林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:おととこゑ( 30 )

the sound stan getz

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スタン・ゲッツ「ザ・サウンド」(日本コロムビア、1975)。やっぱりこのジャケットはシビレル。名盤なのでいろいろな人が評価を書いている。検索されたし。ここでは、このアルバムに附属しているペラ一枚の解説から少し引用しておこう。執筆は「いソノてルヲ」(磯野晃雄 1930-1999)、良く知られたジャズ評論家

《スタン・ゲッツは51年に独立して以来、オフ・エンド・オンで多くのコムボを持ち、ある時は名声の頂に達し、多くの栄光を獲得した。
 又ある時は、麻薬常用にからみ薬局でホールド・アップ事件を起し逮捕された。
 又、アメリカを何度もはなれてヨーロッパで住んだ経験も多い。》

《56年に前記モニカ[引用者註:スウェーデン出身の美女、ストックホルムで出会った]と結婚した時などは、もう音楽をやめると声明して、デンマークに渡って医学の勉強をはじめた。
 所が、いつの間にかコペンハーゲンで演奏活動を開始していた。にくめない男だ。》

《60年代のボサ・ノバと共にアメリカでカム・バックした雄姿は鮮明である。》

《70年代、チックのジャズ・ノバをレパートリィに加え73年最後の来日を果たした。私は、ウィスキーさえ止めたゲッツと北海道旅行中生ビールを飲んで語り合った。
 ゲッツは16才の時から30年もオン・ザ・ロード(楽旅を続行中)だと言った。》

《そのあとウィンブルドンのテニスの試合に息子が出る話や、アメリカでニクソンが大統領になったのでスペインへ移住したんだと言う話もしてくれた。
 そんな話の中で、ジャズを続けて来られた事の幸福さを教示してくれた。その秘訣は初心忘れずと言うような事であった。》

ニクソンの大統領就任は一九六九年、スペインはフランコ体制下であった。当時のアメリカよりベターだったとはどうしても思えないが、米国人にとっては住みやすかったのかもしれない。




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by sumus2013 | 2018-01-14 20:57 | おととこゑ | Comments(0)

ボブ・ディラン・モノ・ボックス

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BOB DYLAN THE ORIGINAL MONO RECORDINGS ボブ・ディラン・モノ・ボックス」(SONY MUSIC ENTERTAINMENT, 2010)。年末はディラン三昧。初期コロムビアのモノ・アルバム八枚(「Blonde on Blonde」は二枚組)のCDボックスを繰返し聴いている。三枚目まではかつてCDで持っていたので、ほとんどどの曲も耳になじんでいるが、四枚目の「Another Side of Bob Dylan」以降はめぼしい曲だけしか知らなかった。正直なところ三枚目までで充分という気もしないでもない。四枚目がとくにガクンと聴き劣りするが、その後は少し持ち直す。と言っても、すべては二十代前半の仕事なのだ。やはりこれは驚きだろう。

《そうだ、ステレオというものがあった。これら全てのアルバムはステレオでも発売されている。この時期には、楽器と声とがなんとか分離され、右と左のチャンネルから聞こえてきた。もともとは、コンサートホールで聴いているような、シンフォニーではヴァイオリンが左から、チェロが右から聞こえるという、臨場感を出すためのテクノロジーであった。『プレイボーイ』誌がもっとも積極的に、そして魅惑的に推奨していた。輝かしいコンポーネント……アンプ、プリアンプ、レシーバー、ターンテーブル、そして木目調のスピーカー、それらはまだライフスタイルと呼ばれるまでにはいたっていなかったが、自分の洗練された趣味、金銭、皆より一歩すすんでいることを誇示する方法として、流行で仕立てた洋服、アペリティーフの酒、そして「ベイビー、こんなブルーベックはきっと聞いたことがないはずだよ」という殺し文句とともに提供されていた。》

と、このように、解説のグレイル・マーカス(Greil Marcus)はステレオの登場から説き起こしつつ、モノで聴くことの意義について考察する。

《あの単一の音には何か具体的なものがあった、曲と出来事をつなぐ何かがあった。リトル・リチャードの「レディ・テディ」は他の何かである前に、まず事実なのだ。反論できない何か。》

当時、音楽はステレオよりもモノラル(たとえばラジオから)で聴くことの方が当たり前だった、それは聴いていた人々の身の回りの出来事と結びついている、とそういうふうに言いたいのだと思う。

《「やつはサイス(大鎌)みたいにスパッとシーンをぶった切った」とフォークシンガーのサンディ・ダーリントンは、一九六一年、グリニッチ・ヴィレッジにおける十九歳のボブ・ディランの登場について語ったことがある。その登場の音が聞こえる……歌手の背後に吹きすさぶ風、ファーストアルバム、その年の遅くにレコーディングされた……むこうみず、才能、この歌手には歌う権利がないとでもいうような曲の顔付で微塵の穏やかさも拒絶する、勝手にしやがれ。》

《フォーク音楽に商業的な力があった時代……ジョーン・バエズがセカンドアルバムでチャートの13位になり、125週間チャートにとどまった年には、ピーター・ポール・アンド・マリーのファーストアルバムが1位になり3年間以上チャートに入っていた、キングストン・トリオはトップテンに三枚のアルバムが入った……ボブ・ディランのファーストアルバムはアメリカで最大かつ最有力なレーベルから発売され、初版は5,000枚の売り上げだった。これが商業的に失敗だったというのは噂にすぎないが、噂が力を得て、誰もがジョーン・バエズやキングストン・トリオを知っていたとしても、もしボブ・ディランのことを知っていたなら、他の誰もが知らなかった何かを知っていたわけである、もうすぐ誰も知らない人はいなくなる何かを。》

以上拙訳(適当に端折ってます)。二枚目のアルバムからピーター・ポール・アンド・マリーが「風に吹かれて」他をカバーして次々ヒット、それにつれて作曲者のディランも「知らない人はいない何」かになっていくわけだが、まさかノーベル平和賞、じゃなかった文学賞! までもらうとは夢にも思ってなかったろうねえ……。


ついでに最近買ったCD。

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SLIDE GUITAR CLASSICS ; 1997 Repertoire Records


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TUATARA breaking the ethers ; 1997 Sony Music Entertainment


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BO DIDDLEY ; 1986, VOGUE FRANCE


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by sumus2013 | 2017-12-30 21:36 | おととこゑ | Comments(2)

渋谷毅+鈴木常吉

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昨夕、京都は島原大門前のギャラリーのざわで行われた「エンゲルスガール10周年記念ライブ 熱烈歓迎 渋谷毅さん & 鈴木常吉さん」に参加。細長い町家でのライブだったが、ほぼ満席、かぶりつきに陣取って楽しませてもらった。渋谷さんの左手がしなやかだった。

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by sumus2013 | 2017-12-21 16:08 | おととこゑ | Comments(2)

はしだのりひこさん

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「ザ・フォーク・クルセダーズ ゴールデン・ベスト」(東芝EMI, 2004)。数ヶ月前に買ってひさしぶりに「帰ってきたヨッパライ」など青春、いや、まだ小学生だったけど、の思い出にひたった。この曲が発表された年末(一九六七)、小生はある手術のため病院で年越しをした。誰もいない夜の病院、ラジオから流れる「帰ってきたヨッパライ」が、コミックソングのはずなのに、なぜかひどく幼い心に沁みたことを憶えている。

はしだのりひこさん、72歳で死去 「悲しくてやりきれない」などのヒット曲

「ザ・フォーク・クルセダーズ ゴールデン・ベスト」にははしださんの曲は一曲だけ。「何のために」(作曲:端田宣彦)。「悲しくてやりきれない」は加藤和彦の曲である。フォークルという意味では間違いではないけれど、誤解を与えかねない見出しである。フォークルを離れてからの大ヒット、「風」(一九六九)か「花嫁」(一九七一)にすべきだろう。

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じつは娘さんの端田新菜さんと愚息は小学校で同じクラスだった。一九八一年から京都にまる四年ほど住んでいた時期のこと。誕生日会にも呼ばれるほど仲がよかったらしい(クラスの男の子で呼ばれたのは愚息だけだったそうだ)。その愚息が、土曜日の夕方、数時間行方不明になるという事件があって、そのときにはクラスの役員をしておられた端田さんにも大変お世話になった。直違橋通りに面したご自宅をお訪ねしたことを思い出す。ご冥福をお祈りしたい。

息子のクラスメートのお父さんだったはしだのりひこさん

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by sumus2013 | 2017-12-03 16:29 | おととこゑ | Comments(4)

Tu ne sais pas aimer

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菅野俊之氏より『福島自由人』第32号(北斗の会、二〇一七年一一月三日)を頂戴した。深謝です。菅野氏は「作詞家門田ゆたかの周辺ー中原中也・永井荷風・「映像」ー」を執筆しておられる。内容のごく一部だけ紹介しておく。

「ふくしま人 門田ゆたか」
http://sumus2013.exblog.jp/27575875/

昭和八年、門田ゆたかは流行小唄〈東京祭〉の懸賞募集(読売新聞主催)で一等に当選した。賞金五百円。〈東京祭〉は東京市が昭和七年に隣接郡町村を合併し三十五区の大東京になった、その一周年を記念したものという。賞金につられて中原中也もまたこの懸賞に応募していた(応募作は中也全集に収録されています)。ただ入選はおろか選外佳作にもその名前は見えないとのこと。

永井荷風は小説「おもかげ」の作中で門田の作詞した「私の気も知らないで」の歌詞の一部を引用している。

おもかげ
http://sumus2013.exblog.jp/26267876/

若き日に欧米に遊んだ(文字どおり娼婦と遊蕩した)荷風は、彼の地で西洋音楽を熱心に聴き陶酔した。荷風の小説に鏤められた江戸音曲や歌謡曲の基底には西洋音楽の想い出が響いており、吉原遊廓の月夜にシャンソンの旋律が流れる「おもいで」に谺しているとぼくは推測するのだが、如何?

ゆたかの詞による「私の気も知らないで」はマリー・イボンヌこと上村まり子の歌唱で昭和十年にテイチクから発売されたという。なお原曲「TU NE SAIS PAS AIMER」の方は一九三一年公開のフランス映画「Sola」(監督アンリ・ディアマンベルジェ、Henri Diamant-Berger)の主題歌。主演のダミア(Damia)が歌った。

門田がつけた歌詞には二種類あるそうで、タイトルも「人の気も知らないで」「私の気も知らないで」と異なる。ついでに書いておくと、フランス語の「知る(savoir)+動詞の不定法」は「〜できる」の意味。「AIMER」は「愛する」だから「TU NE SAIS PAS AIMER」を直訳すると「おまえは愛することができない」となる。門田は知る(savoir)の否定形だけを生かして「人の気も知らないで」としているが、歌詞本文とともに、苦心の訳というよりもテーマだけ汲み取った創作であろう。

Youtubeで「人の気も知らないで」が何種類か聴ける。ダミアの原曲と昭和十三年の淡谷のり子版を貼付けておく。










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by sumus2013 | 2017-11-15 21:00 | おととこゑ | Comments(0)

ある日の続き

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吉上恭太さんのセカンドアルバム「ある日の続き」(Shinobuphon Record, 2017)聴かせてもらった。ファーストの「On Shinobazu Book Street」(Shinobuphon Record, 2013)も久し振りに取り出して聴き較べてみた。ファーストはファーストでもあり、また東北震災後間もないこともあったのか、やや大人しいと言うか、サウダージどっぷりというのか、渋いボサノヴァ、ブルーズのトーンだった。セカンドの方はベースは変らないものの、もっとずっと肩の力が抜けて洒脱でありながら演奏の楽しさが伝わってくるアルバムになっていると感じた。バックバンドがいい(「かもつせん」が好きです)。アルバム廻りのデザインも秀逸。付録の小冊子、鶯じろ吉『ある日の続き』も洒落ている。

吉上恭太 - ぼくが生きるに必要なもの

セカンドアルバム完成のお知らせ

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by sumus2013 | 2017-08-21 19:58 | おととこゑ | Comments(0)

JAMES NEWTON WITH…

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「JAMES NEWTON WITH BILLY HART ANTHONY COX MIKE CAIN」(DELTA-Music GmbH, 1989)。先月みどり文庫さんで入手して以来くり返し聴いている。今、リーダーでフルーティストのジェイムズ・ニュートン(1953- )のウィキを参照してみると、このアルバムは彼のディスコグラフィに入っていなかった。おや? と思ってよくジャケットを見たらケルンで録音されている。ドイツ盤なので省かれたか。

クラシック調で始まり、現代音楽やフリージャズの要素もちりばめられている。フルートを中心としたクァルテットのバランスがいい。ジェイムズはいかにも上手いが、器用すぎるかなとも感じられるプレーヤーである。小川隆夫の解説を引いておく。

たとえクラシックを演奏しようが現代音楽に接近しようが、彼は紛れもなくジャズ・フルーティストであることを雄弁に物語っているのがこの作品というわけだ。ここにはエリントン、ドルフィー、モンク、ミンガスといったニュートンにとってかけがいのない音楽家たちが生み出した伝統を血肉として彼自身の音楽が創造されている。

さて、ジャズつながりということで映画の話を。最近やっと、「ラ・ラ・ランド」の監督デイミアン・チャゼルの出世作「セッション」(2014)を見た。監督も主演のマイルズ・テラーと助演のJ. K. シモンズも皆この「セッション」で一躍有名になったというあげまん作品。

十九歳のニーマン(マイルズ・テラー)はシェイファー音楽院(ジュリアードがモデルですな)の一年生でドラマー、練習しているのを聞きつけた鬼教師フレッチャー(J. K. シモンズ)が彼を抜擢して自分のクラスに入れる。そこには地獄の特訓が待っている……

ストーリーはもう初めから分っているようなもの。予想通りの展開、ただしラストシーンだけはちょっと意外だった(やや不条理なラストだが、まあそれも許せる範囲内)。いずれにせよ筋書きよりもその描き方がうまい。鬼教師フレッチャー(J. K. シモンズ)がなんとも憎々しく見えて来るのは成功している証拠。低予算でもこのくらいは作れるぞというお手本映画である。

音楽といえば、六月のパリでは夕刻から夜にかけては外出もせず、ほとんどTVばかり見ていた(なんのためにパリにいるのやら)。フランスではどんな歌が流行しているのかと思ってCSTAR(シースター)チャンネルでTOP CLIP(ミュージック・ヴィデオばかり流す番組)を見てみると、ジャスティン・ビーバー風が主流で今回はあまりピンとくるものがなかった。アデルの「Hello」も放映されていたのには、今ごろ、と思ったが。


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by sumus2013 | 2017-08-06 20:28 | おととこゑ | Comments(0)

ジャンヌ・モロー誄

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ジャンヌ・モロー死去。われわれの世代では映画を見始めた頃にはもうすでに伝説的な女優だった。「Ascenseur pour l'échafaud(死刑台のエレベーター)」や「Jules et Jim(突然炎のごとく)」によって一九六〇年代の傑出したヒロインとして別格に置かれていたように思う。

百三十本以上の映画に出演しているらしい。妻が印象に残っていると言ったのは「ニキータ Nikita」(リュック・ベッソン、1990)である。「あれ? 出てたかな」と思ったが、ニキータを一流の女として仕込む役だった。上のチラシは三宮東アサヒシネマ2のもの。左下隅が欠けているが、大事にファイルしてあった。ベッソンの出世作。

小生は数年前に見た「マドモアゼル Mademoiselle」(トニー・リチャードソン、1966)が鮮烈に残っている。山の中の小さな小学校の謹厳な女教師が、じつは……というなかなかのスリラー。あるいは、モローにとって最後から二番目の映画になった「クロワッサンで朝食を Une Estonienne à Paris」(イルマー・ラーグ、2012)もはまり役だった。パリで成功している老マダム(J.モロー、エストニア出身という設定)のもとへ故郷エストニアから世話係として中年女性がやってくる……パリ映画としても秀作だった。

そうそう、まだヴィデオテープで録画していた時代のこと。「小間使いの日記 Le Journal d'une femme de chambre」(ルイス・ブニュエル、1964)を録画した、はずだったのだが、どうしたわけか最後のパートが録画されていなかった。いいところで切れていた。ああ、どうなるんだろう……と思いつつ今に至るまでまだ見ていない。

サム・シェパードも亡くなった。役者としてはそんなに強い印象はないが、脚本を担当した「パリ、テキサス Paris, Texas」(ヴィム・ヴェンダース、1984)は思い出深い映画である。主演のハリー・ディーン・スタントンも良かったしナスターシャ・キンスキーの輝きも忘れ難い。ライ・クーダーの響きも胸に沁みた。(ただ、これって「パリ、テキサス」じゃないの?)

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by sumus2013 | 2017-08-01 20:21 | おととこゑ | Comments(0)

Edge


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2008年の撮影風景(拙宅アトリエにて)


これまで『sumus』同人から岡崎武志、林哲夫、荻原魚雷の番組を制作してくれたテレコムスタッフより以下のようなメールを頂戴した。

いまご出演いただいた番組「Edge」 のホームページをつくっておりまして、詩人編の方から公開をはじめています。


なかなか広く見てもらうことができない番組なので、 少しでもHPから番組のことを知ってもらえればと思っています。ご出演いただいた回の情報も5月20日頃の公開を目指して準備しております。数分のトレイラーもつけています。

まだ全編ではないが、順次公開されているので覗いていただきたい。

2008年百万遍初日!


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by sumus2013 | 2017-05-28 17:04 | おととこゑ | Comments(0)

松倉と勝と光永と継吾

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昨夕は京都のライブハウス「拾得」で松倉と勝と光永と継吾のライブを聴いた。松倉如子、何とも個性的な歌い手である。どのようにユニークなのか、ご存知ない方はぜひYouTubeなどでご確認あれ。

「拾得」は有名なライブハウスなのだが、これまでライブに縁のなかった小生には初めての場所。土蔵を改造したなかなかに居心地のいいスペースだ。そんなにキャパはないが、手頃な広さだと思った。壁面にはその名の通り寒山拾得の大きな拓本(版画?)が飾ってある。エンゲルスガールのご主人と隣り合わせたのでムッシュかまやつ死去の話を向けると「拾得」で一度だけライブを聴いたことがあるとのこと。カッコよかったあ〜、らしい。

ただ、大きなアンプでガンガン鳴らすのには閉口した。音に吹き飛ばされそうになった。この感触が好きな人もいるかもしれないけれど、せっかくの演奏や歌を聞き取り難くしてしまうほどの大きさだった。このていどの空間ならマイクなどいらないだろう。ロームシアターくらい広くても同じような感想を持ったが、拾得ならなおさらである。アンプラグドでやってほしかった(またそういうタイプのバンドであろう)。とは言え、渡辺勝の旋律はピアノであれギターであれ、なんともなつかしく心落ち着くものだった。

上は松倉と勝と光永と継吾の自主制作CD「SETSUBUN」。今年の二月三日にアケタの店にて行われたライブ録音。100部制作。

松倉と勝と光永と継吾

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by sumus2013 | 2017-03-04 21:08 | おととこゑ | Comments(0)