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球史発祥朝日新聞(朝日新聞大阪本社)二〇一八年一月三日号、正月から連載の「球史発祥」(川村貴大)の「中」に「全国大会中止「うそや」/後輩に託したスパイクと夢」として淀野隆三が取り上げられた。掲載紙を頂戴したので紹介しておく。 淀野が京都二中(現在の鳥羽高校)で野球をやっていたとき、京滋大会で優勝し、全国大会(第四回大会)へのキップを手にした。大正七年八月である。折しも、富山で火がついた米騒動は全国に広がり、世情は騒然としていた。《「野球大会を開いて歓呼の声をあげるのは忍びない」として中止が決まった」》。 《米騒動で中止となった「幻の全国大会」。「監督から『1回戦はお前を出してやる』と言われていたけど、出られなかった」。北海道旭川市に住む長男でイベントプロデューサーの隆(80)は、隆三から聞かされた。初めて聞いたのは小学3年生のころだった。》 三高でも請われて野球部に入部する(文学に進むと決めていたので、かなり迷ったようだ)、一高との対抗戦では敗北を喫した。「喜び歌うことは許されて居ないのだ。これは私自身の野球の運命だ」と悲観的なことを日記につづっている。 戦後になって淀野が大事にしまっておいたスパイクを後輩の野球部員に提供したことがあった。そのとき二中は全国大会で準優勝。淀野はスタンドから応援していたという。 《隆三は67年、63歳で亡くなった。米騒動で中止になった経験を数十回は聞かされ、残念がる父を見てきた隆は言う。「後輩が全国大会で自分のスパイクをはいてくれた。ようやく気持ちの折り合いがつき、父親[おやじ]の長い夏の大会が終わった」》 なかなか、いい結びだ。 京二中の野球部および淀野隆三に関する資料
by sumus2013
| 2018-01-06 17:02
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