林哲夫の文画な日々2
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カテゴリ:雲遅空想美術館( 105 )

年画造酒仙翁

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昨日が旧暦の元日だった。ということでおめでたい造酒仙翁の年画を掲げる。

中国年画造酒仙翁
http://www.microfotos.com/?p=home_imgv2&picid=1518960


造酒仙翁だけでなくさまざまな神様たちが祀られるようだ。漢代からあるとも言われる民間信仰らしい。

青苗之神/造酒仙翁/火德星君/張仙之神/和合二聖/五道之神

青木正兒『抱樽酒話』(アテネ文庫、一九四八年三月二五日)によれば、中国には大別して二種の酒がある。黄酒と焼酒。黄酒は日本の清酒にあたる。焼酒は焼酎である。焼酒は元代に南方から伝来したものらしく、中国本来の酒は黄酒であったろうという。

黄酒は浙江省紹興の酒が有名で、その名は黄酒だが実際には茶褐色をしている。ただ「竹葉清」と呼ぶ酒は日本酒に似ているそうだが《私は未だ曾て嘗めたことは無い》。昔の酒は日本酒のように琥珀色なのが普通であったらしい。それは有名な李白の「客中行」の詩に

 蘭寮ノ美酒ハ鬱金色 玉椀ニ盛リ来タル琥珀光

とあるので分る。唐以来の酒は淡黄色なのが普通だったが、他に特殊な酒として緑・紅・白の三種があった。白と紅はきわめて古く『周礼』に出ている。緑の酒は遅れて『文選』所載の晋の左思の「呉都賦」に出るそうだし、陶淵明の詩に「緑酒、芳顔ヲ開ク」ともある。

白酒はどぶろく。原始的な酒ながら、優良品もあったらしく蘇軾はとくに白酒を好んだ。緑酒は唐から六朝に流行し、紅酒は宋代に盛行したもののようである。

わが国では古くは黒酒(くろき)・白酒(しろき)といった濁酒が作られていたが、奈良朝になって唐から清酒の製法が伝わったようだ(引用者註;文献的には諸説あってはっきりしていないが『延喜式』[九二七年]には清酒の製法が記されている)。そのころから日本酒は琥珀色を輝かしていたに違いないと述べ、

《ところが近年琥珀は段々色が薄くなつて来た。聞けばわざわざ薬品で色を抜くとのことだが、何と云ふ手間のかかつた馬鹿な事をするのだらう。》

としめている。現代の人間には日本酒が琥珀色というイメージはないだろう。しかしながら以前 daily-sumus でも紹介した元禄時代の酒はまさに琥珀色だった。

 
『抱樽酒話』では触れられていないが、同じく青木先生の『中華飲酒詩選』(筑摩叢書、一九八七年九刷)には琥珀と紅の酒が出ているものが挙がっている。前半のみ引用する。


   将進酒   李賀

 瑠璃鐘 琥珀濃 グラスの盃には琥珀色が濃く
 小槽酒滴真珠紅 小さな酒船に滴る酒は真珠(ルビー)のやうに紅い
 烹龍炮鳳玉脂泣 龍を煮たり鳳を焼いたり脂がぢうぢう
 羅幃繍幕圍香風 薄絹の幃や刺繍の幕で香風を囲む


李賀についてはやはり以前少し触れた事がある。ご覧のように龍や鳳凰がポンポン飛び出してくる派手な作風だ。

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by sumus2013 | 2014-02-01 21:22 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

浜田杏堂

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おおよそ一年ほど前に浜田杏堂「山水人物図」を入手した。ほとんど知られていない画家だから値段はあってなきがごとくであった。先日の古今日本書画名家辞典』には次のように書かれている。

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《濱田杏堂(はまだけうだう) 名は世憲(せいけん)、字は子微(しび)、杏堂は其号又癡仙(ぎせん)と号す、通称希菴(きあん)大阪の人、少より画を好み先哲の遺蹟を学びて大に山水花卉を能くせり 文化の頃の人。》

このくらいの情報である。五行。これを多いとみるか、少ないとみるか。それはともかく小生がこの画家を知ったのは中谷伸生氏の論文「近世絵画における浜田杏堂」(『関西大学東西学術研究所創立六十周年記念論文集』)による。そこで中谷氏はまず藤岡作太郎『近世絵画史』における杏堂像を考察している。

《「濱田杏堂、名は世憲、字は子徴、通称を希庵といひ、別に痴仙の号あり、医を業とす。幼より畫を好みて福原五岳等に学び、かつ行書をよくす、山水蕭疎にして頗る気韻あり、文化十一年、四十九歳にして没す。」と述べている。杏堂は、木村蒹葭堂、森川竹窓、谷文晁、篠崎小竹らと交流しているが、墓碑銘に刻まれた碑文は、小竹が撰し、竹窓が書いたものである。杏堂は行書や詩文にもすぐれていたと伝えられ、能もよくしたという。墓所は高津中寺町の法雲寺である。蒹葭堂没後の十三回忌書画展には、《淡鋒山水図》を出品した。

杏堂についてはこの記述で充分だろうが、もう少し中谷論文から補足すると。生年は明和三年(一七六六)、歿したのは文化十一年(一八一四)十二月二十二日。呉北汀が所蔵する明人の墨竹を杏堂は見事に模写したという言い伝え、そして頼山陽に杏堂を讃えた詩がある。たとえサインがなくても杏堂の作品は一目で分るという意味のようだ。

 尺幅渓山爾許長 雲嵐清潤墨猶香
 何妨紙尾無題識 数筆知吾老杏堂

また田能村竹田『山中人饒舌』に《大雅翁に至っては則ち其躅を踵ぐ者、五岳福元素最も著はる。杏堂、春嶽、熊嶽の数子皆五岳の門より出づといふ》とも。

以下は杏堂の作品分析。まず中国絵画からの影響、そして文人画から写生画へと変る作風についても触れられているが、ここでは省く。作品としては《大きな特徴や目立った個性を示すものではない》けれども《東アジアに共通する文人画、あるいは水墨画として、文化史的、文明史的な意味を担っていると考える必要があろう》、《杏堂らを軽視してきた従来の価値評価では、日本美術史研究は成り立たない状況を迎えつつある》という結論である。

画風としては大人しくて物足りない、これは見た通りだ。ただ、素直に気持ちのいい絵じゃないかな。むろん中谷氏も基本的にそこを認めての論考であろうと思うが。

後日、中谷先生にこの絵を見ていただく機会があった。「杏堂です。間違いない。杏堂の贋物というのは見たことないですね」と。これも少々さびしい話ではあった(著名作家ほど贋物が多い)。





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by sumus2013 | 2014-01-11 20:51 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

サンタ・レジーナ

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少し前に某書店で求めた聖画像。ブリキの板に描かれた民画である。タテ25cm。おそらくメキシコあるいはラテンアメリカのどこかで描かれた「レタブロ retablo」であろう。フリーダ・カーロはレタブロを蒐集していたそうだが、たしかにこの素朴な描写にはカーロの強靭さと繊細さに通じる一種独特な魅力がある。

レタブロ(ラテン語「後ろの絵」から)はスペイン語で、中世以来、祭壇の背後に飾られた聖者像などのパネル画を指した。十八世紀後半、スペイン帝国が統治したラテンアメリカへ持ち込まれたが、そこでは民衆のための小さな宗教絵画のことを意味するようになり、聖者像の他にエクス・ヴォート(ex-voto 神の加護に感謝するために奉納する絵、絵馬)をもおしなべて「レタブロ」と呼んでいるようだ。

この聖者は右手に棕櫚の葉を持っている。シュロは殉教者のシンボル。足下には《Santa Regin[a] Brigen Mralir》(?)と書かれている。サンタ・レジーナが聖者の名前だろう。後半は不明(御教示をまつ)。


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サンタ・レジーナはスペイン語の呼び方だが、調べてみると元はフランスの殉教者「サント・レーヌ Sainte Reine」のようである。二五二年、ローマ帝国支配下のフランス中東部のアレジア城塞の近くで羊飼いをしていたレーヌという名前の十六歳の信心深い少女がいた。総督だったオリブリウス(Olibrius, または Olimbrius)が彼女をみそめてわがものにしようとした。けれどもレーヌは結婚も改宗もきっぱりと拒み、首をはねられてしまったという。

当然ながら、まだキリスト教は公認されていなかった(公認は三一三年のミラノ勅令による)。後にその地方ではサント・レーヌを崇める宗派が生まれた。独立運動のシンボルだったのかもしれない。アレジアのアリーズ・サント・レーヌ(Alise-Sainte-Reine)村ではサント・レーヌを讃えるために受難を再現した秘儀劇が九世紀以来行われており、それは今日まで継続されているフランスの最も古い秘儀劇(le plus ancien mystère célébré sans interruption en France)とされているようだ。

レタブロに関する情報は下記に。

山本容子美術館 フリーダ・カーロ博物館

芹沢銈介美術館 ブリキに描かれた宗教画・レタブロ

Muntkidy 聖カタリナ像

***

クリスマスソングをメールで頂戴しました。ありがとうございます。ナイス!

Eddie Higgins Trio - Christmas Songs

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by sumus2013 | 2013-12-25 21:05 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

短冊三枚


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最近求めた古短冊。まず俳句で「山端を誘ひに来るや時鳥」。署名は「喜明?」

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こちら「水鳥」の和歌は「浪たてハ阿さり争ふかたはらに/うちとけてぬる鶴ハも……」。署名は「千野?」

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「三良」とあるからは酒井三良かととびついたわけだが、ネット上で見る「三良」とはどうも筆跡が違うようだ。ただし「米代(よねだい)」が会津の地名だとすれば、河沼郡柳津町出身の三良であってよいはずである。筆跡は時代によっても違ってくるので難しい。




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by sumus2013 | 2013-12-18 21:16 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

僕、馬

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『藤井豊写真集 僕、馬 I am a horse』の発刊記念展がメリーゴーランドで開催されたときに求めた作品が届いた。いい写真だ。ほんとは他にもう四五枚欲しかった……。藤井氏の手紙が添えられていた。

《林さんのブログを見て「僕、馬」を買って恋人(?)にプレゼントしたという方が、東京の個展に二人でいらっしゃいました。
二人はすべてのカットを収めたコンタクトシートブックをゆっくり見て、これが良かったと これが見れた良かったと、三人で長いこと話をしました。
ゆっくりですが、たしかに「僕、馬」が届いているという実感があります。》

届いてますよ!
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by sumus2013 | 2013-10-27 16:53 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)