林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:雲遅空想美術館( 109 )

ルオー展

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『日仏文化協定発効記念 ルオー展』(東京国立博物館、読売新聞社、一九五三年一〇月一日〜一一月一〇日)図録。タテ十八センチ、本文二十四頁、カラーは表紙と本文に二点のみ。出品目録はあるが、解説等もないシンプルな構成で、昨今の分厚いばかりで内容の薄いカタログとは対照的。表紙に文字を一切入れていない、誰がデザインしたか知らないが、これはひとつの見識であろう。

ルオーが初めて大掛かりに日本で紹介された展覧会である。日本人好みの画家なのかと思っていたが、案外と戦前には紹介が少ない。福島繁太郎が熱心にコレクションしていたのが例外的だったようだ。その証拠になるかどうか、『国立西洋美術館名作選』(西洋美術振興財団、二〇一三年)のベースになっている松方コレクションにはルオー作品が見当たらない。西洋美術館といえば、まだ一九五三年にはできていなかった。よって本展覧会は国立博物館の表慶館で開催されている。

金澤清恵
日本におけるジョルジュ・ルオーの紹介、あるいはその受容について

本文巻頭の図版は「郊外のキリスト」。福島コレクションの一枚で、現在はブリヂストン美術館が所蔵する。ブリヂストンが購入したのは一九五五年だから、このルオー展の二年ほど後である。

表紙が気に入って買ったものだが、この絵をじっと見つめていて、ふと思った。浮世絵……じゃないか。というのもちょうどこんな浮世絵の絵葉書を貰ったばかりだったから。

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春頂斎北松「三代目中村歌右衛門」文政八(1825)


画面一杯に納めた顔、くっきりとしたその眉・目・口(髭)など、明らかに類似している。もちろんルオーが手にしたのは写楽のような大首絵かも知れない。これは『版元揃上方繪殷賑[はんもとぞろゑ かみがたゑのにぎわひ]』(中尾書店、二〇一六年七月二七日)六枚セットのうちの一枚。橋爪先生の企画のようだ。

《海外ではその名もずばり「OSAKA PRINTS」。大英博物館はじめ世界の美術館が収蔵する「上方絵」である。
 江戸から明治に刊行され、芝居が盛んな大阪の文化を象徴して、芝居や歌舞伎俳優の似顔を描いた役者絵が多い。人間味あふれるリアリズムと、「粋[すい]」で「はんなり」した雰囲気は、江戸の浮世絵とは異なる大阪の味わいである。
 絵師では流光斎如圭、松好斎半兵衛、春頂斎北洲、芦国、芦ゆき、歌川派の国広、貞升、国員、芳梅、芳瀧や長谷川貞信などが活躍した。
 そして「上方絵」を出版していた版元(板元)が集っていたのが心斎橋周辺だ。本コレクションも、心斎橋周辺の版元の作品を選び、店の証である版元印も掲載した。》(はしづめ・せつや)

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案外とシブイ色彩感覚である。現在の上方のイメージとは少し離れているのかもしれない。


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by sumus2013 | 2016-09-12 19:56 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

あの時みんな熱かった!

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星野画廊で開かれている「現代美術の先駆者たち・関西」(〜9月10日)を見る。一九五〇年代から六〇年代にかけてフランスなどのアンフォルメル運動に刺戟された日本の作家たちの作品、星野コレクションから選り抜き、が展示されていて当時を直接知らない者としては非常に興味深かった。例えば上の作品は須田剋太「宇宙時代の記号」(一九五九年)。須田剋太といえば司馬遼太郎とのコンビで大衆的な人気を得たのだと思うのだが、アンフォルメル時代にはこんな絵を描いていた。かなり前だが須田の大作で非常にいい抽象画を見たことがあって、もっと数を見てみたいなと思っていた。ちょうど今回の展示で七〜八点ほど並んでいた。どれも佳作だった。星野さんによると、何年か前にこの抽象のシリーズで大量の贋作が出回ったことがあったのだそうだ。贋作が登場するくらい人気があったという証拠ではあったが、そのために現在では須田のアンフォルメル作品は安くなってしまったそうだ。ということは買い時だとも言える(ただし目利きが必要)。須田以外も注目すべき作品ばかりだったのだが、やはり三上誠が抜けている。とくにここに掛かっていたのはいずれも名品だった。

星野さんから近代美術館へ移動。「あの時みんな、熱かった! アンフォルメルと日本の美術」(〜9月11日)を見る。手際よくアンフォルメルの流れを並べてみせていた。熱かった! というわりには、展示はクールだった。総花的で教科書的だったかも。もう少しマニアックに熱くてもよかったように思う。それは星野画廊に任せるということでもないだろうが、ふたつを同時に見るのがよろしい。井上有一と東松照明(「ワックスマンの胸」他)が印象に残った。三上誠も数点展示されていたものの星野画廊にあったものの方が数段良かった。

同時開催、京都のマネキン製作会社に焦点を当てた「七彩に集った作家たち」は画期的な企画だと思うが、もっとちゃんとした大きな展示にすべきだった。こじんまりとまとめてこの会社の面白さが伝わり切っていない。個人的に七彩に勤めていた人を知っているが、ユニークな人ばかりだった。せっかくの機会、そのへんもっと掘り下げてほしかった。

***

内田魯庵『蠹魚之自傳』より焚書の話をもう少し。

《昔の咄は本に限らず何でも大きいから余程割引して聞かにやアならねエ。ヂスレリー伯父さんの『文献異聞』(Curiosities of Literature)にコテコテに列べ立てた各国の焚書も丸々ウソぢやアあるめエが、四千軒の風呂屋が半年燃料[たきつけ]にして湯を沸かしても焚き尽せなかつたといふアレキサンドリヤの焚書なぞは嘘月村の鉄砲矢八の洞喝咄[ほらばなし]よりもうまく出来てる。が、五度や六度ぐれエは書物で沸かした風呂で兵隊に汗を流さしたかも知れねエ。

参考までにエル=アバディ『古代アレクサンドリア図書館』(中公新書、一九九一年)によれば、アレクサンドリア図書館には少なくとも五十万冊はあったようである(書籍と巻物を含む)。また当時の書籍の表紙は板だった可能性もあるから風呂の焚き付けにはもってこいだったかもしれない。

《何も千年二千年前の大昔の話を持出さねエだつて、ツイ先年[こねいだ]の日清日露の戦争の時にだつて本で焚火をしたり湯を沸かしたりした咄はある。宋槧本や元槧本で沸かした瓶風呂で垢を落した罰当りの中に金鵄勲章を貰つた奴があるかも知れねエ。西洋でも日本でも戦争の為め或は政治や宗教の迫害の為め亡びた書物はドレほどあるか計られ無エ。書物の破壊者として俺達よりも罪の深エのは人間の無知だが、一番暴虐な大破壊者は政治や宗教の迫害で、夫から比べると俺達のはホンのチヨツケイを出すぐれエな悪戯で罪は無エのさ。

『陶庵夢憶』のすでに紹介した三代の蔵書でも兵火で本が焼かれる話が出ていた。

《あとに残った分は、邸を占拠した方(方国安)の兵が、毎日ひき裂いては煙にし、また銭塘江の岸に舁いで行って、鎧のなかに敷いたり、矢玉を防ぐしろにしたりして、四十年間に積んだものが、これまた一日にしてことごとく失われた。》

魯庵は、いや、シミ君は、日本において政治的に抹殺された書物の代表的なものとして切支丹本を挙げてそのお門違いな弾圧をこう形容している。

《版式から云つても特異で、整板活字總括[つゝくる]めて日本の古版の王だつて家の大将なんかは褒めちぎつてる。さういふものを焼いて了うつてのは国家の為めに悪魔の使者を斬つたツモリだらうが、丁度臆病者が幻覚の為め錯迷して刀を指廻して罪もねエものに怪我させたやうなものだ。》

古版の王と言っているのは『こんてむつす・むんぢ』のことである。

こんてむつすむん地

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by sumus2013 | 2016-09-08 19:49 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

東山の萩みて

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時節向きの短冊を。須川信行作。いつだったか忘れるくらい前にヤフオクにて。これまでに短冊をネット買いしたのは二点だけ。これは東山の萩という題だけのことで最低価格に入れておいたら他に誰もビットしなかったため自動的に落ちたのだが、送料が短冊の値段の何倍もかかってしまった。


  東山の萩ミて
  かへるさ
  鴨川の月をミて

  秋はきのつゆにのこしてかへりしを
  月はやとれりかものかはなミ


「秋萩の露に残して帰りしを月は宿れり賀茂の川波」。東山にわざわざ見に行くような萩の名所があったかなあ……。なんとなくではあるが、萩は萩でも、という気がしないでもない。



須川信行(1839-1917)についてはウィキ「須川信行」参照。近江高島郡の生まれ。医業から歌道へと転じた。短冊は数多く書き残しているようである。

高島市立図書館. “ものしり百科 - 先人たち - 須川信行”

e-短冊ドットコム 須川信行

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by sumus2013 | 2016-09-03 20:15 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

コンクリートピン

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今井雅洋さんより建築用のコンクリートピンが送られてきた。以前このブログで画鋲と磁石を使った紙モノの展示法を紹介したのだが、その発展形としてコンクリートピンを使うというアイデアをお教えいただいたのである。



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《接触面は小さいですが、厚さ(高さ)があるので磁束密度が高くなり、小さなマグネットで、厚みのある作品を留めることができます。ただし打ち込み部分が太く(プッシュピンくらいならば理想的ですが)、ギャラリーの壁に直接打ち込むわけにもいかず、コドバシで購入した安い写真用パネルに、つき差して展示しました。》

とのことで、展示の現場写真も同封してくださった。左から、正面から見た図、側面から見た図、そしてピン部分のクロースアップ。これはいい! 腰のしっかりした作品ならそのまま展示できるし、薄い紙でも台紙を使えばなんとかなるだろう。安いというパネルもかえってオシャレ。金属ネジクギでもできそうだが、このピンにはデザイン性もある。紙の作品はスマートでコストのかからない展示が難しい(額装はどうしてもコストと手間がかかる、展示後の収納も問題)。これは福音となるかもしれない。今井氏は「マグネフロートパネル」と名づけたそうで、下記展示では改良型を発表の予定だとか。丸Cですね。


remains blue
今井雅洋
2016年9月12日〜10月16日

クラインブルー

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by sumus2013 | 2016-08-29 20:13 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

清明節

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鈴木潤『絵本といっしょにまっすぐまっすぐ』(アノニマ・スタジオ、二〇一六年六月五日)読了。このところ紹介してきたのは少部数の入手困難な本ばかりだったが、本書は新刊書店で求められる。潤さんは言うまでもなくメリーゴーランド京都の店長。個展ではいつもお世話になっている、というか個展しませんかと誘ってくれたのも彼女である。むろん「トビラノさん」の奥さんでもある。だからよく知っているつもりだったのだが、この本を読んで驚いた。何にも知らなかった。まず、潤さん、じつに上手な文章を書く。メリーゴーランド京都店のオープン、結婚、長男誕生、その子育てがなんともスローな感じでキビキビと描かれている。潤さんの子供時代をからめながら京都の日々が語られて、いつのまにか親戚のおじさん感覚におちいってしまった。元々メリゴのブログに掲載されたもの(2008〜2013)を加筆修正したとのことで、今まで読んでいなかった自分を反省した。ほんとに面白いのです。

メリーゴーランド京都店より・・・本を読む日々


***


『陶庵夢憶』より「揚州の清明節」。清明は二十四節気の第五。四月五日頃になる。墓参りをするので掃墓節とも呼ばれ、日本でいえばお盆に相当する。

揚州では清明節になると、城内の男女は一人残らず出払って、どこの家でも墓詣りに行く。家によっては墓が数ヵ所あるにしても、その日のうちに必ず展墓をすますことになっている。だから軽車駿馬に乗り、画舫に笛太鼓を載せて、再三折り返し、往復するのを辞さぬ。門番などのような下層階級の家でも、酒肴や紙銭を携え、墓所まで行って、祭りが終ると、地上に蓆を敷いて、お供えのお下がりを飲み食いする。

 鈔関、何門、古渡橋、天寧寺、平山堂の一帯から、美しく化粧した人たちが野面を飾り、きらびやかな服装が川辺を色どる。それについて物売りが路傍に骨董古物や小児の玩具などを並べている。
 
 博徒は小さな腰掛を持ってきて、空き地に腰掛け、左右に女の肌着、上衣、半袖、薄絹の裙[スカート]、汗〓[巾+兌、ハンカチ]、銅の香炉、錫の銚子、磁器の杯、漆塗りの手箱、さては豚の肩肉、鮮魚、秋梨、福州蜜柑といったものを並べて、仲間を呼び寄せ、銭を地に投げている。》

《そんなのが何十人何百人からおって、人々は環をなして見物している。》

《長い堤の草の茂ったところでは馬を走らせ鷹を放つ。あちこちの丘では闘鶏や蹴鞠をやり、涼しい林の木蔭では阮咸[月琴]や箏を弾じ、遊び人の相撲、子供の紙鳶[たこ]あげ、老僧の因果物語、盲人の講談などが行われていて、多勢の人々が立ったり、しゃがんだりしてそれを見物している。》

《日が暮れて靄が立つと、車馬が雑踏し、お役人の家の奥方や令嬢は、車の幕をことごとく開き、腰元たちは疲れきって帰りを急ぎ、山の草花を斜めに挿[かざ]しながら、ぞくぞくと先を争って城門に入るのである。》

《あとからあとから長々と三十里近くも伸びており、いわば画家の描いた絵巻物の観がある。南宋の張択端[ちょうたくたん]は『清明上河の図』を描いて抃京[べんけい]の景物を追慕し、「西方の美人」の思いがあった。わたしとしても眼を見張って、夢想せずにおられようか。》

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by sumus2013 | 2016-08-22 20:17 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

浜宿は

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  浜宿はつるものゆれて涼しけれ
                 雨



署名は「雨」と読んだが? 作者も分らず、時代もそう前ではないと思うものの、この字が気に入っている。

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by sumus2013 | 2016-07-30 17:00 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

蛙なくや

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年初には短冊をつぎつぎ紹介したのだが、四月二十一日の保光以来途絶えていた。買えないのだから紹介できない道理。そこで短冊箱をかきまわして、かなり前に求めたものを掲げてみる。


  蛙なくや闇にをしえ〓 潭[潦]


署名は薫風園老生でいいだろう。どなたなのか不明。ようやくカムバックしたので拙い読みを披露する。〓のところは「之」か。「志」ではないかというご意見もいただいた。また下五は「」に見えるのだが、だとすれば、どう読むのだろう。ふかきふち? これも「潦(にわたずみ)」ではないかというご意見をいただいたので附記しておく。潦の意味を「たまりみづ」とする字書もあるから、あるいはこちらの方が妥当かもしれない。

鳴蛙
http://sumus.exblog.jp/18660956/

***

七月二十日の天声人語に「自信なさげ」と使われていて、ちょっと驚いた。「自信なげ」であろう。しかし、若者言葉としてならともかく、天声人語が使うのだから一般に通用していると思うしかない。ら抜き言葉もほぼ年齢に関係なくごく普通に使われているようだし、みんなが使えば正しくなる……とは言え、何が正しくて何が正しくないかも分らないのではあるが。


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by sumus2013 | 2016-07-23 20:20 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

DADA 100

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ダダ新聞『DADA100』(Embassy of Switzerland in Japan, Art direction+design: so+ba, Alex Sonderegger+Susan Baer)。今年は一九一六年のチューリッヒ・ダダからちょうど百年ということでスイス大使館が中心となって様々な催しが展開されているようだ。


ダダ100周年フェスティバル + SPIRAL
GALLERY VOLTAIRE
ギャラリー ヴォルテール


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塚原史、五十殿利治、小野耕世、四方幸子、大田佳栄らの寄稿の他、各種引用と見取り図、年譜などがちりばめられている。引用のなかで、おお、と思ったのは

《「僕が初めてダダという言葉を聞いたのはウルトラマンのダダ星人で、ダダって宇宙からやってくるものだと思っていました」dada statement by katsuki nogami》

う〜ん、たしかに。ダダ星人が「ウルトラマン」に登場するのは第28話のようだから、昭和四十二年(一九六七)か、小生もまだ小学生であった。ダダ星人のキャラクターはよく覚えている。こんなところでダダの洗礼を受けていたとは……。

もうひとつ、マルセル・デュシャン語録より。

《The Dada movement was an anti-movement which corresponded to a need born of the first World War.》(「Appreciations of other artist : Max Ernst」)

第一次大戦がダダを生み出したことを明言している。ダダというのは第一次大戦の恐怖とやけっぱち(虚無)から生まれたのである。アートの、アートへのテロリズムだった。

第一次世界大戦はそれまでにない近代戦争だった。近代的な兵器が用いられた。ダダ発祥の地、キャバレー・ヴォルテールで、フーゴ・バルがロボットのような教皇(?)の恰好をしているのがその象徴的な姿であろうと思う(ウィキには《第一次世界大戦が始まると陸軍に志願したが、健康上の問題で入隊できなかった。ドイツのベルギー侵攻の後、彼は幻滅して「この戦争は紛れもない誤りに基づいている。人間は機械と共に混乱している。」と語った》とある)。ダダイストたちの作品に活字を用いたコラージュが多いのもまさに印刷文明の破壊を意味する(彼らがすでに活字に支配されていた証拠でもある)。ツァラはダダ詩の作り方を、まず新聞の文字を切り抜くことから始めるように指導している(method of Tristan Tzara)。

ブルトンの思想がほんとうに動き出すのはやはり第一次大戦の惨状をつぶさに体験した後である。ダダ(無意味)に気づかなければ何も生み出せない、のだろうか。

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by sumus2013 | 2016-07-18 21:32 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

夏の日々

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室生犀星『詩集いにしへ』(一條書房、一九四三年八月五日)。一條書房は昭和十八年に臼井書房と統合した。代表者は臼井喜之介。十九年に大八洲出版に再統合される(京都の主な出版社十五社の統合、代表柳原喜兵衛)。そして昭和二十年に臼井書房が再開した後も一條書房という名前は『詩風土』の初期版元としてしばらく残っていたようだ。


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本日も暑い一日だったが、神戸元町まで出かけた。戸田勝久さんの個展「POETRY FOR YOU」を見る。小品ながらじっくりと描き込まれた水彩画を中心に涼やかな扇面が何点か、タブロー二点。熱暑の昼下がり、ひととき汗を忘れる気持ちのいい展示だった。しかもそれぞれの絵には個展タイトルの通り、戸田氏愛誦の詩あるいは小説の一節が添えられている。絵と詩の対話を楽しめる仕掛け。

また、画廊の本棚には摘星書林さんが古書を出品されていて、これまたシブイものばかり。そのなかから一冊選んだのが『詩集いにしへ』ということになる。この本、題字は室生犀星だろうが、カバーの絵は誰なのか、明記されていない。


   夏の日々

 いついかなる日に
 魚の泳ぎを見んとするや
 そのすがたを描かむとするや
 山河の息はけふも匂ひて
 花のごとく過ぎてゆけども
 われふたたびその山河を見ず
 また人をも見ざるなり


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左は小生、右が戸田氏

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by sumus2013 | 2016-07-06 20:40 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

養病行遊

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七言律詩のマクリ。年初だったか、某書店にて。落款は香川景徽[御教示いただいた]、印は「景緊」「公琴」だろう。香川景とくれば香川景樹のファミリーなのかとも思うが、これまた検索してもはっきりしない。詩の方も難しい字が多くて良く読めないが、例によってめくらめっぽうで。乞御教示。

養病行遊洛水淡
春芳一転入南薫
九潮斜別千章楼
12高飛五彩雲
北海猶応傾34
東山5又6紅裙
杜鵑留後7亭夜
莫使僕帰啼向君

寄憶白8君在京

12は菱闕、34は碧甕、5封?、6破、7郵、8麟、という御教示をいただきました。なるほど、改めてお教えいただくと弁別できないほど難しい字ではない、字書の引き方を工夫しないといけないようだ。

別の方より御教示いただいた。北洛としてあったところは北海(なるほどそうですね)、杜鵤としてあったところは杜鵑(たしかに)、そして6は酔であろうと(酔か破は迷ったのです。「、」があるので酔ですか)、7の次「亭」は「寄」であろうと(ただ後書きにある寄のように「、」がないので亭かと思いました[、がなくても寄の例もありますが]、また郵亭という熟語もあります)。

なお、よくよく紙背を眺めていたらエンピツで小さく《香川公琴 大阪ノ人 小竹門人》と隅っこに書かれていた。これだけ分れば上出来だろう。

さらにデジタル版日本人名大辞典に香川琴橋が立項されている(と御教示いただいた)。

香川琴橋 かがわ-きんきょう
1794-1849 江戸時代後期の儒者。
寛政6年生まれ。安芸広島藩浪人の父北川五助(介)にしたがって大坂に出,香川子硯の養子となる。劉琴渓にまなび,家塾をひらいた。嘉永(かえい)2年10月18日死去。56歳。名は徽。字(あざな)は公琴。通称は一郎。著作に「浪華名勝帖」。


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by sumus2013 | 2016-07-02 22:06 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)