林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:雲遅空想美術館( 109 )

葉牡丹の

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 葉牡丹の裾寒う見ゆ夜は雪か
               九一
                 併題 [九一子]

           
伊丹市の柿衞文庫で「俳画のたのしみ 明治・大正・昭和編」展を見て以来、俳画についても多少の注意を払っていたが、なにしろ予算が……なもので、これというものに出会わないなあと歎いていたらこのマクリを見つけた。正月の「ほかひひと」あるいは「漫歳楽」でもあろうか。作者は飯田九一。

飯田 九一(いいだ くいち、1892年 - 1970年1月24日)は、日本の日本画家、俳人、俳諧関係資料の収集家。神奈川県橘樹郡大綱村(現在の横浜市港北区の一部)の江戸時代以来の素封家に、三男として生まれた。父・快三は、大綱村長や神奈川県議会議員を務めた人物で、飯田家の家長の名である助太夫を第11代として襲名し、海山と号した有力者であった。東京美術学校を卒業し、さらに川合玉堂の下で日本画を修行し、帝国美術院展覧会(帝展)などで作品を発表した。後には俳画に取り組み、自ら主宰する「香蘭会」で指導にあたった。1952年には第1回横浜文化賞の受賞者のひとりとなった。飯田は、松尾芭蕉、宝井其角、与謝蕪村らの真筆など、多数の短冊・色紙などからなる俳諧関係の資料を収集したが、このコレクションは神奈川県の県史編集室に寄託され、その後、神奈川県立文化資料館、神奈川県立図書館が管理して現在に至っている。》(ウィキぺディア)


画はやや弱い感じもするものの、ウィキの言う通り素人の域は出ている。淡い色調も好ましい。

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by sumus2013 | 2016-12-26 20:09 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

展覧会ポスターに見るマン・レイ展「Reflected」

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「展覧会ポスターに見るマン・レイ展「Reflected」」を京都工芸繊維大学の工芸資料館で見た。石原輝雄・純子コレクションである。

展覧会ポスターに見るマン・レイ展「Reflected」

2016-11-23 マン・レイへの廻廊[マン・レイと余白で]

およそ六十点のマン・レイ展のポスターが三室にわたってゆったりと掛け並べられているのはちょっとしたスペクタクル(見モノ)である。第一室はマン・レイが本格的に活動を始めたフランスにおける展覧会のポスター。一九五四〜八一年、十七点。いちばん広い第二室はフランス以外のヨーロッパとアメリカで開催されたポスター、一九六六〜二〇〇四年、二十六点。そして第三室が日本におけるマン・レイ展のポスター、一九八一〜二〇一〇年、十五点。

このポスター展、いろいろな見方ができる。小生はまずざっと見て、戦後においてマン・レイが有名になっていく(認められていく)過程がたどれるように思った。そういう意味では日本は一九八〇年代になってから。これは遅い評価だと言えよう。ただその後は矢継ぎ早に開催されている。そのあたりが日本流なのだろうか。

またポスター・デザインの変遷として見ても面白い。フランスのシンプルな二色刷のポスターと日本の凝りに凝ったポスターと対比してみるのも妙である。マン・レイの作品は何をとっても「絵」になる。デザイナーとしては扱いやすい作家ではないかなと思う。

上のポスターはローマで一九七五年に開催されたマン・レイ展のもの(この絵はサドの肖像)。じつはパリの古本屋で安く売っていた。これはいいと思ってお土産に持ち帰った。もちろん石原氏は所蔵しておられたが、何枚あってもいいでしょう、こういうものは。実際、ここに展示されているのは石原コレクションの全貌ではなく片鱗に違いない。まだまだ何度でも別ヴァージョンのポスター展を開催して楽しませてもらえるだろう。それはともかく本展は十六日まで! 必見です。

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帰宅途中に善行堂へちょっと寄り道。「なんか、いい本ないの?」とわがままな質問。「いい本て…」といいながら夢二表紙の『若草』などを出してくれた。いいじゃない。


***


工芸繊維大学の校内にこんな注意書き……もうほとんど実は落ちた後のようだったが、それでもいくつかブラブラしていた。

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by sumus2013 | 2016-12-01 20:08 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

山家秋

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もう十一月も終わろうとしているが、遅ればせながら今月の短冊を(淀野は別にして)。

 山家秋
 のかれ来ていは岩本の中々に
 身をおく山の秋そ悲しき 長隣

と、このように読んでみた。いは(者)岩木……かと思ったが「岩本」(巌)ではというご指摘をいただいたので、なるほどと訂正した長隣(ヘンとツクリが逆)は有賀氏。画像検索すると他にもいくつか短冊が見られる。歌人の家元だけにおそらく相当な数を残したものと思われる。

ありが(あるが) ながちか
幕末・明治の歌人。大阪の人。長雄の父。号は情新斎。歌道の家に生まれ、柿本人麿を尊崇した。明治39年(1906)歿、89才。》(コトバンク)


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by sumus2013 | 2016-11-28 20:23 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

支那服の少女

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山崎書店へ向かう前に星野画廊で開催されている「母子像名作選 そして少女たち」展を見た。亀高文子の作品が二点出品されているのでぜひ見ておきたかったのだ。「支那服の少女」(一九二五年作)と「秋果童女」(一九四〇年作)の二点、どちらもそこそこ大きな作品(十五号くらい)だったが、とくに上の「支那服の少女」が良かった。大正の自由な雰囲気が自然な感じにあらわれている。なお本展図録では「かめだか・ふみこ」と読んでいる。

『画業75年をふりかえる 亀高文子自選展』

さらに亀高文子

他にも例によって滅多に見られない珍しい作品ばかり。野田英夫の小品二点、これらも美術館モノ。いつもながら驚かされる。十二月三日まで。



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by sumus2013 | 2016-11-19 20:05 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

習文録

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皆川淇園・編次『習文録』(藤井孫兵衛、一八七六年五月一八日版権免許)バラで四冊。国会図書館で見ると藤井孫兵衛からは一〜四篇それぞれ上下があっての八冊、加えて甲乙判というものが上下二冊刊行されているようだ。読書や作文を学ぶために役立つ文章を集めて並べたアンソロジーである。皆川淇園はこのような人。

[1734~1807]江戸中期の儒学者。京都の人。名は愿(げん)。字(あざな)は伯恭。漢字の字義と易学を研究し、開物学を提唱。また、漢詩文・書画をよくした。晩年、私塾弘道館をおこした。著「名疇」「易学開物」「易原」など。》(デジタル大辞泉

1735*-1807 江戸時代中期-後期の儒者。
享保(きょうほう)19年12月8日生まれ。「易経」をもとに字義,音声,文脈の関連を研究する「開物(かいぶつ)学」を独創し,門人に教授。晩年に私学弘道館をひらく。詩文,書画にもすぐれた。弟に富士谷成章(なりあきら)。子に皆川篁斎(こうさい)。文化4年5月16日死去。74歳。京都出身。名は愿(げん)。字(あざな)は伯恭。通称は文蔵。別号に有斐斎など。著作に「名疇(めいちゅう)」「淇園詩話」など。》(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

淇園の生年だが、享保十九年十二月八日はグレゴリオ暦では一七三五年一月一日、ユリウス暦では一七三四年一二月二一日となるため見解の相違が生じているようだ。グレゴリオ暦は一年を365.2425日としユリウス暦は365.25日とするので現在では狂いの少ないグレゴリオ暦が太陽暦として用いられている。厳密に言えば一七三五年が正しい生年ということになろうか。

初篇下の巻頭に「習文録題言」として葛西欽が本書の由来を書き付けている。

《安永甲午ノ秋、欽再タヒ京師ニ来候淇園先生ノ塾ニ寓スルニ塾課ニ近コロマタ射復文ト云フモノヲ作ス、其事甚タ文ヲ習フニ便ナルヲ以テ、諸生競テコレヲ為ス、其法、漢人ノ記事百言上下ノ文ヲトリテ、コレヲ読ミテ、其読声ヲ片仮名ヲ用テ写シテ数紙トシテ、人々ニコレヲ与テ、コレニ依リテ其原文ノ字ヲ射復セシム、射復略就リテ、原文ノ字数ニ合セテ、字ヲ増減シ、増減定マリテ後、原文ニ此按シテ、其文字ノ中否ヲ校シ、中ル事多キヲ上第トシ、失スル事多キヲ下第トス

安永甲午は安永三年(一七七四)。序文の記年も同じ安永三年である。読み上げられた漢文を聞いただけで筆記する勉強法……ディクテすなわちディクテーションが淇園塾では採用されていた。その例題を集めたものを「習文録」と名づけたようである。

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皆川淇園と言えば、これも真贋については不明というか、疑わしい「葡萄図」一軸を所蔵する。署名は

 倣瑪瑙寺温日観
 筆意
  皆川節斎写 [皆川印][伯恭]

瑪瑙寺温日観は南宋から元初に活動した僧侶・画家で水墨で葡萄を描くことを得意としたそうだ。温日観の筆致を真似たという意味である。大徳寺に伝日観の葡萄図が伝わっている。

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伝日観子筆「葡萄図」二幅(明時代、大徳寺蔵)


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by sumus2013 | 2016-10-18 21:25 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

漁書小歴

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大田垣蓮月の短冊ということで求めた。傷みが激しいので安かったのだが、じつは野村美術館で開催された大田垣蓮月尼展」を見て以来どうもあやしいと思っている。蓮月尼の短冊は非常に多く出回っているところからして、もちろん多作だったことにもよるかもしれないにせよ、おそらく専門の贋作者が何人かいたに相違ない(なにしろ蓮月生前からその陶器や書画には人気があったそうだから)。だいたいこの歌もよく知られたものだし、そういうものは危ないと決まっている。

 古郷柳 

 一むらのけふかとミしハふるさとの  七十九才  
 昔のかとのやなぎなりけり     蓮月



こんな団扇もあったらしい(ネット上で発見。版画だそうだ)。
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たまたま杉本秀太郎の「漁書小歴」(『日本古書通信』746号)を読んだのでこの短冊を引っ張り出した。杉本は小林秀雄『ランボオ詩集』(創元選書、一九四八年)に刺戟され象徴派の詩集を集めはじめたのだという。

《古本屋を歩きまわっては小林秀雄、河上徹太郎の旧著を盛んに集め、詩集をあさった。》

卒論はヴァレリー論。京大を出てから伊東静雄の詩に出会いサンボリズムからしだいに解放されるようになった。

《その頃、外出すればかならず覗いた古本屋の一軒は、京都寺町通り四条下ル大雲院の門の庇を借りている店だった。一軒とかぞえるのも憚られるその店は西村書店といった。文学書だけが並べてあった。洋書もあった。
 ある日、伊東静雄の詩集『わがひとに與ふる哀歌』を棚に見つけた。生憎く、財布はからっぽ。大いそぎで帰宅し、小遣銭の前借をして取って返したが、ものの三十分ばかりのうちに売れていた。》

大雲院は以前にも触れたが富岡鉄斎の墓があったお寺(富岡鉄斎碑林)。今はたぶん高島屋の駐車場出入口(寺町側)になっているところではないかと思う。西村書店……そんな古本屋があったのだ。杉本邸は綾小路通り西洞院東入ル(四条烏丸の西、杉本家住宅)だからあわてて引き返してもたしかに半時間はかかるだろう。そんなつかの間に抜き取られるとは不運であった。

《戦後数年のうちに京都でも頻りに動いたフランス書の古書には、ヴァレリーの限定版が時折まじっていたものだが、西村書店、奥村書店などで身銭を切って買ったその種のヴァレリーも、潔ぎよく売り払った。》

奥村書店は修学院にあったようだ。杉本は三十六歳でフランスへ渡った(一九六七年)。そこで内なる日本を激しくゆさぶり覚まされた。帰国後、すすめられることがあって大田垣蓮月について本を書く約束をした。

《私はまた頻りに古本屋歩きをはじめて、蓮月尼に関する書物および尼に関連するはずだと見当をつけた書物を手当たり次第に買い集めた。興が深まるにつれて勘が冴えるのを自覚した。あそこの本屋のあの棚の見当に、しかじかの本があるにちがいない、思わぬ発見もあるにちがいないーーそう予想して行ってみると、予想どおりということがしばしば起こるのだった。あんなに楽しく愉快な月日はなかった。

蓮月尼の生前に出た歌集『海人の苅藻』が欲しいと思い竹苞楼を訪ねると

『海人の苅藻』ですか、へエ、ございます。もう故人となられた先代佐々木春隆さんは、即座に座ぶとんから尻を浮かして奥に引っ込み、しばらくして歌集を私に差し出された。蓮月さん自筆の履歴書がございまっせ。ハハア、例の鉄斎さんに示されたという履歴書ですね。拝見します。見おわってたずねた値段は些か私の分際には過ぎていた。

この履歴書はすでに知られているもので図版にもなっていた。また手許にはすでに蓮月の短冊、軸、画帖、手ひねりの花生が集っていた。《書画骨董の収集に使えるお金の余分はない身だから、履歴書は断念した。いまはどこに所蔵されているだろうか。》

佐々木竹苞楼では他にも多くの買物をしている。また《府立植物園近傍の古書店(名を失念)》で飯沼慾斎『増訂草木図説』(牧野富太郎校訂、久世通章旧蔵)を、シルヴァン書房で伊東静雄が愛蔵したのと同じ『ジョヴァンニ・セガンティーニ』画集(フォトグラフィッシェユニオン、一九一三年)を求めたそうである。『わがひとに與ふる哀歌』の詩篇はセガンティーニ画集と照応しているのだそうだ。

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by sumus2013 | 2016-10-14 20:08 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

夜の衣を返す

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高須賀優『夜の衣を返す』という小画集を頂戴した。本文34頁、表紙が付きジャケットもある。発行所や発行日の記載がないのだが、印刷は「しまうまプリント」となっている。そこのHPを見るとフォトブックも注文できるらしい。A5判一冊498円(税抜)〜とか。紙質や印刷は十分鑑賞に耐えるように思う。

高須氏を直接には存じ上げないが、装幀家で画家。どの作品もいい。本書のなかではとくにこの絵が好きだ。

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もっと作品をご覧になりたい方はこちらをどうぞ。



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by sumus2013 | 2016-10-09 21:28 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

水郷秋望

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月がかわったので短冊をひとつ取り出した。例によってよく読めない。よろしく御教示のほどを。

 水郷
  秋望

 なかめつゝ秋に□なれで年切とも
 夕くれ□□□□宇治のはし守 □


「年切」としてはみたが? タイトルは「水郷秋望」であると御教示いただいた。郷は口か江かとなやんでいたが、郷だとは思い至らなかった。望も同じく。深謝です。ということでさらなる解読を経て、目下次のように読むことになった。

 なかめつゝ秋には(盤)なれど[年][ふ](布)とも
  夕くれ□□□に(耳)宇治のはし守 節菴

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by sumus2013 | 2016-10-04 21:30 | 雲遅空想美術館 | Comments(11)

若冲筆塚

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伊藤若冲の展墓、そして筆塚の刻文を写してきたのは、旧稿を改訂するためだった。ご存知のように今もって草書を読むのに苦労しているわけだが、何しろ二十年近く前なので、初心者もいいところ、よくこんな原稿を公にしたものだと厚顔無恥にあきれる。このくらいの行書もまともに読めていないのは上掲の校正紙が示す通り。いつか直そうと思ってはいたのだが、好機を某社より頂戴したのである。

森銑三に「若冲小録」という文章があって、そこにこの碑文の引用がある。それが参考になった。昔、知っていればなあ、と思っても後の祭り。ただしその引用文にもいくつか誤りがある。実物とつきくらべてみて分った。


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そんなわけでテキストの方はほぼ確定できたが、文意がどうしてもはっきり取れないところがある。例えばこのくだり。

 初置石像肆頭 有来請画者 輙使其出一鋪資 既而厭塵土 剔顛毛

実際には写真のように一文字アキはないが、いちおう切りのいいところでアキを入れた。石像とは五百羅漢そのものか、それに似た若冲の関係した作品であろう。画を注文に来る者があると、そのたびにそれを出させて……一鋪……ひとしく(ひとつ?)敷き(?)資す(?)、すでにして塵土を淮ゐし顛毛をえぐるのに……(無理矢理読んでみました)。使其出一鋪資……ここをどう解すればいいのか。

さっそくに御教示いただいた。まったく見当外れだった。

一鋪の資に出さしむ。すでにして塵土を厭ひ顛毛を剔る

素晴らしい。塵土は世間、顛毛を剔るは「剃髪す」である(!)。厭を壓と同じと読んだのがバカだった(同じ意味もあります、言い訳がましいですが)。絵を求めに来た者に石像を売りつけて店(枡源という八百屋)の経営資金にしたという意味になるのか。剔顛毛(剃髪す)のあとにつづけて《縛菴石峰》(石峰寺に庵を結ぶ)とあるのもそれですんなりと意味がとれる。深謝です。


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by sumus2013 | 2016-09-18 18:08 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

他日偶晴

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割り合いと最近手に入れた掛軸。田能村竹田というふれこみだったが、もちろん在りえない、そんな馬鹿なという贋モノである。だから安かった。竹田にはほど遠いけれども、ちょっと面白いところもある。「憲」というサインに「竹田」印は余計なことだ。

六人の髭の老人が茶で盛り上がっているようす。本箱に肘をついたり、巻物を手にしたり、書画談義に楽しいひとときを過ごしているのだろう。


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上部の賛(?)は備忘録のようなもの。


 此月偶晴和助病而到洗竹庵
 冨上子間暇及干共淡話数回終執化筆作此
 図冨上子歓喜不斜干共采
 酒杯日暮至干夜鷄鳴不制晨


和助、洗竹庵、冨上子など固有名詞もどうもはっきりしない。この文からすれば洗竹庵の冨上子は医師でもあろうか。画を無心してやっと染筆してもらうことができ、画家とともに朝まで飲み明かした……のんきすぎて羨ましい。

なお、この軸、表具も悪くないし、何より立派な二重箱に入っている。外箱は漆塗り。絵よりも立派なので驚いたしだい。

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by sumus2013 | 2016-09-14 20:46 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)