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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


FORMES

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福島繁太郎が発行していた『FORMES(フォルム)』の第一号と第十一号。これはもう三十年ほども前に買ったもの。よく覚えていないが、状態が悪いのでそれぞれ五百円くらいだったと思う。造形美術の国際雑誌、年十回発行、英仏二カ国語で出版とうたっている。

第1号 1929年12月発行 英語版

EDITORIAL OFFICE
42, RUE PASQUIER, PARIS

BUSINESS OFFICE
18, RUE GODOT-DE-MAUROY, PARIS

DIRECTOR S. FUKUSHIMA

ART DIRECTOR WALDEMAR GEORGE

SECRETARY MARCEL ZAHAR

EDITIONS DES QUATRE CHEMINS
18, RUE GODOT-DE-MAUROY, PARIS


第11号 1931年1月発行 フランス語版。フランス側のスタッフは第一号と同じだが、アメリカ版の記載が増えている。

AMERICAN STAFF A. HYATT-MAYOR

CIRCULATION MANAGER SHIRLEY O. WOLF

NEW-YORK OFFICE
DEMOTTE, inc. 25 East, 78th Street, NEW-YORK

『戦後洋画と福島繁太郎 昭和美術の一側面』(山口県立美術館、一九九一年)によればこの雑誌は一九二九年一二月に創刊され、一九三三年までの四年にわたって一年十回(夏の二ヶ月は休む)全三十三号が発行された。ルネ・ユイグ、ウーデ、ルイ・ヴォークセル、エリー・フォールらの他多彩な寄稿家が誌面を賑わした。

編集主任のワルドマール・ジョルジュ(Waldemar-George, 1893-1970、本名 Jerzy Waldemar Jarocinski)はポーランド(当時ロシア)生れ。第一次世界大戦でフランス軍に志願したことによりフランスへ帰化した。戦後パリに住み着いて美術評論家、ジャーナリストとして活躍。スラブ系の若き画家たち、シャガールやスーチンの紹介に努めた。『フォルム』の他に『L'Amour de l'art』(1920-1926)という雑誌の編集もしていた。編集長のマルセル・ザール(MARCEL ZAHAR, 1898-1989)は歴史家、美術評論家。

EDITIONS DES QUATRE CHEMINS(四ツ辻出版?)は福島の企画を請け負っただけなのかもしれないが(同名の出版社が現存する)、詳しくは不明。

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第1号のカラー口絵・ルオー


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ポール・ギョームの広告



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フォートリエのサロン・ドートンヌ出品作


記事によれば、この年(1929)のサロン・ドートンヌ(秋の展覧会)には6000作品の応募があり、その内の500点が入選したとのことである。フォートリエ(1898-1964)のこういう作品は珍しいような気がする。


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広告ページで興味を引かれたのは「LE BOEUF SUR LE TOIT(屋根の上の牡牛)」。一九二二年一月一〇日にルイ・モワゼ(Louis Moysès)がオープンしたパリ八区のキャバレーである。ジャン・コクトーの根城として二大戦間(l’entre-deux-guerres)にはよく知られていた。

ブラジルから戻ったダリウス・ミヨーがコクトーにブラジルの流行歌のメロディーを紹介し、彼らのグループ「Les six 六人組」でその曲を使ったバレー・コメディを計画した。それは「屋根の上の牡牛」(ブラジルの歌のタイトルから)と名付けられルイ・モワゼのバーで公演され評判を呼んだ。そこでルイ・モワゼは店を移転して「屋根の上の牡牛」と名付けたというのだ。それは二〇年代のパリのキャバレーを代表する店となった。あらゆるジャンルのアーティストたちを惹き付けた。ピカビアの「L’Œil cacodylate」は長らくここに掛けられていた。とここまでウィキを訳していて前にも紹介していたことを思い出した。

屋根の上の牛

by sumus2013 | 2017-09-28 21:56 | 巴里アンフェール | Comments(0)
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