林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:雲遅空想美術館( 118 )

和ガラスの美を求めて

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MIHO MUSEUM で「和ガラスの美を求めてーー瓶泥舎コレクション」展を見た。信楽山中、春の気配はいまだしながら日差しは和らいでいた。風は少々冷たかった。

瓶泥舎は二〇一一年に開館した伊予松山の私設美術館。大藤範典[だいとうのりさと]氏が五十年にわたって蒐集してきた和ガラスを収蔵・展示するスペースである。そのコレクションを代表する逸品がミホに並べられている。

瓶泥舎 びいどろ・ぎやまん・ガラス美術館

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ガラスというのは世界中でさまざまに造型されてきたものだ。その国国によって時代時代によって技術も趣味もかなり極端に異なっているのが面白い。

ガラスと言えば、かつてヴェネチアのムラーノ島にあるガラス博物館(Museo del Vetro murano)を訪れたときのことは忘れられない(今、その博物館のサイトを見ると、四十年前からは想像できないほど小綺麗になっているのにビックリ! そのときは小生の他には誰も観覧者はいなかった、シーズンオフだったし、たまたまのことかもしれないけれど)。ガラスの素晴らしさを改めて感じたものだ。

今展の和ガラスもそれらとはまた別の意味で息をのむ美しさである。ほとんどが江戸時代に作られた作品だという。細かく述べる余裕はないが、江戸の工芸の奧深さ、趣味の多様性(ひねりにひねっている感じか)を思い知らされた。ガラスの加工技術そのものは、そう高いレベルではない、と言うのだが、細密・精巧に作るばかりが能ではない。多少厚ぼったくてもムラがあっても(だからこそ)曰く言い難い味わいをかもしているし、大方の器にはグー(趣味)の良さを感じる。今にも壊れそうな、スリルというか、はかなさが、またよろしい。

和ガラスの美を求めてーー瓶泥舎コレクション

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by sumus2013 | 2017-03-17 20:19 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

ビーズ

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このビーズのブレスレットはパリのアフリカ・オセアニア美術館(musée national des Arts d'Afrique et d' Océanie)のミュージアム・ショップで求めたもの。一九九八年春のことだからもう十九年前になる。アフリカのどこだったか、今ちょっと忘れてしまったが、このシブ派手にすっかりまいってしまったことを思い出す。

この美術館はパリ市内の東の端、十二区、ポルト・ドレーにあった。一九三一年の植民地博覧会の会場として建てられ、その後、植民地博物館(musée des colonies)、海外フランス領博物館(musée de la France d'outre-mer)そしてアフリカ・オセアニア美術館として二〇〇三年まで使われていた。その後、ケ・ブランリ美術館(musée du quai Branly、二〇〇六年開館)ができることになったためアフリカ・オセアニア美術館の収蔵品もそちらに移された。二〇〇七年から移民歴史博物館として再開しているそうだ。

そのときちょうど閉館時間が迫っていて(時間を勘違いして遅れた)三十分くらいしか残っていなかった。小走りにその豊穣なアフリカおよびオセアニア美術の展示を見て回ったため息があがってしまったほどだった。しかし見ておいて良かった。ケ・ブランリの方がもちろんずっと規模も大きく収蔵数も桁違いなのだが(アンドレ・ブルトンのコレクションも一部はここに収まっている)、とくにアフリカ美術のまとまった展示を見たのは初めてだったので印象はずっと深いものがある。

ミュージアム・ショップも品揃えのセンスが良かった。この点でもお土産屋然としたケ・ブランリより上等だったような気がする。そこで、あれかこれか目移りしながらこのブレスレットに惹きつけられたというわけだ。直径は五センチ。なんとか小生の腕にもはまる。

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国立民族学博物館の『月刊みんぱく』四七四号(二〇一七年三月一日)ビーズ特集。だから上のブレスレットを取り出してみた。六月六日までやっているビーズの展覧会、これは見ておきたい。

開館40周年記念特別展「ビーズ―つなぐ・かざる・みせる」

《かつて、ダチョウの卵殻からできたビーズは人類が最初に作ったビーズであるといわれていた。四万年も前のことである。現在では、貝の方が古くて、一〇万年も前のことになっているが、いずれにしても、わたしたち人類が誕生してから現在まで、ビーズは存在し続けてきた。》

《世界中のビーズをみていると、人類によるものともののつなぎ方には、普遍的な特性がありそうだ。一列にして円状にするのが、どこでも基本のようである。しかし、その形は類似していても人びとはそれぞれ独自の意味づけをおこなってきた。古代エジプトでは、青緑色のファイアンスビーズが使われており、死からの再生のための祈りが込められている。チベットでは、石でできたビーズは魔除けである。数珠[じゅず]は、仏教では一〇八個をつなげることに意味をもったりするほか、イスラーム教、キリスト教のカトリックでも共通にみられ、人びとの祈りの場面には欠かせないものだ。》(池谷和信「世界はビーズでつながっている」より)

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by sumus2013 | 2017-03-07 21:25 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

長寅

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「長寅」と署名されたマクリを入手。虫食い穴(上部で鳥のように見える)もあり、きわめて安価だった。長寅というからには与謝蕪村の系統かなと思って検索してみると、どうやら名古屋のブルジョア画家・立松義寅ではないかと推察できた。

立松義寅
文化7年熱田大瀬子町生まれ。富豪・鈴木七左衛門長の八男。名は義寅、字は長寅、通称は太左衛門。号は嘉陵。幼い頃は野村玉渓について四条派を学び、のちに京都に出て松村景文に師事した。また、清水雷首の教えも受けている。中国南海の山水、名勝をさぐって研鑚につとめ、名古屋に戻り宇治川先登の図を熱田神宮に納めて画名をあげた。笠寺の富豪・立松太左衛門義民の養嗣となり、家業のかたわら画を描き、のちに名古屋市島田町に隠棲した。明治16年12月16日、74歳で死去した。名古屋四条派、松村景文の系譜

下のような義寅の絵もあるので先ず間違いないだろう。

立松義寅 擬月渓翁採芝図

言うまでもなく月渓は蕪村の弟子である。

「俳画の美 蕪村・月渓」

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印文……上は「長寅」だろうが、下は「疑…?」。

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by sumus2013 | 2017-03-03 16:44 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

新発見 花森の原画

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花森安治による雑誌『文明』(文明社)の表紙原画である。これらは某氏が古書店で求めて画像を提供してくださった。以前いくつかすでに紹介したが、今回はみつづみ書房での26日のトークにおいて全三十二点、見ていただけることになった(画像だけですが)。むろん初公開。どうぞふるってご参加いただきたい。

表紙版下だけでなく扉絵およびカットの原画も含まれる。ここではごく一部だけ紹介しておく。

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この『煙管』の扉の原画にはホワイト修正がほどこされている。参考までに印刷された扉と表紙も掲げておく。

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2017年2月26日(日曜日)
14時〜16時
【無事終了しました】

古書 みつづみ書房

古書 みつづみ書房Facebook

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by sumus2013 | 2017-02-25 20:39 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

あさ日にむかって

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昨年、入手した平野威馬雄の色紙。絵は、なんだろう。玩具? 供え物? まさか動物そのもの?


 あさ日に
 むかって
 大きな
 伸びを
   して
 しみじみと
 秋を吸う


「秋」のところKYO様に御教示いただいた。秋のヘンとツクリが逆になっているわけだ! こんな字があるとは知らなかった。

どうしてこの色紙を出して来たかというと何日か前に届いた『北方人』第二十六号(北方文学研究会、二〇一七年二月)に掲載されていた池内規行「色紙について」を読んだからである。池内氏は『人間山岸外史』(水声社、二〇一二年)などの著者。

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色紙の書き手は、青山光二、長篠康一郎(太宰治研究者)、山下肇(ドイツ文学者)、山岸外史、出隆(哲学者)、野長瀬正夫、大木実、真壁仁、坂村真民、船山馨、黒岩重吾、藤本義一、今西祐行。とくに肩書きを付けなかった人々は小説家か詩人である。むろん池内氏個人と関わりの深い作家や好みの書き手たちばかりなのだが、なかなかに渋いラインナップだ。

《最初に手にした色紙は、青山光二先生から頂いたものだった。昭和四十八年秋に青山先生とご縁が生じ、先生の住まわれる小田急線の和泉多摩川とは隣駅の登戸のアパートに住む私は、通勤の帰りに、また休日にたびたびお訪ねしたが、四十九年十二月、川越の外れに建売住宅を購入して転居した。そして、引っ越しのお祝いとして次のような色紙を贈っていただいた。

 もっとも許す
 こと多きもの
 もっとも愛す[文言は図版より] 》

その後、青山が蔵書を処分するときに田村書店を紹介して二枚もらった。月の輪書林の目録『ぼくの青山光二』に協力して月の輪さんから色紙を二枚もらい、さらに表紙に使われた「宙ぶらりんが好きだ」を購入したという。

その他、それぞれに想い出が語られていて興味深い。古書店ばかりでなくヤフオクで買った色紙があるのもまたいい。掲載図版のなかでは出隆の色紙が欲しいなあ。

***

中野美代子『三蔵法師』をボチボチ読んでいる。こんなくだりに出会ってなるほどと思ったりする。

《思い立つと、かれは仲間を募って朝廷に出国許可を求める請願書を提出した。答えは、「許さず」だった。
 そのころ、唐朝のあるじは李世民すなわち太宗になっていた。かれは、父の李淵すなわち高祖が在位中に、皇太子であった兄の李建成と、その兄に荷担していた弟の李元吉を、いわゆる玄武門の変で殺し、父に退位をせまって第二代皇帝になったのである。隨を倒し唐を興した最大の功労者であったのに、太子に立てられなかったことを不満としてのクーデターであった。

むろんこんなことは歴史上に洋の東西を問わずいくらでも転がっている話だとは思うが……。結局、玄奘三蔵は朝廷の許しを得ずに西域へ旅立つことになる。

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by sumus2013 | 2017-02-21 20:45 | 雲遅空想美術館 | Comments(4)

瓢吉庵油坊主展2

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大阪市淀川区(最寄駅は阪急の南方)の海月文庫アートスペースにて本日より開催の「瓢吉庵油坊主展2」を見る。池上博子さんの書画・ハンコなどの展覧会。バッグや洋服もキャンバスになっていた。チェッカーの赤い紙にはすべて「木」と書かれている。

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これまでに制作したハンコ(篆刻作品)を収録した印譜、七帙、勢揃い。四十年間にわたるというから、そうとうなキャリアになった。確認してみると『ARE』第十号で池上さんのハンコを紹介させてもらったのは一九九八年だ。う〜む、もう二十年になろうとしている。二十二日まで。お近くの方はぜひ。古本の品揃えもいいですよ、驚いた。また行こう。

海月文庫 Facebook

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by sumus2013 | 2017-02-16 19:52 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

安井巳之吉日記より

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安井巳之吉「蕪図」一九二六年



『劉生と京都』図録に収録されている安井巳之吉日記より、大正末頃の京都生活をほうふつとさせる描写などを引用しておきたい。「戔」としたところ実際は略字(横三本線の)になっている。

大正十四年

十月二十二日《午後岸田方へ出かけた、もう町は大そうな人出である、(時代祭行列)を見る為の人出だ。寺嶋氏が来たので、奥さんと三人して西本願寺の飛雲閣(桃山時代腱[ママ]築)を見に出かける、仲々の人出で、行列も電車の中にて見ることが出来た。飛雲閣の建築には驚ろいた、実に立派なものだ他に妙法院等行きたく思ってゐたが、時間の都合で後日にして京極の料理店にて、天丼を食す》

十一月一日《十一時頃出かけて京都座に行く、つまらぬ舞踊等多くありたり、天華はさすがにいゝと思った。大そうな人出であった。四條から電車で帰る、食後しばらくして余帰宿す、奥さんは村田氏と出られたと言ふ、余は麗子をつれて京都座に行ったわけである。》

天華は松旭斎天華、奇術師である。

十二月二日《今日家から金を送って来た、五円の金だが実に感謝すべきだ、皆懸命に働いてくれる金だから、つまらぬところあれこれ費やすことは出来ない。そう思ひながらも今日村上があまり行きたがっていゐ[ママ]るので松竹座にて活動を見、石井バク氏、石井小浪氏のダンスを見たが、どうしても自分にはわからないのか知らぬが、いゝものと思えなかった、活動は皆見るにあまり面白くもなく、力抜けのしたものであった、今日送ったき[ママ]来た金は、之と、絵具一色、(前から欲しいとねがってゐたもの)スケッチ板二枚を求めた、絵具が上がってゐるので全く平伏する》

松竹座は近年まで新京極通りにあった。石井バクは石井漠。モダンダンスの先駆者。

十二月二十日《夕頃村上と二人で散歩に行く、日頃なじみの絵具店にて村上が一度家に帰って又来るまでこゝに待つことにした、今日は此の店には客人が多い。仲々忙しくしてゐる、全くくだらなぬ絵がウインドに並べてあった、長く待ってゐたあげくもう帰ろうかと思った頃村上がやって来た、或る画商(三條通りの三角堂)の店に出てゐる絵を見てゐると、かたわらで、セキをした男があった、聞きおぼえがあるなあと思って見ると山岸兄であった、互いに驚ろく、十字屋楽器店にて楽譜を求む、画戔堂にて山岸兄絵具を求む、ビックリキツネとか言ふものを食べる、その大きいのに平[ママ]かうした、山岸兄の用事にて再びアオイヤに行く、四條にて村上に別れ自分は山岸兄と一しょに先生方に行く、もう大分おそかった、先生は床に入っておられた、明日は先生日本画を描かれるので、行くことにした、十二時頃帰る》

画材店の画箋堂は今も健在。アオイヤも画材店のようだ。

十二月二十七日《今日は割引券を持って五十戔で三等に入ることが出来た、始めの映画は全くくだらないものであった、二番のキッドは面白いところもあるが、只笑ってすませる様なものである、三番にやった、フヤバンクスのロビンフットは只見にはあれでよかる別に大して感心したところもなかった、松竹を出て寺町にて村上に別れる》

大正十五年

一月十日《朝起きてみると京都ではまれに見る大雪だった、一尺位はあったと思はれる、寒さは非常なものであった。》

一月十九日《家から金五円を送って来たのでうれしかった、全く感謝にたえない》《今日岸田奥さんとマキノキネマへ活動を見に行く約束あった為早く村上の家を切り上げて、絵具を求め直ぐ岸田方に行く、村上も今日来てゐたわけである、奥さんと二人で行ったころは大分おそくて、もう、目的のチャップリンのゴールドラツシは半ば終ってゐた、がチャップリンの骨ケイ[ママ]は仲々いゝ。近代ではチャップリンは一とう上手であらふ旧劇は面白なかった、佐竹の奥さんが来ておられた、帰りに、スシ屋に入り、味よいところを食し、十一時半頃岸田方に帰る》

京都マキノシネマ、西陣にもあったようだが、ここは新京極通りの小屋か。

一月二十五日《朝九時頃起きる、骨董屋へ行き、先生が買はれた、机とジク物を持って来た、机は古くて仲々いゝものである》

一月三十日《文房堂から送ってきた、ボールドカンパスを取りに郵便局に出かけた、見ると仲々いゝカンパスである、昨日の六号静物を描く、午后から村上を訪問した》

文房堂は神田の画材店。健在。

二月十四日《今日は春陽展出品画の最後の制作である、朝から夕頃まで腱命[ママ]にやった、夕頃運送店に行き絵を送る、冬瓜の絵を出品しようか、しまいかと大そう気にしたが意を決して出すことにした》

岸田劉生は大正十四年四月すでに春陽会は退会していたが、やはり出すとすれば春陽会ということになるのだろう。

二月二十日《朝九時頃まで眠った、午後麗子のベン當を持って行った帰りに岡崎公園を歩む、陳列館の庭から蹴上の山を見たところが、描いたらさぞ面白いと思った》《余も早く床につく、麗子に猫の話しや、雑誌苦楽に出てゐる、きみ悪い絵をみせて、こはがらせた、皆今日は早く床につく、》

二月二十三日《朝起きて京極の風景(小品油絵)を描く》《夕頃から出かける、一しょに来る、京極でチョットした鉛筆村上西角スケッチをした、祇園にて花を買って先生方へ出かける》

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安井巳之吉「京都京極夜景の図」一九二五年


二月二十六日《十時頃から、村上、西角の三人で余の宿に出かけた、三人して郊外写生をやった、水彩をやったが思はしく出来なかった、夕近くから松竹座へ活動を見に行く、つまらぬ映画ばかりだったが、面白かった、十時頃画戔堂で絵具を求む、(今日金を送って来てゐた)》

三月十六日《運送屋が早くから来てくれて萬事よくしてくれて非常によかった。皆かたづいたが、下宿で一人居るのが淋しかった》《村上を訪ふ、ちょうど帰って来て居た、西角と二人で活動へ行ってゐた、帰ってゐるから今日国へ立つことは止めにして、一晩ゆっくり最後として話し合ひ明日帰ることにした、今日彼の父と能のこと等話し合って非常に面白かった、村上と東京のこと等、展会のこと等も話し合った、 山本斯光が自分の絵をほめて居た、(東京毎夕新聞に)

晩おそくまで村上と話す、花合せをしたり、寝静った[ママ]頃、腹がすいて、茶づけのゴハンはうまかった、明日は晝中に色々歩いて晩帰ることにしてゐる。》

巳之吉としてはこのままいっしょに劉生たちと鎌倉へ行って、勉強を続けたかったようだが、親の意向で帰郷することになった。まじめで心優しい青年であった。

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by sumus2013 | 2017-02-14 21:27 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

安井巳之吉

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安井巳之吉(やすいみのきち)「自画像」(個人蔵)。『劉生と京都』図録より。経歴を引用しておく。

《一九〇五(明治三十八)年に、現在の石川県小松市打越町で生まれました。生家は造り酒屋で、石川県立工業学校図案科を卒業後、地元での洋画研究ののち、京都に居た劉生に弟子入りを希望、劉生から「鯛を二尾描いてみよ」との課題を出されたのち、入門を許されたようです。》(篠雅廣)

後に古市家に入り古市巳之吉と名乗る。その長男古市俊郎氏のもとに日記や作品、写真などが保存されていた。

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巳之吉は後列左から二番目。書生の山岸青年は後列右端。


巳之吉日記より、まずは書店、古本屋などの記述を拾ってみる。

大正十四年

八月二十二日《町へ出て材料を求めやうとしたが之とていゝものもなし、書店で女性雑誌を見る、買ひたく思った改造も欲しく思ひたり、今日は一日読書で過した ドストフエスキー[ママ]著の罪と罰だ、仲々しっかりした頭脳を持って居た人と思ふ、仲々の大作だ》

九月七日《今日家の用事で町に出た、書店をのぞいてアトリエ、不二、雑誌を見る、武者さんの六号雑誌をひろい読みして見たが面白いことが書いてあった》

九月二十一日《午後骨董屋、古本屋に遊ぶいゝもの一ッとしてなし、仲々歩む、とある、本屋にて古き絵本を求む、安いから買っておいた、銀壺堂で高光氏に合う

九月二十八日《朝早く岸田へ行く》《相変らず朝起きのおそい家だ、先生今東京だと言ふ、山岸君と二階にて先生のビワの静物を見る、まだ出来上がりでないと言ふ、面白い色彩だ、八号の画布に描かれたものだ、村田氏見ゆ、山岸兄と二人で、町を散歩に出る、古本屋を見たりした、美術倶楽部で多くの古本等を見る、大して欲しいと思ふものもなかった、京極、四條通り、丸山公園を通って帰った、ちょうど土屋さんが見えてゐた、まだ若い人らしい、先生の唐画等山岸兄と出して見せる、熱心にみてゐた、久しぶりで見えたので大へんよかった、晩に麗子が活動写真をやった小さいので、動く音がはげしいが、可愛ものだ

活動写真…これはパテーベビーのことだろうか。劉生宅にもあったわけだ。

十月十四日《二人で古本屋を見る、十竹斎のものを大そう欲しがり、いゝものだと言ってゐた。大分歩いた。幸いにいゝ写真版(絵巻物と思ふ)を手にいれたのでうれしい。動物園前にて別れその足で岸田方へ行く、先生留守なり、市野のこと山岸兄に話す》

十月十六日《午後市野君のところへ行く、二人で岸田方へ出かけた先生在宅。先生あまり軸物は見せてくれなかった、五六冊の本を見せたり、自分が行ったのを幸ひ先生日本画を描くと言ふ、下村氏見えたり久ぶりで合ひ、今度訪問することにした松田とか言ふ客人あり佐竹さんも、見えたり、先生達腕をふるひ、今日の間に十三枚の小品が出来た皆仲々いゝものばかりである》

昨日取り上げた巳之吉の父親へ宛てた手紙ことも出ている。大正十五年。

三月三十日《先生から手紙が来てゐると父が言ふ。》《手紙を見るに、奥さんは産のため入院中、書生は初めての人で、先生が都合が悪いため余に来てくれと言ふのであった、自分は今日はどうすると定まらず、明日は何を描かうと思ふ。》

「書生は初めての人」とあるのは帰国した山岸の代わりに犬養という青年が来ていたことを指すようだ。手紙にはそうは書かれていないけれど。

四月一日《京都から帰って画室を飾ったが、まもなく先生方へ出かけねばならないことになったのだ。しかし鎌倉の先生方へ行けることは喜だ、こんな仕幸せを二度とはないと思ふ。先生の絵は見れるし、いゝ風景の場所も描けるのだ》

そして四月三日、鎌倉に到着。巳之吉はふたたび岸田家の面々と再会して幸せを感じ、男児の誕生を喜び、鎌倉の風景も気に入った様子で《鎌倉に来て見ると大そう静かです、何だか永住して見たい、気である》と国の友達に手紙を書いている。

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by sumus2013 | 2017-02-13 21:30 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

日本の表装

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京都文化博物館で「日本の表装」展を見てきた。いろいろ凝った表装のサンプルが並んでいたのは非常に面白かった。ただ表具が勝って絵が引き立たないという例も多かったような気がする(表装がこの展覧会の主役だから当然かもしれないが、表装ばかり目立つというのもねえ)。

日本の表装 ―掛軸の歴史と装い―

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これは伝牧谿の「布袋図」(南宋時代、十三世紀)。このキンランドンス(かどうか詳しくは知らないが印金かも)の眩しさはどうもいただけない。絵は、牧谿作かどうかはさておき、微妙な墨のタッチにヒューモアも漂う佳作だと思う。布袋の絵は無数にある。しかしこれほどのものは稀だろう。牧谿でないとしてもかなりの描き手には違いない。表装の意匠は善阿弥とのこと。牧谿が神格化されていた表れかもしれない。

「京都府新鋭選抜展2017」もざっと見たが、これもなかなか良かったんじゃないかなと思う。京都らしさと、そこから抜け出ようとする意欲が同時に感じられた。

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by sumus2013 | 2017-02-01 20:58 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

春の野の若菜つむとて

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市内の某書店でこのマクリを入手した。「心月輪」の拓本も以前紹介したことがあるが、それを買ったのとは別の店である。


落款も何もないので誰の作だか判断しようがない。和歌は良寛作、画も良寛の肖像であろう(良寛の「自画像賛」に似せている)。検索してみると

 春の野の若菜つむとて鹽法の坂のこなたにこの日暮らしつ

という良寛の歌がある。それをガイドにここに書かれている仮名を漢字で表記してみる。

 波流能々々和閑奈
 川無東天志保乃利
 能散可己那堂丹
 己能悲久□□

元歌からすればとしたところは順に、能、良、之or志、かなと思うが、どうなのだろう。肖像画の筆使いはよどみがない。それに比して文字の方は心もとないようだ。鹽法(しほのり)は地名? 他に以下の歌もある。

 さきくてよ鹽法坂を越えて来ん山の櫻の花のさかりに

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by sumus2013 | 2017-01-30 20:48 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)