤閣蔵梓 東京/北畠茂兵衛・出雲寺萬次郎ほか 明治27年

新増補正陰陽方位便覧 3冊 白井為賀先生纂輯 松浦琴鶴先生増輯 井澤駒吉 明治27年1月15日 1894
新増補正陰陽方位便覧 2冊 白井為賀纂 松浦琴鶴増輯 月窓書屋 明治33年
新増補正陰陽方位便覧(全) 白井為賀・松浦琴鶴増輯 鴨書店 昭40年


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by sumus2013 | 2014-02-17 21:33 | 関西の出版社 | Comments(0)

番傘のスミカズ

久し振りのスミカズさん。『番傘』第六号(関西川柳社、一九一四年八月一二日)と第七号から宇崎純一の挿絵がある頁のコピーを頂戴した。これは有り難い。存在は知っていたが、現物はまだ見ていなかった。御礼申し上げます。大正三年あたりスミカズの仕事は脂ののった時期で、小さなカットにもピリッとしたところがあって好感がもてる。

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本文も見るともなく見ていると「京都」というお題が目に留まった。いくつか引いてみる。


  京極でお踏みやしたと言ひ募り   只英

  茄子歯が馬鹿に嬉しい京言葉    柳舟

  射る真似をして見る三十三間堂   卯木

  伯父さんの家には水車上京区    汀果

  そうどすかそうやおへんに乗過し  汀果

  先斗町行合ふ傘を上と下      當百

  彦九郎の座つた辺り牛の糞     當百


『番傘』は大阪の結社であり雑誌なのだが、彼らが京都へ吟行(と言うのかどうか知らないが)に来るとやはりその言葉の異様さがまず耳についたようである。茄子歯(なすびば)はお歯黒のこと。三十三間堂はまさに今でも中学生がやっていそうな光景。水車は上京区の小川(現在は埋められて小川通り地下の暗渠となっている)沿いに点在していたようである。乗過しは下車していいかどうかを電車に同乗していた娘たちに尋ねたということだろうか。先斗町の路は今も狭い。彦九郎は三条橋の東詰めに銅像が立って(座って)いるあたりをさすのだろうが、大正初めだと牛(牛のひく車)が普通に通っていたようだ。


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by sumus2013 | 2014-02-08 20:38 | 関西の出版社 | Comments(2)

露伴遺珠

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ラジオから幸田文の声が流れてきた。作品やその容姿から想像していたのとは、まったく違った、江戸っ子の、やや甲高い軽快なしゃべりだった。江戸っ子といっても大川の東側で自然がまだまだ豊かな時代に育ったそうで(露伴は江戸っ子と言われると否定していたそうだ)、いわゆるチャキチャキというのではなく広い意味で関東弁の響きが感じられる。こういう言い方はなんだが、とても「カワイー」のである。

上は世田谷文学館の「幸田文の栞」(二〇一三年九月一日)。法輪寺の三重塔をバックにしている。この塔を建てるために晩年の幸田文は奔走したのだという。文の言うには自分たちは露伴のなかでもよく売れた作品「五重塔」の印税で暮らしたというようなところもあって、法輪寺の塔の再建が挫折しているのがどうも他人事とは思えなかったらしい。「五重塔」の上演料を寄付したり、講演に奔走したり、当時文化庁長官の今日海出に直訴したりとさまざまに尽力し、斑鳩町に一年半住んで塔の建築を間近に見たそうだ。

世田谷文学館の栞に森まゆみと堀江敏幸の対談が載っている。そのなかで堀江氏にこういう発言がある。

《2000年でしたか、『文藝別冊』の特集で、小石川のお宅に伺って青木玉さん、奈緒さんにお話をうかがう機会がありまして、その折にあれこれ読み返したのですが、僕は結局、幸田文の作品を、書かれた言葉としてしか理解していなかった、口に出された言葉であったことが分っていなかったと大いに反省をしたんです。》

この発言は幸田文が実際にしゃべっているのを聞くとじつによく納得できるのである。あの文体は彼女のパロールのなかから生まれてくるに違いない。

幸田文と言えば、daily-sumus で湯川成一さん旧蔵の著者サイン入り『幸田文随筆集』(角川文庫、一九五四年八月一五日)を取り上げたことがあった。

http://sumus.exblog.jp/17504304/

そのとき、きっと交渉があったのだろう、などと寝ぼけたことを書いたのだが、そりゃそうだ、湯川書房は幸田露伴の本を出しているじゃないですか。

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肥田皓三編『露伴遺珠』(湯川書房、一九五三年五月一日)。肥田先生の「後記」によれば全集に洩れた佚文捜しは森銑三が先鞭をつけたようで、当時すでに肥田先生も二十年近く捜索していたのだという。その間に三十篇以上をさぐりあてた。そういった内容を『季刊湯川』創刊号に執筆したところ、湯川さんが「是非ともその本を作りましょう」と申し出てこの一冊が生まれた。

だから当然、著作権者である幸田文にもコンタクトしたであろうし、サイン入り文庫本も何らかの返礼だとすればスッと納得できる。大分前からこの本を持っていたのにまったく気付かなかったとはうかつにもほどがある。

肥田先生も書かれておられるが、短文のなかにも露伴の魅力は十分感じられる。例えば「修文談」は文章作法について語りながら理想の文学的境地を示すという点で興味深い。修文には四期あるという。

《例へば月を描くのにブンマワシを遣ひツ放しにするのは一期で、先づ雲を描いて月に見せるのが二期で、描かぬ月の影を水に見せるのが三期で、ツマリ月も畫かず、雲もあらぬ冬の夜の、何處か月の寒い心持を、或る物体に移して見せるのが四期ではないか、ブンマワシの月を、刷毛で塗り隠す位なら、誰でも出来る、が、その月を月と云はずして、月の心持を見せるのは、経営惨憺の極で無くては出来ぬ》

メタファーということなのだろうが、これはまるでステファヌ・マラルメの詩法を解説してくれているような気さえする。露伴とマラルメのコレスポンダンス! 他には細かいところで、次のような発言も印象的だ。

《漢字は我國で出来たものでないからして、我國の言語としつくり合つては居ない、恰好丸い器物に、四角な蓋をした様なものである。》(漢字の新研究法)

だから漢字をもっと研究せよ、しかるのちに採否を決定せよと主張している。大正元年に書かれているが、漢字問題については戦後だけでなくずっと言われて来たとみえる。

もうひとつ、これはさらに細かいこと。「全然」の使い方。

《私の「五重塔」は此の話をして呉れた倉と云ふ男を全然ではないが、幾分かモデルに使ひ、其れに始めに話したのツぽりの綽名を少し変へて用ひ、其の外聞いた話なども加味して直ぐ近所にあツた五重塔へもツていツて綜合したのです。》(自作の由来)

明治三十年八月発表。全然オッケー。

そうそう肥田先生と言えば、昨年十一月、第二回水木十五堂賞を受賞された。めでたし。



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by sumus2013 | 2014-01-28 20:56 | 関西の出版社 | Comments(4)