林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:おととこゑ( 24 )

ON THE ROAD

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「ジャック・ケルアック「路上ーオン・ザ・ロード」を詩う」(IMAGICA MEDIA, 1999)。ケルアックの自作朗読(「路上」と未発表詩集「ワシントンD.C.ブルース」)および歌が六曲、に加えてトム・ウェイツによる「路上ーオン・ザ・ロード」が収められている。

朗読は音楽に関するところを中心に読んでいる。朗読というよりもっと調子がいい。ラジオドラマの雰囲気で悪くはない。ボーカルの方はとても聴けたものではないが、ケルアックだと思って我慢する。一点、このアルバムにはまったく異質のトム・ウェイツが素晴らしい。しびれる。

解説のしおりに佐野元春がジャック・ケルアックのルーツを訪ねたときのことを書いた文章がある。

《1994年。クリスマス。僕はケルアックの故郷にいた。人生の意味を探求した、あるボヘミア詩人の墓がそこにあった。マサチューセッツ州ローエル。ボストンから北へおよそ30マイルの郊外に位置する田舎町。ケルアックが生まれ育ち、生の際まで愛して止まなかったホームタウンーー》

《ボストンからハイウェイ三号線を北上し、車で約一時間、ローエル市に入る。想像していたほど小さな町ではなかった。荷物をホテルに預け、レンタカーを手配。間もなくやってきたフォード・エアロスター・バンに乗り込み、市の北西部、ポータケットビル地区に向かう。メリマック川に差し掛かる。この付近にかつてケルアックとその家族が住んでいた家屋があるはずだ。通称「アストロズ・ピザ」と呼ばれるピザ屋が目的の場所だ。
 住宅街の通りに面してほとんど廃屋と化した4階建ての1階の軒下に「アストロズ・サブ・アンド・レストラン」。間違いなかった。ケルアックとその家族はこの4階に借家住まいしていたのだ。かつてはピザ屋だったその建物は今は誰も住んでいないが、いずれにしても、ケルアックとその家族が住んでいた古い借家がそのままのカタチで残っているということは、全くの驚きだった。》

現在はケルアック公園などもあって観光地化されているらしい。日本人の訪問者も少なくないようだ。

ケルアック in Lowell (その1)

Kerouac’s Grave / Edson Cemetery, South Lowell, Massachusetts,

Thank you, Jack Kerouac


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今AbeBooks.com に出ている『ON THE ROAD』(The Viking Press, 1957)の初版本カバー。函付、献呈署名入でお値段はなんと!

Price: US$ 107,205.51

《First edition, first printing, presentation copy to Pieter W. Fosburgh and his wife Liza, inscribed by the author in red crayon, "To Peter [sic] and Liza Fosburgh, Writing in red crayon in memory of the Red House, Jack Kérouac [sic] (Idiot) (St. Jack of the Germs)" [the last five words in pencil]. 》

この出品は英国からなので特別な値段になっているのかもしれない。ただアメリカ国内の業者でも署名入でUS$ 35,000〜10,000くらいのレンジで販売しているようだ。


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by sumus2013 | 2016-09-28 20:28 | おととこゑ | Comments(0)

宇宙律動

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ミルフォード・グレイヴス&土取利行 パーカッションデュオ『宇宙律動』」をロームシアター京都で聴いた。某氏よりチケットを頂戴した。ミルフォード・グレイブスには全く詳しくなかったので多少予習をしてみると、なんとも素晴らしいアーティスト。楽しみに出かけた。

上下白い衣のミルフォードが現れドラムセットの前に陣取る。つづいて土取氏が現れ、ドラムスの前へ出て来て軽くダンスしながら両足首に付けた木製の鈴をならす。ミルお得意のドラをガーン、ガーンと鳴らして演奏はスタート。ミルは歌とも吼えているだけともとれる声を発しながらドラムをたたくたたく。左手の肘でドラムの表面を押さえつつ同じ左手に持ったスティックで押さえた面を連打。右手はスティックの中程を握って尖端でシンバル、後端でドラムを同時に打つ。トシ(土取氏)の方は舞台上に広げられたさまざまな打楽器を駆使してミルと掛け合い、たたきあい。圧倒的な迫力だった。

途中で、ミルは少し語りを入れた。日本に初めて来たのは一九七七年だそうだ(上の「メディテーション・アマング・アス」のころだろう。トシとのセッションもこのとき以来だろうか)。日本のオーディエンスに多少のお世辞を。そして初公開だと言いながら自らのポリリズムについて講釈。ビーバップ、フリー、カリプソだそうだ。ビーバップのリズムは右手の人差し指と親指で取れる、フリージャズは左手で。右手と左手で両方同時にできるんだ。ポリリズムなんて言ってるけど、ふたつは別々のものじゃなくて同じものなんだよ、と実演。右手に二本のスティックを挟んでパンスカパン。左手はフリーでドドドドド。左足ハイハットが心臓の鼓動のようにシャンシャンシャン。ときおり右足ドラムでドン、ドン、ドン。人体総リズム。

最後はドラムセットから立ち上がったミル、木琴の前に。ちょっと風変りな木琴だったがいい音がしていた。その間、トシが舞台を下りて聴衆のなかを一回り。空いている座席の背をバチバチ連打連打。若いお客さんの肩こりまでほぐしていた(笑)。演奏が始まっておよそ一時間経過。一旦、終了の感じになっていたのだが、もう少しやりたいというミル。折りたたみ式の杖を鞄から取り出した。腰が悪いそうだ(そう言えばYou Tubeに出ていた一九九六年の来日では踊りを披露していたのだが、今回はそれはなかった)。ステッキを突き突きステージから客席の方へ下りようとする。「ステップはないのか?」とぶつぶつ。いきなり舞台面にうつ伏せに寝転んでそのまま足からごろりと下へ。トシが小さめの太鼓を抱えて後ろから付き従う。会場の中央席をひとまわりして聴衆を賑わし、そのまま下手の出入口へ二人で去って行った。スタンディング・アプローズ。

ミルフォード・グレイブスは七十五歳。飛行機に乗るのが苦痛だと言っていたから日本ではもう二度と見られないステージかもしれない。歴史的な場面に立ち合った感じがした。

客席は六割くらいの埋まり具合だった。フリージャズの時代を知っている世代が三割か四割、後は若い人が意外に多かった。残念だったのは、アンプで音量を増幅していたこと、これは逆効果。生音の方がもっとずっと良かったはず。妙なライティングも眩しくて邪魔なだけ。ドライアイスの煙にいたっては言語道断であった。


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by sumus2013 | 2016-09-04 19:55 | おととこゑ | Comments(0)

ANIMALS

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ボブ・ディラン「Animals (Man Gave Names To All The Animals) / Trouble In Mind」(CBS, 1979)。フランスのCBSからリリースされたシングル盤。

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ジャケット裏面はアルバム「Slow Train Coming」(CBS, 1979)の広告になっている。久しぶりにエンゲルスガールに立ち寄って求めた一枚。まったくもってジャケット買いである。ところが、不思議なことに、これもまた、このところ連続して取り上げているキリスト教がらみの一品だった。

すなわち、このシングルおよびアルバムはユダヤ教で育ったボブ・ディランがキリスト教へ回心した画期的なものなのだ。「Man Gave Names To All The Animals」もタイトル通り聖書(創世記)から取られている。それまでのディラン・ファンをがっかりさせた反面、全米チャート二位になったようにクリスチャンの新しいファン層を獲得したともいう。

シングル盤「Man Gave Names To All The Animals」は西ヨーロッパ各国で発売され、とくにフランス(ベルギー)でもっとも売れたようである。米国と日本ではプロモ盤のみ。邦題は「世界のはじめに/ウェン・ヒー・リターンズ」(1979年10月、CBSソニー)。ディラン節によるレゲー。

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Bob Dylan ‎– Man Gave Names To All The Animals


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アンテナ「エンゲスルガール」 

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by sumus2013 | 2016-08-09 21:23 | おととこゑ | Comments(0)

This land is your land

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『BOUND FOR GLORY』にはピート・シーガーの前書きがある。ざっと意訳してみる。

《ウッディの最後に作った曲のひとつは、彼が病院に入って一年後に書かれた。タイトルは「まあだだよ I Ain't Dead Yet」。医師は彼にハンチントン舞踏病だと告げた。神経システムの退化が進む病気で、治療法がない。十三年以上もわずらっていたが、彼はあきらめなかった。最後には歩くことも、しゃべることも、目の焦点を合わせることや食べることすらできなくなり、ついに彼の心臓は動きを止めた。

その知らせは私が日本にいるときに届いた。とっさに思った、「ウッディは決して死なない、彼の歌を好んで歌う人たちがいるかぎり」。ギター弾きたちの間で彼の曲はよく知られているし、なかでも非常に多くのアメリカ人に愛された曲はこれだ。

  This land is your land, this land is my land,
  From California to the New York island,
  From the redwood forest to the Gulf Stream waters,
  This land was made for you and me.

  [中略]

ある世代のソングライターたちは彼から多くを学んだ。ボブ・ディラン、トム・パスクトン、フィル・オックス、まだまだいるだろう。われわれが彼の遺灰を海に撒いたとき、私はウッディがわたしたちに向かって叫んでいるのを聞いた、「じゃあな、お前に会えてよかったよ So long, it's been good to know ya」そして「きらくにやれよ、でも本気でな! Take it easy - but take it!」》

最後のセリフは訳したような意味じゃないかもしれないが……。影響を受けた歌手にはもちろん高田渡も入れておこう。

上のCDは「THIS LAND IS YOUR LAND / THE ASCH RECORDINGS VOL.1」(Smithsonian Folkways Recordings, 1997)。二十七曲収録。高田渡の替え歌で聞き慣れたメロディもいくつかあるし、タイトル通り「THIS LAND IS YOUR LAND」のヴァージョンが三曲収められている。その解説を一部拙訳しておく。

《一九四〇年二月二三日に書かれた「ジス・ランド」はウッディのなかで最もよく知られた歌であり、合衆国で最も広く歌われた曲のひとつである。今もなお新しい賛美歌としてチャンピオンでありつづけている。》《ウッディは、ケイト・スミス Kate Smith には飽き飽きしたと言った。彼女は一九三〇年代のアメリカで最も人気の高かった歌い手で「God bless America」を歌っていた。そこでウッディはアメリカについての少し違った捉え方を試み、「God blessed America for me」という詞をそれぞれの歌の終りに付け加えたが、後に「This land was made for you and me」に置き替えた。メロディはゴスペル・ソング「When the World's on Fire」に似ており、これは「Little Darling, Pal of Mine」というポピュラー曲として知られていた。》

Kate Smith, God Bless America

The Carter Family- When The World's On Fire

The carter family - little darling pal of mine


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by sumus2013 | 2016-07-17 20:56 | おととこゑ | Comments(0)

Bound for Glory

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昨日は大変な巴里祭だった。七月十四日はウッディ・ガスリーの誕生日でもある(一九一二年)。ということは今日初めて知った(!)のだが、なぜか半月前くらいにフト思い立ってずっとWOODY GUTHRIE『BOUND FOR GLORY』(DUTTON PAPERBACK, 1968)を読んでいる。ウッディ・ガスリーの青少年期を綴った自伝(的小説?)。

本そのものはもうずっと前から持っている。表紙の絵とデザインはポール・デイビス。これが気に入って買った。初版は一九四三年、ダットン社から。ペーパーバックでもこの一九六八年版はそこそこのお値段である。

これまでも何度か読もうとトライしたのだが、これが小生程度の英語力ではなかなか難しい。最初の方でくじけてしまう。しかし今回はなんとかウッディの文体に馴れるまで読み続けられたので最後まで行けそうだ。

Thursday July 14 (Bastille Day and Woody Guthrie's Birthday)

日米開戦の直後の様子が語られているシーンがある。日本語に訳すのが面倒なので英語のままで。チャーリーという中国人の店で歌っているとき、海兵たちが入って来た。そこでウッディと相棒のシスコは即席でこんな歌を披露する。

  I woke up this morning'
  Seen what the papers said
  Yes, boys, I woke up this morning',
  Seen what the papers said
  Them Japanese had bombed Pearl Harbor
  And war had been declared

  I didn't boil myself no coffee
  I didn't boil no tea
  I didn't boil myself no coffee
  I didn't boil no tea
  I made a run for that recruitin' office
  Uncle Sam, make me room for me!

   [略]

 "Anybody know the latest news from Pearl Harbor?" I asked them.
 They all talked at the same time. "It's worse than we figured." "Japs done a lot of damage." "First I heard it was twelve hundred." "Yeah, but the say now it's closer to fifteen." "I'm just asking' one dam thing, boys, an' that's a Goddam close crack at them Jap bastards!" "Why, th' sneakin' skunk buzzards to hell, anyway, I hope to God that Uncle Sam puts me where I can do those Japs the most damage!"

日本人をやっつけろの合唱になるのだが、主人のチャーリーは「日本人いい人、友達たくさんあるあるよ」と擁護する……それにしても、やはりパールハーバーはアメリカ人を本気にさせたんだな、と実感した。

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by sumus2013 | 2016-07-15 17:19 | おととこゑ | Comments(0)

第4回京都レコード祭り

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第四回京都レコード祭りをのぞいた。ZEST御池・河原町広場にて九日(土)・十日(日)の二日間開催。

京都レコード祭り・公式ブログ

午前十一時、開店の直後に到着したのだが、上のようなありさま。四回目にして初参戦。古本まつりほどではないにしても、レアなレコードが目当てのマニアらしきおやじたち(若者率は30パーセントくらい? 残念ながら女性率はかなり低く、おそらく昨今の古本市より下だろう)が各店の函のなかのレコードを猛烈な勢いでパタパタパタパタパタと繰っていく。まさにカードボックスのカードを繰る感じ。古本即売会でも紙モノの函では同じような手技が見られるので珍しくはないのだが、ここではほとんど皆が皆パタパタやっている。これはある意味効率が悪い。函の前には一人しか立てないので遅れを取ると後ろで指をくわえていなければならないのだ。ま、セミプロみたいな人たちばかりなので一人が一箱をチェックし終るのはかなり短時間だが……。素人だとそれなりにかかってしまう。

CDの場合は本と同じで背があるから、まだ二三人でひとつの函を囲むということが可能。またリュックの人が多いのも気になった。こういう混み合う場所での背負いバッグは迷惑以外の何物でもない。古本市と同じ。下の写真中央のおじさん、やや大きめの肩掛けバッグ、これが在りたい姿だ。この鞄ならLPもスッポリ入りそうだし。

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忙しそうに立ち働く参加店スタッフ。小生は純粋に聴きたいCD、しかも安価、という基準で探しているので周囲の人達とはかなりの温度差を感じたが、LPレコード狙いの人がほとんどなのかCD函の前はだいたい空いていた。ただ安いCDにはきたいものがなく、きたいCDはやや高い(もちろん小生の基準からしてである。全般にはお祭り価格、お買い得になっていると思った)ということで仕方なく(?)シングル盤の安物を買い込む。背後ではライブ演奏もあり、中古レコードプレーヤーなども販売されていた。

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シングル盤はすべてジャケ買い。クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング「ウッドストック/ヘルプレス」(日本グラモフォン)、アメリカ「名前のない馬/カリフォルニアの仲間」(ワーナー・パイオニア)、ラモン・マルケス「チヴィリコ・マンボ」(ポリドール)三枚で五百円。CDは一枚だけ「LA NOUVELLE VAGUE ; THE FILMS OF THE FRENCH NEW WAVE」(él + CHERRY)。帰り道に寄った古本屋の均一でもう一枚、坂本龍一「ウラBTTB」(ワーナー・ミュージック)百円。

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by sumus2013 | 2016-07-09 21:31 | おととこゑ | Comments(0)

エッケルトの君が代

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先日あるところで「君が代」の話になった。小生は随分前になるがドイツ人が作曲したということを読みかじっていたので、そう言うと、ある方が「ドイツ人は、たしかエッケルトですよね、でも、編曲ですよ。作曲したのは林廣守だったはずです」とおっしゃる。こちらは昔の事だし、記憶違いかなと思ってそのまま「そうでしたか」と引き取っておいた。

最近、上のような展示があったようなのだが、このちらしにこう書かれている。

《エッケルトが活躍した領域は管楽隊、弦楽隊、管弦楽隊、合唱団などの指導と指揮、作曲、編曲、伝統音楽の採譜、和声学教授などである。関与した機関としては海軍軍楽隊、東京合唱協会、文部省音楽取調掛、宮内省式部職雅楽部、陸軍戸山学校、近衛軍楽隊、(大韓帝国)侍衛軍楽隊などがある。業績としては日本の国歌《君が代》(現行)の編曲、葬送行進曲《哀之極 I・II》の作曲、韓国の最初の公式な国家《大韓帝国愛国歌》の作曲などが有名である。》

「日本の国歌《君が代》(現行)の編曲」とされているから、やはりそうなのかと思うのだが、「君が代」が国歌になったのはごく最近(平成十一年)である。国歌の制定を言い出したのは薩摩軍楽隊の教師であったイギリス人ジョン=ウィリアム・フェントンで、言い出しっぺのフェントンが武士の歌を参考にして作曲したのだが、それがたいへん不評だった。明治十一年にフェントンは帰国、十二年にプロイセンからエッケルトが来日、海軍軍楽隊はドイツ式となった。国歌も仕切り直し。海軍省から宮内省へ作曲が依頼され、十三年六月に林広守の作曲とされる「君が代」が国歌として選ばれた……とこれは下記のページに書かれている内容をかいつまんで紹介しただけ。

君が代について 野間裕史のページ

野間氏によれば実際の作曲は林広守ではなく広守の長男林広季と奥好義の二人の若手雅楽員であったという。しかも古歌の君が代に曲をつけただけで国歌とは聞かされていなかった(奥の談話)。それがコンペにかけられて正式決定した。審査員は林広守、エッケルトら四人というから出来レースと思われても仕方がない。その原曲をもとにエッケルトが「作曲」したわけだが、彼の自筆楽譜には「1880.10.25」と記されている。

明治二十一年、「大日本礼式」と題して「君が代」の楽譜が印刷され、諸官庁および諸外国に公式に配布された。その表紙には、はっきり「エッケルト作曲 von F. ECKERT」と記載されている。

標題の「JAPANISCHE HYMNE」、日本古来の民謡によるという意味の「nach einer altjapanischer Melodie」作曲者氏名と所属である「von F.ECKERT,Kongl.Pr.Musikdirektor」などが印刷され、一番下には作曲年「1888」が印刷されている。

また、水沢勉氏のFBに下記の表紙が引用されていた。英語版である。

1880年の手稿譜のための表紙と思われる水彩画の原画をまだわたしは実見していない。絵柄はウェブ上で確認できる。/これもなんとも奇妙な、素人っぽい絵である。/しかし、1880年という年を考え合わせると、まことに興味深いものだ。/夫婦岩に旭日が昇り、鶴が飛び、亀が「壽」という文字の息を吐く。「大日本禮式」「National Hymn composed on an OLD JAPANESE AIR by F. ECKERT.」/明治13(1880)年11月3日の「天長節」の「欧州奏楽」の演奏の際に用意された手稿譜の表紙と考えるのが自然だが・・・


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要するに、「君が代」の作曲は林広守らではなく、古歌にもとづいてエッケルトによって行われた、というのが当時の公式見解であった。

ではどうしてこれが国歌としてすぐに認められなかったか、野間氏によれば文部省(伊沢修二)が横やりを入れたことによる。海軍や宮内省には任せておけない、ということで第三の「君が代」が文部省から提出された。しかし、これがなんとイギリスのサミュエル・ウェブ一世の歌曲に君が代の歌詞を当てたものだった。当時の文部省唱歌は多くがこのやり方だったのだが、それにしてもあまりに安直ではある。

結局どちらとも決定されないまま学校などではエッケルトの「君が代」が「試用」されながら百年以上放置されていた。そしてようやく正式に採用する段になって、作曲はどうしても日本人の名前でなければ収まらなかったということだろう。

国旗及び国歌に関する法律


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by sumus2013 | 2016-07-08 20:06 | おととこゑ | Comments(0)

黄昏の調べ

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大久保賢『黄昏の調べ 現代音楽の行方』(春秋社、二〇一六年五月二〇日)読了。音楽ネタがつづくが、ある方より「すごく面白かったので読んでみてください」と言われた一冊。西欧クラシック音楽の流れの中に生じたいわゆる「現代音楽」という竜巻のような現象をその発生から衰退にいたるまで、そして今日的在り方を説いた内容である。とくに現代音楽の発生と定義についてはたいへん参考になった。

歴史書というよりもエッセイのおもむきが強く、文体にも主張にも曖昧さがなくて分りやすい読み物に仕上がっていると思う(楽譜の分析だけはちょっと素人には……)。さまざまな作品と社会との関係、近代以降のオリジナリティ信仰についてなどはほぼそのまま美術の世界に通じるもので、著者が抱くにいたった論理もよく理解できる。作曲家と演奏者の関係を論じた部分も注目である。そのような著書の結論だけを部分的に引用するのもどうかとは思うのだが、著者の主張のかなめは以下のようなことである。

《クラシック音楽は人間が長い時間をかけて築き上げてきた文化財であり、そこにはさまざまな智恵や経験が刻印されている(中には悪知恵や悪しき経験も少なからず含まれてはいるが……)。そして、あるものをなくしてしまうのは簡単だが、再び作り出すのはまことに難しい。それゆえ、まだそれがたとえ少しでも「使える」状態にあり、そこから何らかの積極的な可能性があるのならば、利用しない手はなかろう。》

《肝心なのは異なる世界観・価値観を宿したもの(物・者)がお互いに排斥しあわずに(必要があれば何らかの交渉を持ちつつ、また、その必要がなければ少なくとも他者の存在を認めつつ)並存しうることであり、その中で人がそれぞれに己に合った生き方を選び取れて、充実させられる可能性が開かれていることだ。そして、クラシック音楽(現代音楽)もまた、そうした可能性を開く場となりうるはずだ。》

日本国憲法前文のようなまっとうな意見である。そしてその思想に基づきつつ「現代音楽」についてこう提言する。

《それが使われる以前に顧みられないようなものを作曲家はつくるべきではない、ということだ。》

《つまり、たとえ何かしら「真理」が刻印されていたとしても受け手のことをほとんど顧みないような音楽を書き、やがて現れるはずの真の理解者とやらに向けた「瓶入の手紙」(20)などにするのではなく、眼前の人たちに向けてボールを投げかけ、その結果に向き合うことが大切なのだ、と。そして、その探究の中でかつての「ほとんど誰も聴かない現代音楽」は、本当の意味で時代を共にする人々にふさわしい「現代の音楽」へと姿を変えていくに違いない。》

(20)はテーオドール・W・アドルノ『新音楽の哲学』に出ている言葉だそうだ。本書に通底する実利を重視する考え方はプラグマティズムと言っていいのだろう。小生自身は「瓶入の手紙」を書いたり探したりするのが嬉しいタイプなのだが、著者の主張ももっともだ、とも思う。売れる絵も描かなければならないということである。

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by sumus2013 | 2016-06-13 21:05 | おととこゑ | Comments(0)

三月の水

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ジョアン・ジルベルト「三月の水」(POLIDOR K.K., 1998)をヨゾラ舎にて。どうしてこんなCDを買ったかというと、少し前に『コモ・レ・バ?』Vol.27(CONEX ECO-Friends、二〇一六年四月一日)の特集「岩谷時子の作法」を興味深く読んでいて岩谷がわれわれの青少年時代をいかに豊かに彩った作詞家だったかがよく分ったのだが、そのなかに佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」(一九六九年)のジャケット写真が出ていた。それを見て、佐良直美といえば「私の好きなもの」が好きだったなあと思い出したのである。

「私の好きなもの」は和ボサの名曲と言われているらしいが(歌詞もいきなり《ボサノバのリズム》から始まる)、小学校六年だった小生はこの単語を並べていくだけの作詞法にいたく感心してしまった。好きなものを並べて、最後にあなたが一番好きを繰り返す。こしゃくな、と小学生が思ったかどうか忘れたが、うまいもんだと感じたのは事実。

私の好きなもの (1967年12月5日) 
作詞:永六輔/作曲:いずみたく/編曲:いずみたく

ただし、それ以来特段にボサノヴァに興味は湧かず、眠たいジャンルだなと思いつつどちかと言えば敬遠していたわけだが、この単語を並べる作詞の秀逸さというのはずっと頭の片隅にあった。そうしてつい最近(というのも情けない話ではあるが)アントニオ・カルロス・ジョビン作の「三月の雨」にがまさにそういう歌詞だということを知った。ジョビンは「三月の雨」(Águas de Março「三月の水」とも)を一九七二年に作った。翌年ソロで、そして七四年にはエリス・レジーナ(ヘジーナ)とのデユエットで発表した。それが大ヒット。ボサノヴァの代表的な作品となった。たしかにエリスの声がなんとも素晴らしい。

TOM JOBIM & ELIS REGINA - AGUAS DE MARÇO

「三月の雨」は家を建てる過程をモチーフにしたものだそうだ。そのつもりで読んで行くと森の外れで工事をしている様子が、そしてなかなか仕事が進まない様子がそれとなく伝わって来るように仕組まれている。《あなたが一番好き》という歌詞はないにしてもそういう状況を連想させる歌詞はある。永六輔の方が先んじているわけだからジョビンが真似した、まさか。何かヒントになる先行作品があったのかもしれないが【「マイ・フェヴァリット・シングス」だというご指摘をいただいた。まさに!タイトルそのものではないですか。どうして気づかなかったのだろう。深謝です。なおジョビンはオラーヴォ・ビラッキからインスパイアされたらしい】、永はこの作詞については何も記憶していないと述べている(『上を向いて歌おう:昭和歌謡の自分史』)。

Aguas de Março(邦題 3月の雨)対訳

ジョアン・ジルベルトの「三月の水」はメキシコ・アメリカ漂流時代の一九七三年に制作された。《アストラッドとも別れ、長い不遇時代を迎えてしまう。その間に吹き込まれたのが「イン・メヒコ/彼女はカリオカ」とこのアルバムというわけだ》(板橋純)。そのせいでもないだろうが冒頭に収められた「三月の水」がみょうにさびしい感じに仕上がっている。

そうそう、ブラジルの「三月の雨」はどしゃぶりだとか。


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by sumus2013 | 2016-06-12 20:46 | おととこゑ | Comments(2)

ブゾーニざんまい

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昨夜はかなり久しぶりの演奏会へ。京都府立府民ホール・アルティで開催された「ブゾーニ生誕150周年記念 サラ・デイヴィス・ビュクナー ピアノリサイタル」。チケットを頂戴したのである。サラ・デイヴィス・ビュクナーについてはこの記事が参考になる。

Style: Crossing the Concourse | The New York Times


サラは若き日、フェルッチョ・ブゾーニの教え子たち何人かから、そして義理の娘ハンナからも多くのことを学んだのだそうだ……というようなことを壇上に登場していきなり日本語で話し出したのには驚かされた(いちおうカンペを見ながらです)。ほぼ同じ内容がパンフレットに記されている。それによればサラはベアテ・シロタ・ゴードンとも親しく交わっていた。

《彼女はブゾーニの最も重要な弟子のひとりであったレオ・シロタの娘でした。ベアテはGHQの一員として日本国憲法草案作成に携わり女性の権利を主張し「男女平等」を憲法に盛り込むために尽力した事でも知られます。シロタとミュンツ[ポーランド人ピアニスト]は、東京芸大や桐朋学園の教授として多くの日本人を指導しましたが、彼等がこの日本で抱いた親愛の情は私の日本に対する親愛の想いと重なります。また、ブゾーニには日系女性ヒデと結婚した息子ラファエルとの間にキキという名の日本の血を引く孫もいたのです。今回このプログラムを組んだ時、私はとりわけ日本で演奏したいと思いました。》

そのプログラムは以下の通り。

・ブゾーニ エレジー集
・J.S.バッハ アリアと変奏曲(ゴールドベルク変奏曲)ブゾーニによる自由編曲
・A.カゼッラ ピアノのための6つの練習曲Op.70
・F.リスト パガニーニによる大練習曲 プゾーニによる自由版

「エレジー集」がいきなりぶっとんだ。一九〇六年の作曲らしいが解説にはこうある。

《フェルッチョ・ブゾーニの心髄はロマン主義者であったと私は思います。魅力的かつ調和のある大胆さとその伝統的で驚くべき豊かなスケール、それはつまりバッハからイギリス民謡、そしてリストとスクリアビンへのすべてをその7曲のエレジーに見出すことができます。》

そんなものかなとも思うのだが、絵画になぞらえればフォーヴィスムからキュビスムへ移行している感じ。破壊と建設の音……ようするに「騒音」が大都市の風景を起想させた。アルティは音響効果が素晴らしい。ピアノ(ヤマハグランドピアノCFX)の音が迫って来る。正直驚いたのは、その強烈な音の波動のなか、最前列に座っている観客の何人かがいきなりうつらうつら船を漕ぎ出したこと。会場の室温がやや高かったことにもよるのかもしれないが、人間どんな状況でも寝られるもんだなあと改めて感嘆したしだい。

「ゴールドベルク変奏曲」は熱演だった。カゼッラはブゾーニの弟子だそうだが、まあそんなところか。そしてブゾーニ版のリスト。これも良かった。このへんになると室温も落ち着き、寝ている人はほとんどいなかったように思う(ゼロではなかったかも)。ブゾーニの音に馴れたということもあるかもしれない。アンコールはジュリアードの学生だったサラ(デイヴィス)が作った短い曲を。

楽譜も置かない完璧な演奏(かどうか、素人耳にはそう聞こえた)。ブゾーニ弾きは何人かいるらしいが、機会があれば聞き較べてみたいものだ。演奏もさることながらこのキャラクター、注目していいピアニストである。

なおこの日の演奏はNHKBSプレミアム「クラシック倶楽部」2016年6月10日朝5時から放映されるそうだ(NHKFM「ベストクラシック」でもオンエアされるようだが放送日未定)。会場にはカメラが五台ほども配置されていた(二台はオートマチックだった)。写っているかも……。

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by sumus2013 | 2016-04-02 20:44 | おととこゑ | Comments(0)