林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:雲遅空想美術館( 103 )

瓢吉庵油坊主展2

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大阪市淀川区(最寄駅は阪急の南方)の海月文庫アートスペースにて本日より開催の「瓢吉庵油坊主展2」を見る。池上博子さんの書画・ハンコなどの展覧会。バッグや洋服もキャンバスになっていた。チェッカーの赤い紙にはすべて「木」と書かれている。

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これまでに制作したハンコ(篆刻作品)を収録した印譜、七帙、勢揃い。四十年間にわたるというから、そうとうなキャリアになった。確認してみると『ARE』第十号で池上さんのハンコを紹介させてもらったのは一九九八年だ。う〜む、もう二十年になろうとしている。二十二日まで。お近くの方はぜひ。古本の品揃えもいいですよ、驚いた。また行こう。

海月文庫 Facebook

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by sumus2013 | 2017-02-16 19:52 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

安井巳之吉日記より

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安井巳之吉「蕪図」一九二六年



『劉生と京都』図録に収録されている安井巳之吉日記より、大正末頃の京都生活をほうふつとさせる描写などを引用しておきたい。「戔」としたところ実際は略字(横三本線の)になっている。

大正十四年

十月二十二日《午後岸田方へ出かけた、もう町は大そうな人出である、(時代祭行列)を見る為の人出だ。寺嶋氏が来たので、奥さんと三人して西本願寺の飛雲閣(桃山時代腱[ママ]築)を見に出かける、仲々の人出で、行列も電車の中にて見ることが出来た。飛雲閣の建築には驚ろいた、実に立派なものだ他に妙法院等行きたく思ってゐたが、時間の都合で後日にして京極の料理店にて、天丼を食す》

十一月一日《十一時頃出かけて京都座に行く、つまらぬ舞踊等多くありたり、天華はさすがにいゝと思った。大そうな人出であった。四條から電車で帰る、食後しばらくして余帰宿す、奥さんは村田氏と出られたと言ふ、余は麗子をつれて京都座に行ったわけである。》

天華は松旭斎天華、奇術師である。

十二月二日《今日家から金を送って来た、五円の金だが実に感謝すべきだ、皆懸命に働いてくれる金だから、つまらぬところあれこれ費やすことは出来ない。そう思ひながらも今日村上があまり行きたがっていゐ[ママ]るので松竹座にて活動を見、石井バク氏、石井小浪氏のダンスを見たが、どうしても自分にはわからないのか知らぬが、いゝものと思えなかった、活動は皆見るにあまり面白くもなく、力抜けのしたものであった、今日送ったき[ママ]来た金は、之と、絵具一色、(前から欲しいとねがってゐたもの)スケッチ板二枚を求めた、絵具が上がってゐるので全く平伏する》

松竹座は近年まで新京極通りにあった。石井バクは石井漠。モダンダンスの先駆者。

十二月二十日《夕頃村上と二人で散歩に行く、日頃なじみの絵具店にて村上が一度家に帰って又来るまでこゝに待つことにした、今日は此の店には客人が多い。仲々忙しくしてゐる、全くくだらなぬ絵がウインドに並べてあった、長く待ってゐたあげくもう帰ろうかと思った頃村上がやって来た、或る画商(三條通りの三角堂)の店に出てゐる絵を見てゐると、かたわらで、セキをした男があった、聞きおぼえがあるなあと思って見ると山岸兄であった、互いに驚ろく、十字屋楽器店にて楽譜を求む、画戔堂にて山岸兄絵具を求む、ビックリキツネとか言ふものを食べる、その大きいのに平[ママ]かうした、山岸兄の用事にて再びアオイヤに行く、四條にて村上に別れ自分は山岸兄と一しょに先生方に行く、もう大分おそかった、先生は床に入っておられた、明日は先生日本画を描かれるので、行くことにした、十二時頃帰る》

画材店の画箋堂は今も健在。アオイヤも画材店のようだ。

十二月二十七日《今日は割引券を持って五十戔で三等に入ることが出来た、始めの映画は全くくだらないものであった、二番のキッドは面白いところもあるが、只笑ってすませる様なものである、三番にやった、フヤバンクスのロビンフットは只見にはあれでよかる別に大して感心したところもなかった、松竹を出て寺町にて村上に別れる》

大正十五年

一月十日《朝起きてみると京都ではまれに見る大雪だった、一尺位はあったと思はれる、寒さは非常なものであった。》

一月十九日《家から金五円を送って来たのでうれしかった、全く感謝にたえない》《今日岸田奥さんとマキノキネマへ活動を見に行く約束あった為早く村上の家を切り上げて、絵具を求め直ぐ岸田方に行く、村上も今日来てゐたわけである、奥さんと二人で行ったころは大分おそくて、もう、目的のチャップリンのゴールドラツシは半ば終ってゐた、がチャップリンの骨ケイ[ママ]は仲々いゝ。近代ではチャップリンは一とう上手であらふ旧劇は面白なかった、佐竹の奥さんが来ておられた、帰りに、スシ屋に入り、味よいところを食し、十一時半頃岸田方に帰る》

京都マキノシネマ、西陣にもあったようだが、ここは新京極通りの小屋か。

一月二十五日《朝九時頃起きる、骨董屋へ行き、先生が買はれた、机とジク物を持って来た、机は古くて仲々いゝものである》

一月三十日《文房堂から送ってきた、ボールドカンパスを取りに郵便局に出かけた、見ると仲々いゝカンパスである、昨日の六号静物を描く、午后から村上を訪問した》

文房堂は神田の画材店。健在。

二月十四日《今日は春陽展出品画の最後の制作である、朝から夕頃まで腱命[ママ]にやった、夕頃運送店に行き絵を送る、冬瓜の絵を出品しようか、しまいかと大そう気にしたが意を決して出すことにした》

岸田劉生は大正十四年四月すでに春陽会は退会していたが、やはり出すとすれば春陽会ということになるのだろう。

二月二十日《朝九時頃まで眠った、午後麗子のベン當を持って行った帰りに岡崎公園を歩む、陳列館の庭から蹴上の山を見たところが、描いたらさぞ面白いと思った》《余も早く床につく、麗子に猫の話しや、雑誌苦楽に出てゐる、きみ悪い絵をみせて、こはがらせた、皆今日は早く床につく、》

二月二十三日《朝起きて京極の風景(小品油絵)を描く》《夕頃から出かける、一しょに来る、京極でチョットした鉛筆村上西角スケッチをした、祇園にて花を買って先生方へ出かける》

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安井巳之吉「京都京極夜景の図」一九二五年


二月二十六日《十時頃から、村上、西角の三人で余の宿に出かけた、三人して郊外写生をやった、水彩をやったが思はしく出来なかった、夕近くから松竹座へ活動を見に行く、つまらぬ映画ばかりだったが、面白かった、十時頃画戔堂で絵具を求む、(今日金を送って来てゐた)》

三月十六日《運送屋が早くから来てくれて萬事よくしてくれて非常によかった。皆かたづいたが、下宿で一人居るのが淋しかった》《村上を訪ふ、ちょうど帰って来て居た、西角と二人で活動へ行ってゐた、帰ってゐるから今日国へ立つことは止めにして、一晩ゆっくり最後として話し合ひ明日帰ることにした、今日彼の父と能のこと等話し合って非常に面白かった、村上と東京のこと等、展会のこと等も話し合った、 山本斯光が自分の絵をほめて居た、(東京毎夕新聞に)

晩おそくまで村上と話す、花合せをしたり、寝静った[ママ]頃、腹がすいて、茶づけのゴハンはうまかった、明日は晝中に色々歩いて晩帰ることにしてゐる。》

巳之吉としてはこのままいっしょに劉生たちと鎌倉へ行って、勉強を続けたかったようだが、親の意向で帰郷することになった。まじめで心優しい青年であった。

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by sumus2013 | 2017-02-14 21:27 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

安井巳之吉

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安井巳之吉(やすいみのきち)「自画像」(個人蔵)。『劉生と京都』図録より。経歴を引用しておく。

《一九〇五(明治三十八)年に、現在の石川県小松市打越町で生まれました。生家は造り酒屋で、石川県立工業学校図案科を卒業後、地元での洋画研究ののち、京都に居た劉生に弟子入りを希望、劉生から「鯛を二尾描いてみよ」との課題を出されたのち、入門を許されたようです。》(篠雅廣)

後に古市家に入り古市巳之吉と名乗る。その長男古市俊郎氏のもとに日記や作品、写真などが保存されていた。

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巳之吉は後列左から二番目。書生の山岸青年は後列右端。


巳之吉日記より、まずは書店、古本屋などの記述を拾ってみる。

大正十四年

八月二十二日《町へ出て材料を求めやうとしたが之とていゝものもなし、書店で女性雑誌を見る、買ひたく思った改造も欲しく思ひたり、今日は一日読書で過した ドストフエスキー[ママ]著の罪と罰だ、仲々しっかりした頭脳を持って居た人と思ふ、仲々の大作だ》

九月七日《今日家の用事で町に出た、書店をのぞいてアトリエ、不二、雑誌を見る、武者さんの六号雑誌をひろい読みして見たが面白いことが書いてあった》

九月二十一日《午後骨董屋、古本屋に遊ぶいゝもの一ッとしてなし、仲々歩む、とある、本屋にて古き絵本を求む、安いから買っておいた、銀壺堂で高光氏に合う

九月二十八日《朝早く岸田へ行く》《相変らず朝起きのおそい家だ、先生今東京だと言ふ、山岸君と二階にて先生のビワの静物を見る、まだ出来上がりでないと言ふ、面白い色彩だ、八号の画布に描かれたものだ、村田氏見ゆ、山岸兄と二人で、町を散歩に出る、古本屋を見たりした、美術倶楽部で多くの古本等を見る、大して欲しいと思ふものもなかった、京極、四條通り、丸山公園を通って帰った、ちょうど土屋さんが見えてゐた、まだ若い人らしい、先生の唐画等山岸兄と出して見せる、熱心にみてゐた、久しぶりで見えたので大へんよかった、晩に麗子が活動写真をやった小さいので、動く音がはげしいが、可愛ものだ

活動写真…これはパテーベビーのことだろうか。劉生宅にもあったわけだ。

十月十四日《二人で古本屋を見る、十竹斎のものを大そう欲しがり、いゝものだと言ってゐた。大分歩いた。幸いにいゝ写真版(絵巻物と思ふ)を手にいれたのでうれしい。動物園前にて別れその足で岸田方へ行く、先生留守なり、市野のこと山岸兄に話す》

十月十六日《午後市野君のところへ行く、二人で岸田方へ出かけた先生在宅。先生あまり軸物は見せてくれなかった、五六冊の本を見せたり、自分が行ったのを幸ひ先生日本画を描くと言ふ、下村氏見えたり久ぶりで合ひ、今度訪問することにした松田とか言ふ客人あり佐竹さんも、見えたり、先生達腕をふるひ、今日の間に十三枚の小品が出来た皆仲々いゝものばかりである》

昨日取り上げた巳之吉の父親へ宛てた手紙ことも出ている。大正十五年。

三月三十日《先生から手紙が来てゐると父が言ふ。》《手紙を見るに、奥さんは産のため入院中、書生は初めての人で、先生が都合が悪いため余に来てくれと言ふのであった、自分は今日はどうすると定まらず、明日は何を描かうと思ふ。》

「書生は初めての人」とあるのは帰国した山岸の代わりに犬養という青年が来ていたことを指すようだ。手紙にはそうは書かれていないけれど。

四月一日《京都から帰って画室を飾ったが、まもなく先生方へ出かけねばならないことになったのだ。しかし鎌倉の先生方へ行けることは喜だ、こんな仕幸せを二度とはないと思ふ。先生の絵は見れるし、いゝ風景の場所も描けるのだ》

そして四月三日、鎌倉に到着。巳之吉はふたたび岸田家の面々と再会して幸せを感じ、男児の誕生を喜び、鎌倉の風景も気に入った様子で《鎌倉に来て見ると大そう静かです、何だか永住して見たい、気である》と国の友達に手紙を書いている。

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by sumus2013 | 2017-02-13 21:30 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

日本の表装

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京都文化博物館で「日本の表装」展を見てきた。いろいろ凝った表装のサンプルが並んでいたのは非常に面白かった。ただ表具が勝って絵が引き立たないという例も多かったような気がする(表装がこの展覧会の主役だから当然かもしれないが、表装ばかり目立つというのもねえ)。

日本の表装 ―掛軸の歴史と装い―

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これは伝牧谿の「布袋図」(南宋時代、十三世紀)。このキンランドンス(かどうか詳しくは知らないが印金かも)の眩しさはどうもいただけない。絵は、牧谿作かどうかはさておき、微妙な墨のタッチにヒューモアも漂う佳作だと思う。布袋の絵は無数にある。しかしこれほどのものは稀だろう。牧谿でないとしてもかなりの描き手には違いない。表装の意匠は善阿弥とのこと。牧谿が神格化されていた表れかもしれない。

「京都府新鋭選抜展2017」もざっと見たが、これもなかなか良かったんじゃないかなと思う。京都らしさと、そこから抜け出ようとする意欲が同時に感じられた。

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by sumus2013 | 2017-02-01 20:58 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

春の野の若菜つむとて

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市内の某書店でこのマクリを入手した。「心月輪」の拓本も以前紹介したことがあるが、それを買ったのとは別の店である。


落款も何もないので誰の作だか判断しようがない。和歌は良寛作、画も良寛の肖像であろう(良寛の「自画像賛」に似せている)。検索してみると

 春の野の若菜つむとて鹽法の坂のこなたにこの日暮らしつ

という良寛の歌がある。それをガイドにここに書かれている仮名を漢字で表記してみる。

 波流能々々和閑奈
 川無東天志保乃利
 能散可己那堂丹
 己能悲久□□

元歌からすればとしたところは順に、能、良、之or志、かなと思うが、どうなのだろう。肖像画の筆使いはよどみがない。それに比して文字の方は心もとないようだ。鹽法(しほのり)は地名? 他に以下の歌もある。

 さきくてよ鹽法坂を越えて来ん山の櫻の花のさかりに

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by sumus2013 | 2017-01-30 20:48 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

ヴァージリア

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「VIRGILIA」(CORIOLANUS Act.5)のエッチングを入手。原画はアレクサンダー・ジョンストン(Alexander Johnston , 1815–1891)。エジンバラ生まれでロンドンのロイヤル・アカデミーで学んだ。歴史画、肖像画を得意としたそうだ。彫版師は「H.Austin」、詳細は不明ながら十九世紀に多くの銅版画を製作していたようである。

独特な階調を出すための点描技法(ハーフトーン)がとにかく凄い。

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「ヴァージリア」はウィリアム・シェイクスピア後期の劇作『コリオレイナス The Tragedy of Coriolanus』に登場するコリオレイナスの貞淑な妻である。『コリオレイナス』は一六〇八年頃執筆と言われ(諸説あり)、生前には上演されたという記録はない。その粗筋をざっと述べておく。

ローマの貴族ケイアス・マーシアスは無敵の将軍だったが、軍務につけない貧民たちに穀物の支給をストップした。その仕打ちに怒った民衆は暴動を起こす。ところがちょうどそのときにヴァルサイ人でマーシアスの仇敵タラス・オーフィディアスの襲撃がありマーシアスは出陣、一騎打ちによって優勢のうちにオーフィディアスを退け、その軍功によってコリオレイナスの称号を得た。

コリオレイナスは母のすすめにより執政官の選挙に出馬するが、就任に反対する民衆の暴動にまたもやみまわれる。彼は民衆の政治への参加に公然と反対し、民衆をののしったため反逆罪でローマから追放になってしまう。そしてこともあろうにオーフィディアスの側についてローマを攻撃してくるのである。

無敵の将軍が敵になってはひとたまりもない。ローマは混乱に陥る。コリオレイナスの母と妻(つまりヴァージリア)や子供らが説得に出かける。母の嘆願に心を動かされたコリオレイナスは独断でローマと和平を結んだ。ところがそれによってオーフィディアスの怒りを買いコリオレイナスは暗殺されてしまうのであった。

ヴァージリアはコリオレイナスの愛妻。血に餓えた義母と違って夫が戦争に出るのを嫌った。しかしその気持ちを表に現さない。十七世紀のシェイクスピア劇の観客にとって彼女は「理想の女性」であったようだ。貞節で、従順で、とくに重要なのは、口数が少ない(silent)こと……。(http://www.shmoop.com/coriolanus/virgilia.html

ジョンストンは十九世紀の人間だからこういう風な顔立ちになるのかもしれないが、なんともその目が大きい……日本の少女漫画に近いものがある。



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by sumus2013 | 2017-01-22 17:40 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

青山二郎像

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『中川一政生誕120年記念展「中川一政芸術の黎明」』図録(白山市立松任中川一政記念美術館、二〇一三年九月一四日)より「青山二郎像」。均一箱にて。中川一政かあ……と思いつつめくってみるとこの肖像画に目を射られた。こんな絵を描いていたんだ! 当時、青山は二十一歳、中川は二十九歳である。大正十一年五月の制作となっているが『純正美術』第二巻第三号(純正美術社、一九二二年三月)にこの絵はすでに掲載されていた。

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タイトルは「肖像」だった。ただし上の写真と比較してみれば分るように図版として掲載された後でかなり手を入れたようだ。顕著なのは髪型。洋服もかなり変えたか。

モデルになる約束をした直後の青山から中川に宛てた葉書も掲載されている。その文面を引き写しておく。大正十年十一月十日付。青山は句読点を使っていない。

《昨夜は失禮致しました 餘り僕が小供だつたので失望なされたでせう来月モデルになること非常に楽しみにして待つて居ります
今日流逸荘の帰り清泉堂に寄つてお話した筆未だあるか見ましたところ皆テンの筆は賣切れになつてゐて残念しました併し二度目に著いた方の荷の中に細いものでしたがテンがあつたので中で一番太いのが一本ありましたから取つて置きました文房堂に行つてみましたがそれより細いもの許りでした三越にいつて見る心算ですーーそんなわけで清泉堂へ無駄足なさらぬうち一寸申し上げて置きます
 また来月お目にかゝれるのを楽しみにしております いづれ》

後年の諧謔に満ちた青山節は微塵も感じさせない素直な文面にまず驚かされる。中川一政への傾倒というか尊敬の念も伝わってくる。またこの当時から青山は絵を描くことへの情熱を持っていたのだということもよく分る(中川のためかもしれないが貂の画筆を探して画材店の梯子をするというのはやはり同じ情熱を分かち合いたかったのであろう)。晩年の青山の油絵がどことなく草土社風なのはこういう青年時代を経ていたからなのであろう。肖像画にそのナイーフさがまっすぐに表れている。目がキラキラ輝いている。

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by sumus2013 | 2017-01-20 20:51 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

瀧口修造・岡崎和郎二人展

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冷え込んだ一日だった。空模様もやや怪しかったのだが、思い切ってマルセル・デュシャン生誕130年記念「瀧口修造・岡崎和郎二人展」(http://www.ozasahayashi.com)へ向う。堀川一条の晴明神社(https://www.seimeijinja.jp)を目標にして。ここは前にも来たことがあるので問題なく到着したのだが、しかし西陣織会館というのがすぐに分らずぐるりとその辺りをひと回りしてしまう。結局今出川通りの方から入って古いビルの南西角にようやくのことでたどり着いた。普通に考えてギャラリーがあるような場所ではなく、文字通り織物問屋の事務所や倉庫が集合している雰囲気である。商用車の出入りも繁しい。

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仰々しい看板などもなく傘立てとチラシなどを置く台がそっけなく階段の脇に置かれているだけ。根松の正月飾りが京都らしい風情。階段から見上げたところに展覧会の案内が出ていた。ここで間違いない。

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まっすぐ上がって左右に階段が分かれている。左への矢印の先にポスターと鉄の扉。右の階段の先にも岡崎和郎ポスターがあって、じつはどちらを上がっても画廊へとつづいている。

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展示の様子はマン・レイ石原さんのブログにてどうぞ。

マン・レイと余白で 瀧口修造・岡崎和郎二人展

瀧口修造は久し振りにじっくり見た。テカルコマニーのみならずデッサンやバーント・ドローイングも含めいずれもじつに繊細なテクニックを示していることに陶然とした。造型作家としての瀧口修造のレベルの高さをあらためて感じた。一点欲しいなあ……と思っていると事務所スペースではデカルコマニーの小品が何点も販売されているではないか。うーむ、絶対買えない値段ではないけれど……。ほしい。

たまたまオーナーの小笹氏のお話をうかがう機会をもてたのもよかった。氏は東野芳明を慕って多摩美の芸術学科に入ったそうで、学生時代から美術品を買い始め、とくにどこかの美術商で修業したという経験はないが、いつのまにかアートディーラーになるべくしてなっていたとか。この場所は昨年の八月からオープン。京都市内を転々とした後にこの理想的な空間を見つけたとのこと。築五十五年になるがびくともしない堅牢な建物だそうだ。天井や床を取り払ってリフォームされた豊かな空間は倉庫だったとはとても思えない。とくにむき出しのコンクリート床はもうそれ自体がアートそのもの。見惚れてしまった。下の階に倉庫ともう一つの展示スペースもある。こちらの壁や天井もコンクリートをむき出しにしてあるが(天井や壁を取り払った)、その表面が板の模様をそっくり引き写しているのも感動ものだ。昨今ではわざわざ板目模様をつけたコンクリート壁を目にしたりもするが、こちらは正真正銘の型枠としての板目でその無造作な張り合わせ具合(間に合わせの板を使った感じ)がなんともいい。

本展に関連するトークショーも予定されている。詳しくはサイトhttp://www.ozasahayashi.comにて。今後の企画も楽しみである。

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by sumus2013 | 2017-01-11 21:03 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

ほとゝきす

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昨今、かるた取りに人気があるというのを聞いた。ちょうど遊びに来ていた知人の娘さんも競技かるたに熱を入れているという。昨日、近江神宮で
競技かるた名人位・クィーン決定戦が行われ、名人は防衛、クィーンは交替した。娘さんは高校生なので明日九日に試合があるそうだ。がんばれ。

この和歌のマクリは昨年末に入手したもの。小生の読解力では部分的にしか判読できないが、幸いなことに読み下しのメモが付いていた。

 ほとゝきす
  雲のうへより
   かたらひて
 とはぬになのる
  明ほのゝ

後徳大寺左大臣実定こと徳大寺実定(さねさだ、1139-1192)の歌である。百人一首(八十一番)にはやはりほととぎすが選ばれている。『千載和歌集』夏一六一。

 ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる

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実定は、叔父が藤原俊成(百人一首八十三番・世の中よ)、だから定家(百人一首の撰者と言われる、九十七番・来ぬ人を)は従兄弟になる。待賢門院堀河(八十番・長からむ)が仕えていた待賢門院は祖父の妹で、西行(八十六番・歎けとて)はその祖父に仕えていたため親しくしていたそうだ。百人一首のオールスターに囲まれて育ったということになろう。

このマクリがいつ頃のものか正確には分らない。こういう地模様は「打雲」(天地打雲)と呼ぶらしいが、おおよそ幕末あたりのようである。


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by sumus2013 | 2017-01-08 21:32 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

僕は小さな黄金の手を探す

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アサヒビール大山崎山荘美術館へ。かなり久しぶり。阪急大山崎駅(最寄はJR山崎駅)から歩いて十分、門からさらに山荘入口までも十分近くかかったか。上り坂で汗ばむくらい。風は冷たいが雲ひとつない晴天である。

「ロベール・クートラス 僕は小さな黄金の手を探す」展を見る。クートラスの渋いマチエールはこのイギリス風の別荘に似合っているとも言えるし、絵画作品の展示室としてはとても最善とは言い難い空間でかなり損をしているとも言える。さっぱりした白い壁だけの別棟第二展示室が絵そのものを見るには最適だったが、そこはそこでスペースとしてはかなり手狭である。

近年、日本では作品集などが何冊も刊行されているので(遺作管理人が日本人ということもあっておそらくフランス本国よりも日本での方がよく知られているのではないだろうか)おおよその作品は見知っていたのだが、実作に接するのは初めて。思ったよりずっと良かった。フランスでは素朴派画家として寓されているような感じも見受けられるものの、クートラスの本質はポップアートであろう。

ユトリロ風と言われるようだがユトリロとはほど遠い(いい意味で)「クロワ=ルース通り」という初期作品(一九五七)が山荘の第一展示室に掛かっていた。これがひどく照明の悪い場所で、いい絵なのにちょっとかわいそうだった。ちょうど雑誌か何かの取材記者がノートをもって学芸員の女性の話を聞いていた。
「これはクートラスが生涯身近に置いていた作品でして、引っ越しのたびに裏面にその住所を書き込んであります」
なるほど……たしかに思入れの深そうな作品だった。

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上はエントランスから山荘を眺めたところ。山荘を建てた加賀正太郎がみずから設計し、二十年かけて完成させたという。なるほど細かいところまで工夫の見える建物であり、庭である。庭の歩道の作り方には感心した。加賀夫妻の歿後は荒れるに任されてマンション建設の話まであったとか。しかし地元民が保存運動に奔走しアサヒビールの初代社長山本為三郎(加賀はニッカウヰスキーの創業に参画しており後にニッカの持株を山本に譲ったという因縁があった)が資金援助をして美術館として再生させた。

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安藤忠雄設計の地下展示室(モネ、ユトリロ、ビュッフェが展示されていた)へつづく通路から山荘を眺める。山荘の内部は撮影禁止なのでせめてもと。

ちょっとした小旅行気分が満喫できていい一日だった。一月末日から展示替えだそうだが(後期展示)、もう一度見に来るかどうかはそのときの気分しだいだなあ……。春先の庭園も悪くないとは思うのだが。



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by sumus2013 | 2017-01-07 20:59 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)