「ほっ」と。キャンペーン

林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
カテゴリ
全体
古書日録
もよおしいろいろ
おすすめ本棚
画家=林哲夫
装幀=林哲夫
文筆=林哲夫
喫茶店の時代
うどん県あれこれ
雲遅空想美術館
コレクション
おととこゑ
彷書月刊総目次
未分類
以前の記事
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
お気に入りブログ
NabeQuest(na...
daily-sumus
Madame100gの不...
最新のコメント
それは深いですね! 
by sumus2013 at 11:39
有り難うございます。まっ..
by sumus2013 at 08:16
火編に禾で「あき」=秋の..
by KYO at 22:49
返信いたしましたが、届い..
by sumus2013 at 11:43
トビラノ君が還暦になるま..
by sumus2013 at 09:08
右へならえは嫌いだったの..
by sumus2013 at 20:06
花森を論ずるとき、小生が..
by 唐澤平吉 at 20:01
メールが不明で戻ってきま..
by sumus2013 at 17:15
ヴァネッサ・テイト『不思..
by sumus2013 at 17:12
返信さしあげたのですが、..
by sumus2013 at 17:24
メモ帳
最新のトラックバック
天才画家ゴッホの生涯と画..
from dezire_photo &..
ルーベンスの故郷、ヨーロ..
from dezire_photo &..
シャガール、ピカソ、マテ..
from dezire_photo &..
ポン=タヴァン派、総合主..
from dezire_photo &..
視聴率に関係なく選んだ2..
from dezire_photo &..
宝石のような輝をもった印..
from dezire_photo &..
ルネサンス美術の巨匠・ピ..
from dezire_photo &..
既成概念から絵画の解放に..
from dezire_photo &..
既成概念から絵画の解放に..
from dezire_photo &..
過去に来日した傑作を回顧..
from dezire_photo &..
検索
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


京二中 野球部記

f0307792_19594077.jpg

京二中鳥羽高ものがたり』(京二中鳥羽高校同窓会、二〇一六年二月二四日)の著者である藤田雅之氏より京二中の野球部および淀野隆三に関する資料を恵投いただいた。すでにコメント欄でご教示いただいたように淀野は野球部の捕手として活躍していた。その試合記録などが鳥羽高校に保存されている「野球部記」に克明に記されているのである。

まだじっくり目を通していないが、ハイライトはもちろん第一回全国中等学校優勝野球大会(一九一五)の優勝ということになる。ただしこのとき淀野はまだ二中に入学していない。その三年後、一九一八年の第四回大会で淀野も加わった二中野球部は京都予選を勝ち抜き、鳴尾浜球場で行われる全国大会へと駒を進めた。

《尼崎の宿舎に入って、組み合わせ抽選も終えた時に、信じられないことが起こります。この年、七月二三日、富山県魚津の「越中の女一揆」に端を発した「米騒動」が全国に波及し、野球どころではない事態となり、痛恨の中止決定となりました。二中の選手は泣きながら荷物をまとめて帰京することになりました。》(京二中鳥羽高ものがたり』第一巻より)

この件について淀野隆三のご子息がこういう思い出話をしてくださった。

《それから親父の野球ですが、中等野球で1年生の時に、甲子園の前の鳴尾浜球場に京都滋賀の代表で出場、相手が一回戦は弱いものだから、淀野出してやる、と言われていたそうです。ところが米騒動で大会が中止となります。その頃の写真で記憶に有るのは、NHKの野球の名解説者だった小西得郎さんが、現在の明治大学選手として、京都二中に指導にこられた全員の記念写真があります。》

また「野球部記」にはこういうことも書かれている。昭和二十一年、京津予選に優勝し、戦後初めての夏の大会出場(西宮球場)が決定した。予選で優勝した七月二十八日、OBが選手たちを招いて四条縄手上ル寸田氏邸の屋上でスキ焼パーティを催した。寸田氏というのは第一回優勝メンバーの野上実(のち寸田)である。日誌には《寸田、淀野、小城、小西、寺田……諸氏》と淀野隆三の名前も記されている。

f0307792_19594560.jpg

この件についてもご子息隆さんは以下のような思い出話をしてくださった。

《戦後第一回の中等野球では、予選から優勝までの全試合を親父に連れられて見に行きました。親父はその頃の向島で畑をやっていました。もちろん農家に手伝ってもらっていたのでしょうが、毎試合にそこで取れるトマトをいっぱいぶら下げて、私も持たされ差し入れしていました。優勝したのですが、その時に一塁手だった下村というよく打つでかい選手が、親父のスパイクを履いていました。いつもピカピカでずーっと靴箱に保管されていたのです。親父の靴が甲子園の土を踏んだことになります。

余談ですが、電通のSP局の企画部長で、故、森川英太郎というのがいました。ある日仕事で行った私のところにやってきて、
「あんたは淀野のボンボンですか?」
と聞かれ、
「そうですけど」
と答えたら、あの浪商との優勝戦まで、「レフトで7番を打っていた」というわけです。「あの頃お父さんに連れられて、トマトを運び応援に来てくれていたあのボンボンですかいな」てなことになり、他の連中も驚いたわけです。当人同士はそれから極めて仲良く仕事させていただきました。彼は京都「浜作」さんのご長男で、映画監督になりたく、店は弟に任せ松竹の助監督。松竹がつぶれて、電通に入って来られたようです。

ついでに言えば、一高三高の45歳以上の試合というのがありました。親父は三塁手(三高からキャッチャーから三塁手に転向)でしたが練習なしでも、飛んでくると結構うまく球をさばいて、一塁に送るわけで、びっくりしました。この中に、宇野ガンボーと言われていたスラッガーがいました。現役時代からスラッガーだったらしいのですが、この方が巨人軍の当時の球団代表でした。私が中学2年生で親父は、三笠書房の編集長と明治の講師だった時です。

藤田氏に頂戴したコピー(当時の新聞記事)によれば昭和二十一年の試合ではたしかに一塁で四番の下村、左翼の森川の名前がある(森川は予選決勝では九番)。宇野ガンボーというのは宇野庄司(一九〇三年兵庫生まれ、神戸二中〜三高〜京大〜読売新聞社)のことであろう。

京二中鳥羽高ものがたり』は他にも面白い話がいろいろ出ているので改めて紹介したい。

なお、ご子息、淀野隆氏についてネット上で捏造話が流布されているようだが、御本人は事実無根と一蹴しておられるので、念のために記しておく。

[PR]
# by sumus2013 | 2017-02-24 20:57 | 古書日録 | Comments(0)

花森安治の仕事

f0307792_20370849.jpg

図録『花森安治の仕事 デザインする手、編集長の眼』(読売新聞社美術館連絡協議会、二〇一七年、表紙デザイン=重実生哉)を某氏が送ってくれた。これは助かる。みつづみ書房での26日のトークに参考になる写真や図版がたくさん出ている。花森の生涯にわたって目配りの利いた編集ぶりに感心した。欲を言えばキリはないにしても花森の全体像をとらえるということではよくまとまっている。もちろん装幀については『花森安治装釘集成』がいいに決まっているが『スタイルブック』など戦後すぐに衣裳研究所から出た雑誌を集めてあるのは手柄だと思う。


なかでもっとも注目した資料はこちら。佐野繁次郎から花森安治に宛た葉書二枚。二枚が同日(昭和十四年十月二日の消印)に発送されており、文面がつづいている。

f0307792_20371122.jpg

 1.
 先達はお手紙ありがと
 う。
 どうも、あんな立派な手紙
 をもらうと、返事が急に
 かけないです。
 感服もしましたが、君は
 幸だと思ひました。
 十二月頃には帰れますか
 まだ〜〜ですか。
 僕は、この間風邪をひいて
 少しねましたが、ずっと元
 気です。
   これは二科の今年
   のです。フランスで
 描いたの四枚出したんです。


 2
 おなぐさみ迄に送り
 ます。
 店はみんな相変わらずです。
 だん〜〜忙しくなって、しま
 ひました。
 成績は上々です。体がよ
 くなって、帰られたら、北村
 君からも、きゝましたが、営
 業部ででも、すきな方で、
 充分又、銃後のお働き
 をして下さい。
 軽はずみしないで、充分 
 お体、お気をつけ下さい。
    奥様へもお序の
    節よろしく。
 赤ちゃんも大きくなられた事と
 思ってます。


葉書は二科展への出品作を絵葉書にしたもの二種。こういう葉書は入選者が自費で注文して作ってもらうようだ。宛先は《和か山市小松原通四/和か山陸軍病院/赤十字病院/第二病舎》。この年の四月に花森は結核のため満州(中国東北部)から病院船で帰国した。和歌山で療養していたとき佐野に《立派な》手紙を書いたということで、その返事である。伊藤胡蝶園への復職について尋ねたのでもあろうか。何時でもオーケーという返事だが、営業部というのがちょっと気にはなる。

それにしても、文章の調子が親しい友人(年齢は佐野が十一歳上)に対するもので先輩ぶった様子はまったく見えない。花森は佐野に師事したというような言われ方をするけれど(小生もそのように書いたこともあったかもしれないけれども)この調子は若くて仕事のデキる同僚として一目置いていた様子ではないか。佐野研究にとっても重要な葉書である。

ということで、トークの準備中。昨年末にギャラリー島田で行ったものとは少し構成を変えるので、あれこれ図版を入れ替えたり、説明文を付け加えたりしている。お近くの方はぜひおいで下さい。


2017年2月26日(日曜日)
14時〜16時

古書 みつづみ書房

古書 みつづみ書房Facebook


[PR]
# by sumus2013 | 2017-02-22 21:15 | おすすめ本棚 | Comments(0)

あさ日にむかって

f0307792_19581771.jpg


昨年、入手した平野威馬雄の色紙。絵は、なんだろう。玩具? 供え物? まさか動物そのもの?


 あさ日に
 むかって
 大きな
 伸びを
   して
 しみじみと
 秋を吸う


「秋」のところKYO様に御教示いただいた。秋のヘンとツクリが逆になっているわけだ! こんな字があるとは知らなかった。

どうしてこの色紙を出して来たかというと何日か前に届いた『北方人』第二十六号(北方文学研究会、二〇一七年二月)に掲載されていた池内規行「色紙について」を読んだからである。池内氏は『人間山岸外史』(水声社、二〇一二年)などの著者。

f0307792_19582003.jpg

色紙の書き手は、青山光二、長篠康一郎(太宰治研究者)、山下肇(ドイツ文学者)、山岸外史、出隆(哲学者)、野長瀬正夫、大木実、真壁仁、坂村真民、船山馨、黒岩重吾、藤本義一、今西祐行。とくに肩書きを付けなかった人々は小説家か詩人である。むろん池内氏個人と関わりの深い作家や好みの書き手たちばかりなのだが、なかなかに渋いラインナップだ。

《最初に手にした色紙は、青山光二先生から頂いたものだった。昭和四十八年秋に青山先生とご縁が生じ、先生の住まわれる小田急線の和泉多摩川とは隣駅の登戸のアパートに住む私は、通勤の帰りに、また休日にたびたびお訪ねしたが、四十九年十二月、川越の外れに建売住宅を購入して転居した。そして、引っ越しのお祝いとして次のような色紙を贈っていただいた。

 もっとも許す
 こと多きもの
 もっとも愛す[文言は図版より] 》

その後、青山が蔵書を処分するときに田村書店を紹介して二枚もらった。月の輪書林の目録『ぼくの青山光二』に協力して月の輪さんから色紙を二枚もらい、さらに表紙に使われた「宙ぶらりんが好きだ」を購入したという。

その他、それぞれに想い出が語られていて興味深い。古書店ばかりでなくヤフオクで買った色紙があるのもまたいい。掲載図版のなかでは出隆の色紙が欲しいなあ。

***

中野美代子『三蔵法師』をボチボチ読んでいる。こんなくだりに出会ってなるほどと思ったりする。

《思い立つと、かれは仲間を募って朝廷に出国許可を求める請願書を提出した。答えは、「許さず」だった。
 そのころ、唐朝のあるじは李世民すなわち太宗になっていた。かれは、父の李淵すなわち高祖が在位中に、皇太子であった兄の李建成と、その兄に荷担していた弟の李元吉を、いわゆる玄武門の変で殺し、父に退位をせまって第二代皇帝になったのである。隨を倒し唐を興した最大の功労者であったのに、太子に立てられなかったことを不満としてのクーデターであった。

むろんこんなことは歴史上に洋の東西を問わずいくらでも転がっている話だとは思うが……。結局、玄奘三蔵は朝廷の許しを得ずに西域へ旅立つことになる。

[PR]
# by sumus2013 | 2017-02-21 20:45 | 雲遅空想美術館 | Comments(4)

花森安治装釘集成発刊記念トークイベント

f0307792_20134021.jpg
f0307792_20133695.jpg
2017年2月26日(日曜日)
14時〜16時

古書 みつづみ書房

古書 みつづみ書房Facebook

[PR]
# by sumus2013 | 2017-02-21 19:57 | もよおしいろいろ | Comments(0)

ふくしま人 門田ゆたか

f0307792_16373925.jpg
西条八十『砂金』(尚文堂書店、一九一九年八月二五日五版)


菅野俊之氏が『福島民報』に掲載された「ふくしま人 門田ゆたか」(二〇一七年一月一四日〜二月一一日、五回)を送ってくださった。深謝です。関屋敏子の巻も面白かったが、門田ゆたかがいかに身近な詩人だったかを思い出させてくれた。

門田は明治四十年(一九〇七)一月六日信夫郡福島町(現福島市)生まれ。本名は門田穣(かどた・ゆたか)、作詞家としては門田ゆたか、佐々詩生、柏木みのる等のペンネームを使った。名古屋の中学校で西條八十『砂金』に出会って詩人を目指す。早稲田大学仏文科へ入学して西條八十に師事。しかし家庭の事情により卒業間際で退学し西條八十主宰の雑誌『蝋人形』の編集を手伝いながら作詞家としての仕事を始めたのだという。

f0307792_16375256.jpg
昭和十一年「東京ラプソディ」(花咲き花散る宵も銀座の柳の下で…、作曲=古賀政男)でブレイク。これは小生くらいの年代でも頻繁にナツメロとして聞いたものである。二・二六事件と同じ年とは思えないのーてんきな曲調・歌詞なのに驚きを禁じ得ない。まさにラプソディ(狂詩曲)というにふさわしい。他にはデイック・ミネ「林檎の樹の下で」(林檎の樹の下で明日また会いましょう…)、松島トモ子「三匹の子豚」(狼なんかこわくない…)なども耳に馴染みのある曲・詞だ。

戦後も一時期、門田は一九四六年に復刊した『蝋人形』の編集を手伝い、昭和二十五年には自ら主宰する詩誌『プレイアド』を創刊している。『旅愁』など五冊の詩集がある。日本詩人クラブなどで要職を占め、作詞家の著作権保護にも力を尽くした。昭和五十年六月二五日急逝。享年六十八。詳しくは菅野氏の記事にてどうぞ。

上の『砂金』はずっと前に入手したもの。ブログでも一度取り上げた。みやこめっせの即売会だった。表面を毛羽立てた革(ベルベットのような手触り)の表紙。本来は深緑らしい。これはかなり退色してしまっている。装幀は野口柾夫。野口については検索してみてもよく分らないが、著書(述)に『化粧品の常識 販売家必携』(平尾賛平商店出版部、一九二九年)があり、平尾賛平商店のロゴマークをデザインしていること、『現代商業美術全集』第七巻に野口柾夫作突出し造型看板」の図が出ていること、また「鬼怒川音頭」「ヘッチョイ節(オール箱根ソング)」「新曲伊勢音頭」などの作詞も手がけたことなどが断片的に分る。なかなかの才人だったようだ(同一人物とは限らないか…)。

奥州二本松』歴史春秋社 菅野俊之他執筆


[PR]
# by sumus2013 | 2017-02-20 19:36 | おすすめ本棚 | Comments(0)

もよおしいろいろ

f0307792_16374693.jpg

梅田恭子展
かごのなかから
2017年3月22日~30日

新潟絵屋
http://niigata-eya.jp





f0307792_19391353.jpg
通崎睦美木琴リサイタル
平岡養一物語
2017年3月2日(木)
ロームシアター京都サウスホール

通崎睦美コンサート
今、甦る! 木琴デイズ vol.7
2017年5月16日(火)
京都文化博物館別館ホール

通崎好み製作所
http://www.tsuuzakimutsumi.com


***


f0307792_19391993.jpg
今井雅洋 写真・コラージュ展
窓や椅子など
2017年2月21日(火)~2月26日(日)

JINEN GALLERY
http://jinens-art-studio.com/art/





f0307792_08380106.jpg
花森安治の仕事
デザインする手、編集長の眼
2017年2月11日〜4月9日

世田谷美術館
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/next.html





f0307792_17262814.jpg
連続講座
夢と綺想の球体・澁澤龍彦
2月4日、18日、25日

世田谷美術館
http://setabun.or.jp/event/list.html#event00231




ラジオの時代 「阪田寛夫、庄野潤三、富士正晴」展
2016年12月1日〜2017年3月29日

富士正晴記念館


***


[PR]
# by sumus2013 | 2017-02-20 17:43 | もよおしいろいろ | Comments(8)

古本道入門

f0307792_20064287.jpg

岡崎武志『古本道入門』(中公文庫、二〇一七年二月二五日、カバー画=森英二郎)と『sumus』別冊まるごと中公文庫(二〇〇三年六月一〇日、写真は裏表紙の内澤旬子さんによる似顔絵入イラスト)。文庫小僧こと岡崎武志、中公文庫のラインアップにも入ったということで、これもまた慶賀なり。以下「あとがき」より抜粋。

《この文庫版『古本道入門』は、私にとって現時点における持てる力を全て投入したつもりである。その点については、いささか自信がある。これ以上、もう「古本」や「古本屋」について、言うことは何もない。手持ちの札は使い尽くした感じだ。》

《今年、三月二十八日で、私は六十歳。還暦を迎える。どうにかここまで、よくぞ「書く仕事」でやって来られたものだと感慨がある。中公文庫は、日本文学が肌色の背で統一された時代から、ずっと憧れの文庫。仲間と作っていた雑誌『sumus』で中公文庫特集を組んだこともある。この号はよく売れて完売した。
 そんな仰ぎ見る叢書のラインナップに加えていただいたことは、もの書き稼業の途上で、多大なる誇りである。以後の励みとしたい。席を設けてくれたのは藤平歩さん。》

《なお、文庫版カバーの版画を、森英二郎さんが引き受けてくださった。これは望外の喜びであった。大阪人の私にとって、森さんの名前は、伝説の情報誌『プレイガイドジャーナル』時代から親しみを持ち、愛聴する西岡恭蔵のLP「街行き村行き」ジャケットも森さんだったし、敬愛する川本三郎さんの著作も多く森さんの手による等々と、尽きせぬ一方的な思いがある。
 そんなわけで中公文庫版『古本道入門』は、還暦を迎えるにあたって、記念すべき一冊となった。

『古本道入門』(中公新書ラクレ、二〇一一年一二月一〇日)

[PR]
# by sumus2013 | 2017-02-19 20:35 | おすすめ本棚 | Comments(2)

彷書月刊1986

f0307792_15501051.jpg


1985年12月25日発行
第2巻第1号(通巻第4号)

特集/地図

世界図の発達 織田武雄
古地図醸造法 堀淳一
魔界古地図  師橋辰夫
「一枚の地図」から 井出孫六
道の興亡   布川欣一

〈連載〉
雑糅回想 木村威夫
古書展は私の大学 松本克平
『探偵文芸』総目次(1)
明治マルクス文献年表(4)

〈古書店から〉
つぶやき・1 志田三郎
忘れえぬ客  古川実

〈掘出本〉
山岳書収穫 照井康夫

うらみ・つらみ
探求書
古書即売会情報

題字 北川太一
カット 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・秋山令子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 上毛印刷株式会社

全国古書店目録
八文字屋書店/萬葉堂書店/万世書房/近代書房/あべの古書店/永楽屋/鯨書房/日之出書房/昭和堂書店/長山書店/あき書房/タンポポ書店/山田書店/雄朋堂/天野屋書店/昔の館/伸文堂書店/高橋書店/青猫書房/北上書房/古書肆なないろ文庫




f0307792_13300793.jpg

1986年1月25日発行
第2巻第2号(通巻第5号)

特集/奧宮健之

奧宮健之の滑稽と悲惨 中島丈博
奧宮健之の妻・吉田さが 絲屋寿雄
名古屋事件と奧宮健之 長谷川昇
尾崎士郎の自画像 都築久義
奧宮健之と幸徳秋水 山泉進
『共和原理』の原著者について 阿部恒久
身辺の奧宮健之資料 大野みち代

〈連載〉
荘八師記 木村威夫
古書展は私の大学 松本克平
『探偵文芸』総目次(2)
明治マルクス文献年表(5)

〈掘出本〉
『女五人』を囲う 清水卯之助

〈古書店から〉
高橋鉄先生の肌 斎藤夜居
つぶやき・2  志多三郎

探求書・復刊紹介
古書即売会情報

題字 北川太一
カット 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・秋山令子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 上毛印刷株式会社

全国古書店目録
北海堂/萬葉堂書店/文求堂書店/利根川古書専門店/近代書房/するが書房/三光堂/空閑文庫/宇野書店/やまだ書店/長山書店/古本あじさい屋/南海堂/若松書房通販部/吉田書店/横山書店/舒文堂河島書店/街書房/木本書店/きさらぎ文庫/正林堂書店




f0307792_08525489.jpg

1986年2月25日発行
第2巻第3号(通巻第6号)

特集/夢野久作歿後五十年

ジャーナリストと作家の間 淋しい笑いまで 松田修
あたしと夢野久作 緑魔子
犬神博士 逆照射のメッセーヂ 永末十四雄
風吹き渡る久作の掌で 山川三太
ひとりの街 夢野久作試論 北野真弓
紅赤と黒と白 中村宏
『東京人の堕落時代』のことども 成田龍一
昭和を夢の久作 西原和海

〈連載〉
『探偵文芸』総目次(3)
春琴開眼 木村威夫
古書展は私の大学 平沢計一『創作労働問題』 松本克平
明治マルクス文献年表(6)

〈掘出本〉
山本實彦『人を見よ 山を見よ』 福田久賀男

〈古書店から〉
夢野久作登場 田村治芳
つぶやき・3 志多三郎

古書即売会情報

題字 北川太一
カット 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・秋山令子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 上毛印刷株式会社

全国古書店目録
並樹書店/萬葉堂書店/成匠堂書店/近代書房/文高堂書店/永楽屋/古書肆彦書房/山口書店/一博堂書店/文藝舎/かねこ書房/古本あじさい屋/地行書店/葦書房/古雅書店/デラシネ書房/沖縄古書センター ロマン書房本店/森井書店/草木堂書店/古書長谷川書店/松林堂書店


f0307792_16291588.jpg

1986年3月25日発行
第2巻第4号(通巻第7号)

特集/古本屋体験 

宮澤賢治との早いめぐりあい、その他
 二銭均一の古本、『形田藤太蔵書目録』のことなど 小田切秀雄
売れなかった『〓[サンズイに墨]東綺譚』 山田洋次
コッペパンと古本   朴慶植
私の古本屋初体験   山中恒
寒風         中沢けい
ハザマに揺れる    上田友治
本に個性を与える商売 橋口侯之介
古書漁りの楽しみ   小川孝太郎
祖父の旧蔵本     仲代文人
古本屋で拾った話   久松健一
神保町の想い出    伊吹映堂

〈連載〉
懐旧雑談 木村威夫
古書展は私の大学 台本『労力資力』 松本克平

〈新資料紹介〉
「狄嶺文庫」発掘(1)堺利彦・山川均の書簡 岡崎一

〈書架より〉
アララギ叢書(1)引佐細江
ポッジョとアレティーノ イタリアの二大奇書管見 谷口勇

〈掘出本〉
講談社『世界名作全集』 さやまさちこ

〈古書店から〉
わがこころの三人の師 杉浦臺紀
古本屋登場 田村治芳

〈うらみ・つらみ〉
四年の差額 九郎
熱っぽい未来論 M

『渡辺一夫小径』 鈴木勝

一人一冊探求書
古書即売会情報
編集後記

題字 北川太一
カット 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・秋山令子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 上毛印刷株式会社

全国古書店目録
豊文堂書店/萬葉堂書店/コスモス書房/栄豊堂書店古書部/近代書房/小林書店/鯨書房/間島一雄書店/西田書店/古書籍店蝸牛/古本あじさい屋/タンポポ書店/学生書房/すかぶら堂書店/田中書店/塩山書店/大塚書店/山猫屋/横山書店/ビブリオテーク88/長山書店


f0307792_16274756.jpg

1986年4月25日発行
第2巻第5号(通巻第8号)

特集/『学問のすゝめ』

『学問のすゝめ』を読む 内山秀夫
『学問のすゝめ』 日本科学・学問史上の位置づけ 中山茂
『学問のすゝめ』と『京都学校記』 名倉英三郎
ポスト福沢世代の青年達 岡利郎
戦中派体験と『学問のすゝめ』 石坂巖
『学問のすゝめ』初編の初版本 丸山信
中津と福沢諭吉 嶋通夫

〈掘出本〉
『俳諧六指』の芭蕉記事 加藤定彦

〈連載〉
商票古影 木村威夫
古書展は私の大学 『労働世界』 松本克平

〈資料〉
『婦人文芸』総目次(1)

〈新資料紹介〉
「狄嶺文庫」発掘(2)堺利彦・大杉栄の書簡 岡崎一

〈古書店から〉
店なし 小泉耕治
玉露と英王堂 杉浦臺紀

古書即売会情報
編集後記 内山秀夫

題字 北川太一
表紙レイアウト/カット 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・秋山令子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 上毛印刷株式会社

全国古書店目録
サッポロ堂書店/萬葉堂書店/万世書房/昔の館/近代書房/あべの古書店/三松堂/永楽屋/紙屋書肆/白亜館/清泉堂倉地書店/椿書房/平松書店/かねこ書房/信栄堂書店/リブロ書房/リブレール美古多/天野屋書店/大学堂書店/伸文堂書店/早稲田古書店街連合目録


f0307792_21165916.jpg

1986年5月25日発行
第2巻第6号(通巻第9号)

特集 キッチューー巷の芸術

はみ出した美ーーキッチュ 池田龍雄
「新人類」の幼児性    鈴木志郎康
キッチュからガジェットへ 上野昂志
革燐同のこと、ヘリコプター派のこと 松田哲夫
石子順造とキッチュ    今泉省彦
キッチュを売る店 アメノスタンプコイン社・野本孝清氏に聞く

〈紹介〉
『わが本籍は映画館』木村威夫
『小倉金之助その思想』岡部進
『古本屋春秋』志多三郎

〈掘出本〉
『日光湯本 温泉志』 大森澄雄

〈連載〉
隣国資料 木村威夫
古書展は私の大学 『黒潮』ビラ 松本克平

〈資料〉
『婦人文芸』総目次(2)大和田茂編

〈新資料紹介〉
「狄嶺文庫」発掘(3)岩佐作太郎の書簡 岡崎一

一人一冊探求書

〈古書店から〉
短信 山口省三
明治は遠くなりにけり 杉浦臺紀

古書即売会情報
編集後記 内山秀夫

題字 北川太一
表紙レイアウト/カット 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・秋山令子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 上毛印刷株式会社

全国古書店目録
えぞ文庫/文求堂書店/近代書房/するが書房/岡本書店/松雲堂書店/鯨書房/三光堂/間島一雄書店/古雅書店/赤木書店/古本あじさい屋/大橋文庫/舒文堂河島書店/草木堂書店/早稲田古書店街連合目録(2)/古書肆なないろ文庫/日之出書房/長山書店/山猫屋/點燈夫


f0307792_11241177.jpg


1986年6月25日発行
第2巻第7号(通巻第10号)

特集 日中戦争五十周年

日中戦争の歴史的背景 依田憙家
中国人民は抗日戦争から何をえたか 兪辛焞
いくつかの研究問題を提起しよう
 蘆溝橋事変の研究の推進     呉傑
十五年戦争の序曲  石堂清倫
「満蒙開拓」の背景 井出孫六
日中戦争と少国民  山中恒

〈連載〉
美粧結髪 木村威夫
古書展は私の大学 『ローシー氏、オペラ・コミック』ビラ 松本克平

〈掘出本〉
『游牧記趣向書』 仲代文人

一人一冊探求書

〈資料〉
『婦人文芸』総目次(3)大和田茂編

〈紹介〉
『歌集 暇な時に』昆豊

〈新資料紹介〉
「狄嶺文庫」発掘(4)吉川守圀・小田頼造の書簡 岡崎一

〈古書店から〉
旧満州のふるほんや 佐野広
古本至難 横田盛夫

古書即売会情報
編集後記 田 よ

題字 北川太一
表紙レイアウト/カット 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・秋山令子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 上毛印刷株式会社

全国古書店目録
古本亭/志鳳堂書店/成匠堂書店/近代書房/明文堂書店/永楽屋/文高堂書店/日之出書房/原本堂/ロードス書房/一博堂書店/アカデミイ書店/かねこ書房/古本あじさい屋/すかぶら堂書店/田中書店/デラシネ書房/文華堂書店/ビブリオテーク88/アルカディア書房/早稲田古書店街連合目録(3)


f0307792_15332723.jpg

1986年7月25日発行
第2巻第8号(通巻第11号)

特集 鎌倉文庫

鎌倉文庫の足跡 巖谷大四
「脱出」を書いたころ 駒田信二
『人間』編集長として 木村徳三氏にきく
婦人文庫の周囲 沢庸子

〈資料〉
『文芸往来』総目次(1)

一人一冊探求書

〈掘出本〉
『詞海余瀝』 大屋幸世

〈連載〉
驟雨拝受 木村威夫
古書展は私の大学 『日本一』 松本克平

〈新資料紹介〉
「狄嶺文庫」発掘(5)小田頼造の書簡 岡崎一

〈古書店から〉
内山老板のこと 宇坪伊次雄
優雅党 横田盛夫

古書即売会情報
編集後記 麻生

題字 北川太一
表紙レイアウト/カット 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・高川ナギサ・松下圭子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 上毛印刷株式会社

全国古書店目録
夢書房/北海堂/コスモス書房/鯨書房/三進堂書店/やまだ書店/街の草/長山書店/文藝舎/山田書店/古書ふえろう書房/塩山書店/緑林堂書店/栄豊堂書店古書部/近代書房/山猫屋/街書房/點燈夫/松林堂書店/七月堂書林/早稲田古書店街連合目録(4)


f0307792_15574040.jpg


1986年8月25日発行
第2巻第9号(通巻第12号)

特集 日本のシュルレアリスム

日本のシュルレアリスムと瀧口修造 鶴岡善久
日本のシュルレアリスム 稲垣足穂をめぐって 中野嘉一
北園克衛のブックデザイン それでも彼は詩人だった 諏訪優
シュルレアリスム絵画をコトバにした場合 白石かずこ
蝙蝠傘の失跡 ジョン・ソルト
美術のシュルレアリスム 五つの問題点 針生一郎

〈連載〉
先考追想 木村威夫
古書展は私の大学 『印刷された村山知義と久保栄の手記』 松本克平

〈資料〉
『文芸往来』総目次(2)岡野幸江

〈新資料紹介〉
「狄嶺文庫」発掘(6)石川三四郎・加藤一夫の書簡 岡崎一

〈掘出本〉
『河上肇博士と宗教』 柏木隆法

〈古書店から〉
B・R ザ・ブック・リバイバル 横田盛夫

古書即売会情報
編集後記 内 田

題字 北川太一
表紙 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・高川ナギサ・松下圭子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 上毛印刷株式会社

全国古書店目録
道書店/青倫堂書店/成匠堂書店/西田書店/あべの古書店/真理書房/こもれび書房/永楽屋/原本堂/古書籍店蝸牛/長山書店/椿書房/赤木書店/若松書房通販部/雄朋堂/田中書店/天野屋書店/近代書房/古書長谷川書店/青猫書房/早稲田古書店街連合目録(5)

f0307792_15575945.jpg
通巻12号に挟み込みまれている挨拶状



f0307792_15574527.jpg

1986年9月25日発行
第2巻第10号(通巻第13号)

特集 中野重治

中野重治の『WE SHALL OVERCOME SOMEDAY』 小田切秀雄
五十すぎた私自身よ 澤地久枝
電話のはなし 石堂清倫
〈対談〉「あの頃」 原泉 松本克平
希望とヒロイズム 中野重治の詩を読んで 鈴木志郎康
中野重治の詩と音楽 林光
内方新之丞"遺稿集"への夢 「死んだ一人」をめぐって 杉野要吉
細部への目 「大道の人びと」について 西杉夫
退くことのない意志のあらわれ
 「わたしは嘆かずにはいられない」 藤森節子
若きの中野鈴子 大牧冨士夫

〈連載〉
彷書漫筆 木村威夫
古書展は私の大学 シンクレア『二階の男』 松本克平

〈古書店から〉
古書肆革命 河島一夫
本玩寺 横田盛夫

〈書架より〉
丹いね子『男読むべからず』 大和田茂

〈掘出本〉
清水三男の一冊 西原和海

一人一冊探求書
古書即売会情報
編集後記 横手一彦

題字 北川太一
表紙レイアウト 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・高川ナギサ・松下圭子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 松澤印刷株式会社

全国古書店目録
サッポロ堂書店/帯広春陽堂書店/コスモス書房/するが書房/鯨書房/神無月書店/赤井文庫/京都書院美術古書サロン/狩野書店/長山書店/かねこ書店/大学堂書店/古本あじさい屋/古雅書店/舒文堂河島書店/古書長谷川書店/ギャラリー雲/近代書房/ビブリオテーク88/山猫屋/早稲田古書店街連合目録(6)/山口書店/渥美書房/東城書店/自游書院


f0307792_16014829.jpg

1986年10月25日発行
第2巻第11号(通巻第14号)

特集 明治の地方官

地方の時代と明治の地方官 御厨貴
明治地方経営と内海忠勝 笠原英彦
三島式の可能性 井上章一
良二千石関口隆吉 村瀬信一
辣腕の行政官僚・岩村通俊 松尾正人
琉球処分官松田道之のひと陰 我部政男
籠手田安定の統治観 坂本一登
〈資料〉明治の地方官リスト 栗田直樹編

『閑居漫筆』岡茂雄著

〈連載〉
慈恵合掌 木村威夫
近代文学閑談 坪内逍遥の『小説三派』 西田勝

〈書架より〉
藤井樹郎の童謡集『喇叭と枇杷』 宇野光雄

〈古書店から〉
「隙間産業」と「ハイエナ産業」の共時的考察 柴田勝紀
沖縄から 武石和美

〈新資料紹介〉
「狄嶺文庫」発掘(7)加藤一夫・長谷川如是閑の書簡 岡崎一

〈掘出本〉
ニコニコ写真画報 松田哲夫

一人一冊探求書
古書即売会情報
編集後記 御厨貴

題字 北川太一
表紙レイアウト 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・高川ナギサ・松下圭子
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 松澤印刷株式会社

全国古書店目録
五稜郭浪月堂/古本亭/明文堂書店/文求堂書店/真理書房/永楽屋/三松堂/文高堂書店/間島一雄書店/紫陽書院/清泉堂倉地書店/平松書店/あき書房/雄朋堂/すかぶら堂書店/デラシネ書房/緑林堂/近代書房/七月堂書林/山猫屋/なないろ文庫/石神井書林/アルカディア書房/ビブリオテーク88


f0307792_16015321.jpg


1986年11月25日発行
第2巻第12号(通巻第15号)

特集 かぶく

かぶくということ 郡司正勝
非体制の精神 神保五彌
男伊達・六法者 松島榮一
「かぶく」の終焉 小笠原恭子
寛永期の芝居小屋 服部幸雄
寛永の出版事情 宗政五十緒
後水尾院の宮廷サロン 立川洋

〈掘出本〉
同士討ち 山口静一

〈連載〉
親鸞合掌 木村威夫
近代文学閑談 二葉亭四迷の『小説総論』 西田勝

〈新資料紹介〉
「狄嶺文庫」発掘(8)長谷川如是閑・柏木義円の書簡 岡崎一

〈書架より〉
有賀連の童謡集『風と林檎』 宇野光雄
四神私考 動植物専門店のつぶやき 浅尾宏

〈古書店から〉
M・エンデの恩返し 柴田勝紀
資本主義下の古本屋 田村治芳

一人一冊探求書
古書即売会情報
編集後記 A

題字 北川太一
表紙レイアウト/カット 渡辺逸郎

編集人 田村治芳
編集部 内堀弘・高川ナギサ
発行人 堀切利高
発行所 株式会社弘隆社
〒101東京都千代田区猿楽町1-2-4-302
印刷所 松澤印刷株式会社

全国古書店目録
八文字屋書店/万世書房/秀峰堂/岡本書店/栄豊堂書店古書部/斜陽館/三光堂/児島書店/かねこ書房/古本あじさい屋/田中書店/リブロ書房/すかぶら堂書店/塩山書店/あすなろ文庫/近代書房/ビブリオテーク88/街書房/点燈夫/一博堂書店/七月堂書林/大塚書店/文学堂書店/松林堂書店/古書現世

[PR]
# by sumus2013 | 2017-02-19 20:03 | 彷書月刊総目次 | Comments(0)

驕子綺唱

f0307792_20171671.jpg

平井功『爐邊子随筆抄』(書肆盛林堂、二〇一四年一〇月二六日、表紙デザイン=小山力也)にひきつづいて『詩集 驕子綺唱』(書肆盛林堂、二〇一七年二月一九日、表紙・タトウデザイン=小山力也)が上梓された。ひとまず慶賀なり。

   Lopez, the Untamed

 野に棲む小獣のやうに
 私は誰にも馴されなかつたものだ
 私を馴さうとした人も幾人[いくたり]かありはしたが

 吾妹子よ お前が現れた時
 私は進んでお前に馴されたものだ
 幾代も 家畜として飼はれてゐたかのやうに

 氣にはしないでお呉れ
 野に棲んだころの荒々しいこゝろが
 飼はれて後もふと甦つて來るやうに
 今も時折は 折にふれて
 荒々しい情[こころ]が
 昔の儘に湧き立つこともあるがーー
 吾妹子よ 今も時折は
    折にふれて


栞としてタトウに収められている長山靖生「解説・あとがき」によれば、第二詩集になるはずだった『詩集 驕子綺唱』には平井功自身が用意した原稿が残っていた。しかしながら《幾人もの優れた出版人が熱を上げたにもかかわらず、生前に平井功が意図した造本装釘を実現しようとの理想を追うあまり、今日まで印刷刊行されるには至らなかった》ということである。たしかに松本八郎さんにもそんな話をうかがった覚えがある。松本さんも平井功の遺志を継ごうと努力しておられた一人だったが。

《昭和末期までは確かに、平井家に原稿が残っていたようだ。しかし功の子息で翻訳家の平井以作が亡くなった後、某氏が平井家にお願いして生原稿を探して頂いたところ、どこに仕舞い込まれたのか判然とせず、所在が確認できなくなっていた。とうとう本当に幻となってしまったのかと思われた時、原稿のコピーが書肆関係者の手元にあることが分った。
 平成二十五年四月二十七日、知人から『驕子綺唱』を出版するので手伝わないかとの誘いを受けた。私にとっては唐突な話だったが、御遺族の御理解、許諾も受けているという。その場でいきなり手書きの原稿のコピーとデータを渡された。もはや遁れようのない悪魔の誘惑だった。》

小生もこのコピーなるものを見せてもらった記憶がある。あれはいつどこでだったか……。

小出昌洋「随読随記」に平井功のことが書かれている

《その後、平成二十五年六月にパイロット版として八十部を限定して非賣品として刊行。平井功、日夏耿之介の研究者、関係者を中心に、詩歌に詳しい方々に読んで頂き、御教示を仰ぐことにした。》

《本来なら、今回の「第二次パイロット版」では、それらの指摘を受け入れ、少なくとも明らかな誤記と判断できるものは訂正した上で刊行すべきだと私個人は考え、そのように書肆側に伝えたが、今回はあくまでパイロット版をより広い読者に読んでもらうのが趣旨とのことで、訂正無しでの刊行となった。近い将来、より完璧を期した「正規版」の刊行を別に考えているとのことである。》

なるほど、いろいろな考えがあるものだが、たしかに完璧を求めすぎては出るものも出せなくなる。ただし平井功の造本意匠へのこだわりはテキストよりも(よりもは言い過ぎか、同じくらい)重いはず。詩集という存在(書物と言い換えてもいい)の意味を平井功は見抜いていた。本を愛する誰もが完璧を期したくなる所以である。

詩集 驕子綺唱 書肆盛林堂

[PR]
# by sumus2013 | 2017-02-18 21:07 | おすすめ本棚 | Comments(0)

装幀・装釘・装本

f0307792_20071921.jpg

26日(日)午後二時より伊丹のみつづみ書房さんで『花森安治装釘集成』についてのトークをやらせてもらう。昨年末、ギャラリー島田で行ったトークと基本的な流れは同じだが、新資料なども画像としてお見せするつもりである。それについてはまた後日触れる。本日は『花森安治装釘集成』の巻頭に唐澤さんが書いておられる「おぼえがき」の、そのまた最初のところに「装釘」という用語についての説明があるので、すこしそこに注目してみたい。

《花森安治は〈装釘〉の字をつかった。
 いま、本の見返しや目次ウラ、奥付などには、もっぱら装幀や装丁の字がつかわれている。釘の字に違和を感じるひとも多いのではないだろうか。
 「文章はことばの建築だ。だから本は釘でしっかりとめなくてはならない」
ーーこれが花森の本作りの考えであった。
 だからといって、装釘は花森がつくりだした造語ではない。中国明代からあるれっきとした熟字のようだが、日本では明治以後、洋装本が多くなってから本を綴じることをソウテイとよぶようになり、それに漢字をあてたらしい。ところがテイには、釘、訂、幀、丁、綴の五つの字があてられ、その根拠として諸説あるが、どれが正しく、どれが誤りというほどの大問題でもなく、それぞれの思い入れで自由につかっているのが現状なのだそうだ。意外かもしれないが、五字のなかでは釘が古くから使われており、いまも釘の支持派がいないわけではない。》

このブログではいろいろな本を紹介するときに、できるかぎり装幀者の名前を挙げるようにしている。ところが、そのときどきで表記が違っていることにお気づきの読書もおられるかもしれない。基本的にそれはその本が使っている用字をそのまま引き写すようにしているからである。装幀がいちばん多く、装丁が次にくるだろう。他にはブックデザインという言葉あるいはその他の横文字にこだわるデザイナーあるいは編集者もいるようだ。

個人的には特段の理由がないかぎり「装幀」を使う。幀は《張りたる絵絹なり》(『類篇』)とあって竹の枠などに絵を描いた絹を張ったもの、それを軸物のように装幀することがあったようだ。今の装幀という作業にぴったりしているように思う。(以下、漢字の解釈は白川静『字統』による)

丁は釘の初文である。丁はクギの頭を象っている。「頂」というのもクギの頭と人間の頭の類似からきている。釘は『説文』によれば《練鉼[レンヘイ]の黄金なり》すなわち金ののべ板の義であって、のべ板の形がクギの頭に似た(どちらも楕円形)ところからきているという。丁がおとうさんで釘は子供というわけだ。とすれば釘をクギの意味で用いるのはまったくの逆転ということになる。

訂を使うのは明らかな誤用である。訂は文章を正す意味(有名な書誌学者が提唱したのでこれをよしとする人も少なくないが)。綴というのは余り見かけないが、悪くない。ただどちらかというとブックバインディングを連想させる。

唐澤氏が挙げている他に「装本」という用語もある。これは記憶が正しければ恩地孝四郎がブックデザインを漢字に置き換えて提唱したものだったと思う。

どれをとってもいいと小生も思う。よく見ると、よく見るまでもなく、いずれの文字も頭に「装」がついている。装は《つつむなり》である。衣装・装飾を意味する。『字統』の解説にこうある。

《装束とは行李を整えること、すなわち旅支度をいう。表具のことを装潢[そうこう]、書物には装釘という。いまは装幀という字を用いる。》

白川先生も「装釘」を装幀の古い形として取り上げておられた!

では花森安治はほんとうにいつも「装釘」を使ったのか? というと、そうではなかった。手元にある花森本を調べてみると以下のようになっている。

f0307792_20590954.jpg
くらしの工夫 昭和17年6月20日
(この本を編集したのは花森安治である)


f0307792_20591430.jpg
煙管 昭和21年4月15日


f0307792_20591668.jpg
戯曲姉妹 昭和22年10月10日


f0307792_20590641.jpg
文学会議第四輯 昭和23年5月15日


f0307792_20593115.jpg
田村泰次郎選集第一巻 昭和23年7月15日


f0307792_20593503.jpg
石川達三選集 愛の嵐 昭和24年6月30日


f0307792_20594025.jpg
伊藤整作品集第五巻 昭和28年1月30日


f0307792_20594298.jpg
青列車殺人事件 昭和29年4月5日


f0307792_20594578.jpg
雑誌記者 昭和33年10月6日


f0307792_20594777.jpg
ダンナさまマーケットに行く 昭和34年7月20日2刷


f0307792_20595078.jpg
巴里の空の下オムレツのにおいは流れる
昭和38年3月12日初版
平成23年4月29日48刷


f0307792_20595269.jpg
一戔五厘の旗 昭和46年10月10日


以上花森装釘本の総数からすればごくわずかの例ではあるが、ご覧のように花森は一貫して「装釘」を使っていたわけではなかった(むろん他社の本では用字に注文をつけなかった、ということも考えられる)。昭和三十年代以降はもっぱら「装本」である(恩地孝四郎に同感したのではないかと憶測する)。花森が釘にこだわったのは、最も切実に「再建」が望まれた時代、昭和二十一年から二十年代中頃までだったのではないだろうか。敗戦日本で何をなすべきか。花森の決意が釘の字に込められていた。

と、まあ、都合よく解釈してみたが、唐澤氏より以下のようなご意見をいただいた。

小生が在籍した昭和47年から53年にかけて、暮しの手帖社から出した本に、沢村貞子『私の浅草』『貝のうた』、湯木貞一『吉兆味ばなし』などがありますが、花森はそれらに装釘をつかっています。その時期、ソウテイについて花森が部員にきかせた講釈が、たまたま小生の記憶に刻まれてしまったのだろうとおもいます。仰せの通り、装本も多くつかっており、花森の気持がまだゆらいでいたのかもしれませんね。

上記3冊のなかでは、沢村さんの『私の浅草』でいちばん先です。よく売れた本で、あるいは読者から「疑義」が呈されたのかもしれません。花森は負けず嫌いですから、そこで装釘について講釈をしたのだとおもいます。要するに、じぶんは間違っていない、と言いたがりの性分ですから。いずれにしろ最晩年の本です。装釘に「回帰」したような印象もあります。

回帰とは意味深いものがある。どんな心境だったのだろうか。

[PR]
# by sumus2013 | 2017-02-17 21:35 | 古書日録 | Comments(2)