林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:雲遅空想美術館( 103 )

金福寺

都合により一週間ほどブログを休みます。

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「ぽかんのつどい」のため一乗寺へ出かけたので、せっかくだからと金福寺を訪れた。初めて。小雨の後で潤った苔の緑が目にしみる。上は蕪村が呼びかけて再興した芭蕉庵。

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芭蕉庵の脇を山手へ少し登ると与謝蕪村の墓所がある。周辺には江森月居、松村呉春、松村景文、吉分大魯、森川曾文、青木月斗らの墓も築かれている。

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芭蕉庵から本堂と庭を見下ろす。本堂にも蕪村や村山たか女の関連遺品が展示されている。梁川星巌の漢詩屏風が気に入った。

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白川通りの一乗寺下り松町バス停からまっすぐ山側へ上がって行く道、正面の桜は本願寺北山別院の門前。その手前を右に折れるとすぐ金福寺になる。

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by sumus2013 | 2017-04-15 21:20 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

親愛なる親指へ

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タダジュン『Dear, THUMB BOOK PRESS 親愛なる親指に』出版記念展(〜4月20日)を見るために学芸大学まで。ウィリアムモリスが閉店してから出かけた。SUNNY BOY BOOKS は午後十時まで営業。東急東横線の学芸大学駅から地図をたよりに徒歩五分少々。途中ブックオフもあった。他にも古書店があると教えられたが、とにかくこの日はここだけに。

店は狭いのだが、なかなかのセレクトぶり。雰囲気のいい古本屋だった。タダジュンさんの作品も良かったのでわざわざ足を伸ばした甲斐があった。

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帰途、東口駅前通りの立ち食い蕎麦で夕食。これが意外に美味しかった。学芸大学、いいじゃないですか。

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by sumus2013 | 2017-04-08 21:23 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

花森安治の仕事 世田谷美術館

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世田谷美術館で「花森安治の仕事 デザインする手、編集長の眼」(〜4月9日)を見た。火曜日だったのだが、意外にと言っては失礼ながら、開館前から待っている人がいるくらいで、入場者はかなり多かった(ただし中高年、とくに女性)。

大政翼賛会時代に花森が関わったポスター類が多数展示されていた。これは見ごたえがあった。戦後における花森のデザイン技術はこれらのポスターを実際に制作した報道技術研究会との共同作業のなかで身につけたと考えてもそう的外れではないようだ。松江高等学校の『校友会雑誌』そして『帝国大学新聞』と編集やエディトリアル・デザインに関わってきた花森がプロのデザイナーたちと交わることにより、さらにもう一段レベルアップしたのがこの時代だったのだろう。

『暮しの手帖』の表紙原画も良かった。かなりの枚数並んでいた。印刷物(表紙)を通して見るのとはひと味もふた味も違う。細部まで繊細に書き込まれた(ある意味、当時の印刷による再現の限界を考慮していない)じつに丹念な仕事であった。

個人的に展示物のなかでいちばん驚いたのは『衣裳』という衣裳研究所時代から初期の暮しの手帖社時代に発行していた小冊子である。以下は本展図録より。第一号は一九四八年一月三〇日発行。十一・十二合併号が一九四九年五月二〇日発行。

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これらは花森装釘集成には収められていない。残念だ。しかし驚いた理由はもう一つある。生活社は戦争末期から戦後にかけて「日本叢書」というシリーズを発行していた。最近でもときおり均一台で見かけるくらいだから、相当に多くのバックナンバーがあったのだろう。以前からどうもその表紙フォーマットが花森なのではないかと疑っていたのである。そんな気持ちで『衣裳』に出会ったためにハッとするほど似ていると思ったのだ。

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これが日本叢書(一)の中谷宇吉郎『霜柱と凍土』(日本叢書、生活社、一九四五年四月二〇日)。縦組みと横組みの違いはあるものの活字や子持ちケイの使い方などに類似が感じられる。戦後は紙質も良くなってケイ線が赤色に変る。以前一冊紹介したことがある。

久保田万太郎『これやこの』(日本叢書三六、生活社、一九四六年三月一五日)

もちろん、あまりに単純な誰でも模倣できるデザインだから、明記されていない以上、花森の手になるとは断言できない。重々承知している。しかしながら花森と生活社との関係を考えれば、あり得ない話でもないと思うのだ。何か証拠が見つかればいいのだが、それがなかなか難しい。

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世田谷美術館


会場のBGMとして花森安治が暮しの手帖社の編集員の前で行った訓示(お説教?)の肉声が流されていた。正直なところ、当時の暮しの手帖社には入社したくないな、と思った。

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by sumus2013 | 2017-04-07 20:33 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

近江八幡散歩

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近江八幡まで足を伸ばしてヴォーリズの遺作などをいくつか見学した。上は二月に『四番茶』を取り上げたときに紹介したが、そこに収録されていた「近江八幡 近江の兄弟の住宅」写真である。その現状が下の写真になる。

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向って左手の建物は吉田悦蔵の住宅だった。以前と較べるとかなり増築されているようだが、全体の雰囲気は残っている。風趣のある煉瓦塀も往事を偲ばせる。ただこの説明の看板はなんとかして欲しい。もう少し目立たないシックなつくりを希望する。大きすぎるし。ここはまだましな方で、町中いたるところ無粋な看板や幟がはためいている。目障りこの上なし。景観保存というか、観光の町なのだからもっと細かな気配りが必要だろう。

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またもう一軒、保存修復が充分行われておらず(二階の床板はボコボコだった)、いかにも危なっかしい旧八幡郵便局もそれはそれでなかなか見所のある建物だった。

近江八幡の旧八幡郵便局

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少年時代のヴォーリズ(二階展示室)


半日歩いただけで、くまなく見て回ったわけではないが、ヴォーリズとは直接関係のない八幡小学校が素晴らしかった。

近江八幡市立 八幡小学校


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by sumus2013 | 2017-03-24 17:52 | 雲遅空想美術館 | Comments(3)

麗日

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麦僊と印のある桜の枝の下絵。ちょうど一年ほど前に安価で入手したものだが、とりあえず土田麦僊作としておきたいと思う。

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この下絵と似た枝振りの白い花が描かれている本画はこちら「麗日」(昭和五年頃、『土田麦僊展』図録、一九九七年より)。

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花見のつづき。

『漱石研究年表』(集英社、一九八四年六月二〇日)をめくっていると、ロンドンでの花見の記述を見つけた。漱石自身はChesnut(栗の木)の花の咲く頃、花見に出かける人が多いことに驚いたということしか書いていないようだが(明治三十四年?五月)、その補注に次のような引用が添えられている。

「一寸断つておくが、栗の花見といふと、例の汚ない臭い長い花房を思ひ出すが、英吉利には、赤い栗の花があつて、之が何百何千本と列んだ青い鹿爪らしい栗の木の葉の間から見えるのは、一寸綺麗である。」(原文総振り仮名)(杉村楚人冠『大英遊記』)

杉村楚人冠がここで栗の木と言っているのは horse chesnut (すなわちマロニエ=セイヨウトチノキ、Aesculus属)ではなかろうか。赤い花と白い花があり、花房が上向きに咲く。日本の栗(シバグリ)はクリームかかった白い雄花が下向きに垂れる。chesnut のみなら日本の栗と同属(Castanea)で花も似通っている。どちらでもよろしい。イギリスにも花見はあった。

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by sumus2013 | 2017-03-21 20:40 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

和ガラスの美を求めて

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MIHO MUSEUM で「和ガラスの美を求めてーー瓶泥舎コレクション」展を見た。信楽山中、春の気配はいまだしながら日差しは和らいでいた。風は少々冷たかった。

瓶泥舎は二〇一一年に開館した伊予松山の私設美術館。大藤範典[だいとうのりさと]氏が五十年にわたって蒐集してきた和ガラスを収蔵・展示するスペースである。そのコレクションを代表する逸品がミホに並べられている。

瓶泥舎 びいどろ・ぎやまん・ガラス美術館

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ガラスというのは世界中でさまざまに造型されてきたものだ。その国国によって時代時代によって技術も趣味もかなり極端に異なっているのが面白い。

ガラスと言えば、かつてヴェネチアのムラーノ島にあるガラス博物館(Museo del Vetro murano)を訪れたときのことは忘れられない(今、その博物館のサイトを見ると、四十年前からは想像できないほど小綺麗になっているのにビックリ! そのときは小生の他には誰も観覧者はいなかった、シーズンオフだったし、たまたまのことかもしれないけれど)。ガラスの素晴らしさを改めて感じたものだ。

今展の和ガラスもそれらとはまた別の意味で息をのむ美しさである。ほとんどが江戸時代に作られた作品だという。細かく述べる余裕はないが、江戸の工芸の奧深さ、趣味の多様性(ひねりにひねっている感じか)を思い知らされた。ガラスの加工技術そのものは、そう高いレベルではない、と言うのだが、細密・精巧に作るばかりが能ではない。多少厚ぼったくてもムラがあっても(だからこそ)曰く言い難い味わいをかもしているし、大方の器にはグー(趣味)の良さを感じる。今にも壊れそうな、スリルというか、はかなさが、またよろしい。

和ガラスの美を求めてーー瓶泥舎コレクション

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by sumus2013 | 2017-03-17 20:19 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

ビーズ

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このビーズのブレスレットはパリのアフリカ・オセアニア美術館(musée national des Arts d'Afrique et d' Océanie)のミュージアム・ショップで求めたもの。一九九八年春のことだからもう十九年前になる。アフリカのどこだったか、今ちょっと忘れてしまったが、このシブ派手にすっかりまいってしまったことを思い出す。

この美術館はパリ市内の東の端、十二区、ポルト・ドレーにあった。一九三一年の植民地博覧会の会場として建てられ、その後、植民地博物館(musée des colonies)、海外フランス領博物館(musée de la France d'outre-mer)そしてアフリカ・オセアニア美術館として二〇〇三年まで使われていた。その後、ケ・ブランリ美術館(musée du quai Branly、二〇〇六年開館)ができることになったためアフリカ・オセアニア美術館の収蔵品もそちらに移された。二〇〇七年から移民歴史博物館として再開しているそうだ。

そのときちょうど閉館時間が迫っていて(時間を勘違いして遅れた)三十分くらいしか残っていなかった。小走りにその豊穣なアフリカおよびオセアニア美術の展示を見て回ったため息があがってしまったほどだった。しかし見ておいて良かった。ケ・ブランリの方がもちろんずっと規模も大きく収蔵数も桁違いなのだが(アンドレ・ブルトンのコレクションも一部はここに収まっている)、とくにアフリカ美術のまとまった展示を見たのは初めてだったので印象はずっと深いものがある。

ミュージアム・ショップも品揃えのセンスが良かった。この点でもお土産屋然としたケ・ブランリより上等だったような気がする。そこで、あれかこれか目移りしながらこのブレスレットに惹きつけられたというわけだ。直径は五センチ。なんとか小生の腕にもはまる。

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国立民族学博物館の『月刊みんぱく』四七四号(二〇一七年三月一日)ビーズ特集。だから上のブレスレットを取り出してみた。六月六日までやっているビーズの展覧会、これは見ておきたい。

開館40周年記念特別展「ビーズ―つなぐ・かざる・みせる」

《かつて、ダチョウの卵殻からできたビーズは人類が最初に作ったビーズであるといわれていた。四万年も前のことである。現在では、貝の方が古くて、一〇万年も前のことになっているが、いずれにしても、わたしたち人類が誕生してから現在まで、ビーズは存在し続けてきた。》

《世界中のビーズをみていると、人類によるものともののつなぎ方には、普遍的な特性がありそうだ。一列にして円状にするのが、どこでも基本のようである。しかし、その形は類似していても人びとはそれぞれ独自の意味づけをおこなってきた。古代エジプトでは、青緑色のファイアンスビーズが使われており、死からの再生のための祈りが込められている。チベットでは、石でできたビーズは魔除けである。数珠[じゅず]は、仏教では一〇八個をつなげることに意味をもったりするほか、イスラーム教、キリスト教のカトリックでも共通にみられ、人びとの祈りの場面には欠かせないものだ。》(池谷和信「世界はビーズでつながっている」より)

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by sumus2013 | 2017-03-07 21:25 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

長寅

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「長寅」と署名されたマクリを入手。虫食い穴(上部で鳥のように見える)もあり、きわめて安価だった。長寅というからには与謝蕪村の系統かなと思って検索してみると、どうやら名古屋のブルジョア画家・立松義寅ではないかと推察できた。

立松義寅
文化7年熱田大瀬子町生まれ。富豪・鈴木七左衛門長の八男。名は義寅、字は長寅、通称は太左衛門。号は嘉陵。幼い頃は野村玉渓について四条派を学び、のちに京都に出て松村景文に師事した。また、清水雷首の教えも受けている。中国南海の山水、名勝をさぐって研鑚につとめ、名古屋に戻り宇治川先登の図を熱田神宮に納めて画名をあげた。笠寺の富豪・立松太左衛門義民の養嗣となり、家業のかたわら画を描き、のちに名古屋市島田町に隠棲した。明治16年12月16日、74歳で死去した。名古屋四条派、松村景文の系譜

下のような義寅の絵もあるので先ず間違いないだろう。

立松義寅 擬月渓翁採芝図

言うまでもなく月渓は蕪村の弟子である。

「俳画の美 蕪村・月渓」

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印文……上は「長寅」だろうが、下は「疑…?」。

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by sumus2013 | 2017-03-03 16:44 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

新発見 花森の原画

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花森安治による雑誌『文明』(文明社)の表紙原画である。これらは某氏が古書店で求めて画像を提供してくださった。以前いくつかすでに紹介したが、今回はみつづみ書房での26日のトークにおいて全三十二点、見ていただけることになった(画像だけですが)。むろん初公開。どうぞふるってご参加いただきたい。

表紙版下だけでなく扉絵およびカットの原画も含まれる。ここではごく一部だけ紹介しておく。

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この『煙管』の扉の原画にはホワイト修正がほどこされている。参考までに印刷された扉と表紙も掲げておく。

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2017年2月26日(日曜日)
14時〜16時
【無事終了しました】

古書 みつづみ書房

古書 みつづみ書房Facebook

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by sumus2013 | 2017-02-25 20:39 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

あさ日にむかって

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昨年、入手した平野威馬雄の色紙。絵は、なんだろう。玩具? 供え物? まさか動物そのもの?


 あさ日に
 むかって
 大きな
 伸びを
   して
 しみじみと
 秋を吸う


「秋」のところKYO様に御教示いただいた。秋のヘンとツクリが逆になっているわけだ! こんな字があるとは知らなかった。

どうしてこの色紙を出して来たかというと何日か前に届いた『北方人』第二十六号(北方文学研究会、二〇一七年二月)に掲載されていた池内規行「色紙について」を読んだからである。池内氏は『人間山岸外史』(水声社、二〇一二年)などの著者。

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色紙の書き手は、青山光二、長篠康一郎(太宰治研究者)、山下肇(ドイツ文学者)、山岸外史、出隆(哲学者)、野長瀬正夫、大木実、真壁仁、坂村真民、船山馨、黒岩重吾、藤本義一、今西祐行。とくに肩書きを付けなかった人々は小説家か詩人である。むろん池内氏個人と関わりの深い作家や好みの書き手たちばかりなのだが、なかなかに渋いラインナップだ。

《最初に手にした色紙は、青山光二先生から頂いたものだった。昭和四十八年秋に青山先生とご縁が生じ、先生の住まわれる小田急線の和泉多摩川とは隣駅の登戸のアパートに住む私は、通勤の帰りに、また休日にたびたびお訪ねしたが、四十九年十二月、川越の外れに建売住宅を購入して転居した。そして、引っ越しのお祝いとして次のような色紙を贈っていただいた。

 もっとも許す
 こと多きもの
 もっとも愛す[文言は図版より] 》

その後、青山が蔵書を処分するときに田村書店を紹介して二枚もらった。月の輪書林の目録『ぼくの青山光二』に協力して月の輪さんから色紙を二枚もらい、さらに表紙に使われた「宙ぶらりんが好きだ」を購入したという。

その他、それぞれに想い出が語られていて興味深い。古書店ばかりでなくヤフオクで買った色紙があるのもまたいい。掲載図版のなかでは出隆の色紙が欲しいなあ。

***

中野美代子『三蔵法師』をボチボチ読んでいる。こんなくだりに出会ってなるほどと思ったりする。

《思い立つと、かれは仲間を募って朝廷に出国許可を求める請願書を提出した。答えは、「許さず」だった。
 そのころ、唐朝のあるじは李世民すなわち太宗になっていた。かれは、父の李淵すなわち高祖が在位中に、皇太子であった兄の李建成と、その兄に荷担していた弟の李元吉を、いわゆる玄武門の変で殺し、父に退位をせまって第二代皇帝になったのである。隨を倒し唐を興した最大の功労者であったのに、太子に立てられなかったことを不満としてのクーデターであった。

むろんこんなことは歴史上に洋の東西を問わずいくらでも転がっている話だとは思うが……。結局、玄奘三蔵は朝廷の許しを得ずに西域へ旅立つことになる。

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by sumus2013 | 2017-02-21 20:45 | 雲遅空想美術館 | Comments(4)