林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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カテゴリ:雲遅空想美術館( 122 )

ネーデルラント旅日記

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デューラー「芝草」


デューラー『ネーデルラント旅日記』(前川誠郎訳、岩波文庫、二〇〇七年一〇月一六日)には「ルッター哀悼文」が収められており、この旅行記中で異彩を放っている。一五二一年五月十七日のくだり。

一五二一年の精霊降臨節の前の金曜日、アントウェルペンの私の許に、マルティン・ルッターが陰謀によって逮捕されたとの報せが入った。

彼こそはキリストと真のキリスト信仰との後継者であった。そして彼がなお生きているか、それとも彼らが彼を殺[あや]めてしまったか、を私は知らない。

さればマルティン・ルッター博士の書物を読むものは誰しも、彼の教えが如何に明快に聖なる福音を伝えているかを理解することならん。そればそれら(彼の著作)は大いなる敬意をもって保存さるべく、焚[や]かれることあるべからず。いつもいつも真理を歪曲する彼の敵対者たちを、人間たちを神々にしようとする彼らの見解ともども火中へ投じ、それに代わりて再び新たにルッターの書物の刊行せられんことを。おお、神よ、ルッターもし逝きしならば、誰か聖なる福音をかくまで明快に我々に宣べ伝えることをなさんや!

むろんルターはいきなり捕まったわけではなかった。『95ヶ条の論題』を貼り出した(一五一七年、今年はちょうど五百年にあたる)ことを手始めに過激な著作を次々発表した。

ルターが1520年にあいついで発表した文書は宗教改革の歴史の中で非常に重要な文書であり、ルターの方向性を確定することになった。それは『ドイツ貴族に与える書』、『教会のバビロニア捕囚』、『キリスト者の自由』であった。『ドイツ貴族に与える書』では教会の聖職位階制度を否定し、『教会のバビロニア捕囚』では聖書に根拠のない秘跡や慣習を否定、『キリスト者の自由』では人間が制度や行いによってでなく信仰によってのみ義とされるという彼の持論が聖書を引用しながら主張されている。》(日本語ウィキより)

このことによってレオ十世によって破門された。当局としても放置しておけず、ヴォルムス帝国議会への召喚が行われる。デューラーが心配しているようにルターが殺害されることはなかったものの、五月二十一日のヴォルムスの勅令により神聖ローマ帝国内ではルターの著作を所持することが禁止された。ところが、

書記官コルネリウス[デ・グラフェウス]が私にルッターの『バビロン捕囚』をくれたので、それに対し私は彼に私の大判版画集三冊を贈った。

とこれはデューラーが六回目のアントウェルペンに滞在しているとき、同年六月八日のくだりに記されている。アントウェルペンも神聖ローマ帝国内だったはずなのできっと禁制品ということになるのだろう。あるいは、まだこの時点では禁令が届いていなかったのかもしれないが……もしくは禁令など気にしなかったか。

旅の途中で彼はけっこう本を買っているのが意外だった。ルターの著作も『コンデムナツィオ』『対話集』『バビロン捕囚』の三冊を手に入れている。

それにしても、上に掲げた「芝草」の描写などには、まさに先日引用したヒエロニムス・ボックが《家の近くで見られるすべての植物を自在に描写したうえ、土地の植物を土地の言葉で記述するという、かつてない新しい課題ととりくんだ》という態度に匹敵するものではなかろうか。

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デューラー「聖ヒエロニムス」


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by sumus2013 | 2017-11-19 20:44 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

紅葉小禽

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呑舟と落款のある扇面画を入手した。今年は京都も少し紅葉が早いようである。今がちょうど見頃かもしれない・・・ということで掲げてみる。ほんとうはもう少し早くアップしたかったのだが。

呑舟はおそらく大原呑舟であろう。以下コトバンクより。

大原呑舟 おおはら どんしゅう
江戸後期の画家。阿波生。名は鯤、別号に鯤崘・崑崙等。京都に出て大原呑響の養子となる。呉春の門人柴田義董に画法を学び、山水・人物を能くした。筆力は力強く伸び伸びとしている。安政4年(1857)歿、66才。

養父の呑響についても。

大原呑響 おおはら どんきょう
江戸後期の画家。陸奥生。本姓は今田(一説に熊谷)、名は翼、字は雲卿、通称に観次・左金吾、別号に墨斎。松前藩より文武の師として聘せられ重用される。画法は張瑞図を慕い、最も山水図を能くした。また詩文琴書にも優れる。文化7年(1810)歿、享年未詳。

松前藩では家老の蠣崎広年(波響)と交わったらしい。画事も波響から学んだかと推測されてもいるようだ。ただ画風としては養子の呑舟とのつながりはほとんどないかと思われる。呑舟はかなり流達な筆致のテクニシャンである。

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by sumus2013 | 2017-11-18 19:43 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

Salvator Mundi

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レオナルド・ダ・ヴィンチ作とされる「Salvator Mundi(救世主)」が11月15日のクリスティーズ・オークションに出品されるということで話題になっている。

Up-close look at rarely seen da Vinci painting expected to sell for $100 million

レオナルド作が確実とされる十五点のタブローのうちで唯一個人蔵のものが売りに出されたのだそうだ。ウィキには、長らく行方不明だったものが最近発見され、修復された後、二〇一一年にロンドンのナショナル・ギャラリーで開催されたダ・ヴィンチ展で公開されたとある。もう少し詳しく引用すると以下の通り。

ダ・ヴィンチがルイ十二世のために一五〇六年から一五一三年の間にフランスで描いたものとされている。イングランドのチャールズ一世コレクションの一六四九年のカタログに記載されている。一七六三年にはバッキンガム・ノーマンビィ公爵の子息によってオークションにかけられた。一九〇〇年に英国人の収集家フランシス・クック(Francis Cook)ことモンセレイト(Monserrate)の第一子爵、が購入した。そのときにこの絵は拙い修復によってかなりダメージを受けており、作者も不明とされていた。一九五八年にクックの子孫がそれをオークションで売却したときにはわずか45ポンドだったそうである。

二〇〇五年にある美術商組合(consortium of art dealers)の所有となった。そのメンバーにはオールド・マスター専門の美術商ロバート・サイモン(Robert Simon)も加わっていた。分厚く上塗りされており、コピーだと見なされていた。ところが、修復してみると、ダ・ヴィンチの真作であると折り紙がつけられることとなり、上述のダ・ヴィンチ展で展示されたのである。

二〇一三年にこの絵はスイス人美術商イヴ・ブーヴィエ(Yves Bouvier)の手でロシア人コレクター・ディミトリ・リボロヴレフ(Dmitry Rybolovlev)に売却された。$127.5 million(百数十億円、当時1ドル100円前後)だったそうだ。

今回のオークションでも1億米ドル超えは当然と予想されているようだが、さて、いったいどれくらいになるのだろう。そして誰が買うのか? ちょっと気になる。

しかし、正直なところ、どう見ても、ダ・ヴィンチの真作とは思えない。まず手と衣服の描き方がダ・ヴィンチの感覚とは思えない。手も衣服も描写が不自然に細か過ぎる。レオナルドはかなり細かい描写もするのだが、もっと自然な流れでまとめている。表情はたしかに雰囲気はある。ただし、どうも安っぽい。本物と思われるダ・ヴィンチ作品にはこういう間の抜けた感じはない。ダ・ヴィンチ・スクールとしておくのが妥当なところではないだろうか。でも45ポンドなら買いだな。

 1958年の1ポンドは2.80米ドルだったから45ポンドは126米ドル。1ドル360円時代なので当時45000円余りということになる。
【以上は二〇一七年一一月四日に書いた記事】


本日(十六日)結果が報道された。予想を大きく上回って4.5億ドルに!。小生は、米経済は好調だし、美術界は明らかにバブルになっているから、絶対に高くなると信じていたが、それにしても、ここまでとは・・・バブルは本物だ。

二十分以上、ビッド競争が続いたという。2.3億ドルの時点でビッダーは二人に絞られた。ジリジリ競り上がる。3億ドルに達して、一瞬、競争は止った。かに見えたが、その後もすぐに上がり続けた。4億ドルに達した。この時点でバイヤーが払う手数料は5千万ドル(!……とここまでは「ART NEWS」のサイト記事より)。BBCニュースによれば、結局のところ、$450.3M(手数料込み)で電話によるビッダー(未公開)の手に落ちた。目下1米ドルは113.22円だから$450.3Mを単純に掛けるとおよそ509.83億円ということになる。ほぼ510億円である。ヤフオクの終了前1分で延長に次ぐ延長みたいな手に汗握る競り合いになったわけだ。桁は違うけど……


'Leonardo da Vinci artwork' sells for record $450m(BBC NEWS)




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by sumus2013 | 2017-11-16 20:16 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

DRAWING OR DEATH

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日本画の粉本(下書き)。かなり大きな薄い和紙、その両面に墨で牡丹が何種類か描かれ、一部は彩色されてもいる。ある古書店の紙物箱で見つけたもの。学生だろうか、あるいは若い画家かもしれない。画学生とすれば、かなり上手である。

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紙の端に「DRAWing or Death」(素描さもなくば死)と書き付けてある。意気込みがすごい。

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大正七年五月四日と六月二日の日付。御池柳馬場の住所(京都市内です)。作者の名前があったらなあ……。大正七年というと、入江波光、小野竹喬、土田麦僊、野長瀬晩歌、村上華岳、榊原紫峰らが国画創作協会を結成した年である。「DRAWing or Death」の意気込みもそういった画壇の新風を反映しているのかもしれない。


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by sumus2013 | 2017-10-24 20:27 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

間叟

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最近求めた漢詩のマクリ。状態は良くないが、ちょっと特徴的な書き振りに惹かれた。

 読書学剣不成家
 老在浪游徒自嗟
 幸有北陲能待我
 青嚢独従使信槎
      間叟

と読んでみたが、どうだろう、御叱正を乞う[コメント頂いた通りに訂正しました。深謝です]。間叟は新楽間叟(にいらかんそう, 1764-1827)か。

新楽子固は幕臣新楽間叟。享和3年蝦夷地奉行戸川筑前守安論に雇医師として随行、蝦夷地に赴き、択捉島にも渡り、文化3年江戸に戻る。

詩に《北陲》(北のほとり)とあるのもうなずけるように思う。

本日所用があって自家用車で出たので金福寺まで足を伸ばして戸田勝久さんと衣-hatori-さんの二人展を見る。会場はギャラリー竹十と名付けられてはいるが、個人の住宅を展示のために公開しておられるのだった。戸田さんの絵はこういうところによく似合う。人形たちも、これはなかなか一言では表せないが、例えば「ベルメールのフランス人形」といったおもむき。杉苔の庭があり、その奥の茶室には蕪村の軸が……。すでに紹介したように金福寺には蕪村の墓がある。戸田好み極まれり。

金福寺

ちょうど扉野良人氏が来ており、寺宝の短冊帖を持参していた。皆で拝見する。おおよそ幕末から明治あたりのもののようだ。なかに蓮月尼の短冊が二点見えた(下写真の右端と左端)。蓮月は見ると欲しくなる。都合でゆっくりできなかったのが残念だったが、嵐の前にいいものを見させてもらった。

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by sumus2013 | 2017-10-20 20:54 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)

雪舟!?!?

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やはり画廊へ自転車で向う途中、ちょいと立ち寄った古書店の店頭にこんな本が出ていた。昨日の今日で、ま、こんな偶然はよくあること。金沢弘『ブック・オブ・ブックス 日本の美術14 雪舟』(小学館、一九七六年一二月一日)。近年開催された大々的な雪舟展の図録も持っていたのだが、引越しのときに処分してしまい、ちょっと古いがちょうどいいやと買い求めた。百円。

ここには昨日の再発見とされる雪舟と同じシリーズの団扇絵が七点掲載されている。そのうちの四点を掲げる。

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これらはすべて重要文化財に指定されている。だから間違いなく雪舟だとも思えないが、まあ、雪舟と推定していいレベルには達している。このシリーズの延長に昨日の再発見の団扇絵があるわけだ。しかしこうやって較べてみると、再発見の方は構図がなってない。絵の重心が右下の岩にかかりすぎていて不安定だ(本書掲載図版では「倣牧谿山水図」がややこれに近い)。もちろん、夏珪を模写したと断り書きがあるのだから、元絵が悪いのだと言えばそれまでにしても、上の四点、とくに夏の二点(キュビスムのような構成)と較べると、よほど凡庸で落ち着きが悪い。遠景の薄い山並みも平板である。

……雪舟だって傑作ばかり描いたわけではもちろんなかろう。こういう印象批評はなんの足しにもならない。足しにはならないが、ファースト・インプレッションがばかにできないのも本当のところ。科学的に絵具なり用紙なりを分析して、少なくとも、同時代であることを証明しなければならないだろう。

雪舟にもお猿さんの絵「猿猴図屏風」(ボストン美術館)があった。下は本書より部分。

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by sumus2013 | 2017-09-21 21:06 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

雪舟!?

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昨日たまたまこのニュースを知ってビックリした。

雪舟の幻の作品 84年ぶりに確認 山口県立美術館

ビックリしたのは「雪舟発見」ということではなく「これが雪舟? まさか」という意味で、である。「四季山水図」に似ているというのだが、小生には「四季山水図」から適当にモチーフを引き出して組み合わせ、別の絵にしたとしか思えない。そう古くない作品だろう。むろん「専門家」じゃないので大きな口はたたけないが、それにしても、あんまりじゃ……。

じつは小生もいわゆる「雪舟」を買ったことがある(下図)。雪舟という落款があるというだけで、当然こんなものが雪舟のはずはない。ただ、絵そのものはそこそこ古いかなと思ってつい買ってしまった。保存状態も悪く、とりたてて上手というわけでもないが、上の再発見の雪舟よりはよほど見所はあるかと。落款は後の時代に書き加えられたものに違いない。猿の絵というのは牧谿(猿猴図)が有名だし、長谷川等伯にも牧谿に倣った「枯木猿猴図」という秀作がある。本作は水面に移った月を取ろうとしている猿というモチーフ「猿猴捉月」であろう。東晋の仏書『僧祇律』に見える逸話だそうで、身のほどを知れという仏陀の説教だったとか。


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by sumus2013 | 2017-09-20 20:23 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

海門穐色

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好天に恵まれれば画廊へは自転車で通う。その道筋にいつくかの古書店がある。今日はどこの店をのぞいて行こうかなどと迷ったりするのが楽しい。この古い紙は先週のある日、ある古書店で求めたもの。そのときはいつもの場所にあまり食指の動く品物がなかった。手ぶらで出るのもなあ……と思案していたら、グッドタイミングでご主人が「こんなのが入りましたけど」と十枚ほどのマクリを店の奥から出して来てくれた。いつも大した買い物もしないのに、有り難い事である。

ざっと見て五枚ほどもらうことにした。南岳と小竹の屏風はがしのような漢詩が混ざっているのは店主も分っていたようだが、それでもかなり安くしてくれた。藤沢南岳は讃岐藩に仕えたのでもちろん嬉しかったのだが、ここに紹介した小色紙というのか小詩箋というのか、縦が十六センチほど、灰褐色の用紙に書かれた漢詩に強く惹かれた。裏面に作者の略歴が貼付されてある。悲しいかな、浅学ゆえ、すぐに誰だか見当がつかなかった。

  葛湛 橋本氏名張字子琴号菴、/別号竹風楼或小園叟

今、思えばちゃんと子琴と書いてある。また表の最後の行にも港口(大阪湾か)に舟を泛かべて大物を釣る徒葛張と署名してあるではないか。すなわち混沌社の穎才、葛子琴の七言律詩であった。とにかく文字がいい。ただ几帳面なだけではなく、ある種の冴えを感じさせる。

新建懐徳堂
葛子琴刻印(子慶氏印 積善印信印)各一顆

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by sumus2013 | 2017-09-19 21:24 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

をみなへし

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どうにかこうにか、個展の準備を終えました。明日搬入。少し大きめの作品も含めて近作を中心に旧作も少しまぜて二十点ほど並べる予定です。十二日(火)より二十四日(日)まで(十八日休み)。ぜひご来場を。初日、土日祝、最終日は必ず会場に居るつもりです。それ以外の日もそのときの都合しだいで出かけます(メールなりコメントなりをいただければ対応しますので、どうぞお気軽にお問い合わせください)。

ということで、本日は短冊箱から秋らしいものを拾い上げて掲げる。まだまだ、すらすらとは読めないので、解る所だけを検索してみると、有名な歌だった。古今集二三〇、作者は藤原時平。醍醐天皇の下で左大臣をつとめた。そのとき右大臣は菅原道真だったが、政治的に対立、道真を失脚させた。時平は三十九で歿したため道真の怨霊にたたられたとも噂された。時平は有能な改革派だったようなので怨みを買う事も多かったのかもしれない。

  をみなへし秋の風にうちなひき
    心ひとつをたれによすらむ

この短冊、紙を見るとそこそこ時代があるように思える。


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by sumus2013 | 2017-09-10 20:00 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)

TEXNH MAKPA

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『テクネ・マクラ(芸術は永し)女子美術大学歴史資料室ニュースレター』一号(二〇一〇年六月一日)〜十号(二〇一六年一〇月一日)を頂戴した。女子美は明治三十三年(一九〇〇)に設立認可を受け三十四年に開校している。創立百十年を記念して創刊されたもの。ざっと目を通して女子美の歴史がよく分った。女子美術学校というのは現在でも世界に二校しかないのだそうだ。女子美の他にはアメリカで一八四八年に女性の職業訓練のために設立された Philadelphia School of Design for Women のみ。

第六号の表紙に「女子美術学校西洋画科授業風景 大正三年(1914)頃」という写真が出ていて興味深く眺めた。

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裸体モデルを使っている。これについてはかなり前に取り上げた。

茂りたる古書分くる日の靴そろへ

『婦人画報』に出ている写真を見て黒岩比佐子さんが《写真が鮮明ではないのでよく見えないが、どうもステテコ一丁になっているらしい》と書いたのを引用しているが、実際そんな写真も「写真にみる女子美の歩み」展ちらしに掲載されている。「西洋画科の授業風景 大正3年(1914) 本郷菊坂」。たしかにステテコ一丁である。

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毎号「女子美列伝」という女子美の関係者を取り上げる記事がある。第十号ではそこに亀高文子(かめたかふみこ)が登場している。彼女も女子美出身だった。文子についても以前紹介したことがある。


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文子の肖像写真も載っている。『特別展 神戸の美術家 亀高文子とその周辺』(神戸市立小磯記念美術館、二〇〇九年)より転載されたものだが、この展覧会を見逃してしまったのが残念でならない。

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by sumus2013 | 2017-08-22 21:10 | 雲遅空想美術館 | Comments(2)