林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:雲遅空想美術館( 120 )

夕涼の図

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色紙より一回り大きい寸法の戯画を入手した。江戸時代の作? 風俗に詳しい方に御教示願いたい。子供らが団扇を持っているので夏には違いないだろう。パッと見て花火見物かと思った。しかし花火にしては視線が低い。ただし遠花火ならこのくらいでもいいのかもしれない。

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紙の剥落で署名も印も読みにくい。「□□川之[?]」「歳七十八□」。印は「三□」。ご隠居の手すさびだろうか。それにしては群像表現がなかなか巧みで息づかいや会話も聞こえて来そうではないか。


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by sumus2013 | 2015-06-30 21:01 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

正東山樵

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田能村正東の小色紙(タテ21センチ)を例によって安価に求めた。正東は田能村直入(一八一四〜一九〇七)の孫だそうだ。直入は田能村竹田の養継子。とくにどうしたという絵ではないものの、捨てられてしまうのは惜しい。

 請彩秊々烟霞老
 一竿生計於河浜
      正東山樵
      [正東]

一竿生計は陸游の「感旧」に《回首壮遊真昨夢,一竿風月老南湖》とあり、漱石の『吾輩は猫である』に「僕ですか、一竿風月閑生計、人釣白蘋紅蓼間」のように借用されていることと少しは関係があるのかもしれない。美しい自然のなかで釣りをして老境を暮らすということだろう。

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右下隅の印。山紫はいいとして「?明」……水明ではないようだが。水明といえば水明洞さん。ごらんのような値段になっていた(先週のことです)。

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by sumus2013 | 2015-05-24 20:59 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

分け入りて

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間村俊一さんに一句頂戴しました!


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by sumus2013 | 2015-05-13 20:42 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

畢竟如何

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達磨の画を求めた。マクリ(表装されていない状態)なので値段はあってなきがごとし。なんとも言えないこの達磨の表情も面白いと思ったのだが、それよりも賛の書きぶりが気に入った。

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 不喞𠺕漢
 畢竟如何

達磨大師の絵なのだから禅語だろうと検索してみたら『碧巌録』第一則に見えるようだ。

《擧梁武帝問達磨大師 説這不喞𠺕漢 如何是聖諦》

『碧巌録』の訳本を架蔵しないので不確かながら、梁武帝が達磨大師に「聖としてもっとも大事なことは何ですか?」と質問したということだろうが、「説這不喞𠺕漢」は見当もつかない。あえて推測すれば、不平をかこつことなく愚かな漢人におっしゃってください……くらいの意味?(岩波文庫版があるようなのでいずれ参照してみましょう)

「畢竟如何」も『碧巌録』から。「それで、つまりどうだ?」。さらりと書いてあるが、なかなか蘊蓄の深い賛である。

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賛の署名は「星石」、印は「戢之名山」。「星石」とは宗星石(そうせいせき、1866-1923)ではないかと思う。

《南画家・対馬藩主・伯爵。名は重望、字は千里、別号に白雲山樵。経学を亀谷省軒・三島中洲、画を大倉雨村に学ぶ。東京南画会・中央南宗画会会長。貴族院議員。大正12年(1923)歿、57才。》(コトバンク)

とあるが、生年からして対馬藩主はないだろう。対馬藩の最後の藩主は父の宗義達。

《宗星石は、下村観山が「彼が画を業としたのであれば、玄人はさぞ難儀するであろう」と語っているほど画の才能に恵まれており、中国に渡航した事のある経験から、中国の風景を描いた山水画を多く残しています。

宗星石は、明治から大正時代を生きた華族で、宗氏第34代にあたる宗重望の雅号で、別号に白雲山樵、小雲山房主人、疎雨亭などがございます。》(いわの美術

「戢之名山」という印文も凝っている。「戢」は「収める」という意味で、おそらく古くから用いられている「藏之名山,傳之其人」(著作を山中に隠して、これぞという人にだけ見せる)からきているのかとも思う。

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絵の方は見ての通りのマンガだ。プロの筆ではない。署名も印も「東海」。これが誰なのか断言はしないが、伊藤東海(1893~1983)だったらいいなと。

《伊藤東海 明治26年 愛知県生まれ。書家。住友銀行行名執筆。「書之研究」「学書大道」各主幹。「青藍会」「游神会」「山鹿聖学養正会」各会長など歴任。昭和58年歿。主な作品集に「古希東海」「喜寿東海」「東海・心画」「上寿記念作品集」他。》(『西田幾多郎の書』燈影舎、二〇〇九年、著者略歴より)

要するに、絵が得意な星石翁が字を書き、字が専門の若い東海が絵筆をとった、そういう趣向なのではないだろうか。畢竟如何?


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by sumus2013 | 2015-05-10 21:24 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

桜谷

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本日は温暖な一日だった。市中ではそろそろ花が開き始めているだろう。ということで、木島桜谷(このしまおうこく、一八七七〜一九三八)の文字通り桜の短冊。台紙が付いているところからすると、屏風か画帳に貼られていたのだろう。誰かが切り売りしたというわけだ。

木島桜谷、名は文治郎、字を文質。別号に龍池草堂主人、朧廬迂人。京の三条室町東入る御倉町で生まれた。師は今尾景年。山本渓愚に儒学、本草学、漢学を学んだ。大正時代には竹内栖鳳と京都画壇の人気を二分する作家であったという。

文学少年だった桜谷は「論語読みの桜谷さん」とあだ名されるほどの愛読家となり、昼は絵画制作、夜は漢籍読書の生活を送る。

昭和8年(1933年)の第一四回帝展を最後に衣笠村に隠棲、漢籍を愛し詩文に親しむ晴耕雨読の生活を送った。しかし、徐々に精神を病み、昭和13年11月13日枚方近くで京阪電車に轢かれ非業の死を遂げた。享年62。墓所は等持院(非公開)。

京都市北区等持院東町の財団法人櫻谷文庫は、木島桜谷の遺作・習作やスケッチ帖、櫻谷の収集した絵画・書・漢学・典籍・儒学などの書籍1万点以上を収蔵、それらの整理研究ならびに美術・芸術・文化振興のために桜谷が逝去した2年後の昭和15年に設立された。》(以上ウィキより)

かなり前に京都の近代美術館で回顧展を見た記憶がある。最近では泉屋博古館で開催されたようだ。今ちょうど櫻谷文庫が公開されている。

櫻谷文庫 2015春の公開・展示のご案内
http://www.oukokubunko.org/index.html


***

昨日届いた『第十回サンボーホール ひょうご大古本市目録』を見ていると街の草さんがガンバって出品しているのが目についた。なんと『水野仙子集』が格安で出ているではないか! と言ってもサッと注文するにはためらいを覚えるけれど「日本の古本屋」に数点出ているのから較べると格段に安い……。他には野呂邦暢『小さな町にて』もあった。

ふくしまと文豪たち 水野仙子ほか
http://sumus.exblog.jp/20105131/

ふくしま文学のふる里100選
43 酔ひたる商人 水野仙子 小説 大正八年(一九一九)
http://is2.sss.fukushima-u.ac.jp/fks-db//txt/47000.1994fukushima_bungaku100/html/00004.html


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by sumus2013 | 2015-03-27 20:59 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

金子國義死去

金子國義死去のニュースが届く。Bunkamura Gallery で「美貌の翼」という個展があったばかりだったので予期していなかった。版画でもいいからオリジナルが欲しいなと思ってはいたが、さすがに手の届く範囲内には転がっていない。絵葉書を取り出して見る。

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金子國義展「不思議の国のアリス」
1999年12月17日〜30日
伊勢丹

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Barbie-chan 1995


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Histoire de l'origine 1995
金子國義展
2011年1月19日〜30日
ギャラリー アクシズ


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愛書狂 Le bibliomane 2003


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Holy Night 2003
"Holy Night" 金子國義展
2003年12月17日〜25日


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La graine d'Adam 2006
アダムの種
2006年1月26日〜27日
Bunkamura Gallery


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Madame Edwarda 2008
魅惑の起源
2008年2月2日〜12日
Bunkamura Gallery


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The Dressing Room
美貌の翼
2015年1月31日〜2月11日
Bunkamura Gallery


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金子國義・富士見ロマン文庫コレクション内容見本





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by sumus2013 | 2015-03-17 21:00 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

号外が

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先日、某書店で均一台を漁ろうとしたら、先客が張り付いており、ちょっと割り込める雰囲気ではなかった。しばらく待てばよかろうと思い直し別の売り台をちょいちょいと覗いていると、扇子ばかりまとめて何十本も放り込んだ段ボール箱があった。ちょうど時間つぶしにいいやと思い、ひとつひとつ開いては扇面の絵を調べたのである。いつもなら面倒なのでそんなことはしない。こういうところに積み上げられている扇子はたいてい印刷か安手の木版画である。肉筆が交じっていても素人の手遊びていど。時間のムダ……ところが余儀なき時間つぶしが役に立つとはこういうことか、そのとき発見したのがこの一本である。

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絵も字も肉筆。しかもかなり流暢な手である。

 号外が
  絵葉書に
    なる
  その
   早さ

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絵も達者ではないか。前書きと落款もある。ただしこれがよく読めない。いつもながらなさけない。

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 宮比連月並
  狂句合巻中抜章
   喜久はたはし免盲評 [印=始]

印は「始」だという御教示をいただいた。たしかに! ということは「はし」と読んでいいようだ。とすると「あ(愛)」かと思ったが、そうではなくて「た(堂)」か? 宮比連についてもほとんど手がかりはないものの、ひとつだけ前田雀郎の事蹟を記したページに《大正三年(一九一四)、十七歳の時、宮比連(狂句)の運座に加わる》とあった。雀郎は阪井久良岐(伎)に師事したので阪井の主宰した連であろうか? また骨の頂と扇面の狂句の頭に「人」とある。後者の「人」は朱印だ。この「人」は評価(天地人の人)ではないかという御教示をいただいた。なるほど、句会などのグループ活動には縁がないので気付かなかったが、それで間違いないだろう。御教示に深謝。

描かれているこの号外配りの出で立ちもすこぶる興味深い。ブルーのストライプの股引と鉢巻。この縞柄が某新聞社のトレードマークでもあったのだろうか。履いているのは地下足袋か。参考までに先日このブログで紹介した新聞配り、その他、画像検索で見つけた新聞売り子の姿をリンクしておく。


『絵画辞典』しんぶんくばり
http://sumus2013.exblog.jp/23561271/

ビゴー作 号外売り
http://roudouundoumeiji.com/rekisi-8.html

『号外売』明治後期
http://www.nikkei.co.jp/events/art/boston_comp_1.html

明治初期の新聞売り
http://homepage1.nifty.com/eagle_dan/photo253.htm





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by sumus2013 | 2015-03-16 21:27 | 雲遅空想美術館 | Comments(4)

川端彌之助作品展

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川端彌之助作品展が京都市南区東九条の「長谷川歴史・文化・交流の家」で開催されている。川端彌之助の回顧展は一九八四年に京都市美術館でたしか見たような記憶があるのだが、久しぶりにもう一度と思って出かけた。会場の長谷川家住宅というのにも興味があった。

長谷川歴史・文化・交流の家
http://hasegawa.okoshi-yasu.net

地下鉄の十条駅から歩いて七、八分。一般の住宅街のようでありながら、このあたりは寺院や古い農家が点在して歴史を感じさせる地域だった。

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長谷川家住宅の長屋門から母屋へのアプローチ。戸を開けて入場すると上品な婦人が応対、そして一部屋ごとに案内してくださった。チラシの文章をよく読んでいなかったのはうかつだが、この長谷川邸は長谷川良雄の住居だったのだ。長谷川の姉と妹(姉の歿後)が川端に嫁いでいるため二人は義理の兄弟にあたるのである。

長谷川良雄は一九〇二年に創設された京都高等工芸の第一回入学生で浅井忠や武田五一に学び、浅井死後、絵筆を放棄した時期があったようだが、家業の地主を務めながら発表する意図をまったく持たずに数多くの水彩画を制作した。

長谷川の水彩画を京都市美術館で見たのはいつだったか。九〇年代の後半だったと思う。そのときまでまったく知らない作家だったのだが、なんとも見事な水彩テクニックに感嘆した。浅井忠と同じく透明さを極限まで生かす筆運びながら、浅井よりももう一歩踏み込んだ描写になっている。京都、とくに洛南の風景を多く残しているが、その爽やかさ、渋さは小生のもっとも好むところである。

描きためた水彩画は長らく人知れず納戸に保管されていた。『長谷川良雄画集』(長谷川景子、一九九四年)の発行をきっかけとして再評価が始まったそうだ。長谷川邸には常設の展示場が設けられており、作品はもちろんのこと絵具、パレット、筆、ペインティングナイフ(ナイフを使ってひっかく浅井直伝のテクニックを得意としていた)などの遺品も展示されていた。久々に長谷川作品に触れることができ心が洗われる思いだった。

また、良雄の父・清之進はかなり熱心な歴史研究家だったらしい。清之進の蒐集した幕末の地図各種や黒船関連の同時代資料、各種の時計、地球儀なども見所のひとつだ。襖の書は江馬天江、宮原節菴。円山派の絵師による衝立や南蘋派の花鳥画軸なども。

川端彌之助の作品では、パリ時代がいずれも佳作だったが、とくに印象に残るのは画家が自ら手作りしたたくさんのぬいぐるみ人形。竹久夢二の創作人形を連想させるヨーロッパ調のスラリとしたもの。あるいは川端が留学していた当時のパリにそのような形のプペがあったのかもしれない。

土曜の午前中をゆったりと過ごすことができた。土日祝のみの開館なのでご注意を。




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by sumus2013 | 2015-02-28 21:20 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

一枝春信

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濱田杏堂「一枝春信」を入手した。特に佳作ではないものの、それなりに見所はつくっている。杏堂についてはすでにある程度詳しく紹介しておいたので参照されたし。


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印は「世憲」と「子徴氏」。杏堂は梅を得意としていたようである。

昨今、梅花で連想されるのが広島カープに戻ってきた黒田博樹投手。彼が好きな言葉として披露してヤンキースの選手たちに感銘を与えたと言われるのが「耐雪梅花麗」だ。この句を白抜きに刷ったトレーニングウエアを黒田は着用し、チームメイトにもプレゼントしたという。ちょっと演歌チックなこの句は西郷隆盛の「示外甥政直」と前書きの付いた五言律詩からとられている。この詩は各所で引用されているので全文は示さないが、ここのところは対句になっている。

 耐雪梅花麗
 経霜楓葉丹

雪に耐えた梅の花はうつくしい、霜を経た楓の葉は真赤だ。苦難に耐えて大成しろと甥(妹の三男)市来政直が渡米するに当って贈った詩だそうだ。黒田投手にはピッタリである。

他に西郷の漢詩で有名な句は「感懐」の《不為児孫買美田》だが、小生は「失題」が好きだ。

 雁過南窓晩
 魂銷蟋蟀吟
 在獄知天意
 居官失道心
 秋声隨雨到
 鬢影与霜侵
 独会平生事
 蕭然酒数斟

明治六年、野に下って以降に作られたもの。通奏する無力感がいい。


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by sumus2013 | 2015-02-26 21:04 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

空海

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弘法大師の小さな木像を入手した。高さ93ミリ。塗りは漆のような気もするが、専門ではないのでよく分らない。手に持つ法具は失われている(右手に五鈷杵、左手に数珠)。台座には「立」?と墨書。おそらくかつては厨子に収められていただろう。ただこの汚れ方からみてかなり長い間、像だけで放置されていたようにも思われる。

弘法大師空海は讃岐国多度郡の生まれ。小生の実家も真言宗だったため小さいときから祖母に連れられて毎週のようにお寺参りのお供をした。薬師寺と千光寺というふたつの寺が贔屓(?)だった。どちらもおよそ歩いて二十分くらいの距離である。祖母は成田山にも何年かおきに参詣するほど熱心な信者だった。ところが祖母にペットのように連れられていた小生が覚えた念仏はナムダイシヘンジョウコンゴウだけだったのも情けないと言えば情けない。

薬師寺の現住職(だと思うが、最近会ってないので確かではない)は中学校の一年先輩で同じバレーボール部だった(というか入学時に薬師寺の先輩にスカウトされたのである)。高野山で修行した裏話を、もうかなり前に連絡船の中でバッタリ出会ったときに聞いた思い出がある。薬師寺には本堂を半周する地下洞窟が掘られていた。人一人がやっと通れるくらいの幅の通路にはスノコ板が敷かれ、途中に何箇所か祠堂のようなものがあってそこを順番に参詣する。蠟燭の光だけがたよりの薄暗い通路を祖母の後ろからついていくのが、ほんとに怖かった。あのひんやりとした湿っぽい岩の質感が今でも体にしみついている。

千光寺は保育園を経営しており、小生も二年間通わされた。千光寺(真言宗御室派、仁和寺が本山)は実家の檀那寺でもあり祖母も父母も現住職に送ってもらった。昨年は何十年かぶりで千光寺を訪問したが、建物はさほど変っていないようだったものの、とくに幼少時の記憶が甦ってくるということはなかった。お昼寝の時間が嫌いで『キンダーブック』が楽しみだった。

そういう昔ながらの風土に育ったわりには、根っからの不信心者だから信仰としての宗教には何宗であれ興味はない。ただ、思想としての宗教には多少のひっかかりを覚える。密教というのはインド仏教のなかでは最も新しい形態だった。そのため元来のブッダの思想からはかなり隔たった場所に到達してしまっているようでもある。中国へ入った密教がアヴァンギャルドだった時代、空海はそっくりそのまま密教を輸入して日本の宗教界(というよりも思想界か)にブランニューな一派を立てた。それはたちまち貴族階級を虜にした。そういう階級にアピールするゴージャスさ(あの豪勢な曼荼羅図を思い浮かべるだけでよろしい)を密教は持っていたのである。

この小さな弘法大師像を入手した次の日だったか、某書店の均一台に並んでいた上山春平『空海』(朝日新聞社、一九八一年九月三〇日)を買い求めた。司馬遼太郎の空海は読んでいたが、あれは小説。論文ふうの伝記が読めるかどうか危ぶんだ。しかしさすがに上山春平、じつに明快で俊才の走り過ぎ気味の筆がきわめて面白く、空海とその時代に改めて興味を掻き立てられた。空海そのものを読んでみたいと思っているところ。その『空海』の内容については明日。





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by sumus2013 | 2015-02-21 21:39 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)