林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:雲遅空想美術館( 112 )

水郷秋望

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月がかわったので短冊をひとつ取り出した。例によってよく読めない。よろしく御教示のほどを。

 水郷
  秋望

 なかめつゝ秋に□なれで年切とも
 夕くれ□□□□宇治のはし守 □


「年切」としてはみたが? タイトルは「水郷秋望」であると御教示いただいた。郷は口か江かとなやんでいたが、郷だとは思い至らなかった。望も同じく。深謝です。ということでさらなる解読を経て、目下次のように読むことになった。

 なかめつゝ秋には(盤)なれど[年][ふ](布)とも
  夕くれ□□□に(耳)宇治のはし守 節菴

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by sumus2013 | 2016-10-04 21:30 | 雲遅空想美術館 | Comments(11)

若冲筆塚

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伊藤若冲の展墓、そして筆塚の刻文を写してきたのは、旧稿を改訂するためだった。ご存知のように今もって草書を読むのに苦労しているわけだが、何しろ二十年近く前なので、初心者もいいところ、よくこんな原稿を公にしたものだと厚顔無恥にあきれる。このくらいの行書もまともに読めていないのは上掲の校正紙が示す通り。いつか直そうと思ってはいたのだが、好機を某社より頂戴したのである。

森銑三に「若冲小録」という文章があって、そこにこの碑文の引用がある。それが参考になった。昔、知っていればなあ、と思っても後の祭り。ただしその引用文にもいくつか誤りがある。実物とつきくらべてみて分った。


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そんなわけでテキストの方はほぼ確定できたが、文意がどうしてもはっきり取れないところがある。例えばこのくだり。

 初置石像肆頭 有来請画者 輙使其出一鋪資 既而厭塵土 剔顛毛

実際には写真のように一文字アキはないが、いちおう切りのいいところでアキを入れた。石像とは五百羅漢そのものか、それに似た若冲の関係した作品であろう。画を注文に来る者があると、そのたびにそれを出させて……一鋪……ひとしく(ひとつ?)敷き(?)資す(?)、すでにして塵土を淮ゐし顛毛をえぐるのに……(無理矢理読んでみました)。使其出一鋪資……ここをどう解すればいいのか。

さっそくに御教示いただいた。まったく見当外れだった。

一鋪の資に出さしむ。すでにして塵土を厭ひ顛毛を剔る

素晴らしい。塵土は世間、顛毛を剔るは「剃髪す」である(!)。厭を壓と同じと読んだのがバカだった(同じ意味もあります、言い訳がましいですが)。絵を求めに来た者に石像を売りつけて店(枡源という八百屋)の経営資金にしたという意味になるのか。剔顛毛(剃髪す)のあとにつづけて《縛菴石峰》(石峰寺に庵を結ぶ)とあるのもそれですんなりと意味がとれる。深謝です。


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by sumus2013 | 2016-09-18 18:08 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

他日偶晴

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割り合いと最近手に入れた掛軸。田能村竹田というふれこみだったが、もちろん在りえない、そんな馬鹿なという贋モノである。だから安かった。竹田にはほど遠いけれども、ちょっと面白いところもある。「憲」というサインに「竹田」印は余計なことだ。

六人の髭の老人が茶で盛り上がっているようす。本箱に肘をついたり、巻物を手にしたり、書画談義に楽しいひとときを過ごしているのだろう。


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上部の賛(?)は備忘録のようなもの。


 此月偶晴和助病而到洗竹庵
 冨上子間暇及干共淡話数回終執化筆作此
 図冨上子歓喜不斜干共采
 酒杯日暮至干夜鷄鳴不制晨


和助、洗竹庵、冨上子など固有名詞もどうもはっきりしない。この文からすれば洗竹庵の冨上子は医師でもあろうか。画を無心してやっと染筆してもらうことができ、画家とともに朝まで飲み明かした……のんきすぎて羨ましい。

なお、この軸、表具も悪くないし、何より立派な二重箱に入っている。外箱は漆塗り。絵よりも立派なので驚いたしだい。

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by sumus2013 | 2016-09-14 20:46 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

ルオー展

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『日仏文化協定発効記念 ルオー展』(東京国立博物館、読売新聞社、一九五三年一〇月一日〜一一月一〇日)図録。タテ十八センチ、本文二十四頁、カラーは表紙と本文に二点のみ。出品目録はあるが、解説等もないシンプルな構成で、昨今の分厚いばかりで内容の薄いカタログとは対照的。表紙に文字を一切入れていない、誰がデザインしたか知らないが、これはひとつの見識であろう。

ルオーが初めて大掛かりに日本で紹介された展覧会である。日本人好みの画家なのかと思っていたが、案外と戦前には紹介が少ない。福島繁太郎が熱心にコレクションしていたのが例外的だったようだ。その証拠になるかどうか、『国立西洋美術館名作選』(西洋美術振興財団、二〇一三年)のベースになっている松方コレクションにはルオー作品が見当たらない。西洋美術館といえば、まだ一九五三年にはできていなかった。よって本展覧会は国立博物館の表慶館で開催されている。

金澤清恵
日本におけるジョルジュ・ルオーの紹介、あるいはその受容について

本文巻頭の図版は「郊外のキリスト」。福島コレクションの一枚で、現在はブリヂストン美術館が所蔵する。ブリヂストンが購入したのは一九五五年だから、このルオー展の二年ほど後である。

表紙が気に入って買ったものだが、この絵をじっと見つめていて、ふと思った。浮世絵……じゃないか。というのもちょうどこんな浮世絵の絵葉書を貰ったばかりだったから。

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春頂斎北松「三代目中村歌右衛門」文政八(1825)


画面一杯に納めた顔、くっきりとしたその眉・目・口(髭)など、明らかに類似している。もちろんルオーが手にしたのは写楽のような大首絵かも知れない。これは『版元揃上方繪殷賑[はんもとぞろゑ かみがたゑのにぎわひ]』(中尾書店、二〇一六年七月二七日)六枚セットのうちの一枚。橋爪先生の企画のようだ。

《海外ではその名もずばり「OSAKA PRINTS」。大英博物館はじめ世界の美術館が収蔵する「上方絵」である。
 江戸から明治に刊行され、芝居が盛んな大阪の文化を象徴して、芝居や歌舞伎俳優の似顔を描いた役者絵が多い。人間味あふれるリアリズムと、「粋[すい]」で「はんなり」した雰囲気は、江戸の浮世絵とは異なる大阪の味わいである。
 絵師では流光斎如圭、松好斎半兵衛、春頂斎北洲、芦国、芦ゆき、歌川派の国広、貞升、国員、芳梅、芳瀧や長谷川貞信などが活躍した。
 そして「上方絵」を出版していた版元(板元)が集っていたのが心斎橋周辺だ。本コレクションも、心斎橋周辺の版元の作品を選び、店の証である版元印も掲載した。》(はしづめ・せつや)

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案外とシブイ色彩感覚である。現在の上方のイメージとは少し離れているのかもしれない。


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by sumus2013 | 2016-09-12 19:56 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

あの時みんな熱かった!

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星野画廊で開かれている「現代美術の先駆者たち・関西」(〜9月10日)を見る。一九五〇年代から六〇年代にかけてフランスなどのアンフォルメル運動に刺戟された日本の作家たちの作品、星野コレクションから選り抜き、が展示されていて当時を直接知らない者としては非常に興味深かった。例えば上の作品は須田剋太「宇宙時代の記号」(一九五九年)。須田剋太といえば司馬遼太郎とのコンビで大衆的な人気を得たのだと思うのだが、アンフォルメル時代にはこんな絵を描いていた。かなり前だが須田の大作で非常にいい抽象画を見たことがあって、もっと数を見てみたいなと思っていた。ちょうど今回の展示で七〜八点ほど並んでいた。どれも佳作だった。星野さんによると、何年か前にこの抽象のシリーズで大量の贋作が出回ったことがあったのだそうだ。贋作が登場するくらい人気があったという証拠ではあったが、そのために現在では須田のアンフォルメル作品は安くなってしまったそうだ。ということは買い時だとも言える(ただし目利きが必要)。須田以外も注目すべき作品ばかりだったのだが、やはり三上誠が抜けている。とくにここに掛かっていたのはいずれも名品だった。

星野さんから近代美術館へ移動。「あの時みんな、熱かった! アンフォルメルと日本の美術」(〜9月11日)を見る。手際よくアンフォルメルの流れを並べてみせていた。熱かった! というわりには、展示はクールだった。総花的で教科書的だったかも。もう少しマニアックに熱くてもよかったように思う。それは星野画廊に任せるということでもないだろうが、ふたつを同時に見るのがよろしい。井上有一と東松照明(「ワックスマンの胸」他)が印象に残った。三上誠も数点展示されていたものの星野画廊にあったものの方が数段良かった。

同時開催、京都のマネキン製作会社に焦点を当てた「七彩に集った作家たち」は画期的な企画だと思うが、もっとちゃんとした大きな展示にすべきだった。こじんまりとまとめてこの会社の面白さが伝わり切っていない。個人的に七彩に勤めていた人を知っているが、ユニークな人ばかりだった。せっかくの機会、そのへんもっと掘り下げてほしかった。

***

内田魯庵『蠹魚之自傳』より焚書の話をもう少し。

《昔の咄は本に限らず何でも大きいから余程割引して聞かにやアならねエ。ヂスレリー伯父さんの『文献異聞』(Curiosities of Literature)にコテコテに列べ立てた各国の焚書も丸々ウソぢやアあるめエが、四千軒の風呂屋が半年燃料[たきつけ]にして湯を沸かしても焚き尽せなかつたといふアレキサンドリヤの焚書なぞは嘘月村の鉄砲矢八の洞喝咄[ほらばなし]よりもうまく出来てる。が、五度や六度ぐれエは書物で沸かした風呂で兵隊に汗を流さしたかも知れねエ。

参考までにエル=アバディ『古代アレクサンドリア図書館』(中公新書、一九九一年)によれば、アレクサンドリア図書館には少なくとも五十万冊はあったようである(書籍と巻物を含む)。また当時の書籍の表紙は板だった可能性もあるから風呂の焚き付けにはもってこいだったかもしれない。

《何も千年二千年前の大昔の話を持出さねエだつて、ツイ先年[こねいだ]の日清日露の戦争の時にだつて本で焚火をしたり湯を沸かしたりした咄はある。宋槧本や元槧本で沸かした瓶風呂で垢を落した罰当りの中に金鵄勲章を貰つた奴があるかも知れねエ。西洋でも日本でも戦争の為め或は政治や宗教の迫害の為め亡びた書物はドレほどあるか計られ無エ。書物の破壊者として俺達よりも罪の深エのは人間の無知だが、一番暴虐な大破壊者は政治や宗教の迫害で、夫から比べると俺達のはホンのチヨツケイを出すぐれエな悪戯で罪は無エのさ。

『陶庵夢憶』のすでに紹介した三代の蔵書でも兵火で本が焼かれる話が出ていた。

《あとに残った分は、邸を占拠した方(方国安)の兵が、毎日ひき裂いては煙にし、また銭塘江の岸に舁いで行って、鎧のなかに敷いたり、矢玉を防ぐしろにしたりして、四十年間に積んだものが、これまた一日にしてことごとく失われた。》

魯庵は、いや、シミ君は、日本において政治的に抹殺された書物の代表的なものとして切支丹本を挙げてそのお門違いな弾圧をこう形容している。

《版式から云つても特異で、整板活字總括[つゝくる]めて日本の古版の王だつて家の大将なんかは褒めちぎつてる。さういふものを焼いて了うつてのは国家の為めに悪魔の使者を斬つたツモリだらうが、丁度臆病者が幻覚の為め錯迷して刀を指廻して罪もねエものに怪我させたやうなものだ。》

古版の王と言っているのは『こんてむつす・むんぢ』のことである。

こんてむつすむん地

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by sumus2013 | 2016-09-08 19:49 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

東山の萩みて

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時節向きの短冊を。須川信行作。いつだったか忘れるくらい前にヤフオクにて。これまでに短冊をネット買いしたのは二点だけ。これは東山の萩という題だけのことで最低価格に入れておいたら他に誰もビットしなかったため自動的に落ちたのだが、送料が短冊の値段の何倍もかかってしまった。


  東山の萩ミて
  かへるさ
  鴨川の月をミて

  秋はきのつゆにのこしてかへりしを
  月はやとれりかものかはなミ


「秋萩の露に残して帰りしを月は宿れり賀茂の川波」。東山にわざわざ見に行くような萩の名所があったかなあ……。なんとなくではあるが、萩は萩でも、という気がしないでもない。



須川信行(1839-1917)についてはウィキ「須川信行」参照。近江高島郡の生まれ。医業から歌道へと転じた。短冊は数多く書き残しているようである。

高島市立図書館. “ものしり百科 - 先人たち - 須川信行”

e-短冊ドットコム 須川信行

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by sumus2013 | 2016-09-03 20:15 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

コンクリートピン

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今井雅洋さんより建築用のコンクリートピンが送られてきた。以前このブログで画鋲と磁石を使った紙モノの展示法を紹介したのだが、その発展形としてコンクリートピンを使うというアイデアをお教えいただいたのである。



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《接触面は小さいですが、厚さ(高さ)があるので磁束密度が高くなり、小さなマグネットで、厚みのある作品を留めることができます。ただし打ち込み部分が太く(プッシュピンくらいならば理想的ですが)、ギャラリーの壁に直接打ち込むわけにもいかず、コドバシで購入した安い写真用パネルに、つき差して展示しました。》

とのことで、展示の現場写真も同封してくださった。左から、正面から見た図、側面から見た図、そしてピン部分のクロースアップ。これはいい! 腰のしっかりした作品ならそのまま展示できるし、薄い紙でも台紙を使えばなんとかなるだろう。安いというパネルもかえってオシャレ。金属ネジクギでもできそうだが、このピンにはデザイン性もある。紙の作品はスマートでコストのかからない展示が難しい(額装はどうしてもコストと手間がかかる、展示後の収納も問題)。これは福音となるかもしれない。今井氏は「マグネフロートパネル」と名づけたそうで、下記展示では改良型を発表の予定だとか。丸Cですね。


remains blue
今井雅洋
2016年9月12日〜10月16日

クラインブルー

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by sumus2013 | 2016-08-29 20:13 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

清明節

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鈴木潤『絵本といっしょにまっすぐまっすぐ』(アノニマ・スタジオ、二〇一六年六月五日)読了。このところ紹介してきたのは少部数の入手困難な本ばかりだったが、本書は新刊書店で求められる。潤さんは言うまでもなくメリーゴーランド京都の店長。個展ではいつもお世話になっている、というか個展しませんかと誘ってくれたのも彼女である。むろん「トビラノさん」の奥さんでもある。だからよく知っているつもりだったのだが、この本を読んで驚いた。何にも知らなかった。まず、潤さん、じつに上手な文章を書く。メリーゴーランド京都店のオープン、結婚、長男誕生、その子育てがなんともスローな感じでキビキビと描かれている。潤さんの子供時代をからめながら京都の日々が語られて、いつのまにか親戚のおじさん感覚におちいってしまった。元々メリゴのブログに掲載されたもの(2008〜2013)を加筆修正したとのことで、今まで読んでいなかった自分を反省した。ほんとに面白いのです。

メリーゴーランド京都店より・・・本を読む日々


***


『陶庵夢憶』より「揚州の清明節」。清明は二十四節気の第五。四月五日頃になる。墓参りをするので掃墓節とも呼ばれ、日本でいえばお盆に相当する。

揚州では清明節になると、城内の男女は一人残らず出払って、どこの家でも墓詣りに行く。家によっては墓が数ヵ所あるにしても、その日のうちに必ず展墓をすますことになっている。だから軽車駿馬に乗り、画舫に笛太鼓を載せて、再三折り返し、往復するのを辞さぬ。門番などのような下層階級の家でも、酒肴や紙銭を携え、墓所まで行って、祭りが終ると、地上に蓆を敷いて、お供えのお下がりを飲み食いする。

 鈔関、何門、古渡橋、天寧寺、平山堂の一帯から、美しく化粧した人たちが野面を飾り、きらびやかな服装が川辺を色どる。それについて物売りが路傍に骨董古物や小児の玩具などを並べている。
 
 博徒は小さな腰掛を持ってきて、空き地に腰掛け、左右に女の肌着、上衣、半袖、薄絹の裙[スカート]、汗〓[巾+兌、ハンカチ]、銅の香炉、錫の銚子、磁器の杯、漆塗りの手箱、さては豚の肩肉、鮮魚、秋梨、福州蜜柑といったものを並べて、仲間を呼び寄せ、銭を地に投げている。》

《そんなのが何十人何百人からおって、人々は環をなして見物している。》

《長い堤の草の茂ったところでは馬を走らせ鷹を放つ。あちこちの丘では闘鶏や蹴鞠をやり、涼しい林の木蔭では阮咸[月琴]や箏を弾じ、遊び人の相撲、子供の紙鳶[たこ]あげ、老僧の因果物語、盲人の講談などが行われていて、多勢の人々が立ったり、しゃがんだりしてそれを見物している。》

《日が暮れて靄が立つと、車馬が雑踏し、お役人の家の奥方や令嬢は、車の幕をことごとく開き、腰元たちは疲れきって帰りを急ぎ、山の草花を斜めに挿[かざ]しながら、ぞくぞくと先を争って城門に入るのである。》

《あとからあとから長々と三十里近くも伸びており、いわば画家の描いた絵巻物の観がある。南宋の張択端[ちょうたくたん]は『清明上河の図』を描いて抃京[べんけい]の景物を追慕し、「西方の美人」の思いがあった。わたしとしても眼を見張って、夢想せずにおられようか。》

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by sumus2013 | 2016-08-22 20:17 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

浜宿は

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  浜宿はつるものゆれて涼しけれ
                 雨



署名は「雨」と読んだが? 作者も分らず、時代もそう前ではないと思うものの、この字が気に入っている。

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by sumus2013 | 2016-07-30 17:00 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

蛙なくや

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年初には短冊をつぎつぎ紹介したのだが、四月二十一日の保光以来途絶えていた。買えないのだから紹介できない道理。そこで短冊箱をかきまわして、かなり前に求めたものを掲げてみる。


  蛙なくや闇にをしえ〓 潭[潦]


署名は薫風園老生でいいだろう。どなたなのか不明。ようやくカムバックしたので拙い読みを披露する。〓のところは「之」か。「志」ではないかというご意見もいただいた。また下五は「」に見えるのだが、だとすれば、どう読むのだろう。ふかきふち? これも「潦(にわたずみ)」ではないかというご意見をいただいたので附記しておく。潦の意味を「たまりみづ」とする字書もあるから、あるいはこちらの方が妥当かもしれない。

鳴蛙
http://sumus.exblog.jp/18660956/

***

七月二十日の天声人語に「自信なさげ」と使われていて、ちょっと驚いた。「自信なげ」であろう。しかし、若者言葉としてならともかく、天声人語が使うのだから一般に通用していると思うしかない。ら抜き言葉もほぼ年齢に関係なくごく普通に使われているようだし、みんなが使えば正しくなる……とは言え、何が正しくて何が正しくないかも分らないのではあるが。


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by sumus2013 | 2016-07-23 20:20 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)